釈論大江千里集(六)
著者 小池 博明, 半沢 幹一
雑誌名 長野工業高等専門学校紀要
巻 54
ページ 1‑6
発行年 2020‑06‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1051/00001066/
長野工業高等専門学校紀要第 54 号(2020) 1-6
釈論大江千里集
(六)
〔前 説〕 本稿 は、
「釈 論大 江千 里集
」の 続稿 であ る。
「同
(一
)( 二)
(四
)」
(『 長野 工業 高等 専門 学校 紀要
』五 一号
、二
〇一 七年 六月
・同 五二 号、 二〇 一八 年六 月・ 同五 三号
、二
〇一 九年 六月
、 いず れも 電子 版の み) およ び「 同( 三)
(五
)」
(『 共立 女子 大学 文芸 学部 紀要
』第 六五 集、 二
〇一 九年 三月
・同 六六 集、 二〇 二〇 年二 月) に続 き、 十九 番歌 から 二三 番歌
(春 部~ 夏部
)の 五 首を 取り 上げ る。 本注 釈の 目的 と意 義の 詳細
、注 釈の 凡例 や参 考文 献な どに つい ては
、旧 稿の
「釈 論大 江千 里集
(一
)」 を参 照さ れた い。 可憐
虚度 好春 朝 憐 ( れむ べし
、虚 しく 好春 の朝 を度 るを
) 一九
あは れと もわ が身 のみ こそ おも ほゆ れは かな きは るを すぐ しき ぬれ ば
【通 釈】 あー あ、 と、 私た った 一人 だけ がお のず と思 われ るこ とで ある よ、
(そ れで なく ても
)は かな い春 を( 無駄 に) 過ご して きて しま った ので
(そ のこ とに 対し て)
。
【語 釈】 あは れと も 第三 句の
「お もほ ゆれ
」に 係る
。何 を「 あは れ」 と「 おも ほゆ
」か と言 えば
、下 句 の「 はか なき はる をす ぐし きぬ
」こ とで ある
。「 あは れと も」 は、 三代 集の ころ まで は( 万葉 集 では 検索 し得 ない
)、
「あ はれ とも うし とも 物を 思ふ 時な どか 涙の いと なが るら む」
(古 今集
・ 十五
・恋 五・ 八〇 五)
、「 あは れと もお もは じも のを しら ゆき のし たに きえ つつ 猶も ふる かな
」
小池博明
半沢幹一
(拾 遺集
・十 一・ 恋一
・六 五三
)の よう に、 初句 に置 かれ るこ とが 普通 であ る。 当歌 の「 あは れ」 は名 詞用 法で ある が、 万葉 集で は全 八例 のう ち七 例が
「家 なら ば妹 が手 まか む草 枕旅
に臥や こ
せる この
旅人 たびと
あは れ( 此旅 人
忄可怜
)」
(万 葉集
・三
・四 一五
・上 宮聖 徳太 子) のよ うな 感動 詞
で、名詞の用例は「……聞くごとに
心つ ごき て うち 嘆き
あは れの 鳥と
(安 波礼 能登 里等
) 言は ぬ時 なし
」( 万葉 集・ 十八
・四
○八 九・ 大伴 家持
)の 一例 のみ であ る。 それ が古 今集 では 逆 転し
、全 一九 例中
、感 動詞 が三 例、 名詞 が一 六例 とな る。
「色 より もか こそ あは れと おも ほゆ れ たが 袖ふ れし やど の梅 ぞも
」( 古今 集・ 一・ 春上
・三 三)
、「 よそ にの みあ はれ とぞ 見し 梅花 あ かぬ いろ かは 折り てな りけ り」
(古 今集
・一
・春 上・ 三七
・素 性) など のよ うに
、「 と」 を介 し て「 思ふ
」や
「見 る」 に接 続す るか
、あ るい は、
「あ はれ てふ 事を あま たに やら じと や春 にお く れて ひと りさ くら む」
(古 今集
・三
・夏
・一 三六
)の よう に、
「あ はれ てふ 事」 と一 般化 され る。 本集 に、
「あ はれ
」は 当歌 も含 めて 三例
(一 九・ 八三
・八 四) ある が、 いず れも 当歌 と同 様 に引 用の 格助 詞「 と」 を下 接す る名 詞で あり
、八 三番 歌は
「見 る」
、八 四番 歌は
「見 ゆ」 に係 る。 ただ し、
「と
」に
「も
」が 下接 する のは
、当 歌の みで ある
。当 句は
、本 集他 本お よび 当歌 所 収の 続古 今集 や万 代集 には
「あ はれ とは
」と ある
。ど ちら でも 成り 立ち うる が、 その 違い につ い ては
【補 注】 を参 照。 わが 身の みこ そ
「わ が身
」と いう 表現 は元 来は
、「 わが
」+
「身
」す なわ ち私 の肉 体の 意で あ るが
、早 く一 語的 に私 自身 の意 も表 し、 やが て一 人称 とし ても 用い られ るよ うに なっ た。 当歌 の
「わ が身
」は
、私 の肉 体の 意と も、 私自 身の 意と もと れる
。次 句の
「お もほ ゆ」 の対 象と すれ ば 前者 の意 とな り、 主体 とと れば 後者 の意 とな る可 能性 が高 い。 ただ
、「 わが 身の みこ そ」 とい う
小池博明・半澤幹一
句表 現の 類例 に鑑 みる と、 後者 の意 と考 えら れる
。「 わが 身」 は本 集に 八例 あり
(歌 数の 六・ 四%
)、 万葉 集(
「あ が身
」「 おの が身
」) の二 七例
(○
・六
%)
、古 今集 の三 五例
(三
・ 二%
)と 比較 して
、割 合が 相対 的に 高い
。「 わが 身の みこ そ」 とい う一 句の 用例 は、
「ゆ ふさ れ ばわ が身 のみ こそ かな しけ れい づれ の方 に枕 さだ めむ
」( 後撰 集・ 十一
・恋 三・ 七三 九・ 兼茂 女)
、「 あた らし き年 はく れど もい たづ らに わが 身の みこ そふ りま さり けれ
」( 拾遺 集・ 十六
・ 雑春
・一
○○ 一) など が見 られ る程 度で ある
。「 のみ
」は 上接 の「 わが 身」 を限 定す ると も、
「わ が身
」が かか る次 句の
「お もほ ゆれ
」ま での 全体 を限 定す ると もと れる
(後 者に つい ては
、 一五 番歌
【語 釈】
「あ かで のみ
」の 項を 参照
)。 ただ
、「 こそ
」が 間に 入り
、そ の強 調が
「わ が 身」 にあ るこ とを 考え れば
、上 掲の 後撰 集歌 や拾 遺集 歌と 同様 に、
「の み」 は「 わが 身」 に限 定 して
、そ れを より 際立 たせ ると みな すの が適 当で あろ う。 他の 人た ちと は違 って
、ま さに 自分 一 人だ けが
、と いう こと であ る。 おも ほゆ れ 第三 句末 の「 こそ
」の 結び で、 三句 切れ とな る。
「お もほ ゆ」 は、 自然 に、 ひと り でに 思わ れる の意
。四 番歌
【語 釈】
「お もほ ゆる かな
」参 照。 はか なき はる を
「は かな し」 は、 古今 集に 一一 例( 一・
○%
)、 後撰 集に 二一 例( 一・ 五%
)、 拾遺 集に 七例
(○
・五
%) 見ら れる のに 対し て、 本集 には 九例
(七
・二
%。 九・ 一九
・ 三五
・六 二・ 一○ 七・ 一○ 八・ 一一
○・ 一一 一・ 一二 五) あり
、割 合で は三 代集 を大 きく 上回 り、 本集 歌の 表現 を特 徴付 ける 形容 詞と みな しう る。 それ は分 布に も認 めら れ、 九例 中五 例が 本 集末 尾の
「述 懐」 と「 詠懐
」の 部に 偏っ てい る。 その 用法 は、
「は かな くて いつ も我 身の ひと り して あし たゆ ふべ にし づこ ころ なき
」( 一〇 七・ 述懐
)、
「ほ とと ぎす さつ きま たず ぞな きに け るは かな くは るを すぐ しき ぬれ ば」
(一 二五
・詠 懐) など であ り、 こう いう 用法 が季 節歌 であ る 当歌 にも 及ん でい る。
「は かな きは る」 とい う表 現が 意味 する とこ ろは
、右 掲の 一〇 七番 歌の 下 句同 様と 考え られ る( 当歌 の異 文に
「は かな く春 を」 とす るの もあ る)
。も とよ り、 その 修飾 関 係ど おり
、春 自体 もあ っけ なく 終わ る、 はか ない もの とい う意 もあ るは ずで ある
。つ まり
、春 そ のも のも
、そ の過 ごし 方も
「は かな し」 とい うこ とで ある
。 すぐ しき ぬれ ば 上接 句の
「は かな きは るを
」を 受け
、そ の全 体で 順接 確定 条件 句を 構成 して
、 上三 句と 倒置 の関 係を 成す
。「 すぐ す」 に「 く」 と「 ぬ」 が下 接す るの には
、二 つの 意図 があ る。 一つ は視 点が 到達 点で ある 現在 時に ある こと
、も う一 つは その 現在 時が 春が 終っ た時 点で あ
るこ とで ある
。十 五番 歌以 降、 惜春 の情 が詠 まれ てい るが
、当 歌も
、春 の終 わり とい う時 点つ ま り三 月尽 に詠 まれ たも のと して
、そ の一 つに 位置 付け られ る。
【補 注】 一首 全体 は、 古今 的な 表現 構造 にな らっ たも ので あっ て、 それ 自体 につ いて はす でに 繰り 返し 述べ てき たの で、 とく に補 うこ とは ない
。た だし
、【 語釈
】の 上二 句に 関す る説 明に つい ては 補 足が 必要 であ ろう
。 全釈 の訳 は、
「我 が身 は病 にお とろ え、 いつ まで 生き るか 分か らな い。 それ をし みじ みと 悲し いと 思う のだ
。む なし く春 を過 ごし てき たの で。
」と ある
。赤 人集 の同 歌に 対す る注 釈で は、
「時 は春 の好 い日 であ るが
、わ が身 のみ はし みじ みあ われ だと 思わ れて なら ない
、病 を得 て春 の 好季 節も 十分 に楽 しめ ない まま 過ご して しま った ので
。」
(阿 蘇瑞 枝『 和歌 文学 大系
人麻 呂集
/赤 人集
/家 持集
』明 治書 院 二〇
〇四 年) と訳 す。 両訳 に共 通す る問 題点 を、 二つ だけ 指摘 して おく
。 第一 点は
、病 気と する 点で ある
。こ れは 原拠 詩を 参照 した から であ って
、こ の句 題、 この 和歌 の表 現か ら、 それ を読 み取 るこ とは 出来 ない
。本 集歌 は句 題さ らに はそ の原 拠詩 を契 機あ るい は 背景 とし て詠 まれ たも ので はあ るが
、独 立し た一 首と して 成り 立っ てい るの であ り、 決し て原 拠 詩に 依存 して わけ では ない
。仮 に「 わが 身」 ヲ「 あわ れ」 と思 うの はな ぜか とい う問 いが 立て ら れた とし ても
、そ の理 由は 下句 にあ るの であ って
、病 身と する 必然 性は まっ たく ない
。 第二 点は
、「 あは れ」 の解 釈で ある
。「 しみ じみ と悲 しい
」や
「し みじ みあ われ だ」 とと るの は、
「あ はれ なり
」と いう 形容 動詞 に特 化さ れた 意味 であ って
、「 あは れ」 とい う感 動詞 ある い は名 詞の 意味 では ない
。「 あは れ」 は特 定さ れ・ 明示 され た感 情で はな く、 喚起 され る情 動そ の もの を表 す( ちな みに
、中 国語 の「 可憐
」も 同様 であ る)
。も ちろ ん、 下句 との 関係 を考 えれ ば、 その 情動 が負 に傾 くと は言 える
。し かし
、そ れは
「悲 しい
」や
「あ われ だ」
(哀 れ?
)と い う一 つの 感情 に片 付け られ るも ので はな い。 この よう な問 題点 が生 じた 当歌 の表 現上 の原 因を 挙げ てみ ると
、二 つあ る。 一つ は、
「わ が 身」 が私 の肉 体の 意と 解さ れた こと
、も う一 つは
、「 わが 身」 の格 関係 を示 す助 詞が 下接 して い
釈論大江千里集(六)
ない こと から
、目 的格 と捉 えら れた こと
、で ある
。こ れら に対 して
、私 自身 の意 とと り、 それ を 主格 とす るこ とに よっ て、 問題 点は 解消 され る。 もう 一度
、確 認し たい
。「 あは れ」 と思 うの は私 であ り、 その 対象 とな るの は下 二句 に示 され た内 容で ある
。「 わが 身の みこ そ」 とい う限 定・ 強調 は、 周り の人 々と は一 人違 った 春の 過ご し 方を した とい うこ とで あり
、何 が違 って いる かと 言え ば、
「は かな し」 か否 か、 であ る。 なぜ
、 何が
「は かな し」 だっ たの かま では
、遡 りえ ない し、 その 必要 もな い。 初句 の「 あは れと も」 と「 あは れと は」 は、 もち ろん どち らも 成り 立ち うる
。あ えて 違い を挙 げる なら ば、
「も
」の ほう には 詠嘆 性が
、「 は」 のほ うに は弁 別性 があ ると いう 点で ある
。「 あ はれ
」と いう 語の 表す 情動 との 相性 から すれ ば、
「も
」の ほう が適 して いる と考 えら れる
。
【比 較対 照】 底本 は、 一行 空白 で句 題が 欠落 する
。異 本系 書陵 部本 では
、句 題を
「可 憐霊 処好 春朝
」と し、 同系 統の 冷泉 家本 は「 可憐 虚処 好春 朝」 とす る。 原拠 とみ なさ れる 詩の 本文 は、
「可 憐虚 度好 春 朝」 であ る。 全釈 は、 諸本 に異 同が ない こと から 原拠 詩は この 本文 だっ たと し、 当歌 の句 題と す る。 本釈 論も それ に従 う。 この 句題 は、 元稹 の七 言絶 句「 酬楽 天三 月三 日見 寄」
(元 氏長 慶集
・巻 二十 一) の結 句で あ る。
『白 居易 集箋 校』 によ れば
、こ の絶 句は
、白 氏文 集の
「三 月三 日懐 微之
」( 三月 三日 微之 を 懐ふ
)( 巻十 七・ 一○ 八一
)と 題す る七 言絶 句「 良時 光景 長虚 擲/ 壮歳 風情 已闇 銷/ 忽憶 同為 校 書日
/毎 年狂 酔是 今朝
」( 良時 の光 景、 長く 虚し く擲 ち/ 壮歳 の風 情、 已に 闇に 銷す
/忽 ち憶 ふ 同に 校書 たり し日
/毎 年狂 酔せ しは
、是 今朝 なり
)に 答え たも ので ある
(西 一夫 氏の 御教 示に よ る)
。原 拠詩 を以 下に 示す
。 当年 此日 花前 酔 当年 の此 の日
、花 前に 酔ふ
。 今日 花前 病裏 銷 今日
、花 前に 病の
裏 うち
は銷 しょう
す。 独倚 破簾 閒悵 望 独り 破る る簾 に倚 り、 閒よ り悵 望す
。 可憐 虚度 好春 朝 憐れ むべ し、 虚し く好 春の 朝を
度 わた
るを
。
句題 と歌 との 表現 上の 対応 関係 を見 ると
、「 可憐
」に 対し て「 あは れ」
、「 虚」 に対 して
「は かな き」
、「 度」 に対 して
「す ぐす
」、
「春
」に 対し て「 はる
」が
、ほ ぼ対 応す る。 句題 にあ っ て歌 に欠 けて いる のは
、「 好春
」の
「好
」と
「朝
」で あり
、歌 で補 われ たの が、
「わ が身 のみ こ そ」 であ る。 歌に は採 られ なか った
「好
」は
、日 々の 好天 か否 かを 問わ ず、 春と いう 季節 その もの を「 好」 とす るこ とに 関し ては 自明 とし たか らで あろ う。 同じ く、
「朝
」に つい ては
、原 拠詩 は特 定の 日 の特 定の 時間 帯を 表し てい るが
、歌 では
、春 とい う季 節全 体を 通し て表 現し よう とし たか らと 考 えら れる
。詩 題に 明ら かな よう に、 原拠 詩は 三月 三日 であ るか ら、 惜春 には まだ 早く
、歌 では そ の特 定性 を消 去す る必 要が あっ た。 歌で 補わ れた 第二 句の
「わ が身 のみ こそ
」は
、原 拠詩 およ び句 題と は異 なる
、千 里の 眼目 とし たと ころ であ ろう
。原 拠詩 の転 句に も「 独」 字が 見ら れる が、 歌の 第二 句は それ をこ とさ らに 強 調す るも のに なっ てい る。 しか も、 句題 とな った 結句 にあ る「 虚」 は、 一人 で過 ごす こと を言 い、 それ で決 して 満足 はし てい ない もの の、 それ なり に春 を楽 しん でい るの であ る。 それ に対 して
、歌 では
、一 人だ から 春を 十分 に楽 しめ ない とい うこ とで はな く、 そも そも 春を 楽し めな い状 況に あっ たと いう こと であ る。 その 状況 が自 分一 人で ある とい う、 圧倒 的な 取り 残 され 感が 第二 句に 表さ れて いる
。「 あは れ」 は、 春に も周 りか らも 取り 残さ れて しま った
「わ が 身」 の慨 嘆に 他な らな い。 そこ には
、原 拠詩 や句 題を 離れ
、ま た春 歌と して の、 惜春 の情 をも は るか に越 えて しま った 歌境 が認 めら れよ う。 悵 惆
春帰 不留 得( 惆悵 す、 春帰 りて 留め 得ず
) 二○
なげ きつ つす ぎゆ く春 をを しめ ども あま つそ らか らふ りす てて ゆく
【通 釈】 溜息 をつ きな がら 通り 過ぎ てゆ く春 を惜 しむ けれ ど、
(春 はそ んな 私を
)高 い空 から 振り 切っ て捨 てて
、去 って 行く こと だよ
。
小池博明・半澤幹一
【語 釈】 なげ きつ つ
「な げく
」は 一般 に、 悲し みを 態度 や言 葉に 表す こと を意 味す る。 接続 助詞
「つ つ」 が示 す二 つの 並行 する 動作 は、 初句 の「 なげ く」 と第 二句 の「 すぎ ゆく
」あ るい は初 句と 第 三句 の「 をし む」 とも とる こと がで きる
。前 者と すれ ば、 主体 はと もに
「春
」、 後者 とす れば
、 主体 はと もに 詠み 手と なる
。本 集歌 に用 いら れた
「つ つ」 の歌 末以 外の 十例 のう ち、 二つ めの 動 詞が
「つ つ」 にす ぐ下 接し ない 例は
、「 もみ ぢつ つ色 くれ なゐ にみ ゆる 日は なく せみ さへ やな く はな りぬ る」
(四 四・ 秋) しか 見当 たら ない
。す ぐ下 接し ない 他例 は、
「し らく もの なか をわ け つつ ゆふ ぐれ のめ でた き事 はや まに ぞあ りけ る」
(八
〇・ 遊覧
)と
「と しご とに はる あき との み かぞ へつ つ身 はひ とと きに あふ よし もな し」
(一 二二
・詠 懐) のよ うな
、形 容詞 の場 合で ある
。 つま り、 千里 の「 つつ
」の 使い 具合 を見 ると
、「 うぐ ひす はす ぎに し春 をを しみ つつ なく こゑ お ほき ころ にぞ あり ける
」( 二三
・夏
)や
「あ きの よを さむ みな きつ つゆ くか りの しも をし のぎ て ゆき かへ るら ん」
(四 九・ 秋) など のよ うに
、直 接つ なが るほ うの 可能 性が 高い
。ど ちら が適 当 か、
【補 注】 で改 めて 検討 する
。 すぎ ゆく 春を
「す ぎゆ く春
」は
、一 五番 歌【 語釈
】の 同句 の項 を参 照。 本集 成立 前後 に用 例が まと まっ て見 える が、 当歌 以外 での 初句 は「 あか ずし て」 ある いは
「あ かず のみ
」で ある
。補 助 動詞
「ゆ く」 は、 前項 動詞
「す ぐ」 の動 作が 継続 して いる こと を表 す。 ただ し、 それ は今 現在
、 その 動作 が進 行中 であ るこ とを 示す ので はな く、 春は 少し ずつ 過ぎ 行く もの であ ると いう 一般 論 を示 す。 をし めど も
「を しむ
」は
、愛 惜と 哀惜 の二 種の 意味 があ るこ とは
、一 六番 歌【 語釈
】の
「わ が をし みこ し」 の項 で確 認し た。 ここ では
、「 すぎ ゆく 春」 とい う消 失を 前提 とす る春 を対 象と す るこ とか ら、 哀惜 の意
。「 をし む」 につ いて は、 一七 番歌
【語 釈】 の「 をし めど も」 で触 れた よ うに
、本 集歌 を特 徴づ ける 語の 一つ であ る。 あま つそ らか ら
「ふ りす てて
」に 係り
、修 辞的 には
「ふ り( 降り
)」 を導 く。
「あ まつ そら
」 は「 天つ 空」 の意 で、 地上 から は遠 く離 れた 高い 空間 を表 す。 万葉 集に は「 立ち て居 てた どき も しら
ず我 あ
が心 天つ 空な り( 天津 空有
)
地 つち
は踏 めど も」
(万 葉集
・十 二・ 二八 八七
)の 一例 のみ だ が、 古今 集以 降は
「夕 ぐれ は雲 のは たて に物 ぞ思 ふあ まつ そら なる 人を こふ とて
」( 古今 集・ 十
一・ 恋一
・四 八四
)、
「ゆ きや らぬ 夢ぢ にま どふ たも とに はあ まつ そら なき 露ぞ おき ける
」( 後 撰集
・九
・恋 一・ 五五 九) など 多く 詠ま れ、 文字 どお りの 意と
、か け離 れた とい う意 の両 方で 用 いら れる
。本 集に は当 歌も 含め て二 例見 える が、 どち らも 前者 の意
。格 助詞
「か ら」 は動 作の 起 点を 表す
。こ こで は、 結句 の「 ふり すつ
」と いう 動作 の起 点が
「あ まつ そら
」で ある こと を示 す。 ふり すて てゆ く
「ふ りす つ」 は、 思い 切っ て捨 てる の意
。単 なる
「す つ」 と異 なる のは
、決 断 を要 する こと であ る。
「ふ りす つ」 の早 い時 期の 用例 に、
「…
…め より なみ だの
もり しか ば たも とも うか ぶ かみ な月
しぐ れと とも に ふり すて て うし ろめ たく ぞ あり しか ど…
…」
(忠 岑集
・八 七)
、「 思は じと おも ふも のか ら夏 の雨 のふ りす てが たき 君に も有 るか な」
(古 今 六帖
・一
・天
・あ め・ 四七 三) など があ るが
、お そら く当 歌が 最も 早い 用例 であ ろう
。忠 岑集 の 長歌 は、 甲斐 下向 中に
、娘 まで もう けた 女が 不実 をは たら いた こと を詰 る忠 岑の 長歌 に対 して
、 逆に 忠岑 の浮 気を 責め る女 の返 歌で あり
、「 忠岑 が私 を振 り捨 てて
」と いう こと であ る。 古今 六 帖歌 も恋 愛相 手を
「ふ りす てが たき
」と する
。こ のよ うに
、「 ふり すつ
」の は、 物で はな く、 も っぱ ら人 であ り、 しか も捨 て難 いも のを 捨て ると きに 使わ れる
。そ れが
、「 むつ まし きう とき と いも をふ りす てて 山べ にひ とり いか です むら ん」
(宇 津保 物語
・蔵 開下
・七 八二
・仲 忠)
、「 な でき けん むば のく ろか みふ りす てて かは れる すぢ はこ ころ ぼそ しや
」( 兼澄 集・ 五八
、詞 書「 た めか たの めの とあ まに なり しに
、と ぶら ひに まか りて
」) など のよ うに
、世 を捨 てる つま り出 家 する こと にも 使わ れる こと にな る。 当歌 も、 詠み 手が
「す ぎゆ く春
」を 惜し んで いる にも かか わ
らず、春が詠み手を捨てて去って行くということで、同様の使われ方である。「ふりすつ」の
「ふ り」 は「 ふ( 振) り」 の意 であ るが
、忠 岑集 歌・ 古今 六帖 歌が
「時 雨」
「雨
」の 縁語
「ふ
(降
)り
」を 掛け るよ うに
、当 歌も
「あ まつ そら から
」、 雨が 降る とい う表 現こ そな いも のの
、 それ から の連 想で
「降 り」 を掛 けて
、鎖 型構 文を 構成 する
。本 集に は珍 しく
、序 詞と それ に導 か れる 掛詞 とが 使用 され てい るの であ る。 古語 の接 続助 詞「 て」 は、 現代 語の それ とは 違っ て、
「て
」を 介し て連 接す る二 語の 分離 を明 示す る( 塚原 鉄雄
「接 続助 詞」
『国 文学
解釈 と鑑 賞』 二三 巻四 号、 一九 五八 年な ど)
。当 歌の 結句 にお いて も、
「ふ りす てて ゆく
」は
「ふ りす てゆ く」 とは 異な り、
「ふ りす つ」 と「 ゆく
」が
、別 々の 順次 的な 動作 であ るこ とを 示し てい る。
釈論大江千里集(六)
【補 注】
【語 釈】
「な げき つつ
」の 項で 保留 にし てお いた 問題 から 取り 上げ る。
「な げき つつ
」が どの 動作 との 並行 を表 して いる か、 であ る。
「な げく
」と
「を しむ
」の 並行 と見 れば
、惜 春の 情を 表す のに よく 使わ れる
「な げく
」と
「を しむ
」の 二語 とも 詠み 込む こと で、 詠み 手の いっ そう 強い 惜春 の情 を表 すこ とに はな る。 しか し、 そも そも
「な げき つつ をし む」 とい うの は、 平行 する 別個 の動 作と して 成り 立つ ので あろ う か。
「な げく
」が 外面 的、
「を しむ
」が 内面 的、 とい う区 別も 出来 るか もし れな いが
、実 際に は 近接
・類 似し た感 情の 動き であ る。 それ を別 語と して 繰り 返す こと によ って
、強 調す ると いう こ とは あり えよ う。 それ でも
、表 現と して は余 剰的 であ ると 言わ ざる をえ ない
。 仮に
、「 なげ きつ つす ぎゆ く」 とい う関 係と して 捉え てみ よう
。こ の場 合、 どち らの 動作 主体 も「 春」 であ る。
「な げく
」の 主体 が「 春」 とす れば
、当 然、 擬人 的表 現と なる が、 それ は結 句 の「 ふり すつ
」と いう 表現 と通 じ合 うも ので あっ て、 設定 とし ての 齟齬 はな い。 後は
、「 春」 が
「な げく
」と いう 関係 が受 け入 れら れる か否 かで ある
。
【語 釈】
「ふ りす てて ゆく
」の 項で 述べ たよ うに
、「 ふり すつ
」に は決 断を 要す る。 決断 を要 する のは
、そ の相 手を 捨て がた く思 って いる から であ る。
「春
」が
「ふ りす つ」 とす れば
、そ う いう 思い が表 れて いる のが まさ に、 この
「な げく
」で ある
。 本集 にか ぎら ず、 惜春 の歌 は、 詠み 手か ら春 への 一方 的な 思い をう たう もの であ って
、春 は無 情に も過 ぎ行 くば かり であ る。 それ を、 当歌 では
「ふ りす つ」 とい う動 詞を 用い るこ とに よっ て、 擬人 化し 有情 化し たの であ る。 そう する こと で、 春と の別 れの 耐え がた さ・ 名残 惜し さが よ り際 立つ ので ある
。 もち ろん
、一 首全 体の 表現 構造 とし ては
、詠 み手 側を 中心 とし たも のに なっ てい る。 第三 句の
「を しめ ども
」は 詠み 手の 思い であ り、 この 逆接 の前 提と して は、 強く 春を 惜し めば
、そ の思 い に応 えて
、春 も止 まる はず だと いう 論理 があ る。 この 論理 が成 立す るに は、 春が 人の 心を 解さ な けれ ばな らな い。 つま り、 人と 同じ 心を 持つ とい うこ とで ある
。そ れが 当歌 の春 の擬 人化 の発 想 の原 点で ある
。そ して
、そ れに もか かわ らず
、と いう のが
「ふ りす てて ゆく
」で ある
。 しか し、 春が
「な げく
」と いう のは
、擬 人化 とし ても
、何 らか の徴 表が なけ れば
、観 念的 すぎ るき らい があ る。 その 手掛 かり とな るの が「 なげ く」 の語 源「 長( なが
)+ 息( いき
)」 であ
る。 これ はつ まり 空気 の動 きと いう こと であ り、 自然 現象 とす れば
、風 にな る。 風な らば 春の 去 来と ごく 自然 に結 び付 きう る。 実際
、嘆 きの 息が 風に なる こと を詠 む「 大野 山霧 立ち 渡る 我が 嘆 く( 和何 那宣 久) おき その 風に
(於 伎蘇 乃可 是尓
)霧 立ち 渡る
」( 万葉 集・ 五・ 七九 九・ 山上 憶 良) も参 考に なろ う。 本集 九番 歌「 はか なく てそ らな る風 のと しを へて 春ふ きお くる こと ぞあ やし き」
(九
・夏
)の よう に、 春と いう 季節 は「 そら なる 風」 によ って もた らさ れる とい う発 想が ある
。そ して
、「 夏 と秋 と行 きか ふそ らの かよ ひぢ はか たへ すず しき 風や ふく らむ
」( 古今 集・ 三・ 夏・ 一六 八・ 凡 河内 躬恒
)の よう に、 春と 夏の 交代 も空 にお ける 風の 行き 交い によ って 行わ れる とい う発 想も あ る。 これ らの 発想 が当 歌に も生 きて いる ので ある
。 すな わち
、春 の過 ぎ行 くこ とは 空か ら吹 いて 来る 風(
=「 なげ き」
)に よっ て知 られ ると いう
ことであり、それが結果的に「あまつそらからふりすててゆく」ことになるのである。
【比 較対 照】 原拠 詩は
、次 の、 白氏 文集 の七 言絶 句「 三月 三十 日題 慈恩 寺」 詩( 巻十 三・
○六 三一
)で あ り、 句題 はそ の転 句で ある
。 慈恩 春色 今朝 尽 慈恩 の春 色、 今朝 尽く
。 尽日 徘徊 倚寺 門 尽日 徘徊 して
、寺 門に 倚る
。 惆悵 春帰 不留 得 惆悵 す、 春帰 りて 留め 得ず
。 紫藤 花下 漸黄 昏 紫藤 花下
、漸 く黄 昏た り。 この 転句 は、 千載 佳句
(送 春・ 一一 五)
、和 漢朗 詠集
(三 月尽
・五 二) にも 採ら れ、 三月 尽の 惜春 句と して 著名 だっ たよ うで ある
。 表現 相互 の対 応関 係と して は、
「惆 悵」 に対 する
「な げく
」、
「春 帰」 に対 する
「す ぎゆ く 春」
、「 不留 得」 に対 する
「ふ りす つ」 とな ろう
。た だし
、「 惆悵
」と
「な げく
」、
「不 留得
」 と「 ふり すつ
」で は、 表す 事態 は同 じで も、 それ を捉 える 視点 が異 なり
、句 題の ほう は人 間の 側、 歌の ほう は春 の側 から であ る。 句題 の表 現は 歌に ほぼ 満た され
、歌 に新 たに 付加 され たの は
「を しむ
」と
「あ まつ そら から
」く らい であ る。 前者 は「 惆悵
」の 思い の理 由と して 導か れう る が、 後者 は歌 独自 の発 想に より
、原 拠詩 には まっ たく 関わ らな い。
小池博明・半澤幹一
当歌 が、 句題 さら には 原拠 詩と
、設 定と して 異な るの は、 次の 二点 であ る。 一つ は、 原拠 詩が 三月 尽の 一日 の詠 み手 の惜 春の 思い に基 づく 行動 を具 体的 に描 いた のに 対し て、 歌は 惜春 を一 般 化・ 抽象 化し て示 して いる 点で ある
。も う一 つは
、原 拠詩 での 春は あく まで も詠 み手 が惜 しむ 対 象と して しか 存在 しな いの に対 して
、歌 では 春と 詠み 手は 対等 ある いは むし ろ春 のほ うが 主体 化 され てい ると いう 点で ある
。 この よう な歌 のあ りよ うを もう 少し 敷衍 すれ ば、
【語 釈】
「ふ りす てて ゆく
」の 項に 引用 した 例歌 に見 られ るよ うに
、当 歌は 恋歌 的な 色彩 を帯 びて いる とい う読 みを 促す
。つ まり
、恋 人同 士 が宿 命に よっ て泣 く泣 く別 れる とい う場 面が 想定 され る。 季節 の推 移は まさ に自 然の 宿命 であ り、 たと えど んな に一 方が
「な げい
」て も、 もう 一方 が「 をし ん」 でも
、別 れな けれ ばな らな い ので ある
。こ こに は、
「さ ほひ めは いく らの 春を をし めば かそ めい だす 花の 八重 にさ くら ん」
(宇 津保 物語
・春 日詣
・一 五一
・木 工助 惟元
)の よう な、 春の 女神 であ る佐 保姫 を想 定す るこ と もで きな くは ない
。 もと より
、季 節歌 その もの に恋 歌的 な色 合い を強 く持 たせ ると いう 当歌 の詠 みぶ りは
、原 拠詩 には まっ たく 認め られ ない
、千 里の 工夫 であ る。 一歳
唯残 半日 春( 一歳
、唯 だ残 る半 日の 春) 二一
ひと とせ にま たふ たた びも こじ もの をた だひ るな かぞ はる はの これ る
【通 釈】 一年 にま たも う一 度( 春が
)来 るこ とは ない だろ うな あ。
(し かし まだ
)わ ずか に昼 の半 日分 だけ 春は 残っ てい るこ とだ よ。
【語 釈】 ひと とせ に
「と せ」 は年 の単 位を 示す 助数 詞で ある から
、「 ひと とせ
」は
、一 年と いう 単位 を 表す
。そ の意 味で は、 いつ の時 点か らで もカ ウン トで きる が、 普通 は一 月一 日か ら数 えて の一 年 がイ メー ジさ れる
。格 助詞
「に
」を 伴い
、「 一年 に( 一年 迩) 七日 の夜 のみ 逢ふ 人の 恋も 過ぎ ね ば夜 はふ け行 くも
」( 万葉 集・ 十・ 二○ 三二
)、
「こ ゑた えず なけ やう ぐひ すひ とと せに ふた た
びと だに くべ き春 かは
」( 古今 集・ 二・ 春下
・一 三一
・藤 原興 風) など のよ うに
、一 年と いう 単 位で 一度 のも ので ある こと を詠 む際 に使 われ るこ とが 多い
。 また ふた たび も
「ま た」 も「 ふた たび
」も 同じ 意な ので
、そ の反 復性 が強 調さ れる
。用 例は 稀 少で
、平 安時 代に は、
「こ ひし さの うき にま ぎる るも のな らば また ふた たび とき みを みま しや
」
(後 拾遺 集・ 十四
・恋 四・ 七九 二・ 大弐 三位
)が ある 程度
。全 釈の 語釈 では
、「 ひと とせ にふ た たび
」に つい て、
「必 ず否 定形 とと もに もち いる
」と 指摘 する
。当 歌も
「こ じ」 の「 じ」 とい う 打消 し推 量を 伴う ので
、そ の限 りで は正 しい もの の、
「い ろか はる 秋の きく をば ひと とせ にふ た たび にほ ふ花 とこ そ見 れ」
(古 今集
・五
・秋 下・ 二七 八)
、「 梅が えに ふり つむ 雪は ひと とせ に ふた たび さけ る花 かと ぞ見 る」
(拾 遺集
・四
・冬
・二 五六
・藤 原公 任) とい った 用例 も存 在す る。 これ らも
、普 通は 一年 に二 回実 現す るこ とが ない もの の成 立を 詠む とこ ろに 趣向 があ り、 打 ち消 しを 伴う 表現 を前 提と した 用例 では ある が、 否定 形と の文 法上 の呼 応関 係に ある とは 言え な い。 句末 の「 も」 は、 ここ で言 う打 ち消 しの 事態 に対 する 詠嘆 を表 す。 こじ もの を
「く
(来
)」
+「 じ」
+「 もの を」 から 成る
。「 来」 の主 体は
、「 春」
。こ の句 の 類例 とし ては
、「 わす れて はよ にこ じも のを かへ るや まい つは た人 にあ はむ とす らん
」( 伊勢 集・ 四一 一) があ るく らい だが
、こ れさ え異 本や 他出 文献
(新 古今 集・ 定家 十体
・桐 火桶 など
) には
「よ にも こし ぢの
」と あり
、確 例と は言 いが たい
。そ れほ どに
、「 こじ もの を」 は、 なじ み のな い表 現で ある
。打 消の
「ず
」で はな く「 じ」 を選 択す れば
、春 が二 度来 ない こと を予 想し な がら も確 定し てい ない 事実 と認 識し てい るこ とに なる
。そ こに 春を 諦め きれ ない 執着 が見 て取 れ る。
「も のを
」は 接続 助詞 とし ても 終助 詞と して も用 いら れる が、 当歌 では 終助 詞と して
、下 句 とは 切れ てい ると とる
。【 補注
】参 照。 ただ ひる なか ぞ
「た だ」 につ いて は、 一六 番歌
【語 釈】
「春 はた だ」 の項 を参 照。
「た だ」 が
「ぞ
」や
「の これ る」 と共 起す る例 に、
「春 すぎ てち りは てに ける 梅の 花た だか ばか りぞ 枝に の これ る」
(拾 遺集
・十 六・ 雑春
・一
○六 三・ 如覚 法師
)、
「い ろい ろに 花は やへ まで うつ ろへ ど ただ ひと むら ぞき くは のこ れる
」( 殿上 歌合
承保 二年
・一 四・ 藤原 家実
)な どが ある
。当 歌を 含め
、こ れら にお いて
「た だ」 が限 定す るの は、
「ぞ
」と あい まっ て、
「ひ るな か」 であ る。
「ひ るな か」 は、 当歌 以外 の歌 例を 検索 しえ ない
。『 日本 国語 大辞 典 第二 版』 は、
「ま ひる
。 日中
。ひ るま
。ひ るひ なか
」の 意と して
、当 歌を 初例 とし
、あ とは 江戸 時代 以降 のも のを 挙げ る
釈論大江千里集(六)
のみ なの で
、当 代で は孤 例と なる
。こ の「 ひる なか
」は
、半 日の 意と ほぼ 同じ では ある が、 明る い時 間帯 を中 心と した 半日 のこ とで ある
。ま た、 助詞 を下 接し ない が、
「ひ るな か」 単独 で、 時 間格 とし て、 結句 の「 はる はの これ る」 を連 用修 飾す る。 はる はの これ る この 句は
、他 に伏 見院 御集
(六 五二
)に 見え るく らい で、 奈良
・平 安時 代の 用 例と して は当 歌の み。 晩春 の設 定な らば
、関 心の 中心 は春 が去 る、 つま り残 って いな いこ との ほ うに ある ので あっ て、 まだ 残っ てい ると いう 捉え 方を する こと はな かっ たの であ ろう
。係 助詞
「は
」は
、「 ひる なか
」を 主格
(ガ 格) とす れば
、補 格( ニ格
)相 当の
「は る」 を他 の季 節と 対 比す るこ とに なる のに 対し て、
「ひ るな か」 を補 格( ニ格
)と すれ ば、 主格
(ガ 格) 相当 の「 は る」 を主 題化 する こと にな る。 当歌 が春 歌で ある こと を重 んじ れば
、後 者と とる のが 妥当 であ ろ う。
【補 注】 当歌 の通 釈を 見て も明 らか なよ うに
、全 体の つな がり があ まり 良く ない
。全 釈の よう に、
「春 とい うも のは 一年 の内 に二 度と 再び 来な いも のな のに
、そ の最 後の 一日 の半 日に だけ に僅 かに 春 は残 って いる ばか りだ
」と
、上 句と 下句 をつ なげ てし まう と、 その 感は より 強ま るの では ない だ ろう か。 だか ら何
?と いう 感じ であ る。 その 理由 は、 下句 の表 現に ある
。同 じ事 態で あっ ても
、春 があ とも う半 日分 しか 残っ てい ない とい う否 定表 現な らば
、ま だ分 かる ので ある
。残 りわ ずか にな って しま った 春を 惜し んで 余り な い気 持が 示さ れる から であ る。 そし て、 その よう に表 現す るこ とは 十分 に可 能だ った はず であ る。 それ が、
「た だひ るな かぞ はる はの これ る」 とい う肯 定表 現、 しか も「 ぞ」 や「 は」 によ る 強調 や取 り立 てが 加わ ると
、ま だ半 日は 春を 楽し める ぞ、 とい うこ とに なっ てし まう ので ある
。 半日 を「 ひる なか
」と する のは
、明 るい うち は、 春の 風光 を目 にす るこ とが でき ると いう こと を 含意 して いよ う。 しか し、 晩春 を詠 む歌 とし て、 こう いう
、い わば 前向 きな 詠み 方は 決し て一 般的 では なか った と考 えら れる
。そ の前 提が ある から こそ
、全 体の つな がり に違 和を 覚え るの であ る。 本釈 論に お いて
、上 句と 下句 を二 文に 分け たの は、 一文 内に よる 直接 的な 違和 感を いく ぶん かで も和 らげ よ うと した から であ る。
どち らで あれ
、当 歌が 三月 尽日 を詠 んだ こと に変 わり はな い。 一五 番歌 以降 続い た惜 春の 歌の 最後 であ り、 かつ 春部 最後 の歌 でも ある
。こ のよ うな 配列 上の 位置 に、 何ら かの 意味 を見 出す と すれ ば、 次の 二点 であ る。 一つ は、 歌意 から
、三 月尽 日つ まり 春の 最終 日で ある こと を明 示し てい る点
、も う一 つは
、
「ひ とと せに また ふた たび もこ じも のを
」と いう 表現 によ って
、一 年に おけ る春 とい う季 節を 総 括し てい る点 であ る。 藤原 高遠 集に は、
「三 月尽 日唯 残半 日春
」と いう
、当 歌と 酷似 した 句題 で、
「を しむ とや 空の けし きも おも ふら んい りあ ひの こゑ に春 のの これ る」
(高 遠集
・一 七三
)と いう 歌が ある
。「 い りあ ひの こゑ
」と は晩 鐘つ まり 夕刻 を知 らせ る寺 の鐘 の音 のこ とで
、三 月尽 日の その 時刻 の空 に 春の 名残 りを 認め よう とし て詠 んだ もの であ るか ら、 題意 にも 惜春 歌に も適 って いる と言 える
。 当歌 は、 赤人 集( 四八 番) にも 同文 で載 る。
【比 較対 照】 原拠 詩は
、次 の、 白氏 文集 の七 言の 六句 から 成る 詩「 三月 晦日 日晩 聞」 詩( 巻六 十四
・三 一三 一) であ り、 句題 はそ の最 終句 から 採ら れた
。 晩来 林鳥 語殷 勤 晩来
、林 鳥の 語、 殷勤 にし て
、 似惜 風光 説向 人 風光 を惜 しみ
、人 に説 くに 似た り。 遺脱 破袍 労報 暖 破袍 を脱 せし め、 労は しく 暖を 報じ
、 催沽 美酒 敢辞 貧 美酒
を沽 か
ふこ とを 催し て、 敢へ て貧 を辞 せん や。 声声 勧酔 応須 酔 声声
、酔 ひを 勧め
、応 に須 らく 酔ふ べし
。 一歳 唯残 半日 春 一歳
、唯 だ残 る半 日の 春。 この 詩全 体を 見て
、春 歌の 句題 とし ても っと もふ さわ しい のは
、鳥 を詠 み込 んだ 第一 句に なり そう であ るが
、春 部の 最後 を飾 るも のと して
、最 終句 が選 ばれ たの であ ろう
。 句題 の表 現は すべ て歌 に移 され てい ると 言え る。 ただ
、「 半日
」と
「ひ るな か」 につ いて は、 原拠 詩で は「 晩」 にな って いる ので
、「 ひる なか
」の 原義 を考 えれ ば、 時間 帯設 定が 大き く異 な るこ とに なる
。
小池博明・半澤幹一
歌で 付加 され たの は、
「ま たふ たた びも こじ もの を」 とい う二 句分 まる まる であ る。 この 含意 は、 詩題 の「 三月 尽日
」お よび 詩の 最終 句に 取り 入れ られ た「 一歳
」か ら読 み取 るこ とが 可能 で あろ う。 この 原拠 詩で 注目 した いの は、 全体 の文 脈を ふま えて 最終 句に 詠ま れた 心情 であ る。 夕方 に鳴 く鳥 の声 を聞 いて
、春 を惜 しん で感 傷に 浸っ てい ると はと れま い。 むし ろ、 残る 半日 の春 を、 酒 を飲 んで 楽し もう とい う思 いで はな いか
。少 なく とも
、千 里は その よう に解 釈し たと 考え られ る。 この 句題 だけ を考 える なら ば、 春を 惜し む情 を表 すも のと して も成 り立 ちう る。 とい うよ り、 その ほう が自 然か もし れな い。 しか し、 詩全 体の 文脈 をふ まえ れば
、そ の情 自体 の存 在は 否定 し えな いも のの
、そ れが 三月 尽日 にい よい よ極 まっ たこ とを 詠ん でい ると は受 け取 れな い。 その 憂 さ晴 らし に酒 を飲 んで 酔っ 払お うと いう こと でも ある まい
。 千里 は、 残り 半日 の春 を楽 しむ とい う、 惜春 歌の 常識 を越 えた 趣旨 の、 型破 りの 歌を
、白 氏の この 詩を きっ かけ にし て、 試そ うと した ので はな いだ ろう か。 その 評価 のほ どは 期待 でき なか っ たと しも
。
夏
春條 長定 夏陰 盛( 春條 長じ 足り て、 夏陰 盛な り) 二二
この めは るは るさ かえ こし えだ なれ ばは なの かげ とぞ なり まさ りけ る
【通 釈】 木の 芽が 張る
(ハ ル)
、そ の春
(ハ ル) から ずっ と勢 い盛 んに 伸び てき た枝 なの で、
(本 当の 花は もう 散っ てし まっ たけ れど
、そ の枝 のあ りよ うは
)ま すま す( まる で咲 き誇 る) 花の 面影 の よう にな った こと だな あ。
【語 釈】
この めは る
「木 の芽
+張 る」 の意 で、 木の 芽が 膨ら むこ とを いう
。木 の芽 と言 う場 合、 普通 は 木の 枝が 伸び 葉が 生え る初 発状 態を 表し
、花 につ いて は「 つぼ み」 と言 う。 当歌 の「 この め」 も 第三 句に
「え だ」 があ るの で、 枝と して 伸び る芽 のこ とで ある
。「 こ」 は「 き( 木)
」の 被覆 形 で複 合語 を構 成す るが
、万 葉集 には
、「 この え( 木枝
)」
「こ のは
(木 葉)
」「 この ま( 木 間)
」な どは あっ ても
、「 この め( 木芽
)」 はな く、 平安 時代 から
、「 この めは る」 の形 で、
「帰 る雁 雲ぢ にま どふ 声す なり 霞ふ きと けこ のめ はる 風」
(後 撰集
・二
・春 中・ 六○
)、
「こ の めは るは るの 山田 を打 返し 思ひ やみ にし 人ぞ こひ しき
」( 後撰 集・ 九・ 恋一
・五 四四
)の よう に 現れ る。 挙例 の二 首目 同様
、第 二句 の「 はる
(春
)」 を同 音で 導く
。 はる さか えこ し 底本
「さ かえ こし
」の 冒頭 に「 はる
」を 補う
。同 句を 含め
、当 歌本 文に は脱 落 があ るた め、 校訂 せざ るを えず
、詳 しく は、
【補 注】 を参 照さ れた い。 この 句は 全体 で第 三句 冒 頭の
「え だ」 を連 体修 飾す る。
「さ かゆ
」は 枝が 繁茂 する の意 で、 すで に古 事記 に、
「…
…へ ぐ りの やま の こち ごち の やま のか ひに
たち ざか ゆる
(多 知邪 加由 流)
はび ろく まか し
……
」( 古事 記・ 下巻
・九 一・ 雄略 天皇
)と
「立 ち栄 ゆ」 とい う複 合語 では ある が用 例が 見え
、 以降
、「 茂岡 に神 さび 立ち て栄 えた る( 栄有
)千 代松 の木 の年 のし らな く」
(万 葉集
・六
・九 九
○・ 紀鹿 人)
、「 しも やた びお けど かれ せぬ さか きば のた ちさ かゆ べき 神の きね かも
」( 古今 集・ 二十
・大 歌所 御歌
・神 遊歌
・一
○七 五)
、「 ちは やぶ るみ 神の 山の さか 木ば はさ かえ ぞま さ るす ゑの 世ま でに
」( 拾遺 集・ 十・ 神楽 歌・ 大中 臣能 宣・ 六○ 一) など のよ うに 詠み 継が れる
。 挙例 から もわ かる よう に、
「さ かゆ
」に は祝 意が 込め られ るこ とが 多い が、 当歌 には 認め がた い。 補助 動詞
「く
(来
)」 は、
「さ かゆ
」の 状態 が継 続す る意 を表 し、 芽吹 きか ら春 の間 ずっ と 枝が 伸び
、繁 茂し 続け るこ と、 続く 助動 詞「 き」 は、 それ が、 夏の 現時 点か ら見 れば 春と いう 過 去で あっ たこ とを 示す
。【 比較 対照
】お よび 一六 番歌
【補 注】 参照
。「 さか えこ し」 の句 は他 に 見出 しが たい
。な お、 一四 番歌 の【 語釈
】「 はる しも つね に」 の項 で、 本集 の「 春」 の用 例数 を 二六 例と した が( 複合 語「 春風
」は 含ま ない
)、 この 句の 校訂 本文 を入 れれ ば二 七例 とな る。 えだ なれ ば 底本
「た なれ は」 の頭 に、 他本 によ り「 え」 を補 う。
「え だな れば
」は
、平 安時 代 にな って から 見え る句 で、 七例 ほど 検索 しう る。
「桜 ばな くも にお よば ぬえ だな れば しづ める か げを なみ のみ ぞみ る」
(宇 津保 物語
・吹 上
・ 上 涼・ 三二 四)
、「 みつ つの みな ぐさ むは なの えだ
釈論大江千里集(六)
なれ ばこ ころ をつ けて おも ひや らま し」
(斎 女御 集・ 一三 七) など のよ うに
、当 歌同 様す べて 第 三句 にあ って
、初
・第 二句 が「 えだ
」に 係る
。 はな のか げと ぞ この 句、 書陵 部本 は「 なつ のか げと ぞ」 とす る。 その 方が 句題 の「 夏陰
」に 対 応す るが
、本 釈論 では 底本 を尊 重す るだ けで はな く、
「な つ」 を「 はな
」と する とこ ろに 千里 の 作意 があ ると みて
、以 下に 説明 を試 みる
。「 はな のか げ」 とい う表 現は
、「 いざ けふ は春 の山 辺 にま じり なむ くれ なば なげ の花 のか げか は」
(古 今集
・二
・春 下・ 九五
・素 性)
、「 春霞 色の ち くさ に見 えつ るは たな びく 山の 花の かげ かも
」( 古今 集・ 二・ 春下
・一
○二
・藤 原興 風) など の よう に、
「は なの
」が
「か げ」 の連 体修 飾と なる こと が多 い。 当歌 の場 合も
、同 様に 考え るこ と がで き、 その 際、 結句
「な りま さり ける
」の 主語 とな るの は、 文脈 上、
「え だ」 であ ろう
。こ れ らの
「か げ」 の意 とし ては
、姿 形の 意、 物陰 の意
、面 影の 意の それ ぞれ が解 釈の 可能 性と して 考 えら れる
(古 今集 一〇 二番 歌に つい ては
、『 対釈 新撰 万葉 集』 一三 番歌 の注 を参 照)
。当 歌の
「か げ」 はそ のう ちの
、実 際の 花で はな く、 その 面影 の意 とと る。 詳し くは
、【 補注
】お よび
【比 較対 照】 を参 照さ れた いが
、参 考歌 を以 下に 挙げ てお く。 時代 は下 るが
、堀 河天 皇を 哀惜 し て藤 原俊 忠が 詠ん だ「 おも ひき や散 りに しは なの かげ なら でこ のは るに さへ あは む物 とは
」( 俊 忠集
・三 五) への 返歌
「あ りし よの はな のか げの みこ ひし きに いと どあ はれ をそ ふる はる かな
」
(俊 忠集
・三 六) は、
「( 花の
)蔭
」と
「( 堀河 天皇 の)
(面
)影
」を 掛け る用 例で あり
、「 ち りて のち 花し おも ふ/ 山ざ くら 木ず ゑみ どり にな りぬ れど かは らぬ もの はは なの おも かげ
」( 待 賢門 院堀 河集
・七
)は
、葉 が繁 った 桜樹 に花 の面 影を しの ぶ歌 であ る。 また
、「 ちり ぬと もい か がか へら んや まざ くら あか ぬな ごり の花 のこ かげ は」
(教 長集
・一 一一
)の
「こ かげ
」に
「蔭
」 と「
(面
)影
」を 掛け ると 見る こと も可 能だ ろう
。 なり まさ りけ る
「な りま さる
」は
、次 第に その 状態 が増 す、 ます ます そう なっ てい くの 意。 類 例と して
、「 みよ しの の山 の白 雪つ もる らし ふる さと さむ くな りま さる なり
」( 古今 集・ 六・ 冬・ 坂上 是則
・三 二五
)、
「秋 の野 の草 葉も わけ ぬわ が袖 のつ ゆけ くの みも なり まさ るか な」
(拾 遺集
・十 三・ 恋三
・八 三二
)、
「水 底に 影し うつ れば 紅葉 ばの 色も ふか くや 成り まさ るら ん」
(貫 之集
・二 六)
、「 ちは やぶ る神 にも あら ぬ我 が中 の雲 井は るか にな りま さる かな
」古 今 六帖
・一
・歳 時部
・天
・な る神
・八
○六
)な どが あり
、ほ とん どが 当歌 と同 様に 結句 にあ って 付 属語 を下 接す る。 ただ し、
「さ むく なり まさ るな り」
「つ ゆけ く( のみ も) なり まさ るか な」
「ふ かく
(や
)な りま さる らむ
」「 はる かに なり まさ るか な」 のよ うに
、そ れぞ れの 形容 詞あ る いは 形容 動詞 で示 され た状 態が いっ そう まさ って いく こと が表 現さ れる
。し かし
、当 歌の 場合 は、
「か げと ぞ」 とい う形 で、
「な りま さる
」過 程で はな く結 果が 示さ れる とい う点 で、 他と は 異な る。
「な りま さる
」に
「け り」 が下 接す るの も、 変化 の結 果に 対す る気 付き
・詠 嘆を 示す た めで あろ う。
【補 注】 まず は、 当歌 本文 の校 訂に つい て、 説明 する
。 本釈 論( 一) の凡 例で 示し たよ うに
、で きる かぎ り校 訂を 避け
、底 本の 本文 にし たが って 考察 する のが 基本 的な 方針 であ る。 しか しな がら
、当 歌は 底本 の「 さか えこ し」 のあ とに 空白 があ り、 音数 律か らす ると
、第 二句 に二 音、 第三 句に 一音 が欠 ける こと にな る。 第二 句に つい ては
、 全釈 は書 陵部 本の 本文 は「 後人 のさ かし らの 可能 性が 高い ので
、あ えて 二文 字分 は不 定の まま と する
」と いう
。し かし
、こ れを 補わ なけ れば 短歌 とし ての 形式 が整 わず
、本 釈論 の標 榜す る表 現 研究 の前 提が 崩れ る。 そこ で、
「校 本『 大江 千里 集』
」( 蔵中 さや か『 題詠 に関 する 本文 の研 究 大江 千里 集・ 和歌 一字 抄』 おう ふう
、二
○○
○年
)で
、流 布本 系の 他本 を参 照す ると
、底 本と 同じ
「四 月廿 五日
」
本系の文保奥書本系の本文の第二、第三句がすべて「さかえ(へ/ひ)こししもあたなれは」の
本文 であ るこ とが わか る。 とす れば
、ま ずは これ を採 って
「こ のめ はる さか えこ しし もあ たな れ はは なの かけ とそ なり まさ りけ る」 と校 訂す るこ とが 考え られ る。 しか し、 これ には 問題 が二 つあ る。 一つ は、 句題
「春 條長 足夏 陰成
」の 中核 とな る「 條」 に当 たる 語が ない こと
、も う一 つは
、「 この めは るさ かえ こし しも
」と すれ ば、 解釈 上「 はる
」に
「張 る」 と「 春」 の掛 詞を 認め る必 要が ある こと
。後 者の 問題 は、
「霞 たち この めも はる の雪 ふ れば 花な きさ とも 花ぞ ちり ける
」( 古今 集・ 一・ 春上
・九
・紀 貫之
)、
「花 みれ ばこ のめ も春 に 成り にけ りみ みの まも なし 鶯の こゑ
」( 和泉 式部 続集
・五 四七
)の よう に、
「木 の芽
」の 後に
「も
」「 の」 など の助 詞を 下接 する か、
「帰 る雁 雲ぢ にま どふ 声す なり 霞ふ きと けこ のめ はる 風」
(後 撰集
・二
・春 中・ 六○
)、
「み どり なる この めは るさ めふ りそ むる とき はの やま を思 ひ こそ やれ
」( 大斎 院前 御集
・二 八) のよ うに
、「 はる
」が
「春 風」
「春 雨」 など 複合 語の 一部 と