• 検索結果がありません。

フォレットの政治的多元主義批判

第 2章 フォレットの政治的多元主義批判

1 9

世紀末から

2 0

世紀初頭の独占資本主義の成立,帝国主義への移行,さらに 第一次世界大戦の下でのいわゆる「戦時国家独占資本主義」の出現に至る時期 は,また政治社会においてもダイナミックな変化が起った時期で、ある。 H.].

スキは,この変化について次のように語っている。

「法的には合衆国における憲法上の権力配置は,

1 7 8 7

年の時のままである。

しかしながら実際には,一方において,行政部が影響力を大幅に吸収してき たことと,他方において,労働組合などの自発的集団が出現してきたという ことは,アメリカの政治を注目する者が直面するきわめて顕著な事実であ る。J1l

T h .  

].ロウィ

( T h e o d o r e ] .Lowi)

のいうところの「管理需要」の増大2)一一ーす なわち,社会の相互依存性の拡大を市場の「神の手」にのみ依存することの不 可能性の表現としての,意識的管理の必要性の増大 に伴って,一方で,政 府による管理ニ<行政>が拡大し,他方で,私的集団による管理=<I集団の 噴出」と大規模化>が進行する。この両者は,互いに対立関係をはらみながら も手を携さえて進行する。そして,後者,すなわち私的集団による管理の進行 は,多様な集団の噴出と大規模化を含むけれども,なかでも,大独占企業の成 立,企業集団の形成と労働組合の組織化の進展とは,前者,すなわち政府によ る管理=<行政>とそれぞれ独特な形での関係を取りむすぶ。すなわち, I積極 国家」化の進展は,一方で「戦時国家独占資本主義

J

と言われたような国家(行 政〉と独占資本との密接な結びつきを表面化するとともに,その他の諸集団(例 えば農業集団)への国家の影響力を強めるが,他方ではサンディカリズムやギ ルド・ソーシャリズム, レーテやソヴィエトといった直接生産者による生産管 理の要求の展開との関係においては,国家の正統性・公共性をめぐる対立的緊 張関係を帰結するのである。このように, とりわけ第一次大戦前後の時期は,

社会全体の<官僚制化>,組織化の進展のなかで,国家を焦点とする対抗的へ

100  III  < 補 論 > フォレットの政治的多元主義批判と構想の 実現"

ゲモニー状況が可視化された時代であったといえよう。

再度,整理しておこう。独占資本主義段階への移行は,人口のプロレタリア 化,市場の拡大と深化などを伴っているが,それらの進行につれて,管理=意 識的制御の必要性が高まる。同時に,その管理の既存国家及びそれと連係する 支配的諸集団のヘゲモニーの下への編成と,それらに対立する新たな公共性シ ンボルを掲けeての下からの運動による管理の組織化・新たなヘゲモニーの形成 とが,対抗する。国家に体現された既存の公共シンボルの「積極国家」化によ る拡大と,私的集団による国家組織への浸透・(資源や正統性の〉纂奪による既 存公共性シンボルの拡散とを一方の軸とし,他方,これと対抗しその既存国家 の公共性シンボルの下からの運動による剥奪と新たな公共性シンボルの導出と 対置とをもう一方の軸として,ダイナミックな社会的変動が進行したのである。

フォレットが,第一次世界大戦終結直前の

1 9 1 8

年に政治的多元主義の諸運動 の基礎に見たものも,この変動の過程に対応している。

「この運動は,一方で原子論的主権,いわゆる『主観的』権利の理論,

r

無 意味な』地域に基づく代表制度,激しく非難されている議会制度,に対する 反動であり,他方,政府及び産業の統制において産業労働者に一層大きな役 割を与えようとする願望の表われである

J [NS

, 

P .   2 5 9 J

すなわち,彼女は,政治的多元主義の運動の基礎に,前段では,

1 9

世紀に支 配的であったオースチン(J.

A u s t i n )

流の主権国家の概念及びその正統性根拠 としての原子論的個人による代表構造への理論的反逆を見いだし,後段では,

直接,産業労働者の統制権能拡大の要求を見ているのである。前段で述べられ た理論的な反逆の背景に,先に述べた当時の事実としての国家機能及び国家行 政機構の拡大への,自由の擁護を保証する民主的統制という視点からの危慎が あったことは,周知のところである。彼女にとって,政治的多元主義の強さは,

「それがアカデミックでないこと」にあった

[NS

,p. 

3 1 7 J

。それは, ["サンディ カリスト,ギルド・ソーシャリスト,イギリスの若干の自由党員,アメリカに おける職業代表

( o c c u p a t i o n a lr e p r e s e n t a t i o n  

)の主張者たち,そして政治的 多元主義者と呼ばれる論者たちの成長しつつある学派」として,当時の欧米の 一連の運動の一環とみなされていた

[NS

,p. 

2 5 8 J

2 フォレットの政治的多元主義批判 101  彼女は,当時の「思想をリードしているJ3l政治的多元主義に対して,以下の

6

点にわたって高い評価を与えている。

すなわち,第一に, I現存国家の至高性への権利の虚偽をあばいた」こと。彼 女は,ある論者の言を紹介している。「すべての方面でのサンディカリズムのこ の成長に直面しては,国家は死んだと言うのも,もはや大胆ではなし、」と。

第二に, I集団の価値を承認し,今日の様々の集団生活が,政治的メソッドに おいて直接に考慮に入れられなければならぬ意義を持っと見ている」こと。さ らに, I彼らは,集団が国家によってオーソリティを与えられているという観念 を拒絶する

J

こと。これは,政治理論への「はかりしれぬ貢献」であるとL、う。

第三に, I地方生活の再生を主張」していること。彼女によれば,地方自治を 国家の代用物として主張する者もあれば, フェピアンたちのように,社会主義 が都市や地方単位から始まると考え,その活性化を要求する者もあるとし、う。

第四に, I国家の利害が現在では必ずしも部分の利害と一致しないこと」を指 摘したこと。例えば,イギリスの戦時動員は,イギリス国家にとってのみなら ず,労働者にそれが彼ら自身の利益であることを弁証することなくしては不可 能であった。

第五に,集団による「群衆」の組織化への視点を打ち出し, I群衆支配」やた んなる「数による支配」にかわる方法を追求していること。

アソγ γヨ〆 フ エ デ ラ リ ズ ム

第六に,政治の中心問題として「アイデンティティ,組 織,連邦主義」の 問題を鋭く把握していること,以上である

[NS

,p. 

2 5 8

, pp. 

3 1 5 ‑ 3 1 7 J

これらを見るに,結局,彼女は,既存国家の神格化に対する政治的多元主義 者の果敢な挑戦に共感するともに,さらに,国家の現実的把握のための要とし ての集団,新しい政治生活のメソッドにおける集団の強調において,彼ら政治 的多元主義者を高く評価するわけである。彼らは, I国家の上に多くの挙証責任 の重荷を投げかけ,かっ,政治のメソッドにおける次のステップとして,集団 組織を提案しているJ[NS, p. 

2 5 6 ]

のである。

それでは,この高い評価の下で行なわれる彼女の政治的多元主義批判はどの ようなものであろうか。以下,三点にまとめてみよう。

第一に,最も繰り返して強調される論点は, I多元主義者は統一化の前でたじ

102  III  <補論> フォレットの政治的多元主義批判と構想の 実現"

ろぐJ4) という点である。説明のため国家主権への忠誠についての論述を手が かりとしてみたい。

イギリス理想主義国家論が,国家主権の至高性を強調し,例えばボーズンキッ トにあっては,国家を「真意志」の体現者とし,国家に対する忠誠に道徳的意 義を与えた事は周知の所である。フォレットが評価したように,ラスキらの政 治的多元主義者は,オースチンなどの法学的主権論における形式的な国家主権 の絶対性の要求を斥け,さらに,理想主義国家論が提起した内容的な意味での 国家主権の至高性要求をも拒否し,1国家の行為を……他の結社の行為と道義的 には対等の地位に置」引き,いずれに忠誠を尽すかを個人の道義的判断の問題 に帰した。「忠誠は自らの属する様々の集団の間で分割せられて」的おり, I国家 が社会のすべての他の団体と市民の忠誠の奪いあいをさせられる

p

こととな

る。

これに対してフォレットは問う。例えば,戦争の時のクウェイカーやストの 際の労働組合員のように,自らの所属する集団の要求が国家の要求と対立した 場合,その忠誠の奪いあいの前でどちらかを選択する事は,本当に市民の道義 的義務なのであろうか,と。8) もちろん,直接の行為の問題としては,通常どち らかを選択せねばならない。それは当然である。しかし,労組かあるいは国家 に対する彼の義務は,その選択によって尽されることはない。「もし,私が戦争 への反対という見解を棄て去ってしまうべきでなく,また単なるパティキュラ リストの確信に留めおかれるべきでもないならば,国家の対外関係に関して,

その政策を変えるよう努めねばならない。労働組合が国家に対して闘わせられ るような所では健全な国民生活は存在し得ないことを知っているならば,私は,

われわれの産業及び政治組織に変化を惹き起こし労働組合の利害が国家の利害 の構成的部分になり得るように努めなければならなし、J[NS, p. 

3 1 3 J

こうしてラスキらによって優越的忠誠要求が国家から剥奪され,諸集団の聞 に分割せられ,個人の自由な選択にさられた後,フォレットによって再び「諸 忠誠の合成

( acompounding o f  a l l e g i a n c e s ) J

による「真の国家

JI

統ーされ た国家」の形成への要求が前面に押し出されてくる。「本当のところ,国家は全 く絶えまなく変化しているo そして,その出現については全くわれわれに依存

関連したドキュメント