日本血管外科学会雑誌 2021; 30: 179–182 179
犬咬傷による上腕動脈解離の1 例
石田 敦久 *,森田 一郎,磯田竜太郎,間野 正之
要 旨: 犬咬傷における稀な上腕動脈の解離による急性動脈閉塞症の1 例を経験したので,若干の文献的考察 を含めて報告する.症例は 86 歳女性.飼い犬に左上肢を咬まれ受傷.左上肢腫脹としびれ感を主訴に受診.橈骨 動脈拍動触知できず,血管損傷が疑われた.皮膚に明らかな創は認めなかった.造影 CT にて上腕動脈の限局性 閉塞を認めた.上腕動脈の色調変化部位を切除し,自家静脈グラフト置換術を施行した.切除標本で動脈解離所 見を認めた.術後 1 年間は抗凝固療法,以降は抗血小板製剤内服で術後 8 年間経過良好である. (日血外会誌 2021; 30: 179–182) 索引用語: 犬咬傷,血管外傷,上腕動脈解離背
景
近年,コンパニオンアニマル,家庭動物としてのペッ トの需要が大きくなり,ドッグセラピーなど治療の一環 として動物と接する機会も多くなっている.動物は咬 むという習性があり,咬傷は時に遭遇する疾患である. 今回われわれは犬咬傷による上腕動脈解離の 1 例を経験 し,術後 8 年の良好な経過観察を得たので,文献的考察 を加えて報告する.症
例
症 例:86 歳,女性 主 訴:左上肢冷感 既往歴:高血圧,頸椎症 嗜 好:喫煙歴なし,機会飲酒 現病歴:15 時頃,飼い犬(小型雑種犬,オス,体高 約 40 cm,体重約 8 kg)に左上腕と大 部を咬まれ受傷. 左上肢の腫脹,冷感にて近医受診.橈骨動脈拍動触知で きず,血管損傷が疑われ 19 時 30 分に紹介搬送となる. 来院時所見:意識清明.心肺に異常所見なし.血圧 160/78 mmHg,脈拍 84/分,整.上腕での血圧に左右差な し.左肘関節部に腫脹と咬傷痕を認めたが,咬創は認め なかった.咬傷部末梢の上腕動脈,橈骨動脈,尺骨動脈 は拍動触知不可であった.ドプラで血流音は聴取可能で あった.左前腕に冷感あり,左上肢の色調変化は咬傷の み.知覚低下は認めず,上肢の動きは左がやや低下し ていた(Fig. 1).採血結果は白血球 12100/µL,ミオグロ ビン 101.2 ng/mL 以外は基準値内であった.上肢単純 XP では明らかな骨傷を認めず,造影 CT 施行(Figs. 2a–c), 左上腕動脈遠位から橈骨動脈・尺骨動脈分岐直前まで描 写不良であった.左上腕動脈急性閉塞と診断し,緊急手 術を施行した. 手術所見:全身麻酔で緊急手術を施行した.上腕二頭 筋内側からアプローチした.皮下には血腫は認めなかっ た.可視範囲には明らかな筋挫滅,筋肉内血腫は認めな かった.正中神経は動静脈との癒着はなく,損傷を疑う 所見は認めなかった.上腕動脈に閉塞病変と考えられる 色調変化を約 2 cm にわたって認めた(Fig. 3 上).色調 変化のある部位の中枢側では動脈拍動は触知可能であっ た.伴走する静脈には色調変化を認めず,血管周囲には 川崎医科大学総合医療センター血管外科 〒700–8505 岡山県岡山市北区中山下2–6–1 * E-mail: [email protected] 受付:2020年12月1日 受理:2021年4月2日 doi: 10.11401/jsvs.20-00092■ 症
例
Fig. 1 Swelling and an internal hemorrhage in the vicinity of the left upper arm elbow joint.
180 日本血管外科学会雑誌 第30巻 第3号(2021) 血腫を認めなかった.動脈の色調変化部位を切除し,自 家静脈グラフトで置換術を施行した.術中末梢側にフォ ガティーカテーテルを挿入したが.血栓閉塞は認めな かった.受傷後約 7 時間で血行再建できた. 術 後 経 過: 術 後 抗 生 剤 SBT/ABPC 6 g/日,CLDM 1200 mg/日を 5 日間使用した.CPK は 3 日目の 142 IU/L, ミオグロビンは 2 日目の 101 ng/mL が最高値であった. 術翌日から左上肢の動きは改善した.ワーファリン内服 コントロール,術後造影 CT(Fig. 2d)施行し,術後 10 日目に軽快退院した. 肉眼所見(Fig. 3 下):断裂した中内膜が挙上反転して いる. 退院後経過:近医でワーファリンコントロールを 1 年 間,それ以降は脳梗塞を合併したためバイアスピリン内 服されていた.術後 8 年目,軽度の認知症,転倒が多く なったが,経過良好である.
考
察
近年,ペットブームや住宅事情,コンパニオンアニマ ル,家庭動物としてのペットの需要が大きくなり,ドッ グセラピーなど治療の一環として動物と接する機会も多 くなっている.それに伴い動物による事故の報告も増 えている1).動物咬傷のうち頻度が高いのは犬咬傷であ り,全体の 70–80% を占める2, 3). 犬咬傷の部位は四肢に多く,下肢より上肢に多い.小 園ら4)の 138 例の検討でも上肢が 76 例(55.1%)であっ た.犬の口腔内には多種類の病原微生物が存在し,受傷 部位が四肢,とくに手指に多いため,腱 炎や関節炎の 合併に注意を要する5).治療の基本は創部洗浄,消毒, 感染予防,とくに破傷風の予防である.本症例では,初 診紹介医で破傷風トキソイドが投与されていた. 世界に約 800 種の共通感染症があるとされ,そのうち WHO が重要と考えている共通感染症のうち日本では数 十種類が問題となっており,年々増加傾向である6).とFig. 2 a: Preoperative enhanced 3DCT. b: Preoperative enhanced CT. c: Preoperative enhanced 3DCT with bone shadow. d: Postoperative enhanced 3DCT.
Fig. 3 Upper: Operation view color change show in brachial artery. Lower: Pathological view is localized dissection.
181 石田ほか:犬咬傷による上腕動脈解離の1例 くに犬や猫の咬傷では,その治療にあたり念頭に置いて おかなければならない疾患がある.受傷後早期に著しい 発赤や腫脹を示すパラツレラ症や,受傷数日経ってから 発症するカプノサイトファーガ感染症,汚染傷として注 意すべき破傷風,致死率の高さで留意すべき狂犬病が挙 げられる7).狂犬病の発症は 1957 年以降,日本において は犬・人ともに発生は見られていないが,海外渡航者に よる輸入感染症例は報告されている.アジア・アフリカ を中心にいまだ世界各国で年間約 5 万 5 千人もの死者が 報告されている6).死亡率がほぼ 100% の急性ウイルス 病である狂犬病の予防のため,流行地へ渡航する場合は 予防接種が最善の対策である8). 犬咬傷に関しては,環境省が動物愛護管理行政事務提 要として集計している1).犬や猫による咬傷の特徴は, その歯と咀嚼運動と口腔内微生物に起因する.犬や猫の ような肉食獣の歯は,食べ物を切り裂くように歯冠が円 錐状に盛り上がっており,また,関節面が横に長い半球 状で縦の動きに適しているので,噛み付いて切り裂く運 動に適している.このため,動物が小型であっても作ら れる傷は,視認できるよりも奥深くまで損傷が及んでい ることもある7).本症例では視診(Fig. 1)では明らか な咬創はなく,咬傷を認めた.これは上着の上から咬ま れたことで,上着がクッションの働きをしたためと考え られた.それ故に犬の口腔内常在菌感染の可能性が少な くなったと考えられる. 犬咬傷による四肢の動脈損傷例は本邦の報告では稀 であり,検索できた中では,わずかに 3 例9, 10)のみで あった.ともに創部を認めていた.米国の報告11–13)で は,警察犬による受傷例で血管造影を行った場合は 24% に血管損傷が確認され,血管損傷例の 85% が警察犬で あったとの報告があるが,実際の血管損傷の頻度は不 明である.血管損傷 20 例中 13 例 65% が自家静脈でバイ パスされていた12).報告例での多くは crush injury あっ た.犬の咬筋力の力価は 200–450 psi で,鉄板を貫く程で ある14).本症例は,開放創による動脈損傷ではないが, この咬筋力による crush injury が考えられた.圧応力に よって動脈の中内膜が損傷し,限局性解離が生じたと考 えられた.受傷時に手を動かさなかったことで,圧挫傷 のみで済み,引き剝き損傷などが生じなかったと推測さ れた.鈍的外傷による血管損傷は,内膜剝離が発生し, 内膜剝離とそれによる急性動脈閉塞が知られている15). 本症例も,血管外膜は色調変化を認めるが保たれてお り,内膜剝離を認めた.皮膚に創がなくても,冷感,受 傷部位以下末梢の動脈拍動触知困難で左右差を認めた場 合は,何らかの血管損傷を疑わなければならない12). 四肢外傷で,開放性損傷,骨傷,脱臼を伴う場合は, 血管損傷合併を念頭に置かなければならない.非開放性 損傷時は,創部より末梢の動脈拍動の有無,健側との左 右差,皮膚温の低下や皮膚色素の変化,知覚低下や手指 の動きなど神経損傷合併の有無,受傷部の腫脹の有無を 確認し,時間経過観察が必要である.主幹動脈が損傷さ れていても,その 25.5% に末梢動脈拍動が正常である16) からである.鈍的外傷では,造影 CT 施行することで骨, 筋肉,血管の損傷の有無を診断することが可能である. 四肢血管損傷の 34% に静脈損傷が合併し,巨大血腫の 原因が静脈破綻17)のこともあるので,CT は静脈相の撮 影も行うべきである. 手術は肉眼的色調変化部位を切除した.割面で解離所 見が得られた.末梢動脈の二次血栓は認めなかった.肉 眼的皮膚損傷を認めなかったので,受傷部位に明らかな 感染はないと判断し,創部洗浄し,自家静脈で置換術を 施行した.上肢の静脈使用方法もあるが,咬筋力によっ て静脈損傷合併12)の可能性もあるため,大伏在静脈を 使用した.血流再開は受傷後約 7 時間で可能であった. 術後は阻血肢再灌流障害に伴う上肢コンパートメント 症候群18),MNMS(Myonephropathic Metabolic Syndrome) の発症を危惧する所見である上肢腫脹,知覚異常,検査 所見での CPK, LDH, GOT, GPT,ミオグロビン上昇,尿鮮 血強陽性は認めなかった.感染症の発症もなく経過良好 であった.ワーファリンコントロールし,術後 1 年目か らは,ワーファリンからバイアスピリンに変更し,脳梗 塞の合併が生じたため内服継続服用し,紹介医で経過観 察された.術後 8 年目,軽度の認知症,転倒が多くなっ たが,経過良好である.
結
語
犬咬傷に伴う稀な上腕動脈急性動脈閉塞症の 1 例を経 験した.皮膚に創を認めなくても,咬筋力によって限局 性の動脈解離をきたした.自家静脈グラフトで置換術を 施行した.受傷部位より末梢の動脈拍動触知困難であっ た場合は,血管損傷を常に考えておく必要がある.動物 咬傷に対しては,感染症,破傷風の対策も重要である.利益相反
著者全員に利益相反はない.付
記
第 38 回日本血管外科学会総会(さいたま市)にて要182 日本血管外科学会雑誌 第30巻 第3号(2021) 旨の一部を発表した. 患者家族には,学会報告することの承諾を得た.
文
献
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A Case of Brachial Artery Dissection Caused by a Dog Bite
Atsuhisa Ishida, Ichiro Morita, Ryutaro Isoda, and Masayuki ManoDivision of Vascular Surgery, Department of Surgery, Kawasaki Medical School General Medical Center Key words: bog bite, vascular injury, brachial artery dissection
We report a case of acute arterial occlusion due to dissection of the brachial artery, which is rare in canine bites, including some bib-liographical considerations. The case was an 86-year-old woman. The left upper limb was bitten by apet dog and injured. The chief complaint was swelling of the upper left limb and numbness. Radial artery pulsation could not be detected, and vascular damage was suspected. No obvious wounds were found on the skin. Contrast-enhanced CT showed localized occlusion of the brachial artery. The site of color change in the brachial artery was resected and autologous vein graft replacement was performed. Arterial dissection was found in the resected specimen. Anticoagulant therapy was used for 1 year after the operation, and antiplatelet preparations were taken thereafter for 8 years after the operation.