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初期ハイデガーにおける「世界」概念

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(1)

初期ハイデガーにおける「世界」概念

著者 ヘルムート・フェッター, 浜渦 辰二

雑誌名 文化と哲学

15

ページ 51‑77

発行年 1998‑03‑20

出版者 静岡大学哲学会

URL http://doi.org/10.14945/00006874

(2)

ノ旬、

/¥ 

ける

ハイデガlの最初の弟子の一人で

次のように述べている︒﹁フライブルクか

も多くハイデガーについて︑しかも彼の

は例えば﹃世界する︹けれ世界としてある︺

ーの講義忠一小教現象学入門﹄を挙げてい

一九一九年の戦時短縮学期に︑

問題﹄のなかにも見出される︒飽方で︑

J ¥  

‑ 岡 剛 帽 ・... 

一 一 一 回 晶

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でに一九二

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二 一

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ルより

めて個性的で

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て に

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2

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﹄といった

l' 

でに初期フライブルク

していた

れた

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レンタ

i /

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i又トリ

リストテレスによる存在者の多義性について﹂をすでに学んでいたこともガダマーは報告している︒

再四この本に言及し︑それが存在の間いヘ ハイデガーは

けた力を強調していた︒

J

(3)

ミ!の

/

h uv

ht}py}

のなかで

ここに

/四『、

〉同

L.... 

で次のように述べている︒﹁当時︹一九O

は踏く動揺しながらぎごちなく起こってきたにす︑ぎ

ける多様なものの一ニO年後に出版されるこについての聞いは︑多くの転覆と迷路と困惑を通じて︑

)

る誘因であり続けた﹂

のための

ここに二つのこと

でほとんど完全に出版されている初期ハイデガ!の講

という主題が際立った役割を果たしてい

への間いは

に留まっていた

における多様なものの一性について﹂という関いとしてはてられ

olvlhEVところが私たちが

を読むと︑そこでは

おり︑世界という概念はただ存在の問題との関わり

クセントは

さに

いるのであ

てられ

︒ギムナジウムの学

と﹁世界﹂とはのように関連しているのか︑という関いが

ノ ¥

デガーはなぜ︑

(多様に諮られるもの)

(存在者としての

ポラコス@レゴメノγるオン@へle

J¥ 

ことになっのか︑そして︑なぜこの間いはレスの間いに

い間どこかに消えて

リスト

A

ことになったのか︒私たちはここに︑なお新スコラ哲学の影響下に

l

るが)初期ハイデガーがアリストテレスと

り組む一つの局 につい

も当ては

とができる︒そしてその後に当彼が独自のり着きという指導的な主題と取り組む

市私のテーゼはこうである︒の開いを適切な仕方でてる︑すなわち︑もかくし

に縛られてではなく︑の概念によって立てること可能にしたのは︑新しく練り上げられた﹁世

(4)

一 一 一 つ

私がここで三つの局面ということを語る時︑私はいわゆる﹁ケlレ(転回どのこと

かつて長い間︑﹁ケ

ーレ﹂前の時期と﹁ケiレ﹂後の時期といるのがハイデガl研究にいて慣例となっていた︒二つの時期

l自身の発言を頼りに︑について﹄という著作が

1

・ ベ

ゲラーのようなハイデガi哲学に通じている人は︑

このような﹁ハイデガ

1 1

﹂という

分け方への懐疑を表現していた︒ハイデガ!の錯綜した﹁思索の道﹂を辿ることは︑さに︑私が三つる局面と

の関係において示されるであろう︒

第一の局面においてハイデガーは︑自らのにとって充分な手段を持たないまま︑

その主題とは︑﹁ト@オン@レゲタイ@ポラコス﹂は多様に諮られる)というものであった︒

て彼は︑第一の局面の間いを取り込まないままで︑自らの思索のめて仕上げ

いて初めて彼は︑最初の問いに一戻り︑それた可能性の

展開することができた︒

存在の意味を目指すことになるが︑もはや新スコラいてでは

いう形に

一九五四年︑東京帝国大学の

についての対話﹂が行われた︒

J ¥  

ツ詩人をしていた︒彼

は︑この対話についての印象を一九五

︿3

)

読むことができるようになった︒ここで私は︑この対話そのものに立ち入るのではなく︑

に発表したが︑それは一九八九年にドイツ語の読者にも

ただ︑そこでハイガーが様

(5)

々な局面

︑伝統の るような仕方で彼の

について説明していることに

¥日句︑A

J

£ミっこう︑;

σ "

ガーはなぜ別の

1

ガーはこう答えた︒﹁ひとは自分がまず探

求めているものにいかにして名を与えるべきでしょう

か︒探すことは名付ける

すから凡さらに続けて︑﹁思索は︑あえて言うなら

γ

TY

}

ば︑奇妙な道路建設に熱中するものなのです﹂︒はそれに応じてこう述べた︒こでは道路を建設する者は立

った建設現場にあるいにその背後に一炭らねばならないで

のような以前の

設現場﹂こそ︑前述の第一の局面だった︒しかしハイ

局面にける独自の

ここで︑私がこれらの

に述べたように︑

辿

ミそのとき彼は︑初期フライブルク二の局面でそのた

"':::> 

h u .

 

}

いただきたい︒これらの

もってである︒これに

という

いう概念の

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こ ﹃

fh

}

J

?

/

17宅カ﹁解釈学的現象学﹂といいて形成されていくのはも

う名前のもとに知ってい

トマンス

(彼女は自ら一九

実性の解釈学﹂というサブタ

一九八九年の公開に

を執筆してい のもそうであっ

ブレッカ

i

Hオル

一寸

のもコ

と呼ぶ

一一一.幽醐~

トルをもっ一方ントロギiつ一九二ニ

にハイデガーは︑

で続いた︒それに

不明になっ

¥

" 

﹁アリストテレスの現象学的解釈門の

ここでもという言葉は︑﹁解釈学的状況﹂というサブタイトルに現れていた︒

ハイデガ!の理解によれば︑解釈学とは彼によって展開された世界概念からの成果だったのであ

(6)

fMW

この一九一九年から一九

に ︑

J¥ 

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I UV  

....  L困 晴

た ︑

口 ハ

本からの学生とのハイデガ!の最初の

︑ ︐

lh v 

i

題された論文集︺

のなかに啓発するとこ

3 ︑ . V 

ハイデガ!の初期の聴講者には田辺元も属していた︒彼は︑

s

ルクでフッサIルとハイデガi

のもとで

ハイデガ!の思索について詳しい

l ︑ 電 v 

••

1V  γ

i

解釈学)﹄を拠り所にしていた︒

i

.

1V

いている︒﹁私はハイデガ!の

( 6

)  

うことに深く心を打たれた﹂︒

J ¥  

.

tv  

1︿

lv

初期の聴講者のなかには

/ ¥  

作﹃いきの構造﹄

の関係について

( 7 )  

のまったく異なる性格を指摘している︒

メスキルヒ

私はもう一入︑和辻哲郎の

1 0 φ lv

ベルリン

によって心の底から揺り動かされた︒私がここ

t

b z

A F

ふ /

派に数えられる人達)に触れないとすれば︑それは︑私が

/ ¥  

1

(7)

うことに

いる︒私は︑私たち冒lロッパ人が︹日本のから︺なお多くの学ぶベことがある︑という

'>

L

非常にしばしばドイツ

に卓越して堪能な人達で

ることは︑この対話

ける私た

の不足分をもっと大きく見せるとにな

でしょう︒私は︑

って︑戦時短縮学期のち帰ることにし

同 ¥

への関い︑という真に根本的な問い

ハイデガーはの根にあたるところ

として基礎づけるという要求を掲げる︒その彼にとってのは始めから学問であ

った︒このことはことさら強一調されねばならない︒というのも︑それによって彼は︑

マックス@ウェ

1バ!の言葉を使

から自ら区別していらであ

@

γグラ

i Q

西

/ ¥  

ーから繰り返しれてはいたが︑この達のなかの一人ではなかっ

ノ、、

リュディガ

l

@

i

︑これらの人達を直観的に次のように特徴づけてい

の迷い人であり︑世界革新の決断主義者であり︑

イデオロギiや代替宗教を売る市場の商売人であった﹂︒彼らの好みの

と﹁世界観﹂であ

は︑戦後の

/ ¥  

デガ

lこれらをともに取り挙げているが︑それは異なる意図においてであり︑の反省段階においてで

あった︒ところで︑私たちはこれらハイデガ

l初期ののうちに﹁生活世界︹生世界︺

( Z

Z

ωd q

(8)

これは周知のごとくアッサi

的主

︑それは︑もともと文学か る︒オーストリアの詩人フi

i@フォン@ホフマンスタi

と親戚関係にあった)J

ハイデガiも﹁生﹂について

において彼は︑新スコラ哲学の弟子であ

つ 彼

て は し ブ

1 1

。 サ

v

マルヴィ

iてアッサi

いてこの

いつも厳密な学問としての

J¥ 

る︒ここ

んフッサi

Jとともに︑もち

した伝統を打ち破る︒彼にとって肝要なのは︑

て﹁理論的叙述︹の対象︺ではなく︑

)

ドイツ大学ののみならず後に日本人の

二つの志向がに働いたことによもので

再び学問なのではなく﹁生﹂であり︑問時に︑

しかし︑ここで﹁生﹂とは何で

£︑るつこ0

7

/

私はここで︑﹃存在と時間﹄

なる先行的生

﹂のなすことなので

戸 ¥

ガーが与えた

百何よりもこれら

にもハイ った︒すな学問的な哲学への

ついた死への間いな

への間いと

のものとして前提さ

¥ ‑ /  

になにより

の読者には周知だが︑ .•

KLV 論じている初期のでは使われていなかった用語︑すなわ

(9)

(

)

﹂という区別を使用することにしたい︒実存的な衝撃︑それだ

けでは済まない︒

iは容赦なくそれを概念的i

実存論的

ことに園執する︒

これはこれで

た実存的なものに根を張っている︒の目標は︑人間全体のであり︑彼の

本来性へと転回させることであ

ものと考える時︑こる︒ガダマーが初期ハイデガーにおいて﹁宗教的アγl

γと哲学的傾向﹂を強く際立つ

の頃に

トリック神学からの離反が行われたにもかからず︑やはり当てはることである︒こうして︑

は厳密な意味で一つの

︿メタ@テ

γe ホドγ﹀として解さすなわち︑実存的なもののうちに︑

イコ

hHそこからそしのために﹃あるE

のうちにめられ

r

への途上 と解されことがで

一九一九年戦時短縮学期講義は︑としての

もって︑そのような

へと就くのであ

こうし

とっかかれソの︹フッサ

iルとの︺親近性の

ここにはフッールとの不和のの一つが植え込ま

ノ ¥

iな衝動がな概念性へと入り込むの

lルにとってそ

れは学問的にはできるものではなかった︒

lルが彼のの宗教的倫理的なを表明するのはた

とによって説明し

からの

J ¥  

の動機をだ個人的にのみであった︒例えば︑i

ノルド

eメッツガ1

この実存的な側面はアッi

ルの﹁純粋な明証から︑汲 れる﹂概念性においては揺されであるが︑それはハイiいては実存論的な作業から切り離すことは きないのであ 実存的な呼びかけと概念

りは︑これだけでは単に外面的に記述さただけで︑まだそ

の内的な連関において規定されていない︒実存論的なものが実存的なもののうちに取り込れ︑逆に実存的なものが突

(10)

存論的なものを﹁手引き﹂として使うということ

ら﹁前理論的な﹂

J ¥  

す︒このより深い基礎へ立ち帰ることには︑

決定的に断絶していることが

ように私に

L回 目

γ 

ナトルプといったマi

/ ¥  

イデガーはこの根本的な態度に対して︑﹁この

マ 心

しかしそれは︑実践的なものの

十 仇

ている﹂からである(全集五六/五

.

1V 

しかし︑それがどのように

ここから先の展開において

J

i

/

表者達との対決という箆史的な

¥ ‑

l ‑v  

同リ︑

k ‑ v

意欲・感情の究種的基礎づけがいかにして可能かとい

いうことが一方では︑注意深い探究の

.

3V

し求められることになる︒心的なものはその

れ記述

される︒心的なものは一つのであり︑それにいは記述で

〉同

1...

記述自身が心的な出

(11)

しかし︑心的なものが一つの事象であるなら︑記述もまた一つの事象である︒ハイデガーはまさにこのこ

いに付し︑次のような観察に至る︒﹁もしさまざまな事象のみが存在するのなら︑そもそも唯一の事象というも

のは存在するのか︒そうだとしたら︑そもそもいかなる事象も存在しないことになる︒無なるものは決して存在しな

の領野が専横するところにあっては﹄︹ということ︺も存在しないからで

ある︒︹それとも︺﹃存在す

︹ということ︺が存在するのだろうか﹂(問︑六

へのこの最初のそっけないいのうちに︑何より一九に行われた講演﹁時間と存在﹂において述べ

られた後期ハイデガi

﹁存在する﹂の解明への先取りを期待するという誘惑がすぐに

に浮かぶことであろう︒

にそこで︑そして既に一九一の戦時短縮学期に﹁性起﹂が語られていことを考えると︑この印

象は強められることになろう︒実際︑

i

かりである︒私が三つの局面の指摘と

ともに明らかに

ト ム

λ

B Y }

のは︑この

えられたことに絶えず新たにち帰りもそれが新しく獲得されたから摂取されるというものである︒

l

おいては一つや二つの﹁iレ﹂があるのではなく︑彼のの道全体がケl

レにおいて

E

U 

と言っても過

いて以前の

い出してい

この講義は︑将

のための前提を展開していたのである︒

た︑以前の講義でもハイl自身︑自分が決定的な﹁岐路﹂にやっ来たことを告げていた︒は根本学であ

に前理論的なものであり︑具体的には心的なものへのいであった︒ここで更に進むためには︑

一つの決定

一つの﹁あれかこれか﹂が必要となる︒それは︑ここでは根本的な﹁あれかこれか﹂が

か死か﹂についての決断が下される深淵の前に立っているのである限り︑その意義がこれからの進行において低

(12)

く評価されてはならないような決定でる︒この﹁あれかこれか﹂で私が

のはキェル

ゴールよりもパルメ

二アスのことである︒岐路は私たあらゆの可能性(ホドス@パナベウテ)を絶たの道か︑それと

れた無の底無しの道かという選択の前に立たせる︒

のよう

ハイデガi

せるのである︒﹁無に至るか︑

つまり絶対的な事象性の無へ

には︑そもそも世界ヘ向かう跳躍が成功するのか︑どちらか﹂

ウィーンの古典音楽におけるソナタ形式(したがって︑ではなく)が関

もよいであろう︒この﹁世界﹂とい

で提示部︑すなわち︑

と世界との間の連関が展開される︒そして︑らに使うこと

おいてのように再現部が来ると言うことがでる︒すなわ

よそ何かあるもの﹂が来ることになる︒

戸 ¥

1

ハイデガーがこの決定的な岐路において﹁世界への

ぐコ

l u

v  

L

J ¥  

ゴールの

ス・エイス・アロi@ゲノス﹂︹他の類への移行︺である︑ということ

への到達が問題になるときにはいつも︑

(

J ¥  

でも述べてい

︑あるいは

問J‑,.

ノ ¥

ったなら︑次のように

にはソナタに

一「

注目

いてのよう

ガーにとって新しい次元

ように)は一つの

(13)

るのか﹂というハイデガi

ことにして︑ここでは︑﹁存在す

への跳躍﹂と

ょうと思う︒そこでは三つの歩みが連続して行われる︒私は﹁関いの

としてのる﹂をハイデガ!とともに主題化する︒その後に続く

いの体験﹂から距離をとることに至り︑﹁世界す の体験﹂の分析

とともにこの︹世界としてあ

にとって本来的

な遂行形態の

にそれによって︑

ち帰る道が

それは今や変

という開いは初めは

として探究される︒の際︑分析は二つの方向に進んで

.3U

 

ことへの方向であり︑もう一つは﹃ところの何か或るものへ

﹂ということのうちに

の多様性があ

iJ; 

た︺同一の意味契機が﹁存在すということそのこ

とのうち

のとは

よそ何か或るもの

ガーを引用すれば︑﹁それは可能な対象であれ

ようなもっとも普遍的なもの︑と

ものについ

h

戸¥

そのような﹁何か或

しー

/ ¥  

デガーが

.

1V ということが

にある︑とこれは伝統的な存在

いる︒私は一つ例とし

ルベルクの﹁記情と感謝のために﹂のなかでハ

デガ

iが彼

e

E ‑ v  

ール@プライタ

れえな

1Vいう概念を﹁陵味さなしに確定しよう﹂という試みは︑ ︑ .

一つの存在概念のみを形作ることがで ニつのことを私たちに教え

﹁人聞の思索は多くのではなく︑る︒そして︑思索は存在概念を単

(14)

(

)

の統一というハ

i

け て で い

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1 2

(

*

研究していたブレンタi

ここに続く歩みにおいて

︑ .

}h v 

lv 

て ︑

西

によってかくも有名L

》同

に四

(

に続くフライブルクやマiルブルクでの

t v ︑ ︐

 

3 ︑ . V 

で 百

要なことだけに制限す

剣えば教卓を体験する時︑は孤立して

'> L‑

わち有意味性の地平のうちに

》国

L‑

IUV 

に関係する何かとか︑飛んでくの楯として

いつでも

いつでもこの

t

何かではなく︑﹁有意味なもの﹂で

'>

L‑

とができる︒﹁周囲世界のうちに

帯︺的であり︑世界する︹世界としてある︺

私にとっていつで

〉酬

L‑

この主題的に

a1V 

1

1

のさしあたりはどらかと言えば乏しい特徴づけは︑

1 1

ハイデガーは︑それが

li対立のなかで

を増すことになる︒

ガーは

の助走で

(15)

の鋭い対比においていまや次のように一一一口うことができる︒﹁﹃存在する﹄がそれについて関われるところの何か或るもの

は世界することはない︒世界的なものはここでは消されてしまう

je

(

)

退

調

(

'

)

( )

一つの事象が近くの連関なしに私に対立して来ることはなく︑私自身が対象と﹁出会いヘ

この対象が﹁その本質からして出会われる﹂(問書︑七五頁)のである︒そして最後にもう一つ︒聞いの体験の無前提

性︑それは疑いなく理論の強みなのであるが︑それは今や欠陥でもあることが判明する︒あらゆる周囲世界の体験は

﹁多くの前提の負荷をもっている﹂

)

ハイデガーが﹁問いの体験﹂と呼ぶものの欠陥の充

しかも︑体験に対してよりもむしろその解釈に対して妥当する特徴づけは︑﹁周囲世界の体験﹂のパi

スベクティヴからしてのみ可能となるのである︒

iは﹁存在する﹂︹ということ︺がそもそも﹁存在する﹂のか︑という問いを否定する︒クリストア@フォ

ン@ヴォルツォlゲンは︑この否定的な姿勢は具体的な或る人に向けられたものであることを説得的に示した︒それ

t

l

ルの﹃イデ

lγ

﹄についていたパウル@ナトルプであった︒ナトルプに対するハイデガ!の立場

t

﹂という性格を持つことになる︒ナトルプの後期作品を知ることによって初めて彼の姿こで﹁解体

( )

(

)

iはナトルプをもはや新カント学派には

数え入れなくなった︒

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