平成
28年
度
学位論文
「家庭教育」 とい う言葉に内包 され る規範性 と戦略性
― 各種 メデ ィアか らの分析 ―
兵庫教育大学大学院
学校教育研 究科
人間発達教育専攻
教育 コ ミュニケー シ ョンコース
M14016F
小林
文英
序 章 第1節 第
2節
第3節
第4節
第1章
第1節 第2節
第3節
第4節
第2章
第1節 第2節
第3節
第4節
第5節
第6節
第7節
第8節
第9節
第3章
第1節 第2節
第3節
第4節
終 章 目 次 研究の 目的 ………p.1 問題 の所在 ………p.1 研究の方法 ………・………p.2 本稿 の構成 ………・…・………・………・………p.3 「家庭教育」 とい う言葉 について 「家庭教育」の “登場"
………p.4 「家庭教育」の “変遷"
………・p.5 「家庭教育」の “諸問題"
……….……・―・―・…………p.8 本章 のま とめ ………p.9 各種 メデ ィアか らの分析 「家庭教育」 と「メデ ィア」の関係 について ………p.11 新 聞投書欄 にみ る特徴 ………p.13 書籍通販 にみ る特徴 ………p.15Q&Aサ
イ トにみ る特徴 … ………p.16 テ レビ番組 にみ る特徴 ………・………p.18 家庭教育雑誌 にみ る特徴 ………・p.19 公 立図書館 にみ る特徴 ………p.21 中教審答 申にみ る特徴 ………・……p.22 本章のま とめ ………p_23 「家庭教育」 に随伴す るテキス トか らみた各種 メデ ィアの相関 数量化理論 Ⅲ類 の利用 につ いて ………p.25 数量化理論 Ⅲ類 による分析 …・………p.26 分析結果か らの考察 ―・………・………・p.31 本章 のま とめ ………p_34 「家庭教育」 とい う言葉の多義性 …・……・……・…Ⅲ………・…・……・…p.35p.38
引用参考文献
……・………・…………・p.39 参考資料一覧
……・………・・p.43 謝辞
…………・………・…・……・…………・…・………・………・…………・……・………・…・……・…・…p.50
序 章 第1節 研 究の 目的 本稿 にお ける研究の 目的は
,①
「家庭教育」 とい う言葉のもつ多義性の存在 を明 るみに 出す ことである。そ して,②
メデ ィアによる,「家庭教育」 とい う言葉 に対す る意味内容の 捉 え方の違いを明るみに出す ともに分類す ることである。 親や子がそれぞれ に家庭 をつ くつていて,そ
れぞれ に自分たちの家庭や親や子のあ り方 が 「正 しい」 と考えていることから,「家庭教育の本質は,怖
くて手を触れ る気が しない。」 (諏訪2007,p.151)と の語 りがある。 もちろん,そ
の とお りである。 しか し,「家庭教育は 情報に動か されやすい局面がある」(諏訪2007,p.156)と の語 りもある。 ここに,「家庭教 育」 とい う言葉 のもつ諸概念 を明確 にす ることの意義が見出 され ると考える。そ こで,上
記の2点
を本研究の 目的 とした。 第2節
問題の所在 近年,「い じめ」「不登校」「学級崩壊」など数多 くの教育問題が,そ
の解決の糸 口を見つ けられないまま存在 している。それ らの問題 に対す る論評が、家庭や親の責任 をその多寡 にかかわ らず指摘 していないことは稀である。そ してまた,「家庭教育」の重要性 を語 らな い論者はいないことも確かである。2006年
,教
育基本法が改正 され,「家庭教育」 とい う条項が独立 した形で新設 された。 その内容には,旧
基本法に比べて 「国民の態度や姿勢・意識 を直接規制す るよ うな合意 を 顕著に看取することができる」(山本正身 2014,p.418)と の指摘 もあるが,そ
こには「家庭 教育」への “関心"と
“期待"が
表れている。 しか し,“関心"は ,時
に家庭に対する “責 任"へ
と姿を変え,“期待"は ,往
々にして “重圧"へ
とその姿を変える。周知の事実であ るが,教
育機能の 「強い家庭」 と「弱い家庭」が存在 し,教
育アス ピレーシ ョン (意欲) の 「高い家庭」 と「低い家庭」が存在す る。親世代か ら子世代へ と社会内での有利 さ・不 利 さを橋渡 しす る機能 としての 「家庭教育」が本 田(2008)に
よ り指摘 されている。そ し て,教
育選抜においては 「メ リ トクラシー」か ら「ペア レン トクラシー」へ と移行 してい るとの耳塚(2014)の
指摘 もある。そ こに 「家庭教育」のアポ リア (難問)力`あるといえ る。 親が 「子供のジェネラル・ マネージャー」(広田 1999,p.181)と なった今,「親の体験や 考えよ り『 外部情報』,家
庭の毎 日の暮 らしの中で培い身につけるものよりその時々の『 最 新情報』を重視する親子の時代が始 まった」(岩村 2005,p.282)と もされ る。 ところが,そ
んな中で,「家庭教育に対す る問題意識は明確 に社会に存在 しているわけだが,家
庭教育は 簡単に把握す ることができない。」(千葉 2014,p.50)と もいわれ る。近代 日本 に,「家庭教育」 とい う言葉 が登場 してか ら今 日に至 るまで
,い
や,至
って もな お,そ
の意味 は様 々な変転 を繰 り返 しなが ら当該概念 を明確 に しないままで あ りつづ けて い るのではないだろ うか。「家庭教育 は,家
庭 と教育 とい う二つ の熟語 で成 立 してい る。家 庭 の語 が近代社会 の成 立の中で一般化 して きたのであ り,断
わ るまで もな く,家
庭教育 も そ の意味で近代 の概念で ある。」(中鳥1995,p.18)その近代の概念 である ところの 「家庭教 育 」 とい う言葉 に注視 したい。神原(2010)は
「家庭教育」の意味が明確 に され ないまま 今 日にいたつてい る,と
論 考 し,倉
橋惣三 の研 究 を通 して 山本(2012)は
,「家庭教育」 と い う言葉が案外考 えられず にきた, と論述 してい る。 また,「諸事典 による規定は必ず しも 論 旨明快 とはい えない。」(小野2010,p.132)と の指摘 もある。 さま ざまな情報 を伝達す る媒体,そ
れ は メデ ィアである。 しか し,そ
のすべての メデ ィ ア(=新
聞,テ
レビ,ウ
ェブサイ トな ど)が
「家庭教育」 とい う言葉の意味内容 (概念) を 「同 じもの」 として捉 えてい るのか。 もしかす る と,そ
こに違 いが あるのではないか。 も し,違
いがあ るとすれ ば,そ
の違いを分析す ることで,「家庭教育」 とい う言葉 の もつ諸 概 念 を,僅
かな りとも明確 にす ることがで きるのではないか。 これ が本研 究のスター トで あ り,研
究の 目的へ と繋が る問いかけであ る。 以上の こ とか ら,①
「家庭教育」 に対す る“関心"や“期待"はあるが,「家庭教育」 とい う 言葉 その ものの意味が多義的 であ り不明確 ではないか。② 「家庭教育」 は情報 に よ りさま ざまな形 で影響 を受 けるものであ るが,メ
デ ィア に よつて 「家庭教育」 とい う言葉 に対す る意味合 い に違 いがあ り,そ
の違 いを分析す ることが必要ではないか。 とい う2点
を問題 の所在 とした。 第3節
研 究の方法 「家庭教育」 に関す る研 究の傾 向は,以
下の2点
が主な ものである。1つ
は,社
会階層 (再生産)な
どか らのアプ ローチ,も
う1つは,親
(または子)の
意識 か らのアプ ローチ, である。勿論,そ
れ以外 の研 究アプ ローチ もあるが,「家庭教育」 とい う言葉 その ものにつ いて,そ
の意味す る ところを分析す る といつた研 究 は稀 であ る。 さらに,上
記2点
の研 究 アプ ローチ以外 の例 として次 にあげる。(あくまで も例であ り,他
にも多々ある。) 天童(2013)に
よる育児 メデ ィアの変遷 か ら家族 の教育戦略 に迫 るもの,同
じく天童・ 高橋 (2011)に よる雑誌 言説 か ら子育 て期家族 の ジェンダー体制 に迫 るもの,ま
た 、小玉(2010)に
よる臨教審・ 中教審 に登場す るキー ワー ドか ら教育 と家族 に迫 るもの,な
どの 家族社会学 の研 究がある。 また,教
育史か らみた研 究 として,奥
村(2009)に
よる明治の 家庭教育振興政策 か ら家庭教育の役割 に迫 るもの,教
育政策 の面か らみた研 究 として,広
井 (2009a)による家族政策 にお ける親 の教育責任 と経 済的負担の増大への問題 点 に迫 るも,な
よる論証や
,本
田(2008)の
イ ンタ ビュー調査 な どの駆使 に よる 「家庭教育」 を背負 う母 親 の実態 を示 した もの,な
どがある。 ともあれ,「社会階層 (再生産)な
どか らのアプ ローチ」ではな く,ま
た 「親 (または子) の意識か らのアプ ローチ」ではない,言
説 分析 と して 「家庭教育」 とい う言葉そ の もの を 取 り上げた研 究 はない。(「家庭 の教育力 の低 下」 とい う教育言説 につ いての研 究 な どはあ るが) そ こで,本
研 究の方法であるが,ま
ず,各
種 メデ ィアのそれぞれ について,そ
の 「場①」 (=それぞれ の メデ ィア)に
おいて 「家庭教育」 とい う言葉 とともに表 出②され る 「テ キス ト」(「家庭教育」 とい う言葉 に随伴 して現れ る語)を
抽 出 し,テ
キス トマイニ ング③に よ り, それ ぞれ のメデ ィアにお ける特徴 をお さえる。 そ してその後,複
数 の メデ ィアに現れ る語 を も とに,数
量化理論 Ⅲ類 を利用 しそれ らを散布 図 にあ らわす。 その結果 を もとにクラス ター分析 を利用 し類型化す る。 第4節
本稿 の構成 本研究では,「家庭教育」 とい う言葉そ の ものにフォーカス し,そ
の諸概念 を考察す る意 味か ら以下の構成 によ り論考 をすす めたい。 まず,第
1章
では,近
代 の概念 である 「家庭教育」 とい う言葉 の 「登場」 に着 目し,そ
の 「変遷 」 を辿 りなが ら,意
味内容 の移 り変 わ りをお さえる。そ して,言
葉 に注視 しなが ら,現
代 にお ける 「家庭教育」 を取 り巻 く「諸 問題 」 を確認す るとともに,「家庭教育」 と い う言葉 について,マ
クロ的 な視 点か ら諸研究 を参考 にま とめる。 第2章
では,「家庭教育」 と 「メデ ィア」の関係 について考察 した上で,「新聞投書欄」, 「書籍通販」,「Q&Aサ
イ ト」,「テ レビ番組 」,「家庭教育雑誌 」,「公 立図書館 」,「中教審 答 申」のそれぞれ にお ける特徴 を明 らかにす る。 第3章
では,第
2章
の結果 をもとに,「家庭教育」 とい う言葉 に対す る各種 メデ ィアの相 関関係 を分析す る。 そ して,結
果 の考察 によ り研 究 の 目的 である ところの 「家庭教育」 と い う言葉の諸概念 を明確 にす るとともに類型化 を試み る。 最後に,終
章 において本稿 の知 見をま とめる とともに今後の課題 を示す。 以上が本稿の構成である。フー コー(1969)が
『 知の考古学』で「言説 を分析す るとは, 諸矛盾を消え去 らせ,再
び出現 させ ることである」(Foucault 1969,p.230)と語 り,ポ
ラン ニー(1966)が
『 暗黙知の次元』で 「諸細 目を注視す ることは,そ
れだけでは意味の破壊 を招 くかもしれないが,
しか しそれはその後の統合を導 く手びきとな り,こ
うして,よ
り 確実で正確な意味が確立 され る」(Polanyi 1966,p.37)と語 つたことを本研究の指針 として 考察を深 めていきたい。第1章 「家庭教育」 とい う言葉 について 第 1節「家庭教育」の“登場" 「おそ らくは福沢諭 吉が
1876(明
治9)年
頃 に英語 のhome educationに相 当す る訳 語 として」(山本敏子2014,p.65),漢籍 にあつた 「家庭」 と 「教育」 とを合成 して 「家庭教 育」 とい う言葉 を作 つた もの と考 え られ てい る。福沢諭吉 は 「家庭習慣 の教 えを論 ず」 と 題 して,『家庭叢談』0に論考 を載せ てい る。 明治啓蒙思想家 として 「家庭教育」 の重要性 を説 いてい る。 その一部 は以下の通 りであ る。 習慣は第二の天性 を成す といい,幼
稚の性質は百歳まで ともい う程のことにて,真
に人 の賢不 肖は,父母家庭の教育次第な りとい うも可な り。家庭の教育,謹
むべきな り。然るに 今,こ の大切なる仕事を引受けたる世間の父母を見るに,かつて子 を家庭に教育す るの道 を 稽古 したることなく,甚だ しきは家庭教育の大切なることだに知 らず して甚だ容易なるもの と心得,毎
に心の向き次第,そ
の時その時の出任せにて所置す るもの多きが如 し。⑤ ここには,「父母へ の啓 蒙」 が記 され,「家庭 を教育す る」 とい う福沢 の強い姿勢 が現れ ている。 しか し,そ
こでの内容 は家庭 にお ける 「習慣」に対 しての指摘が中心であ り,「家 庭教育」その ものにつ いての言及 はない。 沢 山(2013)は
,明
治期 に生まれ た言葉 としての 「家庭教育」の定義が初 めて登場す る のは, 1882年
の文部省 示諭 のなかにおいてで ある としてい る。 その一部 は以 下の通 り である。 学齢児童 ヲ学校二入 レス又巡回授業二依 ラスシテ別二普通教育ヲ授 クルモノヲ総称 シテ 家庭教育 卜云フ③ ここでの 「家庭教育」は,家
族 が学校 の代理 として行 う教育 とされ た。 そ して,続
けて, 「是 レ即チ学校教育二対スル ノ称ニシテ必 シモー家団葉 ノ間二行 フ所 ノ教育 ヲ指 スニ限 ラ ザルナ リ」 とあ り,武
田(1992)は
「学校教育」 と「家庭教育」の 「利害損得」 を論 じて い るとしている。 また,桜
井(2005)は
公教育制度 ができた ことによ り家庭教育 が登場 し た とし,「家庭教育 とは,学
校 とい う領域 が明確 になって以降,学
校教育 との分業・協業 関 係 をはっき りさせ るために創 り出 され た領域的な概念 と考 え られ る」(桜井 2005,p.95)と してい る。 「家庭教育」 とい う言葉は,そ
の登場の段階か らい いか えれ ば,「生活習慣」 と 「家庭 学習」が,「徳育 (≒ しつ け)」 と「知育 (≒学力)」 のそれ ぞれ が ともに 「家庭教育」 とい う言葉 の中に埋 め込 まれ た状態 で萌芽 した といえる。 明治期 の家庭教育論 の研究か ら
,小
山(2002)は
知育 と徳育 とい う教育の相補性 を指摘 し, 主 に,学
校教育が知育 を,家
庭教育が徳育 を行 うとい うもの17pでぁった としている。 また,こ
こで は,「家庭教育」の捉 え方 が,「雑誌」 に よる もの と,官
制 の 「文書」 に よ る もの とで,す
でに違 いがあることに も注視 したい。 第2節
「家庭教育」の“変遷" 「家庭教育」 とい う言葉 に注 目しなが ら,そ
の誕 生以前,明
治期 か ら大正期,昭
和 前期 か ら戦 中,そ
して戦後か ら現代 までを概観 してお きたい。 (誕生以前) 平安時代 の庶 民の子育て を,文
字 に書かれ た 当時の資料 か ら検討す るこ とは困難 で あ る が,柴
崎(1999)は
12世
紀 に描 かれ た資料 (絵図な ど)に
あた り,ほ
とん どの場面 で大 人 の女性 (母親 または老女,祖
母)が
子守 りを していた,と
してい る。 また,鎌
倉時代 の 武 士階級 の子育 ては,貴
族 階級 と同 じくすべて乳母 に任せ ていた とされ る。 そ して,江
戸 時代 には,父
親 であって も子 どもの成長 の程度 に強い関心が あ り,武
士階層,町
人階層, そ して富農層においても同 じであつた とされ,そ
の時の 「父に期待 される徳 目には『 義』 『 慈』『厳』『 尊』力`ある」(小泉2009,p.95)と され る。 「巨大都市江戸の読み書きを担つたのは市中に乱立 した寺子屋 。私塾であった。」(高橋 2007,p.56)と され,「表店 (おもてだな)か
ら裏長屋まで一家を構 えた家族にとつて子 ども の教育は重大な関心事」(高橋2007,p.56)と な り,「生き馬の 目を抜 く江戸で生き抜 くため には,読
み書き算用を身につけてお くのが有利であることを親たちは身に染みて思い知 ら されていた。」(高橋2007,p.57)と され る。そ して,「寺子屋では『 よみ 。かき 。そろばん』 の能力だ けでな く,あ
るべ き人 間の あ りよ う (倫理)も
教 え る もので あ った」(布川 1996,p.59)と され,「親は子 どもが少 し大 きくなると,家
業を少 しずつ教えた。家業 こそが 子 どもが生 きてい くための基本であ り,農
民な ら農作業,商
人な ら商売の学習が不可欠だ ったか らである」(布川1996,p.61)と され る。 また,「近世 の村 の女た ちは,小
家族化 した とはいえ,食
住未分化 で夫 とともに子育 てに 向 き合 つた上,寿
命 は短いが三世代家族 で しば しば年寄 りが同居 してお り,さ
らには共 同 体 の嫁仲間 によって耳か ら入 る情報 を得やす く,良
くも悪 くも見守 る地域社会 の 目を意識 で きる環境 で子育てを していた」(太田2011,p.27)と いわれ る。そ して,「近世期 の武 家や 上層 の町人 を主な読者層 として急速 に増 え始 める子育て書 は,幼
児教育の基本 の遊び の指 導ではな く,日 常生活 の しつ けにおいていた。」(太田2011,p.47)と され,「江戸期 の子 育て 論 に共通 してい るのは,子への滋愛が批判 され,教
えの大切 さが説 かれ ていることであ る。」(中,工2003,p■
44)と
さヤしてい る。 山本正身(2014)は
,江
戸時代後期以後 の 「教育爆発」が,明
治期 の急速 な 「国民皆教 育」 を可能 にす る社会的条件 を形成 した ことはい うまで もない とした うえで,「そ うした江 戸の教育組織 は,元
来,後
世 の近代教育 を準備す るた めに存在 したわ けではな く,江
戸社 会 にお ける諸 々の教育的要求へ の応答 として存在 した」(山本正身2014,p.43)と して い る。 (明治期 か ら大正期) 「明治以前 の親 の養育 を教育 と呼ぶのであれ ば,〈教育 が親 の手 か ら離れ て学校 へ移 つ ていった)の
は教育 の当然 で も,明
治政府 の善意 で もない。 明治政府 は善意 で親 の教育権 を肩代 わ りしてや つたので は な く,親
や 地域 か ら一方的 に取 り上 げた ので あ る。」(諏訪 2007,p.164)と され る。 そ して,そ
の理 由は 「教育 を親や地域 の生活 。文化・ 習俗 。信仰 か ら離 陸 させ な けれ ば,近
代 的 国 民 が 形 成 で き な い と考 え た か らで あ る。」(諏訪 2007,p.164)と され,「親や地域が子 どもを教育 して きた力 を弱 めて,国
家が学校 において 子 どもの教育 を独 占 しよ うと した。」(諏訪2007,p.165)と いわれ る。 「家庭教育」 とい う言葉が誕生 した1870年
代18pに,中
村正直に よつて 「良妻 賢母」 と い う言葉がつ くられ た。そ して 「女子教育においては,他
家へ嫁す る以外 に道 がな く,家
政 。従順・ 勤倹 が男子 に比 し重視 され,そ
れ を育成す べ く,技
術教育や躾教育が行 われ, 良妻賢母 主義教育 に組 み込まれ て,一
般 の家庭教育に徹底化」(中鳥1996,p.105)さ れ てい った とされ る。1893(明
治26)年
7月 の文部省 勃1令が 「家庭教育」 に言及 し女子教育の振興 を引│ じた ことを一つ のきっか け として,外
国の家庭教育論 の紹介 が始 ま り,明
治30年
代 に入 る と日本 の教育学者・ 心理学者 に よる家庭教育論 も多 く見 られ るよ うになつた。 明治30
年代にはまた,子
供を焦点 とした『児童研究』(1899年
,明
治32年
)。『 婦人 と子 ども』(1901年
,明
治34年
)な
どの教育雑誌が創刊 され,家
庭において子供が とくに母親 によつて十分な教育的配慮が払われるべきことが強調 された (牟田1996)。 また,「明治 20年
代後半,と
りわけ30年
代に入 ると,翻
訳書 を含 めて,家
庭教育 とい う言葉 をタイ ト ルに含んだ様々な書物が出版」(小山1999,p.31)さ れている。1900年
代には,「都市はもちろんであるが,農
村にあつても階層分化がすすみ,豊
か な農民の家庭では,学
校教育以外 に,家
で本や ドリル を子供に与え,補
助教育を施す よ う な現象 も登場 し,中
等教育や高等教育へ の進学を価値 とす る文化 も一般化 していつた。」 (月乙解宇1999,p.72) そ して,大
正期には 「都市の新中間階級 (役人や会社員)が ,わ
が子を意図的な教育の 対象 と見なす ようになった と考えられ」(諏訪2007,p.177)た 。 これは教育学的に 「教育す る家族」0と 呼ばれている。また,「1920年
代の新中間層の家族にとつて,子
どもに高 い学歴を与えることは,一
(岡本2004,p.214)と もいわれ る。 (昭和前期 か ら戦 中) 「両親再教育」な る言葉が
, 1920年
代 の後半 を迎 えて登場 した。 それ は 「子 どもを 育 て,教
育す るた め には親 が再 び教 育 され な けれ ば な らない時期 の到 来 を予 見」(木村 1990,p.178)さ せ る もの とされ てい る。 そ して, 1930(昭
和5)年
,家
庭教育振興 ニ 関スル件 (文部省訓令18)が
出 され,そ
こでは 「国運 ノ隆替風教 ノ振否ハ 固 ヨリ学校 教 育並社会教育二負 フ所大ナ リ ト雖之力根 帯 ヲナ スモ ノハ実二家庭教育 タ リ」。のとしている。 この こ とについ ては,「家庭教育 の役割 を無視 して学校教 育 を もつて教育 のすべ て であ る かの よ うに して きた ことへの文部省 による 自己批判 を含 むかた ちで家庭教育振興 を求 め, 家庭 教育 を学校 教育 に準ず る重要 な教育領域へ位 置づ けを高 め る必要性 を示唆す る訓令 で あつた。」(奥村2009,p.30)と され る。そ して,「戦前期 に入 ると,総
力戦 を支 えるた めに家 族制度 を中心 と したイデ オ ロギー注入 の手段 として家庭教育 は一層 重視 され,さ
ま ざま な 戦時家庭教育施策が展開」(伊藤2002,p.53)さ れ る。 また,国
民学校令発令(1941年
)に
よ り,家
庭教育 が学校教育 の一環 として国民学 校 の 目的である 「皇国民練成」の実施組織 に位置づ け られ,「1940年
代 の政策方針 は, 家庭教育 を重視 しつつ も,『練成』 を担 う学校教育 を補完,補
強す るものへ と家庭教育の位 置づ けを さらに変 えていった」(奥村2009,p.30)と され てい る。 (戦後か ら現代) 「戦後, と りわけ1960年
代 に表れ た『 家庭教育ブー ム』以降の 日本 では,『教育の権 利』 とい うのは,主
に『 わが子』 の教育 の充実のために使われて きた。」(桜井2012,p.156) とされ,今
の働 き方のベースについて も,家
庭教育ブー ムの成 立 と同様 に,高
度経済成長 期 に確立 した と して,「1970年
代 に2つ
の造語 がで きた。『 企業戦士』 と『 教育ママ』。 これ らは雑誌 か ら生 まれ た言葉 」(桜井2012,p.169)であ る こ とが指摘 されてい る。 広 田 (2003)は,「教育ママ」 とい う言葉 が昭和40年
前後 に大流行 したが,50年
代 に入 る と どの母親 も多かれ少 なかれ 「教育ママ」 の よ うな熱 心 さで子育 て 。家庭 教育 をす るよ うに なった とし,「ここ30年
間の時期 は,
日本社会 の長 い歴史の中で,親
がわが子 に教育的 な 視線 を最 も注いでい る時代である」(広田2003,p.55)こ とを指摘 している。 また,「戦後の 日本 は, 1950∼
70年
代 を通 じて,大
衆教育社会 と呼び うる社会 をつ くりあげて きた。」(苅谷1995,p.199)と され,「高度経済成長 に伴 つて教育が量的 に拡大 し, 高校等への進 学率が9割
を突破 した70年
代半 ばに, 日本 では『 大衆教育社会』が完成 し た。」(藤田2014,p.228)と され る。そ して,「大衆教育社会 は,形
式的な平等 を追い求 める 一 方 で,社
会 階 層 間 の 格 差 が もた らす 不 平 等 の 問 題 を不 間 に付 して き た 。」(藤 田 2014,p.229)と も指摘 され る。 「80年
代の臨教審 において,教
育政策 の基本 に家庭 が明示的 に位置づ け られた」(ノ」ヽ玉2010,p.158)と す る小玉
(2010)は
, 1986年
の第二次答 申で 「家庭の教育機能」 にか えて 「家庭 の教育力」 とい う言葉 をキー ワー ドと して登場 させ た点 を,そ
の象徴 としてい る。 「1990年
代の低成長 の時代 に入 る と, 1980年
代 まで続 いた学校 と仕事 の間断 な い安定 した接続 関係 が不確実なものになつた。」(木村2015,p.134)と され,「教育 よ り生活 を優先せ ざるを得 ない層 と,過
剰 に教育熱 心 な層 の二つの層 の存在 と,結
果 として次第 に 循環社会 か ら脱 落 してい く層 の増加 に よって,戦
後 日本型循環 モデル が機能不全 に陥 つて い つた」(木村2015,p.134)と 指摘 され てい る。 また,本
田(2008)に
よる と 「家庭 教育」 が政策的 に強調せれ るよ うになつたのは1990年
代後 半であ り,こ
うした政策動 向の背 後 には90年
代 以降 の新 自由主義 イデ オ ロギーが ある とす る。 同時期 に,政
策動 向 とは別 の観点で 「家庭教育」のハ ウツー を語 るメデ ィア (雑誌記事 。新 聞記事 な ど)の
増加 がみ られ,こ
こでは 自分 の子 どもと他人 の子 どもとの差異化 を強調 してい る とす る梅景 (2007) の論考 を石川 (2011)は紹介 してい る。そ して, 2005年
か ら2006年
にか けて,「日 常の生活習慣 か ら受験対応 まで,さ
ま ざまな家庭 の教育戦略 の ノウハ ウを前面 に押 し出 し た新 しいタイプの教育情報誌のあいつ ぐ創 刊が,話
題 とな」(梅景2010,p.168)つ た とされ ている。 本 田 ら(2006)で
は,「週刊誌 な どの雑誌 では,(社
会階層 ではな く家庭教育の問題 とし ての)『ニー トが生み出 され る家庭』 とか『 自分の子供 をニー トに しない子育て』 な どとい つた特集 が組まれ るよ うになっている」(本田2006,p.223)こ とをあげ,そ
れ らの原因が本 人の心理状態や親 の甘やか しの問題 に矮小化 されて しまってい るこ とを指摘 してい る。 第3節 「家庭教育」の“諸問題" 昨今 の 「学力 向上」ない しは中学受験 ブー ムのポイ ン トを成す もの として,諏
訪 (2007) は 「わが子 の学力 を育て るのは家庭 である」(諏訪2007,p.35)と され る点 をあげ,「教育 の 私事化」現象 を指摘 してい る。 そ して,教
育 は公的 な事項 ではな く,個
人や その家族 に関 わ る 「私」的事項 である と受 け取 られ るよ うにな る と,教
育 の私事化 は さらに進 んでい く ことを指摘 してい る。 また,千
葉(2014)は
、「ペ ア レン トクラシー」 と「家庭の教育力低 下」 とい う2つ
の事象 か ら家庭教育が成立す るための条件 に迫 るなかで 「家庭教育に対す る問題意識 は明確 に社 会 に存在 してい るわ けだが,家
庭教育 は簡 単 に把握す るこ とがで き ない。(略)学
校や社会 も家族 に対す る向 き合 い方を打 ち出す ことができないでい るよ うに 思われ る」(千葉2014,p.50)と 述べてい る。 そ して,「ペ ア レン トクラシー」か らは,学
校 で行 われ る教育 内容 の習得 に価値 を置 く学校 に適応 的 な家族 を読 み取 り,「家庭 の教育力 低 下」か らは,家
族独 自の教育 としての家庭教育 を求 めるもの,学
校 だ けで教育がな され政治的 。政策的 な戦略 に基づ くもので ある,とす る広井
(2009a)は
,「『 子 どもの問題 の原 因 は家 庭 に あ る』 とい う言 説 こそ が,親
の教 育 責任 の重 大性 を最 も端 的 に示 」(広井 2009a,p.34)す ものであ る とし,そ
れ に よって,社
会や国 の責任 以前 に,家
庭 の責任 を問 うこ とがで きるもの となってい ることを指摘 してい る。 そ して,少
年犯罪や育児不安,児
童虐 待,孤
食,ニ
ー ト,引
き こも りな ど, 90年
代後 半か らの相次 ぐ社会 問題 に対 して, その責任 を親や家庭 に求 め批判す る声の増 大 をあげてい る。 岡本 (2004)も また,家
族が 大 きな社会的圧力 を受 けてい るこ とを指摘 し,「家庭 の教育へ の積極性 は,『家族 の教育 を 担 うべ きである』 とい う社会規範 の反映」(岡本2004,p.199)である としてい る。 岡崎(2004)は
「子 どもの問題行動や病理 の原因 を分析す る とき,こ
れ を短絡的に親・ 家庭,教
師・ 学校,住
民・ 地域組織 な どの,個
別 的 な条件 に結 びつ けて とらえる ことはで きない」(岡崎2004,p.28)と してい る。また,き
ょ うだい,親
子,祖
父母 な どとの人間関係 に よる人 間形成機 能 が著 しく低 下 して きてい るこ とを示 した上 で,「家庭 にお ける子 ども の役割 が,き
ちん と学校 に行 くこ と,そ
して よい学業成績 をあげ るこ ととな る と,家
庭 は 学校 の補完 とい うよ りも,そ
の一部 に組み込まれた ことになる。 もちろん,教
育の役割分 業 とい う面で,補
完的 であ る ことをもつて,こ
れ を一方的 に問題 であ る と決 めつ けるこ と はで きない。重要 な点 は,現
代 の 日本 において,こ
の補完す らで きない家族が,生
まれ て きてい ることである。」(岡崎2004,p.35)と 指摘 してい る。 ともあれ,千
葉(2014)が
「家庭教育 をめ ぐる問題 は確 かに教育問題 であるが,
しか し 教育 は教育 の世界内だ けで成 り立つ ものではない」(千葉2014,p.57)と してい る とお り, 様 々な角度 か ら 「家庭教育」 を とらえてい くこ とが重要である と考 える。 第4節
本章のま とめ 第1節
か ら第3節
において,登
場か ら変遷,そ
して諸問題 を概観 してみた。 ここでは, 第1章
のま とめ として,「家庭教育」 とい う言葉 について,も
う一度現在言 われ ていること を確認 してお きたい。 家庭教育 をめ ぐる現状 を梅景(2010)は
,家
庭 間の社会経済階層 のちがいや地域差 な ど を反映 しなが ら,「過熱」 してい る部分 と,「十分 に対応 で きない」部分 とが同時 に存在 し てい ることを指摘 し,石
川(2011)は ,
日本 国内において家庭教育への関心が高まってい るこ とは,家
庭 間の 「格差」 の拡 大 と母親 の 「葛藤」 の増大 とい う2つ
の問題 を引き起 こ す としている。 太 田(1994)は
,共
同体か ら家族 が独 立の度合 い を高 め,伝
統社会 にお ける共 同体 の教 育 に代 わ つて,家
族 が独 自の教育 を行 うよ うになった とし, 17世
紀 か ら20世
紀つ ま り 江戸時代 の初期 か ら今 日に至 る長 いプ ロセ スを通 じて,共
同体か ら閉鎖的直系家族が独立 を果 た し,地
域差や階層差 を持 ちなが ら家族 の教育が成 立 した としてい るも ところが,現
代社会におけるその家族はどうか。「近代家族を形成 。維持できる人々 と形成・維持できな い人々に分裂 している」(山田2013,p.658)と の指摘の とお りである。 「子育てに熱心に取 り組んでいる家庭では教育に拍車がかかる一方で
,そ
れができない 家庭はますます置 き去 りにされるような力学が働 く。」(宮本2012,p.30)と され,「個々の家 庭の初期条件 の違いを無視 して家庭教育に対す る親の 自覚 を喚起す ることは,も
つとも脆 弱な家庭を排除する結果 となっている。」(宮本2012,p.30)と も指摘 され る。 「旧来,『家庭教育』 とい う概念が家訓や家風に象徴 され るよ うに学校教育に対す る相対 的に独 自な教育領域 として存在 していたのにたい して,現
代の家庭教育は,む
しろ学校教 育 に従 属 す る補 完機 能 あ るい は学校 教 育 対 策 しか もて な くな って きて い る」(堀尾 1997,p.44)と の指摘は,か
つての 「家庭教育」の姿 といえる。いま,「補完」も「対策」も できない家庭が存在 している。 これは,「家庭教育」を一括 りで捉 えることができない状況 のは じま りを意味 しているといえる。第
2章
各種 メデ ィアか らの分析 第1節 「家庭教育」 と「メデ ィア」の関係 について 「私たちの住む世界 はあ らゆる意味でメデ ィアに包み込 まれ,そ
れ な しでは世界 を認識 す ることも,社
会 に関わ ることもで きな くなってい る。」(水越2011,p.14)と 語 られ,「近代 化 が進 み,マ
ス・ メデ ィアが発達 。普及 した社会では,一
般 に社会 の複雑性 が増 大 し,社
会変動 の速度 が増 し,さ
らにはメデ ィア情報 の機 能や社会 にお けるその種 の集 中度 が増 大 して い るの で,社
会 の構 成 員 の メデ ィア依 存度 は概 して高 くな る傾 向 に あ る。」(大石 2006,p.121)と さオしる。 共同体 の教育が閉鎖 的直系家族 に よる もの となってい るこ とは,前
章で確認 した とお り である。 そ こで,各
家庭 が求 め る 「家庭 教育」 につ いての情報源 もまた,共
同体社会 にお けるものか ら,メ
デ ィア (マス・ メデ ィア)へ
と移行 してい る,と
考 える。 その意味か ら, さま ざまなメデ ィアの中で 「家庭教育」 とい う言葉 が どの よ うに使 われ てい るのか を分析 す ることは,そ
の多義性 を探求す る上で有効であ りかつ対象 として適 している,と
考 える。 言 い換 えれ ば,そ
れ は,各
種 メデ ィアに よる異 な った捉 え方 の存在 を明確 にす る こ とに よ り,「家庭教育」 とい う言葉 の もつ多義性 が明 るみ とな るとい うことである。 また,本
稿 では,言
葉 に注視 してい くわけであ るが,メ
デ ィアにお ける言葉 につ いて以 下 の指摘 を確認 してお きたい。「現在 は音声や映像 も含 めてマル チ メデ ィアの時代 と言 わ れ てい るが,そ
の基本 となる概念 を形作 つてい るのは ことばであ る。」(湯浅2005,p.318) とされ,語
の 「意味」 も語 の 「価値」 も,そ
の語 の内部には存在 していない (湯浅2005) とされ る。 また語 の意 味 は,語
同士 の記 号 と して の関係性 か ら発 生す る とす る難波 江 ら (2004)は,「あるものの価値 は,そ
れ 自体によって決 まるのではな く,そ
れ がそれ以外 の もの とどの よ うな関係 にあるかに よつて決 ま る」(難波江 ら2004,p_49)と してい る。また, ウィ トゲ ンシ ュ タイ ン(1953)は
「語 の意 味 とは,言
語 内 にお け るそ の慣 用 で あ る」 (Wittgenstein 1953,p.49)と し,「どの よ うな行為 の しかたが これ らの こ とば に随伴 す る か。」(Wittgenstein 1953,p.273)に 注視す ることを指摘 してい る。そ こで,本
稿 では 「家庭 教育」 とい う言葉 が,各
種 メデ ィアで扱 われ るときに伴 つてあ らわれ る 「さま ざまな言葉」 か ら,そ
の意味 (概念)に
迫 りたい,と
考 える。 ここで,メデ ィアにお ける「家庭教育」の位置 を確認 してお きたい。ハ ロウェイ (2010) は 「親 が子 育て をす る ときには,暗
黙 の仮定やモデル に基づ くこともあるだろ うが,現
代 社会 では,他
の親の子育てを見た り子 どもの教師 と話 した り, さらには さま ざまな メデ ィ アに接す ることによつて,他
のモデル を知 る機会 もある」 (Honoway 2010,p.11)と してい る。 そ して宮澤 (2011)は,「欲望の三角形」理論。Dを紹介 した うえで 「欲望の対象が人物 であ るばあい ももちろんあるが,逆
に欲望 をか きたて る媒介者 は人物 とはか ぎ らない。それ は, 媒介す るもの (メデ ィア)一
般 に拡大 され る。」(宮澤2011,p.231)と し,岩
崎(1998)は
「マス メデ ィアによつて提供 され る情報 は
,そ
の ほ とん どが何 らかの形 で『 消費』 と結び ついた情報 である」(岩崎1998,p.64)と してい る。 また,「子 どもも教育 も消費か ら遠 い存 在 とはいえないのが現実」(千葉2009,p.110)と され,「親 は教育 を 自分 で行 うだけでな く, む しろ 自分 に代 わ る教育遂行者 を選択 し,教
育 をサー ビス として購入す る傾 向 を強 めてい る。家計 にお ける教育費の 占め る割合 の変化 は,教
育 を消費 の対象 と して考 え行動 した結 果 としてみ るこ とがで きよ う。家族規模 が小 さくなつて きてい る現在,家
族 は 自分た ちに で き る こ との 限 界 か ら,教
育 の 外 部 化 を さ らに推 し進 め よ う と して い る。」(千葉 2009,p.126)と 指摘 され る。そ して,石
田(2003)は
,「私的 な領域 において も,私
たちが 家族や個人 の生活 の意味 をつ く りだ してい くのは さま ざまな メデ ィアの影響 を受 けての こ とであつて,私
的 とされ る欲 望や 消費 さえ もが,テ
レビや新聞や雑誌 の働 きに大 きく左右 され る」(石田2003,p.85)と している。 引用が長 くなつたが,「家庭教育」が,メ
デ ィアに 「子育てのモデル」 を求め,「欲望」 をか きたて られ,「消費」の対象 とされ てい る といえ, 少 なか らず の影響 を受 けてい る といえる。 そ こで,分
析 の対象 とす るメデ ィアについてで あるが,可
能 なか ぎ り多 くの種類 にあた ることが重要 である と考 える。藤竹(2012)は
「既存のメデ ィアが及び もつかなかつた コ ミュニケー シ ョンの様式が開拓 されてい る。」(藤竹2012,p.18)と いい,「メデ ィアはメ ッセ ー ジである」 (McLuhan 1964,p.7)と す るマクルーハ ン (1964)のいった とお り「メデ ィア は相互 に作用 し,新
しい子孫 を生み出」(McLuhan 1964,p.51)し た現代社会 には,さ
ま ざ まなメデ ィアが存在 してい る。言説分析 において よ り重要 な こととして赤川 (2001)は「誰 が どの よ うな立場 か ら語 つて も,似
た よ うな語 りを構成 して しま うとい う,言
説 が生産 さ れ る『 場』 のあ りよ うである。」(赤川2001,p.77)と している。その ことか ら,本
稿 では, 新 聞やテ レビは もちろん,雑
誌や 書籍,そ
してイ ンターネ ッ トといつた多 くの形態 を異 に す る各種 メデ ィアを分析対象 とした。 まず,市
井 (しせ い)の
声 にあ らわれ る 「家庭教育」の意味合 い をお さえるこ とがで き るのではないか と考 え,新
聞の投書欄 を と りあげた。 そ して,書
籍 (書籍通販 にお けるべ ス トセ ラー)に
ついては,さ
ま ざまな識者 が もつ 「家庭教育」の意 味 (概念)を
把握す る こ とがで きるのではないか,と
考 え と りあげた。 また,イ
ンターネ ッ トの普及 に ともない 広 が りをみせ てい るQ&Aサ
イ トか らは,そ
の匿名性 に よ り,「家庭教育」 にお ける本音 と もいえる側 面が うかが えるのではないか と考 え,テ
レビ番組 については,
日常的 に接触頻 度 の高い メデ ィア と して と りあげ るこ とで,大
衆 に受 け入れ られ る 「家庭教育」 の捉 え方 か らのアプ ローチが可能である と考 え とりあげた。次に,家
庭教育雑誌 については,「家庭 教育」 に関心 をもつ購 読者層 に受 け入れ られ るその意 味 を掌握す ることができる と考 え と りあげ,公
立図書館 にお ける所蔵 の書籍名 か らは,広
範囲にわた る「家庭教育」の意味 (概 念)の
捉 え方 にせ ま ることがで きると考 え と りあげた。最後 に,中
教審答 申については, 純粋 にはメデ ィア (媒体)と
は呼べないが,政
策 文書 内で使 われ る 「家庭教育」 の意味 内 容 について確認す るこ とができる と考 え と りあげた。以上
, 7種
類 のメデ ィア を分析対象 にす ることで,「家庭教育」 とい う言葉 の使 われ 方が メデ ィアに よって異 な るこ とを明 らかにす ることがで き,多
義性 の存在 を明 るみ にで きる のではないか と考える。 言説分析 にお ける関心領域 の メデ ィアヘ の移行 の高 ま りについて,岡
井(2012)は
,ギ
ャ レッ トとベル (Garrett&Bell 1998)に よるその理 由の指摘 を紹介 してい るが,そ
のひ と つ に 「メデ ィアの言語 を見 ることで,言
語 とコ ミュニケー シ ョンを通 じた社会 的な意 味 と ステ レオタイプについて多 くを知 ることができること」(岡井2012,p29)を あげてい る。 こ こに,「家庭教育」 とい う言葉 の もつ意味 をメデ ィアか ら追求す る意義 があるといえる。 第2節
新聞投書欄 にみ る特徴 ここでは,新
聞投書欄 か らの分析 を行 う。朝 日新聞の新 聞投書欄 を対象 として,「家庭教 育」 とい う言葉 を含 むその投書 の文面の中に, どの よ うな言葉 が伴 つて使用 され てい るか をみ る。 メデ ィア としての新 聞 について,こ
こで確認 してお きたい。「総発行部数 と普及率の両方 の数字 をみてみれ ば,
日本 の よ うに大規模 に新 聞が発行 され,そ
の上,高
い普及率 を示 し てい る国はない」(伊藤2005,p.23)と され,井
り││(2005)は
「朝 も夕方 も,自
宅のポ ス ト に新 間 が届 け られ て い る とい うの は,世
界 の 中 で は か な り特殊 な光景 で あ る。」(井川 2005,p■62)と
してい る。 また,新
聞の投書欄 について も確認 しておきたい。「読者投書欄 は『 加算的 (デジタル) な多数意見』ではなく『 類似的 (アナ ログ)な
全体の気分』の表出であ り,そ
の点で『 世 論』的な性質をもつ と言え」(宮武2003,p.198)る とされ,ま
た,宮
武(2003)は
「新聞社 が言いたいことを投書に代弁 させることは,当
然 あ りうる。投書欄 に掲載 された『 国民の 声』は,新
聞社の担 当者が『 世論 (せろん)』 の代表 として選びだ したものにすぎない。」(宮 武2003,p.200)と している。 このことか ら,新
聞投書 を 「国民の声」=「
世論」 として と らえることが出来ない といえる。 しか し,メ
デ ィアとしての新聞に掲載 された 「投書」(世 論の代表 として選びだ されたもの)に
おいて,「家庭教育」 とい う言葉が どのよ うに捉 えら れ,そ
して使われているのか,と
い うことについては,そ
の分析対象 とな りえると考える。 データの概要 :朝 日新聞オンライン・ データベース「聞蔵 Ⅱ」を利用 し,キー ワー ド「家庭教育」を含 む新聞投書 「声」の欄を抽出 し,テキス トマイニングによ り,伴つて現れ る頻出語を確 認す る。 (1988年4月26日∼2013年3月 5日の期間で,キー ワー ド「家庭教育」を含む新 聞投書数103件) 以 下,表
1が新 聞 投 書 欄 か らの抽 出 語 (上 位50語 )で
あ る。 13表
1
新 聞投 書欄 か らの抽 出語 とその出現回数 順 位 抽 出語 出 現 回 数 l順位 抽 出語 出 現 回 数 順 位 抽 出 語 出現 回 数 順 位 抽 出語 出現 回数 順 位 抽 出語 出 現 回数 1 教 育 11 問 題 生 活 知 る 母 親 2 家 庭 235 考える :い 生 徒 責 任 3 子 供 子 感じる 仕 事 発 達 4 学 校 事 件 時 代 基 本 5 ヽ つ 田 心 5 大 人 障 害 言 葉 国 民 6 親 6 必 要 日1本 最 近 7 社 会 7 教 師 大 切 多 い 参 加 8 人 8 自 分 指 導 時 間 持 つ 9 言 つ 9 聞 く 見 る 先 生 条 例 子ども 教える 日II 息 子 人 間 新 聞投 書欄 に現 れ る抽 出語 の うち,「 事件 」「障害」「日本 」(出現 回数33),「仕事 」「時 代 」(出現 回数28),「国民」(出現 回数23),「条例」(出現 回数21)などは,他 の メデ ィア(の 上位50位内 と比 較 した場 合)に
現 れ て い ない,特
徴 的 な頻 出語 とい える。 新 聞へ の投 書 が時事 的 な 問題 に対 して の意 見 な どで あ る こ とか ら考 えて, この特徴 的 な 言 葉 の頻 出 は妥 当な もの で あ る, と考 える。 表1からは,特
に 「家 庭 教育 」 と 「対社 会 」や 「対 家 庭 」 との か か わ りに関す る表 出 が 多 く読 み とれ,そ
の相 互性 に新 聞投 書欄 の特徴 が あ る とい え る。 ま た,新
聞投 書欄 で は 「規範性 」 を示す ものや,「社 会 問題 」 と して捉 えた 内容 が多 い こ とが うかが え るが,こ
こで は参考 にそれ らの 内容 を示 す 投 書 の例 を一部以 下 に挙 げ る。 (「規範性 」 を示 す もの) 。しつけや人間としてのマナーなど,家庭教育の教師 となるべき保護者が,傍
観者になつてはならないと 思 う。(無職,67歳 ,2009年6月 17日) 。しつかりとした家庭教育をして社会に送 り出すことこそ親の役 目,責任だと思 う。(主婦,75歳 ,2008年4 月7日) ・親 が 「規範」 を示す とい う家庭教育の基本 が忘れ られ つつある とい うが,それ は法律 で解決 で きるのだ ろ うか。(無職 ,36歳 ,2002年11月22日) 。ある程度の年齢 に達 しなが ら,他人 の痛 み が分 か らない。人格形 成 に必要 な家庭教育 の段 階で,すで に 落 ち こばれ て い るのだ。(教員,27歳,1990年8月23日) (「社 会 問 題 」 と して 捉 え て い る も の) ・ 母親 はパー ト就 労な どで家庭教育のゆ と りが確実に失われてい る。(主婦,53歳 ,2008年10月 31日) ・ 母子家庭では家庭教育が十分 にできない, と考 えて いないか。(大学院生,28歳 ,2007年3月13日) 。実態 が分か らない分,よけい に幼児 の知 育教育 が盛 ん なよ うな気 が します。就 学前 の家庭 教育が悪 い と は思 いませ ん。(主婦,38歳 ,2007年1月13日)・最近は家庭教育を軽視 しているよ うに思えてな らない。家庭 と学校が一人ひとりの児童,生徒 をよく見 つめ,連携 し,指導 を しっか りしてほ しい。(無職,70歳 ,2005年9月25日) 。家庭の中には子供にとつて実生活を通 しての学び場がたくさん眠つている。それを生かせば,家庭教育 の低下が防げるように思 う。(主婦,46歳 ,2003年12月18日) 。両親共に子供の家庭教育に携わることは,いつの時代 も必要だつたはずだ。(主婦,40歳 ,2003年7月18日) ・学校 5日 制 を家庭教育を見直すきっかけとし子育ての原点を考えたい。(養護教諭,43歳 ,2002年6月26日) 。教師が全力で学校教育に当たつているのと同程度に,保護者 の方 も家庭教育に力を注いでいただきたい ものです。(中学教諭,43歳 ,2000年1月16日) 。週休 2日 制は,家庭教育 と学校教育の役割分担 をはっき りさせ,協力 してい く良い機会ではないだろ う か。(高校教師,30歳 ,1989年H月18日) ・最近,学校側 に対す る批判が紙上 をにぎわ している。 だが,学校教育 を批判す る前 に,家庭教育を考 え 直す ことの方が先ではなかろ うか。(主婦,47歳 ,1988年4月26日) 第
3節
書 籍 通 販 にみ る特 徴 こ こで は,書
籍 通 販 か らの 分 析 を行 う。「ネ ッ トシ ョ ッ ピ ン グ」 や 「イ ン ター ネ ッ トシ ョ ッ ピ ン グ 」 と呼 ばれ る新 た な 通 信 販 売 の形 が 定 着 して い る。 な か で も世 界 最 大 の 規 模 で あ る「アマ ゾン」は,「Amazon.co.jp」 とい う名前で2000年
11月
に 日本 に上陸 し,書
籍 通販 をは じめ としてその利用者 は年 々増加 してい る。 村上(2005)は
「オ ンライ ン書店ルー ト全体は,利
用者 が年 々増 え,デ
ー タ検索や迅速 調達の利便性 か ら客注品の主要ルー トヘ と定着 した。」(村上 2005,p.172)と し,同
じく伊 藤 (2006)も,読
者 がイ ンターネ ッ トの ウェブサイ トを通 じて注文す るオ ンライ ン書店 の 確 実な成長 を指摘 してい る。 ここでは,代
表的な書籍通販 サイ トのひ とつ である先述 の 「AmazOn.co.jp」 の検索機能 を利用 し,カ
テ ゴ リー 「家庭教育」 に分類 され たベ ス トセ ラー書籍 の タイ トル名 を分析対 象 とした。 データの概要:Amazon.cojpの検索 (すべてのカテゴリー 〈本 〈暮 らし・健康・子育て (妊娠・ 出 産 。子育て く家庭教育 )によ り,「家庭教育」の売れ筋 ランキング(100冊
)の書籍 のタイ トル名 を抽出 し,テキス トマイニングにより現れ る頻出語を確認する。(なお、ラ ンキングは, 1時間ごとの更新であ り,ここでの抽出は2014年8月 20日 10:30にお ける検索である。)※書籍タイ トル名 。著者名については本稿参考資料一覧に付記。 以 下,表
2が
書 籍 通 販 か らの抽 出語 (上 位50語 )で
あ る。 15表
2
書籍通販か らの抽 出語 とその出現回数 順 位 抽 出語 出現 回数 l順位 抽 出語 出 現 回 数 順 位 抽 出語 出現 回 数 順 位 抽 出 語 出 現 回数 順 位 抽 出語 出現 回 数 1 子ども 11 子 供 9 ドリル 5 親 子 4 決まる 3 親 5 教える 7 右 脳 5 頭 4 左 脳 3 3 家 庭 4 言葉 7 伸 びる 5 力 4 才 3 W 凶 4 伸 ばす 7 赤ちやん 5 グングン 3 叱 る 3 5 育てる 3 学 習 6 方 法 5 メソッド 3 豊ロ 3 6 教 育 3 歳 6 お母さん 4 家 族 3 小学校 3 7 勉 強 2 17 読 む 6 ノー ト 4 科 学 3 上 手 3 8 子 0 魔 法 6 百 つ 4 開 発 3 先 生 9 天 才 0 やる気 5 合 格 4 久保 田 3 東 大 学 力 9 わが子 習 慣 4 教 師 3 入 る 書籍のタイ トル名 に現れ る抽 出語 の うち,「天才」(出現回数 10),「 ドリル」「右脳 」(出 現 回数 5),「 ノー ト」(出現回数 4),「 左脳 」「東大」(出数3)な
どは,他
のメデ ィア (の上 位50位
内 と比較 した場合)に
は現れていない,特
徴 的 な頻 出語 といえる。「家庭学習」 に 対す る 「マ ニ ュアル」的 な面 が数 多 く見 られ る ところに,書
籍通販 の特徴 が よ くあ らわれ てい るとい える。 広 田 (2003)は 「子育てマニュアルが氾濫 している。中にはそ うではない ものもあるが, 多 くのマ ニ ュアル 本 や 記 事 は,微
妙 なや り方 で,親
た ちの不 安 をつ の らせ る。」(広田 2003,p.148)と してい る。 これ は,後
の第6節
での家庭 教育雑誌 にみ る特徴 で もい える こ とである。 また,書
籍 の タイ トル名 の中に,「魔法」(出現回数 6),「 叱 る」「メ ソッ ド」(出 現 回数3)が
あるが,こ
れ らの抽 出語 が現れ る′点は家庭 教育雑誌 と共通 してい る。 第4節
Q&Aサ
イ トにみ る特徴 ここでは,Q&Aサ
イ トか らの分析 を行 う。 イ ンターネ ッ トの到 来 によつて 「私た ちは 口誦的で あ る と同時 に文語的,私
的に して公 的,個人的 に して集合 的である最初 のメデ ィアを持つ にいたつた。」(Kerckhove 1995,p.227) とケル コフ (1995)はい う。「イ ンターネ ッ トが情報や討論の場 の提供にす ぐれた機能 をも つ ことは異論 の余地はない。」(安野2006,p.29)と され,橋
元 (2011)は「ネ ッ ト空間では, 意 見 を交換す る場 が無数 に提供 されてい る。」(橋元 2011,p.140)と して,一
利用者 の質 問 に何人かが回答 をよせ る 「Yahoo!知恵袋」 をその代表 例 として挙 げている。 松 田 (2014)は,「質 問サイ トでは,質
問 に対 し寄せ られた優れ た回答 に高 い評価 が与 え られ,そ
れ が『 ベス トア ンサー』 として 日立つかた ちでサイ ト上 に提示 され る。その評 価 が『 見える』 ことは次なる互酬的行為を誘 引するcこ
の ような過程が繰 り返 されることで 互酬的行為が蓄積 されれ ば,信
頼 できない情報発信 が抑制 され ることにな る。」(松 田 2014,p.211)と し,「書 き込みが誰か らでも見えること,ま
たそれが蓄積 されていていつで も参照可能 であることが,匿
名性 を保 つたまま,情
報源 としてtD信頼性 を獲得できること になる。」(松田 2014,p.212)と している。「文字 通 り質 問 に対 して回答 が寄 せ られ る もの」 (藤竹 2012,p.279)と して の
Q&Aサ
イ トに お け るテ キ ス トは 分 析 対 象 とな る, と考 え る。 データの概要:Q&Aサ
イ ト (Yahoo!知 恵袋)においてキー ワー ド「家庭教育」 として,「質問のみ」を 対象 とす るよう条件指定 し検索す る。対象 となる件数が約 51,413件 (2015年3月 18 日時点)とな り, うち 「家庭科教育」「家庭教師」「教育学」を除き,関連度順に33件
を抽出 した。そ して,テキス トマイニングによ り,質問文 に現れる頻出語 を確認す る。 以下,表
3がQ&Aサ
イ トCYahoo!知恵袋)か
らの抽出語 (上位50語
)で
ある。Q&Aサ
イ ト (Yahoo!知恵袋)に
現れ る抽 出語の うち,「母子」(出現回数 20),「 躾」(出 現回数 19),「 悪 い」(出現回数 18),「 良い」(出現回数 15),「 ロー ン」(出現 回数 14),「 学 級」(出現回数 13),「 お金」「保護 」(出現回数 12),「 借 りる」「方針」(出現回数11)な
ど は,他
のメデ ィア (の上位50位
内 と比較 した場合)に
現れていない,特
徴的 な頻 出語 とい える。 荒木(1973)は「個の論理は本音 であ り,集団 の論理 はたてまえで ある。」(荒木1973,p.53) といったが,一
利用者 の質問であ るQ&Aサ
イ トだか らこその 「本音」 と して の抽 出語 が ここに現れてい るのではないだろ うか。 母子世帯 出身者 の教 育達成 につ いて,余
田(2012)は
,短
大 。大学進学 にお ける格差 の 拡 大傾向をあげ,母
子世 帯出身者 は一貫 して低 い進学 率 を示 してい ると指摘 してい る。 ま た,日本の教 育への公 的支出が他 の先進諸 国 に比べ少 ない ことを指摘す る阿部 (2008)は, 「日本の公的教育制度 は,公
的な負担 よ りも,私
的な負 担 による ところが大 き く,さ
らに, 公 立高校や公 立大学 な ど比較的 に経済的負担 が軽い学校 に進学 した り,奨
学金 を取れ るよ うな学力 を身 につ けるた めには,そ
れな りの公教育外 の投資 (塾な ど)を
必要 とす る, と い う2つの経済的ハー ドルが存在す る。」(阿部2008,p.160)と している。 ともあれ,「 日本の家族 。子 ども向けの公 的支援は,先
進国中,最
低水準で ある。」(駒村 2009,p.180)と の指摘 も確認 してお きたい。 表3 Q&Aサ
イ ト(Yahoo!知恵袋)か
らの抽出語 とその出現回数 順 位 抽 出語 出 現 回 数 順 位 抽 出 語 出 現 回 数 順 位 抽 出 語 出現 回 数 順 位 抽 出 語 出現 回 数 順 位 抽 出 語 出 現 回数 1 教 育 親 躾 意 見 時 間 11 2 家 庭 お願い 薫一 生 活 借 りる 11 3 ヽ つ 田 心 責 任 自 分 学 級 条 例 11 4 言 つ 聞 く 出来る お 金 人 間 11 5 学 校 人 社 会 7 見 る 多 い 11 6 子 供 母 子 童 日 7 現 在 母 11 7 教える 考える 小学校 指 導 方 針 11 教 師 場 合 補 足 保 護 回 答 子 勉 強 良 しヽ 学 習 1 支 援 質 問 問 題 ロー ン 持 つ 1 受ける 17第
5節
テ レビ番組 にみ る特徴 ここでは,テ
レビ番組か らの分析を行 う。 「メデ ィアはあるがままの現実 を映す のではな く,誰
かが 目的 を もつて制作 した もので ある。」(小室2007,p.162)と され る。 かつて (1965年4月 か ら1990年3月末 まで),教
育テ レビの学校放送枠 で 「おか あ さんの 勉強室」 とい う長寿番組 が放送 された。 その番組 の 目的 には,「学校教育 と家庭教育の連結 をめ ざして」 とNHK年
鑑 にはあ り,津
田(2013)は
,「教育 の機 会均等 を推進す るために, 母親 が,当
時 の学校教育の教科 の内容 を知 り,子
どもが円滑 な学校生活 を送 るために,家
庭での子 どもの望 ま しい育て方 を伝 えるた めの番組 で あつた」(津田2013,p.161)と してい る。 そ こで,こ
の番組 は,す
でに上記 の とお り学校教育 との連係 を意 図 してその制作が行 われ てい ることか ら,テ
レビ番組 にお ける 「家庭教育」 とい う言葉の意味合 いを分析す る には相応 しくない もの と判断 した。 そ こで,他
の番組 を対象に と考 え同 じ長寿番組 (1976年4月 よ リス ター ト。独立 した30
分番組 としては1977年4月 よ リスター ト。 現在 も放映 中。)で
もある 「テ レビ寺子屋」 を選 んだ。 この番組 について放送 ライ ブラ リー。"で は,「各界 の著名人 を講師 に,家
庭教育 をテ ーマ に した トー ク番組」 としてその概要 を紹介 してお り,本
稿 の研究 目的 に合致す る と考 え,地
方局制作 の全国ネ ッ トとして珍 しい とされ るこの番組 を分析対象 とした。 テ レビとい うメデ ィアについて,ケ
ル コフ(1995)は
「テ レビは,人
び とが同時 に同 じ 内容 を見てい ることで安心感 を与 えて くれ る。」 (Kerckhove 1995,p.239)と し,「今 日の大 衆 は,テ
レビが もつ とも重要 で,も
つ とも信頼 にた る,も
つ とも『 権威 ある』 メデ ィアだ と考 えている。」 (Kerckhove 1995,p.269)と してい る。 また,藤
竹(2012)は
「生活・趣味 に関す る情報源 と して最 も役 立つ メデ ィア と して は,4割
近 くの人 がテ レビを挙 げてい る。」(藤竹2012,p.250)と してい る。 テ レビとい うメデ ィアの性 質上,そ
の視聴 スタイル (漠然視聴 か選択視聴 か)に
つ いて も確認 してお きたい。三矢(2014)は
,資
料 を もとに漠然視聴 か選択視聴 かの推移 を示 し ているが,こ
こで対象 とす る番組 は内容 の上か ら,漠
然視聴 (「何 とな く見 る」)で
はな く, 選択視聴 (「好 きな番組 を見 る」)で
ある といえる。 デー タの概 要:「テ レビ寺子屋」にお ける講演 タイ トル名 (2007.09.01∼ 2015.03.28)に 現れ る頻 出語 を テ キス トマ イニ ングに よ り確認 す る。※タイ トル名 。講演者名については本稿資料一覧に付記。 以下,表
4が
テ レビ番組 か らの抽 出語 (上位50語
)で
ある。表
4
テ レビ番組 か らの抽 出語 とその 出現 回数 i晨位 抽 出 語 出 現 回 数 順 位 抽 出語 出現 回 数 順 位 抽 出語 出現 回 数 順 位 抽 出 語 出現 回 数 順 位 抽 出語 出現 回数 1 子ども 1 コ ツ 7 伸 ばす お母さん 大 人 4 学 ぶ 家 族 7 親 愛 地 域 4 子 育 て 幸 せ 7 学 力 変える 4 4 自 分 子 7 育 5 希 望 4 豊 か 4 育てる 人 7 考える 5 教 育 4 遊 び 4 ′い 3 育 む 6 親 子 5 見 る 4 アグネス 3 7 人 生 1 7 育 児 6 大 切 5 思い出す 4 意 味 3 生きる 1 絵 本 6 5 持 つ 4 歌 3 カ 9 言葉 6 命 5 食 4 者さl´い 3 コミニ ケ※ 8 出会い 6 絆 5 人間 4 楽しむ 3 ※ コ ミュニ ケー シ ョン 他 のメデ ィア (の上位 50位 内 と比較 した場合)に
はない抽 出語 として,「テ レビ寺子屋 」 の講演 タイ トル名にあ らわれてい るのは,「人生」(出現 回数11),「 コ ミュニケー シ ョン」 (出現回数8),「 コツ」「幸せ」(出現回数 7),「 絵本」「出会い」(出現回数6),「 夢」「絆」 (出現回数5),「 愛」「希望」「豊か」(出現回数4)な
どである。 そ こで,テ
レビ番組 にお ける特徴 として,徳
目が並 び情操 (情感豊 かな心)面
を強調 し てい るとい う点 をあげ ることがで きる。 詫磨(1985)は
「運命的な出会 いで親 と子 の関係 が始 まる」(詫磨1985,p.3)といい,ま
た,「家庭教育 とい うと,お
説教 くさい とか偽善的な ものまで連想す ることが多い。」(詫磨 1985,p.187)と してい る。そ して,柏
木 (2001)は,「日本では『 できるだけの ことを して や る』 ことが即,親
の愛情 と考 え られています。 この 〈親 の愛情=し
てあげ る〉イデオ ロ ギ ー も,一
層 庇 護 的 な 環 境 をつ く る方 向 に働 い て い る こ と も否 め ませ ん。」(柏木 2001,p.175)と 指摘 して いるが,「テ レビ寺子屋」は, これ らを俯 敵 し,新
しい気付 きを放 送 のたび に示 してい る といえる。 第6節
家庭教育雑誌 にみ る特徴 雑誌 とい うメデ ィア について,佐
藤(2007)は
「雑誌 は読者層 をセグメン ト化す る『 純 粋 メデ ィア』で ある」(佐藤2007,p.105)と している。 また,天
童 ら (2011)は 「雑誌言説 は,そ
の基盤 を資本主義 的生産 に もつメデ ィア言説 で あ る。」(天童 ら 2011,p.67)と して, メデ ィアの 「生産物」 としてのメデ ィア言説 が商品の よ うな性格 を帯び る, と している。 さま ざまな家庭の教 育戦略の ノ ウハ ウを前 面 に押 し出 した新 しい タイプの教 育情報誌 が,2005年
か ら2006年
にかけて あいつ いで創刊 され話題 となった ことを梅 景 (2010) は示 し,横
田(2013)は
,ブ
ー ム としての 「中学受験 」 とい う視 点 か ら 「中学受験 を 目指 す 親 子 を タ ー ゲ ッ トに絞 っ た 雑 誌 が 大 手 出版 社 力 ら次 々 と創 刊 され た 。」α9(横
田 2013,p.61)と してい る。 中学受験 に関す る,樋
田 (1993)の 「私立中学受験 は小学校 の手 19を離 れ