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上に述べた視角の意味について,二点にわたって敷街しておこう。

第一に,この視角からの検討によって,彼女の「新国家」構想の既存国家の 正統性との関係が、明らかになるからである。

周知のように,政治的多元主義は「多元的国家論

J

とも訳され,今世紀初頭 から第一次世界大戦前後にかけて,イギリスのフィッギス(J.

N .  F i g g i s )

,パー カー

( E .Barker 

 ,) ラスキ

( H .] .   L a s k i

 

 

,) コール

( G .P .  H .  C o l e  

),フラン スのデュギー(L.

D u g u i t  

),らによって展開された理論である。丸山真男が言 うように、政治的多元主義は,既存の国家に対して「正統性の合理化を最も極 端に押しつめた考え方としてJ1),当時の法学的な,あるいはへーゲル主義的な 国家理論における国家の個人・団体に対する絶対的優越性の主張を批判したと いわれる。この議論についての彼女の見解の検討は,彼女の構想の国家の正統 性とのかかわりにおける歴史的位置づけにとって興味深し、。また,この文脈で われわれは,彼女の構想と第一次世界大戦時のアメリカの戦時動員との関連に

も言及したい。

第二に,この視角は,彼女の政治理論史上の特異な位置を内在的に理解する うえで有効である。

わが国の政治学界では,従来,フォレットは「多元的国家論」に属する論者 の一人として評価されてきた。例えば、

「従来の歴史的具体的国家への不信用と従来の一元的国家概念への反対に おいて,フォレットもまた多元論者の一人である,と見られよう。J(蝋山政 道)2)

「多元的国家論としては,ラスキよりもたとえば

M.P.

フォレットの『新 国家』などの方がはるかに鋭く独創性にも富んでいる。

J

(丸山真男

) 3 )

その他にも多くの論者が,彼女を政治的多元主義に属する論者として位置づ けている〔松下圭一叫など〕。また,いくつかの政治学辞典で、もそのような記述

94  III  < 補 論 > フォレットの政治的多元主義批判と構想、の 実現"

がなされる。5)

しかし,彼女の著書『新国家』やその直後に書かれた論文などでは,明らか な多元主義批判が見られるのみならず,彼女は,通常政治的多元主義と鋭い対 抗関係に立っと目されるへーゲル主義に強い親近性を持っているのである。イ ギリスの著名なへーゲル主義者

V .

ホールデン

( V .Haldane 

)は,

1 9 2 0

年の

『新国家』第三刷に付した序文で次のように述べている。「もし彼〔へーゲル〕

が,一世紀前のドイツでなく,

1 9 2 0

年のボストンに生まれていたら,彼は,多 分私が著作から判断し得るかぎりは,フォレット氏の述べることとあまり異な らぬことを述べるであろうJ

[NS

, p. 

v i  

]と。さらに,いわゆる理想主義的一 元的国家論の代表者の一人で,しかも「後期オクスフォード学派」の典型とし て非常に「国家主義的」傾向が強いとされる6)B.ボーズンキット(B.

B o s a n ‑

quet)からは,自らの理想を補強するものとしてフォレットは高い評価を受け

る。「私にとっては,それら

n

新国家』において見られる主権概念の展開〕を,

私の学説の解釈として主張したいと考える」と。7)また,彼女自身も,次のよう に当時

( 1 9 1 9

9

月2

8

日付)の私信のなかで述べているのが注目される。すな わち, ["へーゲルのすべてに同意するのではないが,彼の中心的真理に同意する という意味」において,という但し書きつきではあるが, ["私たちの間では(も ちろん,私の多元主義者の友人たち

C H .

ラスキなど〕にはないしょですが)私 は徹底的へーゲリアンですJ8) と言うのである。

それでは,彼女を政治的多元主義として評価してきたわが国の議論は,単純 な誤まりと片づけられるのだろうか。ところが,この点については,十分な検 討をせずして安易な判断は許されない。というのは,以下に概観するように,

彼女の理論史上の位置は,マージナルな特異な位置を占めているからである。

例えば,第ーに,彼女自身が,一元主義でも多元主義でもなし、「第三の立場」

を主張している9)ということがある。すなわち,すくなくとも主観的には,彼女 は,両者に属さない(したがって当然,政治的多元主義にも,属さなしうこと が明らかである。

第二に,他方,本人の主観を離れて,当時の当事者たる両派の代表者,ボー ズンキットとラスキからの見方が,全く正反対であって,逆説的に言えば,あ

1章 視 角 95 る意味で非常に明快だからである。彼女の書いた手紙の一部を引用しておこ う。10)

「私の本

n

新国家

D

について起きたことで最も興味深かったのは,

a

三の立場』が普通認められていないので〉両方の側が,私がそれぞれの味方 だと考えているということです。ボーズンキット教授は私に二通のとても素 敵な手紙をくれました。私はいつもそれを大切にしようと思っています。そ の一通の中で彼は、私が思想上の新しい貢献をなしていると述べたうえです が,それにつけ加えて,彼は,全体として私は彼の側であるので,政治的多 元主義者からのかなりの反論に備えなければならないというのです。そして,

ラスキは,この夏私に書いてきたところでは,もちろん『あなたと私は』こ うこう考え,

r

あなたと私は』こうこう望む,そして,彼と若干のことをいっ しょにやろうと提案する,というのです。そして,ちょうど一週間ぐらい前 に,彼はまた手紙をくれたのですが,そこでは,タイムズにのった例の書評 とまたポーズンキットのした書評について私にお祝いを述べたうえで,言う のです,

r

しかし,ボーズンキットは,あなたの多元的国家に対する確信をど

うやって疑うことができるのでしょうか

( B u thow can B o s a n q u e t  have any  d o u b t s  a b o u t  y o u r  b e l i e f  i n  a  p l u r a l i s t i c  s t a t e  

?).lと。」

実に,両者の評価が全く正反対なのが印象的である。他の箇所とも合わせ読 みこめば,どちらかといえば,彼女がよりボーズンキットにシンパシーを持っ ているのは明らかだが,それ以上に明らかな単純な事実は,彼女の議論が,両 論者から自分に近いと思われるほどに,両方の要素をそのうちに持っていたと いうことである。

第三に,それでは,より「客観的」に第三者〔第四者?)的な立場というこ とで,政治的多元主義に対する若干の論者の定義を検討してみると,それぞれ の論者の問題関心によって定義が広狭しており,それによってフォレットは,

その中に入ったり出たりすることになることがわかる。

例えば,先に引用した蝋山の位置づけによれば, I従来の歴史的具体的国家へ の不信用と従来の一元的国家概念への反対において」多元主義であるとするが,

この定義づけからすれば, I従来の一元的国家概念」の内容の定義にもよるが,

96  III  < 補 論 > フォレットの政治的多元主義批判と構想の 実現"

(というのは,フォレットの場合「従来の一元的国家概念」の中にオースチン などの法学的主権論は入るであろうが,ボーズンキットなどの理想主義的理論 が入るかは,かなり疑問である11)からであるが〉彼女は多元主義者であろう。

松下圭ーの場合1川主,

r

すべての思想上の運動がそうであるように,多元的政 治理論においても,その思想内容を一義的に決定することができなし、」とした うえで, A. 

r

資本主義の高度化による社会形態の変化とそれにともなう集団化 状況を背景として,<集団>観念を轡導概念とする政治理論の構造転換をもた らした指向性の客観的統一性としてのみ,多元的政治理論の統一性は理解でき るものとなる

J

(傍点は原文), B. 

r

このような<集団>観念を基軸とする普遍 的な転換の特殊イギリス的展開が,ここでのべようとする多元的政治理論であ るJ(同上),と述べる。 Bの叙述は,あたかも当該論文における限定であるか のごときであるが,そうではなく,

r

多元的政治理論の問題性は,集団への凝集 過程を内包しながら大衆へと拡散する社会形態の変化一般へのアプローチとそ のアプローチのイギリス的特殊性において,位置づけなければならないJ(同上〕

というように,定義的規定である。

A

の規定では,おそらくベントレーなどの アメリカ的政治過程論(集団論)も含まれよう。

B

は,それにしぼりをかける 議論になる。彼は,この規定のもと,フォレットをAに入れるであろうのはま ちがし、ないが, B~こも入れているのかは定かではない(デュギーやマッキーパー

と同じく章尾の文献リスト聞には,フォレットの名も挙がっているが,ベント レーなどは入れられていないところを見ると, 生れ"にかかわらず,

r

イギリ

ス的特殊性」をもっ論者としているように思われるが。〉。

D .

ニコノレス

( D .N i c h o l l s  

)は,イギリス的な政治的多元主義の「基礎とな る三つの柱」について述べる。14)

(a)  自由が最も重要な政治的価値であり,かつ,それは,権力が一点に集中 しているよりも配分され分散せられている国家において,最もよく達成 されるとし、う主張

(b)  法的,政治的,倫理的主権の観念の拒否 (c)  集団の実在人格とL、う概念

この規定からは,すくなくとも(a),(b)の点において,フォレットは妥当しな

l章 視 角 97 い。実際,彼女は,この文脈では,ニコルスによって多元主義の批判者として 登場させられている。同

ところが,彼の場合,またアメリカのベントレーに始まる集団論的な「多元 主義の展開」とL、う文脈で彼女に位置が与えられている。16)わわわれがIIの研 究史整理のところで言及した

H .

カリエルは,彼女のこの点での位置づけをさ らに詳論し,

r

他のアメリカの理論家の著作のなかに潜在しつづける理想,最も 献身的な人道主義者の多元主義にさえ内在する危険な混乱

J

を彼女の理論のな かから抽出しようとした。カリエルの位置づ けで、は,フォレットはアメリカの 多元主義論の先駆者の一人として位置づけられていると言ってよかろう。

以上,例として数人の議論を挙げたことによって,彼女の位置を把握する際 の概括的な見取り図を書くことができょう。すなわち,近代市民政治理論から 現代政治理論への転回期において, 1),イギリス的文脈での,法学的あるいは 理想主義的国家論における一元論とラスキらの多元論との関係,さらに

2

 ,) 同様の転回期においてイギリスの政治的多元主義とアメリカの集団理論・政治 過程論との関係,のそれぞれの軸において,彼女が,マージナルな位置を占め ていたということである。政治的多元主義という語の,各々の論者の関心に基 づく定義によって,この二つの理論的対抗軸にそって彼女の占める場が,変化

させられることになるのである。

以上の三点,すなわち,本人の主観的な立場の自覚,一元主義と多元主義の 両論者からの評価,さらに若干の政治的多元主義定義の検討から,われわれと しては,たんに新たに政治的多元主義の定義をつけ加えて彼女がそれに入るか 否かを議論するよりも,彼女の議論の内容を具体的・歴史的に検討し,彼女の 理論史的位置を浮び上がらせるようにするとL、う方法をとることがより意義が あると考える。

以上,二点,すなわち,既存国家の正統性との関連における「新国家」構想 の位置づけ,さらに理論史上の特異な位置の内在的理解という点をふまえたう えで,この<補論>では,これらの追求にとって焦点となる政治的多元主義と の関係における彼女の構想の位置とし、う視角をとりたい。以下第

2

章において

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