• 検索結果がありません。

『浜松中納言物語』の時間表現Expressions of time in the “Tale of Hamamatsu Chunagon”

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『浜松中納言物語』の時間表現Expressions of time in the “Tale of Hamamatsu Chunagon”"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

論   文

『浜松中納言物語』の時間表現

Expressions of time in the “Tale of Hamamatsu Chunagon”

一 ほ ど な く 明 け ぬ る 心 地 す る に 、「 こ こ は い と つ つ ま し き か た が た あ る を、 早 う」とすすむるもことわりと思ひつつ、わりなきに、立ち出づべき心もせず。

  「わが世にもまだしらざりし あかつきのかかる別れ にまどひぬるかな さるべき人々を置きて、われながらあやしう夢の心地しはべるを、ただひとと ころの御契りに引かれてこそはべりけれ」と、泣く泣く言ひ知らすることばか りは、わが御心にもおぼししらるるに、 (「巻一」

p70 ~

p71 )

  本 節 で 問 題 に す る の は、 こ の 傍 線 部、 「 ほ ど な く 明 け ぬ る 心 地 す る に 」 の 口 語 訳 で あ る。 「 全 集

」 は「 間 も な く 夜 が 明 け て し ま う 気 持 ち が す る 頃 に 」、 「 全 注 釈

」 は 「 程 な く 夜 が 明 け て し ま う 気 持 ち が す る 頃 に 」 と 口 語 訳 が 付 け ら れ て い る。 全 く 同 意と言ってよい。これら両者は「明けぬる心地」の助動詞ヌルを強意と捉えている ことがわかる。

  そ れ で は そ の 解 釈 は 正 し い の か。 後 接 す る 中 納 言 の 和 歌 に は、 「 あ か つ き の か か る別れ」とあるから、中納言と唐后との逢瀬の後朝の別れの時間になっていること がわかる。 「ほどなく明けぬる心地するに」の後、 「あかつきのかかる別れ」とある のだから、 「ほどなく明けぬる心地するに」の段階では、 「あかつき」が暗い時間帯 ( 午 前 三 時 以 降 ) を 指 す こ と は、 現 在 で は 定 説 と な っ て い る か ら、 そ の 前 の 時 間 帯 (「ほどなく…」の時間帯)は当然暗いことになる。

  こ の 主 張 に 対 し て は、 だ か ら こ そ、 二 つ の 口 語 訳 は、 「 夜 が 明 け て し ま う 」 と 助 動詞ヌを強意に訳すことで解決しているのだという反論が聞こえてきそうである。

  も う 一 つ の 問 題 点 を 考 え て み よ う。 こ の 二 人 の 逢 瀬 は、 「 花 い と 前 近 く お も し ろ きに」と桜が満開の季節であることがわかる。現行の暦では、四月上旬といったと ころか。この時期、京都の日の出は、春分過ぎであり、午前六時頃と言ったところ か。とすると、夜が明けるのは午前五時頃と言うことになる。午前五時頃に夜が明 け る 事 実 を 捉 え て、 午 前 三 時 に、 「 ほ ど な く 明 け ぬ る 心 地 す る 」 と 言 え る だ ろ う か。 無理と言わざるをえない。

  動詞アクは午前三時になることを意味して使用されるのが、動詞アクの主用法で あ る こ と は、 自 身 の 論 で 多 く 述 べ て き た

。「 ほ ど な く 明 け ぬ る 心 地 す る に 」 は 単 純 に、 「 間 も な く 明 け て し ま っ た 気 持 ち が す る 頃 に 」 で よ か っ た の で あ る。 こ う 口 語 訳 す れ ば、 時 間 は 午 前 三 時 に な っ て お り、 「 あ か つ き の 別 れ 」 の 時 間 帯 に な っ て い ることはわかるから、以下の整合性に問題はない。

小 林 賢 章

同志社女子大学

表象文化学部・日本語日本文学科 教授

Takaaki Kobayashi

Department of Japanese Lanugage and Literature,

Faculty of Culture and Representation, Doshisha Womenʼs College of Liberal Arts,

Professor

(2)

  それでは、どうして、そのように一般的な口語訳が行われなかったのであろうか。 動 詞 ア ク が、 「 午 前 三 時 に な る 」 の 意 味 で あ る と い う こ と が 一 般 的 で な い こ と は も ちろんであるが、ここで、動詞アクに後接する助動詞ヌが強意に訳されることには 別の問題があったと思われる。

  この時点で、中納言(あるいは、唐后と二人)は、アカツキの到来を知っていた のであろうか。 「心地(気持ち) 」とあるのだから、知らなかったのではないかとい う反論が考えられる。私には「心地」は「ほどなく明けぬる」全体を受けていると 考える。

  暁の鐘、鶏の鳴き声などで、中納言等は暁の到来を知っていたのではないか。そ し て、 そ の 時 間 の 到 来 が、 素 晴 ら し い 夢 の よ う な 一 夜 だ っ た か ら、 「 ほ ど な く 明 け」た「心地」がしたのではないか。

  「ほどなく明けぬる」の用例を上げて、少し考えてみよう。

      いかであはんとおもひつゝ、としころからうし       て四月よひのほとにきて、 ほとなく明けぬれは

  ⑴

182   とし月もありつる物を時鳥 かたらひあへぬ夏の夜にしも( 『和泉式部続』 )

  ⑵人のほど、ささやかにあえかになどはあらで、よきほどになりあひたる心地し たまへるう、いかならむ、ものものしくあざやぎて、心ばへもたをやかなる方 はなく、もの誇りかになどやあらむ、さらばこそ、うたてあるべけれなど思せ ど、さやなる御けはひにはあらぬにや、御心ざしおろかなるべくも思されざり けり。秋の夜なれど、更けにしかばにや、 ほどなく明けぬ 。( 「宿木」 )   ⑶例の言多く語らひたまふ。更けにける夜の名残、 ほどなく明けぬる心地すれば 、 出でたまふも( 『とりかへばや物語』 )

  以 上、 用 例 は 三 つ 上 げ て お く が、 「 ほ ど な く 明 く 」 と い う 表 現 は、 当 然、 明 け る までの時間が短いことを意味するが、その理由は、好ましい出会いやよい出来事に よって、時間を短く感じる場合に使われているようである。

  一 節 で 問 題 と し た、 「 ほ ど な く 明 け ぬ る 心 地 す る に 」 も 中 納 言 と 唐 后 の 逢 瀬 の 一 夜 の 場 面 で 使 用 さ れ て い る。 表 面 上 の 口 語 訳 は、 「 間 も な く 明 け て し ま っ た 気 持 ち が す る 頃 に 」 で い い の だ が、 「 明 け て み る と、 本 当 に そ の 時 間 は 短 く 感 じ ら れ て 」 とでも訳すとここの部分の口語訳は文の背後の意味も含めて述べていることになる。

  もう一つ、動詞アクの用例。

山かたかけ池に造りかけて、えも言はぬ 堂

だう

のめでたき、 別

べち

に立て添へて、たて まつり給はむことをおぼし急ぎて、ある時には、有明の月のいと明かきに、も ろともに仏の御 前

まへ

にわたり給ひて、 後

きしておこなひ給ふ折りは、 明くる も知らで 過ぐべきなからひを、われも人も、いくほどの年も積もらぬに、こな たのいとなみに、いみじきことを思ひ契り過ぐすも、あさましうあはれにかな しうのみ、見たてまつり給ふ。 (「巻二」

p182 ~

p183 )

  こ の「 明 く る も 知 ら で 過 ぐ べ き な か ら ひ を 」 を「 全 集 」 は、 「 夜 の 明 け る の も 知 ら な い で 」 む つ び 合 い、 時 を 過 ご す 夫 婦 の 中 で は あ る が 」 と 口 語 訳 し、 「 全 注 釈 」 は「夜の明けるのも知らないで共寝をして過ごすにちがいない仲なのに」と口語訳 している。両注の口語訳はほぼ同じである。少なくとも両注とも、動詞アクを夜明 けと取っていることがわかる。

  それでいいのだろうか。この「明くるも知らで」はどのような状態で使用されて い る か を 考 察 し よ う。 「 あ る 時 に は、 有 明 の 月 の い と 明 か き に、 も ろ と も に 仏 の 御 前

まへ

にわたり給ひて、 後

きしておこなひ給ふ折りは」が「明くるも知らで」に関 わ る 時 間 表 現 で あ る。 そ の「 後 夜 」 に つ い て、 全 集 は、 「 読 経・ 礼 拝 な ど の 勤 行 ( 仏 道 修 行 ) を、 一 日 を「 六 時 」 に 分 け て す る 場 合 の 最 後 の 時 間 帯 の 勤 め。 寅 の 刻 ( 午 前 四 時 頃 )。 晨 朝

卯刻

・ 日 中・ 日 没

される。午前三時以降出ている月が「有明の月」だったからであ る 。

時 か ら 起 き て い た の だ っ た。 そ の こ と は、 「 有 明 の 月 の い と 明 か き に 」 か ら も 了 解 われている。後夜についての注釈は正しい。二人は後夜の勤めをする時間、午前三 道、 例 の 後 夜 よ り も 深 う 起 き て、 鼻 す す り う ち し て 行 ひ い ま し た り 」」 と 注 釈 が 行 ・初 夜・ 中 夜・ 後 夜 の 六 つ。 『 源 氏 』 松 風「 入

  となると、ここでの文章のつながり具合はどうなるだろう。 ①二人は午前三時からお参りをしていた。 ②「夜の明けるのも知らないで」むつび合い、時を過ごす夫婦の仲ではあるが という珍妙な続き方になる。その珍妙な理由はどの辺にあるのだろう。第一・二節 で検討したことと同じ理由が考えられる。本来なら、後に二、三時間先までも同衾

(3)

していても不思議でない夫婦が、午前三時からお参りしていたというのはやはり解 せない。

  それに、仲のよい夫婦は夜明けまで同衾するのが普通のことかという問題がその 根本にある。夫は暁の鐘とともに女の許をさるのが当時の常識ではないのか。だか ら こ そ、 『 枕 草 子 』 で は、 女 の 家 に 泊 ま っ た 男 が 暁 に す る 行 為 を「 暁 に か へ ら ん 人 は」 (六○段)と描写していたのではないか。

  時代は少し下るが、 「あくるもしらで」には、こんな歌もある。

     秋月

 

380   天津空みちもやどりもしら雲の あくるもしらて月をみる哉( 『順徳院Ⅰ』 )

  こ の 歌 は、 「 あ く る も し ら て 」 月 を 見 て い る の だ か ら、 明 け た 後 ま だ 暗 い と い う のであろう。つまり、この歌での動詞アクは平安時代に広く使用された午前三時に なるという意味だった。

  振り返って、本節の『浜松中納言物語』の用例も、その意味でどうであろうか。 「普通なら、午前三時と言えば、まだ起きてもこないお二人なのに」が私解である。

  次も「後夜」である。

心深うあはれなる御物語りに、 あかつき方 にもなりぬ。

  後

の お こ な ひ も 御

だう

に 入

り 給 ひ て、 姫 君 に も、 「 か か る 住 ま ひ な る 人 の、 むげに引き入り、あまりもの遠きやうなるも、すさまじきものぞ。人によりて ぞ心もつかふ。これはまことに、おしなべて、いかになど、すずろはしう思ひ 聞 こ ゆ べ き に も も の し 給 は ざ ん め り。 も の の た ま は ば、 御 答

こた

へ な ど 聞 こ え 給 へ」と教へおい給ふ。

  明けゆくままに、月いよいよ澄みまさりて、 滝

たき

の 音

おと

も松風のひびきも、 (「巻三」

p282 )

  本 節 で 問 題 と な る の は、 「 明 け ゆ く ま ま に、 月 い よ い よ 澄 み ま さ り て 」 の 部 分 で ある。夜が明けてゆくと、 「月がいっそう澄みきって」 (「全集」 )というようなこと が、実際問題としておこるのだろうか。本節はこの複合動詞アケユクを問題にする が、 ま ず こ こ で の 時 間 関 係 を 述 べ て お く。 中 納 言 が 尼 君 と 語 ら っ て い る う ち に、 「 あ か つ き 方 に も な り ぬ 」 と あ る。 ア カ ツ キ ガ タ は 午 前 三 時 過 ぎ の 意 味 な こ と は す でに述べ た

  そのことが確認できると、次の「 後

のおこなひも 御

だう

に 入

り給ひて」も理解で きる。 「後夜」の行は午前三時から行われることは既に前節までに説明した。

  「 あ か つ き 方 に も な り ぬ。 」 を「 明 け 方 に も な っ て し ま う 」( 「 全 集 」) や、 「 夜 明 け方になってしまう。 」( 「全注釈」 )と口語訳するのでは、不十分であることは指摘 しておく。この時点で重要なことは、午前三時なのだから、まだ真っ暗だというこ とだ。 「明け方」や「夜明け方」にはなっていないのである。

  複合動詞アケユクの意味についてはすでに述べ た

。暁(午前三時から午前五時の 間)を時が経過するという意味だった。この日は、先に、 「今宵は十五夜ぞかし。 」 とあるから、八月十五日であった。旧暦の八月だから、一般的には午前六時頃日の 出であったろう。そうすると、アケユク時間帯に予想される事態は、夜のままと言 える状態かその最後の時間帯には、夜の底が少し動く程度の変化が起こっている状 態ではと予想されるのである。ともかくここでのアケユク時間帯は暗いのであった。 そ う し た 時 間 的 背 景 を 考 慮 し な い と、 「 月 い よ い よ 澄 み ま さ り て 」 と い う 事 態 は 起 こらないことをこの節では述べておく。

  次は、 「 明

あけ

がた

」である。

長き夜すがら聞こえ明かし給ふに、 明

あけ

がた

の月心細きに、空は 浅

あさみどり

緑 にさえわたり て、 (「巻四」

p337 )

  短い用例なので全文の口語訳を上げる。

長い夜通しお話申し上げ、夜をお明かしになる。明け方の月が心細く光る上に、 空は浅緑色に冴え渡って、 (「全集」 ) 長い夜の間中、お話し申し上げなさると、夜明け方の月が心細く見える様子で、 空は浅緑に冴え渡って( 「全注釈」 )

  両 口 語 訳 に 大 き な 差 異 は な い。 「 夜 す が ら 」 は「 全 注 釈 」 に 指 摘 が あ る が、 用 例

(4)

の限定される語だが、意味は「夜もすがら」と同じと考えてよい。ヨモスガラは一 晩中の意味だが、現在のヨモスガラと違うのは、その終了時点が午前三時であるこ と だ っ た

。「 聞 こ え 明 か し 給 ふ に 」 の 動 詞 ア カ ス は 午 前 三 時 ま で の 時 間 を 経 過 す る 意味であっ た

。ただ、ここでの用例のように、複合動詞として使用されるときは、 上接する動詞の行為を午前三時まで続ける意味になる(単独用法でも、複合語とし ての用法でも、本質的意味は変わらない) 。

  こ の 箇 所 を く ど く 口 語 訳 す る な ら、 「 午 前 三 時 ま で の 長 い 夜 の 時 間 を、 お 話 を な さって過ごされました。 」となる。

  時間は午前三時過ぎになっているのである。その時間が「明方」であった。従っ て、アケガタとアカツキガタとは同じ時間帯であることになり、同じ時間帯である ことは、次の用例でわかる。

     わかるゝ恋

  ⑴

(「為忠」 ) 193 いでて行く あかつきがた のまきの戸をおし あけがた のわかれかなしも

  ⑵

311 まどろまでながむる月の 明方 にね覚やすらん衣うつ也

     

こなたは月を夜もすがらながめ明しぬるに、

暁がた 、 き ぬ た の を と す る は、いまね覚めして衣をうつかと也。 (『拾遺愚草抄出聞 書

』)

  ⑴の用例は、 「あかつきがた」に「まきの戸をおしあけ」 「あけがた」に別れてい る。 も ち ろ ん、 後 朝 の 別 れ で あ り、 詞 書 の「 わ か る ゝ 恋 」 で あ る。 「 あ か つ き が た」は「あけがた」であることがわかろう。

  ⑵の用例は時代がやや下ることが問題である。ただ、本歌と加注の関係は、和歌 と口語訳という関係である。歌の「明方」を、注では「暁がた」といっているのが わかる。

  従来、アカツキガタは「暁の頃」という意味と考えられていた。それに対し、先 にアカツキガタは暁の始まり部分をいうという私見は示しておいた。

  そ の 一 理 由 は、 ⑵ の 用 例 の 加 注 部 分 の よ う に、 「 夜 も す が ら な が め 明 し ぬ る に、 暁がた」のように、 「よもすがら」 「明かす」と「あかつきがた」になるような例や、 動詞アクと組み合わされて使用される例などが多いこと。アカツキガタに鐘がなっ ている例が少ないがあること。などだった。従来、アカツキガタなどのカタはおお むねの時間を指すとされた。それに対する私見は、時間帯を表す語に後接するカタ はその時間帯の開始時間帯を示すというものだった。   アカツキガタに比べるとアケガタの用例は多くはない。しかし、アカツキガタに 対応した用例があることや、本来、動詞アクは午前三時になる意味だったが、アケ ガ タ に は そ の 動 詞 ア ク が 含 ま れ て い る と 思 わ れ る か ら で あ り、 「 散 り 方 」 な ど と 同 様に、その動詞の行為の開始時点をいうというのが私見だった。   口語訳部分の「明け方」 、「夜明け方」はまず間違いである。

  次 の、 「 空 は 浅

あさみどり

緑 に さ え わ た り て 」 の 部 分 の 口 語 訳 で あ る。 緑 色 は 広 く 青 も 含 む ことは近年言われていることである。

  また、視点を変えて、現代書道の墨の種類に、茶墨、青墨などがあることは、こ んにちわれわれの常識である。ただ、茶墨や青墨と言っても、墨なのだから原則は 黒なのである。そこに、わずかに、赤味を帯びたり、青味を帯びたり発色する墨を 茶墨、青墨と呼ぶのである。この「浅緑」もそれではないかと思う。午前三時の空 で あ る か ら 原 則 黒 い。 わ ず か に、 月 に 照 ら さ れ て か 青 味 を 帯 び て い た、 そ れ を、 「浅緑」と呼んだのではなかろうか。

  最後は二つの「入相の鐘」である。

  夕暮れの空、いと深く 霞

かす

みわたりて、内も 外

も人の 音

おと

もせず、かすかにいみ じきに、 聖

ひじり

の、 入

いり

あひ

の鐘 の声ばかりぞ聞こゆる。

   奥山の夕暮れがたのさびしきにいとどもよほす鐘の 音

おと

かな

  う ち な が め わ た い 給 ふ 夕

ゆふ

え は、 い と ど し き ま で め で た く 見 え 給 ふ。 「 今 日 も暮れぬとばかりは、この鐘の 音

おと

に聞き過ごし侍るほどを、 推

し 量

はか

らせ給ふこ と」うち泣き給ひて、

   明け暮れも山のかげには分かれぬを 入相の鐘 にこそ知れ などうち泣き 交

かは

し給ふほどに、 (「巻三」

p216 ~

p217 )

  ま ず、 「 入 相 の 鐘 」 で あ る。 「 日 没 に つ く て ら の 鐘。 晩 鐘・ 『 類 従 名 義 抄 』「 日 没   イ リ ア ヒ 」」 と「 全 集 」 の 方 は ご く 一 般 的 な 注 釈 が 行 わ れ て い る。 そ れ に 対 し て、 「全注釈」は「 「入相」とはたそがれ時。 」とだけ書かれている。

  結論から述べる。 「入相の鐘」は午後五時に鳴らされる鐘だった。 「全集」にも引

(5)

用されている『類従名義抄』の「日没   イリアヒ」の記述について述べる。当時、 鐘は原則、六時の鐘として鳴らされた。六時は晨朝、日中、日入、初夜、中夜、後 夜 の、 日 に 六 回 行 わ れ る 礼 拝

鐘の一の名称を普通名詞の日没と捉えたところからの珍解釈だった。 没」だった。イリアヒの鐘が太陽の日没時になる鐘という指摘があったが、六時の   も 言 わ れ て い た。 『 類 従 名 義 抄 』 の「 日 没 イ リ ア ヒ 」 の 記 述 は ま さ に こ の「 日 ・勤 行 の こ と で あ っ た。 こ の う ち、 「 日 入 」 は 日 没 と   こ の 段 で も、 「 夕 暮 れ の 空、 い と 深 く 霞

かす

み わ た り て 」 と あ っ て、 霞 が 深 く か か っ て い る こ と が わ か る。 さ ら に、 「 う ち な が め わ た い 給 ふ 夕

ゆふ

え は、 い と ど し き ま で めでたく見え給ふ」と、霞がオレンジ色に染まって、夕ばえの光を感じているので ある。あくまで、日没の状態かは不明である。むしろ、入相の鐘日没説の背景には、 当時の時刻法は不定時法だったという考えが背後にあって、入相の鐘日没説が生じ たのではなかろうか。

  もちろん、この場合は太陽の沈む姿は見えなくても、実際には霞の向こうに太陽 が沈んでいるところだという反論は可能であろう。ところが、この段でもそうだが、 入相の鐘に「今日も暮れぬ」と思っていることはその反論を許さないことになるの である。

  もう一つの「入相の鐘」の鳴る「夕暮れ」の場面である。

よひ

は二十一日にて 、 方

かたたが

違ふべかりければ、 夕つ方 出で給ふほど、山風涼しう 吹きたるに、 入

いり

あひ

の 鐘

かね

のひびき添ひたるも、 吉

よし

の山に思ひよそへらる。立ち かへりやすらひて、出でもやり給はず。

   思ひ出づや見し山かげの夕暮れに心細さはおとりこそせね   いとなやましながら、すこし起き上がりて見送り給へるも、つねよりことに 立ち離れにくうおぼさるるに、

   住み 馴

れし 峰

みね

の松風それとただ聞きわたすにもものぞかなしき

  いとかうさまことに、あはれにたぐひなき御仲の思ひを、いとほしう、 暮る るままには 、 式

しき

きやう

の宮、例の、いとあながちなるさまにかへて、 今

よひ

かなら ず率て隠してむとおぼして、おはしましぬめり。いかならむとぞ。

  「 夕 つ 方 」 に「 入 相 の 鐘 」 が な っ て い る こ と が わ か る。 そ の 後、 「 暮 る る ま ま に」とあるが、これは、 「暮れるとすぐに」の意味であり、 「夕つ方」とほぼ同義語 である。   これらの事態が、夕方午後五時ないし、そのあと少しの時間に行われているので あ っ た。 「 全 集 」 な ど の 注 釈 の 問 題 点 を い ち い ち 問 題 に し な い が、 動 詞「 暮 る 」 や 「入相の鐘」の意味が違っているのだから、口語訳は問題があるのだった。

(1)

池 田 利 夫 校 注

・訳『

浜 松 中 納 言 物 語 』( 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集

(2) 引用は本「全集」によった。   年 小学館)以下「全集」と略称。なお、本論の『浜松中納言物語』の本文 27   二 ○ ○ 一

(3) 釈」と略称。   中 西 健 治 著 『 浜 松 中 納 言 物 語 全 注 釈 』( 二 ○ ○ 五 年 和 泉 書 院 )  以 下 「 全 注   拙 稿 「「 明 く 」 考 」( 一 九 九 五 年 『 同 志 社 女 子 大 学 学 術 研 究 年 報 』 第

46巻)

ほか (4)

  拙 稿 「 ア リ ア ケ と ア ケ グ レ 」( 一 九 九 九 年 『 総 合 文 化 研 究 所 紀 要 』 第

(5) 17巻 )

  拙 稿 「 ア ケ ガ タ 考 」( 二 ○ ○ ○ 年 『 同 志 社 女 子 大 学 学 術 研 究 年 報 』 第

(6) 51巻 )

  拙 稿 「 ア ケ ハ ツ 考 」( 二 ○ 一 三 年 『 同 志 社 女 子 大 学 学 術 研 究 年 報 』 第

(7) 64巻 )

  拙 稿 「 ヨ モ ス ガ ラ 考 」( 一 九 九 九 年 『 同 志 社 女 子 大 学 学 術 研 究 年 報 』 第

50

巻) (8)

同右

(9)

石川常彦『拾遺愚草古注〈上〉

』(一九八三年   三弥井書店)

(6)

参照

関連したドキュメント

天人もまた六道に輪廻する存在であって必ず五衰が訪れるからである。

[r]

(b) ◎ 吉野姫君の女房たち 遣日使 衛門督の前駆 日本の僧 [中納言] 伝えたい言葉 継紙の数 例 例 1列 1列 1列 例 伊り 女性一般

Kobe Shoin Women’s University Repository. Title 無名草子注釈(Ⅵ)―浜松中納言物語評― A

[r]

[r]

[r]

ざる人なり」と云々。果たして然り、と云々。