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「北米音楽進出ハンドブック」(抜粋)

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北米音楽市場進出ハンドブック

2007 年 3 月

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本報告書に関する問い合わせ先: 日本貿易振興機構(ジェトロ) 市場開拓部輸出促進課 〒107-6006 東京都港区赤坂 1 丁目 12 番 32 号 TEL:03-3582-5313 FAX:03-5572-7044 報告書内で引用しました記事、インタビュー、各種統計データの他の出版物などへの無断 転用は著作権上の都合にてお控え下さいますようお願い致します。 【免責条項】 ジェトロは、本報告書の記載内容に関して生じた直接的、間接的、派生的、特別の、付随 的、あるいは懲罰的損害および利益の喪失については、それが契約、不法行為、無過失責 任、あるいはその他の原因に基づき生じたか否かにかかわらず、一切の責任を負いません。 これは、たとえ、ジェトロがかかる損害の可能性を知らされていても同様とします。 © JETRO 2007

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● ジェトロ海外マーケティング調査報告書のご利用アンケート ●

∼「北米音楽市場進出ハンドブック」∼

本レポートをご利用頂き、誠にありがとうございました。 ジェトロの今後のサービス向上に向けて、皆様のご意見を伺いたく存じますので、アンケートにご記入 下さいますようご協力お願い申し上げます。 ■ 質問1: 本報告書は、海外海外進出に成功した日本人アーティストの方の事例や進出のノウハウ をご紹介することを目的に作成いたしましたが、どの程度満足されましたか?(○をひとつ) ■ 質問2: 上記のように判断された理由、またその他本報告書に関するご感想をご記入下さい。 4:満足 3:まあ満足 2:やや不満 1:不満 ■ 質問3:その他、ジェトロへの今後のご希望等がございましたら、ご記入願います。 お名前ふ り が な 会社・団体名 部署 役職 住所 TEL FAX e-mail http:// ★今後、お客様のご関心のあると思われるジェトロおよび関係機関の各種事業、各種アンケート調査等 のご案内の可否につき、該当欄に✔をご記入願います < 送付可 送付不可 > ★ ご記入頂いたお客様の情報は適切に管理し、ジェトロのサービス向上のために利用します。 お客様の個人情報保護管理者:市場開拓部 輸出促進課長 TEL:03-3582-5313 ★ ご協力ありがとうございました。 日本貿易振興機構(ジェトロ) 輸出促進課 〒107-6006 東京都港区赤 1-12-32 アーク森ビル 6 階

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はじめに 「北米音楽市場進出ハンドブック」は、日本貿易振興機構(ジェトロ)が中小企業のコンテン ツ輸出支援事業の一環として実施した「北米音楽進出調査」をもとに作成したものです。本調査 は、日本音楽を北米市場に売り込む関連企業やアーティストの皆様に、市場を開拓する上で必要 となるであろう基礎情報をご提供することを目的として、実施した調査です。 調査では、ジェトロが選定した専門家を派遣し、北米で活躍する日本人アーティストや現地の レーベルなどの業界関係者にインタビュー調査を行いました。ハンドブックでは、基礎的な情報 とともに、これら関係者のインタビュー内容を掲載しております。 日本音楽の海外展開といっても、ジャンルやアーティストによってアプローチは大きく異なり、 正攻法はないのが実情ですが、本ハンドブックでご提供する情報が、インディーズを中心とする 日本の音楽関係者の皆様に、楽曲の輸出や海外展開に際しての参考情報として、ご活用いただけ ることを願っております。 (※尚、業界関係者のインタビューは、発言内容をなるべく忠実にお伝えする為、敢えて文意を 変えるような修正を行っておりません。 また、本ハンドブックで紹介する企業や業界関係者は、日本企業の取引先として相応しいとは 限らず、ジェトロが取引を推奨するものではありません。これら企業や関係者と実際に取引され る際は、各人で是非をご判断ください。) 日本貿易振興機構(ジェトロ) 市場開拓部 輸出促進課

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目次

1.北米市場で活躍する日本人アーティストの活動実例(インタビュー録) ...7

(1)PEELANDER-Z ...7

(2)ELECTRIC EEL SHOCK ...17

(3)THE EMERALDS ...28

2.音楽関係者インタビュー ...34

(1)Crispin Parry(クリスピン・パリー)British Underground 代表 ...34

(2)Panos Panay(パノス・パネイ)Sonicbids代表 ...40

(3)Michelle Haunold(ミッシェル・ハウノルド)Gearhead Records代表 ...46

(4)James Hay(ジェームズ・ヘイ)ELECTRIC EEL SHOCKマネージャー ...50

(5)Ray Farrell(レイ・ファレル)eMusic副社長 ...56

(6)Kristin Attaway(クリスティン・アッタウェイ)Redeye Distribution ...58

(7)Gray Gannaway(グレイ・ギャンナウェイ)CD Baby Licensing Director ...60

(8)Brent Grulke(ブレント・グラルケ)Souyh by Southwest(SXSW) Creative Director62 (9)麻田浩 SXSWアジア事務局代表 ...64

(10)b-chan(ビーチャン)WRAS 88.5FM Nippon Music Champ DJ ...71

3.音楽関係者アンケート ...74

(1)Laura Jane(ロウラ・ジェーン)Lady Jane Music代表(シンガー・エージェント) 76 (2)Mark Latham(マーク・レイサム)シンガー,ギタリスト,ソングライター,プロデューサ ー...77

(3)Stan Katayama(スタン・ナカヤマ)レコーディングエンジニア、プロデューサー ..78

(4)Paul Vician(ポール・ビシャン)シンガー/ソングライター、プロデューサー EGO MANAGEMENT所属 ...79 (5)Tak Uchida(タク・ウチダ)プロデューサー、コーディネーター ...80 4.北米音楽市場進出方法 ...82 A.北米展開の各要素 ...82 (1)CD販売 ...82 (2)音楽配信 ...82 (3)ライブ/マーチャンダイジング ...83 (4)音楽出版 ...84 (5)パブリシティ ...85 (6)上記に関わる日本企業の実績(CD販売枚数や公演実績など) ...86 B.前項要素に関わる手配方法 ...87

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(1)CD販売、ダウンロード販売 ...87 (2)ツアー ...88 (3)パブリシスト ...88 (4)契約方法や契約種類、契約フォーマットの紹介、留意点 ...89 (5)VISA申請/取得について(例:SXSW出演時におけるVIS申請/取得の流れ) ...90 C.見本市の活用方法 ...91 (1)SXSW ‒South By Southwest (テキサス州 オースティン、毎年3月に開催) ...92 (2)その他の音楽見本市 ...95 (3)アニメコンベンション ...97 D.北米音楽業界関係者ディレクトリー ...98 <参考資料> ...101

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注:本レポートにおけるインタビュー内容は、各インタビュー対象者の多様な見方を読者の皆様 に伝えるため、敢えて発言の整合性や客観性は追及せずに掲載しています。発言内容におけ る事実との整合性や客観性については、皆様ご自身で適宜ご判断願います。 1.北米市場で活躍する日本人アーティストの活動実例(インタビュー録) (1)PEELANDER-Z ・バンド名 :[PEELANDER-Z] (ピーランダー・ズィー)

・メンバー :[PEELANDER-YELLOW - Guitar & Vocals / PEELANDER-BLUE - Drums / PEELANDER-RED - Bass & Vocals]

・プロフィール : 1998年、NYにてジャパニーズパンクバンドPEELANDER-Zは誕生。現在に至るまでNYを拠点に活 動を続けている。まるでジャパニーズアニメーションから飛び出して来たかのようなコスチュ ームを身にまとい、パフォーマンスする。 ここ数年は精力的に全米ツアーを行っており、NYのみならず各地に熱狂的なファンを持つ。全 米各地で行われるミュージックフェスティバルやアニメーションフェスティバルへの参加に も精力的。毎年NYで行われるCMJ Music Marathonには2001年より連続参加。テキサス、オース ティンで開催の全米最大のMusic Festival、SXSW'03では初出場ながら入場制限となるほどの 人気ぶり。2004年6月、テネシーで開催されたBonnaroo Music Festival '04には、ボブ・ディ ランやパティスミスなどと共に堂々の参加を果たしている。一方、 CBGBでのHigh-Lowsのオー プニングアクトをはじめ、ジッタリンジンとの共演、自らが立ち上げた日本人バンドの為のイ ベント「JAPUNKS」にギターウルフをスペシャルゲストとして迎えるなど、日本人バンドとの 競演も数多い。

メディア露出が多いのも彼らの特徴の一つであり、Comedy Central(全米ネットの TV 局)同 局の看板番組 Upright Citizens Brigade、Spike TV の MXC(アメリカ版「風雲たけし城」)、VH1 の Best Week Ever など数多くの TV 番組に出演している。[http://www.peelander-z.com/]

・インタビュー :

(PEELANDER-YELLOW、PEELANDER-BLUE 、PEELANDER-RED )

Q:アメリカで活動し始めたのはいつ頃からですか?

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ーランダー・レッド、ベースがいたのですが、みんな別々に活動していて 1998 年頃に、バンド を結成しました。その後、もっときちんと活動しようということになって、その時にベースのレ ッドが脱退し、今のレッドが加入して、それで、他の事はもうやめてこれに集中しようと言う事 になって、2000 年から本格的に全米ツアーを開始しました。 Q:元々日本でバンドを組んでいたのではなくアメリカで結成したのですね。 A:そうです。みんな別々にバンド活動はしていたのですが、本格的にはやっていませんでした。 アメリカに来た目的もそれぞれ違って、音楽をやるために来たわけでもなく、僕は絵描きになり たくてこっちに来たし、ブルーはホテルマン。それでホテルの専門学校を出て就職していたし、 レッドは建築の勉強をしていて、バンドの活動を始めたという感じです。 Q:当初、どこで練習していたのですか? A:日本と同じように練習スタジオがあって、スタジオでアンプやドラムなども借りて練習して いました。「Voice」という雑誌にいろいろスタジオが載っていて、電話して安いところを探して やっていました。ただ大音量でアンプを鳴らしていて、機材を壊して出入り禁止になったことも ありました。いろいろ計算したら、月極でどこかを借りたほうが安いのではということになりま した。僕達の住んでいる場所がクイーンズ1という住宅街だったのですが、大きな音を出すので なかなか見つかりませんでした。たまたま友人が借りている地下の一角を借りて専用スタジオが 持てるようになりました。それが、2000 年頃のことです。自分達で防音処理などをして、24 時間自由な場所で、練習したりレコーディングしたりしていました。このスタジオは他のバンド にも貸して、有効活用していましたね。 Q:ライブに至まで、具体的にどのような事をしたのですか? A:CBGB2にデモを持って行きました。当時はカセットでしたが、CBGBや各ライブハウスに持ち こんだり、送ったりしました。その結果、ローワーイーストサイドの「アーレングロサリー」か ら誘われて、はじめてライブすることになりました。それから、CBGBが月曜日にやっているオー

1Queens。ニューヨークの東部に位置する行政区。La Guardia国際空港とNew York Metsのホームグラウンドであるシェ

ウスタジアムがある。

2 ニューヨークのイーストビレッジ付近にある伝説の老舗ライブハウス。Ramonesの火付け役であり、パンクやインディ

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ディションに応募し、定期的に出演するようになりました。合う箱3、合わない箱があるのです が、NY中のあらゆるライブハウスに出て、それから厳選していきました、今は一番気に入って いて関係も良い「Knitting Factory4」を中心に活動しています。 Q:集客するために、どのような活動をしたのですか? A:最初は自分達でビラを配ったり、ポスター貼ったりしたのですが、全く効果がなく、30人 ぐらいの箱を満員にするぐらいがやっとでした。そうした時に、ミッシェルガンエレファント5 のビラを配っていた日本人のバンドと一緒に「JAPUNKS」というイベントをCBGBでやることにし たのです。ちょうど日本から「エレクトリック・イール・ショック6」と「スペースコンバイン」 が来るという事だったので、日本から来たバンドとNYをベースに活動するバンドで何かムーブ メント起こそうという意気込みでやりはじめました。2,3回で満員になり、8回か9回ほど続 けました。各バンド自身でも、集客ができるようになりそのイベントは終わりましたが、99 年 頃から始めて、日本からおもしろいバンドを呼んで開催していました。「ギターウルフ7」や「ゴ ーグルエース8」といったバンドにも出てもらいました。 Q:そのイベントは誰が中心になって、バンドに出演を依頼していたのですか? A:僕達自身です。噂が広がり、出演したいというオファーも多かったです。デモテープを聞い て、その中で良いバンドをピックアップしていました。 Q:バンドはそのイベントだけに出演していたのですか? A:その頃は「JAPUNKS」も規模が大きくなっていてフィラデルフィア、ニューヨーク、ニュー ジャージーなどでミニツアーをやっていました。お客さんがかなり入っていたので赤字にはなら なかったですが、ギャラはありませんでした。 Q:「JAPUNKS」以外の活動は如何でしたか? 3 ライブハウス 4 ニューヨークのチャイナタウン付近にあるライブハウス。地下数階まであり、各フロアで400人近く収容可能。

5 THEE MICHELLE GUN ELEPHANT。日本の4人組ロックバンド。2003年に解散。 6

ELECTRIC EEL SHOCK。日本人ヘビーメタルバンド。海外で長い活動を続けている。

7 GUITAR WOLF。日本を代表するロックバンド。 8

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A:「JAPUNKS」のイベントを年に1、2回。それ以外はライブハウスをブッキングして出演して いました。 Q:NY以外でライブを行う場合も、同じようにブッキングするのですか? A:そうです。友人が「モンハン」というバンドをやっていて、シカゴのバンドとミッド・ウエ スト・シカゴエリアで2週間ツアーをする為に渡米した際に、通訳兼ドライバーとして依頼され たので、デモテープを持って行き、各ライブハウスに自分自身の出演を頼んで回りました。その 効果もあって、何ヶ月後かに初めてミッド・ウエスト・ツアーに出ました。アメリカでもライブ ハウスを調べて、電話して、デモテープを持って行って、気に入られたら出演出来る。日本と同 じです。メールやウェブサイトで音源を聴いてもらったりして、気に入ってもらえれば出演出来 るという具合です。 Q:日本とアメリカとでは、お客さんの反応はどう違いますか? A:全然違います。たまたまバーに来ているお客さんでも、面白いと思えばすぐに踊りに来ます ね。日本では、あまりそういうことはないと思います。 Q:お客さんは、アメリカのバンドかどうかはあまり気にしないのでしょうか? A:僕達のようなバンドはアメリカではやりやすいです。完全にアメリカ人向きのパフォーマン スにしていますから、逆に日本で同じようなことをやったらどうなるのかなと思います。 ただ「ジャパニーズ∼」や「From Japan」という宣伝文句が付いていた方が、他のバンドより注 目を浴びるという利点はあります。 特に田舎では、日本人のバンドは注目されます。一回ライブをやったら、また呼ばれることもあ ります。スーパースターのような扱いを受けることもあります。ナケティッシュというルイジア ナ9の真ん中あたりにある町があるのですが、120 人ほどのライブハウスが毎回満員になって、 いつもピーランダー一色となっています。 Q:ライブの運営のシステムは日本とは違いますか? 9 ルイジアナ州 (Louisiana)。ジャズ発祥の地として有名

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A:決定的に日本と違うのは、僕達が回るのはコンサートホールでなく「バー」、飲み屋ですか ら、お酒を売るためにパフォーマーを呼んでいます。音楽でなくても、お客さんが来てくれるの であれば、芝居でも手品でもよいのです。僕達が演奏することで、お客さんが喜び、お酒が売れ てお店が儲かるという仕組みになので、あくまでも僕達はお客さんを呼ぶための宣伝材料になっ ています。 Q:ライブハウスと呼ばれるところはそういった店なのですか? A:そうです。だから20歳以下の人が入れる店が少ないのです10。お酒を飲める人を呼んだ方 がお店にとっては良いからです。ですから、チケットも21歳以上が8ドルだとしたら20歳以 下は10ドルのように高めに設定されていることもあります。20歳以下の人はお酒を飲まない ので、その分をチャージしておくというスタイルです。 そうしたお店なので、機材の質はあまり良くない場合が多いです。モニターは無いものだと思っ ています。備え付けの機材など無いので、全て持込みます。 Q:PA を担当するような人はいるのですか? A:いますが、期待できない場合が多いです。マイク持ってきたかどうか質問されるといったこ ともあるほどです。 Q:日本のライブハウスのようにライブ目的の会場はないのでしょうか? A:日本のライブハウスのような場所はありません。バーでなければ、シアターのようなホール クラスの規模の場所しかありません。そういった場所は入場料も高いです。 コーヒーハウスなど、バークラスよりも小さい会場もあり、そうした場所の多くは夜や週末だけ ライブをしています。地元のプロモーターが場所を探してイベントをやっています。100 人程度 であればすぐ客も集められますね。 Q:プロモーターというのとブッキングエージェンシーとはどう違うのですか? 10 アメリカの法律では飲酒は21才以上

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A:ブッキングエージェンシーはブッキング11するだけでその後は何もやってくれないところが 多い。PRはしてくれません。 Q:ブッキングエージェントに頼むのと直接ライブハウスに頼むのとは違うのですか? A:ブッキングエージェンシトは、その場所にも行かず、電話でただブッキングするだけなので、 アーティストに対する思い入れが薄い感じがします。箱の人はもっと熱心に接してくれる気がし ます。でもブッキングエージェントを通さないといけない箱もあります。信頼関係が築けている 箱は、直接コンタクトしてブック出来る場合もありますが、なかなか直接連絡してブックしてく れることはありません。ブッキングエージェントに属していれば、すぐにブック出来ることもあ ります。 Q:多くのバンドはブッキングエージェントを通してブックしているのですか? A:よくツアーをしているバンドはそうしています。でもブッキングエージェントにも善し悪し があります。悪質なエージェントもあり、ブック出来ていなかったり、前日にキャンセルになっ ていたりといったトラブルも多いです。 でも、僕達は自分でブックしていますが、自分達でブッキングするのは非常に大変です。自分達 でブックしても、急にキャンセルになった場合にも何ら保障されません。行程にもロスが出る場 合が有ります。 Q:通常ライブハウスに出る時はブッキングエージェントを通す場合はブッキングエージェント と、そうでない場合はライブハウスと契約するのですか? A:そうです。 Q:日本のライブハウスはノルマがある場合もありますが、アメリカのライブハウスとはどのよ うな契約をしているのですか? A:ノルマはありませんが、最初はギャラがありませんでした。今は、直接ライブハウスと交渉 して、ギャラを受け取っています。パーセンテージで契約(チャージバック方式)することもあ 11 バンドをライブハウスの演奏枠に入れる/予約する事

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れば、お客の人数で決まる場合もあるなど、箱によって条件は違います。最低限の保障をしてく れるところもあります。 Q:日本のバンドとアメリカのバンドの違いはどうですか? A:アメリカでは色々なジャンルで成功でき、ビッグヒットとならなくても、バンドをやってい ける土壌がある。それぞれのジャンルにファン層がある。パンクだったらラモーンズ12みたいに 一生パンクでやっていける。 日本は流行に左右されがちですが、アメリカは全く売れてなくても、ツアーだけでバンドを続け ていくことも可能です。アメリカの方がハードで、言葉の問題もありますが、英語さえ話せれば なんとかなります。日本でツアーを何年もやっていて、集客できる底力のあるインディーズのバ ンドであれば、アメリカでもやっていける気がします。それはあらゆるジャンルのアートにも共 通することで、アメリカはアーティストに対して寛容なのだと思います。 チャンスも多いですし、僕達も「SPIN Magazine13」に記事が載ったほどです。 強調したいのは、「自分を最大限アピールすること」です。アメリカのお客さんは、がむしゃら に突き抜けてやれば、盛り上がってくれます。「世界に出たい」、「アメリカでやりたい」と思っ ている人であれば、一回アメリカに来てみてバンドとしてやっていけるかどうか試した方が良い と思います。 Q:VISA の問題を良く聞きますが、どうされていますか? A:僕達はきちんと取得しています。ピーランダーZとして活動実績を挙げ、資料を揃えて、申 請しています。アメリカでライブをしてギャラを受け取ったり、物販したりするのであれば、VISA を取得する必要があります。色々なVISAの種類がありますが、僕達は「O114」というVISAを取 得しています。基本的にはVISAが必要です。 Q:VISA を取得せずに送還されるバンドもいるのですか? 12 RAMONES。パンクの火付け役となった伝説のパンクバンド 13 音楽雑誌の大御所 14 科学、芸術、教育、ビジネス、またはスポーツの分野で「卓越した能力を有する者」に発給されるビザ(通称アーテ ィストビザ)

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A:ポートランド15で送還されたバンドがあると聞きました。やはり、ビザは取るべきです。も し入国できなければ全てキャンセルしなければならず、信用も台無しです。二度とブッキングさ れません。SXSW に関しても、きちんとビザをとってないと面倒なことになります。 Q:ライブの時の物販16では何が売れますか?CDは売れますか? A:CDは売れません。Tシャツが多いですね。おみやげに買っていく人が多いです。 Q:CDは売れないのですか? A:なかなか売れません。 Q:Tシャツは最高で総額いくら売れたのですか? A:1500ドル∼2000ドルぐらいでしょうか。 Q:そんなに売れるのですか? A:アニフェス17だったら、ライブをしなくも売れます。 Q:売れるデザインはあるのですか? A:色はありますね。パンク系の箱なら黒ですね。 Q:一緒にツアーをしていたアメリカのバンドが売れていく姿を目の当たりにしていると思いま すが、アメリカのバンドが有名になっていくプロセスには、どのようなパターンがありますか? A:ヨーロッパでヒットして凱旋帰国するようなパターンが一番多いですね。 15 オレゴン州ポートランド市(Portland) 16 グッズやTシャツなどの販売 17 アニメ・フェスティバル。最近では全米各地で開催されている。 18 アメリカの道路沿いなどによくあるビジネスホテルのような宿泊施設。(Motel) 19 国境 20 国境警備

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Q:アメリカのバンドはアメリカツアーとヨーロッパツアーを一般的にやっているのですか? A:結構同時にやっていますね、CDをリリースしてアメリカ回ってヨーロッパ回る。一回で半 年ほどはツアーしています。 Q:アメリカのバンドがヨーロッパでライブをするには、どのような方法がありますか? A:ブッキングエージェントがヨーロッパのエージェントとコネクションがあったり、ヨーロッ パに支社があったりする場合があります。アメリカでは小さなブッキングエージェントでも、ヨ ーロッパでは強いネットワークを持っているエージェントもあります。そうしたエージェントと うまく連携して、アメリカのバンドをヨーロッパに売り出したり、ヨーロッパのバンドをアメリ カに呼んだりしています。 Q:日本とはそういう関係はないですよね。 A:一つの方法として、アメリカのブッキングエージェントと、日本でのサポートを交換条件に アメリカでのサポートを依頼するといった提携をすることがあります。実際に僕達に声をかけて くれるバンドの多くは僕達が日本のバンドなので、日本にコネクションを作って日本でツアーを したいと考えています。 Q:日本のバンドも、ヨーロッパをまず開拓してアメリカに進出する方が良いのでしょうか? A:「Dir en grey21」もヨーロッパで話題になってアメリカに進出しましたし、そうかもしれま せん。 Q:CDに関してですが、アメリカのレーベルからリリースするにはどうしたら良いですか? A:まずツアーをしているなどの実績がないと相手にしてくれません。 Q:レーベル側は何を判断して契約するのですか? 21 日本の元ビジュアル系のハードコア系ロックバンド。現在海外で最も知名度の高い日本人アーティストの一つ。

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A:レーベルには、「実力があってツアーをしているなら我々の耳に入っていなければおかしい」 とよく言われます。例えば「ピーランダーZ」というバンドを知っているということは、それな りに話題になっていて、露出していて、それなりの活動が出来ているという証なので、そういう バンドでなければならないという意味です。 規模の大きなレーベルでは、新しい無名のアーティストと、音楽が気に入ったから契約するとい うことはしないですが、小規模のレーベルはハングリーでアーティストに積極的に声をかけてき ます。 レーベルと契約する際は「ツアーをやっているのか?」「パートタイムジョブ22はしているの か?」といった質問もされることがあります。要するに、ツアーだけできちんとバンドとして生 活できているのかを聞いてくるわけです。実際、生活できているのであれば、人気があるという ことですから。 曲(音源)が素晴らしい場合にも契約の可能性がありますが、何かレーベル側にメリットがない と契約できないと思います。日本でアニメの主題歌として売れていて、アメリカでも人気があり、 ある程度売れる見込みがあるなどのバンドであれば、話は別ですが。 Q:プロモーションはどのようにされていますか? A:ウェブサイトが良いプロモーションツールになっています。でも一番良いのはテレビだと思 います。テレビに出れば、ツアーを2、3週間回るより反響がありますね。大勢の人に注目され る場所で露出するのが一番の方法です。Bonnaroo23に出演した時も「Bonnarooで見たよ」という 反響が多くありました。特に関係者やバンドの人達からは、沢山声をかけられました。お金にな らなくても、フェスのように、大勢の人たちの前に出るのはプロモーションとして重要です。 地道にプロモーションするならローカル雑誌やカレッジラジオ24も有効です。 Q:フェスにはどうやって出演するのですか? A:フェスの多くはブッキングエージェントが出演をアレンジしているので、ブッキングエージ ェントに属してないと難しいです。僕達のようにどこにも属さずBonnarooに出られるのは奇跡的 22 Part-time job。バイト/パート

23 Bonnaroo Music Festival。テネシー州マンチェスターで毎年夏に開催される野外音楽フェスティバル 24

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です。Bonnaroo Music Festivalに僕達が出たということを知っている対バン25には、どうやっ て出たのかよく聞かれます。ボブディラン26やデイブマシュー27クラスのようなアーティストで なければ出演できず、メジャーなアーティストしか出演させてもらえないイベントなのです。僕 達以外の出演者といえばロス・ロボス28、パティー・スミス29といった超大物といえるアーティ ストばかりで、僕達とメジャーアーティストの間の知名度のアーティストがいない。Bonnaroo のような大きなフェスはSXSW30とは全く雰囲気が違い、知名度の低いアーティストが単独で出演 するのは困難です。でも、フェスに出演しているトップレベルのバンドから、声をかけられて出 演が実現するようなケースもあるようです。

(2)ELECTRIC EEL SHOCK

・バンド名 : [ELECTRIC EEL SHOCK](エレクトリック・イール・ショック)

・メンバー :[Aki Morimoto - Guitar & Vo / Kazuto Maekawa ‒ Bass / Tomoharu 'Gian' Ito (ジャイアン)‒ Drums] ・プロフィール : 2002 年 10 月に日本を出国して以来、全米ツアー6 回以上、ヨーロッパ各国(イギリス、ドイ ツ、アイルランド、オランダ、フランス、スペイン、ベルギー、イタリア、デンマーク、スウ ェーデン、ノルウェー、フィンランド、ハンガリーなど)オーストラリア、香港、カナダ等、 世界中をツアーするバンド。 日本での知名度はまだ低いが、既に Rossikilde(Denmark)、Hultfred(Sweden)、Download(U.K.)、 Forest Grade(Austria)、Sizget(Hungary)、Bonnaroo Festival(U.S.A)等、世界の名だたるフ ェスティバルに出演し、アメリカの CMJ ミュージックマラソン、SXSW(サウス・バイ・サウス・ ウエスト)、カナダの NXNE(ノース・バイ・ノースイースト)、ドイツの POPKOMM(ポップコム) といった国際的なショーケースライブにも出演するなどインターナショナルに活躍するバン ドである。

2005 年にはオランダにて伝説的プロデューサー「Attie Bauw」(Judas Priest、Scorpions な ど)とアルバム「Beat Me」を制作、ヨーロッパ、アメリカでリリースする。同盤は 2006 年に は日本のロードランナー・ジャパンからもリリースされた。 2007 年は日本での活動も視野に入れたワールドワイドな活動を計画、Atti Bauw との新作も完 25 一緒のライブで演奏するバンド 26 Bob Dylan。世界でもっとも有名なシンガーソングライターのひとり

27 Dave Matthews Band。アメリカのロックバンド。グラミー賞受賞 28

Los Lobos。メキシカン/スパニッシュなテイストを駆使するアメリカのロックバンド。

29 Patti Smith。パンクロック界で最も重要な女性アーティスト。 30

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成、リリースが予定されている。 [ http://www.electriceelshock.com/ ] ・インタビュー : (Kazuto Maekawa-Bass) Q:バンド活動をはじめて、海外で活動した経緯を教えてください。 A:僕とギターの森本が大阪でバンドをやっていて、そのバンドがメジャーデビューし、今から 15 年ほど前に東京に来ました。そのバンドは解散したのですが、森本と二人でやり直そうとメ ンバーを探しはじめ、ジャイアンと知り合い 3 ピースで活動するようになりました。 当時は、90 年代の初め頃で、アメリカのCMJ31やニューミュージックセミナー32がスペシャ33とい うチャンネルで放送されていたのを見たんです。まだバンドの方向性は固まっていなかったので すが、海外へのあこがれは漠然とあった。「ラウドネス34」がアメリカに行って「アトランティ ック35」と契約したというような話が 80 年代からあり、憧れていました。 弟がニューヨークに留学していて、美大に行っていた。それで1ヶ月ニューヨークに遊びに行っ たこともありましたが、日本でも有名でもないので、海外進出はなかなかうまくいきませんでし た。知り合いの「クレーン」というバンドがホッピー神山36さんのプロデュースでインディーズ レーベルからCDをリリースし、ニューヨークに進出するなど、海外進出するバンドが増えてき たこともあり、羨ましいと思っていましたが、なかなかうまくいかない。その間3年ほど日本で 活動していました。そうした中で、突然弟がニューヨークでバンドをやっていると言って「ピー ランダーZ」が生まれたんですよ。CGBGでライブやっていると聞き、自分たちのブッキングも頼 んだところ、2週間後の出演が決まりました。 そこから本格的にバンド活動が始まりました。ピーランダーに 3 本ほどライブを組んでもらった のが最初の海外進出です。小さいクラブでのライブを見て、その後 CBGB に来てくれた人なども いて、僕達なりに手応えはありました。その後、ピーランダーもニューヨークで活動していた日 31

College Music Journal。同名の雑誌が毎年10月にニューヨークで行う音楽フェス。

32 New Music Seminar。ニューヨークで昔開催されていたインディーズレーベルのコンベンション。 33

Space Shower TV。日本初の音楽専門チャンネル。

34LOUDNESS。日本のハードロック/ヘビーメタルバンド。海外でも人気を誇り、日本人として初めてニューヨークのマ

ジソン・スクエア・ガーデンのステージに立った。

35 Atlantic Recording Corporation。アメリカの老舗レーベルの一つ。現在はワーナーミュージック・グループ。 36

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本のバンドのスパンクス37と活動するといった経緯が有り、2回目はその約 1 年後にピーランダ ーに呼ばれた。他にも、「スペースコンバイン38」というバンドと一緒に渡米し、第1回目の 「JAPUNKS39」を開催しました。初回が 1999 年で二回目が 2000 年です。その後は、自分達でツ アーやることになったのです。 その頃友人のバンドとインディーズレーベルつくろうと考えていました。 Q:それは日本でですか? A:そうです。そうして、まずは日本で立ち上げたのが「ミクロミュージック」というレーベル です。3回目のニューヨークのライブは、「ミクロミュージック」としてショーケースをやろう という話になり、CMJ の時期だったので CMJ の前日にコンチネンタルというライブハウスでショ ーケースを CMJ にぶつけてやろうと思い、宣伝していましたた。そうしているうちに、CMJ の主 催者がこの動きに興味を示し、CMJ の中でもそのショーケースをやらないかという話になり、初 めて CMJ MUSIC MARATHON に出演することになりました。 Q:それは何バンド出演したのですか? A:5バンドです。日本のバンドばかり5バンド。「モンハン」、「テクマ!」「ボストンクルージ ングマニア」「プチミット」「道産子アナル」という僕達のレーベルのバンドが中心でした。それ が 2000 年のことですね。「コンチネンタル」でのショーケースは約200人も入り、大成功でし た。 Q:他の場所にもツアーに行ったのですか? A:イールショックはそのライブの前にサンフランシスコに寄って 1 本ライブをやって、ニュー ヨークに行きました。ニューヨーク以外でのライブはその時が初めてでした。 転機となったのは、2002 年の3月にSXSWに初参加した時です。最初にサンフランシスコのツ アーをブッキングしてくれた「The Get-Go」というバンドがあり、そのリーダー、ブレンダン40 が来日したいと言っていたので、カップリングで日本でCDをリリースして日本に呼んで、「その 37 Spunks。アメリカのGearhead Recordsからリリースしている 38 日本のインディーズバンド。解散した。曲がマキシマムザホルモンのSEに使用されている。 39 アメリカで毎年開催されていた日米共同パンク音楽イベント。CBGBでも行われた。 40 Brendan。Get-Goというバンドのメンバー。

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代わり西海岸をブッキングしてくれ」と頼んで、初めて西海岸を回りました。 その時にサンフランシスコでのライブに来ていた観客の中で、ブッキングをやるという T 氏と出 会いました。T氏のお陰で 2002 年に初めて SXSW に出演しました。その時はシアトルから LA、 テキサスに至るという行程で、ツアーと呼べるものは初めてでした。 SXSWではものすごく良い反応でした。そのショーケースはDatsuns41やらD442といった後々ガレ ージブームで大ブレイクしたバンドが出演していました。それで非常に盛り上がったので、帰り には「仕事をやめてとにかく半年間アメリカでツアーをやろう。アメリカで勝負しよう。」とい うことになりました。そこから半年後の CMJ に照準を合わせ、準備をはじめました。 Q:ブッキングはT氏がしたのですか? A:いや、僕です。連絡方法はすべてEメールでした。僕達が「セックス&Eメール43」と叫んで いるのは意味があって、ツアーで対バンしたバンドに、対バン後すぐにEメールで「次はこれぐ らいの時期に行きたいのでなんとかしてくれない?」というように連絡をとります。シアトル44 で一緒だったバンドがLAの人で、「LAに来たら泊めてあげるよ、ブッキングもしてあげるから来 い」と、それで行ったらまたすぐにメールを出す。そんな風に、出会ったバンド全員にメール出 して、そうしたら、みんな親身になって教えてくれて、穴あきのスケジュールでしたが、ライブ を回りながらブッキングするといった感じでした。 Q:それで何本組めたのですか? A:30 本ぐらい組めました。組めなくても、「明日ブッキング決まってないのだけど」って対バ ンに言ったりしたら、すぐブッキングしてくれたり、人の家のパーティーでライブやったり、と にかく僕達としては空きもなくライブをやり続けた。 Q:その頃ギャラはもらっていたのですか? A:僕達の場合は、ある人が「ギャラは請求しないとくれないので請求しろ」と教えてくれたの で、20 ドル程度からでしたがもらうようにしました。 41 ニュージーランド出身のガレージロックバンド 42 ニュージーランド出身のロックバンド

43 ライブ中のMCでよく言うフレーズ。「Sex, drugs and Rock n Roll」をもじったもの。 44

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それでも、CDやTシャツが売れることもあったので、ライブができるぐらいの収入にはなりま した。 Q:ライブは何人で回っていたのですか? A:その時のメンバーは5人でした。今も変わってないのですが、メンバー3人と森本の奥さん とジャイアンの彼女で回っていました。物販はその2人にお願いしていました。CDやTシャツ などは自分達で業者を調べて現地で作っていました。アメリカのほうが制作費も安いですし、や れることは全部自分達でやっていました。 Q:移動手段は車ということですが、車はどうしたのですか?アメリカに住んでいなくても、車 は買えるのですか? A:当時はレンタカーが長期間借りられると知らず、スパンクスとピーランダーと3バンドで買 いました。でも保険などの問題もありますので、おすすめ出来ません。今はレンタルしています。 レンタルの方が安いし、保険もありますから。 Q:そのツアーの後はどうなったのですか? A:その年の 12 月にジェームズ45から突然メールが来たのです。 Q:その人はもともと知っていた人ですか? A:ジェームズからは突然メールが来ました。そのメールが、「インターネットで評判になって いるけど1回見たいのでイギリスでライブしないの?」という内容でした。イギリスはよく知り ませんでしたが、「呼んでくれるんだったら行く」というメールを返信したら、10 日間で 11 も のライブをブッキングしてくれました。それで行ってみたのです。勿論急なブッキングだったの で 悪 い と こ ろ も あ っ た の で す が 、 最 後 の ラ イ ブ は オ ー ス ト ラ リ ア の ト ッ プ 3 に も 入 る 「GRINSPOON46」というバンドの前座で、ハマースミスパレス47という 2000 人クラスの会場でし た。もともと、ライブの始めに出演する予定だったのですが、その前のライブで一緒にやって気 45 James Hay。現マネージャー 46 オーストラリアのグランジロックバンド。 47 Hammersmith Palace。ロンドンの大型音楽ホール

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に入ってもらえたようで、メインサポートとして出演しました。今までそんなところでやったこ とがなかったので感激しましたね。 Q:2002年の10月∼12月はアメリカでライブ。2003年の1月にイギリスに 10 日間、 その後3月にアメリカで SXSW に参加し、ツアーをやったというスケジュールですね。 A:はい。イギリスからアメリカに帰りライブをして、2月中はずっとブッキングをしていまし た。その頃、シアトルのインディーズレーベルでブッキングをしてくれる人に出会いました。当 時、彼はメジャーのレコード会社系列のあるインディーズのレーベルも手伝っていて、インディ ーズアーティストをメジャーレコード会社からデビューさせたこともありました。 まだアメリカでのレーベルが決まってなかったので、話をずっとしていて、結局出す出さないと いう話はいかなかったですが、ブッキングを手伝ってもらうことになって、2 回目はほぼ半分は その人がブッキングしてくれました。 2回目の SXSW の時には、そのレーベルからメジャーデビューしたバンドの弁護士が僕達を見て、 僕達を売り出そうとしてくれた。それでその人のお陰で、あるメジャーレーベルが僕達のライブ を見たいと言う話になり、SXSW の後に LA からシアトルに行く予定だったのですが、LA からシア トルに行く途中 LA でライブをやれという事になり、シアトルの後のライブをキャンセルしてま た LA にもどってライブをやりました。 SXSWに出てからというもの、イギリスのV248やEMI49から連絡が来たり、RCA50の人がライブの時に ステージにあがってきたり、ゾンバパブリッシング51からも連絡が来たり、大騒ぎでした。MTV

もLAのライブを撮影してくれて、「You Hear It First」というコーナーで紹介してくれました。

Q:すごく話題になったのですね。 A:SXSW も2回目でしたし、1回目の時からインタビューを受けていましたので。 Q:SXSW は効果ありますね、 48 リチャード・ブランソンがVirgin売却後に設立したレーベル。Underworldやテイ・トウワが契約している 49 イギリスのレコード会社。世界4大メジャーレーベルの一つ 50 アメリカのレコード会社。現在はSONY BMGの事業部門 51 SONY BMG傘下の音楽出版。元は世界最大のインディーズレーベル。

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A:僕達にとっては、とても効果的でした。 2回目の SXSW 参加でメジャーのレコード会社から沢山話が来て、自分達としては想像もつかな いところからオファーがきました。あるメジャーレーベルの場合は、LA で良かったからニュー ヨークの本部にも見せたいということになり、ジェームズがある小さいライブハウスと話して、 夕方 3 時にライブが始まる前の時間を取り、メジャーレーベルの担当者 6 人だけが見ている前で ライブをしました。結局、条件の問題もあって契約しませんでしたが、そういうこともありまし た。 Q:他のメーカーはどうだったのですか? A:メジャーレーベルのマーケティング担当者とも交渉したのですが、あくまで興味本位でした。 特に当時イギリスはガレージロックブームで、僕達のようなアーティストがすごく流行っていま した。STROKES や DATSUNS、WHITE STRIPES などが流行っていましたね。でもその後1年ほどた って Franz Ferdinand などが登場し、UK ブリットポップのようなジャンルに流行が変化してし まったのです。それまで追い風だったのが、急に迎え風になったのです。それでヨーロッパに活 路を見いだしに行くのです。 Q:イギリスのビザはどのように取得されていたのですか? A:イギリスはジェームズがワークパーミット52をとってくれた。イギリスのパーミットを持っ ていればEUはそのまま大丈夫です。 Q:2回目の SXSW が終わってそれでイギリスですか? A:2回目のアメリカツアーの後にイギリス全土ツアーというのをジェームズと一緒に周りまし た。アイルランドにも初めて行きました。そのあと少し日本に帰りましたが、その一ヶ月後には ロンドンのMillennium Domeで開催されるフェスティバルやRoskilde53への出演が決まっていた ので、すぐにロンドンに戻りました。Roskilde Festival出演というのがイギリス以外の初めて のヨーロッパでした。 52 労働許可証 53 ヨーロッパ最大の音楽フェス

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Q:それもジェームズがブッキングしたのですか? A:はい。その当時ジェームズは Roskilde のフェスを見にいって、素晴らしいフェスティバル なので他の友人のバンドをブッキングしようとしていたそうですが、僕達と出会い、僕達をブッ キングしてくれました。 Q:その頃はCDをリリースするという話はなかったのですか? A:そこまではCD製作する余裕がなくて、アメリカでプレスしたCDを売り続けていました。 その夏はイギリスの町で開催される小さいフェスティバルにいくつも出演して、初めてきちんと したヨーロッパツアーが出来たのが、その年の11月です。12月にはカナダのDanko Jones54 サポートが決まりました。ヨーロッパ 40 箇所で、しかも大きいツアーバスをシェアして、同じ バスに乗るわけですよ。これがまた大変でジェームズはツアーマネージャーと喧嘩していました。 僕達もツアーバスの経費を折半しないといけないので、僕達のギャラはそれに使われてしまいま す。1000 人クラスの会場を周るバンドなので、僕達も物販ができ、なんとかその収入で払って いました。 ツアーは大成功で、Danko Jonesにも「あと2,3回まわれば自分自身でツアーが出来るように なる」と言われてよかったのですが、ツアーが終わったらお金がなくなっていました。ドイツで 「Go America55」をリリースしたいというレーベルの人がいて、その時受け取ったアドバンスを つぎ込んでイギリスに戻りました。日本にも帰れないので、その時に、CDを作ろうという話に なり、「Go America」という前につくった曲に新曲を何曲か足して、リメイクやリマスターとい う形にして新たに「Go Europe」をアルバムを作りました。それがドイツのBitzcore56から出す ことが決まって、ようやく息を吹き返しました。 その頃からイギリスよりヨーロッパが、活動のメインになりました。同時に、DEMOLITION RECORDS57からもオファーがきて、イギリスやヨーロッパに行くようになりました。Bitzcoreに 呼ばれてドイツなどにもツアーで行くようになったのが 2004 年です。2004 年の大半はヨーロッ パで過ごしたのですが、秋に「Beat me」をレコーディングすることになりました。Attie Bauw58

に会ったのはその前で、彼はDanko Jonesのライブで僕達のライブを見て、物販しているところ

54

カナダのロックバンド

55 Electric Eel Shockのアルバム 56

ドイツのパンク/ハードコア系レーベル

57 イギリスのメタル/ロック系レーベル 58

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で挨拶しました。ジューダスプリースト59をやった人で、熱意をもって話してくれました。僕た ちはかなり慎重になっていて、僕達がつくった「Go America」を渡してリミックスなんかをして もらい、信用できる人物かどうか確認していきました。 その後、1年ほど連絡を取り合い、レコーディングに至ったのです。 Q: 2005 年に SXSW に出た時はリリースしていなかったのですか? A:いえ、当初アメリカでレーベルを探していました。ツアー周るのだったらその時にCDがあっ たほうが良いということになって。そしてGearhead60からのリリースが決まってSXSWはGearhead のショーケースに出るということになりました。「Beat Me」もGearheadからリリースすることに なりました。 Q:SXSW の時はどのようにツアーを回ったのですか? A:当時1年半ほどアメリカに行っておらず、その頃はジェームズがブッキングしていたので、 LA に住んでいたイギリスのバンドと一緒にツアーを回る事にしました。キャンピングカーを借 りて LA からスタートして、テキサスからニューヨークまで回った。そのバンドは SXSW には出演 せず自分達だけ出ました。それが 2005 年の2月から3月ですね。 Q:「Beat Me」はアメリカではいつ発売されたのですか?

A:その年の 8 月に出ました。その時は「Go Europe!」を「Go USA!」というタイトルに変えて Gearhead から発売してそれを販売しました。 Q:アメリカでのプロモーションはどのようにしていたのですか? A:ほとんどやっていません。 Q:Agency Group に依頼を始めたのはいつ頃からですか? 59 世界的に有名なイギリスのハードロック、ヘビーメタルバンド。メタルの神様とも謳われている。 60 アメリカのインディーズレーベル。イールショックを含む数組の日本人バンドを契約している。

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A:CMJ Music Marathon の時に Agency Group の担当者 Marc に自分達のライブを見てもらって、 それがきっかけでお願いすることになりました。 Q:Marc はもともと知っていたのですか? A:当時イギリスでプロモーターが先に決まって、始めはジェームズがやっていましたが、ある エージェントにブッキングをまかせることになった。そのエージェントの担当者からの紹介で、 CMJ に見に来てもらったのがきっかけです。 そのエージェントのおかげで、2004 年は多くの夏フェスに出演できましたが、2005 年はブッキ ングが思わしくなく、昨年 Danko Jones を紹介してくれたスウェーデンの Agency Group に籍を 移しました。

Q:Agency Group は大きなエージェントですか?

A:Agency Group は世界最大級のエージェントです。ホームページには、有名なバンドの名前 が掲載されています。

Q:Bonnaroo への出演は Agency Group が決めたのですか?

A:そうです。ツアーが始まるかなり前から打診があったのですが、ヨーロッパには夏フェスが 多いのでペンディング61していたのですが、アメリカでこんなに大きなチャンスはめったに無い と思い、出演を決めました。 Q:エージェントとの契約はどのような内容ですか? A:基本的に、仕事に応じて何パーセントかの手数料を支払う形になっています。ギャラの交渉 もやってくれます。でも今はジェームズにお願いしています。11 月からのイギリスツアーもジ ェームズが担当しています。エージェント側でアーティストのプライオリティー62が付けられて いて、数多くのバンドをかかえているので、全てのバンドをうまくマネージする事が難しく、売 れているバンドに集中して取り組んでいるのだと思います。ツアーを頼んだ時には不手際が多く、 61 待機 62 優先順位

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自分達でやれるだけやった方が、地方のプロモーターに歓迎されることもありますし、良いので はないかと思っています。 Q:アメリカのライブの際は、ビザはどのように取得していますか? アーティストビザを取得しています。いわゆる「P ピザ」で毎年取得しています。一人一人で登 録し「Oピザ」というビザで3年の期間のビザもあります。 63 ライブハウスという意味(venue)

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(3)THE EMERALDS

・バンド名 :[THE EMERALDS](ジ・エメラルズ)

・メンバー :[KAZUYA - Guitar & Vo / OSUKE ‒ Bass / AKIO ‒ Drums] ・プロフィール:

2002 年結成。2004 年、アメリカで開かれる世界最大級のロックフェスティバル「SXSW(サウ ス・バイ・サウスウェスト)」に参加。2005 年にも参加。そのステージは地元のメディアや、 あの Rolling Stone 誌に取り上げられるほどの熱狂ぶりであった。2005 年、春・秋の全米ツア ーも行い、渡米後初の CD もリリース。2006 年にも 3 年連続で SXSW に参加し、さらに全米 11 箇所のツアーを敢行。ボストン NEMO MUSIC FESTIVAL およびニューヨークでの 1 日 2 公演"GOD SPEED TOUR"、韓国で 2 万人を動員した SAMZIE MUSIC FESTIVAL、大阪ミナミホイールの翌日に 新横浜、といったイベントに参加。[ http://www.emeralds.jp/main.html ]

・インタビュー :(Kazuya-Vo、OSUKE- Bass、AKIO- Drums)

Q:バンド結成とアメリカに行くことになったきっかけを教えてください A:学生時代のサークルが一緒で、卒業した後もバンドを続けていました。最初はこの3人+ボー カルがいたのですが、彼が抜けた後に現在の形になりました。アメリカに行くきっかけとなった のは、沖縄のバンドBleach64が出演していたSXSWへの出演経験のあるバンドが集まる渋谷のIN THE CITY65というショーケースイベントで、SXSWの応募用紙が見つけ興味を持ったのがきっかけ です。 Q:初めてのアメリカでのライブは、如何でしたか? A:全然わからなくて、とりあえず行って、オースティン66をブラブラして、ライブをやったら 結構盛り上がりました。その後は、氣志團67のライブを見たり、Fuzzy Control68と仲良くなった りしました。見るもの全てが初めてでしたから、理解出来ないうちに、目で見て終わった感じで 64 日本のガールズロックバンド 65 音楽制作者連盟(FMP)によって毎年開催されていた音楽イベント。イギリスに本家イベントがある。 66 テキサス州オースティン市。SXSWの開催地 67 一昔前のツッパリをテーマに活動している日本の人気バンド 68 日本のスリーピース・ロックバンド

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した。何か特別なことが出来た訳ではありませんでした。 でも、その時に何か可能性を感じました。ライブで「もっと行けるのかもしれない」という感触 を掴めたので、翌年も応募したところ、また審査を通りました。 その時のライブでは、お客さんから「メーリングリストがないのか」と質問されたのですが、全 く用意できていませんでした。プレスの人もいたにも関わらず、英語のプレス向け資料も用意で きていない状況でした。 当時は、ライブ自体は盛り上がりCDもよく売れましたが、それだけで終わっていました。その次 の年は色々考えて、メーリングリストやプレスキット69を用意したり、CDの歌詞の英訳版を準備 したりするなど、頑張りました。 そして、何よりも大きな収穫は、曲と曲の間や曲の途中での盛り上げ方、お客さんのリアクショ ンが分かったことです。お客さんに問いかけたり、インタラクション70的な仕掛けをライブの中 に取り入れていったりしたら、どんどん盛り上がっていく感じがしました。ですから、MCの英語 や途中のコール&レスポンス部分を作るなど、工夫しましたね。2005 年はSXSWに出演したほか、 BENTEN71とツアーを回ったこともあり、色々な繋がりが出来ました。 メーリングリストなど色々なものを用意すれば、現地の人と繋がりができるという事が解ったの で、ライブ後には必ず物販コーナーで出来るだけ大勢の人に話す様にしました。 特に SXSW は業界の人が多いので、だから何気なく声をかけられて話をした人が、レーベルの方 だったり、ライブイベントを開催している人だったりすることがよくあります。 Q:すごく大きなチャンスが眠っている感じがしますね。 A:そうです。CD を買ってくれた人が実はラジオ局の人で、ラジオでかけてくれると言われたと ケースも沢山有ります。重要なことは色々な人と繋がる事です。ライブだけでなく、ライブ後に メーリングリストや直接話すことで、どれだけ多くの人とコネクションができるかということが ポイントです。このことを 2004 年に感じ、2005 年に実行したところ、成功しました。 繋げる努力が大切です。2005 年のSXSWのライブを中心にDVD制作した際に、DVDのパッケージに JAPAN NITE72の1場面を使用したところ、そのステージ最前列で見ていた人達全員に、2006 年の SXSWで会うことができました。そしてその中にラジオ局の方がいて、インタビューを依頼される ということもあったのです。 69 バンドのプロモーション資料をまとめたもの 70 Interaction。やり取り 71 BENTENレーベル。ガールズバンド専門の日本レーベル。海外でもリリースしている 72 SXSWで毎年開かれる日本バンドのショーケース。

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また、その中にはサンアントニオ73から見に来ていた人がいて、その人がサンアントニオでのラ

イブをアレンジしてくれることにもなりました。自分たちのツアーやアジア事務局(SXSW)74

関係なくライブをすることは不安でしたが、うまく仕切っていただき、サンアントニオでのジャ パンナイトが実現しました。これは、あるバーガーショップでやったライブで、非常に盛り上が りました。

Q:Sam s Burger Joint75のことですか?

A:そうです。あれは、2005 年のライブの最前列にいた人がアレンジしてくれたライブです。そ の後、PEELADENR-Z などのバンドも出演することになりました。

2005 年の秋にはアメリカに2回行きました。その 1 回目のツアーをアレンジしたKARATE RICE76

いう人も、その時に出演したNEMO MUSIC FESTIVAL77の人もSXSWで知り合った人です。

NEMO は非常に大きなイベントですが、NEMO のアレンジをしている人が SXSW のライブステージを 見に来てくれて、誘いを受けました。 その直後には、PEELANDER-Z とアメリカの Phenomenoms という西海岸のバンドとツアーを回った のですが、それも PEELANDER-Z のマネージメント担当者が自分達のライブを見てくれたことが実 現のきっかけでした。とにかく「一つ一つの出会い」を、そして「ライブ」をバンドメンバーが 大事にする事が重要です。 Q:ライブのブッキングなどはブッキングエージェントを通さないでも、知り合いやライブを通 じてあった人達経由でも十分できますか? A:僕達はブッキングエージェント雇っていません。友人にお願いしていますが、友人が個人的 にブッキングエージェントとして動いていただける人というケースはあります。 全部これまでのコネクションを活かしてライブをやっています。 オースティンではPAのブライアン78という人のおかげで、ブッキングができ、ブライアンのバン ド仲間にもバックアップしてもらいました。 73 テキサス州サンアントニオ市(San Antonio) 74 SXSWアジア事務局。アジアでのSXSW PR業務、及びジャパンナイトの運営をしている。 75 サンアントニオにあるバーガーショップ兼ライブスペース。 76 日本系のーティスとを数多く扱うブッキングエージェント/イベンター 77 毎年秋にボストンで開かれる業界専用の音楽コンベンション。

78 Bryan Nelson。Australian Cattle God Recordsのオーナー/Gorch Fockのメンバー。SXSWのジャパンナイト/ツア

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2005 年から秋のツアーをずっと続けてきた結果、コネクションがどんどん広がっていきました。 2006 年には、オースティンで4日間6本のライブをこなし、その後はオファーも非常に多くな り、ライブや色々なイベントに出演させてもらいました。ライブを先ず見てもらう事が大切で、 ライブで盛り上げて 100%のパフォーマンスをすることが重要です。でも、パフォーマンスだけ でなく、ライブを見てもらった上で、色々な人と話をして繋がりを作っていくことが重要です。 Q:日本はやり取りが 1 回あっても、すぐに終わってしまうケースも多いですが、アメリカでは 関係が強まることが多いものでしょうか? A:下手な英語でも良いのでメールが来たら必ず返信するようにすること。後は、日本にいるの でネットも非常に大切です。MySpace79などを活用して、輪を広げていくことも重要です。ライ ブで盛り上げて、その後出来るだけ色々な人と話して、MySpace受け皿に利用する。つまるとこ ろ、こうしたことが非常に重要です。 Q:アメリカの業界人も口をそろえて MySpace の重要性を強調していますが、MySpace でリンク を貼ったり、メッセージを返信したりすることなど、そうした事は積極的にやられていますか? A:積極的にやっています。MySpace の自分達のページを見た人が、友人に自分達を紹介してく れて、その友人が MySpace のページに来てくれる。そうした人のために、MySpace に音源や動画 を出来るだけ多く用意し、メッセージが届けばすぐに返信するようにしています。アメリカに居 ない事を感じさせない事が重要だと思っています。これまでに、MySpace で音を聴いてライブに 来る人も大勢いました。MySpace は蜘蛛の巣のように広がるので、出来るだけ My Space のペー ジに来た人とは繋がるようにしています。 MySpace の告知でライブに来てくれる人もいます。日本にいながら My Space で告知するときち んと集客が出来るのです。

Q:告知というとMySpaceのUpcoming Shows80やBulletin81などの欄で告知したり、フォーラムに

書き込んだりする方法があると思いますが、そうしたことをやっているのですか? A:そうです。ネットに詳しいスタッフがいて、インディーズアーティストの中では最先端の事 79 世界最大のSNS。音楽ページが豊富で海外での音楽プロモーションの必須サイトといわれる。 80 MySpaceの機能の一つでライブスケジュールをページで掲載できる 81 掲示板

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やっていると思います。

CD Baby82でもCDが相当売れています。スゥェーデンや南米といった地域でも売れています。

Q: EMERALDSはsonicbids83にも登録していますよね?どのようにsonicbidsと知り合い、どのよ

うに活用されていますか?

A:sonicbids からは、2004 年に SXSW に出たバンドには紹介がありました。MySpace と CD BABY も同じように紹介がありました。少しずつ使い始め、ボストンでsonicbidsの人と面談したとこ ろ、色々と紹介などをしてくれるようになりました。EPK84を使用して色々なところに応募した

ところSong Writing Contest85のファイナリストになったこともありました。

Q:そうしたものを有効活用することは大切ですよね。

A:スパム86メールも多いですが、中にはフェスへの応募案内など良い知らせもあり、そうした

ものを確実にフォローすることが必要です。

Q:sonicbids を活用してライブ出演が決定したケースはありましたか?

A:Sonicbids はライブよりもオーディションやコンテストの案内が多いです。NEMO に出演した のも sonicbids を使って応募したのがきっかけでした。Song-Writing Contest もそうです。

Q:CD BABY のサービスを利用すると、CD はどういった場所に販売され、どのように流通してい るのでしょうか? A:まだ大量に販売されているわけではありませんが、すごく可能性があると感じています。ス ゥェーデンやウルグアイでも売れていますから。但し、悪質な業者がも有り、ウォーニング 87 が出されることも有りますので、注意が必要です。 82 メールオーダー形式のCD流通サービス。個人でも(枚数に関係なく)契約できるのでインディーズアーティストはほ とんど登録している。 83 デジタルプレスキットを作成し、世界中の音楽イベント/フェス/コンベンションなどに応募できるオンラインサー ビス。

84 Electronic Press Kitの略(電子プレスキット) 85

作曲コンテスト

86 (Spam)迷惑メール 87

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