博士(学術)倉田有佳 学位論文題名
来日ロシア人漁業家ビリチの生涯
―流刑の島から大いなる北の海へ一
学位論文内容の要旨
本論文は、サハリン島の元流刑囚という出自にもかかわらず、漁業家として日露戦争 まではサハリン島、日露戦争後はカムチャツカ半島の漁場を舞台に活躍し、人生の最終 段階では 臨時プリ アムー ル政府特 別全権 としてカムチャツカ統治者という大きな権カ を手にす るに至っ た、フ リサンフ ・プラ トーノヴィチ・ピリチという人物の
60年余り の生涯を 明らかに したも のである 。同時 に、ピリチが生きた
19世紀後半から20 世紀初 頭のロシア極東の一面を明らかにするとともに、日本そして日本人との接点も多かった こと か ら 、日 露 関係の従 来あま り光の当 たらな かった側 面をも明 らかに している 。
本論文はビリチという個人に焦点をあてる、いわば伝記的な記述によって、ピリチが 関わった社会や国家の実相を明らかにしようとする立場から書かれている。伝記研究で は、研究対象の生涯を跡づけるだけでなく、研究対象の生涯をその生きた時代の諸相の 中に位置づけることが問われよう。一般に伝記の手法による歴史叙述はその物語性ゆえ に、歴史研究と一線を画することも多いが、本論文は日本の同時代の地方紙や口シア各 地のアーカイブ資料を駆使することで説得的な論旨と密度の濃い内容を展開しており、
また日露両国にまたがる様々な地方を時代とともに渡り歩いた経歴ゆえに、社会史、政
治 史 、 国 際 関 係 史 を 重 層 的 に 展 開 し た 跨 境 史 的 な 作 品 と な っ た 。
ピリチの生涯は三つの章のタイトル「サハリン島」「日本」「カムチャツカ」に大別さ
れるが、より詳しい時期区分は次のような地域の連鎖でもあった。すなわち、第一に出
身地としての帝政口シア南西部ヴォルイ二県の農村であり、第二に流刑囚として、のち
元流刑囚 の漁業家 として 過ごした サハリ ンであり、第三に20 世紀初頭口シア領事館の
建設用地の売買契約者となった函館、日露戦争で捕虜となったために収容所で過ごした
弘前であり、第四に日露戦争後に参入し成功を収めた事業展開の現場カムチャツカであ
り、第五 に革命・ 内戦初期における事業展開の本拠地ウラジオストクであり、第
6に内
戦末期に 臨時プリ アムー ル政府特 別全権 として派遣された政治の舞台カムチャツカで
あり、そして最後に内戦終結の直後に反革命分子として逮捕・処刑されるウラジオスト
クである。本論文は、このように波乱に富んだピリチの生涯を、各時期におけるその内
面的葛藤にまで踏み込んで論じると同時に、彼が過ごした地域、遭遇した場面、直面し
た問題の具体相において見定める、という伝記研究の手法を一貫してとっており、この
点 に 本 論 文 の 大 き な 特 徴 が あ る 。
第 一 章 「 サ ハ リ ン 島 」 で は 、 ピ リ チ の 誕 生 か ら サ ハ リ ン 流 刑 ま で を 前 史 と し 、 流 刑 地 に 送 ら れ る1880年 代 前 半 か ら 、1911年8月 に サ ハ リ ン 南 部 の ピ リ チ の 漁 場 に 対 す る 補 償 問 題 が 解 決 す る ま で の 問 の ピ リ チ と サ ハ リ ン 島 と の 関 わ り に つ い て 、 「 流 刑 地 サ ハ リ ン 」 「 サ ハ リ ン 島 で 迎 え た 日 露 戦 争 」 、 「 戦 時 中 の 補 償 請 求 ピ リ チ に と っ て の 日 露 戦 争 」 の 三 つ の 視 点 か ら 明 ら か に し て い る 。 第 一 節 で は 、1880年 代 前 半 か ら 日 露 戦 争 が 勃 発 す る1904年2月 ま で の 約20年 間 に 焦 点 を 当 て 、 ピ リ チ が サ ハ リ ン 島 の 流 刑 囚 か ら 元 流 刑 囚 と な り 、 金 持 ち の 漁 業 家 と な っ て い く 過 程 を 明 ら か に し た 。 第 二 節 で は 、1904年2 月 の 日 露 戦 争 開 戦 か ら1905年7月 に ピ リ チ が サ ハ リ ン 島 で 捕 虜 と な る ま で を 明 ら か に し 、 ピ リ チ に と っ て の 日 露 戦 争 に つ い て 検 証 し た 。 第 三 節 で は 、 戦 後 ロ シ ア に 帰 還 す る と 、 プ リ ア ム ー ル 総 督 府 や 漁 場 の 入 札 等 の 問 題 を 所 管 す る プ リ ア ム ー ル 国 有 財 産 局 が 置 か れ て い た ハ パ 口 フ ス ク 市 に 居 住 し 、 戦 時 中 、 作 戦 上 焼 失 さ せ ら れ る な ど し た 資 産 の 賠 償 を ロ シ ア 政 府 に 求 め 、 日 本 政 府 に は 失 わ れ た 漁 場 の 補 償 を 求 め る 過 程 を 明 ら か に し た 。 第 二 章 「 日 本 」 で は 、 「 弘 前 の 口 シ ア 人 捕 虜 収 容 所 」 、 「 ロ シ ア人 子 女 の 日 本で の 教 育 」 、
「 函 館 の 口 シ ア 領 事 館 建 設 」 の 三 つ の 視 点 か ら 、 来 日 口 シ ア 人 と し て の ピ リ チ の 側 面 や ピ リ チ 一 家 の 日 本 と の 接 点 を 明 ら か に し た 。 第 一 節 は 、 サ ハ リ ン 島 で 日 露 戦 争 の 捕 虜 と な っ た ピ リ チ が 、1905年8月 か ら12月 ま で の4力 月 聞 過 ご し た 弘 前 の ロ シ ア 人 捕 虜 収 容 所 生 活 を は じ め 、 ロ シ ア 人 捕 虜 と 弘 前 市 民 の 交 流 の 実 相 を 浮 き 彫 り に し た 。 第 二 節 で は 、 日 露 戦 争 前 後 、 ビ リ チ の 長 女 ・ 長 男 ・ 次 男 の3人 が 、 日 本 ( 東 京 ) の カ ト リ ッ ク 系 修 道 院 付 属 寄 宿 学 校 に 通 っ た 事 実 に つ い て 触 れ る と と も に 、 ピ リ チ の 子 ど も 以 外 に も 、 サ ハ リ ン の 流 刑 囚 の 子 女 の 可 能 性 も あ る ロ シ ア 人 子 女 た ち 十 数 名 が 日 本 ( 横 浜 ) の 寄 宿 学 校 で 学 ん で い た と い う 事 実 に 着 目 し た 。 第 三 節 で は 、 新 た に20世 紀 初 頭 に 函 館 に 建 設 が 決 ま っ た ロ シ ア 領 事 館 の た め の 用 地 獲 得 か ら は じ ま る 領 事 館 建 設 、 そ し て 帝 政 口 シ ア 時 代 最 後 の 領 事 と な っ た レ ベ デ フ に つ い て も 言 及 し た 。
第 三 章 「 カ ム チ ャ ツ カ 」 で は 、 漁 業 家 と 政 治 家 と い う 全 く 異 な る 立 場 で カ ム チ ャ ツ カ に 関 わ っ た ピ リ チ を 描 い た 。 第 一 節 で は 、 「 サ ハ リ ン 島 の 元 流 刑 囚 」 と い う く び き か ら 解 放 さ れ 、 カ ム チ ャ ツ カ の 雄 大 な 自 然 の 中 で 自 己 の カ を 最 大 限 発 揮 し 、 こ れ ま で に な い 充 実 感 を 味 わ う ピ リ チ の 姿 や 、 黄 金 時 代 を 迎 え た デ ン ピ ー 商 会 に つ い て 、 主 に 同 時 代 人 の 回 想 を 基 に 明 ら か に し た 。 第 二 節 で は 、1917年 の ロ シ ア 革 命 勃 発 直 後 か ら1921年5 月 に 、 メ ル ク ー 口 フ が 政 変 で 臨 時 プ リ ア ム ー ル 政 府 を 樹 立 す る ま で を 通 史 的 に 概 観 し た 。 第 三 節 お よ び 第 四 節 で は 、 革 命 後 、 カ ム チ ャ ツ カ か ら ウ ラ ジ オ ス ト ク に 移 り 住 み 、 商 売 に 従 事 し て い た ピ リ チ が 、 オ ホ ー ツ ク ・ カ ム チ ャ ツ カ 地 方 臨 時 プ リ ア ム ー ル 政 府 特 別 全 権 と し て 再 び カ ム チ ャ ツ カ に 赴 き 、 施 政 に 携 わ る も の の 、 結 局 は 失 権 し 、 ウ ラ ジ オ ス ト ク で 革 命 軍 に よ っ て 銃 殺 刑 に 処 さ れ 、 生 涯 を 終 え る ま で の 過 程 を 描 い た 。 カ ム チ ャ ツ カ は 、 ピ リ チ の 理 想 や 夢 を 実 現 さ せ る に ふ さ わ し い 場 所 で あ っ た か も し れ な い が 、 ピ リ チ は 政 治 家 と し て の 手 腕 を 発 揮 す る こ と は な か っ た 。
‑ 12―
学位論文審査の要旨 主 査 教授 岩下 副 査 教授 望月 教授 白木沢 原
学 位 論 文 題 名
明裕 哲男 旭児
暉之(本学名誉教授)
来日ロシア人漁業家ビリチの生涯
一 流 刑 の 島 から 大 いな る 北 の海 へ ―
本 論 文 は 平 成23年3月31日 に 提 出 さ れ た 。 本 論 文 の 審 査 委 員 会 は 、 平 成23年4月15日 に 発 足 し 、 同 日 に 第1回 、 平 成23年5月9日 に 第2回 の 審 査 委 員 会 が 開 か れ 、 論 文 内 容 の 検 討 な ど が 行 わ れ た 。 平 成23年6月2日 に 公 開 の 口 頭 試 問 が 実 施 さ れ , 同 日 の 第3回 審 査 委 員 会 に お い て 、 学 位 授 与 の 判 定 が な さ れ た 。 審 査 結 果 報 告 書 の 作 成 の た め 、 第4回 と 第 5回 の 審 査 委員 会 が 平 成22年6月2日 〜6月3日に 開 か れ た 。
ま ず 審 査 で は 、 本 論 文 の 史 料 面 で の 特 徴 を 中 心 に 次 の よ う に 評 価 し た 。 本 論 文 は 、 日 本 の 同 時 代 の 地 方 紙 や 口 シ ア 各 地 の ア ー カ イ ブ 資 料 を 駆 使 す る こ と で 、 一 次 資 料 や 同 時 代 文 献 を 丹 念 に フ オ ロ ー し て お り 、 こ れ ら を 通 じ て ( と く に 革 命 期 の カ ム チ ャ ツ カ な ど ) 旧 来 の 研 究 史 の 空 白 を 埋 め て い る 。 ま た 、 サ ハ リ ン 島 の 元 流 刑 囚 と い う 出 自 に も か か わ ら ず 、 漁 業 家 と し て 日 露 戦 争 ま で は サ ハ リ ン 島 、 日 露 戦 争 後 は カ ム チ ャ ツ カ 半 島 の 漁 場 を 舞 台 に 活 躍 し 、 人 生 の 最 終 段 階 で は 臨 時 プ リ ア ム ー ル 政 府 特 別 全 権 と し て カ ム チ ャ ツ カ 統 治 者 と い う 大 き な 権 カ を 手 に す る に 至 っ た 、 フ リ サ ン フ ・ プ ラ ト ー ノ ヴ ィ チ ・ ピ リ チ と い う 人 物 の60年 余 り の 生 涯 を 伝 記 と い う ユ ニ ー ク な 手 法 に よ り 、 ロ シ ア 及 び 日 本 の 社 会 や 国 際 関 係 の 諸 断 面 を 浮き 彫 り に し た画 期 的 な 作 品 であ る 。
次 に 、 審 査 で は 本 論 文 の 独 自 性 や 学 問 的 貢 献 に つ い て 審 議 を 行 い 、 次 の よ う に 整 理 した 。 第 一 に 指 摘 す べ き こ と は 、 ピ リ チ と い う 人 物 を 通 し て 、 日 露 戦 争 中 に 元 流 刑 囚 の 果 た し た 役 割 な ど を 明 ら か に し た こ と に よ り 、 サ ハ リ ン 史 の 中 で 流 刑 囚 を 再 評 価 す る き っ か け を 提 示 し た こ と に あ る 。 既 に 、 サ ハ リ ン 国 立 大 学M.Lイ シ チ ェ ン コ の よ う に 、2007年 に 発 表 し た 著 作 の 中 で 、 個 々 の 流 刑 囚 の 足 跡 も サ ハ リ ン 史 の 一 部 と の 考 え か ら サ ハ リ ン 史 を 描 く こ と を 試 み 、ピ リ チ に つ いて も 、 「 流刑 囚」 、「金 持ちの 漁業者 」、「 日露 戦争中 の義勇 兵隊長 」 の 三 つ の 特 徴 を 有 機 的 に 結 び っ け な が ら 言 及 し た 歴 史 研 究 者 も い る 。 し か し 今 後 は 、 流 刑
―13―
囚 の 視 点 か ら 帝 政 期 サ ハ リ ン 史 を 見 直 し 、 日 露 戦 争 を 一 流 刑 囚 の 視 点 で 捉 え 直 す こ と も 必 要で あり 、 本論 文が 果 たす 役割 は 大き い。
第 二 に 、19世 紀 末 か ら20世 紀 初 頭 の サ ハ リ ン 島 南 部 あ る い は カ ム チ ャ ツ カ で の 漁 業 に っ い て は 、 こ れ ま で の 研 究 で は 、 日 本 人 漁 業 者 の 視 点 か ら 語 ら れ る こ と が 多 か っ た 。 本 論 文 で は 、 口 シ ア 人 の 、 し か も 元 流 刑 囚 漁 業 家 の 視 点 か ら 問 題 を 捉 え た こ と が 新 し い 。 第 三 に 、 本 論 文 は こ れ ま で 日 本 で は 研 究 さ れ て こ な か っ た 、 内 戦 期 の カ ム チ ャ ツ カ 問 題 に 焦 点 を 当 て 、 こ の 分 野 で の 研 究 を 一 歩 進 め た こ と で あ る 。 口 シ ア に お い て は 近 年 、 地 元 の 研 究 者 に よ っ て 、 郷 土 史 研 究 の 枠 内 で 内 戦 期 の カ ム チ ャ ツ カ に つ い て 研 究 が 行 わ れ て き て い る 。VP. プ ス ト ヴ ィ ト の よ う に 、 ソ 連 時 代 そ し て ソ 連 崩 壊 後 も 長 い 間 空 白 と な っ て い た 郷 土 史 研 究 は 、 地 元 研 究 者 の 手 に よ っ て 進 め な け れ ば な ら な い と の 考 え の も と に 未 公 開 史 料 を 駆 使 し て 長 文 の 論 文 を 発 表 し て い る 研 究 者 も い る 。 し か し 、 日 本 で は 、 内 戦 期 の カ ム チ ャ ツ カ 研 究 は 進 ん で お ら ず 、 内 戦 期 の カ ム チ ャ ツ カ 政 情 全 般 に つ い て 概 観 し た 研 究 は 、 本 論 文 が 初 め て の 試 み で あ る 。 ま た 、 本 論 文 で 取 り 上 げ た 臨 時 プ リ ア ム ー ル 政 府 特 別 全 権 ピ リ チ 統 治 下 の カ ム チ ャ ツ カ 情 勢 に つ い て は 、 カ ム チ ャ ツ カ の 研 究 者 に よ る 先 行 研 究 や 同 時 代 の ロ シ ア 人 の 論 考 の み な ら ず 、 帝 国 海 軍 が 取 り ま と め た 報 告 書 や 日 本 外 務 省 の 記 録 な ど 、 日 本 側 史 料 も 交 え て い る た め 、 カ ム チ ャ ツ カ の 研 究 者 の 参 考 に な り 、 こ の 点 で も 貢 献 して いる と 言え よう 。
第 四に 、 ピリ チの 生 活拠 点は 、 「サ ハリ ン 」、 「函 館 」、 「弘 前 」、 「ウ ラ ジオ スト ク 」、「カ ム チ ャ ツ カ 」 と 、 数 か 所 に 及 ん だ が 、 そ れ ら は 主 と し て 「 漁 業 」 と い う キ ー ワ ー ド で ー つ に 結 ば れ て い た 。 し か し 、 . こ れ ま で の 口 シ ア で の ピ リ チ 研 究 で は 、 そ れ ぞ れ の 地 域 の 郷 土 史 家 が 、 自 分 の 地 域 と 関 わ る 中 で 問 題 を 明 ら か に し て き た に 過 ぎ な か っ た 。 本 論 文 は 、 個 々 の 地 域 で の ピ リ チ の 足 跡 を ー っ に ま と め た も の で 、 初 め て の ピ リ チ 研 究 で あ る が 、 同 時 に 、 こ れ ら の 「 北 の 海 」 が ー つ の 生 活 圏 、 そ し て 経 済 圏 と し て 存 在 し て い た こ と を 、 ビ リ チ と いう 一人 の 人物 の生 涯 を通 して 証 明す るも の であ る。
以 上 の 審 査 の 結 果 、 本 審 査 委 員 会 で は 一 致 し て 、 申 請 者 に 博 士 ( 学 術 ) の 学 位 を 授 与 す るこ とが 妥 当で ある と の結 論に 達 した 。
―14―