南西諸島の海神信仰
著者 下野 敏見
雑誌名 国立民族学博物館研究報告別冊
巻 003
ページ 99‑126
発行年 1986‑11‑17
URL http://doi.org/10.15021/00003777
下野 南西諸島の海 神信仰
南 西 諸 島 の 海 神 信 仰
下 野 敏 見*
は じめ に 1.竜 神
1) ヤマ ト文 化 圏 の竜 神 信仰 2) 琉 球文 化 圏 の 竜 神信 仰 3)中 国 ・台 湾 ・韓 国 の竜 神信 仰
2. ニ ラ イ ・カ ナ イ と海 神 1) ウ ンジ ャ ミと海 神来 訪 2) ウ ムケ ー ・オ ー ホ リと海 神来 訪 3) 中国 ・台湾 ・韓 国 の海 神 来訪 4)君 真 物 とア カ マ ター ・ク ロマ タ ー
は じ め に
九州 と台 湾 の間 に点 在 す る南 西 諸 島 は,ト カ ラ列 島以 北 の ヤマ ト(本 土)文 化 圏 と 奄 美 大 島以 南 の琉 球 文 化 圏 にわ け て見 る こ とが で き る。
これ ま で の奄 美 ・沖 縄 研 究 は,わ ず か の例 外[伊 藤 1974]を 除 い て は,こ の地 域 のみ の 研 究 に終始 して い るた め,民 俗 事 象 の 分布,変 異 状 況,成 立 事 情 とい っ た も の が今 一 つ 明 瞭 さを 欠 くう らみ が あ った。 ヤマ ト ・琉 球 の 比較 に お いて は,そ の境 界 附 近 の民 俗 研 究 が 重要 で あ る。 これ が 明 らか で な い と,ヤ マ ト文化 圏 の 個 別 の民 俗 事 象 が ど こまで 南 下 して い るの か,ま た琉 球 文 化 圏 の それ が ど こま で北 上 して い るの か が わ か らな いか ら,結 局,両 文 化 圏 の境 界 も設 定 で きな い し,そ の成 立 事 情 な ど は ます ま す わ か らな い の で あ る。
本 稿 で は こ の点 に留 意 しつつ,ま た琉 球 文 化 圏 に南 隣…す る台湾 や 中国 南 部 の情 況 お よび ヤマ ト文 化 圏 の西 北 に 接 す る韓 国 南部 の情 況 も考 慮 して 論 を す す め よ う と思 う。
した が って南 西 諸 島,な か で も奄 美 ・沖縄 の海 神 信 仰 は隣…接 諸 地 域 との比 較 の 上 で 鮮 明 化 した い と思 う。
南 西諸 島 の海 神 も し くは そ れ を め ぐる海 の信 仰 は種 類 が多 い。 例 え ば,竜 王,竜 宮 の神,ニ ライ ・カ ナ イ,ウ ナ リガ ミ,船 霊,エ ビス,嬬 祖(天 妃),水 死 体 な どの ほ か に,金 毘羅i,熊 野,住 吉 な ど の信 仰 も見 られ る 。 これ らの うち,金 毘羅 信 仰 は与 論 島や 沖永 良部 島 に も見 られ るけ れ ど も,濃 密 に 分 布 して い るの は トカ ラ列 島 まで で あ
*鹿 児島大 学法文学部,国 立民族学博物館研究協 力者
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国立民族学博物館研究報 告 別 冊3号 る。 熊 野信 仰 は沖 縄 本 島 の琉 球 八 社 の うち七 社 を は じめ各 地 に分 布 し,本 土系 海 人 族 の 活 発 な航 海 活 動 の 跡 を 見 せ て い て,薩 南諸 島で は種 子 島,硫 黄 島 な どに大 きな痕 跡 を 残 して い る。 住 吉信 仰 も種子 島 で さか ん で あ る が沖縄 本 島 まで 南 下 して い る。 これ ら三 つ の本 土 系 航 海信 仰 は,琉 球 文 化 圏 で さ かん で あ る とい うに は ほ ど遠 く,そ の本 格 的信 仰 活 動 は トカ ラ列 島以 北 の ヤマ ト文化 圏 に おい て見 られ る。
1.竜 神
竜 神 信 仰 は,竜 王,竜 宮 の神,八 大竜 王,竜 神 な ど の呼 称 で 日本 列 島全 域 に見 られ るけ れ ど も,南 西 諸 島で は竜 王 と竜 宮 の神 の呼称 が一 般 的 で あ り,な か で も竜 宮 の神 が多 い。
竜 神 信 仰 の わ が国 に お け る起 源 は相 当 に古 く,縄 文 土 器 の 蛇 飾 りに そ の萌芽 が認 め られ,弥 生 時代 に な る と,明 瞭 に竜 形 を した もの が登 場 す る。例 え ば種 子 島広 田遺 跡 出土 の竜偲 状 の垂 飾 が あ る。 同 様 の もの が沖縄 本 島 の地 荒 原貝 塚 お よ び兼城 貝 塚 で も 出土 して い る。 これ らに つ い て 国 分直 一 は,そ の原 郷 を 華 南 に想 定 し,沖 縄 の竜 形 彫 刻 は広 田遺 跡 出土 の 竜 偏 形 ペ ンダ ン トよ り もよ り早 い 波 と して到 達 した らしい と述 べ て い る[国 分 1976:440‑447]。
文献 上 で は 『続 日本 紀 』 に 「龍 王」 の 文字 が見 え,『 凌雲 集 』 に は 「龍 宮」 の文 字 が 記 され て いて,や は り早 くか ら竜 神 信仰 が あ った こ とが わ か る。 また,仏 教 の八 種 の竜 王 の うち,航 海 や雨 乞 い を 司 る婆 伽羅 王 を 中心 とす る八 大 竜 王 の 信仰 も古 くか ら 各地 に見 られ る。次 に ヤ マ ト ・琉 球 の二 つ の文 化 圏 に お け る竜神 信仰 の展 開 を 検 討 し て み よ う。
1) ヤ マ ト文 化 圏 の 竜 神 信 仰
筆 者 は,佐 渡 お よ び青 森 県,岩 手 県 の小 漁 村 を調 査 した結 果,竜 神 信仰 が広 く普 及 して い る こ とが わ か った。 例 え ば,佐 渡 の北 小 浦 で は,家 の 中の神 棚 に禅 宗 の 寺 の 札, 伊 勢 神 宮 の 大麻,エ ビス を祀 って あ って,特 に竜 神 は な い。 しか し,竜 神 は,村 落 の お 宮 の庭 に山 形県 鶴 岡 の善 宝 寺 の竜 王 を勧 請 して 祀 った祠 堂 が あ る。航 海 安 全 と大 漁 の神 だ と い う。
ま た,正 月 を 迎 え る に 当 って,家 の 外庭 の先 に海 に 向 け て門 松 を 立 て て,餅 や刺 身, 御 飯 な どを のせ た膳 を お い て沖 を拝 む とい う習 俗 が あ る。 これ を 「竜 王 さん 拝 み 」 と い うのだ が,沖 の海 を拝 む 習 俗 と善宝 寺 信 仰 が 習 合 した もの と思 わ れ,注 目され る。
下野 南西諸 島の海神信仰
北 小浦 で は,1月11日 を 「船 霊 さん の祭 り」 とい い,そ の前 夜,船 に御 神 酒 や供 物 を して拝 ん で い る。
青森 県 三 沢 市 四 川 目で は,家 の神 棚 に,稲 荷,竜 神,伊 勢神 宮 の大 麻,エ ビス ・大 黒 を それ ぞ れ小 祠 箱 を設 けて 吊 り棚 に並 置 して 拝 ん で い る。 エ ビス ・大 黒 は同 じ箱 に 祀 って あ る。 こ の地 域 には西 南 日本 に多 い共 同 の エ ビス神 は な い。 竜神 は,特 に 「竜 神 様 」 とい って敬 い,海 難 を 免 れ るよ うに と祖 先 代 々祀 って きた と い う。 この地 域 で い はま た
,船 霊信 仰 は な い。 そ の代 り,竜 神 信 仰 が顕 著 で,舳 に は いつ も竜神 様 が い る 気 持 だ とい い,そ こに は小 用 な ど は絶 対 に しな い。 正 月 に は 門松 を立 て て ・御 神 酒 を 上 げ る。 これ は各 地 で 聞 け るが,船 上 で は蛇 の話 を忌 み,産 婦 を持 つ 夫 は2週 間 は船 に乗 らな い。 元旦 に は浜 に出 て,沖 の海 にあ が る初 日を 拝 む 。 村落 神 と して金 毘 羅 神
社 があ る。
これで 四 川 目の漁 民 の海 神 信 仰 は0応 理 解 で き るのだ が,も っ と もだ い じな神 は竜 神 様 で あ り,そ れ を 中心 に諸 神 が 配 置 されて い る とい う構 造 的 な神 観 が注 目 され る。
岩 手県 九 戸 郡 種 市 町 角浜 で は,各 家 にエ ビス ・大 黒 を祀 り,災 難 除 け の神 と して竜 神 様 を祀 って い る。 船 霊信 仰 は こ こ に もな く,沖 に 出 る船 に は金 毘 羅 さん や成 田 さん を祀 って い る。 種 市 町 に は金 毘 羅 神 社 が あ る が,角 浜 には な い。 しか し,角 浜 に は, 港 の上 に鳥居 を立 て て 竜神 様 を祀 って い る。鳥 居 の先 には雑 草 に囲 まれ て竜 神 の石 祠 が 建 って い る。 そ こに は,正 月 に個 人 参 拝 を す る が,漁 協 の共 同作 業 の時 な ど は皆 行 って拝 む 。 この よ うに角浜 で は個 人 別 の竜神 と共 同 の竜 神 と二 重 に祀 って い るの が注
目 さ れ る 。
岩手 県 宮 古 市 重茂 石 浜 で は,各 家 に は エ ビ ス ・大 黒 を祀 り,石 浜 神 社 の境 内 に は竜 神 様 を祀 って あ る。 そ れ は,昔,死 ん だ亀 が 定 置 網 に入 って いた 。 そ るを埋 め た 所 だ とい う。 進 水 式 の時 に は,船 が3回 まわ って,「 竜神 様 と石 浜 の神 様 へ 」 とい って, 御 神 酒 を海 に注 ぐ。船 霊 は昔 は,女 の 髪 の毛 や その 他 の もの を,船 の 中 に入 れ た とい
う。 初 日の 出 に は,沖 に向 か って大 漁 と航海 安全 を祈 る。
東 北 の 場 合 は こ の よ うに わ ず か の事 例 で も,北 小 浦 や 角浜,石 浜 に見 るよ うな沖 の 海 とつ な が る竜 神 信 仰 と,も う一 つ は北 小浦 や 四川 目,角 浜 に見 られ る善宝 寺 系 竜 王 信仰 が重 な り合 って い るの が 特 色 を な して い る。
鶴岡 の善 宝寺 の信 仰 圏 は意 外 に広 く,東 北 は も とよ り北 陸,関 東 一 円 の漁村 に及 び ・ 一 部 は 四国 に も伝 播 して い る。列島を南下す ると航 海神 の種類 もふえる・すなわ ち三 重 県 の青 峯 山正 福寺 や熊 野,住 吉,宗 像,鵜 戸 な ど の神 々が 登 場 し,顕 著 にな る。 こ
の う ち,正 福 寺 は北 海道 か ら九 州 まで も信 者 の 分布 が見 られ る。 正 福寺 の本 尊 は波 之
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国立民族学博物館研究報告 別冊3号 上 十 一 面 観 音 で,高 野 山 派真 言 宗 で,も と も と海 上 安 全 の祈 疇 寺 で あ った と い うか ら, 特 に竜神 との 関係 はな い[亀 山 1965:100‑102]。
0方,豊 漁 神 と して は 山 陰 で は美 保神 社 が,東 海 で は三 島神 社 が,瀬 戸 内海 を は じ め 西南 日本 各 地 で は西 宮 エ ビスが 交叉 しな が ら広 く祀 られ て い る。 ま た,江 の島 の弁 天 信仰 も金 華 山,厳 島 な ど を通 して 広 く分 布 し,讃 岐 の金 毘 羅 信 仰 も航 海 神 と して全 国 的 な ひ ろ が りを 見 せ て い る。
筆 者 の調 査 で は,岡 山県 の牛 窓 や 広 島県 の吉 和 な どの漁 村 で は,航 海 神 と して は金 毘羅 を,豊 漁 神 と して は エ ビスを祀 って いて 竜 神 信 仰 の顕 著 さ はな か った。 その代 り
に,瀬 戸 内海 沿 岸 お よび農 村 地 帯 に雨 乞 い の神 と して の竜 王信 仰 が ひ ろ が って い た 。 高 谷 重夫 に よ ると,西 讃 岐 で は約50の 竜 王 社 が あ り,土 佐 で も ほぼ 同数,阿 波 に は25 社,ほ か 全 国各 地 に分 布 す る とい う[高 谷 1982:144‑148]。 これ らの竜 王 信 仰 は仏 典 系 の竜 王 で,農 村 の水 神 信 仰 と結 びつ いた もの で あ り,一 方,同 系 の竜 王 信仰 が東 北 で は善 宝 寺 を 通 して 海神 信 仰 と結 びつ いて 流 布 して い るの は明 らか で あ る。
で は竜 王 信 仰 は 九 州 を南 下 す る と ど うな るか 。 ま ず不 知 火 は竜 灯 だ とい うこ とか ら 始 ま るの だが,こ の 地域 に は竜 王 に ちなむ 信 仰 は多 い 。川 内川 流域 で は,太 鼓踊 りに は ビナマ キ(蜷 巻)と い う渦巻 隊形 とヤマ ミチ(山 道)と い う蛇行 隊 形 を な して踊 る 場 合 が多 い。太 鼓 踊 りは も とは夏 に雨 乞 い と して踊 った例 が 多 い と い うか ら,こ の二 つ の隊 形 は竜 神 を 形 象化 して い る と考 え られ よ う。 この地 域 に は,八 大 竜 王 を祀 る小
しろみ
社 や竜 灯 な どが あ る こ と もこれ を裏 づ けて い る。 宮崎 県 西 都 市 の銀 鏡 神 楽 の 祭壇 に は, ワ ラ綱 の と ぐろを す え て その 中心 に木 製 竜 頭 を つ け た もの を左右 に配 して あ る。銀 鏡 神 社 の上 の山 を 竜 房 山 とい い,山 頂 に は竜神 が す む と伝 え るが,こ れ らは雨 乞 い の神
と して の竜 神 で あ り,八 大 竜 王系 の竜 神 で あ る と考 え られ る。
南 九 州 各 地 に伝 承 す る八 月十 五 日夜 の綱 引 は 単 に綱 を 引 くだ け で な く,竜 神 を形 ど った もの や 竜神 を祀 る ものが 多 い。 例 え ば,坊 津 町 の 泊で は,綱 引 に先 だ って青 年 た ち が海 岸 に綱 を 持 って行 って一 列 に並 び,渚 の 清 い砂 を踏 ん で か ら,ま るで 海 か ら竜 神 を ひ っぱ り出 す よ うに して村 落 へ 持 って きて,次 い で その綱 を 引 き回 して,村 落 内 の道 を清 め る とい う ことを す る。知 覧 町 松 ケ浦 で も以 前 は綱 を 持 って渚 に並 ん だ 。大 隅半 島 の 串 良 町 や甑 島 の村 落 で は十 五 夜 綱 を 丸 め て先 端 を少 し出 し,そ れ を 竜頭 の形 に作 って い る。 これ らは南 九州 に お け る竜 王 な い し竜 神 信 仰 の根 っ この深 さを示 して い る。 乙の よ う に南 九州 で も仏 典 系 竜 王 信 仰 とそ れ だ けで はか り きれ な い竜神 信 仰 の 二 流 が底 流 して い るので あ る。
後 者 の 例 と して,薩 摩 南部 の指 宿 市 尾 掛 の ムス ッ ドン(無 足 どん)と い う神 社 の伝
下野 南 西諸 島の海神信仰
承 を 述 べ て み よ う。 この神 社 は昔,大 隅 の古 江 か ら流 れ寄 った 蛇 が タ ン(谷)か ら尾 掛 の黒 山 に登 り,毎 年,娘 を一 人 ず つ 食 った の で,神 社 を造 って祀 った とい う話 を伝 えて い る。 旧 暦10月15日 の祭 礼 日に は,無 足 舞 い とい って,長 刀 舞 い,剣 舞 い,鬼 神 舞 い の ほ か に無 足,す なわ ち足 のな い者 に 扮 した一 人 が いざ り進 む とい う舞 いが 行 わ れ た。 こ の舞 い手 た ちは渚 か ら山 を め ぐり神 木 の 前 に行 って 舞 った。 そ して 柴 竹 で神 木 を くく り,綱 を か けた の で あ る。
無 足 舞 い は,無 足 の ものが 海 か ら上 って きて 神 木 に ま と いつ く様子 を芸 能 化 した演 劇 的神 事 で あ るが,根 本 は蛇 神 信仰 で あ り,海 辺 か ら現 れ る点 か らは竜 神 信 仰 で あ る
と いえ よ う。
種子 島 や屋 久 島,三 島 な どで は積 極 的 に竜 王 な い し竜 神 を祀 る神 社 や祠 は 見 当 らな い 。 エ ビス信 仰 につ なが る古 形 の 海神 信 仰 は他 に認 め られ る が,そ れ は後述 す る。 し か し,こ の 地 域 で は ヤマ トの他 の地 域 と同 じよ うに,海 で 蛇 の話 をす るのを 忌 ん だ り, 鰻 は食 べ な い な どの禁 忌 を 聞 く こ とがで き,消 極 的 な竜 神 信仰 は認 め られ る。 トカ ラ 列 島で も 「竜 」の 文字 のつ く神 詞 は ない が,乙 姫 神 社 が存在 し,巫 女 の ネ ー シ(内 侍) の祝 詞 の 中 に は 「リュ ウグ ウノ カ ミ」 の言 葉 が 出て くる。 南 九州 で竜 王 を祀 る神 社 は, 東 桜 島 の竜 王 権 現 と薩摩 半 島 の 金 峰神 社 の2社 で あ る。
薩南 諸 島で も竜 神 信仰 は底 流 して い る のだ が,表 層 的 に は顕 著 で な い 。竜 王信 仰 は, 金 峰神 社 を南 限 と して以 北 の 川 内 川 を 中心 とす る薩摩 北 部 に多 い 。 これ らを傭 轍 す る
と,竜 王 信 仰 の起 源 は古 い と して も,南 九 州 へ の伝 播 は薪 し く,せ いぜ い近 世 中 ・後 期 頃 で あ る とい うこ とが,そ の 他 の 民俗 伝 播 の事 例 か らい え るの で あ る。竜 王信 仰 は 天 台 宗 の布 教 と と もに南下 したの で は な い か と思 う。種 子 島や 屋 久 島 で は 中 世以 来, 法 華宗 が さか んで あ って,航 海 安 全 の祈 疇 も行 な われ,ま た エ ビス 信 仰 も中 世 末 頃 よ
り入 って豊 漁 願 い は そ ち らへ移 った 。 した が って竜 王 信仰 の入 り込 む 余 地 はな か った と見 られ る。 さ らに熊 野 信仰 や住 吉 信 仰,風 本 権 現 な どの信 仰 も入 って,種 子 島 で は 航 海 安全 対策 は これ らで 足 りて い た とい え よ う。
以 上,ヤ マ ト文 化 圏 の 竜神 信 仰 は,東 北 か ら トカ ラまで ひ ろ が る古 層 の竜 神 信 仰 と, 東 北 や南 九州,そ の他 本 土各 地 に ひ ろが り,雨 乞 い の神 と も共 通 す る竜 王 信 仰 の 二 つ
の層 が 重 な り合 って分 布 して い るこ とが わ か った 。
2) 琉 球 文 化 圏 の 竜 神 信 仰
奄 美 ・沖 縄 にお け る竜 神 信仰 は,ま ず 那 覇 にか つ て あ った竜 王殿 を挙 げね ば な らな い。 竜 王 殿 は は じめ 中見 城 に あ った がの ち天 妃 廟前 に移 した とい わ れ,毎 年 旧暦1月
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国立民族学博物館研究報告 別冊3号 4日,5月5日,9月9日,11月 冬 至,12月24日 に祀 って い た と 『琉 球 国 由来記 』 に あ る。 いつ 頃 か ら祀 ったか わ か らな い と同書 に もあ るが,中 国 との貿 易 が 活 発 に な り は じあ た14世 紀 頃 で は な か った か と思 う。 この竜 王 殿 は,薩 摩 な ど ヤマ トの 地 を経 由
した もので な い と考 え られ るの で,直 接,中 国 伝来 の もの で あ ろ う。
竜 王 の名 の つ い た もの は,ほ か に奄 美大 島 の 大熊 の竜 王 神 社 が あ る。 「大 熊竜 王 神 社 略 歴 」 に よ る と,神 体 の弁 天 は 大熊 の氏 神 と して 祀 られ て い た が,1870年 に廃社 の 厄 に あ い,叶 家 で 祀 る よ う にな った 。叶 家 には別 に正 観 音 もあ った。1933年,大 熊 出 身 の里 重 信 が神 戸 で原 因 不 明 の病 い に な り,大 阪の 行者 にみ て も ら った と こ ろが,忽 ち全 治 した 。行 者 は そ の時,大 熊 には古 くか ら尊 い神 が あ って そ れ を放 置 して あ る の が村 び と に さわ って い る と託 宣 した。 そ こで里 重 信 は大熊 に帰 り,村 び と に はか っ て, ま ず は弁 財 天 を 京 都大 学 に依 頼 して鑑 定 して も ら った結 果,中 国伝 来 の八 ッ手 の弁 財 天 で相 当 に古 い もので あ る こ とが わ か った。 そ こで1934年,境 内 を整 地 し,社 殿 を建 て て,右 方 に竜 王神 社 を左 方 に正 観 音 を祀 る こ とに な った,と あ る。
弁 財 天 が 中 国伝 来 の古 い 形 で,貴 重 な文 化 財 で あ る こ とは注 目す べ きだ が,そ れ が 竜 王 の呼 称 に変 った の はなぜ か 。 じつ は これ は,大 阪 の 行者 の示 唆 に よ る もので あ る よ うだ。 つ ま り,大 熊 の竜 王 の 呼称 は新 しいの で あ る。 しか し,奄 美 大 島で は弁財 天 の信 仰 は ほか に もあ って,弁 財天 系 の厳 島 神 社 が各 地 に村 落 神 と して祀 られて い る。
例 え ば瀬 戸 内 町 で は,清 水,網 野子,阿 鉄,古 志 に あ る。 な お この ほ か に,安 脚 場 に は金 毘羅 を祀 り,徳 浜 に は竜 宮神 を祀 って あ る[瀬 戸 内町 1977:322‑356]。
奄 美 大 島 を は じめ奄 美諸 島 で は,竜 宮 の 神 と称 す る神 祠 は沖 縄 に比 較 して極 端 に少 い。 しか し,ノ ロの カ ミグ チの 中 には しば しば登場 す る。 大 和村 大 棚 の ノ ロの旧暦9 月9日 の浜 御癩 で は 「竜 宮 の神 様,ネ リヤの神 様,テ ル コの神 様 」 とい う語 が あ り, 同 じノ ロの漁祭 り(新 造 船 を拝 む儀 礼)に は 「ジュ ウ ゴ ウ神 様 」 と唱 え て,竜 宮 の神 に豊 漁 を祈 る[大 野 1970:1‑6]。
旧暦9月9日 の浜 御 願 は,ハ マ ウガ ン,ハ マ ガ ン,ハ マ ジ ュ ウガ ン(浜 漁 願)な ど とい って,奄 美 大 島各 地 で 行 わ れ る。 名瀬 市 大 熊で は,ハ マ ジ ュ ウガ ン とい って,主 婦 や娘 な どが 干 潮 時 に浜 に行 き,石 を3個 並 べ て左 の石 の上 には カ ボ チ ャと里 芋 な ど の 山幸 をの せ,右 の石 に は魚 や 昆布 な ど海 幸 を のせ,中 央 の石 に は シュ ギ(棄)を の せ る。 シュギ の 後 に は砂 を おい て 火 をつ けた 線香 を3本 立 て,ミ シ ャク(白 酒)と ミ キ(泡 盛)を 供 し,沖 の ネ リヤ大 明神 に対 し,漁 をす る家族 の男 た ち の無 事 を祈 る。
願 の ク チ は,フ カ に襲 わ れ な い よ うに,今 年1年 は果 報 で あ るよ うに,ま たハ ブ に も あ わ な い よ う に とい う 内容 で あ る。
下野 南西諸島の海神信仰
この場 合,竜 宮 の神 とは いわ ず に 「ネ リヤ大 明 神 」 とい うの が注 目 され るが,こ れ は奄 美 に多 い グ ンギ ン(権 現)と と もに ヤマ トの 影 響 を うけ た用 語 で あ る。 この願 は, 願 直 しを してか ら願 立て をす る。 す な わ ち1年 間 の願 直 し ・願 立 て を この 日に連 続 し て 行 な う。 名瀬 市 の根 瀬 部 で はハ マ願 の ほか にテ ラ(神 社)願,ヤ ー(家)願 が あ っ て,人 び とは いず れ か を選 ん で 行 な う。
奄 美 で は ノ ロの カ ミグ チ には竜 宮 の語 が 登 場 す るの に そ の神 祠 は少 い。 この 理 由 は, 薩摩 の影 響 に よ るヤマ ト化 の た め に,沖 縄 系 竜 宮信 仰 が発 展 で きな か った た め で あ ろ う。0方,主 婦 の願 い 口な どに は ネ リヤの 語 が 認 め られ る が,こ れ は この言 葉 の 由来 の 古 さ を意 味 して い る。 奄 美 の竜 宮 の語 は ヤ マ トか ら南 下 したの で は な くて,沖 縄 か
らノ ロ文 化 と共 に北 上 した もの で あ る よ うだ 。
沖 縄 で は竜 宮 の神 が 各所 に見 出 され る。 ま ず奄 美 に近 い伊 平屋 島 の例 を 見 よ う。
伊 平 屋 島 で は,田 名,我 喜 屋,島 尻,野 甫 な ど に リュ ウ グ ウ ノカ ミを 祀 って あ る 。 い ず れ も海岸 の砂 丘 も し くは 海 に近 い所 に,サ ンゴ石 な どで 囲 い を して 自然石 ま た は 小 祠 をお い て祀 って あ る。 田 名 の場 合 は,ア ダ ンの茂 る砂 丘 の上 に,4m四 方 に高 さ 50セ ンチ ほ どの 囲 いを して,そ の奥 に30セ ンチ ほ ど の高 さの 自然石 を建 て て あ る。 旧 暦3月3日,田 名の 男 た ちは全 員 で 追 い込 み漁 を した あ と,こ こに集 り,ダ ナ ンサ ー
とい う男神 役 と共 に リュ ウグ ウノ カ ミ(自 然 石)を 拝 む。
田 名の竜 宮 の神 は,追 い込 み漁 とい う共 同漁 携 と共 に あ って しか もその年 の最 初 の もので あ るの が注 目 され る が,島 尻 で は かつ て カ ツ オ漁 の さか ん な頃 は,出 漁 の時 と 終 了 の時 は必 ず 参 拝 した とい う。 大 漁 を祈 った の であ る。 この よ うな 点 は,ヤ マ ト文 化 圏 の エ ビス信 仰 と似 て い る。 田名 で は男 性 神 人 が 主宰 す る けれ ど も,他 の所 で は女 性 神人 が管 理 し,伊 平 屋 島 の対 岸 の本 部 半 島 の 谷 茶 で は,タ ンチ ャ ウー フシ(谷 茶 大 主)と い う竜 宮 の神 の祠 の通 し窓 か ら,沖 の ニ ライ ・カ ナ ィを拝 む形 にな って い て,
まだ神 祠 が豊 漁 神 と して独 立 し切 って い な い。.
野甫 の リュ ウ グ ウノ カ ミは,漁 携 とは関 係 な く,旅 立 ちの 時 に祈 る航 海神 と され て い るが,別 名 ハ ナ ダ マ ガ ナ シと い う。神 酒 と花 米 を 上 げ るか らハ ナダ マ とい う との 説 もあ るけれ ど も,こ れ は沖 永 良 部 島 な どで い う シバ ナ(潮 花)・す な わ ち水死 体 を 祀 っ た もので はな い か。 ここで も竜 宮神 の性 格 の 不 統 一 性 を示 して い る。
我喜 屋 の 場 合,チ グ チ(津 口)竜 宮,ウ サ チ(大 崎)竜 宮,今 竜 宮 の3種 類 あ って, 津 口竜 宮 は石 体 は な くて 沖 に向 か って拝 む だ けの 所 で,ウ ン ジ ャ ミ(海 神 祭)の 時 に
シル ガ ミを 中 心 に カ ミ ンチ ュが 並 ん で拝 む 。 大 崎 竜 宮 は,小 石 で 四 角 形 に囲 った 中 に, リュ ウグ ウ ノ カ ミの 自然 石 とアマ グ ウノ カ ミの 小 石 の 二 つ を おい て 祀 って あ り,小 石 105
国立民族 学博物館研究報告 別 冊3号 を拝 む眼 を 上 げ ると 沖 の海 が 見 え る。 旧暦3月3日 は 区長 と カ ミンチ ュが 参拝 し,航 海 安全 と豊 漁 を祈 る。 以 前,ノ ロが い る頃 は ア ミタ ボ ー リ(雨 給 われ)と い って,ア マ グ ウノカ ミに雨 乞 い を した とい う。今 竜 宮 は ホ トヶ ガ ミとい って,も とは観 音 を 拝 ん で いた が,大 正 頃,カ ツオ船 の人 た ちが 海石 を拾 って きて豊 漁 を祈 った の に ちな み, 竜 宮 と もい う。
我 喜 屋 の竜 宮 は数 も多 いが 内容 も多彩 で,分 化 して い るの が 特徴 で あ る。竜 宮 の神 と雨乞 いの神 が併 祀 さ れ て い る大 崎竜 宮 は,南 九 州 の八 大 竜 王 の民 俗 を 思 わ せ る。 し か し,こ れ は,竜 神 ・水 神 の源 を な す 中 国系 の 竜 王信 仰 が投 影 され て い る と考 え られ
る。
沖 縄 本 島 に も竜 宮 の神 は多 く,各 浦 に小 祠 が あ るが,糸 満 市 の 白銀 堂 は,梅 に 向 か って岩 穴 を 拝 む 形式 で,ノ ロの ニ ラ イ ・カ ナ イの お通 し場 所 にな って い る。参 拝 者 は, 白銀 堂 の 次 に御 嶽,井 戸,今 の竜 宮,先 の竜 宮,別 な井 戸,サ ンキ ン森 の6カ 所 を 巡 拝 す るこ と にな って い る。 こ の う ち今 の竜 宮 と先 の竜 宮 は,白 銀堂 と共 に海神 の系 譜 で あ るが,そ の先 後 関係 は,港 の 拡 張 な どに よ って 渚 が進 出 した結 果,構 成 され た も の で あ ろ う。 我 喜屋 の場 合 と似 て い る。 そ して 名 称 は竜 宮 で も,拝 む の は海 の か な た の ニ ラィ ・カナ ィ で あ る。 しか も糸 満 で は漁 携 関係 の 参拝 ば か りで な く,む しろ他 の 願 い事,例 え ば 「育 て の願 い」 な ど とい った事 が 多 く,世 の多 様 化 に応 じて神 々 の機 能 も多様 化 して い る。
宮城 島で は,ア ガ リュ ウノ カ ミが あ って,村 落 はず れ に祀 り,別 名 ユ ー ムチ(世 持 ち)神 ともい い,豊 饒 神 で あ る こ とを示 して い るが,シ ヌ グ祭 りの 日に大 漁 と航 海 安 全 を祈 る。 しか し,旅 立 ちに は村 落神 で あ る ウ ド ゥン(御 殿)に 祈 願 す るの で,こ の 竜 宮神 は大 漁 を 中心 と した漁 携 神 で あ る こ とがわ か る。
宮 古 島の 島尻 で は,ッ カ サ の下 に女 性神 役 と男 性神 役 が い て,男 性 神 役 の 中 に は リ ュ ウ グダ ス とい うの が い る。 彼 は,海 神 に仕 え て 村落 民 の豊 漁 や航 海安 全 を祈 願 す る
「竜 宮願 い」 や個 人 の竜 宮 願 い も行 な う。 ツ カサ の使 い神 と もいわ れ,男 性 神役 の 中 で は高 い地 位 を 占 め る。 しか し,こ の 場合 も女 性神 役 の 中 に航 海 安全 を祈 る ヌー ダ ダ ス が い る し,旅 立 ち の 安全 は アマ テ ラス ヌ サ ス とい う女性 神 人 が祈 るので,リ ュ ウ グ ダ ス は豊 漁 を 中 心 と した漁 携 神 で あ る こ とが わか る。
リュ ウグダ ス は,島 尻 の海 に面 した 小高 い所 にあ るニ ビ(イ ビ)石 を拝 む 。 そ こを リュ ウグ ウダ ー とい う。 ニ ビ石 は2基 あ って向 か って 左 の もの を拝 み,右 の ニ ビ石 は シマ ヌヌ ス(ツ カ サ)が 拝 む。 旧 暦4月 初 寅 の 日 には そ こで竜 宮願 い が行 な わ れ る が, 男性 ばか りの祭 りで,リ ュ ウ グダ ス を 中心 に行 な う。 男性 た ち は海 に 出て 漁 を し,大
下 野 南西諸島の海神信仰
鍋 で 魚 を 煮 て ニ ビ石 に供 え て豊 漁 を祈 る。 旧暦3月3日 に は村 中 の人 が 浜 へ 出 て魚 介 類 を とって 楽 しむ が,男 性 は 一定 の場 所 へ集 ま って小 石 を拾 い,リ ュ ゥ グダ ス を 中心 に豊 漁 を祈 る[琉 球大 学 民 俗 研 究 ク ラブ 1976:50‑51]。
島 尻 の 場 合,神 殿 と聖 地 名 に竜 宮 が冠 せ られ て い る こ と と,竜 宮 の神 で あ る リュ ウ グダ スが 漁携 儀 礼 の 中心 者 と して 活動 して い る こ とが 注 目さ れ る。3月3日 に浜 で小 石 を拾 うの は南 九州 の エ ビス の神 体 石 を 拾 うの に似 てい て,一 種 の マ ナの 呪 力 を期 待 して い るの で あ ろ う。 この小 石 を1カ 所 に集 め て共 同 で祀 る とエ ビス と同機 能 にな る のだ が,沖 縄 で は これ は発 展せ ず,し か もニ ビ石 な どは女 性 神 人 が拝 む 例 が多 く,彼 女 ら自身 が神 女 と して 沖 の魚 を招 いて い るの で,同 機 能 の エ ビス は要 らな い 。 しか し, 男 性 た ち と小 石 とい う形 で エ ビス信 仰 の萌 芽 が こ こに見 られ る わ けで あ る。
な お,竜 宮 の神 は旧 暦4月 初 寅 の 日 に リュ ウグ ウダ ー を訪 れ て6月 い っぱ い滞 在 し, 10月 の ウヤ ガ ンの祭 りに も訪 れ る とい う。 この伝 承 は,初 夏 に サ ンゴ礁 の 海 に 回遊 し て くる小魚 の漁 期 と一 致 し,神 か らそれ を招 く期 間 で あ る と考 え られ,ウ ヤ ガ ンの祭
りの 時 に も う0度 「ユ ー招 き」,す な わ ち豊 饒招 きをす る とい う こ とで あ ろ う。
竹 富 島 で は,春 秋 の 壬 戌 の 日に,竜 宮願 い をす る。 これ を 「海 の主 の願 い」 と もい い,「 竜 宮,ニ ライ底,カ ネ ー ラ底,元 の根 神 」 な どに対 して,嘉 例 吉 の旅 と家庭 安 穏 を祈 る[上 勢 頭 1976:241‑242]。 八 重 山 で も この よ うに神 女 の祝 祠 の 中 に竜 宮 の 語 は入 り こんで い るのが 認 め られ る。 しか し,八 重 山で は竜 宮 の神 の石 や 小祠 は沖 縄 本 島 や 宮 古諸 島 ほ ど に は顕 著 で な い。 まだ 祝 詞 の段 階 が 主 流 で あ って,こ の 現 象 は奄 美 諸 島 の 場合 と似 て い る。 こ こに琉 球 文 化 圏 内 に お け る竜 神 信 仰 の成 立 と伝 播 の大 枠 が 把 握 で き るの で あ る。
つ ま り,沖 縄 本 島 を 中心 に成 立 した竜 神 信 仰(竜 宮,竜 宮 の神)は,伊 平 屋 島 お よ び宮 古 諸 島 を含 む一 つ の 圏 と,奄 美 お よ び与 那 国 島(こ こ も竜 宮神 祠 は顕 著 で な い), そ の他 の八 重 山諸 島 を含 む よ り大 きな0つ の 圏 との二 つ が描 け るの で あ る。 この 民俗 周 圏 図 は,い ず れ も沖 縄 本 島 を 中心 に して い るの で あ って,こ の地 域 に お け る竜神 信 仰 の伝 播 が2波 あ った こ とを 意 味 す る。 琉 球 文 化 圏 の線 と一致 す る外 圏 は,そ の起 源 が古 い ことを 意 味 す るけ れ ど も,ノ ロ ・ッ カ サ な どの琉 球 宗 教 政策 に よ る神 女 の祝 祠 の 中 に その 信 仰 が 認 め られ る こ とを 考 え る と,そ の 時期 は琉 球 王 朝 の成 立 に ほ ぼ沿 う もの で あ る とい え る。 また,祝 祠 の 中 で は,「 竜 宮,ニ ライ 底,カ ネ ー ラ底 」 とい う よ うに竜 宮 よ り一段 古 い と思 わ れ る異 郷語 が必 ず あ とにつ く点 か ら も,「竜 宮」の語 が 新 た に加 わ った もので あ る こ と は容 易 に察 しがつ く。 ま た,竜 神 信 仰 は 男性 に よ る漁 携 と結 びつ いて い る場 合 が多 い。 琉 球 文化 圏 で は一般 に竜 王 とか 竜神 とい わ ず に竜 宮, 107
国立民族学博物館研 究報 告 別冊3号 竜 宮 の神 とい うの で,こ れ に した が って竜 宮 信 仰 とい うほ うが適 切 で あ ろ う。
竜 宮信 仰 の 内圏 は海岸 に石 を 立 て,あ るい は小 祠 を 設 け て拝 む 形式 の顕 著 な地 域 で あ り,竜 宮 の神 の祭 りの 日の 上 陸 地点 を 明 らか に して い る地 域 で あ る 。 こ れが沖 縄 か ら奄 美 に到 達 して い な い とい う こ とは,そ の伝 播 活動 が 薩摩 に よ る侵 冠 後 の こ とを 意 味 しよ う。 す なわ ち近 世 に入 って か らで あ ろ う。 こ こで,二 つ の 竜 宮 圏 を お おま か に 分 け る と,外 圏 は中世 に伝 播 し,内 圏 は近 世 に伝 播 した とい う こ とに な ろ う。 そ して,
外 圏 が神 女 の祝 祠 と密 接 で,豊 饒,旅 の安 全 な どを祈 るの に対 し,内 圏 は男性 の漁 携 と の関 係 が 外 圏 よ りも っ と密 接 で,豊 漁,航 海 安 全 を 祈 る とい う対 比 を な して い
る。
琉 球 文 化 圏 にお け る竜 宮 信仰 は かつ て 那 覇 にあ った竜 王 殿 と無 関係 で は ない。 いや 中 国 の影 響 を 直 接 うけて 建 立 した と思 わ れ る竜 王殿 は,内 圏,外 圏 の 中心 点 にそ れ が あ るこ とか ら不可 分 の関 係 が あ ろ ケ。 竜 王 殿 建 立 の 時期 は 『琉 球 国 由来 記 』 に も明 ら かで な い けれ ど も,中 世 には ま ち が いな い と思 わ れ,琉 球 史 に照 らす と お そ らく15世 紀 頃 で あ ろ う。 しか し,内 圏,外 圏 とも竜 王 と いわ ず に竜 宮 とい い,竜 宮 の神 とい う の は なぜ か。 これ は,そ の呼 称 が 明 らか に竜 王殿 系 で な い こと,お そ ら くヤマ トの竜 宮 系 で あ る こ とを 意味 して い る と思 われ る。 つ ま り,竜 王 殿 建 立以 前 に竜 宮 信仰 はす で に ヤ マ トか ら沖縄 本 島 の 按 司 社会 へ もた らされ て い た が,竜 王殿 建 立 は その信 仰 の 普 及 に拍 車 を か け た と考 え られ る。
沖 縄 本 島 の谷 茶 で は,旧 暦5月4日 に,、谷茶 ウ フヌ シす な わ ち竜 宮 の神 に祈 った の ち,ハ ー リー舟 に よ る競 渡 を行 な う。 爬 竜 船行 事 は糸 満 市 を は じめ沖 縄 県 全 域 に見 ら れ るが,そ の起 源 は 『中 山 世譜 』 で は久 米村 の三 十 六 姓 渡来 に始 ま る と41う 。 しか し,
『球 陽』 で は そ の起 源 に 古 くて不 明 とあ る。 競 渡 神 事 は ヤマ ト文 化 圏 に もあ って 美 保 神 社 の諸 手船 神 事 が有 名 で あ る。 こ れ ら と中 国 の竜 舟 競 渡 は,東 ア ジ ア の中 で は根 っ こ はつ なが る と思 わ れ る。 しか し,琉 球 文 化 圏 お よ び長 崎 に伝 承 す る もの は,船 の形 態 や 歌,名 称,そ の他 に よ って そ れ よ り新 し く中 国 か ら伝 来 した もの で あ ろ う。
君 島 久 子 は 中 国(特 に華南)に お いて は竜 女 説 話 な らび に竜 神 説 話 の分 布 地 と竜 舟 祭 の行 わ れ る地 域 は互 い に関 りが あ るよ うに思 わ れ る と述 べ て い る[君 島 1977:35
‑36] 。このことはひろい意味では竜神信仰の分布 とそれ らが一致 す るとい うことに も な ろ う。 君 島 は,竜 舟 競 渡 は竜 神 の力 で 初 夏 の病 災 を祓 うた め と,竜 神 を 呼 び 出 して 雨 乞 い を す るた めだ と述 べ て い る[君 島 1977:34‑62]。 これ は 琉球 の場 合 に も適 用 で き る よ うで あ る。 、 . ド
下野 南西諸 島の海神信仰
3) 中 国 ・台 湾 ・韓 国 の竜 神 信 仰
中国 の竜 王 祠や 竜 母 伝 説 の数 の多 い こ とは澤 田瑞 穂 の 『中国 の 民 間信 仰 』 な ど に も 紹 介 され て い る が,筆 者 は先 年,福 建省 泉 州 市 東 海 石 頭 街 の真武 廟 を訪 れ,竜 神 信仰 を 目の あ た りに した。 真武 廟 の真 武 は北 極 星 の こ とで あ り,こ こに道 教 の影 響 を 見 る
ことが で き る。「呑 海 」の碑 の 建 つ この 地 は小 丘 を 形 成 して い て,楼 門 を く ぐる と 「三 蟹 竜 泉 」 と記 した深 さ数 メー トル の 古泉 が あ った。 そ の伝 説 は省 略 す る と して,井 戸 は1616年(万 暦44)に 掘 った もの ら しい 。石 昂 を登 ると,道 は二 手 に分 れて い て,弧 状 の 左 側 の道 は竜 形 をな し,年 面 の 丸石 は亀 の 形 で 南 り,い わ ゆ る亀 蛇 の姿 を 表 わ し て い る。北 極 星 と亀 蛇 す な わ ち竜 神 の 信仰 は,航 海 民 の信 仰 にほ か な らな い。台 湾 の 真 武 廟 も航海 民 の信 仰 対 象で あ る[伊 能 1918b:223]。 呑 海 の あた りは 昔 は 海 が囲 ん で い た ら しい。 泉 州人 た ち の竜 神 信仰 にふ さ わ しい聖 地 で あ った こ とが わ か る。文 化 大 革 命 で堂 の 内部 は破 壊 され た ら しい が,複 旧作 業 を進 めて い た 。
中 国漁 民 の船 や その 備 品,待 遇 な ど近 年 は大 い に改 善 され て きた。 そ して革 命 前 の 古 い信 仰 や 行事 な ど も廃止 した り,改 善 した り して い る が,民 間信 仰 は なか な か 根 づ よ く,一 挙 に改 め る とい うわ け に はい か な い よ うだ 。 しか し民俗 学 の比 較 資料 の 面 か らはそ れ は 日中両 国民 を つ な ぐ貴 重 な 資料 で あ る。 次 は慶 門 港 の 漁民 の最 近 の 船神 の 実 情 で あ る。
船 神 は,船 の 中央 部 に棚 を設 けて 祀 って あ る 。神 棚 は船 幅 に合 わ せ て作 って あ るが, 150ト ン位 の船 で 幅 約1.5メ ー トル,奥 行40セ ンチ で あ る。 そ こ には金 花,香 炉,茶, 孫 香 を供 え,奥 の方 には色 紙 を4枚 貼 り,中 央 の1枚 に は 「竜 王大 帝,嬬 祖,老 帝 君, 東 山帝祖 」 の墨 字 が あ り,そ の左 の 紙 には 「佛 」 と書 い た色 紙 を 重 ね て貼 って あ る。
これは近 くの南 普 陀 とい う寺 の仏 袋 で あ る。右 の紙 に は 「蟄,合 家平 安,0帆 風 順」
の文 字 が 記 さ れ て い る。新 造 船 の時 に,こ れ らの紙 を船 に上 げ 入 れ て神 を祀 り込 め る の で あ るが,そ の時 は左舷 か ら上 げ る こ とに な って い る。 その 理 由 は,水 死体 は 右舷 か ら掲 げ るか らで あ る。 革命 前 は,「 釣 艦 王」 も拝 み,ま た,木 像 や粘 土 像,陶 製 の 像 や紙 な ど も飾 っ て拝 ん だ とい う。
船 長 は,毎 日線 香 を供 え て拝 み,月1回 は煮 た魚 や 肉 な ど も供 え る 。拝 む時 は,神 棚 の 真 下 は船 倉 で あ るの で,右 舷 の 方 か らひ ざ をつ い て拝 む 。祈 願 の 内容 は,航 海 安 全 と豊 漁 だ とい う。 嬬 祖 を は じめ老 帝 君,東 山 帝祖 は航 海 安 全 や漁 携 の神 であ るが, 竜 王 大帝 別 名竜 王 公 は豊 漁 の神 だ とい う。 これら の神 々 は,船 長 は 自宅 に も祀 って拝 ん で い るの で あ る。 竜 王公 は革 命 前 は,港 の近 くに も祀 ってあ った が今 は ない 。 また, 船 内 お よび 自宅 に祀 る神 々は個 人 に よ って違 う。
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国立民族学博物館研究報告 別 冊3号 竜 神 信 仰 は この よ うに今 も中 国 漁 民 の 中 に生 きて い る。
台 湾 は福建 入 を は じめ華 南 系 の 人 の 多 い所 で あ るか ら,竜 神 信 仰 も当然 分布 して い る こ とが予 想 で き る。 農 村 の 雨 乞 い の神 と して竜 神 廟 を 祀 って い る 。0方,漁 村 にお い て は 「竜 王」 の呼 称 の祭 りは 「海竜 王 」とな って い て,国 分 直 一 に よ ると,台 南 市 の 漁村 で は 「漁 期 の は じま り と終 り には,砂 丘 の 上 に海 竜 王 に供 え る珍 味 を 並 べ,金 銀 紙 を焼 い た」 とい う[国 分 1968:253‑254]。 また,海 竜 王 は嬬 祖 の侍 臣 と して像 を 飾 るこ と もあ る とい う。 国 分 に よ る と漁 村 の信 仰 は地 域 によ る若 干 の相 違 は あ る もの の,嬬 祖,水 仙 尊 王,王 爺,老 大 公 な どで あ る[伊 能 1918a:149‑153;国 分 1968:
215,282]。 水 仙 尊 王 は海 神 で航 海 の神 で あ り,王 爺 も海 神 で 善 神 と も 悪 疫神 と もい う。老 大 公 は漁携 の神 。嬬 祖 も航 海 神 で あ る ので,水 仙 尊 王 と共 に 強 力 に漁 民 を守 護 す る。 ま た海 竜 王 に豊 漁 を祈 り,老 大 公 に海 の 漁携 の無 事 を祈 れ ば よ い。 この よ うに 台 湾 漁民 の海 神 の種 類 は多 いの で,「竜 王 」信 仰 は華南 沿岸 に比 較 して 顕著 で な い と い え る。 しか し,端 午 の節 供 の 日の爬 竜 船 の行 事 は さか んで あ り,旧 暦 の1月15日 には, 竜 灯 を数 人 で 支 え 持 ち,富 豪 の家 な ど訪 問す る行事 もあ って,広 義 の竜 神 信 仰 は広 く 影 響 して い る。
韓 国 で は,亀 山慶 一 に よ る と,釜 山市 影 島 区 に は岩 山 の 聖場 に竜 王 を祀 って あ り,済 州 島 の朝 天 里 で は老 婆 が海 岸 で竜 王 に供 物 を して豊 漁 を祈 る とい う。 ま た亀 山 は 「こ う した 習俗 は 日韓 両 国 の漁 民 が海 神 と して竜 神 ・竜 王 を基 本 に据 え る共 通 信 仰 に由来 す る もの と考 え られ る」 と述 べ て い る[亀 山 1985:90‑91]。
以 上,ヤ マ ト文 化 圏 と琉 球 文 化 圏 お よび 周辺 地 域 を加 えて 竜 神 信 仰 を 述 べ た ので あ るが,次 の よ う にま とめ る もので あ る。
(1)わ が国 の竜神 信 仰 は,ヤ マ ト ・琉 球全 域 に見 られ,そ れ は中 国,台 湾,韓 国 の 竜 神 信仰 と もつ な が って い る。 ただ し,名 称 は中 国 で は 「竜 王 」 が 多 く,日 本 で は
「竜 宮 」 あ るい は 「竜 宮 の 神 」 が 多 い 。「竜 王Jは 豊漁 や航 海 な どの 海神 と雨 乞 いな ど の農神 の両 性 格 を もつ けれ ど も,「 竜 宮 の神 」 は海神 の傾 向 が つ よ い 。 日本 に お いて は,ヤ マ ト文 化 圏 で は仏 教 系 の 「竜 王 」信 仰 が善 宝寺 を 中心 に東 北 に広 く分 布 して い るが,こ れ は 海神 の性 格 が つ よい 。 しか し,一 方 で は西 日本0帯 に農 神 と して の 「竜 王 」 信仰 が広 く見 られ,ヤ マ ト文 化 圏 で の南 限 は金 峰 神社 で あ る。
② 南 九 州 で は薩摩 北 部 に農 神 と して の竜 王信 仰 が 流入 して い る。 ま た神 楽 な ど に もその 影響 が見 られ る。 しか し,薩 摩 南 部 で は それ が さかん で な く,代 りに綱 引や 祭 礼 を 通 して海 神 信 仰 が 深 く底 流 して い る。 薩南 諸 島 で も竜 王,竜 宮 と もあ ま り見 られ ず,そ の状 況 は薩 摩 南 部 に似 て い る。 そ して,竜 王 や 竜 宮 の呼 称 は な くて も海神 信 仰
下野 南西諸島の海神信仰 そ の もの は見 られ る。
(3)日 本 の竜 神 信 仰 は,ト カ ラ列 島 と奄 美 大 島 を境 に して 二 つ に分 け る ことが で き る。 トカ ラ以 北 の ヤマ ト文 化圏 で は エ ビス信 仰 が さか ん で,海 神 の豊 漁 面 は そ ち らに 吸収 され て い る。 また,航 海面 も熊 野,住 吉,金 毘 羅 な どの信 仰 に分 化 して い る。 こ れ に対 して 奄美 大 島 以 南 の 琉球 文 化 圏 で は豊 漁 や航 海 は竜 宮 の神 に祈 り,か つ 航 海 は ウナ リの力 に も頼 って い る。 しか し,ヤ マ ト文 化 圏 ほ ど神 々の機 能 分 化 は見 られず, 竜 宮 の神 の信 仰 は さか ん で あ る といえ る。
(4)琉 球 文化 圏 で は,竜 宮 の神 の小 祠 を設 け て祈 る内 圏 と,巫 女 の オモ ロや カ ミグ チ に のみ 表現 され る 「竜 宮 」 の多 い外 圏 の二 種 が同 心 円状 に あ って,竜 宮信 仰 の こ の 地 域 へ の二 重伝 播 を 示 して い る。 中国 で は竜 王 の表 現 が 多 い の に対 し,ヤ マ トで は竜 王 も竜 宮 も よ く使 う。 した が って奄 美 ・沖 縄 の竜 宮 の語 は ヤマ トか ら琉 球 王朝 へ入 り, そ れ が ノ ロや ッカ サ を通 じて ひ ろ ま った もの と思 わ れ る。 ヤマ ト ・琉 球 の 接 点 に あ る
トカ ラの巫 女 ネ0シ は ノ ト(祝 詞)の 中 に竜 宮 を述 べ るが,巫 女 と竜 宮 の セ ッ トは 琉 球 の そ れ と同 じ構 図 で あ る。
(5)沖 縄 の竜 王 殿 は中 国 伝来 の もので あ ろ う。沖 縄 に はハ ー リ0舟 な ど,中 国 の竜 王信 仰 に ちな む習 俗 が深 く影 響 して い る。
(6)海 神 信仰 とハ ー リー舟 の 組合 わせ は美 保 神社 の諸 手 船 に も見 られ る。 そ の 由来 は わ か らな い けれ ど も日中 共 通 の 習俗 で あ る こ とに は ちが い な い。 中 国 の竜 王 信仰 は 広 田遺 跡 や倭人 伝 に検 出 され る ご と く,弥 生 時 代以 来,わ が 国 の 海人 た ち に深 い 影 響 を 及 ぼ して い る。 しか しそ の一 方 で は,竜 王,竜 神,竜 宮 の言 葉 に必 ず し も癒 着 しな い 「わ だつ み」 や 「ニ ライ ・カナ イ」 な ど の語 が あ って,わ が国 海神 信 仰 の独 自性 を 見 せ て い る。 そ して,ヤ マ トとわ だ つ み,琉 球 とニ ライ ・カ ナ イ の セ ッ トに よ る表 現 上 の 対 比 を も見 せ て い る。
2.ニ ラ イ ・ カ ナ イ と 海 神
竜 神 のす む竜 宮 につ い て,琉 球 文 化 圏 で は 固有 の名 称 を持 って い た。 す なわ ち,奄 美 で い うネ リヤ,沖 縄 で い うニ ラィ ・カナ イ が そ うで,時 に は ギ ライ と もい わ れ る。
ヤマ トに近 い奄 美 で は ネ リヤの神 に対 して ワタ ガ ナ シ(海 神)と い う表 現 もあ る こ と か ら,ネ リヤ や ニ ラ イの語 は沖 縄 本 島 か らノ ロ文化 と共 にひ ろ ま った もの か と思 われ
る。
琉 球 文 化 圏 で は定 期 的 に ニ ライ ・カ ナ イを拝 み,そ こか らの神 の訪 れを 想定 し,あ
111
国立民族学博物館砥究報告 別冊3号 る い は 演 出 し た 。 ニ ラ ィ ・カ ナ イ は 海 上 他 界 と も ま た,伊 平 屋 島 の 我 喜 屋 な ど で い う よ うな 海 浜 の 瀬 に つ な が る海 底 の 異 郷 と も解 せ ら れ て い る 。 し た が っ て,そ こ か ら来 訪 す る 神 は 海 神 の 一 種 に ち が い な い 。 で は い っ た い ど の よ う な 神 な の か 。 ま た,い つ
出現 す る の か 。
1) ウ ン ジ ャ ミ と 海 神 来 訪
ウ ン ジ ャ ミは,沖 縄本 島北 部 お よび そ の周 辺 小 島 に 伝承 す る海神 祭 で,村 祭 ご との 若 干 の ちが い もあ る もの の神 女 に よ る海 の神 の祭 りとい う大 筋 は共 通 して い る。 そ の 期 日 は旧暦7月 の初 亥 ま た は 中亥,盆 あ け の 中亥 あ るい は一 定 の 日な ど とな って い る が,い ず れ も7月 で あ る こ とが 注 目さ れ る。 『琉 球 国 由来記 』 巻 二 十 一 の八 重 山島 の 項 に は 「七 八月 中 二 己亥 日節 ノ 事」 とも記 され,こ の時 期 は 昔 か ら節 祭 りで あ っ た こ とが わか る。 同 書 に は伊 平 屋 島 の 項 に 「海 神 折 目」,今 帰 仁 村 の項 に 「大折 目(海 神 祭 也)」 と も記 され て いて,ウ ン ジ ャ ミが 大 折 目で あ り,一 大 節祭 りで あ った こ とが 理 解 で きる。 つ ま り沖縄 で は夏 の 節祭 りに海 か ら神 を招 いて 祀 った ので あ る。
奄 美 の節 は旧 暦8月 の初 丙 の 日を ア ラセ ツ(新 節)と 定 めて 祝 うけ れ ど も,名 瀬市 大 熊 な どで 旧暦7月 の中 壬 の 日を ウフ ンメ(大 折 目)と 定 め て祭 礼 を営 んで い るの は, ノ ロ文 化 に よ る奄 美 へ の 波及 と見 る こ とが で きる。
伊 平 屋 島 の我 喜 屋 の ウ ンジ ャ ミは,海 神 を 岬 か らお迎 え して カ ミァサ ギ で オ モ ロを 謡 い なが ら神遊 び し,魚 と りや船 こぎ のま ね を し,シ ドゥガ ミが少 女 た ちを海 岸 まで 連 れ て行 って 擢 を 海 に流 して帰 る とい うもの で あ る。 田名 で は,前 夜 の7月16日 夜,
オ ー シ ドゥの 家 に神 人 た ちが集 り,明 日の 天気 を祈 る 。 当 日 は ノ ロ と神 人 た ちは カ ブ イ(冠)を か ぶ って ウ ンサ ク(神 酒)を 飲 み,田 名屋 で船 型 に神 人 た ちが 入 って こ ぐ まね をす る。 次 いで 東 の マ ジキ ナの ハ ンタ とい う所 へ行 って ウム イを謡 い,次 は港 の 尻 の ナ ー トンチ ビの 岩 の上 に立 って東 の海 を 拝 む 。 そ して 田 名屋 へ もど って ダ ナ ンサ 0を 中心 に テル ク グチ を謡 う[上 江洲 1986:97‑116]。
伊 平屋 島 の ウ ンジ ャ ミの要 点 は,浜 か ら迎 え た海 神 を カ ミァ サ ギや 田 名屋 な どの神 屋 で 歓 待 し,の ち シ ドゥガ ミす な わ ち船 頭 神 の指 揮 で 海 へ送 る とい う こ とで あ り,そ
れ に漁携 の 予 祝儀 礼 が付 属 して い る。 海神 は我 喜 屋 で は神 人 た ち と少女 た ちで あ り, 少 女 た ち は も とは擢 を持 って各 戸 を巡 回 した 。つ ま り,海 神 の各 戸 訪 問 で あ る。 田 名
の海 神 は,オ0シ ドゥ,ユ ムイ,ユ ー トゥイ,イ シ ドゥな どの4神 人 で あ った。 この よ うに海 神 は神 人 自身 が演 ず る具 象神 で あ り,ヤ マ トの ご と き抽象 神 で はな い の も琉 球神 道 の顕 著 な 特徴 で あ る。
下野 南西諸島 の海神信仰
ウ ン ジ ャ ミに 漁 携 儀 礼 が 伴 う こ とは,こ の 海 神 祭 が 本 来,漁 携 と 深 い 関 係 が あ り, ニ ラ ィ ・カ ナ ィ 拝 み は 漁 願 が 重 要 な 要 素 と な っ て い る こ と を 示 す も の で あ ろ う 。 ニ ラ イ ・カ ナ イ か ら神 を 迎 え る 演 出 儀 礼 の 一 つ と して 久 高 島 の カ ン ジ ャ ナ シ ー(神
ガ ナ シ)が あ る 。 そ れ は 旧 暦4月 と9月 の 中 壬 の 日 か ら9日 間 行 わ れ る 。3日 目 の 早 朝 に,神 々 が 神 衣 裳 を着 て 久 高 ヌ ル ド ン チ か ら外 間 拝 殿 へ 行 く。 こ の 神 々 は ニ ラ ー ・ ハ ナ ー(ニ ラ イ ・カ ナ イ)の 神 々 で あ る と い わ れ,昔 は ク ボ ー 御 嶽 へ 行 き ,そ して一 番 鶏 の 声 に 合 わ せ て ホ イ ホ イ と叫 び な が ら村 へ 現 れ た と い う。 神 々 の 名 前 は,ニ レ0
ウ プ ヌ シ(ニ レ ー 大 主),ア ガ リ ウ プ ヌ シ(東 大 主),フ ァ ー ガ ナ シ(母 ガ ナ シ),ハ ナ ー ヌ テ ィ ン ド ゥ ー ガ ミ(カ ナ イ の 船 頭 神),そ の 他 総 計30数 名 で,そ れ ぞ れ 色 と り ど り の 衣 裳 を つ け て 群 遊 す る の で あ る 。 ニ レ ー 大 主 は 余 り に 神 格 が 高 い の で 来 臨 しな い と い わ れ,ア ガ リ大 主 を 中 心 に 祭 礼 が 期 待 さ れ る 。 神 々 は カ ヤ 束 を 手 に して 神 歌 を 謡 い,や が て 村 中 を祓 い 清 め て ま わ り 乳 さ い ご に神 送 り の 歌 を 謡 っ て ニ ラ ー ・ハ ナ ー へ 送 る[古 典 と 民 俗 学 の 会 1980:59‑101]。
こ の 祭 りで 注 目 さ れ る の は,大 挙,人 が 神 に 扮 す る こ と で あ る が,そ れ が ニ ラ イ ・ カ ナ ィ か ら村 に 訪 れ た と い う 点 で あ る 。 神 々 の 中 に は 雷 神 や 鞘 神 も い て,ニ ラ イ ・カ ナ イ の 原 郷 は ゆ た か な 世 界 で あ る こ と が わ か る 。 ア ガ リ大 主 は 昔 は,稲 や 裸 麦,粟 の 穂 の 模 様 の つ い た 神 衣 裳 を つ け て い た と い い,ま た,満 月 も 記 さ れ て い た と い う が,
そ れ は 太 陽 で あ っ た か と思 う。 ア ガ リ大 主 は 太 陽 神 で あ り,豊 作 を 約 束 す る 神 で も あ っ た 。 こ の よ う に 久 高 島 の ニ ラ ィ ・カ ナ ィ は 単 な る海 神 の 枠 を 越 え た 神 々 の 原 郷 で も あ る 。
加 計 呂 麻 島 で は テ ル コ は 太 陽 神 だ と い う が,伊 平 屋 島 田 名 の ウ ン ジ ャ ミの テ ル ク グ チ は 「初 ぬ 子 は テ ダ(太 陽)や り,う くぬ 子 は月 や り,テ ル ク ミ が は じ め,ナ ル ク ミ が の だ て 」[上 江 洲 1986:lll‑115]と い う句 も あ っ て,や は り太 陽 を 謡 って い る 。 そ して,全 体 の 主 旨 と して は 稲 や 粟 の 豊 作 を 祈 っ て い る の で あ る 。
『琉 球 国 由 来 記 』 巻 十 三 の 久 高 島 の 項 に は,「 伊 敷 泊 二 御 前 。0御 前,ギ ラ イ 大 主, 0御 前 カ ナ イ 真 司 」 と記 さ れ,同 島 中 部 東 岸 の 聖 地 イ シ キ ハ マ は 昔 か ら ギ ラ イ ・カ ナ
イ の 拝 所 で あ る こ と を 教 え て い る 。 同 書 に よ る と,久 高 島 に 初 め て 居 住 した ア ナ ゴ の 子 は,あ る 日,イ シ キ ハ マ で 麦,粟,黍,扁 豆 の 種 子 や コ バ な ど の 種 子 の 入 っ た 壺 を 拾 っ た が,そ の 頃,「 君 真 物 」 と い う 者 が た び た び 出 現 して 近 く の 森 に 遊 ん だ の で そ
こ を 「中森 の 嶽 」 と い っ て 御 嶽 に した の だ と い う。
ずり
・ 伊 波普 猷 は 「君 は古 琉 球 語 で は神 女 の 義 で」
,「 君 真 物(君 手 摩)も 古 くは女 神 と考 え られ た と思 う」 と述 べ て い る[伊 波 1974:322‑323]。 『琉 球 国 由来 記 』 巻 十 六 の
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国立民族学 博物館研究報告 別冊3号 伊 平 屋 島 の項 に は 「カ ナ ィ ノ キ ンマ モ ノ」 と記 し,君 真 物 が カ ナ ィ か らの来 訪 者 す な わ ち海 神 で あ る こ とを示 して い る。 ま た,同 書 巻 十 五 の今帰 仁 間 切 の項 で は,昔,君
りやんさん
真 物 出現 の時,ア フ リノハ ナ に黄色 い冷 傘(き ぬ傘)が 立 つ 時 は コバ ウノ嶽 には赤 い 冷 傘 が立 った と記 されて い るが,伊 波普 猷 は ア フ リノハ ナの ア フ リも涼 傘 の古 琉球 語 だ と い う[伊 波 1974:324ユ 。 した が って そ こは古 くか ら神 女 た ちが 傘 を 立て て君 真 物 出現 の儀 礼 を 演 出 した所 だ とい え よ う。
『琉 球 国 由来 記』 巻 十 九 の 久米 仲 里 間 切 の項 に は,ガ サ ス若 チ ャ ラ とい う若者 が い て そ の人 物 が す ぐれ,君 真 物 出 現 の 時 に は父 の 按 司 よ り先 に若者 の ほ うへ君 真 物 が顔 を向 けた とあ り,ま た 同書 具 志 川間 切 の項 に も同話 を掲 げ,こ の 若者 が美 男 で器 量 も 人 にす ぐれ て い て,君 真 物 出現 の 時 は男 女 童 によ らず,す べ て の 人 び とが憧 れて 見 た の で,父 の 按 司 か らね た まれ た と記 して あ る。 これ に よ って,君 真物 出現 の状 況 が よ くわ か る と共 に,君 真 物 が だ い ぶ人 間 くさい こ と もわ か る。 つ ま り,古 くは君 真 物 は 村 落 の神 女 が扮 し,村 落 民 総 出 で それ を迎 え た ので あ り,そ の よ うな海 神 祭 が沖縄 の 各 村 落 ご と に行 わ れ て い たの で あ る。
久 高 島 に伝 承 す る カ ンジ ャナ シは,由 来 記 に記 され た この 君 真 物 の祭 りを う けつ ぐ も ので あ ろ う。神 女 が ニ ラィ ・カ ナ ィの神 々の姿 に仮 装 して 村 落 に現 れ,オ モ リを謡 い な が ら舞iい,村 落 内 を 清 め て まわ り,そ して海 の か な た へ 引揚 げ る と い う筋書 で あ る。 これ は久 高 島 の カ ンジ ャナ シだ け に と どま らず,伊 平 屋 島 を は じめ各 地 の ウ ン ジ ャ ミに もあ て は ま る こ とで あ る。 ウ ンジ ャ ミは今 や俗 化 しつ つ あ るけ れ ど も,主 役 の 神 女 た ち は本来 は伊 平 屋 島 の 田 名 の海 神 の ご と く,ま さ にニ ラ ィ ・カ ナ ィ か らや って
き た海 神 その もの で あ り,君 真 物 自身 で あ る とい え よ う。
こ の君 真 物儀 礼 は ノ ロ を中 心 とす る神 女 た ち によ る演 出で あ り,ノ ロ制 度 の成 立 と 密 接 な 関係 が あ る と思 わ れ る。 ノ ロ制 度 が 普及 して い るの は琉球 文 化 圏 で も奄 美諸 島 と沖 縄 諸 島 で あ るが,こ の 地 域 に トカ ラ列 島 や八 重 山諸 島 に見 るよ うな来 訪 神 行事 が 少 い の は,ノ ロを 中心 とす る神 女 自身 が カ ブ リカ ズ ラを か ぶ り,大 扇 を持 って盛 装 し, 君 真 物 と して 出現 す る か らで は な い か と考 え られ る。 つ ま り,神 女 た ち が来 訪神 で あ
る。 こ の よ うな地 域 に,ど う して ほ か の来訪 神 が入 る こ とが で きよ う。
海 神 祭 の行 わ れ る7月 は節 替 りの時 期 で もあ るが,ト カ ラ列 島 で は ヒチゲ ー(日 違 い)と い う節 替 りに神 女 の ネー シ(内 侍)が 男性 神 役 の ホ ー イ とい っ し ょに,夜 半 に 各 戸 を 訪 れ る。 この時 は昔 は ボ ゼ とい う異装 の神 も各 戸 巡 回 した 。 トカ ラは ヤマ トと 琉 球 の 中間 的 な 民俗 を い くつ も伝承 して い る こ とか ら考 え る と,ネ0シ 巡 回 の姿 に君 真 物 の名 残 りを見 る こ とが で きよ う。 しか し,若 者 の扮 す る ボ ゼの威 力 が つ よ くて 君 114