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以 華

下 厳り 経

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文 巻 は 本

続 巻く 七

賢 首 菩 薩

祇圏西北角︑日光没処︑為無常院︒若有病者︑安置在中︑以凡生食染︑見本房内衣鉢衆具︑多生変著︑無心厭背︑故制

令至別処︑堂号無常︒去者極多︒還反二一︑即事而求︑専心念法︑其堂置一立像︑金箔塗之︑面向西方︑其像右手挙︑左

手中繋一五彩輝︑脚垂曳地︒当安病者︑在像之後︑左手執措脚︑作従仏往生之意︒鳴病者焼香散華︑鳴声助称仏名︑荘

厳病者︑乃至若有尿尿吐唾︑随有除之︑亦無有罪︒況仏無愛憎︒但有帰投者︑無不抜済︒更為病者︑随機説法︑命終恒

在仏所︑不得移之︒出

子細に文を見ると︑先に検討した道宣﹃四分律行事紗﹄の所説である︒臨終を向かえる者は無常院に入り像を建てる︒元照

の文では︑その像を﹁阿弥陀仏像﹂であると明記していたから︑道宣からの引用である︒

‑ 178 ‑

このように宋代でも臨終に関して道宣の行儀が重用されていたが︑後には︑善導﹁臨終正念訣﹂と題される文が掲載されてい

る倍︒元照とならび︑中国浄土教において臨終行儀を説く重要な文として注目されているようだが︑そもそも善導はこの文を書

いて おら ず︑ 今日 では 偽撰 説が 定説 とな って いる

︒で は﹁ 臨終 正念 訣﹂ の出 典は 何処 にあ るの だろ うか

︒ この 文は

﹃楽 邦文 類﹄ より 前に 書か れた

﹃龍 静増 広浄 土文

﹄( 一二 三年

︑以 下﹃ 浄土 文﹄ )巻 十二 に題 名を

﹁臨 終往 生正 念文

﹂と

題して掲載されているω︒牧田諦亮博士はこの書が初出だろうと推測しているが問︑今日でも撰述に問題のある﹃念仏鏡﹄に﹁往

生﹂ と﹁ 臨終

﹂の 文字 が入 れ替 り︑

﹁臨 終正 念往 生文

﹂と 題す る文 が︑ ほぼ 同様 な内 容で 掲載 され てい る︒

﹃念 仏鏡

﹄は 道鏡 と善 道

の共著とされているが︑彼らの伝記︑また発刊年代が明確ではなく匂様々な問題がある︒近年︑﹃念仏鏡﹄の撰述年代について木

村清孝博士が︑﹃念仏鏡﹄に引用されている文から検討を試み︑九世紀末から一

O

世紀初頭であるとしているω

︒これを参照す

ると︑撰述の可能性としては﹃浄土文﹄とほぼ同時代の書ともいえるから︑所収されている﹁臨終正念往生文﹂の撰述年代が一致

このように﹃念仏鏡﹄の撰述問題に関してはまだ結論が出ておらず課題の残る書であり︑今後も検討する必要はあるが︑﹃楽

‑ 179 ‑

する︒初出はどちらの書であろうか︒本項では結論を出すまでの準備はできていないから機会を改めて検討したい︒

邦文 類﹄ に所 収さ れる

﹁臨 終正 念訣

﹂と

﹃浄 土文

﹄﹃ 念仏 鏡﹄ の文 は内 容が 類似 して おり

︑何 らか の連 闘が 見出 せる

︒し かし

︑詳 細 に対比すると文言が省略されており︑検討すべき課題は多く︑むしろ︑﹃浄土文﹄に引用されている文と多くの点で共通している︒

そこ で﹃ 楽邦 文類

﹄の 文よ り詳 細な

﹃浄 土文

﹄﹃ 念仏 鏡﹄ のと くに 後者 の﹁ 臨終 正念 往生 文﹂ の内 容を 概観 して おこ う旬

︒そ れは 問答 の対 象が 明確 だか らで ある

﹁臨終正念往生文﹂という短編は︑知帰子と善道の問答で構成されている守はじめに﹁知帰子︑善道和尚に問ふて日く﹂と始

まる

ω︒問答は全部で四つあり︑知帰子が善澄に問う形式で進められている︒第一の問答は︑生死を越えるための念仏往生の理

は難しい︒病の時には心が乱れ︑正念を失い浄土の因を忘れてしまう︒その苦しみから免れることはできないのかと問う︒それに︑

凡一切人命終欲生浄土︑須是不得伯死︑常念此身多苦不浄悪業種種交壇︒若得捨此糠形︑超生浄土︑受無量快楽︑解

脱生死苦趣︑乃是称意之事︒:::凡遇有病之時︑便念無常︑一心待死︒可蝿家人及看病人往来問候之人︑凡来我前︑為

我念仏︑不得説眼前閑雑之話家中長短之事︒亦不須軟言安慰祝願安楽︒此皆﹄虚華無益之語︒若病重将終之際︑親属不

得垂涙央泣︑及発嵯嘆慎悩之声︑惑乱心神︑失其正念︒但当同声念仏助其往生︒

: :

: ω

と答える︒一切の人が命終して浄土に生まれようとするとき死を恐れてはいけない︒また家の者や看病人は死が迫っている病人

の前に来て︑その者のために念仏して世間話や家の内情︑また気安く慰めの言葉や安楽になることを言ってはいけない︒これはす

ベて偽りの虚しい言葉である︒その者がもし重い病であったなら親族は横で涙を流してはいけない︒このようにすると病人は心が

惑わされて正念を失うから念仏して声に出して往生を助けよ︑と答える刷︒

次の間答では︑薬を服用するのはどうかと問う︒これに︑

答目︑求醤服薬︑初不相妨︑然薬者只能皆病︑不能醤命︑命若尽時︑薬山豆奈何︒若殺物命為薬切不可也︒ω

‑ 180 ‑

と答える︒薬の効き目は単に病に一時的に効果があるだけで命を長らえさせるのではないという︒

第三の問答では︑神に祈り福得を求めるのはかどうかと問う︒

答目︑人命長短生時巳定︑何仮鬼神能延之耶︒若迷惑信邪︑殺害衆生祭記鬼神︑但増罪業︑反損寿失︒大命若尽︑小鬼

奈何

︒空

白憧

健︑

倶無

所済

︑切

宜謹

之︒

::

:出

人の命の長短はすでに定まったものである︒鬼神が命を延ばしてくれることがあろうか︒このような迷信によって人々は生き物

を殺して罪業を増しているだけである︒これを謹まなくてはならないと答える︒

最後の問答は︑平生にいまだ念仏をしない者がいるが︑その者は往生が得られるのかどうかと問う︒

答日︑此法僧俗男女未念仏人用之皆得往生︑決無疑実︒余多見世人︑於平常念仏礼讃︑発願求生西方︑及致病来︑却又

伯死︒都不説著往生解脱之事︑直待気消命尽識投冥界︑方始十念鳴鐘︒:::若無事時︑当以此法精進念仏喝力受持︒ 是為 臨終 大事

︒加

念仏の法は︑僧俗男女が念仏をいまだ行じていなくても往生を得る︒平常の念仏礼讃をしている者は西方浄土に往生するこ

とを求め発願する︒その者が病になった︒しかし︑その者は臨終において死を恐れてしまう︒往生解脱の事柄をすべて説かずとも︑

直ちに命が終わるのを待って︑冥界に身を投じるその時︑十念の念仏を始めよ︒自らが得た力をこの時に始めるべきである︒もし

も︑この時に何もしていなければ︑臨終の大事のために念仏を精進して力を保ち続けなさい︑と答える︒

以上 が﹃ 念仏 鏡﹄ 所収 の﹁ 臨終 正念 往生 文﹂ の要 旨で ある

︒こ の当 時︑ 臨終 に対 して かな り注 目さ れて いた のが 解る

︒善 導﹃ 観念

法門﹄の文は日本の源信が注目したが︑中国ではこの文が後代まで多く引用されている︒この差は︑鎌倉時代に行儀として確立

させた源信と︑宋代以降︑﹁臨終正念﹂として臨終時の念仏が重視されていた中国の︑それぞれの浄土教の相違が看取される︒

のみが強調されているように受け取れる︒後代︑善導による臨終行儀は﹃楽邦文類﹄所収の﹁臨終正念訣﹂ではなく︑﹁臨終往生

‑ 181  ‑

ともに行儀を重んじる点では同様だが︑前者は浄土往生のための厳格な行道の一っとして理解しているのに対し︑後者は作法面

正念文﹂または﹁﹁臨終正念往生文﹂に依るところが多く宋代以降から影響を及ぼした︒偽撰であっても︑先の智頭の場合と同様

に︑中国では思想的な特徴があれば重用されるのが知られよう︒臨終という間際に正念を保つのは並大抵のことではない︒この

文によって宋代以降の善導の評価は高まる︒中国仏教全体からいっても︑宋代の浄土教は様々な影響を与えているが︑善導の浄

土教は間接的に当時の仏教会を席巻した思想が見られる︒しかし︑善導の評価は︑実像として捉えた法然・親鷲とは異なり︑虚

像と して 善導 は讃 仰さ れた 旬︒

試み に︑

﹁臨 終正 念訣

﹂が

﹃楽 邦文 類﹄ 前後

︑ど のよ うな 影響 を与 えて いた のか 調べ てみ よう

︒ 先述 のよ うに

︑﹃ 楽邦 文類

﹄所 収の

﹁臨 終正 念訣

﹂と

﹃浄 土文

﹄﹃ 念仏 鏡﹄ 所収 の﹁ 臨終 往生 正念 文﹂ のも っと も問 題と なる のは

﹃楽 邦文 類﹄ での 引用 と年 代が 解っ てい る﹃ 浄土 文﹄ の文 を比 較す ると

︑そ れほ ど年 代が 離れ てい ない のに 文の 改変 が多 く︑ 冒頭 に

﹁知 踊子 致問 於浄 業和 尚日

﹂と あり

﹁浄 業和 尚﹂ との 問答 とし て始 まっ てい る

mo

しか し︑ 全体 的な 構成 につ いて は︑

﹃念 仏鏡

﹄﹃ 浄 土文

﹄と ほぼ 同じ であ る︒ 宗暁 の参 照し た文 は異 なっ てい たの だろ うか

︒他の版本がすでにこの時代に存在していたのだろうか︒今

目︑参看できる資料が散逸しているため詳細は不明である︒

﹁浄 業和 尚﹂ とい うの は善 導の 尊称 とい われ るが

︑﹃ 続高 僧伝

﹄に は﹁ 浄業

﹂の 伝が 記さ れて いる から

畑︑善導とは同一人ではない

‑ 182  ‑ とい

うの が今 日の 定説 であ る︒ ここ では 煩墳 にな るた め︑

﹃念 仏鏡

﹄所 収の

﹁臨 終正 念往 生文

﹂と 両書 の関 係に つい て直 接の 比較 検 討は 行わ ない が

︑﹃楽邦文類﹄に引用されている文は︑引用方法に関して多分に課題が残る︒だが︑当時︑臨終正念が重視され

ていた証左ともいえるから︑所収されている形態が異なっていても︑善導の名を借用して後の時代までも正念が臨終時において不

可欠な往生行であったのが確認できる︒鷹山慧遠とならび︑善導が﹁蓮社﹂第二祖として絶対的に尊崇されていたのが知られる︒

さらに以降の引用を辿ってみよう︒後に考察する普度﹃庫山蓮宗宝鑑﹄巻八には﹁善導和尚臨終往生正念文﹂とあり刷︑大佑

(一

三八

l

一 四 O

七年

)﹃

浄土

指帰

集﹄

(一

三九

三年

)巻

上に

は﹁

臨終

正念

﹂と

引用

され

てい

惨明代に入ると周克復﹃浄土農鐘﹄

(一 六五 九年 )巻 七に は﹁ 筒臨 終往 生正 念﹂ とあ り旬

︒命 行敏

﹃浄 土全 書﹄ (一 六六 四年 )巻 上に は﹁ 善導 和尚 臨終 往生 正念 文﹂ と

題して掲載されている守両書とも﹃浄土文﹄に引用されている文を出典としている︒

した がっ て︑ この 善導 の文 は﹃ 念仏 鏡﹄ を出 典

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