釈論大江千里集(四)
著者 小池 博明, 半澤 幹一
雑誌名 長野工業高等専門学校紀要
巻 53
ページ 1‑10
発行年 2019‑06‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1051/00001047/
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長野工業高等専門学校紀要第 53 号(2019) 1-10
釈 論 大 江 千 里 集
( 四
)
〔前 説〕 古今 集以 前に 成立 した と見 られ る『 大江 千里 集』
(別 名『 句題 和歌
』) は、 大江 千里 一人 によ っ て詠 まれ 編ま れた
、漢 詩一 句を 歌題 とし た、 日本 最初 の和 歌集 であ る。 この 歌集 は句 題と いう 形 式を とる こと から
、そ の試 みと して の文 学史 的な 評価 は唱 えら れる もの の、 歌そ のも のは 句題 を 直訳 した だけ の、 生硬 稚拙 なも のと いう 低い 評価 がさ れて きた
。 本稿 は、 その よう な画 一的 な評 価を 疑問 とし
、改 めて 句題 と和 歌と の関 係や 和歌 の表 現史 的位 置づ けを 一組 ずつ 検討 する こと を通 して
、正 当な 評価 を行 うた めに
、新 たな 注釈 を施 すも ので あ る。
「正 当」 とい うこ とば の意 味は 二つ ある
。一 つは
、歌 単独 とし て見 たと き、 当時 の評 価基 準に 照ら して
、出 来の 如何 に違 いの ある こと を明 らか にす ると いう こと であ り、 もう 一つ は、 句題 あ って の歌 であ るか ら、 両者 の関 係の 如何 を見 極め るこ とが
、本 集の 趣旨 を考 える うえ で、 もっ と も重 要な こと であ ると いう こと であ る。 なお
、本 注釈 の目 的と 意義 の詳 細、 およ び先 行研 究の 整理 や注 釈の 凡例 など は、 旧稿 の「 釈論 大江 千里 集( 一)」 を参 照さ れた い。 今回 は11
から 13 を取 り上 げる
。
落尽 閑華 不見 人( 落尽 する 閑花 は人 を見 ず) 11 あと たえ てし づけ き山 にさ く花 のち りは つる まで みる 人も なし
【通 釈】 人の 訪れ がな くて
、静 かな 山に 咲く
(春 の) 花が
(す べて
)散 り終 わる まで
、( その 花を) 見る 人( は誰
)も いな い。
小 池 博 明 半 沢 幹 一
【語 釈】 あと たえ て「
あと たえ て」 は、 跡つ まり 人跡 が絶 えて の意 であ り、「
しら 山に 雪ふ りぬ れば あと たえ て今 はこ しぢ に人 もか よは ず」(
後撰 集・ 八・ 冬・ 四七
○) のよ うに
、そ れま であ った 人の 往 来が 途絶 える とい う意 味と
、「 あと たえ てと ふひ とも なき 山ざ とに われ のみ みよ とさ ける うの は な」(
後拾 遺集
・三
・夏
・藤 原通 宗・ 一七 一) のよ うに
、も とも と往 来が ない とい う意 味と があ る。 後撰 集の 例の よう に、
「雪」
と組 み合 わさ れる こと が多 く、 その 場合 は、 積雪 によ って 往来 がで きな くな るこ とで ある が、 当歌 は、 後者 の意 味で あろ う。 それ は、 直接
、往 来を 阻害 する 要因 が 示さ れて いな いと いう 点、 そし て、「
とふ 人も あら じと 思ひ し山 ざと に花 のた より に人 め見 るか な」
(拾 遺集
・一
・春
・五 一・ 清原 元輔
)の よう に、 普段 は人 が来 ない 所に も、 花が 咲く 時期 だ けは 花見 にや って くる 人が いる と詠 まれ るこ とが ある とい う点 によ る。 ただ し、 当歌 では
、そ う いう 時期 にさ え訪 れる 人が ない こと を詠 むと いう 点で
、異 色で ある
。な お、 表現 上、
「あ とた え て」 は続 く「 しづ けき
」と 並列 ある いは 修飾 の関 係を 成す と捉 える のが 自然 では ある が、 留意 し たい のは
、挙 例の
「人 もか よは ず」 であ れ「 とふ ひと もな き」 であ れ、
「あ とた えて
」の 後に は、 同じ 事態 を表 わす 表現 が来 て、 一種 の反 復表 現に なっ てい るこ とで ある
。当 歌で もそ れに 相当 す るの は、 結句 の「 人も なし
」で ある
。 しづ けき 山に
「し づけ し」 につ いて は、 本集 三番 歌【 語釈
】「 しづ かな る」 の項 を参 照。 句題 の「 閑華
」の
「閑
」に 対応 する 措辞 と見 られ るが
、句 題で は「 華」 がそ の形 容の 対象 であ るの が 明ら かで ある のに 対し て、 当歌 では 直続 の「 山」 を修 飾し てい ると もと れる し、
「山 にさ く」 と とも に「 花」 を連 体修 飾す ると とれ なく もな い。 句題 との 対応 を考 えれ ば、 後者 のほ うが 適切 で ある もの の、 和歌 とし て句 の分 節を 重視 すれ ば、
「し づけ き山 に」 で切 れる ので
、「 山」 の形 容 とと るの が穏 当で あろ う。 ただ し、
「し づけ し」 とい う語 が「 山」 であ れ「 花」 であ れ、 形容 す
小池博明・半澤幹一
る例 は見 当た らな い。 どち らも それ 自体 とし ては 静か なも ので ある から
、そ の形 容は そも そも 不 要で ある
。あ えて 用い ると すれ ば、 それ 以外 の理 由に よっ て静 かで はな くな るこ とを 前提 とす る 場合 で、 当歌 にお ける その 前提 は、 人の 訪れ であ る。 つま り、
「し づけ き」 とい う形 容は
、初 句 の「 あと たえ て」
、結 句の
「人 もな し」 から 知ら れる よう に、 人の 訪れ がま った くな い状 態を 表 わし てい ると いう こと であ る。 他諸 本お よび 赤人 集で
「山
」が
「や ど」 にな って いる のも
、「 し づけ き」 が他 人の 不在 を示 す場 とし ての ふさ わし さに よる もの であ ろう
。 さく 花の
格助 詞「 の」 は連 体格 では なく 主格 を表 わす
。た だし
、文 末終 止と 呼応 する こと はな いの で、 結び 付く 述語 動詞 とし ては
、第 四句 の「 ちり はつ」
か、 結句 の「 見る
」の どち らか
、あ る いは どち らと もみ なし うる
。「 ちり はつ
」の ほう は意 味的 に「 さく 花」 とな じみ やす いが
、句 題 との 関係 から は「 見る
」と の結 び付 きの ほう が優 先さ れよ う。 ただ し、 類例 を見 るか ぎり では
、
「あ しひ きの 山さ へ光 り咲 く花 の散 りぬ るご とき(
咲花 乃散 去如 寸) 我が 大君 かも」(
万葉 集・ 三・ 四七 七・ 大伴 家持)
、「 今の ごと 心を 常に 思へ らば まづ 咲く 花の 地に 落ち めや も( 先咲 花乃 地尓 将 落八 方)」(
万葉 集・ 八・ 一六 五三
・県 犬養 娘子)
、「 さく はな のち りに しは るは うけ れど も今 日の わか れは なほ ぞか なし き」(
重之 集・ 七一)
など のよ うに
、「 さく 花の
」は
「散 る」 や「 落つ
」の 主格 とな るこ とが 多い
。 ちり はつ るま で
「ち りは つ」 は、 散り 終わ るこ と、 すべ てが 散る こと を意 味す る。 植物 につ い てな らば
、そ のす べて の花 ある いは 葉が 散る こと をい う。 この 句は 当歌 以外 に、 鎌倉 時代 まで に 四例 ほど の用 例し か見 えな い。
「の こり なき いの ちを をし と思 ふか なや どの 秋は ぎち りは つる ま で」(
後拾 遺集
・四
・秋 上・ 二九 四・ 源心)
、「 新院 位に おは しま しし 時、 牡丹 をよ ませ 給け るに よみ 侍り ける
/さ きし より ちり はつ るま でみ しほ どに はな のも とに ては つか へに けり」(
詞花 集・ 一・ 春・ 四八
・藤 原忠 通)
、「 と山 なる まさ きの かづ ら冬 かけ てち りは つる まで ふる 時雨 か な」(
文保 百首
・三 二五 五・ 昭訓 門院 春日)
、「 かぞ ふれ ばけ ふは 廿日 に成 りに けり 山た ち花 の散 りは つる まで」(
百首 歌 建長 八年
・六 五九
・衣 笠家 良) の四 例で あり
、萩
・牡 丹・ 柾葛
・山 橘と いう 植物 の花 ある いは 葉に 関し て用 いら れて いる
。こ のう ち、 詞花 集の 例の よう に「 さき しよ り ちり はつ るま で」 と開 始の 期間 が明 示さ れる 場合 もあ るが
、「 ちり はつ るま で」 だけ でも
、咲 き 始め から の一 定期 間が 想定 され てい る。 一定 期間 とは
、花 なら ば、 一木 一輪 の咲 いて 散る まで と いう 短い 間で はな く、 その 季節 の花 々の 咲き 始め から 散り 終わ るま でと いう こと であ る。 春の
花々 が「 ちり はつ」
こと を詠 む歌 に、
「花 はみ な散 りは てぬ めり 春ふ かき ふぢ だに ちる ない まし ばし みん」(
和泉 式部 集・ 二○)
、「 はる のく れぬ るこ とを いふ に、 おな じ人
/春 とも にゆ くふ なぢ にも 思ふ かな 都の 花は 散り はて ぬら ん」(
公任 集・ 四三 五) など があ る( 公任 集の「 花」 を桜 とす る注 釈も ある が、 詞書
「は るの くれ ぬる こと」
から
、春 の花 とす べき であ る)
。こ こま での 表現 は、 結 句を 修飾 する が、 その 意味 関係 の可 能性 とし ては 二通 りが 考え られ る。 一つ は、
「見 る人 もな し」 とい う句 全体 の表 わす 事態 が咲 き始 めか ら散 り終 わる まで 続い たと いう こと
、も う一 つは
、「 見 る」 のみ を修 飾し て、 最初 から 最後 まで 見続 ける
、つ まり その 間ず っと そこ に居 続け る人 がい な かっ たと いう こと であ る。 初句 の「 あと たえ て」 との 関係 を考 えれ ば、 前者 のほ うが 適切 であ ろ う。 みる 人も なし
用例 はさ ほど 多く はな いが
、結 句の 類型 とし て認 めら れる
。「 わが 心か くさ じば やと おも へど も見 る人 もな しし る人 もな し」(
拾玉 集・ 二○ 五八)
のよ うに
、「 しる 人も なし」 と並 列す る以 外は
、「 うち むれ しこ まも おと せぬ 秋の のは くさ かれ ゆけ どみ る人 もな し」(
後拾 遺集
・ 十九
・雑 五・ 一一 三二
・源 兼長)
、「 むめ の花 さき てか ひな きお きつ なみ たち より てだ にみ る人 もな し」(
躬恒 集・ 一七 一)
、「 我が ため にな るる をみ れば すて ごろ もし ほた れた りと 見る 人も な し」(
一条 摂御 集・ 三六)
、「 小倉 山も みぢ ふり 敷く 谷か げの あと なき 庭は みる 人も なし」(
夫木 和歌 抄・ 三十
・雑
・一 四四 八一
・藤 原為 家) など と、 結句 に見 られ る。 これ らの 例か ら確 認し てお き たい のは
、「 人」 はす べて
「み る」 の対 象で はな く主 体で ある とい う点 であ る。 なお
、こ の句 は、 他諸 本に
「み る人 ぞな き」 とあ り、
「ぞ
」に よっ て「 みる 人」 が特 定・ 強調 され てい る。 それ に 対し て、 底本 の「 も」 は包 括的 な暗 示性 によ る詠 嘆を 帯び る。
【補 注】 当歌 は、 構文 にお いて も内 容に おい ても
、平 安時 代の 他の 歌と 比較 する と、 特異 であ る。 構文 とし ては
、「 さく 花」 が第 三句 に位 置す る歌 を例 にす ると
、【 語釈
】「 さく 花の
」の 項の 例に 挙げ たよ うに
、「 の」 が下 接す る場 合も なく はな いが
、多 くは
、「 かす みた つみ むろ のや ま にさ くは なは ひと しれ ずこ そち りぬ べら なれ」(
好忠 集・ 百首 歌・ たつ み・ 五七 八)
、「 のべ をお きて きし のほ とり にさ くは なは たち よる なみ のか ずを みむ とか」(
三条 院左 大臣 殿前 栽歌 合・ 一 四・ 在原 英材)
、「 しら ゆき のつ もる こず ゑに さく 花は まだ ふる とし のは るに ざり ける」(
定頼 集・ 三) など のよ うに
、「 は」 を下 接し て、 下句 に対 する 主題 とし て提 示さ れる
。こ れは
、そ れぞ れ限