Author(s) 淺木, 洋祐
Citation 北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 72(1): 45‑54
Issue Date 2021‑08
URL http://s‑ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/12081
Rights
北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第72巻 第₁号 令和3年8月 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(HumanitiesandSocialSciences)Vol.72,No.1 August,2021
生産者責任にいたる日本の廃棄物政策の史的展開
淺 木 洋 祐
北海道教育大学教育学部函館校経済学研究室
HistoricalDevelopmentofExtendedProducerResponsibilityinJapan
ASAKIYosuke
DepartmentofEconomics,HakodateCampus,HokkaidoUniversityofEducation
概 要
本研究では,江戸時代から廃棄物処理法までの日本の廃棄物問題と廃棄物政策の展開を検討 し,廃棄段階における生産者責任の位置づけについて考察した。廃棄物問題は社会経済の動向 によって,時代とともに大きく変化していき,また廃棄物政策も問題への対処のために大きく 変化していく。汚物掃除法と清掃法には,汚染者負担原則ともいうべき規定があり,廃棄物処 理法には事業者に対する生産者責任ともいうべき規定がある。これらはいずれも萌芽的なもの であるが,各法制度の制定時期や廃棄物問題の動向などを考慮すれば,廃棄物政策における先 駆的な位置づけが可能だと考える。
はじめに
生産者に廃棄段階の責任を課す拡大生産者責任
(ExtendedProducerResponsibility,以 下EPR)
は,世界各国でさまざまな廃棄物を対象に導入さ れており,廃棄物問題に対する政策アプローチの 1つとして定着したといってよい。日本において も容器包装廃棄物や使用済み自動車などに対して EPRに基づく法制度が制定されている。
日本においてEPR政策が登場するのは1990年代 である。本研究では,江戸時代から1970年に制定 された廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃棄 物処理法)にいたるまでの廃棄物問題と廃棄物政 策の展開を取り上げて,廃棄段階における生産者
責任がどのような位置づけを与えられてきたかに ついて考察する。
1.EPRと廃棄物政策
OECDの定義1によれば,製品に対する生産者 責任を製品のライフサイクルの使用後の段階にま で拡大するのがEPRである。EPRには以下の2つ の特徴がある。第1に(物理的および,または経 済的な,そして,全面的もしくは部分的な)責任 を地方自治体から上流部門の生産者へと移すこ と,第2に製品設計の際,環境に配慮するよう生
1 OECD(2001)p.9。
産者に動機を与えることである。
最初にEPRに基づく政策とされたのは,1991年 のドイツの包装廃棄物の回避に関する政令であ る。現在では,世界で400近いEPRに基づく廃棄 物政策が実施されている2。
日本で最初にEPRに基づく政策とされたのは,
1995(平成7)年に制定された容器包装に係る分別 収集及び再商品化の促進等に関する法律(容器包 装リサイクル法)である。その後,1998(平成10)年 に特定家庭用機器再商品化法(家電リサイクル法)
が制定され,2002(平成14)年には,使用済自動車 の再資源化等に関する法律(自動車リサイクル法)
などが制定された。個別のリサイクル法だけでは なく,2000(平成12)年に制定された循環型社会形 成推進基本法にもEPRは位置付けられている3。 EPR政策の対象となる廃棄物からも明らかなよ うに,全ての廃棄物がEPRの対象となるわけでは ない。量的,あるいは,質的な処理困難性をとも ない,地方自治体を中心とした既存のシステムで は,その処理・リサイクルが困難な廃棄物が対象 となっている4。
2.江戸時代から明治時代初期における廃棄 物処理
近代的な廃棄物法制度は1900(明治33)年に制 定された汚物掃除法に始まるとされる。しかしな がら,同法制定以前の明治期初期においては,江 戸時代の廃棄物処理システムが引き継がれてい た。以下では,汚物掃除法の位置づけを検討する ために,江戸時代から明治初期に至る廃棄物処理 システムの概要を取り上げる。
2 OECD(2016)p.13。
3 物質循環に関する法制度については,大塚(2010)
を参照。
4 EPRが対象とする廃棄物は,主として地方自治体が 処理してきた廃棄物である。しかしながら,例えば,
地方自治体ではなく民間の事業者によって処理・リサ イクルされてきた使用済み自動車などもEPRの対象と なっている。
2.1 江戸時代5
近代化以前の社会では最終的に廃棄物6となる ものは少なく,生活用品をはじめとした,さまざ まな物が可能な限り使用され,発生抑制(リデュー ス),再利用(リユース),再使用(マテリアル・
リサイクル),熱回収(サーマル・リサイクル)
が盛んに実施されていたといってよい。例えば,
江戸では,古道具屋,古着屋が多数あり,また,
紙くず買い,古傘買い,古鉄買い,灰買いなどの 廃品回収業者,錠前直し,眼鏡の仕替,いかけ屋
(釜鍋の修理)などの修理業者が多数存在した。
燃料として利用できるものは湯屋に販売された。
江戸での廃棄物処理を担っていた芥取り業者 も,回収した廃棄物から資源回収をおこなった上 で,残りを埋め立て地に運んでいた。し尿につい ては,江戸近郊の農家にとって貴重な肥料として 売買されており,農地への還元という形でリサイ クルされていた。江戸では,いわば循環型社会が 成立していたといってよい。
しかし,こうした循環型社会においても,次第 に廃棄物の処理が問題となりはじめた。廃棄物の 処理が問題化したのは,江戸をはじめとする大都 市の発展にともなって,都市部で発生する多量の 廃棄物の処理が問題となった近世以降だとされ る。すなわち,廃棄物問題は,都市の問題として 顕在化したのである。廃棄物が個々人の取り組み によって土や水といった自然に比較的容易に還元 できた農村部と異なって,江戸などの大都市では,
農村部のような廃棄物処理が難しいうえに,廃棄 物が大量かつ集中的に排出されるため,その処理 が問題となったのである。
江戸では,町の中央に設けられた会所や火除 地7といった空き地,堀,河川などに発生した廃
5 江戸時代の廃棄物処理については,主に伊東(1982),
東京都清掃局総務部総務課編(2000),小島他(2003)
などを参照した。
6 廃棄物については,塵芥,汚物,ごみなど,時代や 法制度によって用いられる名称や定義が異なる。特に 断りがない限り,本研究では廃棄物に統一して使用する。
7 会所は江戸のまちづくりの過程で生じた空き地であ
生産者責任にいたる日本の廃棄物政策の史的展開
棄物が投棄されていた。しかし,こうした空き地 は,本来,廃棄物の捨て場ではなく,また,堀や 河川は船が通行する重要な交通路であり,廃棄物 が投棄された場合,交通の支障となることが問題 視された。都市部でのいわゆる不法投棄問題が,
当時の廃棄物問題の特徴の1つだったといってよ いだろう。
こうした問題に対処するため,17世紀半ば頃か ら,幕府が廃棄物問題に取り組み始めたとされ る。1655(明暦元)年に幕府は東京湾の深川永代 浦(現在の江東区富岡八幡周辺)を,廃棄物の埋 め立て地として指定する町触を出した。その後,
埋め立て地として永代島新田(現在の江東区永代 町周辺)や深川越中島(現在の越中島,古石場周 辺)などが指定された8。すなわち,新しい廃棄物 処理の方法として,廃棄物を収集して埋め立て地 まで運搬し,埋め立て処分する方法が登場したの である。個人が排出する廃棄物以外にも,河川の 浚渫や火災によって生じた廃棄物なども埋め立て られた。埋め立てによる土地造成は,人口増大に よる土地需要にも対応したものであった。
1662年(寛文2年)に幕府は,芥請負人制度の 策定と請負人の公認を行った。制度の運用と実施 は,各町々の自治組織が,清掃を担っていた芥請 負人と廃棄物の請負契約を結んで行われていた。
すなわち,これは幕府による新しい廃棄物処理シ ステムであり,そのシステムは民間業者を中心と するものだったのである。
しかしながら,河川や堀への不法投棄は依然と して多く,物資輸送のための河川舟運の支障と なったため,1699(元禄12)年,幕府は芥改役を 設置して取り締まりを行った。
2.2 明治期初期
明治維新以降も,江戸時代の廃棄物処理システ ムが基本的に引き継がれていた。ただし,明治政
り,火除地は防火用の空き地である。
8 江戸での埋め立て地については,例えば東京都清掃 局総務部総務課編(2000)618-619ページを参照。
府は,芥改役を廃止し,かわりに警察が廃棄物行 政を担うこととした。明治維新にともなって混乱 した衛生状態を改善しようとして,政府は1869
(明治2)年に市中往還掃除令,1871(明治4)
年に取締番卒の職務,1872(明治5)年に道路掃 除令,1873(明治6)年に塵芥捨場掃除令を発布 した。しかし,不法投棄は後を絶たず,衛生状態 は十分に改善されなかった。多くの課題を抱えた 新政府にとって,衛生状態の改善に関する問題の 優先順位は低く,対応はなかなか進まなかった9。 こうした状況が変化する契機となるのが,伝染 病の流行である。明治期初期にコレラ,ペスト,
チフスなどの伝染病の流行が問題となり,特にコ レラの流行は大きな被害を引き起こした。コレラ が日本に初めて上陸したのは1822(文政5)年で あるが,明治期には1877(明治10)年に初めて流 行して以降,周期的に流行した。特に1879(明治 12)年と1886(明治19)年には,死者数が10万人 を超える大きな被害が発生した。
こうした伝染病の流行は,し尿や廃棄物に起因 する不衛生な環境が原因の1つと考えられた。伝 染病対策のため,し尿や廃棄物の迅速かつ適正な 処理が不可欠とされたのである。東京では警察令 として,1879(明治12)年に街路取締規則,市街 掃除規則,厠構造規則,屎尿汲取規則,1887(明 治20)年に塵芥取締規則が出された。当時は,伝 染病防疫事務は警察の管轄とされており,国は内 務省を中心とする警察力を利用して,監視吏によ る厳重な掃除監督が督励されたのである。しかし,
これらの法令は明治初期のものとそれほど大差が なく,既存の廃棄物処理システムを大きく変化さ せるものではなかった10。
3.汚物掃除法
江戸期以来の廃棄物処理のあり方が大きく変化
9 以上については,小島・島田・田村・似田貝・寄本
(2003)40ページを参照。
10 星野(2007)197-198ページ。
するのが1900(明治33)年の汚物掃除法の制定で ある。汚物掃除法は日本で最初の近代的な廃棄物 処理に関する法制度であり,本則9条附則2条の 全11条からなる簡潔な法制度である。対象となる 汚物の種類や,掃除や清潔を維持する方法などの 具体的な内容は,汚物掃除法施行規則にゆだねら れていた。
汚物掃除法では,「市ハ本法其ノ他ノ法令ニ依 リ別段ノ義務者アル場合ヲ除クノ外其ノ區域内ノ 汚物ヲ掃除シ清潔ヲ保持スルノ義務ヲ負フ(第2 条)」として,「市ハ義務者ニ於イテ蒐集シタル汚 物ヲ處分スルノ義務ヲ負フ但シ命令ヲ以テ別段ノ 規定ヲ設クルコトヲ得(第3条)」とした。すなわ ち,廃棄物処理を従来の民間業者による営利事業 から,地方自治体の責任に基づく公共事業へと転 換させたのである。ただし,清掃法では,もっぱら 市のみに責任を課しており,町村は除外された。
民間業者は廃棄物から販売できるものを回収する ことには熱心だが,廃棄物の処理や清掃などに関 しては,必ずしも積極的ではなかったことや,廃 棄物処理の責任が不明確であったことなどが,廃 棄物処理を地方自治体の義務とした背景とされる。
汚物掃除法で対象とされた汚物は汚物掃除法施 行規則において定められており,「塵芥汚泥汚水 及屎尿トス(第1条)」とされ,「市ハ掃除義務者 ノ蒐集シタル汚物ヲ一定ノ場所ニ運搬シ塵芥ハ可 成之ヲ焼却スヘシ(第5条)」として焼却処理が 推奨された11。当時の廃棄物焼却技術は現代と比 較して不十分なものであり,また,そもそも廃棄 物の焼却炉を備えている自治体はほとんどなかっ たため「可成」としたとされる。し尿は法対象と されたが,当時は農村へ肥料として販売する市場 システムが機能していたため,当分の間,市の処 理対象から除外された(施行規則第22条)。
汚物掃除法において規定された廃棄物処理を地 方自治体の義務とすることと焼却処理の推進は,
11 廃棄物の焼却処理は,減量・減容効果が高い,無機 化による有機性水質汚染防止,悪臭防止などのメリッ トがあげられる。田中(2005)151ページ。
その後の日本の廃棄物政策の原則となり推進され ていく。
汚物掃除法施行規則において「地方長官ハ郡村 ニ接近シタル地區ノ義務者又ハ廣大ナル土地ヲ占 有スル義務者ノ掃除シタル汚物ノ處分ニ関シ第三 條及第五條ニ拘ハラス別段ノ規定ヲ設タルコトヲ 得(第21条)」としている。この規定は,1930(昭 和5)年の改正によって,「戸口稀薄ナル地域ノ義 務者,廣大ナル土地若ハ建物ヲ占有スル義務者又 ハ業態上多量ニ汚物ヲ生ズル義務者」とされ,特 に多量の汚物の排出者が加えられたことは興味深 い。すなわち,汚物掃除法によって廃棄物処理が 市の義務となったわけであるが,第21条により,
広い土地・建物の占有者や多量の汚物の排出者に 対して,別段の規定を設けることができた。萌芽 的だが汚染者負担原則(PolluterPaysPrinciple,
PPP)に基づく対応だと考えられる。
1930年(昭和5年)に汚物掃除法と施行規則の 改正では,すでに述べた施行規則第21条以外にも 焼却処理が従来の指針から義務へと変更され(施 行規則第5条),し尿の処理が市に義務付けられ る(施行規則第22条)などの改革がなされた。第 1次世界大戦後から,し尿は肥料としての価値を 次第に失い,汲み取りが停滞するなど,その処理 が問題となり始めたことがその背景とされる。ま た,地方長官が認めた場合,ごみ容器を厨芥用と 雑芥用の2種類に区別することが可能となった
(施行規則第3条)。当時は,焼却処分場も不十 分であったため,腐敗しやすく衛生上の問題にな りやすい一方で,有機物である厨芥は分別対象と なったのである。
汚物掃除法によって,焼却処理が推奨・義務化 されたとはいえ,当時は露天焼却が中心であり,
焼却炉が用いられた場合でもレンガ積みのバッチ 式固定炉であったため,水分の多いごみを高温で 焼却することは困難であった12。一方で,この時 期から,焼却処理にともなう発電,廃棄物の選別,
生ごみの分別収集,廃棄物からの製紙実験など,
12 占部・稲村(2006)47ページ。
生産者責任にいたる日本の廃棄物政策の史的展開
ごみ処理に関するさまざまな技術開発が進められ た。しかし,戦争によって,これらの技術開発は 中断することとなる。
4.第2次世界大戦期
戦時下における物資不足や人手不足などは,汚 物掃除法によって推進された廃棄物行政にも大き な影響を与えた。日常的な廃棄物の処理だけでは なく,廃棄物処理技術の開発や処分場の建設など も停滞した。1941(昭和16)年の汚物掃除法施行 規則改正において自治体の焼却処理の義務が外さ れ,灯火管制によって露天焼却も中止された。
東京ではこうした廃棄物処理の停滞・縮小に対 処するため,分別排出の徹底などに取り組んで,
廃棄物の減量・再資源化を推進した。減量・再資 源化を推進することで,処理が必要となる廃棄物 の発生量を削減して,戦時下での廃棄物行政の縮 小に対処しようとしたのである13。こうした自治 体による廃棄物収集回数の減少などに対応して,
個別の家庭でも廃棄物を燃やすなどの自家処理が 行われていた。当時の廃棄物は燃焼させても煙や においが少ないことなどから,こうした対応が東 京のような大都市でも可能だったとされる。
戦時下では廃棄物の処理と同様に,し尿の処理 も問題となった。物資が不足した戦時下において,
し尿は農家にとって重要な肥料である一方で,汲 取り・運搬に必要な人手・物資などが不足したの である。東京都では,上述の廃棄物の減量・再資 源化の推進によって得られた人手や輸送手段をし 尿処理に回したとされる。当時,し尿は廃棄物と 比較して肥料として農家の需要がある一方で,廃 棄物のように都市部での減量・再資源化や,自家 処理が難しいことなどから,こうした対応がとら れた可能性が考えられる。
戦争が激化していくにしたがって大都市部への 激しい空襲は,清掃事業に関するインフラなども
13 東京での取り組みについては,東京都清掃局総務部 総務課編(2000)を参照。
破壊した。そのため,戦後は医薬品の不足なども加 わって,衛生状態は劣悪な状態であったとされる。
5.清掃法
戦後の復興が進む中,1954(昭和29)年に汚物 掃除法を全面改正して,清掃法が制定された。清 掃法は日本で初めての本格的な廃棄物対策を法制 度化したものだとされる14。同法では,「汚物を衛 生的に処理し,生活環境を清潔にすることにより,
公衆衛生の向上を図ることを目的とする(第1 条)」として,公衆衛生の確保を第1の目的とし ている。汚物掃除法から清掃法への全面改正の主 な点は,下記の通りである15。
①清掃事業における市町村,都道府県及び国の責 務を明らかにするとともに国民の積極的な協力 についても規定を設けた。
②清掃の対象となる汚物について,実態に即応し て若干の変更を加えた。
③清掃の必要性の地域差を考慮し,特別清掃地域 の制度を設けるとともに,季節的観光地,キャ ンプ場,スキー場,海水浴場等季節的に多数人 の集合する地域については期間を限って季節的 清掃地域の制度を設けた。
④特別清掃地域及び季節的清掃地域においてはみ だりに汚物を投棄することを禁止するととも に,糞尿は一定の方法によるのでなければ肥料 として使用してはならないこととした。
⑤清掃施設に関し,屎尿浄化槽,屎尿消化槽の維 持管理の基準を定めるとともにこれらによる糞 尿の処理が不完全であると認めるときは,都道 府県知事が必要な措置命令をすることができる こととした。
⑥特別清掃地域内においては市町村の作業の計画
14 北村(2017)441ページ。
15 第19回国会衆議院構成員会議事録第4号(1954年2 月1日)4ページ,草葉隆圓厚生大臣による説明を参 照した。
的運営に支障なからしめるために,汚物取扱業 は市町村長の許可を要することとした。
⑦全国的に生活環境の清潔保持をはかるため,公 共の水域,一定の海域には,みだりに糞尿を捨 てることを禁止し,また大掃除の施行について 規定した。
以下では①,②,③についてさらに詳しく検討 する。
①清掃法では都道府県と国の責務が新たに加えら れた。都道府県には市町村に対する技術的援助 が責務とされた(第2条の2)。国は汚物の処 理に関する科学技術の向上と,都道府県,市町 村に対する技術的・財政的援助が責務とされた
(第2条の3)。ただし,し尿処理と比較して 廃棄物処理への国庫補助は遅れ,初めて補助が ついたのは1963(昭和38)年である。
②同法の対象とする汚物は「ごみ,燃えがら,汚 でい,ふん尿及び犬,ねこ,ねずみ等の死体(第 3条)」と定義された。汚物掃除法での塵芥は ごみへと呼称が変更され,新たに犬,ねこ,ね ずみ等の死体が加わった。汚物掃除法で対象と なっていた汚水は除外されるとともに,処理実 態を踏まえて下水道法の対象とされた。
③汚物掃除法では清掃義務が主に市に負わされて いたが,清掃法では特別清掃地域を設けて,清 掃義務を町村にまで拡大した。特別清掃地域と は,主として市街化地域が想定されており,市 と特別区以外に都道府県知事が指定した地域を 対象としていた。汚物掃除法によって廃棄物処 理が地方自治体の責任とされたが,清掃法では さらにそれを進めたといってよい。
清掃法では,多量の汚物と特殊の汚物の処理に ついてそれぞれ規定されている。多量の汚物につ いて市町村長は,「…業務上その他の事由により 多量の汚物を生ずる土地又は建物の占有者に対 し,衛生的な方法で当該汚物を市町村長の指定す る場所に運搬し,又は処分すべきことを命ずるこ とができる(第7条)」としている。特殊の汚物 については「市町村長は,特別清掃地域内の工場,
事業場等で,清掃作業を困難にし,又は清掃施設 を損うおそれがある汚物を生ずるものの経営者に 対し,当該汚物について必要な処理を施し,又は 衛生的な方法で当該汚物を市町村長の指定する場 所に運搬し,若しくは処分すベきことを命ずるこ とができる(第8条)」とされた。
既に述べた通り,多量の汚物については汚物掃 除法の施行規則でもみられたものである。清掃法 では,多量の汚物に加えて,新たに特殊の汚物が 規定されたことになる。廃棄物の量的な処理困難 性だけではなく,質的な処理困難性にも着目した ものであり,また,工場や事業場などの文言が入 り,より生産者を想定したものといえるだろう。
汚物掃除法に比較して,清掃法制定当時の廃棄物 問題を踏まえたものだといえる。しかし,特殊の 汚物については具体的な規定はなく,実施される ことはなかった。
清掃法において,汚物の処理に関する科学技術 の向上が国の義務となったこともあって,焼却技 術を中心に廃棄物処理に係る技術的な進歩がみら れた。しかし,大都市部以外では直接埋め立て中 心の状況であった16。
6.廃棄物の処理及び清掃に関する法律
高度経済成長期に入ると経済は急拡大して社会 を豊かにする一方で,工場からの排ガスや排水な どに起因する公害問題が全国で多発して,深刻な 社会問題となった。
廃棄物は量的に急増するとともに,粗大ごみや プラスチックごみなど質的な変化が生じた。さら に,都市部への急速な人口集中や,地方自治体の 廃棄物処理体制の未整備なども加わり,東京ゴミ 戦争に代表されるように廃棄物問題は深刻化して いった。また,工業化の急速な進展にともなって 事業活動から発生する膨大な廃棄物の処理も問題 となった。こうした廃棄物には有害物質や処理困 難な物質を含んだものも少なくなかったため,そ れが公害問題の原因にもなった。
16 植田・喜多川(2001)19ページ。
生産者責任にいたる日本の廃棄物政策の史的展開
このような問題を背景に,1970年に清掃法を全 部改正して「廃棄物の処理及び清掃に関する法律
(以下,「廃棄物処理法」)」が制定された。廃棄 物処理法が制定された臨時国会(第64回国会)で は,同法を含めて14の公害関係法が制定・改正さ れたため,公害国会と呼ばれる。
廃棄物処理法では,「廃棄物を適正に処理し,
及び生活環境を清潔にすることにより,生活環境 の保全及び公衆衛生の向上を図ることを目的とす る(第1条)」とした。清掃法における公衆衛生 の確保に加えて生活環境の保全が新たに加わっ た。また,従来の汚物に代わって廃棄物という新 しい用語が用いられた17。
同法では,廃棄物を「ごみ,粗大ごみ,燃えが ら,汚泥,ふん尿,廃油,廃酸,廃アルカリ,動 物の死体その他の汚物又は不要物であつて,固形 状又は液状のもの(放射性物質及びこれによつて 汚染された物を除く。)(第2条)」と定義した。
さらに廃棄物を一般廃棄物と産業廃棄物に区分し て,それぞれの処理体系が位置付けられた。
産業廃棄物は「事業活動に伴つて生じた廃棄物 のうち,燃えがら,汚でい,廃油,廃酸,廃アル カリ,廃プラスチック類その他政令で定める廃棄 物(第2条の3)」と定義して,その処理は事業 者の責任において自ら適正処理することを原則と した(第3条)。事業者が処理費用を負担して産 業廃棄物処理業者に処理を委託することも認めら れている(第12条)。産業廃棄物の処理責任は,
公害対策の基本原理として取り入れられたPPPに 基づいて規定された18。
一般廃棄物は,「産業廃棄物以外の廃棄物(第 2条の2)」として,市町村にその処理義務が課 された。同法では,清掃法における特別清掃区と いう概念はなくなり,すべての市町村が一般廃棄
17 廃棄物処理法における廃棄物は,清掃法における汚 物に不要物を加えて創出した法概念とされる。前者は 生物学的側面,後者は経済学的観点に基づく。北村
(2017)446ページ。
18 廃棄物学会編(2003)44ページ。
物を収集して処分する責任が明確にされた。
事業者の責務として「その事業活動に伴つて生 じた廃棄物の再生利用等を行うことによりその減 量に努めるとともに,物の製造,加工,販売等に 際して,その製造,加工,販売等に係る製品,容 器等が廃棄物となつた場合においてその適正処理 が困難になることのないようにしなければならな い(第3条の2)」としており,萌芽的な生産者責 任ともいうべき内容が定められている点は興味深 い。すなわち,産業廃棄物のリサイクル等による 減量と,製品のライフサイクルを考慮して処理が 困難にならないようにするという,いわばEPRと 環 境 配 慮 設 計(DesignfortheEnvironment,
DfE)の萌芽ともいうべき規定といってよいだろう。
しかし,同法はあくまでも廃棄物の適正処理を 目的としたものであり,発生抑制,再使用,再生 利用,熱回収などは考慮されていないとされる。
当時,既にリサイクルなどの重要性は認識されて いたが,法に盛り込まれることはなかった19。廃 棄物処理法にリサイクルなどが加えられるのは 1991(平成3)年の改正まで待つ必要がある。
廃棄物処理法以降,焼却処理などの地方自治体 による中間処理が急速に進み,最終処分場の早期 安定化・無害化のための処分場の構造などの研究 が開始されたのもこの時期である。
廃棄物処理法制定後も,廃棄物問題は深刻化し,
不法投棄問題や最終処分場の枯渇,ダイオキシン 問題などが続出する。こうした問題に対処すべく 廃棄物処理法は何度も改正されていく。特に1990 年代に入ると,廃棄物法制度は大きく変化してい く。1991(平成2)年に廃棄物処理法が改正され,
資源の有効な利用の促進に関する法律(資源リサ イクル法)が制定される。また,EPRに基づく容 器包装リサイクル法などの個別リサイクル法が制 定されていき,2000(平成12)年は循環型社会形 成推進基本法や建設リサイクル法,食品リサイク ル法などが制定されことから循環型社会元年とさ 19 例えば,国会答弁などでも,こうした指摘はうかが
える。溝入茂(2009)pp.64-65。
れる。すなわち,大量生産大量廃棄大量消費社会 から循環型社会への転換が大きく推進されていく こととなる。
7.考 察
以上,江戸時代から廃棄物処理法までを検討し た。廃棄物問題は時代とともに大きく変化してい き,同時に法制度も問題に対処すべく変化して いった。以下では,改めて生産者責任の観点から 廃棄物政策を考察する。
7.1 江戸時代
循環型社会が形成されていた江戸時代であって も,人口の増大とともに都市部では廃棄物問題が 発生した。江戸では幕府によって,廃棄物の収集・
運搬・処分(埋め立て)という廃棄物処理システ ムが,民間の事業者を中心として構築された。こ の時期には,生産者責任に関連する問題や政策は ほとんど登場しないといってよい20。工業化以前 の社会では,今日のような処理困難になるような 高度な工業製品が大量に存在しているわけではな かった。問題の中心は不法投棄問題だったといえ,
廃棄物政策もその対策が中心であった。
7.2 汚物掃除法
廃棄物政策は,明治期に制定された汚物掃除法 によって大きく進展する。廃棄物処理の責任が地 方自治体に課されたこと,また,廃棄物の焼却処 理が推奨されたことは,その後,一貫して日本の 廃棄物政策において推進される。汚物掃除法は,
廃棄物を適正に処理することで公衆衛生の確保を 目的としたものであり,当時,大きな被害を引き 起こしていた伝染病の流行を背景として制定され た。
汚物掃除法施行規則第21条は,広い土地の占有
20 ただし,お盆などの時期に,祭礼儀式に関する精霊 棚や供物などが大量に投棄され,問題となっていた。
林(1974)を参照。
者や多量の廃棄物を排出する経済主体を対象とし たものである。実際,この規定がどのように運用 されたのかが論点であろう。表1,2は汚物掃除 法の施行規則第21条の東京での適用事例である。
表1の通り,個人宅が最も多く,次いで官庁関係 である。会社・工場は4番目に多く8件である。
表2は委託料の上位5件であるが,これに会社・
工場(生産者)は入っていない。施行規則21条は,
PPPに基づいた費用負担を課していると考えられ る。
明治期は産業革命によって工業化が推進され,
足尾銅山などの鉱山や都市部で公害問題が発生し た時期である。工業化にともなって,今日でいう 産業廃棄物の問題も生じていたと推測できるが,
少なくとも表1,2からは問題は相対的に小さ かった可能性が考えられる。
もっとも,この時期には公害・環境法は制定さ れておらず,伝染病対策という側面が強い一方で,
廃棄物処理に関する法制度が制定されたことは,
表1.東京における施行規則第21条適用(大正3年)
委託者 対象数
個人宅 31
官庁関係 14
学校関係 11
会社・工場 8
病院 2
魚市場 1
合計 67
出所:東京都清掃局総務部総務課編(2000),57ページよ り筆者作成。
表2.東京における施行規則第21条適用における上 位5者(大正3年)
委託者 委託料(円)/年
魚市場 1,500
鉄道院新橋構内 486
慶應義塾 90
陸軍幼年学校 72
慈恵会、日本赤十字社 60 出所:溝入(2009),2ページの表1を転載。
生産者責任にいたる日本の廃棄物政策の史的展開
廃棄物問題が身近であり,古くから存在する問題 だからだといってよいだろう。
7.3 清掃法
戦争によって分断された廃棄物行政であるが,
戦後,汚物掃除法が全部改正され,清掃法が制定 される。清掃法によって,地方自治体による廃棄 物処理は市から,一部の町村にまで拡大され,国 や都道府県の責務も明確化された。
清掃法では,多量の汚物に加えて,特殊の汚物 として処理困難な廃棄物に対する規定が設けられ た。これは汚物掃除法での量的な問題に加えて,
質的な問題への対処が可能となる規定だと考えら れる。また,工場,事業所などの生産者を明確に 対象としており,いわゆる産業廃棄物の問題に対 して先駆的な対応として位置づけられていると いってよいだろう。しかし,具体的な規定がない ため,実施されることはなかったとされる。
7.4 廃棄物処理法
高度経済成長期において廃棄物問題は量的にも 質的にも大きく変化する。また,事業活動にとも なう廃棄物の問題が大きくなり,清掃法を全部改 正して廃棄物処理法が制定される。廃棄物を一般 廃棄物と産業廃棄物に区分して,前者を地方自治 体の処理責任に,後者を排出事業者の処理責任と した。また,一般廃棄物の処理責任は,全ての市 町村へと拡大した。しかし,廃棄物処理法には,
発生抑制やリユース,リサイクルが取り入れられ ておらず,あくまでも排出される廃棄物を速やか に処理・処分することを主眼としている。
その一方で,廃棄物処理法における事業者の責 務にはEPRの萌芽ともいうべき規定が設けられて いる点は興味深い。すなわち,生産者に対して,
製品のライフサイクルに配慮しつつ,廃棄段階で の適正処理を考慮する義務などを明記しているの である。
以上から,各法制度には,後の廃棄物問題と廃 棄物政策において大きな論点となる問題につい て,萌芽的・先駆的に言及しているといえる。
おわりに
本研究では,主として江戸時代から1970年に制 定された廃棄物処理法までを取り上げて,廃棄物 問題と廃棄物政策を概観し,生産者責任のあり方 について検討した。汚物掃除法や清掃法には,
EPRに関連する規定はないが,多量の廃棄物を排 出する主体や,質的処理困難性を備える廃棄物の 排出者に関する,いわばPPPに基づくとも考えら れる規定が設けられていた。また,廃棄物処理法 における事業者の責務においてEPRの萌芽ともい うべき規定が設けられていた。
これらは,あくまでも萌芽的なものであり,制 定当時の廃棄物政策の中で大きな位置づけを与え られたものではなかったといえる。しかし,それ ぞれ廃棄物問題において重要な論点であり,また,
後の廃棄物政策にも連なる論点でもあることか ら,いわば先駆的な位置づけが可能であろう。す なわち,汚物掃除法と清掃法における多量の汚物,
質的処理困難な廃棄物については廃棄物処理法に みられた産業廃棄物に関する規定へ,廃棄物処理 法における事業者の責務は1990年代以降の一連の EPR政策へと,それぞれ発展的に引き継がれてい くと考えられる。汚物掃除法が1900(明治33)年,
清掃法が1954(昭和29)年,廃棄物処理法が1970
(昭和45)年に,それぞれ制定されたことを考慮 すれば,問題の顕在化に比較して,きわめて早い 段階での指摘といえよう。
これらの先駆的な規定の意義や,後の廃棄物政 策に与えた影響などの評価については今後の課題 である。また,本稿では,時代区分を江戸時代か ら現代まで大きくとったため,それぞれの法制度 やその運用,問題点などを深く掘り下げることは できなかった。各時代についての詳細な検討を行 えば,さらに有意義な見解が得られる可能性があ ると考える。この点は,筆者の今後の課題とする。
(付 記)
本研究は2018~2020年度文部科学省科学研究費 補助金基盤研究C「廃棄物政策と環境配慮設計の 史的検討と2Rの推進」(課題番号18K11747)の研 究成果の一部である。
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(函館校教授)