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防衛行為の相当性及び退避義務・侵害回避義務に関する考察(三)

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(1)

防衛行為の相当性及び退避義務・侵害回避義務に関

する考察(三)

著者

坂下 陽輔

雑誌名

法学

83

2

ページ

1-42

発行年

2019-09-28

URL

http://hdl.handle.net/10097/00125916

(2)

第一章 本稿の課題(以上,82 巻 3 号) 第二章 ドイツにおける議論(以上,82 巻 5 号) 第三章 アメリカにおける議論  第一節 アメリカ正当防衛法の概観  第二節 比例性の問題  第三節 退避義務の問題(以上,本号)  第四節 侵害回避義務及び自招侵害の問題  第五節 小括 第四章 わが国における解釈論 終 章

第三章 アメリカにおける議論

 第一節 アメリカ正当防衛法の概観  本章では,アメリカにおける正当防衛法の議論を検討する。第一章で述べ たように,近時,アメリカ正当防衛法からの知見を参照し,比例性及び退 避・侵害回避可能性に基づく正当防衛制限を,従前の理解に比してより広く 要求する立場が有力に主張されている(213)。特に,第二章でのドイツにおけ る議論の検討からは必ずしも十分な示唆を得ることができなかった,退避・ 侵害回避義務の問題について,さらなる示唆を得るためには,アメリカ正当 防衛法の検討は有益であろう。 論 説

 防衛行為の相当性及び退避義務・侵害回避義務

に関する考察(三)

坂 下 陽 輔

(213) 佐伯・前掲注 8・90 98,101 109 頁。

(3)

 アメリカにおける正当防衛の一般的定式は,①被攻撃者が,攻撃者からの 不法な害悪の切迫した危険に陥っていること,②有形力行使が当該危険を避 けるために必要であること,の二つを対抗行為者が合理的に確信している場 合に,③対抗行為者は当該攻撃者に合理的な量の有形力を行使することを正 当化される,というものとされる(214)  このように,アメリカにおける正当防衛の定式には対抗行為者の主観面も 含められており,わが国においては(無過失の)誤想防衛とされる類型も含 まれ(215),それにより正当防衛が広範となっている点にもアメリカ正当防衛 法の特殊性はある(216)。もっとも,本稿の関心は,本稿が与する正当防衛の 基礎理論(217)からは,たとえ対抗行為者が比例性を失していることや退避可 能性を十分に認識していたとしても,すなわち主観と客観との間に齟齬がな い場合であったとしても,正当防衛の制限は容易には正当化され得ないとの 理解を前提に,にも拘らずこのような制限が正当化され得るとすれば,いか なる規範的根拠に基づくかを探求することである。とすれば,少なくとも主 観と客観との間の齟齬がない場合には比例性に基づく正当防衛の制限がなさ れ,また(退避義務の賦課を肯定する法域では)退避義務の賦課がなされ得 る(218)とするアメリカ正当防衛法の客観面において限定的な側面に焦点を当

(214) WAYNE R.LAFAVE, 2 SUBSTANTIVE CRIMINAL LAW§10.4 at 192,§10.6 at 228 230 (3d ed. 2017). ③について,攻撃者の攻撃の程度に関しても,対抗 行為者の合理的確信が問題とされる(Id.§10.4 at 197 98)。さらに,対抗行 為者が,その機会における攻撃者でないことも要件とされるが,これは自招 侵害(及び侵害回避義務)の問題に関するものと位置づけられるので,第四 節で扱うこととする。 (215) また,後述の致命的有形力の定義や退避義務の問題との関係でも,対抗行為 者の主観への言及がなされることがある。 (216) 佐伯仁志Аアメリカの正当防衛法Бジュリスト 1033 号(1993 年)56 頁は, この理由を,А違法性阻却事由と責任阻却事由とを明確に区別しないことにも 原因があるБとする。 (217) 拙稿・前掲注 130・234 238 頁。 (218) 後述(第三節)のように,退避義務の賦課を否定する法域も存在する。

(4)

てて,その規範的根拠を検討することが有益である。ゆえに,以下ではこの 側面に焦点を当てた検討を行う。  そうすると,①はわが国におけるА急迫不正の侵害Бの要件に,②はАや むを得ずにした行為Бという要件の,対抗行為の有効性及び必要最小限度性 の問題に,それぞれ対応することは明らかである。本稿の関心から見て重要 であるのは③である。これには,対抗行為としての致命的有形力 deadly force の行使は,たとえ必要最小限度であるとしても,一定の場合には合理 的とされない,という比例性が含意されている。すなわち,致命的有形力と は,行使者が他人の死又は重大な傷害を引き起こす意図で行使した有形力, あるいは行使者が他人に死又は重大な傷害の実質的危険を生じさせることを 知っていた有形力と定義されるが(219),アメリカ正当防衛法においては,┰ 致命的有形力を伴わない対抗行為は,攻撃者の不法な現在の攻撃を阻止する ために必要最小限度であれば(比例性は当然に充足され)正当化されるのに対 して,щ致命的有形力を伴う対抗行為が正当化され得るのは,攻撃者が一定 の重大な攻撃を被攻撃者に行おうとしており,その阻止のために当該対抗行 為が必要最小限度である場合のみであり,攻撃がそのような重大なものでな い場合には,たとえ致命的有形力行使以外の方法では攻撃阻止が不可能であ っても,対抗行為としての致命的有形力行使は正当化されない(220)。さら に,この比例性が充足された場面でも,致命的有形力による対抗行為が許容 されるか否かの判断において,退避可能性が考慮されることもある。その当 否の問題が退避義務の問題である。 (219) Id.§10.4 at 196. 模範刑法典§3.11(2)も参照。

(220) AMERICAN LAW INSTITUTE, MODEL PENAL CODE AND COMMENTARIES PART 1 GEN-ERAL PROVISIONS §§3.01 TO 5.07,§3.04 at 47 48 (1985); LAFAVE, supra note 214,§10.4 at 197 198,§10.6 at 230 231.

(5)

 第二節 比例性の問題  第一款 前提問題Ё比例性の内容  まず比例性の問題を検討する。前述のように,アメリカ正当防衛法におい て比例性に基づく正当防衛制限が問題とされるのは,対抗行為が致命的有形 力の行使である場合のみである(221)。とすれば,対抗行為として致命的有形 力を行使することを許容するような攻撃者による攻撃はいかなるものと考え られているか,が関心の対象となる。  この問題についての解決は,アメリカの各法域で異なっている(222)。求め られる比例性の厳格さに従って各法域を分類すると(223),最も厳格に比例性 を求める法域から順に,①対抗行為としての致命的有形力行使を死又は重大 な傷害の脅威に対してのみ許容する法域(224),②死,重大な傷害,誘拐,又 は有形力若しくは脅迫による強制性交に対して,致命的有形力の行使を可能 とする法域(225),③強盗を致命的有形力による対抗行為が許容される類型と (221) もちろん,比例性は常に,アメリカにおける対抗行為の相当性の判断要素の 一つであるとはいえるが,対抗行為が致命的有形力でない場合には,比例性 を逸脱しているとみなされることは基本的にない,という趣旨である。 (222) 連邦法は限られた重要性しか有さないことについて,Paul H.Robinson et

al▆, The American Criminal Code: General Defenses, 7 J.LEGAL ANALYSIS 37,38(2015) 及び,佐伯・前掲注 8・96 頁注 8 参照。

(223) 以下の整理は基本的に Robinson et al▆, supra note 222, at 52 53 に依拠して いる。

(224) 制定法として,Ariz.Rev.Stat.Ann.§13 405; Conn.Gen.Stat.Ann.§53 a 19; Kan.Stat.Ann.§21 5222; La.Rev.Stat.Ann.§14: 20; N.C.Gen. Stat.§14 51.3; Tenn.Code Ann.§39 11 611; Wis.Stat.Ann.§939.48; Wyo.Stat.Ann.§6 2 602 がある。住居内での攻撃も含む点で異なるがその 点を措けば,Minn.Stat.Ann.§609.065 及び N.J.Stat.Ann.§2C: 3 4 も類 似する。Robinson et al▆, supra note 222, at 52 によれば,制定法による規 律のない法域も含めれば,①に分類されるのは 20 法域とされる(もっとも, そこでは Vermont 州も含められているが,Vt.Stat.Ann.tit.13 §2305 によ れば③に分類されるべきであろう。そうであれば 19 法域である)。なお,後 掲注 246 も参照。

(6)

して追加する法域(226),④威力的重罪 forcible felony(227)全てを致命的有形力 による対抗行為が許容される類型として追加する法域(228),⑤全ての重 罪(229)を対象とする法域(230)に分かれる(231)

Neb. Rev. Stat. Ann. § 28 1409 ; 18 Pa. Cons. Stat. Ann. § 505 が あ る 。 Robinson et al, supra note 222, at 52 は②に類別されるのはこれら 4 法域の みとするが,New Hampshire 州も,N.H.Rev.Stat.Ann.§627: 4Ⅱによれ ば,②に類別されるべきであろう(もっとも,不法目的侵入や住居内重罪も 含まれる)。さらに Michigan 州は,致命的有形力を死,重大な傷害,重大な 性犯罪の脅威に対して許容している(Mi.Comp.Laws Ann.§780.972)。こ れらも加えれば 6 法域となる。

(226) 制定法として,Ala.Code §13A 3 23; Alaska Stat.Ann.§11.81.335; Co-lo.Rev.Stat.Ann.§18 1 704; Me.Rev.Stat.Ann.tit.17 A,§108; N.Y. Penal Law §35.15; Tex.Penal Code Ann.§9.32 がある(もっとも,多く は不法目的侵入も含む)。Robinson et al, supra note 222, at 52 によれば 7 法域とされるが,前述のように,そこで挙げられている New Hampshire 州 は除かれ,代わりに Vermont 州が加えられるべきであるように思われる。

(227) 威力的重罪とは,人に対する物理的有形力・暴力の行使あるいはその威嚇を

含むすべての重罪,とされる(AMERICAN LAW INSTITUTE, supra note 220,§ 3.06 at 98 Fn.49)。たとえば,この類型の法域に属する Florida 州では, Fla.Stat.Ann.§776.08 が,謀殺,故殺,性的暴行,強盗,不法目的侵入, 放火,誘拐などの具体例を列挙した上で,人に対する物理的有形力の行使又 は威嚇を含む重罪と定義している。佐伯・前掲注 216・51 頁も参照。 (228) 制定法として,Ark.Code Ann.§5 2 607; Fla.Stat.Ann.§776.012; Ga.

Code Ann.§16 3 21; 720 Ill.Comp.Stat.Ann.5/7 1; Ind.Code §35 41 3 2 ; Ky. Rev. Stat. Ann. § 503.050 ; Mo. Ann. Stat. § 563.031 ; Mont. Code Ann.§45 3 102; Nev.Rev.Stat.Ann.§200.120; N.D.Cent.Code §12.1 05 07; Or.Rev.Stat.Ann.§161.219; Utah Code Ann.§76 2 402 がある。 Robinson et al, supra note 222, at 52 によれば,制定法による規律のない法 域も含めれば,④に分類されるのは 13 法域とされる。

(229) 重罪か否かは,法定刑を基準に決められるのが一般的である(WAYNE R. LAFAVE, 1 SUBSTANTIVE CRIMINAL LAW §1.6 at 62 63 (3d ed. 2017))。たと えばこの類型の法域に属する Washington 州では,Wash.Rev.Code Ann.§ 9A.04.040 が,1 年を超える自由刑となりうる場合あるいは個別に重罪と定 められている場合を重罪とする。そして,正当防衛が問題となる攻撃として 関心が向けられるものに窃盗が挙げられようが,§9A.56.030 及び§9A. 56.040 によれば,750 ドルの価値を超える財物の窃盗は重罪とされる(人の 身体から奪取した場合には財物の価値とは無関係に重罪となる)ので,少な くとも条文上は,窃盗に対する致命的有形力による対抗行為が許容される余

(7)

 本稿の関心との関係で重要なのは,約半数の法域が含まれる(232),比例性 を相対的に厳格に求めているといえる①②の類型に属する法域では,第一章 で挙げた強盗事例(233)は正当防衛が認められないものとされるようにも一見 思われることである。しかし,模範刑法典に目を向けると興味深いことが判 明する。それ自体は法ではないものの,各州の制定法に非常に大きな影響を 与えている模範刑法典(234)は,たしかに,§3.04(2)(b)において,自己 防衛につき,死,重大な傷害,誘拐,又は有形力若しくは脅迫による強制性 交から自己を防衛する場合にのみ,致命的有形力の行使を許容するとしてお り(235),上述②の類型に属する。そして,模範刑法典の注釈書はその根拠 を,対抗行為により攻撃者に生じるА死又は重大な傷害の賦課を阻止するこ とは,望ましい社会的価値の尺度 the scale of preferred societal values に おいて非常に高度なものであり,そのような賦課は,より小さな利益の保全

地があることになろう(なお,模範刑法典§223.1(2)では被害価額が 500

ドルを超えるときなどが重罪となるとされる)。

(230) 制定法として,Cal.Penal Code §197; Idaho Code Ann.§18 4009; Miss. Code Ann.§97 3 15; Okla.Stat.tit.21 §733; S.D.Codified Laws §22 16 34; Wash.Rev.Code Ann.§9A.16.050 がある。Robinson et al, supra note 222, at 52 によれば,⑤に類別されるのはこの 6 法域である。

(231) なお,Robinson et al, supra note 222, at 53 は Rhode Island 州を,致命的 有形力が当該状況において必要であるかどうかを確定するА事情全体アプロ ーチБを採用している州として 5 つの分類から外している(See State v. Marquis, 588A.2d 1053 (R.I. 1991); State v. Ventre, 811A.2d 1178 (R.I. 2002))。

(232) Robinson et al, supra note 222, at 53. (233) 拙稿・前掲注 130・231 頁

(234) JOSHUA DRESSLER, UNDERSTANDING CRIMINAL LAW, 30 31 (8th ed. 2018); Robinson et al, supra note 222, at 37.

(235) 模範刑法典§3.04(2)(b)は,自己防衛における有形力行使に関して,А致 命的な威力の行使は,行為者が,死亡,重大な身体傷害,誘拐,又は威力も しくは脅迫による強制性交から自己を防衛するため必要であると信じてした 場合でなければ,本条の適用上,違法性を阻却されない。Бと規定している (訳出は法務省刑事局㈶アメリカ法律協会模範刑法典(1962 年)㈵(1964 年) に依拠している。以下同様)。

(8)

では正当化されえないБという点に求めている(236)。これのみを見れば,や はり攻撃者の生命という利益を重視し,厳格な比例性が求められているよう にも思われる。  しかし,財産防衛において例外的に致命的有形力による対抗行為が認めら れる場面を規定している模範刑法典§3.06(3)(d)は,そのような場面と して,攻撃者が放火,不法目的侵入,強盗その他の重罪である財物盗取罪も しくは損壊の罪を遂行し,又はその遂行に着手し,かつ,その罪の遂行を阻 止するのに致命的有形力に至らない有形力を用いたのでは,行為者又はその 面前にいる他の者を重大な傷害の危険にさらすおそれがある場合,を挙げて いる(237)。これは非常に興味深い。というのも,傍点で強調した箇所から明 らかなように,財産防衛のための致命的有形力に至らない対抗行為をするこ とで,攻撃者による致命的有形力の行使又はその脅迫が生じるおそれがある

(236) AMERICAN LAW INSTITUTE, supra note 220,§3.04 at 48. See also LAFAVE, supra note 214 §10.6 at 231 232. (237) 模範刑法典§3.06 は以下のとおりである。 模範刑法典§3.06(財産防衛のための威力行使) (1)(2)略 (3)正当な威力行使の限界  (a)∼(c)略  (d)致命的威力の行使。致命的な威力の行使は,次に定める情況があると 信じてしたのでなければ,違法性を阻却されない。   (ⅰ)略   (ⅱ)威力行使の相手方が,放火,不法目的住居侵入,強盗その他重罪で ある財物盗取もしくは損壊の罪を遂行し,又はその遂行に着手し,か つ,    (A)行為者に向けて,又はその面前で致命的な威力を行使し,又はそ の行使をもって脅迫し,あるいは,    (B)その罪の遂行を防止するのに,致命的威力に至らない威力を用い たのでは,行為者又はその面前にいる他の者を重大な身体傷害の危険 にさらすおそれがあること (4)以下略  なお,§3.06(3)(d)(ⅱ)(A)の翻訳については,後掲注 299 も参照。

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場合には,致命的有形力による対抗行為が許容される,と規定されているか らである(238)。この規定に従えば,第一章で挙げた強盗事例は,被攻撃者が 致命的でない対抗行為をすれば攻撃者から危険な暴行を受けるおそれのある 事例といえるので,致命的有形力による対抗行為は正当防衛として許容され ることになろう。たしかに,模範刑法典の注釈書は,§3.06 の一般原理と して,А生命の保全は我々の文化・社会において道徳的・倫理的に非常に重 要な地位を有しており,財産の保全のみのために生命を故意で犠牲にするこ とは,法によって是認されるべきでないБと述べている(239)。しかし,上述 の規定内容に鑑みれば,これは決して,対抗行為を放棄して攻撃を甘受すれ ば攻撃者の生命を守ることができる場合にはそうせよ,という趣旨ではあり 得ない。攻撃者の攻撃が致命的有形力を背景に含むような重大なものでない 場合に限り,被攻撃者も致命的有形力による正当防衛を行うべきでないとい う,攻撃の反価値性と対抗行為との比例性を問題としているのであって,対 抗行為を許容する場合と許容しない場合との結果の比例性を問題としている のではない,というべきである。  かかる模範刑法典の理解は,主として退避義務について規律している(240) §3.04(2)(b)(ⅱ)にも表れている(241)。同規定は,対抗行為者が致命的 有形力を行使することを,(退避することで,又は)物件についての権利を主 張している人に当該物件の占有を引渡すことで,完全に安全に避けることが できると認識している場合には,致命的有形力の行使が許されない,として

(238) AMERICAN LAW INSTITUTE, supra note 220,§3.06 at 95 は,А状況がエスカ レートして,対抗行為者が財産を保持することが,対抗行為者を死又は重大 な傷害の実質的危険にさらす状況になった場合には,対抗行為者は財産を放 棄するのではなく,致命的有形力に訴えることができるБとする。

(239) Id.§3.06 at 72.

(240) 退避義務固有の問題については第三節で扱う。

(241) AMERICAN LAW INSTITUTE, supra note 220,§3.06 at 95 96 は,§3.06(3) (d)は§3.04(2)(b)と実質的に一致するという。

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いる(242)。すなわち模範刑法典は,財産を奪われない状態のままで自己の生 命・身体を守るためには対抗行為として致命的有形力を行使せざるを得な い,という状況につき,被攻撃者に財産引渡し義務が課されるのは,攻撃者 が権利主張をしている場合に限られる,としているのである。つまり,注釈 書が述べるように,А強盗の被害者は,占有を引渡せば(筆者注:自己の生 命・身体が)完全に安全であるということをわかっていたとしても,自分の 財産を引渡す必要はない。強盗の被害者の拒絶により(筆者注:強盗犯人から の)致命的有形力の脅威が生じるはずである場合でも,強盗の被害者はそれ と同等の有形力を行使してよいБのである(243)  このように模範刑法典は,攻撃者の生命・身体の価値の重視という観点を 貫徹して,致命的有形力による対抗行為を許容する場合と許容しない場合と の結果を比較するのではなく,致命的有形力による攻撃に対しては,たとえ 財産の引渡しにより完全に安全に攻撃を回避できるとしても,致命的有形力 による対抗行為をしてよいとしている(244)。すなわち,攻撃の反価値性と対 抗行為との比例性が問題とされているのである。翻って考えるに,最も厳格 に比例性を求める①の法域は,強制性交に対する致命的有形力による対抗行 為を少なくとも明文上は認めていないが,性的自由に対する侵害の重大性に 鑑みれば,それらの規定が,対抗行為を放棄して強制性交を甘受すれば攻撃 (242) 模範刑法典§3.04(2)(b)(ⅱ)は,正当防衛における致命的有形力の行使 の違法性が阻却されない場合として,А行為者が,その場から退避し,物件に ついて権利を主張する者にその占有を引渡し,又は行う義務のない行為につ いてその回避を求める相手方の要求に応ずることにより,威力の行使に出な くても何らの危害を受けないことを知っていたときБを挙げている。 (243) AMERICAN LAW INSTITUTE, supra note 220,§3.04 at 59,§3.06 at 95. すで

に佐伯・前掲注 216・54 頁注 20。

(244) LAFAVE, supra note 214,§10.6 at 232 が,А防衛行為者が自己の財産の防衛 の際に行使した合理的有形力が,防衛行為者に対する攻撃により対抗された 場合には,防衛行為者は自己防衛によって反応してよいのであり,その場合 には致命的有形力を行使する権限がありうるБとするのも,同趣旨であろう。

(11)

者の生命を守ることができる場合にはそうせよ,との趣旨であるということ は考え難く(245),致命的有形力を背景にした強制性交に対する致命的有形力 による対抗行為は当然許容されるものと解される(246)。とすればやはり,致 命的有形力による対抗行為を許容する場合と許容しない場合との結果の比例 性は重要ではなく,攻撃の反価値性と対抗行為との比例性が重要とされてい るといえる。  以上のことに鑑みれば,上記①∼⑤のいずれの法域においても,いかなる 攻撃に対しても致命的有形力に至らない対抗行為は(必要最小限度であれば) 当然なされてよく,その上で,そのような対抗行為をした場合に致命的有形 力によるさらなる攻撃に発展するおそれがある場合には,致命的有形力によ る対抗行為は許容されるのであり,異なるのは,攻撃者による致命的有形力

(245) George P.Fletcher, Domination in the Theory of Justification and Ex-cuse, 57 U.PITT.L.REV.553,560 (1996) は,А欧米世界におけるどの法シス テムも,攻撃者を殺害する危険を冒す防衛手段しか存在しない場合に,女性 に強制性交を甘受するよう期待しないであろうБとする。

(246) このように解したとしても,反抗を著しく困難にするものの,死又は重大な

傷害の危険のない暴行等に基づく強制性交に対して,致命的有形力による正 当防衛・緊急救助が認められない懸念は残る。もっとも,①に分類される法 域でも,State v. Havican, 569A.2d 1089 (Conn. 1990) は,強制性交に対 する致命的有形力での対抗行為はコモンロー上正当化されており,制定法は これを修正する意図ではない,Conn.Gen.Stat.Ann.§53 a 19 (a) で致命的 有形力による対抗行為を許容する攻撃として挙げられている great bodily harm は,serious physical injury に限られず,有形力行使を伴う性的暴行も 含む趣旨と解すべきであるとして,性的暴行に対する致命的有形力による対 抗行為を許容している(同様の規定ぶりをする制定法として,Kan.Stat. Ann.§21 5222; La.Rev.Stat.Ann.§14: 20; Minn.Stat.Ann.§609.065; N.J.Stat.Ann.§2C: 3 4; N.C.Gen.Stat.§14 51.3; Wis.Stat.Ann.§ 939.48 がある)。このような解釈がなされる限りでは,反抗を著しく困難に するものの,死又は重大な傷害の危険のない暴行等に基づく強制性交に対し て,致命的有形力による正当防衛・緊急救助が認められることとなり,②の 法域と実質的に異ならないということができよう(State v. Havican におい て,Connecticut 州制定法は模範刑法典に依拠して作られているということ も,上述のような解釈の根拠として挙げられている。569A.2d at 1093)。

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による攻撃や脅迫が背後に控えているといえる場合にのみ致命的有形力によ る対抗行為を許容するのか,それ以外の場合にも認めるのか(認めるとして いかなる範囲か),という点に尽きる,と理解される。  第二款 比例性の観点に基づく正当防衛制限の規範的根拠  それでは,このような内容の比例性の観点に基づく正当防衛制限は,いか なる規範的根拠に基づいて認められるのであろうか。  一 利益衡量的枠組みによる立場  アメリカにおいても,正当防衛を利益衡量的枠組みに基づいて正当化する 説明は有力に主張されている(247)。その代表的主張者である Paul Robinson は,正当防衛という正当化事由は,緊急避難の基礎と同一の害悪衡量 bal-ancing of evils に基づいている,とする(248)。そして,正当防衛により,防 衛される利益より大きな物理的害悪が引き起こされることを許容するとして も,そのことにより正当防衛を害悪衡量に基づいて説明することが排斥され るわけではないとし,被攻撃者の生命を防衛するために攻撃者の生命を奪っ てよい(たとえ被攻撃者が 1 人で攻撃者が 3 人であり,防衛のためには 3 人の生命 を奪わなければならないとしても,よい)のは,不正な攻撃者による生命への攻

撃は肉体的自律性という権利 the right of bodily autonomy への攻撃という 無形の害悪 intangible evil を生ぜしめており,かかる害悪が,危険にさらさ れ て い る 物 理 的 害 悪 よ り も 社 会 に と っ て 重 要 で あ る か ら で あ る , と す る(249)。また,財産防衛において攻撃者に傷害を負わせてよいのは,有形の 財産的利益に加えて,財産所有権を守るという無形の社会的利益 intangible

(247) ドイツにおける議論については,拙稿・前掲注 1・(二)44 48 頁参照。 (248) PAUL H.ROBINSON, 2 CRIMINAL LAW DEFENSES §131 at 69 (1984). See also

Paul H.Robinson, Competing Theories of Justification: Deeds v. Reasons, in HARM AND CULPABILITY 45,46 (A.P.Simester & A.T.H.Smith eds▆, 1996).

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societal interest が考慮されるからである,とする(250)。このような主張は, 被攻撃者側の具体的な利益にさらなる利益を加算することにより,被侵害法 益の方が対抗行為により毀損される攻撃者の法益より小さい場合であっても 正当防衛による正当化は認められるとする,わが国における利益衡量的枠組 みによる立場と類似する(251)。その上で,Аしかし,これらの社会的利益の 重要性にも限界があるЁその限界が超えられるのは,一般に,人間の生命が 財産防衛において奪われる場合である。人間の生命は,たとえ有責的な攻撃 者であっても,やはり財産より重要な価値を割り当てられるБとして,比例 性に基づく正当防衛の限界を論ずる(252)  しかし,既に指摘されているように,正当防衛による攻撃者の殺害は,死 以外の害悪(重大な傷害や強制性交など)に対抗するためにも許容されるので あり,また一人の被攻撃者の防衛のために複数人の攻撃者をすべて殺害する ことも許容されるが,それを利益衡量的枠組みにより説明することはやはり 不自然であり(253),正当防衛を緊急避難の延長線上で語ることは適切ではな い(254)。また,Robinson は明示的な議論をしてはいないものの,彼の主張 (250) Ibid. (251) わが国におけるこのような議論については,拙稿・前掲注 1・(一)35 39 頁 参照。

(252) ROBINSON, supra note 248,§131 at 70.

(253) Kimberly Kessler Ferzan, Justification and Excuse, in THE OXFORD HAND-BOOK OF PHILOSOPHY OF CRIMINAL LAW 239,253 (John Deigh & David Dolinko ed. 2010); Sanford H.Kadish, Respect for Life and Regard for Rights in the Criminal Law, 64 CAL.L.REV.871,882 (1976).

(254) また,Kadish, supra note 253, at 882 883 は,正当防衛を許容することが長 期的に見て不法な攻撃者たちに対するサンクションとして働くがゆえに利益 衡量を充足する,との説明に対しても,①攻撃が失敗に終わった後での致命 的な報復的有形力も支持されることになりかねないこと,②仮に,非常に優 れた法執行技術の下で,А全ての不法な攻撃者が確実かつ即座に有罪とされ, 最大限の抑止効果を手に入れるに十分な重さ(死刑も含めて)の刑罰を科さ れるБ状態が実現されれば,被攻撃者又は第三者による正当防衛での殺害は 長期的な意味での生命維持の目的に資するということはないことになるが,

(14)

をそのまま援用すれば,やはり前述の強盗事例においては,被攻撃者に正当 防衛は認められず,財物を明け渡すしかなくなるであろう。財物を明け渡し て失われる有形の利益及び無形の社会的利益よりも,人間の生命の方に重要 な価値が割り当てられるとしているからである。とすると,アメリカにおけ る比例性の内容を説明することにも成功していないといわざるを得まい。  そもそも Robinson は,肉体的自律性という権利への攻撃という無形の害 悪の方が危険にさらされている物理的害悪よりも社会にとって重要であると しており,また,無形の社会的利益の方が危険にさらされている特定の物に 関する所有者の利益よりも重要であるとしている(255)。ここからは,正当防 衛の正当化根拠の核心は,正当防衛の権利行為性にあることを認めているこ とが窺われる。実際,Robinson は別の箇所で,財産防衛のために致命的有 形力以外の選択肢を有していない対抗行為者に,財産を守るために致命的有 形力を行使することを禁止するとすれば,Аかかるルールは対抗行為者に法 的に認められた利益を禁欲的に犠牲にすることを要求するものであるから, かかるルールが議論になるということは驚きではないБとして必要最小限度 の対抗行為をさらに制限することに躊躇いをみせつつ,А財産よりも人間の 生命の方がより高度の価値があるという認識は,……文明化された社会 civ-ilized society の特徴であるБとして,比例性による制限を正当化してい る(256)。ここには,原則として正当防衛は必要最小限度の対抗行為である限 Аそのような理由で攻撃者に対する致命的有形力が正当化されなくなるなどと は思いもよらないであろうБと批判する。①の批判については,被侵害法益 の防衛の必要性が,正当防衛が正当化されるための必要条件であるとすれば, そのような問題は発生しないので,やや疑問が残るが,②の批判については, 正当防衛は,抑止効果という量の必ずしも明らかでない利益によって初めて 正当化されるような危ういものではなく,抑止効果の存否に拘らず正当防衛 が認められるべき場面がある,という趣旨であり,説得的であろう。 (255) ROBINSON, supra note 248,§131 (a) at 70.

(256) Paul H.Robinson, Criminal Law Defenses, 82 COLUM.L.REV.199,218 (1982).

(15)

り権利行為として正当化されるものの,無制限に認めることはできず例外的 に制限されうる,という思考が端的に示されているといえる。Robinson は, 利益衡量的枠組みでは自律 autonomy の概念を適切に考慮できないという George Fletcher による批判(257)に対して,А自律利益のような特定の利益 が,絶対的な,何ものにも凌駕されえない利益として受け入れられると主張 されるのであれば,衡量分析は適切な帰結を確定するためには不必要であ る。もちろん Fletcher も認めているように,㈶ラディカルな個人主義者㈵し かそのような立場を採らないであろうБ(258)と反論しているが,ここからも, Robinson が利益衡量的枠組みを採用するのは,自律原理ないし正当防衛の 権利行為性により生じる無限定の正当化を阻止するためにすぎない,と理解 する方が適切であるように思われる。  以上の点に鑑みれば,正当防衛の権利行為性に基づいてその原則的正当化 を認めつつ,その制限の規範的根拠をより緻密に検討するべきであろう。  二 自律原理による正当防衛の正当化と比例性原理によるその制限という 思考枠組みを採用する立場  このように,原則的に正当防衛が正当化されるということを認めつつ,し かしそれには限界があるということを端的に述べるのは Sanford Kadish で ある。Kadish は,利益衡量的枠組みによる正当防衛の正当化を斥けた後 で(259),正当防衛においては二つの相争う原理が衝突している,とする。第

(257) GEORGE P.FLETCHER, RETHINKING CRIMINAL LAW 769 770 (1978). 後述二にお ける Kadish の見解も参照。

(258) PAUL H.ROBINSON, 1 CRIMINAL LAW DEFENSES §24 at 85 Fn.7 (1984). (259) 前述一を参照。Kadish はさらに,攻撃者の権利喪失という主張についても, ①有責的行為をすることにより攻撃者が権利放棄をしたと見ることは奇妙で あるし,生命法益は権利放棄できないという建前に反するということ,②権 利放棄でなく,有責的行為により権利を剥奪されるとしても,そうであれば 攻撃が終了した後に権利を再取得するのはなぜかが説明できないこと,③有 責的行為により権利を剥奪されるとすれば,有責的でない攻撃者に対して正 当防衛を認めるアメリカ法システムと調和しないこと,などを根拠に批判し

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一が,自律原理 the principle of autonomy であり,これによれば,А何人も 他人の単なる道具としては使われてはならないБということから,無制限の 防衛権限が認められるとする(260)。すなわち,物理的攻撃の本質は,攻撃者 が被攻撃者の人格性 personhood を道具として利用しようとしているという ことであり,А被攻撃者が自己の自律の枠内にある人的利益を保護するため に必要な全ての有形力を行使できないБとすれば,А被攻撃者は,自分の意 思に反して他人の便益のための手段として利用されることを甘受せざるを得 なくБなってしまう。そのような事態を阻止するために正当防衛は認められ るのであり,А自律原理が攻撃に抵抗する権利の範囲を画定する限り,致命 的有形力によって保護されてよい人的利益の種類は無制限であるБとす る(261)。そして,自律原理からは全ての者は自己に対する攻撃に対して抵抗 する権利を有するということが帰結し,攻撃者も自己に対する攻撃に抵抗す る権利を有しているが,被攻撃者による行為は対抗行為であり攻撃ではない ので,攻撃者の権利は被攻撃者によって何ら侵害されてはいない,とす

ている。Kadish, supra note 253, at 883 884. ②については,権利喪失をい う論者が永続的な喪失を問題としているはずはなく,必要な防御的対抗行為 に対抗する権利を喪失したと述べているだけに過ぎないので(See Kimberly Kessler Ferzan, Provocateurs, 7 CRIM.L & PHILOS.597,607 Fn 44),必ずし

も適切ではあるまい。また,③についても,(上述した意味での)権利喪失が 生じるのは有責的行為でなく不正な侵害であれば足りるという余地も十分に あり,必ずしも適切ではあるまい。問題は,(①と関連して)攻撃によって攻 撃者が権利放棄をしたわけではないにも拘らず,なぜ権利喪失が生じるのか, についての積極的論証の不存在であり(その限りで①の批判は理解可能であ る),それが論証できれば,その結果,防衛に必要な限度で攻撃者の法益の要 保護性が否定されると述べることには,特に問題がないように思われる(山 口・前掲注 75・117 119 頁参照)。

(260) 自律原理については,FLETCHER, supra note 257, at 860 864 や George P. Fletcher & Luis E.Chiesa, Self-Defense and the Psychotic Aggressor, in CRIMINAL LAW CONVERSATIONS 365,369 371 (Paul H.Robinson et al. eds▆, 2009) も参照。

(17)

る(262)。他方,この第一の原理とА容易でない緊張関係Бに立つ第二の原理 として,比例性原理 the principle of proportionality が挙げられる。この原 理によれば,防衛権限は,А脅威に抵抗するために必要な行為は脅威の性質 と不均衡であってはならない,という留保に服するБ。А攻撃者を殺害するこ とが著しく小さな利益を守るための唯一の方法である場合,被攻撃者はそれ を攻撃者に明け渡さなければならないБとする。そしてАこの留保は正義の 原理 a principle of justice と一般にみなされてきたБのであり,犯罪に対す る刑罰が一般的に,なされた害悪の非道さ enormity と比例するとされるの と同様である,とする(263)(264) (262) Id. at 885. なお,Kadish が正当防衛の基礎づけにおいて,(社会契約論に言 及しつつ)攻撃からの保護を求める国家に対する権利 right against the state という言葉遣いをしている(Id. at 884 885)ことから,Ferzan は,Kadish は正当防衛に関して被攻撃者と攻撃者との関係ではなく被攻撃者と国家との 関係に注目しているにすぎず,対抗行為を不可罰とする理由を提示できてい るかもしれないが,攻撃者の法益が毀損されることが許容されることの理由 づけはできていない,と批判する(Kimberly K.Ferzan, Self-Defense and the State, 5 OHIO ST.J.CRIM.L.449,454 455 (2008))。しかし,このような 批判は不当であるように思われる。Kadish は,本文で述べたように,自律原 理に言及しながら明らかに被攻撃者と攻撃者の二者関係にも注目している。 そして,国家の設立によりその二者関係が変更されて,被攻撃者がより保護 されない状態に置かれるとすれば,それは社会契約論の観点から見て不適切 である,と述べているに過ぎない。むしろ,後述する Nourse らの見解と同 様,自律原理の観点(あるいは正当防衛のリバタリアン理論)から原理的に は基礎づけられる正当防衛が,比例性原理の観点(あるいは正当防衛の平和 主義理論)による制限を受ける際,その制限のあり方によっては,国家の正 統性に疑問が呈されることになり得る,ということを示唆しているものと受 け止めるべきであるように思われる。

(263) Id. at 886 887. See also FLETCHER, supra note 257, at 870 874.

(264) さらに Kadish は,同一の論文内で不救助の問題についても検討する。すな わち,法は人の死を積極的に引き起こすことは,正当化されない限り違法と

するのに,不作為に関しては,法が作為義務を課すのでない限り,А知りなが

らも他人が死ぬままにしておく自由があるБのはなぜか,という問いを立て る(Kadish, supra note 253, at 894)。そして,人が権利を有するというの

は攻撃・介入に抵抗する主張を有するということを意味するのであり,А窮地

(18)

 Kadish の主張によれば,正当防衛の問題状況は,緊急避難の問題状況と 異なり,攻撃者と被攻撃者という構図になるがゆえに,自律原理(被攻撃者 は攻撃者の単なる道具として使われてはならない)に基づき,必要最小限度の対 抗行為の原則的許容が端的に認められ(さもなければ被攻撃者は攻撃者の単なる 道具として使われることになる),それゆえ,正当防衛は,死以外の害悪(重大 to personality の類型ではないБため,不救助はА権利侵害となる形で人を殺 害すること killingБを意味せず,А権利侵害とならない形で人を死なせるこ と letting him dieБに過ぎないので,作為による殺人と区別がなされるとす る(Id. at 895)。また,А他人を守るために無関係の第三者 bystander に作為 を要求することは,自律原理と衝突するБとし,その理由として,そのよう な作為を要求することは,要救助状況がいかなる意味でもその無関係の第三 者の行為に起因しないにも拘わらず,その無関係の第三者の人格性をその他 人のためにА徴用する conscriptБことを意味するからである,とする(Id. at 896)。その上で,Аもちろん,この自律原理は絶対的なものではない。比 例性原理が人に対する致命的でない脅威の事例において自律原理とどのよう に相争うのかを,我々は以前に(筆者注:正当防衛に関する箇所において) 見た。比例性原理は,不作為の事例においても同様にそのように働くのであ るБとして,致命的有形力に至らない攻撃に対して致命的有形力による対抗 行為を行う際に比例性原理により自律原理が限定されるのと同じことが,不 救助の場面でも妥当するとする。そして,たとえば救助義務者にほとんどリ スクがない場合に,苦境に陥っている人を助けることを要求する制定法にお いては,А自律原理の要求が,援助者に要求されることと苦境にいる人にとっ て問題になっていることとの間の著しい不均衡という判断に基づいて,譲歩 させられているБとしている(Ibid.)。  ここでは,正当防衛の原則的許容と不作為犯の原則的不可罰性の根拠が同 じ自律原理に見出され,その例外を導くものが同一の比例性原理に求められ ている。ここには拙稿・前掲注 1・(五)70 頁以下で示した理解と同様の理解 が窺われる。もっとも,不作為犯について例外的に作為義務が認められる典 型例は,Kadish 自身も指摘するところではあるが,一定の地位に基づく場合 などであり(Ibid.),また,比例性原理に基づく作為義務への違反が処罰さ れることはないというのが一般的なアメリカにおける理解であり(LAFAVE, supra note 229,§6.2 at. 591),特別な一般的不救助罪を定める法域はごく 少数である(Id.§6.2 at. 610)。とすれば,このような不救助罪が規定され ている法域ならばともかく,そうでない法域においては,正当防衛制限の問 題と一般的不救助罪処罰の問題とは別異取扱いをされていることになるが, その理由を Kadish はなお十分には論証できていないように思われる。

(19)

な傷害や強制性交など)に対抗するためにも,また一人の被攻撃者の防衛のた めに複数人の攻撃者をすべて殺害することになる場合にも許容されること を,何ら障害なく基礎づけることができる。また,比例性原理に基づく制限 としては,А脅威に抵抗するために必要な行為は脅威の性質と不均衡であっ てはならないБ(265)(傍点引用者)との表現や,刑罰における罪刑均衡とのア ナロジーを指摘していることから窺えるように,対抗行為を許容する場合と 許容しない場合との結果の比較が問題とされるのではなく,攻撃の反価値性 と対抗行為との比例性が問題とされているように思われ,上述強盗事例にお いても正当防衛を許容するという,アメリカにおける比例性の理解とも整合 しているように思われる。その意味で,利益衡量的枠組みによる立場が直面 した難点をいずれも克服している優れた見解ということができよう。  もっとも,比例性原理については,それによる制限は正義の原理に基づく とされるのみであり,なお曖昧な点が多い。また,罪刑均衡とのアナロジー についても,直ちには首肯し難い。すでに論じたように(266),刑罰付科はそ れによって被攻撃者の被侵害法益を現実に防衛するものではなく,罪刑均衡 を求めても被攻撃者・犯罪被害者に不利益を課すことを意味しないので,刑 罰目的との関係で罪刑均衡を求めることに何らの支障もないが,正当防衛の 制限を行うことは,これから行われる正当な権利・利益の侵害の甘受を被攻 撃者に刑罰により強制することを意味するのであり,そのように被攻撃者に 不利益を課すことになる制限を基礎づけるには,より強度の規範的根拠が必 要であろう(267)

(265) Kadish, supra note 253, at 886. (266) 拙稿・前掲注 130・241 242 頁。

(267) また,罪刑均衡とのアナロジーを額面通り受け止めると,これもすでに指摘

した通り(拙稿・前掲注 130・242 243 頁),責任無能力者との関係での正当 防衛が制限あるいは否定されることになろうが,これは Kadish 自身が批判 した立場であり(Kadish, supra note 253, at 884),自身の見解内部でも不 整合をきたすことになろう。

(20)

 三 自力救済禁止原理との関係を論じる見解

 このような Kadish の議論の不十分な点を補完するものと理解できるもの として,Victoria Nourse の指摘がある。彼女は,正当防衛を基礎づける考 え方の理念型として,退避義務の存在や比例性に基づく正当防衛の限界を強 調することで暴力行使を可及的に避けようとする,正当防衛の平和主義理論 pacifist theory of self defense と,自律に焦点を合わせ,А正対不正Бの構 図を強調して広範な正当防衛の許容を認めようとする,正当防衛のリバタリ アン理論 libertarian theory of self defense とを想定する(268)(269)。そして, А法は被害者(筆者注:被攻撃者)に向けられた㈶不正㈵のみに注意を向ける ことを拒絶する。その代わりに,法は,㈶不正㈵にも拘わらず,市民は…… 公権力に従わなければならないということを明らかにする原則を自己防衛に 付してきたБとする(270)。そして,退避義務(271)を認めない法域であっても, 比例性及び時間的切迫性による規律が正当防衛に付されており,これにより 社会はА私人の闘争 private warfareБから守られているのであり(272),正当 防衛の規律は,社会を自警主義 vigilantism から守るシステムを作る規律と しても理解されうる,とする(273)。このように,暴力行使の可及的回避・自

(268) Victoria F.Nourse, Self-Defense, in THE OXFORD HANDBOOK OF CRIMINAL LAW 607,619 621 (Markus D.Dubber & Tatjana Hornle ed. 2014). ここでψ の訳語は,すでに Nourse の見解を紹介している高橋則夫А正当防衛の規範 論的構造Б㈶日髙義博先生古稀祝賀論文集上巻㈵(成文堂,2018 年)200 頁に 依拠した。

(269) Victoria F.Nourse, Self-Defense and Subjectivity, 68 U.CHI.L.REV.1235, at 1271 Fn 186 は,最も一般的な正当防衛理論は利益衡量アプローチである として,一で検討した Robinson の見解を引用しつつ,この理論は判断手法 を示すだけで考慮すべきコストとベネフィットの内実を与えるものではない ので,結局のところ暴力の回避と自律という二つの要素を考察することにな る,とする。

(270) Nourse, supra note 268, at 620. (271) これについては第三節参照。 (272) Nourse, supra note 268, at 621. (273) Nourse, supra note 269, at 1274.

(21)

力救済原則禁止の観点から,理念型としての正当防衛のリバタリアン理論は 貫徹されえないということを指摘しつつ,その一方で Nourse は以下のよう にも述べる。すなわち,正当防衛が正当化される理由は,正当防衛が個人の 自由を促進するという点のみにあるのではなく,被攻撃者に対抗行為のゆえ に刑罰を科すとすれば,国家が暴力による強者の支配を認めるメッセージを 発することになるという点にもあるのであり(274),正当防衛の規律のあり方 は 遵 法 性 the law abiding に も 付 随 的 な 影 響 を 与 え る , と(275)。 以 上 の Nourse の主張は,次のように理解できよう。すなわち,А正対不正Бの関係 から必要最小限度の対抗行為が全て許容されるわけではなく,自力救済行為 が社会秩序へ与える影響を考慮する必要があり(276),私人の実力的闘争によ る暴力的風潮の阻止の観点からの制限が必要であるが,対抗行為の過度な制 限も暴力的強者による支配是認のメッセージにより,国民の遵法性に深刻な 影響を生ぜしめてしまうので,そのいずれの側面にも配慮した上で比例性や 時間的切迫性(さらには退避義務)という規律は検討されなければならない, と。  四 時間的切迫性要件に関する議論  また,自力救済禁止原理と正当防衛の例外的許容との関係について更なる 示唆を得るために,Nourse が比例性の規律と同質の正当防衛制約であると 位置づけている時間的切迫性の規律にも目を向けると,次のような議論があ

(274) Nourse, supra note 268, at 620,627.

(275) Victoria F.Nourse, Reconceptualizing Criminal Law Defenses, 151 U.PA. L.REV.1691,1710 (2003). Ferzan, supra note 262, at 470 71 が,А有責的 攻撃者に対して致命的有形力を行使することを国民に国家が許容しないБ場 合にはАそのような国家が長続きするとは考えられない。国民は自己の保護 をしてくれない機構に従う理由を有しないであろうБとし,正当防衛の過剰 な制約は国家の正統性を毀損するとするのも同様の趣旨と理解できよう。 (276) Nourse, supra note 269, at 1272 Fn.188 は,自律を強調する立場は攻撃者

と被攻撃者との関係を強調するものであり,暴力の回避を強調する立場は被 攻撃者と社会との関係を強調するものである,とする。

(22)

る。一方で,学説上はこの時間的切迫性による規律に批判的な見解が少なく なく,時間的切迫性要件は対抗行為の必要性要件に解消されるべきであると の主張がなされる(277)。他方で,多くの法域では時間的切迫性要件が維持さ れており(278),その要件に必要性とは異なる意義を見出す見解も根強い。注 目すべきは,後者の見解である。  まず,Whitley Kaufman は,時間的切迫性という明確な要件を置く理論 的根拠を,将来のリスクを過剰評価しがちな人間の錯誤リスクを回避する点 に見出し,その際,いつ,そしてどの程度,対抗行為をするかに関しての被 攻撃者の判断の余地を限定することが重要であるとする(279)。また,Joshua Dressler も,時間的切迫性要件を削除ないし緩和した場合,А将来の予測を 誤る危険,さらに,致命的有形力ほど極端でない手段が使用可能か否かの予 測を誤る危険が,著しく増大するБとし,А時間的切迫性要件の利点の一つ は,生命に関わる有形力を不必要に行使する危険性を減少させることにあ るБとする(280)。ここからは,自力救済行為には,攻撃の存否及び必要な対 抗行為の量に関して,行為者に錯誤リスクが付きまとうので,それを可及的 に低下させる必要があるという観点が見て取れる。そして,Dressler も強 調しているように,対抗行為が致命的有形力の行使となる場合にはその錯誤 は取返しのつかないものになる。そうであるとすれば,時間的切迫性要件に より大部分はそのリスクが排除されているとはいえ,なお残り得るリスクを

(277) See ROBINSON, supra note 248,§131 at 76 79; Richard A.Rosen, On Self-Defense, Imminence, and Women Who Kill Their Batterers, 71 N.C.L. REV.371,380,406 (1993).

(278) Robinson et al▆, supra note 222, at 51 52 によれば,44 法域が時間的切迫性 要件を要求し,必要性要件に解消しているのは 8 法域に留まる。

(279) Whitley R.P.Kaufman, Self-Defense, Imminence, and the Battered Wom-an, 10 NEW CRIM.L.REV.342,364 (2007). See also Ferzan, supra note 253, at 252.

(23)

可及的に排除するために,比例性の観点からも自力救済の許容範囲を制約し ておくことが合理的といえよう。  さらに,Kimberly Ferzan は,時間的切迫性要件に関する中核的問いは, いかなる種類の脅威によって正当防衛権が基礎づけられるかであり(281),時 間的切迫性要件は攻撃の actus reus として理解されるとし(282)А我々は攻 撃との対照によってのみ防衛を理解することができる。攻撃者の行為は,コ ミュニティルールの違反及び防衛者への対等尊重 equal respect の欠如を示 す。この行為こそが自己防衛を理解可能にするのである。Бとする(283) Ferzan のこの主張に対しては,攻撃の不正性という性質は時間的切迫性の 存否に関わらず観念可能なので,そのような攻撃との関係でА防衛Бを理解 することも可能ではないかとの批判もあるが(284),彼女が不正の種類を問 い,А防衛者への対等尊重の欠如Бに注目している点を重視すれば,正当防 衛権起動のために一定の不正の質を要求する立場として理解することが可能 であるように思われる(285)。残念ながら,彼女はこのような不正の質が要求 される根拠につきこれ以上の明確な記述をしていないが,彼女が攻撃と防衛 との対応関係を重視している点にも着目すれば(286),攻撃の質と不均衡な対 抗行為にはА防衛Бとしての意味付けができず,むしろ闘争を拡大する攻撃 行為としての意味付けしかされ得ない,という趣旨と理解することが可能で

(281) Kimberly Kessler Ferzan, Defending Imminence: From Battered Women to Iraq, 46 ARIZ.L.REV.213,255,262 (2004).

(282) Id. at 257. (283) Id. at 259.

(284) Kaufman, supra note 279, at 353 は,Ferzan の見解に対してこのような批 判をし,そうであるとすれば,正当防衛を時間的切迫性要件で制約する理由 は,錯誤リスク回避の観点から理解されるほかない,とする。

(285) わが国においても,急迫性要件に関して,不正の質を踏まえた議論がなされ

ていることに鑑みれば,このような理解も不当ではあるまい(前掲注 162 参 照)。

(24)

あるように思われる(287)。そして,彼女は比例性については特に語っていな いものの,А防衛者への対等尊重の欠如Бという不正の質には程度差が付さ れうると思われることにも鑑みれば,不正の質がなお相対的に低ければ,比 例性に基づいて正当防衛が一定の制限を受けるとの帰結に至るのが自然であ ろう。そして,比例性の問題は,攻撃者が示すА防衛者への対等尊重の欠 如Бの程度と対抗行為との比例性の問題となるので,対抗行為を許容した場 合と許容しない場合との結果の比例性の問題ではなく,攻撃の反価値性と対 抗行為との比例性を問題とすることになろう。  第三款 検討  以上の議論を踏まえれば,比例性の問題は以下のように理解することがで きよう。  まず,アメリカ正当防衛法における比例性は,致命的有形力行使による対 抗行為を許容した場合と許容しない場合との結果の比例性ではなく,攻撃の 反価値性と対抗行為との比例性を意味するが,利益衡量的枠組みからはこの 点を説明できないので,それを説明するためには正当防衛の権利行為性を前 提に,その制限法理の規範的根拠を探求するべきであり,その規範的根拠と しては,自力救済禁止原理との調整という観点がありうる。  そして,自力救済禁止原理との調整という観点においては,以下の点が重 要である。まず,自力救済行為には攻撃の存否及び必要最小限度の対抗行為 の量に関しての錯誤リスクが必然的に伴い,それは攻撃切迫後であっても排 除はされず,特に対抗行為が致命的有形力となる場合にはその錯誤は取返し のつかない結果を引き起こすので,可及的にそのリスクを低減させる必要が ある。また,攻撃行為の反価値性が低い場合における(もちろん必要最小限度 (287) Id. at 259 は,不正の種類を問わずに必要性のみによって正当防衛を許容す れば,利益対立者がいずれも相手方を攻撃者として対抗行為をすることが許 容されることになり,防衛と攻撃とを区別することができなくなる,とする。

(25)

なものに限られるが比例性に関して)無限定の対抗行為は,防衛行為としてで はなく闘争の拡大行為としてしか意味付けられえず,それを許容すれば私人 による実力的闘争を許容する印象が強度になりすぎ,暴力的風潮を高めて社 会平和秩序を危殆化する恐れがあるので,その危険も低減させる必要があ る(288)。もっとも,正当防衛を制約するということは,被攻撃者に不正に屈 することを要求することにもなるがゆえ,暴力的強者による支配是認のメッ セージにより国民の遵法性に生じる影響にも配慮すべきである。  それらを踏まえると,アメリカ正当防衛法が,致命的有形力行使による対 抗行為を許容した場合と許容しない場合との結果の比例性ではなく,攻撃の 反価値性と対抗行為との比例性に注目することは以下のように説明できよ う。すなわち,一方で,攻撃の反価値性が高くない場合には,それを一時的 に受忍させたとしても国家が暴力による強者の支配を認めるメッセージは弱 く,むしろそれに対して致命的有形力による対抗行為を認める方が,私人に よる実力的闘争,強者支配を是認するものとなりかねず,また錯誤に基づく 弊害も取返しがつかないので制限を認めるべきである。しかし他方で,攻撃 の反価値性が高い強盗のような場合には,たとえ財物を引渡せば攻撃者に対 して致命的有形力による対抗行為をする必要がなくなるとしても,そのよう に引渡しを義務づけることは国家が暴力による強者の支配を認めるメッセー ジがあまりにも強すぎ,国民の遵法性への影響が看過しがたいので,取り返 しのつかない錯誤に基づく弊害は完全には否定しえないものの,致命的有形 力による対抗行為を許容すべきである,と。 (288) なお,銃社会であるアメリカに比して,そうではないわが国においては,錯 誤に基づく弊害という問題の重要性は相対的に低くなるとはいえるかもしれ ない(松宮・前掲注 2・113 頁注 43。拙稿・前掲注 1・(五)89 頁注 263 も 参照)。しかし,錯誤に基づく弊害が皆無になるわけではなく,さらに,暴力 的風潮蔓延の阻止・社会平和秩序の維持という観点からは,むしろ銃社会で ないわが国における方が,致命的有形力という最も強度の暴力の行使は,闘 争の拡大行為と意味づけられ,より否定的に評価されることになろう。

(26)

 このような理解は,正当防衛の権利行為性を前提としつつ,不必要な誤っ た対抗行為による取返しのつかない結果惹起という許されない他者加害の可 及的阻止と,被攻撃者をも含めた全ての者の正当な権利・利益を適切に保護 するための社会平和秩序の危殆化の可及的阻止という観点に基づいて,正当 防衛を制約するものであり,連帯原理とは異なる正当防衛制限の規範的根拠 を探求するという本稿の目的(289)からは,非常に有益な示唆といえよう。  第四款 補論  このように比例性による正当防衛の制限の規範的根拠を理解したとして も,その抽象性・観念性は否定しえず,それゆえ,模範刑法典の注釈書が А致命的有形力の行使によって自己を防衛することが許容されるような,極 端な害悪の性質について,完全な合意は存在しないБとするように(290),そ れは各法域ごとの決断に委ねられているといわざるを得ず,それほど厳格な 比例性を要求していない法域の規律も直ちに不当とはいえない(291)。もっと も,Robinson の指摘によれば,一定の列挙された犯罪に対して致命的有形 力による対抗行為を一律に(292)許容するのは,それらの攻撃が被攻撃者の生 命侵害又は重大な傷害の可能性を含むからであるとされる。しかし,そうで あれば,Robinson も指摘する通り,実体的な問題は攻撃に生命侵害又は重 大な傷害の可能性が含まれているかに尽きる以上,攻撃の程度に関する錯誤 に合理性があるか否かを問題とするのが理論的には一貫するのであり,それ (289) 拙稿・前掲注 130・237 238 頁参照。

(290) AMERICAN LAW INSTITUTE, supra note 220,§3.04 at 48.

(291) もっとも,⑤の類型については,そもそもその類型に含まれる法域の数は非

常に少なく,またА相対的に数の少ない重罪が全ていずれにせよ死刑で処罰 された時代Бには合理的であったかもしれないが,現在では合理的でない, と強く批判されている(LAFAVE, supra note 214,§10.4 at 199 Fn 24,§ 10.7 at 255 256)。

(27)

以上の拡張は過剰であるといわざるを得ない(293)。また,少なくともわが国 への示唆を求めるという観点からは,このような拡張はなおさら不要である ように思われる。すなわち,たしかに,銃社会であるアメリカにおいては, 一定の列挙された攻撃に被攻撃者の生命侵害又は重大な傷害の可能性が潜在 しており,一瞬の判断の遅れが被攻撃者の生命等を奪うことになりうるの で,明確なルールを設定することで対抗行為者を刑事責任に問われるリスク から解放する必要性があるとされるのは,まだ理解可能かもしれない(294) しかし,そうではないわが国においては,そのような明確なルールを設定す る必要性は低く,むしろ過剰拡張部分,すなわち被攻撃者への生命侵害又は 重大な傷害の危険性があると対抗行為者があまりに軽率に誤信した場合(あ るいはさらにそのような危険性がないことを対抗行為者が認識している場合)につ いても致命的有形力行使を許容することになってしまうという問題性がより 浮かび上がるように思われる。ゆえに,わが国への示唆を得る際には,攻撃 が致命的有形力を含んでいるか否かが一つの分水嶺であるというアメリカ法 の基本部分を参照し(295),さらに強制性交等の十分な事後的救済が想定し難 い攻撃にまでは拡張する(296),というのが穏当であろう。  もう一つ,これまで本稿では,比例性とは攻撃の反価値性と対抗行為との

(293) See ROBINSON, supra note 248,§131 at 83 84; Robinson et al▆, supra note 222, at 58. See also Sydnor v. State, 776A.2d 669, at 677 (Md. 2001). (294) See Renee Lettow Lerner, The Worldwide Popular Revolt Against Propor-л

tionality in Self-defense Law, 2 J.L.ECON. & POL'Y 331,359 60 (2006). さ らに佐伯・前掲注 8・94 頁も参照。もっとも,そうではあってもやはり過剰 拡張であろう。前述のとおり,銃社会であることは,対抗行為が錯誤に基づ く取返しのつかない結果を生ぜしめるリスクを高める側面もあるので,安易 な拡張には慎重であるべきであろう。 (295) わが国に援用する際には,攻撃の程度についての錯誤は過剰性を基礎づける 事実の錯誤として取り扱われ,その錯誤についての過失の有無を判断するに あたって,切迫状況であることを踏まえた,慎重な判断をすれば足りるよう に思われる。 (296) 前掲注 245 及び 246 も参照。

(28)

比例性を意味すると繰り返し述べてきたが,検討を要する点が残されてい る。А攻撃の反価値性Бという観点を強調すると,たとえば,強盗犯人に銃 を突きつけられて財物を奪われた被攻撃者が,その強盗犯人から銃を奪った 後,当該財物をもって逃走する強盗犯人を追い掛けて射殺した,という場 合(297)にも,財物取り返しのためにそれが唯一の手段であったのであれば, 正当防衛として認められるということにもなり得る。実際,模範刑法典§ 3.06(3)(d)(ⅱ)(A)は(298),このような場合にも致命的有形力による 対抗行為を許容しているように思われる。同条項は,攻撃者が放火,不法目 的侵入,強盗その他の重罪である財物盗取罪もしくは損壊の罪を遂行し,又 はその遂行に着手し,かつ,その攻撃者が被攻撃者に向けて又はその面前で 致命的有形力を行使した又はその脅迫をした has employed or threatened deadly force 場合には,致命的有形力による対抗行為が正当化される,とし ている(299)。これは,完了形になっていることからも明らかな通り,攻撃者 による致命的有形力の行使又はその脅迫が一旦存在したもののすでにそれが 消失し,財産侵害のみが現在遂行中であるという状況においても,対抗行為 として致命的有形力を行使することを許容するものである(300)。この根拠と して,模範刑法典の注釈書は,Аこの文脈において致命的有形力に訴えるこ

(297) Sydnor v. State, 776A.2d 669 (Md. 2001) はまさにそのような事案であっ た。

(298) 前述のとおり,模範刑法典は本来②の類型にあたるものであり,この条項は

その例外的拡張として規定されている。なお,AMERICAN LAW INSTITUTE, su-pra note 220,§3.06 at 96 97 から窺えるように,模範刑法典の注釈書は,こ のような拡張が,私人の致命的有形力行使権限を限定する模範刑法典の基本 的立場と整合するかに疑念を抱いている。 (299) 前掲注 237 参照。そこでは法務省刑事局・前掲注 235・41 頁に従って,同箇 所はА行為者に向けて,又はその面前で致命的な威力を行使し,又はその行 使をもって脅迫し,あるいはБと訳出されているが,若干ニュアンスが汲み 取れていないきらいがあるように思われる。

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