博士(工学)津崎昌東 学位論文題名
PAN 濃度を指標とした東アジアの 光化学大気環境の評価に関する基礎的研究
学位論文内容の要旨
東アジア地域においては,近年の経済発展にともない,大気汚染物質が大量に排出されており,地域環 境や地球環境に与える影響が危惧されている.これまで,硫黄酸化物(SOx)に関しては酸性雨に大きな影 響を及ぼすものとして様々な研究が行われてきたが,窒素酸化物(NO,:NOx,PAN,硝酸など)については 現在のところ東アジアからの排出量が欧米に比べて少ないこと,また,反応過程が複雑で予測が困難であ ることなどから,その動態について十分な知見が得られていない.しかし,東アジア地域のNO,の排出量は 今後急速に増加し,2020年までに1990年の3倍以上になるとの予測もなされている.このため,NOッは今 後酸性雨の原因物質としての寄与が増大すると考えられる.また,NO,はオゾンの生成に強い影響を持つ.
オゾンは温室効果気体であり,同時に,光化学スモッグの成分として人体に悪影響を与える.さらに,オゾ ン は大気中の光化学反応に決定的な役割を果たす大気成分であるため,その動態の解明は東アジア地 域の大気環境の予測,制御において重要な課題となる.しかし,オゾンは自然発生源(成層圏)を持ち,北 半球中緯度ではその測定から人為汚染による影響のみを見ることは難しい.
パーオキシアセチルナイトレート(PAN: Peroxyacetyl Nitrate)は自然発生源を持たず,人為起源の炭化 水素とNOxの光化学反応によってのみ生じるため,その濃度は汚染気塊の光化学反応の進行度を反映し ている.また,水に不溶であること,低温条件下で分解反応速度が小さいことから大気中での寿命が長く,
長距離輸送される,さらに,温暖な遠隔地において分解し,N02を放出するため,PANはバックグラウンド 地域における主要なNOx源であり,オゾンの生成に大きな影響を持っと考えられている.このように,PAN は窒素酸化物,および,オゾンの大陸問規模の反応・輸送を評価する上で重要な指標物質と考えられるが,
こ れ ま でア ジ ア地域 におい て継続し て測定さ れた例 はなく, その動 態は明ら かにな っていな い.
以 上の背景 から, 本研究で は,1)北海 道札幌市 におけ るPANの長期連続測定,及び札幌近郊の手稲 山山頂における観測を行い,広域的な大気汚染物質の反応・輸送がPANの濃度変動に与える影響を明ら かにした.2)東アジア地域を対象とした数値モデルを作成して,大気汚染物質の反応及び長距離輸送が 測定した濃度に与える影響を評価した.3)東アジア地域における将来的な大気汚染物質排出量の増加に よ る , 大 気 環 境 の 変 化 に つ い て 基 礎 的 な 検 討 を 行 っ た . 以 下 に 本 研 究 の 概 要 を 述 べ る . 第 一章では,東アジア地域の大気環境の現状と将来予測について概説した.また,対流圏光化学反応 について概説し,光化学反応指標としてのPANの重要性,及びバックグラウンド地域におけるNOx源とし てのPANの役割を述べた.
第 二章では ,長期 間のPAN濃度測定 を行う ための自 動測定 装置の開発について述べた.これまでPAN の測定には液体酸素やドライアイスを用いた冷却濃縮捕集法が用いられてきたが,本装置は常温,非濃
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縮 で測 定を 行う た め, 冷媒 の交 換や 試 料の 加熱 脱着 な どの 作業が不要となり ,長期連続測定が可能となっ た,
第 三 章 で は , 上 記 の 自 動 測 定 装 置 を 用 い て 札 幌 で 行 っ た , ア ジ ア 地 域 で は 初 め て のPANの 長 期測 定結 果 に つ い て 述 べ た . 測 定 は1997年7月 よ り1999年9月 ま で 行 い , 以 下 の 知 見 を 得 た ,1)PAN濃 度 の 月 別 中央 値は 夏期 に 低く 冬期 に高 い. 中 央値 の最 小値 は0.04ppb, 最 大値 は0.37ppbで あった.月別中央f直 は,過去にイ ギリス,アメリカなどで行 われたノくックグラウンド地域のPAN濃度測定結果と同程度の値となっ て お り , 札 幌 に お け るPAN濃 度 の月 別 中央 値は 東ア ジア 地 域の 広域 的な 濃 度の 季節 変動 を反 映 する と考 え ら れ る.2) 夏期 晴天 日に お いて は,PAN濃度 は日 中に 高 く夜 間に 低い . この 変動 は同 時に 測 定さ れた ア ル デ ヒド 類や オ ゾン の濃 度変 動と も 一致 して おり ,夏 期 晴天 日の 日中 で は札 幌に おい て光 化 学反 応が 進 行す るこ とに よ ってPANが生 成し てい ると 考 えら れる .3)冬 期に おい て はPANの 日変動は見られず,数 日 規 模 で 通 常 の2〜5倍 の 高 濃 度に なる 変動 を 示し た. また ,PAN生 成反 応 の無 い夜 間に 高濃 度 とな る場 合 があ った ,こ れ らの こと から ,札 幌 のPANの 濃度 は夏 期晴 天日 を 除い て広 域的 な 濃度分布によって決定 されると考え られる.
第 四 章 で は , 手 稲 山 山 頂 に お い て 大 気 汚 染 物 質 の 測 定 を 行 い , 反 応 ・ 輸 送 指 標 と し てのPANの有 効性 を 検証 した .測 定 は1999年2〜5月に 行 い, 札幌 市街 地 (以 下市街地と記す) における測定と比較検討し,
以下の知見を 得た.1)手稲山におけるオ ゾン濃度は市街地と比較し て高く,また,安定していた.オゾンは NOとの 反応 性が 高 く, 市街 地に おい て は自 動車 排ガ ス など と反応して濃度が 大きく変動する.このことか ら , 手 稲 山 の 測 定 値 に 対 し てNOを 始め とす る 市街 地由 来の 汚染 物 質の 影響 は少 ない と 考え られ る.2) PAN濃度 は 市街 地と 手稲 山で 良 く一 致し た. こ のこ とか ら, 市街 地 にお けるPAN濃度 は近 傍か ら 排出 され る 大 気 汚 染 物 質 の 影 響 を 受 け て お ら ず , 広 域 的 なPANの 輸 送 で 決 定 さ れ る こ と が 確 か め ら れ た . 第 五 章 では ,東 ア ジア 地域 を対 象と し た反 応・ 輸送 モデ ル の開 発に つい て 述べ た. モデ ルは , 化学 種の 発 生, 反応 ,輸 送 を考 慮し た3次元 モデ ルで あ る. 反応 計算 には , 酸性 沈着 モデ ル に使用される反応スキ ー ム(RADM2)を 用 い , 解 法 と し てSMVGEAR法 を 用 い た . 移 流 の 計 算 に は2次 モ ー メ ン 卜 法 を 用 い た . 気 象 デ ー タ は , 気 象 庁 の 全 球 客 観 解 析 デ ー タ を 用 い た . 化学 種の 発生 は ,地 域毎 の人 為汚 染 物質 排出 量を与えたEDGARのデータを用いた.
第 六 章 では ,開 発 した モデ ルを 用い て 東ア ジア 地域 の大 気 汚染 物質 の反 応 ・輸 送に つい て検 討 した .そ の 結 果 , 冬 期 に 札 幌 で 観 測 さ れた 数日 規模 のPAN高 濃度 現 象を 再現 でき た ,こ の現 象は ,主 に 中国 北部 で 発 生 し た 汚 染 気 塊 中 で 光 化 学 反 応 が 進 行 し , 日 本 付 近 ま で 数 百km以 上 に わ っ て 長 距 離 輸 送 さ れ , PAN及び 大 気汚 染物 質の 高濃 度 域を 形成 する こ とに よっ て生 じる こ とが わか った .す な わち ,PANの 高濃 度 現 象 が 広 域 的 な 大 気 汚 染 物 質 の 濃 度 分 布 を 反 映 し て い る こ と が モ デ ル か ら も 確 認 さ れ た , 第 七 章 で は , 今 後 予 想 さ れ る 東 ア ジ ア 地 域 か ら の 大 気 汚 染物 質の 排出 量 増加 が, 大気 環境 に 与え る影 響 に つ い て 検 討 し た .Aardenneら の予 測に 基 づき ,東 アジ ア地 域 にお けるNOxなど の2020年 の 排出 量が 現 在 の3.5倍 と 仮 定 し た 計 算 を 行 い , 以 下 の 結 果 を 得 た .PAN濃 度 は 汚 染 物 質 発 生 源 付近 で数ppb,日 本 付 近 で は 約lppb増 加 し た , 同 時 に オ ゾ ン 濃 度 は 発 生 源 付 近 で 約80ppb増 加 し て100ppbを 超 える 高濃 度 とな り, また , 日本 を含 む広 い範 囲 で数 十ppbの 増加 が見 られ た .す なわ ち, 発 生源対策が不十分な場 合 , 将 来東 アジ ア 地域 では ,都 市規 模 の光 化学 スモ ッグ , 大陸 規模 の対 流 圏オ ゾン の増 加, 酸 性雨 など の大気汚染問 題が進行すると考えられる .
以 上, 本研 究で は ,PANは アジ ア大 陸か らの 窒 素酸 化物 の長 距離 輸 送の 検出 ,お よ び,広域の光化学大気 環境の評価に 有効であることを示した. また,現在,アジア大陸で排 出された窒素酸化物が東アジアの広い範 囲に輸送され ており,将来的に様々な大 気環境問題に大きく影響することを初めて明らかにした,今後,PAN濃
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度 を指標として汚染の現状を把 握するとともに,PANを評価物質として,モデル計算によってもっとも適切な排 出 源 シ ナ リ オ を 選 択 す る こ と が , 大 気 汚 染 防 止 策 の 立 案 に 有 効 で あ る と 考 え ら れ る ,
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学位論文審査の要旨 主査 教 授 太田幸雄 副査 教 授 清水達雄 副査 教 授 田中信壽 副査 助教授 村尾直人
学 位 論 文 題 名
PAN 濃 度を指標 とした東アジアの 光化学大気環境の評価に関する基礎的研究
東アジア地域におぃ ては、近年の経済発展にともない大気汚染物質が大量に排出されて おりその影響が危惧さ れている。これまで硫黄酸化物については酸性雨との関連から様々 な 研究 が行な われてきているが、窒素酸化物(NOx (NOおよびNOz)や 、PAN(バーオキシ アセチルナイトレー卜 )、硝酸など)については、現在のところ欧米にくらべて東アジア か らのNOxの排出量が少ないこと、および 大気中での反応過程が複雑で予測が困難である ことなどから、その動 態について充分な知見が得られていない。しかし東アジア地域にお け るNOxの 排出 量 は今 後急 速に 増大 し、2020年には1990年の3倍以上になるとの予測もな さ れて いる。NOxは、気相炭化水素との光 化学反応の結果、硝酸を生成し、酸性雨の原因 物 質と なる。 また光化学反応過程を通してPANを生成しさらにオゾンの生成を左右する。
PANおよびオゾンは人体や動植物に悪影響を及ぼ す有害物質である。このうちPANは、水 に溶けに<く、低温条 件下では分解反応速度が小さぃ。そのため大気中での寿命が永<、
長 距離 輸送さ れ、遠隔地において気温の上昇とともに分解してNOzを放出し、遠隔清浄地 域におけるNOxの主要な供給源になっている。またPANは、自然発生源を持たず、人為起源 の 気相 炭化水 素とNOxとの光化学反応によ ってのみ生じるため、その濃度は汚染気塊の光 化学反応の進行度をよ <反映する。一方オゾンもまた光化学反応によって生成され、さら にオゾン自体がまた大 気中で気相炭化水素と反応するなど、光化学反応過程に重要な役割 を果たす。すなわちオ ゾンも光化学大気汚染状況をよく反映する成分である。しかしなが らオゾンは、成層圏か らの沈降・流入などの自然発生源をも持っため、オゾン濃度の変動 か ら 人 為 汚 染 に よ る 光 化 学 大 気 汚 染 状 況 を 評 価 す る こ と は 困 難 で あ る 。 以上 のよう なことから、PANは、大陸規 模での光化学大気汚染状況や汚染物質の輸送過 程を評価する上で最適 な指標物質と考えられる。しかしこれまでアジア地域におぃては、
大 気 中PAN濃 度 は 継 続 し て 測 定 さ れ て お ら ず 、 そ の 動 態 は 明 ら か と な っ て い な い 。
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このような背景から本論文では以下の研究が行なわれた。 !′ PANの自動測定装置を開発 し、北大工学部敷地内におぃて大気中PAN濃度の長期間連続測定を行なった。彡′遠隔地測 定用 のPANの 自動捕集装置を開発し、手稲山頂におぃて1999年2〜5月に大気中PAN濃 度の測 定を行なった。@東ア、ンア地域を対象とした大 気反応・輸送数値モデルを作成し、東アジ ア地 域に おけ るPANおよ びオ ゾン 濃度 分布を算出して、札幌地域における実測結果 と比較 検討、した。・璽東アジア地域における将来的な大気汚染物質排出量増加に伴う大気汚染状況 の変化について、数値モデル計算に基づぃて検討 した。
これらの結果、以下の諸点が明らかとなった。 !)北大工学部敷地内(以下、札幌市街地 と呼 ぶ) にお けるPAN濃 度の 月別 中央 値は夏季に低<冬季に高<て、過去にイギリ スや米 国の田園地域におぃて測定された値と同程度であ る。ぼ、札幌市街地における夏季晴天日の 日中に、光化学反応によりPANが生成される場合がある。f,ヨ)冬季には札幌市街地におぃて PAN濃度の日変動は見 ら、れず、数日規模で通常の2〜5倍の高濃度が見られ、またPAN生成反 応の なぃ 夜間 に高 濃度 とな る場 合が ある。@冬季の手 稲山頂におけるPAN濃度は、 札幌市 街地における濃度と良くー致する。(5)これらの結果から、札幌市街地におぃて測定された PAN濃度 の月 別 中央 値は 、札 幌市 内か ら排出される大気汚染物質の影響を受けてお らず、
遠隔 地に おい て生 成さ れたPANの 広域 的な輸送により決定されていると思われる。 @数値 モデ ル計 算の 結果 、冬 季に 札幌 で観 測された数日規模 のPAN高濃度現象は、主とし て中国 大陸 北部 で排出されたNOxおよび気相炭化水素の光化学 反応により大気中で生成されたPAN が、 日本 付近まで数百km以 上にもわたって長距離輸送された結果発生するものであ ると推 定さ れる 。fヨ東アジア地域のNOxの排出量が現在の3.5倍に増加すると仮定したモ デル計 算の 結果 では 、PAN濃度 は中 国大 陸の 発生 源地 域で 数ppb、日 本付近で約lppb増加 し、オ ゾン 濃度 も中国大陸の発生 源地域で約80ppb、日本付近 で数10ppb増加する。すなわ ち、今 後東 アジ ア地域では、発生 源対策が不十分な場合には、大陸規模での大気汚染が進 行する と予想される。
以 上の よう に著 者は 、PANの自 動連 続測定器を自作し、東アジア地域におぃて初 めての 大気 中PAN濃 度 の長 期連 続測 定を 実施 して 、札 幌に おけ るPAN濃度の月別中央値が 広域的 な影響を受けていることを明らかにした。また、 札幌における冬季のPANの高濃度現象が、
中国 大陸 北部 で排 出さ れた 大気 汚染 物質の光化学反応 によりPANが生成され、長距 離輸送 され た結 果生じたものであ ることを、数値モデル計算により初めて明らかにした。 さらに これ らの 結果 から 、PANが、 大陸 規模 での光化学大気汚染状況や光化学大気汚染物 質の長 距離輸送を評価する上での最適な指標となること を確認した。
本研究成果は、今後ますます大気汚染の進行・ 激化が予想される東アジア地域におぃて、
大気 保全 対策の基礎となる 汚染解析の精度向上に大き<寄与するものであり、大気 環境保 全工学の発展に対して大き<貢献するものである 。
よ って 著者 は、 北海 道大 学博 士( 工学 ) の学 位を 授与 され る資格あるものと認 める。
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