C.木
製 品・ 石製 品・ 土製 品等木製 品 は、S G20整地 土 か ら下 駄1点と部 材 1点 、S K12か ら棒 状 品 1点 な どが 出土 した。 また、S K12・ 14か らはモ モの種子 な どが 出上 した。下 駄 は小 判 形 の 平面 形 を呈 す る小 型 の連歯 下駄 で、半哉 す る。板 目材 の木 表 を台 の上面 と し、 前 壷 は中央 に、後 壷 は歯 の内側 に穿 孔 されて い る。全長17.3cm。 石 製 品 はS K12か ら大型 砥 石 が1点出土。土 製 品 は、S K12・ 17・ 23か ら窯壁 片 、S G20か ら建 物 の壁 上 の ほか、鋳 造 な い し鍛 冶 に関連 す る炉 壁 片 や輔 羽 口 あ る い は窯 壁 が 出土 。 その ほか に鉱 滓 も出上 して い る。冶金 関連 の遺 物 は池 内堆 積 土 層 中 にのみ含 まれ る。輪 羽 口 に は基 部 片 が あ り、残 存 す る長 さ1lcm、 ラ ッパ状 に開 く基 部 の 直 径 が 9.5cm(内型6.4cm)、 先 端 の直径7〜8cm(内径2.7cm)であ る。輪 羽 日 と して は一 般 的 な形 態 で あ る。
4
ま とめ(小池伸 彦)
薬 師寺北門 を入 ってす ぐ東 の一郭 は、11世紀代 には狭い範囲 に炭土壊が処々あっ た。 この土墳 は、近 くに恒常的 に火を焚 く施設 があ った ことを示す。輔羽 口や鉱 滓 は出土 してお らず、鍛冶関係 で はない。土 師窯 の可能性 もな くはないが、焼 け 歪 んだ土器 は瓦器椀 (完形
)が
1点出土 したのみで、決定 で きない。 いず れ に し て も生産 に関わ る区域 ない しは厨房的な区域 であ った と推定 され る。池 の造成 は11世紀末 ない しは12世紀初頭 頃であ る。処 々に石 を置 き、 出島が あ るな ど、単 な る溜池 で はな く観賞用の池であ った と推 測 で きる。おそ ら く、池 の 北 に建物 を設 けた子院 の形成 があ ったので あろ う。薬師寺 の子院 と して は、 た と えば、東北院が元永元年 (1118)、 喜多院が承安
5年
(1175)に 登場 す るが、今 回 発掘 した子院名 はわか らない。この子院 は、池 の焼土層 か らみて、12世紀末頃 に火 災 にあ ったよ うで、池 自体 もこの時期 には機能 を停止 して しま う。(毛利光俊 彦)注
1)横
田賢次郎・ 森田勉「大宰府 出土の輸入中国陶磁器 について」『九州歴史資料館 研究論集』419782)川越俊―
「大和地方出上の瓦器をめ ぐる二、三の問題J『文化財論叢』 1983
3)菅
原正明「畿内における土釜の製作 と流通」『文化財論叢』 1983
4)森
田勉「東幡系中世須恵器生産の成立 と展開」隣申戸市立博物館研究紀要』3 1986
21 薬 師寺西面大垣の調査
第223‑17次店舗建設 に伴 う事前調査 であ る。当該地 の周辺 における従来 の調査 は南で 3カ 所 (第118‑27,123‑18,131‑3次 調査
)行
われて薬 師寺 の西面大垣 が確認 され、 また東 方 に は旧境 内 の北 門 が 位 置 す る。 当該地 は ち ょ
うど西面 大垣 と北 門 か ら 西 へ延 び るで あ ろ う北 面 大垣 との交点 が予 想 され る場 所 で あ る。現 状 で は 対象 地 の東 南 部 に比 高 約 1.5m程 の 土 壇 状 の 高 ま りが残 って お り、西 と北 が 一 段 低 くな って い る。
この高 ま りが西面大垣 を 踏襲 して い る可 能 性 が 考 え られ た た め に、東 西 方 向 の トレンチ (南区
)を
入 れ、大垣 の コー ナ ー想 定 地 に もう1カ所 の発 掘 区 (北区
)を
設 定 した 。 発 掘面 積 は合計約 270∬ 、 調 査期 間 は11月20〜12月 5日で あ る。南 区 は東端 か ら中央 に か けて は、土 壇 状 高 ま り の 直 下 約15cmで明 黄 色 図74 薬師寺周辺調査位置図
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Y=‑19630
図75 第223‑17次調査北区 (上)。 南区 (下)遺構図 (1/200)
H=68.00m
‑66 00m
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Y=‑19630
図76 南区北壁土層図 (1/100)
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