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龍谷大学学位請求論文2008.03.15 八力, 廣超「中国浄土教における念仏思想」

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課 程 博 士 学 位 請 求 論 文

1 a

μ

思想

龍谷大学大学院 研究生 八 力 魔 超

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第一章

問題の所在

中国初期浄土教における念仏思想 第一節 第二節 第一項 鹿山慧遠と曇鷲の念仏思想 庫山慧遠の念仏三昧 第二項 曇鴛﹃浄土論註﹄にみる十念思想 第一項 聖道諸師の念仏思想 浄影寺慧遠の念仏論 第二項 第三項 智韻の念仏思想と﹃法華三昧機儀﹄

7 9 9 14 27 27 37 吉蔵の念仏思想

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﹃ 観 経 ﹄ 理 解 を め ぐ っ て

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第二章

道縛・善導の師資相承とその展開

第一節 第二節 第三節 55 第一項 道縛﹃安楽集﹄における念仏思想 57 第二項 第三項 57 ﹁ 観 仏 三 昧 ﹂ と ﹁ 念 仏 三 昧 ﹂ 十念思想' 63 念仏三昧論 69 第一項 善導の念仏思想 79 第二項 第三項 79 ﹃ 往 生 礼 讃 ﹄ と ﹃ 法 事 讃 ﹄ の 行 儀 念仏三昧論

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﹃観念法門﹄と﹃般舟讃﹄を中心に│ 85 ﹃観経疏﹄における十念思想 92 第一項 迦 才 ﹃ 浄 土 論 ﹄ と 懐 感 ﹃ 釈 浄 土 群 疑 論 ﹄ 迦才﹃浄土論﹄の十念思想 111 103 103 第二項 ﹃釈浄土群疑論﹄の念仏思想

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第三章 宋代浄土教の念仏思想とその系譜 125 第一節 第二節 第三節 第一項 知礼﹃妙宗紗﹄と慈雲道式の償法 知礼の念仏観 136 127 127 第二項 第一項 第二項 第三項 慈雲違式の十念思想と償法 元照の念仏思想 162 157 147 147 ﹃観無量寿仏経義疏﹄における念仏思想 ﹃ 阿 弥 陀 経 義 疏 ﹄ に お け る ﹁ 一 心 不 乱 ﹂ 論 臨終行儀について 第一項 ﹃ 楽 邦 文 類 ﹄ と ﹃ 鹿 山 蓮 宗 宝 鑑 ﹄

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念仏結社の諸相

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﹃ 楽 邦 文 類 ﹄ と ﹁ 白 蓮 社 ﹂ 185 178 175 169 169 第二項 第三項 第四項 ﹃楽邦文類﹄における十念論 ﹃楽邦文類﹄における臨終正念

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善導偽撰﹁臨終正念訣﹂について│ ﹃鹿山蓮宗宝鑑﹄にみる念仏思想

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資料編

※略号表 ﹃ 大 正 蔵 ﹄ ﹃ 真 聖 全 ﹄ ﹃ 続 蔵 浄 全 ﹄ ﹃ 続 浄 全 ﹄

中国浄土教における念仏の形態

199 一、浄土三部経諸註釈書目録 266 254 234 205 205 二、中国浄土往生伝対照表 二 、 善 導 ﹁ 五 部 九 巻 ﹂ の 引 用 経 論 問 、 参 考 資 料 ・ 文 献 ・ 論 文 一 覧 ﹃ 大 正 新 修 大 蔵 経 ﹄ ﹃ 真 宗 聖 教 全 書 ﹄ ﹃ 出 続 蔵 経 ﹄ ( 新 文 豊 出 版 ) ﹃ 浄 土 宗 全 書 ﹄ ﹃ 続 浄 土 宗 全 書 ﹄

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問題の所在 浄 土 思 想 の 発 展 に は ﹁ 念 仏 ﹂ が 重 要 で あ る の は 言 う ま で も な い 。 ﹁ 仏 を 念 ず る ﹂ の は 浄 土 へ 往 生 し た い と 願 う 心 か ら で あ る 。 今 日 では、︿無量寿経﹀と︿阿弥陀経﹀に説かれる念仏思想が藤田宏達博士によって文献学的に考究されているが ω 、 ﹁ 念 仏 ﹂ は 浄 土 往 生 の 実 践 行 と し て 注 目 さ れ 、 ﹁ 念 ﹂ の 原 語 に は ﹁ 随 念 ﹂

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江 ) と ﹁ 作 意 ﹂

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の 二 つ が 用 い ら れ て い る 。 康 僧 鎧 訳 ( ? ) ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ 上 巻 、 四 十 八 願 文 中 第 十 八 願 に は 、 ﹁ た と い 我 仏 を 得 た ら ん に 、 十 方 1 -の 衆 生 、 心 を 至し信楽して、我が国に生まれんと欲して乃至十念せん。もし生ぜずば正覚を取らじ。ただ五逆と正法を誹諒する を 除 く ﹂ とあり ω、古来より浄土往生の生因願として重視されるだけでなく、﹁念仏往生の願﹂と呼ばれている。藤田博士によると﹁随 念 ﹂ の 意 味 で 用 い ら れ て い る と さ れ る が 、 下 巻 の 三 輩 往 生 段 で は ﹁ 作 意 ﹂ の 意 味 で も 用 い ら れ て い る と い う 。 ま た 、 成 立 に 関 し て 議 論 さ れ て い る 亘 良 耶 舎 訳 ﹃ 観 無 量 寿 経 ﹄ ( 以 下 ﹃ 観 経 ﹄ ) 九 品 段 文 中 の ﹁ 下 品 下 生 ﹂ に ﹁ あ る い は 衆 生 あ り て不善業と五逆十悪を作りて、もろもろの不善を具す。かくのごときの愚人は悪業をもっての故に、悪道に堕し多劫を経歴し て苦を受くること窮まることなすべし。:::かの人苦に逼られて念仏する逗あらず、善友告げて言わく、汝もし至心に声を絶

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えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せん。仏名を称するが故に、念々の中において、八十億劫の生死の罪を除き、 命終の時金蓮花、なお日輪のごとくしてその人の前に住するを見る﹂とある@この文は中国浄土教諸師において注目され、後 代まで重用された。浄土教諸師が注目したのは下品者が十念によって臨終に自らの罪業を滅して往生できるという点である。 インド以来の﹁念仏﹂は実践行でありながら、往生を願う心、すなわち﹁願生心﹂が根底にあり、それが往生行の一っとして受 容されてきた。その諸相には夢中の見仏があり臨終の念仏がある。 中 国 で は 、 初 期 の 頃 、 浄 土 往 生 の た め の 念 仏 で は な く 、 現 生 に よ る 見 仏 を 求 め た 。 こ れ が 鷹 山 慧 遠 ( 三 三 四 │ 四 一 六 年 ) で あ る 。 一 方 、 曇 驚 ( 四 七 六 l 五 四 二 年 ) の 念 仏 思 想 は 、 主 体 的 に 浄 土 往 生 を 願 じ 求 め た 。 そ の 後 、 道 紳 ( 五 六 二 l 六 四 五 年 ) ・ 善 導 ( 六 一 三 ー 六 八 一 年 ) が 継 承 す る 。 円 L 日本における中国浄土教研究は、曇鷲・道縛・善導の教学探求が中心であり、本研究では﹁中国三祖﹂と総称している。これは 法然・親鷲の見解に基づくものである。しかし、中国の文献資料、とくにその後の思想系譜、︿往生伝類﹀に記されている三祖を 調 べ る と 、 見 解 の 隔 た り が 生 じ て い る 匂 本研究では﹁中国三祖﹂の念仏思想を中心に、同時代もしくはそれ以後に活躍した代表的な諸師を取り上げ、どのような念 仏論が説かれているのか、適宜、諸師の教学を概観しながら考察する。結論から言うと、中国浄土教における念仏思想は鷹山 慧 遠 の 思 想 が 主 流 で あ る 。 し か し 、 諸 師 の 念 仏 思 想 は 、 ﹁ 観 念 ﹂ ﹁ 憶 念 ﹂ ﹁ 称 念 ﹂ と い う 諸 相 の み な ら ず 、 観 法 観 、 十 念 思 想 、 臨 終 正 念 な ど に 関 連 し て 説 か れ て い る 。 し た が っ て 、 ﹁ 念 仏 ﹂ が 往 生 行 で あ り な が ら 、 第 一 の 実 践 行 と し て 説 か れ て い な い 場 合 が あ る 。

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我々が﹁念仏﹂と聞いて直ちに想起するのは﹁称名﹂であろう。浄土往生の実践行としてもっとも有名なだけでなく、日本浄土 教の往生行の中心は称名念仏である。その大成者は言うまでもなく善導であるが、しかし、中国浄土教においての念仏論は称名 だけではなく、様々な形態が見られる。本研究ではこの点を留意して考察している。 では虚山慧遠と﹁中国三祖﹂の相違する点はどこにあるのだろうか。端的に言えば、慮山慧遠の求める念仏とは見仏による禅 定 の 成 就 で あ る 。 つ ま り 、 慧 遠 の 念 仏 思 想 は ﹁ 般 舟 三 味 の 念 仏 ﹂ で あ る 。 こ れ に 対 し ﹁ 中 国 三 祖 ﹂ は 、 往 生 を 一 心 に 求 め た ﹁ 願 生 の 念仏﹂といえよう。前者は﹃無量寿経﹄四十八願文に照合すると第十九願的な念仏であり、﹁中国三祖﹂は第十八願の究極的な 立場であろう。今日では中国三祖の系譜を﹁純正浄土教﹂と呼称している。 しかし、鷹山慧遠の念仏が後代では主流である。何故、﹁中国三祖﹂の念仏思想は主流とならなかったのだろうか。中国浄土 教における念仏思想を検討することで、﹁中国三祖﹂の特異性が明らかにできるだろう。 q d 鹿山慧遠が中国浄土教の祖とされるのは、石芝宗暁(一一五一ー=二四年)が記した﹃楽邦文類﹄の巻四に﹁蓮社継祖五大 法師伝﹂として、鹿山慧速、善導、法照、少康、省常、宗願をあげる第一祖として讃仰されたからである句さらに志磐﹃仏祖統 紀 ﹄ 巻 二 六 ﹁ 浄 土 立 教 志 ﹂ に は ﹃ 楽 邦 文 類 ﹄ を 受 け て ﹁ 蓮 社 ﹂ の 系 譜 が 記 さ れ て い る ω そ の ほ ぼ 同 時 代 の 日 本 で は 法 然 ( 一 一 一 二 一 一 了 二 二 二 年 ) ・ 親 鷲 ( 一 一 七 コ 了 一 二 六 二 年 ) が 活 躍 し 、 と く に 、 法 然 の ﹃ 選 択 本 願 念 仏 集 ﹄ に は ﹁ 浄 土 三 流 ﹂ と し て ﹁ 慧 遠 流 ﹂ ﹁ 慈 感 流 ﹂ ﹁ 善 導 流 ﹂ が 述 べ ら れ て い る 句 法 然 は 中 国 浄 土 教 の 形 態 を 、 鷹 山 慧 遠 の 般 舟 三 昧思想、慈感三蔵慧日(六八 Ol 七四八年)の禅観思想と、称名念仏を大成した道縛・善導の三流があったする。法然の視点は

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念仏思想の観点から分類をし、そのもっとも初期の時代に鷹山流をあげている。これは中国浄土教の歴史から見ても法然の指 摘するとおりであるが、この点について、柴田泰氏は日中の浄土教の把握の相違を検証し、宗暁と法然の相違について、客観的 な資料に基づき考察をしている ω 日 中 浄 土 教 の 相 違 に つ い て は 明 ら か に な っ た が 、 念 仏 思 想 と し て の 変 遷 に つ い て は ま だ 未 知 な 点 が 多 い 。 従 来 、 ﹁ 中 国 三 祖 ﹂ の 念 仏 思 想 は ﹁ 憶 念 ﹂ ﹁ 観 念 ﹂ ﹁ 称 念 ﹂ の い ず れ に 配 当 さ れ る の か と い う 点 に 主 眼 が 置 か れ 、 根 本 的 な 念 仏 思 想 に つ い て は 問 わ れ る こ とがなったように思われる。最近では、岡亮二博士、大田利生氏が従来の見解とは異なる研究を発表しているが匂中国浄土教 全体に亘る念仏思想の考察はなされていない。 四 -4 -鷹山慧遠以来の中国浄土念仏思想は、たしかに隆盛を究めたが、後の中国浄土教において庫山慧遠自身が説いた念仏思想 と同一ではない。中国浄土教の祖として讃仰された慮山慧遠ではあるが、その受容は時代と共に変遷していく。これは三祖の念 仏 思 想 で も 同 様 で あ り 、 ﹁ 産 山 流 ﹂ と ﹁ 中 国 三 祖 ﹂ と い う 対 極 的 な 研 究 は ま だ な さ れ て い な い と 考 え る 。 本研究は三章に分ける。第一章﹁中国初期浄土教における念仏思想﹂では、中国浄土教の祖と讃仰される庫山慧遠の念仏恩 想を考察し、これとは対瞭的な曇驚の十念思想に注目して考察をする。続いて古来、﹁聖道諸師﹂といわれる浄影寺慧遠・天台 智頭・嘉祥寺吉蔵の、とくに﹃観経﹄をめぐる見解を端緒に考察し、初期の中国浄土教の念仏思想を概観する。 第二章﹁道締・善導の師資相承とその展開﹂では曇驚から継承された念仏思想が道紳・善導においてどのように展開したのか 中心に考察する。また聖道諸師と比較をしながらその独自性を明らかにしたい。善導の念仏思想では、従来、五部九巻を総合

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的に取り上げての考察は少なかった。本稿では、念仏論という範曙の考察ではあるが、五部九巻全体から知られる善導教学の 独 自 性 を 明 ら か に し て い き た い 。 次に道縛・善導の直後に活躍した迦才と懐感の念仏論を検討する。はじめに道縛の後に活躍したとされる迦才の十念思想を 考察し、それから善導の弟子とされる懐感の念仏思想を十念論を端緒に考察を進める。道締・善導もそれぞれに特異な思想 を展開するが、その直後の二人の高僧がどのように受容したのか明らかにする。 第三章﹁宋代浄土教の念仏思想とその系譜﹂では、越宋天台趨勢の礎を造った知礼と遵式の﹃観経﹄を中心にした念仏思想を 検討する。それぞれに天台的な思想を展開するが、善導以後の中国浄土教の傾向を念頭に考察をしていきたい。 次に知礼・遵式と同じく天台に学んだ元照の念仏思想を考察する。彼は善導に影響を受けたといわれている。元照の善導教 学の受容を検討して、善導をどのように評価していたのかを知ることで元照の往生行としての念仏思想を明らかにする。 最後に﹃楽邦文類﹄を問題にして、中国浄土教の念仏思想がどのように変容していったのかを明らかにしよう。そして、念仏結 戸 同 U 社﹁白蓮社﹂を再び復興すべく﹃鷹山蓮宗宝鑑﹄が記される。融合的に変容する宋代を受けて、元代、普度によって記されたこの 書の念仏思想を考察する。それによって元代における中国浄土教の念仏思想の形態を明らかにできよう。 以上の考察によって、中国三祖の念仏思想の特徴が明確になると同時に、中国浄土教における念仏思想の受容と変遷につい て も 明 ら か に す る 。 ) l ( 藤田宏達﹃原始浄土思想の研究﹄(岩波書底、一九七 O 年 ) 、 五 三 七 ! 五 六 五 頁 。 (2) ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 一 二 巻 、 二 六 八 頁 上 。 (3) 同 、 三 四 六 頁 上 。

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(4) たとえば、藤田博士は中国浄土教研究に関する言及ではないが、今日の仏教研究について﹁客観的 1 実証的な立場を主とする方法 l ﹂ と ﹁ 主 体 的 i 実践的立場 を主とする方法 i ﹂に分けて、前者を﹁文献学・歴史学の方法論的基礎に立つ近代的な研究﹂と後者を﹃宗祖の信仰・教学を前提とする伝統的な研究﹂の二つに大別 している。藤田博士の指摘は、本稿考察において大いに参考になる。藤田宏遠﹃大無量寿経講究﹄(真宗大谷派宗務所出版部、一九九 O 年 ) 、 一 頁 。 (5) ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 四 七 巻 、 一 九 二 頁 下 。 (6) ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 四 九 巻 、 二 六 O 頁下。﹃仏祖統紀﹄の当該箇所には﹁始祖慮山弁覚正覚円悟法師拍車述。師道安法師二祖長安光明法師善導云是弥陀化身三祖南岳般舟 法師承逮 四祖長安五会法師法照善導後身。師承遠師 五 祖 新 { 疋 台 岩 法 師 少 康 六祖永明智覚法師永寿 七 祖 昭 慶 円 浄 法 師 省 常 四 明 石 芝 暁 法 師 、 取 異 代 同 修 浄 業 功 徳 高 盛 者 立 為 七 祖 。 今 故 遵 之 、 以 為 浄 土 教 門 之 師 法 駕 ・ ﹂ と あ る 。 (7) ﹃ 真 聖 全 ﹄ 第 一 巻 、 九 三 三 頁 。 (8) 柴田泰﹁中国浄土教の系譜﹂(﹃印度哲学仏教学﹄第一号、一九八六年、一三六 1 一 六 六 頁 ) 。 (9) 岡博士は三祖の往因思想を総合的に研究し、曇驚においての﹁十念﹂は﹃無量寿経﹄本願文﹁第十八願﹂に説かれる﹁乃至十念﹂と相応する点を立証する。さらに 6 -道縛では﹁念﹂の使用方法にも注意し、曇鴛思想を依用しつつも、独自の思想を確立していく点を考察する。これが善導において念仏論が帰結し、称名念仏を大成す るまでの課程について言及する。従来の研究では、﹁称名念仏の善導﹂という点のみを強調するが、岡博士はその恩想的背景を精微に検討し、十念思相事}明らかにし て、称名念仏を確立した蕃導教学の特異性を明らかにした(岡亮二﹁中国三祖の十念思想(ご 1 曇鷲の十念思想 1 、 ( 二 ) l 道締の十念思想 l 、 ( 三 ) 1 善導の十念 思想 1 ﹂ 、 ﹃ 真 宗 学 ﹄ 第 九 四 号 、 一 九 九 六 年 、 一 ! 二 九 頁 、 ﹃ 龍 谷 大 学 論 集 ﹄ 第 四 五 O 号 、 一 九 九 七 年 、 一 1 四 O 頁 、 ﹃ 龍 谷 大 学 論 集 ﹄ 第 四 五 四 号 、 一 九 九 九 年 、 一 ー 四 三 頁 ) 。 また大田氏は聞名思想との関連から十念論の萌芽が見られるとし、とくに︿後期無量寿経﹀では願生心を起こす点から十念思想が展開されてきたと指摘する(大 回利生﹁浄土教における十念思想﹂、﹃真宗学﹄第九了九二合併号、一九九五年、二二九 l 二 五 一 頁 ) 。

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第一節 贋山慧遠と曇鷲の念仏思想 第一項 鹿山慧遠の念仏三昧 9 -庫 山 意 遠 ( 三 三 四 1 四 一 六 年 ) は 、 先 述 の ﹃ 楽 邦 文 類 ﹄ の 査 定 か ら 、 中 国 浄 土 教 の 開 祖 と い わ れ る 。 慧 遠 の 伝 歴 、 著 述 に 見 ら れ る思想研究に関して従来より優れた論孜があるが匂慧遠の功績としてもっとも有名なのは、﹁白蓮社﹂という念仏結社を建てた ことである。周知のように後代、中国浄土教を発展させ、﹁蓮社﹂と呼ばれ多くの継承 者 を 輩 出 し た 。 し か し 、 ﹁ 白 蓮 社 ﹂ が ど の ような念仏結社であったのか、形態や思想がどのようなものであったのかは明瞭ではな かった。慧遠が讃仰される所以は、念仏結 社を創設した点のみであって、彼の念仏思想に準じたわけではなかった。現在の研究で は、慧遠の出生、教化活動などの生涯に亘 る研究や、慧遠 独自の教学探求が発表されている@ 拝するようにな る。これは中国浄土教での念仏思想 慧 遠 は ﹁ 蓮 社 ﹂ の 開 祖 と し て 、 す べ を 象 徴 し て い る 。 ての念仏結社は慧遠の住した東林寺を崇

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慧遠自身の思想を代表する著作は﹃大乗大義章﹄である。その著作に見られるのは、空観を説くために鳩摩羅什(三五 Ol 四 O 九 年 ) と の 問 答 が 展 開 さ れ て い る 。 彼 が 元 来 ﹁ 念 仏 ﹂ を ど の よ う に 捉 え て い た の か は ﹃ 広 弘 明 集 ﹄ に 所 収 さ れ る ﹁ 念 仏 三 昧 詩 集 序 ﹂ に 見 ら れ る 。 慧 遠 は ﹁ 念 仏 三 昧 ﹂ に つ い て 以 下 の よ う に 述 べ て い る 。 序回、夫称三味者何、専思寂想之謂也。思専則志一不分、想寂則気虚神朗、気虚則智悟其照、神朗則無幽不徹、斯二乃 是自然之玄符、会一而致用也。 ω こ れ に よ る と 、 ﹁ 三 味 ﹂ と い う の は 思 い を 専 ら に し て 心 を 静 寂 に 保 つ こ と を い う 。 ﹁ 思 ﹂ は 心 が 分 散 す る こ と な く 、 ﹁ 寂 ﹂ は 気 が 虚 しく明らかで、二つが一致している様をいうから非常に高度な精神状態を述べている。すなわち、この点のみだけではどのような 仏を念ずるのかは明確に述べられていないが、しかし、その行為性を殊の外重視している。ただ単に仏を念ずるのではない。行者 - 10 -には常に心の統一がもっとも大切であり、そのためには禅定の状態を相続させなくてはならない。これにより仏を見ることがで き る よ う に な る 。 ﹃大乗大義章﹄ではもっとも容易な仏を﹁阿弥陀仏﹂であるとし、主体的な念仏行を修することで成就できると捉えるのが慧 遠の念仏思想である。阿弥陀仏を見るために、我々の側から留意しておかなければならない点をこの論書で述べている。 慧 遠 は 、 弥 陀 見 仏 の 所 依 経 典 と し て ﹃ 般 舟 三 味 経 ﹄ を あ げ て い る 。 ﹃ 般 舟 三 味 経 ﹄ が 慧 遠 に 与 え た 影 響 は 大 き い 。 こ の 経 典 で は 、 阿弥陀仏を見る行を蹴陀和菩薩に対して説いているのは知られている。

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で は 、 ﹃ 般 舟 三 味 経 ﹄ に は ど の よ う な 見 仏 思 想 が 説 か れ て い る の だ ろ う か 。 も っ と も 有 名 な 見 解 は ﹃ 般 舟 三 味 経 ﹄ 巻 上 ﹁ 行 品 ﹂ に 見 ら れ る 。 知是仏言、持是行法故致三味便得三味、現在諸仏悉在前立。何因致現在諸仏悉在前立三味。如是騎陀和、其有比丘比 E 尼、優婆塞優婆夷、持戒完具。独一処止、心念西方阿弥陀仏、今現在随所聞当念、去是間千億万仏剃、其国名須摩提、 在衆菩薩中央説経、一切常念阿弥陀仏。 ω 慧遠が注目していたのは、﹁現在諸仏悉在前立﹂という語であり、経文ではこれを三味であると定義している。慧遠が理解して いた三味の本意は先の﹁念仏三昧詩集序﹂に記されてあるとおりだが、具体的な実践方法を述べている﹃般舟三昧経﹄の文に慧遠 は注目した。彼の念仏思想の出典がこの文より確認できる。文中には﹁諸仏﹂とあるように、阿弥陀仏を見仏することで諸仏が 現前すると説く。阿弥陀仏の見仏だけではなく、慧遠にとって重要なのは諸仏の見仏である。さらに、 当念彼方仏不得敏戒、一心念若一昼夜、若七日七夜、過七日以後、見阿弥陀仏、於覚不見、於夢中見之。 ω 一 11 -と あ る 。 阿 弥 陀 仏 を 見 仏 す る た め に は 、 戒 を 保 ち つ つ も 、 ど の よ う に 行 う の か に つ い て 述 べ て お り 、 醤 輸 を も っ て 立 証 し て い る 。 す なわち、一心に一昼夜または七日間にわたる行法を説いており、そこで夢中における見仏を説いている。この点について、慧遠の 主 著 で あ る ﹃ 大 乗 大 義 章 ﹄ で 問 題 と し て い る 。 巻中﹁次問念仏三昧並答﹂には次のような問答がある。 遠問日、念仏三昧、般舟経念仏章中説、多引夢為。夢是凡夫之境、惑之与解皆自崖己還理了。而経説念仏三昧見仏、則 問云、則答云、則決其疑網。若仏同夢中之所見、則是我相之所鳴。想相専則成定、定則見仏。所見之仏、不自外来、我 亦不往。:::又般若経云、有三事得定、一謂持戒無犯、二謂大功徳、一ニ謂仏威神。為是定中之仏、外来之仏。若是定中 之仏、則是我想之所立、還出於我了。若是定外之仏、則是夢表之聖人。然則成会之表、不専在、不得令聞於夢明失。念

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仏三味法法為爾不、二三之説、寛何所従也。 ω 慧遠は﹃般舟三味経﹄に説かれている念仏三昧の定義について夢の喰えが多いが、これは凡夫の境界であり、経文にある念仏三 味の解釈は夢の中で見たものであるなら、定中の見仏ではないのではないかと問う。また﹃般舟経﹄には三つの定が得られるとし て、一つには戒を保ち犯さないこと、二つに大いなる功徳のこと、一二つに仏の威神力をいうとあり、仏の威神力は定中の仏なのか と問う。慧遠において見仏はつねに定中において為されなくてはならないと捉えている。 什答、見仏三味有三種。一者菩薩或得天眼天耳、或飛到十方仏所、見仏難問、断諸疑網。二者雄無神通、常修念阿弥陀 等現在諸仏、心住一処、即得見仏、請問所疑。三者学習念仏、或以離欲、或未離欲、或見仏像、或見生身、或見過去来 来現在諸仏。是三種定、皆名念仏三昧、其実不問。:::文学般舟三味者、離言憶想分別、而非虚妄。所以者何、釈迦文 仏所説衆経、明阿弥陀仏身相具足、是如来之至言。又般舟経、種種設教、当念分別阿弥陀仏、在於西方、過十万仏土、 -12 -彼仏以無量光明、常照十方世界。若行知経所説、能見仏者、則有本末、非徒虚妄憶分別市己。以人不信、不知行禅定法、 作是念、未得神通、何能遠見諸仏也。是故仏以夢為耳。:::∞ 羅什は、見仏三味には三種あると答える。一つには菩薩が天眼や天耳を得て十方の仏のもとへ飛び、そして、仏に問い様々な 疑網を断つ。二つには神通はなくても常に阿弥陀仏などの諸仏を心に留めると仏を見ることができ、その仏に問うことができる。 三つには仏を念ずることを学び、欲を離れる。または離れない。仏像を見る。または生身を見る。そして、過去現在未来三世の 諸仏を見るとする。この三種の定が念仏三昧であるが、これらは同じではない。上品の者は神通によって仏を見るし、中品の者は 神通を得ていないけれども般舟三味力によって十方諸仏を見て、残りの下品の者も念仏三昧を得る。また般舟三味を学ぶもの は、言葉を離れ憶念し分別するもので虚妄ではない。それは釈迦仏の説かれた多くの経典は阿弥陀仏の姿が具足されていると 明かしている。これは如来の至言である。﹃般舟経﹄には阿弥陀仏は十万仏土を過ぎた西方にいて、無量の光明で十方世界を照

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らしていることを分別して念じる。もし、経文にあるように行じて仏を見ることができたならば、それを虚妄に憶い分別をする ことはない。人が以上のような禅法を知らず行じ念じたとしても、神通がいまだ備わっていないので遠くの諸仏を見られない。そ れで仏は夢を喰えにして念仏三昧を説明したという。 慧遠によれば、諸仏の身には、みな決まった相があるとしたら、憶相分別で虚妄である。だから諸仏の身というのはすべての縁 から生じたもので自性はない。究極のところは空寂で夢のようなものである。﹃般舟三味経﹄に見仏とあるのは、よく善根を生じ て阿羅漢を成じ阿惟越致に至ることができる。知来の身が真実ではないと分かるはずだという。三味による空寂を説いている。 非常に難解な三昧体得の修練法を述べているが、下根の者が持戒清浄で信じ敬い仏の神力と三味の力によれば、すべての縁が和 合して見仏を得るという。このように、わずかな記述だが、下根の者が念仏三昧を得て見仏できると述べているのは注目する。 ここには﹁念仏三昧﹂と﹁般舟三味﹂を同義としてみる慧遠の理解が看取される。本来、慧遠の念仏思想の中心は定中におけ 円3 ' ・ i る見仏である。そして、行者が修することによってなし得るのであり、能動的な見仏が最も重要であると定義をする。﹁中国浄 土教の祖﹂と云われる慧遠だが、西方浄土への往生は慧遠の目的とするところではなかった。阿弥陀仏の見仏は、慧遠にとっては 方便であり、現実世界において最高位を求めた点に特徴がある。現前に仏が来迎する思想を繰り返し述べていて、慧遠の念仏 三味の思想は、論理的であり難解な解釈であるが、現世による見仏成就を修するのが彼の念仏思想の特徴である。 し か し 、 慧 遠 没 後 、 八

OO

年近くを経て、彼の評価は中国浄土教﹁蓮社﹂の祖として讃仰される。

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第二項

曇鷲﹃浄土論註﹄にみる十念思想

北 貌 の 曇 鷲 ( 四 七 六 │ 五 四 二 年 ) か ら 中 国 三 祖 の 浄 土 教 は 始 ま る 。 惰 以 前 か ら ﹃ 観 経 ﹄ が 注 目 さ れ て い た が 、 そ の よ う な ﹃ 観 経﹄中心の思想の中で、曇鷲教学は特異である。次に曇驚の念仏思想の中で、とくに、十念思想を考察しよう。庫山慧遠と曇鷲 の思想に関連性はないが、共に中国浄土教の中心を担う高僧である。弥陀見仏を中心に説く庫山慧遠と、それとはまったく異 なる点に自らの教学を体系させた曇驚。中国浄土教の視点から見ると、その祖師は慧遠であるが、日本浄土教、就中、法然、 親鷲が捉えた中国浄土教の祖師は曇鷲である。その思想は主著﹃浄土論註﹄(または﹃往生論註﹄)に見られ、往生行に五念門行 を中心に説く。一方で曇驚は﹁十念﹂について独自の見解を示した。それ故、十念思想は曇鷲教学の一旦でしかなく ω 、 今 日 、 曇 鷲の思想背景や浄土観への総合的研究が進んでいる守したがって、 一つの問題を搾取して詳細に検討するのは 、 そ の 側 面 だ け に 拘泥して、焦点が煩雑になり独断に落ちる可能性も懸念されるが、中国浄土教における曇鷲の十念思想は重要な意義がある。 本 来 、 曇 驚 に お い て は 、 往 生 行 に つ い て 二 つ の 諸 相 が 見 ら れ る 。 一 つ は こ の 書 の 題 名 に も な っ て い る ﹃ 浄 土 論 ﹄ に 説 か れ る ﹁ 五 念 門行﹂についての註釈であり、もう一つが十念思想である。﹁五念門行﹂は後代の諸師たちに重用され、多大な影響を与えた。 -14

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-﹁ 十 念 ﹂ も ま た 、 後 代 の 諸 師 た ち に 様 々 に 受 容 さ れ て い る 。 ﹁ 五 念 円 行 ﹂ を 修 す る よ り も 、 ﹁ 十 念 ﹂ の 念 仏 に 依 る 方 が 多 く の 者 に 受 け 入 れ ら れ た 。 ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ や ﹃ 観 経 ﹄ に 述 べ ら れ る 衆 生 の 諸 相 に 当 て 飯 め る と 、 ﹁ 玉 念 門 行 ﹂ は 上 品 者 の 往 生 行 で ﹁ 十 念 ﹂ は 下 品 者 の た め と も い え よ う が 、 こ れ は 曇 驚 自 ら 述 べ て い る 。 中国浄土教の諸師は、仏果の最高位を求め、浄土往生のためには﹁五念門行﹂が重要であるとした。﹁五念門行﹂が、後代への 影響が大きかったのは立証されているが、曇鴛教学からの直接の引用ではない。また、十念念仏も曇驚からの影響でないようで あ る 。 十 念 は 修 し 易 い が 故 に 、 庶 民 に 受 容 さ れ た 事 実 は ︿ 往 生 伝 類 ﹀ か ら 知 ら れ る が 、 そ れ に 関 わ っ て い る の は 曇 驚 教 学 で は な い 。 こ の 点 は 、 柴 田 泰 氏 が 、 ﹃ 浄 土 論 註 ﹄ の 流 伝 に 関 し て 調 べ て お り 、 道 縛 と の 連 関 を 示 唆 し て い る ω。 では、曇鷲の﹁十念﹂理解について考察しよう。ただ中国仏教全体の中では、曇鷲教学は受容されなかった。理由は、曇驚の書 物に関する流伝があまり確認されていないからである。同時に彼の思想はかなり難解であり、中国人にはなかなか理解できな かったというのが指摘されている匁曇鷲の十念思想も、決して容易な解釈だとはいえない。その﹁十念﹂が言及される箇所は﹃浄 同 h u ' E 且 土 論 註 ﹄ 巻 上 ﹁ 八 番 問 答 ﹂ 、 巻 下 解 義 分 の 第 一 ニ ﹁ 観 行 体 相 ﹂ ﹁ 第 一 義 諦 ﹂ の 文 中 、 そ し て 、 ﹁ 三 願 的 証 ﹂ で あ る 。 こ れ ら の 中 で も っ と も重視されているのは﹁八番問答﹂である。とくに第六、七、八問答に曇鷲の﹁十念﹂釈義が見られるとし、古来から問題とされ て き た 。 し か し 、 日 本 浄 土 教 の 側 面 か ら は コ ラ 同 窓 口 の 解 釈 に 終 始 し て い る と い う 指 摘 が あ る ω 。そこで曇驚教学において重要な十 念 思 想 を ﹁ 八 番 問 答 ﹂ を 中 心 に 考 察 し て い く 。 ﹁八番問答﹂は﹃浄土論註﹄巻上の末に説かれ、往生人の具体的な対象者を明示している。その一々を概観しよう。

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は じ め の 問 答 は 、 問日、天親菩薩廻向章中言普共諸衆生往生安楽園。此指共何等衆生耶。川 と あ る 。 世 親 ( 天 親 ) は す べ て の 衆 生 と 共 に 往 生 し な く て は な ら な い と 述 べ る 。 仏 の 救 済 に は 差 別 が あ っ て は な ら な い と い 観 点 か ら こ の 問 答 が 始 ま る 。 答日、案王舎城所説無量寿経、仏告阿難、十方恒河沙諸仏知来皆共称嘆無量寿仏威神功徳不可思議、諸有衆生聞其名 号、信心歓喜乃至一念、至心廻向、願生彼国即得往生、住不退転。唯除五逆誹誘正法。:::又知観無量寿経有九品往 生、下下品生者、或有衆生作不善業五逆十悪具諸不善、知此愚人以悪業故応堕悪道経歴多劫受苦無窮、如此愚人臨命 終時遇善知識種種安慰為説妙法、教令念仏、此人苦逼不逗念仏、善友告言、汝若不能念者、応称無量寿仏、知是至心 令声不絶、具足十念称南無無量寿仏、称仏名故於念念中除八十億劫生死之罪、命終之後見金蓮華。・::ぃ - 16 -そ こ で ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ の 成 就 文 と ﹃ 観 経 ﹄ 九 品 段 ﹁ 下 品 下 生 ﹂ を 典 拠 に 、 何 の 差 別 も な く 凡 夫 が 救 済 さ れ る と 答 え る 。 次に、﹃無量寿経﹄では五逆罪と正法を誹誘するものは往生を除くとあるが、﹃観経﹄では五逆と十悪を犯すものでも往生で き る と い う 。 こ の 相 違 は 何 故 な の か と 問 う 。 答日、一経以具二種重罪。一者五逆二者誹誘正法、以此二種罪故、所以不得往生、一経但言作十悪玉逆等罪、不言誹 誘正法、以不誘正法故、是故得生。川 ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ で は 二 つ の 重 罪 が あ る 。 そ れ は 五 逆 罪 と 法 誘 罪 で 、 こ れ に よ り 往 生 は で き な い 。 ﹃ 観 経 ﹄ で は 十 悪 と 五 逆 の 二 つ の 罪 であり、法誘罪は説かれていないから往生はできるとする。さらに問うに、たとえば五逆罪を犯しているが、法誘罪を犯していな いとなると往生はできることになる。またある人は、ただ正法を誹諒しているだけで、五逆罪などの他の罪は犯していないとする と 、 こ の 者 は 往 生 が で き る の か ど う か と 問 う 。

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答日、但令誹詩正法、雄更無余罪、必不得生。何以言之。経言、五逆罪人堕阿鼻大地獄中具受一劫重罪、誹誘正法人堕 阿鼻大地獄中、此劫若尽復転至他方阿鼻大地獄中、知是展転経百千阿鼻大地獄、仏不記得出時節、以誹誘正法罪極重 故。又正法者即是仏法。此愚療人既生誹誘、安有願生仏土之理。 ω ある人が、ただ正法を誹諒して他の罪がないとしても往生はできない。それは五逆罪の者は阿鼻地獄に堕ち一劫の重罪を受 けるが、法誘罪を犯した者は阿鼻地獄を転々として脱することができない。正法を誹諒するというのはもっとも重い罪である。 正法というのは仏法を意味するからであると答える。 次に正法を誹諒する点についてさらにその相を問う。答えに仏がなければ仏法はない。菩薩がいなければ菩薩の法はない。こ のようにもし自分で理解したり、他の考えを受けて決めてしまうことが正法を誹誇するということである。そして、このような 我々の相について何故、五逆罪よりも重罪なのかをあらためて問う。 答日、若無諸仏菩薩説世間出世間善道教化衆生者、量知有仁義礼智信耶。知是世間一切善法皆断、出世間一切賢聖皆 減、汝但知五逆罪為重、市不知五逆罪従無正法生、是故誘正法人其罪最重。川 - 17 -諸仏や諸菩薩は、世間、出世間の善道を説いて衆生を教化することがないから、どうして仁・義・礼・智・信が知らないことが あろうか。世間の善法を断じ、すべての賢者や聖者も滅びてしまう。ただ五逆罪が重罪だという点のみを知っていて、本来は正法 が な い こ と か ら 生 じ て い る の は 知 ら な い 。 正 法 を 誹 誘 す る ほ う が 重 い の で あ る 。 そ こ で こ の ﹁ 重 い ﹂ と い う 点 に 注 目 し て 以 下 の よ う な 問 答 が あ る 。 問日、業道経言、業道知秤。重者先牽。如観無量寿経言、有人造五逆十悪具諸不善、応堕悪道運歴多劫受無量苦、臨命 終時、遇善知識、教称南無無量寿仏、如是至心令声不絶具足十念、便得往生安楽浄土、即入大乗正定之来畢寛不退。 与三塗諸苦永隔、先牽之義於理知何。又噴劫己来備造諸行、有漏之法繋属三界、但以十念念阿弥陀仏便出三界繋業之

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義 復 欲 云 何 。 旧 聞 い に は 、 ﹃ 業 道 経 ﹄ に は 業 道 が 天 秤 の よ う に 重 い 方 へ 引 き つ け ら れ る と い う 。 ﹃ 観 経 ﹄ で は 、 五 逆 十 悪 を 造 り 不 善 を 行 じ る 者 は 、 悪道に堕ちるが臨終のときに善知識に遇って﹁南無阿弥陀仏﹂を称えて、声を絶えず十念を具足すると往生を得られるという。 こ の 時 の 業 が 先 に 重 い 方 へ ﹁ 牽 か れ る ﹂ と い う の は ど の よ う な 理 な の か 。 ま た 温 か 昔 か ら 諸 行 を 行 じ て い る が 、 三 界 に 繋 縛 さ れ て い るのに、ただ十念の阿弥陀仏を念ずるだけで三界を出ることができるのかと問う。 答日、汝謂五逆十悪繋業等為重、以下下品人十念為軽。応為罪所牽先堕地獄繋在三界者、今当以義校量軽重之義、在 心在縁在決定、不在時節久近多少也。云何在心、彼造罪人自依止虚妄顛倒見生、此十念者、依善知識方便安慰、聞実 相法生、一実一虚、量得相比。 ω あなたは五逆十悪の業は重いとし、下々品の十念は軽いと考えている。罪を犯せばその業に牽かれ地獄へ堕ち三界に束縛され - 18 -る。では今その意義を軽重の問題から比較してみよう。 そ こ で 曇 鷲 は ﹁ 心 に 在 る ﹂ ﹁ 縁 に 在 る ﹂ ﹁ 決 定 に 在 る ﹂ と い う 理 由 か ら 返 答 す る 。 い わ ゆ る 、 ﹁ 三 在 釈 ﹂ で あ る 。 は じ め の ﹁ 心 に 在 る ﹂ と い う の は 、 罪 を 造 る の は 虚 妄 顛 倒 に よ る か ら で 、 ﹁ 十 念 ﹂ と い う の は 善 知 識 ・ 方 便 ・ 安 慰 の 実 相 の 法 を 聞 く か ら 生 じ る の で あ る 。 ま っ た く 比 べ も の に な ら な い く ら い ﹁ 十 念 ﹂ が 重 い の で あ る 。 ﹁ 縁 に 在 る ﹂ と い う の は 、 罪 を 造 る 人 は 妄 想 の 心 に よ っ て 止 ま り 煩 悩虚妄の果報衆生だからである。この﹁十念﹂は無上信心を止めて、阿弥陀知来の方便による荘厳、真実清浄無量功徳の名号に よって生じている。あたかも真実を受けた人が、滅して除かれる薬の鼓の音を聞いて毒が除かれてしまうようなものである。最後 の ﹁ 決 定 に 在 る ﹂ と い う の は 、 罪 を 造 る 人 は 有 後 心 ・ 有 関 心 に よ っ て 生 じ る 。 こ の ﹁ 十 念 ﹂ は 無 後 心 ・ 無 関 心 に よ っ て 生 じ て い る 。 こ れ ら 三 義 に よ っ て 、 五 逆 や 十 悪 を 犯 す 者 よ り も ﹁ 十 念 ﹂ は 重 い か ら ﹃ 業 道 経 ﹄ の 意 味 と 同 じ で あ る 。 続いて、第七番目の問答は第六問答を受けている。第六問答では十念の繋業を問題にして﹁実相の法﹂を聞くことで生じるの

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が ﹁ 十 念 ﹂ で あ る と い う 。 す な わ ち 、 曇 鷲 に よ る ﹁ 十 念 ﹂ が 定 義 づ け ら れ た 問 答 で あ る 。 そ こ で 、 ﹁ 十 念 ﹂ の ﹁ 念 ﹂ に つ い て 量 的 な 質 問 を す る 。 答日、百一生滅名一剃那、六十剃那名為一念。此中云念者、不取此時節也。但言憶念阿弥陀仏若総相若別相、随所観 縁、心無他想十念相続名為十念。但称名号亦復如是。 ω こ の 問 答 は 従 来 、 ﹁ 十 念 ﹂ を 定 義 す る 典 拠 と い わ れ 、 ﹁ 十 念 ﹂ が ﹁ 憶 念 ﹂ を 意 味 す る と 解 釈 し て い る 。 は じ め に 一 念 に つ い て の 時 間 を問うている。普通は百一生滅を一剥那として六十剥那でご念﹂とするが、今問題にしている﹁十念﹂についての﹁念﹂はこの時節 を取らない。ただ阿弥陀仏の全体の相好、または部分的な相好を憶い念じて、所観の縁にしたがって心に他の想いもなく十念相 続 し て い く こ と を ﹁ 十 念 ﹂ で あ る と 答 え る 。 ま た 名 号 を 称 え る と き も 同 じ で あ る と す る 。 ﹁ 十 念 ﹂ が ﹁ 憶 念 ﹂ だ け を 指 し て い な い の が 知 ら れ る 。 す な わ ち 、 ﹁ 十 念 ﹂ は ﹁ 心 無 他 想 ﹂ の 相 続 で あ る と 定 義 し て い る 。 心 に 他 の 想 い が 雑 わ ら な い 状 態 を 示 し 、 浄 土 へ 往 生 し 19 -たいと願う心の相続を述べている。このような十念論は曇驚以外に見られない特殊な思想である。 最 後 の 問 答 は 、 こ の 点 を 再 説 し て い る 。 間目、心若他縁摂之令還、可知念之多小、但知多少、復非無問。若凝心注想、復依何可得記念之多少。答日、経言十念 者、明業事成弁耳。不必須知頭数也。知言螺姑不識春秋、伊虫量知朱陽之節乎。知者言之耳。十念業成者、是亦通神者 言之耳。但積念相続不縁他事便罷。復何仮須知念之頭数也。ω 心に他の縁があって思えるのならば、念の多少を知るべきである。もし心を凝らして想いを注めたならば、何によって念の多少 を 記 す べ き な の だ ろ う か と 問 う 。 こ れ に ﹃ 観 経 ﹄ に ﹁ 十 念 ﹂ と い う の は 往 生 の 業 事 が 成 就 し た こ と を い う 。 念 の 数 で は な い 。 ﹁ 十 念 ﹂ が成就するというのは、ただ念を積んで相続し、他の事を想わないことだけである。何も念の数を知る必要はないと答える。 以上のように従来は、八番問答の中で、第七問答の解釈が中心課題となり、文中に﹁憶念﹂の語が記されているため曇鷲の﹁十

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念﹂は﹁憶念の十念﹂として理解されてきた。しかし、近年では曇驚における十念の意義は第六問答ですべて説明がなされている という岡博士の説が提示されている守これまで第七問答以降が重視されていたが、﹁八番問答﹂全体の構造を明らかにすること で 、 曇 驚 の 十 念 思 想 が よ り 明 確 に な る 。 曇 驚 の 十 念 思 想 は 、 第 七 問 答 の 文 だ け で は 本 来 の 思 想 の 解 明 に は な ら な い 。 ﹁ 観 念 ﹂ ﹁ 憶 念 ﹂ ﹁ 称 念 ﹂ と い う 呼 称 こ そ 、 日 本 浄 土 教的な見解であり、中国浄土教全体からは妥当ではない。この点は、本稿考察の根本的立場からも明らかであるし、諸師の念 仏思想を三種類の念仏観から分類しようと試みると、多くの矛盾が生じてしまう。 曇 鷲 の 場 合 は 、 ﹃ 浄 土 論 註 ﹄ の 文 脈 か ら 、 ﹁ 十 念 ﹂ そ の も の は ﹁ 憶 念 ﹂ と い う 内 実 を 意 味 し て い な い 。 第 七 問 答 で も 、 一 念 の 問 題 と ﹁ 十 念 ﹂ は 異 な る も の と 解 釈 を し て い る 。 心 に 他 の 想 い が な く 十 念 相 続 す る の が ﹁ 十 念 ﹂ と し て い る か ら 、 こ こ に は ﹁ 憶 念 ﹂ と い う 意味のみではない。第八問答でも念を積んで相続することであるという。文面に﹁憶念﹂の語が含まれていると、我々の視点はそ の 語 へ 向 い て し ま う が 、 念 仏 の 諸 相 、 つ ま り ﹁ 念 ﹂ に つ い て は ﹁ 憶 念 ﹂ ﹁ 観 念 ﹂ な ど の 諸 相 が 含 ま れ て い て 当 然 で あ る 。 先 の 慧 遠 の 念 仏 20 -三味は観想見仏が中心ではあったから、彼の念仏思想を﹁観念﹂として妥当であろう。しかし、﹃大乗大義章﹄における念仏だけ で も 諸 相 は 多 岐 に 亘 っ て い る か ら 、 曇 鷲 で も 一 つ の 側 面 の み で ﹁ 十 念 ﹂ を 定 義 づ け る の は 課 題 が 残 る 。 そ れ が さ ら に 顕 著 な の は 、 巻 下 ﹁ 入 第 一 義 諦 ﹂ の 文 で あ る 。 ﹁ 八 番 問 答 ﹂ の 十 念 論 を 、 さ ら に 展 開 し た 思 想 が 見 ら れ る 。 その文は、国土十七種荘厳が第一義諦に収まることを論理的に証明する曇驚独自の難解な思想である。文中には﹃浄土論﹄ の 冒 頭 に ﹁ 帰 命 尽 十 方 無 碍 光 如 来 願 生 安 楽 園 ﹂ と あ る ﹁ 生 ﹂ の 文 字 に 疑 問 が あ る と い う 。 つ ま り 、 ﹁ 生 ﹂ と い う と き 、 迷 い 中 に ﹁ 生

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ず る ﹂ の で は な い か と い う 疑 問 で あ る 。 し か し 、 こ の よ う な 疑 い が あ る か ら ﹁ 生 ず る ﹂ こ と が で き な い の で あ っ て 、 彼 の 土 の 阿 弥 陀 知 来 の 清 浄 本 願 は ﹁ 無 生 の 生 ﹂ で あ っ て 、 虚 妄 の 生 で は な い と 述 べ る 。 こ の 文 に 対 し て 後 に 問 答 が 設 け ら れ る 。 問日、上言知生無生、当是上品生者、若下下品人乗十念往生。量非取実生耶。但取実生即堕二執、一恐不得往生、二恐 更 生 生 惑 。 ω 問いには、先述の無生の生は上品生の往生であって、下品下生の者は十念に乗じて往生する。ではこれは実の生ではないかとい ぅ。この答えに浄摩尼珠と氷上燃火の嘗えで答える。 答誓如浄摩尼珠置之濁水水即清浄。若人雄有無量生死之罪濁、間彼阿弥陀知来至極無生清浄宝珠名号投之濁心、念 念之中罪滅心浄即得往生。文是摩尼珠以玄黄幣裏投之於水、水即玄黄一知物色。彼清浄仏土有阿弥陀知来無上宝珠。 以無量荘厳功徳成就吊裏、投之於所往生者心水。量不能転生見為無生智乎。又如氷上燃火、火猛則氷解、氷解則火滅、 彼下品人雄不知法性無生。但以称仏名力作往生意願生彼士、彼土是無生界、見生之火自然市滅。凶 唱 -A 円 L 浄摩尼珠を濁った水に入れると清浄になるように、人には無量の迷いによる罪濁があるが、阿弥陀知来の究極である清浄な 宝珠たる名号を、罪濁の人の心に投じたならば、念々に罪が滅して往生を得られるという。また浄摩尼珠を玄黄の幣につつで往 生しようとする者の心の水に投じたならば、実の生を転じて無生の智となる。また燃えさかる火で氷が解け、その融け出した氷 の水で今度は火が消える。このように下品の者が法性無生を知らなくても、ただ仏の名を称える力をもって往生の願いをなして、 彼の阿弥陀仏の浄土に生ずる。その土は無生の世界であると答える。 以上の文により、曇鷲の十念思想の異色な点が知られる。すなわち、上品者と下品者に説く往生行は、右記の文から二種類 が 説 か れ て い る 。 上 品 者 に は ﹁ 無 生 の 生 ﹂ を 説 く の は 何 ら 問 題 は な い が 、 下 品 者 に は 理 解 が で き な い と し て ﹁ 十 念 ﹂ に よ る 往 生 を 説 く 。 し か も 、 こ の ﹁ 十 念 ﹂ は 劣 っ た 往 生 行 で は な い 点 を 強 調 し て い る 。 曇 鷲 の 往 生 思 想 が 知 ら れ る 。

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﹁ 三 願 的 証 ﹂ で は ﹁ 今 的 し く 三 願 を 取 り て 、 用 て 義 の 意 を 証 せ ん ﹂ ωと述べ、﹃無量寿経﹄四十八願文の第十一願、第十八願、第 二十二願をあげる。この文だけでなく曇驚は第十八願文に早くから注目していたのが解る。﹁八番問答﹂で考察したように、﹃観 経 ﹄ に 傾 倒 す る 文 も 看 取 で き る が 俗 、 ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ に 基 づ く 十 念 思 想 を 構 築 し た の は 彼 の 独 創 で あ る 。 以上の二箇所の文によって、曇鷲が﹁十念﹂を下品者の往生行と定義し、五念門行とは異なるもの左して説いていたのが知られ ょ う 。 そ し て ﹁ 十 念 ﹂ は 、 決 し て 劣 っ た 行 で は な く 、 ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ に 説 か れ る ﹁ 乃 至 十 念 ﹂ が 曇 鷲 の 十 念 思 想 の 出 典 と な っ て い る よ う に、本願に基づく重要な往生行であると説く。 四 八番問答は、凡夫の往生行を明らかにするために 貫 し た 思 想 が 説 か れ て い た 。 そ れ は 問 答 回 目 頭 の ﹁ 普 共 諸 衆 生 ﹂ と い う 文 か ワ 白 円 L ら 理 解 で き る よ う に 、 仏 の 救 済 に 差 別 が あ っ て は な ら な い と す る 。 は じ め に 、 ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ と ﹃ 観 経 ﹄ の 文 に 依 拠 し て す べ て の 衆 生 が 往 生 の 証 果 を 得 ら れ る と し た 。 し か し 、 そ の 会 通 に は 大 き な 課 題 が あ っ た 。 す な わ ち ﹁ 五 逆 罪 ﹂ と ﹁ 法 務 罪 ﹂ の 者 の 往 生 行 と そ の 差 異 で あ る 。 こ こ で 中 国 浄 土 教 史 上 、 ﹁ 十 念 ﹂ が 説 か れ る 。 曇 鷲 は ﹃ 観 経 ﹄ の 下 品 下 生 の 文 を 中 心 に 論 を 進 め て い く が 、 ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ を 出 典 と し た 曇 驚 は 、 ﹁ 十 念 ﹂ は 一 つ の 固 有 名 詞 と し て 理 解 し た。それは第七、第八の問答から知られる。時間論や、仏の相好を観るのが主要な意味ではなく、曇鷲の十念思想の発端は、両 経に述べられる重罪を犯した者の救済をいかにするかが重要な課題である。 本節で検討した曇驚と庫山慧遠の浄土思想には決定的な差がある。それは、慧遠は高度で理論的な三味を現実世界におい て体得し成就するのを主眼とした。その対象は僧侶は当然として、高貴な者たちが含まれいている。後に伝わった﹁十八高賢

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伝﹂を参照しても、慧遠を尊崇した者たちの階層が、どれほど高位だったのか知られる。 曇鴛は、﹃浄土論註﹄で、難解な浄土の諸相を明らかにして、往生行に﹁五念円行﹂を説いた。一方で本項で考察した凡夫往生 をあきらかにするべく﹁十念思想﹂を説き、すべての衆生が分け隔でなく往生できる点を立証した。しかし、時代の趨勢は、慧遠 の念仏三昧の思想に傾く。法然の査定を借用すると庫山流の念仏が主流なのである。だが、それが慧遠の説いた念仏思想とは 異 な る 。 曇驚の説いた十念思想は、凡夫の往生行を明示した思想であるが、それ故に、後の中国浄土教では、曇鷲自身は︿往生伝類﹀ に高く評価されても、彼の教学自体が評価されることはなかった。しかし、鹿山慧遠と曇驚の出現なくして、以後の中国浄土教 の 発 展 は な か っ た 。 ) l ( 塚 本 善 隆 ﹁ 中 国 初 期 仏 教 史 上 に お け る 慧 遠 ﹂ ( 木 村 英 一 一 編 ﹃ 慧 遠 研 究 ﹄ 研 究 編 、 創 文 社 、 一 九 六 二 年 、 三 1 八 七 頁 ) 。 円 、 υ 円 ノ “

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(2) 木村英一編、前掲書 、 研 究 編 。 (3) ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 五 二 巻 、 三 五 一 頁 中 。 (4) ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 二 ニ 巻 、 九 O 五 頁 上 。 (5) 同 (6) ﹃大正蔵﹄四五巻、二ニ四頁中下 (7) 同 (8) 信楽俊麿﹃浄土教における信の研究﹄(永田文昌堂、一九七五年)、二六六 1 二七二頁。曇鷲の﹁十念﹂に関する先哲・先学の諸説の要旨が掲載されており、従 来 ま で の 見 解 を 概 観 で き る 。 (9) 大 田 利 生 ﹁ ﹃ 論 註 ﹄ と ﹃ 大 集 経 ﹄ 1 名号観を中心として l ﹂ ( ﹃ 真 宗 学 ﹄ 第 九 六 号 、 一 九 九 七 年 、 二 四 l 四 七 頁 ) 。 大 谷 光 真 ﹁ 曇 驚 と 華 厳 思 想 ﹂ ﹃ 浄 土 教 の 研 究 ﹄ ( 永 回 文 昌 堂 、 一 九 八 二 年 ) 一 二 一 l 一 三 八 頁 、 大 田 利 生 ﹁ 浄 土 教 に お け る 浄 土 観 の 展 開 ﹂ ( ﹃ 真 宗 学 ﹄ 第 一 O 八 号 、 二 OO 三 年 、 三 回 l 五 九 頁 ) な ど 。 24 -(12)(11)(10) 柴 田 泰 ﹁ 中 国 仏 教 に お け る ﹃ 浄 土 論 ﹄ ﹃ 浄 土 論 註 ﹄ の 流 伝 と 題 名 ﹂ ( ご ( ﹃ 印 度 管 学 仏 教 学 ﹄ 第 一 一 号 、 一 九 九 六 年 、 一 五 回 頁 } 。 柴田泰、前掲論文、一五六頁。 岡亮二﹁中国三祖の十念思想(二 l 曇鷲の十念思想 i ﹂ ( ﹃ 真 宗 学 ﹄ 第 九 四 号 、 一 九 九 六 年 、 一 九 頁 ) 。 香 月 院 深 励 は ﹁ 比 義 で は 十 念 の 念 は 憶 念 で 、 仏 の 御 か た ちの総相であらうが別相であらうが心におもひうかべて念ずるその一おもひの聞を一念と云ふ釈なり﹂という。従来の研究では念仏論を三種に分けるのが主流であ る の が 知 ら れ る 。 香 月 院 深 励 ﹃ 浄 土 論 註 講 義 ﹄ ( 法 蔵 館 、 一 九 八 五 年 ) 、 三 六 七 頁 。 q u A 崎a F 円 υ CU 勾 4 ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 四 O 巻 、 八 三 三 頁 下 。 問、八三三頁下 i 八 三 四 頁 上 。 問 、 八 三 四 頁 上 。 問 、 八 三 四 頁 上 中 。 問 、 八 三 四 頁 中 。

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(26) (25)(24)(23)(22)(21) (20) (19)(18) 同 問 、 下 。 同 問 、 八 三 四 頁 下 。 岡 亮 二 、 前 掲 論 文 、 二 二 頁 。 ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 四 O 巻 、 八 三 九 頁 上 。 問 、 八 三 九 頁 上 中 。 問 、 八 四 回 頁 上 。 たとえば、﹃浄土論註﹄巻下に﹁若し座を観ぜんと欲すればまさに観無量寿経に依るベし﹂(問、八三九頁中)とある。曇鴛に﹃観経﹄に基づく観想思想が説かれて い る 。 F h u q L

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第二節 聖道諸師の念仏思想 第一項 浄影寺慧遠の念仏論 前節では中国から見た浄土教の祖である産山慧遠と日本から見た浄土教の祖である曇鷲の思想を考察したが、それぞれは 対極をなしていた。留意する点は、慧遠は浄土往生を説かないから往生思想はない。したがって、往生行としての念仏思想は説 かれていない。しかし、中国浄土教では第一祖に上げられる。何をして慧速を蓮社の祖師をしたのか。彼が所依とした経典は﹃般 舟三昧経﹄だが、中国浄土教において諸師が所依としたのは、惰・唐代では﹃観経﹄が中心であった。高度な念仏を説く慧遠と凡 夫救済論を﹁十念﹂というあらたな往生行を明示することにより自らの教学を大成した曇鷲。以後、どのような影響を及ぼし たのか。次に、陪・唐代を代表し、また中国三祖では、従来より道縛と善導との連闘が関われている﹁聖道諸師﹂の念仏思想を、 と く に ﹃ 観 経 ﹄ を め ぐ る 解 釈 を 端 緒 に 考 察 す る 。 ﹃ t ヮ “

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﹁ 聖 道 諸 師 ﹂ と い う 呼 称 は 、 浄 影 寺 慧 遠 ( 五 二 三 i 五 九 二 年 ) 、 天 台 智 顕 ( 五 三 八 l 五 九 七 年 ) 、 嘉 祥 寺 吉 蔵 ( 五 四 九 l 六 二 三 年 ) に 対して用いられてきた。本節でもそれに倣い﹁聖道諸師﹂と表記する。そこで聖道諸師の浄土経典に関する註釈書の中で、﹃観 経﹄解釈を中心にした念仏思想を検討していく。 はじめに浄影寺慧遠(以下﹁浄影﹂)の念仏思想を検討しよう。今日、浄影は浄土経典に関する註釈を記しているから、西方 浄土願生者としても見られるが、﹃続高僧伝﹄巻十一一﹁霊幹伝﹂には、浄影が兜率往生をしたと記されているから匂彼は弥鞠願 生 者 で あ っ た 。 し か し 、 浄 土 思 想 に 殊 の 外 関 心 が あ っ た の が 知 ら れ る 。 浄影の浄土思想を知るのに好適な書は、﹃無量寿経義疏﹄﹃観無量寿経義疏﹄があげられる。この両書は﹃無量寿経﹄﹃観経﹄の ー 28 -最古の註釈書だけではなく、後者は、善導によって﹁古今措定﹂される書でもある。それだけ後代では影響力のあった書であると も い え る 。 浄影の﹃無量寿経義疏﹄の中心解題は、経典の忠実な註釈であり、いかに正確に経文を理解するかに主眼がおかれた。それは、 逐語的な文の解釈や会通に見られる。また、常に﹃観経﹄とも対比して検討しおり、浄影にとって、﹃無量寿経﹄と﹃観経﹄は相関 関 係 あ っ た と 捉 え て い る 。 経文の忠実な解釈という点では、左記に記した四十八願の分類に知実に顕れている。そして、その影響が、中国浄土教ではな く、新羅の諸師に影響を与えていた。試みに対照表を作成した。

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十 十 十 十 十 十 九 八 七 六 五 四 コ 二 一 願 五 回 二 二 一

0

巻 声 聞 命寿無 光 住 速 神 他 天 天 宿 無 悉 不 無 原員 属 明 正 得 境 心 耳 眼 命 智 有 皆 更 二 長 無 無 定 漏 智 智 智 智 好醜 金 悪 悪 寿 数 量 量 衆 尽 通 通 通 通 通 色 趣 趣 名 摂 衆 摂 摂 浄 11 11 11 11 11 11 JJ 11 11 11 JJ JJ 生 身 生 願 房具 願 影 11 JJ IJ JJ IJ JJ JJ 願 他 願 生 生 国 生 , 心 楽 無 無 l 楽 苦 昔 貯兵 自 生 国 身 無 楽 ーι 古... 春摂多得寿 得 令 令 令 明 令 令 令 令 身 命 令 義 属 勝光住定 不 神 霊 天 天 遠 形 皆 終 国 長 春 久 起 足 他 耳 眼 識 宿 無 金 復 無 寿 属 住 明 衆 漏 迅 心 洞 徹 視 好醜 色 不 悪 染 速 聴 命 更 趣 悪 醜 寂 寿 衆 寿 無 光 住 定 無 得 神 得 得 得 得 宿 同 同 有 情後 国 法 無 無 無 食 他 天 天 相 金 限 限 限 限 来 着 足 心 耳 眼 命 好 色 無中 通 通 通 通 通 色 生 三 不堕 悪道

悪 道 位 IJ IJ 自 正 無 IJ JJ JJ 11

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JJ 11 無 玄 衆 身 定 食 悪 及 光 来 通 趣 寿 寿 同 無 無 限 限 得長 摂春 長寿 光色 高"$ 量萎 得漏 得神 得 得 得 命宿 " 得身 11 無 '憤 天 天 壊 寿 属 尽 通 耳 眼 楽 苦 楽 楽 楽 楽 楽 興 -29 -四十八願対照表 ω

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十六一無諸不善 十七一諸仏称揚 十八一念仏往生 十九一来迎引接 二

O

一 係 念 定 生 三十二相 一三二必至補処 二一三供養諸仏 二四一供具如意 二五一説一切智 一 ヱ ハ 一 那 羅 延 身 二七一所須厳浄 二八一見道場樹 二九一得弁才智 三

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一 智 弁 無 窮 国土清浄 三二一国土厳飾 三一三触光柔軟 11 摂法身願 摂衆生願 11 11 11 11 11 11 11 1 1 11 11 11 11 摂浄土願 11 摂衆生願 摂他国衆生 11 摂自国衆生 摂他国衆生 摂自国衆生 11 11 11 11 11 11 11 摂取他国衆生 春属不善 諸仏同讃名字 摂取至心欲生 摂取修得欲生 摂取聞名欲生 令具諸相 令至補処 令奉遍侍諸仏 衆無悪名 自身有善名 十念成者皆往生 但令発心修福願往生者皆往生 若 聞 名 称 穆 璽 向 廟 生 蕃 往 生 他方国菩薩来 生補処 国中菩薩歴事諸仏 無悪名善声普聞一離議嫌 11 願往生皆得 11 11 摂法身 摂上品 摂中品 摂下品 以 衆 生 及 上 徳 満 厳 浄 一 摂 所 生 報 摂他国菩薩 11 11 所求供養具如意一国中菩薩現前供養心 11 令得堅固身 説一切智如仏意一国中菩薩能演法蔵 国中菩薩得那羅延身

7

令物厳浄 道場高勝 受法令得弁慧 慧弁令無限量 国土光色徹照 国土厳飾奇妙 光明摂益 願物絶倫 少徳者増上 得弁才 無能眼量 国界厳浄 宮殿宝餅 光明照益 11 JJ JJ JJ JJ 11 JJ 光明普益 承力供聖 供具随欲 説法尽勝 身得堅固 光色特妙 知見道樹 弁無磁 慧弁無量 形色功徳 荘厳功徳 蒙光獲利 30

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-四 -四 -四 -四 -四 -四 -四 -四 -四 コ 三 コ ニ ニ ニ 八 七 六 五 四 三 二 一

O

九 八 七 六 五 四 得 得 随 住 定 具 生 住 定 諸 見 受 楽 衣 人 常 女 聞 コ 不 意 足 尊 根 諸 服 天 修 人 名得 法 退 問 見 徳 家 貴 供 具 仏 無 念 随 致 党 往生 忍 転 法 仏 本 仏 足 土 染 敬 行 忍 11 11 11 11 11 /J 11 11 11 11 11 11 11 11 11 11 摂 摂 11 11 11 11 11 11 摂 11 /J /J /J 取 取 取 取 他 自 他 自 衆国 衆国 衆国 衆国 生 生 生 生 聞 聞 随 聞 間 関 喜 得 判

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曹権 閣 随 受楽衣令成尊 令 令 音 名 令 名令 願 名令 令名 名令 Tl 審 服 立 離

E

得 得 得 普 等 得 得 見 無 自 覚 積 至 至 具 生 得 主 染 然 徳 行 形 益 不 法聞 三味 徳本足 尊貴家 端 法 退 三 厳 里 忍 味 報 間 関 随 常 修 生 得 諸 照 受 衣 間 関 女 聞 名 得 名 欲 見 行 家 貴 三 根 見 世 服 随 名 修 名 者 人 名 者 得 諸 具 味 者 定 十 方 者楽 聞 者 忍 則 聞 仏 足 念 行 修 名 得 至 至 益 益 益 如 益 得 行 者 無 不 不 盤 他 不 得 生 退 退 漏 敬 退 離 忍 地 地 益 益 益 益 益 益 益 /J /J /J /J 11 /J 11 11 自 11 11 /J /J /J 他 国 方 人 ~楽ι L 大 土 獲 益 自 加 利 不 審 化 止 霊 貌 普 霊 衣 作 常 遠 法 力 力 益 離 仏 観 見 服 礼 修 離 議嫌 忍 不 不 自 諸 双 倶 仏 無 応 致 党 総 退 退 土 仏 修 貴I罰 行 妙 土 失 念 敬 行 持 何故、中国浄土教諸師は四十八願に関心を示さなかったのであろうか。一覧表から知られる特徴は、浄影は法身・浄土・衆 生という三分割をしているのみで、願名は付していない。我々が生因願として認知している第十八願に至つては、それほど関心を 示していない。﹃無量寿経﹄を重視した曇鷲がいかに卓見であったのか立証されよう。本願文については新羅の義寂・法位が詳しく、 -31

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-第十八願を注視していた様子は知られるが、それ以外は、とくに特徴的な見解はないようである。第十八願の重要性は、曇鷲 で 初 め て 示 さ れ 、 道 紳 ・ 善 導 へ と 継 承 さ れ て い く 。 浄影にとっての最大の課題は、第十八願文中の﹁唯除﹂の文であった。これは前節で考察した曇鴛﹃浄土論註﹄八番問答の第一 問 答 が 晴 矢 と な る 。 浄 影 に と っ て は 、 何 故 、 五 逆 罪 を 犯 し て も ﹃ 観 経 ﹄ で は 往 生 が で き る の か と 問 う て い る 。 釈有両義、一約人分別、人有二種。一者久発大乗心人、遇縁造逆、如闇王等、此雄造逆、必有重悔、発心求出、能滅重 罪、為是得生、観経擦此。二者先来不発大心、現造逆罪、多無重悔、不能決定発菩提心、為是不生、此経擦此。二約行 分別、行有定散、有人雄復造作逆罪、能修十六正観善根、深観仏徳、除滅重罪、則得往生、観経擦此。若人造逆、不能 修習観仏三味、雄作余善、不能滅罪、故不往生、此経操此。 ω これによると、解釈には二つある。一つは人について解釈する。その人についてさらに二種類ある。はじめに大乗心を発した人 円 L q J ではあるが、この者がある機会に五逆罪を犯してしまった。阿闇世王のように重罪を悔いて、そこから脱したいという心を発した。 そうすると罪が滅して往生が得られる。これが﹃観経﹄である。﹃無量寿経﹄は大心を発さず、今現在も五逆罪を犯しており、そ れ に 対 し て 悔 い る こ と も し な い 。 こ こ で 菩 提 心 を 発 し て も 往 生 は で き な い 。 また行について解釈すると、定散二善を修しているが五逆罪を犯した。この者はよく十六観の善根を修しているから重罪が滅 して往生を得られる。これが﹃観経﹄である。﹃無量寿経﹄は五逆罪を造り観仏三味を修せず、他の善を作している。罪は滅する ことなく往生はできないという。浄影にとっては法詩罪は言うに及ばない大罪であるとしており、まったく往生を認めていない。 ここにも経文に対する忠実な註釈が見られる。 こ の よ う に 、 ﹃ 観 経 ﹄ の 修 す る 主 体 は 定 善 十 六 観 法 で 、 ま た ﹁ 観 仏 三 味 ﹂ を 意 味 す る 。 浄 影 は ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ よ り も ﹃ 観 経 ﹄ を 重 視 し て い た の が 確 認 で き る 。 新 羅 慣 興 は 、 浄 影 の 影 響 を 受 け て お り 、 ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ と ﹃ 観 経 ﹄ の 関 係 に 注 目 し て い た 。 僚 興 の こ の よ う

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な態度は、主著﹃無量寿経連義述文賛﹄巻上には、﹃観経﹄が先に書かれて、その後に﹃無量寿経﹄が書かれたという経典の順序 を 述 べ て い る ω 。 ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ の 註 釈 で あ る ﹃ 述 文 賛 ﹄ を 記 し て い る が 、 ﹃ 観 経 ﹄ の 重 要 性 に つ い て 浄 影 を 通 し て 認 識 し て い た の が 知 ら れ る 。 次に浄影は﹃観経﹄解釈において、どのような点を重視していたのだろうか。はじめに注目したのは、経典に基づく観想と衆生 理 解 、 そ し て 、 九 品 段 の 解 釈 で あ っ た 。 観 想 を 成 就 す る た め の 念 仏 観 は 、 回 目 頭 に ﹁ こ の 経 は 観 仏 三 味 を 宗 と な す ﹂ と あ る か ら ω その思想は明瞭である。経典全体が観想を中心とした経典であるから忠実な註釈である。それを立証するような浄影の見解に 円 J 円J は ﹃ 観 経 ﹄ 全 体 の 観 法 観 を 理 論 的 に 説 い て い る 箇 所 が あ る 。 思惟正受両門分別。一定散分別、下三浄業散心思量名目思惟、十六正観説為正受。第二就彼十六観中随義分別、初二 想観名目思惟。地観己後十四種観依定修起説為正受。 ω 文 に よ る と ﹃ 観 経 ﹄ の ﹁ 思 惟 ﹂ ﹁ 正 受 ﹂ の 意 義 に つ い て 答 え る 。 三 種 の 浄 業 を 思 量 す る の は ﹁ 思 惟 ﹂ で あ る と し 、 十 六 観 を ﹁ 正 受 ﹂ と す る 。 十 六 観 を 浄 土 の 諸 相 に つ い て 分 け る と 、 は じ め の 二 観 、 つ ま り 、 ﹁ 日 観 ﹂ と ﹁ 水 観 ﹂ は ﹁ 思 惟 ﹂ と し 、 ﹁ 地 観 ﹂ 以 後 の 十 四 観 は 正 受とする。﹃観経﹄の諸相を熟知した解釈である。浄影は十六観すべてを定善とする。以後もこの見解がもっとも妥当であり、正 鵠 を 得 て い る 。 こ れ を ﹃ 観 経 ﹄ の 内 容 に 照 合 す る と 、 第 一 ﹁ 日 観 ﹂ か ら 第 七 ﹁ 華 座 観 ﹂ ま で は 依 報 、 第 八 ﹁ 像 観 ﹂ か ら 第 十 六 ﹁ 下 輩 観 ﹂ ま で は 正 報 で あ る と 分 類 し て い る 。 観法に基づいて構築された﹃観経﹄を、経文に沿って修するために、どのような会通をしたのであろう。これは九品段の正因に

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ついて関連する。聖道諸師だけでなく、それ以降の﹃観経﹄解釈において重視されている。 初定其人偉分為三細分有九。偉分三者謂上中下、大乗人中種性己上説為上品、小乗人中従凡至聖持戒無犯説為中品、 大乗人中外凡有罪説為下品。の この説は、﹃無量寿経義疏﹄を受けて述べたものである。広義に三輩について見ると、上品は大乗の人で種性以上の人をいい、中 品の人は自戒を保ち罪を犯していない人をいい、下品の人は大乗の人の中、外凡の罪を犯した者をいう。さらにその詳細を述べ て分類している。﹃無量寿経義疏﹄巻下には、﹃無量寿経﹄三輩段と﹃観経﹄九品段の関係について次のようにいう。 於中初言、十方世界諸天人民願生彼国凡有三輩、総以標挙、知観経中、偉分為三、細分為九。:::謂上中下、大乗人中、 習種己上、名為上品。小乗人中、外凡持戒、乃至那含、以為中品。大乗人中、外凡善趣、名為下品。細分九者、前上品中、 細分為三、:::今合為三。上品三人合為上輩。中品三人合為中輩。下品三人合為下輩。 ω 34 -﹃無量寿経﹄の三輩は、広義に分類しており、﹃観経﹄によって詳細に細分されることで、本来の意味が明瞭になると考えている 。 ﹃無量寿経﹄を受けてはいるが、浄影は、﹃観経﹄によって三輩九品の本来の意味が明らかになるし乙捉えている。九品それぞれの階 位については左記の表を参照されたい。 ロロロ 上 口口口 上 下 中 上 生 生 生 生 十 初 七 果 住 地 地 の 以 人 十 二 前 行 四 十 地 週 の 手 向 菩 六 の 薩 地 菩 薩 菩の 薩 この表から浄影の九品段の解釈は妥当であり、以後の ﹃観経﹄解釈において多大な影響を与えたのが理解できよ う。﹃観経﹄をあくまで三昧経典と捉えていた浄影は、九品 段を﹁他生観﹂と呼称している点からも、定善十六観は行

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