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日本花蓮 の対 ア メ リカ輸 出停滞 をめ ぐって

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岡山大学経済学会雑誌

3 1 ( 3 ), 1 9 9 9,1 3 7 ‑1 6 2

《研究 ノー ト》

日本花蓮 の対 ア メ リカ輸 出停滞 をめ ぐって

神 立 春 樹

1 は じめに 2 輪出花蓮の市場

(1) アメ リカ‑の輸出 (2)アメ リカにおけ る敷物生産

(3)アメ リカ市場におけ る各国製品 との競合におけ る問題点 3 海外輸 出の停滞状況

(1) アメ リカ市場における状況 (2)アメ リカ市場におけ る競合 4 輸出花産業 の特質

1

は じ め に

明治

1 0

年代後半 に本格化す る対 アメ リカ輸 出に よって急速に拡大 した花延 生産 は

,1 90 2

(明治

3 5 )

年 を ピークとす るそれ以降の対 アメ リカ輸 出の停滞 に よって ,まもな く大 き く縮小 してい く。 明治

20

年 代 の急 速 な発展 ととも に ,この対 アメ リカ輸 出停滞をめ ぐる問題が蘭産業史におけ る重要 な問題 で あるが ,ここでは ,このアメ リカ市場 におけ る日本花延 の停滞 をめ く.ること が らについて検討す る。

(2)

2

輸 出花延 の市場 (1) アメリカへの輸出

①輸 出花延の販路

1 8 8 0

(明治

1 3 )

年 に磯崎眠亀がみずか ら錦莞延 の見本数十種 を携 えて神戸 港 に行 き,外商舘に赴 き輸 出の努力を したけれ ど,蘭蓮に着 目す る者は まれ で同港 の浜 田篤三郎が見本品数種 を購入 したに とどまったQ浜 田は該品をイ ギ リス,アメ リカに送 り販路を求めたが ,翌年 にな ってイギ リスか ら注文を 受けた。 これが県下蘭延輸 出の最初で ,ここに本邦花延が初めて外国に輸送 せ られたのである。

1 8 8 4

(明治

1

7)年 に ドイ ツ国の‑ ンブル クのシー ・アイ ・ブラガ ンプなる 者が岡山市蘭延業今谷直平 の宅に来 て製 品販売の契約を したOつ いで ,翌年

1 8 8 5

(明治

1 8 )

年 にアメ リカのメ リーラン ド州 シー ・ライ ヲンな る者が今谷 と売買の契約を し,続 いて東京木村第二 支店 堀越 善 十 郎 よ り岡山県庁 を経 て ,多数 の注文があ った。

以上は 『花延柔纂』をは じめ とす る各書にみ るところの ,花延が輸 出され るに至 る経緯 であるが ,か くして輸 出品 とな った花延 の主要相手先はアメ リ カで,「本品 ノ需要地‑主 トシテ米国熱帯地万 ニシテ,其九分‑全国紐育 ,秦 港 ニテ集散 スル ヲ常 トシ,其余‑仏 国巴里 ,英国倫敦 ,英領香港及 ヒ独逸」

1「

である,としているよ うに ,ニ ュー ヨーク,サ ンフランシス コが主要集散地 とな ってい る。

生産地か らは 「花延及び色延 は重に都字郡妹尾村仁栄社 よ り神戸百二十一 (2)

番 デオカブ,三十六番 デヤス商館‑輸送す るものな りと」 ,とい うよ うに , 神戸 の外国商館を経 て輸 出され るのである。

この神戸 の外国商館については,「神戸居留外商 は我国製 産 品を買 入各本 国需要者‑輸送す るものに して ,内地貿易商 ・仲買商 ・製造者 と直接 の関係 を有 し,而 して内外商は相提携正路 の取引をな し,以て本業 の隆盛を図 る真

(3)

日本花蓮の対アメリカ輸出停滞をめぐって 505 I̲.:‑.T

任 あるものなれば,神地居留外商に して資産確実 ,正路の取引す る館名を掲 げ内地同業老中今後新に本業を開始せん とす るものに最 も必要を認むるを以 て大ゐに参考に資せん とす」 として,つ ぎの神戸居留花延取 り扱外商館名が

〔3) あげ られているO

居留地百廿一番 八十八香 西米三番 九十一番

六拾三番 八十三番 三十八番 百十三番

五十番 生 田前一番 五十三番 弐拾番

販売の手順であるが,神戸港外国商館 と直接取引す る場合はつ ぎの ように (4)

行なわれ る。

予め注文品に対 して添見本を納めて置いて,その後製品を入庫す ることを 通例 とす る。その検査法は,添見本を基準 と して製 品の精粗等級 を鑑別す る。

代金の支払であるが ,製品入庫の上 ,約束代金の

6

ない し

7

割の内金を支 払い,検査終了の うえ清算す る。

しか し,商館に よっては この方法を とらないものが少な くない。

以上は外国商館 との直接取引の場合であるが ,神戸港の貿易商人に売 り込 む場合 もほぼ同様である。

(5) さて,神戸‑の出荷であるが,それはつ ぎの ように行なわれ る。

荷造 りの方法であるが,花

建 2

本を

1

巻 として,藁菰でそれを包む とい う ことが一般的である.

荷物は汽車構 または汽船横で, 1巻を 1個 として,花延1個につ き,岡山 か ら神戸 までの運賃は,汽車横は神戸配達賃込みで12銭 ,汽船積は10銭〜11 銭で ,他に神戸市 内配達賃

3

銭を要す る,とい うことである。至急を要す る 場合 ,汽車の大荷物 として出す ときほ

,1

個につ き

2 5

銭である。汽船積がや や安いが,時間は多 くかか るのであろ う。

(4)

② アメ リカにおけ る需要

さて ,この花延 の需要地 におけ る需要であるが ,これについては 「需要 の 目的」 としてつ ぎの ように記 してい る。

敷物即 チ 「カーペ ッ ト」 ノ代用 二止 り,未 夕他 二使用 スル ヲ聞 カスo需要地 ‑多 ク熱門繁華 ノ都市 二在 ラズシテ幽閉静清 ノ村郷 二在 l)。即 チ山村水郷 ニテ‑家屋 ノ 各室 二使用 スルモ,都府 二在 テ‑僚側又‑僕稗 ノ室 ノ外殆 ン ト使用 セス。其季節 ‑ 夏季 二在 l)テ使用者 ノ上下 ノ区BrJ無。使用 ノ暫久‑貧富如何 二由ルモ,概 シテ‑ 夏 季又‑翌年 ノ夏季 二裏返 シテ再用 スル ヲ常 トス。但富者‑一夏季 二止ルモ貧者 ‑品

(6) 物 ノ破損 二至ルマテ使用スル‑言 ヲ倹 タス。 (ニューヨーク領事報 告 )

「カーペ ッ ト」 ニ代用 シ若 ク‑壁 ノ下船 二使用 スル ノ外他 二用途 ナシ。需要地 ‑ 当国太平洋沿岸及東部諸州何 レモ需要 スルモ,南部熱帯地 ヲ最多 トス。需要 ノ多 キ

‑夏季 二在 リテ上下 ノ別 ナ ク使用 スルモ,廃棄 ノ期‑上等社会‑大約二三 ケ月 ,中 等 ‑ー ヶ年 ,下等‑‑ ヶ年 以上使用 シ,共闘表裏 ノ転換 ヲ行 70

本品 ノ需要‑専 ラ敷物用 二供 スル ニア リo好事家‑時 二壁対レ 代 二之 ヲ使用 スル モノア リト維 トを其範囲極 メテ狭小ナ リ。原釆本品 ノ性質 タル欧米在来 ノ紙鍛 卜異 ナ リ乾潔清涼 ヲ以テ勝ルモノナ レ‑北方寒気 ノ地 ヨリ‑南部煉温 ノ地 二需要 アル コ ト固 ヨリ論 ヲ侯 タス。之 二加 フル ニ当国 ノ南部‑東北部 二比 シテ生計 ノ度週 二低 ク 高価 ナル級椴 ヲ購買スルカ比較的 二少キニ反 シ,本品 ノ外見美 二価格廉 ナル事実 ‑ 特 二南部住民 ノ噂好 ヲ引 クニ至 リシモノ 、如 シ。然 り ト維 モ本品 ノ顧客‑独 り南部 二止マルモノ ト云 7‑ カラス,紐育 ノ如キ費府及市俄高 ノ如キ巨市 二在 テモ可 ナ リ 需要 ア リテ,中等 ノ家 ニ‑往 々使用 スル コ トア リ,又富豪 ノ第宅 二於 テ‑通年 ノ敷 物 二用 フル コ トナク大抵‑夏間 ノ ミ使用 シ,秋風‑ クビ釆ル トキ‑普通 ノ繊鍛 二敷 替 ユ。然 ラサ レ‑避暑 ノ為 メ設 ケアルBTJニ於 テ之 ヲ使用 スO(廿八年七月 ニューヨー

(7) ク領事報 告 )

す なわ ち,それは専 らカーペ ッ トの代用品 としてである。 アメ リカ南部地

(5)

日本花延の対アメ リカ輸出停滞をめ ぐって

5 0 7

万 に お い て ,夏季 に 中等 以上 に需 要 され る。 そ もそ も花 延 の質 は カーペ ッ ト と異 な り,乾 燥 清 冷 を も って特 性 とす る の で ,北 方 湿 寒 の地 に は 需 要 少 な く,南方 乾 燥 暖 の地 に適 す るO そ れ に加 えて ア メ リカの南 部 の諸 州 は北 東 部 に比 べ て生 活 程 度 が遥 か に低 く,高価 な カ ーペ ッ トを購 入 す る よ りも きれ い で廉 価 な花 延 を多 く用 い るので あ る。 そ して , この地 方 のみ で な く, ニ ュ ヨー ク , フ ィラデル フ ィア , シ カ ゴ,ボス トンの よ うな大 都 会 に て も多 く用 い , また 夏季 避 暑 のた め の別 室 な どに お い て 特 に 用 い る も の が 多 い の で あ

(8) る。

( 2 )

ア メ リカ にお け る敷 物 生 産

そ もそ もア メ リカ国 内に おけ る敷 物 生産 で あ るが

,

『花 延 商 況 一 斑 及 其 改 良意見』(明治

2 8

年 ) はつ ぎの よ うに記 して い る。

千七百九十一年 ,即チ今 ヲ去ル事百〇四年前 ,初 メテフィラデルフィアニカーペ ッ トノ製造起 コ1)シガ,当時ノ\其業連緩 ニシテ千八百十年 ノ統計 二拠ルモー ヶ年 ノ 産額九千九百八十ヤー ドニ過ギザ リシモノ トノ事ナ リ。勿論此時分‑蒸気仕掛 ノ機 械ナク何 レモ手織機 ヲ用 ヒ且 ツ職工共銘 々ノ家二在 り製造二従事セル事猶我国 ノ農 民ガ花延 ヲ製スルガ如キ有様ナ l)シカバ,‑ 日ノ出来高上ヤー ドヨl)八ヤー ド位 二 過ギザ リシ ト云 フ。然ルニ其後千八百五十年以来巧妙ナル機械相瞳デ発明セラ レ, 千八百八十六年 二出来 タル 「ノールス」 ト云‑ル機械 ノ如キ‑一台一 日ノ産 出五十 ヤー ドニ達スルニ至 レ1)O其発達 ノ次第‑事長キ ヲ以テ義 二詳説セザ レトモ,兎 二 角 カ 、ル勢 ニテ製造 ノ進 ムニ従 ヒ次第 二廉価 二作ル事 ヲ発明シ,従テ追 々需用 ノ区 域 ヲ広 メ,今 日二至 l)チ‑極貧 ノ家 ヲ除 クノ外苛 モ カーペ ッ トヲ敷 カザル モ ノナ シoサ レバ近来 日本 ヨリ釆ル人‑当国ニテカーペ ットヲ用 ヒル風俗‑数百年来 ノ慣 習ナルガ如 ク想像ス レトモ其実僅 二五十年許 l)ノ間二普 ク行渡 l)タル風俗 ニシテ , 彼支那花延ガ初 メテ輸入セラレシ時‑,カーペ ットモ亦売出シノ初 ニシテ,其需用 区域 尚ホ極 メテ狭隆ナル時代ナ リシナ 1)O唯支那延‑四十余年一 日ノ如 ク兎角 改良

(6)

(9) ニ意 ヲ江 ガザ リシ為 メ其需用区域 ヲ拡張スル事能‑ザ リシノ ミ。

すなわち

,1 8 5 0

年代以来 ,それ までの手工業か ら機械生産 となった。生産 高は急増 し,製品は廉価 とな り,それは一般的に広 く普及 した。 しか し,

右 二云 フ如 クカーペ ッ ト‑近来 コソ其製造 ヲ太 メタルモノナ レ トモ,此五十年 間 二合衆国 ノ人民‑殆 ン ド四倍 ノ増加 ヲ為 シ,富 ノ度ノ殆 ソ ドニ倍 セル際 ニア リテ百 事矢 ノ如 ク進張スル ノ機 二乗 ジタ レバ供給常 二需要 二及バズ,如何 ホ ド製造 ヲ盛 ニ スルモ販路 二窮スル ノ憂ナカ リシカバ巨大ナル工場続 々 トシテ起 り,機械‑益 々織 成 ノ度 ヲ早 メ模様 ‑愈 々新奇 ノ意匠 ヲ競 ヒ相争 フテ製造 二従事 セシガ,近年 二及 ン デ‑人 口モ旧ノ割合 ニ‑増加セズ ,生活 ノ方法 モ追 々引キ締 り来 り,共棲遂 二未曾 有 ノ不景気 二際会 シタル為 メ,二三年前 ヨl)此業煤 二一蹟 シ,今ノ却 テ供給過 多 ノ

IL 有様 トナ リ,之 レガ為 メ市価 モ忽チニ低落 シテ殆 ン ド旧時 ノ半額 二下 レ l)O

とい うように,この需要の伸びは この

5 0

年間の

4

倍に も及ぶ人 口増加 と

2

倍 となった所得増加に よったのであ り,その ような増加がな くな った今 日,供 給過剰 とな り,価格が半額 となって しまった。

そ して,引 き続 きつ ぎの ように記 しているo

サ レバ ,カーペ ッ トノ最下等 ナルイ ング レーンヲ購‑バ現今‑ ヤー ドニ付三 十五 仙 ヨ1)五十仙 ニテ手 二人ル ヲ得ベ シ。然 シ乍 ラ三十五仙 ノカーペ ッ ト‑ カーペ ッ Tl 中 ノ最下等 ニシテ ,而モ此 ノ如 ク無下 二安価 ナルモノ‑庫底 二残 リタル持越品 力左 ナク トモ至 テ粗製 ノ品ナ レバ染色 ノ槌易キ‑勿論 ,模様 ノ如キモ在 り合セノ形 ヲ付

シタルモノニシテ,一見其卑野 ナル事 ヲ厭 ‑シムル悪品也 。

(7)

日本花延の対アメリカ輸出停滞をめ ぐって

5 0 9

( 3 )

ア メ リカ市場 にお け る各 国製 品 との競合 にお け る問題 点

① ア メ リカ国 内製 品

ところで カーペ ッ トで あ るが ,引用文 に あ る よ うに ,ア ジアか ら ヨー ロ ッ パ に伝 わ った カーペ ッ トは , ヨー ロ ッパ で はそ の

4,5 0

年 来巧 妙 な る機 械 の 発 明が相続 き, ノール ス と称 す る機 械 の ご ときは

1

1

日の産 出

5 0

ヤ ー ドに 達 し,価 格 は低廉 とな る と ともに ,需 要 は増 えて ,貧 困な る家 を除 き,ほ と ん どが これ を用 い るに至 ってい る。 ところで ,中 国の花延 が初 めて ア メ リカ に輸 入 され た のは この カーペ ッ トが発達 した時代 と同 じそ の

4 0

年 来 の ことで あ る。

す なわ ち ,わ が 国 の花延 の市場 で あ るア メ リカでは ,家屋 の敷物 には紙椴 が一般 的 で あ り,それ に 中国産 の花延 が

4 0

年 は ど前 か ら輸 入 され ていた ので あ るO ここに 日本製 品が参 入 した ので あ る。

ア メ リカには 国産 級 也 が発展 し,廉 価 な製 品が供 給 され て い るに もかかわ らず ,中国 ,そ して 日本 か ら花延 を輸 入 してい る。 ア メ リカ国産 の カーペ ッ

トの問題 点 が あ った。

先 に引用 した よ うに ,ア メ 1)カの国産 カーペ ッ トの廉価 は

3 5

セ ン トの もの が あ るが ,それ は 「一 見 シテ卑 野 ナル事 ヲ厭 ‑ シムル悪 品 也 上 と して い た が ,それ に続 き,

之二引力‑テーヤー ド三十五仙ノ花建 卜云‑バ錦莞延或‑絡雲席 ノ飛切ニシテ, 其模様‑一 々東洋 ノ妙想 ヲ表 シ,米人ノ眼ニ‑甚ダ珍 ラシク感ゼラル 、物ナ リo又 カーペ ット 、毛織ナ レバ丈夫ノ点‑花延二優 レドモ靴 ノマ 、起居スル坐敷二用 フル ガ故二塵挨 ノタマル事甚敷,朝夕間断ナク掃除スルモ尚且室内ヲ清潔二保 ツ事能‑

ズ.然ルニ花延ノ方ナ レバー 日二一度乃至二 日二一度帝 ヲ用 フ レバ塵挨跡 ヲ止 メ ズ,泥土等ノ染 ミ付キタルモ濡 レ雑巾ニテ拭 ヒ取 レバ容易二其汚 レヲ去ル事 ヲ得ル ガ故こ,清潔ナル事カーペ ットノ比二非ズO且米国ノ地‑概ネ気候激烈ニシテ春秋 短 ク厳寒 卜酷暑 卜交代スル国柄 ニテ,冬‑兎 モ角夏季炎熱 ノ焼 クガ如キ トキニ当

(8)

リ,毛織 ノ敷物‑見ルカラ汗 ノ種 ニシテ,花延 ノ軽快清潔ナルニ如 カザル奉還 シo 加之 カーペ ット‑十年モ十五年モ其形 ヲ失‑ザルガ故こ,金銭 二多少 ノ余裕 ナキ家

‑ 自然之 ヲ取換ル事 ヲ為サズ,五六年 ノ後‑色槌 メ毛禿 シ,塵積 り経緯 ノ糸顕 レテ 醜体 ヲ極 メ不潔 ヲ棟 メ,室内二坐 シテ道路 こ在ル ノ思 ヲ為 ス事世人 ノ能 ク知ル所 ナ リO尤モ注意 ノ行届キタル家 ニテノ、時 々掃除人 ヲ頼 ミ塵 ヲ払 フ事 ア リト維 tモ暫時 ニシテ又旧二復 シ,不潔ナル事甚 シ。然ルニ花延ノ、カ‑ペ ットノ如 ク長持セザル ガ 放二遅 クモ三年 ニノ、一度新物 卜取代‑ザル可 ラズO従 テ常 二清潔 こシテ心地好 キ坐 敷二住居スル ノ利 ア リ。 カーペ ットノ寿命二任セテ五六年間モ不愉快 ヲ感ズル ニ優 ル万々ナ リト云 フべシ。又価格 ノ点 ヨリ云フニ世間ノ人情‑十年十五年 ノ先 ヲ考 テ 物 ヲ買フガ如キ事稀 ニシテ,就中家具 ノ如キ‑三年五年 ノ経済ガ普通 ノ標準ナ リ.

故ニカーペ ットヲ買フ トキモ同;)ク三四年 間 二一度新調 スル覚悟 トス レバ ,カー ペ ットノ高価 ニシテ汚 レ易キヨリ‑,花延 ノ清潔 ニシテ廉ナル ヲ撰 ブ事理 ノ当然 ナ リトス。中以下 ノ人民及南部諸州 ノ人民ガ好 ンデ花延 ヲ求 ムル‑,全 ク之ガ為 ナ リ

J:㌔

ト知ルベ シO

す なわ ち , カーペ ッ トと比較 す る と, カ ーペ ッ トの廉 価 物 は

3 5

セ ン トで あ るが , この

3 5

セ ン トとい うと花 延 で は最 高 品 で あ り,模様 に もまた意 匠 を こ ら した もの とな って い るO カーペ ッ トは毛織 で あ るので丈 夫 で は あ るが ,靴 の ま ま起 居 す る こ とに よ り魔 境 が た ま り掃 除 が容 易 で な く,そ れ を 間 断 な く 掃 除 を行 な って も清 潔 を保 ちが た い。 これ に 比 較 して 花 延 は 塵 攻 は 帝 で 掃

普 ,泥 は雑 巾で拭 き とれ ば清 潔 とな る。 そ して夏 は カ ーペ ッ トは見 るか らに 暑 そ うで あ るのに対 して花 延 は涼 しげ で あ るO そ して , カーペ ッ トは長 持 す るの で 自ず か ら長 く使 用 す る物 で あ り,色被 せ ,毛 禿 し,擦 り切 れ て も使 用 す るの で あ る。 これ に比 べ る と花 延 は

3

年 に 1度 は替 え る もの で あ り,従 っ て いつ も清潔 で あ る。

(9)

日本花延の対アメリカ輸出停滞をめぐって 511

② 中国製品

一方 ,わが国花延が アメ リカ市場‑参入す るとき,すでに中国製品が輸入 されていた。それは カーペ ッ トが発達 した時期 と同 じくその40年来の ことで あるが ,中国製 品が十分浸透 しなか ったのは ,すでに引用 した ように ,中国 製品は 「四十年一 日ノ如 ク兎角改良 二意 ヲ注 ガザルガ為 メ,其需用 ヲ拡張 ス ル コ ト能 ‑ズ」 とい うことが原因であ った。 このアメ リカ市場 において改良 の遅れてい る中国花延であるが ,この中国製品は,「外観 粗 宋 ナ レ トモ品質 堅牢ナ リ」であ り,「重量 二於 テモ支那製 ‑一巻 (四十)六十封度乃至百封度 ナ レ トモ,本邦製 ‑四十五封度乃至八十封度」であるので ,中国製品は,「耐

(13)

久保続 ノカ」が大 きいのである。 この堅牢 であることが第一 の特長 である。

これに対 して,わが国の花延は ,品質 堅牢 とい う点 で は 中国製 晶 に及 ば ず ,重量 も小 さ く,耐久力は小 さいが,「外観美麗」 であ り,「織方 ノ精 卜模

.i 様 ノ巧 ナル ト‑支那製 ヲ圧倒 スル ノ勢」がある。

以上は品質に関す ることであるが ,つ ぎに価格に関す ることがある。

『花延嚢纂』 には,1893(明治26)年分 として ,日本製品 と中国製品の価

・ド\

格をあげてい るO

ニューヨーク

中国製 1ポンド 7セント乃至30セント 日本製 1ポンド 10セント乃至50セント サン′フラ二/シスコ

中国製 1ポンド 12.5センTl乃至40セント 日本製 1ポンド 12.5セント乃至90セント

サ ンフランシス コでは最低価格 は両国 とも同 じであるが ,ニ ューヨークで は中国製品は明 らかに廉価 で ,最高価格 はいずれにおいて も日本製品が高価 である。

(10)

すなわち,中国製品は 日本製品 よ り安い とい うことである。 これが第二の 特長である。堅牢で長持す るが,華美ではない中国製品 と,堅牢 さにおいて 劣 るが ,織方 ・模様にす ぐれ華美である日本製品は,価格面では この ような 差異がある。

3

海外輸 出の停滞状況 (1) アメ リカ市場における状況

① アメ リカ輸入関税の改正 と生産地の状況

すでに,明治

2 0

年代の蘭延業の急速な発展がアメ リカ‑の輸出品である花 延生産に よってもた らされ ,また ,明治30年代半ばを ピークとす る以後の停 滞がアメ リカ市場におけ る後退に よってもた らされた ことを記 したが ,ここ では,この停滞を もた らしたアメ リカ‑の輸 出の減少をめ ぐる事情等につい て検討 し,アメ リカ市場における後退を通 じてみ られ るこの蘭延生産業の問 題点 ,特質を検討 したい。

この時期の花延輸出の停滞の状況な どについて,当時 の文書 は,「花延 貿 易 ノ不振 ノ原因 ヲ案スルこ,明治三十六年 ノ畷挫‑其前年中野多粗悪品 ヲ出 シ米国市場 ヲ撹乱 シタルニ起因シ,明治四十二年度 ノ不況‑其ニ ケ年 内地物 価暴騰 ノ為 メ米国関税法抑圧 ノ範囲内二於 ケル調達不可能 トナ リタル ヨリ, 或‑調達期 ヲ恕 1)或‑粗品 ヲ濫発スル等種 々ノ悪妹手段 ニヨリー時 ヲ糊塗 シ タル ノ ミナラス,尚及‑スシテ本邦商人挙 ツテ契約不履行 ノ挙 二出テ,単 二 米国商人二多大 ノ損害 ヲ蒙 ラシメタルニ止マラス,彼等 ヲシテ信用 ヲ失墜セ シメ本邦品 ノ取扱 ヒヲ廃 スルモノ続発 シタル ノ結果 二依ルモノ ト認 メラ」れ

Jう・

ち,としてい る。すなわち,これ ら個 々の年の輸 出不振 は,粗悪品の輸 出, 契約不履行に よる信用失墜が引きお こした ものであるが,「本邦花延不振 ノ 病因‑実 二此税法 ノ抑圧 二依ルモノ」であ り,「粗製濫造 ノ弊 モ或 ル場 合 ニ

1I

於 テ‑此税法ガ助長 セシメタル ノ感ナキニアラス」 ,としている。此税法 と

(11)

日本花蓮の対 アメ リカ輸 出停滞をめ ぐって 513

,1897(明治30)年 の ア メ リカに お け る花 延 へ の 関 税 賦 課 を 図 った輸 入 関 税 改 正 で あ り, これ に不 振 の根 本 的 原 因 が あ り,粗 製 濫 造 の弊 害 もそ れ に 助 長 され た 感 が あ る とい うの で あ る。

この ア メ リカ輸 入 関税 改 正 に お け る花 延 に対 す る賦 課 関 税 とは ,つ ぎ の ご

Lti と き もの で あ る。

普通花延 ○原価 1平方 ヤー ド10セン ト未満の もの 1平方 ヤー ドにつ き3セ ン ト (⊃原価1平方 ヤー ド10セン ト以上の もの

1平方 ヤー ドにつ き10セ ン ト及び縦価2割5 広幅及短尺花蓮 縦価35

この輸 入 関 税 賦 課 は ,わ が 国花 産 業 に 大 きな打 撃 を 与 え た 。 そ れ は 特 に ,

本 邦 品 ノ特 徴 ヲ発 揮 シ タル 上 等 花 延 ‑全 然 輸 出杜 絶 ノ運 命 二陥 」 ら しめ ら

れ ,主 産 地 岡 山 県 に お い て は,本 邦 晶 唯 一 ノ得 意 先 ナ ル 米 国 ニ テ 関 税 ノ賦 課 ヲ受 クル ニ至 り,斯 業 ニー 大 打 撃 ヲ与 ‑ 当業 者 ‑益 困厄 ノ地 位 二陥 り,為

(20)

ニ業 ヲ廃 スル モ ノ鍾 ヲ接 シ テ起 り漸 次 産 業 ヲ減 ス ル ニ至 」 った , と して い る。

この 当時 の 状 況 は つ ぎ の よ うに伝 え られ て い る。

輸 出花延は捌先なる神戸港 に於て荷物滞 り, 目先不印の為め当時不況な り。

(「庭瀬雑信」 『山陽新聞』1898〔明治31・4 ・13) 備中下道郡にては近来製延業 日を追 うて衰微に傾 き,目下百台以上の機械を据 ゑ て営業 しっ 、あるは固相に して,川辺村 も亦殆 ん ど百台近 くを有 し,其他山田新本 等の諸相にて も亦数十台を運転製造為す と経 も,皆下等物 のみにて中等以上の物 品 は殆 ど皆無 とい うも敢て過言にあらざるな りO而 して売捌方は大抵瀬尾 ・早島辺 よ り来 る仲買者を侠つ ものなるも昨今金融逼迫 の為め買方少 く,故を以て同郡におけ

(12)

る製造業は益 々不振 の状況を望 しっ 、あ りと云ふ。

(

1花先業不振」 『山陽新聞

』1 8 9 8

〔明治

3

1

・4・1 4 )

既報の如 く客月中神戸港 よ り輸 鮎 栓し花延二万八千八百八十四本 ,先月 よ り減 少 す ること二万三千余本に して漸 く、1数を越ゆ るに過 ぎず , 目下外商の注文乏 しきに あ らざるも意外に廉価に して到底収支償 はざるよ り自然休業す るもの多 し。然 るに 今六月は農家 の麦秋 に して職工 の減少を見 るぺければ或いは花延の全体を休止す る の変態を見ずや とい う杷憂を抱 くものあるが如にやO

(花産業 の衰

」『山陽新聞

』1 8 9 8

〔明治

3

1

・6・4)

久 しく沈滞せ し花延 の商況 も此頃漸 く頭を上 ぐる模様にて ,デ レカンプ,フル ー ド其他 の商館にて も続 々購入 しつ 、あるが ,未だ其品質は七 円内外 の安物 な りとい ふo而 して是等安物 は従来大抵は米国向な りLも近来豪州 向 も追 々括瀧に出向 く由 な りo 尚は同地は輸入税 の賦課な きを以て十円以上の機械製上等品の売行 く模様 な り。而 して産地 よ りの入荷 もぼつぼつあれ ば今後 は多少活気 を添 ふ るな らん と云 ふ。 (「花延の近況」 『山陽新聞

』1 8 9 8

〔明治

3

1

・9・2 8 )

本邦花延の製造地は本県及び広 島 ・香川 の三県に して,同製造に要す る原料 蘭草 の上等品は垂に本県 よ り産 出せ るが ,符にマ ッキン レー大統領 とな り米国に於 て苛 酷の輸入税 を賦課す るに至 りLよ り,共製造高大に減少 し,従って蘭草の作付反別 も昨年 の如 きは五 百八十町余に して一昨年 に比 し二百八十三町余を減却 し,骨っ て 一万以上の磯 を使用 した りし製造家 も本年 は僅 々三千六百機 を使用 して尚は余 りあ るを見 るに至れ り。 尚は其 の製造所 の模様如何 と云ふに,従来の株式及び合資魁 織 の製造会社は損耗相続 き,今 日に至 りては 目下次第に解散 し,個人製造に止 ま るが 如 し。而 して又同品の濫造を矯正せんが為め昨年末農商務省の規定に基づ き同業組 合を設け本年一月 よ り製品の検査を実施す るに至 りた る由なれば,自今は従来 の如 き濫造品輸出はなか るべ Lとの ことな りO 尚花延の輸 出は専 ら外人の手に帰 した る が故に果 して如何な る品質に して如何なる模様物が時に外人の噂好に適せ りや否や を確かむ ること能はず ,同業発達を妨 ぐることなか らざるを以て本邦各地 の同業者 相連合 して一 日も速 に直輸 出を為んの と計画せ る向もあ りと云ふ。

(13)

日本花延の対アメリカ輸出停滞をめぐって 515 (「本県及び他二県の花延業近況

『山陽新聞

』1 8 9 8

〔明治

3 2

・3

・1)

この ように,このアメ リカの輸入関税賦課に よ り,アメ リカ‑の輸出は減 少 し,わが国花延業は大 きな打撃を受けた ことはい うまでもない ところであ る。 しか し,それに もかかわ らず明治

3 0

年代はなお輸出は拡大 している。

この蘭延は住生活におけ る大衆的な消費品であって,特 に花延 は,「世界

・∴

各国二於 ケル中流以下 ノ民族 ノ敷物 トシテ‑理想的 二近キモノ」 ,といわれ る。殊にアメ リカにおいてほ,涼味を帯びて夏季室内の敷物 として特にす ぐ

̲ニ れてお り,また械椴に比 して廉価 であることに よって多 くの需要を もつが, そ こではわが国の花延 との競争品 と目され る中国花延お よびアメ リカ産紙製

(23)

品 ・野草延があるなかで,本邦花延は 「優者」である,とされているもので あるO この ような製品の質に加えて

,1 8 97

(明治

30)

年 に賦課 された関税 は

,1 9 0 9

(明治

4 2 )

年 のアメ リカ国の関税法の改正に よ り適当に是正 された のであ り (普通花廷 :

1

平方 ヤー ドにつ き重量税

3. 5

セン ト,広幅及短尺花

(24)

延 :従価3割5分),これにわが国の輸 出検査規則の改正 も加わ り,「広告 紹介 ノ法 ヲ講 ジ,不徳 ノ講堂 ヲ慎 マ‑,ヒ トリ米国二止マラズ世界各国二無

1/L

限 ノ販路 ヲ拡張 シ得‑辛‑疑 ヒヲ容 レザル所 ナ リ」 ,と新たな期待をいだか せるものであった。

② 日本製品の対応

1 8 9 7

(明治

3 0 )

年のアメ リカ国税法改正以後 ,中等以上の製品の生産が減 少 し,下等品の生産 とな った。それは

, 1

平方尺

1 0

セ ン ト以上の物には従課 税が課 され ることにな り,勢いその価格以下の ものが製出され るに至 ったの である。染色や紋様な どに様 々の意匠において上等な ものを開発 してきたの に,低価粗製の物を製出す るようになったのである。

以上は

,1 9 0 0

(明治

3 3 )

5

月1

5

日の 『山陽新聞』の報ず るところである が,もともと,この粗製品は海外市場における重要問題であった。当時は重

(14)

要輸出品のほ とん どが中小工業ない し手工業であ り,その大量生産は粗製濫 造 とな った。海外駐在のわが国領事はそれ に対す る各方面 か らの批難 を伝 え,農商務省に対 してその取締 りに関 して度 々警告 した。中で も花蓬に対す る批難が最 も強か った。 これに対す る対策 につ いての提言 もあ って

,1 9 05

(26)

(明治

3 8 )

5

月に農商務省花延検査所が設置 されたO これに よ り検査体制 ができたが,遅 きに失 した といえ よう。

( 2 )

アメ リカ市場における競合 (むアメ リカ市場における競合

先の引用文の ような状況 と希望的観測に もかかわ らず ,花延の輸 出は

1 9 0 2

(明治

3 5 )

年を ピークとして,以後減退 しているのであるo

この ようなアメ リカ‑の輸出の減少は

,1 8 9 7

(明治

3 0 )

年のアメ リカ輸入 関税に よるところが大 きい ことはすでにみた ところであるが,この輸入関税 賦課にも関わ らず ,輸 出は

1 9 0 2

(明治

3 5 )

年 までは増大 してお り,その後 も それ よ りは小 さくなるものの,明治

3 0

年代 の後半 も依然 と して多額 であ っ た。それが大 き く減少す るのは

1 9 0 9

(明治

4 2 )

年 のアメ リカ国輸入関税改正 に よる関税賦課の軽減後である。 この ことは,アメ リカ‑の輸出の減少が関 税賦課のみにその原因があるのではない,とい うことを示 しているといえ よ う。すでにアメ リカ市場におけ る競争品 として,アメ リカ国内製晶 と中国製 品のあることをみてきたが ,この両国製品な らびにその代替品 (カーペ ッ ト な ど) との競合関係が問われなければな らないであろ うD

アメ リカ市場におけるわが国花延の競争品には中国製花延があ り,この中 国製品 との比較では,わが国製品が優位にある状況はすでにみた ところであ る。 しか し,競合は この中国製品のみではない。第 1表は,アメ リカにおけ る花蓮の輸入状況を示す ものであるが ,ア メ リカにおけ る花延輸入 は

1 91 0

(明治

4 3 )

年頃か ら減少 しているのであ り,アメ リカ国内における敷物類生

(15)

日本花蓮 の対 ア メ リカ輸 出停 滞 をめ ぐって 517

第 1表 アメ リカにおけ る花延の輸入状況

総輸入高 他 諸 国

47,983,317 29,336,125 12,713,363 (100.0) (61.1) (26.5) 3,600,083 2,321,538 850,387

(100.0) (64.5) (23.6) 46,127,926 29,837,169 11,058,507

(100.0) (64.7) (24.0) 3,831,436 2,646,861 779,625

(100.0) (69.1) (20.3) 44,246,485 27,360,941 13,268,690

(100.0) (61.8) (30.0) 3,766,203 2,608,188 884,814

(100.0) (69.3) (23.5) 51,114,112 29,624,303 15,151,051

(100.0) (58.0) (29.6) 4,333,044 2,816,253 1,053,737

(100.0) (65.0) (24.3) 43,435,748 23,411,714 14,805,251

(100.0) (53.9) (34.1) 3,290,557 2,029,290 892,526

(100.0) (61.7) (27.1) 31,047,049 16,403,355 13,185,622

(100.0) (52.8) (42.5) 2,239,483 1,303,939 792,967

(100.0) (58.2) (35.4) 26,027,524 12,077,258 12,658,144

(100.0) (46.4) (48.6) 1,880,309 989,208 750,366

(100.0) (52.6) (39.9) 23,956,533 10,500,110 12,731,150

(100.0) (43,8) (53.1) 1,740,701 885,564 734,998

(100.0) (50.9) (42.2) 22,293,533 10,427,167 11,090,623

(100.0) (46.8) (49.7) 1,707,764 914,071 685,262

(100.0) (535) (40,1)

5,799,897 133,932 (12.1) (0,23) 387,134 41,024 (10.8) (1.1 )

4,947,722 (10.7) 343,848

(9.0) 3,336,168

(7.5) 210,471

(5.6) 6,154,138

(12.0) 403,590

(9.3) 5,048,290

(ll.6) 297,223

(9.0) 1,286,287

(4.1) 72,714 (3.2) 1,114,750

(4.3) 69,994

(3.7) 295,126

(1.2) 17,375 (1.0) 277,844

(1.2) 17,672

284,528 (0.62)

62,102 (1.6) 280,686

(0.63) 65,729

(1.7) 184,623 (0.36)

59,464 (1.4) 170,493 (0.39)

71,518 (2.2) 171,785 (0.55)

69,863 (3.1) 177,372 (0.68)

70,741 (3.8) 330,139

(1.4) 102,764

(5.9) 497,899

(2.2) 150,759 (1.0) (8.8) 註 1) 『花延検査所年報』 (1911 1914年)に よ り作成 .

2)上段は数量 :1905‑10年は平方 ヤー ド,1911‑13年 はヤール ,T段は価額 :早 位 ドル .

3) () 内は総量 ・総額に対す る比率 .

(16)

産 が大 き く進展 していることを予想 させ るのである。

② アメ リカにおけ る代替品の生産

ところで ,この カーペ ッ トは直 ちに花延 との直接的な競合 とな るものでは ない と思われ る。すでに引用 した文章にあるように ,カーペ ッ トは元来高価 であった。従 ってそれは富裕層 のみにおいて使用 されていた。やがて機械生 産が始 まって,大量 の生産 とな った。それに よ り廉価 とな って ,広 く普及 し たo Lか し,この廉価にな った頃 ,日本花延 はアメ 1)カに輸 出拡大 してい る のである。それは毛製品の カーペ ッ トにはない品質的特性 ,すなわち清涼 ・ 清潔 ,があったか らである。そ うであるとすれば ,品質的に花延 と類似 の製 品 との競合関係が よ り大 きな問題 であろ う。

この点については ,例 えば1

90 5(

明治3

8)年 1

1月の在 シャ トル帝国領事館 報告 は ,アメ リカにおけ る日本製品の競争品の一つであるアメ リカ製品につ いて,「当国製 『フ ァイバ ・マ ッテ ング』 『ク レ ックス , グ ラス ,マ ッテ ン グ』等 ア リト維 トモ 『フ ァイバ ー』‑紙製 ナル ヲ以テ水湿 二堪 ‑サル ノ ミナ ラス,価格 モ小売‑鳩五十仙乃至七十五仙 ノ高価 ナ レ‑未 夕人 ノ注意 ヲ惹 ク ニ至 ラス。『ク レックス ・グラス』 ‑之 二比 シ相安価 ナル モ外観 粗 野 ニ シテ

3Bh6

到底本邦花延 二匹敵 スル コ 用 巨‑ス」 ,としているが ,しか し,す でに,「千 九百四年米国農務省公報 二依 テ見ルモ既 二合衆 国花延新式機械 ノ発見完了 シ 優等 ノ花延産 出スル ニ到」 っている

( 1 90 5〔明治38

〕年1

2

月元米国海外実業

、ご

練習生大橋賢之輔報告)のである。その具体例 をみ ると,例 えば,「メーン州 内ノー製造家‑花延製織 ヲ発 明シ,製織入費 二比 ス レバ低廉 ニシテ然 カモ優 等 ナル製品 ヲ得」 ることがで きる

( 1 90 7〔明治40

〕年

6

月在 シカゴ帝国領事

(29)

鰭) ,と報 じている。

後年,「花延 ‑野草延 ,グ レックス ,1)ノ リーム等各種 ノ敷物 二圧倒 セ ラ レ 漸次敷物 トシテ ノ用途 ヲ失 ヒ, 目下主 トシテ,スーツケース等 ノ表装等 二使 用 セラルル ニ至ル ヲ以テ,白無地 ノ需要多 ク,従 テ意匠‑関係少 ナキモノノ

(17)

日本花延の対アメリカ輸出停滞をめぐって 519 jし卜

如 シ」 ,とい うよ うに ,花蓮 はアメ リカ国産 の敷物 に押 されて大 き く後退 し ているのである。

ところで,このアメ リカにおけ る花延生産 と関連 して ,日本 では蘭酉の対 アメ リカ輸 出問題 が起 きている。

1 90 3

(明治

3 6)年 に ,岡山県では郡長か ら,村長 あてのつ ぎの文書が発せ j l

られている。

農乙第一一一〇 号

近来北米合衆国 二於 テ花延製造 ノ計画 ヲナスモノ有之 由ニテ,之 力為 メ南西 ヲ彼 国

‑輸出セ ン ト図ルモノ往 々有之 ,右‑花延商業 ノ不景気 ナル今 日一層疑慣 ヲ歓起 ス ル ノ虞 アル ノ ミナラス,延 テ斯業 二打声 ヲ加 フル コ ト無之 ヲ保 シ難 キ義 卜存候条 , 右等 ノ計画 ヲナスモノこ対 シテ‑直接間接 二論示 ヲ加‑思 ヒ止マラシムル様取計 相 成度 ,本県 ヨ リ通牒有之候粂了知 ノ上可然取計相成度 ,此段及通牒也

明治三十六年十弐月廿七 日 浅 口郡役所

連島村長 三宅熊雄殿

本県蘭草同業組合長岡崎柾次郎外二名 ヨリ別紙写 ノ通願 出侯 二付 ,警告書三 〇菓 回送及候条 ,当業者‑配布方取計成度 ,此段及照会候也

明治三十七年一月六 日 連 島村役場

浅 口郡役所

兼交付可相成哉」

謹啓 ,時下 向寒之候 ,益御清穆之段奉敬賀候 ,陳者近来外商 卜結託 シ本邦産蘭草 苗 ヲ密 カニ米国‑輸 出セン トスルモノ有之 ヲ発見 シ,之 レカ防止策 ヲ講究セシモ何 分 秘密売買行‑ レ侯 コ トナ レ‑,今后我国蘭草生産及 ヒ花延業者畳表業者蘭草商 ニア リテ如何 ナル至大 ノ影響 ヲ及 ホスヤモ難計 ,依 テ此際生産者 二周知 セシムル為 メ別 紙注意書配布致 シ度侯 二付 ,御手数恐縮 ノ至 リ二俣得友 ,各町村役場‑配布方 相煩

(18)

度候 ,敬具

明治ty六年十二月t&一 日

岡山県花延同業組合

取合長 香川真一 岡山県畳表同業細/

組合長 目黒善五郎 岡山県蘭草同業取合

組合長 岡崎柾次郎 浅 口郡役所御 中

警告

近頃南西 ヲ米国‑輸出セン ト企図セル老 ア リ,若 シ米国二於テ蘭草 ヲ栽培 シ精巧 ナ ル器械こヨリ自国ノ原料 ニテ花延 ヲ製織 スルニ至 ラバ,日本 ノ花延‑販路全 ク杜絶 セラレ従テ蘭草 ノ需要 二多大 ノ減却 ヲ釆 タシ,蘭草花延 ノ従業者及生産者 ‑共 二其 生業 ヲ失 ヒ悲酸 ノ境 二沈輪スル コ ト必死 ノ理勢ナ リトス,サ レバ各組合理事者 二於 テモ極力之 レカ防過 二斡旋セルそ,尚各 自ノ徳義二椿‑膏二輸出二関スル蘭酋 ノ売 買及帯助 ヲナサ ゞル ノ ミナラズ,互 二警戒監督 シテ禍根 ヲ未然二防キ,個人 ノ為 メ

(か)

国家 ノ為 メ永 ク地方特有物産 タル花延蘭草 ノ声価 ヲ維持セラレンコロ希望 ノ至 二堪

‑サルナ リ

明治三十六年十二月

岡山県花延同業組合事務所 岡山県畳表同業組合事務所 岡山県蘭等同業組合事務所

このアメリカ‑の蘭苗の輸出についての文書は,アメ リカにおいて蘭延生 産の展開の気運に対す る把握を前提に しているといえ よう。

(19)

日本花延の対アメリカ輸出停滞をめぐって

5 2 1

③ 中国製品の進 出

第二 は ,中国製 品のアメ リカ市場への進 出である。 アメ リカへの花延 の輸 出は中国の方が早 く, 日本 は遅れて参入 した。 日本か らの輸入が急増 してい る明治2

0

年代半 ばの中国製品 と日本製 品 をみ る と,つ ぎの よ うに な って い

(32)

る。

1 8 9 1

(明治

2 4 )

中国産

2 1 1 , 3 3 2

日本産

9 5, 3 4 1

1 8 9 2

(明治

2 5 )

2 1 2, 1 1 8

1 6 5, 9 0 7

この時期には ,なお中国製品の万 が数量的には多いo

それが第 1表 では ,この明治後 期 には , 日本製 品は中国製品 よ りも多 く, 中国製品の方が多 くな るのは大正期に入 ってか らである。以下 ,この中国製 品のアメ リカ市場 での巻 き返 しと日本製花延 の後退 の事情 をみ よ う。

中国か らの輸 出品は多 くが農産物 ,または半製品であるなかで,花延は唯

(㍊)

一 の完成品 ともいえる重要 な輸 出工産 品であるO この中国産 の花延 の特徴 は すでにみたが ,ここで改めてみ ると,その特徴 は,「第‑織方 ノ粗 ナル ヲ避 ケ 堅牢 ニシテ耐久カ ニ富 メル事 ,其製 品厚 クシテ量 目重 キ事 ,其原料長 キカ為 製品不同ナキ事 ,及価格 ノ比較的廉 ナル事 (例‑‑支那普通花延 四十鴨一巻 二対 スル価格 ノ鹿価我豊後背高花延に相当ス,即 チ一巻六 円乃至三十銭 ナル カ如 シ)等」であ り,また,「織方千変一律 ナル コ ト及其綿柄 二於 テ平凡 ナル

I.i: 点」 が欠点である,とい う。

この中国製花延 は,1

9 0 7(

明治4

0 )

年頃は,「地合甚 夕厚 ク織糸太 ク耐久力 ア リ,本邦製品 ノ競争者 タル資格 アルモノノ如 シO然 レ トモ着色模様極 メチ 平凡 ニシテ, 目下‑当国人 ノ嫌忌スル縞形格子 アル ノ ミニシテ多 クノ需要」

がないO従 って,「本邦製品‑ 目下市場独 占ノ姿」 にあるが ,しか し,「支那 花建 ニシテ模様 ヲ改良 シ,且廉価 二続 々市場 二現 出スル ニ至 ラ‑侮ル‑ カラ

J

サル頚敵 タル ニ至ル‑ シ」 ,とい う状況である。そ して ,この頃 よ り中国花

(20)

延 の アメ リカ市場へ の輸 出は急 ピ ッチ とな り, 日本製 品を圧迫 してい く。

「此頃 日本新 聞紙 力長文 ノ記事 ヲ掲 ケテ南清及 印度支那花延 ノ発展 ・輸 出 増加 ノ為 メ 日本 ‑著 キ影響 ヲ被 リタ リ ト言 フ‑根拠 アル説 ナ リ.之 ヲ概観 ス ル ニ近 頃 印度支那貿易 ノ発展 ‑‑‑‑本年 モ亦 日本 当業者 二秒 ナ カラサル影響 ヲ及 ス‑ ク香港 ノ花延輸 出ノ\引続 キ増加 ヲ見ル‑ シJ,と 『カ ーペ ッ ト ・ツ レ‑ ド ・レビ ゥ』 は ,中国製 品の増大 に よって 日本製 品が圧迫 され てい く様

(36)

子 を報 じてい る。後年 にな る とそれ は さらに顕 著 で ,例 え ば

,1 91 9

(大 正 8)年 についてつ ぎの ご とき報告 が あ る。

ルイスヴィル市ノ

Th eOt i sHi d d e nCo

.‑,十三,四年間日本 ヨリ花延其ノ他ノ 敷物 ヲ輸入シ,元聖路易二本店 ヲ置キシモ花延‑漸次南方 二需要 アルニ至 リタル 為,二.三年前本店 ヲ同市二移シ現二多額ノ日本及支那製花延 ヲ輸入シツツア リト 謂フ而シテ其ノ店主ノ談二依 レ‑,現今二於テ‑日本製品ヨリ支那ニテ製造セラ ルル模造品ノ方遥カニ売行良好ナルカ,是 レ支那品ノ安価ナルニ反シ日本品‑漸次 労賃高騰シテ安物 ヲ製造シ得サルニ至 レル結果ナラスヤ云々ノコトナ リシカ,事実 上製品‑日本品二劣ラザル精巧 ヲ榛メッツアレ‑今後花延界二於テ‑日本品ノ餅敵

i:

タルニ至ル‑シ。

ここには低廉 で ,品質 も改善 された中国製 品に よって 日本製 品が アメ リカ 市場 か ら駆逐 されつつ あ る様子 が述べ られ てい るO第

1

表 にみた ア メ リカ輸 入品におけ る 日本製 品の減少 と中国製 品の増加 は ,ア メ リカ市場 において 日 本製 品が中国製 品 との競争 の うちに後退 してい る ことを反映 してい るのであ

るo

以上の ご と く,ア メ リカ‑ の輸 出の減 少 は ,ア メ リカ市場 に おけ るア メ リ カ国産敷物 ,中国製花延 との競争 の うちに余儀 な くされた ものであ るが ,そ れ は よ り具体 的には機械制 生産 に よるアメ リカ国産 品 ,低労賃労働 に依拠す る中国製 品 との価格競争 におけ る敗退 なのであ り,これ に よって大 き く後退

(21)

日本花蓮の対アメリカ輸出停滞をめぐって 523 したのである。

4

輸 出花産業 の特質

この ようなアメ リカ市場での後退を押 しとどめ ,さらには積極 的に うち か ってい くには低 コス トでの花延の生産が必要であろ うが,いっそ うの低労 賃に依拠す ることが不可能であるとすれば,それは生産能率の向上に よるよ

りほかにはないのであ り,そのためには動力化の実現 と推進を軸 とす る工場 生産‑の転換が課題であろ う。 この対 アメ リカ輸出不振の時期における花延 生産の動向を ,①花延工場 の潰減 と副業的家内工業‑の転換 ,低 コス ト実現 のための 「出 し機制」の出現 ,そ して粗製濫造 と,②手機か ら自動織機‑の

・J)

転換 とい う方 向もあった とい う高田正規氏の整理があるが,後者の方 向は,

1 904(

明治37

)年に 自動織機 の発明があるな どの努力に もかかわ らず ,それ

は実現せず ,前者の方 向をた どったのである。動力化をな し得なか った こと に大 きな問題があるといえるのであるO

すでにみた ように,花延業は明治20年代か ら30年代にかけてのアメ リカ市 場拡張期に著 しい発展をみせ るが ,それはかな りのマニュファクチ ュアを生 み出 し

,

工場」生産 の展開をみせ る。 しか し,この 「工場」生産は工場生産 に発展せず ,む しろ 「工場」は消滅 し,家内工業的小生産に帰結 してい く。

ここに輸出花延業の展開過程 の特質がある。

この ような展開の要因は,その市場であるアメ リカへの輸 出が停滞 した こ とである。 このアメ リカ市場での停滞は,そ こにおけるアメ リカ国産品 ・中 国製品 との競争に敗退 した ことに よるのであ り,この海外市場への対応を も た らす要因の検討が課題 となる。

アメ リカ市場での後退は,品質面での弱点を改善 してきた中国製品,アメ リカ国内での機械製敷物 との価格面での競争が要因である。 この競合に うち かつためには,よ り低価格での製品でなければな らず ,そのためには機械制

(22)

生産‑の転換が必要である。

ところで,この花延生産における機械化が進 まない ことの要因は,その技 術的特性がある。 ここで改めて この蘭延生産において最 も重要な織機につい てみ よう。

蘭延織機の推移を示 した ものに黒瀬英樹 「岡山県 の花延 ・畳表織機 の変 遷」があるoそれに よると,明治以降 もしば らくは従来か らの座機 といわれ るものであった。それは構造的にはむ しろ機 と大差がない。歳を手で操作す ることで糸を出 し入れ させ ,竹製の差竹で糸の間に蘭草を挿入 し,旗で締め

(39)

るとい うものである。 これは

,1

尺につ き経糸

4 0

本内外の粗造地建の他は製

・ 心

出す ることができず ,また ,自由に紋様を織 出す ことができない

。1 8 9 2

(覗 治25)年頃 ,都窪郡帯江村帯高の堀内久書 ・中村啓一郎が これを改良 し,足 踏式の織機を考案 した。 これは足で歳 と差竹を動か し,手で蘭草を差す とい

(41) うものである。能率 も座機に比べ大 き く向上 した。

花延織機その ものでは

,1 8 7 8

(明治

1 1 )

年の磯崎眠亀に よる錦莞延織機の 発明を契機に さまざまな織機が考案 された。なかで も

1 8 8 3

(明治

1 6 )

年に茶 屋町の三宅周三郎 ・藤沢丈七に よる二人横織機が考案 された。 さらに両人は 考案をか さね

,1 8 9 2

(明治

2 5 )

年には模様を 自由に織 り込む紋板を考案 し,

353

またそれ までの横顔を一人織 の竪機 ‑並機に改良 した。 『花延嚢纂』は,「挽 近 二至 り漸次改良 ヲ加‑ ,又 夕別途発明ノモノモ少ナカラズ ,現今 ニテ‑職 工二人 ヲ要スル横磯 ヲ用 フルモノ七八分 ヲ占ム,他‑近来発明ノ竪機 ニシテ 職工一 人又 ‑二 人 ヲ要 スル モ ノナ リo其一 人 ニテ織成 スモ ノ ヲ独機 卜称

・4.i

ス」 ,と二人懸 りの横磯 ,二人懸 りまたは一人懸 りの竪機が開発 され ,明治

2 0

年代末には前者

7‑8

割 ,後者

3‑2

割 とい う割合であるとしている。な

(44) お,二人懸 りとい うことであるが,「差竹を用 う者 ,歳の手に居 る者」 ,すな わち,経糸 (苧妹糸)の間に差竹で蘭草を差す者 とそれを旗で固める者であ るOそれを一人です るのが独機であるO

足踏式織機に続 き,織機 の自動化の試みが行なわれた

。 1 9 0 4

(明治

3 7 )

年に

(23)

日本花延の対アメリカ輸出停滞をめぐって 525 は西大寺の竹原恒太郎に よる竹原式 自動織機

,1 9 0 7

(明治

4 0 )

年 は御津郡大

(45) 野村 の荒木優が荒木式 自動織機を考案 したのをは じめ として続 出す る。 しか

し,これ らは普及 しなか った と思われ る。

この ように ,花延生産 におけ る織機 は改良が加 え られ ,また新たな開発 も あるとはいえ ,手織機 の段階に とどま り,機械化が進行 しない ことについて は,原料が蘭草 とい う加工原料 ではない ,農産加工 とい うことか ら くる技術 的特性 が作用 しているといえ よう。 しか し,技術 的 に は制 約 が あ るに して ち,原理的には織物製造 と同一 の機構 である蘭延織機 の動力化 の試みは明治 30年代 には行 なわれてお り,また ,先にみた よ うに この時期にアメ リカでは 機械制生産が出現 しているのであ って ,問題 は この機械化 を実現 させない経 済的要 因である。 この点については ,当該 の時期 の英 国総 領 事 ジー ・エ ッ チ ・フ ィッブスの 日本 の花産業 についての本国‑の報告記事 「日本 ノ花廷事 業」が示唆に富む指摘 を行 な ってい る

その報告文 は ,まず ,日本 の花延が涼味を帯び夏季室 内の敷物 として特 に す ぐれてい ること,また ,械塩に比 して廉価 であるためにアメ リカに多 くの 需要 を もつ ことを述べた後 ,さらにその使用す る織機 について触れているO それに よると,最近花延製造者たちの間に今の手機 にかわ る蒸気力 ・水力の 利用が試み られ ,複雑 でない模様 の ものを織 ることが可能 とな ってお り,岡 山地方 において蒸気力機関が試用 された。 しか し

,

「殆 ン ド其功 ナシ」とい う

(46)

のがその結果 であった とい う。 この力織機が定着 しない ことの理 由として , フイ ッブスは ,この地方 では 「女工‑一 日偉 力二十銭 ,三十銭 ノ賃銀 ニテ雇 フ」 ことがで きるが ,この ような 「低廉 ナル人間 ノ労働 卜競争 セ ンガタメニ I

‑製造所 ノ\大速力 ヲ以テ器械織 ヲ運転 セシメザル可 カラズ コ 1、明カナ リ」 , と述べて ,機械化 の進展を押 しとどめるもの として低廉 なる労働力の存在を 指摘 してい る。

ここに指摘 されている低賃銀労働力の存在が機械化 の進展を押 しとどめ る 要因 とい う点につ いて,以下 ,吟味を行 な ってい こ う0

(24)

この蘭延製造は,原料である蘭草をそのまま原料糸 として使用 し,それを 以て製品 となるものであるQ原料生産 (蘭草栽培) と製品生産 (蘭延製造) の間には,原料の第一次加工は必要ではな く,従 って第一 次加工 部 門の分 離 ・独立はない。蘭草は加工 され ることな く,そのまま直接的に原料糸 とな るのであるのであるが ,原料生産 と製品生産 とが直接的に結合す るところに 農産加工業 としての特性が よく示 されている。

ところで ,原料である蘭草をそのまま原料 として直接的に製品 となる蘭延 は,蘭草栽培農家の加工業であ り,また ,蘭草栽培地帯におけ る加工業 とし て蘭蓮製造業は展開す る。第一次加工部門の分離 ・独立を必要 としない蘭建 製造業の場合には,この蘭草栽培地帯 と蘭延製造地帯 とい う両者の地域的結 合の分離は容易には進行 しない。

この ように ,蘭延製造業は蘭草栽培地帯において成立 し,そ こを存立 ・展 開の基盤 としてい くのであるが,蘭草栽培地帯は他の水田農村 よりい っそ う 多 くの労働力を もち,また,水稲に蘭草栽培が加わ って もなお水田農業の も つ季節的集中性は崩れず ,農閑期余剰労働力を豊富に もつ ところといえるで あろ う。 この豊富な労働力を基礎 とす る低労賃労働に依拠 して蘭延製造業は 成 り立 ったのである。 しか し,それはまた ,そのゆえに機械制生産‑の転換 は容易ではな く,それをな しえないままに国際競争において後退 していった のであるo

この農業生産構造か らの規定は,ただに機械制生産‑の転換の問題だけに 限 らない。明治20年代か ら30年代にかけての最旺盛期の,一方には 「工場」

を生み出しつつ も,広汎な家 内生産 の展開 とい う動 きも,この小農経営に結 合 したままの余剰労働力の存在構造 ,農業生産構造につ よく規定 されてのも のであったのであるO

(25)

日本花延 の対 アメ リカ輸 出停滞をめ ぐって 527

(1)岡山県内務部 『花逐条纂』1897 16ページ。

(2) 山陽新報』1889(明治22)年10月11日。

(3)蔦川音平他 『綾蓮麦樺真田工業全善』1886 同発行社 106‑107ページO (4)前掲 『花蓮愛慕』77‑78ページQ

(5)前掲 『花延桑纂』77ページ。

(6)前掲 『花逐条纂』21‑22ページo (7) 前掲 『花蓮垂纂』22‑23ページ。

(8)前掲 『花延桑纂』17‑18ページ。

(9)赤尾善次郎 ・土屋元作編 『花延商況一斑及其改良意見』1895 山岸儀三郎発行 26′‑27ページ。

(10)前掲 『花蓮商況一斑及其改良意見』27‑28ページ。

(ll)前掲 『花延商況一斑及其改良意見』28ページo (12)前掲 『花蓮商況一斑及其改良意見』28‑30ページO (13)前掲 『花延垂纂』27‑28ページ。

(14)前掲 『花延愛纂』27‑28ページ。

(15)前掲 『花延愛慕』20ページ。

(16) 明治45年全国主要工業概覧」土屋喬雄編 『現代 日本工業史資料 第2巻』137ペ ー

(17)前掲 「明治45年全国主要工業概覧」147ページ。

(18)前掲 「明治45年全国主要工業概覧」147ページo (19)前掲 「明治45年全国主要工業概覧」148ページ。

(20)『明治32年岡山県統計書 巻之二』140ページO (21)前掲 「明治45年全国主要工業概覧」148ページO (22)花延検査所編 『花延検査所年報 明治42年』188ページ。

(23)前掲 「明治45年全国主要工業概覧」138ページO (24)前掲 「明治45年全国主要工業概覧」148ページO (25)前掲 「明治45年全国主要工業概覧」138ページ。

(26)商工行政史刊行会編 『商工行政史 上巻』1944 同刊行会 492‑493ページ。

(27)農商務省 『重要輸出工産品要覧 後輪』1908 346ページQ (28)前掲 『重要輸出工産品要覧 後輯』354ページ。

(29)前掲 『重要輸出工産品要覧 後輯』347ページO (30) 花延検査所年報 大正12年』94ページ。

(31) 明治三十七年分 農工商関係書撰 浅 口郡遵島役場」収録 (新修倉敷市史 11 巻 史料 近代 (上)』852‑853ページ)0

(32)前掲 『花蓮桑纂』51‑52ページO

(33)前掲 『重要輸出工産品要覧 後輯』386ページ。

(34)前掲 『重要輸出工産品要覧 後輯』406ページO (35)前掲 『重要輸出工産品要覧 後輯』346‑347ページ0

(26)

( 3 7 )

花延検査所年報 大正

8

』1 0 3 ‑1 0 4

ペ ージ。

( 3 8 )

高田正規 「商品生産的農業地域の形成過程一蘭作 ‑加工業地域の場合

瀬戸 内海研 究』

1 1

1 9 5 8

1 9

ペ ージ。

( 3 9 )

果瀬英樹 「岡山県の花逐 ・畳表織機 の変遷」『高梁川』第

4 6

1 9 8 8

9 9

ページ。

( 4 0 )

前掲 『花延桑纂

』5 7

ペ ージ。

(41)前掲黒革英樹 「岡山県の花蓮 ・畳表織機 の変遷

」9 9

ペ ージO

( 4 2 )

前掲黒瀬英樹 「岡山県の花延 ・畳表織機 の変遷

」9 9

ペ ージ。

( 4 3 )

花延垂簾

』5 7 ‑5 8

ペ ージ。

( 4 4 )

早島町編集 『早島町史

』1 9 5 5

早島町役場

2 3 6

ペ ージ。

( 4 5 )

花延検査所年報 明治

4 2

』1 9 0

ペ ージ。

( 4 6 )

前掲黒瀬英樹 「岡山県の花延 ・畳表織機 の変遷

」1 0 0

ペ ージo

( 4 7 )

花延検査所年報 明治

4 2

』1 9 0

ペ ージ。

参照

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