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教科教育実践学であること

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Academic year: 2021

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(1)教科教育実践学であること 言語系教育連合講座. 山岡俊比古(兵庫教育大学). 1.実践としての教育. 2.実践と理論. 教育は実践されることで存在する。この実践のうち,. 教育は教授することではない。学習者による学習を動. 個別教科に関わる実践を研究対象とするものが教科教育. 機づけ,促し,助長するのが教育である。教育の本質的. 実践学である。この学の対象の同定に苦労することはな. 過程は学習者による学習を支援することであり,学習者. い。この学の基本的な概念規定についても,すでに『教. が何をどのように学習するのかを暫定的にしろ把握する. 育実践学の構築』において,明確に述べられている。こ. ことが先決事項となる。学習者が何をどのように学習す. れによると,教科教育実践学とは,従来の教科教育学及. るのか何も分からなければ,その支援の方法も浮かばな. び教科専門科学とは違った,実践を軸にして両者を統合. い。この学習過程への明確な洞察なしに「教育」が行わ. することによって産まれる新しい学である。 「既存の研. れている実態はあるであろうが,その場合でも,教師は. 究科とは異なる特徴を持った研究科をつくる」必要があ. 暗黙のうちに何らかの学習過程を想定していると言える. り,その答えの1つが教科教育実践学であることは,こ. であろう。. の学に課せられた独自性を決定づける要件が何であるか を示している。. たとえば,国語科における「文学鑑賞」,社会科にお ける「科学的社会認識」,数学における「分数計算」,理. 難しくて異論があるのは,この学の成立要件とそれを. 科における「摩擦係数の決定」,音楽科における「歌唱」,. 支えるアプローチの把握にある。 1つの期待は,同定さ れた対象をよく観察し,記述し,分析することによって,. 美術科における「絵画鑑賞」,保健・体育科における. そこに作用している一般的な原理を導き出すという道筋. における「ものつくり」,英語科における「コミュニケ. であろう。しかし,この考え方は教育実践をあまりに単. ーション能力」のそれぞれに関し,まずそれが何であり,. 純に捉えすぎている。物理現象や化学現象は人間の意図. それがどのよう行われるかを理解し,次いでそれがどの. や意義づけなどと無関係に起こり,その意味において単. ように学ばれるのかという学習過程についてのある程度. 純であるので,その記述と分析によって原理を導くこと. の(暫定的)理解ないしは(仮説的)推論を踏まえて初. は可能である。これに対し,教育実践は,教師が教育的. めて,その学びを助長する教育の理論と実践が可能とな. 意図をもって,学習者集団に対し,教室という社会文化. る。しかも,その学びとその助長は,各教科が固有に担. 的な場の中で,特定の教科の学習を支援すべく,間断な. う教育的な目標の達成に沿うものでなければならない。. く行われる様々な判断を伴いながら行われるものであ. 「スポーツ実践」,家庭科における「生活理解」,技術科. このような意味での教育が成立するためには,設定さ. り,そこには「科学的原理」に基づく「見える実践」の. れる目標に関し,それ自体の理解,その学習過程への洞. みならず,状況に対する省察とそれに応じた判断が行わ. 察,その学習過程の促進のあり方の決定,その教育的意. れる「見えない実践」も重要なものとして含まれる。. 義の確認が行われなければならないが,これを可能にす. したがって,ただ単に教育実践を記述し,それを蓄積. るためには,すべての段階で理論が必要となる。とくに. することによって,何らかの原理を導いたり,授業構成. 端緒となる目標そのものに対する理論的な理解は不可欠. 素間の関係や構造を明確にし,その組み合わせのパター. である。目標に対応する理論及びその学習理論など聞い. ンを導くことによって,教育に係る理論を構築すること. たこともないという目標もあるかもしれないが,これは. は到底期待できない。複雑多岐な現象の観察には視点の. それが日下のところ存在しないということであって,必. 設定が必要であり,その視点を得るためには何らかの理 論に依ることが要求される。予断的な視点を設けず,教. 要ではないということを示してはいない。そういう場合 であって,教師は「おそらくこういうことだろう」とい. 育実践の総体をそのあるがままに捉えることによっての. う直感的な判断の基で,その学習過程に対して何らかの. みその実態の把握が可能になるとするのは,他愛のない 夢物語にすぎない。. アプローチを取ることになるだろう。これはこれ自体で,. 教科教育実践学の成り立ちを「実践の理論化」とか 「実践の中の理論」と言うとき,それを促すためには, その端緒なる理論が必要となるのである。. すでに(プリミティブではあるが)理論的であるとしな ければならない。 たとえば,英語科における「コミュニケーション能力」 について言えば,その能力の実体についての諸理論があ. -126-.

(2) り,その学習過程についての理論も複数ある。それに依. が遍在する修士課程の用語であることから,前者を後者. 拠し,教育においてはまさに教育的な観点からその助長. の上段に配置する見方と,他方で,教科教育実践学は教 科教育学の特殊型であり,その意味において前者を後者. 策を講じることになる。しかしながら,このような理論. の一部に組み込む見方もある。 これらに対し,両者の違いと位置関係は,実践性の徹. を知らない英語教師も少なからずいるが,彼らの場合で も,それぞれ自分自身の直感的な判断に基づき,それな りの助長策を講じている。 ただし,ここで注意すべきことは,目標の理解及びそ. 底の度合いの違いという観点から見るのがよい。教科教. の学習過程への洞察において利用される理論は,多分に. で行われる修士課程の研究では,しばしば,本来の実践. 関連諸科学のものであるということである。英語科にお. 性を明確に志向しながらも,学習対象の概念的把握や,. ける「コミュニケーション能力」の場合,その理論は社. その学習過程の理論的理解に留まり,そこで依拠される. 会言語学の理論,言語習得の理論であり,英語教育実践. 外的理論を実践学のサイクルに深く組み込むまでに至ら. 学そのものの理論ではない。. ないものが多々ある。また逆に,実践学のサイクルに深 く組み込むことを是とし,それがために学習対象の概念. 3.実践学の自律性. 的把握や,その学習過程の理論的理解が不十分なものも. 育学が実践的であるのは自明の理であるが,その名の下. 教科教育実践学が単に関連諸科学の理論仮説の検証の. あり,結果として見るべきものがそのサイクルから出て. 場であるなら,その実践学に自律性はない。自律性を持. こない場合もある。このことは,教科教育学についての. たない学はありえず,したがって教科教育実践学は別の. 現実的な事実の描写である。 教科教育実践学には,実践サイクルへの深いコミット. 次元でその自律性を持つべきはずとなる。この次元は, 教育という営為とその実践性の中に見出すことができ. と,そこ-至る前提としての理論的な把握の両者が不可. る。設定された学習目標と学習者によるその学習の過程. 欠である。この意味において,教科教育実践学は,教科. が教育の前提であり,その過程を動機づけ,促し,助長. 教育学が本来において持つべき本格的な姿を表している. するのが教育の本質的任務であるとすると,目標の把糧. ということができる。前者は厳格な姿であり,後者は緩. と,そこに想定される学習過程と,それに対応する教育. やかな姿である。. 的動機づけと促しと助長が,教育的実践の中で相互に関. 5.実践的であること. 連づけられ,その結果としての効果を検証することも含. 実践学であると言うとき,その研究成果は「明日の授. めたサイクルの中に置かれたとすると,そのサイクルは, 最初に依拠した理論そのものの有効性を見るものではな. 業にすぐに役立つ」という期待感が込められている場合. く,教育の実践のためという独自の観点から,教育的に. が多い。しかしこの期待感には用心すべき点がある。こ. 講じられる方策のメカニズムとその有効性を独立的に検. れは「明日の授業に役立つことは」 「明後日の授業には. 証するものとなる。それによってこそ,その結果を実践. 役立たない」危険性を季むということである。ここの問. のサイクル-還元し,さらなる検証のサイクルへと回す. 題は,教育実践のサイクルから生み出されるものが,原. ことが可能となる。. 理的で理論的なものか否かに係っている。 明日の授業に現れる問題点に係る対処の仕方が,明後. 教科教育実践学の自律性とは,契機となる理論が外来 のものであれ,それを教育実践によって動機づけ,教育. 日の授業に現れる問題点-の対処の仕方と根本において. 実践の中で検証し,教育実践の価値でもって評価し,教. 通底する程に原理的で理論的でなければならない。一時. 育実践独自の理論として編み出すことであり,それを教. 的な現象のみに捕らわれ,その解決の急務に押され,そ. 育実践に還元し,さらなる検証にかけ,理論的に研ぎ澄. の場限りの方便に訴えるようなことがあってはならな. ましていくことを意味する。. い。実践的であるということは,実践に捕らわれること を意味するのではない。. 当然のことながら,教科教育における目標設定と,そ の把握と,想定されるその学習過程はいずれも常に暫定. 教科教育実践学の実践とは,理論的な把握を教育実践. 的なものであり,したがって教科教育実践学的サイクル. のサイクルにかけ,教育実践の価値づけを持った独自の. を通したその検証と理論化も,常に暫定的であるという. 理論として新たに紡ぎ出すことであり, 2つのレベルに. 認識は必須である。. おける理論の重要性は,ますます重要となると言わざる をえない。実践学は優れて理論的であり,実践から理論 -の展開は,以上のような見方においてのみ初めて可能. 4.実践学の意味. となることを十分に認識すべきである。. 教科教育実践学は教科教育学とは異なる。しかし,教. なお,本小論を善くに当たり, 『教育実践学の構築』. 科教育学が実践的でないわけではない。一方で,教科教. を参考にした。. 育実践学が本学連合大学院の鍵概念であり,教科教育学. -127-.

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