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東医大誌 69(4):431−432,2011
医療政策の基軸を明確に
全国社会保険協会連合会理事長
伊 藤 雅 治
Masaharu ITO今年は、わが国が世界に誇る国民皆保険制度が発足して50周年の節目の年である。政権交代により、小 泉内閣の医療費の総額抑制策が見直され、前回の診療報酬改定では6年ぶりのプラス改定となったが、総
額抑制策見直しの前提となる長期的、安定的な財源確保と、どのような手順を踏んで負担増に対する国民的な合意形成を図るかについて全く方向が示されていない。戦後の医療政策は大きく3つの時代区分に整理 することが出来る。終戦から皆保険体制が確立した昭和36年頃までは、いわゆる「拡張期」とも言える時 代で、GHQの指導のもとに医療提供体制の面では、公的病院を中心に病床の量的拡大が、医療保険制度の
面では終戦直後には3,000万人とも言われた無保険者を無くし、国民が安心して医療にアクセスできる体制を目指した国民皆保険計画が実施に移された。つまり、医療提供体制の面でも、医療保険の面でも量的な拡 大が医療政策の基軸であった。その後の約20年間は「改善期」とも言える時代で、医療提供体制の面では、
病床の量的拡大から、救急医療体制の整備、がんセンター、小児病院の整備等機能に着目した整備が始まっ た時代であり、医療保険の面では一貫して給付の改善が行われた時期である。これを支えたのが高度経済成 長であった。その後80年代に入り、高度経済成長の終焉と行財政改革の時代に入り、いわゆる「調整期」
ともいうべき時代を迎える。この日当代は、医療保険制度の面では急激な少子高齢化により増加する医療費を だれがどのようなルールで負担するかという調整が行われ、医療提供体制の面で病床規制を目的とした医療 計画制度を導入する第一次医療法改正をはじめ数次にわたる医療法改正により、医療提供体制の機能分化を 目的とした政策が行われた。このようにわが国の医療政策を振り返ってみると、いずれの時代においても政 策の基軸が明確であった。しかしながら、小泉内閣以降、また民主党政権下における最大の問題点は、どの 様な理念の下にわが国の医療政策を行うのかという、政策の基軸が明確に示されていないことである。混合 診療の是非を巡る議論に代表されるように、アメリカのような自己責任の国にするのか、または、国民の助 け合いの仕組みである皆保険体制を維持するのか、国の方向が問われている。医療政策の基軸は、皆保険体 制の維持と医師の地域偏在、診療科問偏在の是正が目下の最大の課題と考える。
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東京医科大学雑誌
第69巻 第4号略 歴
伊藤雅治(いとうまさはる)ITO, Masaharu
生年月日
昭和17年9月20日
履 歴
昭和43年5月 昭和46年4月
平成元年6月平成4年7月 平成6年7月
平成10年7月平成ll年8月
平成13年1月 平成13年8月平成13年10月
平成15年3月新潟大学 医学部卒 厚生省 入省
厚生省 大臣官房老人保健福祉部老人保健課長 厚生省 健康政策局計画課長
厚生省 大臣官房審議官(科学技術・児童家庭担当)
厚生省 保健医療局長 厚生省 健康政策局長
厚生労働省 医政局長(省庁再編)
辞職
社団法人全国社会保険協会連合会 副理事長 社団法人全国社会保険協会連合会 理事長