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美術作品に対する固定的イメージを

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平成22年度 修士論文

美術作品に対する固定的イメージを

   揺さぶる鑑賞授業の開発

一マルセル・デュシャン『泉』を主軸とした対話と解説を通して一

    兵庫教育大学大学院

学校教育研究科 教科・領域教育学専攻     芸術系コース(美術)

M09197A 土本周平

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目次

研究動機・・・・…   . ・・・…   . 2

第一章 鑑賞教育の意義と課題

 第一節 鑑賞教育の意義・・・・・・・・・・・・・…  3  第二節 鑑賞教育の課題・・・・・・・・・・…   10   (1)実施率の低さと能力の不足・・・・・・・・・…  10   (2)対話型鑑賞の概要と利点・・・・・・・・・…  12   (3)対話型鑑賞の課題・・・・・・・・・・・・…  14   (4)対話型鑑賞の活用・・・・・・・・・・・・…  21  第三節 授業開発における要点と授業内容及び目標・…  22   (1)要点・・・・・・・・・・・・・・・・・・…  22   (2)内容及び目標・・ . . . 23

第二章 鑑賞授業の開発

 第一節 鑑賞作品の選択・・・・・・・・・・・・・… 28   (1)マルセル・デュシャンについて・・・・・・…  28   (2)レディ・メイドについて・・・・・・・・・…  29   (3)『泉』について…   . .. .. 31   (4)教育的効果…   . .33   (5)問題点と対策・・・・・・・・…   . .34  第二節 授業案の作成・・・・・・・・・・・・・・…  35   (1)授業の方法・・・・・・・・・・・・・・・…  35   (2)授業の内容・・・・・・・・・・・・・・・…  36

第三章 実践と検証

 第一節 実践内容・・・・・・・・・・・・・・・・… 48   (1)授業実践I・・・・・・・・・・…   ・ . ..48   (2)授業実践皿・・・・・・・・・・・・・・・・・…  52  第二節 実践の成果と課題・・・・・・・・・・・・…  57   (1)成果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…  57   (2)課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…  58

終章

 (1)本論のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・…  60  (2)今後の課題・・・・・・・・…   ・・・・・・…  63

付録 授業実践資料 全72頁

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研究動機

 近年、美術科において従来目陰の存在であった鑑賞教育が注目を集めている。特に、アメ リカで美術の初心者に向けたギャラリートークとして発展した対話型鑑賞が日本に紹介され、

その取り組みやすさや学習効果が話題となり、多くの実践研究が進んでいるようである。筆 者も学部卒業論文において対話型鑑賞の実践研究を行った経験がある1)。そういった中で 様々な問題点が指摘され、解決案が吟味されるなど、より学校教育に適した鑑賞方法が提案

されてきている。

 さて、対話型鑑賞は芸術作品とどのように接しさせるか、という鑑賞の方法論である。し かし、美術科は他教科と違い教える内容の吟味が必要である。数学や社会等他教科において は因数分解や日本史等教える内容が決まっており、その内容をどの様に学習させるか、とい う方法を考える必要があるのに対し、美術科は身に付けさせるべき目標は示されているが具 体的に何をするかは教師に一任されている。つまり、題材設定も重要な研究対象となる。こ のことは従来からも表現学習に関して当然のことであるが、鑑賞学習になると肝心の中身、

つまり鑑賞する作品とその作品の鑑賞によって得られる知識・体験の質は広く議論されず、

その方法だけに注目が集まるのは不思議な話ではないだろうか?鑑賞の方法よりも鑑賞の具 体的な中身(美術教育において何を教えるべきなのか)を提案することも鑑賞教育の研究に必 要なことであるだろう。

 以上から、本論は「美術作品に対する固定的イメージを揺さぶる鑑賞授業の開発一マルセ ル・デュシャン『泉』を主軸とした対話と解説を通して一」と題し、鑑賞教育において教え

るべき内容を提案し、その授業案を作成、実践・検証することで、具体的な一鑑賞授業の開 発を目指すこととする。

 鑑賞授業開発に当たって、本論は上述の対話型鑑賞法を鑑賞教育の一モデルケースとし、

その課題について考察することで、その参考にしたい。それは、対話型鑑賞が提起する様々 な問題が、筆者の鑑賞教育に対する問題意識の根本になっているためである。

 なお、本研究は中学校美術科に限定することとする。これは、精神的にも知的にも大きく 変化するこの時期において、「感性」や「情操」の育成を目指す美術科の果たす役割が、その やり方次第で大変重要なものになると考えるからである。

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第一章 鑑賞教育の意義と課題

 本章は具体的な鑑賞授業の開発に当たって、まず鑑賞教育の意義を明らかにする。そして、

鑑賞教育が抱える課題を示し、その解決法として注目された対話型鑑賞についてその利点と 課題を考察する中で活用法を見出す中で、本論における鑑賞授業の基礎となる考えを提示し

たい。

 第一節 鑑賞教育の意義

 はじめに、普通教育における美術教育の意義とはプロの美術家を育てることではない。美 術を通して人間的に成長させることが狙いである。故に、鑑賞教育において、最も重要なの

はよりよい人間形成を目指すことである。よって本節は、美術教育を根源的に「美術するこ との人間学」と捉えた山本正男の『美術教育学への道』2)と、普通教育の指導指針である美 術科学習指導要領解説・)を中心的な資料として、鑑賞教育の意義を探ることとする。

 ①人間形成

 鑑賞教育の意義とは何か?鑑賞教育を行うことで生徒は何を得るべきなのか?山本は、鑑 賞活動は「追創作の体験においてこそ可能」であるとしている。「追創作」とは「作品を媒介

として創作者とコミュニケーションを持」ち、同時に「自我の客観化、自己自身とのコミュ ニケーション」を行うことである。そうすることで「作者と重なる自己の姿を見出」し、「新

しい生の高揚、新しい人間可能性」、「自己」の発見を行うことが出来る。つまり、山本の考 える鑑賞とは、作品を見る中で作者との精神的交流を図り、何故この様な表現なのか、どう

してこの素材を使ったのか、それらは何を意味するのか、といった創作の意図やその精神的 背景を読み取ろうと努めることで、一つの作品として結晶化された作者の人間性や考えを深

く理解する。そして、自分がそれに対してどう感じるか確かめることで新たな「自己」を発 見する「人間形成の意識活動」であるとしている。作品鑑賞を通して作者の人生観や世界観 を感じ、自分自身の人生観や世界観と照らし合わせることで、共感したり反発したりする。

そういった作品及び作者との精神的交流の中で、自らの人生や世界に対する考え方・見方を 吟味し、よりよい方向を探求出来る。一人一人の作家、一っ一つの作品によって違った考え 方があることを知る中で、人間の多様な在り方を知り、価値観を広げ自らの生き方について 考える機会を得るのである。

 更に山本は、鑑賞を通じて「心を持たぬ草木の姿、石のたたずまいであっても、そこから       3

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声なき声、色なき色をよみとる精神の可能性を培わねばなら」ないとしている。これは、全 ての美術作品は物質的に見ると、絵画はキャンバス等の支持体の上に絵の具等が堆積した物 であり、彫刻は石などの塊であると言える。しかし、美術作品を見る時、その様な物質的現 実に囚われず、距離をもってその表現されたものを見るという精神的自由が存在する。あら ゆる鑑賞活動はこの精神的自由、精神の遊びの上に成り立っている。鑑賞が新たな「自己」

を発見する「人間形成の意識活動」に与する教育的に重要な活動であるとするならば、それ を可能とする精神的自由は育成されるべきである。

 以上から、精神の自由を培い、作品の「追創作」をする中で人間理解と自己発見を行い、多 様な価値観を認める中で、よりよい「人間形成」を進めることが鑑賞教育の意義の一つとして 挙げられる。

 また、中学校学習指導要領第2章第6節美術の第1目標には「表現及び鑑賞の幅広い活動 を通して、美術の創造活動の喜びを味わい美術を愛好する心情を育てるとともに、感性を豊 かにし、美術の基礎的な能力を伸ばし、美術文化について理解を深め、豊かな情操を養う」

とある。r感性」とはr様々な対象・事象からよさや美しさなどの価値や心情などを感じ取る 能力であり、知性と一体化して人間性や創造性の根幹をなすもの」を指す。「情操」とは「美

しいものや優れたものに接して感動する、情感豊かな心をいい、情緒などに比べて更に複雑 な感情」であり、「知性・感性・徳性などの調和の上に成り立ち、豊かな精神や人間としての 在り方・生き方に強く影響していくもの」であるとしている。つまり、美術科は「感性」や「情 操」といった人間にとって大切な能力であり、その人の生き方にまで強く影響を及ぼすよう

な、人間性の根幹に関わる部分を、美術を通して望ましい方向に育成することが大きな目標 となっている。

 また、中学校学習指導要領美術のB鑑賞に関する記述を見ると、鑑賞の活動における指導 事項として以下三点が記してある。(第2学年及び第3学年の2内容から)

ア   「造形的なよさや美しさ、作者の心情や意図と創造的な表現の工夫、目的や    機能との調和のとれた洗練された美しさなどを感じ取り見方を深め、作品など    に対する自分の価値意識を持って批評し合うなどして、美意識を高め幅広く味

   わうこと。」

「美術作品などに取り入れられている自然のよさや、自然や身近な環境の中に

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見られる造形的な美しさなどを感じ取り、安らぎや自然との共生などの視点か ら、生活を美しく豊かにする美術の働きについて理解すること。」

ウ  「日本の美術の概括的な変遷や作品の特質を調べたり、それらの作品を鑑賞し    たりして、日本の美術や伝統と文化に対する理解と愛情を深めるとともに、諸   外国の美術や文化との相違と共通性に気付き、それぞれのよさや美しさなどを    味わい、美術をとおした国際理解を深め、美術文化の継承と創造への関心を高

   めること。」

 これ等を見ると指導要領の内容には上述の「人間形成」の視点が多く含まれるのが分かる。

目標の「感性」、「情操」は正に「人間形成」に関わるものであるし、指導事項(ア)の「自 分の価値意識を持って批評し合うなどして、美意識を高め幅広く味わうこと」という記述に

も、他者の表現である作品に対し自らがどの様に受け取り評価するか、という点で同一のこ とが見られる。

 鑑賞教育の意義として、ここでは新たに、「美術を愛好する心情」を育て、「造形的なよさ」

や美しさなどを感じ取る力を付け、「生活を美しく豊かにする美術の働き」を理解し、「美術を 通した国際理解」、「美術文化の継承と創造への関心」を高めることが挙げられるだろう。

 他にも「美意識を高め」ること、「日本の美術や伝統と文化に対する理解と愛情を深める」

ことも鑑賞の意義であると考えられるが省略する。「美意識」はその前提としての「美」が定 義付けられないことに加え、「造形的なよさ」を感じる能力と「人間形成」の活動の一部に含 まれると考えられたためであり、「日本の美術や…  」は「美術を通した国際理解」と「美 術文化の継承と創造への関心」に含まれると考えられたためである。

 以下、それぞれについて指導要領解説を中心に概要をまとめ考察を深める。

 ②「美術を愛好する心情」とは、生涯を通じて美術と関わろうとする意欲のことである。

鑑賞においてはその「楽しみ方を身につけ、文化の違いによる表現の違いやよさの理解など を深め、鑑賞活動を愛好し生活を心豊かにして」いこうとする態度を育てることである。こ れは表面的な好き嫌いに留まらない、文化に対する深い理解を目指すものである。

 個々の美術作品の受け取り方には個人間で違いがある。これが、鑑賞経験が少なく、美術 に対する知見が限られた人の場合、そうでない人よりも表面的な好き嫌いに大きく影響され

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る可能性が高いと感じられる。好きなものが優れており、嫌いなものがそれよりも劣ってい るという安易な考えを抱きやすいのかもしれない。しかし、美術には多種多様な表現があり、

それぞれがそれぞれの立場で評価されるものである。山本は鑑賞に当たって、「それぞれの作 品の表現類型の特性が考慮され」る必要性を説いている。写実的な表現の作品に対して、抽 象的な作品に接する時と同じ立場から評価するべきではないのである。「美術を愛好」し、生 涯を通じて関わろうとする意欲を持たせるためには、好き嫌いという判断基準を退け、「表現 の違いやよさの理解」を深めることで、それぞれのよさを味わう幅広い価値観を育成するこ

とが重要となる。

 特に、「美術を愛好する心情を育てる」ためには、美術という文化に対する理解を深めるこ とが重要である。美術は人間にとって物質的に生きていく上では必要なく、寧ろ邪魔なもの である。しかし、人間には物質的充足だけでなく感覚的、精神的充足に対する欲求がある。

美術は呪術的なものから宗教的、哲学的、科学的、装飾的、娯楽的なもの等まで多岐にわた るが、その根本は生活や人生を感覚的、精神的に豊かにするという目的に一致する。つまり、

美術は単なる趣味の一つといった様な在り方でなく、人間の大切な文化の一つとして理解す ることが重要である。そして、その根本には、人間が生きていく上で、その生活や人生を物 質的な充足を超えて豊かにしていきたいという人間らしい願いがあることを忘れてはならな

い。

 しかし、そういった理解の上であれば、それを「愛好する」かどうかは本人の自由であり 強制できない。美術教育が美術のプロを育てることでなく、美術を通した「人間形成」であ

ることを考えれば、「美術を愛好する」という狭い考えよりも美術文化の理解を通した人間の 文化理解、人間そのものの理解を促すことがより重要であろう。

 ③「造形的なよさ」とは、「形や色彩などから感じるよさや美しさのこと」である。これは 抽象的で分かりにくいが、色や線、形などの造形要素の微妙な関係や、それらが成す調子等 から引き起こされる感覚的な魅力のことを指すと思われる。注意したいのは、はさ」が快感 情のみを表すものでないことである。美術の多種多様な表れを見るに、その造形要素が引き 起こす感覚的なものが不快であっても、表現の意図が伝われば魅力に繋がるからである。美 術は視覚芸術であり、目に映るものは造形要素の組み合わせに過ぎない。故に、美術にはそ の様な物質的因習に囚われることなく、形や色、素材等から何か調和や構成の厳しさ、色の 輝き、形の面白さ等を感じ取る必要である。「造形的なよさ」に対する感覚は美術活動全般の       6

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基礎的な能力である。

 しかし、この魅力の感じ方、「造形的なよさ」に対する感覚は個人個人によって違っており、

教師がその「造形的なよさ」をどれだけ熱を込めて説明しても、それを見る生徒がどの様に、

どのくらい感じるかという点は指導も強制もできない。多様な作品を比較し、効果的な構図 の説明や色彩の分析を行うなど、造形的な感覚を刺激する様々な方法が存在するが、それら 全ては例示に過ぎない。感じないものは感じないのである。このr造形的なよさ」をどう扱い 理解させるかという問題は、鑑賞教育の難点の一つである。何らかの手順を踏むことでそれ に対する感覚を向上させることが出来るのかどうか、現時点で具体的な答えを用意できない が、作品の知識を得たり解釈を行ったりするといった到達点が比較的見えやすい鑑賞教育よ

りも、達成が難しいものだと考えられる。

 しかし、何をどう感じるかは強制出来ないにしても、鑑賞活動で様々な作品を見る中で、

造形的な感じ方を自然と深めてくれる可能性はある。美術作品そのものが造形的な魅力を持 っていれば、その度合いに個人差があるにしても、何か得るものがあるはずである。強制は 出来ないが、感受性を広げるきっかけを提示することはできるだろう。「造形的なよさ」に対 する感覚が美術活動全般の基礎的な能力であることを考えれば、教師の働きかけ自体は消極 的であれ、鑑賞教育の意義の一つであることは間違いない。

 ④「生活を美しく豊かにする美術の働き」とは、「美術作品や身の回りの環境を美しさや自然 との調和の視点からとらえ、生活を心豊かにする造形や美術の働きについて理解すること」

を指す。人間は太古より身の回りを美しくよりよい環境にしようと努めてきた。それは人間 が形、色彩、材料、光、空間などから、開放感や安らぎ、温かさや冷たさ、快・不快等を感 じることが出来るためである。現代人は、あらゆる人工物に取り囲まれた生活を送っている。

屋内は勿論、屋外も建築、車、庭など、人の手が及ばないものを探す方が難しい。それらの 殆とが実用的な用途の無い装飾・デザインを施されている。また、その様な意図が無くとも 機能性を追求した結果、緊張感のある美しい姿を見せる場合も多い。それら人工物には、人 間の生活を便利に快適にしようとする狙いと共に、人生を視覚的・精神的に充実させたいと いう人間らしい願いが込められている。しかし、現代は人工物が過剰に存在するためか、そ の様な人生に対する前向きな願いが満ちていることを見落としがちであると感じられる。ま た、デザインが購買意欲を高める戦略に使われることも多いため、その様な意識を薄めてい るのかもしれない。故に、鑑賞教育においては、生活の中の造形や美術の働きの根底に、身       7

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の回りを美しくよりよい環境にし、視覚的・精神的に充足したいという、人生に対する人間 の前向きな願いが存在することに気付かせ、それを再認識させることが重要である。

 ⑤「美術を通した国際理解」とは、「各国の美術や文化の違いと共通性を理解し、価値ある ものとして互いに尊重しあっていこうとする態度を培うこと」である。これからの国際社会 において、様々な文化・習慣を持っ諸外国や民族との交流が盛んになると予想される。この 時、自分の価値観や言語のコミュニケーションだけでは理解できないことも多くあるだろう。

 特に、美術における日本と西洋との表現の逢いは、それぞれの精神、考え方、文化の違い を明確に表している。例えば両者の自然に対する扱い方の違いは顕著である。日本には花鳥 風月など自然を題材にした作品が数あり、人間は巨大な自然と対比して描かれる等、自然が 主役であることが多い。これに対し西洋では、自然は背景として、又は寓意表現の道具とし て描かれる程度の脇役に過ぎず、人間が主役であることが多い。哲学者の小坂国継の著書4)

によると日本における自然とは、万物に魂が宿るとするアニミズム思想を基本に、親鷲の自 然法爾の考え方が伝統にあるとしている。これによると、自然とは「自ずから然らしめる」

という意味である。「自ずから」とは人為の及ばぬことを指し、「然らしめる」とは本来の理想 的な姿であることを意味する。つまり日本における自然とは、神聖で人為の及ばない理想的 な存在であり、人間はその中に含まれるものとして捉えられる。一方、西洋において自然と は、文化と対立する未開で野蛮な状態であり、神によって創られた人間の手で支配・制御さ れるべき存在として捉えられる。そして、この様な考え方や文化の差異が如実に美術の表現 の中に現れているのである。

 この様に、美術がそれぞれの考え方や文化、風土、宗教、社会、時代、地域等に大きく影 響されている事を考えれば、国際理解という視点を含めた美術鑑賞教育が、美術文化という 枠を超え、人間理解に繋がることが分かる。つまり美術鑑賞は、人間と世界との関係に対す る様々な考え方を知る中で、その多様性を理解し、幅広い視点から世界や人間を考える訓練

(人間形成の意識活動)となる。結果として、その様な価値観の拡充を通し、人間理解を深 める中で、言語のコミュニケーションを超えた深い国際交流が期待できる。

 ⑥「美術文化の継承と創造への関心」とは、「伝統の中にこれからの時代にとって価値ある ものを見出し、現在に至るまでなぜ大切に残されてきたかを理解した上で、更に一人一人の 手で継承し新たな価値や文化を積極的に創造していこうとする気持ちをもたせること」であ       8

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る。鑑賞の文化的価値について、教育学者である佐伯月牛は著書5)で「アプリエーション(鑑 賞)は、まぎれもなく、文化的実践である。どんな芸術作品でも、それを「鑑賞する人」がい なければ、まったく何の価値も意味もないものとされ、いつのまにか葬り去られてしまう。

つまり、アプリエーションは文化を創出し、継承し、発展させるために必要な人々の営みな のである。」と主張する。確かに、ある作品が人類の大切な文化的遺産として後世まで保管さ れるためには、その価値を認める多くの鑑賞者が必要である。鑑賞が文化を生み出し、継承

し、発展させているのである。仮にその様な鑑賞者の理解がなければ今日のように過去の傑 作を見ることも出来ない。

 また、作者の生前や発表された当時において無視され続けた作品が、後の時代の別の鑑賞 者によって価値が認められる事がある。例えば写実主義や印象派、20世紀美術などの芸術運 動の始まり見ると、小さな団体又は個人の内輪的な盛り上がりといっても過言でなく、それ を認めたのはごく一部の人問であり、今日のように美術史の一ぺ一ジとして扱われる様な文 化的な重みを持つものではなかった。他にもレンブラントやラ・トゥール、ゴッホ、若沖な

ど、後の時代に再発見・再評価された芸術家や作品は多くある。これも鑑賞者が評価・価値 付けする中で、それらが人類の大切な文化遺産として継承する必要があると判断された結果

である。

 更に、あらゆる文化が過去を出発点にし、様々な変化を起こし、破壊し、繰り返す事をや め、新しさを生み出し続けている事を思えば、鑑賞の力は優れたもの理解し、何を後世に残 すか判断する、言わば文化を発展させる原動力である。つまり、鑑賞教育は伝統や文化遺産 に対する深い理解に基づき、美術文化を含む人類文化の創出・継承・発展を促進するために、

必要な活動であると言える。

 以上①〜⑥までを見ると、②④⑤はその根本を美術を通した人間理解に置いており、これ は①「人間形成」の考えと一致する。故に、普通教育における鑑賞教育の主だった意義をま

とめると以下のようになる。

  i人間形成(①②④⑤)

  i造形性に対する感覚の充実(③)

  加美術文化の理解・創造・継承・発展(⑥)

よって本論はこの3点を鑑賞教育の基礎として、鑑賞授業の開発に臨むこととする。

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第二節 鑑賞教育の課題

 本節は現在日本が抱える鑑賞教育の課題について述べる。また、美術鑑賞における知識主 義を否定し、その取り組みやすさから近年話題となった対話型鑑賞にっいてまとめ、その利 点と課題を明らかにし、活用法を探る。

  (1)実施率の低さ、専門性の不足

 今日の鑑賞教育の現状を知る資料として日本美術科教育学会研究部の「図画工作科・美術 科における鑑賞学習指導についての調査報告(2003年度全国調査の結果)」6)がある。この 全国調査は、日本美術科教育学会研究部が「美術教育における『鑑賞』学習のカリュキュラ ム開発に関する研究」の一環として、全国の図画工作科・美術科を担当する教員5000人を対 象に行ったものである。小学校714件、中学校447件の有効回答を得ている。

 下図はこの全国調査の調査項目「鑑賞学習指導の取り組み方」を示したグラフである。

  積極的である やや積極的である やや消極的である   消極的である

 これを見ると、小・中学校共に約半数の割合で分かれていることが分かる。学習指導要領 において、鑑賞は表現と共に図画工作科・美術科の教育活動の柱であるにも関わらず、半数 もの学校がその指導に消極的であるのは問題であろう。

 また、調査項目「鑑賞学習の取り組み」の中の「やや消極的である」、「消極的である」と 答えた教師に「鑑賞学習指導の取り組みに消極的な理由」を重要度の選択によって調査する 項目がある。これによると、「授業時数が少なくて鑑賞に当てる時間が取れない」が小学校 78%・中学校88.2%となっており選択された割合が最も高い。次いで「近くに美術館などの 会場や施設が無い」(小学校49%・中学校45.7%)、r提示する資料が乏しい」(小学校45.4%・

中学校44.8%)、「鑑賞の教材研究をする時間が取れない」(小学校35%・中学校38.9%)、「鑑 賞に関する知識(意義・内容・方法)が乏しい」(小学校37.7%・中学校24.9%)、r提示装       10

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置・施設等がない、乏しい」(小学校21.7%・中学校30.8%)となっており、他にも「美術 史についてよく知らない」、r鑑賞学習の経験がないのでイメージが湧かない」、r資料の収集 方法が分からない」、「何を鑑賞させればいいのか分からない」、「児童生徒が興味や関心を示

さない」、「鑑賞学習の必要性を感じない」が該当数15%に満たないものとして挙げられる。

 ここで、この調査の疑問点について指摘したい。調査対象の教師が自らの理解不足や実践 不足を正当化する可能性を否定できないと考えるためである。この調査結果を概観すると、

「鑑賞学習指導の取り組みに消極的な理由」の調査項目に対する「鑑賞に関する知識(意義・

内容・方法)が乏しい」という回答が、現れた数字(小学校37.7%・中学校24.9%)以上に 低いと感じられる。特に、その理由の第一位に「授業時数が少なくて鑑賞に当てる時間が取 れない」とあることが、筆者の大きな疑問点である。それは、鑑賞活動は表現活動に比べ、

時間をかけずに行うことが可能であるし、時間が少ないから表現を優先させるという根拠も 不明だからである。鑑賞は表現と表裏一体の活動であり、互いに補い高まっていくものであ ると理解していれば、その様な判断は起こらないのではないだろうか。仮に、表現活動に多 くの時間を割いたとしても鑑賞活動に消極的になる必要性は全く無い。次いで「近くに美術 館などの会場や施設が無い」、「提示する資料が乏しい」と続くが、これも大きな障害である とは思えない。近くに美術館が無いのは確かに残念だが、仮に近くに美術館があったとした ら、教室で印刷物等を使って授業を進めるよりも、はるかに多くの労力と時間が必要となる のは言うまでもない。授業時数が少ないという理由で鑑賞活動に当てる時間が取れない教師 にとっては尚更困難な事態である。「提示する資料が乏しい」ことに関しても納得できない。

昨今インターネットの画像検索を使えば、多くの作品を高画質で入手することが出来るし、

美術に関するテレビ番組や出版物も豊富にある。作品に関する資料にしても探せば手に入る 時代である。この様に考えれば「鑑賞の教材研究をする時間が取れない」(小学校35%・中 学校38.9%)、「鑑賞に関する知識(意義・内容・方法)が乏しい」(小学校37.7%・中学校 24.9%)という理由がもっと高い数字を示してもおかしくは無いだろう。それに、鑑賞教育 の意義を理解していれば、授業時数の少なさや提示装置、施設の不足といった外的条件の不 備だけを理由に、鑑賞活動に消極的になるとは考え難い。

 以上を踏まえ、調査結果を解釈すると、鑑賞の授業はあまり積極的には行われておらず、

その理由として、鑑賞学習に対する理解不足や、美術に対する専門性の乏しさといった教師 の鑑賞教育に関わる能力の不足が大きな原因であり、加えて授業時数・提示装置・施設の不       11

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足といった外的条件の不備がそれに拍車をかけていると考えられる。特に教師の能力不足は 調査の数字以上に深刻な可能性があり問題である。

  (2)対話型鑑賞の概要と利点

 また、学校の鑑賞教育が盛んでない理由は他にも、一般的な鑑賞法への抵抗感が原因とも 考えられる。美術鑑賞と言えば美術館の作品鑑賞が思い浮かぶが、その多くは、解説者が前

もって用意した鑑賞者以外の解釈(主に専門家の意見や研究資料をまとめたもの)を一方的に 伝え、知識習得を目指した活動である。これは知識の習得や作品の深い理解を期待する鑑賞 者には適切な鑑賞法であり、テレビ番組や美術雑誌、美術鑑賞入門書、美術批評書、作品図 録など、美術作品に接する最も一般的な方法として広く浸透している。

 一方、学校教育においてこの解説型の鑑賞教育は否定的な方法として扱われることが多い。

それは、鑑賞者にとって受容的且つ非生産的な方法であり、能動的な学習を引き出せないと 考えられるからである。さらに、児童・生徒の大部分は鑑賞の初心者にあたるため、専門的 な言葉や抽象的な説明が多いそれらの解説は理解しがたく、ハードルが高いと感じられるだ ろう。故に今目的な教育、つまり生徒の個性及び自主性に重きを置いた「生きる力」の育成 に合わないため否定的な意見が多い。また、教育方針の相違だけがその理由で無いと推測さ れる。この解説型の鑑賞法は解説者の作品に対する深い理解と洞察、美術の専門的知識、資 料収集能力などが不可欠で、多大な労力を必要とする。先の調査で見られたように、多くの 教師には鑑賞教材を作成する時間と能力の不足があり、鑑賞教育の一般的な方法である解説 型鑑賞に否定的な意見を増加させる一因であるとも考えられる。

 この様な中で、アメリア・アレナスが日本に紹介した対話型鑑賞がその解決案として有効 でないかと注目が集まった。ここで、対話型鑑賞法とその雛形となったVTSについて、奥本 素子『協調的対話式美術鑑賞法』7)、渡辺明子『鑑賞教材「Visua1ThinkingStrategies」に おける教育目標の変化と特徴』8)、上田行一『まなざしの共有』9)を主な資料として以下に

まとめる。

 対話型鑑賞とは「作品・作家の情報などに頼らず、初めて出会った作品を凝視し、自分な りにその意味を考えそして発見し、他者との対話の中でさらに見方を深めたり広げたりして、

作品の理解という問題を解決していく」10)という鑑賞法である。これは、対話による美術 鑑賞行為を通して「一緒に美術を楽しむ」「共感し支援する」という教育観に基づいており、

鑑賞の進行役は作品を鑑賞者と一緒に見て、作品に関する対話を深めていくことで解釈を進       12

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めていく、というものである。

 この鑑賞法は認知心理学者のアヒケイル・ハウゼンによってその雛形が創られた。ハウゼ ンとその仲間が作ったこの鑑賞法をVTS(Visua1Th1nk1ng Strategy/視覚的思考方略)と いう。アレナスの対話型鑑賞が美術館のギャラリートークであり、作品について自由に対話 する中で、「一緒に美術を楽しむ」ことに重きを置いていることに対し、ハウゼンのVTSは、

ピアジェの構成主義(知識は外からの押し付けで無く、個人の内面で構成される)の考えを 基に、厳格なルールに則って計画的に鑑賞能力の向上を目指す、より教育的なものである。

本来ならば観衆を楽しませることを目指した対話型鑑賞よりも、より教育的なVTSが有名に ならなければいけない。しかし、日本においては、アレナスの対話型鑑賞が流行し、VTSは 一部の研究者が知るに留まっている。難解で事前の準備を多く必要とするVTSよりも、取り 組みやすさが話題となった対話型鑑賞に人気が集まったのかもしれない。

 さて、対話型鑑賞の基本的な進め方は2つの問いによって構成される。一つは「作品の中 で何が起こっているの?」で、もう一つは「何を見てそう思ったの?」というものである。

最初の質問は、作品をよく見ることを促し、鑑賞者の自主的な解釈を進めさせる意図がある。

そして、第2の問いによって、その答えに対し、鑑賞者自らその根拠を考えさせることで、

思い込みを排し、作品に寄り添った解釈を進めさせる。

 対話の進行役である教師の役割は、全ての発言を受容することで自由な雰囲気を作り、活 発な対話を促すことと、適宜視点の焦点化や、話題の転換を図り、より深く解釈を進めさせ

ること、最後に鑑賞者の意見から総括を行うという3点である。対話型鑑賞は鑑賞者の意見 によって対話が進んでいくので、進行役である教師はその作品に対する知識も、美術の専門 性も一切要求されない。必要なのはコミュニケーション能力と、意見をまとめ方向付ける能 力である。これは対話型鑑賞だけに必要な特別なものでなく、他教科の授業でも必要な教師 の一般的な能力である。

 この対話型鑑賞の最大の特徴は鑑賞活動を積極的に楽しむ態度を養えることである。作品 を見て、そこから感じたことや考えたことを自由に表現でき、その上それらが全て受け入れ られる。また、自分たちの発言によって、一つの美術作品を解釈できたという満足が得られ る。こういった経験が鑑賞者にとって美術鑑賞に親しみを持たせ、何かを考えることの面白 さを実感させる。更に、自分の考えを表したり、その根拠を作品の中から探したり、他者の 意見に耳を傾ける中で、人間の多様性を理解すると共に、考える力や観察力、表現力の向上 など美術の枠を超える働きが期待できるとされている。

      13

(15)

 この様に、対話型鑑賞は対話の進行役である教師に美術の専門的知識・能力を要求せず、

一定のやり取りを覚えれば誰でも出来るものとして、その取り組みやすさや、教育的な特徴 が認められ、鑑賞教育の新しい流行となった。

 (3)対話型鑑賞の課題

 一方で、多くの実践・研究が進められる中で幾つかの問題点も認められている。

対話型鑑賞のいくつかの問題点として、①物語性の強調、②作品選択の縛り、③教師の専門 的知識の必要性、④鑑賞方法の固定化と知識・情報の軽視のなどが挙げられる。

 注意すべきは、r③教師の専門的知識の必要性」で詳しく記すが、アレナスの言葉による対 話型鑑賞の説明と、彼女の実践の間に大きなズレがあることである。アレナスは対話型鑑賞

を、作家や作品の情報等に頼らず、鑑賞者同士の自由な対話によって作品解釈を進めるべき であると主張している。一方で、彼女の実践の多くは専門的な知見を窺わせる誘導が見られ

るし、時に作家の情報も与えている。それによって鑑賞活動を実り多いものにしているので ある。前者を自由な対話だけで進める鑑賞法=自由対話式、後者を対話の中に専門的知識・

誘導を交える鑑賞法=アレナス式とすれば、自由対話式は上記の①〜④の問題点全てに当て はまるが、アレナス式は①②だけに当てはまるものである。つまり、アレナス式よりも自由 対話式の方が問題である。また、美術の専門一性がいらず、簡単な方法で誰にでも出来るとい う自由対話式のキャッチコピーによって、対話型鑑賞が広がりを見せたことを考えると、一 般的な対話型鑑賞の認識がこの自由対話型である可能性が高い。よって、本論における対話 型鑑賞はこの自由対話式を指すこととする。

①物語性の強調

 対話型鑑賞の最初の間い「この作品の中で何が起こっているの?」は作品の物語性やメッ セージ性に自然と焦点を当てるものである。鑑賞者はこう聞かれると作品の中から物語やメ

ッセージを読み取ろうとする。そして、しばしば表現の内容のみに視点が固定され、表現の 独自性や、造形的なよさを見落としがちである。美術作品はそれを見た瞬間から感覚的に迫

ってくるものが多くあり、そういった外見の充実は表された内容の理解を飛び越えることも

多い。

 例えばヴァチカンのピオ=クレメンティーノ美術館にあるギリシャ・ヘレニズム期の彫刻       14

(16)

《ベルヴェデーレのドルソ》(図1)は、胸の半分から上、腕、ひざ下が欠けており、元々の 姿かたちは分からない。男が座る岩の正面に「ネストルの子、アテネのアポロニウス作」と記 されている以外に確かな情報は残っておらず、何を表したものだったのか、その意味や内容 は推測の域を出ない。

(図1)

しかし、そういった解釈抜きでも十分に美しく、見ごたえのある偉大な彫刻である。

 つまり、言うまでもないが、美術作品には言語化できないような感覚的な部分があり、存 在を感じるが説明できない「美」のようなもの、視覚的な快、そういったものが大きな魅力 であることは間違いない。物語性を強調するとこの部分が軽視される危険性があるのである。

仮にこの作品を対話型鑑賞で鑑賞したならばどうなるのか。この彫刻の造形的な凄みに最初 は心奪われても、r何が起こっているの?」という問いを続ける中で、腕・足・顔が欠けてい る理由を一生懸命考えるという無駄な時間を過ごしてしまう可能性も十分考えられる。

 ②作品選択の縛り、方法の先行

 これらの事を考えると、対話型鑑賞の様に鑑賞の方法を先に決め、対話が成り立つような 作品を選ぶ、という順序は妥当なものなのかどうかという疑問が浮かぶ。ある方法を先に決 めると、どのような作品でも同一の方法で鑑賞をすることになる。すると、どうしてもその 方法に合わない作品、鑑賞がその方法だけでは深まらない様な作品は最初から鑑賞作品の選 択肢に上がらない可能性が高い。例えば、対話型鑑賞は造形的な美しさを主とした作品、図 像的解釈が求められるもの、歴史的な背景を必要とするものなどは、対話を生み出しにくく 鑑賞作品として選択されにくい。よって対話型鑑賞で鑑賞できる作品は物語性があるもの、

鑑賞の約束事(図像学や美術史の知識)の無いものから優先的に選ばれ、結果、一部の名画や現 代アートに絞られることとなる。

       15

(17)

 芸術作品は実に多種多様な広がりを持っている。作品を深く味わうためにはその作品にあ った接し方がある。例えば、ムンクの作品に対してラファエロの作品にある美しさが感じら れないことに、一々落胆する必要はない。それらは創作される前段階から違う方向性を持っ ているからである。ムンクの作品にはムンクの作品に合った鑑賞方法がある。それはラファ エロを深く味わう方法とは違うはずである。また、作家だけでなく一つ一つの作品によって もその方向性は違う。しかし、対話型鑑賞など、ある鑑賞方法を選択し、それに沿って鑑賞 を進めるという事は多種多様な作品に対してある一定の姿勢を強要する。本来ならば、子ど もに見せたい、教育的に見せる必要がある作品を先に選択し、その後に選んだ作品が効果的 に鑑賞できるような鑑賞方法を考えるべきである。方法論を先行させるばかり、鑑賞作品の 選択に縛りが生まれてはいけない。よって、教師は鑑賞作品に適した効果的な鑑賞法を随時 考えるべきでないだろうか。

 ③専門的知識の必要性

 何もアメリア・アメナスを強く否定したいわけではない。実際彼女の実践は①②のような 問題点を含みながらも、美術鑑賞の理想的な姿を見せているように感じられる。しかし、そ れは彼女のギャラリートークが専門的な知見を交えて進められており、無意識がどうか定か でないにしても、ある方向への誘導が見られるからである。以下は1996年10月16日 豊 田市美術館でアレナス自身が行った一般市民を対象としたギャラリートークを簡単にまとめ たものである。11)ここから、アレナスが如何に専門的知識を念頭において計画的に対話を 進めているか見ていきたい。

鑑賞作品:マリオ・メルツ《明断と不分明/不分明と明断》,1988

(図2)

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(18)

 〈作品について〉

 様々な物を大きく加工せずに構成して制作されたアルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)の作品。

作者のマリオ・メルツはその代表的な作家である。アルテ・ポーヴェラとは60年代後半、ロ ーマ、ミラノ、トリノといった郡市部を中心に隆盛したイタリアの芸術運動で、批評家のジ ェルマーノ・チェラントによって命名された。木材、ゴム、紙、セメントなどの物質やチー プな日用品、工業製品に手を加えインスタレーションとして提示するものが一般的である。

 この作品は、全体がドーム形をしており、その周りには割れたガラスが万力で固定されて いる。その割れたガラスの破片には鉛の薄板が、まるでぼろ切れのようにぶら下げられてい る。竹のまわりに巻かれている船もある。履き古した軍隊用らしきブーツからは、赤いネオ ン管が突き出ている。そして一本の枯れ枝が、ドームの天井を突き破って伸びている。バラ ンスを保っためか一部に板が指し込まれていたり、ガラスが万力で一時的に固定されていた りする等、あらゆるものが一時的に置いてある様に見え、ドームという安定した形状に関わ らず不安定で壊れやすい印象を受ける心許ない構造物である。

 <ギャラリートークの内容〉

 アレナスはまず観衆に作品をよく見るように促す。そして「これは何?」と質問する。

 観衆の一人が「リサイクル!」と笑いながら答え周囲にどよめきを与える。それに対しア レナスは「20世紀、とくに後半のアートには、ゴミ箱の中から探してきた忘れられたもの、

捨てられたものに命を吹き込むという作品が多いから、たしかにリサイクルといえるわね。」

と受容の態度を示す。それと同時に、現代アートの潮流について解説し、冗談交じりの発言 に文化的な価値を与えている。ここで20世紀美術についての軽い知識が提示されている。

 別の観衆が「子どもの秘密基地を思い出す。…  自分たちの空間っていうのかしら」と発 言。それに対し「なぜ子どもは小屋や基地を作るのが好きなのかしら。」と受容の態度を示す。

そして子どもの秘密基地というイメージから「自分を守ってくれる、保護してくれる、まる で子宮の中にいるような感じがする。」と要素を抜き出した発言をし、観衆の思考を具体的で ない事に向けようとする。そしてこの作品の理解をもっと深めるために「でもこの中は安全 かしら?」と揺さぶりをかける。これが、この作品の持っ二面性を理解していない場合、問

うことが出来ない大事な質問である。

 この問いによって、観衆は子どもの秘密基地という遊び心をもった平和なイメージの妥当       17

(19)

性を疑うことになる。そして軍靴の発見からr戦時下の銃器の保管場所を思い出した。」と発 言する。これに対しアレナスはr今の発言を考えて見ましょう。防御と正反対、攻撃的なイ メージもある。防御すると同時に攻撃もする。」と、話題を焦点化するとともに、またも要素 を抜き出し、具体性を取り除く。すると観衆は徐々にこの作品は具体的なものを表していな いと考え始め、「戦争は破壊。自分たちへの警告」とメッセージを読む段階に入る。そして、

アレナスは「作品の意味は…  (中略)… 作品を見て、自分や社会について思いをめぐ らす、そのことなの。アーティストの仕事は、作品を通して人々に考えさせることなの。」と 述べ、観衆の思考を目に見える物質的事実を超えた地点へと導こうとする。これは芸術につ いて考え、自らの芸術観を確立していない人には発することが出来ない言葉である。

 そして、観衆の様々な意見から、金属やガラス、ネオン管、構造などが持つ二面性を指摘 し、その対比について考えさせる。この様に、アレナスが積極的に観衆の意見を対比するの は、この作品の二面性に気付くことが解釈を進める上で重要と判断したためであると推測で きる。つまりアレナス自身は無意識であったとしても、彼女の専門一性や作品理解が対話の方 向性を決定しているのである。

 最後に、観衆が「簡単に壊れてしまうのは今の不安定な世界を表している。」と発言し、ア レナスが統括に入る。

 「このネオンも、靴も、あの小枝も身の周りの物ばかり、ありきたりの物を組み合わせて、

まったく違う何かを表している。力強さと、いまにも壊れそうな危うさを暗示している。ガ ラスの構造が〈隠れる〉〈守る〉〈イヌイットの家〉を暗示する一方で、中が透けて隠れるこ となど出来ないと示唆している。守ってくれそうで、いまにも崩れてしまいそうな危険も感 じさせる。…  (中略)… 核実験、人間と自然との関係、環境問題、皆さんが話したこと のすべてがここに入っているの。」

 観衆の意見や対話の流れを汲み、作品解釈を自分たちの力で深く推し進めたと実感させる 見事な総括であり、対話型鑑賞の顕著な成功例であろう。

 さて、アレナスは『なぜこれがアートなの?』12)の中で、自身もこの《明瞭と不明瞭/

不明瞭と明瞭》の解釈を行っている。これを見ると先のギャラリートークが如何に彼女の専 門的知識を交えた洞察を元に計画的に進行されているかが分かる。

 アレナスはまず、「こういった作品の最適な見方は、目の前にある各要素を、ほぼ目に入っ てくる順番に頭の中でリストをつくり、つぎに、そういった過程で徐々に思い浮かぶ関係性       18

(20)

について考えてみることだ。」と述べる。これは、正に先のギャラリートークの対話の流れと 同じである。そして一つ一つの要素を列挙した後に、以下の様に解釈を進める。

 「全体の形は、私たちの日常とは一見なんの関連もないように見えながら、同時に親近感 も感じさせる。一見すると、イヌイットの家イグルーを思い起こさせるこの形は、子供のと きに遊んだ仮説テントのようでもあり、産業廃棄物の山やアーチ形の天空のようにも見える。

その形はまず、閉ざされ保護された、隠れ家を思い起こさせるが、用いられている素材はそ ういった想像を否定している。ここにあるものすべてが、脆さや不安定な均衡を物語ってい る。… (中略)…  この物体は危険物でもあり、同時にそれ自体が危険にさらされている という感じもする。… (中略)… また、中が丸見えの開放された物体であるにもかかわ らず、あきらかに入り口だと思わせる箇所は存在しない。作品のタイトルであるイタリア語、

Chiaro oscuro/Osucuro chiaro(明るい・暗い/暗い・明るい)は、作品のこうした二面性を はっきりと物語っている。しかし、一見崩壊しかかったこの物体は、同時に秩序や規律を求 める強固な意志を象徴したモニュメントでもある。もしラウシェンバーグの〔コンバイン・

ペインティング〕(絵の具をオブジェやコラージュの素材とともに一つの作品の中に組み合わ した芸術表現)が、都市の風景の一つであるとするならば、メルツの作品はそれをメタファー として表現したものだ。この作品の中に、理性に従うものと、それを拒むものとの間でため らいがちに会話を聞くことができる。たとえばそれは宇宙のようにもっとも永続的なものと、

遊牧民の住居や子供の遊び場のようなもっともはかない文化の営みとの間に交わされる会話

である。」

 この解釈は先のギャラリートークで行った総括と酷似している。ここからも、アレナスが ギャラリートークに先だって自ら専門的な知見を交えながら解釈を行った後に、その解釈に 近づけるように対話の流れを誘導していることが分かる。そもそも、ギャラリートークの作 品選択からして、彼女の解釈や専門的な知識がその基準となっているのは確かである。対話 が生み出しやすく、解釈に多様性があるもの、その見分け方にしても、ある程度の専門性は 必要であろう。

 上田行一はアレナスのギャラリートークは①受容一観衆の意見を受容する②交流一観衆相 互の対話を組織化する③統合一観衆の意見の向上的変容を促す13)という三点で成り立って おり、これを「だれにでもできる基本的な行動の積み重ね」であるとしているが、彼女の実 践を見てみると明らかに専門的知識を含んだ誘導が見られ、決して誰にでも出来るものでな いことが理解できる。鑑賞の進行役である教師が作品や芸術に対する理解がない状態で鑑賞       19

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授業を始めると、対話型鑑賞の特徴が裏目に出た結果、到達点の無いただのお遊び、推理ゲ ームになってしまう可能性は否定できない。特に学校では発言が同年代に限られるため、そ の傾向が強いと言えるだろう。中には深い見方によって対話の向上的変容を促すことが出来 る生徒もいるかもしれないが、予想が難しく希望的観測に過ぎない。

④鑑賞方法の固定、知識・情報の軽視

 日本ではあまり知られていないが、対話型鑑賞の雛形であるVTSは幼稚園から小学校5年 生までを対象とした、鑑賞の初心者向け教材として開発された。対話型鑑賞はそのVTSを美 術館で行う初心者向けのギャラリートークとして、より易しく改言下し、対話の楽しさを強調

したものである。つまり、対話型鑑賞は元来鑑賞の初心者を対象にしたものであり、ある程 度の鑑賞能力の向上や、鑑賞する態度、作品への近付き方を教えてくれるものの、それ以上 は知識の獲得など違った方法を交えないことには頭打ちになる可能性が高い。しかし、アレ ナスの著書や対話型鑑賞の研究などを見ると、これが美術作品に近づく唯一最適な方法の様 に語られている。確かに、学校は一斉授業であるため、他者の存在が思い込みを排し、対話 型鑑賞であっても、よりよい鑑賞が成立すると考えられるが、いざ社会に出て鑑賞を行う際、

何人の人が一緒に同じ作品を見て、活発に意見の交流をしてくれるのだろうか。学校の様に 20人も30人もいることはまず有り得ない。特に、対話型鑑賞は自分達の感じ方や考え方の 範囲から解釈を行うため思い込みを生みやすい。これが、アレナスのように鑑賞を指導する 教師に専門一性があり、適宜資料を提示するなど、知識・情報を与えながらの鑑賞であれば、

それを回避する期待が持てる。しかし、指導する教師が専門性を持たないままそれを続けた とすると、結果的に知識や情報を軽視し、自分の感性を過信する子どもを育成する可能性が 否定できない。それが唯一の方法となり、鑑賞者が自分ひとりとなった場合、尚更のことで

ある。

 作品理解には、対話だけでは乗り越えられない壁がある。その壁とは確かな知識による理 解が無いことである。確かに、普通教育において美術家の名前や美術史の流れを事細かに覚

える必要は無い。しかし、ある程度の鑑賞を重ねた人にとって、作品の背景にある思想や作 家の考え、社会情勢や文化を知ることが、作品をより深く理解するために必要なことである。

対話型鑑賞を安易に、生涯にわたり通用する唯一の方法と捉えた場合、作品理解のための知 識・情報をも否定するような風潮があり、問題がある。

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(22)

(4)対話型鑑賞の活用

 以上から、対話型鑑賞は普通教育で行う上では様々な問題を含むことが分かった。しかし、

対話型鑑賞が持っ多くの利点は有効に活用すべきである。対話型鑑賞の最大の利点は鑑賞者 自らが主体的に作品をよく見て、考えを深め、作品理解を進めることができる点にある。特 に、主体的に深く考えること、そして考えること自体を楽しむことは、従来の解説型鑑賞に は見過ごされがちな点であり、人間形成に関わる重要な活動である。

 さて、対話型鑑賞の利点を普通教育で活用するために、対話型鑑賞の課題の解決を進める 必要がある。この解決は以下四点によって可能であると考える。

 ①作品選択の吟味

 まず、作品の選択はその作品を鑑賞することで、鑑賞者が何かを得る可能性が高いと思わ れるものを選ぶべきであろう。作品を鑑賞し、作品理解を深めた結果、多様な価値観を理解

し人間的に成長できるものが望ましい。この時、対話型鑑賞の形式に拘りを持ち、対話が成 り立ちにくい等の理由で作品選択の幅を狭めてはいけない。対話のための作品選択でなく、

鑑賞者のための作品選択であるべきである。もし、選択した作品が対話に向いていないので あれば、無理やり対話させる必要は無い。作品には作品に合ったそれぞれの接し方があるの

である。

 ②作品研究

 作品研究が無ければ、鑑賞活動の目指すべき目標も定まらないため、対話の中に流れを作 ることは出来ず、対話すること自体を楽しむといった独りよがりな娯楽的鑑賞に陥る危険性 がある。また、鑑賞者のためのよりよい作品選択も出来ない。対話型鑑賞に限らず、鑑賞活 動を行う上で教師の作品研究は必須である。

 ③質問構成の吟味

 対話型鑑賞は基本的に二つの質問で構成される。一つは「作品の中で何が起こっている の?」、もう一つは「何を見てそう思ったの?」である。この質問は作品をよく見ることと、

鑑賞者の主体的な思考を促すが、作品の物語性を強調してしまうという問題があった。故に、

この固定された質問をやめ、作品理解がよりよく進むような建設的な質問を予め幾つか用意 することが大事である。この質問構成の吟味も教師の作品研究が基礎となるのは明らかであ       21

(23)

る。

 ④誘導と知識・情報の付与

 そもそも対話型鑑賞は初心者向けのギャラリートークであるため、その方法だけで鑑賞能 力の継続的な発展を期待するのは無理がある。ある程度の地点からは、他者の考えを知った

り、比較・分析を行ったり、美術的な知識を足したりする中で、自分の価値基準を拡張しな がら作品理解を進めるべきであろう。山本は『造形教育体系=鑑賞2鑑賞の展開』14)に おいて、鑑賞指導の望ましい進め方を述べている。それは、まず、作品との出会いから個人 的な感動を引き起こし、その感動の理由を作品との精神的対話の中で探す。そして、分析や 他の作品との比較、作家研究などを行い、知識・見方を深める。最後に、それらを踏まえた 上で、より深い対話(追創造)を行い、人間理解、人間形成を促す、という三つの段階にま とめられるものである。つまり、作品を見て、自らの価値観のみに照らして考えることだけ でなく、作品理解のための誘導的発間や、知識・情報等の付与による外からの働きかけが必 要なのである。よって、対話型鑑賞という形式に拘らず、部分的であれ、柔軟にその利点を 活用することが望ましいということである。

 以上より、対話型鑑賞という形式に拘らず、鑑賞者のための作品選択を心がけ、適宜知識・

情報を与え、作品理解に繋がる発間を構成することで、その問題を解決し、よりよい鑑賞授 業を開発できると考える。

 第=節 授業開発における要点と授業内容及び目標

  第一節において鑑賞教育全般の意義(i人間形成、i造形性に対する感覚の充実、血美 術文化の理解・創造・継承・発展)三点をまとめ確認した。次いで、第二節において鑑賞教 育の課題と、その解決策として注目された対話型鑑賞及びその課題と活用法を述べた。これ らより本節は、本論の鑑賞授業開発における基礎的な考えや鑑賞方法といった授業設計上の 要点を整理すると共に、授業の大まかな内容と目標を考察する。

(1)要点

本鑑賞授業にあたって留意したい要点として、以下三点を押さえたい。

22

(24)

①鑑賞教育の意義を踏まえること

 鑑賞教育の意義に則って授業を開発することが求められる。特に「人間形成」の視点は重 要である。何かを考え、自己を見つめることは思春期を迎える中学生にとって大事な取り組 みであるし、深く考え追求する姿勢や、様々な価値観を理解すること等は生涯にわたって有 益である。また、鑑賞活動を通して、考えることの楽しさを感じることが出来れば、他教科 の学習に対する姿勢の変化も期待できる。普通教育における鑑賞の意義が、美術のプロを育 てるといった専門教育でないことを意識することが大事である。

②一っ一つの作品に適した具体的な鑑賞授業を開発すること

 教師は対話型鑑賞など、方法を先決することなく、作品選択に合わせた鑑賞法を随時探る 必要がある。つまり、鑑賞教育は作品の選択、作品の研究→方法論の考察という順番を逆転

させず、一っ一つの作品に合った具体的な授業を構成することが重要であると考える。また、

作品理解の上で必要と判断すれば、知識・情報の提示も積極的に行う。

③主体的に考えさせる工夫を取り入れること

 対話型鑑賞の利点を活用する。作品に関わる対話や発問によって主体的な態度を継続でき るように工夫する。

(2)内容及び目標

 鑑賞活動の内容及び目標は、作品選択・作品研究の結果として決定されるのが一般的な順 序であるように思う。しかし、普通教育における鑑賞を考えた時、鑑賞作品の選択は作品か

らだけでなく、その教えたい内容に沿って選ぶことも可能であるだろう。例えば、鑑賞を通 して日本の伝統的な意識を教えたい場合、それに沿った作品が選ばれなければならない。先 に何か教えたいことがあり、それに適した作品を選ぶのである。よって、以下に本鑑賞授業 において生徒に教えたい内容を記す。

 ①固定的イメージを揺るがすこと

 さて、筆者は美術に対する先入観、固定的なイメージが美術作品を見る姿勢を偏狭にして いると考えており、これが美術科における大きな問題の一つであると捉えている。美術に対

して固定的なイメージを持つと、そのイメージから外れた作品を無視したり批判したりする        23

(25)

ことに繋がり、作品との純粋な対話が形成されない。結果的に自らの価値観を揺らがせるこ とが出来ず、独りよがりな鑑賞に陥る危険性がある。これは、普通教育における鑑賞の意義、

つまり人間形成を目指す意識活動にとって大きな弊害であることは明らかである。

 しかし、美術に関する普段の会話や、美術館での立ち話、美術品売買に関する出来事等を 見聞きすると、一般的な人々の美術に対する固定的イメージは根深いものであると感じられ

る。

 例えば、1994年東只都現代美術館はオープンにあたって、コレクションの目玉として、ポ ップアートの代表的人物であるロイ・リキテンシュタインの油彩画《ヘア・リボンの少女》

(図3)を6億円で購入することを決定した。これに対し、高額の税金投入ということもあ って都議会審議(1994年9月)が開かれ、「漫画みたいな絵に国民の税金を何億円も使って いいのか」という否定的な言動がマスコミに取り上げられ話題となった。

 また、最近では、2010年5月にニューヨークのクリスティーズオークションでピカソの油 彩画《ヌード、観葉植物と胸像》(図4)が約100億円で落札されたというニュースがあった。

美術作品のオークションの中では過去最高落札額であったこともあり、各メディアを通して 広く報道がされた。これに対し日本のインターネット上の質問サイトや掲示板等では「こん なわけの分からないものに100億も金を出すのはどういうことだ、意味が分からない」とい った怒りの混じったコメントが多く寄せられた。

 この様にピカソや現代アートなど一般的にわけの分からない作品を批判する気持ちの奥底 に、美術に対する固定的なイメージが存在しているのは間違いない。確かな調査研究がある わけでないが、その固定的イメージの多くは、美術とは「対象を写実的に、キレイに、何が 描かれているか判別できるように描くもの」である、といった大変狭く浅い認識でないだろ うか。印象派やルネサンス等の古典的な名品が、現代アート等の所謂分からない芸術に比べ て遥かに高い集客カを誇る日本の美術館の現状や、上述の美術品売買に関わる議論等がそれ       24

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