「ヨーロッパにおける素描の歴史と技法」⑵
【翻訳】シャルル・ド・トルナイ訳 森田義之・上月裕子
第二章 素描の教育方法
画家たちの制作方法を検討する前に、ルネサンスの工房やバロック
時代の諸アカデミーで採用されていた入門者のための教育のさまざまなタイプについて、簡単に触れておくのがよいだろう。
中世においては、すでに見てきたように、素描の主たるカテゴリーは手本(exempla)と写本挿絵であり、それらはまたしばしば模写の
際の手本として用いられた。入門者が最初にやることは、これらの素描を模写することであった。中世には、ルネサンス的な意味での自然
の模倣は知られていなかったため、完全さの規準は線の表現の巧みさ、つまりカリグラフィ(筆法)にあった。線 カリグラフィクが美しければ美しいほど、
したがって自然から離れていればいるほど、それはいっそう完全に見えた。
十四世紀は、﹁自然の模倣﹂という教義が優れた芸術作品の尺度のひとつとなった時代であるが、この時代以降、素描教育の方法は徐々
に変化した。ジョットの伝統をひく弟子たちは依然として手本を模写し続けた。しかしこれは最初の段階にすぎず、もっぱら手の訓練
のために行われた。次の段階で弟子たちは﹁自然(実物)﹂にもとづいて素描するよう指導された。なぜなら、アーニョロ・ガッディの
弟子でジョットの伝統の擁護者であるチェンニーニが忠告しているように (1)、自然こそ最高の手本だからである。しかし実物に基づく素
描といっても、目に見える世界をそのあらゆる個々の特徴とともに直接写しとることを意味していたのではなく、伝統的な類型的形象 を自然の事物と関連づけて表現せよということを意味するに過ぎなかった。﹁写 リアリズム実主義﹂は、立体感(rilievo)、つまり類型的形象の彫塑
的な肉付けや、その表面の効果、顔貌上の感情の表現にのみ関わるものであった。十四世紀の人たちにとって自然は手 エクセンプラ本の貯蔵庫のよう なものであった。たとえば山を描くために石を用いるというように、全 パルス・プロ・トート体のかわりに一部を取りだせば十分であり、それだけで作品は自然
にもとづいて制作されたと見なされた。自然の経験は単に伝統的な類型的形象に表面的に応用されただけで、二義的なものにとどまり、類
型的形象を豊かにはしたが、それらを本質的に変化させるものではなかった。
十五世紀の初頭以後、古い伝統的な類型表現はその威信を失いはじめ、美術家は自然に基づく素描の方法を新しく探求するようになった。
レオン・バッティスタ・アルベルティは、素描にヴェール(velo)ないし網目(rete)、あるいは彼が切断面(taglio) と呼んだものを利用す る独創的な方法を発見した (2)。この方法では、弟子は自分と描く対象とのあいだに升目を引いたヴェールを置く。そして小さな升目を一つず
つ観察しながら、いっそう正確に対象を写しとることができたのである。アルベルティの方法は十五世紀後半にフィレンツェの工房で活用
され、レオナルドも﹃絵画論 (3)﹄でそれを推奨している。この升目法は、その後もルネサンス期に、素描を拡大したり、カルトンの下図を絵画 に転写するのに利用され、そのやり方はヴァザーリによって詳しく述べられている (4)。
レオナルド(﹃絵画論﹄、四七節および九七節以下)は、十五世紀後半におけるフィレンツェの工房の素描の教育方法を要約している。素
描の主たる目的は現実再現(imitazione)であり、それを達成するには三つの段階が必要であった。まず弟子は、師匠みずからが自然に基
づいて制作した質の良い素描を模写しなければならない。次いで、彼は立体的な事物を模写し、最後に、自然のモデルを素描しなくてはな
らない。十五世紀の科学的な経験主義は古い工房の慣習を吸収している。しかしこうした経験主義においても、自然とはまだ自由な視覚的
印象ではなく、工房で使用するために﹁人為的に準備された﹂ものであった。
十六世紀半ば以降、アカデミズムの台頭とともにこのルネサンスの方法は修正された。ヴァザーリは弟子に忠告している ﹁素描に上
達したいとおもう者は、浮彫か、彫像か、石膏型取りから素描するべきである。というのも、これらのものはいずれも動かないし、感情を
もっていないので、素描する者は描きやすいからである。動く生きものの場合はそうはいかない (5)﹂。こうした学習のあとで、ようやく入門 者は﹁自然物(cose naturale)﹂を写生することができたのである。カッラッチ一族のアカデミーでは、生徒たちは裸体モデルを素描するよう
になった。しかしそこには、アカデミーでの研究に用いる臘の人体模型や古代彫刻の石膏型取り、そして素描のコレクションがあったこと
が知られる (6)。こうしたイタリアのアカデミーの方法はフランスのアカデミー
(一六四八年に創設)によって踏襲された。デュ・フレノワは、最初に古代作品を素描し、次いで﹁第一級の巨匠(maîtres de la première
classe)﹂の作品から素描することを推奨した。彼は、実物からの素描には言及していない。ル・ブラン指導下の教育プログラムは以下のよ うな段階的な素描学習からなっていた。まず美しい古代彫刻ないしラファエッロの作品を模写し、次いで古代(もしくはラファエッロ)の
人体比例にもとづいて実物の人体を研究し、最後に、ラファエッロが定型化したような古代美の原理に従いながら、自然を直接的に解釈す
る。自然は、その結果、古代的な規範に修正されることになる (7)。十八世紀半ばにはこうした抽象的な方法に対する反動と自然への回
帰が現われた。それは﹃百科全書﹄のヴァトレの記述に見られるが、彼は、明らかにレオナルドの影響のもとに、次のような段階的素描を
推奨している。まず練達の画家が自然から描いたものを模写し、次に人体の諸部分を、さらに全身像を模写する。次に立体像を模写し、そ
して最後に実物の写生をおこなう。同じ頃﹃絵画について﹄(一七六五年)を著したディドロは、アカデミックな素描方法をさらに徹底的に
無視して、実物から直接写生する新しい方法について初めて語っている。彼の考えはすでに前章で引用したとおりである (8)。
こうしたディドロの考えは、十九世紀に独立した美術家たちが用いた実物からの写生の方法を予告している。しかし、後述するように、
イタリアのピサネッロや北ヨーロッパのヤン・ヴァン・エイクの時代から、こうした自然に基づくスケッチや習作は知られていたのであ
る。
原註(
Cennini, Ch.XXVIII, p.151)参照。﹁お前が手にしうる最も完璧な
道案内、最良の舵は、栄光の門に他ならぬ自然物の写生であることを弁え給え。この自然物は、他のいかなる手本にもまさる