13 頭塔 の調査 第
232次奈良県教育委員会 が行 う頭塔 の復原整備 に伴 う調査 で あ る。奈良県 はすで に19 86年度 か らこの事業 に取 り組 んでお り、県 の委託 を受 け奈文研 は同年度 に頭 塔 北 東 四半部 の調査 (平城宮跡第181次調査)、 1988年度 に北西 四半 部 の調 査 (同第1 99次調査
)を
行 い、頭塔 の構造・ 規模・ 変遷等 を明か に して きた。 これ らの調 査 成果 をおゝまえ、県 は頭塔 の復原整備基本計画 を策定 した。 その骨子 は、北 半 部 は 基壇 および塔 の本体 であ る7段の石積 みを本来 の形 に復 原 し、 そ の外周 にテ ラス 状 の見学路 を廻 す。南半部 は現状 のまま と し、樹林 を残 す、 とい う もので あ る。この基本計画 に基ず き、今年度 (1991年度
)か
ら基壇 の復原 を試験的 に行 うこと とな った。 これに伴 い石積 みの解体 が必要 となる。石積 みの解体 その ものが発掘 調査 であ ること、 さ らに石積 みの復原 にあた って は本来 の石 の積 み方、その 内部 の上 の築 き方 などを解明 し、復原 の資料 とす る必要 があ った。そのために東 面 中 央 の東西 中軸線沿 いに幅約80cm、 長 さ18mの 断 ち割 リ トレンチを設 定 した。 石 積 みの解体範囲、断ち割 リ トレンチ、および今年度行 った基壇石積 み復原の試 験施 工範囲 は図51の とお りであ る。石積 みの解体調査
基壇 お よび7段の石積 み と各 テ ラスの石 敷 につ いて、 ① す で に本来 の位置か ら動 いて いると思われ るもの、②上部 に石 を積 み上 げるに際 し この ままで は不安定 と判 断で きるもの、③樹根 の除去 に伴 って はず さざるをえ な い もの、 は解体す ることと した。最上部 の第七段か ら始 め、順次下段へ と石 を は ず して い った。 はず す石 はすべて1個1個番号 を付 し、かつ高 さを入 れた平面 図 を 作成 し、 さ らに写真 お よび ビデオ撮影 を しなが ら解体 した。各段 の石積 み につ い て上 か らおのおの一層ずつ これを行 ったので、各段 とも2〜3回の実測 を行 った。
すで に前2回の調査 で もある程度判 っていたが、頭塔 の石積 み には近世城 郭 の 石垣 に見 られ るよ うな積 み石背後 の裏込 め栗石 が ない。石 の下、裏側、石 と石 の 間の 目地、すべて上 で あ る。 また、基本 的 には石 を据 え るための根石 や飼 い石 を 用 いていない。石 を はず した中か ら少量 の瓦・ 土器 が出土 したが、 これにつ いて
―‑ 91 ‑―
は次 り断ち割 リ トレンチの報告 の中で一括 して行 う。
断 ち割 リ トレンチ
最上 段 の心柱痕跡 の東 か ら基壇前面 の石敷面 に至 る東西 ト レンチを設 け、土 お よび石積 みの構築法、改修 の痕跡 な どを調 べた。以下 に今 回 の知見 を列記す る (図51)。
1)積
み土 は版築 によ つて いる。版築一層 の厚 さはl cm以下 に区分 で き る薄 い層 か ら、30cmを越 え る層 まで あ るが、平均的 には10cm前後 で あ る。第五 段 か ら下 が 薄 い層 で堅固 に積 み上 げ られて い るのに対 して、第六段 か ら上 は比較 的粗 い。2)版
築 は非常 に堅 く褐 き固 め られてお り、掲 き固 め仕上 げ面 と思 われ る土 が 明 瞭 に剥離 す る面 を数多 く確認 す ることがで きた。3)版
築 に用 い られて い る土 は、その色調、礫 の混入度 な どか ら大 き く四種 に区 分で きる。積 み土 の主体 をなす の は この地域 の地 山上 に近似す る礫混 じり赤褐 色 砂質上 であ る。 これ に三 種 の粘質土 が互層 をなす。粘質土 はその色調 か ら、 暗灰 色・ 黄褐色・ 暗黄褐色 に分 かれ る。第五段か ら第四段付近 の暗灰色粘質土 は黒色 に近 く、特 に際だ って いた。今回 これ ら各種 の上 の物理的組成 お よび化学的成 分 分析 を行 うべ く土壌 サ ンプ リングを行 ったが、その結果 につ いて は復原 す る上 の 締 め固 め試験 のため に作成 した10種のテス トピースの資料 も含 めて最終的な本報 告 で行 う予定で あ る。4)版
築 は上 のみで はな く、途 中 に瓦や石 を敷 き込 んで い る。第一段 か ら二 段 の 間が顕著 であ った。強固 な地盤 を築 くための技術 で あろ う。5)地
山上面 には旧表土 と考 え られ る厚 さ10cmほどの黒茶色 の軟 らかい土が載 っ てお り、版築 はこの上 か ら行 われている。つま り、 ここで は掘 り込 み地業 を して いない。6)石
積 み と版築 は基壇 を除 いて同時 に行 われてい る。下 か ら順 に石 を積 み なが ら、その裏 を版築す る。7)基
壇 の石積 みには版築 を掘 り込 む形 の、石の据 え付 け掘方 があ る。掘方 の埋 土 か ら14世紀以 降 の羽釜 の破片 が出土 した。 この掘方 は基壇前面 の石敷 も一 体 で ある。東面 と西面で は基壇石積 みの手法が異 なるので、基壇全体 には及 ばな いか―‑ 92 ‑―
‑120
‑110
基壇石 据 え付 けIFH方
‑115
―
│
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寸
図51第232次調査断面土層図 (1/50)
も知 れないが、少 な くとも東面基壇石積 み は14世紀以 降 に改修 されて い る。
8)狭
い範囲で もあ り遺物 は比較的少 ないが、意図的 に敷 き込 まれた瓦以外 に も 積上 の中か ら瓦 と土器 が若干 出土 した。瓦 の うち軒瓦 は丸・ 平 各1点で あ り、 い ずれ も東大寺式 であ った。土器 で は版築土 中 に数点 の古墳時代 の甕 や杯 があ った 他、前述 の基壇掘形 内か らは羽釜 と灯 明皿 (13世紀前後)が
出土 して いる。(高瀬要―)
、復原 範囲
せ も
図52 頭塔遺構図 (北東部)・ 調査区位置図 (1/150) 断割 り レ ン チ
―‑ 98 ‑―
14 西隆寺 旧境 内の調査 (1)
第228次1
は じめに本調査 は、奈良市都市計画道路予定地 の事前調査 の第 Ⅲ区であ る。調査 は南北 二 区 に分 けて行 い、 まず南区を1991年8月 5日 に開始 し、同年10月 3日 に終了 した。
次 いで北 区を10月 8日 に開始 し、11月 7日 に終 了 した。調査面積 はあわせて700∬
であ る。本調査区の東 に第219次調査 区が、南 に第223‑21次調査区が隣接す る。
Y=‑19,500
│
X=‑145,100
N▲二員
X=‑145,200 一
==
==
=
=
==
=
== 割II II
1
南面築地図開
西隆寺旧境内調査位置図 (1/2,000)
Y=‑19,408
H
‖
‖ ―‖
‖ 東
1霙
―‑ 94 ‑―
2遺
構南区
奈良時代 の掘立柱建物4棟、礎石建物1棟、掘立柱塀2条、井戸1基、小穴、
溝 と古墳時代 の掘立柱建物、掘立柱塀、池状遺構 な どがあ る。
掘立柱建物SB522は 南北棟 で、梁間2間桁行2間以上。北 西 の部 分 の み を検 出 し た。礎石建物SB521は 東西棟 の北西部分 を検 出 した。梁間2間柱間7尺、桁行3間以 上柱間5.5尺。礎石 は残存 して いないが根石 を多数留 め る。掘立柱建 物 SB520は 南 北棟 で、梁 間2間柱 間8尺、桁行5間柱間7尺弱で あ る。SB5101ま掘立柱建物南北棟。
梁間2間柱間10尺、桁行総長17.lmで7間、柱間 は8尺、東 に廂 を持 つ。廂 の 出 は11 尺。柱掘形 は方形 で1辺が
lm近
い。西側柱か ら西へ12尺の ところに、柱筋 をそ ろ えて凝灰岩2ケ所 と、その抜 き取 り穴 と思 われ る もの1ケ所 を検 出 してお り、 縁 束 の可能性があ る。西側柱列 の柱掘形 は、西隆寺創建時 と考 え られ る茶褐色砂質 の 整地土 を除去 した段階で検出 されたため、 この建物 は西隆寺造営以前 の もの と考 え られ る。SB511は 南北棟掘立柱建物。梁間1間柱間2.Om、 桁行2間総 長2,9m。 小 型 で柱掘形 も小 さい。SB511よ り古 く、古墳時代 の もの と考 え られ る。SB517は 掘立柱建物 の東南隅 と推定。比較的大 きな柱掘形2つを確認 した柱間 は9尺とみ ら れ る。溝SD5291ま 幅3m、 深 さ0.8mで 蛇行 して い る。 人 工 的 に掘 削 され た もので はな く、秋篠川 の支流 ない し分流 のひ とつであろう。灰褐砂質上が堆積。古墳時代の、
須恵器、土 師器 のほか、石製紡錘車、 メノウ製勾玉 な どが出土 した。同 じ く東 西 溝SD5231ま 、幅0,3m、 深 さ0.35mで 、池状遺構SG530に 流 れ込 む。同 じく古墳時代 のSB510の 西側柱掘形 によ り切 られている。東端で南 に分岐 して溝SD524と な る。
古墳時代 か。溝SD513は 浅 く幅が1.2mの 東西溝。西端で南 に折 れ、浅 い窪 み状 の 溝SD514、 SD516に 連 なる。
掘立柱南北塀SA525は3間分 を検 出、柱間 は
2.7m(9尺 )等
間であ る。SA5121ま3 間分 を検 出 したが、柱間 は4〜5尺で一定せず、柱穴 も小規模である。井戸SE492は 、第219次調査 で掘形 の南東 隅を検 出 していた もの(1990年概 報
SX
15)で、今 回 ほぼ全体 を調査 した。掘形 は一辺約3mの正方形。掘形 内 の埋土 は硬
―‑ 95 ‑―
▲ 員
ρ
・私 柳 鉾
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)ぜ
。 呂監
│も地
Om
図54 第228次調査遺構図 (1/300)
―‑ 96 ‑―
質 の粘土 ブ ロ ックで、頑 丈 に作 られ て い る。井 戸 枠 は横 板 組 で一 辺1.2mの方 形 に 組 む が、保 存 状 態 はよ くな く、詳 しい構 造 は不 明。現地 表 面 か ら3.3mの と こ ろ ま で掘 り進 ん だが、底 に は至 らず、崩 壊 の危 険 が あ ったた めそれ以 上 の発 掘 は 中 止 した。深 さ2.3mの抜 き取 り穴 が あ り、平 瓦・ 丸 瓦 が多 く投 げ込 まれて い た。埋 土 出上 の上 器 よ り西 隆寺 造営 時 に は埋 ま って いた と考 え られ る。
調 査 区南 西 部 で東岸 を検 出 した池 状 遺 構SG5301よ、底 が平 らで あ る こ と と、 岸 が 直線 状 に伸 び る ことか ら人 工 的 に掘 削 され た もの と考 えて い る。底 に近 い部 分 か ら西 隆寺創 建時 の軒平瓦 が出土 して お り、 この遺構 が完全 に埋 ま ったの は奈 良 時代 後 半 と考 え られ る。他 に埋 土 か らは古 墳 時 代 の遺 物 が多 く出土 した。
北 区
東 西棟 建 物SB500は、219次調 査 で東 半 を検 出 した建 物
SB12(1990年
度 概 報 、以 下 カ ッコ内 同)の
西 半 部 で あ る。本調 査 に よ って そ の平 面 は七 間 二 面 、 柱 間2.7m(9尺 )等
間 の大 規 模 な もの と判 明 した。SB500の 北 庇 に重 複 す る小 規 模 な建 物SB504は、桁行3間、総 長4.2m、 梁 行1間、 柱 間2.6mで、SB500・505と の 柱 穴 の重 複 はな い。SB505は桁 行 6間 以 上 (推定 7間 )、 梁 行 2間 で、 柱 間 は2.lm(7尺
)等
間 で あ る。柱穴 の重 複 に よ りSB500よ り古 い こ とを知 る。 東 西 塀SA506
は、柱 間3.Om(10尺
)等
間 で、8B505の北3.9m(13尺)に
位 置 し、 柱 筋 の 方 向 を 等 し くす るので、SB505と同時期 と推 定 され る。SB508は径25cmの柱 根 を 留 め る 柱 堀 形 で建 物 の東 南 隅部分 と推 定 、 ま たSB509は、三 つ の柱 堀 形 を建 物 の 西 南 隅 部 分 と推 定 した。柱 間 は1.8m(6尺 )で
あ る。3
遺物
瓦 類 は軒 丸 瓦10点、軒 平 瓦21点、 簿5点、 戻 斗 瓦 1点 な どが 出上 した。 ま た溝 SD529と池 状 の遺構SG530の埋 土 か ら古 墳 時 代 の大 量 の土 器 が 出土 して い る が 、 現 在 な お整理 中で あ り、詳細 は正 報 告 書 に ゆず る。
4
ま とめ本年 度 まで の一 連 の調査 に よ って、西 隆寺 中心伽 藍 の回廊 東北 部 か ら、寺 地 北 東 隅 まで を帯 状 に明 らか に した こ とに な る。 なお検 討 を要 す る点 も数 多 いが、 特 に219次・228次 両 調 査 によ って、 ひ とま とま りの遺 構 群 を確 認 し得 た の で 、 主 に
―‑ 97 ‑一
▲ 員
図
55遺
構変遷図―‑ 98 ‑―
そ の調 査 の成 果 を中心 に、遺 構 の配 置 と時 期 区分 につ いて若 千触 れ、 ま とめ とす る。
古 墳 時代
(A期 )一
連 の調 査 区 の ほぼ全 域 に亘 って、古墳 時代 の遺 物包 含 層 が 広 が って い る。 また同時代 に属 す る溝 や池 状 遺 構 、建 物 な ど も検 出 され て お り、さ らに無 数 の小 ピ ッ ト群 の存 在 か ら も、 この あ た リー 帯 に古 墳 時代 の集 落 が営 ま れて いた ことは明 らかで あ る。219次調 査 区 で は斜 行 大 溝
SD443(1991年
度 概 報 SD09)、 228次 調 査 区で は池 状 遺 構 SG530、 建 物SB511な どが顕 著 な もので あ る。奈 良 時代前 〜 中期 (B・
C期 )西
隆寺 造 営 前 の平 城 京 右 京二条 二 坊 の敷 地 に あ た る。 この時期 に属 す る と推 定 され る大 規 模 な建 物SB510及 び井 戸SE492が検 出 され(C期
)、さ らに これ らに先 行 す る建 物 SB515・ 517の 存 在 も明 らか に な っ た(B期
)。 しか し奈良 時代 前半 に、 この地 が宅地 と して ど の程 度 利 用 され て い た か は未 確 定 の要 素 が多 く、特 に この時 期 の設 定 に は修 正 の余地 を残 す。奈 良 時代 後 期以 降 (D・
E期 )西
隆寺 造 営 と共 に、 そ の一 院 と推 定 され る建 物 群 が造 営 され(D期
)、 さ らに整 備 され る(E期
)。D期
に はSB485(1990年
度 概報 SB06)・SB490A(SB07A)・ SB495(SB10)・
SB505。 SA501esA506・ SB525 が属 す る。 これ らは、219次 調 査 段 階 で は奈 良 時代 前半 にあて て い た もの を含 み 、 改訂 した。E貞月1こ は
SC480(SC05)
。SB490B (SB07B)
。SB500・ SB521・SE491(SE08)
が属 す る。 この時期 は桁行7間の大 規模 な建 物 が2棟中 軸 を そ ろえ て 南 北 に並 び 、 しか も一棟 は掘 立 柱 を改 めて礎 石建 と した もの(8B490)で、仏堂 の可 能性 が高 く、
子 院 的 な性格 を考 慮 す る要 が あ ろ う。 この一 画 は、す で に前 年度概 報 で述 べ た 通 り、井 戸SE491の廃 絶 時期 で あ る10世 紀 こ ろ まで存 続 した と推 定 され る。 以 上 、 暫 定 的 な遺 構 の時期 区分 を行 な ったが、今 後 は出土遺 物 との対 応 関係 を検 討 して 遺 構 の編年 を確 定 し、京 内寺 院 の敷 地 周 辺 部 の様 相 を示 す実例 と して の西 隆寺 東 北部 の性格 を考察 してゆ きたい。
―‑ 99 ‑―
(森本
晋・ 松本修 自)
15 西隆寺 旧境 内の調査 (2)
第227次奈良市都市計画道路 に伴 う事前調査 の第 Ⅳ区。調査地 は西大 寺東 町 に所在 し、
西隆寺 の東北隅を検 出 した第 210次調査 区 に西接す る。調査期間 は1991年 7月 1
日〜 7月31日で、面積 は約 500だで あ る。調査地 の周辺 は、秋篠川 の氾濫 でか な り削平 を受 けてお り、本調査区で もそれが予想 された。調査 の結果、北半部 につ いて は秋篠川 の氾濫 と後世 の削平 によ り奈良時代 の遺構 は失われていたが、南半 部 は比較 的保存 が良 く、西隆寺関係 の遺構 を検 出す ることがで きた。
調査 区 の基本層位 は、北半部 と南半部 で様相 が異 なる。北半部で は、上 か ら置 土、黒褐色粘質土で、その下が北
1/3で
は灰褐 色砂礫 (秋篠 川 旧流 路)、 中央 部 で は青灰色粘質土 (地山)と
な る。南半部 で は、置土、床土 の下 に茶褐色 の薄 い遺物包含層 があ り、その下が地 山 とな る。地 山 は、東半部 は黄褐色粘質上 で あ るが、西半部 は灰褐色の砂層 と異 な ってい る。検 出 した遺構 は、奈良時代 の掘立柱建物
1棟
、掘立柱塀 1条、東西溝1条
、 橋 1基、礎石据付 け穴1基、秋篠川 旧流路、お よび多数 の柱穴、溝、土坑 な どで あ る。 この うち、柱穴 には古墳時代 の掘立柱建物 の一部 とみ られ る ものが あ るが、調査 区内で はま とま らなか ったので、 ここで は奈良時代 の遺構 を中心 に述べ る。
SA600
西隆寺 の北面築地。築地本体 や添 え柱 な どは検 出で きなか ったが、 第 210次調査 で東面 を限 る施設が築地塀で あ ることが判明 してお り、南雨落溝SD
429の状況 と、築地 に代 わ る閉塞施設 を検 出で きなか った ことか ら、北面 も築 地 塀 であ った と推定 した。なお、調査区の西隅で礎 石据付 け穴S X 608を検 出 し、
ここに門が開 くとも考え られ るが、詳 しい状況 は明 らかにで きなか った。
SD429
北面築地 の南雨落清。長 さ17mに
わ た って検 出 した。埋土 は上下2層
に 分 かれ るが、下層 の堆積 は薄 く、部分 的 に残存 す るだけである。調査区東端 に近 い部分で は溝の断面 はV字
形 で、溝 幅 も狭 いが、西半で は断面がU字
形 で、溝 幅 も広 い。埋土か らは、軒丸瓦6225A、 軒平 瓦6663 C b、 6721 H b各1点
と多量 の 丸・ 平瓦、奈良時代後半 の上器が出上 した。 この溝 には橋 S X 605がかか る。一‑100‑―
S A 610は 掘立柱東西塀。東半 は後世 の攪乱で削平 されているが、
5間
分 を検 出 した。先述 の礎石据付 け穴 S X608よ り古 く、位 置 的 にみて も西 隆寺 造 営 以前 の宅地 の北限の塀であろ う。S B 425は 本調査 区で は柱 穴 を1個
検 出 しただ けだ が、第 210次調査で確認 した もの と合 わせて、2間×2間の東西棟建物 とな る。秋篠川 旧流路 は、調査 区北端 を蛇行 しなが ら東西 に流 れ る。南肩 を検 出 しただ けで、東壁 際で部分 的 に深掘 りしたが、
lm以
上掘 って も底 に達せず、湧水 も激 しいので底 の確認 は断念 した。奈良時代 の丸・ 平瓦が大量 に投棄 された状況 で 出 土 し、かな り早 い段階で ここが流路であ った ことが うかがわれ る。 (玉田芳英)Y‑19,420
│
Y‑19,400
第210次 調査区
X‑144,950
一 x‑144,970
▲ 八
S A610 SX
│
図56 第227次調査遺構図 (1/300)
‑101‑
16 西隆寺 旧境 内の調査 (3)
第223‑21次1
は じめに都市計画道路建設 に ともな う事前調査で、
3年
度 にわた って続 け られた西 隆寺 旧境 内地 区 の発掘調査 と して は、最後 の ものである。調査 は平成4年
1月 6日 に ぉ ま り、同年 2月 6日 に終了 した。調査面積 は236∬である。調査 区 は、昨年度西隆寺北面回廊 を検 出 した第221次調 査 区 の東 、今年 度 先 行 してお こなわれた第228次南 区調査 の南 に位置す る。『 西大寺伽藍絵 図』 に描 か れた西隆尼寺 の伽藍図で は北面回廊 の北東部 にあた り、鼓楼 か ら東西塀 にか けて の一帯 に相 当す るもの と思われ る。 この調査区か らは、古墳時代 と奈良時代 の掘 立柱建物・ 掘立柱塀・ 暗渠・ 池状遺構 などを検 出 した。なお、発掘区 は東西 に2
分 されてお り、各 々を西 区、東区 と仮称 して、以下 の記述 を進 め る。
2遺
構発掘面積 が狭小 なため、遺構 の解釈 はなお完全 とはいえないが、少 な くと も以 下 のよ うな遺構 を確認 で きる。
A期
(古墳時代)池
状遺構SG02と 掘立柱建物SB01に よ って構成 され る。SG02
は第228次南 区で検 出 したSG530に 連続 し、西 区東端 か ら東 区 の全体 にわた って 深 さ80〜100cmの 埋土層 (暗青灰粘質土・ 黒灰粘質土)が
み られ る。第228次南 区 で検 出 した東肩 と本調査区で検 出 した西肩 はほぼす る平行す る関係 にあ り (北に 対 して西 に16〜18° 傾 く)、 相互距離 は約15mで
ぁ る。また、両 肩 と もに急勾配 に成形 されてお り、人為的な貯水遺構である可能性が大 きい。ただ、規模 の大 き さや深 さを考 えあわせ ると、古墳 の周濠 のよ うな溝状施設であ った可能性 も残 さ れてい る。SB01は 棟筋 が北か ら東 に37° 傾 いた掘立柱建物 で、桁行
4間 (7.2m)×
梁 間 2間(3.4m)の
規模 を もつ。柱間 は梁行方向で1.7m等間 だが、桁 行 方 向 で は中 央2間
が2.2mで 、両隅間 は1.4mと 短 くな っている。 この建物 の存在 によ り、池 状遺構SG02の 周辺 に集落が形成 されていた ことを推定で きよ う。―‑102‑一
B期
(奈良時代前半)本
調査区 の西北 隅で発見 され たSB03は 、 第221次調 査 区 の北端で検 出されたSB 7(奈
良時代前期)の
東 妻部 分 で あ る。 この建 物 は、桁 行4間
以上 ×梁 間2間以上 の東西棟で、柱 間寸法 は桁行方 向が2.4m(8尺 )等
間、梁行方 向 は
2.Om(7尺 )で
あ る。池状遺構SG02は 、その埋土か ら古墳 時代 の上器だ けでな く、瓦や奈良時代 の土器が出土 してお り、奈良 時代 にな って も、S803
♀ , 'Om
│
‑19470
茅
0 ・。
‑145p50
第223‑21次 調査遺構図 (1/200)
か な り長 い あ いだ存 続 して いた。
C期
(奈良 時 代 後 半) SG02は
、 お そ ら く西 隆寺 造 営 前後 の時期 に埋 め ら れ、 そ の上 層 が整地 され た。 この整 地 層 (暗赤褐 砂 質 土)も
、古 墳 時 代 〜 奈 良 時代 後半 の土 器 お よ び瓦 を多量 におゝくみ、 そ の上面 で は門 SB04・ 東 西 塀S
B05。 蛇 行 溝SD06・ 暗 渠SX07な ど の 遺構 を検 出 した。
南 北 方 向一 対 の掘 立 柱 で構 成 され た 門SB02は、 西 区 の西 寄 り中 央 に位 置 し、両 方 の掘形 に は柱 根 を と もな う。
柱 根 は直 径 25〜28cmで、 底 に 石 と瓦 を敷 いて礎 盤 とす る。 と くに南側 の柱 掘 形 の底 部 で は、 西 隆 寺 創 建 軒 丸 瓦
6235‑Cを
上 向 き に して 柱 根 下 端 との あ いだ に詰 め込 ん で お り、 この門 が 主 要 伽 藍 の整備 後 に建 立 され た ことを示 して い る。 門 に と もな う区画遺構 は検 出 され なか ったが、築 地 塀 の よ うな施 設 が想 定 され よ う。東 西 塀SA05は西 トレ ンチ の北 寄 り に位 置 し、SB04北側 の推 定 築 地 塀 に と りつ くか た ちで、東 へ のび る。 柱 間 は
2.4m(8尺 )等
間 で あ る。 西 か ら3番
目の柱掘形 に柱根 が残 り、 そ の脇 に は木 製 の 暗 渠SX07が埋 め込 ま れ てつと
︵υ
プ
/
醐 ピ
/
ア
/
B期
S602
C期
一
‑104‑
図58 遺構変遷図 (1/500)
いた。SX07は長 さ 210cm、 幅30cmで、北側 の蛇行溝SD06と 南 側 の土壊 状 遺 構S X08を つな ぐ役割 を果 た していた もの と思 われ る。断割 り調査 によれば、池 の上 層 を整地 す る段階で、 まず暗渠、つ ぎに柱が据え付 け られた と考え られ るが、 そ の時間差 はわずかであ り、両者 は共存 していた。 また、 この柱掘形 か らは
6663‑
Cb型式、その東 隣 の柱掘形 か らは6710‑A型 式 (いず れ もⅢ期
)の
軒 平 瓦 が 出土 してお り、塀 および暗渠 の築造年代 は平城宮軒瓦編年 のⅣ期以 降 とな り、西 隆寺 の創建年代 と重 な りあ う。SD06は 素掘 りの蛇行溝 で、 西 区 の東壁 か ら北 壁 にむ か って斜行す る (遺構平面 図 は最下層 のみ残 った状態 を示 す)。 東壁で幅108cm、深 さ15cm、 北壁 で幅192cm、 深 さ55cmで あ り、 そ の埋 土 に は大 量 の土 器・ 瓦 を 含 んで いた。
なお、SG02の 埋土 内か らは、橋脚 に用 いた と思 われ る平 行
2列
の杭列 SX09も 検 出 された。杭 のなか には地 山まで達 していない もの もあ り、あま り古 い時期 の 遺構 とは思 われない。おそ らく、奈良時代 につ くられた仮設 の橋だろう。3
遺物
瓦
表 に示 した よ うに、かな り多 くの瓦が出上 した。その うち軒丸瓦81点 、軒 平瓦29点、道具瓦
2点
を含 み、軒瓦 のなかで最 も多 いの は、軒丸 瓦 が15点の6235 C型 式、軒平瓦が11点の6761A型 式で、いずれ も西隆寺創建瓦 である。上器
池状遺構SG02の埋土 か ら古墳時代
6世
紀 の上器、奈良時代 中頃 の上 馬 、 奈良時代後半 の長脚高郭 な どが出土 し、その上層 の暗赤褐砂質土 の層か らは、 やは り
6世
紀 の上 師器 と奈良時代 の二彩 または三彩 の土器片 な どが出土 した。 さ ら にその上層 にあた る瓦混灰茶砂質土 の層か らは、大量 の瓦 とともに9世
紀 中頃 の 緑釉陶器 も出土 した。以上 の遺物か らみて、暗赤褐砂質土層 は西隆寺造営 に と も な う整地層、瓦混灰茶砂質土 は西隆寺廃絶 にともな う整地層 と考え られ る。木器
池状遺構SG02の底 か ら、杉 の板 材 が10枚ほ ど出土 した。緩 く湾 曲 した 断面 を もつ ものが あ り、槽 を遺棄 した もの と思 われ る。
礎石
西 トレンチ南西 隅 の土墳状 の穴SX10か ら、礎 石 と思 われ る大 きな花 南 岩 (直径約 120cm・ 高 さ約
45cm)が
出上 した。一部 に基 の加工痕 が あ り、 回廊 も‑105‑
しくは講堂 で用 い られた礎石 の可能性 がある。
4
まとめ以上 の成果 の うち、 と くに重要 と思 われ る点 を要約 してお く。
1)古
墳時代 の当該地 には、池状遺構SG02の 周辺 に掘立柱建物 の集落 が形成 され て いた。その年代 は、出土土器か らみて6世
紀 の可能性 が大 きい。2)奈
良時代 に入 って も、右京一条二坊九坪 の宅地 のなかで池 状遺構SG02は存 続 し、その周辺 に掘立柱建物 が建 っていた。3)奈
良時代後半 の西隆寺造営前後 に池状遺構SG02は 埋 め られ、 その上面 が整地 されて、溝・ 門・ 塀 な どの施設が築造 され た。 門SB04で は南側 の柱 の礎盤 と し て西隆寺創建軒丸瓦 を用 いてお り、金堂 。塔・ 回廊 など伽藍主要建築 の竣工後、これ らの施設 を建設 し始 めた ことがわか る。すなわち、
c期
の遺構 は、境 内周辺 地 区を対象 とす る第2次
伽藍整備 に ともな うもの とみなせ よ う。(浅
川滋男)軒 丸 瓦 軒 平 瓦 道 具 瓦 等
型 式 種 点 数 型 式 種 点 数 種 朝 ! 点 神
6133 6225 6235 6235 6301 6311 6313 6316 6348
新 型 式 型式不 明
C N E C I
? B a A H K A B
6642 6663
6710 6721 6732 6739 6761 6764
型式不 明 A A C
? A C b A A A A G
瓦 の 他 丸
そ 1
1 文 宇 瓦 点 数
丸 瓦
重 量 3 0 5 1lg 点 数 1, 877
平 瓦
重 量 8 7 1 4kg
軒 丸 瓦 計 軒 平 瓦 計 点 数 6, 451
表10 第223‑21次 出土瓦集計表
‑106‑
17 西大寺境 内の調査 第
223‑11次史跡西大寺伽藍 の中枢部、東塔跡 の東南東
100mの
地 点 に木 造 多層 塔 を新 造 す る計画があ り、その事前調査 と して発掘 を実施 した。調 査期 間 は1991年9月 12日〜10月 7日、面積 は
472rで
あ る。調査地 の現況 は参拝者用の駐車場 で、 それ以 前 は藪地 であ った。塔 の建設位置 に合 わせ東西約24m、 南北約20mの
範 囲 を調 査 し た。1遺
構調査 区 はほぼ全体 が池跡 にあた る。遺構 は池 とその堤 、埋没 した池跡 に設 け た 導水管、溝2条な どがある。
S G01
池 は発 掘 区 の全域 にお よ び、西 岸 とあ る時期 の北岸 の一部 を検 出 したが、A
図59 第223‑11次遺構図 (1/200)
0 °
―‑107‑一
南 岸 。東 岸 は未 検 出で あ る。現 在 、南 岸 。東 岸 に関 す る手 懸 はな いが、 北 岸 に つ いて は、発掘 区 の北、 四王堂 との間 に小 さな池 が あ り、S G01の北 岸 が こ こ ま で延 びて いた可能性 が あ る。池 は何度 か の埋 立 て を行 い、次 第 に規模 を縮小 した。
この埋 土 か ら大量 の瓦、少量 の瓦器 が 出土。軒 瓦類 は近世 を主 と し古代 。中世 の 瓦 を含 む。
S X02 S G01の
北 岸 に あ た る堤 。 幅約0.8m。 両 側 に杭 を うち、割竹 を網 代 組 み に して護 岸 とす る。発掘 区 の西北 隅 で は、護 岸 の南側 にさ らに玉石 を置 く。 この 堤 は江 戸 末 期以 降 に、付 近 の堆積土 を一 部 掘 り込 み施工 して い る。S X03 S X02と
重 複 す る導 水施 設 。節 を抜 いた青竹 を松 の一木 の ジ ョイ ン トで 繋 ぐもの。 ジ ョイ ン トは発 掘 区 の壁 に懸 か った物 を含 め4個を検 出。 この施 設 は S G01がか な り埋 没 した段 階 に設 置 し、 そ の後 、堤S X02を設 け る。 S G03と S X02の前 後 関係 は時期 差 とい うよ り、作 業 手 順 の差 で あ ろ う。軒
丸
瓦 軒
平
瓦 道 具 瓦
型 式 種 点 数 型 式 種 点 数 型 式 種 点 数 種 類1 点 数
S A A
? A A A A B 33 39 36
︲6 48 開 82 84
E C
? A F A K Q 9
66 66 66 66 67 67 67
A A A A A A A A A A
? A A B A
262 268 273 276 288 303 304 307 308 309 3︲0 3︲2 3︲7 323 325
A A A B C B A C A A A B A A A A A A A
? E
? A 明
3 2 7 3 3 0 3 3 3 3 4 4 3 4 5 3 4 8 3 4 9 3 5 0 3 5 ︲ 3 5 3 3 6 2 3 6 3 8 6 4 3 6 5 3 6 7 3 6 8 3 7 2 3 7 5 3 9 2 3 9 5 蔀
型
簿 鬼 瓦 その他
文
字
瓦
刻印瓦 2
中近世 巴文︒菊花文
86 148 157 158 163 164 168 169 184 188 189 190 194 型式不 明
瓦 丸
重 量 1, 8 9 4. 4 kg
点 数 7,536
瓦 平
重 量 5,315.9 kg
軒 丸 瓦 計 180 軒 平 瓦 計 207 点 数 23,720
表■
第223■ 次調査 出土瓦集計表
―‑108‑―
392E
262A 323B
図60 第22311次 調査出土軒瓦
(1/4)
―‑109‑一
東 西 溝
S D04
幅約lmの
東 西 溝 。15m分
を検 出。S G01が完 全 に埋 設 した段 階 で掘 った瓦捨 ての土媛。近世 の瓦片が多量 に出土 した。 (金子裕 之)2遺
物大量 の遺物 の うち、 ここで は瓦樽 について報告す る。
軒丸瓦180点・ 軒平瓦207点を は じめ、完形資料 を含 む大量 の瓦薦 が 出上 した。
創建期 の軒平瓦
248(6732)Qが
やや 目立つ のを除 いて、奈 良時代 の もの は少 な く、平安時代以降の瓦が大半 を占め る。軒平瓦 で最 も多 いの は巴文 の158Aで、28点が 出土 して い る。不 明瞭 だが、珠 文帯 の両側 に圏線 をめ ぐらす。190Aは、鳥余 と して製作 された大型品であ る。
軒平瓦 で は、渦文状 の唐草文 を もつ268A・
288Aが
、それぞれ16点・33点と多い。今回、288A・
Bは
同絶 で あ ることが判明 したので、B種
を消去す る。胎土・ 焼成 や技法的特徴 など、共通性が強 い。『西大寺防災施設工事・ 発掘調査報告書』 で は四王堂所用瓦 と し、1138(保延4)年
頃の年代 を想定 した瓦で あ る。 一 方 、392Eを
代表 とす る連珠文軒平瓦 もかな り出上 してお り、 この ほか309Aも
比 較 的 め だ った集 中を見せ る。262A・ 273A・ 364A・395Aは、今回 の調 査 で初 めて 出土 した 新 出の型式、323B・338Bは新種 であ る。 (小澤毅)
3
まとめ今 回の調査 によ って、西大寺伽藍地 内にかな り大規模 な池 の存在 が確かめ られ た。 この近辺 では、防災工事 に伴 な う発掘調査が行 なわれてお り、1987年の調査 で は、今回の発掘区の西方 に池 の北岸 を検 出 している (『西大寺 防災施設 工事・
発掘調査報告書』)。 S G01は これ と一連 の ものである可能性が大 きい。
S G01
の全体規模 や上限 は不詳 だが、江戸 の末か明治 の初 めには池 を縮小 し、沼状 の堆 積土 を掘 り込 み導水 (排水)管
を設置 し、それ と交叉す るよ うに池 の南堤 を設 け た。池 の跡 にはその後、境 内か ら出た大量 の瓦片な どが投棄 され、何度 か の整地 を経 て今 日にいた った ことがわか る。‑110‑
(金子裕之)
18 西大寺 旧境 内の調査 第
223‑1次右京一条三坊十六坪西北 隅部付近 にお け る住宅 の新築工事 に先 立 って発掘調 査 を行 な った。調査期間 は1991年4月9〜 15日、調査面積 は約110だで あ る。
1
基本層位調査直前 まで の営農 を示 す耕作土 (厚約
25cm)と
耕作基盤土 (厚約5cm)の
直 下 に旧耕作土 (厚約15cm)と
旧耕作基盤土 (厚約8cm)が
あ り、 その下層 に奈 良 時代 の整地土 と地 山が続 く。地 山 は西 か ら東 に向か って緩 やか に傾斜 す る黄褐 砂 質土 で、 この上面 に地 山 に きわめて よ く似 た暗黄褐粘質上 の奈良 時代 の整地上 が 西か ら東 に向か うに したが って厚 く堆積 して いる。2遺
構奈良時代 の遺構 と して、幅約2.3m、 深 さ約20〜30cmの南 北 素 掘 溝S D 5615を 調査区東辺 で検 出 した。調査 区南端 で西方 に向か って垂 直 に曲が る様相 を呈す る。
堆積土 は2層で、上層 か ら比較的多 くの奈良時代後半 の上器 片 や少 量 の瓦編 が 出 上 した。その他 の東西溝 は、いずれ も中世以降の耕作 に伴 う溝 で あ る。 また調 査 区東南端 の上装状掘形 S K5620は 旧耕作基盤上 の上面 で検 出 し、 内部 の堆 積 上 が
Y=‑20130
‑ │
│
図61 第223‑1次調査遺構 図 (1/300)
―x・―1449刊
灰色砂質土であるため、中世以降の耕作 に伴 っ
て埋 め られた池状 の溜 りと思 われ る。
推 定 条 坊 によ る と調 査 区 南 半 部 が十 六 坪
(西大寺 旧境 内)、 北 半 部 が推 定 一 条 北大 路 路面上 に位置す るが、大路南側溝 や西大寺 の 一X=‑144980
北 限 とな る築地等 の痕跡 は検 出で きなか った。
また、S D 5615も 路面上 を北 か ら南 に貫流 し て い ることにな り、周辺調査 の成果 を待 って その性格や機能 を割 り出す必要 があろう。
‑111‑
(本中
真)
19 海龍王寺 旧境 内の調査
第223‑18次1
は じめに当研究所 は、海龍王寺 旧境 内 において、 これまで二次 にわた る調査 を行 な って きた。 まず、推定寺地東南部 にあた る、現参道南側 の調査 (1969年
)に
おいては、奈良時代 にさかのぼ る堀立柱建物 を検 出 し、寺創建時の もの と推 定 した。次 に、
防災工事 に伴 う調査 (1970年
)で
は、中門・ 回廊 の一部 を確認 し、東 西僧房 の位 置 を推定 した。 さ らに寺地北方 の調査 (95‑2次、1975年)で
は、東 西 築地及 びそ の北方 に奈良時代 の東西溝 を検 出 し、いずれかが寺地の北限を示す もの と考え ら れた。本年度 の調査 は、住宅建設 に伴 う事前調査 であ り、旧寺地 内の北部 、現本堂 す なわち旧中金堂 の真北 にあた る。発掘面積 は60だ、12月 6日 に開始 し同20日 に終 了 した。
こヨロ,
▲ 八
回
!一
︐
95‑2次調査区
図62 海龍王寺旧境内の調査位置図
□:
‑112‑
2遺
構検 出 した遺構 は、東西棟建物基壇 の一部 とその外装凝灰岩 の残欠、及 び後 世 の 不整形 の撹乱坑 が主 で あ る。基壇 は、発掘 区の東 端及 び西半北側 で大 き く削 平 を 受 けて い るが、
15mに
及 ぶ発掘 区の東西全域 に及 び、 さ らに発 掘 区外 に広 が る。発掘 区の中央 やや東北寄 りに、基壇北側 の化粧材 と推定 され る凝 灰岩 の残 欠 が、
1.7mの 長 さに亘 って当初 の位置 に残 り、発掘 区が基壇 の北端部分 に当 り、基 壇 は発掘区の南 に続 くことがわか る。以上 の点 か ら、検 出遺構 は奈良時代 の、 か な り大規模 な建物 の基壇 で あ ることはまず まちが いのない所 と思 われ るが、建物 そ の ものにつ いて は、柱位置を明確 に示す遺構 を得 てお らず、手がか りはない。
一方基壇 の造成 は、発掘区内に限 って は地 山を削 り出 して行 な ってお り、残 存 高 は20cllであ るが、 このあた リー帯が溜池 とな っていた時期があ り、基壇 に礎 石 等 の痕跡 を留 めな い ことな どか らも、全体 にか な りの削平 を受 けて いる もの と考 え られ る。 ただ し、基壇化粧か ら90cm南 に、幅18cmの凝灰岩切石 が東 西 に並 ん だ 状態 で検 出 されてお り、地覆石 の可能性 を も持 つ が、基壇土 を切 り取 って据 え付
け られて お り、現段階で は後世 の二次的な施設 と判断 している。
発掘 区西半 の撹乱部分 には、長径90cm、 短径60cmの下面 が平坦 な自然石一個 と、
径20〜 30cmの多数 の玉石 が散乱 してお り、礎石及 びその根石 が投棄 された可 能 性 を持つ。 この撹乱坑 は後世再 び埋 め立 て られ、その上面 におびただ しい量 の瓦片 を置 いて地固 めと している。
│ 十 六 十
│ │
‑17.600 ‑17,555
図63 第223‑18次調査遺構 図 (1/120)
争
6。修型竺 型さ
‑113‑
3
遺物
発 見 され た遺 物 は瓦 に限 られ、大半 は中世 以 降 の もので あ るが、奈良時代 の軒 丸 瓦・ 軒 平 瓦 を混 じえ る。 この うち6721形 式 の軒 平 瓦 は、 これ までの調 査 で も最 も多 く出土 して お り、6282形 式 の軒丸 瓦 と共 に奈 良 時代 の海龍王寺所用瓦 の主 体 を なす もので あ る。 なお、
7世
紀 に さか の ぼ る瓦 は、今 回 は発 見 されて いな い。4
基 壇 建 物 の比 定以 上 述 べ た よ うに、中金堂北方 に大規模 な基壇 建 物 が あ った ことが確認 された。
建 物 は、
1)凝
灰 岩 の基 壇化 粧 を有 し、2)東
西長 は15m以
上 に及 び、3)北
端 が現 本堂 の北 側 か ら約30mの
位 置 にあ る。 これ まで に中金堂北 方 で は、石 敷 が あ る こ と、及 び東 僧房 の位 置が推定 され た こと以外 に は堂舎 の確認 がな されて いな い。 しか し絵 図 に表 され た ものが あ るので、 こ こで遺構 との比較検討 を して お こ う。まず、延 文元 年五 月 の記 のあ る「南都海龍 王寺寺 中伽藍坊室之 絡図」 に は、 中 金 堂 と東 西 両 金 堂 は描 か れ るが回廊 は失 われ、中金 堂北 に講堂 、 さ らにその北 に 入 母 屋 造 基 壇 建 の堂 (名称 部分 が剥離 して不 明、食 堂 か。
)が
あ る。講 堂 東 西 に 南北 棟 の東 室・ 西室 を描 く。次 に、14世紀 と推 定 さ れ る「 海 龍 王 寺 尼 別 受 指 図」に は、伽 藍 主 部 の平面 が描 かれ、中金堂、東・ 西金堂 、講堂、東 。西僧坊 の位 置 関係 は上 記 の絵 図 とほぼ合致 して い る。 中世 の伽藍 の状況 につ いて は、両 図 を ほ ぼ信頼 し得 る もの とお もわれ る。講堂 の位 置 は、両 絵 図で はす くな くとも僧 坊 の 桁 行 の範 囲 に はお さま り、 またそ の前面 が僧坊 の南妻 に近 く描 か れて い る。 した が って講 堂 と中金堂 も、 さほど間隔 を あ けて いない と推定 され る。
以 上 を前 提 とす る と、今 回検 出 した遺構 は、延 文絵 図 に描 かれ た講堂北側 の堂 (食堂 か
)の
基 壇 に該 当す る可能性 が高 い と考 え られ よ う。 奈 良 時代 の海 龍 王 寺 伽 藍 の一 端 を確 認 し得 た ことは大 きな意義 が あ り、今後 は寺地 の範 囲 の確認 と共 に全 体 の伽 藍配 置、 さ らに平城京条坊 との関係 な どが よ り明 らか にされ ることが 期待 され る。‑114‑
(松本 修 自)
20 薬 師寺宝積院の調査
第223‑3次1 は じめ に
宝 積 院 は薬 師寺 北 門 を入 って す ぐ東 にあ った子 院 で あ る。寺蔵 の古 図によれば、
17世紀 中頃 に遡 るよ うだが、 この地 は奈 良 時代 に は苑 院 で あ った と推 定 され て い る。
当該 地 の調 査 はかつ て昭和 53年12月に庫 裡 新 築 に伴 って実 施 し、 当 時 か ろ う じて残 存 して い た宝積 院西 面土 塀 際 で、江戸 時代 の瓦 を子羽立 て して化粧 した 宝積 院東 門S B07と東 雨落 溝S D06、 土 装S K04及 び近世 の溝S D09と この埋 土 を切 る井 戸S E08な どを検 出 した。 また下層 で は東 西溝S D02、 平 安 末 を 中心 と した時期 の池状 の大 土 墳S K01、 奈 良 時代 の掘立 柱南 北塀S A10、 古 墳 時 代 の蛇 行溝S D03・ 05な どを検 出 した。
今 回 の調 査 は、前 回 の調 査 地 の東 で、新 た に庫 裡 建設 の申請 が提 出 され た こ と か ら、平 成
3年
5月29日か ら6月29日 まで、約 200∬ につ いて実 施 した。2
遺 構調査 地 の土 層 は、上 か ら0.5〜1.Omの盛 土 、0,2〜0.3mの畑 耕 作 上 、0.1〜0.3m の中世 の遺物包含層 で あ る茶灰褐色上 の順 で、 この下 で は一部 に奈良時代 の整 地 上 が残 るが、大 部 分 を池S G20の埋 土 とS G20造成 に伴 う整地 土 面 が 占め る。 奈 良 時代 整地 上 (厚さ0。1〜
0.2m)に
は古墳 時代 の上 師器 細 片 を含 む 暗褐 色 砂 質 土 層 (厚さ0.lm)が
あ り、以下 は青灰 色 シル トの地 山 とな る。検 出 した主 な遺 構 は、奈 良 時代 の上装S K18、 平安 時代 末 の池S G20と これ に 注 ぐ細 溝S D24、 S G20造成 土 下 の炭・ 灰 を多 く含 む大 土墳 (以下 炭 土 墳
)SK
ll〜14・ 17・ 22・ 23、 池 埋 没 後 の大 土lFiS K 15な どで あ る。
池
S G20
蛇 行 す る池 で、南 岸 中央 に は出島が あ る。東半部 の汀 には人 頭 大 の石 や その抜 取 り痕 が処 々 にあ り、 と くに出島東岸 で は比較 的密 に石 が残 るが、池 西 半 部 で は石 も し くはそ の抜 取 り穴 は疎 らで、西 と東 で はや や様 相 が異 な る。 池 の 深 さ は0.4〜 0.6m。 池 底 の レベ ル は西 か ら東 に漸 次低 く、 比 高 差 は南 西 部 と出 島 付 近 とが0.2m、 出 島先 端 部 と出 島東辺 とが0,2mだが、 出 島東 辺 か ら池 南 西 部 に‑115‑
I H ωl
か けては比高差0.8mと かな り低 くなる。水 は南西 か らひ き、東 南 に抜 いて い る が、他 に北西 の溝S D24からも池 に注 いで いた と推測で きる。池 の東端 は不 明だ が、西 は前回調査 した池状 の上墳 S K01に 連 な る可能性が強 い。
池 の埋 土 は、底 か ら厚 さ0.2〜0.3mの暗褐色 土・ 暗灰 粘 質土・ 褐 灰 色 砂 質 土
(以上、下層
)と
、厚 さ0.2〜0,4mの 黒灰色土・ 焼土層 (以上 、上 層)か
らな る。褐灰色砂質土 は岸近 くにのみあ り、焼土層 (厚さ0.1〜
0.3m)は
出島よ り東 にあっ た。 この焼土層 は建物 の焼壁 を多 く含む。なお、 S G20の 底 には池造成 時 に設 け た深 さ0.2〜0.4mの 上墳 S K16・ 19・ 21があ る。魚溜 ま りのよ うな施設 で あ ろ う。炭土装 S Kll〜 14・ 17・ 22・
23
池造成 に伴 う整地土下 で検 出 した楕 円状 の大 き な土墳で、一部 を発掘 したに とどまる。深 さ0.5〜 0.8m。 いずれ も厚 さ0.1〜0.2mの 炭・ 灰 の堆積 があ る。 と くに S K23で は、底近 くで細砂 と炭・ 灰層 が1〜2 cmご とに7〜 8層互層 にな り、 また上層 で は焼壁 も出上 し、近 くに恒常的 に火 を焚 く施設 があ った ことが窺われ る。S K14がS K13に よ って切 られている以外重複 はない。
3
遺物中世 の遺物包含層 で あ る茶灰褐色土 や池 S G20の 埋土 か らは多量 の土 師器・ 瓦 器 な どが出土 した。 また、瓦 もか な りの量 (軒瓦計185点
)が
出土 して い る。 以 下 で は、主 に S G20の 上層 と下層、それ に炭土墳 S Kll〜14・ 17・ 23の遺 物 について記述す る。炭土墳 の遺物 はそれ程多 くない。
A.土
器炭土媛及 び池 の上・ 下層 か ら出上 した土 器 に は、瓦器椀・ 皿・ 鉢・ 華 瓶・ 盤
(火鉢 ?)、 土師器皿・ 台皿 (托
?)。
高 杯・ 耳皿・ 甕・ 羽 釜 、 須 恵 器 鉢・ 甕 、 白磁椀・ 皿・ 瓶、青 白磁合子 な どがあ る。なお、黒色土器 は椀Bの
細 片 が少 量 出 上 している程度で この時期 には使用 されていなか った可能性が強 い。まず、主 な器種 の器形 について系統区分 を行 ってお く。瓦器椀 には、高 台 が直 で太 く、端部が丸味を もつA、 高台がやや外反気味で細 目のB、 高台外 の体 部 と の境に突帯をめぐらすC、 高台内に突帯をめぐらす
Dの
少なくとも4系
統 と、少 量の小型椀などがある。瓦器皿には高台のつかないものと少量だがつ くものとが‑117‑
あ り、 ともに底部か ら体部 が急角度 に立 ち上 るCとなだ らかに立 ち上 る
Dの 2系
統 があ る。瓦器鉢 に も高台のつかない もの とつ くものとがある。土 師器皿 には口径9,1〜 11.8cmの小皿 と、口径12.9〜16.lomの大皿 とが あ る。 小 皿 には口縁端部 を内に折 曲 げ、あ るいは引 き出 して玉縁状 につ くるいわゆ る「 て の字」 □縁 の
Aと
B、 日縁端部 がやや外反 す るC、 日縁端部が直のDの
主 に4系
統、大皿 には小皿
CeDに
対応 す るC・D2系
統 が ある。 台皿 に は高 台 が 直で、日縁 が「ての字」のB、 日縁 が直 もしくは外反 し、高台がやや外反す るC、
Cに
似 るが高台外端 を玉縁状 に肥厚 させ る
Dの
主 に3系
統 があ る。高杯 には脚 部 を八 面取 りす るA、 12面取 り して杯部 との境 に段 をつ くるB、 耳皿 には耳 を水 平 に折り曲げるA、 直 に折 り曲げる
Bの
、各2系
統 が あ る。土 師器羽釜 は菅原正 明氏 の分類 と編年 (注 1)、 須 恵 器鉢 は東播 系 で あ り神 出 古窯 の分類 と編年 (注2)、 白磁 につ いて は横 田賢次郎・ 森 田勉 氏 の分 類・ 編年 (注
3)に
準拠す る。 また、土器年代 につ いて は、川越後一氏の瓦器椀編 年 (注 4) に準例す る。なお、池上層 の土器 は未整理なので、概略を記すにとどめ る。炭土境 S K14出 土土器 (図
65, 1)瓦
器 椀B(1)は
内外 面 に底近 くまで密 に しか も強 くヘ ラ ミガキ (暗文)を
施 す。外面 の ミガキは四回 にわけてお り、ミガ
キの前 に体部 をヘ ラケズ リす る点 は古調、見込 みの暗文 は比較的密なジグザグ文。
厚手 で、日縁内端 の沈線 の位置 は低 い。色調が灰褐色系の土師器小皿
CODの
小 片 も出土。炭土境
s KS13出
土土器 (図65, 2〜15)瓦
器椀A(13)は S K14出
土 瓦 器椀 とほぼ同工 だが、高台端 に もヘ ラ ミガキを施すのは唯一例。体部内面 に「 キ」 と 焼成後 に針書 き。見込 みの暗文 はないが、3回
転 の独立 した螺旋状 暗文 を施 す例もあ る。瓦器椀
Cは
高台が細 く高 い。腰 の突帯 は細 く、 この上 にもミガキを施す。瓦器小椀 (12)は13と ほぼ同工。見込 みの暗文 はない。
土 師器小皿 は
A(2)・ B(3・
4)・C(5)・ D(6)各
種 が あ る。 調 整 は底 部無調整 のe手
法、色調 は一部 に赤褐色 ない し黄褐色 をおびる もの もあるが灰褐 色系 が主。小皿 A・Bは
口縁部 が ほぼ水平 で、器高 も低 い。小皿Aに
は口縁 端部‑118‑
2
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図65 炭土壊出土土器
(1/4)
‑119‑
6
17
を折 曲げた玉縁が大 きい厚手 の もの と玉縁が小 さ くやや薄手 の もの、厚手 で大 き な玉縁 の端 を さ らに外 にひき出す 2と がある。小皿
Bの
3は日縁端 のひき出 しが 高 く太 い。土 師器大皿 はC(7・
8)・D(9)が
出土 。 粘 土紐 を巻 き上 げてつ くり、底部外面 の一部 にナデ調整 を加 え る。色調 は灰褐色系が主。大皿
Cの
口縁 の 外反 はそれ ほど強 くない。8のよ うに皿 とい うよ り杯 に近 い深 目の もの もあ る。大皿
Dに
も通例 の もの とやや深 目の 9と がある。土師器高杯B(11)は
淡灰 褐 色 で焼成が堅緻。脚部 は12面取 りののち ヨコ方 向に回転 ナデを加 え る。 日縁部 が ゆ るやか に外反す る杯 ない し皿部 の破片 (10)も ある。土師器羽釜B(14・ 15)は
鍔 が太 くて長 いのが特徴。他 に須恵器甕 などの破片 も少量 出土。
炭土壊 S K12出 土土器 (図65,16〜
24)瓦
器椀A(22〜 24)は
新 旧二種 があ る。22は S K13の 瓦器椀
Aと
ほぼ同土 だが、体部外面 の ミガキはやや弱 く、高 台 に も ミガキを加 えない。見込みの暗文 は放射状。 この一群 には口縁が歪んだ沓茶椀風 の完成品が一点 ある。見込 みの暗文 はやや粗 い ジグザ グ文。23と 24は外 面 の ミガ キを高台か ら1.5 cm前後離 れて施 す よ うにな る。23は外面 の ミガキが密 だが弱 く、3回にわ けて施す。見込 みの暗文 は3回転 の独立 した螺旋文。24は外面 の ミガキ を
4回
にわ けて施すが粗 い。 ミガキ前 にヘ ラケズ リを施 さない初 出資料。見込 み の暗文 はやや粗 い ジグザ グ文。焼成前 に口縁外面 に五葉文 を線刻。瓦器椀C(21)
は腰 の突帯が太 くな り、 ここには ミガキを加 えない。見込 みの暗文 はやや粗 い ジ グザ グ文。
土 師器で は、小皿
A(16)。 B(17)・ C(18)・
D、 大 皿CeD(19・
20) がある。灰褐色系で S K13出 土品 と大差 はない。炭土境 S K23出 土土器 (図66,1〜
10)瓦
器椀D(10)は
外面 を ヘ ラケ ズ リ後 、 ミガキを底近 くまで密 に施すが、 ミガキはやや弱 く、線 が細 くな る。土師器小皿 にはA(1)・ B(2・
3)・CeD(4)、
大皿 にはC(5〜
7)・D(809)が
あ る。Aの
13の外底 には「十」のヘ ラ記号がある。小皿Bに
は13のよ うに口縁端部 のひき出 しが低 い ものが出現す る。大皿Cに
は口縁端 の外反 がやや強 い13と弱 い13とがあ る。前者 は底部外面が無調整で、底部内面 をハケロ調整す る。 また胎土
‑120‑
‑1
2
3
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‑11
12‑121‑
に雲母 を含 み他 と異 なる。色調 は淡褐色。後者 は底部外面 の一部 をナデ調整。灰 褐色系。 白磁椀
Vlの
小片 も出土。炭土境 S Kll出 土土器 (図66,11〜
13)
瓦器椀Aと B(13)と
が あ る。Aは
底 部 の破片 で、見込 みの暗文 はない。Bの
13はやや薄手 だが、外面 をヘ ラケズ リしたのち、比較的密 な ミガキを施す。見込 みの暗文 はやや粗 い ジグザ グ文で、 ジグ ザ グ文 を交叉 させた もの もある。土師器小皿
Bは
口縁端 のひき出 しが太いものと、細 く低 い11とが あ る。土師器台皿
B(12)は
、日縁端 のひ き出 しがやや太 目だが、日縁部 は立上が り気味。色調 は暗褐色系。
炭土壊 S K17出 土土器 (図66,14〜
21)瓦
器椀Aと B(21)と
が あ る。Aは
底 部 の破片で、高台 はやや小型 にな る。見込 みの暗文 はやや粗 い ジグザ グ文。Bの
21は S Kllの 瓦器椀Bと ほぼ同工 だが、日縁内端 の沈線 の位置が高 くなる。 見込 みの暗文 は、渦文 に近 い3回転 の独立 した螺旋文。 ジグザ グ文 もあ る。瓦器 皿
C
(20)は 平底で、日縁部 内面 に密 に、日縁部外面 と一部底面 外面 にやや粗 いヘ ラ ミガキを施す。見込 みの暗文 はジグザ グ文。
土師器小皿 はA・
Cの
破片 とB(14〜
16)と がある。Bに
は口縁端部 のひ き出 しが太 い もの もあるが、16のよ うに細 く低 く、 しか も口縁部が水平でな く立上 が り気 味 の ものが出現す る。土師器大皿C、 台皿Cの
日縁部 の破片 もある。羽釜B
(19)は S K13出 土品 よ り鍔がやや小 さ くなる。
池S G20整地土 出土土器 (図66,22〜
28)瓦
器椀A(27)は
日縁 内端 の沈線 の 位置が高 いが、 S K17出 土瓦器 に比 して外面 の ミガキはやや粗 となる。見込 みの 暗文 は2重
の螺旋文 とジグザ グ文 とがあ る (25・ 26)。 瓦器椀Cは
S K12出土 例 と大差 ない。土師器小皿 A・ B、 大皿C(24)・
D、 台皿C、 高杯B,甕
、 羽 釜B
の客破片がある。大皿
Dに
灰 白色系 の ものがあ るの は初 出。台皿Cの
うち22は高 台が低 く、23は高台 が と くに高 い。羽釜B(28)は
S Kllと ほぼ同土 たが、胎土 の砂 は少 な く、比較的焼 きもよい。日縁外端 と頸部内面 が尖 り気 味 なの は特異。なお、土師器椀 と推定 され る小 さな高台 も出土。
池S G20下層 出土土器 (図67・