二〇二
江州中井家帳合法における決算手続
小 倉 栄 一 郎
は し が き 多数の帳簿を用いて、総ての勘定を備え夫々の間で取引複記を行う仕組みになっているという点で中井家帳合がすぐれ た機能をもっていたことを前船で論評した。その使用帳簿の中に大福帳と名付けた一冊が含まれているのであるが、世に 大福帳と呼ばれるのは売掛帳であって、稀に例外があっても経費帳をかく呼ぶものがあるという程度のもので、決して組 織的に工夫された計算体系中の一環としての存在ではなかったのである。しかるに中井家の大福帳は一段と拡張されたも ので、資本金勘定をはじめ、資産、費用の勘定、さらに別帳に分けられた諸科目の綜括をするための口座までも備えて、 総勘定元帳たるべき傾向をもっている。このような用法は当時としては例外的なものであったのか、或は大商店では既に 周知のところであったが、秘密主義にわざわいされて秘伝として後世に伝わらずに終ったものか、今後の研究にまたねば 断定的なことは言えない。 中井家帳合が、たとえ例外的なものであったにしても、それは既に極めて合理的組織的な帳簿体系をもっていたのであ る。そして、取引複記は符印を押すことによって厳密に守られた。 尤も、帳簿形式と記帳技術は決して進歩したものとはいい得ない。部分的には正数と負数を分けて、別算する工夫もみられるし、対置減法も知られてはいるが、・これらの方式が一般化す る契機を欠いていたために、 一般には正負を並べ混記し、勘定相互の間の正負の関係を無視したあり来りの記帳法が支配 的であった。このようにして、按術的には素朴な、非機械的な仕組でしがなかった。 しかしながら今日の簿記技術の観点から解釈すれば、容易に理解しうる程度の法則性を有している。結果的に検討して 簡約すれば、 ﹁一々突合せができる﹂という態の取引複記原則につきるけれども、実践的にはもっと手の込んだ手法があ ったに違いない。中井家帳合法に関する明文化された史料もなく、経験者も存生しない今日となっては、この手法を再現 することは至難であるが、例えば﹁00勘定に出す﹂といった用語法、﹁望性︵資本︶勘定に渡す﹂といった用語法が何 らかの手法的な意味をもっていたのではなからうか。 細部に直る手法はとにかくとして、少くとも取引が剰すところなく複記されておれば、これを巧妙に組替えることによ って決算を行うことができる。そのために﹁店卸下書﹂が用いられた。 ﹁店卸下書﹂は夫々の帳簿の累計なり残高を集合 せしめ、ここで一定の方式に従って編成されるための決算準備である。 ﹁店卸下書﹂によって演算され、編成された金額は、﹁店卸帳﹂に浄書され、また、﹁店卸目録﹂に浄書にされて、一は 店に保存せちれ、他は本店に送り届けられるのである。以下、本稿では決算の手続について論証しよう。 ① 拙稿﹁江意中井家帳合法の記帳技術﹂ 金銀出入帳と大福帳 彦根論叢五六号。拙稿﹁江州中井家帳合法の記帳技術﹂ 記帳 法の総括 彦根論叢五八号。 ﹁管理会計としての我国固有の帳合法﹂産業経理第一九巻九・十号
二金銀.差引調
中井家の数多くの支店について、一通りの決算報告書が現存している。 江州申井家帳合法における決算手続︵小倉︶ 極めて僅かの年について欠けているのみで、 二〇三 決二〇四 算報告書が最もよく揃った会計史料である。その中に毎年ではないが、相当頻繁に﹁金銀差引帳﹂又は﹁金銀差引調﹂と いう小冊が同封されている。時にはある程度の厚味のある綴込帳になっていることもあるし、また一枚の書状になってい ることもある。この報告書がどのような役割を果したものかは明らかでないが、その内容は次のようなものである。 ω 牧支明細書型 享和元年︵酉︶仙A[見世 金差引之部 →、 燻O千百七拾九両壱分ト壱匁九分五厘 年中売高 一、 ッ六百七拾八両 元方より正金にてかり高 一、同弐両弐分ト十弐匁五分 三年より過美金 一、同三百五拾両 正金にて入感 冒 金四千弐百九両三分ト十四匁四分五厘 右ノ内
sNsXhilNlll
同七百九十八両弐分ト弐匁五分 金弐千百四拾弐両 、同四百九拾壱両ト五匁七分 、同拾八両ト拾匁壱分 、同三百八両弐分ト十弐匁 、同弐拾五両三分ト六匁五分 、同弐百九拾六両弐分卜十匁壱分四厘 、同七拾八両ト壱匁六分七厘 、同拾壱両壱分卜十三匁四分八厘 、同三両三分ト三匁四分四厘 、同十七両弐分ト十匁三分六厘 〆 金四千百九拾四両壱分卜拾匁九分九厘 差引金拾五両弐分ト三匁四分六厘 不足 年中元方へ渡し高 地吉凶仕入高 江戸夏もの仕入高 江戸森小殿仕入高 江戸森藤殿仕入 金山ノ万兵衛殿仕入 諸仕入高 染仕立ちん払 諸駄賃払 店小遣筆紙代 大晦日勘定有金 上に掲げたのは仙台店の出店たる﹁見世﹂の店卸目録に含まれて いた﹁金差引之部﹂である。年中売高は、後に売立に﹁年中売立﹂ とある金額と]致する。即ち、掛売残高は存しないので、すべて現 金売上である。 ﹁元方より正金にてかり高﹂は本店よりの追加出資 高で、昨年よりの繰越は含まれていないから今期の現送額である。 かくのごとくにして入金は四口合して金四千弐百九両三分ト十四匁 四分五厘、これに対して、 ﹁年中元方へ渡し高﹂は本店への返送金 高、続いて仕入額が並べられるのであるが、 ﹁江戸夏物仕入高﹂ ﹁ 江戸森小殿仕入高﹂の二項以外は、後の店卸目録に出てくる仕入高 と]致しないほかは、夫々同額で計上されている。また、店卸目録 の方には一中正殿仕入高が出てくるが、金差引には出て来ない。こ れは﹁元方より下り吉手仕入高﹂とともに、 ﹁元方差引預り﹂の勘 定に振替えられるので、支払を伴はなかったものであらう。その他 経費勘定の支払高が計上されて、これに期末現金在高が加えられる と、〆金四千百九十四両壱分ト拾匁九分九厘となるが、その差は、 現金過不足高で、この期は不足となる。仙台見世の金銀出入帳は現存しないので検証することができないが、後の店卸目録の金額との突合せの結果、−これは金 銀出入帳の入金出金の記入を項目別に編成し替へたもののように思われる。このような金差引調はどちらかといえば初歩 的な形態であったのではなからうか。 ︵この引用は拙稿﹁江陣中井家の決算法について﹂にも出されて居り、そこでは店卸目録と併 せ引用してあるから、右の根拠を検討できる。参照されたい。︶ ② 精 算 表 型 押立店は中井市蔵の経営で、天明八年︵一七八八︶創業、寛政十一年︵一七九九︶閉鎖された支店であるが、醤油醸造業 を営んだので、内部生産過程の計算が重要になって来る。そのために店卸は複雑とならざるを得ない。尤も、香良州太田 屋の場合も酒造業であるからその計算は必要ではあるが、決算期を醸造の終了した八月末にすることによって、決算は仕 掛品なしの簡単な内容にしてあるので後に引用するごとき簡潔な店卸目録となった。 ︵その上閉鎖の年であるからこの点が一 層簡潔になりえたと思われる。︶内部生産過程の計算については、稿を改めて工業会計法という観点から論じたいと思う。こ こでは、店卸目録︵店卸勘定帳︶附属の店卸書抜帳、及び、金銀差引帳が、相当複雑なものであるけれども、製造原価、売 上原価の計算を含み、勘定間の振替と、集計方法を説明した補助報告書であって、原材料の仕入の記録から、店卸勘定帳 の損益計算に至る間で、この補助報告書を伸介にせずしては演算過程を正確に辿ることは難しいと思われる程に複雑なし かし合理的な振替を行ったことを説明しようとしているものである。計算結果の表示という事よりも、計算過程の解説に 重きを置いた報告書で、そのような観点からするとぎは、今日我々が慣用している製造原価報告書よりもすぐれた表現性 を備えているかも知れない。引用するのは寛政計画庚戊正月に行はれた寛政元年︵天明九年一七八九︶の決算であって、こ の店としては閉店までには程遠い隆昌の年度である。 ︵当面の問題には関係のない事であるが、この年の店卸勘定帳は、貸借対照 表での計算と損益計算書での計算が一致していないのである。筆者が精算表を作成して計算したところ原理的には過誤は存しない。 そこ 江州中井家業合法における決算手続︵小倉︶ 二〇五
二〇六 で一々検算した結果、損益計算に運賃駄賃を計上して置きながら、その合計を算出する際に、この一項を落して合計していることを発見 した。全くの文字通りの算盤違であって、・従って右の計算不一致はこの史料の価値を損ずるものではない。︶ 補助報告書は﹁店卸書抜帳﹂と﹁金銀差引帳﹂の二冊に分たれる。 − ︵店卸書抜帳︶醸造原価の計算のためには先づ期首仕掛品︵醗︶の計算からはじめなくてはならない。言うまでもなく前 年の決算︵申店卸勘定帳︶の﹁正有物之部﹂には﹁仕込醗﹂と称する仕掛品繰越高が計上されていてこれから出発してもよ い筈であるが、﹁書抜帳﹂では﹁申年仕入﹂ ︵前年の仕込の計算の意︶の部からはじまる。即ち、原料の一、大豆から、 一金三百五拾四両三分式朱ト三百六十匁 大豆仕入 内金九拾八両弍分弍朱ト四百四十七匁 仕込引 差引残り 金弍百五拾六両弍朱ト六百拾四匁 越年 右者酉年仕入方え出す此表相済 と、同様にして小麦についても酉年仕入に出すべき高を引いて越年高を求め、塩、薪等の原価要素を﹁仕入﹂に出してゆ くと、 ﹁仕入﹂は合計金三百五両三分ト九匁九分となる。そこでこの中から、製造終了分を﹁売立﹂に振替た結果、これ は醤油売上原価を構成するにいたり、これを差引いた残高が、﹁越年﹂即ち、﹁右四翌年有物方へ出す﹂となる。また酉年 仕入分について、同様の計算を行い、﹁仕込方﹂と﹁売立方﹂と﹁有物方﹂の各々に出される。樽、すり縄、呑口につい ても、これが行はれるのである。﹁﹁仕入方﹂は仕掛品勘定に相当にするが、これは常に帳尻は零になり、﹁売立方﹂︵売上 原価”売上高︶と﹁有物方﹂ ︵柵卸高︶に振替計上しているのである。 ﹁店卸書抜帳﹂にはそのほかに、﹁普請﹂の計算を行い、これを﹁望性へ渡﹂して、残額は﹁造用方﹂へ出している。
その他利息計算もここで行はれ、﹁造用方﹂に出される。 以上で﹁仕込方﹂で算出される原価は、売上高と対比するため ﹁徳方﹂へ出すことになる。このようにして日常帳簿上に行はれた調達の第一次記録は、組替になって、﹁有物方﹂﹁仕入 方﹂﹁売立方﹂﹁平方﹂という決算勘定上に分解・集計・編成されて、仕掛品と原価の算出が行えるようになり、果は、棚 卸が﹁有物﹂︵資産︶として貸借対照表上、原価が﹁売立方﹂︵売上原価︶として損益計算書上に現われる。 原価要素(大豆) 仕入354.3.2… 仕込 98.2.2… z年256.0.2一一一
有 物 方
大豆256.0.2 ョ 83.0.一脈
仕 込 方
大豆 98.2.2苡ャ麦
黹戟@i
売立222.3.… z年83.0.…売 立 方
酉豊 222.3. ィ i@徳用 ××
売立 ×××徳 用 方
ウL一
売徳 ×〉く その他の決算集合勘定に﹁造用方﹂があるこれは損益計算書に出されるのである。 ︵金銀差引帳︶﹁覚﹂即ち、本家より下り金︵望性︶とその利息、借入金の計算に、売上牧畜が加えられた引入計と、⋮、内L 即ち、有金︵現金残高︶に前に算出された﹁店卸書抜帳﹂の金額が並べられ支出が加えられた合計が合算され㍉過不足が 算出されるが、この表が果して何であるか、何故に前述のこ者が比較せられ、そこで算出される過不足が何であるかは後 日の研究に委ねたい。もはや、この差引帳は、現金の受払の整理されたものでは・なく、内部計算過程での計算結果を含ん 江州中井家内合法における決算手続︵小倉︶ 二〇七、多鍵満幅議
ロ繧羅
.、翼潔禦・農ザ・、
鷲譲
整ギ、﹁総論
鑑笈f謬・
.・噸脚騨吻噸■御・
妻
鷺潅
嚇癖・.・讐三、一.‘ぜ勢竃
稀鱗藩
凱酔浴y
@
@
@轄
コ へ ド び ド も コ、蒙、一﹁㌦
露華執一丁.一
重舞周
華・陰︸
㎡欝擁獲マ
︾馨 二〇八 で成立しているのである。 以上明らかにしたごとく、 ﹁書抜帳﹂は運算過程の表示である ことが明瞭である。また﹁差引帳﹂は金銀出入帳の綜括表でなく て店卸目録編成への道程となっている。これ筆者が、精算表型と いう名称をつけた所以である。三.決算手続
補助報告書は帳簿から直接に作成されたものではなからう。そ の理由は、今日の巧妙な精算表の技法をもってしても複雑にして 混乱をまぬがれない計算を、秩序という程のものもない形式で運 算してゆくことは容易の業ではない。 , 仙台店の史料中には﹁店卸調下書﹂﹁店卸明細帳﹂というのが あり、前者は嗣囹り印を押捺しつつ基礎帳簿から引上げたものの ようであり、後者はある程度演算した上で勘定別に集計したもの のようであるが、年代が喰違っているので、両者の関係は判定し 難い。また、基礎帳簿との関係もつけ難い。けれどもこれらが﹁ 店卸目録﹂の準備計算であることは間違ない。 香良州太田屋の﹁店卸下書﹂は基礎帳簿と決算書の関連を明らかにする好個の史料である。 ﹁店卸下書﹂と﹁店卸目録﹂は種々の点で酷似しているが、全く同一ではない。﹁店卸下書﹂は貸借対照表、損益計算書 の体系に罪した配列がやや乱れて、むしろ帳簿の別に合せた便宜の配列がなされている。これこの下書が決算報告である よりは、決算集計の手段であり、準備計算であるためである。 ω 大福帳をはじめとして給金帳、問屋仕限帳等に設けられている口座は概ね人名別である。それらの口座の中にはそ のままで﹁、店卸目録﹂に一項目として出す必要のある主要な勘定科目もあれば、単なる得意先一件という場合もある。得 意先一件というのを一々﹁店卸目録﹂に出している例もある。 ︵仙台店は最大の規模であるから債権口数も極めて多い。そこで ﹁大福帳〆﹂という摘要書で合計額で計上し、特殊な債権だけ個別の項で掲げているのであるが、それでも二十項目以上になっている。 それに引かえ押立店の場合は全く綿密にすぎる程である。貸借対照表の資産の部に相当する﹁有物の部﹂がさらに分割され、その中に、 ﹁正貸之部﹂は金銭貸付を掲げ、それも一入別に掲げている。次で﹁売貸方之部﹂には売掛債権を主として一入別に、人によっては同一 入が二項・三項に分たれるという丁重さで総項目五四項に達している。︶ しかし、決算報書としては、明細よりも総額をもって全 体を把握することの方が望ましい場合が多いから、これを取捨選折して、あるものは一件一項で掲げ、他はまとめて総額 で一項とする必要がある。このような﹃科目統合﹄をなすのが店卸下書の一任務である。店卸下書の一区分である抜差之 部は給金帳の部、問屋仕限帳の部、大福帳の部に分けられ、夫々の帳簿に設けられた入膿腫口座を締切って夫々の﹁,引残 かし﹂をこの区分に集計し来り、それらの総計を求めて、これを﹁大福帳尻〆﹂という摘要書で有物之部に出すのであ る6 ② 次に、﹃棚卸整理﹄が必要である。 年度末棚卸は相当に綿密に行われたようで、一二壷鮮味ある例を引用して見よ う。 江州中井家帳合法における決算手続︵小倉︶ 二〇九
二一〇 綿密であった例。 当時は紙は高価な品物であったと思われる。大福帳の﹁筆紙墨口﹂は事務用消耗品勘定であるが、 期末未使用の用紙を品目別に検数評価している。 嘉永三年大福帳 ︵太田屋︶ 筆紙墨口 戌九月 ﹁圏﹁壱枚に付﹁厘七毛 八匁七分 半紙四帖半 壱枚弐厘七毛 半切百枚 壱枚に付四厘二毛 源のべ壱帖 壱束弐匁 ちり紙半束 この種の例は多数に見られ、管理が行届いていたものと思われる。 合理的な例。 商品・仕掛品の期末棚卸は相当合理的に行はれた。太田屋の場合は、蔵︵醸造場︶店の間で受渡のため の物量計算簿を設け、店では手のついた樽が売仕舞になる毎に計算を締切るという方法で制度的に裏付けられた在庫管理 の副産物としての準帳簿棚卸が行はれていた。また、押立店の場合は、実地棚卸であったと思われるが、醤油の仕込毎の 区分で、醗の石数で示し、醒は仕掛品であるが、その評価のためめの原価計算を﹁仕込方﹂という勘定で合理的な計算を 行っている。 推測するに、このような手続の一として、実地柵卸なり帳簿棚卸のための﹁調帳﹂があったと思われる。また仙台店の 決算には﹁品不足﹂が掲げられているところをみれば、常時循環棚卸のようなことが実施されていたのではなからうか。
期末糊坐高が確定されると決算整理を行うことになるが、 われた。 油蝋燭口 成九月 一、 ェ分五厘 成九月十一日 一、 S八拾壱文 十月三日 →、 笂 慮囲 壱舛四匁弐分五厘 油弐合残り 十月朔日 油四合 五爵代 らうそく 七十匁 一、 S七拾四文 十月四日 一、 l百六拾文 十月十二日 入銀壱匁五分 油四合 かい 油 壱舛かい らうそく 六十匁払 引 銀壱匁三分五厘 〆 八百弐拾四文 此銀七匁三分 合 八匁九分五厘 ﹁國﹁ 右十月十三日勘定に出す。 期末商品棚卸高の処理は後に示されるように、 期首棚卸高に期間中仕入高を加えて、 除される順序となる。 大概帳の費用口座については、その口座の上で修正記入が行 店卸下書の 期間中の附帯費用が合算され、 またこの棚卸高は﹁有物之部﹂の一項目として計上される。 用いなかったようで、﹁店卸下書﹂はかかる決算整理の場ともなるのである。 江州中井家団合法における決算手続︵小倉︶ 十月十二日入銀壱匁五分らうそく六十匁払とあるは、この年が閉 鎖の年で、残品買受人山村氏に﹁払﹂つたのである。 ︵払は売却処 分の意︶これはこのような特殊な年であるから売払代金が入金とな り︵入金は金銀出入帳の記入と照合し、その意味が振替取引の現金 仕訳であることは前稿で述べたところである︶ ﹁入しの符号はこれ を意味する。常時は、﹁入﹂でなく、﹁内﹂となっていた筈のもの で、費用勘定における三三柵卸修正記入を類推できる一例として掲 げたものである。 前期からの繰越未消耗高に年間の費用支出総額を加え、期未柵卸 高を差引くと﹁引〆幾何﹂と当期に計上すべき費用額︵期間費用︶ が算出できる。これが損益計算に記上されるのである。 ﹁勘定に出 す﹂とはこの事で、店卸下書の該当部に計上ざれるのである、なほ 差引かれた期未柵卸高は貸借対照表に計上されるために、店卸下書 の有物之部に計上される。 ﹁勘定の部﹂即ち、売上商品原価の計算の箇所で行はれる。 ︵工業であるから製造経費も加算する︶期末棚卸高が控 この処理のためには殊更に勘定口座を
二=
二一二 ㈲ 前貸給金の整理。 前稿でも指摘したように給金は常に前貸と立替を原則としているので決算にあたっては、その 中から当期費用分を限定する必要がある。その方式は愚稿で掲げた引用例のごとく、年間前払又は立替られた額の最終に ﹁内幾何給金引﹂と記入する。この額は当人の所属に従って、蔵、店、台所の細分で、売上原価、営業益、純益の計算に 計上され、 一方、差引残りの前貸高は有物の部に出される。 ㈲ ﹃製造原価の計算﹄ 太田屋の場合には物量計算があるのみで、特に原価を計算する仕組は存しない。押立店の場合 は前項で概説したごとく、精密な計算を巧妙に行っている。 その際用いられたのが、﹁仕込方﹂である。次で﹁売立方﹂ ﹁徳用方﹂で損益計算が構成されるのであるが、その区分は店卸目録にも存するのである。仕込方で行われた演算は店卸 目録そのものには現われない。 圏 ﹃損益集合﹄ は店卸下書に設けられた各区分に記入し、その区分毎の合計、又は、差引をすることによって行はれ る。店卸下書は演算中は綴合せていない長半折の美濃紙であったのだらう。それを必要に応じて別紙でもって区分しなが ら書ぎ上げ、後に綴合せたものと思われる。各区分の性格は明確であるが、配列順序は規則立っていない。今これを手続 順に説明してみよう。 ﹁勘定の部﹂は売上原価を算定し売上尊墨と対応せしめて、売買総益を算定する区分で、その前提としての﹁酒方諸入 用口﹂と組んで一連の計算となる。順序としては先づ﹁酒方諸入用口﹂からで、ここでは蔵入用、即ち、製造諸経費と、 蔵の人件費たる﹁給金﹂が合算され、〆高が示される。次でこの〆高は﹁勘定の部﹂に廻わされ、こ.こで期首繰越高・仕 入と合算され期末棚卸が差引かれて、 ﹁〆﹂即ち売上原価が算定される。一方﹁売立帳﹂からは、そこに設けられた売上 の区分に従って算定された売上高が、﹁売立帳﹂から振替られて、﹁勘定の部﹂にそのままの状況で計上された上、こ九が 売上原価と比較され、差引総益が算出されるのである。
別に、﹁家内諸入用口﹂がある。これは字義そのものとしては、家計費のようであり、またこの区分に集められる大橿 帳内の諸勘定も飯米・青物・荒物等といった家計上の科目のようにみえるのであるが、当時の企業の特異点を老慮しなく てはならない。当時の家計、奥というのは店主家族の生活のことと考えなくはてならないが、これをどのように営んだも のか、よくは分らないのであるが、 一定の限度があったものであろう。太田屋嘉蔵は店名で、名儀人は卯兵衛であるが、 その給金は見当らない。筆頭は﹁平兵衛﹂で金製弍両式分、次は忠兵衛で金七両である。仙台店の場合は中井新三郎店、 主は三代目源左衛門、彼の給金は金三拾八両卜五匁五厘とあって、相応に給されて居り、店の雑用に喰込むことは固く禁 じられていた。 さて、﹁家内諸入用口﹂は、営業雑費、又は、 一般管理販売費ということである。この中には蔵関係の給金は含まない。 即ち、給金帳には﹁店の平﹂﹁店の嘉﹂等と判然と所属区分がしてある。 また、﹁利息取の部﹂﹁利息払の部﹂があって次に記するごとき対本家附替利息もここで計算されるのである。 これらが一々区分毎の合計を算出した⊥でいよいよ﹁徳用之部﹂﹁損之部﹂に集められ、これが正式の損益計算書にな るのである。 ㈲ ﹃附替利息計算﹄ 中井家帳合の経営管理的性格の頂点にあるのが、本家出資金に対して及びその他の利益積立に対 して年々優先的に附される利息である。これは今日的な計算の順序に従うならば一旦計算せられた利益の処分の段階で行 うべき事であ.って、利益はこの意味の利息を差引く前に、即ち費用の中にこの利息を含めないで算出されねばならない。 しかるに中井家の会計原則ではこれを含ませた費用を差引いて利益を算出するのである。換言すれば自己資本利子が計⊥ されるのである。資金関係が逆になれぽ利子が附けられることになる。﹁利息取﹂﹁利息払﹂の大きな項目はこの意味の利 息である。仕訳で表わすならば︵掛蛍蝋二㌧四︶ ︵癖卦晒︶の処理である。この計算は例えば太田屋の場合、大福帳の﹁御本 江州申井家帳合法における決算手続︵小倉︶ 二一三
一二四 家借貸費﹂に冒頭に註してあるように、﹁年弐朱里入﹂であり、﹁出金並塩廻し銀壱貫目こ弍分五厘つつ﹂︵9%強︶一部野 店一﹁元金利息講義ハ壱ケ年壱割弍分霊勘定﹂i大田原1﹁利足之義者壱ヶ年二壱割勘定﹂1小泉一等、大体年利率一割 前垂であったから高率とはいえないが、優先的に義務的にこれを確保し、それ以上になってはじめて利益というのであり これが確保し得ないとぎは損失であって、繰越されるのであるから管理基準としては強硬である。この利息は現送される わけではなく、元利合計で次期に繰越されるから、内部留保となるわけである。この点は本豪出資︵磁性金︶に限らず、 過去の利益の処分である徳用積金、出精金についても同じである。この利息は右のように内部留保であるから、計算⊥の 処理にすぎない。 従って、﹁利息冬営部﹂﹁利息取之部﹂に計上し、同額が、﹁借用之部﹂の該当項の次に﹁○年利足払﹂ として並べられるだけの紙面上での処理がなされるのである。 ㈲ ﹃利益処分﹄ 利息を留保してなほ剰余があれば支配人には﹁出精金﹂として配分があり、他は﹁積金﹂となる。こ のいつれもが、内部留保となるのであるが、その表示は﹁徳用之部﹂﹁損之部﹂︵損益計算書︶差引いて﹁徳﹂の次に﹁こ の訳﹂として、分配額を示し、同様の分配が﹁借用之部﹂にも合算、又は、明示されるのである。 ︵これらの実例は仙台見 世の享利元年酉店卸のものがある。典型的であるので前稿に引用した。参照されたい︶ ㈲ ﹃借用之部・有物之部の完成﹄ これは貸借対照表に相当する。原理的には各店とも変るところはないが、形式的に は二類.型がある。 ㈲ 区分型、﹁借用之部﹂︵又は、﹁覚﹂︶と﹁有物之部﹂を対立せしめ前者には望性金・同利足・積立金・同利足・借入 金を並べてその合計を求める。後者には正金有高・売かしその他資産一切を並べて合計を求める。その未尾に前者の合計 と差引して差額を徳用として計上する。 即ち、﹁借用之部﹂と﹁有物之部﹂を夫々対等の計算区分として、対比し、この こ部で貸借対照表を構成するもの、
回 一表型、﹁借用之部﹂が貸借対照表に相当する。﹁有物之部﹂は借用之部に示される﹁右江引当﹂の内訳明細である という形にするものである。﹁借用之部﹂には先づ本家差引残預り、即ち、望性と負債の合計が算出され、次に、右江引 当として、有物︵資産︶の合計が掲げられ、両者比較して﹁引〆損益﹂となるものである。 ㈲の型の方が一般的である。回の型は太田屋にあり、末尾に引用する。 ωに説明したように野帳から集められた血豆は集計されて、抜差之部で合計が求められる。これが有物之部に﹁大福帳 尻〆﹂として計上されるが、有物之部には金銀出入帳から正金残高が附上げられて来ているし、また、他の勘定で独立計 上されるべきもの及期末棚卸高が一々上げられているから、これらを合して合計を求める。即ち、抜差之部の合計を含ん で、資産合計が求められる。また太田屋のように、前年の繰越欠損金︵○年尋人︶もここに合算されるという興味ある実 践も行われていた。回の方法であれば、﹁有物之部﹂合計が﹁借用之部﹂に並べられ、﹁右筆引当﹂と書かれ、﹁引〆損益﹂ が算出される。その他、本支店間での経糸賦課の計算や、本家支店間の振替が生じたとぎにも、この誌上で行われる。 働 ﹃損益集合﹄ 区分して算出された損益諸項目が、﹁徳用之部﹂﹁損之部﹂に集められる。即ち、売上総益に受取利息 を加えた徳用之部の合計から、家内入用︵一般管理費︶支払利息を加えた損之部の合計が差引かれて損益が算出される。 言うまでもなく両損益計算は一致する。 ⑩ ﹃店卸目録の作成﹄ 正式の決算報告書たる店卸目録は右の店卸下書を浄書したものである。この際、抜差之部だけ は省略されるが、他の内訳明細は全部写される。次に以上に述べた手続を図解しよう。 ①②③ 原田敏丸助教授﹁近江商入の経営形態に関する一考察−日野の豪商申井源左衛門家の場合−﹂彦根論叢 秋山範二先生還暦 記念論文集 五七・六〇・六二頁。 ④拙稿﹁江州中井家の本支底会計法について﹂四九頁折込。 ⑤同右、五八・五九頁。 江州中井家帳合法における決算手続︵小倉︶ 二一五
︵勢誤醸・“知醗壁︶