1)本論p.3,「第一章 第一節」で考察した山本正男の考える鑑賞教育の意義より抜粋
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終章
本章は本論並びに、開発した鑑賞授業をまとめ、今後の課題について考察する。
(1)本論のまとめ
本論の特徴や、開発した鑑賞授業の特徴を整理し、どの段階の鑑賞者にとって有益である のか考察することで、本研究が全体としてどういったものであるのか示し、それをまとめと
する。
本開発授業の対象
はじめに、この授業は中学生以上を対象としている。そして、美術に対してr写実的でキレ イで何か分かるものが優れている」という固定的なイメージを持っている鑑賞者に焦点を合 わせたものである。故に、その様な固定的イメージを持っていない鑑賞者には適切な授業で はない。特に、授業の中間部分である《モナ・リザ》や《叫び》など表現の異なる作品を鑑 賞していく部分は必要に応じて再構成するべきである。事前に調査するなどして、鑑賞者の 美術に対する考えを把握することが望ましいであろう。
一方で、マルセル・デュシャンの《泉》は中学生の段階において、こちらからの働きかけ が無い状態で、深く理解している可能性は殆ど無いように思われる。寧るその存在さえ知ら ない可能性が高い。故に、あらゆる学年に対して有効であると考えられる。また、デュシャ ンの《泉》が「美術について考える」ことの契機となる。「美術について考えること」は美術 の本質に関わる問題であり、美術科全体を通して教えるべき内容である。しかし、《泉》はそ の理解が困難であり、ある程度の知的な素地が必要であることは確かである。よって、知的 にも精神的にも大きく成長すると言われる思春期、これに当たる中学二年生以上が適当であ
るだろう。
以上から、本開発授業は、上述の固定的イメージを持った中学二年生以上を対象とすべき であると考える。
授業開発の特徴
本論の授業開発にどういった特徴があるか、それら四点を以下に挙げる。
①具体的な一実践事例
はじめに、本論は方法論の研究でなく、具体的な一鑑賞授業の実践研究である。故に、本 開発授業は、本論で指定した鑑賞の意義・目標・内容から外れたものにはそのまま適用出来 60
ないと考えられる。方法論の研究のように広く活用出来ないのである。しかし、具体的な一 鑑賞授業の実践研究には方法論の研究には無い利点がある。その利点とは、授業目標及ぴ内 容を明確に計画できる点、作品選択の吟味及び作品研究に力を入れることが出来る点、ある 特定の作品鑑賞がどういった効果を表すのかについて考察出来る点、という三点である。
②鑑賞教育の意義・目標の設定
本論は専門的な美術鑑賞教育と普通教育において行われるべき美術鑑賞教育を分けて考え た。そして、学校で行う美術鑑賞教育は人間形成を主軸とした教育、つまり美術を通した全 人的教育であるとし、その意義を以下三点挙げた。
i人間形成
i造形性に対する感覚の充実
血美術文化の理解・創造・継承・発展
本実践においては「i人間形成」の視点を主軸に「血美術文化の理解・創造・継承・発展」
に的を絞った。「i造形性に対する感覚の充実」は、感覚の指導に対する困難さに加え、本実 践の中心作品としたデュシャンの《泉》が、造形的な感覚を主とした鑑賞に適さないと考え たためである。そして、学習指導要領や対話型鑑賞、筆者の美術に対する考えを基に、「主体 性を持って、美術について考え、美術に対する固定的イメージを揺るがし、人間形成を図る」
ことを本授業の目標と設定した。これ等、普通教育における鑑賞教育の意義、その鑑賞授業 によって達成したい目標を明確に指定したことが、本授業の特徴の一つである。これによっ て、授業開発の基礎的な指針が明確になり、計画的な授業構成を行えたと考えている。
③狙いを持った作品選択
本実践では指定した目標を達成するためにデュシャンの《泉》及び、その他幾つかの作品 を選択することとした。作品選択に先立って授業内容を決定すること、つまり目標達成の手 段として作品を選択することは、これまでの鑑賞教育の研究ではあまり見られない点である
と思う。
④作品にあった方法の考察
ある方法論に沿って進めるのでなく、ある作品に対して、その鑑賞が一番効果的に深まる と考えられる授業を随時構成する姿勢をとった。よって、デュシャンの《泉》の場合、それ 61
が非常に難解な作品であるために、多くの解説や提示資料を交えた鑑賞活動とした。また、
解説だけでは《泉》に内在する様々な考え方に対して、生徒の主体的な思考を促せないと考 えたので、対話と発問を交えることにした。これが、解釈にもっと幅がある作品で、作品解 説が鑑賞を悪い意味で限定的にする場合は、解説を控えるなど別の方法を取るべきであろう。
授業の特徴
本論で開発した授業の特徴について以下二点を挙げる。
①本質の探究
本開発授業の目標の一つ「美術について考える」ということは、普段の生活において余程 のきっかけが無い限り起きない思考活動である。しかし、美術について考えることは、美術 の定義について、美術の本質について考えることであり、そのことが美術に対する固定的イ メージを揺るがすことにも繋がっている。これは、美術科の授業を通して考えてもいい程の 大きな問題であると思っている。何故なら、本質を探求することは美術の不思議さや面白さ、
奥深さ等を知り、その魅力をより深く感じることであり、美術を生み出し続ける人間につい ての理解に繋がるものであり、何よりもその探求自体が楽しいものであるからである。本実 践のワークシートに「美術について深く考えて楽しかった」という記述が幾つがあり、考え ること自体を楽しんだ様子が見られる。つまり、この「美術について考える」ということに は固定的イメージを揺るがし、美術について理解を深めると共に、人間についても理解を深 め(人間形成)、考えること自体に楽しさを見出す、これ等全てに繋がる重要な活動なのであ
る。
②デュシャンの《泉》を鑑賞作品として選んだこと
本開発授業のもう一つの特徴はデュシャンの《泉》について詳しく解説したことである。
《泉》は美術の世界の中でも最も難解な作品の内の一つである。同時に、現代芸術に多くの 影響を与えた偉大な作品でもある。《泉》は一般的な美術作品に期待するような良さを持ち合
わせていないにも関わらず、一部の社会的な評価は高い。鑑賞者はこれに疑問を抱き、その 理由について考えることを強制される。この強制力の前に大抵の人々は、よく考えることも せず、自分と無関係とみなしたり、否定したりすることで、考えることから逃れている。し かし、本開発授業は考えることも無く否定するといった安易な姿勢を退け、対話と発問を交 えながら思考を促し、難解な部分は手取り足取り丁寧に、順を追って解説することで、その 62
理解を深めることを目指した。この様な経験は適切な指導がないと殆ど有り得ないのではな いだろうか。
本論の鑑賞授業は、以上のような特徴を有するものである。
ここで、筆者の本実践に対する位置づけを述べたい。本実践は美術作品をじっくり見るこ とはせず、様々な作品を概観する中で美術について考えを深めたと言う点において、美術鑑 賞教育と言うよりも、美術文化教育といった方が近いのではないかと、今になって思う。デ ュシャンの《泉》に関して言えばその作品の特質に合った鑑賞方法であったと考えている。
しかし、全体としては美術について参考資料を見ながら考えるという、美術文化研究といっ た性格が否定できない。よって本実践は純粋に鑑賞教育とは言えないのかもしれない。しか
し、本実践が生徒にとって有益なものであるならば、今後美術教育において、この美術文化 教育という視点について研究の必要があるのかもしれない。
(2)今後の課題 授業改善の余地
本開発授業はまだまだ改善の余地があるように思う。例えば、ワークシート記述を見ると デュシャンが《泉》をつくった理由を「面倒だったから」、「へんな人だったから」としてい る生徒が少数ながら見られた。ここで、初期の印象派風の風景画や、セザンヌ風の父の肖像 画を見せ、デュシャンにも一般的な絵画表現の技術があったことを理解させていれば、便器 を美術作品に仕立てたデュシャンには、何らかの意図があったのではないかと考えさせる契 機ができ、より効果的な指導になったのではないかと思う。
他にも、分かりやすい解説は本当に鑑賞者のためになるのか、という疑問が残る。筆者が デュシャンの《泉》について興味を持ち、それについて色々な文献等から調べるきっかけと なったのは、正に《泉》が分からなかったからである。分からない状態があり、それが長く 続く程、興味は高まり、自主性も育つ。そして、文献で調べる中で《泉》に関する知識だけ でない、50分の授業に到底収まらない、多くのことを付随的に知った。しかし、今回は筋を 通して簡潔にまとめた(筆者はそう判断している)ため、その様な疑問は残りにくいのでは ないだろうか。明確な答えを示さないオープンエンドの視点について、今後考える必要があ るのかもしれない。
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