方~ ~季 子 代
掃さ
室品 足ぽ
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子 で
頑 争
の 可
控議
臨 ェ.. 7I~
空 言
問万
倍 影
E 響
浄 色f
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→‑ ~ζ
表 立
を繋ぐ思想が見られる︒それには元照が尊崇した道宣(五九六│六六七年)の影響がある︒
そこで道宣の説く﹁臨終行儀﹂について概観しておこう︒﹃四分律刷繁補闘行事紗﹄(以下﹃四分律行事紗﹄)巻下之四﹁臓病送
終篇
﹂に
は﹁
臨終
行儀
﹂に
つい
て詳
細に
述べ
られ
てい
る
︒この所説によって戒律を基礎として﹁臨終行儀﹂が盛んになった ︒
﹁臓
病送
‑ 162 ‑
終篇
﹂は 長文 にわ たる が︑ 鳴病 を﹁ 制意
﹂﹁ 簡人 是非 並供 養法
﹂﹁ 安置 処所
﹂﹁ 説法 数念
﹂の 四つ に分 類し 行儀 を説 いて いる
︒た とえ
ば︑
﹁安
置処
所﹂
には
︑
若有病者安置在中︑以凡生食染見本房衣内鉢衆具多生恋著無心厭背故︒制令至別処堂︑号無常来者極多還反一二︑即
事而求専心念法︑其堂中置一立像︑金薄塗之︑面向西方︑其像右手挙︑左手中繋一五綜幡︑脚垂曳地︑当病者在像之後︑
左手執幡脚作従仏往浄利之意︑曙病者焼香散華荘厳︑病者乃至若有原尿吐唾随有除之︑亦無有罪︒同
とある︒病人を安置するための作法が述べられている︒そこには何かの像を立て顔を西に向け︑右手にその像を持ち上げ︑五色
の幡を左手に持って足を下に置く︒病の者は焼香織悔をして尿尿などをきれいにするようにとある︒安置する像が何かは具体
的には示されていないが︑顔を西に向けるとあるから阿弥陀仏像であるのは容易に想像できる︒また臨終が迫ってくる病人に対
して
以下
のよ
うに
述べ
てい
る︒
中国臨終者不問道俗親縁在辺看守︑及其根識未壊便為唱読一生己来所修善行︑意令病者心歓喜不憂前途︑便得正念
不乱 故生 好処
︒制
‑ 163 ‑
臨終の間際の行者に対して死を恐れないための方法を説いている︒行者が意識を失う前に親族などがその者の周りに集まり︑
一生涯の善行を読み上げ︑心に歓喜を起こさせようとしている︒そして︑正念を得て往生を迎えさせようとしている︒しかし︑
仏・菩薩の来迎は説かれていない︒後に浄土教との連関を得て︑来迎往生が盛んとなったのが解る︒その先駆者が善導である︒
﹃四分律行事紗﹄の所説は以後も多大な影響を与えているが︑浄土教発展に伴い︑阿弥陀仏の来迎往生が重視され︑行者の正
念が臨終来迎には重要な要素となる︒
これを受けた元照の臨終行儀はどのような思想であるのだろうか︒元照は道宣﹃四分律行事紗﹄を﹃四分律行事紗資持記﹄で
註釈している︒先に見た道宣の﹁鳴病送終篇﹂に該当する箇所は巻下之四﹁釈謄病篇﹂に述べられている︒ここで特徴的なのは以
下の 文に 見ら れる
︒
其堂中下次明設像︒立弥陀者︑帰心有処也︒然十方浄土而偏指西方者︑繋心一境想念易成故︑西方諸仏而独帰弥陀者︑
誓願弘深結縁成熟故︒是以古今儒釈摩不留心︑況濁世凡愚煩悩垢重︑心猿未鎖︑欲馬難調︑捨此他求終無出路︑請尋
大小弥陀経十六観経往生論十疑論等諸文︒詳究聖言︑必生深信失︒像面向西病者在後︑謂将終之時︑己前常須曙像︑
令其 繋心
︒仰
‑ 164 ‑
臨終を向かえるにあたり無量院を建てるとする︒その中に安置する像について記した文である︒ここには明確に阿弥陀仏像を
建てると述べている︒十方の浄土へ想いを繋けるにしても西方の一境を想う方が容易いといい︑凡夫の心は煩悩の障りが多いから
﹃無 量寿 経﹄
﹃観 経﹄
﹃阿 弥陀 経﹄ の﹁ 浄土 三部 経﹂
︑﹃ 浄土 論﹄
﹃浄 土十 疑論
﹄な どに 依っ て西 方に 向か うよ うに とあ る︒ 道宣 とは 異 なる 臨終 観で ある
︒ また 臨終 見仏 につ いて も言 及を して いる
︒
引華厳為証︑経文両偏伝写靴脱︑此出賢首菩薩品︑初偽云又放光明︑名見仏彼光覚悟命終者︑念仏三昧必見仏︑命終
之後生仏前︑次偶脱初句︑彼云見彼命終︑勧念仏方接紗中三句︒若新訳本云︑又放光明名見仏︑此光覚悟特終者︑令随
憶念見知来︑命終得生其浄国此偏賛仏果一光明功徳︑見有臨終勧念仏︑及示尊像令指敬︑停於仏所深帰仰︒是故得成此光
明此偽讃仏因中修比光明之行︒同
﹃華 厳経
﹄に ある 諸説 を引 用し てい るが
︑そ の文 には 転写 の間 違い があ ると いう
︒こ の点 に佐 藤博 士が 指摘 して いる が刷
︑道 宣に
は見られない臨終観である︒つまり︑臨終時における見仏来迎を説いており︑戒律の中から元照独自の浄土教との融合思想が
述べられている︒善導﹃観念法門﹄と同様に病人だけではなく看病人への対応を説いている点から︑元照が﹃観念法門﹄をあたかも
読破しているように思われるが︑阿弥陀仏へ対する帰依と凡夫の関係を重視しているから︑臨終行儀により律と浄土思想が元
照に よっ て完 成さ れた とも いえ る︒
元照の念仏思想は善導の﹁玄義分﹂の思想から影響を受けている︒つまり︑念観両宗論を提唱した善導の念仏論である︒善導
が没して約四
OO
年後︑元照が越宋天台趨勢の時代に彼の教学を参照し︑または敷街して観心観仏論を提唱した︒善導教学
構築の背景は︑根底には自己内省に基づく高僧としての姿があった︒律宗の高僧として讃仰される元照と︑この点に共通性を見
出すことも可能であろう︒元照の戒律に対する真撃な態度は︑善導から影響を受けたのであろう︒しかし︑留意しなくてはなら
‑ 165 ‑ ない
のは
︑元 照が 理解 して いる 善導 はす べて では ない
︒元 照が 捉え た善 導像 は︑ 宋代 に形 成さ れた
﹁白 蓮社
﹂と して の﹁ 善導
﹂で あ
った︒純粋な浄土願生者でありながら︑三味を実践する厳格な修験者であった︒
) l ( 佐藤成順﹃中国仏教思想史の研究﹄(山喜房仏書林︑一九八五年)︑三三八頁︒
(2)
﹃大 正蔵
﹄四 七巻
︑一 七
O頁中︒ (3)
﹃続
蔵﹄
一三
O巻︑ 九一 九頁 上下
︒ (4)
道端良秀﹁宋代以後の浄土教と善導﹂﹃中国浄土教史の研究﹄(法蔵館︑一九八O
年所 収)
︑一 四五 頁︒
(5)
﹃大 正蔵
﹄三 七巻
︑二 八
O
頁中
︒ (6)
﹃続 蔵﹄ 三三 巻︑ 三四 頁上
︒ (7)
﹃大 正蔵
﹄三 七巻
︑二 八
O頁
下︒
(8) 問︑ 二八 一頁 上︒ (9)
﹃浄土+疑論﹄は︑従来︑掴冒頭の書とされてきたが︑今日では偽撲が定説となっている︒内容には曇鴛の影響が垣間見られ︑曇驚思想と何らかの関連があるよう
に予 想で きる が︑ どう も﹃ 浄土 十疑 論﹄ の著 者は
︑直 接︑
﹃浄 土論 註﹄ を見 てい ない らし い︒ むし ろ︑ 道線
﹃安 楽集
﹄の 影響 を受 けて いる よう で︑ また 善導 のこ とも 知っ てい
たであろう︒この点は佐藤哲英博士が指摘をしているが(佐藤哲英﹃天台大師の研究﹄︑百肇苑︑一九六一年︑六一二頁)︑宋代における道縛の評価は再考して行かな
くて
はな
らな
い課
題と
考え
る︒
(10)
一福島光哉﹃宋代天台浄土教の研究﹄(文栄堂︑一九九五年)︑一六九頁︒福島博士によると︑元照は大小乗の観法を体系化しようとした見解であり︑この中で︑
第二を元照は重視するという︒それは自心を観境とする大乗の観法を説いたからであると指摘する︒元照の﹃観経﹄の観法において﹁観心観仏﹂を旨とするのならば︑
166 ‑
この よう な指 摘も でき よう が︑ 文に は別 段︑ 第二 の別 して 自ら のお 心を 観じ る点 につ いて は述 べら れて いな いの で︑ この 点に は慎 重に 理解 すべ きだ ろう
︒ ) ‑1 ( 佐藤成順﹃宋代仏教の研究﹄l
一元
岡山
の浄
土思
想1
(山
喜一
房一
仏書
林︑
二 O
O一年)︑三四三頁︒佐藤博士は観仏と観心の差異を指摘し︑観仏には自心三味所見の
仏と西方従因感果の仏との二種があり︑﹃観経﹄の十六観は後者である︒
(18) (17) (16) (15) (14) (13) (12)
﹃大
正蔵
﹄三
七巻
︑二
八一
頁下
︒
問︑
下︒
戒度 は﹃ 正観 記﹄ で観 仏は 観心 であ り︑ 心と 仏は 一如 であ ると 述べ る︒
﹃続 蔵﹄ 三三 巻︑ 四
O
頁上 下︒
﹃大 正蔵
﹄三 七巻
︑二 八一 頁下
︒ 問︑ 二八 三頁 上︒ 問︑ 二八 三頁 上中
︒ 問︑ 二八 三頁 中︒
(23) (22) (21) (20) (19)
問︑
二九 九頁 中︒
問︑
三
O
四頁
上︒
問︑
三
O
四頁
中︒
拙稿﹁﹃観経﹄諸註釈における凡夫観﹂(﹃印度哲学仏教学﹄第十五号︑二OOO
年︑ 二三 二
1二四二頁)︒
﹃観経義疏﹄巻中には︑元照自ら華座観と像観の連関を意識して註釈をしている︒﹁華座観﹂を修することで罪が滅して﹁像観﹂へ到る︒その像観は自らの心に仏を
観ずるとして︑観仏のはたらきを説いていく︒﹁是心作仏﹂﹁是心是仏﹂は︑八万四千の相好を観ずることで心に仏を観想していく︒その因が成就されると心に仏が作
されていく︒そして︑次第に修習されていくと共に︑心がまさに仏となっていく︒観想による感応道交ともいえよう︒この点はあらためて詳細に検討する必要がある︒
(28) (27) (26) (25) (24)
﹃観 経緯 輯疏
﹄巻 中に は﹁ 善導 の専 修の 義︑ また これ と閉 じ﹂ (﹃ 大正 蔵﹄ 三七 巻︑ 二九
O
頁上
)と
ある
︒
藤田宏遠﹃阿弥陀経講究﹄(東本願寺出版部︑二
OO
一年 )︑ 一九 三
l二
OO
頁 ︒
﹃大 正蔵
﹄三 七巻
︑三 五二 頁上 中︒
167 ‑
問︑三五二頁上中︒
宋代では﹁事理の一心﹂解釈が主流であった︒詳細は拙稿﹁﹃阿弥陀経﹄におけるご心不乱﹂について﹂(﹃印度哲学仏教学﹄第二十号︑二
OO
五年︑一八六1二O
二頁 )を 参照 され たい
︒ (32) (31) (30) (29)
﹃大 正蔵
﹄三 七巻
︑三 五六 頁下
︒
問︑三五七頁上︒
問︑ 三六 一頁 下︒
法然は﹃選択本願念仏集﹄の第十三多善根章で︑先にあげた﹃阿弥陀経﹄の﹁聞説阿弥陀仏︑執持名号:
・﹂ とあ る文 は︑ 多善 根を 説く 文で ある とい い︑ その 引証 と
して善導﹃法事讃﹄巻下の文を掲載する︒法然は多善根の説を﹃阿弥陀経﹄により証明し︑﹃法事讃﹄の讃文でさらに確定する︒その後で︑私釈において事由を述べる︒
﹁私
云
︒不可以少善根福徳因縁得生彼園者︑諸余雑行者︑難生彼国︒故云随縁雑善恐難生︒少善根者︑対多善根之言也︒然則雑善是少善棋也︒念仏是多善根也︒
放捕時録浄土文云褒陽石刻阿弥陀経乃惰陳仁稜所書︒字画消焼人多慕玩︒自一心不乱而下云専持名号以称名故諸罪消滅︒即是多善根福徳因縁︒今世伝本脱此