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英国王ジェームズ一世治世初期に書かれた『ヘンリー八世』の歴史的意味

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第 127 号 2013 年 3 月  要 旨  この作品は,近代英国の自立の初期的段階におけるヘンリー八世の国王としての資質の獲得過 程を,あえて理想化して描こうとするものである.それは,ジェームズ一世が即位して 10 年 経った時点で,すでに神格化が起こっているエリザベス女王の繁栄と栄光の時代に対する観客の 郷愁的幻想に繋いで,ことさら豪華な仕立ての舞台で試みられる.しかし,一方で,極めて下世 話な民衆的,祝祭的笑いのエピソードによる権力闘争のパロディーや,王の離婚問題におけるセ クシュアリティの意義のほのめかしによって,価値逆転を起こしたり相対化する視点も提供する ものである.本稿は,このような文脈の中で,有力貴族のバッキンガム公と成り上がりの実力者 のウルジー枢機卿の間で争われる主導権争いや,王の離婚・再婚問題の劇的過程とその歴史的意 味を考察するものである.  キーワード:ヘンリー八世,エリザベス一世,ジェームズ一世,シェイクスピア

 はじめに

   ヘンリー八世と聞くと,われわれは,ドイツ生まれで同時代の 16 世紀英国で活躍した肖像画 家ハンス・ホルバインが描いた,肘をまげて両腕を腰にあて仁王立ちになった偉丈夫の肖像を想 い浮かべ,また,次々に合計六人もの王妃(うち二人は斬首)を娶っていった事実から,英国史 上もっとも精力絶倫かつ非情な国王としての強烈な印象を与えられてきたと思われる.それに は,例えば,ロンドンのマダム・タッソー館にある彼を六人の王妃たちが取り囲む蝋人形の群像 なども一役買っているかもしれない.  しかし,1623 年に編まれた第一2折版のシェイクスピア全集の「歴史劇」中に納められた作 品に登場するヘンリー八世は,この印象を覆すように見える.本作品では,最初の王妃との離婚  

英国王ジェームズ一世治世初期に書かれた

 

『ヘンリー八世』の歴史的意味

 

井 上 准 治 

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は自らの欲望からではなく,純粋に宗教的罪悪感にさいなまれた結果であり,表面上は苦悩する 「良心」の人としてアピールする.また成り上り者に利用される世間知らずの人の良い人物のよ うな面も見せる.しかしやがて王は,政治的合理性を具え,依存性を脱却して自らの意志と判断 力と行動力を持った強いリーダーシップを発揮するようになるとともに,宗教的にもローマから 自立した栄光に輝く英国の礎を築き,かつ繁栄の未来を託す世継ぎを確保できた偉大な人物とな る.  王自身が存命中に描かせた威厳に満ちた肖像画は,いわば,静的で完結した記録である.一 方,テクストは,エリザベス一世の死とともにテューダー朝が終わり,それに続くスチュアート 朝ジェームズ一世の治世が始まって 10 年になった時点で,つまり,およそ 80 ~ 90 年後の視点 で,29 歳~ 42 歳にかけての実在の国王をあえて理想的に描こうとしているのである.したがっ て,その描き方には,ことさら豪華な衣装や道具立てを用いながら同時代の過渡性ゆえのバイア スが強力に機能するとともに,同時代の観客には周知であるにも関わらずテクストの表面上は抑 圧された事柄や,エネルギッシュで猥雑な庶民の生活世界が,そのバイアスを相対化することも ある.本稿の目的は,このようなヘンリー八世の理想化ないしは美化の劇的過程とその歴史的意 味を考察することである.  なお,この作品に関しては,シェイクスピア単独作というよりもフレッチャーなどとの共作説 が有力であるが,どの部分を誰が執筆したのかといった点では議論も多く(1),このような問題に ついては,上述したような「時代の産物」という観点から,本稿では論考の対象にはしないでお く.  1  第一幕は,甥を連れたバッキンガム公がノーフォーク公に英仏両王による先の会見の様子を尋 ねることで始まる.それは 1520 年 6 月 7 日から 24 日にかけてフランスのカレー近郊アンドレン の谷間で行われた英王ヘンリー八世と仏王フランソワ一世の間の盟約の披露宴であり,音楽の宴 やレスリングや馬上槍試合など大饗宴が連日繰り返され,会場に設営された金糸銀糸をふんだん に使用したテント群や王侯貴族たちの衣装に因んで「金襴の陣」("Field of the Cloth of Gold") と名付けられた.  その絢爛豪華ぶりと若き両王の甲乙つけ難き勇姿がノーフォークから感嘆を持って語られる が,この行事全般を仕切ったのがウルジー枢機卿だとわかった途端,バッキンガムはこの枢機卿 に対する日ごろの反感を剥き出しにしはじめ,彼を含めて三人が次々とウルジー批判を展開す る.突拍子もないお祭り騒ぎの大饗宴のせいで貴族たちは大変な経済的負担を強いられて少なく ない者が苦境に喘ぎ,一方でその政治的成果はほとんどなく,むしろすでにフランス側から盟約 違反の事件さえ起きているとのことである.  当時の国際情勢(オスマントルコに対抗するヨーロッパでのスペイン(神聖ローマ帝国)とフ

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ランスの二大勢力によるにらみ合い)の中で相対的に弱小国であるイングランド(2)がスペインと の関係だけでなくフランスとの関係も強化していくという外交上の政策は当然ありうると思われ る.この政策をウルジーが主導したのである.  しかし,18 日間にも渡る大饗宴は,他国には強い印象を残したが,イングランドにとって得 るところはほとんどなく,経済的にはむしろその負担を賄うための重税などにつながったという のが歴史的な評価であるだろう.そこで名門貴族たちが,外交問題でウルジーの差し出がましさ を非難するものの自らは何もせず,このマイナス評価の責任を,もっぱら血筋の卑しい,成り上 り者に押しつけているのである.言い変えれば,英仏首脳会談そのものの政治的意義の検証や王 自身の責任や行動(ヘンリーがフランソワとのレスリング試合で不覚を取ってイングランド側が 面目をなくしたとも伝えられている(3) )について,テクストの中では話題にもならない.  この開幕の場で示されるのは,要するに,名門出の有力貴族を代表するバッキンガム対王の威 を借りた成り上りの実力者ウルジーといういわば権力闘争の構図である.両者が本格的に火花を 散らしはじめようとする矢先,修羅場をくぐって成り上がってきただけに,戦略,戦術に長けた 後者が口だけ威勢のよい前者をあっけなく打ち負かしてしまう劇的展開がその後に続くことにな る.さて,先ず,敗者となるバッキンガムの人物像を歴史的に概観したうえで,この勝負の意味 を考察してみよう.

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 この劇に登場するバッキンガム(1478-1521)とは,三代目バッキンガム公エドワード・スタッ フォードのことで,その父である二代目バッキンガム公ヘンリー・スタッフォードが,かつてリ チャード三世に謀反を起こして処刑され,爵位も廃されたが,ボズワースの戦い(1485 年)で チューダー朝の祖であるヘンリー七世(1457-1509,在位 1485-1509)がリチャード三世を倒して 王位に就いた際,公爵位が新設されて三代目バッキンガム公として叙爵された人物である.彼は ヘンリー七世の王妃エリザベス・オブ・ヨークの従弟(彼の母が王妃の母の妹)であるため,王 にかわいがられ,7歳で公爵となった.ちなみに,この二代目はプランタジネット朝七代目エド ワード三世(1312-1377,在位 1327-1377) に繋がる家系を誇る.すなわち,父方の祖父は初代 バッキンガム公ハンフリー・スタッフォードで,エドワード三世の末子であるグロスター公トマ ス・ウッドストックの孫に当たる.また,父方の祖母はアン・ネヴィルで,エドワード三世の四 男ジョン・オブ・ゴーントの孫に当たる.そして,母方の祖父はサマセット公エドマンド・ボー フォートでこれまたジョン・オブ・ゴーントの孫に当たる.このような名家の三代目は,その 後,1495 年にガーター勲章を受け,1509 年のヘンリー八世の戴冠式には戴冠役を務め(ちなみ にこの戴冠の時点でイングランドには,公爵は彼だけであり,侯爵としてドーセット候トーマ ス・グレイ,他に 10 人の伯爵,29 人の男爵が存在していた(4) .なお,このころノーフォーク公 は存在せず,劇中のノーフォーク公トマス・ハワードは年齢からみて同名の三代目と思われる

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が,作者が混同したものであろう.),1515 年には大司馬(Lord High Constable of England = 現在は戴冠式の時だけの儀礼官であるが当時は国王軍の司令官)に就くが,この劇で扱われてい るように 1520 年に反逆罪で逮捕され,翌年処刑されている.なお,ヘンリー七世の政策もあっ てバラ戦争終結以前の旧封建貴族たちの多くがもはや存在しなくなっているので,彼の地位は特 筆されるものである.  かくして,このバッキンガム公はイングランドの超名門貴族の一人であり,先代の王ヘンリー 七世時代から政権内での極めて有力な地位を占めてきたと思われる.しかしながら,現国王ヘン リー八世にしてみれば,自分より 13 歳年上で,宮廷内の人脈も強く,一般大衆に人気を博して いる(2. 1. 50-53),しかも王家の血をひく人物が,疎ましい存在として意識されることも徐々 に多くなってくることはなかったであろうか?そしてそうなると,バッキンガムの影響力を弱め る策を講じることは,王の意思でもあったとは考えられないだろうか?  第二幕第一場の街路上で紳士1が紳士2に,公爵陥れを画策したのはウルジーに違いないとし たうえで,その政治的策略の一端としてキルデア伯のアイルランド総督罷免とその後任にすぐ バッキンガムの舅であるサリー伯を据えて公爵を孤立させたという謀略説を紹介して,枢機卿を 批判している(2. 1. 41. 44).しかし,このような政治的策動は,王の与り知らぬところでウル ジーだけの魂胆からできるものであると言えるのだろうか?  バッキンガムが反逆罪で逮捕される決定的な理由となる公爵家の監督官の証言が,王の要請で 再度確認という形で,明らかにされる.それを要約すると次のようになる. 1 公爵が口癖のように毎日口にしている「万一王が世継ぎのないまま死ねば,なんとしても 王冠を自分のものにしてみせる」ということばを婿のアバガベニー卿に言い,さらに,「枢 機卿に必ず復讐する」と断言するのを聞いた. 2 その王冠への夢を吹き込んだのは,彼の懺悔聴聞僧で,シャルトルーの修道士ニコラス・ ヘントン. 3 今度のフランス行きに於ける王の身への危険についてのロンドン市民たちの危惧に対し て,彼は,「その恐れはある」と即座に反応して,「あの修道士の予言は現実のものとなるか もしれぬ」とつけ加えた. 4 修道士は公爵家の神父ジョン・ド・ラ・カーに何度も接触を求め,この神父を通じて,公 爵がやがてイングランドの支配者になるとの予言を彼に伝えさせた. 5 公爵は「王がこの前の病気で亡くなっていたら枢機卿とトーマス・ラベルの首はとっくに 飛んでいた」と言った. 6 王の忠臣であったサー・ウィリアム・ブルマーを横取りしたとして王が公爵を咎めた後, 彼は「その件でロンドン塔に送られるはめになれば,自分の父親がかつてリチャード三世に 反逆し,殺害を試みたのと同じまねをするつもりでいた」と言っていた.  これらの証言はすべて,バッキンガムを陥れるためにウルジーが仕組んだ偽証だとすれば,単 なる私闘の経緯の中で公爵が敗れた勝負の方向を決定づけた一つのエピソードぐらいで片づけら

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れておしまいかもしれない.しかし,二人の有力者の間に国王ヘンリー八世を置いてみると別の 面が見えてくる.  このころのヘンリー八世には王妃キャサリンとの間に 6 人の子が生まれようとしたものの,生 き長らえたのは王女メアリーのみで,7 歳年上の王妃は何度か流産や死産を経た身体ですでに 30 代半ば近くになって,なおも男子誕生を期待するのは困難と思われたであろう.また,この作品 が執筆された 1613 年の時点では,ヘンリー八世が世継ぎの王子切望のためさらに 5 人の王妃を迎 えることになりながら,成人して国を治めていくに足る丈夫な男子に最後まで恵まれなかった(5) は周知のことである.世継ぎの問題は,時の国王にとって政治問題にほかならず,それが期待で きる可能性がますます薄くなっていくにつれ,焦眉の,最大の懸案である.しかもこの作品が書 かれた 10 年前の 1603 年にはエリザベス一世が生涯独身を通して 69 歳で死去しており,その晩 年は王位継承問題がこれまた極めて重大な政治問題であったことが同時代の人々には容易に想起 されただろう.  家柄,血筋において申し分なく,先王の代から宮廷内で重用されてきた有力者のバッキンガム が抱いたとされている王冠への夢は,世継ぎ問題を意識せざるを得ない王にとっては,為にする 絵空事ではなくて,とても許すことのできない,生々しい現実性を帯びた切実な悪夢ではなかっ ただろうか?フランス遠征の折や病気にかかった際の王の死を願ったというこの有力貴族の姿を 王自らが想像し,その危惧(6)を取り除こうとすると考えるのは無理なことではないだろう.  戴冠して 11 年が経ち,父王がバラ戦争を終結させてイングランドを統一して創始したチュー ダー朝をより強固にするべく使命を持ったヘンリー八世は,いわば乗り越えるべき父の時代の象 徴のような存在であるバッキンガム(その王朝創始に自らの命をかけて貢献した父を誰よりも誇 りとし,折に触れそのことを話題にする)を先ずは排除しようとするのである.したがって,証 言の第 6 番目として,王の忠臣を公爵が横取りしたことに対する王の叱責への強い反発,具体的 には,かつて父が起こした反逆事件にならった事件さえ起こすぞという公爵の覚悟があげられて いるのである.この横取りの件をめぐるいきさつは王も認めるところであり,王と公爵の間であ る種の軋轢があったことは間違いない.  ところで,証言の第 2 番目で言及されているシャルトルー修道会の修道士ニコラス・ヘントン とは何者だろう?前場のバッキンガム逮捕時に明らかにされる王の令状によると,他にリストに 載っている逮捕者は,モンタギュー卿,公爵の懺悔聴聞僧ジョン・ド・ラ・カー,公爵の秘書官 ギルバード・パーク,さらにシャルトルーの修道士ニコラス・ホプキンズとなっていた.そして その後大逆罪裁判の様子が街路で語られる場があり,目撃した紳士 1 の話によると,法廷に呼び 出されて公爵の有罪のための証言をしたのは,公爵家の監督官,秘書官のサー・ギルバード・ パーク,懺悔聴聞僧のジョン・カー,それに修道士ホプキンズであった.改訂新ケンブリッジ版 の注釈にあるように(7),修道士の名前はニコラス・ホプキンズ・オブ・ヘントンというのがフル ネームであると思われる.  ここで重要なのは,大逆罪の陰謀の発案者がこの修道士だということが強調されていることで

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ある.三度も出された名前がそれぞれ少しずつ異なっているのは,作者あるいは共作者によって なされた齟齬というよりは,むしろ,そのことでかえってこの修道士の名前が印象付けられる効 果になっていると思われる.ルター派を始めプロテスタントが徐々に浸透しつつある 16 世紀 ヨーロッパにあって,カトリックの修道会の修道士はローマ法王に忠誠を誓い,神の教えを実践 し,かつ広める使命を帯びた集団の一員だったのではないだろうか.ここで言及されているシャ ルトルーとは,ドイツ出身の 11 世紀に活動した聖者ケルンのブルーノが創設したカトリックの カルトジオ修道会の,フランスにあるグランド・シャルトルーズ修道院のことと思われる.そん な彼が,懺悔を聞きながら公爵に例の予言を吹き込みつづけたというのである.  そして彼と共に逮捕され,法廷でバッキンガムに不利な証言をしたのが,公爵家内の秘書官と 懺悔聴聞僧であって,要するに彼らもまた聖職の身である(8) .すると,この陰謀は修道士を通し てローマの意向を受けたものという可能性も考えられる.彼らがみんな陰謀の露見後そのような 証言をしたのは過酷な拷問の結果なのか,それとも別の理由からなのか,テクストはこの点に まったく触れていないが,いずれにしろ,ヘンリー八世とローマとの関係にすでに隙間風が吹き つつあることを観客に感じさせるものである.  はじめは熱心にカトリックを信奉していたと思われたヘンリー八世(9)は,やがてローマと離婚 問題で衝突し,1533 年には,法王クレメンス七世から破門され,その結果バチカンから離れて 自立した英国教会を作り,自らその最高位におさまり,聖俗両方の頂点に就くことになる.そし てその際カトリックを信奉する者を弾圧し,ローマの出先機関として英国内の修道院を徹底的に 破壊していったのである.

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 一方,トマス・ウルジー(1475-1530)は,華麗な名門貴族の血筋を誇るバッキンガムとは対 照的に,一代で自らの力でのし上がった人物である.「牛殺しの倅」(1. 1. 120),「イプスウィッ チの平民野郎」(1. 1. 138)と罵られるように,イプスウィッチの家畜食肉業者の息子であった ようであるが,オックスフォード大学をわずか 15 歳で卒業した秀才であった.この時期の卑し い生まれの者にとって出世の最善の道としての選択肢は宗教界に身を置くことであったと思われ る.1498 年に司祭に叙任され,ウィンチェスター司教リチャード・フォックスの保護を受ける ようになり,そしてヘンリー七世の宮廷付司祭になった.やがて,即位して間も無いヘンリー八 世に認められてすぐ枢密院議員となり,1514 年にヨーク大司教,翌年の 1515 年 9 月には枢機卿 となった.この年の 12 月にはまた,先王時代から重用されていたフォックスの後任として大法 官にもなっている.  外交政策においても,彼は大きな役割を果たしている.1513 年のフランス遠征の成功に大き な貢献をし,すでにふれたように,当時の国際情勢を踏まえて,いわばパワーポリティックスの 調停者としてイングランドの国際的地位の向上に努力し,オスマントルコに対抗すべく英,仏,

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西,神聖ローマ帝国,教皇領の間で 1518 年のロンドン条約(Treaty of London)を成立させ, 1520 年には,第一幕第一場で言及されている,いわゆる「金襴の陣」をプロデュースして,英 仏講和条約の締結を主導した.  他方で,彼は,その一代で大立者になっていく過程で,相当強引な手法を駆使したであろうこ とは想像に難くない.そして手に入れた地位と財力は自らの大豪邸ハンプトン・コートやロンド ン公邸ヨークプレイスに象徴され,その贅沢ぶりと自力で出世した者特有のあくの強さや傲慢さ が,名門貴族たちの怒りと憎悪の衝動を駆り立てることになった.  第一幕第一場で,その怒りと憎悪を代弁するバッキンガムが,彼の罪を並べ立て,さらに私利 私欲のため王国の名誉を売買する謀反人として激しく批難するさなか,その本人自身が通り掛か る形で現れる.権力の象徴である国璽を納めた袋を捧げ持つ侍者を先に立て,数人の護衛と,書 類を持つ二人の秘書官を伴って,これ見よがしの登場である.その書類はバッキンガム家の監督 官が主人を訴え出ている調書であること,そして訴人本人も出頭の用意ができていることを,ウ ルジーは,わずか 5 行の台詞で,聞えよがしに確認する.ここは公爵と枢機卿が直接顔を合わせ る唯一の場であるが,お互いことばを交わすことなく,ほんの一瞬敵意に満ちたにらみ合いの火 花が散って左右に分かれる.しかしながら,ウルジーの方が,権力闘争の舞台では,役者が一枚 上であり,この直後公爵は甥と共に大逆罪で逮捕される.  第二場のはじめのト書きによると,王宮の会議室に,「コルネットの吹奏.王ヘンリー八世が 枢機卿の肩によりかかって登場.貴族たち,サー・トマス・ラヴェルがあとに続く.枢機卿は玉 座の右手に席を占める.」と指示されている.観客はウルジーが王から絶大な信頼を得ているこ と,王に次ぐ権力者であることをまざまざと見せつけられるのである.王が,開口一番,バッキ ンガムの陰謀事件に関しての彼の適切な処理を称え,命の恩人として感謝のことばを述べる.ウ ルジーは,自分の存在をあからさまに否定する急先鋒を抹殺することと,そのことによって王の 信頼をさらに強化するという二重の目論見を見事に達成し,今や王の意思さえ左右するほどの, 権勢の絶頂にあるように見える.  しかし,例の陰謀事件についての証言をさせようとする矢先に,枢機卿にとってはやや頭の痛 い問題が提起される.すなわち,対仏戦費をまかなうためとして全財産の 6 分の 1 を徴収すると いう重税策(10)による民衆の窮状の訴えと,その破棄を求める請願が行われ,さらに王の関知し ないこの重税を課した張本人はウルジーだと王妃が責め立てるのである.王はさすがにこの税の 取り消しと,反抗した者への赦免を命じるが,ウルジーは,黒を白と言いくるめるしたたかさを 発揮して,この王命を取り成したのは自分だと民衆に噂を播くように彼の秘書官に傍らで指示す る.この傍伯は国政を牛耳る彼に対する観客の反感をまねくのに効果的な劇的技法である.した がって,このように狡猾であくどい手口を見せつけられると,彼による様々な否定的所業や策動 が,その真偽はともかく,噂というかたちで観客の心に残る.  第二幕第一場に登場する二人の紳士が,バッキンガム裁判の様子を紹介した後,公爵を陥れる 画策をしたのはウルジーに違いないと言う.その根拠として,すでに公爵の娘婿であるサリー伯

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が新たなアイルランド総督に任命されて官邸から遠く離れた地に追い払われたことがウルジーの 政治的策略の一手だったこと(2. 1. 40-49)を指摘する.  その場の後半では,さらにウルジーの策動の例があげられる.すなわち,噂となっている王と 王妃の離婚問題で,これは,トレドの大司教にしてもらえなかったことでカール皇帝に仕返しを しようとしてその伯母にあたる王妃追い落としを謀った,ウルジーの差し金によるもの (2. 1. 160-166)とする.たしかに,ウルジーは離婚を画策したようであるが,その狙いは,もはや世 継ぎの男子を期待することが困難に思える中,むしろスペイン王であり神聖ローマ皇帝である カール五世の脅威を削ぐためヘンリー八世とフランス王の妹との婚姻による対仏関係強化を計る ことであり,その上でその功績によるさらなる自分の栄達をもくろむことであったと思われる. しかし,もっぱら個人的な恨みを動機にする巷の下世話を紹介しながら,テクストはとりあえず ウルジーの性質(たち)の悪さを我々に強く印象付ける.(実は,王自ら離婚を模索する中,ア ン・ブーリンを見染めて,キャサリンとの別れを決断し,その処理を大法官であり教皇特使でも あるウルジーに依頼したという真相がやがて明らかになる.)  ウルジーの横暴ぶりを物語るエピソードがもう一つ挿入される.第二幕第二場のはじめに宮内 大臣が手にした手紙には,「彼が所望していた数頭の若くて立派な北方産の馬が,国王を除けば 全国民に優先して意志を通す権利があるという枢機卿の命令によって,すべて没収された」とい うことが書かれてあった.この手紙を読みあげた宮内大臣は,「枢機卿のやりそうなことだ.馬 はくれてやろう,/ なにもかも手に入れずにはおかぬ人だ.」(2. 2. 8-9)と吐き捨てるように言 う.しかし,この大臣は,以前,枢機卿主催で開催されるヨークプレイスでの盛大な宴会につい ての話題の中で,逆にウルジーの気前の良さを他の者と共に称えていた.     ラヴェル あの枢機卿は気まえのいい心をおもちですね.    大地のようにゆたかな手で,あまねく恩恵の露を    降り注いでくださいます.   宮内大臣       たしかに高邁なかだだ.    そう言わぬのは,よこしまな心をもつもののみだろう.    (1. 3. 55-58)    しかもこの大臣は,この宴会の幹事役の一人でもあり,枢機卿の意向に忠実であるように見え た.そんな彼がウルジー評価を,その物欲に関して,180 度変えてしまったのである.この物欲 は後にキャサリンによっても示唆される「七つの大罪」(Cardinal sins)のひとつ「強欲」 (covetousness)(11)として認識されるものである.まさに聖職者としてあるまじき大罪である.  この後,ノーフォーク公とサフォーク公も加わってウルジー批判が繰り返される.話題は,苦 悩する王の様子であり,その苦悩の原因として離婚問題が指摘される.これは,しかし,先ほど 述べた前場のスペイン王への枢機卿の個人的恨みといったような市井の噂とちがって,フランス 王の妹との政略結婚を意図するウルジーが,義理の姉と結婚したことに関わる王の良心を激しく

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揺さぶり,その痛みを取り除くために王に,20 年も連れ添いひたすら愛を捧げてきた王妃と離 婚するよう画策しているというものである.ここでもまた,進行する離婚問題はウルジーの策動 の結果に他ならず,まるで,王妃のみならず王もまた被害者のように扱われている.「神が王の お目を覚ましてくださるといいが,長いあいだ / あの悪党にたいしては,眠っていたお目を.」 (2. 2. 40-42)という宮内大臣の台詞は,王はむしろ騙されていたと言わんばかりである.  さらに,ウルジーの腹心と思われるガードナーが国王の新秘書官に任命されていることも明ら かになるが,その前任のペース博士はウルジーの不正に楯突いたことで,不遇の身に落とされ, その後狂死したとされる(12) .  かくして,悪僧ウルジーの恐るべき力と彼に頼りきりな,あるいは,むしろ言いなりのヘン リー王の姿が強く印象付けられる.

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 ただし,このような二人の関係についてのイメージが揺らぐ契機になる箇所も一瞬見える.宮 内大臣が,王は「おそらく,兄上の妻であられたお妃との御結婚が / お心にかかっておられる のでしょう.」ということに対してサフォークが「いや,ちがうぞ,/ お心にかかっているのは, 別のご婦人だろう.」(2. 2. 15-17)と傍白で観客の意識に茶々を入れている.すでに第一幕第四 場で,ウルジーが栄えあるホストとして主催した華やかなパーティーへ余興がてら外国の賓客に 変装して闖入した王がアン・ブーリンをみそめていたことが思い起こされ,キャサリンとの離婚 は王の意思であって,ウルジーの思惑通りではないことが解る.権勢をほしいままに牛耳ってき た横暴で陰険な成り上りのウルジーのイニシアティブに,ほんの少しの陰りが見え始めたのであ る.  第二幕第四場の離婚裁判では,そのことが顕著になってくる.ブラックフライヤーズの大広間 ではトランペットとコルネットの厳かな盛奏のなか,王と王妃,そして二人の枢機卿をはじめ司 教たちや,貴族たちがそれぞれ順々に所定の席を占め,いかにも仰々しい儀式が粛々と進行し, 王国と教会の威厳が誇示される.しかし,ウルジーが「ローマ法王よりの訓示が読みあげられる あいだ,/ 一同静粛にしているよう」(2. 4. 1-2)求めた瞬間,王が,あらかじめ布告してあるの で読みあげる必要はないとして,この手間を省かせている.こうして王は議事進行の出鼻で,自 らの主導権を主張するのであり,かつて厳かに王宮会議室に登場する際にその肩を貸したウル ジーの権威及び彼が象徴するローマの権威がもはや絶対的でないことをうかがわせるのである.  王妃は離婚される筋合いはないと弁明し,ウルジーを王と自分の仲を割こうと焚き付けた張本 人だと断じて,彼に対して裁判官忌避を申し立てる.そして彼の反論を拒否して,結局ローマ法 王に上訴すると言って一方的に退出してしまう.これまたかつてウルジーが王宮会議室で例の 6 分の 1 税問題で王妃に追及されたことを思い起こさせるが,その時の彼は,黒を白と言いくるめ る狡猾で,したたかな悪党ぶりを観客に印象付けた.しかし,今回の彼は,潰された面目の回復

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を王に訴えるのみである.王がウルジーの潔白を断言してやることでこの場を収めるが,もはや 彼はウルジーに頼るというより,頼られる存在であることが見えてきた.二人の関係は逆に転じ 始めたのである.  飛ぶ鳥を落とす勢いであった枢機卿の力は,実は,王の支えがあって初めて成り立つもので あった.第三幕第二場になって,彼が密かに蓄えた莫大な財産の全目録と,王とアンの結婚阻止 のため例の離婚問題の進展を止めるよう要請する法王宛の彼の手紙がたまたま王の手に渡ってし まう.反ウルジー派の面々によって,国事における王権を蔑ろにする彼の越権行為なるものが此 所を先途と並べ立てられ,ついに彼は失脚するが,その時の心境が次のように語られる.   この世のむなしい栄耀栄華よ,おれはおまえを憎む,   おれの心はいま別の世界にむかって開かれたのだ.ああ,   王侯の寵愛にすがって生きる人間のなんとみじめなことか!   われわれがあこがれ求めるほほえみ,王侯たちが見せる   あの甘い笑顔と,彼らがくだす破滅とのあいだには,   戦争や女が与える以上の苦痛と恐怖がある,そのあいだに   落ちこむものは,地獄に落ちるルシファーのように   二度と復活する希望はないのだ.       (3. 2. 365-372)  王の甘い笑顔が永遠に続くと思い込み,それを頼りにうぬぼれて生きてきた自分の生き方が反 省されている.堕天使ルシファーは「七つの大罪」のうちの最悪の高慢(pride)によって地獄 に落ちたのであり,それに喩えて,神に仕える高位聖職者のウルジーが自らを断罪する.王が見 せる甘い笑顔とその後にくだす容赦のない破滅そのものは無常の不条理として受け入れるのみで ある.王その人を怨むことは決してない.  このことは,しかしながら,何もウルジーに限ったことではない.以前の刑場に連行されてい くバッキンガムの台詞(2. 1. 86-94)にも,後の臨終の床にある元王妃のキャサリンの台詞(4. 2. 160-164)にも,王への非難めいた言葉は一切なく,ただ王への気遣いと祝福のことばだけが ある.

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 離婚問題は,市井の噂やキャサリンが主張するような,ウルジーの策謀により生じたことでは な く, と い う よ り, 実 は, ウ ル ジ ー に 係 わ り の 無 い と こ ろ で, 自 分 自 身 で 感 じ た「 良 心 (conscience)」の呵責からくるものであるとして,王がその経緯を語っている.  すなわち,娘メアリーとオルレアン公との縁談が不首尾に終わったのは,亡き兄の妻と結婚し たことに鑑み,フランス側から娘の嫡子としての正当性に疑念が寄せられたことからであり,こ

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のことが王の "conscience" を烈しく苛んだ.そして振り返れば,メアリー以外の5回の懐妊はす べて失敗に終わり,世継ぎの王子の望みが断たれてしまったのは,旧約聖書レビ記 18-16:「あ なたの兄弟の妻を犯してはならない.それはあなたの兄弟をはずかしめることになる.」(13)の 禁忌を犯したことによる神罰だと受け止めるというのである.要するに,王は 20 年以上も忌む べき不正な結婚を続けてきたということになる.ヘンリー七世の長男アーサーはわずか 2 歳のと き(1489 年),これまたわずか1歳のキャサリン・オブ・アラゴンと婚約し,14 歳になった 1501 年 10 月に結婚式をあげたが,六ヶ月後に病死してしまい,残されたキャサリンは次男のヘ ンリーと婚約して,1509 年に結婚する.この時には,スペインとの関係を考慮せざるを得ない ヘンリー七世が教皇ユリウス二世の特別な許可を取り付けたのである.今ヘンリー八世はこの問 題を自分から蒸し返して,つまり,この結婚そのものがそもそも無効なものだと主張しているの である.  ところで,この "conscience" という語はテクスト中全部で 22 回使用されている.その内 4 回 (2. 1. 50, 3. 1. 30, 5. 3. 34, 5. 3. 39)は "O' my conscience" といったような単に強調の意味を表す 常套的な言い回しの一部である.さらに 5 回(3. 2. 327, 3. 2. 380, 3. 2. 397, 5. 1. 24, 5. 2. 74)は 「公正な判断をする正しい心」としての「良心」を指す.もう 1 回(5. 2. 101)は「悪事をとが める良心」を表すが,この場合は,この「良心」を持ちあわせない人物に対する軽蔑が込められ て 使 わ れ て い る. そ し て 別 の 1 回(2. 3. 32) は,「 や わ ら か い し な や か な こ こ ろ 」("soft cheveril conscience")として,本来の淑徳が打算で柔軟化するという皮肉を示唆する.そして 9 回(2. 2. 16, 2. 2. 26, 2. 2. 73, 2. 2. 141(ここでは 2 回繰り返し), 2. 4. 167, 2. 4. 179, 2. 4. 197, 2. 4. 200)は「自分自身を責める宗教的罪悪感」の意味であり,すべて劇前半の第二幕に集中して おり,王の離婚への動機づけになる.ただし,その第二場で触れられるはじめの 3 例は,前述し たように,ウルジーが自身の利益のために王の耳に入れたとされる推測のものであるが,続く繰 り返しの 2 例は王自身のことばで語られており,この推測はその第四場で王自らの説明によって 覆されることになる.結局これらはみな,もともと 「 良心にかけて 」 が転じた常套句も含めて, 善なる正しき心の問題に関わったことばである.しかし,残りの 2 回(2. 2. 16(の後半), 4. 1. 47)は「アンの魅力にひかれる王の心」の意味であり,王が必ずしも 20 数年前のタブーに触れ る良心のうずきにずっと苦悩するのではなく,むしろ世継ぎをもうける可能性を秘めた女の新鮮 なセクシュアリティへの期待をいだいていることを表している.22 回中 2 回というわずかな率 であるものの,同じことばの精神的高邁から肉体的卑俗への意味作用における価値逆転が試みら れている.要するに,この頻出する "conscience" という語は,いずれにしろ,王の離婚への執念 に直接的,間接的に呼応するものになっている.  王の説明によると,彼の "conscience" の苦しみを治してもらうには国中の優れた聖職者や学者 たちの意見に頼らねばならず,そのことを最初にリンカーン司教に相談したところ,裁判による 決着の提案があり,カンタベリー大司教(この時点ではウィリアム・ウォーラム)にその手続き を取ってもらった.そして,出席した聖職者全員の事前了解を得,さらに各人から署名捺印の同

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意書まで取ってあった.まさに,王妃との離婚は,ウルジーの入れ知恵ではなく,王自らの思い からであった.したがって,この裁判は王によって用意周到に準備されたものであったのであ る.それで王妃が途中退席してしまった結果,もう一人の法王代理であるキャンピーアス枢機卿 の裁判延期提案に王も不承不承同意するものの,傍白で次のように言う.       フン,枢機卿どもめ,   おれをいいようにあしらいおる.こおいった   ローマ流ののろくさい権謀術策はだいきらいだ.   博学なるわが腹心クランマーよ,早く帰ってくれ,   おまえが近づいてくることは,おれの慰めが,   やってくることなのだ.      (2. 4. 232-237)    王の信頼はすでにウルジーから完全に離れ,今や最も頼りになるのはクランマーだと言うので ある.  第三幕第一場で二人の枢機卿がキャサリンのもとを訪れ,自ら離婚に同意するよう促すが,王 妃に大悪人の裏切り者と非難され,結局,どうにか一任を取り付けるものの,彼らは王の意思を 伝える単なるメッセンジャーの域を出ない役目を果たしただけであった.そして次の場になると 反ウルジー派の貴族たちが王の不興を買った彼を此所を先途と攻め立てるが,その前に,王の離 婚と再婚に関わる問題を話題にしている.すなわち,王はすでにアンと結婚しており,間もなく 正式な二回目の結婚が公表される見通しであること,また前妃との離婚を強く支持し各国にその 同意の根回しをした功績によりクランマーが新カンタベリー大司教に就任する予定であること. 王は,まさに,ローマ流ののろくさい術策など信用せず,離婚・再婚という自ら設定した既定路 線の上を一気に走ったのである.  王に重用される教会の人間として,クランマーがウルジーに取って代わったように見える.し かし,王とそれぞれの信頼関係の間には大きな違いがある.すでに述べたように,かつてウル ジーの肩に寄りかかって王宮の会議室に登場した王の姿は,二人の間に存在する全幅の信頼性を 印象付けたが,それは同時に,どこか未だ一人前でない王の依存性の強い表象とも解釈できた. しかし,今の王は,自ら思考し,評価し,決断し,実行する自立した人物として現れている.  第四幕第一場において,戴冠式を終えた新皇后アンの絢爛豪華な行列が慣例の順序に従って市 民たちの前を厳かに進み,またその戴冠式そのものの見事な様子も紹介される.そして,第二場 においては,結婚無効が正式に決まり,今や皇太子(ヘンリー七世の長男アーサー)未亡人とな り下がったキャサリンがベッドに横たわり,黄金の仮面をかぶり華麗な衣装や装具を身に付けた 6 人の踊り手による仮面劇の夢を見た後,静かに息を引き取ってゆく.この幕全体は,こうして 壮麗なページェントを連続させながら,去る者と来る者の見事な対比を劇的に示している.アン の戴冠式の行列見物に来た二人の紳士が久しぶりに出会って次のように言っている.

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  紳士2       こないだ出会ったのは    バッキンガム公が判決を受けて帰られるところだったな.   紳士1 そうだった.だがあの日は悲しみに満ちていたが,    今日は喜びでいっぱいだ.       (4. 1. 4-7)  有力貴族であったバッキンガムがいなくなって久しく,また彼を破滅させるのに暗躍したウル ジーも失脚し,さらにそのウルジーとそりが合わなかったキャサリンも臨終の床にある.彼ら は,みんな,ヘンリー七世の代から何らかの形で宮廷に影響を与えてきた人物であり,この第四 幕は,王ヘンリー八世が登場しない唯一の幕であるが,かえってそれ故に,彼のヘゲモニーによ る新時代の始まりを準備するものである(14) .

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 新時代のはじまりの具体的な中身は最終幕で提示される.それは,ローマから独立した英国教 会の確立とその原因でありまた結果でもある王位継承者の誕生である.  延期されていた裁判がカンタベリー大司教クランマー主導で多数の聖職者の参加のもと開かれ て離婚問題が正式に決着したものの,ウィンチェスター司教ガードナーを中心にしたカトリック 保守派の巻き返しも相当なものであった.この司教は,プロテスタントに対してあからさまな憎 悪を示し,ルター派と噂のあったアン(15)の産褥死さえ願い,クランマーには敵愾心を隠さない. そしてついに彼は,枢密院議会にそのクランマーを召喚して,異端の烙印を押して葬り去ろうと 謀る.しかし,その危険を察知した王が,召喚前夜,どれほど非難や中傷を受けても誠実と正直 さえあれば怖いものなしと無邪気に考えるクランマーに難を逃れる策(いざとなれば,王の指輪 をみせること)を講じてやる.感激のあまり涙するクランマーに満足げな王という構図がある. ここには,状況を正確に認識し,的確に判断し,しかも具体的な方途を助言するという優れた指 導者の姿さえ見られる.  翌日の枢密院議会では,召喚されたクランマーが,門前で 30 分も待たされるというあからさ まな嫌がらせを受けた後,ようやく入場を許され,席に着こうとすると,秘書官のクロムウェル の擁護があるものの,ガードナーの意を受けた議員たちから,次々に異端だ,邪教だと非難さ れ,筋書き通り彼のロンドン塔収監が全員一致で決議されてしまう.しかし,そこで例の指輪が 出され,さらに王自身がやおら登場すると,あれほど非難に唱和していた連中は途端に尻込み し,保身の弁明をしだす始末で,状況が大逆転してしまう.そして,王は,とりあえず,ウィン チェスター司教にクランマーとの和解の抱擁をさせてこの場を収める.対立する当事者を手際よ く,しかも両者に有無を言わせず,仲裁させる役割は,権威の重要な属性である(16)  そしてプロテスタントを敵視するガードナーの目論見を頓挫させるや否や,王は誕生したばか りの王女の洗礼における名付け親をクランマーに務めるよう要請する.プロテスタントのカンタ

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ベリー大司教がやがてイングランドの王位を継ぐことになる赤子,すなわち,エリザベス女王の 名付け親になるということは,王国の未来がプロテスタントのもとで歩んでゆくということを意 味する.かくして,ヘンリーは,自らの政治的な権威を誇示したうえに,カトリック勢力の油断 のならない策動をも封じて,ローマと袂を分ったイングランドの新しい時代を切り拓くのであ る.  テクストは,したがって,劇の前半で,ナショナリズムを醸すことに貢献する事柄を様々な形 で組み込むことを怠ってはいない.それらを箇条書きにあげれば以下のようになる.①国内に大 変な経済的負担を強いた「金襴の陣」まで挙行して締結した英仏盟約がフランス側によって破ら れ,ボルドーで英商人の荷が没収される事態(1. 1. 95-96). ②スペイン王でもある神聖ローマ 皇帝カール五世によるウルジー買収疑惑(1. 1. 185-190).③フランスのシャルトルー修道会の 修道僧によるとされるバッキンガムの謀反への扇動(1. 2. 148-150).④フランスかぶれの連中 の異様な風習とその乱れた風紀取り締まりの布告(1. 3. 1-35).⑤離婚裁判開始時にローマ法王 の訓示読みあげを王が省略させたこと(2. 4. 1-5).⑥離婚裁判が延期になって,ローマ風の時 間をかけるやり方に愚痴を言う王の傍白(2. 4. 233-234).⑦ウルジーがラテン語で挨拶するの をキャサリンが遮って,彼に英語で話すよう求めること(3. 1. 41-50).⑧ウルジー失脚の理由 の一つであるローマ法王宛ての離婚裁定延期を求める秘密文書の露見(3. 2. 30-33).⑨ウルジー 追及であげられる罪状の内,蓄財した莫大な財宝をローマ法王に贈って,国全土が破滅の危機に さらされるに至ったという事柄(3. 2. 326-330).  そして同時に留意すべきことは,テクストが,歴史上(つまり,この作品が書かれた 1613 年 には周知の)カトリック信者としての自己の信念を最後まで貫いた二人の人物に,ほとんど触れ ることはないという点である.その一人,トマス・モアについては,失脚直後のウルジーによっ て,世間の噂の話題の中でわずかに語られるにすぎない.モアが後任の大法官に選ばれたことを 紹介するクロムウェルにウルジーは次のように言う.     だがあの男もなかなかの学者だ,どうか末長く   王のご信任を得て,真実のために,良心に恥じぬよう,   職責をまっとうしてほしい.そして人生の旅路を終わり,   祝福されて永の眠りにつくときは,その遺骨の上に   大法官の庇護のもとにある孤児たちが涙を注いで   嘆くようであってほしい.       (3. 2. 394-399)    自分の後任の大法官に就いたばかりのトマス・モアを,学識豊かで,公平無私な立派な法律家 として高く評価し,その職責の完遂への期待を表明しながら,ウルジーは,同時に,彼の惜しま れるべき死に言及している.大法官の職務の一つが孤児や精神障害者の保護であった(17) ことか ら,その職責に誠意をもって取り組んだ結果慕われ,惜しまれる人柄が予言されているのであ

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る.要するに,王に頼って絶頂から奈落に落ちた自己の波乱に満ちた人生に比して,立派な大法 官が立派にその職務を果たして生涯を終えることを期待すると述べているにすぎないように聞こ える.  ウルジーの失脚,すなわち,モアが大法官に就任したのは,1529 年であり,その 5 年後の 1534 年にはイングランド宗教改革の完成を記する国王至上法(首長令= Act of Supremacy)に 断固反対した結果,彼は,反逆罪を問う査問会で有罪とされ,翌 1535 年に 57 歳で公開斬首の刑 に処せられた,という周知の史実をテクストはあえて無視しているかのようである.しかし,わ れわれは,「王のご信任を得て」というところに,幾分アイロニーを感じないわけにはいかない. 実際は,やがて彼が国家の在り様に関わる問題で「王の信任を失う」ことになる.ただし,この アイロニーのほころびを見せはするものの,テクストはカトリックの殉教者(18) としての彼の存 在をほぼ完全に消し去っている.  テクストが無視する歴史上もう一人のカトリックの強固な信奉者はメアリーである.彼女につ いて言及があるのはわずか二ヶ所にすぎない.その第1は王が王妃との離婚を考えるきっかけに なった事柄を説明するくだりである.娘メアリーのオルレアン公爵との縁談にフランス側から彼 女の嫡出性に関してクレームがつき,王自身と兄嫁であった女性との結婚が問題になった.つま り,既述したように,レビ記に反する婚姻は無効であり,その結果,その無効な結婚で生まれた メアリーは庶出と考えられるというわけである.  その第2は今や元王妃となったキャサリンが,自分の臨終に際して,まだ二十歳前の娘の養育 を頼む主旨の王宛の手紙を説明するくだりである.この手紙では,その他に,長い間身の回りの 世話をしてくれた侍女たちや召使いの男たちにも相応の処遇を願うことが記されている.これ は,死に行く母親として,主人として,残される者たちをおもんぱかる,いわば遺書のようなも のであるが,しかし,どこか一般的な配慮の印象を受ける.というのも,固有名詞は一言も無 く,とりわけ,気掛かりな娘の名は呼ばれない.  こうして,メアリーの名は,第1の個所で王の口からたった一度,しかもネガティヴな文脈に おいて,出るだけである.しかし,ジェームズ朝の観客が知っている彼女は,王がアンと出会う までは,世継ぎの王女としてかわいがられていたが,やがて父である王に会うことさえ許されな くなり,腹違いの妹エリザベスの世話係を勤めさせられる屈辱を味わう.そして後にメアリー一 世(在位 1553-1558)として即位すると,彼女はプロテスタント勢力を粛正してイングランドを カトリックに戻すことに執念を燃やすことになる人物である.その犠牲者の一人は,火刑に処せ られたトマス・クランマーであり,第五幕第三場の枢密院議会場で王が,ガードナーと彼を和解 させた時に,「カンタベリー大司教に意地悪してみろ,それでも彼は終生の友でいてくれる」(5. 2. 210-211)という世間の噂を引用していた.実は,この句はジョン・フォックスの『殉教者列 伝』(1563)にあるもの(19)で,この劇の作者が後世の視点から挿入したものと思われる.

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 一方,アン・ブーリンは,1533 年に王妃になってわずか3年足らずで斬首されることになり, その後様々な悪評(野心家で,傲慢で,気まぐれで,王の愛妾のひとりであった妹のメアリー・ ブーリンに比べて美貌が劣り,王妃としての地位を確固とするために近親相姦まで犯して男子を 産もうと試みた(これは,多分に処刑の理由づけにされたように思える)などが語り継がれる(20) ことになる.しかし,この作品に登場する彼女は,清純で,つつましく,王に永く愛され続け, 国民にも絶大な人気のある若くて美しい女性として現れているように見える.  王が彼女を初めて知るのは,彼が,ウルジー主催の晩餐会に,外国の王室からの使節という触 れ込みで仮面をつけて羊飼いの扮装で乗り込んで,ダンスを踊る際である.彼は彼女に一目ぼれ してその手を取る.この時の彼女は,優雅に踊るだけで,一言も口を利くことはない.そこで彼 女はロチフォード子爵トマス・ブーリンの娘で,王妃付きの女官のひとりとして宮廷に上がって いる女性だという素性があかされる.物静かで美しく,宮廷ダンスをたしなみ,家柄も一応貴族 であることで,王が見染めるのにふさわしい女性と確認されるのである.  しかし,王が登場する直前に彼女は,すでに観客の前に姿を表し,声を聞かしてくれている. 着飾った紳士淑女たちが席について華やいだ宴がはじまり,老人ながら座持ち役のサンズ卿が, 女性たちの間に割って入り,アンに軽口をたたいて戯れる箇所がある.   サンズ では,失礼しますよ,ご婦人がた,    少々乱暴な口のききかたをしても許してください,    父親譲りなので.   アン       するとお父様は狂暴なかたでしたの?   サンズ 狂暴も狂暴,特に恋にかけては狂気の沙汰でした,    と言っても咬みつくような狂暴さではなく,一息で    二十回キスするようなものでした.このように.(アンにキスする)         中略      サンズ      赤葡萄酒がご婦人がたの頬を    美しく染めさえすれば,すぐおしゃべりになりますよ,    男どもが口をはさむ隙もないほど.   アン       おすきなのですねえ,    ご冗談が.   サンズ   いや,冗談ではなく,キスも好きですよ.    まずは,お姫様,あなたのために乾杯しましょう,    この杯にこめた私の心はーー

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  アン      お酒のように欺瞞に満ちたもの.  (1. 4. 25-48)    老獪な座持ち役のサンズ卿の面目が躍如としており,座が一気に盛り上がるが,それには,彼 のボケに対するアンの軽妙なツッコミも貢献していると思われる.特に引用の後半部分 6 行にお いては,原文で見ると,例えば 45 行目の 'gamester'(「冗談をいう人」と「卑猥な人」という二 つの意味)や 46 行目の 'make my play'(「キスもすき」=「性的遊戯をする」という意味)な ど,性的含意のことばのやり取りが結構あっけらかんと交わされている.間もなく始まるきらび やかな仮面舞踏会の前座として,ここは楽しくリラックスした雰囲気作りが用意されているにす ぎないと言えるかもしれないが,同時に,その劇的機能を超えて,初登場のアンがただ慎ましく 美しいお姫様だけではないという印象を与えるのも確かだろう.  第二幕第三場になると,アンの淑徳がことさら強調される.彼女は,老婦人相手に,離縁され ようとしている王妃に対する切なる憐憫の情を語り,自分は処女の操にかけて,決して王妃にな んかなりたくないと言う.これに対して老婦人は,自分だったら王妃になるために処女の操なん てさっさと捨てると言ってのけ,彼女の上品ぶった言い方,偽善性を指摘し,財産や王妃の座の 名誉に対してあこがれるのが女心の常と述べる.そしてアンは王妃になるのは世界中の富を積ま れてもいやだとなおも譲らず,さらに王妃の地位はともかく公爵夫人になるのはいかがかと問わ れると,即座に否定して同じ主張を繰り返す.  このディベートにおいては,人生経験豊かな老婦人の現実主義的な本音に抗するアンのうぶな 清純さや身分をわきまえた慎み深さの建前という構図を読み取ることができるが,実は,この対 立する二項はいわばコインの表と裏であり,匿名の老婦人はアンの陰画(ネガフィルム)とも考 えられるのではないだろうか.したがって,あくまで清く正しいアンの姿が観客の支持を得るよ うに見えた途端,王が彼女の淑徳を賛美し,その証としてペンブルック侯爵夫人の称号と年金千 ポンドという地位と財産が贈られることになったという知らせがもたらされ,この「現実」にア ンは当惑を見せながらも,王の好意を喜んで受け入れるのである.老婦人が言うように,この財 産は何千ポンドにも増えるだろうし,侯爵夫人よりももっと名誉ある地位の展望も開けている. この贈答の件を伝えた宮内大臣は,「いずれ / このご婦人から,わが島国を燦然と輝かしめる宝 石が / 生まれ出ないともかぎらぬ.」(2. 3. 77-79)とエリザベス一世誕生の予言をする.そこで 老婦人があきれて次のように言う.      ほうら,どうです.ごらんなさい,   私など十六年も宮廷にいて,頭をさげ続けているのに,   いまだに右や左の旦那様にペコペコしっぱなし,なんとか   お恵みにあずかろうとしても,タイミングがずれてばかり.   ところがあなたは,宮廷という池には新米のお魚なのに,   運命ってひどいいたずらものだこと,あなたがまだ

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  口も開けないうちに餌を与えられるとは!        (2.3.81-88)    人にぺこぺこしながら,16 年も宮廷に仕えて,何ら出世することの無い自分に比して,アン は一瞬にして最高の地位を得ることになるが,その秘訣は,彼女のセクシュアリティそのものだ と言うのである.「新米のお魚さん」の原文は”fresh fish”で,このことばには「若い娼婦」の 意味があり,最後の「口も開けないうちに餌を与えられる」(“have your mouth fill'd up before you open it”)には性的意味が込められていることは明らかである.

 あれほどかたくなに「処女の操にかけて王妃になんかならない」と口では言っていたアンは, 間もなく(第三幕第二場で)明らかになるが,王とひそかに結婚し,やがて懐妊することにな る.こうして,テクストはアンの本音とそれを包む建前の両方をまことに巧妙に描出しているこ とになる.  第四幕第一場では,皇后戴冠式を終えた行列が伝統的次第に則って秩序整然とウェストミンス ターの街路を横切っていくのを見ながら,二人の紳士が参列の名門貴族たちの名を次々とあげる 中,華やかな祝事の大ページェントが展開される.  当然にもそこでの注目の的は,この上なく美しい王妃アンである.彼女に目を留めた紳士2は 次のように感嘆の声を出す.     あんな美しい人はいままで一度だって見たことがない.   いやあ,この魂にかけて言うが,あのかたは天使だよ,   王は全インドの富をその手にされたわけだ,いや,   それ以上だろう,あのご婦人をお抱きになるときは.   王が心を惑わされたのも無理ないな.          (4. 1. 43-47)    無垢な天使のように美しいが,生身のセクシャリティーも魅力なのである.そして,戴冠式を 実際に観てきたばかりの紳士3が,式に臨む彼女の様子を次のように言う.     貴族,貴婦人がたが,きらびやかな潮の流れとなって,   お妃様を聖歌隊席の定めの場所までお連れすると,   引き潮のように遠くへ引きさがった.お妃さまは   しばらく,そう,三十分ほど,その豪華な玉座で   お休みになっておられたが,そのあいだ惜しみなく   美しいお姿を民衆の目にまともにさらしておられた.   いやあ,あんなにきれいな花嫁さんは,この世が   はじまって以来のものだろう.だから,民衆が

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  そのお顔をはっきり拝見できたときの騒ぎときたら,   まるで嵐に会った船の帆綱だ,それぞれが高く低く   さまざまな調子の大声をあげたのだ.と同時に,   帽子も上着も,胴着までもほうりあげた,         (4. 1. 62-73)  30 分も民衆の前に身をさらす彼女の姿は,どこか艶かしく,欲情をそそるよう媚を売る娼婦 のそれに似ていないだろうか.しかも,「あんなにきれいな花嫁さんは,この世がはじまって以 来のものだろう.」という訳文の原文は "she is the goodliest woman that ever lay by man." (「男と寝た最高の女」)であり,アーデン版(第3版)の編者が言うように,この描写にポルノ グラフィックなトーン(21) を聴き取ることは容易である.さらに,このようなアンの性的魅力に 興奮した連中が歓声をあげて,居ても立っても居られず着ている物をすべて脱ぎだしたというの である.したがって,その後戴冠式を終えた彼女が前述した第一幕第四場の王と初めて出会った 宴が催されたヨークプレース(ウルジー失脚後は王の所有となってホワイトホールと改名)に 戻って行ったというのも,暗示的と言えよう. つまり,王の心を惑わした彼女のしたたかさが 皮肉な形で思い起こされるのである.

 8

 第五幕の第一場で王女エリザベス誕生が伝えられ,第二場の終わりでクランマーが名付け親に 指名されてその洗礼式が予告され,最終場でその洗礼式が厳かにかつ華麗に執り行われ,彼女の もとでイングランドの輝かしい未来が予言される.そして彼女の亡き後にも新たな名君が生まれ さらなる名声を得て不動の玉座に燦然と輝くだろうとまで言われる.かくしてヘンリー八世の自 己と王国の両方の自立と繁栄への思いはついに実を結ぶ.  しかし,テクストは,いわば公式の歴史を相対化する視点も挿入する.庶民の喧騒と猥雑な溢 れんばかりのエネルギーがその最終場直前の場で爆発する.場面は王宮の前庭の広場という設定 で,舞台奥で人声と騒音が聞こえる中,門衛とその手下が,洗礼式後に出てくる王侯貴族たちを 見ようと次々と押し寄せる野次馬連中を,棒を振り回して,必死に追っ払おうとしている.この 二人によると,このごろつきどもは「王宮を見世物小屋(22) ,とでも思って」(5. 3. 2)おり,洗 礼式をぜひ見たいというのも「お祝い用のビールとケーキが目当て」(5. 3. 9)である.さらに, 門衛は「妙なインド人(23) がでっかい道具をぶらぶらぶらさげてやってきたっていうのか?女ど もがこんなに押しかけてきたのは?まったく,なんてこった,門前に黒山をなすこの色気ちがい どもは?……今日一日の洗礼式がもとで,一千人の赤ん坊が洗礼を受けることになるだろうぜ, 父親も名付け親もなにもかもそろっているんだからな.」(5. 3. 31-36)と卑猥な話にもっていく. そして,手下が,焼けるような赤鼻の男を殴りつけようとして,傍にいた小間物屋の女将を殴っ てしまい,女将の店の者が 40 人も棍棒を手に攻めてきたところを,なんとか持ちこたえている

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と,いきなりその後ろから餓鬼どもが投石をはじめお手上げになってしまったという,面白おか しく誇張した与太話を披露する.この話に,門衛も,彼らは芝居小屋でリンゴなどを投げつけて 騒ぎを起こす手合いで,あるいはタワー・ヒルの処刑場に集まる野次馬かライムハウスの波止場(24) にたむろするごろつきぐらいしか太刀打ちできない連中であり,監獄にはその仲間がいる,と応じ る.この場では,華やかな王侯貴族たちの表の世界とはかけ離れた,猥雑でエネルギッシュで胡 散臭いが生活感あふれるロンドンの裏の世界が活写されている.  この場は,従来,次の場への準備のために演劇技術上の必要性から挿入される幕間の道化狂言 の二人芝居のような位置づけをされて,しばしばカットされる(25) .しかし,この裏の世界は, 表の世界のパロディーとして重要な異化の視点を提供してくれる.熊いじめの見世物小屋に群が るごろつきたちは,失脚していくウルジーを此所を先途に寄ってたかって責め立てる貴族たちを 想わせる.そして,精力絶倫のいちもつを目指して押しかける女たちの挿話は,数多くの女たち が王の愛顧を求めて近づき,アンだけでなく,さらにもう四人の女たちが王妃になっていく周知 の事実とつながる.また王女の厳粛な儀礼である洗礼式そのものが,庶民の卑俗な,しかし同時 に豊穣な,子作り=セクシュアリティ(性現象)に格下げされる.また,タワー・ヒルの処刑上 に集まる野次馬たちは,処刑そのものを一種の娯楽の対象とみなす連中である.刑場に連行され てゆくバッキンガムの後についていく市民たちは,公爵に同情して涙する者だけとは限らないだ ろう.歴史的に言えば,トマス・モアやクロムウェル,アン・ブーリン,さらには後の王妃のひ とりキャサリン・ハワードなど,ヘンリー八世治下で多くの処刑が行われ,その都度刑場には多 くの娯楽を求める野次馬の歓声があがった(26)  

 まとめ

 この劇は,上演史(27)を顧みれば明らかであるが,大がかりな装置と華麗な衣装と優美な音楽 を特徴にしたページェントや仮面劇を盛り込んだ豪華絢爛たる舞台が,それぞれ時代の風潮や嗜 好に応じて作り出されてきた.たしかにそのような舞台作りに格好の場が多くある.前半では, まず,「金襴の陣」の紹介がある.その後,王宮で開催される荘重な御前会議,ヨークプレース の大広間で繰り広げられる王のサプライズ出席の仮面舞踏会,ブラックフライヤーズの大広間で の王侯貴族,高位聖職者たち列席のもとで開かれる離婚裁判などが催される.次いで後半には, アンが戴冠式を終えて引き上げるウェストミンスターの街上での壮麗な大行列,キンボールトン 城で臨終の床にあるキャサリンが見る幻想に現れる6人の精霊たちによる黄金の仮面劇,そし て,王宮での位階と秩序の荘厳な慣例に則ったとどめのエリザベス王女洗礼式が,次々に舞台の 上で繰り広げられる.これらの場面に,観客は,目を見張り,息をのみ,次いで,大騒ぎして拍 手喝采するかもしれない.言いかえれば,観客はこれらの非日常的な大興奮の体験を半ば羨望の 中で満喫するのである.  しかし,一方でこの劇はやはり権力の所在をめぐる歴史劇である.ただし.他のシェイクスピ

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アの英国歴史劇とは異なって,時代の政治的,宗教的体制の過渡性を色濃く反映し,そしてそれ ゆえに,その体制の正当性をことさら壮大な儀式・儀礼で強化しようとする特徴を持っている.  ランカスター家の系譜にあるリッチモンド伯ヘンリー・テューダーがボズワースの戦い(1485) でヨーク家の国王リチャード三世を破り,ヘンリー七世としてテューダ―朝を開き,星室庁など を利用して反対派の諸侯を抑圧しながら王権強化を図るが,その本格的な統一国家体制の基盤は その息子によって築かれる.18 歳で即位したヘンリー八世は,はじめは,父の代からの有力な 貴族や聖職者に実質的な権勢を好きなように揮わせるものの,やがて,彼らの相互の反目を利用 して次々と失脚させながら王権を強固にし,さらに,自らの離婚・再婚問題を契機にローマ法王 と袂を分って英国教会を創設し,その長にも就任する.すなわち,言わばどこか依存性の強い二 代目のぼんぼんのようであった彼が,自分で決断する一人前の人間として成長し,今や栄光のイ ングランドの到来を確信させる世継ぎの姫君をもうけた立派な国王となる.聖俗両方の頂点に国 王が君臨する絶対王政の成立である.女王のもと,そしてさらにその後のジェームズ一世の代に おいても国家はますます繁栄の一途をたどるとまで,クランマーによって,予言される.     平和,豊穣,慈悲,真実,畏怖という,それまでは   この選ばれた幼き姫君にお仕えしていた召使いたちも,   そのときは新王の忠臣として葡萄の蔓のようにそのお身に   慕いつくでしょう.そして天に太陽が輝くかぎり,   新王の栄誉と名声はますます高まり,そのご威光により   新たに臣下となる国々が続出するでしょう.         (5. 4. 47-52)    ここで言われている 「 新たに臣下となる国々 」 とは,1607 年のジェームズタウン建設に続い て翌年にはじまった新大陸におけるヴァージニア植民のこと(28)と考えられる.  ところで,この作品が書かれた 1613 年は,ジェームズ一世の長女エリザベスがプファルツ選 帝候フリードリッヒ五世と結婚式を挙げた年である.実は前年に彼女より2歳年上の皇太子で国 民的人気も高かった長男ヘンリーが 18 歳で病死しており,その悲しみを掻き消すように大層盛 大な婚礼の儀式を挙行したと想像するのは難くないだろう.そこでエリザベスという同名の王女 の前途への慶祝が重なって,一種のナショナリズムが増幅されるのはまちがいないと思われる. かくしてテクストはこのような『女王陛下万歳』(現在歌われる英国国歌を想起)を奏でる賛歌 を称揚して閉幕するように見える.  しかし,この時期,スコットランドやアイルランドでの度重なる反乱や北部諸公の乱,カト リック勢力のテロ事件(エリザベス女王暗殺計画が摘発されたスロックモートン事件(1583), メアリー・スチュアートが係ったとされる女王暗殺を狙ったバビントン事件(1586),女王に寵 愛されてきたエセックス伯の謀反(1601),さらにジェームズ一世の爆殺を狙った火薬陰謀事件 (1605)),など不穏な大事件が続出している.やがてテューダー朝の黄金時代と称されるエリザ

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