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間教育学コース

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(1)

日本絵 本 史 に お け る光吉 夏 弥の 果 た した役 割 一海外絵本の翻訳か ら評論ヘー

甲南女子大学大学院   人文科学総合研究科   博士後期課程 心理・教育学専攻

(人

間教育学コース

)

学 籍 番 号

 4609001

Lヽ

4o3539

氏 名

 

生駒 幸 子

(2)

 

目次

は じめに

1章  

光吉夏弥の人物像 と年譜・ 業績 ……… 8

1.光

吉業績の時代区分 ……… 8

2.人

物像 と年譜 .… ……… 11

3.業

績一覧 ………・16

2章  

第I期前期一一 戦 中

 

児童文化統制期 (1942〜1945年

).…

……….・ 38

1.翻

 

『 花 と牛』 (1942)『フタゴノ象 ノ子』

(1942).…

……… 38

2.評

.… ……… 51

(1) 

「翻訳者の反省」『少国民文化』 (1943.1)

(2) 

「絵本の世界」『生活美術』 (1943.9)

3.第

I期前期のま とめ .… ……… 62

(1)海

外絵本の翻訳の試み一一 く岩波の子 どもの本〉前史

(2)児

童文化統制 と光吉夏弥

3章  

第I期後期一一戦後

 

占領期 (1945〜1952年

)…

………・

1.翻

訳 ………・

(1) 

『た くさんのお月さま』 (1949)

(2) 

『エブラハム・ リンカーン』 (1950)

2.評

.… ………

(1) 

「最近のアメリカの児童図書‑1941〜1949」 『新児童文化』 (1950.9)

(2) 

「児童文学」『児童百科事典10』 (1952.12)

3.第

I期後期のまとめ一― 占領期における翻訳絵本の出版 .… ………

(3)

4章  

第 Ⅱ期一一 〈岩波の子 どもの本

)の

時代 (1953〜1968年

).…

……….109

1.翻

訳 ………・109

(1)岩

波書店 く岩波の子 どもの本〉

1‑『

ちび くろ・ さんぼ』 (1953)

(2) 

岩波書店 く岩波の子 どもの本〉

2‑『

ひとまね こざる』シ リーズ (1954‑68)

(3)岩

波書店 〈岩波の子 どもの本

)3‑『

はなのすきなうし』 (1954)

2.評

論 ………・149

(1) 

「英米の児童文学賞」『読書指導講座第9巻 (1955)

(2) 

「子 どもの本の世界」『週刊読書人』 (1968.3‑684)

3.第

Ⅱ期のまとめ一一新 しい絵本観の誕生.… ………155

5章  

第 Ⅲ期一絵本評論の本格化 (1969〜 1990年

).…

………・178

1.翻

.… ……… 178

(1) 

『 ガンピー さんのふなあそび』 (1976)

(2) 

『大きいツ リー小さいツ リー』 (1977)

(3) 

『ひとまね こざる』 シリーズ6冊の大型絵本化 (1983‑84)

2.評

.… ……… 198

(1) 

「子 どもの本の世界か ら」『子 どもの館』 (1974.7‑80.7)

(2) 

「絵本の世界」『 月刊絵本』 (1974.9‑77.5)

(3) 

「絵本の世界か ら」『絵本のたの しみ』 (1984.4‑85.3)

3.第

Ⅲ期のま とめ.… ……… 219

(1) 

絵本翻訳の変遷一一 右開き縦組み

"へ

の組み直 しか ら、

 

原書主義

"ヘ (2) 

絵本研究への挑戦一一文献調査にもとづ く絵本評論

おわ りに一一 日本絵本史における光吉夏弥の果た した役割.… ……… 227 引用・ 参照文献

 .…

……… 233 初出一覧

 

………・239

(4)

は じ め に

現在 、絵本 は 「絵 と言葉 で成 り立つひ とつの物語の世界」 とい う共通理解 を得 て、

子 どもだ けで はな く世代 を超 えてひ ろ く親 しまれ てい る。 絵本 につ いて書 かれ た入 門・啓蒙書、理論 。研 究書、保 育や教育実践 の現場 での報告書 な ども、おびただ しい 数 にのば る。教材 として、芸術 としてな ど、見方 は さま ざまであるが、絵本 は、現代 日本 において漫画や アニメー シ ョン と並ぶ、今や市民権 を獲得 したひ とつの文化 、ひ とつの芸術 であるこ とはまぎれ もない事実であろ う。

日本 において絵本 の表現 、印刷 技術 において も絵本 が大 きな文化 的発展 を遂 げたの は、戦後 の岩波書店 に よつて発刊 され た (岩波 の子 どもの本

)が

起源 だ といわれ てい る。 では、 どの よ うな意味 において、(岩波の子 どもの本

)は

新 しい時代 を象徴す る絵 本群 だつたのだろ うか。本研 究では、 〈岩波 の子 どもの本

)の

制作 にかかわつた光吉夏 弥 とい う人物 に光 を当て、その業績 をた ど りなが ら、戦 中か ら戦後へ と展 開す る 日本 絵本 の歴史 を紐解 いてみたい。

1.研

究 の 目的

本研究の 目的は、戦 中・戦後 に児童書の翻訳者 として活躍 した光吉夏弥 (みつ よ し 。 なつや

 1904〜 1989年 )の

児童書 に関わ る全業績 (翻訳、評論

)を

調査 し、その うち 絵本 にかかわ る業績 を検討す ることに よ り、光吉が 日本絵本史 において果た した役割

を明 らかにす ることである。

光吉は、戦後 の絵本 の出発点 となつた 〈岩波の子 どもの本

)絵

本 シ リーズ (以下 (子

どもの本

)と

略記

)を

石井桃子 らと共 に編集・翻訳 した人物 である。(子どもの本

)シ

リーズは多 くの海外絵本 を含 んでいた。 これ らの海外絵本 は翻訳 され て、 日本 に新 た な絵本観 をもた らした点で絵本 史上、高 く評価 され てい る。 この (子 どもの本

)シ

リ ーズで翻訳 され た海外絵本 のほ とん どが、実 は光吉の蔵書か ら原書提供 され た ものだ つた とい う。

光吉は戦 前か ら海外絵本や関係文献 を蒐集 してお り、洋書 コ レクター として もよ く 知 られていた。戦前 か ら新 聞記者 、舞踊・写真 の評論家 とい う多彩 な顔 を持つ人物 で あつたが、戦 中・戦後 は児童書の編集・ 翻訳 に尽力 した。お もな翻訳絵本 に、『 ちび く ろ 。さんぼ』、『 ひ とまね こざる』 な ど長年読み継 がれ る作品がある。

(子どもの本)に代表 され る光吉の戦後の業績 はよく知 られ 、絵本史 において も種 々 の評価 がな され てい る。 しか し、戦 中の業績 は これ まであま り取 り上 げ られ るこ とが なか った。筆者 は光吉の戦 中の業績 のなかに、戦後 に華 々 しく開花 した 日本 の絵本文 化 につなが る手がか りがあ るのではないか と推測す る。 つま り、光吉は戦 中か ら戦後 へ と続 く児童書出版 を解 き明かす数少 ないキーパー ソンの一人なのではないか。

けれ ども光吉の経歴・人物像及 び業績 に関す る手がか りは極端 に少 な く、謎 に包 ま れ てい る。 そ こで本研 究では、戦後絵本史の出発点 を探 るべ く、光吉の児童書 に関わ る全業績 (翻訳 。評論

)を

調査 した うえで、 この うち特 に絵本 にかかわ る業績 に焦点 を絞 り、 日本絵本史 において光吉業績 の果 た した役割 を明 らかにす る。

‑1‑

(5)

2.研

究の方法

次 に本研 究の研 究方法 について述べ る。絵本 の歴史研 究 とい う性質上、本研 究の方 法 は文献調査 とす る。光吉が編集 、翻訳 、執筆 を手掛 けた書籍 、雑誌記事、評論、エ ッセイ な どを第一次文献 として取 り扱 う。 光吉の業績 の評価 、業績 の裏付 け となる資 料等 を第二次文献 とした。 なお、絵本史 に関す る先行研 究 は少 ないため、児童文化・

児童文学研 究の先行研究 も参照 した。

研 究の手順 としては、時代 区分 によつて業績 を分類 し、各期 の業績 を検討 した。 そ の際、光吉業績 を考察す るにあた り独 自の時代 区分 を設 けてい る。 これ は、 〈岩波の子 どもの本

)出

版 を分水嶺 とす る以下

4つ

の時代 区分 である。光吉業績 を考察す る際の 時代 区分の妥 当性 については、第

1章 1に

おいて説 明す る。各期 の業績 を大 き く翻訳 と評論 に分類 し、それぞれ の時代 区分 に代表 的な業績 の特徴 と絵本 史上の役割 を考察 す る。各期 にお ける業績の特徴か ら、光吉業績 の全体像 を とらえることが可能 になる。

以上の手順 に よ り、 日本絵本史 において光吉業績 がいかな る役割 を果 た したのか検討 す る。

《時代 区分 》

第 I期前期 :1942〜 1945年

 (岩

波 の子 どもの本〉 出版 以前一 戦 中

 

児童文化統制期 第I期後期 :1945〜 1952年

 (岩

波の子 どもの本〉 出版 以前一 戦後

 

占領期

第 Ⅱ期

  :1953〜

1968年

 (岩

波の子 どもの本〉 出版 時代

第 Ⅲ期

  :1969〜

1990年

 

岩波の子 どもの本

)出

版 以降、最終業績 まで

3. 

本研究 にお ける術語の整理

本研 究 は児童文化領域の術語 を採用す るが、手続 き上、説 明が必要だ と思 われ る術 語 の定義 を述べてお く。

① 「児童書」 とは、児童文学、絵本 、紙芝居 、おはな しな ど、児童 向けに出版 され た本 の総称 とす る。

② 「絵本」とは、絵 (写真 も含む)と詞 (こ とば

)で

構成 され る書籍体の出版物 (紙 芝居・ コ ミックは含 まない

)と

す る。 なお、絵本 の絵 は挿絵的な ものではな く、

言葉 。文章テ キス トと補完的に働 いて物語 を構成す るものである。

③ 「絵本 の翻訳」は、選書 と編集 を も作業 を含む もの とす る。戦前か ら戦後間 もな い時期 は、絵本 を翻訳す る際、本 を作 り上げてい く細かな作業 は未分化であ り、翻 訳者 にすべて委ね られてい ることが多かった。

翻訳絵本 における選書 とは、重要な前置 き となる作業である。つ ま り選書 とは、

「何 を翻訳す るのか」とい うことである。そ して翻訳 とは「どのよ うに翻訳す るの か」とい うことである。翻訳 には純粋 に文章のみ を翻訳す ることの上 に、さらに造 本 、デザイ ンやページの レイア ウ トを整 えた りす る作業 も含 まれていた。海外絵本 の翻訳 をお こな うとき、翻訳 とは純粋 に絵本 の文章 を翻訳す る作業の うえに、選書 か ら編集 までが含 まれていた ことになる。

(6)

分か り易 く説 明す る と、例 えば 〈岩波 の子 どもの本

)の

海外絵本 の翻訳 での作業 が挙 げ られ る。選書 とは、数 あ る海外絵本 のなかか ら、翻訳 に適 した一冊 を選ぶ こ とである。翻訳 のなかの編集 とは、 左 開 き横組み

"で

ある海外絵本 の原書 を、 右 開き縦組み

"に

組み直す ことであ り、物語 の進行方 向が逆方向にな るために絵 を逆 版 に した り、絵 を分解 して再構成 した り、絵 を描 き加 えて レタ ッチす る等 の作業 も 含 まれ ていた。

④ 「翻訳」「抄訳」「翻案」は厳密 には意味が異なるが、ここでは 「翻訳」全般 とし て取 り扱 う。「抄訳」とは原文の一部 を抜 き出 して翻訳す ることであ り、「翻案」と は、前人 の行 なつた事柄 の大筋 を真似 て細 かい点 を変 えて作 り直す こと、特 に小 説 。戯 曲な どについてい う (『広辞苑第

6版

岩波書店

 2008年 )と

、それぞれ 定義 されてい る。

児童書の翻訳 にお いては、原 書が完訳 され始 めたのは戦後の ことである。とくに 戦後 の著作権概念 の確 立期 までの翻訳 に関 しては、何 を原書 としたのか も不明であ つた りす る。「翻訳」「抄訳」「翻案」 と特定の翻訳方法 をできない ことも多い。 こ のため本研 究では、「翻訳」を 「抄訳」「翻案」を含 めて と大 き くひ とくくりに して 取 り扱 う。

4.先

行研究

光吉の業績 、人物像 な どに関す る文献 は極端 に少 ないのが現状 であるが、敢 えて先 行研 究 として挙 げ られ るものは、以下の とお りである。先行研 究 を年代順 に列挙 し、

説 明を加 える。

主要先行研 究一覧

1.瀬田貞二 「英米児童文学を 日本は どうとりいれたか

 4.昭

和前期」瀬 田貞二 〇 猪熊葉子・神宮輝夫編『 英米児童文学史』研究社出版

 1971年

(pp.34‑45) 2.永

田桂子「四、 玩具論から絵本論が分かれる

(二)絵

本論が沸きたつ」

(pp.118‑154)

/「 五、

[現

]玩

具論、絵本論が反映 (二 )絵本論が氾濫」

(pp.180‑210) 

『絵 本観・玩具観の変遷』高文堂出版社  1987年

3.犬

飼和雄 「光吉夏弥」日本児童文学学会編『児童文学事典』東京書籍  1988年

(p.727)

4.定松正 「光吉夏弥」大阪国際児童文学館編『 日本児童文学大事典

 

第二巻』大 日 本図書 1993年 (pp.184‑185)

5.三宅興子 「第

5章

「こどもの とも」にみる外国絵本の影響 :第 1節

 

外国絵本の

受容」『 日本における子 ども絵本成立史― 「こどもの とも」がはた した役割』 ミ ネル ヴァ書房

 1997年

(pp.224‑235)

‑3‑

(7)

6.川勝泰介 「

絵本研究試論

 

二、絵本研究史考 :三

 

「絵本の世界」における 光吉夏弥の絵本観、四

 

絵本研究 しにおける一仮説」『 児童文化学研究序説』千 手閣

 1999年

(pp.20野216)

7.石川晴子 「第 15章

 

翻訳絵本の十五年間―西か ら東か ら」鳥越信編『 は じめて 学ぶ

 

日本の絵本史 Ⅱ』 ミネル ヴァ書房

 2002年

(pp.272‑288)

8.藤 本朝 巳 「第 18章

 

絵本研 究」鳥越信編『 は じめて学ぶ

 

日本 の絵本史Ⅲ』 ミ ネル ヴァ書房

 2002年

(pp.353‑366)

9.石川晴子「第

2章  

占領下の翻訳絵本―アメ リカか らの新 しい絵本の波」鳥越信 編『 はじめて学ぶ

 

日本の絵本史Ⅲ』 ミネル ヴァ書房

 2002年

(pp.36‑57)

10。 近藤昭子 「第

4章  (岩

波の子 どもの本

)の

新 しさと時代による限界」鳥越信 編 「は じめて学ぶ

 

日本の絵本史3」 ミネル ヴァ書房

 2002年

(pp.81‑106) 以上の先行研 究の うち、

3及

4は

事典の事項であ り、

6以

外 の文献 は、全て絵本史 の一部分 を論 じるなかで、光吉の業績 に数行 に及ぶ記述 があ る程度 の ものである。 そ のほ とん どが光吉の (岩波 の子 どもの本

)で

の編集 ・翻訳 に言及 した ものである。 し か し、 どの文献 において も、論者 は光吉の働 きを戦後 の絵本 史 に新 たな潮流 をもた ら した として評価 してい る。 ただ し、光吉の どの業績 に どの よ うな特徴 が あ り、それ が 絵本史で どの よ うに評価 で きるのか とい う具体的な検討 を行 つてい る論考 は皆無 であ

る。

唯一、6に挙 げた川勝泰介 による先行研究は、他の論考 の様相 とは大 き く異 な り、光 吉の戦 中の業績 とその絵本史での位 置づ けに言及す る。筆者 が もつ とも注 目に値す る と考 えるのは、川勝 に よる論考 である。以下 に、本研 究への手 がか りとなつた川勝文 献の特色 を述べ る。

先行研 究6『児童文化学研 究序説』1において、川勝 は次の よ うに仮説 を述べてい る。

 

「絵本の世界」における光吉夏弥の絵本観

『 生活美術』 にみ られ る評論 のなかで も最 も注 目され るべ きものは、「絵本 の世 界」 と題 した光吉夏弥 によるものである。

評論家で、多数 の外 国の絵本 の翻訳家 として も知 られ る光吉夏弥の外 国の絵本 に ついての見識 の広 さは、雑誌『 子 どもの館』(福音館書店

)に

掲載 されていたその 資料 の豊富 さか らも容易 に推測 され るが、『 生活美術』 に見 られ る 「絵本の世界」

は この時期 の絵本研究の評論 としては群 を抜 くものである。(中略

)昭

和二人年 に 出版 された『 岩波 の子 どもの本』シ リーズは、鳥越信 に よつて 「絵本 のあた らしい 方法、特 に、自のつかいかたについてのだいたんな方法 を具体的 にお しえて くれ た」

として高 く評価 されてい るものである。これ は、このシ リーズによって、これ まで の『 講談社の絵本』に代表 され る 日本 の伝統的な「ベ ッタ リ絵本」の絵本観 がよ う や くに して打 ち破 られた ことを意味 してい るのであるが、光吉は「印刷 面で 日本 に

(8)

とば しいのは、二色絵本 と黒色一色 の絵本 である」ことを指摘 し、この未 開拓 な境 地の開発 を説 くとともに、これ までの 「ベ ッタ リ絵本」の よ うに画面全体 を色で塗 りつぶ さなけれ ば絵本 にな らない とい う傾 向をおか しな ことだ として、暗に鳥越 が 言 うところの 「自のつかいかた」の問題 に も示唆 を与 えた。

この他 に も、この評論 の中には これ までの絵本論 には見 られ なかつた よ うな新 し い見解 を見 ることができる。(中)

 

絵本研 究史にお ける一仮説

「絵本 の世界」おいて展開 された光吉夏弥の絵本観 は、あくまでも彼が収集 した 世界の絵本 を通 して確立 された ものであつたが、具体的な絵本 の事例 を紹介 しなが らこの よ うに絵本 の本質までに言及 した絵本論 は、この時期 の もの としては他 に例 をみない ものであった し、またその内容 において もまった く新鮮 な ものであつた。

(中略)

以上、雑誌『 生活美術』にお ける光吉夏弥の絵本論 を中心に見てきたわけである が、昭和一人年 とい う政局の不安定な時代 に光吉が多 くの外国の絵本 を紹介 しつつ、

それ らを通 して よくもこれ だ け 自由に絵本 について論 じることがで きた ものだ と 驚か され る とともに、さらにそれ以上に、彼 の絵本 に対す る卓越 した とらえ方 に驚 か ざるを得 ない。

昭和 二人年一二月 に刊行 された『 岩波の子 どもの本』シ リーズは、先に述べたよ うに、一般 に これ までの 日本 の絵本観 を打 ち破 るのに大 き く貢献 した と言われ てい る。光吉は、このシ リーズの企画 に参加 した人のひ とりであ り、その刊行 に際 して 大 き く関与 したにちがいない。(中略)

この よ うな′点か ら考 える とき、戦前の絵本観 を打 ち破 り、戦後 の新 しい絵本観 が 形成 されてい く過程 において、光吉夏弥の果 た した役割 の大 きさを見逃す ことはで きないであろ う。この ことは、極端 に言 うな らば、今 日の 日本 にお ける絵本観 は光 吉夏弥 の絵本観 と彼 の絵本 に関す る業績 の上 に成 立 した ものではないのか とい う 一つの仮説 を導 くことになる。(上記文 中の中略及 び下線 は、筆者 による)

この仮説 は、今 までは指摘 され た こ とがなか つた 日本絵本 史にお ける光吉夏弥 の役 割 を論 じてい る点で、大変興味深い ものである。ただ し川勝 は仮説 の根拠 として、『 生 活美術』 に掲載 され た光吉の評論 「絵本 の世界」 しか挙 げてはお らず 、光吉の絵本論 の独 自性 について具体的に言及 してい るわけではない。

先行研 究 に加 え、本研 究の大 きな ヒン トになつたのは、鳥越信 に よる絵本 史の時代 区分 に関す る問題提起である。 この問題提起 は、筆者 が戦 中0戦後 の絵本史研 究 にお いて光吉夏弥 に着 目す る契機 を与 えた とい える。 以下に鳥越 の文章 を引用 し2、 本研 究 に与 えた影響 を述べ る。

日本近代絵本史の時代 区分

さて、では 日本近代絵本史 を構築 してい くさいの大前提 である時代 区分 を どの よ うに とらえるか。(中略

)絵

本 の場合 は、や は り起点の問題 をは じめ未解 明の部分 がた くさんあるが、先 に見てきた論調か ら、一九五三年 が時代 区分 の大きな節 日と

‑5‑

(9)

して定着す る可能性 はきわめて高い。(中略)

そ こで、一九五三年説 が定着す るか どうかはのちの史家 にまかせ る として、私 と しては二つの問題提起 を してお きたい。

一つ は 〈岩波の子 どもの本〉シ リーズ と、一九四二年 に企画刊行 され、二冊で中 断 した筑摩書房 の (世界の傑作絵本

)シ

リーズ との関係 である。(中略

)結

論的 に い えば筑摩 のシ リーズは、岩波のシ リーズの前史に相 当す る といつて よい。岩波の 当事者 のひ とり光吉夏弥の証言 として、最 も多 く引用 され るのは、月刊 「絵本」の 一九七三年五・六月号に掲載 された「岩波の子 どもの本一 その発刊の ころの ことど も」であるが、なぜ か光吉 自身が当事者 であった筑摩 のシ リーズについては、ひ と こともふれ られていない。今 となっては直接 の証言 を聞 く機会 はな くなったが、ど う考 えて もこの両者 はつながつてお り、無関係 ととる人 はまずいないだろ う。とす る と、岩波 のシ リーズか ら新 しい絵本 の歴史がは じまった とす る説 は、一九五三年 か らではな く一九四二年 か らとなるのではないだろ うか。この問題 については、過 去 に論 じられ た ことは全 くなかつた と思 うが、今後検討すべ き大 きなテーマだ と考

え られ るので、ぜひいろいろな角度か ら煮つめていってほ しい。

二つ めは、歴史的・相対的評価 と今 日的・絶対的評価 との落差 についてである。

問題 をわか りやす く考 えるために、未 明伝統克服の時期 に生 まれた児童文学作品 と 対比 してみ よ う。

この時期 に生 まれ、今 日もなお読みつがれてい る児童文学作 品は、作者 によつて はその間に推敲や手直 しがあつたに して も、基本的には発表 当時の ものがそのまま 残 つている。つ ま り、歴史的な評価 と今 日的評価 が完全 に一致 してい るわけで、だ か らこそ今や古典的作品 として定着 してい る。

それ に対 して、(岩波 の子 どもの本

)シ

リーズの場合 は、初版 の内容 と形がその まま今 日まで残 つてい る作品 もある反面、全 くかわって しまった もの も多い。た と えば『 ちい さいお うち』や『 ひ とまね こぎる』な どがそ うである。

『 ちい さいお うち』は最初 、右開 き。たて組み0逆版 の小型本 で出版 され、その 後 、それ を版型 は同 じのまま、左 開 き・横組み・正版の ものにかえ、さらに原書 の サイズ と同 じ大型 の左 開き・横組み 。正版の絵本 となつた。『 ひ とまね こざる』 も 同様 で、最初 の右 開き 。たて組み 。逆版 の小型本 か ら、現在 では左 開 き・横組み 。 正版 の大型本 (原書 と同サイズ

)へ

とかわつてい る。

とい うことは、原書の レイア ウ トをこわ さず に翻訳す るのが当然の理で、それ に 反 した ものは否定的評価 の対象 になつてい る、とい う意味になる。つま り、このシ リーズの中には、今 日的評価 としては全面的に否定 され るべ き作品がかな り含 まれ てい るわけで、その点が先 の未 明伝統克服 の時期の児童文学作品 との決定的な違 い

となつてい る。

もちろん絵本 の場合 、絵本 に対す る社会的認知度 の未成熟 な ど、相対的に見てい くことが正 しい歴史的処理 であることはい うまで もないが、この数年 間、日本 の近 代絵本 の歴史 に取組 んで きた立場か ら考 える と、一九五三年 を未 明伝統克服 の時期 ほ ど、決定的な時代 区分の節 目だ、と簡 単にいいきれ るかについては大 きなため ら いが残 る。

(上記文 中の中略及び下線 は、筆者 による)

(10)

上記 の鳥越 の一つ 目の問題提起 、戦 中の筑摩書房 (世界傑作絵本

)三

冊の翻訳絵本 と、岩波書店 〈岩波 の子 どもの本

)の

関係性 についての言及 は、本研 究 に大 きな手 が か りを与 えた。 二つの シ リーズに共通す る翻訳絵本 を取 り上 げて、翻訳 が どの よ うに 行 われてい るかを比較考察す る とい う翻訳絵本 の方法 を検討す るこ とを思いついた。

この方法に よ り、(岩波の子 どもの本

)に

日本絵本史の区分 を変 える どの よ うな新 しさ を持 つていたのかを明 らかにす ることがで きる。

鳥越 の二つ 目の問題 提起 に もヒン トを与 え られた。戦 中の筑摩書房 (世界傑作絵本〉

2冊

の翻訳絵本 と、岩波書店 〈岩波の子 どもの本

)の

関係性 を見極 め、戦後 の絵本 翻訳 で どの よ うな変遷 を遂 げてい くのかを、数冊の絵本 を比較考察す ることに よつて 解 き明かす ことができた。

これ まで述べて きた よ うに、本研 究 の着 眼点 については、川勝 と鳥越 による先行研 究か ら重要な手がか りを得 てい る。

5.論

文構成

次 に論文構成 についてで あるが、まず本研 究の研 究 目的、方法、先行研究、論文構 成 について述べ る。

第 1章では、業績 の時代 区分、そ して調査か ら明 らかになつた光吉の人物像 、年譜 、 全業績 を明 らかにす る。第

2章

では戦 中、第

3章

では戦後 占領政策期、第

4章

では戦 後 の (岩波 の子 どもの本

)時

代、第

5章

では 〈岩波 の子 どもの本

)以

降の業績 を明 ら かにす る。各章では翻訳 、評論 の うち主要 な業績 を取 り上げ、各期 の光吉業績 の特徴 を明 らかにす る。 さらに各 章の さい ごでは、各時期 の 日本絵本史の背景 を明 らかに し た うえで、光吉が果 た した役割 に言及す る。

おわ りに本研 究の結論 として、 日本絵本史のなかで光吉が果た した役割 についてま とめることとす る。

光吉の蒐集 した書籍 と文献 光吉 コ レクシ ョン

"は

、没後 、未 亡人の意志に よ り 1999 年 に 自百合女子大学児童文化研 究セ ンター に寄贈 され 、

2006年

に 「光吉文庫」 として 公 開 され た。筆者 は、 これ まで掘 り起 こされ ることのなかつた光吉文庫 の資料調査 を も とに、数年来研究 をつづ けてい る。

2011年

4月 か ら光吉文庫の資料調査及び整備 に 対 して、文部科学省所轄独 立行政法人 日本学術振興会 よ り、平成

23年

度科学研 究費補 助金 (基礎研究

C)の

交付が決 ま り、未整備資料 (書簡・ 手書 きの 目録 。原稿 、新 聞・

雑誌記事 な ど

)の

調査・整備 がは じまってい る。

本研究の成果 によって、 よ リー層 、「光吉文庫」の資料価値 がひ ろ く理解 され 、 さま ざまな視 点か らの資料利用 と学術研 究が進 む ことを願 う。本研 究が、戦 中・ 戦後 の絵 本史解 明の礎石 の一つ となれ ば幸いである。

川勝泰介 「三   「絵本の世界」における光吉夏弥の絵本観」、「四   絵本研究史にお ける一仮説」 『児童文化学研究序説』千手閣 1999(pp.209‑216)

鳥越信「序章   仙花紙絵本の時代―一九四五年〜五〇年」 『 はじめて学ぶ日本の絵本 史Ⅲ』鳥越信編   ミネルヴァ書房 2002(ppo H‑13)

‑7‑

(11)

第 1章   光吉夏弥の人物像 と年譜・業績 1.光

吉 業績 の 時 代 区分

本研 究の研 究方法で先述 した とお り、光吉の業績 を考察す る際の時代 区分 として

4期

を設 けてい る。 この時代 区分の大 きな分水嶺 としたのは、

1953年

に発刊 された岩波書店 の絵本 シ リーズ 〈岩波 の子 どもの本

)の

出版 である。(岩波 の子 どもの本

)を

分水嶺 とす る根拠 は、以下の

2点

である。

1点目は、光吉の業績 の うち一般的に最 も代表的 とされ る業績 が、この (岩波 の子 ども の本

)出

版 にお ける編集・翻訳 とい うことである。

2点

目は、 日本 の絵本史 において (岩 波 の子 どもの本

)出

版 が、絵本史上のエ ポ ックのひ とつ とい うべ き現象 であ るこ とに拠 る。戦後 ま もな く発刊 された (岩波の子 どもの本

)で

示 された絵本観 は、その後 の絵本 出版 のあ り方 に新 たな潮流 をもた らした。戦後の 日本絵本史 を概観す る うえで も、 〈岩波 の子 どもの本

)は

重要 な現象 なのである。本研 究では、絵本史 とい う時代 の流れ のなか で光吉業績 を考察す ることを 目的 としてい るため、 この (岩波 の子 どもの本

)を

時代 区 分 の分水嶺 にす るこ ととした。 以下、本研 究 においての各期 の時代 区分の妥 当性 を説 明 す る。

《時代区分》

第 I期前期 第I期後期 第 Ⅱ期 第 Ⅲ期

1942〜1945年 8月

 

岩波 の子 どもの本〉 出版以前一 戦 中

 

児童文化統制期 1945年 9月 〜1952年

 (岩

波 の子 どもの本〉 出版以前一 戦後

 

占領期

1953〜1968年

 (岩

波 の子 どもの本

)出

版 時代

1969〜1990年

 

〈岩波 の子 どもの本

)出

版 以降、最終業績 まで

光吉業績 を考察す る時代 区分 の うち、第 I期は 日中戦争 を含 む第二次世界大戦 に 日本 が参戦 した時期 であ る。光 吉の児童書にかかわ る仕事が始 まるのが第 I期で ある。 この 第 二次世界大戦 は 日本 の敗戦 に よつて終結す るが、戦 中 と戦後 では社会制度 か らイデオ ロギー に至 るまで、すべての社会現象 に異なる様相がみ られ る。 そのため児童書出版 を 検討す る本研 究 において も、戦 中 と戦後 を分 けて整理す ることとした。 これ に よって、

第 I期は1945年 8月 の終戦 を境界 に して、前期 と後期 の

2つ

に分割 してい る。そのため、

第 1期前期 の終点 と、第 I期後期 の始点は、同 じ1945年と表記す る。

第 I期前期 は戦 中の1942年か ら敗戦 1945年 (8月

)ま

で とす る。1941年 12月 の真珠 湾奇襲攻撃 を契機 に太平洋戦争 が勃発 、 日本 とアメ リカ との交戦が始 まった。 その後、

戦火 は次第 に激 しさを増 し、国内の文化統制 がお こなわれ た。本研究 で第 I期前期 とす る時代 は、第二次世界大戦の終盤 にあたる時期 である。

1940年

前後 は光吉が海外児童書 を蒐集 し始 めた時期 であ り、 この頃か ら児童書出版 に かかわ るよ うになった と推測 され る。光吉がそれ まで評論家 として活躍 していた舞踊、

写真分野か ら、児童書へ と視野が広がってい く時期 である。 そ して戦 中、光吉 は 日本少 国民文化協会文学部会 の一員 として、児童文化統制 を行 う立場 にあつた。 そ こで第 I期 前期 は、児童文化統制 と光吉の業績 の関連性 を明 らかに しつつ、戦 中の絵本 出版 に言及 す る。

(12)

第 I期後期 は、敗戦の 1945年 (9月

)か

(岩波の子 どもの本〉出版 直前の1942年ま で とす る。 日本 の社会制度 、経済 、文化 な ど全 てがそ うであつた よ うに、敗戦 を機 に、

既存 の概念 が根幹か ら揺 るいだ激動 の時代 であつた。焼 け野原 か ら民衆が立ち上が り、

その後 、 日本 の各分野で飛躍的な発展 を遂 げ るこの時期 は、児童文化・ 児童書 出版 もダ イナ ミックに動 いた時期 で ある。 日本 の絵本 史 において も、 この第I期後期 には、新た な時代 を迎 える胎動 が感 じられ る現象 が数多 くある。 日本 の戦後絵本文化が一気 に花開 く予兆 を、 この時期 の光吉の活動 にも とらえることができる。(岩波 の子 どもの本

)出

版 直前の絵本 出版 の背景 と、光吉業績 の関係 とを明 らかにす る。

第 Ⅱ期 は 〈岩波の子 どもの本

)が

発刊 された 1953年をは じま りとして、光吉が岩波書 店 の絵本 シ リーズ編集・翻訳 において編集 を終 える1968年まで とす る。本研 究で扱 う 〈岩 波 の子 どもの本

)と

は、1953年 12月 か ら1954年 12月 の

4回

配本 で出版 され た

24冊

の 絵本 を指す。それ ら

4回

の配本 内訳 は、第 1回日の配本 は1953年 12月 、第

2回

日は 1954 年 4月 、第

3回

日は1954年9月 、第

4回

日は1954年 12月 にそれぞれ絵本 を

6冊

ずつ 出 版 した ものである。本研 究においては、(岩波の子 どもの本

)の

第 1回日か ら第

4回

目の 配本 を第1期出版 とす る。光吉が事実上、(岩波 の子 どもの本〉出版 に関 して編集・翻訳 を手掛 けたのは、 この第 1期出版 の24冊であるが、第

4期

配本の

1冊

である『 ひ とまね

こざる』1が大 ヒッ トした ことを受 けて、岩波書店 は原書 キュ リアス・ ジ ョー ジのシ リー ズ絵本 の続編 を翻訳す るこ とを企 画 した。絵本 の原 書 を持 っていたのが光吉であつたた め、翻訳 も依頼 された と推測 され る。(岩波の子 どもの本

)で

キュ リアス・ ジ ョー ジ絵本 は、光吉によって

6冊

翻訳 された。 シ リーズの最後 に翻訳 された絵本『 ひ とまね こざる び ょ ういんへい く』の出版 が1968年であることか ら、 これ を第 Ⅱ期 の終点にす る。以上 の こ とか ら、第 I期の区切 りと異 な り、第 Ⅱ期 の終わ りは光吉業績 の区切 りとな るが、

岩波書店でのひ とまね こざるシ リーズの翻訳の仕事が終わる1968年とした。 日本 の戦後 絵本史 にお ける (岩波 の子 どもの本

)シ

リーズの役割 と、 シ リーズ編集・翻訳 の主要 メ

ンバー としてたず さわった光吉の絵本翻訳 を明 らかにす る。

第 Ⅲ期 は 1969年か ら、没年 の翌年 1990年まで とす る。 日本絵本 史上、絵本 が出版 に おいて も、質 において も最盛期 を迎 えたのが この第 Ⅲ期 の期 間で ある。絵本 が富裕層 ば か りでな く、一般 の子 どもたちの手 に取 られ、絵本観 が確 立 され て くる。第 Ⅲ期 におい て、光吉は これ までに引き続 き絵本 、児童文学 の翻訳 は もちろん、絵本評論 を多 く手が けてい る。 これ と同時 に、光吉は絵本 を出版す る側 の仕事 をふま え、次第 に絵本 を評価 す る役割 を担 うよ うになつた。 この章では絵本 出版 と評論・研 究の動 向をふ まえ、光吉 業績 の役割 を明 らかにす る。 なお、没年 の翌年 を第 Ⅲ期 の終わ りとしたのは、生前 に編 集 され ていた絵本評論集 が出版 され たのが、光吉の没後 で あつたためである。 この評論 集 は絵本 史 において一定の評価 を得 た ことか ら、本研 究の光吉業績 に入れ るべ き もので ある と考 える。

以上が、光吉業績 を分析す る うえでの時代 区分 の妥 当性 とその根拠 の説 明であ る。以 下は本研 究 にお ける時代 区分、 日本 の戦 中・戦後 の絵本史概観 を図 にあ らわ した もので ある。

9‑

(13)

戦後 の絵本史概観

榊 嗣 令

日   の

砒       戦   時 統 制 期

本               2

94

´

戦 争 表1

太 平 洋

(14)

2.人

物像 と年譜

ここでは、先行研究及び文献、関係者か らのインタビューなどの調査か ら、筆者がま とめた人物像 と年譜 を明 らかにす る。

本研究における光吉の経歴調査のもとに した資料は、光吉の妻 甲義子の遺 した年譜「光 吉夏弥年譜」(河田篤子編『 光吉夏弥文庫 目録』国立音楽大学附属図書館

 1993年)で

る。この資料は、国立音楽大学付属図書館 に寄贈 された光吉の蒐集 した舞踊関係 の書籍・

文献が、「光吉夏弥文庫」 として公開 され る際に作成 された 目録に収録 されている。光吉 に一番近かった甲義子夫人が記述 していることか ら、確実な情報源であると考えられ る。

この年譜 をもとに事実関係 を確認 したが、不明な点も多 く残 されていた。そのため、光 吉 と児童書編集・翻訳の仕事を共に し、個人的な交流のあった関係者等か らも話 を聞い た。鳥越信氏 (元岩波書店児童書編集者、元早稲 田大学教授)、 澤 田精一氏 (元福音館書 店編集者)、 三連真智子氏 (児童書翻訳家)、 神宮輝夫氏 (青山学院大学名誉教授、 自百 合女子大学児童文化研究セ ンター客員所員

)に

インタビューを行つた。

イ ンタビューでの事実関係の確認、業績調査 をふまえ、甲義子夫人作成の年譜 を加筆 修正 し、以下の年譜を作成 した。 さらに、この年譜をもとに経歴をま とめた。

以下は、事典中の 「光吉夏弥」項の記載事項

2点

である。ひ とつは 日本児童文学学会 編『 児童文学事典』(東京書籍

 1988年

)、 も うひ とつは大阪国際児童文学館編『 日本児 童文学大事典

 

第二巻』(大 日本図書

 1993年)に

記載 されたもので、それぞれ国内で最 も光吉についての情報を大まかに網羅 してい るもの と考 えられ る。 これ らの記載事項 も 年譜 と経歴 をま とめる際の手がか りとした。以下に、

2点

の文献を引用 してお く。

犬飼和雄 「光吉夏弥」 日本児童文学学会編『 児童文学事典』東京書籍

 1988年

(p。 727)

光吉夏弥 (みつ よし

/な

つや

)一

九〇四〜 (明三七〜

)英

米児童文学研究家、翻訳 家。佐賀県に生まれ、慶応大学経済学部を卒業 して、毎 日新聞社の記者 とな り、その 一方でバ レーの研究、批判、写真や児童文学の仕事に従事。戦前、世界傑作絵本シリ ーズ として リーフ『 花 と牛』他二冊を翻訳 し、子 どもにとつて絵本がいかに重要かを 主張 し、今 日の絵本の先駆的な仕事 をす る。戦後は石井桃子 と組んで『 岩波の子 ども の本』とい う絵本シ リーズを担当。なお光吉の訳 した『 ちび くろさんぼ』はベス トセ ラーにな り、戦後の絵本に大きな影響を与えた。また平凡社の『 児童百科事典』では 英米児童文学を紹介す るな ど、戦前か ら戦後にかけて、ことに幼年児童文学の世界で 果た した役割は大きい。訳書 も多 く、『 ひ とまねこざる』(一九五六)、『 キュ リー夫人』

(六)、『 トトの大てが ら』(六)、『 大きなツ リー と小 さなツ リー』(七)、『 ぼく はたんてい』(人

)シ

リーズ六冊な どがある。

定松正 「光吉夏弥」大阪国際児童文学館編『 日本児童文学大事典 ̲菫二巻』大 乳杢図 1993生

「  (pp.184‑185)

光 吉 夏 弥 (みつ よ し

/な

つ や

)一

九 〇 四 (明三 七

)年

一 一 月 二 〇 日〜 八 九 (平 一)

年二月七 日。研究者、翻訳家、評論家。本名積男。佐賀県生まれ。慶大経済学部卒。

毎 日新聞記者時代には舞踊評論に健筆 をふ るい、舞踊界に強い影響 を及ぼ した。 ま た、写真の分野にも深い関心を示 した。 この両分野での業績は『 バ レエヘの誘い』、

‑11‑

(15)

デ ビッ ト0シーモア『 小 さないのち』(翻

)な

どに跡づけられている。

同時に、児童文学の分野にも早 く関心を示 し、四三年 ころか ら「少国民文化」等に 絵本 に関す る評論を発表。マンロー・ リーフの『 花 と牛』(四

)を

は じめ とした絵 本の翻訳にも着手す る。戦後になつて 「少年少女」の初代編集長を務めるほか、『 王 さまのアイスク リーム』(四七)『みつばちの国のア リス』(四九)などの童話を創作、

小泉人雲の作品集『 ちんちん小袴』(四九)を翻訳す るな ど、多方面で活躍を始めた。

また、『 花 と牛』の冒頭部に唱えられている 「よい絵本は国民の幼い ときか らの美 に 対す る正 しい意識 を培ふ うへに、基礎的な重要 さを持つ」 とい う理念のもとに五三 年か ら 「岩波の子 どもの本」の企画編集 に携わつた。イギ リス・アメ リカの絵本 を 中心に、わが国の昔話 0童話 に絵 をそえたシ リーズである。 これ らの絵本の翻訳 と 同時に、特に英米の幼年童話及びデ フォー、キャロルな どの作品の翻訳 を手がけ、

我が国での海外児童文学の普及に務めた功績は大きい。

編集 に参画 した大 日本図書の 「幼年おはな し全集」(六

)で

は、『 なんでもふたつ』

『 ぞ うのはなはなぜながい』を自ら編んでいる。前者はイン ドの仏教説話、ヨー ロッ パ

 

の昔話、 日本の童話集などか ら選択 したユーモラスな話を再話 したもの。また、

光文社の 「世界新名作童話」(五六〜五七

)の

編集 にも携わ り、 ビア トリクス・ ポタ ー、R。 ア トウォーター、 ヒュー・ ロフティングな どの作品を翻訳紹介 している。

ほかに主な翻訳 としてはラング『 りこうすぎた王子』(五)、 トウェイ ン『 トム・

ソーヤの冒険』(六)、 ア トウォーター『 ホッパー さんのペンギン』(六)、 ジ ョ ン0コ ンネル『 ふたたび宝島へ』(五

)な

ど。また、絵本の新 しい翻訳にH・ A・ レ イの 「ひ とまね こざる」のシ リーズ全六冊 (五六〜六人)、 ユーモ ラスな幼年童話シ リーズ 「ゆかいなゆかいなおはな し」全二〇冊がある。 さらに、児童文学の評論分 野で も活躍 し、 とくに今 日の海外児童文学研究への足がか りをも築いた。

[ちび くろ0さんぼ

]絵

本。1953年 12月 岩波書店刊、「岩波の子 どもの本」の第一 編。ヘ レン・バ ンナーマンの作品を企画・翻訳。黒人の子 どものさんぼがジャングル で虎に衣類 を奪われ るが、機転で虎はバターに変わる。ページ調整のため、「サンボ とふたごたち」をも収録。絵にはバンナーマンのものを使わず、マクミラン社版のフ ランク0ドビアスの絵をもとにしたが、レイアウ トに手をカロえているため、同社版 と も異なつている。出版直後か ら子 どもの間で人気があ り、ロングセラー として定評が あったが、のち、さんぼ・ じゃんぼ0まんぼとい う登場人物の名や、虎が登場す るに も関わ らず、舞台がアフ リカになっていることなどが黒人差別にあたると批判 され、

88年

12月 に絶版 となった。

[絵本図書館―世界の絵本作家たち一

]評

論集。1990年 1月 ブ ックグローブ社刊。

戦後、わが国で翻訳出版 され、長 く読み継がれている

58人

の外国の絵本作家に関す る評論が収め られた労作。著者の死後の刊行で、雑誌 「月刊絵本」に連載

(74年

9 月〜77年 5月

)さ

れたものを中心に編集 した。

(16)

(1) 

光吉夏弥

 

年譜

以下は、先行研究及び文献 をもとに、筆者 がま とめた光吉夏弥の年譜 である。

1904年 11月 20日 (明治

37年

)

父光吉元次郎、母 なをの長男 として大阪府北 区北野茶屋 町に生 まれ る。 四男一女 き ょ う だいの長子。本籍地佐賀県唐津市。本名

 

光吉積男 (みつ よ し 。つむ を)。

1929年3月 (昭

4年

)

慶応義塾大学経済学部卒業。

1930年4月 (昭

5年

)

国際観光局入社

.雑

誌 「 トラベル・ イ ン・ ジャパ ン」編集主任。

1937年 (昭12年)

国際観光局退社。東京 日日新 聞学芸部嘱託。舞踊批評担 当。対外写真通信及び、出版 に 従事。

1940年4月 (昭和15年)

大阪毎 日新 聞社入社。文化部、編集部、出版部 を経 る。

1941年 12年 23日 (昭和16年)

日本少国民文化協会創 立、文学部会幹事 とな る。

(『日本少 国民文化協会要覧』社 団法人 日本少国民文化協会 1943.2) 1942年 (昭17年)

大阪毎 日新 聞社退社 (出版部編集次長)。

1946年5月 (昭

21年

)

中央公論社入社 (1946年 5月‑1948年 8月 )、 雑誌『 少年少女』 を編集。

1948年8月 (昭

23年

)

中央公論社退礼

1950年4月 (昭和

25年

)

岩波書店 「少年少女の読み物百種委員会」委員 となる。

(『

図書』岩波書店

1950。 12

(pp.12‑14))

1953年9月 (昭

28年

)

岩波書店の嘱託社員 として、石井桃子 らと共に 〈岩波の子 どもの本

)シ

リーズの編集 を は じめる。(「岩波の子 どもの本 (一

)一

その発行のころのことども」『 月刊絵本』すばる 書房盛光社 (pp.80‑84))

‑13…

(17)

1962年 3月 (昭

37年

)

藤原義江氏 をは じめ とす る文化施設団の一員 として韓 国訪 問。

1966年 (昭

41年

)

ア メ リカ国務省 に招待 され、米 国各地方 を訪 問す る。

1969年 (昭

44年

)

文化庁芸術選奨の舞踊部門選考審査委員 となる。

1989年3月 7日 (平成元年)

午後

7時 25分

、肺気 シュのため東京都大 田九の安 田病院で死 亡。享年 84歳(朝 日新 聞)

1990年 11月 17日 (平

2年

)

『 絵本 図書館一 世界 の絵本作家た ち―』 に集成 され た欧米絵本 の紹介、翻訳、研 究の長 年 の尽力 に よ り、第14回 日本児童文学学会特別賞受賞。

(2) 

光吉夏弥

 

経歴

以下は、先行研 究及 び文献、関係者 か らのイ ンタ ビュー をも とに調査 し、筆者 がま と めた光吉夏弥の経歴 である。

光吉夏弥の本名 は、光吉積男 (つむ を)。 1904年 11月 20日 、父、元次郎、母 、なをの 長男 として大阪府 北 区北野茶屋 町 に生まれ る。 出身 は大阪であるが、東京 で長 く暮 ら し た といわれ てい る。本籍地は、佐賀県唐津市である。父 は貿易商 を営み、後年 、頼 山陽

『 日本外史』(1873年)2の注釈 に関わ る研 究者 であった。

慶應義塾大学経済学部在学 中には、当時 同大学 の 「図書館長で あつた小泉信 三氏の特 別 なはか らいで、貴重 な諸外 国の洋書 を閲覧す るこ とが許 され 、四年 間はほ とん ど図書 館 にか よいづ めだった」3とぃ ぅ学生生活 を送 つていた。すでに大学在学 中か ら、舞踊 の 評論 を手掛 けていた とい う。1929年 3月 に慶応義塾大学経済学部 を卒業 した後、当時の 鉄道省 、国際観光局に入 り、雑誌『 トラベル・イ ン・ ジャパ ン』編集 主任 を務 めた。1937 年 に退社す る。

その後 、東京 日日新聞学芸部 の嘱託 とな り、舞踊評論 を担 当。 さらに対外写真通信及 び出版 に従事す る。

1940年

には大阪毎 日新聞社 に入社 し、文芸部、編集部、出版部 を経 て、出版部編集 次長 となる。 この新 聞記者 時代 に写真評論 をは じめ、子 どもの本 に も関 心 を持つ よ うになつた とい う4。 この ころか ら既 に、諸外 国の洋書 を蒐集 していた とい う。

日中戦争 をきつかけに戦火 が激 しくな るなか、児童文化 に も統制 が及ぶ よ うにな るこ の頃 になる と、政府 の意図に よ り児童文化 関係 の諸 団体 が統合 され る。児童文化 の統制 団体である 「日本少国民文化協会」が、1941年 12月 23日 に設 立す る。光吉は、 日本少 国民文化協会の文学部幹事の一人 として名 を連ねてい る。1942年 2月 、筑摩書房 の (世 界傑作絵本)、『 花 と牛』、『 フタ ゴノ象 ノ子』 二冊 を翻訳 出版す る。 この筑摩 書房 での翻 訳 出版 が、児童書出版 にお ける光吉のは じめての仕事 となる。1942年のおそ らく3月 大阪毎 日新聞社 を退 く。1943年9月 の『 生活美術』(絵本特集号

)で

の評論「絵本 の世界」

(18)

では、い ち早 く海外絵本 を紹介 した。 この頃、「日本少 国民文化協会」のプ ロパ ガ ンダ誌

『 少 国民文化』 に、海外児童文学の翻訳、及び翻訳論等 を発表 してい る。

終戦後 の1946年 5月 には中央公論社 に入社 し、児童書部門の代表 を務 めた。雑誌『 少 年少女』 の編集 を手掛 ける。 その後、1948年 8月 に中央公論社 を退社 した後、文寿堂出 版『 金 と銀』な どの編集 も手掛 けた 。

1950年

、岩波書店 の少年少女 の読み物百種委員 のひ とりとなる。 これ は 〈岩波少年文 庫

)の

母体 となつた児童文学 リス トである。光吉は、 〈岩波少年文庫

)の

翻訳作 品を数冊 翻訳 してい る。1952年には、瀬 田貞二の編集す る平凡社『 児童百科事典』の「児童文学」

項 を執筆 した。

1953年 9月 、岩波書店か ら依頼 を受 け、絵本 シ リーズ (岩波の子 どもの本

)の

編集・

翻訳 に社外ブ レー ン として携 わった。 この絵本 シ リーズには多 くの海外絵本 が含 まれて いたが、そのほ とん どが光吉の蔵書か ら原書提供 され ていた。光吉の児童書関連 の蒐集 は、海外児童書の原書のほか、児童文学関係 の研究書、雑誌等 にも及 んでいた。

(岩波 の子 どもの本

)の

後 も、旺盛 に児童書の翻訳、評論 を手掛 けてい る。

1970年

代 は雑誌『 月刊絵本』や『 子 どもの館』への連載 「子 どもの本の世界か ら― その文献 と資 料」において秘蔵資料 の公 開や活発 な評論活動 が挙 げ られ る。没後 出版 され た単著書『 絵 本 図書館一 世界の絵本作家たち―』 は、『 月刊絵本』の連載 をま とめた ものであ り、海外 絵本 の作家作 品論の先鞭 をつ けた。 これ らの よく知 られ た仕事 のほかに も、その時代 の 絵本 出版 のあ り方 を知 る手がか りとな る翻訳や評論な どを数多 くの こ してい る。

光吉は舞踊評論家、写真評論家、児童書の翻訳者・評論家 とい う

3つ

の分野 にわたつ て仕事 を し、それぞれ の分野 において一家 を成 していた。洋書 を中心 とした専門書籍・

文献 を蒐集 していた こ ともよ く知 られ てい るが、舞踊 。写真・児童書 な ど関連書籍 、雑 誌 な どか らパ ンフ レッ トに至 るまで蒐集 していた とい う。光吉が国内外 の情報 を くまな く収集 し、それ らを情報整理 した うえで、翻訳や評論 をお こなつていた ことは特筆 に値 す る。光吉の蔵書 と資料 か らは、単な るコレクターではな く、情報 を整理 していた こと が うかが える。 的確 な選書 とす る どい評論 は、光吉の持 っていた情報量 と情報整理 の賜 物 とい えよ う。晩年 も児童書のみな らず 、舞踊、写真 の評論家 として も健筆 をふ るつた。

光吉の手 に よつて長年 にわた り蒐集 され た蔵 書は、光吉の没後 、 甲義子夫人 に よつて 各分野の専門機 関に寄贈 され た。児童 書関係 の コレクシ ョンは、 自百合女子大学児童文 化研 究セ ンター 「光吉文庫」 として遺 され、

2006年

か ら一般公 開 され てい る。舞踊関係 は国立音楽大学付属 図書館 「光吉文庫」 に、写真 関係 は東京都 写真博物館 にそれ ぞれ寄 贈 されてい る。

‑15‑

(19)

3.業

績 一 覧

先述の とお り、光吉業績 を

4期

に分けたものが以下の一覧である。光吉の没後にどの よ うなものが再版、改版 されているかを示すため、第Ⅲ期の最後 1990年 以降の業績 も記 載 した。

光吉夏弥

 

第 I期 (前期 0後

)業

績 一覧 光吉夏弥

 [第

I期前期 :1942‑1945年

業績 (翻訳・ 評論・ その他)

年 月 日 事 項

1942.02.25 翻 訳 『 花 と牛』(世界傑作絵本

)ム

ンロー・ リーフ作、ロバー ト・ ロウ ソン画、光吉夏弥訳

 

筑摩書房

1942.02.25 翻 訳 『 フタゴノ象 ノ子』(世界傑作絵本

)ホ

ーガン作、光吉夏弥訳

 

筑 摩書房

1942.03.15 翻 訳

『支那の墨』クル ト・ヴィーゼ作、光吉夏弥訳   筑摩書房

1942.04.20 翻 訳

『小人島探検』光吉夏弥編   文林堂双魚房

1942.09.01 評 論 「少国民文化展望

 

舞踊 :文 化財 としての少国民舞踊」

 

『 少国 民文化』(p.13)

1942.10.01 評 論 「少国民文化展望

 

舞踊:文化財 としての少国民舞踊 (2)」

 

『 少 国民文化』(p.106)

1942.11.01 評 論 「少国民文化展望

 

舞踊:文化財 としての少国民舞踊 (3)」

 

『 少 国民文化』(p.73)

1943.01 評 論 「翻訳者の反省」

 

『 少国民文化』第

2巻

1号  

少国民文化協 会 (pp.80‑82)

1943.04 評 論

「南の絵本」   『少国民文化』第 2巻 4号   少国民文化協会

(pp.89‑91)

1943.06.01 翻 訳 「キ リンの首はなぜ長い (シー トン)」『 少国民文学』

6月

(第

11巻

1号 )社

団法人 日本少国民文化協会文学部会編集

1943.09 評 論

「絵本の世界」『生活美術』第3巻第9号   ア トリエ社

(pp.46‑51) 1943.12.05 翻 訳

『龍王の珠   支那の夜ばなし』光吉夏弥訳   賞業之日本社

1444.03 評 論 「大東亜少国民文化の建設」

 

『 少国民文化』第

3巻

3号  

少 国民文化協会 (pp.6‑10)

1444.05 評 論 「大東亜少国民文化の建設 (承)」

 

『 少国民文化』第

3巻

4

 

少国民文化協会 (pp.32‑36)

光吉夏弥 [第 I期後期 :1945‑1968年

業績 (翻訳・ 評論・ その他)

年月 日 事 項

1946。 11.05 翻 訳

『大統領の人形たち』

(新

世界童話 )光 吉夏弥訳   双珠社

1946.11.15 翻 訳

『 キリンの首はなぜ長い』

(新

世界童話 )光 吉夏弥訳   双珠社

1947.01.05 評 論

『 日米ウイークリイ』

1月 5日

  こどもの本の批評記事

(伊

藤元雄

「あとがきにかえて」 『絵本図書館―世界の絵本作家たち―』

)

1947.11 評 論

「こどものベス トセラー」   『 日本児童文学』第 5号   日本児童

(20)

文学者協会 (pp.24‑28)

1948.02.01 翻 訳

「猫にきいた鼠の話

(一)」

『少年少女』第 1号   中央公論社

1948.03.01 翻 訳

「猫にきいた鼠の話

(二)」

『少年少女』第 2号   中央公論社

1948.03.01 そ の 他 (創)

「なかよしコグマ③」『 日本のこども』光吉夏弥、安泰画

 

国民図 書刊行会

1948.03.25 翻 訳 『 ちんちん小袴』(と もだち文庫 23)小泉八雲著、光吉夏弥訳

 

中 央公論社

1948.04.01 そ の 他 (創)

「なかよしコグマ④」 『 日本のこども』光吉夏弥、安泰画   国民図 書刊行会

1948.04.01 翻 訳 「猫にきいた鼠の話 (三)『少年少女』 4月 号 (第

3号 ) 

中央公 論社

1948.05.01 翻 訳 「ガ リバーのぼ うけん」『 こどもクラブ』光吉夏弥、松 田文雄絵

 

大 日本雄弁会講談社

1948.05.01 翻 訳 「猫にきいた鼠の話 (四)」『 少年少女』 5月 号 (第

4号 ) 

中央 公論社

1948.06.01 翻 訳 「猫にきいた鼠の話 (五)」『 少年少女』 6月 号 (第

5号 ) 

中央 公論社

1948.07.01 翻 訳 「猫にきいた鼠の話 (六)」『 少年少女』 7月 号 (第

6号 ) 

中央 公論社

1948.07.30 翻 訳

『 王さまのクリーム』

(こ

どもかい文庫

)光

吉夏弥著   桜井書店

1948.09.10 翻 訳 「世界一周をした四人の子供たち (リ ーヤ)」

 

『 金 と銀』新装第

1号  

文寿堂出版

1948.12.01 翻 訳 「やぶれた回絵 (マーク・ トウェーン)」

 

『 金 と銀』新装第

3号

文寿堂出版 1949.01.01 翻 訳

「塀を塗る トム・

幽霊」デ ィケンス 年百科』第

1集

ソーヤー」マーク・ トウェーン、「ク リスマスの

(こ どものための世界の文学

)光

吉夏弥編

 

『 少 日米出版社

1949。 04。 25 翻 訳

「コゼット」ヴィクトル・ユー 光吉夏弥編『少年百科』第

2

「人は何で生 きるか」 トルス トイ、

ゴー (こ どものための世界の文学)

 

日米 出版社

1949.07.15 翻 訳

「リップ 。ヴァン・ ウィンクル」アー ヴイング、「ミユンクハ ウゼ ン男爵の物語」 ラスペ (こ どものための世界の文学

)光

吉夏弥編

『 少年百科』第

3集  

日米出版社

1949.10.10 翻 訳 「こがね轟」エ ドガー・ アラン・ポオ (こ どものための世界の文 学

)光

吉夏弥編『 少年百科』第

4集  

日米出版社

1949。 10.05 そ の 他

(著)

『 みつばちの国のアリス』

(こ

ども絵文庫

2)光

吉夏弥著   羽田書店

1949。 10。 10 そ の 他

(編)

『象の本』光吉夏弥著   三十書房

1949。 12.05 翻 訳 『 た くさんのお月 さま』 ジェイムズ・サーバー作、ルイス・ ス ロ

ボ ドキン画、光吉夏弥/訳

 

日米出版社

17‑

(21)

1949.12.15 翻 訳

『ちんちん小袴』

(日

本童話名作選集

6)月

ヽ 泉人雲著、光吉夏弥訳 二十書房

1950.01。 10 翻 訳 「王さまのクリーム」『 王 さまのク リーム』(現代童話作家選 第 2

)浜

 

広介ほか、光吉夏弥著

 

桜井書店

1950.01。 10 翻 訳

「幸福な王子」オスカー・ワイル ド、「黄金の川の王 さま」ジ ョン ラスキン (こ どものための世界の文学

)光

吉夏弥編『 少年百科』

5集  

日米出版社 1950.03 そ の 他

(脚)

『 日本学校劇選』(中学校篇)児童文学者協会編 (光吉夏弥脚色「人 は何で生きるか」

)桜

井書店

1950.03.01 翻 訳

『 こっくりおばあさん』光吉夏弥著   大日本雄弁会講談社

1950.03.10 翻 訳 「大きい石の顔」ナサニエル・ホー ソン (こ どものための世界の 文学

)光

吉夏弥編『 少年百科』第

6集  

日米出版社

1950。 04。 15 翻 訳 ・ ドオ レーア、エ ドガー

進士益太訳

 

羽 田書店

『 エブラハム・ リンカーン』イ ング リ パー リン 0ド オ レーア作、光吉夏弥・

1950.05.10 翻 訳

「王子の夢」ジヤン・インジロー、「耳な し芳一の話」小泉人雲 どものための世界の文学

)光

吉夏弥編『 少年百科』第

7集

出版社

ン﹂ 米

1950.07.10 翻 訳 「ピノッキオの冒険」 コッロデ ィ (こ どものための世界の文学)

光吉夏弥編『 少年百科』第

8集  

日米出版社

1950.09.10 翻 訳

「真夏の夜 の夢」

― ド・H・ ホー ン 年百科』第

9集

メア リ・ ラム、「ロン ドン人形の思い出」 リチ ャ

(こ どものための世界 の文学

)光

吉夏弥編『 少

日米 出版社

1950.09.25 評 論

「最近のアメリカの児童図書―一九四一〜一九四九」   『新児童 文化』第 6集   国民図書刊行会

(pp.102‑114)

1950.11。 20 翻 訳

「泥棒の親方」ノール ウェイ民話、

民話 (こ どものための世界 の文学)

0集  

日米 出版社

「けんや くの教え他

2編

」中国 光吉夏弥編『 少年百科』第1

1950。 11。 15 そ の 他

(編)

『 サンタクロースの本』光吉夏弥著   三十書房

1951.02.15 翻 訳

『 こがね虫』

(新

児童文庫 6)光 吉夏弥文、橋本妙画   三十書房

1951.03.10 翻 訳

『ふたたび宝島へ』ジョン・コンネル著、光吉夏弥訳   英宝社

1951.03.15 翻 訳 「白つ ぐみ物語」アル フレッ ド・ ド・ ミュ ッセ (こ どものための 世界の文学

)光

吉夏弥編『 少年百科』第

11集  

日米 出版社 1951.03.15 翻 訳 『 りこうす ぎた王子』(岩波少年文庫

7)AOラ

ング著、光吉夏弥訳

岩波書店

1951.06.10 翻 訳 「水の子 トム」チャールス 。キングスレイ『 少年百科』第

12集

日 米出版社

1951.07

そ の 他 (エ ッ

セイ)

「やすやす と覚えられ る

 

百科事典式勉強法」光吉夏弥

 

児童百 科事典第

3巻

0月 報『 ぺ りかん3』 (pp.7‑9)

1951.09.01 翻 訳

『 白鳥の湖』

(世

界の絵本   中型版

13)光

吉夏弥著、三林亮太郎絵

(22)

新潮社

1951.10 翻 訳

「二つの話」光吉夏弥   児童百科事典第4巻・月報『ぺりかん

4』

(pp.5‑7)

1952.03 翻 訳 「象のはなはなぜ長い」(無記名

)児

童百科事典第

6巻

・月報『 ペ リかん6』 (pp.8‑11)

1952.04。 15 翻 訳 『 世界をまわろ う。上』(岩波少年文庫30)Vo M.ヒ ルヤー著、光吉夏 弥訳

 

岩波書店

1952.05。 15 翻 訳

『世界をまわろう。 下』

(岩

波少年文庫

32)Vo M.ヒ

ルヤー著、光吉夏 弥訳   岩波書店

1952.12.10

そ の 他

(分

担 執筆)

『 児童百科事典 児童百科事典第

10  シキーシユ』「児童文学」

 (pp.113‑127)、

10巻

月報『児童文学へのみちしるべ』平凡社

‑19‑

表 4  光吉夏弥   第Ⅲ期業績一覧 光吉夏弥  [第 Ⅲ期 :1969‑1990年 ]  業績 (翻 訳・ 評論・ その他 ) 年 月 日 事 項 1969.02.20 翻 訳 『 みつばちじいさんのたび』 (新 しい世界の幼年童話 12)フ ランク・ス トック トン作、モー リス・セ ンダック絵、光吉夏 弥訳   学習研究社 1969.11.01 翻 訳 『 りこ うなおきさき』 ろ絵   世界出版社 (ABCブ ック )光 吉夏弥文、岩崎 ちひ 1973.00.00 翻 訳 『 白鳥 になつたア ヒ
図 3  「 力θ Sι aFy cf月 肥 フ 拗 り 図 4  『花と牛』 次に、光吉文庫所蔵の 動θ  Stary aF′ 囲 Z胤 ″ (M05918)に 発見された書き込みを検討す る。書き込みのあつたのは 33ペ ージ、 41ヵ 所であつた。内訳は、①寸法を指定するもの (3 カ所 )、 ②ページ数 (31ヵ 所 )、 ③逆版印刷を指定するもの「裏ヤキ」 (7ヵ 所 )で ある。それ ぞれ代表的な書き込み と、翻訳絵本『 花 と牛』へ反映された該当箇所を対照 した結果が、以 下の図 5。 6。
図 6 P.1書 き込み 「全部之寸法←天地 6寸 →」 (縦 書き ) 「天地  6寸 2分 × 5寸 1分   左右」 (横 書き ) ②ページ数、③逆版印刷を指定するもの「裏ヤキ」   図 7 図 7 P.3書 き込み 「②裏ヤキ」 (縦 書き ) 以上のよ うに、原書 動θ S′ ary ο F尾 躍励吻り (M05918)に ある全ての書き込みを、 『花 と 牛』の該 当箇所 と照合 させた結果、全てが反映 されていた。 『 花 と牛』は絵の部分の背景を黄色に してお り、黄色背景の絵の部分の寸法
図 9  「裏ヤキ」指定箇所 (2) 図 9は 、仔牛フェル ジナン ドが、大好 きなコルクの木の下に歩いて向か う絵である。 この 箇所 も図 8と 同様、仔牛の進行方向を、物語の展開を考慮 した うえで、絵の進行方向に合わ せるために、「裏ヤキ」指定 したもの と考えられ る。例えば、この場面が逆版印刷 されなかっ た らと仮定 してみると、視線の流れを妨げる場所にフェルジナン ドが位置 し、 しかも絵の進 行方向 とは逆方向に向か う仔牛が描かれていて、子 ども読者は混乱 して しま うだろ う。 図
+2

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P ( 4 2 8 ) :さっき

ることには、誰もが共感していた。 ( 1 ) 「愛らしい娘がバルチモアで結婚するということが」というのは誤り。 引用