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ア メ リ カ 憲 法 と 司 法 権

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(1)

一六八

ア メ リ カ 憲 法 と 司 法 権

大 林 文 敏

一︑はじめに

幸いにも︑愛知大学主催のアメリカ憲法制定二百年記念シン

ポジュームに参加し︑報告する機会をえた︒本稿はその報告要

旨である︒私に与えられたテーマは︑アメリカの統治構造

﹁司法権﹂の特質であるが︑ここではアメリカ連邦最高裁判所

(2)

(以下︑最高裁という︒)に対象を限定し︑その果たした役割

を概観し︑さいごに現代の憲法論争に言及したいと思う︒

一般に︑アメリカの司法権を概観するさい︑いくつかの点に

留意しなければならない︒その一つは︑アメリカの司法権と

いっても︑連邦と州とがそれぞれの司法制度を有しており︑そ

れに起因する複雑な問題が存することである︒この点について

は︑紙面の関係上割愛せざるをえない︒つぎに︑アメリカ合衆

国憲法(以下︑憲法という︒)と最高裁との関係である︒しば

しば︑﹁裁判所こそ憲法である﹂といわれているように︑司法

審査権を行使する最高裁がアメリカ憲法史上に偉大な足跡を残

したことは︑後述する通りである︒しかし同時に︑政治部門(大統領︑連邦議会︑州など)と憲法との緊張関係・相互関係

にもそれ相応の配慮をせずして︑アメリカ憲法全体を語ること

はできないであろう︒この点については︑他の報告も参照にし

てほしい︒さいごに︑司法作用の内容︑特質および機能は固定

的・不変的なものではなく︑時代により異なるもの︑すなわち

歴史的なものであることである︒これは何もアメリカのみに妥

当するのではなく︑広く一般的にいうことができる︒本稿にお

いて︑概略的ながら︑歴史的考察を加えるのは︑かかる理由か

らでたものである︒

二 ︑ 最 高 裁 の 歴 史 的 変 遷

アメリカ憲法が二百年の長寿を誇ったのは︑一つには修正を

アメリカ合衆国憲法制定二〇〇年記念シンポジュウム 施すことによって変化する社会に即応してきたからであり︑も

う一つには憲法規定の曖昧性および簡潔性から憲法を解釈し適

用するさいに幅が生じ︑このことが憲法の運用に弾力性・柔軟

性をもたらしたからである︒最終的な法解釈機関である最高裁

が︑司法審査権を通して憲法の運用に深く携わったことはいう

までもない︒アメリカ憲法史から最高裁の特質・機能を論述す

るばあい︑つぎの四つの時期に注目するのがもっとも適当であ

ろう︒

の司法審査権の成立

アメリカ司法権の特徴である司法審査権は︑憲法上の明文規

定がなく︑一八〇111.x‑6Marburyv.Madisonにおいて確立を

みたことは︑つとに知られている事柄である︒この事件には︑

つぎのような政治的背景があった︒裁判所はその成立当初から

政治の渦中にあり︑連邦派(Federalists)的な思想に近い線で

決着をみた︒ところが︑連邦派に反目する共和派(Republicans)が立法部・行政部を足場にその勢力を次第に伸

張してきた︒このような政治的緊張状況の下で︑連邦派の期待

を担うマーシャル最高裁長官は︑司法審査権が成文憲法の論理

的必然であることを示すことによって︑共和派の理論と対決し

たのである︒かかる意味からすれば︑司法審査権はまさに政治

の産物でもあったといえよう︒

その後︑マーシャルは︑一八三五年まで長官の地位にあり︑

憲法の自由な解釈を通じて連邦の権限の拡大をはかったのであ

=ハ九

(3)

一七〇

る︒他方︑共和派は政権の座につくと︑連邦派の政策を大幅に

採り入れるようになり︑また憲法の解釈についても﹁厳格解

釈﹂に固執しなくなった︒このことは連邦の確立と強化に役

立つものであった︒

O南北戦争と再建の時期

一八五七年のドレッド・スコット事件で︑最高裁はミ̀K^‑‑

互譲法を違憲無効と判示した︒時あたかも︑奴隷制をめぐって

南北が鋭く対立しており︑そのような中で公平であるべき最高

裁が南部に有利な判決を下したことに︑北部の人々は激怒し

た︒この判決が南北戦争の導火線といわれている︒結局︑共和

党(Republicans)Gリンカン大統領は戦争に勝利することに

よってこの判決を政治的に骨抜きにしてしまう︒

南北戦争の結果︑第=二条︑第一四条︑第一五条の修正条項

が憲法に追加されることになった︒これまで州内事項と考えら

れていたもの(奴隷制)についても︑憲法を改正すれば連邦の

権限の及ぶことになったのである︒とりわけ︑第一四修正第一

節の適正手続条項(dueprocesso=9芝)と法の平等保護条項(equalprotectionunderthelaws)は︑その後の憲法の展開に

重要な意味をもった︒たとえば︑適正手続条項は︑後述するよ

うに︑州の経済立法を無効とする論拠とされ︑財産権の擁護に

役立った︒

日ニュー・ディールと最高裁

一七九〇年から一八九〇年までの一世紀間︑最高裁が連邦法 を違憲とした数は︑わずか一〇件にとどまった︒ところが︑一

八九〇年以後その数は増加する︒当時主流を占めたのは︑自由

放任主義を信奉し︑私有財産の擁護に熱心な裁判官であり︑彼

らは適正手続条項︑平等保護条項︑州際通商条項等を根拠にし

て︑州および連邦の種々の経済立法を無効と判示しはじめたか

らである︒ニュi・ディール期に至って最高裁は一つの重大な

転換期を迎えた︒

周知のように︑ニュー・ディールとは一九二九年にはじまる

大恐慌に対処するために︑政府が旧来の自由放任主義を放棄し

て積極的に経済過程に介入し︑経済の復興をはかろうとするも

のである︒一九三一二年に大統領に就任したF・D・ローズヴェル

トは︑このニュi・ディール政策をかかげ︑短期間の内に諸立

法を制定した︒こうして出来上ったニュー・ディール立法は︑

初期のうちは︑﹁国家の非常事態の理論﹂により正当化されえ

たが︑いざ経済が復興に向かうと︑非常事態以外の法的根拠が

あらためて問われることとなった︒一九三五年一月を皮切り

に︑最高裁は多くの主要なニュー・ディール立法を次々に違憲

と判示した︒これらの判決の中には五対四の僅少差で判決がな

されたものが少なからずあり︑大統領は問題は憲法ではなく裁

判官にあると信ずるようになった︒圧倒的多数で再選をはたし

た大統領は︑﹁連邦司法部改革案﹂をもって最高裁に迫った︒

これに対し︑一人の裁判官が従来の立場を変えたのである︒こ

のことが︑結局︑判例変更この変更は︑しばしば︑限定

(4)

された﹁憲法革命﹂と呼ばれるほどの変革をもたらし︑

大統領と最高裁との抗争は終結に向かった︒

ローズヴェルト大統領は︑やがて最高裁裁判官を任命する機

会に恵まれ︑合計八名の裁判官を任命することになった︒かく

して︑﹁ローズヴェルト・コート﹂が誕生した︒政府の経済規

制については︑もはや適正手続によって無効とされることは原

則としてなくなり︑立法部の判断が尊重されることとなった︒四ウォレン・コート以後の動向

憲法革命以後の裁判所の主要な関心事は︑経済規制に代わっ

て市民的自由の問題であった︒ニュー・ディールの苦い経験の

影響もあって︑その取り組み方は必ずしも一様ではない︒スト

ウン長官(一九四〇年〜一九四五年)の下では積極的な姿勢が

みられたのに対し︑ヴィンソン長官(一九四六年〜一九五二

年)の裁判所は﹁消極的時代﹂といわれている︒しかし︑つぎ

のウォレン長官が率いる裁判所(一九五三年〜一九六九年)

は︑積極的に社会の改革に乗り出した点においてやはり注目に

値しよう︒

その一例は︑公教育における人種別学を違憲と判示した︑

Brownv.BoardofEducation(1954)である︒事の重大性を

認識した最高裁は︑直ちに判決を実施に移さず︑改めて翌年別

学解消のための指針を決定した︒この判決により︑連邦裁判所

は︑被告教育委員会の具体的実施計画を審査したり︑エクイ

ティの原則にもとついて適切な救済を決定したりする任務を

アメリカ合衆国憲法制定二〇〇年記念シンポジュウム 担ったのであった︒その後今日まで数千件に及ぶ訴訟が提起さ

れ︑別学制度を解消するための種々の努力がつづけられてい

る︒

もう一つの例は︑議員定数再配分の問題である︒最高裁は︑

これまで政治的問題あるいは司法判断不適当を理由としてこの

問題を回避してきたが︑ウォレン・コートはBakerv.Carr(1962)において再配分問題を積極的に取り上げた︒このベイ

カ事件と︑再配分の基本原理ないし基準を設定したレイノルズ

事件(一九六四年)とが相まって︑その後数年以内にほとんど

の州が主体的にあるいは裁判判決により︑再配分が実施された

のである︒

これらは︑裁判所の関与が社会にきわめて重大な影響を与

え︑裁判所が一つの社会制度を改革しようとした適例といえよ

う︒のちにある論者は︑従来の伝統的訴訟類型と大きく懸け離

れていることから︑これらを含めて﹁公共訴訟﹂と称し︑以

下のような特質を指摘している︒すなわち︑判決の影響は直接

の当事者に限定されず︑訴訟当事者でない多くのの人々に重大

なインパクトを及ぼすこと︑訴訟の対象が私的権利をめぐる私

人間の紛争ではなく︑公共政策の内容に対する不満であるこ

と︑さらに事実審理は将来へと向かう立法的なものであるこ

と︑などである︒こうした社会改革的な判決そのものに対して

は種々の反発もあり︑また﹁公共訴訟﹂の理論化にも様々な

批判があるけれども︑事実として裁判所が一種の政策形成的な

一七一

(5)

一七二

機能を担ったことは否定することはできないであろう︒なお︑

裁判の政策形成機能については︑裁判所も政治過程のなかに深

く組み込まれており︑立法部・行政部と同様に国家の政策形成

の一翼を担っているという政治学的視点から︑盛んな研究がな

されていることを付言しておく︒

三 ︑ む す び に か え て

紙面の関係上︑最高裁の歴史的変遷をあまりにも簡略化した

きらいはあるけれども︑ごく大雑把にとらえると︑裁判は︑一

九世紀初頭では独立平等な私人間の紛争を解決する役割を担っ

たのであるが︑その後間もなく司法審査権を保持することによ

り政治と密接にかかわり︑そして今日では広範な政策形成とい

う︑新たな役割をあわせ持つようになったと考えられる︒ごく

最近︑こうした裁判の機能の拡大化に伴い︑代表民主制におけ

る最高裁の適正な機能があらためて問い直されている︒それ

は︑司法審査権の正当化根拠︑さらには憲法解釈の問題へと発

展し︑活発な議論がなされつつある︒さいごに︑この憲法解釈

の問題に言及してむすびにかえたい︒

七〇年代中ごろから︑六〇年代の司法積極主義・消極主義論

争を部分的に継受しながら︑解釈主義(interpretism)と非解

釈・H‑I義(noninterpretism)という新たな論争が展開された︒こ

こでいう解釈主義とは︑司法審査の源泉を憲法典に内在する価

値に限定する考え方である︒彼らのいう憲法の意味とは︑憲法 の条文︑起草者の意図︑あるいは憲法の構造から導き出すべき

であり︑それ以外は憲法の解釈ではないと主張している︒これ

に対し︑非解釈主義は司法審査の源泉を憲法典を超えた源泉に

依拠することも是認する考え方である︒すなわち︑憲法条文の

みならず︑社会的価値︑コンセンサス︑伝統︑道徳的価値など

に依拠して憲法を解釈することを認めるのである︒この二派に

よる論争は︑原fib?主義(originalism)と非原意主義(nonorigqinalism)というもう一つの枠組を生み出した︒解釈

主義も非解釈主義も︑いずれも憲法の解釈であると主張すると

ころから︑むしろその解釈する素材︑すなわち︒ユαq帥記=ntent

に着目して二区分しようとする趣旨である︒こうした二分的対

立以外にも︑開かれた諸条項を通じて﹁参加志向的︑代表強

化の司法審査﹂を提唱する︑第三の立場を主張する学者も存

在している︒このように︑アメリカ憲法学は︑司法審査権の限

界︑民主制と司法審査︑憲法解釈の方法などをめぐって︑きわ

めて多彩でかつ興味深い議論が展開している︒今後の動向を注

意深く見守りたいと思う︒

注は省略したので︑以下の文献を参照にされたい︒田中英夫﹃英米法総論上﹄(一九八〇)︑芦部信喜﹃司法のあり方と人権﹄(一九八

三)︑樋口陽一﹃比較憲法﹄二九八四)︑大沢秀介﹃現代アメリカ社会と司法﹄二九八七)︑大林文敏﹁裁判における立法機能と政策形成機能﹂︹一九八三‑こアメリカ法一頁以下︑同﹁アメリカにおけ

る司法的政策形成論の一考察﹂芦部信喜先生還暦記念﹃憲法訴訟と人権の理論﹄所収六五頁以下(一九八五)等︒

参照

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