︽論 説﹀
アメリカの企業裁判映画
坂 本
仁
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ここでは︑アメリカの企業に関連した裁判映画を取り上げる︒この種の映画は︑一九八○年代から登場し始め︑
九〇年代〜二〇〇〇年代に特徴的な︑いわゆるコーポレート・ガバナンスやコンプライアンスに関する作品である︒
こうした話題が扱われるようになった背景には︑企業のみならず一般の人々が︑企業︵会社・事業体︶というもの
のあり方について︑考える機運が高まってきたからであろう︒一九七〇年代には環境問題として︑次いで一九八○
年代以降は経済的観点から︑その意識が強く生まれてきた︒︵しかし︑後に見るように︑映画作品としては︑経済的観
点が先で︑環境問題は遅れて登場している︒︶
企業の立場からすれば︑会社設立後︑足場を固め︑利潤追求のために︑製品を生み出し︑商品として販売し︑投
資した資金の回収や従業員の雇用の維持を図りつつ︑さらなる利益をあげるべく事業の拡大を目指す︒やがて︑企
業が収益をあげ︑順調に成長して規模を拡大するようになると︑︿人・もの・金・情報﹀が地域の垣根を超え拡張
する︒地域に根ざした小規模なものから︑全国規模に︑さらに国境を超えてグローバル化する︒その過程で︑商品
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の生産や物流︑資源や環境︑取引慣習︑民族や文化をめぐる様々な軋礫が生じる︒その結果︑企業は継続的な利益
を得るには︑貧欲に利潤を追い求めるだけでなく︑存続のための諸条件i資源の確保︑環境の保全︑従業員や地
域社会の福利・厚生︑他の企業との公正な取引約定など一を整備する必要に迫られる︒すなわち社会的責任を問
われるようになる︒
しかし企業は︑当初からそのような考え方に基づき︑率先して対策を講じてきた︑というわけではない︒むしろ︑
雇用者・従業員からの待遇改善の要求︑地域住民の工場設置反対︑環境問題に関する社会の告発といった企業内外
からの要求︑さらに原材料や資源の争奪︑取引相手との幾多の調整︑競合他社との熾烈な競争︑加えて国家の規制
︵会社法︑工場法︑取引法︑税法︑労働法︑環境法︑等々︶︑事業・組織体としての存立・活動条件に関する諸問題に
その都度解決を迫られ︑やむなく整備せざるを得なくなった体制である︑というのが実情であろう︒
二〇世紀後半になり︑企業は︑単なる利益集団として存続すればよいという利己的な考え方を脱却し︑むしろ積
極的に地域社会や国家への貢献︑ひいては地球規模での共存共栄の道を図るのが至当だ︑と自覚するようになった︒
それがコーポレート・ガバナンスやコンプライアンスの中核にある︒この時期のアメリカの法廷劇映画には︑こう
した社会背景を投影して︑住民が提訴したり︑関係者による内部告発があったりして︑企業を法廷の場に引き出す
場面がいくつか見られるようになった︒
問題の背景
ここでは︑アメリカの法廷劇映画を旦ハ体的に検討するに先立ち︑エネルギー源︑環境︑企業倫理を巡る問題の背
景︑ならびにそうした問題を積極的に取り上げた映像作品をいくつか見ておくことにしよう︒
ω エネルギー問題
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アメリカは一九世紀末に工業生産で英国を抜いて世界のトップに立つ︒移動には︑それ以前の馬車や鉄道に代わ
り︑﹁T型フォード﹂に代表される車が主流となる︒そのエネルギー源は化石燃料である︒広大な領土を持つアメ
リカは︑肥沃な農地だけでなく︑豊かな天然資源を埋蔵する土壌にも恵まれている︒石油である︒工業機械を稼動
させるエネルギー源ばかりでなく︑車の動力源としても︑石油の需要が高まる︒一九世紀中葉の︑一八四九年のカ
リフォルニアに﹁ゴールドラッシュ﹂が生じたように︑二〇世紀の初めころ︑テキサスやオクラホマに︑原油採掘
熱が高揚する︒こうしたアメリカの﹁石油黄金時代﹂が始まったのは︑一九三〇年代である︒テキサス州に﹁巨大
油田﹂︵イーストテキサス油田・七〇億バレル︶が発見されたからである︒
この時期の石油採掘物語は︑映画史の中に彩を添えている︒テキサスの石油王になる物語は︑ジョージ・ステイ
ーヴンス監督作品﹃ジャイアンツ﹄︵禽§き一8①︶に︑中西部の開拓劇を取り上げたアプトン・シンクレアの小説
﹃石油﹄︵一九二七︶は︑ポール・トーマス・アンダーソン監督﹃ゼア・ウイル・ピー・ブラッド﹄︵§鴨蕊§鳶bσ恥
ヒσ㍉89卜︒OO刈︶に︑また︑オクラホマ開拓を扱ったエドナ・ファーバーの小説︵一九二九︶が︑アンソニー・マン監
督﹃シマロン﹄︵G§織ミ§一Φ①O︶として映画化されている︒いずれも油田発見に至るまでの激しい戦いが︑悲喜こ
もごもの人物像を通して描かれている︒
エネルギー危機
二〇世紀後半において︑貴重な天然資源は︑何をおいても原油に他ならない︒原油は︑工場を稼動させ︑車・船
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舶・飛行機などの燃料や動力源としてばかりでなく︑次第に︑食料︑医薬品︑衣類や建築資材に至る様々な加工製
品の原材料としても利用され︑生活に不可欠な必需品となる︒そうした情況にあって︑先進工業国に最も大きな衝
撃を与えた出来事は︑一九六〇年の中東地域を中心にした﹁石油輸出国機構﹂︵OPEC︶の結成である︒当初は
さほど注目されなかったこの機構が︑次第に存在感を増し︑世界の産業と経済に大きな影響を及ぼし︑現在では世
界経済の動向を左右するまでになる︒その影響力が一気に高まったのが︑第一次︵一九七三︶.第二次オイルショ
ック︵一九七九︶と称される﹁エネルギー危⁝機﹂であった︒
一九七三年に第四次中東戦争が勃発し︑ペルシャ湾岸の石油産出六ヶ国が︑原油公示価格を一バレル三.一ドル
から五・ご一ドルへ︑さらに翌年にかけて︑一一・六五ドルへと四倍近くに引き上げた︒これが第一次オイルショ
ックである︒堺屋太一の小説﹃油断﹄︵一九七五︶は中東ホルムズ海峡の名を高からしめ︑日本の原油が中東に依
存しすぎていることを指摘している︒この第一次オイルショックが起きる一九七三年以前は︑エクソン.モービル
社を筆頭とする﹁セヴン・シスターズ﹂が構成する﹁国際石油資本﹂︵メジャー︶が世界の石油価格を牛耳ってい
たが︑これ以降︑OPECが石油メジャーに取って代わり︑原油価格はOPEC主導の下に決められることになる︒
また︑一九七九年のイラン革命により︑イランが原油産出を停止したため︑OPECは原油価格を一四.五%値
上げすることを発表し︑第二次オイルショックの引き金となる︒これにより︑世界経済の発展基調が一気にしぼみ︑
深刻なスタッグフレーションに陥り︑低開発国の多くが債務不履行国となる︒﹁石油を制するものが世界を制する﹂
とまで曝かれ﹁オイルダラー﹂の威力が高まったのである︒
先進工業国は日本を含め︑この間︑OPECの政策に手をこまねいてばかりいたわけではない︒﹁エネルギー危
機﹂対策として︑原油産出地域を中東に依存し過ぎていた反省から︑北海︑南米︑アフリカなどの地域に新たな油
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田の発見に努めたり︑原油の備蓄の能力を高めたり︑原子力や風力︑太陽光などの代替エネルギーの開発を進めた
りと︑生産地域の拡大や技術力向上の努力をした︒と同時に︑一九七五年フランス・ランブイエにて︑第一回先進
車力国首脳会議︵サミット・G6︶を開催し︑﹁オイルダラー﹂に翻弄される世界経済の建て直しのため︑経済対策
会議を開くことになった︒︵やがて︑カナダ︑ロシアがこれに加わり︑一九九八年のバーミンガム会議以降は﹁G8﹂と
呼ばれるようになった︒さらに現在では︑発展著しい中国やインドを加え︑﹁G20﹂にまで規模が拡大している︒︶
広大で豊かな領土に恵まれるアメリカは︑この時期︑日本ほど深刻なエネルギー危機を痛感したわけではなかっ
たが︑人々は︑移動に欠かせない車を動かすガソリン価格の高騰を実感するようになる︒しかし︑アメリカの大手
自動車産業は︑一九八○年代に︑従来通りのガソリンを消費する自動車生産を続けたため︑小型で燃費効率の良い
日本車に徐々に販売シェアを侵食され︑二一世紀初頭には︑ついに生産大国一位の座を日本に明け渡すことになる︒
米国と日本の石油資源の危機意識の差異の現れであった︒消費者は︑自衛のためにエネルギー効率の良い車選びを
していたのである︒
この時期のアメリカ映画では︑﹁エネルギー危機﹂に不安を表明する深刻な設定の物は多くない︒むしろ︑経済
大国の一角を侵食しかねない日本企業をターゲットにして︑対日貿易不均衡に端を発する﹁日本たたき﹂︵冨︒き
bd
カぼ轟︶に類する題材が話題となった︒ポール・ヴァーホーヴェン監督﹃ロボコップ﹄︵肉&8愚wH㊤︒︒刈︶︑ジョン・マクティアナン監督﹃ダイ・ハード﹄︵b器ミミ弘Φ︒︒︒︒︶など︑日本企業を悪の巣窟に仕立て︑蓄積した富の収
奪対象とする設定のものや︑ジョー・ダンテ監督﹃グレムリン﹄︵O惹ミ§勲HO︒︒心︶に見て取れるように︑こそこそ
と迷惑行為を引き起こす存在として描かれた︒また︑犯罪者が日本車を乗り回すロヴ・コーエン監督作品﹃ワイル
ドスピード﹄︵§Q隷も︒妹§駄寒鳴聖旨§ρ卜︒OOH︶や︑旧来のフォード車への愛着をこめたクリント・イーストウッド
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監督﹃グラン・トリノ﹄︵○ミ§§篭§P80︒︒︶にいたるまで︑日本企業の存在が︑アメリカ社会に及ぼす影響を敏
感に反映している︒
原子力 天然資源の争奪対象は︑一九世紀以前は︑まず金銀ダイヤモンドなどの貴金属や宝石類のような鉱物資源が中心
であったが︑二〇世紀後半に入り︑化石燃料とウランに注目が集まる︒動力源としては工場でも家庭でも︑化石燃
料をそのまま利用するというより︑使い勝手のよい電力に変換するようになり︑電力の需要が高まる︒電力の安定
供給のために︑水力や風力発電よりも火力発電に依存する度合いが増し︑化石燃料の消費が増大したが︑大気汚染
を減少させるべく︑石炭や原油からウランへの関心が高まっている︒アメリカはウラン埋蔵量でも︑オーストラリ
ア︑南アフリカなどに次いで豊かである︒カリフォルニア︑アラスカ︑ハワイなどに相当量のウラン埋蔵が確認さ
れてい︵観︒また︑天然ガスを抽出できるシェール・ガス層がモンタナやワイオミングなど北西部にふんだんに眠っ
ている︒
ウランは︑秘められた莫大な核エネルギー源として︑兵器だけでなく︑発電所の動力源としても期待されている︒火力発電から原子力発電への依存が高まりつつある︒二〇〇五年度実績で︑世界の原子力発電の電力供給に占める ︵2V割合は︑五%に過ぎない︒原子炉の数では︑米国の一〇四六︑フランスの五九基︑日本の五五基が上位を占める︒
だが︑原子力発電には問題もある︒安価でクリーンを謳った原子力発電が一時バラ色の環境を約束してくれるかに
見えたものの︑アメリカ・ペンシルヴェニア州のスリーマイル島︵一九七九︶︑旧ソ連のチェルノブイル︵一九八
六︶︑日本の福島︵二〇一一︶等の原子力発電所の事故が教えるように︑強大なエネルギー源はひとたび牙をむくと︑
容易に制御し得ない厄介なお荷物となる︒一見安価でクリーンなイメージをもつ原子力発電も︑廃棄物処理や放射
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能汚染対策にとてつもなく多額で面倒な負担を強いられるのである︒
原子力発電所に関しては︑高度に専門的な知識を必要とするだけでなく︑その設置に当たっては︑国家が密接に
関与しているプロジェクトの側面が強いため︑情報が完全に開示されているわけではなく︑その実情が一般には知
られることが少なかった︒ひとたび事故などが発生すれば︑その影響が計り知れないこともあり︑関係者は人々の
不安が先走ることを恐れ︑原子力発電のクリーンなイメージや必要性を訴えても︑実態を広く知らせようとはしな
かったし︑一般の人々もあまり考えずに過ごしたい︑という風潮が強かった︒そのため︑映画作品として原子力発
電所が舞台に登場することはさほど見受けられない︒しかし︑発電所の事故に関する映像作品は︑多くは無いが︑
いくつかある︒
アメリカ映画で原子力発電所の事故の話題をいち早く取り上げたのは︑ジェームズ・ブリッジス監督﹃チャイ
ナ・シンドローム﹄︵§鴨Oミミ砂ミミ§食6お︶である︒﹁原子力発電所がメルトダウンを起こしたとしたら︑地
球を突き抜けて中国まで熔けていってしまうのではないか﹂︑という想定の物語である︒くしくもこの映画の公開
わずか一二日後に︑スリーマイル島の原発事故が発生したという︒問題意識という意味では︑作品に先見性がある︒
また︑先に言及した﹃シマロン﹄は︑草創期のオクラホマ油田開拓を取り上げていたが︑マイク・ニコルズ監督
﹃シルクウッド﹄︵⑦§ミ89 お︒︒︒︒︶は︑その同じオクラホマ州クレッセント近くにあったシマロン核燃料製造所
︵O一bρ9同NO5 閃口Φ一 国鋤び﹁凶O鋤け一〇︼P ω一什Φ︶を舞台にしている︒この作品は一九七〇年代に起きた実話に基づいている︒同
核燃料製造所に勤める科学技術者カレン・シルクウッド︵一九四六−七四︶が︑原子力発電所内で放射線の被曝事
故に遭い︑その事故の実態を告発するため新聞記者と会うことになっていたのだが︑彼女はその直前に謎の交通事
故死を遂げてしまう︒事件から九年後︑映画はサスペンス・タッチでその間の事情を推測している︒︵発電所の事故
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ではないが︑﹃シルクウッド﹄と同年に︑米ソの核戦争を題材にした﹃ザ・デイ・アフター﹄︵寒鳴b§転ミロΦ︒︒︒︒︶がA
BCネットワークのTVドラマで放送され︑高視聴率を上げた︒︶
エネルギー産業
二一世紀に入ると︑アメリカおよび世界のエネルギー産業は︑一地域の単一産業ではなく︑巨大化し︑グローバ
ル化する︒原油一つを例にとっても︑石油メジャーなどは︑油田の開発︑採掘︑輸送︑精製︑取引を手掛ける︒加
えて電力事業︑ITビジネスなどを含めた複合企業として肥大化するものもある︒そうした総合エネルギー産業の
民間最大手企業は︑アメリカ・テキサス州に本拠を置くエクソン・モービル社である︒これに︑ロイヤル・ダッ
チ・シェル︑BP︵ブリティッシュ・ペトロリアル︶やシェブロンなどが続く︒産業がグローバル化すると︑その副
産物である事故もグローバル化する︒アラスカのプリンス・ウィリアム湾沖で発生したエクソン・ヴァルデス号原
油流出事故︵一九八九︶︑湾岸戦争時のペルシャ湾への原油流出︵一九九一︶︑インディアナ州沖のメキシコ湾内で
BP社の石油採掘施設爆発事故︵二〇一〇︶など︑大規模な石油関連事故が発生すると︑その処理に多くの歳月を
費やし︑莫大な処理費用を要するだけでなく︑環境破壊の大きな要因ともなる︒
一方︑動力源の中心となった電力は︑ヨーロッパの一部では国境を越えた供給取引が行われているが︑基本的に
は未だ国内︑地域の供給・消費︵地産地唄︶が主流である︒アメリカの電力産業は︑自由化された現在では︑民間︑ ︵3V連邦単位の公営︑地方公営事業︑および協同組合が運営する電気事業者の四団体からなる︒民間企業の﹁ジェネラ
ル・エレクトリック﹂︵GE︶や地方公営事業体である北カリフォルニアの﹁パシフィック・ガス・アンド・エレ
クトリック﹂︵PG&E︶などがよく知られている︒
しかし︑アメリカは慢性的な電力不足に悩まされている︒ニューヨークを中心にした北東部では︑隣国カナダを
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巻き込み一九六五年と二〇〇三年に大規模な停電に見舞われ︑生活や経済に大打撃を与えた︵二〇〇三年の大停電
は︑ジュンパ・ラヒリの小説﹁停電の夜に﹂のエピソードとして描かれている︶︒また︑二〇一一年には︑サンディエゴ
を中心にした南カリフォルニアで原子力発電所の原子炉が停止したことにより︑大規模な停電が発生している︒テ
キサス州では資源豊富なため︑電力供給には不安がないかのように推測されるが︑民間︑公営︑協同組合などの入 り組んだ電力供給団体が原因となり︑これにCO排出規制や入口増加︑高温の気候︑広大な領地などの要因が重な ︵4︶り︑実際には︑電力供給は逼迫しているのが実情である︒
この電力事業だけでなくITビジにネスまで手を広げた代表企業の一つにエンロンがある︒﹁エンロン﹂︵国霞︒口
0︒弓.︶は︑アメリカ合衆国テキサス州ヒューストンに存在した︑総合エネルギー取引とITビジネスを営む企業
である︒同社は︑二〇〇〇年度の年間売上高一︑一一〇億ドル︵全米第七位︶︑二〇〇一年の社員数一二︑○○○名
を擁した︑全米でも有数の大企業であった︒しかし︑巨額の不正経理・不正取引が明るみに出て︑二〇〇一年一二
月に破綻に追い込まれた︒破綻時の負債総額は少なくとも三一〇億ドル︑簿外債務を含めると四〇〇億ドルを超え
ていたのではないかと言われている︒同社は破綻後の二〇〇七年三月に︑﹁国霞︒づ9Φ舞︒お肉Φoo<Φ蔓○自b﹂に
ら 改称した︒
このエンロン事件を題材にしたアメリカ映画にディーン・パリソット監督の﹃ディック&ジェーン復讐は最
高!﹄︵寒§§ミb§§駄誉ミb8α︶がある︒この映画は︑実際には︑一九七七年に作られたテッド・コッチェフ
監督﹃おかしな泥棒ディック&ジェーン﹄︵︑S<ミ遷b葵郎>S密﹀肉︶のリメイクである︒しかし前者では︑
スタッフ紹介一覧の最初に︑エンロンやワールドコムの最高経営責任者︵CEO︶の名前が登場するなど︑舞台や
情況設定などに同社との類似点が示唆されており︑エンロン不正事件を基にしているのが容易に見て取れる︒
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②環境問題
つぎに︑エネルギー問題から︑環境問題に目を転じてみよう︒ ︵6︶ 環境破壊に関しては︑レイテェル・カーソンがいち早く﹃沈黙の春﹄︵一九六二︶で敬言鐘を鳴らした︒DDTや
BHCなどの化学薬品は︑一方で︑農作物の害虫駆除に役立つ便利な薬剤ではあるが︑他方で︑生態系に必要な昆
虫や水鳥や魚類などを死滅させ︑生態系への悪影響や環境破壊の元凶ともなる︒春になっても︑昆虫が舞うことも
鳥がさえずることも稚魚が泳ぐことも無い︑静かではあるが不気味な情況に︑彼女は奇異な感慨を抱き︑水質や土
壌の人為的な汚染がもたらす生物死滅の原因を突き止め︑それを人々に知らしめた︒生産性と効率を最優先させて
化学薬品を使用した結果︑人為的に生態系を蝕み続ける実態を明かしたのだ︒こうした告発を受けて︑米国では︑
ケネディ大統領︵一九六一−六三︶が︑環境問題に関する大統領諮問機関を設置して調査に当たらせ︑ニクソン大
統領時代︵一九六九−七四︶の一九七〇年に︑市民の健康と自然環境の保護を目的とする﹁アメリカ合衆国環境保
護庁︵EPA︶﹂が発足し︑環境保護関連法案が成立した︒この政府機関は︑大気汚染︑水質汚染︑土壌汚染など ︵7︶を管理の対象とし︑現在では発癌性評価なども公表している︒
アメリカのこうした対策に先だち︑一九六九年忌は︑国連ユネスコの環境関連会議で﹁アース・デイ﹂の考えが
提唱された︒これを受けアメリカでは︑サンフランシスコ市長のジョゼフ・アリオトにより︑世界初の﹁アース・
デイ﹂︵国︶P﹃けげ 一UP団︶宣言がなされ︑翌一九七〇年︑国連のウ・タント事務総長がこれに賛同の署名をした︒この年︑
アメリカではゲイロード・ネルソン上院議員やデニス・ヘイズらの尽力により︑﹁アース・デイ﹂と環境問題への
意識が人々に広く定着することになり︑環境保護庁が発足する運びとなった︒やがて世界的にも︑生態系を視野に
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入れた環境意識が高まり︑一九七二年には世界で初めて︑国連人間環境会議がスウェーデンのストックホルムで開
催︒これは一=ニカ国が参加した大規模な政府間会合で︑ここで﹁人間環境宣言﹂および﹁環境国際行動計画﹂が
採択された︒以降︑国連の環境関連会議は︑一九八二年にはナイロビで︑一九九二年にはリオデジャネイロで﹁国
連地球サミット﹂︵けげΦ﹈円9同け﹃ω¢bPbP凶け︶として︑また︑二〇〇二年にはヨハネスブルグで﹁環境開発サミット﹂とし ︵8Vて一〇年ごとに開催されるようになった︒
しかし︑環境問題は︑先進国や発展途上国との経済格差︑世界の政治や経済情勢などの影響を受け︑単一基準で
簡単に決着が付くものではない︒発展途上国が生活の向上を目指して開発に転じようとすると︑地球規模で見た場
合には︑それまで微妙なバランスの上に維持されていた生態系が崩れ︑深刻な環境破壊の原因に発展する恐れがあ
る︒これから開発を進めようとする国々からは︑開発を抑えようとする先進国の動きには当然反発が起こる︒また︑
先進国にあっても︑さらなる富を求めて途上国を巻き込んだ資源争奪競争を展開し︑影響力誇示に乗り出す︒この
問題は︑かくして時の政権運営担当者︑とりわけ先進国の考えに左右されやすい︒前者の格好の例が︑ブラジル・
アマゾン川流域の資源開発やCO2排出規制を巡る世論であり︑後者の事例は︑アメリカのレーガン・ブッシュ政権
下での﹃沈黙の春﹄を巡る反発意見︑G・W・ブッシュ政権下の地球温暖化防止を目的とした﹁京都議定書﹂︵一
九九七︶に対する批准撤回︵二〇〇一︶行動などである︒
地球温暖化を促進するCO2などの温室効果ガスの排出規制の努力を呼びかける各国の動きに対し︑アメリカの政
権担当者や産業界は︑それを疑問視したり︑抵抗したりしてきた︒しかし︑アメリカ連邦最高裁判所は︑二〇〇七
年四月ブッシュ政権末期に︑連邦環境保護庁に対して︑CO2排出規制を義務付ける判決を下したのである︒これは︑
﹁地球温暖化抑止運動勢力がアメリカ政府に対して︑温暖化抑止対策として温室効果ガスの排出規制の実施を求め
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た裁判﹂に対するもので︑裁判所が︑CO2などの温室効果ガスは︑地球温暖化の原因になると認定し︑その規制を ︵9︶義務付ける必要があるとした画期的な判決である︒国連やヨーロッパの環境保護団体の地道な活動がおおきな勢力
となった証である︒
そんな中︑ローランド・エメリッヒ監督﹃デイ・アフター・トゥモロー﹄︵長鳴b塁書検§§ミこ斜b︒O虞︶が発
表され︑大きな反響を呼んだ︒この映画は地球温暖化によって突然もたらされる氷河期の出現を題材にしたSFパ ︵10︶ニッタ映画である︒核戦争後に地球が急速な寒気に見舞われ︑氷河期の様相を呈する可能性を指摘した﹁核の冬﹂
のイメージを転用した世界である︒また︑ビル・クリントン政権下で副大統領を務めたアル・ゴアは︑政権を離れ
て後︑若いころから関心を抱いていた地球温暖化問題の啓蒙に専心し︑デイビス・グッゲンハイム監督のドキュメ
ンタリー映画﹃不都合な真実﹄︵卜§ミら§妃§帖§味Sミ導﹄08︶に出演し︑地球温暖化現象や環境破壊の深刻な事態
を世界に知らしめ︑衝撃を与えた︒ゴアは︑こうした環境啓蒙活動が評価され︑二〇〇七年にノーベル平和賞を受
賞している︒
地球村
一九九〇年代︑企業の世界的な事業展開︑IT︵ぼ︷o﹁受註睾↓8ぎ90αq矯︶産業の隆盛やアル・ゴア米副大統領
主導による﹁情報スーパーハイウェイ﹂政策の推進により︑インターネットや携帯電話の普及に伴い︑企業や人々
の暮らしがグローバル化した︒交通手段の利便性が格段に高まり︑人々の生活圏が拡大し︑情報が人々の問で同時
に共有されることになり︑世界全体がかつての村社会のような︑同じ意識を共有する﹁地球村﹂と称される社会が
出現したのである︒それは﹁人・もの・金・情報﹂が速やかに移動・波及する過程で︑国内企業から国際企業へと︑
国境を越えた工場や事業体の海外進出︑企業の買収や合併が盛んに行われるようになり︑地球の裏側の出来事に対
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して︑﹁我関せず﹂では済まされなくなり︑その出来事が即﹁我がこと﹂の情況が生まれたからだ︒︵最近では︑ス
マートホンと称される昼げ︒口Φや6巴が主流になり︑その傾向がますます加速しつつある︒︶
たとえば︑自然災害では︑南米チリ沖地震︵二〇一〇︶が︑太平洋対岸の日本にも高波の影響を及ぼすし︑逆に︑
東日本大地震︵二〇=︶が対岸のカリフォルニアにも影響を与えた︒また︑人為的災害では︑ペルシャ湾への原
油流出︵一九九一︶やメキシコ湾内でのBP油田爆発事故︵二〇一〇︶が︑環境汚染だけでなく原油価格にも影響
し︑二〇=年の東日本大震災に伴う福島原子力発電所の事故が︑日本国内のみならずアメリカや西欧の自動車産
業などにも操業の遅滞や停止の原因となったし︑タイの大洪水で︑日本の現地工場が活動停止に追い込まれたりも
した︒また︑アメリカの金融商品サブ・プライム・ローンが問題︵二〇〇七︶となり︑金融機関リーマン・プラザ
ーズが破綻︵二〇〇八︶し︑ギリシアやイタリアやスペインの財政危機︵二〇一一︶が伝えられると︑ユーロ圏の
みならず世界的金融不安をもたらした︒このように私たちは︑現在︑地球全体を一個の社会とする運命共同体に生
活しているのである︒
二 企業倫理と映画
用語の意味
まず︑ こう︒
ガヴァナンスやコンプライアンス︑および企業のグローバル化とはどのような意味なのかを︑一瞥してお立正法学論集第45巻第2号(2012)
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︵11︶ ﹁ガヴァナンス﹂︵αqo︿上口き︒Φ︶とは︑英和辞典の定義では︑﹁管理︑支配︑統治︵法︶﹂の意味だとある︒ここで
は︑﹁企業を巡るガヴァナンス﹂ということであり︑通常︑﹁コーポレート・ガバナンス﹂︵︒︒壱︒轟けΦひq︒︿興轟づ8︶
と称され︑﹁企業の経営を監視・規律すること︑又はその仕組﹂をいい︑﹁企業統治﹂とも訳される︒ ︵12︶ また︑﹁コンプライアンス﹂︵ooヨ9磐︒①︶とは︑語義的には﹁︵規則などの︶順守︑コンプライアンス︑従おう
とすること︒また︑適合性︑準拠︑整合性﹂の意味である︒﹁企業コンプライアンス﹂︵8壱︒舜ぼ88日9鋤gΦ︶は︑
コーポレート・ガバナンスの基本原理の一つで︑﹁企業が法律や規則などのごく基本的なルールに従って活動する
こと﹂であり︑﹁ビジネス・コンプライアンス﹂という場合もある︒また︑コンプライアンスは﹁企業が法律に従
うこと﹂に限らず︑法律の﹁遵守・応諾・従順﹂等を意味する語であり︑今日では﹁企業の社会的責任履行﹂
︵8壱︒蜀8ωoo巨お聲05玖σ葺蔓110ω幻︶と共に非常に重視されている︑と説明されている︒
ついでに︑﹁企業のグローバル化﹂︵ひqδσ巴冒毘80臨8壱︒﹃98び⊆ωぎ①ωω︶とは︑﹁金融用語辞典﹂によれば︑企業
が﹁全世界を自分の市場として把握し︑生産︑流通︑販売の各部門で︿もの︑かね︑ひと︑情報﹀という経営資源
を最適に配分する全地球的に事業を営む﹂形態のことだとある︒冒頭にも触れたように︑それに伴い︑企業は﹁言
語︑宗教︑民族性︑教育水準︑雇用形態︑賃金︑労使関係︑管理層の水準︑技術情報︑行政︑法制︑税制︑政治動
向︑公務員の信義・節操︑などなど数々の要因︑さらにこれらを包括したカントリー・リスク﹂に配慮し︑対策を ︵13︶講じる必要がある︒
企業倫理の諸相
企業が存続していくには︑さまざまな条件があろうが︑﹁企業統治﹂︵ガヴァナンス︶や﹁社会責任﹂︵コンブライ
アメリカの企業裁判映画(坂本 仁)
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アンス︶の面から見た場合︑企業体としての基本データー社員組織や立地条件︑株価や資産︑商品・取引.営業
実績︑ならびに雇用や福祉や労働条件など一がきちんと情報開示︵ディスクロージャー︶され︑かつ適正に運用
されている必要がある︒また︑企業相互の取引の公正さ︑買収や合併︑会社関連の環境問題対策等が法律に基づき
公正になされているか否かが︑ここでの主要な観点である︒さらに近年では︑三口ポレート・ガバナンスの領域
では︑法令順守だけでなく︑企業倫理が盛んに議論され︑株主のみならず︑従業員や取引先などのステークホルダ ︵14V1との関係を視野に入れた議論も強まっている﹂という︒これらの問題が投影された映画作品を見てみよう︒
﹁企業統治﹂︵ガヴァナンス︶に関してよく話題に上るのは︑株式の上場や公開︑買収や合併︑それに社内人事な
どである︒一九八○年代からアメリカ国内の産業の空洞化問題が一方にあり︑それと表裏をなすように︑企業の合
併や買収︵竃興αq9昏>Oρ乱ω一二05\冨卿﹀︶が国内外に展開されるようになった︒これに呼応して︑映画は企業の合 め 併や買収の話題を取り上げるようになった︒オリヴァー・ストーン監督の﹃ウォール街﹄︵ミミ︑要ミ鼻冨︒︒刈︶︑マイ
ク・ニコルズ監督﹃ワーキング・ガール﹄︵き尋凡鑓OミロO︒︒︒︒︶︑デイリー・マーシャル監督﹃プリティ・ウーマ
ン﹄︵き書き§§仁80︶︑ブレット・ラトナー監督﹃天使のくれた寺上﹄︵§鴨寒§魯ミ§﹄OOO︶などである︒
﹃ウォール街﹄のような強引な企業買収が展開される深刻なもの︑﹃ワーキング・ガール﹄や﹃プリティ・ウーマ
ン﹄のような投資ファンドで企業買収を担当する男性ヒーローがヒロインを引き立てるシンデレラ・ストーリー︑
﹃天使のくれた時間﹄のような買収企業の猛烈社長がクリスマスを契機に家族愛に目覚めるというチャールズ・デ
ィケンズ﹃クリスマス・キャロル﹄の現代版メルヘンなど︑作品展開や基調にはヴァリエイションがあるが︑いず
れもエンタテインメント性を重視しながら︑買収工作の一面を開示している︒
国際取引と企業買収の話題では︑ハイテク産業が出版会社の合併画策を背景にして︑社内人事の駆け引きを絡ま
立正法学論集第45巻第2号(2012)
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せた︑パリー・ンヴィンソン監督﹃ディスクロージャー﹄︵一九九四︶がある︒また︑社内機密情報漏洩を巡る話
題では︑アーウィン・ウィンクラー監督﹃ザ・インターネット﹄︵§鳴﹀§口㊤O㎝︶があり︑これはインターネット
のハッカー防止プログラム﹁ゲートキーパー﹂なるソフト争奪のサスペンスである︒このように︑企業統治を脅か
すさまざまな情況が映画作品に取り上げられるようになった︒
﹇日本では二〇一一年に︑オリンパスが会計・証券用語でいうところの﹁企業の簿外債権債務を財務諸表に注記
すること﹂を定めた﹁ディスクロージャー﹂規程に従うため︑損失補填を隠蔽するべく海外企業の買収工作の失敗
を隠れ蓑にして虚偽記載をしたため︑会社の信用を著しく失墜させた事件が発生している︒﹈
環境問題では︑原子力発電所の事故︑環境汚染や温暖化の取り組みなどがある︒前節で言及したように︑原子力
発電所の事故を扱ったものは﹃チャイナ・シンドローム﹄︵一九七九︶や﹃シルクウッド﹄︵一九八三︶︑環境汚染問
題では﹃シヴィル・アクション﹄や﹃エリン・プロコヴィッチ﹄︑また︑地球温暖化問題では﹃ザ・デイ・アフタ
ー・トモロー﹄や﹃不都合な真実﹄などの映画作品が挙げられる︒
三 企業倫理に関する法廷劇映画
それでは本題の法廷劇映画の話題に入ることにしよう︒ここで取り上げる作品は︑発表年順にあげると以下のも
のである︒
﹃ウォール街﹄︵き鳶のミミ旨O︒︒﹃︶/﹃訴訟﹄︵Gミいい毎ら職︒§ピ㊤H︶︑﹃ディスクロージャー﹄︵b帖⑦亀8ミ蕊払⑩逡︶︑﹃イン
サイダー﹄︵ミ鴇§86㊤㊤︶︑﹃有罪判決﹄︵§Q9ミ鮮婁§お8︶︑﹃シヴィル・アクション﹄︵Qミ匿ミ§お8︶︑/
﹃エリン・プロコヴィッチ﹄︵肉蕊§bu§簿ミ母詞悼OOO︶
扱うテーマや話題から︑以下の三つのグループに分けて検討することにしよう︒
の欠陥やデータ隠し︑最後に環境汚染を巡る問題である︒ 一つは企業買収︑二番目は企業
ω オリヴァー・ストーン監督﹃ウォール街﹄︵き畿⑦ミ鼻HΦG︒﹃︶とパリー・レヴィンソン監督﹃ディスクロージ
ャー﹄︵b傍亀︒襲ミ藁ゆ逡︶
両作品とも企業買収ないしは合併を巡る話題に︑一方が不正取引を︑他方は職場でのパワー&セクシャル・ハラ
スメント訴訟を絡ませる︒いずれも︑企業統治に密接に関連した話題である︒
アメリカの企業裁判映画(坂本 仁)
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﹃ウォール街﹄は︑ニューヨークのウォール街を舞台に︑金融界を牛耳るゴードン・ゲッコー︵マイケル・ダグラ
ス︶が運営する投資会社のマネー・ゲームに絡む︑不正な﹁インサイダー取引﹂と内部告発のドラマをスリリング
に描いた作品である︒ストーリーの大部分は︑証券会社の若きセールスマンのバド・フォックス︵チャーリー・シ
ーン︶が︑金融界の大物ゲッコーに憧れ︑彼に追いつき追い越そうとする野望に翻弄される姿が描かれる︒
物語は︑ブルースター航空会社存廃を巡って展開される︒ゲッコ玉戸は会社の組合を解体し︑合併を狙う会社に
買い取らせ︑大きな利益を上げようと目論む︒フォックスは︑ゲッコーに証券セールスマンの才能を認められ︑航
空会社に送り込まれる︒実はこの会社には︑フォックスの父親が組合の中心人物として会社存続のために奮闘して
いる︒フォックスは︑ブルースター航空の経営状況悪化の情報をゲッコーに流し︑株価操作の手助けをすることで︑
ゲッコーに利益を上げさせる︒フォックス父子の確執の末︑父親の会社に対する愛着と会社を解体しようとするゲ
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ッコーの冷徹な損得勘定に揺れながら︑パッド・フォックスは︑結局︑ゲッコーのライヴァルであるワイルドマン
︵テレンス・スタンプ︶に買い取ってもらうことにする︒ワイルドマンが航空会社を組合ごと存続させる考えであ
るのを知ったからである︒フォックスはゲッコーと対峙したとき︑怒りに任せて口走る金融界の大物の不正を明か
すことばを録音していたのである︒
どこが法廷劇なのか︒この作品では︑刑事事件のような法廷での審理の応酬場面は無い︒なぜか︒刑事事件では
なく︑民事だからである︒合衆国憲法では﹁修正第七条﹂において︑刑事裁判だけでなく︑﹁普通法上の訴訟にお
いて︑係争の価額が二十ボルを超える時は︑陪審による審理の権利﹂を認めている︒しかし︑この事案は商取引に
関するもので︑かなり専門的な問題であるため︑刑事裁判のような陪審員臨席の下で法廷闘争が展開されるのでは
なく︑﹁証券取引委員会﹂の公聴会︵冨p解毒︶でインサイダー取引の事実を告白するという段階で︑作品の法的手
続きは終了してしまう︒ちなみに﹁インサイダー︵内部者︶取引﹂とは﹁会社の取締役︑従業員︑その他︑会社の
重要な情報︵内部者情報︶にアクセスしうる者︵内部者︶が︑その情報の公表前に行う︑当該会社の株券その他の
証券等︵特定株券等&関連株券等︶の売買等を行う取引﹂のことで︑取引相手に不公正になることから︑規制されて
︵16Vいる︒この点が司法に密接に関連した作品なのである︒
﹃ディスクロージャー﹄は︑シアトルの大手ハイテク企業が仕掛ける書籍部門買収統合計画︵M&A︶を背景に
して︑主人公と女性上司のセクシャル︑パワー・ハラスメント訴訟を絡ませた企業マネージメント倫理を問う作品
である︒そこに一九九〇年代初め︑時代の花形として登場してきたインターネットを中心にした︑衛星通信機器や
ヴァーチャル・ゲーム機器︑電子書籍などの先端的な技術の話題が作品に彩を添えている︒
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ストーリーは︑主人公であるディジコム社の重役トム・サンダース︵マイケル・ダグラス︶が︑先端機器開発部
の統括部長のポストに就任できるか否かを巡る経緯である︒本社シリコン・バレーから来た創設者ボブ・ガーヴィ
ン︵ドナルド.サザーランド︶の発表人事は︑胸膨らませていた主人公の期待を裏切るものであった︒その座を射止
めたのは︑社主の眼鏡にかない︑かつ主人公のかつての愛人であったメンディス・ジョンソン︵デミ・ムーア︶で
あった︒この女性上司を推進役として合併計画が進行する︒その鍵となるのが新製品CDIROMプレイヤーの成
否である︒製品発表会の席で︑不具合が見つかる︒メレディスはトムに責任を転嫁しようとするが︑トム・サンダ
ースは東南アジアにある工場の生産ラインのトラブルが原因で︑そうした事態を招き寄せたのが他ならぬ新統括部
長の指示であったことを突き止める︒このため女性上司は失脚する︒やがて新製品は無事完成し︑合併問題も落着
する︒新たな統括部長に就任することになったのは︑主人公のトムではなく︑発信人不明の﹁友人より﹂という電
子メールで︑彼に適切なアドヴァイスを寄せてくれた長年の女性同僚であった︒彼女は︑今回の人事異動の内幕は︑
創設者が主人公の追い出しを画策したものであったことも明かす︒
訴訟は︑嫌がらせ︵ハラスメント︶である︒メレディスは上司就任当夜︑かつての愛人同士であった主人公のト
ムを呼びつけ︑性的関係を迫るが︑主人公はすでに妻子ある身であることから踏みとどまる︒ところが翌日︑メレ
ディスはトムから﹁性的嫌がらせ﹂︵セクハラ︶を受けたと会社の上層部に届け出る︒経営陣はメレディス支持に
回り︑主人公は同僚からも白眼視され︑窮地に立たされる︒対抗策としてトムは︑セクハラ訴訟のヴェテラン女性
弁護士に相談し︑訴訟手続きに入るが︑結局︑メレディス側が訴訟を取り下げることになる︒
このドラマではハイテク機器が大活躍する︒主人公が︑工場の生産ラインのトラブルを突き止めたのがヴァーチ
ャル・リアリティー・システムの検索機能であったように︑セクハラ訴訟を有利に進めることが出来たのは︑上司
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との会話が携帯電話のメモリーに残されていたからである︒この訴訟は︑セクハラであり︑権力者による嫌がらせ
︵パワー・ハラスメントーーパワハラ︶事案でもある︒ハラスメントは人事管理に関するものであり︑企業統治︵ガヴ レ アナンス︶の一環である︒
② マイケル・アプテッド監督﹃訴訟﹄︵Oミ8トら職§6曾︶とマイケル.マン監督﹃インサイダー﹄︵ミ⑭ミ鳴き
HりOり︶・
前者は大企業の欠陥隠しの話題であり︑法曹界で働く父と娘の確執を絡ませたヒューマン・ドラマである︒後者
はタバコ産業のデータ捏造と会社の服務規律の問題をテレビの報道プロデューサーが取り上げる社会派ドラマであ
る︒ ﹃訴訟﹄は︑自動車事故の訴訟をめぐって︑敵味方にわかれた父娘弁護士の争いを描く︒物語の主軸は︑アメリ
カ大手の自動車産業アルゴ社の車種メレディアンの欠陥を巡る訴訟である︒この車が爆発.炎上してしまい︑所有
者が企業を相手取って訴訟を起こす︒原告側の弁護を引き受けたのがジェディダイア.タッカー.ウォード︵ジー
ン・パックマン︶である︒被告アルゴ社の顧問弁護を務めるのが業界有数のクイン法律事務所であり︑そこで働く
ウォードの娘マギー︵メアリー・エリザベス・マストラントニオ︶が弁護を担当することになる︒
マギーは︑法廷での審理や事実調査の過程で︑事故車メレディアンの設計に携わった技術者バベル︵ヤン.ロー
ビッシュ︶から︑彼が車の欠陥を指摘したにもかかわらず︑会社側は車を回収修理しようとはしなかった︑という
事実を知らされる︒理由は︑修理の費用より︑訴訟費用のほうが安上がりであるとの会社側の損得勘定が働いたか
らである︒マギーは会社の人命軽視の考え方にショックを受けただけでなく︑その事実の隠蔽に一役買ったのが彼
女の上司で︑恋人でもあるマイケル・グレイザー︵コリン・フリールズ︶であったことを知り愕然とする︒彼女は︑
最後には︑依頼人の弁護士の立場を棄てて︑原告側に有利となる事実を認め︑裁判は被告アルゴ社の敗訴となる︒
この訴訟ドラマに幅を持たせているのが︑父と娘の母親に対する親子の愛憎関係︑職場の上司との恋人関係など
の人情劇であり︑弁護士としてのライヴァル意識や法律事務所の服務規律に関する話題である︒
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﹃インサイダー﹄は︑煙草産業の上級研究員が︑喫煙と健康問題に関する分析結果捏造の事実をテレビ局に漏洩
する︒この行為が従業員の服務規程に抵触する点と科学者・人間としての倫理意識との葛藤をからませた法廷劇で
ある︒内部告発の事例である︒
物語の中心人物は︑ローウェル・バーグマン︵アル・パチーノ︶である︒彼は︑アメリカテレビ局CBSの人気
報道番組﹃60ミニッツ﹄︵亀ミミミ§︶のプロデューサーで︑これまでアラブの人質問題やオクラホマ州の爆弾魔
ユナボマーとのインタヴューなど︑体当たり的企画で番組をプロデュースしてきた︒その彼の元に匿名で文書が寄
せられてきた︒それは︑大手タバコ会社の不正を告発する文書であった︒これが映画の中で訴訟問題に発展する︒
バーグマンは︑この告発文書を巡って︑報道プロデューサーとしての信義をかけ︑会社上層部と引退を賭けた戦い
を繰り広げる︒これがドラマの中心的な筋である︒
もう一方の筋は︑ジェフリi・ワイガンド︵ラッセル・クロウ︶の訴訟行為の顛末である︒彼は全米第三位のタ
バコ産業﹁ブラウン&ウィリアム︵B&W︶社﹂の元研究開発部門副社長であった︒不正を告発する文書をバーグ
マンに郵送したのが彼であった︒そこにはB&W社が利潤追求のため製品に有害物質を添加している事実が記して
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あった︒番組プロデューサーが接触してきて︑彼に事実を公表するよう促す︒しかし彼には︑即断できない理由が
あった︒それは︑ワイガンドがB&W社の﹁終身守秘契約﹂に同意しており︑秘密を守ることによって︑病身の一
人娘の医療手当と快適で安定した生活とを保障されていたからである︒家族の生活と科学者としての倫理意識の葛
藤の末︑ワイガンドはCBSのインタヴュー収録に同意し︑法廷での証言を決意する︒
B&W社側からは︑様々な圧力が掛かる︒ワイガンドがマスコミと接触した事実を知るや︑彼は直ちに警告を受
けるし︑尾行や嫌がらせや脅迫に悩まされる︒ワイガンドは家族の身の安全のため別居を余儀なくされ︑﹁契約﹂
違反で退職に追い込まれる︒さらに︑彼が若いころ酒に酔って結婚していた性癖を暴露し︑彼の証言の信愚性を疑
わせるイメージを流す︒また︑CBSにもタバコ産業から圧力がかけられ︑訴訟を恐れる放送局の上層部は︑イン
タヴュー内容の核心部分をカットして放送するようバーグマンに通達する︒
検察側は︑裁判の場所をタバコ産業で恩恵を受けている州を慎重に避けて設定し︑厳重な警備体制の下で公聴会
を開催する︒B&W社は強力な弁護団を結成して対抗する︒バーグマンはCBS退社を決意し︑事件の真相を記し
た文書とヴィデオ資料を﹃ウォールストリート・ジャーナル﹄に届け︑ようやくインタヴューの全容が放送される︒
ワイガンドは高校教師として一人暮しをする︒
この作品は︑大企業相手の訴訟の難しさや代償の大きさが印象付けられるが︑にもかかわらず︑ワイガンドの事
例に見られるように︑告発を躊躇わない部内者の勇気ある行動を助長する機運を告げているのが見て取れる︒二〇
世紀末には︑企業の﹁社会責任﹂︵コンプライアンス︶が真剣に問われるようになったことを︑この映画は告げてい
る︒
③ デヴイッド・ジョーンズ監督﹃有罪判決﹄︵§鳴9暮§.§し08︶︑ステイーヴン・ザイリアン監督﹃シヴィ
ル・アクション﹄︵Qミ毎ミ§口㊤ΦO︶︑ステイーヴン・ソダーバーグ監督﹃エリン・プロコヴィッチ﹄︵窪ミ鴨こ審
︒ミ審﹄OOO︶
ここでは︑企業の環境汚染の問題がからむ法廷映画を取り上げる︒
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﹃有罪判決﹄の係争点は環境問題ではない︒刑事裁判である︒病院の職務怠慢で子供を見殺しにされたパリー
︵ベン・キングズレー︶が︑子供の死因となった病院関係者三名を射殺した事件が起きる︒ハリーは逮捕拘留され︑
起訴される︒彼の弁護を担当することになったのがロイ︵アレック・ボールドィン︶である︒このロイの弁護士活動
を中心に︑その無軌道な人間性を開示しながら物語が展開する︒
ロイは︑事件の経緯を知り︑病院側の落ち度を見据え︑弁護士として被疑者の罪を軽減しようと考え︑接見に臨
む︒ところが被告ハリーは︑敬度なユダヤ教徒であり︑自らの罪を償うため有罪判決になるようロイに訴える︒パ
リーは︑﹁神﹂︵ヤハウェ神︶とか﹁罪﹂とか﹁償い﹂とか﹁慈悲﹂について︑静かに︑しかし熱心に語る︒
ロイは︑被告の生活状況など周辺調査を進めるうち︑ハリーが勤務していた企業のオーナーたちは︑彼の無罪を
勝ち取るよう強く主張する︒その見返りとして︑次の検事選挙でロイを押すよう働きかける︑という︒ロイはこの
誘惑に心動かされる︒情状酌量による罪の軽減という観点から︑精神錯乱を理由にハリーの刑を免れさせようと方
針転換する︒その法廷戦術の一環として︑三八歳のハリーの妻︵エイミー・アービング︶と密会して︑その事実を
夫に知らしめ︑激高したハリーに妻を罵倒させる戦術まで弄する︒しかしロイはやがて︑会社側が勝訴を求める背
後には︑被告が会社で担当していたダム施設の水質汚染の問題が潜んでおり︑その事実を隠蔽しようとする会社側
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の利害が密接に絡んでいた事実を知る︒ロイの事務所に勤めるメルは︑﹁ここから先は︑常に何が正しいかを
意識して行動しろ︒そうでなければ地獄行きだぞ﹂とロイに諭す︒ロイの最後の台詞はコ生十字架は背負えな
い﹂である︒
この作品は︑以上のように︑﹁法廷劇﹂であるものの︑法廷での審理そのものにウエイトが置かれるよりは︑医
療ミス︑殺人事件︑水質汚染等の多様な話題に︑宗教上の戒律と社会的刑罰︑弁護士としての品格等を絡ませた
﹁心理ドラマ﹂となっている︒一九九〇年代に関心が向けられた︑企業の社会責任︵コンプライアンス︶である環
境問題と弁護士資格としてのコンプライアンスとが輻較されている︒
﹃シヴィル・アクション﹄は︑一九八九年︑実際に法廷で繰り広げられた環境汚染問題を取り上げている︒表題
の.9く鵠99δづとは︑字義通りには﹁民事訴訟﹂である︒
ニューイングランドの川の上流で︑周辺住民の中から︑体調不良を訴える者たちが増え︑死者が出るようになる︒
この川を飲料水の源としている住民は︑流域沿いの皮革工場などの水質管理に疑問を抱き︑複数企業を相手に集団
訴訟︵O一曽ωωPO江O昌一P零ω二詳︶をおこす︒ドラマの中心は︑シカゴ大学出身の弁護士ジャン・シュリクマン︵ジョン・
トラヴォルタ︶とハーヴァード大学教授で弁護士であるジェローム・ファッチャー︵ロバート・デュヴァル︶の応酬
である︒前者は原告代理人を務め︑後者は企業ごとに立てた代理人の一員である︒被告の企業側は当初︑二二〇万
ドルの和解調停を申し出るが︑ジャンは事の真相究明と企業からの謝罪を求める原告側の意を汲んでこれを断り︑
陪審員臨席の法廷闘争に持ち込むことになる︒
水質汚染の因果関係を裁判で決着をつけるのは至難の業である︒汚染を科学的に実証するために︑数万年に亘る
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土壌形成と水流の調査を行うだけでも︑長期の検証と途方も無い費用を要する︒しかも複数に及ぶ工場の水質汚染
の因果関係を個別に見極めることなど不可能に近い︒ジャンはそれまで︑敏腕弁護士として四人の友人と小規模な
法律事務所を営み︑ビジネス優先の仕事を行ってきた︒しかし︑この依頼を引き受けてから︑彼はこの案件に掛か
りきりなり︑裁判や調査費用もかさみ︑資産の全てを抵当にして金融機関から融資を受け︑それに二六〇万ドルも
充当するが︑それでも資金は枯渇してしまう︒次第に︑同僚達は事務所を去って行き︑ジャンは窮地に立たされる︒
健康被害をこうむる住民の中には︑関連工場に勤務する妻たちもいて︑当初はロを閉ざしていたが︑やがて健康被
害の深刻さを実感し︑薬品垂れ流しの事実を証言する者が出始める︒ようやく裁判も終局を迎える︒映画の最後の
場面は︑陪審員の評決を待つ︑ジャンとジェロームの動静を対比的に映し出す︒字幕で次のことが告げられる︒一
九九〇年に環境保護庁︵EPA︶からの行政指導により︑関連企業に対し︑土地・水質浄化費用と住民との和解金︑
計三億二〇〇〇万ドルの支払い命令が出された︑と︒
﹃エリン・プロコヴィッチ﹄は︑電力会社相手に集団民事訴訟を起こした実話に基づく作品である︒時代は一九
九三年︒場所はカリフォルニア州モハベ砂漠周辺︑相手は稲垣北部を管轄する電力会社︵PG&E︶である︒同社
が︑六価クロムによる水質汚染を放置したのが原因となり︑発電所周辺の住民に健康被害が続出︒法律事務所の女
性事務員が︑その事実を突き止め︑水質調査のデータを入手したり︑住民の意向を取りまとめたりと︑準備に奔走
し︑電力会社を相手取り︑六〇〇人以上の集団民事訴訟をおこす︒結果は︑電力会社から総額三組三三〇〇万ドル
の和解金を勝ち取った︑というものである︒
ドラマには︑裁判がふたつ出てくる︒共に民事である︒ひとつは︑主人公エリン・プロコヴィッチ︵ジュリア.
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ロバーツ︶の交通事故に関するものであり︑もうひとつは環境汚染に関するもの︒前者は︑交通事故当事者の簡易
裁判で︑エリンは軽度のむち打ち症状を理由に相手から治療費などの賠償金を得ようと目論む︒しかし相手が医師
であり︑勤務に向かう途中でもあったことから︑裁判では主人公の運転不注意が事故の原因だ︑とする裁定が下る︒
エリンは依頼した弁護士費用も負担しなければならず︑結局は︑彼女の骨折り損に終わる︒後者は︑健康被害をも
たらした汚染原因を巡り︑サンフランシスコにて判事臨席の下︑PG&E社の顧問弁護団と住民側が依頼した弁護
士チームによる和解調停がなされる︒裁判映画ではあるが︑この映画には︑法廷において原告と被告双方による審
議の激しい応酬が戦わされる︑という場面は出てこない︒
物語の中心は︑法律には疎く︑訴訟手続きにはまったくの素人であったエリンが︑三人の子連れのシングルマザ
ーとして︑エドワード・マスリー弁護士︵アルバート・フィニー︶が運営する事務所に押しかけ事務員として入り
込み︑環境汚染による健康被害という訴訟案件を見つけ出し︑単身準備に没頭する︒彼女はやがて︑訴訟手続きを
覚え人格的にも成長し︑見事︑多額の賠償金を勝ち取る︑というもの︒被害者側住民に有利な調停結果がでたのは︑
エリンの水質汚染のデータ蒐集や住民の意見取りまとめの成果に加えて︑汚染原因を生み出した会社側の従業員に
よる告発証言が︑最終的な決め手となったのである︒
以上のように︑ここでは︑﹁企業統治﹂や﹁企業の社会責任﹂という話題に関連した法廷映画を見てきた︒企業
買収や合併を中心にしたもの︑企業の欠陥隠しやデータ改ざん︑環境汚染を巡る問題である︒企業相手の裁判では︑
いずれの場合も︑内部告発が裁判の行方を大きく左右する結果となっている︒
まとめ
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アメリカは先進国の中でも国土が広大で︑天然資源に恵まれていたことから︑エネルギー危機や環境破壊をさほ
ど意識せずにきた︒また︑﹁独立宣言﹂に自由︑平等に並んで﹁幸福の追求﹂が盛り込まれているように︑自立心
に富んだ企業家精神が尊重され︑富の追求が神の祝福に合致するという考え方から︑経済活動を推進する気風があ
る︒第一節ωで見たように︑エネルギー問題が法廷劇として取り上げられてこなかった遠因がここにある︒また︑
企業の利潤追求を保護優先させ︑責任を追及する視点を遅らせてきた︒
さらに︑第二次世界大戦以降︑アメリカは世界の指導者としての政治的役割を優先させてきた︒一九九一年に東
西の冷戦が終結し︑アメリカでは︑対外戦略に心血を注ぐ代わりに︑国内の基盤整備に関心を向けられるようにな
った︒企業のグローバル化が加速し︑﹃ウォール街﹄や﹃ディスクロージャー﹄に描かれているような︑企業の買
収や合併が続発したが︑クリントン政権の一九九〇年代に入り︑︿ライツプラン﹀という﹁買収者が一定割合の株
式を買い占めた場合︵典型的にはこ〇%程度︶︑買収者以外の株主に自動的に新株が発行され︑買収者の株式取得割
合が低下する仕組み﹂が導入されるなど︑企業側では防衛策を講ずるようになる︒また︑﹁敵対的買収﹂に対する ︵18︶抑止的な判決が出されるようにもなった︒それに付随して︑﹃訴訟﹄や﹃インサイダー﹄に描かれているような︑
企業の社会責任にも人々の目が向けられるようになった︒
また︑第一節②で見たように︑環境問題は一九六〇年代に逸早く指摘され︑七〇年代に問題意識が高揚したが︑
実際に﹃シヴィル・アクション﹄や﹃エリン・プロコヴィッチ﹄のような法廷映画として取り上げられるようにな