Title ベートーヴェンにおける前奏付きのピアノソナタの比較研究〜選帝侯ソ ナタWoO47‑2と作品13,作品111の共通性〜
Author(s) 深井, 尚子
Citation 北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 72(2): 53‑60
Issue Date 2022‑02
URL http://s‑ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/12254
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ベートーヴェンにおける前奏付きのピアノソナタの比較研究
~選帝侯ソナタWoO47-2と作品13,作品111の共通性~
深 井 尚 子
北海道教育大学岩見沢校鍵盤楽器第5研究室
VergleichsstudieüberBeethovensKlaviersonatenmitVorspiel
~ GemeinsamePunktezwischender„Kurfürstensonate“WoO47-2undOp.13,Op.111~
FUKAIShoko
DepertmentofMusic,IwamizawaCampus,HokkaidoUniversityofEducation
概 要
ベートーヴェン(LudwigvanBeethoven1770~1827)のピアノソナタは,作品番号がつい たものが32曲あり,その他にボン時代の若きベートーヴェンがケルン選帝侯に献呈した,いわ ゆる「選帝侯ソナタ」が3曲ある。作品番号がついた作品,作品13ハ短調と最後のソナタ作品 111ハ短調には大規模な前奏部分があるため,先行研究でもこの2つの作品は,調性の一致や 和声的な類似性が指摘されている。しかし,「選帝侯ソナタ」第2番ヘ短調にも前奏がついて いることに注目する研究はほとんどなく,この初期のソナタとの関連研究は多くない。このこ とに着目し,本論文では,ピアノソナタ作品13ハ短調,作品111ハ短調の第一楽章の音楽的イデー は,ボン時代の12歳のベートーヴェンがすでに着想していたのではないか,と仮説を立て,楽 曲を詳しく検証しその根拠を述べようとするものである。ベートーヴェンの少年期の作品が,
最後のピアノソナタにたどり着いた経緯を「前奏曲付きのソナタ」という観点から見直すもの である。
第1章 選帝侯ソナタの斬新性
選帝侯ソナタWoO47とは,ベートーヴェンの ボン時代(1782年~1783年),つまりベートーヴェ ンがわずか12歳から13歳のころに作曲した,3曲 から成るソナタ集である。この作品集は当時,よ
うやく確立したといわれる「ソナタ形式」を踏ま えた多彩な作品集であるが,少年期に書かれた作 品ということで習作といわれ,作品番号の付いた ウィーンで作曲された32曲のソナタとは,分離さ れており,その作品の価値もそれほど評価されて いない。しかし,ベートーヴェンが生涯書き続け
深 井 尚 子
たピアノソナタの中に,2曲だけ見られる,「前 奏付きソナタ」の先駆けが,この選帝侯ソナタの 第2番に採用されていることは,非常に興味深い。
つまり,13歳から50歳まで作曲した35曲のピアノ ソナタの中で,前奏をつけたソナタは3曲という ことになる。その選帝侯ソナタ第2番を取り上げ その斬新性を述べる。
第1節 ボンにおけるベートーヴェンの音楽教育 ベートーヴェンは,代々音楽家の家系であり,
祖 父 ル ー ト ヴ ィ ッ ヒ(LudwigvanBeethoven 1712~1773)が宮廷音楽家の地位を確かなものと した。祖父亡き後,父ヨハン(JohannvanBeethoven 1740~1792)がテノール歌手としてケルン選帝侯 の宮廷音楽家を受け継いだ。父ヨハンは,ベートー ヴェンをモーツァルト(WolfgangAmadeusMozart 1756~1791)のような神童として有名にしたいと 考え,幼少時からピアノやヴァイオリンを厳しく 練習させた。ヨハンは,アルコール依存症となり,
家計を支える資格を失い,ベートーヴェンは,少 年期から宮廷での仕事をして家長として一家を支 えた。そのような環境の中,1781年に,クリスティ アン・ゴットロープ・ネーフェ(ChristianGottlob Neefe1748~1798)がライプツィヒからボンの宮 廷に招かれ,ベートーヴェンの師となったことが,
ベートーヴェンの作曲家の基礎を形成したと考え られる。ネーフェは,少年ベートーヴェンの音楽 的才能をいち早く,高く評価し,時間が許す限り ベートーヴェンに作曲を教えた。まだ12歳のベー トーヴェンに,ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
(JohannSabastianBach1685~1750)の「平均 律クラヴィーア曲集」やカール・フィリップ・エ マヌエル・バッハ(CarlPhillippEmanuelBach 1714~1788)の作品を教材に,当時としては先駆 的な作品を学ばせた。J.S.バッハの死後,バッハ の作品はほぼ忘れられ重要視されていなかった が,ネーフェが,「平均律クラヴィーア曲集」を 重要な作品と見極め,対位法の基礎をこの曲集か ら学ばせたことは,ベートーヴェンにとって幸運 であった。少年期のベートーヴェンの家庭環境は
恵まれていなかったが,ベートーヴェンの才能を 認める教師や貴族が多く,音楽的な教育だけでは なく,教養に関する知識も得る機会があった。特 に,音楽教育の中では,ピアノ,オルガン,ヴァ イオリン等の楽器の演奏技術の獲得,音楽理論な ど高度な音楽教育を受けていたことがわかってい る。また,幼少からピアノをはじめとする,鍵盤 楽器の演奏技術に長けており,宮廷においてもオ ルガンを巧みに演奏するなど音楽的な才能は高 かった。不幸な家庭環境がクローズアップされる ことが多いベートーヴェンの少年期は,1781年に ネーフェという名教師に師事できたこともあり,
音楽における環境は恵まれていたといえる。
ネーフェがベートーヴェンについて匿名で寄せ た1783年3月2日付のクラマー(CarlFriedlich Cramer1752~1807)編纂の「音楽雑誌」(Magazin derMusik)には,以下のような文章が残っている。
「ボンにおけるケルン選帝侯の宮廷楽団とその ほかの音楽家についての報告」(抜粋)
・・・ルーイ・ヴァン・ベートーヴェンは先に 述べたテノール歌手の息子で11歳の少年。前途有 望な才能の持ち主で,クラヴィーアを上手に力強 く演奏し,・・・・現在ベートーヴェンは作曲の 勉強をしており,彼を励ますためにネーフェ氏は 行進曲をテーマとするクラヴィーアのための9つ の変奏曲を出版させた。この若き天才は,留学の ための援助をうける資格がある。最初と同じくた ゆまず進歩を続けるなら,必ずや第2のヴォルフ ガング・アマデーウス・モーツァルトになるであ ろう。」(註1)
このようにネーフェから指導を受けたベートー ヴェンは,ネーフェの尽力で作品を出版できるま でになった。9つの変奏曲の出版の後,この3つ のソナタを1782年~1783年に作曲し,ケルン選帝 侯,マクシミリアン・フリードリッヒ(Maximilian Friedrich,ReichsgrafvonKönigsegg-Rothenfels 1708~1784)に献呈した。のちに選帝侯ソナタと 呼ばれる3つのピアノソナタは,3つの異なるタ
イプのピアノソナタで12歳のベートーヴェンのイ マジネーションの多様性がすでに表れており,特 に第2番のヘ短調ソナタは,本論のテーマである
「前奏付きソナタ」の最初の出現と言える。少年 期の作品とは思えない着想や新しいソナタの楽章 構成が盛り込まれており,多くの先行研究で習作 と評価されていることは,残念なことである。次 節では,選帝侯ソナタ,特に第2番について詳し く考察する。
第2節 選帝侯ソナタの意義
一般的に,ベートーヴェンのピアノソナタは,
作品番号が付与された32曲を指すが,この節で述 べる「選帝侯ソナタ」は,ベートーヴェンの作品 番号のない作品(WoO)に分類されており,12 歳~13歳の少年期に書かれた習作のような扱いに なっている。そのため,「ボン時代には,見るべ きピアノソナタが書かれていない。」(註2)と述 べる研究者もいる。しかし,このWoO47が,32 曲のピアノソナタの中でも特に有名なピアノソナ タ,ハ短調作品13「悲愴」とハ短調作品111(最 後のソナタ)に類似する特徴がすでにみられるこ とに注目されることはほとんどない。
選帝侯ソナタWoO47は,3つのソナタが収録 されており,その1曲1曲を個別に検証してみる と実に多彩である。次に譜例をもとに解説する。
3つのソナタは,3つの楽章から成る定型の楽 章構成で,各曲の調性は,変ホ長調,ヘ短調,ニ 長調と♯,♭は偏ることなく採用されている。共 通点は,楽章構成のみで,その他の内容にはかな りの違いがみられる。12歳の少年ベートーヴェン の早熟さと,晩年にまで影響を持つイデーがすで に現れていることが見受けられる作品群と言える。
第1番は,変ホ長調で,ソナタ形式である。変 ホ長調は,ベートーヴェンが生涯,好んだ調性で ある。のちに述べるハ短調の平行調であり,作品 番号付きのソナタにも3曲に採用されている。
第1楽章の発想記号は,Allegrocantabile(歌 うようにそして速く)という,一見矛盾するよう な指示をしている。このcantabileという概念は,
後期ソナタに強く現れる特徴であり(註3),
Allegroと並列にcantabileを指示していることは,
大変めずらしく,非常に興味深い。第1テーマは,
若々しく活き活きとした付点で始まり,変ホ音に よる通奏低音上をメロディが上行するところは,
作品13の第1楽章の前奏部分の後の第1テーマの 音型と第3楽章のRondoのテーマの動機によく似 ている。(譜例1)
第2楽章は,緩徐楽章でやはりソナタ形式であ る。第1楽章の属調変ロ長調で,ソナタの典型的 な調性を取り入れている。冒頭の付点は,第1楽 章との関連性を持たせている。(譜例2)これら の類似性は,後にベートーヴェンの構築性の高い 作曲技法「循環形式」の萌芽を見ることもできる。
第3楽章は,ロンド形式で,その後のベートー ヴェンのソナタでもよく見られる形式である。テ ンポもVivaceで活き活きと速く,華やかでスピー ド感のある6/8拍子は,スカルラッティ(Giuseppe DomenicoScarlatti1685~1757)の単一楽章のソ ナタに類似点を見ることができる。この楽章には,
まだ,スカルラッティなどバロック時代の様式や ハイドン(FranzJosefHaydn1732~1809),モー ツァルトの影響を感じることができる。(譜例3)
【譜例1】WoO47-1 第1楽章 第1テーマ T1~ T4
【譜例2】WoO47-1 第2楽章 第1テーマ T1~ T5
【譜例3】WoO47-1 第3楽章 冒頭 T1~ T4
深 井 尚 子
第2番はヘ短調で,この3つの選帝侯ソナタの 中では♭が4つ付いた少々複雑な調性である。当 時は,♯や♭が3つ以上の調性はめずらしく,あ まり使用されていない(註4)。ウィーンに移住 した後に書かれた,野心的な最初のソナタ作品 2-1とベートーヴェン中期,いわゆる「傑作の森」
に書かれた構築性の高い作曲技法による作品57
「熱情」ソナタなど,重要な作品に採用されてい る調性をすでに使用しているということである。
第1楽章は,6小節の前奏があり,当時として は非常に稀なソナタとなっている。この前奏が付 いたソナタは,1798年ころに作曲された作品13ハ 短調「悲愴」に結実される。12歳の少年がハイド ンも,モーツァルトも書かなかった前奏付きソナ タを書き,また,ヘ短調を採用したことは驚くべ きことであると考える。Larghettomaestosoと指 示されており,作品13では,Grave,また,作品 111では,Maestosoの指示があり,それらの前身 として,この作品には,2つの発想標語を書いて いるように見られる。また,付点による力強さは,
作品13と作品111との類似性が感じられる。(譜例 4)
譜例4にあるように,第7小節からテンポがAllegro となり,拍子も2/2から4/4に変化し,前奏 との強い変化を表現している。この手法は,作品 13,作品111と同じである。また,第7小節以降 の上行音型は,作品13の音型を思わせる。その他 にも,提示部の後に,再度,この前奏を挟み展開 への導入のような構成になっていることも類似し
ている。このようにWoO47-2には,最後のソナ タが書かれる1820年,つまり,晩年のベートーヴェ ンの音楽的イデーとの類似性がすでに明確に表れ ている。
第2楽章は,穏やかなAndanteとなり,楽章構 成は作品13と同様の緩徐楽章である。しかし,こ の曲のリズムは,第1楽章の付点のリズムを踏襲 しており,第1番と同じく,若々しいアイディア で楽章間に共通性が見出せる。(譜例5)
第1番,第2番のこのような構成を見ると,弱 冠,12歳のベートーヴェンの学習途中の習作のよ うにも見える。
次に第3楽章では,Prestoの指示で2/4拍子 となり,かなり激しさが増す。この楽譜を見ると モルデントが多数使用されている。モルデントは,
バロック時代に多用された装飾で,作品番号が付 いたベートーヴェンのソナタには,ほとんど見ら れない。ネーフェの指導に,J.S.バッハやC.P.E.
バッハ(CarlphilippEmanuelBach1714~1788)
の楽曲が多数含まれていたこと,また,1780年こ ろは,バロック時代と古典派がまだ混在していた ことがわかる書法である。C.P.E.バッハのギャラ ント形式を模倣したようにも見え,疾風怒濤
(SturmundDrang)を感じさせる激しさがある。
また,作品57や作品111に見られるオクターヴの ユニゾンもこの楽章に使用されており,晩年のイ デーとの関連性を見出すことができる。(譜例6)
最後の3曲目WoO47-3は,3つの選帝侯ソナ
【譜例4】WoO47-2 第1楽章 冒頭前奏~ Allegroassai
【譜例5】WoO47-2 第2楽章 T1~ T4
【譜例6】WoO47-2 第3楽章 T1~ T8
タの中で最も規模が大きく,第2楽章にはメヌ エットの変奏曲を取り入れ,終楽章にスケルツァ ンドを採用するなど,今までの2つのソナタより,
より多彩で楽曲構成も複雑になっている。
第1楽章は,ニ長調でテンポはAllegro,アー ティキュレーションに注目すると,弦楽器的音型 を思わせる。また,pとfの対比が明確で,この 曲には今までのような付点音符は現れない。中間 部には,フゲッタが現れ,晩年の対位法への傾倒 は,この曲にもその一端が垣間見える。3曲の中 で最も成熟しており,青年期のベートーヴェンの 作品のように見える。(譜例7)
第2楽章は,ソナタの3つの楽章の中に舞曲を 取り入れており,この作曲法は当時めずらしく,
すでにウィーンに定住してからの作品の原型が見 られる。ベートーヴェンは,生涯,変奏曲を得意 としており,多くの変奏曲を書いている。また,
作品111の第2楽章も壮大な変奏曲となっている。
この第2楽章も変奏曲となっており(譜例8),
第5変奏は,イ長調の平行調であるイ短調となっ ており,形式変奏曲の定形を厳守している。
第3楽章も,スケルツァンドという舞曲を採用 している(譜例9)。最終楽章に舞曲を置くのは,
作品番号の付いたソナタにはほとんどなく,ソナ チネのような短く易しいソナタに1曲あるのみで ある。終楽章にスケルツァンドを置くのは,古典 派中期~後期にはほとんど出現しなくなり(註 5),少年期のベートーヴェンの新しい試みであっ
たことがうかがえる。ハイドンやモーツァルトも 終楽章に舞曲Rondoを採用しているが,Scherzando を終楽章に使用している例はなく,若きベートー ヴェンの斬新なアイディアと考えることができる。
このように「選帝侯ソナタ」には,多くの研究 者がベートーヴェンの習作とみなしているのとは 裏腹に,生涯,書き続けたピアノソナタの原型を 見出すことができる。前奏付きのソナタが現れる だけではなく,中期後期に現れるオクターヴのユ ニゾン,フゲッタではあるが対位法の採用,緩徐 楽章や終楽章に舞曲を配置すること,変奏曲を採 用することなど,「選帝侯ソナタ」を詳細に検証 してみると,少年ベートーヴェンの音楽的イデー は,生涯にわたって繰り返され,その後の作品に つながっていることがわかる。このように,「選 帝侯ソナタ」が,ベートーヴェンの少年期の習作 のような価値しかないという評価は,作品番号の 付いたピアノソナタ全曲を俯瞰し比較してみる と,ベートーヴェンの基本的な音楽的イデーを発 見できることがわかった。つまり,習作というよ り,ベートーヴェンの生涯の音楽的テーマが見ら れる,価値の高いものであると考えられる。
第2章 ピアノソナタ作品13と作品111の前奏 の比較
本論文では,ベートーヴェンの「前奏」付きソ ナタを比較することで,ベートーヴェンの音楽的 なイデーは,少年期からすでに存在し,そのイデー を生涯大切にしていたことを検証するため,本章 では,「前奏」の付いた,作品番号の付いた2つ のソナタについて詳しく分析する。
【譜例7】WoO47-3 第1楽章 T1~ T5
【譜例8】WoO47-3 第2楽章 テーマの前半部分
【譜例9】WoO47-3 第3楽章 冒頭部分
深 井 尚 子
第1節 ピアノソナタハ短調 作品13「悲愴」
この曲は,1798年~99年,ウィーンに移住して 人気ピアニスト,また,作曲家として活躍してい た時に書かれた。「選帝侯ソナタ」の作曲から15 年が経過しており,ベートーヴェンの初期の重要 な作品として知られている。「悲愴」としてよく 知られたこの作品13の最も斬新なイデーは,「前 奏」がついていることが挙げられる。作品番号が ある32曲のピアノソナタの中で,力強い「前奏」
が付いているソナタは,2曲で,その1つがこの 作品である。前奏が付いたピアノソナタは,当時 はめずらしく,ベートーヴェンの斬新性と新しい ソナタ形式の先駆けのように評価されるが,第1 章でも述べた通り,少年期のベートーヴェンのソ ナタにすでに現れている。「選帝侯ソナタ」の第 2番には,Larghettomaestosoゆっくりと堂々 と,と書かれているが,作品13の第1楽章の冒頭 には,Graveと指示されている(譜例10)。
両作品のテンポ表示は,大変似通っており,
Graveは,遅く重々しくと解釈される。また,前 奏部分は,作品13は10小節,また,WoO47-2は,
9小節でありほぼ同じ小節数である。強弱記号も,
fの長い音符のあとすぐにpとなり力強さとその 弛緩が繰り返される。リズムにおいても,付点の リズムを採用し,緊張感を持っている。この2つ の冒頭は,ベートーヴェンがネーフェの教材とし て使われたと思われる,J.S.バッハのパルティー タ第2番に類似している(譜例11)。
このパルティータは,フランス風序曲(註6)
として書かれており,当時の記譜法では16分音符 で書かれているが実際の演奏では,32分音符で弾 かれることが慣例で,鋭さと力強さを感じる楽想 である。
このように,バッハからの影響もみられるなど,
作品13とWoO47-2には類似性が多い。このこと は,作品13の斬新性は,すでに少年ベートーヴェ ンのイデーにあったことがうかがえる。
第2節 ピアノソナタ ハ短調 作品111(最後 のソナタ)
この作品は,作品番号が付いたベートーヴェン のピアノソナタの最後の曲で,1821年から1822 年,ベートーヴェン52歳,死まであと5年となる 時期に書かれた最晩年のソナタである。ベートー ヴェンは,このソナタを最後にピアノソナタやピ アノ作品の作曲から離れ,交響曲第9番やミサ・
ソレムニスの作曲に専念している。しかし,少年 期から晩年に至るまで書き続けたピアノソナタの 最後のソナタは,すでにロマン派の時代の先駆け のようになり,ソナタ形式はかなり変化してきて いる。楽章構成も2楽章制を取り入れており,3 つ目,および4つ目の楽章が欠落している。第2 楽章は,壮大な変奏曲形式で,斬新な拍子,例え ば,9/16拍子,12/32拍子などを採用しており,
リズムもまるでジャズを彷彿とさせる先駆的な作 品になっている。先行研究では,後期作品のロマ ン性や斬新なリズムの採用,深遠な内面性を含ん だ後期作品の特徴が挙げられることが多い。しか し,筆者が分析した作品111には,「古典性」も感 じられる(註7)。その古典性は,少年期のベートー ヴェンが初めてソナタに採用した「前奏」付きと も関連性があるとみられる。この作品には,最晩 年の作品ではあるが古典派とロマン派が融合した 作曲技法が見られる。この作品の冒頭は,16小節 の前奏が付いている(譜例12)。
【譜例10】作品13 第1楽章冒頭
【譜例11】J.S.バッハ パルティータ第2番シンフォニア冒頭
WoO47-2,作品13の冒頭と比較してみると,
いくつかの共通点が見られる。作品111第1楽章 の冒頭は,減七の和音が鋭くfで現れ,すぐに一 気にpになる。この強弱の扱い方は,作品13第1 楽章,WoO47-2の第1楽章にも共通するもので,
作品111は,非常に劇的な和音で始まり,作品13は,
最初の主和音の後すぐに属七和音に移行し解決す る。WoO47-2では,第7小節目にやはり属七和 音が現れる。作品111は,最晩年のソナタである ことから,成熟度が高まり,緊張の度合いも高く,
音型も複雑になっているが,この冒頭の「前奏」
のイデーは,少年期の最初のピアノソナタのイ デーと重なることが見いだせる。逆説的にいえば,
すでに少年期の作品には,ベートーヴェンが生涯 書き続けた32曲のピアノソナタの重要な作品の特 徴に重なる部分が芽生えていたということができ る。
結 論
作品13「悲愴」と作品111の類似点を指摘する 研究者は多いが,「選帝侯ソナタ」にその萌芽が 見られることは,ほとんど追及されることがない。
「悲愴」ソナタと「作品111」ソナタは,調性も 同じハ短調であり,ハ短調は,ベートーヴェンに とって重要な意味を含んでいる。つまり,交響曲 第5番「運命」,ピアノソナタ「悲愴」,最後のソ ナタ作品111,ピアノ協奏曲第3番など重要で評 価の高い作品には,ハ短調を採用していることで,
ベートーヴェンがハ短調を重要な調性と考えてい たことがわかる。ベートーヴェンにとってもう一 つの重要な調性は,ヘ短調である。ウィーンに移 住して最初に書いたピアノソナタは,作品2-1 ヘ短調である。その後,中期の傑作といわれる作 品57「熱情」もまたヘ短調で,後期の弦楽四重奏
曲第11番「セリオーソ」もヘ短調なのである。そ して,「選帝侯ソナタ」WoO47-2もヘ短調であり,
ここでも,ベートーヴェンにとって重要な調性を すでに少年期に採用していることがわかる。また,
第1章において「選帝侯ソナタ」3曲すべてを見 直すことで,第2番の前奏付きのソナタのイデー についてだけではなく,作品番号付きの32曲のピ アノソナタのいたるところに,少年ベートーヴェ ンのアイディアが見られた。このことは,ボン時 代にシラーの詩を知り(註8),その詩に感銘を 受け,最後の交響曲第9番の合唱に取り入れたこ とでもわかるように,ベートーヴェンは,少年時 代から音楽に対するいくつかのイデーを生涯持ち 続け,それらのイデーを他の作品にも取り入れて いたことがわかった。「選帝侯ソナタ」は,少年 の習作ではなく,すでに,青年期から晩年に至る ベートーヴェンの楽想がちりばめられていたこと が本研究から明らかになった。
【註】
1.Cramer,CarlFriedlich MagazinderMusik1,1783 Häfte1 pp.400~401
2.諸井三郎『ベートーヴェンピアノソナタ―作曲学的 研究―』東京創元社1958 p.7
3.深井尚子『ベートーヴェン後期ピアノソナタの演奏 解釈の考察―2楽章制ピアノソナタの比較から―』北 海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第60巻第 1号2009 p.2
4.モーツァルトやハイドンのピアノソナタでは,♯,
♭は,ほぼ3つまでである。
5.Scherzando,およびScherzoは,舞曲であり楽章の 中間部,つまり,4楽章制のピアノソナタの場合,第 3楽章などに採用されることはしばしばあるが,終楽 章に取り入れられることはなく,多くはRondoが採用 されている。
6.Uhde, Jürgen『Beethovens Klaviermusik Ⅱ Sonaten1-15』Reclam1970 pp.207~208
7.深井尚子『ベートーヴェンのピアノソナタ作品111に 見られる古典性の考察―古典派とロマン派の融合の発 見―』北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)
第69巻第2号 2019 pp.98~99
8.平野昭『ベートーヴェン』新潮社 1986 p.27
【譜例12】ピアノソナタ作品111 第1楽章 冒頭
深 井 尚 子
【参考文献】(アルファベート順)
Cramer,CarlFriedlich MagazinderMusik
ツェルニー,カール ベートーヴェン全ピアノ作品の正 しい奏法 パウル・バドゥラ・スコダ編 古荘隆保訳 1978 全音楽譜出版社
Eggebrecht,HansHeinrich ZUR GESCHICHTE DER BEETHOVEN REZEPTION 1972 LAABER
深井尚子 ベートーヴェンのピアノソナタ作品111に見ら れる古典性の考察―古典派とロマン派の融合の発見―
北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第69巻 第2号 2019
深井尚子 ベートーヴェン後期ピアノソナタの演奏解釈 の考察―2楽章制ピアノソナタの比較から― 北海道 教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第60巻第1号 2009
長谷川千秋 ベートーヴェン 1970 岩波新書 平野昭 ベートーヴェン 新潮社 1986
小松雄一郎訳編 ベートーヴェン書簡選集上下 1979 音楽之友社
門馬直美 ベートーヴェン 巨匠への道 2020 講談社 学術文庫
諸井三郎 ベートーヴェンピアノソナタ―作曲学的研究―
1958東京創元社
中島義道 晩年のカント 2021 講談社現代新書 レティ,ルードルフ ベートーヴェンピアノソナタの構
築と分析 赤澤立三・柏木敢雄訳2003 音楽之友社 シェンカー,ハインリヒ ベートーヴェンのピアノ・ソ
ナタ第32番 山田三香・西田紘子・沼口隆訳2014 音 楽之友社
ソロモン,メイナード編 ベートーヴェンの日記 青木 やよひ/久松重光訳 2001 岩波書店
Uhde,Jürgen BeethovensKlaviermusikⅡ Sonaten1
~15 1970 ReclamUnversal-Bibliothek
(岩見沢校准教授)