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釈論大江千里集(七)

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釈論大江千里集(七)

著者 半沢 幹一, 小池 博明

雑誌名 共立女子大学文芸学部紀要

巻 67

ページ 1‑24

発行年 2021‑02

URL http://id.nii.ac.jp/1087/00003394/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止

http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

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釈論大江千里集(七) 一 〔前説〕   本 稿 は、 「 釈 論 大 江 千 里 集( 一 )( 二 )( 四 )( 六 )」 (『 長 野 工 業 高 等 専 門 学 校 紀 要 』 五 一 号、 二 〇 一 七 年 六 月、 同 五 二 号、 二 〇 一 八 年 六月、同五三号、二〇一九年六月、同五四号、二〇二〇年六月。いずれも電子版のみ)および「同(三) (五) 」( 『共立女子大学文芸学 部紀要』第六五集、 二〇一九年三月、 同第六六集、 二〇二〇年三月)の続稿であり、 今回は二四番歌から二八番歌の五首を取り上げる。

  本釈論全体の目的と意義の詳細、凡例や参考文献などについては、 「釈論大江千里集(一) 」を参照されたい。

蟬不待秋鳴(蟬は秋を待たずして鳴く)

二四   うつせみの身としなりぬる物ならばあきをまたでぞなきぬべらなる

【通釈】 釈論大江千里集(七)

はん

   沢

ざわ

   幹

かん

   一

いち

   池

いけ

   博

ひろ

   明

あき

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  蟬のような(はかない)身となってしまうものなら、秋を待つこともなく泣いてしまいそうであるよ。 【語釈】

は現し身の意。 人 も む な し く な ら ば 琴 の ね も う つ せ み の み や い ま は し ら べ ん 」( 宇 津 保 物 語・ 忠 こ そ・ 忠 こ そ・ 一 ○ 六 ) が あ る も、 こ の「 う つ せ み 」 平安時代以降、挙例の古今集七三番歌のように、 「世」にかかることが圧倒的に多く、当歌のように「身」にかかる用例は稀で、 「ひく く……」 (万葉集・三・四六六・大伴家持)のように、比喩的な枕詞として使用されている。ただし、枕詞としての「うつせみの」は、     歌 も 同 様 で あ る が、 「 う つ せ み の 」 は「 身 」 に か か る こ と か ら、 「 …… う つ せ み の ( 打 蟬 乃 )  借 れ る 身 な れ ば 露 霜 の 消 ぬ る が ご と く か ら に 物 ぞ 思 ふ 我 も 空 し き 世 に し す ま へ ば 」( 後 撰 集・ 四・ 夏・ 一 九 五 ) の よ う に、 は か な さ、 む な し さ を 喚 起 す る 用 例 が 多 い。 当 後撰集歌の他にも、 「 空蟬 の世にもにたるか花ざくらさくと見しまにかつちりにけり」 (古今集・二・春下・七三) 、「 うつせみの こゑき ことが多い( 『対釈新撰万葉集』三四番歌の 【語釈】 該項を参照) 。また、 「空」 「虚」の字義から仏教的無常観に結び付けられ、挙例の 四 四 八 )、 「 う ち は へ て ね を な き く ら す 空 蟬 の む な し き こ ひ も 我 は す る か な 」( 後 撰 集・ 四・ 夏・ 一 九 二 ) の よ う に、 蟬 そ の も の を 表 す 重ね合わせていたらしい。平安時代以降は、 「 空蟬 のからは木ごとにとどむれどたまのゆくへを見ぬぞかなしき」 (古今集・十・物名・ まりこの世の人、この世が原義。ただし、枕詞を含めた全四○例中一七例が、 「空蟬」 「虚蟬」の字を当てており、蟬の抜け殻の映像を に か が よ ふ う つ せ み ( 虚 蟬 ) の 妹 が 笑 ま ひ し 面 影 に 見 ゆ 」( 万 葉 集・ 十 一・ 二 六 四 二 ) と 詠 ま れ る よ う に、 「 う つ( 現 ) し み( 身 )」 つ

  「     う つ せ み 」 は、 万 葉 集 で、 「 う つ せ み ( 空 蟬 ) し 神 に 堪 へ ね ば 離 れ 居 て ……」 ( 万 葉 集・ 二・ 一 五 ○ )、 「 燈 火 の か げ

(一九番歌 【語釈】 該項参照) 。「し」は強意の副助詞。 にあることを詠む。本集に「身」を含む歌は一五首(一二・○%)もあり、古今集の八四例(七・六%)より割合が多く、注目される 身 からにて思ふ歎は」 (山家集・一三三七)など、 「わが」や「この」を伴う歌がある。いずれも恋の嘆きの原因が「わが身」 「この身」 「ねにたかくなきぞしぬべき うつせみのわが身 からなるうきよと思へば」 (元良集・六三) 、「むなしくてやみぬべきかな うつせみのこの に蟬という意味の実質性の関与を認めるならば、 自らの肉体の意がふさわしい。蟬の意の 「うつせみ」 で 「身」 にかかる用例としては、   「 み( 身 )」 は 肉 体 の 意 か ら 自 ら の 肉 体、 さ ら に は 自 分 自 身 の 意 も 表 す。 当 歌 で は、 「 身 」 を 修 飾 す る「 う つ せ み の 」

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釈論大江千里集(七) 三 あきをまたでぞ 汲み取ることができよう。接続助詞「ば」は、上句を順接仮定条件句として統括し、下句に接続する。 歌の「もの」は単なる抽象概念ではなく、仏教的無常観をふまえて、自分の力で変える事の出来ない運命、宿命といったニュアンスを   認 識 と『 も の 』 認 識 ― 古 代 文 学 に お け る、 そ の 史 的 展 開 ― 」『 日 本 語 論 の 構 築 』 清 文 堂 二 ○ 一 七 年 ) と す る 考 え 方 に よ れ ば、 当   こ と 」( 大 野 晋『 古 典 基 礎 語 辞 典 』 角 川 学 芸 出 版 二 ○ 一 一 年 )、 「 人 生 の 奥 深 い 真 理 」、 「『 普 遍 的 理 法 的 な 』 も の 」( 糸 井 通 浩「 『 こ と 』 ( 三 九・ 六 ○・ 一 ○ 三 )、 一 例 が「 も の お も ふ 」( 四 二 ) で あ る。 た だ し、 「 も の 」 の 基 本 的 意 味 を、 「 変 え る こ と が で き な い、 不 可 変 の も入れて四例が、連体修飾句を受けて、その内容を概念化する形式名詞(二四・三六・六二・一○四) 、三例が「ものを(ぞ)おもふ」   「 物 」 は、 初・ 二 句 を 受 け て、 蟬 の よ う な( は か な い ) 身 と な っ て し ま う 事 態 を 表 す。 本 集 に「 も の 」 は 八 例 あ る が、 当 歌

  「あき(秋)

」の語は、本集に一八例詠まれ、 「春」の二七例についで多い(一四番歌の 【語釈】 該項参照) 。夏部にも 当 歌 の 他 に「 あ き( 空 白 ) は ち す ひ ら く る 水 の う へ は く れ な ゐ ふ か き 色 に ぞ あ り け る 」( 二 八 ) も あ り、 春 に つ ぐ 本 集 の 秋 へ の 関 心 の 高 さ が う か が え る( 蔵 中 さ や か「 歌 風 の 分 析 」『 題 詠 に 関 す る 本 文 の 研 究 』 お う ふ う、 二 ○ ○ ○ 年、 お よ び 本 集 一 四 番 歌 該 項 参照) 。「……をまたで」 は、 「春をだにまたでなきぬる鶯はふるすばかりの心なりけり」 (後撰集・十一・恋三・七三八・本院兵衛) 、「な つ の よ の あ り あ け の 月 を み る ほ ど に 秋 を も ま た で 風 ぞ す ず し き 」( 後 拾 遺 集・ 三・ 夏・ 二 三 ○・ 藤 原 師 通 ) の よ う に、 そ の 季 節 に ふ さ わしいものが、それより前に現れることを言う。 「またで」という形でヲ格に季節を取る場合、その季節は「春」か「秋」に限られる。

な き つ る な へ に 日 は く れ ぬ と 思 ふ は 山 の か げ に ぞ あ り け る 」( 古 今 集・ 四・ 秋 上・ 二 ○ 四 )、 「 ひ ぐ ら し の な く 山 里 の ゆ ふ ぐ れ は 風 よ り ぬ声かも」 (万葉集・十・秋の雑歌・二一五七)のように、夏にも秋に鳴くものとして詠まれる。それが、古今集以降は、 「ひぐらしの ひぐらし(日晩) 」(万葉集・八・夏の雑歌・一四七九・大伴家持) 、「夕影に来鳴くひぐらし(日晩之)ここだくも日ごとに聞けど飽か 定されていないが、その一種であるヒグラシだけは、その名称で、万葉集から「隠りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴く ……」 ( 古 今 集・ 十 九・ 雑 躰・ 短 歌・ 一 ○ ○ 三・ 壬 生 忠 岑 ) の よ う に、 夏 に 鳴 く も の と し て 詠 ま れ た。 こ れ ら に お い て、 蟬 の 種 類 は 特   け た て ば 蟬 の を り は へ な き く ら し よ る は ほ た る の も え こ そ わ た れ 」( 古 今 集・ 十 一・ 恋 一・ 五 四 三 )、 「 …… 夏 は う つ せ み な き く ら し その主体は言うまでもなく詠み手であるが、 初句 「うつせみ」 から蟬が 「鳴く」 の意も重ねられている。平安時代中頃までは、 蟬は、 「あ   「 な く 」 は 泣 く の 意 も 鳴 く の 意 も 表 し、 和 歌 で は 両 者 を 重 ね る こ と が 多 い。 当 歌 に お い て も、 「 泣 く 」 の 意 と し て は、

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ほかにとふ人もなし」 (古今集・四・秋上・二○五)と、秋に鳴くものとして詠まれることが多くなるが、平安時代後期になると、 「か ぜ ふ け ば は す の う き 葉 に た ま こ え て す ず し く な り ぬ ひ ぐ ら し の こ ゑ 」( 金 葉 集・ 二・ 夏・ 一 四 五・ 源 俊 頼 )、 「 山 か げ や い は も る し 水 お とさえて夏のほかなる ひぐらし のこゑ」 (千載集・三・夏・二一○・慈円)と、夏に鳴くものとしても詠まれるようになる。もっとも、 こ の 場 合 も 秋 の 涼 感 の 先 取 り と し て 詠 ま れ る。 一 方、 夏 に 鳴 く も の で あ っ た 蟬 は、 平 安 時 代 後 期 以 降 に な る と、 「 し た も み ぢ ひ と 葉 づ つ ち る こ の し た に あ き と お ぼ ゆ る せ み の こ ゑ か な 」( 詞 花 集・ 二・ 夏・ 八 ○・ 相 模 )、 「 な く せ み の こ ゑ も す ず し き 夕 暮 に 秋 を か け た る も り の 下 露 」( 新 古 今 集・ 三・ 夏・ 二 七 一・ 二 条 院 讃 岐 ) な ど の よ う に、 ヒ グ ラ シ 同 様 に 秋 の 涼 感 を 感 じ さ せ る も の と し て 詠 ま れ る 歌 が目立つようになる。これは、平安後期以降は歌語「蟬」がおもにヒグラシを想定して詠まれるようになったことを意味しよう。新古 今集の配列で、二六八、二六九番歌が「ひぐらし」を詠み、それに後続する二七○、二七一番歌が「せみ」を詠むのは、これをよく示 すものである。こうした背景には、 「嫋嫋兮秋風   山蟬鳴兮宮樹紅」 (和漢朗詠集・夏・蟬・一九二・白居易) 、「鳥下緑蕪秦苑寂   蟬鳴 黄葉漢宮秋」 (和漢朗詠集・夏・蟬・一九四・許渾、千載佳句・四季部・早秋・一五七)のように、分類上は夏であっても漢詩自体は、 蟬を多く秋に鳴くとする影響もあると考えられる。したがって、 古今集以前でも、 和歌と漢詩を並べる新撰万葉集には「秋の蟬」 (秋・ 五五。漢詩には「 寒

かんしょう

螿 」、すなわちヒグラシ)という表現が見え、漢詩句を題とする本集でも、 「(うつ)蟬」全三例のうち、二例が秋 部 (四四・五五) にあり、 当歌も夏部に配列されながらも、 蟬が秋鳴くことを前提とする。 「なき」 に下接する助動詞 「ぬ」 は強意の意、 「 べ ら な り 」 は、 確 定 の 事 実 を 対 象 と す る 推 量 の 助 動 詞( 塚 原 鉄 雄「 推 量 の 助 動 詞 ― そ の 国 語 史 的 考 察 」。 『 国 語 国 文 』 二 六 巻 七 号、 一九五七年) 。「べらなり」は、 助動詞「べし」の語幹「べ」に、 状態化し体言化する接尾語「ら」がつき、 さらに断定の助動詞「なり」 が 付 い た も の で、 こ の「 な り 」 の 表 す 断 定 は、 「 べ し 」 の 主 観 的 判 断 が 現 実 と 一 致 す る こ と、 つ ま り 主 観 的 判 断 を そ の ま ま 客 観 的 実 在 のようにみなすことである (小松光三 「中古の助動詞」 『国語助動詞意味論』 笠間書院   一九八○年、 竹岡正夫 『古今和歌集全評釈   上』 二三番歌注   右文書院   一九八一年、 中野方子 「『古今集』 における 『べらなり 』 ― 喩に承接される助動詞」 『国文』 八六   一九九七年、 小 池 博 明「 『 べ ら な り 』 歌 の 場 と 表 現 ― 観 念 の 事 実 化 ― 」『 二 松 學 舍 大 学 人 文 論 叢 』 八 八 輯   二 ○ 一 二 年 な ど 参 照 )。 そ の た め、 接 続助詞「ば」を下接する条件句は、確定条件になるのが普通で、当歌のように仮定条件になる用例はごく少ない。当歌においては、本 来泣くのにふさわしい季節としての秋ではなく、夏に泣くという主観的判断(観念)が、実際に夏に泣いてしまうという客観的事実と

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釈論大江千里集(七) 五 し て 判 断 さ れ た こ と を 表 す( 】【 参 照 )。 な お、 「 べ ら な り 」 は、 十 世 紀 前 半 の 古 今 集、 後 撰 集 な ど の 和 歌 だ け で な く、 和歌とはまったく位相の異なる平安初期の漢文訓読文にも使用されたが、その後急速に減少し古語化した。本集には四例、見られる。 【補注】   【語釈】 で触れたように、 「あきをまたでぞなく」は、なくのにふさわしい季節が秋であることを前提とする。その前提は、人間と蟬 の両方に関わる。   秋を悲哀の季節とする歌は、万葉集には見られないが、平安時代になると、古今集の「おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき 物と思ひしりぬれ」 (古今集・四・秋上・一八五。本集三六番歌としても) 、本集の「おほかたのあきをかなしとみることにあだなる人 はしらずぞありける」 (四○) 、「すぎてゆく秋のかなしくみえつるはおひなむことのをしきなりけり」 (四三)など、秋の悲愁が明確に 詠まれるようになる。これはそもそも日本古来のものではなく、漢詩の悲秋の観念が持ち込まれたことによるとされる。その観念に基 づくならば、人が悲しくてな(泣)くのは秋なのである。本集に「なく」は二五例あり、そのうち秋部が最も多く九例、三分の一以上 を 占 め て い る。 い っ ぽ う、 蟬 に つ い て は、 に 挙 げ た 例 く ら い し か 和 歌 に 詠 ま れ る こ と が な く、 し か も、 真 夏 と い う よ り は 晩 夏 か初秋のイメージが強い。   以上の前提があっての「あきをまたでぞなく」なのであり、それは我が身のみならず「うつせみ」 =蟬についても同様に当てはまる。 と は い え、 当 歌 で メ イ ン と な っ て い る の は、 あ く ま で も 我 が 身 の ほ う で あ る。 詠 み 手 が 泣 く 理 由 は、 「 う つ せ み の 身 と し な り ぬ る 物 な らば」という仮定である。この仮定にとくに反実性つまり実際はそうではないという否定は認められないので、文字どおりの仮定・想 像にすぎない。そういう仮定・想像をしただけで泣きそうになる、ということもありえなくはないが、いささか感傷に過ぎる感がない だろうか。   注 目 し た い の は、 「 う つ せ み の 身 と な る 」 と い う 表 現 で あ る。 仏 教 的 無 常 観 に 基 づ く な ら、 人 間 も ま た も と も と は か な い 存 在 な の で あって、ある時、急にはかなくなるわけではない。とすれば、そういう存在であることを否応なく痛切に思い知らされる状態になるこ とが想定される。たとえば病気であり、老衰である。体が不如意になって初めて思い知らされるのであり、気の弱りが死を強く意識さ

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せ る こ と に な る か ら で あ る。 そ う い う 時 の 仮 定・ 想 像 な ら ば、 そ し て そ う い う 思 い 込 み が 強 く な り が ち で あ れ ば、 そ れ な り の リ ア リ ティは感じられるかもしれない。

  ただし、そのことが夏という季節とどのように関係するかと言えば、少なくとも夏だからという理由付けはできそうにない。春・秋 に比べれば、気候の厳しさが病老と結び付けられなくもないものの、そういう類いのことは和歌世界とは無縁である。当歌が夏歌とし て成り立つのは、ひとえに「うつせみ」の存在によってであるが、それさえ「あきをまたで」という表現がいみじくも示すように、夏 の素材としては必ずしもふさわしいものではなかったのである。

  なお、当歌は、赤人集(五○)にも「うつせみのみとしなりぬるわれなれば秋をまたでぞやみぬべらなる」と、第三句と結句をかえ た形で載る。 【比較対照】

  原拠詩は、次の、白氏文集の五言律詩「病中書事」詩(巻五十三・二三三九)であり、句題はその頷聯の第二句である。この詩の頷 聯の第一句も、すでに示したとおり、二三番歌の句題となっている。

   三載臥山城   三載山城に臥し、

   閑知節物情   閑に節物の情を知る。

   鶯多過春語   鶯は多く春を過ぎて語り、

   蟬不待秋鳴   蟬は秋を待たずして鳴く。      気嗽因寒発   気嗽寒に因つて発し、

   風痰欲雨生   風痰雨ならむと欲して生ず。

   病身無所用   病身用ゐる所無く、

   唯解卜陰晴   唯解くのみ、陰晴を卜すを。

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釈論大江千里集(七) 七   二 三 番 歌 で 述 べ た よ う に、 「 こ の 詩 に お い て、 鶯 に せ よ 蟬 に せ よ、 そ れ ら が 夏 の 景 物 で あ る こ と を 示 す も の で は 決 し て ない。首聯にあるように、病床に伏して過ごしているからこそ気付く自然の実際の変化のありようなのであ」り、蟬についても「秋の 物 で あ る は ず の 蟬 は そ の 前 の 夏 か ら 鳴 い て い る と い う こ と で あ る 」。 そ し て、 千 里 が「 そ う い う 詩 の 一 句 を 句 題 に し た の で あ る か ら、 季 節 歌 で あ る に も か か わ ら ず、 定 番 ど お り に 詠 む こ と に な ら な い の は、 当 然 至 極 で あ り、 い わ ば 確 信 犯 的 な 選 択・ 詠 歌 で あ る 」。 当 歌 でのその戦略は、蟬をそのままそっくり人間つまり詠み手に置き換えるというものであった。   表現上の対応として見れば、句題の「蟬」 「不待秋」 「鳴」は、歌の「うつせみ」 「あきをまたで」 「なき」に写されている。加えられ た の は、 第 二・ 三 句 の「 身 と し な り ぬ る 物 な ら ば 」 と、 そ の 仮 定 に 連 な る 結 句 末 の「 ぬ べ ら な る 」 で あ る。 こ の 第 二・ 三 句 の 付 加 が、 原拠詩の該句を換骨奪胎してしまった。原拠詩では、蟬そのものが実際の情景描写の一つとして位置付けられるが、当歌はその情景描 写を捨て、蟬をあくまでもイメージ化することによって、人間の心情を詠む歌にしたのである。   しかし、該句のみならず、原拠詩全体として見れば、 「病中」の我が身を歌い、 「病身無所用」とも表現しているのであるから、それ が当歌のいう身のはかなさに通じているとも言える。つまり、当歌は、句題に対する小異を捨てて、原拠詩全体の大同に付こうとした 歌と見ることができよう。

鶯語々漸稀(鶯語、語ること漸く稀なり)

二五   うぐひすはときならねばやなくこゑのいまはまれらになりぬべらなる

【通釈】   鶯は、 (もはや鳴くのにふさわしい)季節ではないからか、鳴く声が今は稀になってしまったようであるよ。

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【語釈】 うぐいすは

  「うぐひす」

については、 二・ 二三番歌 【語釈】 該項を参照。初句末に 「は」 を置き主題を示すのは、 本集では当歌以外に、 二三番歌の「うぐひすは」と六九番歌の「てる月は」の二首のみ。三首のうちの二首が「うぐひす」を初句に置いて一首全体の主題と し、かつそれが主語(主格)になっていないケースである。第四句にも「いまは」と「は」が出て来るが、それは対比を示す。 ときならねばや

  「とき」

は時間一般を表す場合と特定の時間を表す場合とがある。当歌の 「とき」 は後者であり、 決まった時節をいう。 そ れ は 単 に 決 ま っ て い る と い う だ け で な く、 も っ と も 盛 ん な 時 期 で あ る こ と も 意 味 す る。 当 歌 の 場 合、 「 と き 」 が 問 題 と さ れ る の は 鶯 の鳴き声に関してであり、 それはすなわち春という季節である。その「とき」を打ち消した「ときならね(ず) 」は、 「 時ならず (不時) 玉 を そ 貫 け る 卯 の 花 の 五 月 を 待 た ば 久 し く あ る べ み 」( 万 葉 集・ 十・ 一 九 七 五 )、 「 耳 な し の 山 な ら ず と も よ ぶ こ ど り 何 か は き か ん 時 な ら ぬ ね を 」( 後 撰 集・ 十 四・ 恋 六・ 一 ○ 三 五・ 女 五 の み こ ) な ど の よ う に、 季 節 外 れ で あ る こ と を 表 す。 当 歌 も、 鶯 が 鳴 く に は 時 節 外 れであることをいう。接続助詞「ば」は、初、第二句を順接確定条件句として統括し、その結果を示す第三句以降に接続する。係助詞 「や」を下接する「ばや」は本集に五例見られるが、当歌以外(一、一四、一八、六六)はすべて三句目末に位置する。 なくこゑの

  「なくこゑ」は、二三番歌の第四句にも「なくこゑおほき」という形で出ている。

「なく」の主体は初句の「うぐひす」で あるが、主述関係としては結び付いていない。句末の「の」は主格助詞で下句に対応する。 いまはまれらに   係助詞「は」は、詠歌時の「今」 (現在)とそれまでの過去とを区別、対比する。 「まれらに」から「今」と対比され るのは、鶯の鳴く季節とされる春か、二三番歌のように、過ぎた春を惜しんで盛んに鶯が鳴く初夏かのいずれかが考えられる。二三番 歌 で 述 べ た よ う に、 本 集 に は、 当 歌 の 他 に 鶯 の 囀 り の 多 寡 を 詠 む 歌 と し て、 当 歌 と 二 三 番 歌 の 他 に、 「 や ま た か み ふ り く る 霧 に む す れ ば や な く う ぐ ひ す の こ ゑ ま れ ら な る 」( 一 ) が あ る。 こ の 三 首 の 配 列 順 か ら、 春 の 最 初 は 稀 だ っ た 鶯 の 声 が、 初 夏 に は 春 を 惜 し ん で 盛 ん に 鳴 き、 夏 が 進 む と と も に 次 第 に 稀 に な る と い う、 作 者 の 配 列 意 図 が 読 み 取 れ る。 「 今 」 は 二 三 番 歌 で 詠 ま れ た 初 夏 と 対 比 される、つまり夏も盛りに近い時期ということになる。 「まれらに」については、一番歌 【語釈】 該項参照。 なりぬべらなる   「べらなる」

は、 第二句末の係助詞 「や」 の結び。 「べらなり」 は二四番歌の 【語釈】 該項および 【補注】 参照。 「いま」 と共起する推量の助動詞は、現在推量の「らむ」が多いが、 「べらなり」にもわずかながら、 「あふことの   まれなるいろに……わたつ

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釈論大江千里集(七) 九 み の   お き を ふ か め て   お も ひ て し   お も ひ は い ま は   い た づ ら に   な り ぬ べ ら な り ……」 ( 古 今 集・ 十 九・ 雑 躰・ 短 歌・ 一 ○ ○ 一 )、 「なくしかのこゑうらぶればときは 今は あきのなかばになりぬ べらなり 」(家持集・一二一) 、「ことさらにきみはこしかどさくらばなあ か で ぞ い ま は か へ る べ ら な る 」( 躬 恒 集・ 二 六 七 ) な ど の 用 例 が あ り、 い ず れ も 今 そ の こ と が 実 現 し そ う で あ る こ と を 示 す。 そ の 判 断 には、主観的、疑惑的な「らむ」と違って、客観的な根拠がある。挙例で言えば、古今集歌は相手に逢うことが困難であること、家持 集歌は鹿の沈んだ声、躬恒集歌は桜花はいくら見ても満足しないものだという、それぞれの経験・知見が確かな根拠としてある。それ ゆ え、 「 べ ら な り 」 は 疑 問 表 現 を 伴 わ な い と さ れ る が、 当 歌 で は 疑 問 の 係 助 詞「 や 」 を 伴 う 点 で、 特 異 で あ る。 二 四 番 歌 も、 仮 定 条 件 句を伴うという点で、特異であり(ちなみに一一四番歌も) 、あるいは千里独自の用法だったのかもしれない。 【補注】   初春に鶯が鳴くのを待つ状況で鳴かないと詠む歌は多いが、時期を過ぎて鶯が鳴かなくなることを詠む歌は、三代集の頃まではほと ん ど な く、 万 葉 集 に「 ( 五 月 九 日 に 兵 部 少 輔 大 伴 宿 禰 家 持 の 宅 に し て 集 飲 す る 歌 四 首 ) / う ぐ ひ す の 声 は 過 ぎ ぬ ( 宇 具 比 須 之   許 恵 波 須疑奴)と思へどもしみにし心なほ恋ひにけり」 (万葉集・二十・四四四五・大伴家持)の一例、 平安時代に入って、 「おなじ御ときに、 四 月 一 日 う ぐ ひ す な か ぬ よ し の う た よ め と お ほ せ ら る る に / 春 は た だ き の ふ ば か り を 鶯 の か ぎ れ る こ と も な か ぬ け ふ か な 」( 公 忠 集・ 七 )、 「 春 の く れ つ か た / は な も ち り う ぐ ひ す の ね も か れ ゆ け ば わ が や ま ざ と は あ く が れ ぬ べ し 」( 重 之 集・ 一 一 五 ) な ど が あ る 程 度 で ある。   その中にあって、貫之歌には、 「くれぬとて なかずなりぬる鶯の声 の内にや春のへぬらん」 (貫之集・三五二) 、「行く春のたそかれ時 になりぬれば 鶯の音も暮れぬ べらなり 」(貫之集・四三七) 、「春のけふくるるしるしは 鶯のなかずなりぬる 心なりけり」 (貫之集・四三 八 )、 「 桜 花 を る 時 に し も な く な れ ば 鶯 の 音 も 暮 れ や し ぬ ら ん 」( 貫 之 集・ 四 七 四 ) と、 四 例 も あ る の は 注 目 さ れ る。 こ れ ら は 全 て 暮 春 に 鶯 が 鳴 か な く な っ た こ と を、 春 の 暮 れ る こ と と 重 ね て 表 現 す る も の で あ り、 中 野 方 子「 貫 之 集 歌 語・ 類 型 表 現 事 典 」『 平 安 前 期 歌 語 の和漢比較文学研究』笠間書院   二○○五年によれば、 「花少鶯亦稀   年年春暗老」 (「登村東古塚」 『白氏文集』○四五九)や「鶯収好 語 樹 凋 粧   向 老 驚 傷 過 歳 芳 」( 「 三 月 晦 日 送 春 感 題 」『 田 氏 家 集 』 三 一 ) な ど の 漢 詩 の 類 型 表 現 の 影 響 が 認 め ら れ る と い う。 た だ し、 こ れらの貫之歌はどれも春の季節内であって、夏には及んでいない。

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一〇

  また、構文から見ても、挙例の貫之集四三七番歌が、 「已然形+ば……べらなり」となっていて、当歌と類似するが、当歌は、 「うぐ ひ す は 」 と 始 ま る 題 述 構 文 で あ っ て、 こ の 点 で 貫 之 集 四 三 七 番 歌 と 異 な る。 他 の 用 例 を 見 て も、 鶯 を 取 り 立 て て 説 明 す る 用 例 は な く、 暮春の情景として鳴かない鶯を描写する。平安時代の六例中三例が「鶯の音 も 」とするのは、春が暮れるのと併せて鳴かない鶯を取り 上げていることをよく表している。     本集では春歌に鶯を詠んだ歌が三首(一・二・七)あるが、暮春の時期の例は見られず、惜春と鶯の鳴き声がともに歌われるのは夏 歌になってからである。しかも、その鳴き方について、当歌のほぼ直前とも言える二三番歌が当歌とはまったく反対のさまを歌ってい る。これはどういうことであろうか。

  二 三 番 歌 は「 す ぎ に し 春 を を し み つ つ 」 と あ る よ う に、 惜 春 の 思 い を 理 由 と し て、 「 な く こ ゑ お ほ き 」 と 結 び 付 け ら れ て い る。 惜 し む気持の強さが鳴き声を多くするということである。それに対して、当歌は「ときならねば」であって「ときすぐれば」ではない。つ ま り、 「 い ま 」 は そ の「 と き 」 で は な い と、 そ の「 と き 」 す な わ ち 盛 ん に 鳴 く べ き 時 期 と、 言 わ ば ピ ン ポ イ ン ト で 対 比 的 に 示 し て い る のであって、哀惜を伴う時間的経緯を問題にしていないのである。

  つ ま り、 二 三 番 歌 と 当 歌 は、 「 う ぐ ひ す は 」 で 始 ま り、 そ れ を 主 題 と し た 歌 と い う 点 で は 共 通 す る が、 そ の 鳴 き 声 に 関 し て、 前 者 が 惜春という観点から多さを、後者がタイミングという観点から少なさを示そうとしたということである。

  な お、 当 歌 は、 赤 人 集 に「 う ぐ ひ す も と き な ら ね ば ぞ な く こ ゑ は い ま は ま れ ら に な り ぬ べ ら な る 」( 赤 人 集・ 五 一 ) と し て、 初 句、 第二句、第三句のそれぞれの句末を異にして載る。 【比較対照】

  原 拠 詩 は、 次 の、 白 氏 文 集 の 五 言 排 律「 春 末 夏 初、 閒 遊 江 郭

二首

」( 巻 十 六・ ○ 九 三 四 ) の「 其 二 詩 」( 巻 十 六・ ○ 九 三 五 ) で あ り、 句題はその二句目に当たる。

   柳影繁初合   柳影、繁にして初めて合ひ、

   鶯声渋漸稀   鶯声、渋なること漸く稀なり。

(12)

釈論大江千里集(七) 一一    早梅迎夏結   早梅、夏を迎へて結び、

   残絮送春飛   残

ざんじよ

絮 、春を送りて飛ぶ。

   西日韶光尽   西日、 韶

せう

くわう

尽き、

   南風暑気微   南風、暑気微なり。

   展張新小簟   新しき 小

せうてん

簟 を展張し、

   熨帖旧生衣   旧き生衣を 熨

帖 す。

   緑蟻杯香嫩   緑蟻、杯香 嫩

どん

たり、

   紅糸鱠縷肥   紅糸、 鱠

くわいる

縷 肥たり。

   故園無此味   故園に此の味ひ無し、

   何必苦思帰   何ぞ必ずしも 苦

ねむごろ

に帰るを思はむ。

  しかし、 異本系は「鶯 語 渋漸稀」で、 原拠詩句に近いが、 蔵中校本によれば、 流布本系に原拠詩どおりの句は認められない上に、 「渋」 の存する本文もない。校本から復元するに、流布本系には、 「鶯 語

声イ

々漸稀」 「鶯語漸稀」 「鶯語 ― 漸稀」 「鶯語 々

漸 稀」 「鶯語○漸 稀

」「鶯 語日漸稀」 「鶯語漸々稀」 「鶯語 々

漸 稀」などの本文があるようであり、鶯の声が少しずつ稀になることを意味する表現という点では一 致していると見てよい。

  本釈論はこの句題を校訂することをしなかった。原拠詩どおりの異本系の句題は、初夏に鶯の声が滑らかになることをいうのに対し て、歌は稀になる鶯の声を詠んだものであるから、内容的には正反対となり、そのままではとても認めえない。とすれば、この白詩を 原 拠 詩 と 認 定 す る こ と 自 体 に 問 題 が あ る の か も し れ な い し、 あ る い は も と も と の 白 氏 文 集 の テ キ ス ト の 問 題 な の か も し れ な い。 た だ、 流布本系の句題ならば、和歌は句題に沿って詠まれたと見ることができることから、それらの問題については留保することにした。

  実際に、夏になって、鶯の鳴き声がどう聞こえたかという問題も背景にはある。二三番歌の句題原拠詩も白氏文集の五言律詩「病中 書事」詩(巻五十三・二三三九)であり、句題は「鶯多過春語」であって、 「鶯声渋漸稀」のほうに近いのである。

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一二

  この詩は「春末夏初」と詩題にあるように、その時期の情景を中心に描いたものであり、前半にはさまざまな自然素材が取り上げら れている。ただし、夏歌の素材としてふさわしいものは見出しがたい。千里がこの詩句に注目したのは、初夏にも鶯が詠まれていると いう点ではなかったかと考えられる。その鳴き方の如何は別として。

  句題と歌との関係では、 句題の「鶯語」に歌の初句の「うぐひす」と第三句の「なくこゑ」 、 同じく「漸」に「いまは」 、「稀」に「ま れら」 がほぼ相当し、 句題の表現全体を歌がカバーしている。ただし、 「漸」 と 「いまは」 は時間に関わるという点で関連しあうが、 「漸」 が推移を表すのに対して、 「いまは」はその結果を示すという点で違いがあり、それは歌に付加された表現と連動した改変であろう。

  歌 で 加 え ら れ た の は、 第 二 句 の「 と き な ら ね ば や 」 と 結 句 の「 な り ぬ べ ら な る 」 で あ る。 「 と き な ら ね ば や 」 は 句 題 の 表 す 事 態 の 原 因 を 示 す も の と し て、 「 な り ぬ べ ら な る 」 は そ の 原 因 の 推 量 の 確 か ら し さ を 示 す も の と し て 補 わ れ た と 見 ら れ る。 そ し て、 本 集 の 歌 の 大方がそうであるように、そのように付加・補足された部分に、歌の眼目が据えられる。当歌の場合は、 【補注】 に述べたように、 「と きならねばや」という原因設定がまさにその眼目に当たる。

餘華葉裏稀(餘華、葉の裏に稀なり)

二六   ちりまがふ花はこのはにかくされてまれににほへる色ぞともなき

【通釈】   散り乱れる花は木の葉に隠されて、まれにでさえ照り映える美しい色らしきものもない。 【語釈】 ちりまがふ   散り乱れる、しきりに散るの意。 「梅の花 散り紛ひ (知利麻我比)たる 岡

辺 にはうぐひす鳴くも春かたまけて」 (万葉集・ 五・八三八・榎氏鉢麻呂) 、「 ちりまがふ 色をみつつぞなぐさむる雪のかたみの桜なりけり」 (貫之集・四一二) のように、 花の他、 紅葉、

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釈論大江千里集(七) 一三 雪についていうことが多い。本集では二首(四・二六)に見られ、どちらも花について用いられている。 花はこのはに   初句から続く「ちりまがふ花は」が、一首の主題を成す。 「このは(木葉) 」は、夏に繁った葉をいう。散る花は春、繁 茂 す る 葉 は 夏 の 景 物 で あ る た め か、 両 者 が と も に 詠 ま れ る 用 例 は ほ と ん ど な く、 平 安 時 代 中 期 頃 ま で は、 「 花 ち り し 庭 の 木 葉 も し げ り あ ひ て あ ま て る 月 の 影 ぞ ま れ な る 」( 好 忠 集・ 三 八 一、 新 古 今 集・ 三・ 夏・ 曾 禰 好 忠・ 一 八 六 ) が あ る 程 度。 し か も、 こ の 歌 の「 花 ち り し 庭 」 と い う 表 現 か ら は 花 が 散 る の は 過 去 の こ と で、 繁 茂 す る 葉 と 同 時 の も の と し て 詠 ま れ て い る わ け で は な い。 「 緑 の 葉 」 と い う 表現で、 「にほひつつ ちりにし 花ぞおもほゆる夏は緑の葉のみしげれば」 (後撰集・四・夏・一六五) 、「 惜まれし 梢の花は 散り果てて 厭 ふ緑の葉のみ残れる」 (栄花物語・根あはせ・女院〔彰子〕 ・五一一)のように、花とともに詠まれた用例がわずかに見えるが、花の散 ることと葉の繁ることには時期的ズレがあって、当歌のような、同時の事態ではない。 まれににほへる 認められなくもない。 【補注】 参照。 なるのは他者の意図性の関与の有無であり、他動詞の受身形の場合は、その意図性が感受されることもある。当歌においても、それは 対応する自動詞と他動詞( 「かくる」と「かくす」 )の関係において、自動詞と、他動詞の受身形とは意味的にかなり近接的である。異 て「 (青)葉隠れ」の形をとる。つまり、 「花が葉に隠る」であって、 当歌のように「花が葉に隠される」という認識ではない。ただし、 あ を 葉 が く れ に は な や の こ る と 」( 万 代 和 歌 集・ 二・ 春 下・ 四 六 三・ 藤 原 実 国 ) と い っ た、 葉 に 隠 れ る 花 が 少 数 な が ら 検 索 で き、 す べ 有 り け る 」( 月 詣 和 歌 集・ 三・ 三 月・ 二 一 六・ 藤 原 実 家 )、 「 二 条 院 御 時、 尋 残 花 と い ふ こ と を / や ま ふ か み な ほ た づ ね ゆ け お の づ か ら ましや(続詞花集・二・春下・八四・静厳法師) 、「残花留人といふ事をよめる/ はがくれ にひとえだのこる 花 みては心もちらぬ物にぞ る 」 に 絞 れ ば、 平 安 時 代 後 期 に は、 春 の「 残 花 」 題 の も と、 「 尋 残 花 心 を よ め る / ち り ぬ と て 尋 ね ざ り せ ば 山 桜 あ を ば が く れ の 花 を 見 行く水の音聞きしより常忘らえず」 (万葉集・十一・二七一一) の 「木の葉がくる」 の例を挙げる。他動詞 「隠す」 に対する自動詞 「隠 夕 闇 の 木 の 葉 隠 れ る( 木 葉 隠 有 ) 月 待 つ ご と し 」( 万 葉 集・ 十 一・ 二 六 六 六 ) の「 木 の 葉 ご も る 」、 「 奥 山 の 木 の 葉 隠 り て( 木 葉 隠 而 )   「 隠 す 」 + 受 身 の 助 動 詞「 る 」 + 接 続 助 詞「 て 」。 全 釈 は、 同 表 現 が 他 に 検 索 し え な い と し て、 「 妹 が 目 の 見 ま く 欲 し け く

  「まれに」

が直続する 「にほへる」 にかかるとすれば、 他に用例を見出しえない。通常 「にほふ」 という状態について、 その回数の多寡が問題になることがないからだろう。本集では、他に二九番歌に「ふく風にえだもむなしくなりゆけばおつるはなこそ

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一四

ま れ に み え け れ 」 と あ り、 「 お つ る は な 」 に つ い て「 ま れ に み え 」 る と す る。 類 似 の 表 現 に「 ま れ ら な り 」 が あ り、 一・ 二 五 番 歌 で 鶯 の 声 に つ い て 言 う。 「 に ほ ふ 」 は、 四 番 歌 も「 ち り ま が ふ 」 花 に 関 し て 用 い ら れ て い る。 四 番 歌 は 視 覚、 嗅 覚 双 方 の 意 味 を 表 す が、 当 歌は「まれににほへる」が次句頭の「色」を修飾し、かつそれが「このはにかくされて」というのであるから、視覚的な用法に限定さ れよう。 「にほふ」については、四・五番歌 【語釈】 該項参照。 色ぞともなき

  「色」+「ぞ」

(係助詞)+「と」 (格助詞)+「も」 (係助詞)+「なし」 (形容詞) 。この「色」は文脈からは「ちりま が ふ は な 」 の 色 で あ り、 そ れ が「 ま れ に 」 も「 な き 」 な の で あ る か ら、 ま っ た く 見 ら れ な い と い う こ と に な る。 「 と も な し 」 は 連 語 と し て、 「 体 言 あ る い は そ れ に 準 ず る 句 に つ い て、 そ の よ う に 限 定 す る わ け に は い か な い 状 態 で あ る さ ま を 表 す 」( 『 日 本 国 語 大 辞 典 』 第 二版)ということから、花の色らしきものさえも見られないという強調になる。 【補注】

  当歌に詠まれた花木は特定しえない。桜ならば自生の山桜系であったとしても、花の咲き散る時期と葉の繁茂する時期は分かれてい るので、当歌のような状況にはなりえない。それ以外の、歌に詠まれる春の花木を考えてみても、散る花を覆い隠すほどに葉が繁茂す るようなものは見出しえない。とすれば、当歌は句題から喚起された、あくまでも仮想上の状況設定と考えざるをえない。

  散 る 花 に「 に ほ ふ 」 と い う 美 を 見 い だ す と い う 発 想 は な く も な く、 「 さ く ら の 花 の ち る を か き あ つ め て よ さ ぶ ら ひ に お か せ た ま へ り け る を み て、 び は の お と ど / ち る 匂 ひ あ だ な る 物 と い ふ な れ ば か く て の み こ そ み る べ か り け れ 」( 兼 輔 集・ 一 五 ) や「 お ほ ぞ ら に ち り に し は な や に ほ ふ ら ん く も の は る と も 見 ゆ る よ ひ か な 」( 小 大 君 集・ 四 ) な ど の 例 は あ る。 し か し、 か り に 当 歌 が そ う い う 状 況 を ふ ま えたとしても、それさえ否定しているのであるから、類似例とはみなしがたい。

  第 二 句 か ら 第 三 句 に か け て の「 こ の は に か く さ れ て 」 と い う 受 身 表 現 は、 「 こ の は 」 が わ ざ と そ う し て い る と い う 意 図 性 が 含 ま れ て いる。それは、詠み手としては「まれに」であっても「にほへる色」を見たいのにもかかわらずという思いの投影である。つまり、木 の葉のせいで、それが見られないという恨みの気持が示されていることになる。

  漢詩では夏の緑陰を好んで歌うが、古今集成立前後にはそのような美意識の表れはほとんど見出せない。松や柳のような例外はある ものの、あくまでも植物に対する一般的な関心の中心は葉でなく花にある。当歌が、 「このは」ではなく、 「ちりまがふはな」に対して

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釈論大江千里集(七) 一五 も、 「 に ほ へ る 色 」 を 求 め て い た と す れ ば、 そ れ は そ の よ う な 関 心 の あ り よ う を デ フ ォ ル メ し て み せ た も の と 捉 え る こ と が で き よ う。 その成否はともかくとして。 【比較対照】   この句題は、原拠詩未詳であるため、句題と歌の関係のみを取り上げる。   関係し合うのは、句題の「餘花」と歌の「ちりまがふ花」 、句題の「葉裏」と歌の「このはにかくされて」 、句題の「稀」と歌の「ま れ」であり、句題の表現全体が歌に生かされている。しかし、 「稀」と「まれ」以外は、そのままの対応とは言えない。

  「餘花」は散り残って、まだ枝に付いている、残り少ない花のことであるから、

「ちりまがふはな」ではない。ただ、状況として、一 方で散る花があり、もう一方でまだ散らない花があるとすれば、そういう状況に対する視点の置き方の違いと考えることができる。つ ま り、 散 り 残 る 花 の ほ う に 注 目 し た の が 句 題 で あ り、 散 っ て い る 花 の ほ う に 注 目 し た の が 当 歌 で あ る。 「 葉 裏 」 つ ま り 葉 の 陰 に 対 す る 「このはにかくされて」は、名詞的な表現を動詞的な表現に置き換えたものであろう。

  歌 で 付 加 さ れ た の は、 下 句 の「 ( ま れ に ) に ほ へ る 色 ぞ と も な き 」 で あ る。 句 題 の「 稀 」 は 少 な い な が ら も そ の 存 在 が 認 め ら れ る の に対して、歌では最後に「なき」を持って来ているので、 「まれ」であることも否定することになる。

  句題は、原拠詩の、おそらくは情景の一つの描写であろう。歌はそれに趣意を添えて一首と成すのであるが、当歌の場合、夏歌とし ての趣意が読み取りがたい。付加された表現は、焦点が置かれた花に関する否定的な詠みぶりを示していて、葉の繁茂するさまを好意 的に示しているとは取れない。そこには、鶯歌がそうであったように、肝心の夏よりも春を愛おしむ感がある。

春尽啼鳥廻(春尽きて啼鳥廻る)

二七   かぎりとてはるのすぎにし時よりぞなくとりのねのいたくきこゆる

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一六

【通釈】   春の終わりということで、春が過ぎてしまった時からまさに、鳴く鳥の声が痛切に聞こえることであるよ。 【語釈】   当 歌 の「 か ぎ り 」 は、 時 間 的 な 限 界、 最 終 の 意。 一 六 番 歌 該 項 参 照。 一 六 番 歌 で は、 「 た だ あ け む あ し た ぞ か ぎ りなるべき」のように、その最後の日が特定されている。当歌も同様と考えられるが、一六番歌は春歌であるからまだしも、当歌は夏 歌の六首目に当たり、まだ三月尽日をひきずっているのはいささか腑に落ちない。 「とて」は、 「AとてB」で、Bという行動の原因・ 理由がAにあることを表す。当歌の「かぎりとて」は直近の第二句「はるのすぎにし」を修飾すると捉えられる。赤人集の同歌につい て、和歌文学大系本も「もう最後だと春が去ってしまった時から」と訳してあり、第二句を修飾したものとみなしている。春が過ぎて し ま っ た の は「 か ぎ り 」 つ ま り 暦 日 上 の 区 切 り に よ る。 「 か ぎ り と て 」 は 結 句 の「 い た く き こ ゆ る 」 に か か る と と れ な く も な い が、 右 に 述 べ た よ う に、 三 月 尽 日 か ら し ば ら く 経 過 し て い る と い う 点 か ら は そ ぐ わ な い。 「 か ぎ り と て 」 は 平 安 時 代 に 十 首 ほ ど 用 例 が 見 え る が、 「 かぎりとて ながむるそらにこがらしのかぜふきはつるあすやまたるる」 (一条摂政御集・七二) 、「 かぎりとて 別るる道の悲しきに い か ま ほ し き は 命 な り け り 」( 源 氏 物 語・ 桐 壺・ 一・ 桐 壺 更 衣 ) と、 そ の ほ と ん ど は 初 句 に 置 か れ る。 本 集 に は 他 に「 か ぎ り と て の べ のはるかにみえつればたつしらくももふかくぞありける」 (八九)もあるが、こちらは空間的な意。 はるのすぎにし   本集の同じ夏部の二三番歌に「すぎにし春」の句があった。同 【語釈】 該項参照。 時よりぞ   「時」は、

「はるのすぎにし」を受ける。 「はるのすぎにし時」とは、三月尽日がすでに終わった時点をいう。二三番歌同様、 過 去 の 助 動 詞「 き 」 は、 「 け り 」 と 違 っ て 現 在 と の 断 絶 性 に 重 点 が あ り、 三 月 尽 日 を 現 在 と は 切 り 離 さ れ た 過 去 と 認 識 し、 さ ら に 格 助 詞「 よ り 」 に よ っ て 時 間 的 起 点 か ら の 経 過 が 示 さ れ て い る の で あ る か ら、 当 歌 の 詠 歌 時 が す で に 夏 で あ る こ と が 明 ら か で あ る。 「 は る のすぎにし時より(ぞ) 」は、結句の「いたくきこゆる」にかかる。 なくとりのねの

  「なくとり

(鳴く鳥) 」 は、 万葉集に 「朝日照る佐田の岡 辺

に 鳴く鳥 (鳴鳥) の夜泣き 反

かへ

らふこの年ころを」 (万葉集・ 二・ 一 九 二・ 草 壁 皇 子 舎 人 )、 「 高 座 の 三 笠 の 山 に 鳴 く 鳥 ( 鳴 鳥 ) の 止 め ば 継 が る る 恋 も す る か も 」( 万 葉 集・ 三・ 三 七 三・ 山 部 赤 人 ) な ど 十 例 余 り、 本 集 に も 当 歌 も 含 め 三 例( 二 七・ 三 ○・ 五 一 ) あ る が、 平 安 時 代 の 用 例 は 少 な い。 「 な く と り 」 と い う 表 現 だ け で は、

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釈論大江千里集(七) 一七 そ れ が ど ん な 鳥 か は 特 定 し え な い( た だ、 挙 例 の 赤 人 歌 は そ の 長 歌 か ら「 か ほ 鳥 」 と 知 れ る )。 赤 人 集 に お け る 同 歌 に 関 し て、 和 歌 文 学 大 系 本 の 注 で は、 こ の 鳥 を 鶯( 残 鶯、 老 鶯 ) と し、 「 春 へ の 惜 別 の 思 い を 鳥 も 抱 い て か、 春 が 過 ぎ た 後 に 前 よ り も っ と 鳴 き た て て い るように聞こえる、という心」を詠むとする。この点については、 【補注】 参照。

【補注】 る程度ではないと考える。 声がはなはだしく聞こえる」と解している)が、当歌では「こゑ」ではなく、情感性を込めた「ね」が用いられている点からも、単な にぞありける」に照らせば、当歌も声の多さ(頻度)を「いたく」で表しているとみなすのが順当かもしれない(全釈では「鳴く鳥の 聞く側の受ける痛切感のほうが表立っていると見られる。先行する二三番歌「うぐひすはすぎにし春ををしみつつなくこゑおほきころ 容詞としての苦痛の意も重ねられていよう。当歌の場合は、 「なく」ではなく「きこゆ」であるから、 「いたく」は鳴き方の程度よりも る用例は見出せない。これらの「いたく」は鳴き方の甚だしさ(声の大きさであれ頻度であれ)を表す程度副詞ととられているが、形 二・夏・一二〇・大伴坂上郎女)などのように、 「なく」という動詞の禁止表現とともに用いられるのが普通であり、 「きこゆ」にかか ぞまされる」 (古今集・四・秋上・一九六・藤原忠房)や「郭公 いたく ななきそひとりゐていのねられぬにきけばくるしも」 (拾遺集・ 甚 だ し い の 意 の 程 度 副 詞 と し て も、 上 代 か ら 用 い ら れ る。 鳴 き 声 に 関 わ る 例 と し て は、 「 蟋 蟀 い た く な な な き そ 秋 の 夜 の 長 き 思 ひ は 我   「 い た く 」 は 形 容 詞「 い た し 」 の 連 用 形 で あ る が、 本 来 の 形 容 詞 と し て の 苦 痛 な さ ま の 意 味 か ら、 動 詞 を 修 飾 す る、

  当 歌 を 句 題 と 切 り 離 し て 考 え て み た 場 合、 で も 触 れ た よ う に、 疑 問 と な る こ と が 二 点 あ る。 一 つ は、 夏 歌 な の に、 な ぜ こ れ ほど三月尽日にこだわったのかという点、もう一つは、鳥の鳴き声をどのように受け止めたのかという点である。

  一つめについては、 二三番歌 【補注】 でも取り上げたが、 それは夏歌のまだ二首目である点を考えれば、 理解できなくはないものの、 二五番歌そして当歌まで及ぶとなると、夏歌としては常軌を逸しているのではないかということである。二つめについては、惜春の思 いを鳥と共有するととるのが一般的であろうが、二三番歌のようにそれを明示しているわけではないので、夏歌としては別の捉え方を する必要があるのではないかということである。

  で も 触 れ る よ う に、 当 歌 の「 な く と り 」 は 鶯 で あ る 蓋 然 性 が 高 い。 何 よ り、 夏 歌 と し て 二 三 番 歌 に も 二 五 番 歌 に も「 う

(19)

一八

ぐひす」が出て来るのであるから、一連の歌として位置付けられる。鶯は留鳥であり、春先から夏まで鳴き声が聞かれる。繁殖期は初 夏であり、その頃にもっともよく鳴くという。このような生態を知っていたかどうかはともかくとして、実際に夏になっても鶯の鳴き 声は聞かれていたはずである。 ただ、 歌の素材としてはあくまでも春であり夏ではなかったというだけである。 千里が目を付けたのは、 まさにそこだったのではないか。つまり、季節歌材としての鶯の見直しである。

  当歌第三句の「時よりぞ」の「ぞ」に注目したい。この「ぞ」が強調するのは、春が終る以前ではなく以後という点である。愛惜で あれ哀惜であれ、その対象として鶯の鳴き声が取り上げられるのは春という当時の常識に対して、むしろ夏のほうにこそ情感に訴える ものがあることを言わんとしたのである。当歌下句に用いられた「ね」や「いたく」はそういう意味での措辞であり、惜春の思いとは 無縁の、夏そのものにおける新たな歌材としての鶯の可能性を示そうとしたと考えられる。

  なお、赤人集に「かぎりとてはるのすぎにしときよりぞなくとりのねもいたくきこゆる」 (五二)とあり、第四句末助詞が異なる。 【比較対照】

  当句題の原拠詩も未詳であるため、句題と歌の関係のみを取り上げる。

  表 現 と し て は、 句 題 の「 春 尽 」 に は 歌 の「 は る の す ぎ に し 時 」、 同 じ く「 啼 鳥 」 に は「 な く と り 」 が そ の ま ま 対 応 す る が、 句 題 最 後 の「 廻 」 に は 対 応 語 が 見 ら れ な い( 異 本 系 統 書 陵 部 本 に は「 急 」 と あ り、 そ れ な ら ば 結 句 の「 い た く き こ ゆ る 」 と 結 び 付 け う る が )。 歌 の「 時 よ り 」 の「 よ り 」、 「 と り の ね 」 の「 ね( 音 )」 は、 句 題 の 表 現 を 補 っ た も の で あ ろ う。 句 題 に 関 係 な く、 新 た に 付 加 さ れ た の は 初 句 の「 か ぎ り と て 」 と 結 句 の「 い た く き こ ゆ る 」 で あ る。 た だ し、 「 か ぎ り 」 の ほ う は「 は る の す ぎ に し 時 」 を 言 い 換 え、 重 ね る ことにより強調するためとも考えられる。

  句題だけを見る限りでは、 「啼鳥」は夏の鳥とも想定しうる。たとえばホトトギスであり、 「廻」という移動動詞はそれに似つかわし い。古今集にも、 「けさきなき いまだたびなる郭公 花たちばなにやどはからなむ」 (古今集・三・夏・一四一) 、「 ほととぎすながなくさ と の あ ま た あ れ ば 猶 う と ま れ ぬ 思 ふ も の か ら 」( 古 今 集・ 三・ 夏・ 一 四 七 ) な ど の よ う に、 そ の 顕 著 な 移 動 性 が よ く 詠 ま れ て い る か ら である。

  しかし、千里は「かぎりとて」という理由を添えることによって、その可能性をあっさりと排除した。不思議なことに、新撰万葉集

(20)

釈論大江千里集(七) 一九 では二一首中の一一首、古今集では三四首中のじつに二八首にも、夏歌にホトトギスが詠まれているのにもかかわらず、本集の夏歌に は 一 首 も 見 ら れ な い( 本 集 最 後 の、 句 題 の な い 詠 懐 部 に 一 首 あ る の み )。 そ も そ も 漢 詩 で は ホ ト ト ギ ス を 詠 む 例 が 少 な く、 適 例 が 見 当 たらなかったからかもしれないが、あえて避けたとしか考えようがない。   夏の鳥ではなく春の鳥となれば、先述のように、鶯が第一候補となる。というよりも、春の鳥一般ということも、鶯以外の個別の鳥 ということも、鳴き声が取り立てられるかぎり、古代和歌においては想定できないのである。   句 題 と の 関 係 で も っ と も 問 題 に な る の は、 付 加 さ れ た 結 句 で あ る。 句 題 の「 廻 」 字 か ら は「 い た く き こ ゆ る 」 は 導 か れ よ う が な い。 それはおそらく、 「啼鳥」を鶯と同定したことにともなう改変であろう。千里にとって、 「春尽啼鳥廻」という句題は、その限定性・特 定性の緩さによって、彼の果敢な意図を表現するのに、都合が良かったのではないかと推測される。

蓮開水上紅(蓮開きて水上紅なり)

二八   あきならではちすひらくる水のうへはくれなゐふかき色にぞありける

【通釈】   (紅葉の色が映える)秋ではないのに、蓮の花が開く水の面は、紅の濃い色であることよ。

【語釈】 あきならで   底本は「あき」のあと空白。流布本系統の文保奥書本系八本の「ならで」を補う。校訂については、 【補注】 参照。 「あき ( 秋 )

+

な り〔 助 動 詞 〕

+

で 〔 接 続 助 詞 〕」 。「 で 」 は 、 上 接 語 の 「 あ き な り 」 と い う 状 態 を 打 ち 消 し て 、 そ の 状 況 の も と に 、 第 二 句 以 下 全体の表す事態が存在することを示すのにつなげる。構文的には、直近の第二句「はちすひらくる」のみを修飾することも考えられる が、 蓮の花は夏から咲くので、 それでは当たり前のことを示すに過ぎなくなるので、 採らない。 「あきならで」という句は、 平安時代に、

(21)

二〇

「 秋ならで あふことかたきをみなへしあまのかはらにおひぬものゆゑ」 (古今集・四・秋上・二三一・藤原定方) 、「 秋ならで おく白露は ねざめするわがた枕のしづくなりけり」 (古今集・十五・恋五・七五七)など四例ほど見え、 どれも当歌同様、 初句に置かれる。 【補注】 参照。 はちすひらくる

  「はちす」は「はす(蓮)

」の古名で、歌語化したと見られる。その実が蜂巣に似ていることに由来するという。蓮は 仏教との関わりが深く、和歌でも「 はちすば のにごりにしまぬ心もてなにかはつゆを玉とあざむく」 (古今集・三・夏・一六五・遍昭) のように、法華経の文言をふまえた仏教的な要素を込めて詠まれることが多い。もっとも、それは平安時代になってからのことで、万 葉集では、 「 蓮

はちすば

葉 (蓮葉) はかくこそあるもの 意

呂 が家なるものはうもの葉にあらし」 (万葉集・十六・三八二六・長忌寸意吉麻呂) 、 「ひさかたの雨も降らぬか 蓮

はちすば

葉 (蓮荷)に溜まれる水の玉に似たる見む」 (万葉集・十六・三八三七)などのように、植物そのものとし て詠まれている。当歌にも、仏教的な背景は認められない。また、如上の例からも明らかなように、取り上げられるのはもっぱらその 大きな葉であり、花ではない。当歌では、 「ひらくる」は下二段活用の自動詞「ひらく(開) 」の連体形であるから、その主語は蓮の花 以外にはなく、希少例となる。   第 二 句 を 受 け て、 一 首 の 主 題 と な る。 場 所 で あ る「 水 の 上 」 は 格 助 詞「 に 」 が 下 接 す る こ と が 多 く、 「 は 」 を 下 接 し 主 題 となるのは珍しい。万葉集に「そらみつ   大和国は   水の上は (水上波)   地

つち

行くごとく   船の上は   床に居るごと……」 (万葉集・十 九・孝謙天皇・四二六四)があるが、点線部と対句をなす対比の用法であり、それ以降は、鎌倉時代の「 水のうへは くもまの月の心ち して[     ]かげぞさやけき」 (弁内侍日記・二四九・少将内侍)まで下らないと用例が見られない。 「うへ」を字義どおり水上と捉 え れ ば、 当 歌 は、 水 上 に 開 花 し た 蓮 花 そ の も の を 詠 む こ と に な る が、 「 水 の 上 ( 水 上 ) に 数 書 く ご と き 我 が 命 妹 に 逢 は む と う け ひ つ る かも」 (万葉集・十一・二四三三) 、「流れての世をもたのまず 水のうへ のあわにきえぬるうき身とおもへば」 (後撰集・十五・雑一・一 一一五・大江千里)など、 「水の上」で水面( 「水の 面

おも

」)を意味する用例も多数ある。当歌は、 【補注】 に示す捉え方から、水面の意と とる。なお、 「水の上」あるいは「水の面」と「はちす」 「はす」がともに詠まれた用例は検索しえない。 くれなゐふかき

  「くれなゐ」は鮮明な赤色、

「ふかし」は、その紅色が濃いさまを表す。 「くれなゐ」と「ふかし」との組み合わせは、 万葉集から「 紅 に 深く (紅尓深)染みにし心かも奈良の都に年の経ぬべき」 (万葉集・六・一○四四)などと見られるが、 「くれなゐふ

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釈論大江千里集(七) 二一 かき」という一句の形は、 「もみぢばのながれてとまるみなとには 紅深き 浪や立つらむ」 (古今集・五・秋下・二九三・素性) 、「もみぢ ば の く れ な ゐ ふ か き 色 み れ ば み な そ こ ま で や し も は お く ら ん 」( 清 正 集・ 三 二 )、 「 し ろ た へ に に ほ ふ も あ か ぬ 梅 の 花 く れ な ゐ ふ か き い ろ さ へ ぞ 見 る 」( 元 真 集・ 一 一 七 ) な ど の よ う に、 平 安 時 代 に な っ て か ら 見 ら れ る よ う に な り、 挙 例 の 清 正 集 歌 や 元 真 集 歌 の よ う に、 当歌と同じ「紅深き色」という表現もある。 「くれなゐ(紅) 」は、 多く衣服、 紅葉、 花(特に紅梅)などの色の形容として詠まれるが、 蓮花については少ない。蓮の花の色の実際は、淡紅色いわゆるピンク色が一般的であって、当歌のような「くれなゐふかき色」とは言 いがたい。おそらくは他の色(葉の緑色や露の白色)とのコントラストにおいてであろう。 色にぞありける

  「色

(いろ) 」 は上接の 「くれなゐふかき」 を受ける。 「にぞありける」 の 「ぞ」 を抜いた 「にありけり」 の表現価値は、 「なりけり」と同じであり(二三番歌 【語釈】 該項参照) 、当歌も「……は……なりけり」の構文となる(一二番歌 【補注】 参照) 。 【補注】

  【語釈】 「あきならで」の項で触れたように、底本では初句に脱落がある。 「釈論(一) 」の凡例で示したように、できるだけ校訂を避 けて考察するのが基本方針ではあるが、異文はともかく、明らかな脱落は補う必要がある。

  蔵中校本によれば、初句については、流布本系統「四月廿五日」本系の文保奥書本系すべてが「秋ならて」とする(そのうち多和文 庫本は本行本文「秋ならて」の左に「ちかく」と傍書) 。また、同「四月廿七日」 (為忠筆)本系のCに分類される大阪市立大学森文庫 本、 ノ ー ト ル ダ ム 清 心 女 子 大 本 が 空 白 部 分 に「 ち か く イ 」、

`

C の 天 理 図 書 館 本 が 空 白 部 分 に「 本 」 と 傍 書、 そ の 右 に「 ち か く イ 」 と 傍 書 す る。 一 方、 異 本 系 統 は「 ち か く 」 と あ る。 「 四 月 廿 五 日 」 本 系 伝 寂 蓮 筆 本 系( 問 題 の 箇 所 は す べ て の 本 文 が 空 白 ) に つ い で、 底 本 に近いとされる文保奥書本系がすべて同じ本文をもつことから、 「秋ならて」と補訂するのが妥当であろう。

  全釈では、 「ちかく」 を補い、 「ならで」 は 「後代の人の手が入ったもの」 とし、 「秋の気配の見える夏深いころ」 と訳す。この解釈は、 蓮の花期が七 ~ 八月であり、旧暦では秋となることを考えると、妥当のようにも思われる。和歌において蓮が詠まれるのはもっぱら夏 であるが、漢詩では夏だけでなく秋にも詠まれることがある。

  ただ、本集四季部のそれぞれの歌配列は必ずしも時期の経過に沿ったものとは言えないものの、当歌は夏部の中ほどに位置し、少な く と も そ の 配 列 か ら は 積 極 的 に 晩 夏 を 詠 む と は み な し が た い。 ま た、 「 秋 な ら で 」 と「 秋 近 く 」 で は、 夏 と 秋 の ど ち ら の 季 節 に 重 点 を

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二二

置くかが異なり、 前者は夏、 後者は秋であって、 当歌を夏歌とする限り、 前者のほうがより適切であろう。さらに、 歌の趣向としても、 秋が近いという実際的な状況よりも、まだ秋ではないにもかかわらずという反実的な状況を設定したほうが千里の意図により適ってい ると見られる。

照) 。 が 散 り 敷 く こ と に よ っ て で あ る と い う イ メ ー ジ が 成 り 立 っ て い た と い う こ と で あ る( 蔵 中 さ や か「 二 句 題 の 出 典 詩 の 発 見 」 前 掲 書 参 秋 下・ 二 九 四・ 在 原 業 平 ) な ど の よ う に、 そ の こ と が 示 さ れ て い る。 つ ま り、 「 く れ な ゐ ふ か き 色 」 に な る の は、 水 面 一 面 に 秋 の 紅 葉 とには 紅深き浪やたつらむ 」(古今集・五・秋下・二九三・素性) 、「ちはやぶる神世も聞かず竜田河 唐紅に水くくるとは 」(古今集・五・ な ぜ な ら、 秋 な ら ば、 そ の 事 態 が 想 定 し う る か ら で あ り、 そ れ は 紅 葉 に よ っ て で あ る。 古 今 集 に は、 「 も み ぢ ば の な が れ て と ま る み な   「 秋 な ら で 」 と い う 打 消 し は、 第 三 句 以 降 の「 水 の う へ は く れ な ゐ ふ か き 色 に ぞ あ り け る 」 と い う 事 態 の 発 見 の 意 外 性 と 結 び 付 く。

  当歌は、そのイメージを裏切って、まだ夏でありながらも、同じ事態が生じること、それが蓮の紅い花によってであることをアピー ルする。そこには、 「みわたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の錦 なりける 」(古今集・一・春上・五六・素性)が、紅葉を秋の山の錦と する共通認識に対する、柳と桜とを春の都の錦として発見するのと同様に、秋の紅葉に紅く染まる水に対する、夏の蓮花に紅く染まる 水という発見があったのである。

  千里集歌の特徴の一つとして、内容の抽象性があり、その一例として、詠み込まれた花の中でその種類が特定できる歌が当歌を含め て二例しかないことが挙げられている(津田潔「 『大江千里集』に於ける白詩の受容について」 『國學院雑誌』八○巻二号   一九七九年 参 照 )。 当 歌 以 外 の 歌 と は「 や ま ご と に 萩 の に し き を を れ ば こ そ み る に こ こ こ ろ の や す き 時 な し 」( 九 〇 ) だ が、 流 布 本 系 統 で は「 萩 」 は「はな」とあって、異文はない。とすれば、伝寂蓮筆本では当歌が本集唯一の種類を特定して詠む花の歌ということになる。それに は、季物に対する新発見を示すという、それなりの必然性があったということである。

  な お、 赤 人 集( 五 三 ) に も 同 歌 が 載 る が、 初 句「 あ き ち か く 」、 第 二 句「 は ち す も ひ ら く 」、 第 三 句「 み づ の お も に 」、 結 句「 い ろ ぞ みえける」と、異なりが見られる。

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