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現 代 世 界 思 想 史.中 雀 。1 -20世 紀 中 葉 ,ア メ リ カ の 内 外 一

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(1)

‑20世 紀 中 葉

,ア メ リ カ の 内 外 一

は じ め に

本 稿 は,拙 書 『現 代 世 界 思 想 史 序 説 上 』(丘 書 房1996年)に 直 接 続 くも の で あ る。 す で に拙 稿 「『現 代 世 界 思 想 史 序 説 上 』 へ の 追 加,そ して 戦 後 日 本 社 会 と思 想(1)」(『商 学 討 究 』50の4)お よ び 「『現 代 世 界 思 想 史 序 説 上 』 へ の 補 い(2),外 国 の 部 」(『商 学 討 究 』51の4)が 出 て い る。 そ こで は,拙 書 へ の 補 遺 が あ る。本 稿 で は,世 界 の 思 想 につ い て 述 べ る。『… … 序 説 』の 「中 の2」

とな る。

20世 紀 は,社 会 主 義 の 実 験 と衰 退 の 時代 で あ っ た 。 第1次 世 界 戦 争 で ヨー ロ ッパ が 衰 退 して か ら,第2次 大 戦 後,ア メ リ カ とソ 連 が 世 界 政 治 の 中心 と な っ た 。 大 戦 直 後 か ら1991年 の ソ 連 崩 壊 ま で,冷 戦 が続 い た 。 そ の 間,20世 紀 の 主 役 で あ っ た ア メ リカ が,ヴ ェ トナ ム 戦 争 か ら相 対 的 に 衰 退 を始 め た 。

20世 紀 は,石 油 と電 機 と 自動 車 の 時 代 で あ っ た 。 ア メ リカ を初 め と して,大 衆 社 会 が や っ て き た 。大 量 消 費,大 量 生 産,大 衆 文 化,大 都 会 の 時代 と な っ た 。

20世 紀 末 に情 報 化 社 会 が や っ て きた 。 ア メ リ カ は20世 紀 の 最 初 か ら,世 界 の 経 済 大 国 に な っ て い た 。 そ して 第1次 大 戦 で 焼 け太 り,第2次 大 戦 で,ア メ リ カ は 超 大 国 に な っ た。 そ れ が 道 徳 的 に揺 ら ぎ始 め た の で あ る。

1第2次 世 界 戦 争 直 後 の 国 際情 勢

1945年8月15日,日 本 は ポ ツ ダ ム宣 言 を受 諾 し,無 条 件 降伏 を し た。

〔45〕

(2)

1945年10月24日 に 国 際 連 合 が で き た 。12月 に は世 界 銀 行 とIMF(国 際 通 貨 基 金)が 発 足 した。

1946年2月24日 に 国 連 に原 子 力 委 員 会 が で き,ア メ リ カが 原 爆 を独 占 した 。 6月 か らビ キ ニ 環 礁 で 原 爆 実 験 が され た。 ア メ リ カ で 原 子 力 エ ネ ル ギ ー委 員 会 が作 られ た 。1947年6月 に,ヨ ー ロ ッパ の 経 済 復 興 計 画 で あ る マ ー シ ャ ル ・プ

ラ ンが 施 行 され た 。

1946年 に チ ャー チ ル の 「鉄 の カ ー テ ン」 演 説 が な され,1947年 に は米 大 統 領 トル ー マ ンの 反 共 演 説 が な さ れ,米 ・英 は,ソ 連 へ の対 決 姿 勢 を 強 め た。 トル ー マ ン は反 共 の ゴチ ゴ チ で あ っ て,冷 戦 を準 備 した 。ア メ リ カ は,民 主 主 義 者 ル ー ズ ヴ ェ ル トの 時代 か らは 大 い に変 化 して い た 。 レー ニ ン以 来,資 本 主 義 国 を憎 悪 す る とい う よ りも,そ れ を恐 怖 して い た ソ 連 の 政 治 家 に た い して,ソ 連 へ の 敵 対 を 煽 る の は 行 き過 ぎで あ っ た 。

1947年,ソ 連 は コ ミ ン フ ォ ル ム(=ヨ ー ロ ッパ 共 産 党 ・労 働 者 党 情 報 局)を 創 設 した 。 た だ し,1948年 に はユ ー ゴス ラ ヴ ィ アが こ こか ら除 名 され た 。

1947年6月 に ア メ リカ で,タ フ ト ・ハ ー トレー 法,つ ま り赤 狩 り,労 働 組 合 弾 圧 の 法 律 が 通 っ た 。7月 にCIA(中 央 情 報 局)が 発 足 し,ペ ン タ ゴ ン(=

国 防総 省)も 発 足 した 。 非 米 活 動 委 員 会 は,平 和 ・民 主 主 義 者 を共 産 主 義 の名 で 弾 圧 した 。

1949年,西 側 諸 国 は,軍 事 条 約 で あ る北 大 西 洋 条 約(=NATO)を 締 結 した 。 こ う して 第2次 大 戦 後 は,冷 戦 の 時代 が 始 ま る1)。

2ア ジ ア で

1946年,フ ィ リ ピ ン が ア メ リ カ か ら独 立 し た 。 ア メ リ カ は 経 済 的 理 由 か ら独 立 を 与 え た 。1948年,ビ ル マ お よ び セ イ ロ ン が イ ギ リ ス か ら 独 立 し た 。1949年, イ ン ドネ シ ァ が オ ラ ン ダ か ら独 立 を 闘 い と っ た 。

仏 領 イ ン ド シ ナ で は,1941年 に ヴ ェ トナ ム 独 立 同 盟(=ヴ ェ ト ミ ン)が で き,

1)『 グ ロ ー バ ル 資 本 主 義 の 物 語 』NHKブ ッ クス 。

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日本 軍 に抵 抗 した。 日本 軍 の 降伏 後 の1946年 に,ヴ ェ トナ ム民 主 共 和 国 が作 ら れ,ボ ー ・チ ミ ンが 大 統 領 とな っ た 。 だ が フ ラ ンス は そ れ を認 め ず,イ ン ドシ ナ 戦 争 を始 め た 。 そ れ は1946年 か ら54年(休 戦 条 約)ま で 続 き,こ の 結 果 フ ラ ンス は と う と う ヴ ェ トナ ム を手 離 した 。 だ が 北 緯17度 線 を境 に軍 事 境 界 線 が 敷 か れ た 。 また フ ラ ンス に 代 わ っ て ア メ リカ が 介 入 し,1955年 に南 ヴ ェ トナ ム を 作 っ た 。

こ う してす べ て で は な い が,ほ とん どの ア ジ ア諸 国 は,1940年 代 に,十 分 と は 言 え な い まで も政 治 的 独 立 を か ち と っ た 。

3南 ア フ リカ の ア パ ル トヘ イ ト

南 ア 共 和 国 は,白 人 が 人 口 の5分 の1を 占 め,1948年 以 来,オ ラ ン ダ系 白 人 の 国 民 党 が 政 権 を握 り続 け て い る 。 ア フ リ カの 流 れ を よそ に,1948年 に通 行 証 法,1949年 に背 徳 禁 止 法(つ ま り黒 人 が 白人 と結 婚 す る と8年 の 刑),1953年

に パ ン ツ ー 教 育 法(つ ま り黒 人 と白 人 を完 全 に 分 離 して 教 育 す る),1959年 パ ン ツー 自治 法(つ ま り黒 人 を指 定 地 域 に押 し込 め る)と い う人種 隔 離=ア

ル トヘ イ トの法 律 を次 々 と制 定 した 。

4水

1950年1月,ア メ リカ 大 統 領 トル ー マ ンが,水 爆 の 製 造 を指 令 した 。 世 界 は 新 しい 時 代 に入 っ た 。

1950年2月,マ ッ カ ー シー 議 員 が 爆 弾 演 説 を して,赤 狩 りを呼 び か け た。 平 和 主 義 者 を共 産 主 義 者 だ と レ ッテ ル を貼 っ て,3月 か ら赤 狩 りが 始 ま っ た 。1952 年 に チ ャ ップ リ ンが ア メ リ カ を去 っ て イ ギ リス に,つ ま り追 放 さ れ た 。 ロ ー ゼ ンバ ー グ夫 妻 が,ロ シ ア の ス パ イ容 疑 で,7月 と8月 に 逮 捕 さ れ,無 実 の罪 で 裁 判 に か け られ,死 刑 判 決 を受 け た 。1953年 に電 気 椅 子 で 処 刑 され た 。1954年 末 ま で マ ッカ ー シズ ム の 時 代 が 続 い た 。

ア メ リカ は 世 界 制 覇 の 道 を歩 ん だ 。 資 本 主 義 諸 国つ ま り西 ヨー ロ ッパ と 日本 を支 配 し,各 国 に軍 事 基 地 を置 い た 。 ア ジ ア と ラ テ ン ・ア メ リカ に新 植 民 地 主

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義 的 支 配 を行 っ た 。 ア メ リカ は 世 界 の憲 兵 と言 わ れ た 。 そ の た め に 国 内 を 非 民 主 化 す る 必 要 が あ っ た 。

ビ キ ニ 環 礁 で 核 実 験 が さ れ,中 部 太 平 洋 で60日 以 上 の 実 験 が され た 。 ソ 連 も 原 爆 を持 ち,軍 拡 競 争 が 始 ま っ た 。1952年 に ソ連 は,第2回 実 験 に成 功 し,量 産 に入 っ た 。 こ う して 米 は,原 爆 独 占 に や ぶ れ た。 だ か ら戦 術 用 小 型 核 兵 器 と 水 爆 製 造 を ね ら うの で あ っ た 。

1952年11月1日 に,ア メ リカ は,エ ニ ウ ェ トク環 礁 で,世 界最 初 の 水 爆 実 験 を行 な っ た と,発 表 した 。 イ ギ リス は,1952年10月2日 に原 爆 実験 を した 。

1953年1月20日 か ら軍 人 ・ア イゼ ンハ ワ ー が 大 統 領 に な っ た 。

次 い で1953年8月12日 に,ソ 連 は初 の水 爆 実 験 を行 な っ た。乾 式水 爆 で あ った 。 そ の 後1954年3月1日,ア メ リ カ に よ る ビキ ニ 乾 式 水 爆 実 験 が され,日 本 の ま ぐ ろ漁 船,第 五 福 龍 丸 の 久 保 山 愛 吉 氏 が被 爆 して死 亡 し,原 水 爆 の 危 険性 が 認 識 され 始 め た 。

当 時,核 抑 止 力 が 信 じ られ て い た 。 核 武 装 して い れ ば 戦 争 を抑 止 で きる とい う も の で あ り,こ れ で 軍 拡 が 始 ま っ た。 ソ連 首 相 とな る フ ル シ チ ョフ は,「 戦 争 は も う不 可 能 に な っ た 」 と言 う こ と に な る 。

ア メ リ カ で は,1951年12月29日,ア イ ダ ホ 州 アー コ 国 立 原 子 炉 試 験 場 で,原 子 力 発 電 が,非 実 用 で あ るが 始 まっ た 。1954年6月27日,ソ 連 は 実 用 発 電 所 を 作 っ た 。1956年 に イ ギ リス は商 業 的 発 電 所 を作 った 。 こ う し て 原 始 力 発 電 が は じ ま った 。 ア メ リ カ で は,無 数 の核 実 験 を,国 内 で も行 な っ た。 ユ タ州 で ロ ケ を した 映 画 『征 服 者 』 の 一 団 は,通 常 の3倍 の 癌 発 生 率 を経 験 した 。 原 爆 の技 術 は発 展 し,そ れ か ら,一 方 で は,地 上 で な く,地 下 核 実験 が 行 わ れ る よ う に な っ た 。 放 射 能 汚 染 は,5年 の潜 伏 期 をへ て,ガ ンに な る。 日本 の 児 童 の ガ ン 死 亡 率 は,広 島 の5年 後 か ら急 成 長 した 。1957年 に,日 本 初 め て東 海 村 原 発 が 完 成 した 。

5朝 鮮 戦 争

金 日成 は,1937年 の 有 名 な普 天 墨 の 戦 い で活 躍 した英 雄 で あ り,将 軍 で あ る 。

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彼 は1900年 こ ろ生 ま れ た 。 本 名 を,金 成 柱 とい い,1937年 秋,日 本 軍 に包 囲 さ れ,戦 死 した 。 朝 鮮 で は 独 立 闘 争 で 多 大 な 功 績 を残 した 人 物 を,金 日成 と呼 ぶ

よ う に な っ た 。 何 人 か が,金 日成 と呼 ば れ た 。

北 朝 鮮 の首 領 と な る 金 日成 は,1912年 生 まれ で,本 名 は,金 聖柱 で あ る 。 幼 少 の こ ろ 中 国 に移 住 した 。1932年 の 父 の死 後,中 国 人 の 養 子 に な っ た 。 母 は 生 活 に 困 っ た。 彼 は 日満 軍 に 追 わ れ て ソ連 へ 越 境 した。 そ し て 中 ソ 共 営 の ス パ イ 部 隊 ・ブ ヤ ッ コエ の 第八 八 特 別 偵 察 旅 団 の大 隊 長 に な っ た 。 同 時 に ソ連 共 産 党 員 に な っ た。1940年 冬,彼 は,日 本 の 討 伐 隊 に追 わ れ,満 州 か ら ソ連 へ 逃 れ, 取 調 べ を受 け た 。 そ の彼 を中 国共 産 党 が 保 証 した 。 中 国 共 産 党 は,満 州 抗 日連 軍 を作 り,金 聖柱 も こ の 一 員 で,チ ン ・リー ヨ ン とい っ た 。 戦 後 朝 鮮 半 島 に 進 駐 した ソ連 が,こ の 聖 柱 に 目 をつ け た 。 彼 は 金 日成2)に な りす ま した。

こ れ まで 朝 鮮 独 立 は カ イ ロ宣 言 で 決 ま っ て い た 。1945年,モ ス ク ワで,米 英 ・ソ外 相 会 議 で,統 一 政 府 樹 立 話 合 い が 着 か ず,国 連 へ 持 ち 込 まれ た 。 朝 鮮 委 員 会 が 設 置 され,北 朝 鮮 は非 協 力 だ っ た 。1948年8月 に選 挙 が あ り,李 承 晩 の 大 韓 民 国 が で き る。 北 は,9月9日,朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 を樹 立 した 。 南=韓 国 に,米 軍 が 駐 留 した 。 李 承 晩 は,南 北 の 武 力 統 一 を考 え た 。 金 日成 も同 じ くそ う 考 えた 。

1950年,ア メ リ カ は韓 国 と軍 事 協 定 を結 ん だ 。 そ して 朝 鮮 戦 争 を準 備 した 。 だ が1950年6月25日,北 朝 鮮 軍 の奇 襲 攻 撃 を 受 け て南 朝 鮮 側 が そ れ に反 撃 を 開 始 した 。 戦 争 を 望 ん で い た ア メ リカ に と っ て は チ ャ ンス だ っ た。 こ う して朝 鮮 戦 争 が 始 ま っ た 。 金 日成 は,な ぜ か ア メ リカ の 介 入 は な し と み た 。

戦 局 は 一 進 一 退 で あ っ た 。 北 へ は 中 国 ・ソ 連 の 援 助,特 に 中 国 は 参 戦 し,南 へ は ア メ リ カ の 援 助 が 入 っ た 。1953年7月2日,朝 鮮 戦 争 が 終 っ た 。 北 緯38度 線 で分 割 す る休 戦 協 定 が 結 ば れ た。 朝 鮮 戦 争 に よ っ て,戦 後 経 済 の 停 滞 に 陥 っ て い た 日本 は,発 展 の きっ か け を与 え ら れ た 。 この 戦 争 は,20世 紀 後 半 の ア ジ ァ の戦 争 の 型 を 決 め た。 つ ま り大 国 の 代 理 戦 争 で あ っ た 。

2)『 金 日 成 選 集 』 あ り 。1994・4・8死 。

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北 で は,戦 後 復 興 が す す ん だ 。 千 里 馬 運 動 が 命 じ られ,ノ ル マ 以 上 の 生 産 を 目指 す よ う に な っ た 。 朝 鮮 戦 争 が 始 まっ て か ら,ア メ リカ で セ ッ ク ス 映 画 が 作 られ 始 め た 。

6映 画

1950年 代 に,ア メ リ カ で は 西 部 劇 の 傑 作 が で た 。ア ラ ン ・ラ ッ ド,ジ ャ ッ ク ・ バ ラ ン ス 主 演 の 『シ ェ ー ン』。ゲ ー リ ー ・ク ー パ ー,グ レ ー ス ・ケ リ ー 主 演 の 『 真 昼 の 決 闘 』(1952年),で あ る 。 戦 前 は,ジ ョ ン ・フ ォ ー ド と ジ ョ ン ・ウ エ イ ン

の 西 部 劇 が 最 盛 で,ア ・プ リ オ リ に,イ ン デ ィ ア ン を 悪 人 と見,白 人 を 善 人 と 見 な し て い た 。50年 代 に は,悪 い 白 人 と よ い 白 人 の 対 決 が 主 題 と な っ た3)。

一 方 ,ル ネ ・ク レ マ ン 監 督 の 「禁 じ ら れ た 遊 び 」,マ ー ガ レ ッ ト ・ ミ ッ チ ェ ル の 原 作 で,VivianLeigh,ク ラ ー ク ・ゲ ー ブ ル が 主 演 し た 「 風 と共 に 去 りぬ 」 の 名 作 が 生 ま れ た 。 ソ 連 の エ イ ゼ ン シ ュ テ イ ン も頑 張 っ て い た4)。 ウ ォ ル ト ・ デ ィ ズ ニ ー が,漫 画 家 と な り,ア ニ メ ー シ ョ ン 映 画 を 作 っ た 。1955年 に デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドを 作 っ て,新 し い 娯 楽 が 始 ま っ た 。

7文 化 人 類 学

新 しい 文 化 人 類 学 が 誕 生 した。 そ れ は,研 究 者 が 長 期 に 実 地 に住 ん で研 究 対 象 の民 族 を観 察 す る こ とに よ っ て生 まれ た。 まず そ の代 表 は,マ リ ノ フ ス キ ー で あ る 。 彼 は,1884年 に ポ ー ラ ン ドに生 ま れ た 。 ク ラ カ ウ 大 学 で物 理 ・数 学 の ドク ター を と り,ラ イ プ チ ヒで 民 族 学 に転 換 した 。そ の 後,ロ ン ドン で学 ぶ も, 文 献 研 究 の 限 界 を知 っ て,オ ー ス トラ リ アへ 野 外 研 究 に行 った 。 ニ ュ ー ギ ニ ァ

の トロ ブ リ ア ン ド島 人 の調 査 を始 め た が,第1次 大 戦 に よ り,長 期 の 調 査 に な っ た 。1922年 に,そ の成 果,「 西 太 平 洋 の 遠 洋 航 海 者 」 を 出版 した 。

次 に 続 い た の が,ク ロ ー ド ・レ ヴ ィ ・ス トロー ス で あ る 。 彼 は,1908年 ベ ル ギ ー に 生 ま れ,パ リ で学 ん だ 。 マ ル クス,フ ロ イ ト,ソ シ ュー ル,マ リノ フ ス

3)1990年 の 『ダ ン ス ・ ウ イ ズ ・ ウ ル ヴ ス 』 で は,イ ン デ ィ ア ン を 善 と み る 。 4)『 現 代 ・ ・上 』 を 見 よ 。

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キ ー の 影 響 を 受 け た 。 後 者 は もち ろ ん,「 西 太 平 洋 の 遠 洋 航 海 者 」 で あ る。

彼 は,ブ ラ ジ ル の イ ンデ ィ ア ン諸 種 族 の 実 態 調 査 を敢 行 し,『親 族 の基 本構 造 』 (1946年),そ の後 『悲 し き熱 帯 』(1955年)を 書 く。

悲 し き熱 帯 』 は,旅 行 記 で あ り調 査 で もあ る。 彼 は,ブ ラ ジル の カ ドゥ ヴ ェ オ 族 と ナ ン ビ ク ワ ラ 族 の 生 活 を 描 く。 後 者 は,裸 民 族 で あ る 。彼 はそ こ に, 人 間 を見 い だ す 。

彼 の 構 造 主 義 的 人 類 学5)は,大 き な影 響 を与 え,い わ ゆ る構 造 主 義 の 第1人 者 とな る。 構 造 主 義 の発 想 は,ソ シ ュ ー ル か らあ り,フ ー コ ー らが,つ ぐの で

あ っ た 。

8ラ イ ト ・ ミ ル ズ

ラ イ ト ・ ミ ル ズ(1916‑62)は,『 ホ ワ イ ト ・カ ラ ー 』(1951年)を 出 し た 。20 世 紀 は ホ ワ イ ト ・カ ラ ー の 時 代 で あ る 。 こ の 意 義 を 初 め て 着 目 し た の は,ヒ ル

フ ァ デ ィ ン グ の 『金 融 資 本 論 』 で あ る 。 ミ ル ズ は こ の 存 在 を 全 面 的 に 社 会 学 的 に 解 明 し た 。新 中 間 階 級 と す る 。そ の 他,『 パ ワ ー ・エ リ ー ト』 な ど の 書 が あ る 。

9ト イ ン ビ ー一と 『歴 史 の研 究 』

トイ ン ビ ー は,1899年 生 ま れ の イ ギ リス 人 で,ギ リ シ ャ研 究者 で あ っ た 。 古 代 ギ リ シ ャ と現 代 の 共 通 性 を知 り,第1次 大 戦 と,シ ュペ ング ラー の 『西 欧 の 没 落』 の 構 想 な ど に影 響 され,西 欧 を超 克 し よ う と した 。 ヨー ロ ッパ 史 の 時 代 が 永 久 に過 ぎ去 っ た,ヨ ー ロ ッパ 人 は ヨー ロ ッパ を乗 り越 え な け れ ば な ら な い, と彼 は 思 う。40年 間 の研 究 で 大 著 『歴 史 の研 究 』 を 出 版 した。 驚 くほ どの 巨 視 的 な 文 明 把 握 が そ こ で な さ れ た 。20世 紀 最 大 の 歴 史家 と呼 ば れ,あ る い は アマ チ ュ ァ と も言 わ れ る。 だ が こ れ は 公 平 な観 察 と プ ラ グ マ テ ィズ ム で あ り,視 野 は広 い が 深 み に や や 欠 け る。 こ の 書 は 国家 史 で は な く,比 較 文 明 史 的 世 界 史 で あ る 。 国 家 ・民 族 ・階級 で な く,世 界 文 明 圏 を扱 う。 社 会 と文 化 の 統 一 体 を文

5)作.『 構 造 人 類 学 』 『 野 性 の 思 考 』。

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明 と し,21の 文 明 の発 生 ・成 長 ・破 綻 ・崩 壊 を比 較 研 究 す る。 そ し て過 去 と現 代 と比 較 して 共 通 性 を延 べ,諸 文 明 の 親 子 関 係 を探 る 。 そ の 結 論 は 次 の 図 で 現

わせ る。

第 ユ代 エ ジ プ ト ア ンデ ス

ミ ノ ス天

シュメルベ

第2代

シ リ ア バ ビ ロ ン

ヒ ッ タ イ ト イ ン ド

シ ナ

メ キ シ コ

ヤヘ

ユ カ タ ン

第3代

ギ リシ ャー/甚 リシ淫正教 ●ロシア ア ラ ビ ア

ー\

イ ラ ン

ヒ ン ド ウ ー 極 東 ・日 本

彼 は ヨー ロ ッパ 人 の 視 野 の 革 命 を した 。ヨ ー ロ ッパ が 世 界 な の で は ない,と 。 後 年,原 子 力 や 戦 争,ア ジ ア の 文 明 な どで 啓 蒙 的 発 言 を行 な っ た。 彼 に よ っ て 人 は世 界 の 中 に い る の だ とい う こ と を教 わ る の だ っ た。

10ア イ ン シ ュ タ イ ン

ア イ ン シ ュ タ イ ンは6)原 子 力 が 理 論 的 に可 能 だ と云 う。

1933年 に ナ チ に追 わ れ,ア メ リ カへ 行 き,プ リ ンス トンの 高 等 学 術 研 究 所 に い た ア イ ンシ ュ タ イ ンは,折 りに 触 れ て書 い た随 筆 ・寄 稿 ・演 説 な どを 集 め て

晩 年 に想 う』(OutofmyLaterYears)を 出 版 した。 ア イ ンシ ュ タ イ ンが 単 な る天 才 的 物 理 学 者 にす ぎ な い の で は な い こ と が,こ こ で 示 さ れ た。 「拘 束 力

6)ア イ ン シ ュ タ イ ン 『晩 年 に 想 う 』1950。 伝 記 涯 』。

ゼ ー リ ヒ 『ア イ ン シ ュ タ イ ンの 生

(9)

の あ る超 国 家 的 な 世 界 政 府 を樹 立 す る こ とが,原 子 力 の 国 際 管 理 に た い す る先 決 問題 で あ る。」 国 連 で は な い 。(『晩 年 に 思 う』)亡 くな る 年 の1955年,ラ ッセ ル ・ア イ ン シ ュ タ イ ン宣 言 に 署 名 し,ラ ッセ ル に よ っ てパ グ ウ オ ッ シュ 会 議 が 開 か れ た 。

11ユ ー ゴ ス ラ ヴ ィア

1918年,第1次 大 戦 の 終 結 で,セ ル ビア ・ク ロ ア チ ア ・ス ロ ヴ ェ ニ ア 王 国が で き た が,1927年 に ユ ー ゴ ス ラ ビ ア と変 え た。 第2次 大 戦 に は,1941年 に反 ナ チ ・レジ ス タ ンス が起 き,チ トー が 一 斉 蜂 起 を呼 び か け た 。 ユ ー ゴ ス ラ ヴ ィ ア で は独 自 の ゲ リラ が作 ら れ,自 ら の手 で ナ チ か ら解 放 さ れ た 。1943年 に は,チ

トー は 臨 時 政 府 を作 っ た。 大 戦 中,ス ター リ ンは ユ ー ゴ ス ラ ヴ ィ ア の 共 産 化 を 警 戒 した 。 西 欧 との 関 係 悪 化 を き らっ た か らだ。 チ トー は,亡 命 政 権 を承 認 せ ず,国 王 帰 国 を禁 止 し たが,ス タ ー リ ンは そ れ に 反 対 した 。

戦 後1946年,ソ 連 ・ユ ー ゴ合 弁 会 社 設 立 の件 が も た ら され た 。 ユ ー ゴ は 同 意 した が,ソ 連 だ け が 利 益 を得 る と知 り,そ こ でユ ー ゴ は そ れ を拒 否 した 。チ トー は,ソ 連 に 疑 問 を も っ た の だ 。 彼 は ソ 連 との 経 済 取 引 は損 だ と知 っ た 。

1948年 に,ユ ー ゴ代 表 が ク レ ム リ ン に呼 ば れ,ユ ー ゴ外 交 政 策 を ソ連 と事 前 に 協 議 す る 協 定 文 に 署 名 させ られ た。 また ア ルバ ニ ア を併 合 せ よ との ス タ ー リ

ン命 令 に,ユ ー ゴ は従 わ な か っ た 。 こ う して1948年,コ ミ ン フ ォ ル ム は ユ ー ゴ 共 産 党 を破 門 した7)。

ユ ー ゴ は 新 社 会 主 義 思 想 を 開 拓 した 。1950年 法 で 労 働 者 自主 管 理 を 決 め た。

これ は分 権 的 経 済,新 しい社 会 主 義 の 道 で あ っ た 。ユ ー ゴの 「社 会 所 有 」 と は, 労 働 者 が 直 接 管 理 す る こ とで,労 働 者 評 議 会 が 企 業 運 営 の 中 心 に な る 「市 場 社 会 主 義 」 で あ っ た 。 た だ しチ トー は警 察 は握 っ た 。 ユ ー ゴ は 多 民 族 国家 で あ っ た 。 ユ ー ゴは,国 有 化 社 会 主 義 で な い 道,そ して 国 有 化 は社 会 主 義 の1つ の 道 で あ る こ と を示 した 。 こ の 工 場 自主 管 理 は しか し失 業 ・出稼 ぎ を生 ん だ 。 実 際

7)ミ ロ ヴ ァ ン ・ジ ラ ス は,『 新 しい 階級 』 を書 い て い る 。

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は 南 北 経 済 問 題 を 抱 え,失 業 率 が 高 く,ス トラ イ キ も あ っ た 。

コ ミ ン フ ォ ル ム 追 放 後,ユ ー ゴ は 非 同 盟 中 立 国 と な っ た 。1955年 に,チ トー と フ ル シ チ ョ フ は 和 解 す る 。

12ス タ ー リ ン論 文 と,死

戦 後,社 会 主 義 圏 で は,ス タ ー リ ン(1879‑1953)8)の 時代 で あ っ た 。 彼 は東 欧 ま で も支 配 し た。 「ス タ ー リ ン論 文 」 とい わ れ る 「ソ 同 盟 に お け る 社 会 主 義 の 経 済 的 諸 問 題 」(国 民 文 庫 版 あ り)は,世 界 で も て は や さ れ た 。 現 代 資 本 主 義 は 「最 大 限利 潤 」 を求 め る とい う。 「最 大 限 利 潤 論 」 は,当 時 彼 の カ リス マ 的 支 配 のせ い で,圧 倒 的 に支 持 され た 。 だ が 考 え て見 る と,間 の 抜 け た 定 義 で あ っ た 。

1953年 に,ソ 連 首 相 ス ター リ ンが 死 ん だ 。 これ は衝 撃 だ っ た。1人 の死 が こ れ ほ ど大 きか っ た 例 は余 りな い。1953年,東 ベ ル リ ン暴 動,ポ ー ラ ン ドお よ び ハ ンガ リ ー で 政 変 が 起 きた 。

13人 工 衛 星

1957年 に,ソ 連 初 め て 人 工 衛 星 ス プ ー トニ ク が 成 功 した 。 そ の後,ス プ ー ト ニ ク2号 が,ラ イ カ犬 を乗 せ て 成 功 した 。 同 じ1957年 に ア メ リ カ も挑 戦 し,失 敗 し た。 ソ連 は,ミ サ イ ルICBMの 打 ち 上 げ に成 功 した 。 一 方 で,ソ 連 の ミ サ イ ル秘 密 基 地 が 爆 発 し,こ れ は秘 密 と さ れ た 。

ア メ リ カ の ス パ イ機U2が 飛 び,1960年 にU2の 撃 墜 事 件 が 起 きた 。 そ れ は ア メ リ カの 秘 密 偵 察 機 だ っ た 。 ソ連 上 空 を飛 び,ソ 連 で は ミサ イ ル が 余 り配 備 して い な い こ とを 知 っ た。 そ れ は秘 密 に さ れ た 。 ア メ リカ は 過 剰 反 応 を して い た 。1960年 ソ連 で ミサ イ ル が 爆 発 炎 上 した 。

1961年4月 に,ソ 連 は有 人 飛 行 に成 功 し た。飛 ん だ の は ガ ガ ー リ ンで あ っ た。

しか し当 局 は彼 が死 ぬ こ とを 前 提 と して い た。 ア メ リ カ は,月 に行 く と発 表 し

8)文 献 一 『 全 集 』 大 月 書 店 。 伝 記,ド イ ッチ ャー 『 ス ター リ ン』 み す ず 書 房 。 トロ

ッ キ ー 『 ス タ ー リ ン』 合 同 出 版,が あ る 。

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た 。

ユ ー リ ー ・ガ ガー リ ン は,ス モ レ ンス ク州 の 農 村 に1934年 に生 まれ た 。 農 民 の子 で あ っ た 。 少 年 時 代 か ら空 に あ こが れ た 。

1950年 代,米 ソの 宇 宙 競 争 が 始 ま った 。 ツ ィホ ルス キ ー は ロ ケ ッ ト研 究 を し て い た 。1953年,無 人 ル ナ が 打 ち 上 げ られ た 。 そ の 後,ま ず ラ イ カ 犬 を打 ち上 げ て 実験 した 。 犬 は皆 死 ん だ 。1960年8月,初 め て 犬 が 生 還 した。1960年8月 に,ロ ケ ッ トの発 射 の さ い に爆 発 して,98人 が 死 ん だ 。 これ は秘 密 に され た。

ガ ガ ー リ ンは,宇 宙 飛 行 士 と して エ リ ー ト ・パ イ ロ ッ ト20名 の1人 に選 ば れ た 。 彼 は 訓 練 を した 。 そ の 後6名 の 中 に選 ば れ た 。

1960年 代 は宇 宙 時 代 の幕 開 け だ っ た 。 ソ連 は ア メ リカ よ り先 に 人 間 を打 ち上 げ る必 要 が あ っ た 。1961年3月,人 形 イ ヴ ァ ン ・イ ヴ ァノ ヴ ィチ を打 ち上 げ た 。 ガ ガ ー リ ン は最 初 の 宇 宙 飛 行 士 に 選 ば れ た。 誰 で も よ か っ た が,労 働 者 出 身 と い う こ とか らで あ った 。 飛 行 前,彼 は 遺 書 を書 い た 。1961年4月12日 ボ ス トー ク1号 が 発 射 され た 。 そ の 時,自 動 制 御 で あ っ た 。 手 動 に転 換 す る 番 号 を教 え な い こ と に して い た 。 つ ま り死 ん で も しか た が ない,と い う も の だ った 。 だ が 技 術 員 イ ワ ノ フ ス キ ー は,可 愛 そ う だ と思 っ て,秘 か に教 え た。飛 行 時 間108分 。 パ ラ シ ュー トで ロ シ ア農 村 に着 陸 した 。 地 球 を1回 ま わ った 。 躰 は 固 定 さ れ て い た。 機 械 は 自動 だ っ た 。 実 験 台 だ っ た。 人 間 を観 察 す るだ け だ っ た 。 降 りて す ぐ彼 は 共 産 党 中 央 に電 話 し た。 「生 きて い る ん だ ね 」 が 最 初 の 言 葉 だ っ た 。

飛 行 状 態 は撮 影 さ れ て い な か っ た の で,あ とで 撮 影 され た 。秘 密 主 義 だ っ た 。 ソ連 は 成 功 の 自信 が な か っ た 。

彼 は 国 民 英 雄 に な っ た 。 そ して世 界 訪 問 を した 。 ソ連 の 宣伝 の た め だ っ た。

小 柄 で,き さ くだ っ た。 だ が 飛 行 体 験 を くわ し く語 らな か っ た。 語 れ なか っ た の で あ る。 ガ ガ ー リ ンは そ の 後,宇 宙 ア カ デ ミー に入 っ た 。 再 び飛 び た い と思 っ て,勉 強 した 。

ゲ ル マ ン ・チ トフが2人 目 と して 飛 ん だ。 彼 は ロ ケ ッ ト内 部 で実 験 を した。

1968年3月29日,ガ ガ ー リ ンの乗 った 訓 練 戦 闘 機 ミグ で,教 官 が心 臓 発 作 を 起 こ し,気 を 失 った 。墜 落 した 。ガ ガ ー リ ン は死 ん だ(ク ズ ネ ツ ォ ー フ 『ガ ガ ー

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リ ン の 死 』)。

1961年,ソ 連 が 水 爆 実 験 を した 。 広 島 の3千 倍 で,四 国 く らい の 広 さ が全 滅 す る も の だ っ た 。 フ ル シチ ョフ が 第22回 ソ 連 共 産 党 大 会 で 予 告 した 。 製 造 に サ ハ ロ フが 参 加 した 。 彼 は 「水 爆 の 父 」 と言 わ れ た 。 だ が サ ハ ロ フ は 実 験 に 反 対 した 。 しか し参 加 した。2500km離 れ た 所 で も強 い放 射 能 が あ っ た 。 日本 に も そ の 放 射 能 が きた 。

14ハ ン ガ リ ー

ハ ン ガ リ ー で は,1945年 に 総 選 挙 が あ り,小 農 業 者 党 が 圧 倒 的 に 勝 利 し た 。 だ が,ソ 連 と,ハ ン ガ リ ー 共 産 党 ラ ー コ シ の 統 治 が さ れ,小 農 業 者 党 へ の 弾 圧 が 行 わ れ た 。1948年 に,社 共 が 合 同 し,ハ ン ガ リ ー 勤 労 者 党 が 出 来 た 。1949年 以 降,共 産 党 が 候 補 者 の 統 一 名 簿 を作 る よ う に な っ た 。 こ こ に も ノ ー メ ン ク ラ

トー ラ が で き る の だ っ た 。1949年,大 臣 ラ イ ク ・ラ ー ス ロ ー が ス パ イ だ と で っ ち あ げ ら れ,逮 捕 さ れ,裁 判 が さ れ た 。1953年,ス タ ー リ ン の 死 亡 に よ り,ナ ジ ・イ ム レ が 首 相 と な り,改 革 を し た 。 し か し ラ ー コ シ に お い 落 と さ れ る 。

15ス タ ー リン批 判

ソ連 で は そ の 後,フ ル シチ ョフ が 跡 を継 ぎ,1956年 に 第20回 党 大 会 の 秘 密 演 説 で,「 ス ター リ ン批 判 」(講 談 社 学 術 文 庫)を 行 ない,ス ター リ ン個 人 崇 拝 と そ の犯 罪 を非 難 した 。 こ れ は 深 刻 な衝 撃 を与 え た 。 ポ ー ラ ン ドや ハ ン ガ リー, 東 ドイ ッの 東 欧 諸 国 で は動 乱 ・政 変 が 起 こ っ た 。ス タ ー リ ンの 犯 罪 は,そ の後, ロ イ ・メ ドヴ ェ ー ジ ェ フ に よ っ て も 『共 産 主 義 と は何 か 』(三 一 書 房)の 中 で 研 究 され た 。

フ ル シチ ョフ は,ス タ ー リ ン時 代 にお け る 国 家 の 官 僚 化 ・硬 直 化 を 改 善 し よ う と考 えた 。 ま た,政 治 的 に失 脚 して も生 命 を 失 わ な い 時代 を作 っ た 。 ス ター リ ン批 判 が 行 な わ れ た こ とで,東 ドイ ッ,ポ ー ラ ン ドで政 変 が 起 き,そ の 影 響 で ハ ン ガ リ ー で も政 変 が 起 きた 。1956年 の そ れ は ハ ン ガ リー 動 乱 と呼 ば れ る。

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1956年10月22日 に,ハ ン ガ リ ー全 国 の 大 学 お よび 高 専 の 学 生 代 表 者 会 議 が 開 か れ た 。そ こ で セ ゲ ド(Szeged)大 学 学 生 会 の提 案14箇 条 と2箇 条 の追 加 を し, 翌 日デ モ と大 会 を開 くこ とに 決 議 した 。1956年10月23日,学 生 と市 民 の 大 衆 集 会 が 開 か れ た 。24日,ナ ジ ・イ ム レを 首 相 に した 。 同24日,ソ 連 軍 が ブ ダペ シ ュ ト市 内 に入 っ た 。 「第1次 介 入 」で あ っ た 。25日,治 安 警 察 の 銃 撃 が 始 ま る。

ゲ レ ー が解 任,第1書 記 に カ ー ダ ー ル が な る。26日,ゼ ネ ス トが 行 わ れ る。27 日,ナ ジ の 「愛 国 人 民 政 府 」 声 明 が さ れ る。29日,ソ 連 が 撤 退 す る。30日,民 衆 が 共 産 党 本 部 を 襲 撃 した 。11月4日,ソ 連 が 軍 事 介 入 し,ナ ジ政 権 が 崩 壊 し, ナ ジ らが ソ 連 に連 行 され た 。 そ の 後 戦 闘 が1カ 月続 き,25万 人 が 逃 亡 し,カ ー

ダー ル親 ソ 政 権 が で きた 。56年 の ブ タ ペ ス トの動 乱 で,3千 人 の 死 者,20万 の 亡 命 者 を 出 した。1958年 に,ナ ジ裁 判 が 起 き,処 刑 さ れ た 。

1956年 に は,ポ ー ラ ン ド反 乱 が 起 き,ゴ ム ル カ が=登場 した 。 ベ ル リ ン動 乱 も 起 きた 。

16中

中 国 で,中 華 人 民 共 和 国 が1949年 に成 立 した。 毛 沢 東 は,ス ター リ ン を訪 問 し,中 ソ新 条 約 を望 み,や っ と結 べ た。 こ こで ス ター リ ンは,ヤ ル タの特 権 を 手 放 す が,1,中 国 の 東 北 で ソ 連 以 外 の 企 業 認 め ず 。2,ソ 連 軍 が 東 北 の 鉄 道 使 え る,と い う秘 密 協 定 を し,ス タ ー リ ンの 死 ま で効 力 が あ っ た 。

毛 沢 東 は,土 地 没 収 を し,分 配 し,90%の 農 民 が解 放 さ れ た 。 そ して社 会 悪 全 廃 運 動 を起 こ した。 こ こ ま で は 良 か っ た 。 以 後 は 失 敗 の連 続 で あ っ た。

1950年6月 に 朝 鮮 戦 争 が 起 き,国 連 軍 の 北 朝 鮮 攻 撃 も始 ま っ た 。10月,周 来 は ソ連 へ 飛 ん だ。 ス ター リ ンは 中 国 の 出 兵 を望 み,し か しソ 連 は参 戦 し なか っ た 。 毛 は 出 兵 を決 め た 。

中 国 で は1953年 に,第1次5か 年 計 画 が 始 ま り,重 工 業 優 先 政 策 が と られ た 。 ス ター リ ンは,技 術 者 を送 っ て,援 助=収 奪 を狙 っ た 。 そ の 中 で ス タ ー リ ンが 死 去 し た。1954年 に憲 法 が で きた 。1956年 に フ ル シチ ョフ は,中 ソ条 約 の2つ の特 権 を否 定 した 。

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毛 は,百 家 斉 放 百 花 争 鳴 の ス ロ ー ガ ン を掲 げ た 。 こ れ は 自 由主 義 で あ っ た 。 ソ連 の よ う に な ら ない た め で あ っ た 。 しか し知 識 人 の 批 判 が 激 し く,毛 は,自 由 主 義 に 反 対 す る 闘 争 を 開 始 した。

毛 は,大 躍 進 運 動 を提 唱 した 。 農 業 集 団 化 を 人 民 公 社 に よ っ て進 め た 。 共 同 の 土 地 ・農 具 で農 業 を行 う こ とで あ っ た 。 村 に,共 同食 堂 や,学 校 ・病 院 を作 る こ と と した 。 大 衆 に よ る建 設 を望 ん だ 。 大 躍 進 運 動 の 中心 は,鉄 鋼 生 産 の増 大 で あ っ た 。 こ れ は 失 敗 した 。 森 林 伐 採 が さ れ,洪 水 が 起 こ っ た。 粗 悪 な鉄 だ け が 作 られ,鋼 鉄 は 作 られ な か っ た。 農 業 に人 手 が た りな くな っ た 。1958年 冬 に,彰 徳 陵将 軍 は,こ の 政 策 の 破 滅 の前 兆 を見 た 。 そ して 毛 へ の批 判 の 手 紙 を 書 い た。 鷹 山会 議 で,毛 が 彰 を批 判 し,国 防 部 長 を解 任 した 。 毛 は,大 躍 進 を す す め た 。 だ が 大 躍 進 で2000万 余 の餓 死 者 が 出 た 。

1959年,中 国 は チ ベ ッ トを 占 領 し,ダ ラ イ ・ラ マ14世 は亡 命 す る の だ っ た 。

17ヴ ェ トナ ム

ベ トナ ム は フ ラ ン ス の 植 民 地 だ っ た 。 ホ ー チ ミ ン が 中 国 か ら 帰 っ た 。 だ が か つ て の 支 配 国 フ ラ ン ス が ア ジ ア に い た 。 ベ ト ミ ン(ヴ ェ トナ ム 民 主 同 盟)が 結 成 さ れ た 。1946年 に,ホ ー ・チ ミ ン は,独 立 交 渉 の た め,フ ラ ン ス へ 行 くが, 交 渉 は 決 裂 し た 。1946年,フ ラ ン ス ・ベ トナ ム 戦 争 が 始 ま り,ヴ ェ トナ ム は 首 都 ハ ノ イ を 奪 わ れ た 。 ベ ト ミ ン は 中 国 か ら 武 装 援 助 を し て も ら い,ア メ リ カ は フ ラ ン ス をi援助 し た 。 だ が1954年,デ ィ エ ン ビ エ ン フ ー の 戦 い で,3月,ホ ー は,攻 撃 命 令 を し,5月 に 陥 落 さ せ た 。 ヴ ェ トナ ム が 勝 利 し た 。 初 め て の ア ジ ァ の 勝 利 で あ っ た 。1946年 以 来 の イ ン ド シ ナ 戦 争 は,1954年 に 休 戦 条 約 が 結 ば れ て,フ ラ ン ス の イ ン ド シ ナ 支 配 が 終 っ た 。 だ が 北 緯17度 線 を 境 に,軍 事 境 界 線 が 敷 か れ た 。 ま た フ ラ ン ス に 代 わ っ て ア メ リ カ が 介 入 し,1955年 に 南 ヴ ェ ト

ナ ム を 作 る 。

18エ ジ プ ト

ナ セ ル の エ ジ プ ト革 命 が1954年 に行 わ れ た 。1956年,エ ジ プ トは ス エ ズ 運 河

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国 有 化 宣 言 を した 。1956年10月,イ ギ リス と フ ラ ンス は エ ジ プ トの ス エ ズ 運 河 に侵 略 した 。 ア ル ジ ェ リ ア革 命 の 根 源 が ナ セ ル に あ る と思 っ た の だ 。1956年, イ ス ラエ ル が シ ナ イ 半 島 を侵 略 し,第2次 中 東 戦 争,ス エ ズ 戦 争 が 開 始 され た 。

19イ ン ドネ シ ア

イ ン ドネ シ ア は,1950年 に独 立 し,初 代 大 統 領 に ス カル ノが 就 任 す る。1955 年 に,バ ン ドン会 議=第1回 ア ジ ア ・ア フ リ カ会 議 が 開 か れ,イ ン ドネ シ ア は 第 三 勢 力 と して 生 きる こ と に な っ た 。同 時 に新 植 民 地 主 義 の 定 義 が され た 。(『 カ ル ノ 自伝 』,あ り)

20核 実 験 ・原 発

フ ラ ンス が,1960年12月13日 に核 保 有 国 に な っ た 。1958年8月 で ア メ リ カの 大 気 中 の 核 実 験 は一 応 終 っ た 。1961年 か ら地 下 核 実 験 の 時 代 が 始 ま っ た 。1963 年8月 に部 分 核 停 条 約 が 結 ば れ,地 上 ・大 気 核 実 験 の 停 止 され た 。 こ れ に 米 ソ

が協 定 した 。 中 国 は 反 対 した 。 日本 共 産 党 も反 対 した が,あ や ま りで あ っ た と 言 う。1963年8月 に,日 本 は 原 子 力 発 電 を実 験 した 。1965年5月 に,東 海 発 電 所 が,第1号 商 業 用 を 開 始 した 。

21W.W.ロ ス トウ 『経 済 成 長 の 諸 段 階 』

W.W.ロ ス トウ は,『 経 済 成 長 の 諸 段 階 』TheStagesofEconomicGrowth, 1960年(ダ イ ヤ モ ン ド社),を 書 き,そ の 副 題 一 つ の非 共 産 主 義 宣 言 は,世 界 を刺 激 した 。 この 書 は,近 ・現 代 世 界 経 済 史 の 理 論 で あ り,い わ ゆ る 近代 化 論 の 一 つ で あ る 。ロ ス トウ は,社 会 は相 互 作 用 的 有 機 体 で あ る と考 え る。

そ して マ ル クス の 一 義 的 理 解 に 反 対 す る,つ ま り経 済 的 な力 や 動 機 は歴 史 の 過 程 の た だ一 つ の 圧 倒 的 な決 定 要 因 で は な い とす る 。

本 書 の 内 容 は,ア メ リ カ 人特 有 な プ ラ グマ テ ィ ッ ク な もの で あ り,彼 は 近 現 代 経 済 の歴 史 を5つ の 時 期 に 区 分 す る 。

1伝 統 的 社 会 。2離 陸 の た め の先 行 条 件 期 。3離 陸期 。4成 熟 へ の

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前 進 。5高 度 大 衆 消 費 時 代,で あ る。

1伝 統 的社 会 は,主 に 農 業 社 会 で,政 治権 力 は土 地 所 有 者 の手 に あ っ た 。 2離 陸 の た め の 先 行 条 件 期 は,1と3の 過 渡 期 で あ り,例 と して17世 紀 終 りか ら18世 紀 初 め の西 ヨー ロ ッパ で あ る 。 世 界 市 場 の 拡 大 と国 際 競 争 が 力 を与 え た。 経 済 進 歩 が 可 能 だ とい う考 え が広 が っ た。 新 しい型 の 企 業 家 精 神 を も っ た 人 々 が 現 れ た 。 中央 集 権 的 国民 国 家 が 建 設 され た。

3離 陸(Takeoff)は,普 通 に い う産 業 革 命 に あ た る。 着 実 な成 長 に た い す る 古 い 妨 害 物 や 抵 抗 が 最 終 的 に 克 服 さ れ た 期 間 で あ る。 主 と して 技 術 が 近 因 で お こ り,投 資 率 が 国 民 所 得 の5%か ら10%ま た は そ れ 以 上 に上 昇 す る。例 えば,イ ギ リス は1783年 以 後 の20年 間 に,フ ラ ンス と ア メ リ カ は1860 年 ま で の 数 十 年 間 に,ド イ ッ は19世 紀 の 第3・ 四 半 期 に,日 本 は19世 紀 の 第4・ 四 半 期 に,ロ シ ア と カナ ダ は1914年 以 前 の25年 間 にあ っ た 。1950年 代 に イ ン ド と中 国 が 離 陸 を 開 始 して い る。

4成 熟 は,常 に 成 長 す る経 済 が,近 代 的 技 術 を 経 済 活 動 の 全 戦 線 に わ た っ て お し広 め て ゆ く,時 期 で あ る。 離 陸 が 始 ま っ て か ら60年 前 後 か か っ て 成 熟 期 に な る。 国民 所 得 の10な い し20%が 投 資 され,産 出高 が 人 口増 加 を上 回 る。

5高 度 大 衆 消 費 時代 で は,主 導 部 門 が 耐 久 消 費 財 とサ ー ビス に 移 って 行 く。

決 定 的要 因 は,安 い 大 衆 自動 車 と,そ れ が 社 会 に 与 え た革 命 的 影 響 で あ っ た 。西 ヨ ー ロ ッパ で は福 祉 国 家 を選 ん だ。ア メ リカ は1920年 代 と1946‑56年, 西 ヨ ー ロ ッパ と 日本 は1950年 代,ソ 連 は技 術 的 に は 入 れ そ うだ 。

以 上,ロ ス トウ は,マ ル クス 主 義 彼 は,そ れ を しっ か り読 ん で い な い に 反 対 して 経 済 史 理 論 を作 り上 げ た が,か な り平 板 で 常 識 的 で あ る 。 ロ ス トウが 折 角 広 い 歴 史 的展 望 を示 した の に,近 代 経 済 学 者 た ち は,経 済 史 に 興 味 が な か っ た の で,だ ん だ ん 見 捨 て た 。

22ア メ リカ の政 治

1961年 に,米 ソ対 立 に よ り東 西 ベ ル リ ン の 問 に ベ ル リ ンの壁 が 作 られ た 。170

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万 人 が そ れ ま で 西 ベ ル リ ンへ 逃 亡 した 。

1950年 代 か ら始 ま っ た 米 ソ の宇 宙 開 発 競 争 は,60年 代 に 入 っ て本 格 的 に な っ た。

ア メ リ カ大 統 領 ・共 和 党 ア イゼ ンハ ワ ーが,退 任 演 説 で,軍 産 複 合 体 の 危 険 を述 べ た こ とは,皮 肉 な こ とで あ っ た 。 彼 は 元 帥 で あ っ た 。 そ れ ほ ど ア メ リ カ は軍 国 主 義 に飲 み 込 ま れ て い た 。

彼 の後,民 主 党 の ケ ネ デ ィ が1960年 に大 統 領 選 で 当 選 し,1961年1月 に就 任 式 を行 な っ た。 ケ ネ デ ィ は 就 任 演 説 で,ア メ リカ の 武 力 で お さ え る 平 和 を否 定 した が,全 く実 現 し な か っ た 。 若 い 彼 は,「 ニ ュー ・フ ロ ンテ ィア 精 神 」 を掲 げ て,ア メ リ カ 人 を活 気 づ け た 。 さ わ や か な弁 舌,フ レ ッ シ ュ さ で 受 け た 。 だ が1961年4月,キ ュ ー バ の カ ス トロ を 倒 す た め に,CIAを キ ュ ー バ に 上 陸 さ せ た 。 これ は失 敗 に 終 っ た 。 また5月 に,ヴ ェ トナ ム に軍 団 を派 遣 す る よ う極 秘 命 令 を 出 し た。 彼 の 政 治 は 矛 盾 して い た 。

1961年,ケ ネ デ ィが ラ イ シ ャ ワ ー を 日本 大 使 に 任 命 し,そ れ を 断 わ りに夫 妻 で 行 っ た 時,ケ ネ デ ィの 机 に 日本 再 占 領 の 計 画 が あ っ た。 当 時 の ア メ リ カ人 は まだ そ うい う意 識 が あ っ た。

1962年,映 画 ス ター,マ リ リ ン ・モ ン ロ ー が怪 死 した。 こ こ に は ケ ネ デ ィ兄 弟 が 関与 して い た9)。

フ ル シ チ ョフが ア メ リ カへ 非 公 式 に招 待 さ れ た 。

1962年,キ ュ ー バ 危 機 が 起 きた が,水 爆 の力 が 背 景 に あ っ た 。

1962年10月,キ ュ ー バ 危 機 が 起 きた 。 キ ュ ーバ に ミサ イ ル基 地 を ソ 連 が 建 設 しは じめ た件 で あ る 。 ケ ネ デ ィ と フ ル シチ ョフ が 直接 電 話 で交 渉 し,核 戦 争 は 危 機 一 発 で あ っ た 。

ケ ネ デ ィ は,鉄 鋼 値 上 げ に 反 対 して い た 。1963年11月22日,ダ ラ ス で ケ ネ デ ィ 大 統 領 が,リ ー ・ハ ー ヴ ェ イ ・オズ ワル トに暗 殺 され た。 世 界 に シ ョ ッ クが 駆 け 巡 っ た 。 だ が そ の 暗 殺 者 と さ れ た 彼 が,J.ル ビ ー に す ぐ殺 さ れ た 。 そ の

9)『 マ リ リ ン ・モ ン ロ ー の 真 実 』。

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ル ビ ー もす ぐサ ー ハ ン ・サ ー ハ ン に殺 され た 。1968年,弟 の 司 法 長 官,大 統 領 候 補 ロ バ ー ト ・ケ ネ デ ィ も射 殺 され た 。 ア メ リカ の 恥 部 を世 界 は 知 ら され た の で あ る 。

ケ ネ デ ィ 時 代,ア メ リ カ は 自信 を もっ て い た 。 ア メ リ カ は1960年 代 か ら,経 済 的 に ヨー ロ ッパ 支 配 を狙 っ た 。 随 時,ヨ ー ロ ッパ の 重 要 企 業 を買 収 した 。 こ

う し て 巨大 な 多 国籍 企 業 が 登 場 した 。 そ の 投 資 量 は 莫 大 な もの で あ り,そ の た め,ア メ リ カ は資 本 収 支 が 赤 字 に な る1原 因 を作 っ た 。 そ の上,世 界 の 憲 兵 と して の ア メ リ カ は,世 界 に軍 事 基 地 網 を作 り,広 げ た 。 こ う して ア メ リ カの 資 本 輸 出 は,途 方 もな い もの に な り,ア メ リ カ経 済 に か げ りを生 ん だ の で あ る。

23サ ル トル の 前 進

実 存 主 義 者J.P.サ ル トル は,世 界 で 人 気 を もっ て い た。 だ が 『方 法 の 問題 』 お よび 『弁 証 法 理 性 批 判 』 で,サ ル トル は,マ ル ク ス の 方 法 を正 しい と した 。 こ れ に よ っ て,サ ル トル は多 くの フ ァ ン を 失 な う こ とに な っ た。 反 マ ル ク ス 主 義 の 人 々が サ ル トルか ら離 れ た。 こ う して,構 造 主 義 が 力 を持 っ て き た。1960 年 代 に,実 存 主 義 とマ ル クス 主 義 の 対 決 の構 図 が 消 え て行 き,構 造 主 義 が 登 場

した,と さ れ る 。

24レ イ チ ェル ・カ ー ソ ン 『沈 黙 の春 』1962

ア メ リ カ の女 性 生 物 学 者 カ ー ソ ン(1907‑1964)は 言 う。

現 代 の 大 量 生 産 体 制 を基 礎 と して,殺 虫 剤,除 草 剤 が 生 産 され,使 用 さ れ て, 環 境 が 汚 染 さ れ る,池,川,井 戸,地 下 水,そ し て土 壌,森 や 林,海 岸 で あ る 。 こ れ ら化 学 薬 品 で,人 間,家 畜,小 動 物,鳥,魚 が 殺 傷 され る。 こ れ ら殺 虫 剤 は段 々 強 力 に な り,大 量 に 散 布 さ れ る が,虫 は抵 抗 力 を もち,段 々効 か な くな る。

彼 女 は,こ の環 境 生 態 を科 学 的 に解 きあ か し,人 間 の環 境 汚 染 を警 告 した。

彼 女 は 言 う。「私 た ち の住 ん で い る 地 球 は,自 分 た ち 人 間 だ け の も の で は な い。」

「〈自然 の 征 服 〉 とは,人 間が 得 意 に な っ て 考 え だ した 勝 手 な 文 句 にす ぎな い 。

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自然 の 征 服 とはF.ベ ー コ ン以 来 の 考 え で あ る。

25ヴ ェ トナ ム 戦 争 の 開 始

ヴ ェ トナ ム 戦 争 が 始 ま り,ヴ ェ トナ ム で は 米 兵 む け 売 春 婦,ス トリ ッパ ー が 激 増 し た。 そ の 後 米 兵 の 性 道 徳 感 は地 に 落 ち て い っ た 。 と てつ もな い 数 で ホ モ が ふ え,そ して エ イ ズ伝 幡 で も とに な っ た 。

ヴ ェ トナ ム戦 争 に よ っ て 超 大 国=ア メ リカ が ゆ らい だ 。 国 内 で価 値 観 が 分 裂 した 。 ヴ ェ トナ ム 反 戦 運 動 が 起 き,徴 兵 忌 避 が な さ れ た 。1967年 の 反 戦 運 動 は 高 まっ た 。10月21日 に ピー ク を迎 え,国 際 反 戦 デ ー とな る。

カ シア ス ・ク レ イ は,1960年 に ロ ー マ ・オ リ ン ピ ック金 メ ダ ル を と り,そ の 後 ヘ ヴ ィ ー級 チ ャ ン ピ オ ン と な っ た 。 彼 は無 敗 を続 け た 。 だが,ヴ ェ トナ ム 戦 争 の徴 兵 を拒 否 し,有 罪 と な っ た。 チ ャ ン ピオ ン を剥 奪 され た。 彼 は,名 をモ ハ メ ド ・ア リ と変 え た。

ジ ョ ン ソ ン対 ロバ ー ト ・ケ ネ デ ィの 党 内 選 挙 は,ヴ ェ トナ ム 問 題 が 争 点 と な っ た 。 ジ ョ ンソ ン は次 期 大 統 領 に な る の を辞 め た 。 共 和 党 ニ ク ソ ンが 大 統 領 と な っ た 。 ニ ク ソ ン は 「名 誉 あ る撤 退 」 を望 ん だ 。 軍 事 費 に よ っ て ア メ リカ経 済 が 傾 い た か らだ っ た。 撤 退 が 始 動 した 。

大 衆 的 に は,エ ル ビ ス ・プ レス リー は,新 しい ア メ リ カ の音 楽 の1つ の 旗 手 に な っ た 。 ロ カ ・ビ リー が 登 場 した 。 一 方 で ヒ ッピ ー が 世 界 的 に登 場 した 。

26フ ル シ チ ョ フ失 脚

フ ル シチ ョフ は,ス タ ー リ ン時 代 にお け る 国 家 の官 僚 化 ・硬 直化 を改 善 し よ う と考 え た。 また,政 治 的 に失 脚 して も生 命 を失 わ な い 時 代 を作 っ た 。 彼 は, 党 の 農 工2部 門 分 割 と,幹 部 職 の 一 定 任 期 制 を考 え た 。(藤 村 信,説)し か し そ れ は,ソ 連 の ノー メ ン ク ラ トゥー ラ(二 支 配 階 級)の 利 害 を否 定 す る もの で あ っ た の で,彼 は64年 に ブ レ ジ ネ フ に よ っ て 失 脚 させ られ た。 理 由 は,農 業 不 振 と され た 。 しか しソ 連 は,常 に 農 業 は不 振 で あ っ た 。

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27黒 人 差 別

ア メ リ カで は黒 人 差 別 が あ っ た 。 こ れ に 反 対 して 公 民 権 運 動 が 起 きた 。 マ ー チ ン ・ル ー サ ー ・キ ング 牧 師(King,1929‑1968)は10),1929年,ジ ョー ジ ア州 ア トラ ン タに,牧 師 の子 と し て生 まれ た 。 勉 強 家 だ っ た 。 彼 は黒 人 男 子 の 大 学 に 入 り,牧 師 資 格 を与 え られ た。 そ して ペ ン シル ヴ ァニ ア の 神 学 校 へ 行 く。 そ こ は 黒 人 が 少 な か っ た 。 彼 は,ソ ロ ー,ガ ン ジー に感 激 した 。 卒 業 し て ボ ス トン大 学 院 に行 っ た 。 そ こで 声 楽 学 生 コ レ ッ タ と結 婚 した 。 北 は 自由 なの で,北 に と ど ま りた い が,彼 は,1954年 に南 部 の モ ン トゴ メ リ ー(ア ラバ マ 州) の教 会 に勤 め た 。 リ ン カ ー ン大 統 領 が 当選 した 時,南 部6州 が 連 邦 離 脱 し,代 表 が こ こ に 集 ま っ て,南 部 同盟 政 府 を作 っ た 所 だ っ た 。 当 時 の 南 部 大 統 領 は ジ ェ フ ァ ー ス ン ・デ ー ヴ ィス だ っ た 。 南 部 は 差 別 が 大 きい 。 ア メ リ カ南 部 で は, 1964年 に公 民 権 法 が 制 定 さ れ る ま で,生 活 の あ らゆ る 面 で,水 の み場 まで, whiteonlyとcoloredに 厳 し く分 か れ て い た 。 キ ング の 生 まれ た ジ ョー ジ ア 州 は,南 部 で,特 に南 部 的deepsouthで あ っ た 。 南 北 戦 争 後,南 部 は 奴 隷 制 で は な く な っ た が,反 動 的 だ っ た 。K.K.Kも 生 ま れ た。 黒 人 は リ ン チ で 殺 さ れ た 。 南 部 に 黒 人 の90%が 住 ん で い た 。1906年 に ア トラ ン タ の 人種 暴 動 が起 き て い る。1915年 にK.K.K.復 興 の 儀 式 が 行 な わ れ,1920代 で は 団 員 が500万 人 で あ っ た。

モ ン トゴ メ リー で,1955年12月,ロ ー ザ ・パ ー ク ス が バ ス で 白 人 に籍 を 譲 ら な か っ た の で,逮 捕 され た 。 彼 女 が 座 っ て い た の は 時代 精 神 だ っ た 。 彼 女 は裁 判 に か け られ た 。 黒 人 指 導 者 が教 会 に集 ま っ た 。 そ こで バ ス ・ボ イ コ ッ トを考 え た 。12月5日,黒 人 はバ ス に 乗 らな か った 。白 人 は暴 動 を始 め た。キ ング は, モ ン トゴ メ リー 改 良協 会 の 会 長 に 選 ば れ た 。 そ して 集 ま っ た 黒 人 に演 説 した,

汝 の 敵 を愛 せ よ」 と。 こ の ボ イ コ ッ トは,1年 続 い た 。 キ ング は 最 後 まで 非 暴 力 を貫 い た 。 最 高 裁 は,バ ス で の 人 種 隔 離 を違 憲 と した 。1年 後,命 令 書 を

10)猿 谷 要 『ア メ リ カ 黒 人 解 放 史 』 サ イ マ ル 出 版;同 『 キ ン グ 牧 師 と そ の 時 代 』 NHKブ ッ ク ス;キ ン グ 『自 由へ の 大 い な る歩 み 』 岩 波;ロ ー マ ッ ク 『 黒 人 革 命 』

み す ず;ジ ン 『 民 衆 の ア メ リ カ 史 』TBSブ リ タ ニ カ 。

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出 した 。 しか し市 当 局 は 反 対 した。 バ ス に乗 り込 み 始 め た黒 人 に,白 人 は 暴 力 をふ る っ た 。 黒 人 側 は,永 続 組 織,南 部 キ リス ト教 指 導 者 会 議 を作 っ た 。 キ ン グ は そ の 議 長 に な っ た 。

1954年 に最 高 裁 は,公 立 学 校 に,人 種 分 離 教 育 を 憲 法 違 反 と認 め て い た 。1956 年,黒 人 女 子 学 生 が ア ラバ マ 大 学 へ 入 学 しよ う と して,白 人 た ちが 抵 抗 し,暴 動 に な っ た 。1957年,黒 人9人 が 高 校 に 入 学 し よ う と して,白 人 暴 徒 に 追 い 返 され た。 州 知 事 も拒 否 した。 ア イ ゼ ンハ ワー 大 統 領 は,黒 人 に 理 解 は な か っ た が,や む な く空 挺 師 団 を 出 して9人 の 黒 人 学 生 を 守 っ た。

キ ング は,1959年,イ ン ドに招 待 され て 滞 在 して い る。1960年 に,ア トラ ン タへ 戻 っ た 。1960年 に キ ング は,全 米 各 地 か ら"祈 りの 巡 礼"を ワ シ ン ト ンに 向 か っ て お こ な っ た 。3万7千 人 が 集 ま り,キ ング は 「黒 人 に選 挙 権 を与 え よ」

と演 説 す る 。 彼 は救 世 主 の よ う に見 え た 。 キ ング は 雄 弁 家 で あ っ た。

1960年,学 生 非 暴 力 調 整 委 員 会 が 組 織 され た。南 部 の ノ ー ス カ ロ ラ イ ナ 州 で, ロバ ー ト ・ウ イ リア ム ズが,白 人 の暴 力 に暴 力 で 立 ち上 が ろ う と した 。 学 校 で も教 会 で も黒 人 の 入 るの は,進 ん で い な か っ た 。1962年,黒 人 学 生 メ レデ ィ ス が 最 高 裁 の 判 決 に よっ て ミ シ シ ッ ピ大 学 入 学 を認 め られ た。だ が,知 事,大 学, 州 民 が 反 対 し た。 キ ャ ンパ ス で 戦 闘,連 邦 軍 が 守 っ た 。

1963年 は,奴 隷 解 放100年 で あ っ た。 レス トラ ン ・シ ッ ト ・イ ンが な さ れ た 。 ア ラバ マ 州 バ ー ミ ン ガム で 闘 い,6週 間 の デ モ が行 な われ,逮 捕 者 が 出 た 。ノ ー ス カ ロ ラ イナ 州 の 学 生 が,白 人 だ け の ラ ンチ ・カ ウ ン ター に座 り込 み を始 め た 。 白 人 達 が い や が らせ を した が,非 暴 力 で 耐 え た。 これ が 広 が っ た 。 学 生 非 暴 力 調 整 委 が で き,白 人 リベ ラ ル との 共 闘 を考 え て い た 。 長 距 離 バ ス で の差 別 撤 廃 運 動 が 始 ま っ た。 バ ス で シ ッ ト ・イ ン(座 り込 み)が さ れ た 。 キ ング は 逮 捕 さ れ た 。 警 察 の 暴 力 が 襲 っ た。 キ ン グ は,『 獄 中 か らの手 紙 』 を か く。

1963年 に,キ ン グは,20万 人 で ワ シ ン トンへ に 大 行 進 をす る。 彼 は,こ こで 名 演 説 を す る。 「肌 の 色 で な く人 格 で 判 断 さ れ る よ う に 」 「Ihaveadream.」

で あ る。 「Weshallovecome」 の 歌 が 歌 わ れ る。

ケ ネ デ ィ は,1963年 か ら黒 人 問 題 に 理 解 を示 した 。 生 活 上 の 差 別 撤 廃 の た め

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に,公 民 権 法 案 を議 会 に 提 出 した 。 ケ ネ デ ィ兄 弟 は黒 人 問 題 に取 り組 ん だ 。 黒 人 は,ケ ネ デ ィ に投 票 す る よ うに な る。1963年11月,ケ ネデ ィは 暗 殺 さ れ た 。 南 部 へ 遊 説 の 途 中 で あ っ た 。 次 の ジ ョ ンソ ン大 統 領 は,法 案 を 実 現 した 。1964一 年7月 だ っ た 。 しか しそ こで は 選 挙 権 を含 ま なか っ た 。

1964年,キ ン グ に ノ ー ベ ル平 和 賞 が 与 え られ た。1964年4月 に ニ ュ ー ヨー ク で 黒 人 暴 動 が起 きた 。

1964年8月6日 の 新 しい 公 民 権 法 は,黒 人 の 選 挙 権 を守 っ た 。 しか し1964年 に ア ラバ マ 州 セ ル マ で,投 票 権 妨 害 の 選 挙 妨 害 事 件 が起 きた 。 黒 人 青 年 が 警 官 に殺 され た。 抗 議 デ モ が 計 画 さ れ た が,弾 圧 され た。

1964年 に は,ロ ス 暴 動 が 起 き,警 察 官 の暴 行 で 死 者34人 が 出 た 。 キ ング は, 大 都 市 の ス ラ ム で 非 暴 力 直 接 行 動 が 通 用 しな い こ とを 知 る。 そ こで キ ング は,

シ カ ゴ に住 ん で み た 。 だ が 白人 に 抵 抗 さ れ る 。

1964年,ミ シ シ ッピ州 で 公 民 権 運 動 の 学 生2人 と黒 人 が,保 安 官 らに 射 殺 さ れ た 。64年 一66年は,長 い 暑 い 夏 と言 わ れ た 。 黒 人 学 生 だ っ た メ レデ ィ ス の1 人 行 進 が 試 み られ,彼 は 撃 た れ た 。代 わ っ て5つ の 公 民 権 団 体 が み な行 進 す る。

こ の こ ろ,ス トー ク リ ー ・カー マ イ ケ ル のBlackPower思 想 が で て く る。

白 人 リベ ラ ル との 共 闘 の批 判,非 暴 力 は不 適 当 だ,キ ン グ批 判,で あ っ た 。 マ ル コムXの 影 響 で あ る。 そ して ア メ リ カ の学 生 運 動 は,世 界 に広 が っ た 。

1965年,マ ル コ ムXが 暗 殺 さ れ た 。 マ ル コムXは,キ ン グ の よ う に非 暴 力 で 白 人 の 良 心 だ け に訴 え る だ け で は解 決 しな い,と 考 え て い た。 マ ル コ ムXは, 1935年 に,ネ ブ ラス カ 州 オハ マ で 生 まれ た 。 父 は牧 師 で,父,お じ,が 皆,白 人 に 殺 さ れ た 。 イ ラ イ ジ ャ ・ム ハ マ ドの創 立 し た ブ ラ ッ ク ・モ ス リ ム(黒 人 回 教 団)に 所 属 した 。 白 人 憎 悪 に な り,ム ハ マ ドか ら離 れ,新 しい 政 治 組 織 を作 っ た 。 白 人 か らの 分 離 独 立 を 目指 した。1965年2月21日,ハ ー レ ム で演 説 申 に 殺 され た11)。

1966年,黒 人 最 初 の 閣 僚 が 誕 生 した 。1966年7月,シ カ ゴ ・デ モ が,1967年,

11)ア レ ッ ク ス ・ヘ イ リ ー 『マ ル コ ムX自 伝 』 河 出 書 房;マ ル コ ムX『 自 伝 』。

参照

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