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東医大誌、60(3):179〜180,2002
「文化国家」と言う言葉をもう一度呼び戻そう
東邦大学 名誉学長 国立がんセンター 名誉総長
杉 村 勢
東京医科大学は勿論のことだが,東邦大学でも,国立がんセンターでも,現在中堅で活躍中の方々は,私の大 学卒業の頃はまだお生まれになっていなかった人が多いと思う.大学入学が昭和20年,卒業が24年,いつの間 にか 々と年月が流れた.ついこの間まで会合に出席すると若い方に分類されていたが,今や,時々出席者の最 年長であるのに驚く.
少しその時代をふり返ってみたい.卒業した頃はまだ戦争の跡が残っていた.昭和20年3月10日の東京下町 方面の空襲は,298機のB−29により1783トンの焼夷弾が投下され,18万余の民家が焼失,死者7万2千,隅田 川には死体が並んで浮かんでいたという(吉村昭「東京の戦争」筑摩書房2001).その年8月の敗戦後,数年の間,
日本には「文化国家」として再生するというスローガンがあった.明治天皇御誕生日,Il月3日の明治節は文化 の日となった.
湯川秀樹博:士,朝永振一郎博士のノーベル賞受賞,木原均博士のコムギのゲノムの研究,吉田富三博士の吉田 肉腫の研究等,乏しい研究費ながら,日本固有の研究があった.黒沢明の「羅i生門」に始まる日本映画の黄金時 代も始まっていた.太宰治の小説にのめり込んだりしながら,混沌の中,「文化国家」のスローガンの下に私等は 呼吸していた.
文部大臣も阿倍能成,天野貞祐,森戸辰男の諸先生のように,何となく理非曲直に厳しい人がいた.一方,私 自身の学窓生は苦しくとも楽しく,学生食堂や,皆さんが聞いたこともない大学の前にあった外食券食堂に列を 作っていたのである.しかし大切なことは,老若男女,日本国中が,今日は昨日より良い,明日は今日よりもっ
と良いと思っていたことである.
省みると,今は何となく閉塞感があり,厚い雲が頭の上に垂れ下がっている気がする.「文化国家」がいつしか
「経済国家」となり,しかも企業や団体が本来の目的を逸脱し,リゾートやゴルフ場開発等に投資をし,土地価格 の下落:と共に,自社の株主の資産や,国民から預かった貯金をすってしまった.
急に科学技術研究費を増やして,その成果で日本の経済復興を計ろうという風潮がある.科学研究費の成果は,
パテントの数と論文が引用される頻度で評価される安易さが横行している.
本当の独創は,暫くは人目につかないかもしれない.上等の科学を生むには,実利を追求しない文化的雰囲気 も大切である.再び「文化国家」のスローガンと共に,1人1人の心に潜む良心と正直さを再興しようではない か.文化は時に無駄を生むが,国家再生にとり,より本質的に要求される道徳と品格を生む.
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東京医科大学雑誌
第60巻第3号杉村 隆先生 ご略歴
昭和24年3月 昭和25年3月 昭和32年10月 昭和34年7月 昭和35年12月 昭和39年ll月 昭和45年8月 昭和49年9月 昭和59年7月 平成4年1月 平成4年1月 平成5年7月
平成6年7月目平成12年6月 平成12年7月
東京大学医学部医学科卒業
東京大学医学部放射線医学教室助手
米国国立癌研究所生化学部 Visiting Scientist
米国ウエスタンリザーブ大,生化学教室 Research Associate 財団法人癌研究会癌研究所所員
国立がんセンター研究所部長 東京大学医学研究所教授併任 国立がんセンター研究所所長 国立がんセンター総長 国立がんセンター名誉総長 厚生省顧問(平成6年7月まで)
日本対がん協会会長
東邦大学学長 東邦大学名誉学長
昭和44年11月 昭和49年11月 昭和50年6月 昭和51年6月 昭和53年3月 昭和53年II月 昭和56年3月 昭和56年6月 平成4年10月 平成6年ll月 平成8年6月 平成9年4月
平成10年lI月
高松宮妃癌研究基金学術賞 武田医学賞
藤原長
日本学士院賞,恩賜賞 米国環境変異原学会賞 文化勲章
米国パートナー癌研究会学術賞受賞
米国ジェネラルモータース癌研究基金モット賞 吉田賞
日本環境変異原学会学術賞
フランス共和国国家功労章オフイシエ叙勲 日本国際賞
勲一等瑞宝章
昭和57年4月 昭和57年ll月 昭和62年7月 昭和62年10月 平成13年9月
米国国立科学アカデミー外人会員 日本学士院会員
オランダ王立芸術科学アカデミー外人会員 スウェーデン王立科学アカデミー外人会員
日本学士院 第二部部長 専門分野:生化学,腫瘍学
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