生涯理科を見据えた小学校低学年教育の再考
148
0
0
全文
(2) 目. 次. 序論・…一一一…一…一…一一一一……一一一一………一一一一一一…一一一一一1. 第1章. 問題の所在一……一…一一…一一一……一…一一一一一一一・…一一一4. 第皿章. 教育史に於ける低学年理科の変遷一一…一一一一一一一一一一一一一12. 第1節胎動期(明治前期∼中期)一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一12. 第2節 誕生前夜(明治後期∼昭和初期)一一一一一一一一一一一一一一一17 1.科学教育重視の動き一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一…一18. 2.新教育理論輸入の動き一一一一一一一一一一一一一一一一一一19 3.理科教育研究会の動き一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一…一19. 4.現場実践の動き一一…一…一一一一…一一一一一一一…一一…21 第3節 低学年理科の誕生(昭和16年)一一一一一一一一一一一一一一…23. 第4節 戦後の低学年理科の変遷一翻蜥榊心にして一 一一一…一27 1.分析の目的…一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一28. 2.分析の対象一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一28 3.分析の方法一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一29 4.分析の結果…一一一一一一一一一一一一一一一一一一 一一一一一一一一一一一一29. 5.考察一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一31. 第皿章. 生涯理科の構想一…一一一一…一…一一一一一一一一一一一……33. 第1節 前提条件の分析 教育の目的一一一一一一一一一一一一一一一一34 1.教育思想史の視点から一一一一一一一一一一一一一一一一一一一34. ①J.J,ルソー…一一一…一………一・一一一…一35 ②F.W. A,フレーペルー一一一一一一一一一一一…一36. ③L.H,ベイリー一一一一一一一一一一一一一一一…37. ④G.S,クレイグー……一一…一一…一…一一38.
(3) 2.教育法規の視点から一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一41 ①指導案・年聞指導計画一一一一一一一一一一一一一一一一一一41 ②学習指導要領一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一42. ③学校基本法一一一………一一一一一一一……一44 ④教育基本法一…一一一…一一一…一一一一一…45 第2節 生涯理科の提唱一…一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一47. 1.生涯教育…一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一47 2.生涯体育…一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一51. 3.生涯理科の提唱一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一55. ①「生涯を通して…」一一……一一一…一一……55 ②「自然との関わりを深め…」一一…一……一一60 ③「科学的に思考する…」一一一一一一…一一一一一一一一61. ④「…人間の育成」一一一一一一一一一一一一一一一一一63. 第】V章. 生涯理科を見据えた小学校低学年教育一一…一…一一一…一66. 第1節 前提条件の分析 ライフステージの捉らえ方…一67 1.ライフステージに於ける教育目標の把握一一一一…67 2.社会的発達のライフステージー一一一一一一一一一一一一一一一68. ①乳幼児期一一一……一一…一一一…一一一一…一69 ②少年期一……一一…一一一一…一一一一一…一一70. ③青年期…一………一…一…一一…一一一70 ④成人期一一……一一一一一…一一…一…一72 ⑤老年期一…一…一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一73 3.認知的発達のステー一一ジー一一一一一一一一一一一一一一一一一一74. ①ピアジェ(Piajet, J.)の発達理論一一一…一一一75. ②楠見 久の『科学的思考の発達過程』一一…79 ③時実利彦の脳の発達段階一一一一一一一一一一一一一一一一81. 第2節 生涯理科を見据えた小学校低学年教育一一一一一一一一一一一83 1.生涯理科を見据えた低学年教育の方略一一一一一一一一一一88 2.生涯理科を見据えた低学年教育の内容一一一一一一一一一一一93 ①直観を通した経験の蓄積一一一一一…一一一一…一一93. ②探求能力の育成…一一………一一一…一一一一一95 ③心の態度の酒養…一一一一一一一一…一…一一一…98.
(4) 第V章. 実践へのアプローチ…一一……一……一一一…一…一一一103 1. 『教授』から『支援』への発想の転換一一一一一一一一一103. 2.『這い廻り』や『いじくりまわし』の重視一…107 3.多元的学習支援案の構築一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一109. ①地域マップ………一一………一一…一110 ②植物・動物マップー……一一一一…一一・一…一111. ③地域人材マップ………一一一一…一一一一112 ④体験・遊びリストー一一一一一一一一一…一…一一一一113. ⑤教具・備品・消耗品リストー……一…一114 結論…一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一…一一一一一一一一一一一一一一115. 謝 辞. 参考・引用文献 巻末資料. 教科書に見る教材の変遷.
(5) 序. 訟 面冊. 平成4年4月。 昭和16年(1941)より半世紀続いた低学年理科が廃止され、『生活科』が 新設された。戦後の日本の教育では初めての教科の改廃である。この教科の 改廃は単なる教育行政上の施策であるのか。それとも教育の本質を根底から 問い直す抜本的改革であるのか。その真偽の程は知りようもないが、いずれ にしても低学年に於ける自然科学の教育に大きな転換期が訪れたことだけは 疑いようのない事実である。そして、この時期に今一度原点に戻って低学年 の自然科学の教育のあり方について再考してみることは意義深いことである と考える。. そこで本研究は、低学年に於ける自然科学の教育を生涯を通した人間形成 の中で位置づけ検討するものである。その際に、『生涯理科』という概念を 新たに設け、科学者や技術者の養成を目的とするのではない、真に国民一人 一人が豊かな人生を送る為の自然科学の教育のあるべき姿を志向する。また、. 低学年児童の発達的特殊性を鑑み、それ以降の自然科学の教育とは異なった カリキュラム編成の在り方について模索する。そこで、この様な研究の趣旨 に従い、以下の構成で論を展開していく。. まず第1章では、現代の子供達の抱える今日的課題について触れ、本研究 の問題の所在を明らかにする。即ち、今日の科学技術の進歩と経済の発展が. 一 1 一.
(6) 物質的な豊かさを生むと同時に、情報化、都市化、価値観の多様化、少子化、. 核家族化…など社会の各方面に大きな変化をもたらすに至り、これらの変化 を受けて子供達も、①直接経験の不足 ②探求能力の低下 ③自然愛好の念 の稀薄化…といった変容を来しており、そこに自然科学の教育の再考を行う 意義を見出だすものである。. 第ll章では、日本に於ける低学年理科の歴史的変遷を振り返り、低学年に 於ける自然科学の教育が、それ以降の自然科学の教育とは切り離して考える べき特殊性を有している事を明らかにする。即ち、学問体系の伝達を主目的 とする指導方略では低学年の教育が成立し得なかった明治初期の養生ロ授の 例や、主客の未分化な低学年の時期にそれ以降では出来ない教育を施す必要 があるとの考えから低学年理科特設運動が巻き起こった大正期の例…などを 取り挙げていく。. 第皿章では、本研究の中心的な概念である生涯理科についての提唱を行う。 その際に、まず前提条件として教育思想史や教育法規の視点から教育目的に ついて考察し、教育の究極的な目的が人間形成にあることを明らかにする。. 人間形成というのは、人の持つ諸器官・諸能力を発達させ、文化遺産を伝承 することにより自然や社会に適応できるようにすることである。しかし、そ れは未成年者を対象にした時限的な行為のみを指すものではなく、誕生から 死に至るまで不断に行われる永続的な営みを意味するものである。従って、. 本研究で提言する『生涯理科』もこの様な前提条件を満たすものでなければ ならない。即ち、生涯理科とは、全ての人が職業や性別の如何に拘らず、生 涯を通して自然との関わりを深め、科学的に思考する人間の育成を目指した 教育的な営みのことである。. 第IV章では、生涯理科の中での低学年教育の在り方について述べていく。 一 2 一.
(7) ここでも、まず前提条件として社会的発達のライフステージと認知的発達の ライフステージという教育の捉らえ方を考察し、人生というスパンで教育を 捉らえ、そこから演繹的に各ライフステージの教育の在り方を論ずるべきで あるという研究の趣旨を述べる。そして、この様な前提条件を基に、低学年 児童の認知発達的なライフステージ、即ち、頂観的思考期から具体的操作期 への移行期という特性を論じ、直観を通した経験の蓄積、探求能力の育成、 心の態度の函養といった生涯理科の中での低学年教育の在り方を導いていく。. 第V章では、生涯理科を見据えた低学年教育を具現化する為のアプローチ について述べていく。ここでは、目の前の具体的な事物のみを直観的に認知 するという低学年の発達的特徴を踏まえ、従前より行われてきた学問体系の 段階的教授に主眼を置いたシステマティックなカリキュラム編成を否定し、. 子供の刻一刻と変化する興味や関心、それに自然が気紛れに提示する事象を 臨機応変に構成する為の有機的で柔軟な教材研究のあり方について例示する。. 3.
(8) 第1章問題め所在 「近頃の子供達は…」とか「私の子供時代は…」と言うと、懐古趣味の老人. の様であるが、現代の子供達がかっての子供達と較べて急激に変容している. ことは多くの研究者の指摘するところである。殊に、最近20年間の子供達. の変容は人類200万年の歴史の中でも特筆に値するものであろう。これは 体重・身長・性的成熟…等の量的な発達加速現象(accerelation)のみならず、. 自然との触れ合い・感性・探求能カ…等の質的側面に於いても生じている。. 以下では、現代の子供達の変容について幾つかの記述を列挙し、自然科学の 教育に関する問題の所在を明らかにする。. まず、奥田らは『今の子供と昔の子供の違い』として、以下の点を挙げて いるくD。. ①今の子供は、自主性、能動性に欠けている。言われたこと などには従順に従うが、自ら判断できない。何かする場合 人に頼ろうとする指示待ちの子供が増えてきている。. ②基本的生活習慣や生活技能が十分に身に付いていない。果 物の皮むきや小刀の使い方に見られるように、今の子供は 不器用である。. ③魚とりや木登りなどの生活体験が少ない。プールには入れ るが小川には入れない。ましてや、田んぼの泥の中に足を 踏み込むなどできない。. 一 4 一.
(9) 一方、奥井らは『今の子どもが少し前にくらべて,大きく変わったと思わ れる点をあげよ』というアンケートをもとに、以下の点を指摘している(2》。 ①自然の美しさや雄大さに感動しない子が増えた。. ②じかに自然に触れた実感のないまま、テレビで見たり、人 から聴いた耳学問だけで知ったっもりになって、満足して いる子が多い。. ③自分の好みや目的に応じて自然の素材を生かしたり、作り 変えたりして遊ぶことを知らず、できあいの玩具や遊具で しか遊べない。. また、寺内は「近頃の子どもの様子を見ていると、おかしいのは触覚や嗅 覚だけではなさそうです。自分たちで飼育している動物を描いた絵を見ても、. どこか情感に欠けるというか、細やかな気持ちの表現が不足しているように 思われてなりません。描く対象に気持ちをそっと近づけ、五感で感じとると いうことをしていないのでしょう。」(3}と述べ、現代の児童の感性が危機 に瀕していることを訴えている。. 更に、坂本は「一見健常と見られている子供たちの中にも感覚統合障害の 子供が存在することが報告されるようになってきた」と述べている(4》。 感覚統合障害というのは、脳の神経過程の成熟不均衡の状態のことであり、. 五感などの基礎的な感覚入力と身体の目的行動とが協亡しないという症状が 現れる。例えば小さな水溜まりを跳び越える場合、視覚は水溜まりの大きさ と着地点の地面の状況を脳に伝え、足底の触覚は現在踏んでいる地面の固さ を脳に伝える。脳は、これらの感覚入力から得た情報に基づいて運動の計画 一 5 一.
(10) を瞬時に立て、手足をコントロールして実行する。感覚統合障害の子供には. これら一連の感覚一運動の協応ができない為に必要以上の距離を眺んだり、 着地の際に濡れた地面に足を取られて転んだりする。感覚統合障害は特殊な 障害児教育の分野であるとこれまで考えられていたが、坂本はこれが健常児 の学級にも潜在していることを指摘している。、. この様に、現代の子供達の変容についての記述には枚挙にいとまがないが、. これらをまとめてみると、次の3点に集約できるであろう。. 0. 1. ●. ●. 1(■)直接体験の不足 i(2)探求能力の低下 ’. 贋. ロ. ロ. 冒. 匿. ロ. ロ. 冒. ■. 澗. ●. 1 1. 1(3)自然愛好の念の稀薄化董. それでは、こうした現代の子供達の危機的状況は、どのような原因により 生じたのであろうか? 奥田は、その原因を次の5っであると考察している(5)。. ①家庭の変貌 ②遊び場の減少 ③テレビゲーム等の普及 ④生活物資の充足 ⑤高度産業社会 一 6 一.
(11) 確かに、奥田の指摘は的を射たものであるが、核家族化や少子化、両親の 共稼ぎといった家族の変貌や生活物資の充足などがそのまま直接的に現代の 子供達の自然離れに結び付き得るのか否かは疑問が残るところである。. しかし、遊び場の減少やテレビゲーム等の普及が子供達の自然離れの原因. となっているということに関しては同感である。図1は昭和61年に伊藤忠 記念財団が小学校高学年を対象に行った「子どもの校外生活に関する研究」. の調査結果である。これによれば、約半数の児童の家の近所(歩いて15分 以内)には林や森、野原や空き地といった自然の中での遊び場が存在しない. ことが分かる。また、次頁の表1は同年に厚生省児童家庭局が小学校高学年 を対象として行った「児童環境調査」の調査結果であるが、これも児童が家 の中に閉じこもって遊ぶという『自然離れ』の現象を裏付けている。 50. 。. 町のグランド. 22. 4ii:i;.. ゲームセンター. 27. 5. iiiii;:6’;. :’i;;;:5i. 林 ・森. 39. 9. 校. 庭. 50. 0. 児童公園. 50. 4. ・:∵::4::σ二:ii;i,:6::・. 野原・あき地. 55. 6. ,.i’:ii4:i≧茎il,:lii;4i・. スーパー・商店街. 56. 6. ・iiiiii4::,. 57. 7. ;iii::ia:・. 60. 4. ・・i:iii6.;:. 72. 8. :i:i;i『津1:i. 田 ・ 畑. 神社・寺 川 ・ 池 ちょっと遊べる道路 お菓子屋・文房具店 遊びに行く友達の家. 100(SO6). :・i:・:;6ii O:1:;ii∵1i;i. :・:iiiiO.’:. ・:…i;i2.,5雛19……;. 74.2 74.4 79. O. ……:・’. i:iiii:σii. あ. 図1 家の近く(歩いて15分以内)にある遊び場(6). 一 7 一. Ui.層.
(12) 表1 学校が終わってから普段遊ぶ場所(7). 総. 男. 数. 1 自分の家 2 友人の家. 79.8. 3 学校の校庭・体育館. 17.4 16.7 14.3 11.5 11.4 10.5. 4 公. (906). 56. 1. 園. 5 本屋・レコード店 6 近くの空き地. 7 商店街・デパート 8 車のあまり通らない道路. 9 山・川・海岸・湖。池. 77.9 59.5 18.7 18.7 17.0 15.2. 81.8 52.5 16.1 14.6 11.4. 9.5. 13.5. 11.9. 9.1 1.9 3.5 2.2 2.5 0.5 2.8 2.2. 4.4 3.0 2.7 2.6 2.4 2.7 1.7. 10 図書館・博物館. 11神社・寺 12児童館・児童センター. 13 ゲームセンター 14 そ の 他. 特になし. 女. 7.5. 6.8 2.6 3.1 2.8 4.1 2.6 1.3. 50. o. 100 (SO}6). 数え下れないほおある 何回かある 1∼2回ある 1回もない el. 4. 全体.. 3e. 5. 6. 91gl. 2. 2.2 、. 男子. ド ♂ ’♂’. 、. 女子. 4年t 6年. マ$.6. 、. 18.4. 莞. 、. 0. 8. 、. ’43;2. 43.2. 畢マ. 11.8. 1.8. 36. 8 18. 5 l!p2. 0. 27.0 16.OI UI. O. ’66. 0. 図2 テレビゲームで遊んだ経験(8). 8.
(13) テレビゲームの普及が児童の遊びのスタイルを変容せしめ、家の中に閉じ こもる原因の一つとなっていることは、図2によってある程度推察できよう。. これは昭和63年に東京都生活文化局が小学4・6年生の男女!424名を 対象に行った「大都市青少年のニューメディアとのかかわりに関する調査」 によるものであるが、この調査結果からもテレゼゲーム等のニューメディ、ア. が児童の生活の中に大きく根差してきていることが分かる。. 更に、児童の自然離れの原因として「自由時間の減少」も挙げておきたい。. 下表は昭和61年に文部省大臣官房調査統計企画課が行った「児童・生徒の 学校外学習活動に関する実態調査」によるものであるが、この調査結果から 何らかの稽古事を習う児童が小学校全学年ともに過半数を占めていることが. 分かる。また、昭和51年と昭和60年の比較から、稽古事を習う児童数が 年々増加していることも分かる。現代の子供達は、放課後と言えども稽古事 に忙しく、自由時間が少ないという現状がこの調査結果から推察できるので ある。. 表2 学年別「けいこごと」学習者の比率(9). (%). 1学年. 2学年. 3学年. 4学年. 5学年. 6学年. 合計. 51.6. 60.5. 70.3. 70.4. 66.5. 57.4. 62.8. U0.1. U9.1. V6.8. V8.0. V3.9. U5.7. V0.0. j60. 41.1. 51.9. 63.3. 62.5. 57.5. 45.4. 53.6. T1.0. U2.3. V0.6. V2.0. U5.7. T5.9. U3.0. 51. 62.6. 69.5. 77.8. 78.2. 76.5. 69.8. 72.4. U9.6. V6.2. W3.4. W4.4. W2.6. V6.0. V8.8. 昭和51年. ㈹v6。 51. 翌U。. (注)「けいこごと」を習う者とは、習字、そろばん、ピアノなどの音楽関係、舞踊、絵画などの美衛関係、外国語会話、水泳などの体育スポーツ関係等. のうち、1種目以上を習う者をいう。. 9.
(14) この様に本章では、現代の子供達の変容に関する研究者の指摘についての 幾つかの記述を挙げ、自然科学の教育に関する問題の所在を明確にしてきた。 即ち、今日の科学技術の進歩と経済の発展は物質的な豊かさを生むと同時に、. 情報化、都市化、価値観の多様化、少子化、核家族化…など社会の各方面に 大きな変化をもたらすに至った。そして、e・・れらの社会の変化は、遊び場の. 減少、テレビゲームの普及、自由時間の減少…など子供達の生活にも変化を もたらした。その結果として、現代の子供達は一昔前の子供達と較べて次の 点で急激な変容を来していることが明らかになった。. ①自然と直接的に関わる経験の減少 ②探求的な能力の低下. ③自然を愛好する心情の稀薄化. ところで、本来これらの基礎的な教育に関する問題の多くは、家庭や地域 に於ける教育により解決すべき内容である。しかし、核家族化や都市化など の原因により、これらの教育主体の教育力の低下が指摘されている現状では、 学校教育がその任に当らざるを得ない状況にある“o)。この様な時代的要請. を受け学校教育は従前の教育目的や教育内容の範囲を再検討し、より大きな 視野での位置付けを行う必要に迫られている。. 本研究では、上述の様な子供達の抱える今日的課題を克服する試みとして 学校教育が何を為せるのか、また何を為すべきなのか、次頁の内容を中心に 明らかにしていく。. 一 10 一.
(15) 本研究の目的 ・①直接休験の不足②探求能力の低下 ③自然愛好の念の稀薄化 といった子供達の抱える今日的課題を克服する為に、自然科学の. 教育が何を為すことができるのか、また何を為すべきなのか、を 明らかにする。. ・科学者の養成を目的とするのではない、真に国民一人ひとりが豊. かな人生を送る為の自然科学の教育のあるべき姿はどの様なもの であるのかを明らかにする。. ・低学年の発達的特徴と、その時期に必要とされる自然科学の教育 はいかなるものであるのかを明らかにする。. 以上の問題を追求することにより、次の様な教育的意義が期待できる。. ・生涯を通して自然との関わりを深め、科学的に思考する人間の育. 成を期した教育の理論体系を構築することにより、子供達の自然 離れの現状を改善する手立てが得られる。. ・自然科学の教育目的に、生涯理科という新たな視座を与えること ができる。. ・低学年教育の特殊性・独自性が証明される。. 11.
(16) 油皿無教育史に於ける低学漆科の変遷. 低学年の児童に自然科学を教えることは、本当に必要なのであろうか? 低学年の児童に自然科学を教えることは、本当に可能なのであろうか?. そんな素朴な疑問が明治の学制頒布から平成の生活科新設に至るまで繰り 返し問われ続けてきた。そこには理科と言う教科が何を教え、何を育てよう としているのか、という教科の本質に関わる問題が見え隠れしているように 思われる。そこで、以下では日本に於ける理科教育の変遷を調べ、低学年で 自然科学がどの様に扱われてきたのか検討する。. 「日本に於ける理科教育は明治期に始まる。」と断言すれば、必ず幾つかの. 反論が予想される。確かに江戸末期には幾つかの蘭学塾や藩校に於いて医学 や天文学が教授されていた。しかし、これは一般国民を対象にした教育では なく、その意味から今日で言う理科教育とは趣の異なるものであったく11)。. 従って、本当の意味での理科教育の誕生は、明治初期の廃藩置県、文部省 の創設、学制頒布…等の一連の政策により全国統一の学校教育制度が確立し、. 身分・職業・性別に関わりなく全ての国民に教育を受ける権利が認められる. 一 12 一.
(17) ようになってからであると考えられる。そこで明治以前についてはここでは 割愛し、近代学校教育制度が確立した学制頒布より論を進める。. 明治5年(1872)8月の学制のク素描に伴って小学教則が公表され、教育課程. の大綱が規定された。これにより尋常小学校は6才からの4年間を下等小学、 さらにその先の4年間を上等小学として定められた。. 表3 学制時代の理学教授課程表(小学教則による)〈12). 下 等 小 学. 学年 級. 養生口授. 1. 8 7. 2. 上 等 小 学 4. 3. 6 5 2. 4 3 2 2 2. 究理学輪講. 博物 化学. 1. 2. 4. 3. 2 1. 8 7. 6 5. 4 3. 2 1. 4 6. 6 6. 6 4. 2 2 4 2. 2 2 2 1. 4. 生 理. 2 2 2 1. 尋常小学校での理科に関する学科としては、表3のように『養生口授』が. 下等小学の2年5級から、『究理学輪講』は下等小学3年3級から、『博物』 『化学』 『生物』はいずれも上等小学の3年以降から学習するようになって. いる。このうち下等小学2年後期から行われる『養生ロ授』とは、養生法、 健全学などの保健的な内容をロ述するものであり、自然科学的内容とは言い. 難いものであった。しかも、その養生[1授でさえ明治13年(1880)12月の 改正教育令では廃止されることになる。それでは、何故『養生ロ授』は廃止 されたのであろうか? その理由を明記したものは見当たらないが、当時の 教科書採択の事情と授業形態にその原因があるのではないかと推測する。. 一 13 一.
(18) まず教科書採択の事情による原因というのは、明治4年9月に創設された ばかりの文部省には、児童の発達段階や教科の特性を考慮した教科書を作成 するだけの時間的な余裕がなかった’というものである。従って、翌年8月の. 学制頒布に於いては、応急的な面向として当時すでに出版されていた多数の 教科書や啓蒙書の中から適当なものを選定し、 「小学教則」の中で指示する. という方法をとっている。『養i生細疵』を例にとれば「養生法、健全止血ヲ 用イテ教師縷々口述シ」(13》という記述がある。養生法、健全学というのが. 書籍、即ち教科書の名称である。このように、学制期の教科書はその多くが 応急的措置として採択された言わば『借り物』であり、児童の発達や教科の 特性を考慮して作成されたものでないが為に、児童の実態にそぐわなかった のであろうということは容易に推察できる。. もう一つの原因である授業形態と言うのは、学制当時の教授法が寺子屋式 教育の延長として注入的であり、記憶的教授法、素読式教授法をとっていた ということであるく14》。 素読・独見・口述・筆記・暗記…等の教授方法は. 知識体系を注入する手段であり、児童の興味・関心や生活経験・生活環境を 考慮した手段であるとは言い難い。このような教授方法が採られた背景には 近代化を急ぐ明治政府が、富国強兵・殖産興業あ基盤を教育に求めたことや 近世の封建的家督制度から立身出世や職業選択の自由が認められる四民平等 の時代となり、国民の間に功利主義が蔓延したという社会情勢があったので あろう。やがて効率的な教授方法を求ある時代的風潮にのり、米国より東京 師範学校に招かれたスコット(M.M. Scott)が紹介した一斉教授法が全国的に. 普及していく。このように科学知識の伝達を目的とする記憶中心学習として 確立していった明治期の教授方法が、低学年の児童にとり難解で窮屈なもの であったことは無理からぬことであろう。. 一 14 一.
(19) 結. 低学年に於ける自然科学の学習は困難. 論. 低学年児童の実態に対応していない. 原 因. 教科書の採択事情. 教授形態の事情. 新たに製作する時間的 余裕がなく応急的措置 として翻訳本等を指定。. 寺子屋式教授法や一斉 教授法による一方的な 知識注入の教授方法。. 背・創設間もない文部省 ・伝統的に注入主義の ・伝統的に理科という. 教授形態。. 景教科の概念が無い為・効率を求める国民や 教科書が未整備。. 国家の情勢。. 図3 明治初期に於ける養生口授廃止の原因・背景. 前述のように明治初期の『養生ロ授』は、教材と教授方法に児童の実態や 発達段階に対する考慮が欠けた為に短命に終わったのであろうと推察される。. さて、明治13年の教育令改正に伴い養生口授が廃止されると、それより 昭和16年に至るまで、低学年では教科としての自然科学は存在しなくなる。. 例えば、第1次(明治19年)から第3次(明治33年)までの小学校令に 於いては、尋常小学校の教科は修身、読書、作文、習字、算術、体操であり、 理科教材は『読書』の中に含まれている“5)。そして、この読書で扱われる. 理科教材には事物の直観が取り入れられてはいたが、これは文章を理解する ための補助的手段であり、純粋な自然科学の学習の為に行われていたもので はない。. 一 15 一.
(20) このように明治期から大正期にかけては、低学年の自然科学の教育にとり 絶望的な時期であったように見受けられる。しかし、下表から分かるように、. 自然科学の教育側本は教科として着実に地歩を固めており、来るべき低学年 理科の誕生に向けての胎動を開始しはじめていることを見逃してはならない・ 表4 教育法令の改正に伴う『理科』の発展. 教育法令の改正. 内. 明治13年(1880)12月. 容. 理科の発展. 『物理』『博物』め学習が中等科1年. 学習開始時期. @ 教育令改正. ゥら行われるようになる。. フ低学年化. 明治19年(1886)朋. 従来の自然科学関係の教科を統合して. 教科名. 謔P次小学校令公布 Vたに『理科』が設けられる。. w理科』誕生. 明治40年(1907)3月. 義務教育年限の延長により義務教育の. 理科の. 謔S次小学校令公布. ?ナ初めて理科が行われるようになる。. @義務教育化. 大正81F(1919)31】. これまでより1年早い尋常小学校第4. 学習開始時期. mト学校令施行規則改正. w年から理科が実施されるようになる。. フ低学年化. また、低学年理科の誕生に向けての胎動は、教育法令の改正に伴う理科の 発展からのみではなく、教育理論・教授方法の発展と言う視点からも捉らえ ることができる。. 表5 教育理論の導入とその紹介者(16)(17)(18). 紹介年. 紹介者. 教育理論. 明治11年 ペス下戸ッチ開発教授法 明治13年 スペンサー実利主義的教育論 明治20年 ヘルバルト5段階教授法 明治34年 ユンゲ生活共存体説. 伊沢修二・高嶺秀夫 尺振八 ハウスクネヒト(Haus㎞echt, E). 棚橋源太郎. 大正 2年. アームストロング発見的教授法. 棚橋源太郎. 大正 8年. ベイリー自然科. 山本源之丞. 16.
(21) 表5から分かるように、明治期から昭和初期にかけて海外から多種多様な 教育理論・教授方法が導入されている。それらは文部省に招聰されたマレー (David Murray、1830∼1905)、東京師範学校に招聰されたスコット(M. M. Scott. 1843∼1922)、それに東京大学に招聴されたハウスクネヒト(Emil Ilausknecht. 1853∼1927)などの外国人によって紹介されたり、伊沢修二、高嶺秀夫、神津. 専三郎、棚橋源太郎など欧米への留学経験者が持ち帰ったりしたものである。. それらは導入の過程こそ違いがあるが、導入後は師範学校卒の教師を中心に 日本風に解釈・改良され、全国的に普及していった。こうして明治初期には 知識注入型の稚拙であった日本の教育理論・教授方法は、欧米の最新の理論 を吸収することで短期間のうちに進歩・発展していった。そして、これらの’. 教育理論・教授方法の進歩により、功利主義であった教育に対する考え方も 次第に人間教育という視点へと転換が図られるようになっていったのである。. このように、低学年の自然科学の教育そのものにとっては悲観的な明治期 も、理科教育に関する教育法規が整備されてきたことや教育理論・教授方法 が進歩してきたことから、低学年の自然科学の教育の誕生に向けての胎動期 であると考えることができる。. 低学年の児童に自然科学を教えることが可能か否か、という疑問に対して. 明治初期の文部省や教師の出した答えは「NO」であった。その結果として 低学年の自然科学関係の教科である『養生口授』は僅か8年の短命に終わる。. 一 17 一.
(22) しかし、その原因を考えるならば、そこには教育理論や教授方法の未熟さが 存在した訳であり、低学年児童についての発達観や教授方法の研究が進めば その答えは自から異なったものになるであろう。. さて、明治後期から大正デモクラシーを経て昭和初期に至るまでの期間は 低学年の自然科学の教育にとり最も輝かしい時代であると言える。何故なら この時期に国内外でいくつかの動きが連動して大きなうねりとなり、低学年 理科の設置要求として具現化されたからである。自然科学を低学年で教える ことの可能性に対し、肯定的な意見が沸き上がってきたのである。. 以下では、低学年理科の設置に影響を与えた4っの動きについて述べる。. 1.科学教育重視の動き. 大正8年(1919)3Jl小学校令施行規則の改正. 第1次世界大戦は、戦争における科学技術の果たす役割を見せつけると ともに、わが国が海外に頼っていた物資を困窮に陥らせ、科学技術とその 教育の振興の必要を痛感させた。帝国臨時議会は大正6年に、師範学校・ 中学校の物理と化学の生徒実験のための設備に国庫補助をすることを議決. し、これを受けて文部省は翌7年に「中学校物理及化学生徒実験要目」を. 定め、さらに翌8年に小学校施行規則を改正し、これまでよりも1年早い 尋常小学校第4学年から理科を実施することにした(19》。即ち、自然科学. の重要性が戦争を契機として認識され、科学教育が重視されることにより 教材が増加し、教材の爆発による時間確保という量的な要請が低学年に於 ける理科教育への要請として具現化する、というのが第1の動きである。. 一 18 一.
(23) 2.新教育理論輸入の動き. 大正13年(1924)パーカースト女史(皿elen Parkhurst 1887∼1913)来朝 噛2Sf・(1927)キルパトリック(Kilpatrick, W. H 1871∼1965)来朝 昭和6S『(1931)ウォッシュバーン(Washburne, C 1889∼ )来朝(20). 大正デモクラシーの時代は教育界も活況を呈し、私立学校や付属小学校 などを中心に、ドルトン・プラン、プロジェクト・メソッド、ウィネトカ プラン、合科…などの新しい教育方法が試行された。これらの教育思潮は ペスタロッチやデューイの教育原理の流れをくむものであり、学ぶ子ども の必要と興味とを中心に据えた実物教育を主張するものであった。これは 既存の理科教育の方法や内容に対して改革への揺さぶりをかけるとともに 低学年に於ける実物・直観主義教育の重要性を認識させる好機となった。. この教育思想に基づく実践研究は着々と成果をあげ、新教育の効果を実証 していった。そして、自然を直観的かっ合理的に学習させようとする理科 指導の精神が普及するなかで、これらの低学年理科の研究や試行は低学年 理科の設置への動きとなり、大正から昭和初期にかけて全国的に広がって いった。即ち、大正期に一度に流入してきた新教育思潮が質的側面からの. 要請として低学年理科設置運動を引き起こした、というのが第2の動きで ある。. 3.理科教育研究会の動き. 大正4年(1915)10月 第1回全国小学校訓導理科協議会. 一 19 一.
(24) 大正7駅1918)1Ji理科教育研究会設立 大正8Sf・(1919)5Jl第1回理科教育研究大会 珊和3年(1928)5J】第8匝1理科教育研究大会. 初等教育研究会が主催し、東京高等師範付属小学校に於いて開催された. 第1回全国小学校訓導理科協議会では、重要問題についてはそれぞれ特に 委員を選んで討議を付託し、全体会で報告を受け討議するという議事運営 を行ったが、第一に委員会付託になった問題は理科の基礎教授についてで あった。そして、この問題は建議案としてまとめられ、低学年理科の設置. 要求という形で文部省に提出された(2D。 また、大正7年には理科教育 研究会も設立され、翌年に行われた研究大会では討議題として「小学校に. 湿て初学年より自然科を課する法案」を取り上げ、小学校1年生から理科 を学習させるべきだとする建議案を文部省に提出した。そこでは具体的な 教材の配当表を付して低学年に「自然科」を課するように主張している。. さらに第8回大会では、文部省の諮問案として「初学年に於ける最も適切 なる自然科の教材選択面取扱い法如何」(22)が交付された。この諮問案を. 受け研究大会で討議し委員会で建議書を作成して文部大臣に提出している。 この建議書には、 「尋常小学校第1学年ヨリ自然科ヲ課スル様小学校令ヲ 改正セラレタキコト」(23}と明記されている。以後、各方面から繰り返し. 低学年の理科設置に関する建議書が出されることになる。. このように、大正期には理科の教育研究会が相次いで誕生し、その教育 研究会での討議題として低学年理科の設置が取り上げられるようになった、 というのが第3の動きである。. 20.
(25) 4.現場実践の動き. ここまでで取り上げてきた科学教育重視の動き、新教育理論輸入の動き、 理科教育研究会設立の動きに伴い現場の実践も盛んになってくる。例えば、. 東京高等師範学校付属小学校では明治33.年より文部省の許可を得て実科 (地理・歴史・理科を取り扱う独立の教科)を課していたし、奈良女子高等. 師範学校付属小学校では大正9年から合科教授を取り入れた低学年の授業 を試行している。また東京成険学園等の私立小学校でも直観科、自然科等. の名称で実践を行っている(24)。昭和4年に全国の付属小学校100校を 調査したところ、その内75校が観察科、郷土科、直観科、自然科、理科、 総合科、合科など名称はまちまちであるが低学年に於ける自然科学の学習 を実施している(25)。 そして、昭和10年代には多くの公立小学校でも 実践されるようになった。このように、一部の進歩的な教師によって強く 求められていた低学年理科もU寺代が進むにつれてより多くの学校で実践さ. れるようになり、昭和になると現場に根付いた底辺からの動きとして社会 に認知されるようになってきた。 表6 低学年理科に関する著述(26). 発行年. 著者. 書. 名. 大正9年4月. 由良禧三. 初学年児童の自然に対する研究. 大正12年4月. 諸見里朝賢. 低学年理科教授の理想と実際. 大正13年胡. 岡野太郎. 余が試みたる直観科の実際. 昭和4年3月. 栗山重. (自然的研究を尊重したる)自然科指導の実際. 昭和6年4月. 橋本為次. (調印までの)理科教育. 昭和6年7月. 初等教育研究会. (教育研究臨時増刊)理科と直観科. 昭和6年12月. 松原惟一. 郷土中心低学年の自然研究. 21.
(26) また、表4に示すように低学年理科に関する著述が多数出版されるよう になり、 『理学界』 『理科教育』などの雑誌にも低学年の理科指導が取り 上げられるようになった(27)。. 上述のように、明治後期から昭和初期にかけては、科学教育重視の動き、 新教育理論輸入の動き、理科教育研究会設立の動き、先行的現場実践の動き、. という4つの動きが活発になり、各々が連動して大きなうねりとなり低学年 理科の設置運動を形成していった。小学校低学年に於ける自然科学の学習が 高等理科教育の従属物としてではなく、それ自体に価値あるものとして論じ られるようになったことは意義深いことである。また、その必要性が社会的 に認知されるようになったことも有意義である。. 明治後期から昭和初期に かけては、4っの動きに よって低学年理科の設置 要求が出されるが、その 根底にある目的 方法には異質な ものが混在して. 低学年理科設置要求. いる。. 科学教育引明. 新教育理論輸入. 酬教育研究会. 先行的現場実践. 基礎教授=←→直観・探求←→合科 図4 低学年理科設置に向けての4っの動きと目的・方法の差異. 22.
(27) しかし、今少し内容を吟味するならば、この低学年理科誕生前夜の動きを 十把一回に論ずることが早計であることが分かる。何故なら、この低学年の 理科設置運動には、相反する異質な目的・方法が混在しているからである。. 例えば、理科の基礎教授を望む声は科学教育重視の立場から知識体系を早期 に教えることを目的とした。それに対し、合科を望む声は教科より領域的な 扱いが適するという低学年の発達特性を考慮する視座に立脚するものであり、 また直観科を望む声はペスタロッチの思想を根底に置くものである。. この様に、同じ低学年理科の設置運動を推進する立場にありながら、その 根底にある目的や方法はかくも雑多なものなのである。. 満州事変、上海事変、5.15事件、2.26事件…と日本が戦争の泥沼へと突入. していくのに伴い、第4期国定教科書(いわゆる『サクラ読本』)のように 戦争を美化し正当化する動きが教育界にまで及んでくる。このような日本に 於けるファシズムの拾頭と世界大戦への突入という暗黒の時代に低学年理科. は産声をあげた。即ち、昭和13年の教育審議会答申の中に「理数科ハ第三 学年以下二在リテハ自然界ノ事物現象ノ観察トスルコト」(28》という記述が あり、この答申を受けて国民学校令が交付され、 『自然の観察』という名称 で初めての低学年理科が誕生したのである。. このように『自然の観察』は、ファシズム体制下に於ける戦争遂行に必要 な教育改革の一翼を担うものとして誕生した教科であるが(29》、その理念は. 一 23 一.
(28) 現代に於いても十分通用する高逼な精神に貫かれている。当時、東大理学部 から図書監修官として文部省に入り、低学年理科教師用書『自然の観察』を 作成した岡現次郎は次の様に述懐している。. 「 低学年理科においては児童用の教科書を作らないで、教師用書だけで. やることにした。この教師用書の書名を「自然の観察」と名付けたので ある。この本の表紙には理科とは記さないで、簡単に「自然の観察」と だけ大書しその下に小さく教師用と入れるに止めた。これまでなかった 低学の理科を始めておくのであるから、従来の理科を低学年でやるのだ と早合点されるのを隣ぎたい意図もあって、こうしたのである。その後、 国民学校の現場の時間表を見ると、低学年では「理科」と書かないで、 「自然の観察」と記し七いるのがほとんど全部であった。中には低学年の. 科目の名称が「自然の観察」だと思いこんでいる人さえあったほどであ る。 「自然の観察」教師用を編集するにあたって、英米など外国の本は. 一冊も参考にしなかった。国内のリーダー格教師が試みていた低学年の 理科はできるだけ調査してみた。題材として参考になるものがたくさん あったが、教育の根本方針が既成の自然科学を教えることに尽きている 観があってこの点で食い足りなかった。既成の自然科学を教えるつもり でいる\人の中には安直な合理主義のつめこみで満足しているものもあっ. た。わたくしたちはこどもの年齢に応じて、豊かな情操をもちながら、. 自然の事物や現象を正しく見たり、考えたり、扱ったりする能力、態度 を養いたかった。」(30). 24.
(29) 岡も述べている通り、 『自然の観察』は従前の理科教育内容の早期学習化. を意図したものではなく、自然科学の学習を人間形成の中で捉らえるという 独自の理念に基づき作成されている。その中でも、特に児童の発達観を踏ま えた低学年教育の在り方の考察には目を見張るものがある。. (1)児童は,就學以前から自然に興味をもってみる。自然の中で自然と. 共に遊び,自然に驚異を感じ,自然から色々なことを學びながら纒験 を積み,生命を嚢展させてるる。又,機械・器具の利用されそみる現 代に生活してみる鬼童は,これ等に接して纏験を重ね,殊に舟や車や 飛行機などに興味をもち,色々な玩具をもてあそび,これ等から色々 なことを學び,又,工夫する態度も養はれて來ているのである。この やうな嚢達過程にある見童を學校に於て指導するには,その過程に1順. 志すべきはいふまでもないところであって,これに面して何等の考慮 を佛はないときは,見童の自然物・製作物に封ずる興味の爽達を中断 することとなり,將来の嚢展の支障となるのである。即ち,低學年に 於て,このやうな指導をすることは,寧ろ當然のことといはなくては ならない。 (2)理科指導の目的を達成するには,自然に親しみ,自然を愛好し,自. 然に驚異の眼をみはる心が養はれなくてはならない。又,自然のあり のままの姿を素直につかまなくてはならない。かやうな修練は,主客 の未分化な時期に於ける指導が極めて重要な意義をもつものである。 知情意一一膿となって封象にはたらきかけるには,この時期の學習を疎 かにしては,殆ど不可能といってよい。生命愛育の念も,理知の働き の嚢達が著しい時期よりも前に,その基礎が養はれなくてはならない。. 一 25 一.
(30) 生活を秩序正しくし,科學的に慮理する躾も,この時期を逸しては, 身につけることが容易ではない。. 一『自然の観察』旧説 指導の精神より(3”一. 前述のように、 r自然の観察』は我が国の教育が軍国主義化・国家主葬化. していく国民学校時代に生まれたにもかかわらず、その理念は高逼なもので あった。しかし、この優れた低学年理科の先達も、戦時下と言う状況の中で ほとんど実施されることなく終戦を迎えることになる。そして、敗戦直後の. ll召和20年9月20日、文部省はG月Q(General Ileadquarters)の具体的な 指導を受けるよりも前に、自主的な改革として墨塗り教科書で知られる通牒i 『終戦二伴フ教科用図書取扱イ方二関スル件』(32)を発令した。これにより. 一切の教師用書が使用禁止となり、『自然の観察』はその本領を発揮する間 もなく廃止を余儀なくされた。. :ン教:育1自:ll紅1… 人間形成という視座に立つ教育観. ・:. 焔ウ:賛i滋:灘ナ・・児童の発達段階を考慮した教育方法. 合科的指導 初等科1・2学年に於いては理科・算数を合科的に扱う. 生活中心教育の基盤を学問体系にではなく児童の日常生活に置く 直観的学習 身の回りの事象を全体的・直観的に把握させる. 教科書児童川教科書を作成せず教室内での机上学習を回避する 校外の自然の中での直接的な体験活動を重視する 体験的活動. 図5. 『自然の観察』の優れた特徴. 26.
(31) 前節まで、明治の学制頒布から昭和⊥6年忌『自然の観察』の誕生に至る までの教育史に於ける低学年理科の変遷を辿ってきた。そして、明治初期の 養生口授の例からは、学問体系の伝達を主目的とする指導方略では低学年の 教育は成立し得ないことが明らかになった。また、大正期の低学年理科特設 運動からは、主客の未分化な低学年の時期に、それ以降の発達段階では置換 出来ない教育を施す必要があることが明らかになった。本節では\前節まで とは論の進め方を変え、戦後の低学年理科の変遷を『教育理論の振り子現象』 という視点から捉らえてみる。. 理科教育史を振り返ってみると、我が国の教育思潮は、実質陶冶(知識の 習得を主とする内容的学習)と形式陶冶(能力の育成を主とする形式的学習) という相反する目的の間でふりこの様に振動を繰り返してきたことに気付く。 例えば、明治期は教育に対する功利主義的な要求が強かった為に知識偏重の・. 実質陶冶の教育が行われ、大正デモクラシーの時代になると新教育理論導入 により形式陶冶へと移行していく。さらに昭和初期は戦争遂行の目的の為に 再び実質陶冶の方向に振れ、戦後は新教育運動によって再々度形式陶冶へと 揺り戻される。この様に、教育理論は時代の流れの中で実質陶冶と形式陶冶 の間を揺れ動くという傾向を持っている。この『教育理論の振り子現象』は、. 理科教育の理論が弁証法的に発展し、現場の教育実践も教育理論を追従する ように『正・反・合』の発展を繰り返してきたことを示唆している。. この様な『教育理論の振り子現象』は、以下の教科書記載教材数の推移の 分析によっても裏付ける事ができる。. 一 27 一.
(32) 低学年理科教科書に於ける記載教材数の分析. 1.調査目的 戦後の低学年理科教科書に於ける記載教材数の推移を調査すること により、教育理論は時代の流れの中で実質陶冶と形式陶冶の聞を揺れ 動いていることを明らかにする。. 2.調査対象 調査対象とした低学年理科教科書は下表の通りである。. 表7 調査対象 啓林館. 『しょうがく しんりか 1ねん』 内藤卯三郎. 編昭和37年(33). 啓林館. 『小がく しんりか 2ねん』. 編昭和38年(34》. 啓林館. 『しょうがく しんりか 1ねん』 内藤卯三郎. 編昭和40年(35). 啓林館. 『小がく しんりか 2ねん』. 編昭和40年(36》. 啓林館. 『りか1』. 永田 義夫. 編昭和48年(37》. 啓林館. 『りか2』. 永田 義夫. 編昭和48年(38). 啓林館. 『りか1』. 永田 義夫・大木道則. 編昭和53年(39》. 啓林館. 『りか2』. 永田 義夫・大木道則. 編昭和53年(40). 啓林館. 『りか1ねん』. 大木道則 ほか21名. 著昭和58年(4D. 啓林館. 『りか2ねん』. 大木道則 ほか21名. 著昭和58年(42}. 啓林館. 『りか1ねん』. 大木道則 ほか29名. 著昭和63年(43). 啓林館. 『りか2ねん』. 大木道則 ほか29名. 著昭和63年(州. 内藤卯三郎. 内藤卯三郎. 児童用教科書には、学習指導要領改訂に伴う9年ごとの大改訂と3年ごと の小改訂とがある。今回調査対象とした低学年理科教科書は、図6のように 3回の大改訂の周期から均等になるよう2箇所ずつ取り上げた。. 一 28 一.
(33) 【西暦】 1965 【ロ召禾口】 40. 1970. 1975. 1980. 1985. 45. 50. 55. 60. LLLLLLLLLL−LJA−LLL」XLLLLLLuLL. rk k rk x” k rk. S. 36−9 S. 46−8 S. 55・N・7 小学新理科(内藤卯三郎ほか). 理科(永田義夫ほか). 理科(大木道則ほか). S. 40r−2 S. 49’”1 S. 58NO 改訂小学新理科(内藤卯三郎ほか). 改訂理科!(永阻義夫ほか). 改訂理科(大木道則ほか). S. 43・v5 S. 52r−4 S. 61−3 再訂小学新理科(内藤卯三郎ほか). 新訂理科(永田義夫ほか). 新訂理科(大木道則ほか). 図6 理科教科書の改訂時期と調査対象の関係(45). 3.調査方法 低学年児童用理科教科書の本文や挿絵などに記載された教材の名称 を逐一書き上げ、その種類数を累計する。. 4.調査結果 表8一①低学年理科教科書記載教材数の変遷(第1学年) (小文字は名称が明記されておらず、絵図などから判別できるもの) 昭和37年. 第1学年. 昭和40年. 昭和48年. 昭和53年. 昭和58年. [林館 [林館 [林館 [林館 [林館 [林館. 190. 405 114. 482 186. 359. 126. 47. 36. 110. @ 噸類. 01. 10. 11. Ol. 01. @. 21. 90 Oo. 12 Oo. 03 Oo 32 Oo Oo. 05 Oo 02 Oo 12. 植物教材 動物教材. 鳥類. @ 両棲類. 0(). @. 4〔}. 15. 14. 0〔〕. Oo. !〔,. 52. 71. Oo. 魚類. @ 蝕類 @. 虫. 昭和63年. 29. 220 130 20 3〔〕. Oo 10 0〔}. 70.
(34) 表8一② 低学年理科教科書記載教材数の変遷(第2学年) (小文字は名称が明記されておらず、絵図などから判別できるもの). 昭和40年. 昭和38年. 昭和53年. 昭和48年. 昭和63年. 昭和58年. 第2学年. [林館 [林館 [林館 [林館 [林館 [林館 70 19(, 60 110 49(, 植物教材 410. 330. 434. 600. 460. 110. 250. @ 哺鞭. Oo. Oo. Oo. Oo. @. OQ. Oo Oo. Oo. Oo 40 10. 20. 20. 10. 1(,. 160. 172. 160. 170. 10. 80. Oo. 0(⊃. Oo. Oo. Oo. ,Oo. 170. 212. 420. 270. 90. 160. 動物教材. 鳥類. @ 両棲類 @. 魚類. @ 爬蝋 @. (種). 虫. Oo. ’ 0〔〕. 第1学年 植物 _.、.___第1学年 動物. Oo. 第2学年 植物. _,._._,,_,第2学年 動物. U0 ー一一… r……一丁一…一一;ギこ一一…「……∫…一…丁…一一 T5 50 ツ乙一1…一一さk一ヰー…ふ一一一一一 S5 40 35 R0 、 Q5 鼈黶Q {一一__…一_...4._._馴_一L−L一..._.i.一_一 Q0 、 i ! P5 黹Wプ飯一・一一・一一琶/一☆… P0 隔 ォ…一事一二\嶺』二こ二二二二紅ここニー1∫ノご一一‡…一一 @5 鼈黶 鼈鼈鼈鼈鼈黹. ’. q. 鼈黷. 一圭/÷一一三…一一一一一孕キ…‡一一‡一一一一一. @. @. 0. 、. 」. 、. 、. 、. 昭和37年. ・. 昭和40年. 螺麟雛. 昭和48年. 昭和53年. 昭和58年. 昭和43年版学習指鞭領. 昭和63年 (年度). ;……li:纏難ii難乙;:り::. サ代化理科. 図7 植物・動物の教材数の推移と指導要領の特徴. 30.
(35) 5.考 察 表8一①、②及び図7を見て分かるように、教科書記載の教材数は 学習指導要領の改訂の度に増減を繰り返している。このことは、その 時代々々の教育理論が、科学の学問体系の知識伝達に重きを置いたか 否かの判断材料を提供するものであり、教育理論が時代の流れの中で 実質陶冶と形式陶冶の間を揺れ動くという『振り子現象』を裏付ける ものである。. 明治期功利蟻的教醐. 新糖翻大正期 S.16 『自然の観察』. 生活単元学習S.22. S,33系統化 現代化S,43. 圃ゆとり嫉 H.元. 基礎基本. 生瀦. 形式陶冶, 講. 実酌冶. 図8 教育理論の振り子的変遷 形式陶冶・実質陶冶. 本節では、低学年理科教科書に記載された教材数の推移の分析を行うこと により、教育理論が時代の流れの中で実質陶冶と形式陶冶の間を揺れ動いて いることを明らかにした。. 一 31 一.
(36) 本章では、低学年理科の歴史的変遷を調べ、以下のことが明らかになった。. ①自然科学の教育が低学年に於いても可能であるということ 自然科学の教育は低学年に於いても可能である。但し、それには低学年 児童の発達特性を考慮したカリキュラム編成が為されるという前提を必要 とする。即ち、明治の学制時代の様な知識注入型のカリキュラム編成では 低学年児童の自然科学の学習は成立し得ないのである。低学年の発達特性 は、大正期の先行的実践研究が示す通り、専門的ではなく総合的・合科的 であり、抽象的ではなく具体的であり、演繹的でなく帰納的である。また、. 科学的価値体系を指向するよりも、児童の身近な自然環境を対象とする方 が発達特性に合致している。以上の様な発達特性を鑑みてカリキュラムを 編成するならば、低学年に於ける自然科学の教育は可能であると言える。. ②低学年に於いても自然科学の教育が必要であるということ 国民学校時代の低学年理科の教師用書『自然の観察』が述べている通り、. 自然に親しみ、自然を愛し、自然に驚異の眼をみはる心を養ったり、自然 のありのままの姿を素直に掴ませたりするには、主客の未分化な低学年の 時期に、知情意一体となった対象への働きかけをさせることが必要不可欠 だからである。また生命愛育の念も、理知的発達が顕著になる前に、その 基礎を養わなくてはならないからである。即ち、低学年の時期には、それ 以降では置換することの出来ない教育の意義が存在するのである。. 32.
(37) 第二章 生涯理科の提唱. これまで、現代の児童を取り巻く今日的課題と低学年理科の歴史的変遷に ついて述べてきた。そして、その中で以下の事が明らかになった。. ①児童そのものが変容しており、教育の在り方が問われていること 児童を取り巻く、家庭・社会・自然環境…等の変化に伴い、児童 そのものが変容している。特に、直接経験の不足、探求能力の低下、. 自然離れにその傾向は顕著であり、このような時代的要請に応じた 教育の在り方が問われている。. ②小学校低学年に於いて自然科学の教育が可能であること 既存の自然科学の体系の伝達的教授:は困難であるが、児童の発達. 特性を考慮したカリキュラムの編成と舜切な指導が為されると言う 前提条件下で小学校低学年に於いても自然科学の教育は可能である。. ③小学校低学年に於いて自然科学の教育が必要であること 小学校低学年と言う主客未分な発達段階には、その後の理知的な 発達段階では困難な直観的学習が可能である。従って、この時期に 知情意一体となった学習をさせることが肝要である。. 本章では、この様な低学年教育の問題点を踏まえ、本研究の中心的な概念 である『生涯理科』について提唱する。. 一 33 一.
(38) 教育の目的は一体何であろうか?. 子供をいかに陶冶し、いかなる人間に為さしめるのだろうか?. 『第ll章・4節・5』の中で、我が国の教育思潮が実質陶冶と形式陶冶と いう相反する目的の間で、振り子の様に揺れ動いてきたことについて述べた。. 教育理論は時代の流れの中でこのような目的論争を繰り返すことにより成立 してきた訳であるが、教育目的について論ずる際に、果たして形式陶冶とか 実質陶冶とかの論争だけで充分だと言えるのであろうか? 教育には時代の 流れに左右されることのない、普遍的かっ本質的な、より高次な目的がある のではなかろうか?. 以下では、 『生涯理科』を構想する前提条件として教育思想史と教育法規 を調べ、教育の根源的な目的について模索する。. 1.教育思想史の視点から. 教育思想史に登場する先人の言葉は、幾多の時代的変遷の中で淘汰を受け 生き残ったものであり、現代の教育に対しても多くの示唆を与えてくれるも のであろう。以下では、これら先人の書物の中から教育目的に関わる思想を 取り上げ、共通性を論い出しながら、より高次な目的に迫っていく。. 一 34 一.
(39) ①ルソー(Jean−Jaques, Rousseau 1712∼1778). ルソーは、18世紀フランスの代表的な啓蒙思想家であり、近代社会と 近代教育の思想的源流として、大きな影響を与えてきたことで著名である。. 彼の教育思想は、主観的自然主義に立脚じており、児童中心の直観教育を 主張している。そのようなルソーの教育に関する主著である『エミール』 には、以下の記述が見られる。. 自然の秩序においては、人間はすべて平等であって、その 共通の天職は人間という身分につくことである。この人間と いう天職のためによく教育された人であれば誰でも、何であ れ人間にとって必要なことをやってうまくできないというは ずはない。私の生徒が将来軍人になることになっていようと、. 僧侶あるいは弁護士になることになっていようと、そんなこ とは私にはちっとも問題ではない。自然は子どもが親の職業 を学ぶことよりも、まずもって人間としての生活を学ぶこと を要求している。生活すること、これこそ私が子どもに学ん でほしいと思っている仕事である。(n6》. このように、ルソーは人間の共通の天職は人間という身分につくことで あり、いかなる職業的・六宮的な教育よりも、まず人間としての教育が重 要であるということを説いている。即ち、合自然の人間形成こそが教育の 究極の目的であり、職業的・専門的な教育は単なる下位目標に過ぎないと いうことを示唆している。. 一 35 一.
(40) ②フレーベル(Friedrich Wilhelm Au g u s t, F r. O b e 11782∼1852). フレーベルは幼稚園(Kindergarten)を創設し、生涯を通して幼稚園教育. の整備と発展に尽力したドイツの教育実践家である。その著書には『母の 歌と愛撫の歌』『幼稚園の教育学』『カイルハウ小論文集』などがあるが、 主著『人間の教育』には以下の記述が見られる。. 学校とは、生徒自身の本質及び内部生命を生徒に認識させ、. 臼覚させようとして努力するところである。事物相互の内面的 な関係、人間、即ち生徒に対する事物の内面的な関係、万物の 生き生きとした根拠、万物の自明の統一、即ち神に対する万物 の内面的な関係を知らせ、自覚させるよう努力するところであ る。〈47). 精神のみが学校を学校たらしめ、教室を教室たらしめる。. 全く際限も知らず、常に新たな解体と分化の根拠を提起する ところの、既にそれ自身個別的なものを更に一層解体し、分化 することではなくて、あらゆる個別なるもののなかに生きてい る精神、即ち統一的精神に注意し、その精神を直観し認識する ことによって個別なるもの及び分割されたものを統一すること、 これこそ学校を学校たらしめるものである。多様なもの、種々. 雑多のものをそのままやたらに教え、伝授することが学校を学 校たらしめるものではなくて、万物の中にあって永遠に生命を もちつづける一者を明らかにすることこそ、学校を学校たらし めるものであるというこどを決して忘れないがいい。〈州. 一 36 一.
(41) フレーベルがこの著述の中で主張していることは、具体的な知識体系の 伝達それ自体が教育の目的ではなく、その底流にある精神の直観的な認識 こそが教育の唱的だということである。そして、この精神の直観的認識の 最も核心となる対象は自己の本質及び内部生命であると彼は述べている。. その意味から、教育の目的は人間が彼を取肱巻く世界との関係を認識する ことであると言えよう。. ③ベイリー(Liberty ilyde Bailey 1858−1954). ベイリーは、今世紀初頭に米国コーネル大学を中心に生じた自然科運動 の中心的指導者である。自然科(Nature−Study)とは自然の中での子供の. 自己活動を基本とした開発主義教育のことであり、実物教授や直観教授の 原理的な源をペスタロッチ主義教育に行い出すものである。彼はその主著 『自然学習の思想』の中で自然科の目的について以下のように述べている。. 自然を学ぶには、次の二つの目標のどちらかによるのである。. 即ち、人類の知識の量を増やす目的で新しい真理を発見する ためか、生徒の生活のよろこびを増す目的で彼の自然に対する 共感的な態度を育てるためかのどちらかである。前者は、専門 的に行われようが初歩的であろうが、科学を教える運動なので あり、その目指すところは、研究者・専門家を作ることなので ある。これに対し後者は自然学習であり、その目的は、すべて の人が、その職業のいかんをとわず、内容のより豊かな生活を し得るようにすることである。く49》. 一 37 一.
(42) ベイリーの主張する自然学習(Nature−Study). と科学を教える運動とを. 対比し、整理すると下表の様になる。 表9 ベイリーの自然学習と科学を教える運動の対比. 科学を教える運動. 自然学習(Nature−Study). 対象. 研究者・専門家. 職業の如何を問わず全ての人. 目 的. 人類の知識の量を増やす. 生徒の生活の喜びを増す. 目 標. 新しい真理の発見. 自然への共感的態度の育成. 人間像. 研究者・専門家の育成. 内容の豊かな生活のできる人. この表から分かるように、ベイリーは専門家を育成する教育と一般市民 の教育とを分けて考え、一般市民を対象とする普通教育に於いては豊かな 生活の実現にこそ教育の存在意義があると示唆している。このように国家 社会の教育目的と国民一人ひとりの教育目的とを分離して考察することは 教育の主体を考える上で意味のあることであろう。. ④クレイグ(Gerald S, Crajg l893∼). クレイグは、ベイリー同様20世紀初頭の自然科運動の中心的指導者で ある。当時、米国の自然科運動の中心はコーネル大学とコロンビア大学に あったが、クレイグはコロンビア大学での指導的立場にある教授であった。 一 38 一.
(43) 人間はやすむことなく新しい発見をなし、古い知識を新しく していくものである。従って現代においては、絶対的に正確な、. 実相をつかむことは難しい。だから学校教育においても、永久 に正確不変であるようなものを教えることはできないというこ とになる。 (中略)そこでわれわれのできることは、われわれ. の学習していることは、痴る一定の時に得られる最善の解釈で あって、これは将来変わるかも知れないということをはっきり させておくことである。(50). クレイグは上述の様に、既成の学問体系が普遍的又は絶対的なものでは なく、科学史に於いて相対的存在であり、今後も変容する可能性を持った ものであることを指摘している。そして、現段階での学問体系を過信して 知識の伝達に教育の目的を見い出だす者に警鐘を鳴らしているのである。. 小学校における科学教育の役割は、子供たちに対して徒らに 岩石の名を覚えさせたり動物や植物についていろいろの知識を 覚えさせたりするよりももっと基本的なものである。 (中略). 教師は、宇宙の森羅万象を通して、その背後にある子供が上手 に人生に参加して行くために知っていなければならぬ重要な問 題に考慮を払うべきである。事件や事物は科学の意義を解説し、. それを発展させるに役立ち、問題解決を助けるであろう。しか し、生きたカリキュラムにおいては、それ自体に目的があるの. ではなく、それは更に大きな目的に達する手段であるといって よい。(5D. 一 39 一.
(44) 知識体系の伝達に教育のEI的があるのではない。また、問題解決の能力 を育成することや科学の発展に寄与すること自体に教育の目的があるので もない。それらはより大きな目的に達する為の手段である、とクレイグは 述べている。それでは、彼の言う「より大きな日的」とは何であろうか? それは次の一文に集約されるであろう。. 学校は、その設備や資料のすべてをあげて、子供の全人的な 教育という点に焦点をおくべきである。(52). ww. 「全人的な教育」 即ち、知識の為の教育(実質陶冶)でなく、問題解決. の為の教育(形式陶冶)でなく、情操の為の教育でもない。それら全てを 内包した全人的な教育こそ普遍的であり、絶対的な教育の目的なのである。 知・情・意という個々の能力は、全人的な教育を構成する下位目標であり、. それ自体が最終的な目的ではない。最終的な教育目的は、あくまでも人間 形成、人格の完成、全人的な教育にあるのである。. 以上、教育思想史に登場する先人の思想から、教育目的に関わる幾つかの 著述を取り上げてきた。これにより、教育の目的・目標には幾つかの階層が 存在し、知識の習得、問題解決能力の育成、科学的態度の養成…等は教育の 究極的な目的である『人間形成』を支える為の下位の目標に過ぎないことが 分かってきた。. 一 40 一.
関連したドキュメント
こうしゅう、 しんせん、 ふぉーしゃん、 とんがん、 けいしゅう、 ちゅうざん、
指導をしている学校も見られた。たとえば中学校の家庭科の授業では、事前に3R(reduce, reuse, recycle)や5 R(refuse, reduce, reuse,
小学校学習指導要領より 第4学年 B 生命・地球 (4)月と星
取組の方向 0歳からの育ち・学びを支える 重点施策 将来を見据えた小中一貫教育の推進 推進計画
学部生の頃、教育実習で当時東京で唯一手話を幼児期から用いていたろう学校に配
池田 史果 小松市立符津小学校 養護教諭 小川 由美子 奥能登教育事務所 指導主事 小田原 明子 輪島市立三井小学校 校長 加藤
学部生の頃、教育実習で当時東京で唯一手話を幼児期から用いていたろう学校に配
学年 海洋教育充当科目・配分時数 学習内容 一年 生活科 8 時間 海辺の季節変化 二年 生活科 35 時間 海の生き物の飼育.. 水族館をつくろう 三年