アメリカ合衆国
に一決定的再編成の消滅と分割政府一 一おける政党政治の最近動向
今 村
目 次
はじめに
一 アメリカ政党政治における決定的再編成と政党衰退論
二 決定的再編成の消滅
三 分割政府の出現と政党政治の変容
おわりに
はじめに
一九六〇年代末から七〇年代初頭のアメリカ合衆国においては︑政党衰退論あるいは政党消滅論が盛んに唱えられ
た︒それらの中には︑政党という存在それ自体を擁護する立場に立ち︑政党衰退を危機感をもって捉える議論から︑
政党の衰退を現象として分析するだけで︑政党という政治組織の評価からは︑一歩距離を置く議論に至るまでの幅が
あったように思われる︒いずれにせよ︑政党の衰退は客観的現象として確認されていたのである︒
それと同時に︑この時代に政党に関連した議論が盛んであった背景には︑当時のアメリカが︑過去のアメリカ政党
政治の発展の歴史に照らして︑いわゆる決定的再編成︵自三〇巴﹁8一凶αqげヨΦ巨︶の周期にさしかかっていたという事
清があろう︒すなわち後述の様にアメリカの政党制は︑三十六〜三十八年毎に大変動を経てきていた︒一九三二年の
ニュー・ディール再編成によって成立した第五政党制から︑そろそろ次の第六政党制への移行が︑意識され始めてい
たのである︒しかし︑一九六〇年代後半以降︑八八年選挙に至るまでのアメリカ政党政治の動向をみてみると︑現在
のアメリカ政党政治は︑過去百数十年に及ぶ周期的な決定的再編成の生起という類型から離れていきつつあるように
も思われる︒そしてその限りでは︑政党自体が衰退して︑決定的再編成の周期的生起というパターンそのものが終わ
りを告げるという政党衰退論は︑限定的にではあれ︑あながち見当外れでもなかったとも言えるのである︒
本稿においては︑最近のアメリカ合衆国における選挙結果から︑議会政党と大統領政党の分離という現象に注目
し︑その意味するところを考察しようとする︒この現象自体は︑実は合衆国憲法の本来要請する権力の分離とは︑必
ずしも矛盾するものではない︒にもかかわらず︑あるいはそれがゆえにこそ︑アメリカ政党が︑従来果たしてきた基
本的機能を喪失しているとも解釈できるのである︒しかし︑その前にまず︑決定的再編成とは︑どのような現象であ
るのかを概観しておきたい︒
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一 アメリカ政党政治における決定的再編成と政党衰退論
アメリカ合衆国における政党政治の最近動向
アメリカ合衆国の歴史において︑以後の何十年かの政党政治のパターンを決定づけるという意味で︑後代への影響 ︵1︶力の際立ったいくつかの選挙があったことが知られていた︒こうした過去の理論を集成し︑ ﹁決定的再編成﹂と﹁決
定的選挙﹂︵9三〇巴里①o江8︶という概念に数量的裏づけを与えたのが︑ウォルター・D・パーナム︵三巴8﹃∪. ︵2︶ゆ霞旨眉毛︶であると言えよう︒彼の分類によれば︑アメリカの政党制は以下の五段階を追って発展してきた︒すな
わち︑一七八九年から一八二〇年の第一政党制︑一八二八年から一八五四/六〇年の第二政党制︑一八六〇年から一
八九三年の第三政党制︑一八九四年から︸九三二年の第四政党制︑そして一九三二年以降の第五政党制である︒そし
て彼は︑とりわけ一八五〇年代中期︑及び一九二〇年後期から三〇年代初期にかけての時期に︑決定的再編成現象を
見出した︒その上で彼は︑一九六〇〜七〇年代の選挙︑投票行動に現われた変化を︑ ﹁伝統的な意味での決定的再編 ︵3︶成を終焉させる決定的再編成である﹂としている︒この意味で︑バーナムにおいては︑決定的再編成の終焉と政党の
衰退とは同一の現象なのである︒彼の分析に従って︑以下に決定的再編成の特徴をみていこう︒
﹁決定的再編成﹂の現象面での特徴を列挙すれば︑まず第一に︑それは従来の投票行動様式の︑短期間のうちの深
刻な崩壊である︒換言すれぽ︑それは︑政党に関連する投票行動の激変なのである︒従来の一党制地域が︑競合的二
党制地域になったり︑その逆の現象が起こり︑また従来の多数党が︑次の再編成までは︑半ば恒常的な少数党とな ︵4︶る︒また選挙民の五分の一から三分の一が支持政党を変える︒つまり︑従来の﹁決定的再編成﹂は︑政党という経路
を通じて生起していたということなのである︒従って︑パーナムのいう政党の解体は︑必然的に従前の意味における
﹁決定的再編成﹂の終焉をも意味するのである︒
第二に︑ ﹁決定的再編成﹂は︑社会経済システムに累積されてきた異常な緊張︵経済的︑文化的︑その他の原因に
︵5︶よる︶の結果として起こる︒そうして︑直接に再編成の﹁引ぎ金になる﹂もしくは︑それを﹁爆発させる﹂事件が認
められる︒過去の例を引けば︑共和党の成立を促し︑ 一八五〇年代の再編成をもたらした﹁カンザス・ネブラスカ ︵6︶法﹂の成立や︑ニュー・ディール再編成の直接の原因となった大恐慌などである︒ ︵7︶ 第三には︑大政党内部での︑また大政党間のイデオロギー上の対立がみられるという点である︒その結果︑政党は
争点に対して大きく異った立場を保持するようになる︒そして﹁決定的選挙﹂には︑通常のアメリカの選挙における
よりも明確な争点群がみられるのである︒それらの争点は︑多くは感情的で象徴的な意味合いを帯びている︒ ︵8︶ 第四には︑安定期に比して異常に高い投票率が挙げられる︒もっとも︑再編期において一方の政党の勢力が著しく
もう一方を凌ぐようになる地域においては︑投票率は︑むしろ低下するのであるが︒
さらに第五に︑再編期の直前か︑もしくはその初期に︑全国的な第三政党の興隆がみられる︒ この第三政党﹁運 ︵9︶動﹂は︑選挙民がその支持を一方の党からもう一方の大政党に変えようとする際の架橋の役割を果たす︒
第六に︑ ﹁決定的再編成﹂は︑単に選挙の様相の再編成であるのみならず︑公共政策の再編成でもある︒再編成の ︵10︶結果は︑必ずしも政策の細部を規定しないにせよ︑どのような政策が取られるかという一般的な範囲を定める︒
最後に︑ ﹁決定的再編成﹂は︑不規則にではなく︑ある一定の間隔をおいて起こる︒経験的には︑変動現象の絶頂 ︵11︶点に三干六年から三十八年の周期が認められるのである︒
こうした点によって特徴づけられる﹁決定的再編成﹂は︑他の西欧世界にその例をみない︒それは︑歴史的︑政治
発展的文脈において︑アメリカの選挙政治の最もユニークな点である︒そしてバーナムによれぽ︑この周期的﹁決定
的再編成﹂という現象は︑アメリカ政党とアメリカ政治の後進性から生じる︒それは︑理念的な政党政治モデルに
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アメリカ合衆国における政党政治の最近動向
おいてあるべき︑責任を伴った政権交代の︑言わば不出来の代用品なのである︒図式的に言えば︑一つの政党制の下
では︑支配政党が決まっており︑その政党によって行なわれる政策の大綱は変化しない︒ ﹁政党を含むアメリカの政 ︵12︶治機構は︑ある沸騰点に至るまでは︑大衆の緊急の政治的要求を無視﹂し続ける︒そこで再編成が起こり︑以後優位
を占める政党が交代することによって初めて政策内容に変化がみられるようになる︒しかし︑次の再編成までは︑や
はりこれも固定的であることを免れない︒言い換えれば︑アメリカ政党は︑決定的再編成と結合して捉えてこそ︑ヨ
ーロッパ的な意味での︑あるいは理念的な政党が果たすべき機能を果たしてきたと言える︒こうした構造は︑原理的
には選挙のたびごとに政権交代の︑つまりは政策転換の可能性があるはずの政党政治の理念からは遠いものであると
しなければならない︒それゆえパーナムは︑アメリカ合衆国を政治的には﹁低開発国﹂ ︵§αΦ乙Φ<巴8①自得〇二〇昌︶
であると断じるのである︒
こうした諸点によって特徴づけられる決定的再編成は︑選挙民が政党を投票選択の基準としていることが前提にな
っているのは当然であろう︒ところが︑一九五〇年代より︑選挙民の投票行動が変化し始め︑投票行動の規定要因と
しての支持政党が意味を失いつつあり︑全体として選挙民が分解し︑政党が衰退しつつあるというのがパーナムの議
論の要点である︒ ︵13︶ 実は︑彼によれぽこの選挙民の分解という現象は︑第四政党制の成立と共に始まったのであるとされる︒この第四
政党制の成立こそは︑アメリカ政治史の分水嶺であり︑アメリカの政党発展が︑この時点から他の工業社会の政党発
展のパターンから逸脱し始める︒そしてニュー・ディール再編成が︑過去の決定的再編成に比して︑はなはだ散漫で ︵14︶不完全であるのも︑この選挙民の分解︑すなわち政党の衰退の影響であると言う︒決定的再編成は︑政党の衰退によ
ってその勢いを削がれてしまったのであった︒ニュー・ディール再編によって成立した第五政党制は︑一九五〇年あ
たりを境として二つに分けられる︒それ以前が本来のニュー・ディール政党制期であり︑それ以降は︑パーナムによ
れぽ﹁アメリカ政党政治における大混乱のひとつとして叙述されて然るべき﹂であり︑また﹁古典的なニュー・ディ
ール的配置が︑同程度に構造化された政治秩序に取ってかわられることなく蒸発してしまったようにみえる時期﹂で
︵15︶ある︒
決定的再編成の効果と政党の衰退が︑言わば相殺され︑第五政党制がかすんでしまった後に︑政党衰退現象だけが
前面に登場してきた︒バーナムは︑政党支持率の低下︑無党派層の変容︑そして政党別分割投票の増大などを分析し
︵16︶てこの傾向を検証し︑アメリカ政党政治の将来を以下の如く展望した︒すなわち一九六四年及び六八年選挙が︑決定
的再編成の前兆的要素をもっていたことは確かではあっても︑むしろ決定的再編成という現象自体が消滅してしまう
可能性が高い︒第五政党制が再編成されて︑それがどのようなものであるかはともかくとして︑第六政党制が到来す
る前に︑ ﹁政党関連的な支持態度や投票選択が︑大衆的基盤において崩壊してしまっているので︑政党制は既に再編 ︵17︶成可能なぎりぎりの線を越してしまっている﹂からである︒そして政党終焉後のアメリカ政治においては︑従来の行
政部のエリート︑特殊利益団体の影響力がさらに増すと共に︑新たにイデオロギー的な争点指向の運動家が大きな影
響力を揮うであろうと予想したのであった︒
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アメリカ合衆国における政党政治の最近動向
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お刈O.ω一︑.ω峯従って︑﹁決定的選挙﹂であると通常言われている選挙の間隔とは︑
若干のずれがある︒
︵12︶ 閾β吋昌ゲ9ヨ讐O︑㍉職ら筒︑肉鳶無ご醤F弓・bjメ
︵13︶ 第四政党制下の選挙民の分解については︑以下を参照︒巽銑8殴∪.上汐μ冨β︑︑↓ヶΦO冨昌αqぎαqω7巷Φo︷島Φ﹀ヨ匹田−
O麟昌℃O一津一〇雪叩dロ一く①屋①噛..晒⇒閑日〇げ鎚﹁島︵︸・=繭Φヨ一β◎昌q出O︻び①ユ 団●≦O一ωげO﹁碗 ①畠ω.層 OO毬帖︑O電馬︑巡歴物 ㍉蕊 \一ミ恥︑詩亀戸 関O議毬吋
切鳴魯織ミO︑︵ωき津き9ω8矯H㊤♂︶.
︵14︶ じd離﹁口げ帥∋りOミ賦ら職h肉貯ら肺昔醤9や弓㊤刈i一〇〇・
︵51︶ ゆ偉Hげ9ヨ鴇..℃βo二楓ω楓︒◎沖2β二噂輸GoO鼻.
︵16︶ これに関しては︑バーナムのOミ詩ミ肉§︑き誠及び︐>8①ユ8昌℃o犀ざωぎけげΦ一雪O︑ω..の他に以下も参照︒..ぎの巳9−
自O昌二目α閑①ω噂O昌の幽くOβOω06㎞昌OO昌σq﹁Oωω一〇昌9国一①〇二〇旨..一目一︶①ヨO胃一〇ωO薗﹃二一Φ団①傷二\Fミ恥ミら職蕊︑O︑鳶詩貸︑ミ無隷ミ嵩O蕊恥即日︑瀞恥
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︵17︶ b口信﹁昌ゴ曽8噂O識識ら織︑肉驚偽︑ご醤90・H刈QQ・
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二 決定的再編成の消滅
前節で検討したような︑ いささか性急とも思われる政党衰退論が︑現実には妥当しなかったことは明らかであろ
う︒すなわち︑選挙民の意識の中の政党︑そして政治組織としての政党の両者ともに︑健在であるとまでは言・尺ぬも
のの︑少なくとも生き延びてはきている︒
まず選挙民の意識の中の政党についてみれぽ︑選挙民の投票選択の指標としての政党は︑確かに︑かって考えられ
ていた程には強力ではなくなった︒すなわち︑選挙民の政党支持態度だけから投票行動を説明し難くなってきたとい
キャラップ調査による政党支持率 共和党 民主党 無党派
1988・… 一・一… 。・・31%
1987・一・・・・・・・・・… 3Q 1986・・・・・・・・・・・・… 32
1985ρ・・・・・・・・・・… 33 1984・・・・… 一・・・… 31 1983・… 一・一・・・… 25 1982… 一・・・・・・・… 26 1981ρ… ・一・・・… 28 1980・・・・・… 。・・・… 24 1979・・・・・… 。・・・… 22 1976・・・・・・・・・・・・… 23
1972・・・・・・・・・・・・… 28
1968・・・・… 。・・・・… 27 1964・・・・・・・・・… 。・・25
1960・・・・・・・・… 一曾・30 1954・… 一・・・・・・… 34 1950… σ・け。・・・・… 33 1946・・・・・・・・・・・・… 40
1937・・・・・・・・・・・・… 34
40%
41 39 38 40 44 45 42 46 45 47 43 46 53 47 46 45 39 50
29%
29 29 29 29 31 29 30 30 33 30 29 27 22 23 20 22 21 16
うことは間違いない︒しかし︑翻がえって︑
それでは単独で政党支持よりも有効に投票行
動を説明できる指標が︑新たに台頭してきた
わけでもな魍以前程には有力でなくな・た
とはいえ︑政党支持は︑依然として選挙民の
投票行動の単独の説明要因としては︑最有力
のものの一つであり続けている︒
さらに︑一九六〇年代末から増大し始めた
独立無党派層︵冒ら9①巳Φ三ω︶も︑最近で
アメリカ合衆国における政党政治の最近動向
は︑やや減少傾向にある︒ギャラップ調査によれば︑この無党派層は︑七二年に初めて共和党支持者を上回り︑八三
年に至るまで︑言わば民主党に次ぐ﹁第二党﹂の地位を占めてきたのであるが︑八四年以降は︑共和党支持者がやや
伸びて︑再び無党派層を上回るようになった︒無党派層の比率は︑現在まで︑七九年の三三パーセントが最高で︑そ
の後の言わば瞬間風速的な数値は別として︑一応天井をつけた格好となっている︒すなわち︑無党派層の選挙民中に ︵19︶占める比率は︑三割前後で安定化する傾向にあると言ってよかろう︒また︑政治組織あるいは政治制度としての政党
は︑見方によってはむしろ強力になった︑あるいは確立されたとすら言える面がある︒ここでは詳しくは触れないが︑ ︵20︶とりわけ共和党全国委員会は︑近年組織的に拡充され︑部分的には党本部的な機能を果たすようになってきた︒ま ︵21︶た︑民主党についてみても︑その全国委員会は︑組織規模において拡大し続けてきているのである︒さらに︑大統領
選挙資金の公的助成制度の導入に伴って︑既存二大政党は︑ほぼ自動的に資金補助対象になることになり︑既存二大 ︵22︶政党の第三政党以下に対する特権的地位が︑ますます固定化されることになった︒
こうした状況の下では︑かって盛行をきわめた急激な政党消滅論とでも言うべき極端な議論は︑姿を消して行くこ
とになったのも当然であろう︒すなわち︑政党衰退論自体が︑ある意味で衰退してしまったと言える︒もちろん︑政
党衰退論の基本的な論点の多くは︑間違っていなかったし︑現在でも妥当するところが多い︒その中でも︑とりわけ
注意される論点が︑決定的再編成の消滅であろう︒すなわち一九三二年のいわゆるニュー・ディール再編以来︑一九
八八年に至るまでの間︑過去に明瞭に観察されたような特徴と結果とを伴う決定的選挙が見当たらないのである︒
もちろん︑決定的再編成や決定的選挙には様々な解釈の余地があり︑とりわけ一九六〇年代以降は︑過去の決定的
再編期と平行的な諸現象が観察されないではない︒以下に︑述ーナムの挙げた決定的再編の諸特徴︵前節参照︶に即
して︑これを見て行こう︒
まず第一の︑政党に関連した投票行動様式の激変について言えば︑確かに大きな変化を認めることができよう︒す
なわち︑一九六〇年代末より︑かっては民主党一党制地域であったいわゆる﹁堅南部﹂︵ωo甥畠ωo旨げ︶への共和党の
浸透が顕著となり︑その一方で︑共和党にとって金城湯池であった北東部諸彦において民主党が勢力を拡大した︒こ
れによってアメリカの政党制は︑全国的競合二党制に近づいてきている︒また支配政党が交代したか︑あるいはより
正確には変化したかと問われれぽ︑留保を付してならそうも言えると答えざるを得ない︒すなわち︑大統領職だけを
見る限り︑一九五二年以来の十回の大統領選挙中七回までもが共和党の勝利に帰している︒一九三二年〜一九四八年
のすべて民主党が勝利した五回の大統領選挙において︑民主党は一般投票で一億二︑七五八万二︑七二三票を得て︑
共和党の得た九︑八七拳万九︑三九四票を凌いでいた︒しかし︑第五政党制成立後初めて共和党が大統領職を手中に
した一九五二年以後の十回の大統領選挙では︑これが逆転し︑共和党の三億九︑六一五万人︑六七六票に対して︑民
主党が得たのは︑三億四︑七八三万四︑七九七票に過ぎない︒
第二の点についても︑とりわけ一九六〇年代から七〇年代にかけての時期には︑妥当するように思われる︒すなわ
ち︑当時のアメリカにおいては︑六〇年代初頭より徐々に顕在化してきていた公民権運動︑この頃ようやく激化して
きたヴェトナム戦争等を巡って︑社会に厳しい分裂が生じていた︒さらに︑こうした人種問題と反戦運動に関連して
都市暴動︑大学紛争が続発したのである︒その結果︑第三点に関して言うならぽ︑こうした社会の分裂は︑とりわけ
て民主党の内部に直接的に反映されたと言えよう︒一九六八年春一九七二年の大統領選挙における︑民主党大統領候
補者指名の混乱と本選挙での敗北は︑その帰結でもあった︒現在にまで通用している大統領候補者指名過程の基本的
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アメリカ合衆国における政党政治の最近動向
構造は︑この時期に行なおれた政党改革によって定められ︑以後民主党は︑自党の支持者を統一できるような大統領
候補者を得るのに苦しむという状態が続いている︒
ところが第四点についてみると︑まったくと言っていい程妥当しない︒大統領選挙における投票率は︑上がるどこ
ろか回を追う毎に低下してきており︑一九八八年選挙の投票率は︑実に一九二四年以来の最低記録五〇・一パーセン
トにまで落ち込むに至った︒
第五にバーナムの挙げた第三党運動についてみれば︑考察の対象になるのは二例であろう︒まず一九六八年にアメ
リカ独立党を名乗ったジョージ・ウォーレスは︑一般投票の一三・五パーセントを得て︑五州の大統領選挙人をさら
い︑アメリカ第三党運動史上特筆すべき成功を収めた︒この数字は︑過去の決定的再編において︑選挙民の支持政党
移動を媒介する役割を果たしたとされる一八二〇〜三〇年の反メイソン党︑ 一八五〇年代の自由土地党とアメリカ
党︑一八九〇年代の人民党︑及び一九二四年における革新党等が挙げた成績にさして見劣りしないか︑もしくはそれ
を凌いでさえいる︒ウォーレスを一般投票率で上回っているのは︑アメリカ党の二一・一パーセント︵一八五六年︶ ︵23︶と︑革新党の一六・六パーセントの二例に過ぎない︒さらには︑一九八0年選挙で七パーセントの票を得たアンダー
ソンについても考察の要があろう︒
まず︑ウォーレスの独立党が︑南部において︑民主党から共和党への選挙民の移動を橋渡ししたということは︑あ
る程度までは推測し得るであろう︒すなわち︑調査の示すところによれぽ︑六八年にウォーレスに投票した者の半数
は︑六四年選挙で民主党のジョンソンに投票していた︒そしてウォーレスの獲得した票の過半数は︑七二年選挙では ︵餌︶ニクソンに流れているのである︒さらに四年後の七六年選挙では︑民主党のカーターが再び南部諸州で勝利を収め︑
一見すると堅南部の復活の様相を呈した.しかし︑ 一般投票ではカーターの地元ジコージアの他には︑アーカンソー
で一般投票の三分の二を得て圧勝しただけで︑他の南記録州ではいずれも接戦の末の辛勝であり︑南部の白人層は︑
民主党に完全には復帰しなかったのである︒そこで結果として︑ウォーレスは︑南部において民主党から共和党への
選挙民の移動を橋渡ししたことになる︒しかしながら︑これは南部諸州に限っての現象である︒しかも︑全国的にみ
た政党支持率における民主党と共和党の力関係は︑六八年を境にして変わっているわけではない︒重要なことは︑南
部の白人層以外の大半の民主党支持者が︑依然として民主党を支持し続けていることなのである︒またアンダーソン
の立候補が︑以後の大統領選挙において際立った方向性をもった支持政党の転換を媒介したという徴候は認められな
いようである︒
第六の公共政策の転換についてみると︑むしろ大きな転換があったとすれば一九八○年以降のレーガン政権の下で
あったかもしれない︒これは第三の特徴である政党内及び政党間のイデオロギー対立についても言えるであろう︒レ
ーガン政権が︑実際には﹁小さな政府﹂を実現したわけではなかったことを考えれば︑いわゆる﹁保守革命﹂は共和
党と民主党のイデオロギー上の差異の象微化というレヴェルで解釈すべきであろうか︒理念の上ではともかく︑ニュ
ー・ディ!ル的なサーヴィス国家は︑共和党政権下でも持続しているのである︒
このようにしてみると︑実に﹈九三二年以来決定的再編成を特定できないことになる︒ところがそうであるとする
ならぽ︑第七の周期性という特徴に照らして︑もはや決定的編成が起こるには﹁期限切れ﹂なのである︒
︵18︶ 考えられる指標のひとつは︑ ﹁争点﹂であろう︒つまり︑選挙民が政策争点についての政党︑候補者の立場を︑
して投票するというのである︒しかしこうした争点投票という考えをめぐっては︑学界に一致はみられない︒ 比較判断
102
アメリカ合衆国における政党政治の最近動向
︵19︶ §恥Oミξ凄︑︑送G︒c︒O﹄認●
︵20︶ ︸︒冨男臣げげざ..国二自国①ま≦麟=づ↓冨ス︒砕一霞里国Φ髭三一︒磐や震蔓︑︑−冒O三巴ユ寓■頃︒ヨづ9a●−︑ミ電肉§§ミ
ミ﹄ミミ︑言︑↓ミ︒盤§犠︑鳶ミミ︵7﹃O≦ 嘱O﹁吋− H㊤○OO︶・ただしそうは言っても︑全国委員会の機能は︑たとえば西欧諸国
の政党の中央本部が果たしているそれに比べて︑依然として限定的である︒
︵21︶ O︒ヨ︒ぎ岳9幕﹁o民一︒巨甘しuま耳糟..ぎ巴ε江自p=︶Φく9︒喝ヨ①暮︒︷貯三①ωき畠9Φ↓冨ωδ︒︷鵠﹁受∪①︒一一器一︑︑
ミミ汁ミ⑦職§ミO§適ミ曹霧︵ωや﹁罰昌oq 一㊤OQO︶・
︵22︶ 一九七六年五月改正の連邦選挙運動法によって︑前回の大統領選挙の︼般投票の二五パーセントを得た﹁大政党﹂︵ヨao﹁
噂日蔓︶には︑全国党大会開催資金として︑最低二〇〇万ドル︑またその政党の大統領候補者には︑少なくとも二〇〇〇万
ドルが交付されることになった︒すなわち︑この法律に言う﹁大政党﹂とは︑事実上既存の二大政党に他ならない︒
︵23︶ もちろん一九一二年には︑T・ローズヴェルトの革新党がそれ以上の成功を収めてはいる︒ここで問題にしているのは︑
直接に決定的再編に関連する第三党運動のみである︒
︵24︶℃窪ξ¢国●08︿①冨pミ凶﹃円︒口同竃岳︒﹁﹄臼邑αO.即霧ぎ鋤匿﹀答冨﹃O・≦︒賦︒い︑6︒言塁ξ節巳O冨躍︒ぢ
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三 分割政府の出現と政党政治の変容
前節では︑主としてバーナムの決定的再編成概念に依拠して一九五〇年代以降のアメリカ政党政治を振り返ってみ
た︒その限りでは︑決定的再編成という現象自体が消滅してしまうであろうという彼の予言は︑的中しているように 鵬思える︒もちろん一九九二年以降に︑決定的再編成が起こるという可能性は捨て切れない︒とりわけ︑たとえばジェ
ームズ.L.サンドクィストQ国ヨΦωピ.ω⊆巳ρ9斡︶の如くに︑決定的再編成を本質的に偶発的な事象となし︑過 ︵25︶去の周期性を単なる偶然とみなすならぽ︑そう言わねばならない︒すなわち︑決定的再編成には本来﹁期限切れ﹂な
どあり得ないのであり︑将来アメリカの選挙民を二分するような他に抜きん出て重要な争点が浮上し︑かつその争点
についての分岐線が従来の政党線と交差する場合には︑決定的再編成が生起するということになろう︒
しかし︑それにしても一九五〇年代以降のアメリカ政党政治が︑過去の政党制から著しく逸脱していることは争え
ない︒ここでは︑その逸脱の中でも︑アメリカ政党の本来的な機能から考えて最も重大であるとみなされるべき現象
についてみてみたい︒それは︑政党分割投票︵紹碧く︒け①︶によってもたらされる﹁分割政府﹂︵ω覧騨σqoく︒話ヨΦ艮︶
の常態化である︒ここで言う分割政府とは︑大統領職と連邦議会の多数派とが異なる政党によって占められ︑言わば
立法部と行政部とに分割された政府である︒
もっとも︑これはアメリカ合衆国憲法が本来要請する政府形態であると言えなくもない︒アメリカ合衆国の政治制
度が︑権力の厳格かつ重層的な分離を︑その特徴とすることは︑もはや周知に属するであろう︒すなわち︑権力は︑
まず連邦政府と州政府とに分離され︑それぞれの政府においてさらに立法︑行政︑司法の三権が異なる部門に分離さ
れる︒わけても特徴的であるのは︑立法部と行政部の厳格な分離であろう︒連邦政府にあっては︑大統領と連邦議会
議員とは︑それぞれ独立に選挙され︑制度的な交渉なしに行政権と立法権とを独占して遂行するのである︒こうして
公式には厳格に分離された立法部と行政部とを︑非公式に連結する回路として機能してきたのが政党に他ならなかっ
た︒ここで言う分割政府とは︑言わば大統領と議会との間に政党線が引かれた政府なのである︒
アメリカの選挙制度からすれば︑連邦議会の多数派と大統領の所属政党とがくい違う現象は︑論理的には二年毎に
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アメリカ合衆国における政党政治の最:近動向
生じる可能性があったはずである︒しかしながら︑実際にはそれは︑少なくとも今世紀半ぽまでは希な現象であっ
た︒すなわち︑﹁八五六年から一九五六年に至る一世紀の間︑大統領選挙に勝利した政党が上下両院のうちいずれか
一院においても多数派でなかった期間は︑二六年間であり︑しかもそのうち二二年間は︑中間選挙の結果生じた乖離
現象なのである︒一九一六年選挙においては︑民主党はW・ウィルソンを大統領に再選させ︑上院の多数を占めなが
ら︑下院においては四三五議席中二一〇議席に止まった︒しかし︑共和党とて一=六議席であって︑反対党が過半数
を占めたわけではない︒したがって事実上は︑大統領選挙と同時に行なわれた議会選挙において︑大統領選挙に敗北
した政党が︑議会の多数派を形成した事例は︑実に上院の多数派を共和党が奪った一八八四年だけである︒すなわち
この一世紀間の二五回の大統領就任時︵昇格による就任は除く︶において︑二三回までも大統領は︑自らの党が主導
する議会をもつことができ︑あと二回も︑上下謡いずれかでは自党が多数派であった︒しかるに一九五六年選挙にお
いては︑大統領にはアイゼンハゥアーが再選を果たしたにもかかわらず︑上下両院ともに民主党の制するところとな
る︒以来三二年の間︑大統領政党が上下両院をも制したのは︑一二年間に過ぎない︒それでも六八年のニクソンと八
○年のレーガンの勝利は︑上下両院における共和党の議席の増加を伴っていた︒ところが︑八八年選挙においては︑
共和党の大統領が選出されながら︑議会での共和党はかえって議席を後退させている︒来る一九九〇年中間選挙にお
いても︑上院はともかく︑下院において共和党が過半数を得るのは至難とみられるから︑この乖離現象は︑少なくと
も一九九二年までは︑続くであろう︒すなわち大統領と議会の多数派とは異なる政党に属するのが常態となったか︑
もしくはなりつつあると言える︒
この現象を見れば︑最近のアメリカの政党政治が︑決定的再編成によって区切られる過去の政党制のパターンから
決別しようとしていることが明らかであろう︒すなわち︑過去の政党制において認められた︑大統領と連邦議会の双
方を手中に収める支配政党が蒸発してしまったのである︒第三及び第四政党制は︑共和党優位であり︑第五政党制
は︑民主党優位であったとすれば︑アイゼンハゥアー政権が︑中間選挙で下院を民主党に制された一九五四年あたり
から︑政党制に何らかの転換を認めるべきであろう︒しかし︑それはもはや第六政党制とは言い難くはないであろう
か︒少なくとも支配政党なき政党制を︑従来の政党制の発展の延長線上に置くことには問題がある︒
この分割政府こそ︑政党政治の衰弱でなくて何であろうか︒選挙に勝利した政党が政府の主導権を握ることが︑政
党政治の前提である︒単独で政権を担える政党が出現しなければ︑連立政権もあり得よう︒しかし︑最近のアメリカ
政府の構成は︑こうした連立政権ではない︒そもそもアメリカの政治制度においては︑連立政権は出現し難いのであ
る︒議院内閣制において政府形態を単独政権と連立政権に区分できるとすれぽ︑アメリカ型大統領制の下では︑これ
を統合政府︑すなわち正副大統領と上下両院とを単独政党が支配する政府と分割政府とに分けられる︒両者とも︑確
かに政党法競合の帰結ではあろう︒しかし︑分割政府は︑政党間競合が選挙民によって完全には決着しなかった結果
なのである︒とりわけ︑大統領選挙年における分割政府の出現は︑政策争点に関する対立に審判が下されないことを
意味する︒より正確には︑大統領と議会がそれぞれ異なる政策を︑選挙民の付託を受けたと主張し︑しかもそれぞれ
が等しい正統性をもつ︒これは︑大統領選挙と議会選挙が︑四年毎にまったく同一日に行なわれるアメリカに特有の
現象であると言える︒たとえば一九八八年選挙において︑アメリカ選挙民は︑増税を拒む大統領を選ぶ一方で︑財政
の再建を主張しながら社会保障費の減額に否定的な民主党に上下両院の多数を与えた︒共和党が国防費削減に消極的
であったことをも考え合わせれば︑収入は増やさず支出も減らさないで︑財政を再建するのが選挙民の付託に応える
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アメリカ合衆国における政党政治の最近動向
︵η㌧政策であることになってしまう︒このように︑議会と大統領との間に常に矛盾と緊張関係がみられるのが分割政府な
のである︒
しかし︑いかに問題があるとはいえ︑分割政府が︑一応は選挙民の多数派の選択なのであるとすれぽ︑これを受け
入れるしかないとも言えるであろう︒この点について︑どう考えるべきであろうか︒分割政府をもたらすのは︑言う
までもなく分割投票である︒しかし︑分割投票者は︑実は必ずしも選挙民中の多数派ではない︒民主共和両党の支持 ︵28︶者が大統領選挙や下院選挙で支持政党の候補老に忠実に投票する率は︑通常四分の三を下回ることはないのである︒
民主党支持老の大統領選挙における忠誠投票率が︑相対的に低いにせよ︑少なくともこうは言い得よう︒すなわち分
割投票者は︑政党投票者に比べて少数派である︒あるいは︑たとえぽ一九八八年選挙において︑アメリカ選挙民を四
種類に分類してみよう︒すなわち︑ ︵一︶民主党の大統領と民主党主導の議会を望む者︑ ︵二︶民主党の大統領と共
和党主導の議会を望む者︑ ︵三︶共和党の大統領と共和党主導の議会を望む老︑ ︵四︶共和党の大統領と民主党主導
の議会を望む者である︒現実の選挙結果からは︑ ︵四︶の選挙民が︑完全な勝利を収めたことになろう︒それでは︑
いったいこの︵四︶の選挙民が︑多数派であると言えるのであろうか︒実のところ︑分割政府とは︑アメリカの選挙
制度の特異性がもたらした︑一種の奇妙な少数支配の帰結に過ぎないのではないであろうか︒
ここで︑過去の政党制を振り返ってみると︑結果としてほとんど常に大統領選挙でも議会選挙でも勝利を収めてい
る支配政党が認められはするものの︑選挙戦自体は︑かなり接戦であった場合も少なくないことに気づく︒第三政党
制下の大統領選挙は︑結果としては共和党がほとんど勝利しているものの︑それは一般投票におけるかなりの接戦の 期末であった︒第五政党制下にあっても︑全体的にみて共和党は︑侮り難い力を示している︒一九三二年の大敗北から
十年を経ただけで︑早くも一九四二年には︑下院で二〇九議席を得て︑民主党に対抗していた︒この時期にはまだ
﹁堅南部﹂が健在であったこ乏を考えれば︑南部以外では︑民主党と対等かむしろ優勢ですらあった︒そして四六年
には︑上下両院の過半数を制しさえしたのである︒支持率においても︑一九三七年には民主党の三分の二に甘んじて
いたのに︑四六年には僅差で民主党を凌ぐに至っていた︒これらが示しているのは︑過去の政党制における支配政党
は︑実は微妙な差でその地位を保っていたにすぎず︑僅かな票の移動によっても︑その地位は変動を被る可能性があ
ったということである︒特定政党の優越によって特徴づけられる政党制も︑実際には︑波打ち際の砂の城のようなも
のであったのかもしれない︒砂でできていようが︑波の来ぬうちは︑城は城である︒しかし︑それはほんの僅かの水
滴の浸食でも崩れ落ちてしまうし︑ましてやひとたび決定的再編成の大波が打ち寄せれば︑ひとたまりもない︒それ
は︑比較的少数の分割投票者の増加で崩れ落ちてしまう脆弱性をはらんでいたのである︒
︵25︶冒日︒ω日.q陰口巳ρ巳ω!b§貸ミ含ミ暮馬︑ミ電西門焼§︵毛霧珍芸oq8Pu・O・L竃︒︒︶や・ω①・
︵26︶ 大統領と同じ政党の副大統領が︑可否同数の時には投票権をもつ上院議長である点を考慮して計算した︒
︵27︶ 確かに結果的には︑その後の国際状勢の急変により︑国防費削減に共和党も同意するようになった︒しかし︑それを選挙
民が予測していたわけではあるまいし︑削減された国防費は︑いわゆる﹁平和の配当﹂として︑福祉政策に消費してしまお
うという議会民主党の意向が伝えられている︒であるとすれば財政再建に大きくは寄与しないであろう︒
︵28︶寄望B︒建国・≦︒冨罐︒び.6︒呂σq昌巳︒塁男︒聾oq腎日︒易き白話β︒巳︒︒け2轟け冨旨㊤G︒継匹①a§・.︑ぢ﹀ロω言寄目畠
a二↓ぎ︾ミミ蹄§田禽欺§肋ミ慧︒︒暉︵≦pω讐ロoq8炉U.O二H¢o︒6︶署﹄o︒μ幽○︒O・
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おわりに
アメリカ合衆国における政党政治の最近動向
分割政府が︑議会と大統領の摩擦の大きな政府であり︑効果的に機能し難いとしても︑それでは形式的に統合政府
でありさえずれば︑大統領の立法上の主導権を議会は︑自動的に受け入れるであろうか︒たとえぽ統合政府の直近の
例としては一九七七〜八一年のカーター政権が挙げられる︒しかし︑同政権では︑議会と大統領の関係が緊密であ
り︑大統領が指導力を発揮したと言えるであろうか︒むしろそうした評価は︑ほとんど聞かれないのである︒すなわ
ち︑統合政府は︑政府が効果的に機能するために必要な条件であっても︑それだけでは十分な条件ではない︒すなわ
ち大統領選出過程における政党の役割が大きく変化しており︑個人主義的色彩の濃い選出過程を経てきた大統領は︑
政党構成の如何を問わず︑議会との関係に悩まねばならないという側面がある︒その一方で︑たとえ分割政府であっ
ても︑大統領が大差で選出され︑かつ常に高い支持を個人として得ている場合には︑かつて大統領に期待されたよう
な立法の主導権を発揮することができるかもしれない︒
アメリカ政党政治の最近動向たる分割政府の常態化は︑政党理論が︑記述的にも規範的にも︑対応を迫られている
現実なのである︒すなわち︑政党が政府を効果的に機能させる条件は︑大きく変わってしまった︒政党理論は︑そう
した条件を探り︑政党の機能を説明しなければならない︒とりわけ最近の分割政府が︑それなりに機能しているとい
う点を重視するならぽ︑政党の意義はきわめて限定されるであろう︒従来的な意味で政党が機能していなくとも︑十 畑分に政治運営は可能であるとすれぽ︑結局政党無用論に至る可能性も排除し得ない︒一方で︑政府は︑政党によって
いかに構成されるべきなのかについて︑規範的な理論も求められる︒規範的考察には︑制度論的構想も含まれ得るで
あろう︒すなわち︑分割政府を比較的容易に出現させてしまう現行のアメリカの選挙制度を再構想し︑大統領選挙と
議会選挙に何らかの連関をもたせるような制度的保障を設定することも検討する価値がある︒また連邦憲法の修正
が︑現実にはきわめて困難であるとするならば︑たとえば︑投票機のパネル表示を政党別にし︑一回のレバー操作で
政党投票が可能なようにすることも真剣に考慮されなけれぽならない︒
いおゆる﹁責任ある政党政治﹂︵お呂︒霧凶玄Φb菊合σqoくΦ屋ヨ①暮︶論が意図したのば︑ひとつには政党が皿体性を
もった政策を提示することによって政党投票すなわち︑選挙民が政党を指標として投票することが一般化し︑大統領
と議会とを政党を通じて一体化することであった︒これは︑憲法上の権力の分離の打破に他ならない︒かつて分割政
府が例外的であった時代においてさえ︑アメリカ政党が︑こうした論者が期待した水準にまで達したことがあったか
どうかは疑問である︒それならばなおのこと︑政党政治の現状︑すなわち分割政府が︑彼らの理想から程遠いことは
確かであろう︒現在でも︑政党の現状を慨嘆し・政党強化の方策を模索する人々が存在す聰しかし・政党政治をめ
ぐる状況は︑責任政党政治学派が着った時代よりもさらに悪化している︒こうした中で︑現在の政党擁護論者の議論
は︑彼らがかつての責任政党政治学派の直接的な後継者であるかどうかはともかく︑基本的には依然として責任政党
政治学派の議論の延長線上にあるようにも思われる︒すなわち︑政党の強化が︑選挙民に政党の効用を認識させ︑そ
れが政党投票を促進するという議論の基本的枠組みでは共通している︒しかしこうした議論には︑どこか予定調和説
の気味が漂う︒常に分割政府の可能性をはらむという制度的脆弱性を︑政党の側の改革だけで克服し得るであろうか︒
仮に分割政府が選挙民の分割投票の結果であり︑かつ分割投票は︑政党の弱体化のせいであるとする︒それに対する
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アメリカ合衆国における政党政治の最近動向
処方が︑政党の強化であるとしても︑まさに政党の強化が必ずしも望ましくない状況が分割政府なのである︒たとえ
ば︑議会政党の凝集性の増大は︑ 一応は政党の強化であると言える︒しかし︑分割政府の下では︑議会政党の強化
は︑それだけではむしろ政府機能の阻害要因にさえなり得るのである︒大統領と議会の対立で︑政治が混乱すること
によって︑初めて選挙民が︑両者が同一政党によって占められていなければならないと悟る︒こうして政党投票が促
進され︑分割政府は解消するという筋書きは︑非論理的とは言えぬにせよ︑余りにも高くつくように思われる︒好ま
しい変化のために破局を待ち望むというのは︑どこか革命の後の理想社会を信じて︑社会状勢の悪化を待望するだけ
のマルクス主義者に似ている︒現実に︑高度資本主義国家に革命が起こらなかったように︑分割政府が︑それなりに
機能していくとすれば︑従来の政党理論は︑古典的マルクス主義のように化石化してしまうであろう︒
既に述べたように︑決定的再編成がもはや絶対に起こり得ないとも言えない︒しかし︑たとえそうであるにせよ︑
いつの日にか来たるべき再編成を気長に待ち望むだけが政治学の唯一の対応であってよいはずもない︒期待されるべ
きは︑むしろ政党政治の変容という現実に対応した政党理論の再編成なのである︒
︵29︶ たとえば以下を参照︒○①鑓冠竃・唱oBb①さ閲ミミ勉・高望ミ§♂§穿ミ霧︵Z①甫即§ω三〇貯・お︒︒G︒︶暑・ωO一−ωOω・