ヨーロッパにおける素描の歴史と技法
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【翻訳】
シャルル・ド・トルナイ訳 森田義之・上月裕子
第八章 公的コレクション と 個人コレクションの発展
イタリアでは初期の素描コレクションは主に実用的な理由のために収集された︒それらは美術家たちが研究の材料として名高い美術家
や自分たちの師匠の作品を集めたコレクションであった︒ギベルティは十 トレチェント四世紀の素描の小さなコレクションを持っていたようであるが ︵1︶︑
十五世紀のフィレンツェで一番知られていたのは︑一四八八年頃サン・マルコ修道院に近いメディチ家の庭園に創られた学校に所蔵され
ていたロレンツォ・デ・メディチ︵図1︶のコレクションである︒ヴァザーリの記述を信じるならば︑そこにはマザッチョ︑ウッチェッロ︑
フラ・アンジェリコ︑フラ・フィリッポ・リッピといった画家たちの素描や原寸大下絵が含まれていた ︵2︶︒この素描コレクションは︑メディ チ庭園の学校の仲間であった若い美術家たちの教材として実用的な目的を担っていたに過ぎない︒そこに含まれているのが十 クアトロチェント五世紀のフィ
レンツェの画家に限られていたことから見ても︑選定の仕方はきわめて偏ったものであった︒こうした選定の原則は何らかの記録が残って
いる数少ない初期のイタリアの素描コレクションにも見い出される︒たとえば︑ラファエッロの友人で模倣者であったティモテオ・ヴィー
ティ︵一四六七│一五二三︶︵図2︑図3︶は︑ラファエッロの素描を中心とするウルビーノ派の素描ばかりを収集した ︵3︶︒もう一つの初期
の素描コレクションは︑アノニモ・モレッリアーノ﹇マルカントニオ・ミキエル ︵4︶﹈が言及している︑ヴェネツィアの都市貴族ガブリエー レ・ヴェンドラミンのもので︑主にヴェネツィア派の素描から成り︑ヤコポ・ベッリーニの著名なスケッチ・ブックが含まれていた︒別の
ヴェネツィア貴族タッデオ・コンタリーニはジョルジョーネの素描を所有していた ︵5︶︒ジュリオ・ロマーノのコレクションは︑師ラファエッ ロの遺贈品から成っており︑ラファエッロとその一派の素描だけが含まれていた︒ミケランジェロの弟 ガルツォーネ子アントニオ・ミーニが所有して
いた素描は︑すべてミケランジェロから贈られたものであった ︵6︶︒このように︑十六世紀半ばまでの素描コレクションはすべて純然た
る地域的な視点で選ばれたものだった︒こうした状況は︑初めて普遍的な主張のもとにコレクションを形成したヴァザーリによって一変し
た ︵7︶︒しかし︑その普遍性はイタリアだけに限定されたものであった︒彼のコレクションのドイツの素描類は︑その相続人カヴァリエーレ・
N・ガッディによって補充されたものである︒ヴァザーリのコレクションは︑もはや美術家の研究という目的のためではなく︑イタリア
美術の発展を示すものとして収集され︑彼の﹃美術家列伝﹄を補完する役割を担った︒ヴァザーリの鑑識眼は︑彼の同時代人たちと同様︑
高度に成熟した批判的識別力に基づくものではなく︑しばしばある画家の様式に近いことだけで即座にその画家自身の作品に帰属させてし
まうことがあった︒彼の主たる関心は︑チマブーエから彼自身の時代までのすべての著名なイタリアの美術家の素描を集大成することだっ
たのである︒ヴァザーリ︵図4︑図5︶が﹃素描収集帖︵il libro dei disegno ︶﹄
と呼んだこのコレクションは五巻から成っていた︒すでに述べたように︵第一章参照︶︑各々の素描には︑通常ヴァザーリ自身によってペ
ンとビスタで縁取りが描かれた︒彼は推定される作者の名前をその下の装 カルトゥーシュ飾枠の中に記し︑またときには枠の上に彼の﹃列伝﹄第二版から
取った木版の作者の肖像を挿入した︒なぜヴァザーリがこれらの縁取りを描き加えたかについては第一章ですでに触れた︒それは素描をモ
ニュメンタルな芸術作品と見なした彼の素描観の表われなのである︒ヴァザーリは﹃美術家列伝﹄の第二版においてしばしば自分の素描
コレクションに言及している︒しかしこうした情報をすべて集めても︑彼が所有していた素描の完全なリストをつくることはできない︒
﹃列伝﹄では言及されていないが﹃素描収集帖﹄に収められていた素描が︑現在いくつかの公共コレクションの中に存在するのである︒
素描収集家としてのヴァザーリの趣味は折衷的な歴史観に規定されていた︒彼はそれ以前のコレクションに根強かった地元本位の郷土主
義の偏見を打ち破った︒確かにヴァザーリはトスカーナ出身であり︑﹃列伝﹄におけると同様︑コレクションが自然にトスカーナの美術家
たちを優先していることは明らかである︒しかし︑それはトスカーナ人の優越性が実際にその歴史的な重要性に呼応していたからであっ
て︑必ずしも彼のコレクションに本質的に地元主義が著しいわけではなかった︒彼の歴史観の普遍性は︑彼が画家ばかりでなく彫刻家や建
築家の素描も収集したことにもよく明示されている︒ヴァザーリは︑ロレンツォ・ギベルティの子孫ヴィットリオ・ギベ
ルティの工房で仕事していた十八歳のときに素描コレクションを始めた︒ヴァザーリはギベルティが先祖から遺贈された十 トレチェント四世紀の素描を
おそらく本人から入手したのだろう︒ヴァザーリのコレクションは︑彼が死去した際︑甥のカヴァリ エーレ︵騎士︶・ジョルジョ・ヴァザーリに譲渡されたらしい︒その後それはカヴァリエーレ・N・ガッディの手に渡り︑その相続人が
一六三八年以前にフランス人の画商に売却した︒この時に何冊かは解体され︑素描はばらばらに売り払われた︒しかし︑一冊だけは完全な
形で残され︑十八世紀にマリエットによって発見された︒素描の一部はエーベルハルト・ヤーバッハによって購入され︑彼からルイ十四世
の手に渡った後︑ルーヴル美術館に入った︒ヴァザーリの素描の別の部分は︑レオポルド・デ・メディチ枢機卿によって購入され︑後にウ
フィツィ美術館の素描コレクションの母体となった︒十六世紀半ばのもう一つのフィレンツェの素描コレクションは︑
ヴァザーリの友人で学者のヴェンチェンツォ・ボルギーニのもので︑その後レオポルド・デ・メディチ枢機卿のコレクションに入り︑現在
はウフィツィ美術館に収められている︒十六世紀末の最も傑出したフィレンツェの素描コレクションは︑ベ
ルナルド・ヴェッキエッティがその別荘﹁イル・リポーゾ︵休息荘︶﹂に所蔵していたものである︒それには主にフィレンツェ派の素描││
レオナルド︑ミケランジェロ︑チェンニーニ︑ブロンズィーノなどの素描││が含まれていた ︵8︶︒
十七世紀におけるフィレンツェの最大の素描コレクションはレオポルド・デ・メディチ枢機卿︵一六一七│一六七五︶︵図6︶のそれで
ある ︵9︶︒彼の顧問がヴァザーリの﹃列伝﹄を引き継いだ美術家の伝記作者バルディヌッチ︵一六二四│一六九六︶︵図7︶であった︒バルディ
ヌッチは一六七三年に枢機卿の素描コレクションの目録を出版した︒この目録を見ると︑コレクションの選定の原理がヴァザーリのそれと