1.翻
訳(1942〜 1945年
)『花 と牛』(1942)・『 フタゴノ象ノ子』(1942)
①
児童文化統制期におけるアメ リカ絵本の翻訳
1942年に筑摩書房か ら (世界傑作絵本〉 シ リーズ として『 花 と牛』(図 1)、『 フタゴノ 象 ノ子』(図
2)の 2冊
を翻訳出版 された。2冊
とも光吉が翻訳を手掛けている。選書の 段階か ら関わったのではないか と推演1され る。当時は戦争の最 中だつたこともあ り、海外の絵本 を入手す ることは困難だつた。 にも かかわ らず、光吉はこの頃か ら趣味で絵本 を含む海外の児童書を多数蒐集 しは じめてい た。海外絵本の原書を提供できる立場であつたこと、そ して新聞社での編集経験 もあつ たことか ら、選書には じま り編集までかかわった と考えられ る。さらに翻訳に関 しても、
光吉は一家言を有す る人物であつた。 この
2冊
の翻訳絵本の出版には、光吉の個人的な 意図が尊重 され、選書 と編集・翻訳を一任 されたのであろ う。戦時下に翻訳 された
2冊
の翻訳絵本の出版 と翻訳の方法について、考察を行 う。図 2『 フタゴノ象ノ子』
『 花 と牛』(世界傑作絵本〉
ムンロー・ リーフ作、ロバー ト・ ロウソン画 光吉夏弥訳
筑摩書房
1942年
『 フタゴノ象 ノ子』(世界傑作絵本〉
ホーガン作
光吉夏弥訳
筑摩書房
1942年
時代背景 を振 り返 つてみ る と、これ らの翻訳絵本 が出版 され る1942年の前年 には太平 洋戦争 がは じまってい る。 この時期 に、敵国アメ リカの絵本 を翻訳できた ことは驚 くベ き事実である。
児童文学者 の瀬 田貞二は、 この
2冊
の翻訳絵本 について以下の よ うに評 してい るヽ図 1 『花と牛』
「戦争 は急速 に進み、外国文の使用その もの も不可能 になつていつた。そのなかで、清 らかな奇蹟 に近 い出版物 は、光吉夏弥が新興 の筑摩書房 に よつて企画 した 「世界傑作絵 本」の三冊2でぁった。(筆者 中略
)わ
が国ではまれ な、美 しい絵本 、絵本物語 の世界 を登 場せ しめた」この
2冊
の翻訳絵本 の出版元の筑摩書房 は、1940年に中野重治の作品の刊行 を以て出 版 を始 めた新 しい出版社 であつた。社長 の古 田晃は、 この時期 にあつて も時局 に とらわ れず に、良質 な出版物 を世 に出そ うとい う考 えを持 っていた とい う3。 この社長 の考 えも あつて、子 どものための翻訳絵本 〈世界傑作絵本〉 シ リーズが刊行 された。石川晴子によると4、 「世界傑作絵本シ リーズ」として刊行 された『 花 と牛』と『 フタゴ ノ象 ノ子』の二冊は、後に瀬 田貞二氏 を して 「清 らかな奇蹟に近い出版物」 といわ しめ た絵本であつた。いずれ も縦書 き右開きのほかは、アメ リカで出版 された原書 を尊重 し て頁の構成 な どを変 えることなく日本語版 を作った とい う。
さらに、石川 は『 花 と牛』の評価を以下のように述べている5。
闘牛場で闘わずに花の香 りをかいでいた、力は強いけれ ど花 を愛す る心優 しいフェ ルジナン ドを、リーフは淡々 とした口調で出来事を連ねて語 り、ロー ソンは黒一色の エ ッチングの線で表情豊かに描 く。ユーモアあふれ る絵本は、出版 されるやアメ リカ でベス トセ ラー となったのをは じめ とし、世界の各地で出版 されたが、ドイツではナ チスによる焚書の対象にもなつた。
戦火が激 しくなるなか、海外の翻訳絵本、 とくに敵国であるアメ リカの絵本 を翻訳す ることだけで も危険視 されていたはずである。 この時期が 日米戦争下であつた こと、 さ らに絵本に描かれている内容か らも、 この
2冊
の翻訳絵本が国内での検閲をパス したこ とは、運が良かつた としか言い よ うがない。時代は 日米戦争まつただ中であ り、児童文 化 も統制下におかれていた事情か らか、やは り 〈世界傑作絵本)シ
リーズは2冊
だけで 中断 していることも見逃せない事実である。鳥越信 は岩波書店 (子 どもの本
)の
編集 で光吉 ともに仕事 をした人物であるが、筑摩 書房 〈世界傑作絵本)の
『 花 と牛』 について、以下のよ うに述べている6。一九四二年にはアメ リカの絵本、 リーフの『 花 と牛』、ホーガンの『 フタゴノ象ノ 子』が、日本でも翻訳・出版 されていたのだが、私は子 ども時代にこれ らの絵本 と出 会 うチャンスがなかつた。 しかも、筑摩書房か ら出版 された二冊のアメ リカ絵本は、
いずれ も光吉 さんの訳で、海外のす ぐれた絵本を日本に紹介 したい とい う光吉 さんの 熱い思いが、この企画を生んだのだった。けれ どもその前の年にアメ リカ と戦争をは じめた 日本の当時の状況では、敵国の絵本の翻訳などはとんでもないことで、ま して 闘牛士 と戦 うことよ りも花が好 き、とい う『 花 と牛』に至つては、一種の反戦絵本 と
も解釈 されたか ら、けつきょくこの企画は二冊だけで中断 された。
実際にも光吉は戦後、『 花 と牛』は物語の内容か らも反戦的 との評価 を受けた と以下のよ うに述懐 している7。 その述懐は、戦後に光吉がアメリカの子 どもの本のベス トセラーを解 説する文章のなかで、筑摩書房の『花 と牛』の出版を振 り返つたものである。
‑ 39 ‑
日本で といえば、 この書の訳本 を出 した とき、僕は当時の出版協会のある人か ら、あ る会合でこの書が反戦的だ とい う非難 を うけたものだつた。アメ リカはむろん、世界 じ ゅうの、大きい読者 も小 さい読者 も、すべてがこの本の ヒューモアを大 らかに楽 しんで いたなかに、 日本でだけそ うした案外な批判がなされたことは、やは り敗 ける国の誤 ら れた良識の、ひ とつの現れだつた として、いま悲 しく想い出されるのである。
この翻訳絵本 シ リーズの企画が中断 された原因が、この述懐 によってはっき りわかるわけで はない。 しか し、絵本『 花 と牛』に反戦的内容がみ られたことが、シ リーズ中断の引き金に なった可能性 は否定できないことが うかがえる。児童文学が統制下にあ り、国内の状況 も厳 しさを増 してい く状況であつた。結局、(世界傑作絵本
)シ
リーズは2冊
しか出版 され ない まま、その企画 は頓挫 して しま う。戦争 に翻 弄 され た翻訳絵本 シ リーズ と称 して も過言 ではあるまい。児童文化統制 の実態 については、第2章
第3節
において詳細 を後述す る。作 品の奥付 には出版統制 のなか、紙 の配給 があつた こ とが うかが える。「酉己給元」「酉己 給所」等の表示がある。会員番 号は印刷用紙 の配給 に必要な、登録番号である。以下、2 冊の奥付 を示す。(奥付 中の波下線 は筆者 に よる)
[『花 と牛』奥付]
昭和十七年 二月二十 日
印刷 昭和十七年 二月十五 日
発行
[花と牛]
編者
光吉夏爾 (みつ よ しなつや)
発行者
東京市京橋 区銀座西六の四
古 田晃 印刷者
東京市京橋 区銀座人の二
塚本閤治
印刷所
東京市京橋 区銀座人の二
塚本印刷株式会社 配給元
東京市神 田区淡路町二の九
日本印刷配給株式会社 発行所
筑摩書房
東京市京橋銀座西六の四 振替 口座東京一六五七六人 電話銀座
(75)二
〇五六番会員番号
一一七〇二五
長谷部製本所 金壱 円
[『フタゴノ象 ノ子』奥付]
昭和十七年二月二十 日
印刷 昭和十七年 二月廿五 日
発行 フタゴノ象 (ザ ウ
)ノ
子 (コ)編者
光吉夏爾 (みつ よ しなつや)
発行者
東京市京橋 区銀座西六の四
古 田晃 印刷者
東京市神 田区小川町一 ノ十一
織部喜久治 印刷所
東京市神 田区小り│1町一 ノーー
宮本印刷所
配給所
東京市神 田区淡路町ニ ノ九
日本印刷配給株式会社 発行所
筑摩書房
東京市京橋銀座西六の四 振替東京一六五七六人 電話銀座 二〇五六番
会員番 号
一一、七〇二五
三ll■堂製本 金人○銭
②
海外オ リジナル絵本 の翻訳
『 花 と牛』、『 フタゴノ象 ノ子』は、海外オ リジナル絵本 の翻訳である。「海外オ リジナ ル絵本」とは、海外で絵本 として出版 された ものを指す。海外オ リジナル絵本 とは別 に、
一方 では、 も ともと海外で生 まれ た物語 (昔話や民話 を含む
)を
も とに 日本人 の翻訳者 が再話や翻訳・翻案 を し、 日本人 の画家が絵 を描 き、絵本化 され た ものがあ る。 これ ら も翻訳絵本 とい うジャンル のなかにあつて も、翻訳 の方法が異 な るこ とか ら、海外 オ リ ジナル絵本 とは分 けて考 えることとす る。『 花 と牛』、『 フタゴノ象 ノ子』 では、絵 が文章 (言葉
)と
同等 に働 き、物語 を展 開す るのであ る。 そ こでは、絵 は文章表現 の単な るおまけの挿絵 としてではな く、物語 を成 り立たせ る独 立 した要素 となる。絵 と文章 (言葉)が
有機 的 に相互作用 して、物語 を展 開 させ る絵本 が 日本 に移植 され た。 この二冊の絵本 は、絵 と言葉 が有機 的に相互作用 し て物語 を展 開 してい く、新 しい絵本 の タイプ を具体的 に示 していた。光吉は 「絵 と言葉 に よつて物語 が展 開 され る」 とい う絵本表現 の独 自性 を見 出 し、 日本 には じめて もた らしたのである。
③
絵本翻訳 の方法一 左 開き横組み
"か
ら 右 開き縦組み"ヘ
ここで明確 に しておかなけれ ばな らないのは、「絵本 の翻訳」 とい う言葉 の定義 につい てである。「絵本 の翻訳」には、通常の書籍 における編集 とは少 し異 なつた工程 が含 まれ てい る。現代 では 日本語 が横書 きになつていて も、全 く違和感 はない。 しか し当時は「日 本語 は縦書 き」が通常であつたため、翻訳 の際 には、海外絵本 の 左 開 き横組み
"に
なつてい る原書 を、 右 開き縦組み
"に
再構成 しなけれ ばな らなかつた。ただ外 国語 を 日本 語 に翻訳す るばか りでな く、 左 開き横組み"で
ある海外絵本 の原書 を、 右 開き縦組み"に組み直す作業が必要 にな るのであ る。光吉は戦後の (岩波の子 どもの本〉編集・翻訳に 際 して さえも、以下のように述べ8、 左 開き横組み
"で
ある海外絵本 の原書 を、 右 開き縦 組み"に
組み直す必要性 を指摘 してい る。その後、原本 どお り、左開きヨコ組みのほ うが、原本 に忠実であるかのよ うに思 う 傾 向が翻訳絵本の出版 に見 られたが、オールひ らがな、わかち書きの ヨコ組みは、なん
としても読みづ らい し、欧文文字 とひ らがな活字 とでは、い くら同 じヨコ組みでも、タ イポグラフィーはまるき り別のものになつて しま うのだか ら、私はやは り、右開き、タ テ組みに再編集 して、子 どもたちに読みやすいかたちで提供す るほ うが親切だ と思つて いる。
横書 きの外 国語 を縦書 きの 日本語 にす る際 に、絵本 には文章だけでな く絵 があること か ら、絵本翻訳 には さらに大 きなむず か しさが伴 う。 このむず か しさは、絵本 の もつ視 覚表現 とい う特質 に起因 してい る。絵本 の絵 は、文章 と同 じく、物語 を語 る役割 を担 っ