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「基礎的組織」と政治統合 : M.P.フォレットの研究

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(1)

滋賀大学経済学部研究叢書第

1

2

く基礎的組織〉と政治統合

-M.P.

フォレットの研究一一

岡 本 仁 宏 著

(2)

滋賀大学経済学部研究叢書第

1

2

く基礎的組織〉と政治統合

-M.P.

フォレットの研究一一

岡 本 仁 宏 著

(3)

謝 辞

本書のような小論に長い謝辞をつけるのは,不体裁であるばかりでなく,名 前を挙げられた方にも迷惑であるかもしれない。しかし,本書に何らか見るべ きところがあるとするならば、それを生み出すに貢献された方々の名を記して おかねばならない。 まず,名古屋大学大学院時代の指導教官であった横越英一,田口富久治両先 生,また学生時代のゼミの指導教官であった村松岐夫先生に,感謝したい。院 生時代に特に指導・助言いただいた小野耕二助教授を始めとする当時の助研会 の方々,また,研究会での報告に助言いただいた関西行政学研究会の方々(と りわけ,加藤一明教授,水口憲人教授),さらに,知的な環境と発表の機会を 与えてくださった滋賀大学経済学部の方々に謝意を表したい。また資料収集上、 渡辺俊一氏(建設省建築研究所),古川都氏にお世話になった(特に渡辺氏には 単に資料のみならず,若干のターミノロジーに関して教示をいただし、た。また 本書のもととなった論文で一部御名前を誤記しており,特にこの場を借りてお 詫びしたい〉。この他にも多くの方々の御名前を挙げるべきであるが,紙幅の都 合上割合させていただく。なお,私事にわたるが,家業を継がず,研究者とい う粋狂な道に進むのを許し援助してくれた両親と,本書の締切と長男出生とが 同時期に重なり,家族共同体(?)の共同事務について負担をかけた妻とに, 感謝したい。 岡 本 仁 宏

(4)

謝 辞

I

序 論・…....・H ・.. 第1章課題,視角,構成……...・H・...・H・-…...・H・...・H・...・H・...・H・..3 第1節課題と視角……...・H ・...・H・-…...・H・..…H・H・...・H ・...・H・.3 第

2

節 構 成...・H・-…...・H・H・H・...・H・...・H・...・H・..7 第2章 フォレットの略歴と時期区分……...・H・...・H・..……...・H・....・H・..9 11 I新国家」一一地域統合構想、として………H・H・...・H・...・H・-…・・……・・17 は じ め に…………一…・…・・…・・…・・……...・H ・..………・・………

1

9

第1章 研 究 史 か ら ・H・H ・..…...・H・...・H・..………...・H・...・H・...・H・..25 第2章 フォレットにおけるアメリカ民主主義の歴史と諜題...・H ・-………35 第1節 「パティキュラリズム」とその諸結果...・H・..…...・H・....・H・..35 第2節政党マシーン…...・H ・..…...・H・...・H・H・H・...・H・...・H・..38 第3節市政改革運動批判...・H ・..………...・H・..…...・H・...・H・..……..42 第3章 「 新 国 家

J

...・H・H・H ・-………H・H・-………H・H・...・H ・...49 第1節近隣住区組織から国家構想へ…...・H・-……....・H・H・H・....・H・..49 第2節産業統合論の概略...・H ・...………...・H・-……H・H・-…H・H・.56 第3節 批 判 的 検 討 に 向 け て

E

.

M.フォックスの所論を手がかりとして…...・H ・.60 第

4

章近隣住区の組織化をめぐって……...・H・..………...・H・..…...・H・..65 第1節 セツノレメント・ハウス運動………...・H・...・H・..…...・H・..65 第

2

節 コミュニティ・センター運動……...・H ・..………...・H ・

.

7

0

第3節運動, I非党派性

J

,制度...・H・H・H・..………...・H・....・H・..74 小 括 . . . ・H・...………….一…….一….口.….一….一…….一….口….日….日….口….口….口….日…….日….日…..….一…υ.…..….日…….リ…υ.…..…….日…….一….一….一….一…….一….一….一……..…….一…….日….日….日…υ.….日….日….口….一…….日….日….一..一….一..….一..….口.8邸5 凹 く補論〉フオレツトの政治的多元主義批判と構想の“実現 は じ め に.一.…・・…・・…・…....・H ・..…・…・・・・…....・H・・・H・H・・・…・…………

9

1

第1章 視 角……....・H・...・H・....……H・H・-…H・H・...・H・...・H・..93

(5)

2

章 フォレットの政治的多元主義批判………・………H ・H ・

.

9

9

3

章 「新国家」の“実現"……...・H・H・H・..…...・H・H・H・...・H・H・H・

.

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.

1

0

9

第 l節 継 承…....・H・・・H・H・...・H・H・H・-…H・H・...・H・H・H・

.

.

.

1

0

9

第2節構想の“実現"………...・H ・...・H ・..……・113 小括...・H・...・H・H・H・..…....・H・...・H・....・H・...・H・-…・…

1

2

5

I

V

産業・経営の統合論へ…...・H・...・H・・・H・H・....・H・-…H・H・...・H・...・H・

.

.

.

1

2

7

は じ め に...・H・...・H・...…・…・・…....・H・..…..…・・…・・…・・…・・………

1

2

9

1

章 視 角……....・H・..…...・H・...・H・...・H・...・H・H・H・...・H・

.

1

3

1

1

節移行の論理...・H・..………...・H・...・H・...・H・....・H・....・H・

.

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1

3

1

2

節研究史から………・…...・H・....・H・-…....・H・-…

.

.

1

3

4

2

章 起 点...・H・...・H・...・H・H・H・..………...・H・..…・

1

4

1

1

節 組 織 形 成 の 論 理 起点と方法…...・H・...・H・..……...・H・

.

.

.

1

4

1

第2節二つの論理系列…...・H・...・H・..…...・H・...・H・..……...・H・

.

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.

1

4

4

3

節 基 盤・

A

・H・..…...・H・...・H・..………...・H・

.

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.

1

4

6

3

章 展 開...・H・...・H・..…...・H・-…………...・H・..…....・H・

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.

1

5

9

1

節統合へ一一労使関係と参加...・H・H・H・....・H・...・H・...・H・

.

1

5

9

2

節 結節点一一専門職経営者論一ーから産業の統合へ・…....・H ・

.

1

6

7

3

節 基 盤・

B

.

……・…・H・H・-…H・H・-…H・H・...・H ・...・H・-…

1

7

3

小 括

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1

8

7

V むすびにかえて...・H・...・H・H・H・..………...・H・...・H・..…………

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1

9

3

付 記 …

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1

9

8

初出一覧…...・H・...・H・...・H・H・H ・...・H・..………...・H・

.

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.

1

9

9

(6)
(7)

第l章 課 題 , 視 角 , 構 成 3

1

章 課 題 , 視 角 , 構 成

1

節 課 題 と 視 角

本書の課題は,現代資本主義のもとでの地域,職場のく基礎的組織〉と全体 社会の政治統合との関係という視角から,

M.P.

フォレット

(Mary P

a

r

k

e

r

F

o

l

l

e

t

t

)

の業績をアメリカ史の具体的な文脈において検討し,彼女の業績に再 評価の光を当てることにある。 われわれは,三つの関心の焦点を持っている。 第ーに,フォレットとし、う歴史上の人物とその仕事に対する関心である。わ が国の政治学界ではほとんど忘れ去られようとしているこの人物に,再評価の 光をあて,しかるべき地位を与えたし、と思う。 もちろん,忘却は,それ自体悪徳ではない。歴史は,無数の忘れ去られた人々 の営みから成っている。私には,いわゆる庶民のいかなる“平凡"な一生でも, それを対象化しうる研究者の目が十分に深い洞察力を持つならば,一個の社会 科学上の研究として成立し得ると思われる。ただし,フォレットの場合は,す くなくとも研究史上,すでにわが国においてもかつて高い評価を受けていたこ とがあり,筆者のごとき愚鈍な者が取りあげ,再検討する場合でも,おそらく は,対象自体の卓越性に依存することが可能であろう。 すなわち,近年は政治学の分野ではほとんど取りあげられないフォレットで はあるが,かつては,例えば丸山真男には,

I

多元的国家論としては,ラスキよ りも.. . .はるかに鋭く独創性に富んでいる

J

l)と評され,さらに辻清明には, 「組織に内在する権威批判・官僚制の民主化という観点から」注目され,2)

I

管 理者一一被管理者の価値関係を逆転する意図J3)をもっと高く評価されていた のである。もちろん,これらの言及がただちに彼女の卓越性を証明するもので はないにしても,わが国では,彼女にかんするまとまった研究もされず,また しかるべき批判がなされることもなく忘れ去られようとしているときに,すく

(8)

4 序 論 なくとも,その再検討に着手することへの一つの意味づけを与えることはでき ょう。もちろん,われわれの再評価の試みが意味を持っか否かが,本書全体に よって評価されるべきものであることは,言うまでもないにしても,である。 ところで,忘れられようとしている者を呼び起こすには,再評価のための明 確な視角を用意する必要があろう。本書は,いわゆる伝記的な研究ではなく, 以下に述べられる視角からする彼女の著作の研究を中心とする。 すなわち,第二の関心の焦点は,現代資本主義のもとでの,地域,職場のく基 礎的組織〉と全体社会の政治統合との関係にある。 フォレットは,地域におけるコミュニティ・センターを核とする近隣住区政 府論と職場における(経営〉組織の参加型の再編成論とを, 60-70年ほど前に 展開した。われわれの彼女に対する関心のもち方は,地域と職場とのそれぞれ のく基礎的組織〉における参加型の組織再編成の主張が,同一人物から,なぜ この時期に,どのような形で提出されたのか,その主張はいかに現実のアメリ カの政治統合のあり方と関係していたのか,二領域が同ーの論者によって扱わ れることで,それぞれにどのような特徴が与えられているか,などの疑問に関 係している。したがって,この第二の関心の焦点が本書における視角を形成す る。視角の明確化のための若干の理論的な議論を行う前に,先にもう一つの関 心の焦点にふれておこう。 第三の関心の焦点は,現代アメリカにおけるニューディー/レ型政治統合様式 の歴史的な位置づけにある。 この問題は,非常に大きな問題であるので,もちろん,本書でふれ得るのは, そのほんのー側面にすぎない。その側面とは,ニューディール型政治統合様式 の下での都市〈地域)における諸専門官僚制プラス利益集団リベラリズムとい う構図であり,大経営(職場〉における大規模組織プラスビジネス・ユニオニ ズムとL、う構図である。フォレットは,ニューディール開始の直前に死んだの であるが,彼女の提起した諸問題は, 1960年代末以降の先の構図の動揺の時期 に提出されてくる諸問題と強L、関連を持つと思われるのである。このことは, アメリカ史に則して言えば,革新主義一一第一次世界大戦一一フーヴァー主義 とL、う統合メカニズムの展開とニューディール以降の型との継承といった論点

(9)

第1章 課 題 , 視 角 , 構 成 5 と関連している。われわれは,誤解を恐れずに言えば,前者の統合メカニズム の展開にはらまれる可能性(全社会的現実にはとうていなり得なかった可能性〉 の一つの理念型的表現として,フォレットの議論を考えることを試みたいと考 える。 次に,視角を明確化するために簡単にく基礎的組織〉とL、う言葉について説 明しておきたい。 ①仮説的にくある社会における諸個人の生活に重要な影響を及ぼす共同事務 の決定・処理の複雑で重層的な体系〉を考える。 「ある社会」とは,ここでは,一応資本主義社会を念頭に置く。「諸個人の生 活」は,もちろん,消費生活のみならず,職場における労働生活をも含む。定 義上,共同事務には,いわゆる「凝似的」共同事務を含まない。「複雑」という のは,市場・企業組織,その他の協働組織,政府組織といった多様な「決定・ 処理」主体を前提とするとし、う意味であり,

r

重層的」とは,例えば,市町村, 都道府県,固といった諸個人の視点から見た場合の事務の決定・処理単位の層 性を意味している。 この仮説的体系において,地域と職場という二つの生活の基礎的な場での, 一定の範囲一一地域においては,

r

隣組」レヴェルから町内会,部落会をへて小 学校区単位まで,職場においては, Q Cサークルなどの小集団から一事業所, 一工場レヴェルまでーーにおいてこの体系が組織化されている場合(すなわち, 市場のみによって決定・処理がなされていない場合), これをく基礎的組織〉と 呼ぶことにしよう。この組織化のあり方は,一元的・多元的,包括的・機能的, 公式・非公式,など様々であろうが,ほとんどの場合,なんらかの組織が存在 する。また,職場の場合には,フォーマルな経営組織のみがこの役割を担う場 合も理論的には考えられるが,組合,小集団活動やインフォーマルな職場集団 などがこれに加わるのが通常であろう。 ②〈基礎的組織〉とL、う言葉には,いくつかのねらいがある。それらは,政 治学の中にこのレヴェルの組織化の問題を位置づけていくのに役立つ。

a

現代政治学において,集団・組織を分析の焦点とすることは,っきなみな ことといってよい。しかし, <基礎的組織〉は,通常の政治アリーナに圧力集団

(10)

6 序 論 として登場することが稀であることから,特にいわゆるイシュー・アプローチ を得意とする多元主義的政治分析においては看過されやすし、。圧力活動をしな い,いわば「非政治的」な集団の政治的意義は,多元主義的政治理論において は,例えば政治のゲームのルールを支え,統合に重要な役割をなす「潜在的利 益集団」の問題としても,また,強い影響力を持つがゆえに圧力活動をしない 経済的支配集団の問題としても,常に理論的にマージナルな問題で、あり続けて きた。従来は,政治的圧力活動を本来の(あるいは通常の〉目的としていない こと,それ自体の組織規模が大きくなく,個々に見れば大きな権力資源を持た ないこと,などから,く基礎的組織〉は,政治学の対象というよりも,むしろ, 社会学や経営学の対象として議論され,政治学では,十分な位置づけがなされ てこなかったように思われる。 このように言うことは,学問上の分業関係の否定や,

r

政治学帝国主義」を主 張するものではない。ただ,非常時ののみならず平常時においても既存の政治 統合の維持にとって基礎的意義を持つという点からも,また,逆に言えば,既 存の政治統合の変動・変革にとって, とりわけ現代的状況の下においては,戦 略的な意義を持ち得るのではなし、かという点からも,共同事務の末端での決 定・処理単位の問題を政治学的視点から全体社会の統合との関連において位置 づけ,把握することを主張しているにすぎない。

b

.

また,く基礎的組織〉における最も生活に密着した共同事務の決定・処理 は,いわゆる政治文化というものの組織的実体的基盤になっている。その意味 で,この分析はヘゲモニーの問題の一つの分析水準となり得る。例えば,

r

今日 も地域社会はムラ文化におおわれ,それが町内会・部落会というかたちで組織 され,国,県,市町村の下請機構となっている。いわゆる

r

6

0

年安保

J

にあら われたように,町内会・部落会は体制運動にも政治動員される。市民運動が, この町内会・部落会問題をさけているかぎり, 日本における市民文化は幻にす ぎないともいえるのである」叫という松下圭ーの言及に注目しておきたい。ま た,熊沢誠のいう「労働社会

J

(その現代における「代表的」な形態としての「工 場社会J) と「労働社会の文化」との関連にも注目しておきたし、。

c

さらに,く基礎的組織〉という観念は,共同事務の決定・処理の体系におけ

(11)

第l章課題,視角,構成 7 る末端のレヴェルの組織に注目させることによって,大規模レヴェルの共同事 務としての公共事務(本書では,さしあたり公共事務とは,国民国家レヴェル など,一つの政治社会における共同事務とする〉との連続関係のみならず,対 立関係にも,自然な出来事として関心を向けさせる。特に,職場における共同 事務の考え方は,労働そのものの共同事務化と公共事務化との(私見によれば 永遠の〉緊張関係を意識化させつつ,前者,すなわち労働過程における,及び 労働自体の自覚的な共同事務化,に注意を向けさせるのに役立つ。

d

.

そしてまた, <基礎的組織〉としての地域と職場との末端組織の共通性の把 握は,当然ながら,すくなくとも基礎的社会組織としての共同体の崩壊後の資 本主義社会においては多いに異質性を持った両領域の,比較に役立つ。例えば, 松下の言うところの「市民J(1市民とは,自由・平等とし、う価値意識ないし自 治・共和とL、う行動準則をもっ人間型

J

)

6

)

が職場においていかなる問題に直面 するか,態沢のいう「労働者としての誇りj1>を持った労働者が地域においてい かなる問題に直面するか,といったテーマを常に喚起するのに役立つ。のみな らず「市民文化

J

(松下〉が,

1

ブルジョワ社会が秘めている心身を疲れさせる 競争への強制力

J= 1

自由競争の文化

J

8

)

(熊沢)とどのような関係にあるのか, 「労働社会の文化

J

(熊沢)が,

1

ムラ文化

J

(松下〉とどのような関係にあるの か,といった問題は,

b

.

で述べたように地域と職場における共同事務の内容, 及びその決定・処理をめぐる具体的な対抗関係の分析を基礎にして議論され得 ょう。9) 以上 a,b, C, dのようなねらいから,地域,職場のく基礎的組織〉と いう言葉を使いたい。本書のなかでこれらのねらいをすべて追求しているわけ ではないが,フォレットという対象の分析から,これらのねらいのいくつかの 追求に若干でも役立つものが引き出せれば,本書の視角の意味があることにな ろう。

2節 構

前節で述べたような視角を彼女の議論の検討のうえで内在化するためには, 次に研究史整理によって視角の具体化をはかることが妥当であろう。しかし,

(12)

8 序 論 フォレッ卜の場合,先にもふれたように,政治学界においてその存在がほとん ど忘れ去られつつあるので,まず彼女の略歴を次章において紹介し,主要著作 を基準にして時期区分を行なうことが有益だろう。また,彼女の業績は,時期 によってその主たる対象を地域から産業(経営〉に移行させているのであるが, これまでのほとんどの研究文献は,このどちらかの分野の業績のみを対象とし ている。したがって,研究史整理も,それぞれの分野ごとに行なうことにした L

次に,

1

1

において,地域におけるく基礎的組織〉としての近隣住区組織を基 盤にした「新国家」構想を検討する。 IIIのく補論〉において,フォレットの政治的多元主義批判と彼女の第一次大 戦時のアメリカ戦時統合の評価とを素材にして,

1

1

での議論と既存国家の正統 性との関係,及び政治理論史上の彼女の位置づけを検討する。

I

V

では,産業の分野での,末端からの組織の参加的な再編成をめざす彼女の 主張を検討する。 そして, Vにおいて,簡単なまとめを行なうことにしたい。 }主 1)丸山真男『増補版 現代政治の思想と行動』未来社, 1964年, 534頁。以下,本書におい て人名に対する敬称を略す。 2 )辻清明からの筆者宛1981年3月27日付私信より,氏の許可を得て引用。引用を許された氏 に感謝したい。 3 )辻清明『行政学概論上巻J東京大学出版会, 1966年, 86-89頁。 4)松下圭一『市民文化は可能かJ岩波書広, 1985年, 210頁。 5)熊沢誠『ノン・エリ トの自立J有斐閣, 1981年, 50-71頁。 6)松下,前掲書, 29頁。 7)熊沢,前掲書, 18頁。 8)同書, 61頁。 9 )また,地域と職場の両分野における組織化ラインのズレ(地域 ェスニシティなど,職場 階級性〉をアメリカの市民社会のあり方との関連で論じたIカッツ不ノレソンのように, 国際比較の方向にも展開され得ょう。 IraKatzne)son, CiかTrenches,1981.

(13)

第2章 フォレットの略歴と時期区分 9

2章

フォレットの略歴と時期区分

1

8

6

8

9

3

日,彼女はボストン近郊の

Q

u

i

n

c

y

で生まれた。1)父は

C

h

a

r

l

e

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A

l

l

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n

F

o

l

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母は

E

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b

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hC

u

r

t

i

s

F

o

l

l

e

t

t

である。父チャールズはクウィン シ一生まれであるが,その家族は,

1

8

0

0

年ごろにニューハンプシャーからボス トン地区に移住してきたとされる。彼は,南北戦争時には有名なマサチュー セッツ義勇軍に志願したりしているが, 63年の除隊後は様々な職業に従事して いる。機械工,商人,新聞販売人,靴工としての記録があるとL、う。また,彼 は「深く宗教的」であったというが,その宗派についてはさだかではない。2) こ の経歴から見るかぎり,彼は階層的に上層とはし、L、難い。おそらく中・下層に 属するといってもよかろう。 彼は,エリザベスと

1

8

6

1

1

2

月 4日に結婚している。エリザベスの旧姓は

B

a

x

t

e

r

であったが,このパクスタ一家は

1

6

2

5

年以来クウィンシーに住む旧家 であった。とりわけメアリーの祖父

D

a

n

i

e

lB

a

x

t

e

r

は事業で大きな成功をおさ め,クウィンシーでの大地主であった。メアリーは,幼時多くこの祖父の家で 過ごしたとし、う。しかし,母エリザベスはドレスや社交を好み,メアリーの知 的関心には全く無理解であったらしい。 メアリーは,この階層的にも気質の点でもかなり異質な父母の間で成長した。 彼女自身は,父との聞により密接な感情的結ひ、つきを持っていたと伝えられて いる。それゆえ,父チャールズが

4

3

才(メアリー

1

6

才〉で死んで以降は,母や 弟

GeorgeD

e

x

t

e

r

F

o

l

l

e

t

t

のいるクウィンシーの家からしだいに疎遠になって いく。彼女は,経済的な資産は多くパクスタ一家から受け継いだが,精神的に はより多く父から受け継いだといえよう。 彼女に影響を与えた次に重要な人物が,彼女が入学した

ThayerAcademy

の歴史の教師

AnnaBoynton Tompson

である。彼女は,当時のアメリカの有 名な新へーゲル主義者J.ロイス(J

o

s

i

a

h

R

o

y

c

e

)

の弟子にあたり,自らもフィ ヒテに関する著書を持っていた。フォレットに刻印された高い理想主義的トー

(14)

10 序 論 ンやへーゲルへの親近感は,この時期の影響が強く働いていると思われる。

1

8

8

8

年にセイヤーでの

4

年間の勉強の修了の後,ハーバード大学の女子校ア ネックス(別館〉一一後のラドクリフ大学一ーに入学,著名な歴史家,政治学 者であった A.ハート CAlbertBushnell Hart)の指導を受ける。この間, 90 年から 1年間,イギリスのケンブリッジ,ニューナム校に留学する。そこで彼 女の行なったレポートについての次のような当時の評言は,彼女の大学時代の 問題関心をよく物語っている。「フォレットは,アメリカの執行機能と立法機能 とのギャッフ。について関心を持っており,

r

そのギャップの架橋のためにアメリ カの〔議会の〕議長の仕事が発展してきたと確信していた

.

!

J

C

引用文中の

c)

は,引用者の挿入〉と。このような関心は,ハートの研究の関心を受け継いだ ものといってもよL、。帰国後,彼女はこの線に沿って研究を進め,

1

9

8

6

年には 処女作『下院の議長

r

)

を出版する。 以下,この業績を簡単に紹介しておこう。本書において,彼女は,イギリス における下院議長職の発生時からアメリカ植民地議会の時期を経て

1

9

世紀末の 当時に至る下院議長の職務の実際と,そこへの権力の一貫した集中の過程を詳 細に展開している。彼女によれば,アメリカの当時の政治制度には大きな二つ の欠陥がある。それは,第ーに,立法におけるリーダーシップの欠如であり, 第二に,執行部と立法部の結びつきの欠如である。叫これらの欠如を埋めるべ く登場し発展してきたのが,一方で,下院及び上院を含む立法部に対する,ま た自らの属する政党に対する,下院議長の強力なリーダーシップであり,他方, 大統領や内閣との結びつきなどを通じて行使される下院議長の行政に対する リーダーシップである。5) こうして,彼女によれば,すくなくとも下院の議長 は,大統領,副大統領につぐ第三位の権力的地位を占めており,イギリスの議 院内閣制における首相の地位にあたるものにすらなりつつあるとL寸。当時こ の仕事に対して Th.ローズヴェルトは CTh.Rooseve1t)は 6)W.ウィルソン CW. Wilson)の『議会政府論j7)を暗に批判しつつ次のように高い評価を与え ている。「彼女は,事実にありのままに向かし、あっている。イギリスの制度とわ が国のそれとの聞にもっともらしい類推をして現実に盲目になったりはしな L 、」と。ただし,彼がフォレットを評価するのは,イギリスの制度との類推を

(15)

第2章 フォレットの略歴と時期区分 11 していないからではない。そうではなく,彼女がアメリカの現実の制度とその 実際の運用の中に,制度上の比較だけでは見られぬアメリカ的なプラグマ ティックな知恵の集積があると考えていたこと,及び,西欧との比較によって アメリカを低いものと見る思考様式を抜け出ていたこととが,評価されている といってよい。ローズヴェルトのウィルソンに対する批判の当否や,フォレッ トのこの業績に対する彼の評価の全体としての妥当性は, ここでは問題ではな い。ただわれわれは,後の彼女の業績との関連で,以下の三点のみに注目して おきたい。 第一に,フォレットのこの業績は,制度論から過程論への政治学上の転換に おける先駆的業績のーっとL、し、得るということである。ウィルソンの業績と同 様,そのデータの種類B)においては末だ統治機構の内部にとどまっているが,そ の方法においては,よりリアルな政治過程に対する着目が大きな特色をなして いる。9) 第二に注目すべきは,アメリカの憲法上の統治機構における特質,すなわち 「抑制均衡」原理によって一機関・一個人に包括的な指導力が与えられないと いう特質が,その間隙を埋める下院議長の権力発展を不可避ならしめたという 視点である。さらに,この下院議長の事実上の権力拡大を,事態に要請された 正常な過程の表現として評価する見方である。すなわち,①フォーマルな制度 の欠陥とそれを埋めるための事実過程の進行という視点,②「抑制均衡」によ る権力の分割に否定的で「調和と責任」ある権力の統ーを高く評価する視点, が,彼女の議論の特質をなす。 第三に,機構の改革にあたって,

r

自然な発展」の「傾向に直接に一致するよ うな変化や進歩をすることができるJ10 )という視点。例えば, ウィルソンらの 議論から派生しやすいイギリス的議院内閣制の導入とし、う改革方向に反対しな がら,彼女は,下院議長の拡大されてきた権力の承認と制度化を求めてL、く。 ただし,これは,単純な現状追随の勧めではなく,現実の変化・発展の中に意 識的変革の条件と可能性を見るとし、う彼女なりのへーゲル主義の具体化とでも L 、し、得ると思われる。 以上の三点は,若干の変容を伴いながらも後の彼女の業績に継承されてL、く。

(16)

12 序 論 ところで, 1898年に,彼女は,結局10年間の学生生活を終え, 29才で卒業し た。その後,パリでさらに教育を受けた〔ただし,フォックスによれば,これ をうらづける証拠はないという。〉後, 1900年頃にボストンのロクスペリー CRoxbury)で青少年の討論クラブを始めたのを皮切りにして, 1902年には学 校建物の利用拡大と夜間開放による青少年クラブ活動の組織化,さらに成人教 育を含むイブニングセンター活動,後には職業紹介機関の創設など,幅広い活 動を展開する。当時は高等教育を女性が受けること自体が稀なことであり,ま して彼女らの卒業後の活動分野は非常に限られていた。それゆえ,彼女も自ら の能力の実現の場を,既存の経済活動や公務から離れた自発的奉仕活動の一つ に見いだしたのだと思われる。ボストン婦人市政連盟の学校建物拡大利用委員 会の議長,ボストン教育委員会のイブニングセンターに関する諮問委員会の長, ボストン職業紹介局の執行委員,さらに,全国コミュニティセンター協会の副 会長(1917-21)など,彼女は自らの活動の場を自ら開拓しながら積極的に仕 事を進めている。 そして,これらの経験をもとにして書かれたのが, 1918年12月に出版された 主著『新国家j12)である。本書は,第一次大戦後の秩序再建に向けて,地域住区 組織を基盤に新たな国家を構想したものであるが,当時の著者な政治学者たち にかなりの反響を引き起こした。イギリスの理想主義国家論者B.ボーズン キット CB.Bosanquet)からの高い評価,当時ハーバードにいた H.].ラスキ CH. ]. Laski)からの好意的評価,さらに20年にはイギリスの著名な政治家で へーゲル主義者の

v

.

ホールデン

C

v

.

Haldane)からのイギリスでの出版の勧 めと序文執筆の申し出にまで至る高い評価などは 13)その反響の一端を物語っ ているといえよう。 その後,職業紹介事業やマサチューセッツ州の最低賃金委員会での公益側委 員としての活動などを媒介としてその関心をしだし、に産業の分野, とりわけ経 営管理の分野に移してし、く。この過渡期にあるのが1924年出版の『創造的経 験j14)である。本書は,

r

新国家』で展開された議論の心理学的基礎づけや,広 く代表,参加,法,専門家なとやについての心理学的考察が中心である。前著で 特に重視された近隣住区組織そのものへの言及は,本書では直接にはほとんど

(17)

第2章 フォレットの略歴と時期区分 13 見られなくなり,ただ一般化され抽象化された社会過程の心理分析の中に解消 されてしまう。 その翌年 (25年)1月,彼女は,ニューヨークの人事管理協会 (Bureau of Personal Administration)での講演を皮切りに,以降,英・米両国で経営組織 論に関する講演・論文発表を重ねてL、く。 26年以降はボストンを離れ,その死 に至るまで主にロンドンに住んだ。 28年以降数年間はジュネーブの国際連盟に も若干の関係を持ったようだが,主たる活動分野は,先の人事管理協会,テイ ラー協会, ロンドンのロウントリー講演協会,同じくロンドン全国産業心理学 協会,

LSE

の経営学部などの講演であった。この時期の諸論文は,後人の手 で2冊の論文集にまとめられている。15)なお,大恐慌後の1932年には,ニュー ヨークで「計画化された社会における個人主義」と題する講演を行ない,彼女 なりの産業組織化への展望を打ち出している。 33年,続く不況下で彼女の投資資産の保全のため,また,同年 6月に死んだ 母の遺言執行人としての役目を果すため,ボストンに帰った彼女は,同地でが んの手術を受け,同年12月18日に他界した。 65才であった。 彼女の生涯は,こうして活動分野の推移にともなって

4

つの時期に分けられ 得る。 第1期 既存アカデミーの中での学究生活の時期で,

r

下院の議長』がその主 たる成果。 第2期 1900年以降のロクスペリーでの実践を手始めに地域での参加論の形 成・実践の時期で, 18年の『新国家

J

が主たる成果。 第

3

期=過渡期 前著出版後

2

4

年の『創造的経験』の出版まで、の,心理学的 な一般社会過程論の展開期。第2期と第 4期との聞の過渡期にあたる。 第4期 25年以降の経営組織論・産業統合論の展開期で‘主たる成果は上述の 2冊の論文集にまとめられている。一応,その死までの時期とする。 第 l期の著作については,以上の経歴の紹介の中で簡単な検討を加えたが, 本書ではこれにとどめ,われわれの問題関心である現代の政治統合におけるく基

(18)

14 序 論

礎 的 組 織 〉 の 意 義 と そ こ で の 参 加 と 統 合 の ダ イ ナ ミ ク ス と し 、 う 視 角 か ら 重 要 と 思 わ れ る 第2, 3, 4期 を , 以 下 で の 検 討 の 対 象 と す る 。

2王

1)彼女の経歴については,主に以下の文献による。 El1iotMilton Fox,“The Dynamics of Constructive Change in the Thought of Mary Parker Fol1ett," Cdoctoral dissertation, Columbia University, 1970).

2)ただ,父に深く感化されたとされるメアリーが,後にボストンパプテイスト社会同盟をス ポンサーとするフォードホーノレで、の定期フォーラムで講演している事実があること,また, 彼女の改宗の記録もないことからも,チャーノレズ,メアリーともにパプテイストであった可 能性はある。

3) M. P. Fol1ett, The Speaker

0

1

the House

0

1

Representatives, 1896.

4) lbid, p.329.

5) lbid., chap. XI The Speake町r

Placein our Political System.

6) Theodore Roosevelt“,Book Review of The Speaker

0

1

the House

0

1

Representatives" in American Historical Review, 11 (896) pp.176-178

7) W oodrow Wilson, Congressional Government : A Study in American Politics, 1885. 8 )この点については, David Easton, The Political System ; A招lnquiη仇tothe State

0

1

Political Science, 1953, chap. 6-8.山川雄己訳『政治体系」ぺりかん社, 1976年。 9)Roosevelt, opα.tは,この点についてウィルソンを酷評している。

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c

ウィルソンらは〕 わが国の政府が働いている現実的諸条件を見ることができない。彼らのこの点についての 考えは,あたかもプラトンの『国家篤』をニューヨークの市政府のモテーノレとしようとするか のごとく下らぬものである」。 10) Fol1ett, Speaker, pp. 323-324 11)lbid., pp. 316-318

12) The New State : Group Organizatio抑theSolution

0

1

Popular Government, 1918現在, 上回驚訳『新しい国家』として北九州大学『商経論集Jに連載中。以下本書からの引用は本 文中に [NS,頁数]と略記する。なお,本書の原型は,私の修士論文 iM.P.フォレット における統合論の構造」名古屋大学大学院法学研究科, 1980年12月であるが,その当時翻訳 は出ておらず,今回新たに訳文を照らしあわせる煩にたえなかったので,邦訳の貰数は示し ていない。

13) Abrum Issac Cohen,“Mary Parker Fol1ett : Spokesman for Democracy, Philosopher for Social Group W ork, 1918-1933,"Cdoctoral dissertation, School of Social Work Tulane University, 1971) Appendix B.の数通の彼女の手紙から。

14) The Creative Experi・enα,1924.上回驚訳『創造的経験jC北九州大学『商経論集J第16

(19)

第2章 フォレットの略歴と時期区分 15 書からの引用は本文中に[CE,頁数]と略記する。また,訳は部分的に参考にしたが煩雑 になるので頁数は示していない。 15)① Elliot M. Fox andL.Urwick (ed), Dynamic Administration The Collected Papers 01 Mary Parker Follett, 2nd ed, 1973.この初版が HenryC.Metcalf andL. Urwick (ed), 1941であり,この初版訳が,米田清貴・三戸公訳『組織行動の原理 動 態的管理』未来社, 1972年である。本稿では,原書第2版の頁数とそれに対応する初版 翻訳の頁数を[DA,p. -(-頁

)

J

と本分中に略記する。なお,初版, 2版では論文の 若干の変更があるが,その変更部分からの引用は例えば

[

DA

Cled.)p. -( -頁

)

J

な どのようにそのつど指示する。 ② L . Urwick (ed), Freedom

&

Coordination Lecture in Business Organization, 1949. 斉藤守生訳,藻利重隆解説『経営管理の基礎一一自由と調整Jタイヤモンド社, 1963年。本書からの引用は, [FC, p. -(-頁

)

J

と示す。 なお,翻訳からの引用は必ずしもそのままではない。

(20)

1

1

r

新国家」一地域統合

(21)

は じ め に 19 は じ め に

I

I

では,第

2

期を中心にして,地域統合構想としての「新国家」論を検討す る。 地域統合,ないし参加の視点カかミらの近隣住区1)組織 以降とりわけ高まつてきているように思われる。わが園でで、地域住民組織は, 70 年代中期以降,研究上「再度テーマ化されるJ3)状況をむかえていると言われて いる。この理論レヴェルで、の再興の背後に,現実にも,一方で市民運動・住民 運動の70年代中半から 80年代にかけての展開のー形態として,他方で行政の側 からのコミュニティ施策の結果として,地域住民組織の多様な形での活性化の 状況が存在している。これらについての文献は,枚挙にいとまがない。 他方アメリカでも60年代から 70年代にかけて,近隣住区を基盤にした参加に ついての関心が急速に高まってきた。シンシナティ大学の政治学の助教授であ る].A.スティーヴァー(J.A. Stever) は, 1978年に大都市政治の諸理論の盛 衰について言及し,革新主義者の理想論からシカゴ学派の諸理論へ,そして, 現在ではいわゆる「近隣住区政府」の諸理論に流行が推移してきたと述べる。4) もちろん,理論史の整理には様々な方法が可能で、あろうが,近隣住区レヴィル での参加と統合への理論的関心が高まってきたことについては,彼の言うこと は妥当である。実際,現実においても, G.フレデリクソン CG.Frederickson) 編

W

1

9

7

0

年代における近隣住区自主管理 政治・行政・市民参加

J

の中でH. W.ホールマン CH.W. Hallman)が述べるように 5)60年代初期の「参加民主 主義」のスローガンの流行, 60年代半ばに始まる「貧困との戦争」事業の一環 としての「最大限の可能な貧困者の参加」の実践,そして, 70年代半ばにはそ れらをふまえての「コミュニティ・コントロール

J

要求の運動の展開,といっ た事態は,それぞれ何らかの形で近隣住区を焦点としつつ展開していたと言っ てよし、。しかも, 60年代から 70年代以降への展開という点から見れば, f1960年 代の連邦補助事業における住民参加がのこした波絞のなかで, ともかくも構想 の域を脱し,現実に定着しそうな気配をみせているのは,自治への参加を拡大 するための住区への分権だけ」引と評され,また, 1984年時点におけるある論者

(22)

20 II 新国家」 地域統合構想として たちによって, I公民権運動の退潮以来,コミュニティ組織化(communityorga -nizing)は,社会的抗議の最も力強し、表現でありつづけてきたJ7) とされている ように, 60年代の運動の退潮の後のその運動の“遺産"の継承と発展という点 での最も重要なものの一つが,この近隣住区での参加・自治運動の拡大なので ある。 そして,この近隣住区での参加運動は,特に

7

0

年代以降先のスティーヴァー の理論上の推移についての言及に見られた「近隣住区政府」とL、う表現でしば しば表現される包括的な地域住民組織に,その主たる形態を変化させてきた。 加茂利男がH_C-ボイテ (RC. Boyte)によりながら, 60年代型の組織・運動 と

7

0

年代以降のそれらとを区別しているのもこの点で注目に値する。剖彼によ れば前者は,

I

都市反乱」やコミュニティ・アクション・ク'ループなどの運動形 態をとったのに対し,後者は, Iコミュニティ組織化運動(Communityorganiz -ing movement) J的な形態をとっているとL、ぅ。この後者の特徴は,さらに以 下の二点でまとめられる。別 (1) 思想・宗教・特定の目的によって集合するのではなく,地域をベースに して,しかもブロック(町内)や,ネイパーフッド(近隣住区〉の住民全 体にかんする問題で,住民が包括的に集合しようとする組織であること。 (2) その活動が防犯パトロールや地域の美化,公園なと。の補修のためのボラ ンティア活動,それに地域のまつり(ブロック・フェアー,ストリート・ フェアー〉などの自助(セルフ・ヘルプ)活動や住民の親睦・連帯強化に 基調をおいていること。 このような包括的近隣住区組織の族生の動向は,わが国における

7

0

年代中葉 以降の住区組織への関心の高まりとも一定の共通性をもち,注目されるところ である。ちなみに,加茂は,この

7

0

年代型組織について,

I

日本の町内会に似た 組織がアメリカにもひろがっているのだと解せなくもなし、」としている。もち ろん,わが国の町内会に一般的な政治文化とこの住区政府の運動におけるそれ とは,かなり異質なものであろう。当然,当面する諸問題も異ってこよう。し かしまた,共通する問題も提出され,その比較がわが国の組織や運動の歴史的・ 文化的位置づけに役立つこともあり得る。

(23)

は じ め に 21 例えば,わが国でも伝統的に町内会や自治会と行政との関係が問題とされて きたが,アメリカでも「再活性化した」近隣住区(政府)が大都市(政府〉と の聞に取り結ぶ関係が,重要な議論の争点となっている。この点について,先 のスティーヴァーは注目すべき議論を展開している。10)彼は,住区理論を三つ に分けて,住区(政府)を大都市(政府〉に対置する①「空想的 (romantic) 理論j(L.マンフォードなど〉及び②「対抗的 (reactionary)理論j(M.コッ ラーとc.ハンプデン・ターナーなど)に対して,近隣住区(政府〕をより大き な大都市(政府〉の中に統合することに重点を置く③「統合的Cintegrative) 理論」を称揚する。詳しい紹介は省くが,彼の議論でわれわれが注目したし、の は, I対抗的理論」においては,近隣住区政府を「社会変革の道具」として自治 性を高め大都市の政府を含む諸制度に対抗させることが意図されているのに対 し,

I

統合的理論」では,パイアブルな大都市(政府〉にとってノミイアブルな近 隣住区政府が必要なことを承認したうえでその統合様式に焦点があてられてい るとされていることである。これが,彼の中心的な理論上の対抗把握といって よい。そして,この対抗をふまえた彼の「統合的理論」の探究の試みは,

I

現在 の大都市政府への広範な幻滅の基盤は無視され得ずj,しかも,

I

空想的及び対 抗的な近隣住区政府概念の諸欠陥にもかかわらず,住区政府の人気が上昇して いる」といった切迫した意識を背景にしているのである。 このように,アメリカの場合,近隣住区政府自体が大都市の政府と対抗的関 係に立つ可能性(日本流に言えば“革新町内会"とか“革新住区政府"とでも 言えようか。〉が,ある種の現実性を持って議論されている。この意味では,わ が国における「中央地方関係j,ないし「官民関係」のイメージが絶えずつきま とう町内会と行政との関係についての議論と, I政府間関係j,I連邦主義」とし て住区政府と他の政府との関係を想起する11)議論との差の問題は,見落すこと ができない。 また,アメリカの近隣住区政府の議論は,その背後に,例えば60年代の都市 暴動によって直接的に表現された大都市政府の統治能力の危機の認識を持って いる。ホールマンは,端的に次のように述べている。すなわち, Iアメリカ人の 多数が住む都市・大都市地域が,市民のより以上の参加なくしては統治され得

(24)

22 II I新国家」 地域統合構想として ないであろうからこそ,

c

このコミュニティ・コントロールの運動は,

J

実際的 観点からして政府を機能させるためにエッセンシャルなのであるj12)(傍点は引 用者。以下特記ない時は同様〉と。このように大都市政府の統治能力,統合能 力といった問題と70年代以降の地域の包括的自治組織の動向との関係について の彼我の比較も,重要であろう。ただし,本書では,この問題を展開する余裕 はない。 しかし,今世紀初頭に議論を展開したフォレットの「新国家」構想は,大都 市における近隣住区組織を媒介にしての統合とし、う問題を直接に課題としたも のと言ってよL、。例えば先のスティーヴァーが,彼の称揚する現在の「統合的 理論」が「知的債務」を負っている理論家としてフォレットの名を挙げ,彼女 の議論を, I現代の統合的諸理論の基礎を据え,空想的・対抗的理論を批判する ための卓越した基礎づけを提供する」ものと位置づけるのも,この文脈におい てである。この位置づけに基づく彼のフォレットの議論の検討はほとんど紹介 的なものにとどまっているのみならず,その評価にしても,

I

対抗的理論」への 彼の強い批判意識に牽引されて,十分な内在的検討のない手放しの肯定的評価 になっており, フォレット研究としてはそのままこれを受け入れることはでき ない。しかしながら,われわれがここで注目したいのは,わが国ではほとんど 取りあげられることのないフォレットの構想の検討が,以上概観したような大 都市における近隣住区組織を媒介とした統合様式の問題とし、う非常にアクチュ アルな問題との関連で,試みられていることである。われわれが,彼女の「新 国家」構想、を取りあげるのも,このような問題関心によるといってよい。 19世紀後半に生まれ, I大社会」の発生を身をもって経験した彼女は,大都市 における近隣住区政府論のおそらくは最初の提唱者であり,かっ,このく基礎 的組織〉の上に「新国家」を構想し,世界国家を展望した。以下,この構想を 検討することにしよう。 }王 1) neighborhoodの訳として本書では.I近隣住区」とL、う言葉を用いているが,これには 若干の説明が必要だろう。わが国の都市計画論の文脈では.neighborhood unitを「近隣住

(25)

は じ め に 23 区」と訳すことが,

r

通説」となっているといわれる(渡辺俊一『アメリカ都市計画とコミュ ニティ理念J技報堂出版, 1977年, 148頁, (注)1)。この訳語は,例えば,本文でも後に ふれるクラレンス・A・ベリー (ClarenceArthur Perry)の“TheNeighborhood Unit" とL、う論文の邦訳書名,倉田和四生訳『近隣住区論J鹿島出版会, 1970年,や梶秀樹他著の 『現代都市計画用語録』彰国社, 1978年,における項目にも見られるし,研究社の『新英和 大辞典』第5版, 1980年,には, neighbourhood unitが,

r

近隣住区(学校・商庖・公民館 などの施設を持つ人口約1万の地域で,都市計画上の単位」として挙げられていることでも わかるように,かなりの訳語としての安定性を持っていると思われる。 他方,社会学や政治学の文脈においては近隣住区,ないし住区をneighborhoodunit,近 隣を neighborhoodとL、う対関係は,一般的用法となっていない。例えば,社会学者の奥 田道大は最近の著書『都市コミュニティの理論J東京大学出版会, 1983年,で,特にベリー のneighborhoodunitの計画に言及する場合,及びその系での若干の議論の中ではこの対 関係に従っているが (r近隣住区(ネイバーフッド・ユニット〕と近隣政府(ネイパーフッ ド・ガパーンメントJ289頁など),他のところでは,

r

近隣住区政府(NeighborhoodGovern ments)Jとか,

r

近隣住区単位の生活ミニマム……」など(300頁〕の用例に見られるように 必ずしもこの対関係に従ってはし、なし、。また,行政学者である西尾勝は,

r

権力と参加一一現 代アメリカの都市行政』東京大学出版会, 1975年,の中で,ほぼ一貫してneighborhoodを 「住区J(262頁など), neighborhood governmentを「住区の自治J(63頁など〉と訳して いる。 Supplement

ω

the Oxford EnglishDictionary, 1976には, neighbourhoodの語義につし、 て次のような記述がある。“6.c. In urban planning and development, a small sector of a larger inhabited area with an integrated community provided with its own shops and other facilities."ここではneighborhoodは, a small sectorであって,

r

近所となり,近 辺」をさすとされる

c

r

広辞苑.J)近隣よりも,語のイメージとして住区に近し、。また,この 比較的新しい (Supplem仰 tで加えられた〕意味以前にふ“6.b. A distrist or portion of a town or country, freq. considered in reference to the' character of circumstances of its inhabitants."という語義も示されている(用例として,“Theseveral sorts of founder ies in the neighbourhood"など〕が,この場合にも, districtとしての意味を持っている。 neighborhoodは,他にも多様な意味があるが,このように,地区,地域の意味を強く持つ 場合,単に「近隣」だけで1主十分にその語義を表現しにくいのではないか。このような場 合,文脈によって neighborhoodに近隣住区,ないし住区の語を用いることも許されてよ いのではないか。 ディシプリンの問(あるいは論者の間〕で訳語が異なることは,よくあることではある が,望ましいことではないであろう。しかし,統一的で妥当な訳語がうまく発見あるいは案 出されていない現状では,このこともやむを得ないのではないか(例えば,先述の渡辺は, 先の注において, neighborhood unitの訳語として「一応通説に従って『近隣住区』と」し

(26)

24 II I新国家」 地域統合構想として ているが, I訳としては,

r

近隣単位j,

r

近隣社会単位Jとする方が自然、ではないかと考えら れる」とも記している。たしかに, neighborhoodを都市計画上の「単位」とするというべ リーの意図からすれば, この方が「自然」かもしれないが. この訳語で妥当かは,また議論 のあるところであろう。)。 2 )集団 Cgroup)と組織 Corganization)との相違についても種々議論があるが,フォレヅ トの場合,近隣住区集団,近隣住区組織について有意な区別をせずに両方を使っているの で,本書でも特に区別していない。 3 )奥田道大,蓮見音彦編著『地域社会論一一住民生活と地域組織』有斐閣, 1980年, V,住 民運動の変容と地域組織,特に266-267頁。 4) James A. Steve,r巳

Romance and Re回action】,"inUrban

A

.

グairsQuarterly, vo1.l3 No.3, March 1978, p. 263.

5) Howard W. Hal1man,“Foreword", in Geoge Frederickson Ced')Neighborhood Control in the 1970s--Politics, Administration, and Citizen Participation, 1973, pp. vii -Vlll.

6 )西尾,前掲書, 291頁。

7) Madeleine Adamson and Seth Borgos, This Mi掛かDream--SocialProtest Move -ments in the United States, 1984, p. 125. 8 )加茂利男 Ir大都市の衰退』とアメリカ・デモクラシー 『都市自由主義』とその時代・ 序章J

c

r

法学雑誌j29巻3号, 1983年3月〕とりわけ338-344頁。 10) Stever,。戸.cit 11) Frederickson,“Epilogue" inop. cit.pp. 263-264, 278.彼は, I生産的緊張関係の考え方 にもとづく近隣住区自主管理の概念Jを提出し,それにもとづいて住区政府と他の政府との 関係の問題には, I連邦システム (afederated system) Jという答えしかあり得ないとして いる。 12) Hal1man, op. cit.

(27)

第l章 研 究 史 か ら 25

1

章 研 究 史 か ら

上で示されたわれわれの地域住民組織に対する一般的な問題関心を,置かれ ている歴史状況が異なり,また独自の体系性を持つ彼女の議論のうちに,直接 持ちこみ,自己の関心に都合のよい文言を引っぱり出すというようなことをせ ず,彼女の議論に内在して検討するためには,若干の手続が必要である。本節 では,まず以下に簡単な研究史整理をすることによって

.11

における課題を提 出しよう。 彼女についての諸研究は 1で述べた活動分野の変化に関連して,①第 2期, すなわち『新国家』を主たる対象としたもの,②第 4期,すなわち産業及び経 営組織論を主たる対象としたもの,また,例外的なほど数少ないが③一応彼女 の全領域を扱ったもの,に分けられ得る。管見のかぎりでフォレット研究とし て第1期のみを扱った研究はなく,また第3期の『創造的経験』についてもそ の基礎理論的性格から,第

2

.

4

期どちらかの研究に結びつけてのみ論じら れている。

1

1

では,これをふまえ,かつ.

1

1

の限定から,上の①,③にあたる 研究について概観し,②については除くことにする。さらに,単なる紹介にと どまらない明快な主張を持つ研究に限定した場合,以下のそれぞれかなり異質 の問題関心をもっ3人の見解に注目しておくことが必要であると思われる。 まず.A.コーエンの所論について。1)彼は. 1971年に提出した学位請求論文 の中で, フォレットの私信8通,ホーノレデンからフォレット宛の手紙1通を含 む新資料を使いながら, ソーシャル・クツレープ・ワークの形成期における彼女 の思想的貢献の大きさの実証という点に論点をしほって検討を加えている。そ のために,第1にソーシャル・クーループ・ワークの直接の創始者たちと彼女と の著作,交友関係を通じての相互の影響の与えあいを検討した。その際に,ブオ レットの交友関係についてハーバードニラドクリフグループとニューリパブ リッククソレープとの二つを指摘し彼女が今世紀初頭のアメリカにおけるいわ ゆる革新主義CProgressivism)のリーダーシップをとった東部の知識人集団と

(28)

26 II 新国家」 地域統合構想として

密接な一体性を持っていたことを実証した。そして,フォックスは, ソーシャ

ル・グループ・ワークの創成期において,彼女が,E.リンデマン CEduard

C

.

L

i

ndeman), A.シェフィールドCAlfredDwight Sheffield),

J

.

デュウイ(John Dewey), G.コイル CGraceL. Coyle)らと直接あるいは間接的に影響を与え つつ知的グループとして,その形成に貢献したことをたんねんに実証した。2) このことは,彼の確かな貢献である。ただ,

1

9

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年時点の研究とすれば,社会 福祉の分野でも,すでにソーシャノレ・クソレープ・ワーク一般ではなくコミニユ ニティ組織との連闘が,もっと直接に言及さるべきであろう3)とは思われる。 第

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に,彼は,ソーシャル・ワークへの彼女の影響の内容を,諸個人の社会 化・教育過程における民主的集団の強調とその「哲学的」基礎づけとによって ク。ループ・ワークの形成に資した点に注目した。この文脈で,彼は,ほとんど 批判的な検討をすることなく,フォレットを「民主主義のスポークスマン」と して位置づけている。たしかにフォレットの著述は,高い理想主義的な調子 で「集団組織こそ人民政府の〔問題の〕解答であるJ4) と訴えており,彼の主張 は,その限りで正当であろう。しかし,果して,フォレットを批判的検討なく 「民主主義的」とするのは妥当であろうか。 このように手放しで「民主主義的」とする肯定的評価は, コーエン以前のい くつかの書評論文や紹介論文で、も見られる。これらに対して,すでに早く

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年に独自の視角からフォレットを位置づけ根本的批判を加えたのが,

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カ リエルで、ある。5)彼は, I彼女の著作をその暗黙のイデオロギーを暴き出すため に検討する

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6)なぜ、から,この検討によって,より洗練された経験的・分析的 なアメリカ多元主義の,隠された価値指向が明らかになるであろうからである。 彼は,彼女の公然あるいは暗黙の前提(preoccupations)として次の5点をあげ る。7) (1) 多元的コミュニティの価値に対する純粋の愛着 (2) 緊張と多様性の存在についての知覚と懸念 (3) 客観的一般組織論の発展に対する関心 (4) 人間のもつ複数の役割と目的,利害と価値の究極的均衡に対する信仰 (5) 個人的自由を完全に機能的社会秩序と一致するものとする裁断

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第l章 研 究 史 か ら 27 これらの彼女の前提と同様の前提が,後の非常に「人道主義的」と見られる 多元主義的政治理論においてさえもその中に「危険な混乱」をひき起こさせる 隠された理念となっていると,カリエルは主張する。こうして,彼は,彼の多 元主義批判の一環として彼女の「反自由主義的指向性J8)を劇挟しようとする。 見られるように,先のコーエンの積極的評価とは対照的な評価を,カリエルは 提出しているのである。 カリエルのアメリカ多元主義政治理論に対する批判は鋭い。

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年代以降展開 が進み80年代には段階的に高まったとし、し、うるアメリカ多元主義政治理論に対 する批判・相対化の作業にとって 9)彼の業積は,先駆的であると同時に,今な おその鋭さを失なっていない。 また,全体としてのアメリカ社会科学のもつ暗黙の価値前提とのかかわりで フォレットを位置づけたことも,高く評価されよう。しかしながら,フォレッ ト研究の視角から見た場合,カリエルの議論は,彼独自の主張の弁証のための 少なからぬ強引な裁断を含む。特に,本書の視角から見た場合,以下のことが 指摘されなければならない。まず第ーに,われわれが後に指摘するような川多元 主義に対する批判者としての彼女の側面を全く無視していることである。彼女 の議論を「均衡」論として位置づけることはできない。これに対する彼女の緊 張感こそが,すぐれて彼女の議論を「統合」重視の議論に導いたのである。第 二は,この「統合」についてである。すなわち,カリエルはフォレットにおい ては諸対立の統合はあたかも自動的に実現するかのごとき論理になっていると い彼女の論理を「均衡」の自動的実現とほぼ同意味の主張と考えているが, われわれは,このような解釈によっては彼女の全体像を把握できないと考える。 先のコーエンの描いたフォレット像にも見られるような,社会化過程における 集団の重視とその意識的創設,そこでの統合努力の実践といった彼女の強い意 識性をもった統合の強調は,フォレットを評価する場合の重要なファクターで ある。彼女の思考の中でのこの統合をめぐる自動性と意識性との関係を明らか にすることが,必要なのである。 そして,この論点を含めて最も包括的で,かつ資科的にも整った研究を発表 しているのが

E.M.

フォックスである。11)以下に,若干詳しく検討しておこう。

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28 II I新国家」 地域統合構想として 彼は, 60年代末のアメリカ社会における人種・世代間の「前例のない対立」状 況が,それまでの人々の行動規範の崩壊をもたらし, i社会的諸関係の新たな ネットワーク」の再建へ向けての変化を要求しているという情勢認識を持つ。 そして,この社会変化のダイナミクスの理解,さらに紛争解決の手段の獲得の ために,フォレットの業績は「不朽の貢献」をなしているとする。この意味で 彼は,彼女の業績を「建設的変化のダイナミクス」の解明という視点からとら える。12)彼の研究の特色で注目すべき点を,以下2点にわたって検討しよう。 第

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に,彼は,彼女を「保守主義的革命家」と名づける。この矛盾的表現は 次のような評価による。 フォレットは,事実認織としての「循環的反応JCcircular response)概念に よって「状況」を非常に流動的なものと見る。というのは, i状況」は諸成員の 心理的相互作用のネットワークの全体として考えられるからである。そこでは, いわば構造的制度的なものが「状況

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化されてとらえられる。この「状況」的 把握によって,固定的にとらえられていた対立関係に,通常看取されるよりも 大きな変化可能性,さらに統合可能性が可視化される。フォックスによれば, 「統合」とは,

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状況」の変化過程における「健全な形態の社会過程」であっ て,支配,均衡,妥協,操作と異なる対立克服の真のメカニズムである。しか し,フオレットにとって「統合」は,構造・制度の水準でなく「活動JCactivity) の水準で考えられており,例えば私有財産制度や投票に基づく民主主義制度の 廃止といったことには彼女は「無関心」であった。こうして,彼女は,現存す るどんな制度の内部でもその直接の破壊でなく自らの統合論の実践を主張でき たのみならず,フォックスによれば既存制度の「現存エリー卜一一経営者,教 育者,コミュニティ・リーダー」に彼女の主たる呼びかけの対象を求め得たの である。13) フォックスは, このような既存制度に対する彼女の態度を「保守的」として いるが,彼のいうところをまとめると,これには以下のような根拠がある。第 ーに, i存在している制度の価値を,それらが存在しているがゆえに基本的に評 価する」という制度観である。社会過程の進行は多くの対立・相違の発生をも たらすが,そのうち多くは「自然、に」調和している。この調和=統合が, i伝統

参照

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