釈論大江千里集(一)
著者 小池 博明, 半澤 幹一
雑誌名 長野工業高等専門学校紀要
号 51
ページ 1‑9
発行年 2017‑06‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1051/00000996/
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長野工業高等専門学校紀要第 51 号(2017) 1-9
釈 論 大 江 千 里 集
( 一
)
はじ めに 先行
研究 の整 理 大江 千里 集の 詠作 の動 機や 状況 は、 寛平 六( 八九 四) 年四 月二 十五 日の 日付 をも つ序 文に よれ ば、 おお よそ 以下 のと おり であ る。 宇多 天皇 から 二月 十日 に和 歌を 献進 する よう 命じ られ たが
、儒 門出 身の 千里 は和 歌を 習っ たこ とが なか った ため
、精 神が 不安 定と なり 病臥 する こと にな って
、今 日ま で時 間が かか っ てし まっ た。 かろ うじ て古 句を 捜す こと によ って 新し い歌 を作 り、 それ とは 別に 作っ た「 自詠」 十首 を加 えて
、計 一二
○首( 現存 伝本 では 一二 五首) 献呈 した
。 この 序文 にあ ると おり
、千 里集 では
、 咽霧 山鶯 啼尚 少 やま たか みふ りく る霧 にむ すれ ばや なく うぐ ひす のこ ゑま れら なる( 春・ 一) とい う冒 頭歌 のよ うに
、五 言ま たは 七言 の詩 句を 題と して
、そ れを もと にし た彼 自作 の和 歌 が示 され るの が原 則で ある
。従 来、
『句 題和 歌』 と称 され た所 以で もあ る。 本稿 は、 千里 集の 表現
、特 に句 題と 和歌 の関 係に つい て考 察す るも ので あり
、そ のた めに
、 はじ めに
、そ のこ とに 言及 した もの を中 心に 先行 研究 を概 観す る。 なお
、す でに この 観点 か ら、 半澤 幹一「 大江 千里
『句 題和 歌』 にお ける 和歌
―そ の評 価の 見直 しの ため に―」
(『 伝統 と変 容』 ぺり かん 社 二○
○○ 年所 収) が先 行研 究に つい て整 理し てい るの で、 二〇
〇〇 年ま でに つい ては
、多 くこ の論 文に 負う こと を、 予め お断 りす る。 また
、平 野由 紀子
・千 里集 輪 読会
『千 里集 全釈
』 ( 風間 書房 二○
○七 年) の「 参考 文献」 の恩 恵に 浴し たこ とを 銘記 する
。
小 池 博 明
半 澤 幹 一 さて
、大 江千 里と 千里 集の 研究 を長 く主 導し てき たの は、 金子 彦二 郎『 増補 平安 時代 文 學と 白氏 文集 句題 和歌
・千 載佳 句研 究編
』( 藝林 舍 一九 五五 年。 原版 は培 風館
、一 九三 三 年) であ った
。金 子は
、古 今集 成立 の直 前に
、千 里集 が句 題和 歌と いう 分野 を切 り拓 いた こと を評 価し なが らも
、そ の和 歌の ほと んど は句 題の 翻訳 であ り、 表現 は「 類型 的な 所が 多く
、未 だ以 て稚 拙生 硬の 域を 脱し きれ ぬ」 とす る。 もっ とも
、金 子は 千里 の和 歌す べて を句 題の 直訳
、 稚拙 生硬 な表 現と する わけ では ない
。千 里の 和歌 を、「 一 原詩 を直 訳せ るも の」「
二 原詩 句 の直 訳に 増義 を施 せる もの」「
三 原詩 句の 巧に 摂取 醇化 せら れし もの」 の三 つに 分類 し、 歌数 は少 ない なが らも
、三 を「 独立 した 純日 本的 珠玉 篇」 とし て高 く評 価し たこ とは
、注 目す べき であ る。 この 直訳
、稚 拙生 硬と の評 価は
、山 岸徳 平「 深養 父と 千里 集」
(の ちに
『山 岸徳 平著 作集Ⅱ 和歌 文学 研究
』有 精堂 出版 一九 七一 年所 収) にも 引き 継が れる
。吉 川栄 治「 大江 千里 集小 考
―句 題和 歌の 成立 をめ ぐっ て」
(『 国文 学研 究』 第六 六集 一九 七八 年) は、 前に 引用 した 例 や
花下 忘帰 因美 景 花を みて かへ らむ こと のわ する るは 色こ きは なに より てな りけ り( 春・ 一三) が、 千里 の作 歌姿 勢を よく 示す もの とし て、「 程度 の差 こそ あれ
、全 体に 亘っ てこ の直 訳的 態 度は 一貫 して いる ので ある」 とす る。 平安 朝か ら中 世ま での 句題 和歌 の流 れを 論じ た本 間洋 一
「
句題 和歌 の世 界」(
和歌 文学 会編
『和 歌文 学の 世界 第一 五集 論集
〈題
〉の 和歌 空間
』笠 間 書院 一九 九二 年所 収) も、 千里 集は「 詩句 に即 応し た直 訳調 のも のが 殆ど で、 和歌 は詩 句に 従属 する もの であ った」 と述 べる
。『 日本 古典 文学 大辞 典』( 大曾 根章 介項 目執 筆。 岩波 書店 一九 八四 年) にも「 原詩 句を 直訳 した 稚拙 生硬 なも のが 多い」 と記 され てお り、 金子 説の 定着 ぶ りが うか がえ る。
小池博明・半澤幹一
蔵中 さや か『 題詠 に関 する 本文 の研 究』( おう ふう 二○
○○ 年) は、 金子 説以 来通 行し て きた 異本 系の 書陵 部本 に対 し、 流布 本系 がよ り善 本で あっ て、 この 系統 の伝 寂蓮 筆本 を用 い るべ きこ とを 明ら かに した 点、 従来 の名 称で ある
『句 題和 歌』 は、 群書 類従 編纂 者が 付け た もの であ り、
『大 江千 里集
』が 適当 であ ると 指摘 され た点 など
、千 里集 研究 の画 期を なす も ので あっ た。 その 歌風 につ いて も、 部立
・素 材・ 句題
・詠 作動 機・ 語彙 など 様々 な点 から 千 里集 の個 性を 論じ
、こ の集 全体 を具 体的 にと らえ よう とし たが
、そ こで 得ら れた 結論 は、「 あ くま でも
、同 じ情 景を 和と 漢双 方の 方法 で表 現す るこ とが 目標 であ り( 中略)
、千 里は 句題 の 世界 を正 しく うつ しと るこ とに 意を 尽く した」 とあ って
、従 来の 評価 に従 うも ので あっ た。 この よう な通 説に 対し て、 佐山 済「 古代 の和 歌と 漢詩」(
『岩 波講 座 日本 文学 史 第三 巻』 一九 五九 年所 収)
・津 田潔「
『大 江千 里集
』に 於け る白 詩の 受容 につ いて」(
『國 學院 雑誌
』八
○巻 二号 一九 七九 年)
・川 村晃 生「 句題 和歌 と白 氏文 集」(
『白 居易 研究 講座 第三 巻 日本 にお ける 受容( 韻文 篇)
』勉 誠社 一九 九三 年所 収) など は、 千里 集の 和歌 自体 に文 学的 価値 を 認め よう とし た。 佐山 論文 は、「(
句題 和歌 とい って も) 決し て翻 訳で も、 模倣 でも ない
。や はり 詩句 をヒ ント にし た一 つの 独立 した 歌と して みる べき であ ろう」 とす る。 津田 論文 は、 千里 集を 白氏 文集 享 受の 視点 から 考究 し、「 千里 は詩 句を その まま 素直 に訓 み下 そう とし てい るの では なく
、あ く まで それ を解 釈し て詠 んで いる」「
千里 の和 歌は 直訳 風の もの が殆 どで ある と金 子氏 は言 われ るが
、決 して そう では ない
。
…… ( 白詩) その まま の訓 み下 しと は明 らか に異 なっ てい る」 と した
。同 様に 白氏 文集 との 関係 で論 じた 川村 論文 は、 千里 集の 歌が 素材 やテ ーマ など で、 古 今集 やそ れ以 後の 和歌 史の 方向 性に 先ん じて いた 点を 指摘 し、 そこ にこ の家 集の 新し さと
、 和歌 史上 の意 義を 認め た。 ただ し、 句題 と和 歌の 関係 につ いて は、「
『句 題和 歌』 が句 題の 翻 訳歌 的傾 向を 有す るこ とは 否定 し得 ない」 とす る。 他に も、 山口 博『 王朝 歌壇 の研 究 宇多
・醍 醐・ 朱雀 朝篇
』( 桜楓 社 一九 七三 年) が千 里 集の 背景 に不 遇意 識が ある こと を指 摘し たこ とは
、現 在定 説と なっ てい て、 内容 や表 現を 考 察す るう えで 重要 な点 なの で、 記し てお く。 さて
、以 上の よう に、 半澤 が先 行研 究を まと めた 二○
○○ 年時 点で
、千 里集 の和 歌は
、句 題和 歌と して の歴 史的 な意 義づ けや 評価 はさ れる もの の、 和歌 その もの につ いは
、例 外は 認
めら れる が、 その ほと んど は漢 詩句 を直 訳し た稚 拙生 硬と いう のが 通説 であ り、 それ に対 し てい くつ かの 反論 も出 てき たと いう 状況 であ った
。 それ 以後 はど うだ ろう か。 太田 善之「
『大 江千 里集
』の 歌学」(
『学 芸国 語国 文学
』第 三二 号 二○
○○ 年) は、 漢詩 句を 内在 させ る和 歌を 新た な歌 の形 とす る歌 学の 存在 を想 定し
、千 里集 をそ の実 践と 位置 づけ る。 この 歌学 があ るた めに
、「 漢詩 句そ のま まに 歌を 詠む」(
傍線 筆者) とい う行 為に 意味 があ ると 説く
。柳 川淳 子「 大江 千里 にお ける
『句 題和 歌』 製作 の意 図」(
『広 島女 子大 学国 際文 化学 部紀 要』 第一 三号 二○
○五 年) は、 直訳 的と いう 評価 への 反論 は、 定 説の 部分 的な 修正 に止 まる とさ れ、 直訳 的和 歌の 持つ 違和 感が 読み 手の 哄笑 を呼 ぶ中 で、 原 拠詩 から 乖離 した
、直 訳に 留ま らな い歌 が、 作者 千里 の不 遇を 訴え ると する
。そ して
、こ れ を笑 いの 内に 秘め たの は羞 恥心 ゆえ とみ なし た。 こう した 中、 平野 由紀 子・ 千里 集輪 読会 によ る『 千里 集全 釈』 ( 風間 書房 二○
○七 年)(
以 下、
『全 釈』 とす る) が刊 行さ れた
。こ れは
、千 里集 全体 を俯 瞰し た初 の注 釈書 であ り、 これ によ って 千里 およ び千 里集 研究 は新 たな 段階 を迎 えた
。こ の『 全釈
』は
、句 題と 和歌 との 関 係に つい て、
「千 里の 創作 した 歌は 漢詩 の描 く世 界と 必ず しも 呼応 させ よう と思 って い」 ず、
「原 拠詩 とは 別の 世界 を歌 って いる
」と した うえ で、 各歌 に注 釈を 施し てい る。 とは いえ
、 実際 に、 その こと に明 確に 言及 して いる のは
、ほ んの 数首 にす ぎな い。 この 後、 句題 形式 を採 用し た動 機を
、漢 詩文 の表 現を 読み 手に 想起 させ るこ とに 求め たと する 能登 敦子「
『大 江千 里集
』の 方法」
(『 和漢 比較 文学
』第 四六 号 二〇 一一 年) は、 直訳
、 生硬 稚拙 など の評 価に つい て、 半澤 論文 の考 え( 句題 と和 歌を 比較 し、 内容 が似 てい ると い う印 象が
、漢 詩句 を題 とし て和 歌を 詠む とい う制 作過 程と 相俟 って
、直 訳と いう 翻訳 の方 法 と結 びつ けら れた
)を 引い たう えで
、直 訳と する か否 かが 問題 とな るの は、 千里 集を 後代 の 句題 和歌 と比 較す るか らで あり
、後 世の 句題 和歌 との 関係 より も、 九世 紀の 和漢 の交 渉を 重 視す るな らば
、た とえ 直訳 でも
、そ れに よっ て千 里集 の評 価を 下げ ると は考 えな いと する
。 先に 引い た『 全釈
』の 記述 が、
「従 来、 句を 題に 翻訳 を試 みた と解 され るこ とが 多か った
」 との 文言 に続 くも ので ある こと から わか るよ うに
、千 里集 の和 歌の 評価 は二
〇〇
〇年 以後 も およ そ変 わっ てい ない
。そ れは
『全 釈』 刊行 から 十年 を経 た現 在で も同 様で あろ う。 ただ
、 研究 動向 とし て、 太田
・柳 川・ 能登 など の論 文が 揃っ て、 千里 集の 歌を
、そ れ以 外の 歌集 所
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