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研 究 の 余 白 に ー ド ビ ュ ッ シ ー へ の 視 点 一

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研究の余白に

ードビュッシーへの視点一

笠 羽 映 子

1

  ﹁ドビュッシーは︑その後の音楽に影響をあたえつづけた︒そのことが現代の音楽のまがり角の︑そのたびの

 きっかけになった︒現在もこのみなおしのプロセスはおわっていない︒かれの音楽は︑西欧的現代音楽の原点の

 ひとつだ︒それは運動をはかるために参照する基準なのだ︒﹂

 作曲家1ーピアニスト高橋悠治はその﹃ドビュッシー序論一うつろいゆく展望のなかで﹄を右のような文章で始

める︒レコード店の他のついでに立ち寄った﹁クラシック音楽﹂のコーナーで最近再発売されたレコード﹃高橋悠       ︵1︶治/ドビュッシーを弾く﹄︵一九七五年録音︶を買い︑帰宅早々針を下ろす︒解説文として付された前述のドビュ

ッシー論を読みながら︑私自身の思いも再びドビュッシーへ向かう︒高橋悠治はドビュッシーの捉え方を大きく二

つの肖像にまとめてみる︒第一のそれは︑印象主義音楽の代表者としての肖像であり︑第二のものは︑ブーレーズ

早稲田人文自然科学研究 第26号(S59.9)

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      ︵2︶やアイメルト︑シュトックハウゼンらのいわゆるポスト・ヴェーベルンの作曲家たちによって新たに捉え直された︑

瞬間形式原理の具現者︑︹彼らにとっての︺現代音楽の出発点に位置する者としてのドビュッシー像であり︑前者が

﹁進歩主義的な音楽史の直線上に位置づけられたもの﹂であるのに対して︑後者は﹁一九=二年を中心とする三つ

の音楽的事件の関係のなかからうかびあがる︒﹂三つの事件とは︑ドビュッシーのバレエ音楽﹃遊戯﹄︵一九=二年

初演︶︑ストラヴィソスキーの同﹃春の祭典﹄︵一九=二年初演︶︑及びシェーンベルクの声と室内楽のための﹃ピ

エロ・リュネール﹄︵一九=一年初演︶であり︑最後の作品が一九一四年にストラヴィソスキーの﹃三つの日本の

詩︵短歌︶﹄とラヴェルの﹃三つのマラルメの詩﹄にその反響を見出すことも︑今日︑二十世紀の西欧芸術音楽の

流れに関心をもつ人々にとってもはや﹁常識﹂に近いことであろうか︒そして﹁シェーンベルクでの細部にまでわ

たる素材の統一とストラヴィソスキーでのリズムの革命に︑ドビュッシーの瞬聞形式原理を綜合して︑現代音楽の

出発点とみるかんがえかたは︑音楽史の過去からのこの切断によって︑実際には総音列作法にゆきづまった世代の

再出発を意味していたのだ︒﹂という高橋悠治の見方も︑第二の肖像が提出されてから三十年が経過した今日︑ 一

九五〇年代の西欧芸術音楽の歴史的記述に組み込まれつつあるのではないか︒

 さらに彼は続ける︒﹁第一から第二︹の肖像︺へのうつりかわりは︑ ヨーロッパ現代音楽のたどった変化そのも

のだ︒和声的・調性的・抽象的・個人主義的音楽を進歩させるこころみは一九五〇年代におわったようにみえる︒

︵⁝⁝︶ヨーロッパの外側からみて︑ドビュッシーのこの二重像は︑ヨーロッパの十九世紀末が自分の征服した外

側の︑特に東洋からの逆風を感じはじめたことをつげている︒﹂

 高橋悠治の独特にペシミスティックな︑時に挑発的であり︑はやりの表現を借りるならきわめて﹁刺激的な﹂文

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研究の余白に

章については︑恐らく異議・修正の余地もあるだろうが︑ここでは一人掛鋭敏な作曲家の見解として受けとめてお

くことにしよう︒たしかに︑第二の肖像は︑一九五〇年代に︑当時の西欧における何人かの﹁前衛的な﹂作曲家に

よって提出されたものであり︑先の高橋の考え︑つまり﹁総音列作法にゆきずまった世代の再出発を意味﹂し︑そ

れらの作曲家自身の語法探究の反映であるという指摘は︑同様に他のドビュッシー研究者によってもなされてい

︵3︶る︒しかし︑それは︑以前には︑少なくとも西欧芸術音楽音楽史の脈絡の上では︑一般に見落され︑あるいはネガ

ティヴな評価を与えられていたドビュッシーの特に後期の創作活動の一側面に然るべき意味を与えるものだった︒

      モデルニテ       ︵4︶ 一九五六年︑ブーレーズは︑あらゆる現代性の根元にドビュッシーセザンヌHマラルメを考えてみる︒象徴主

  ヘ   ヘ   へ義を超えたマラルメと印象主義を超えたセザンヌを強引かつ大胆に結びつけるのだ︒絵画上の印象主義や文学者の

象徴主義とドビュッシーの音楽やその思想との関連づけ︑あるいは並行論︑それらの限界づけに四苦八苦する︑あ       ︵5︶るいはそうした議論をめぐって更に論争を続ける学者を尻目に︒

 ﹁このドビュッシー目セザソヌーーマラルメの所業とは何であろうか? それは一つの﹃光輝﹄であるが︑その

﹃光輝﹄は︑単純な分析のいかなるプリズムにおいても屈折することを拒む︒彼らは﹃外側に﹄いる︒彼らはわれ

われに何を教えているのだろうか? おそらく次のことだ︒すなわち︑変革をたんに打ち建てるだけでなく︑変革

を夢みなけれぽならないということである︒﹂ブーレーズが︑とりわけマラルメに強い関心を抱く作曲家であるこ

とは︑彼の作品からも︑論述からも明らかであることに注意しておこう︒ブーレーズは︑ドビュッシーの音楽に︑

従来から指摘されてきた瞬間的な響きそれ自体の尊重や既成のヒエラルキーの無視に加え︑音楽的な時間︑より一

般的には︑音楽的世界に関する相対的で不可逆的な概念を見出すが︑.そうした﹁ぜんなアカデ︑・・︑ス﹁ムにも通約で啓

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ず︑体験されていないあらゆる秩序︑即座に創造されたのではないあらゆる規則と両立しない﹂ドビュッシーの創       モデルニテ作行為を︑三つの方向︑意志による独学主義と現代性と西欧圏の瓦解という方向で考えてみる︒つまり︑故意的に

独学者であろうとする気持によって︑ ﹁知っていながら同時に︑彼はあの受け継がれてきた知識というものを拒絶

し︑透明な即興の夢を追求する﹂のだと考える︒そのようにして音楽的創造のあらゆる側面について再考すること      ︵6︶を余儀なくされ︑先に述べた概念に至ったとする訳だが︑この瞬間と結びついた形式原理をブーレーズは︑音楽に

おける現代性と関連づける︒ここでブーレーズは現代性を彼の引用する次の様なボードレールの文章の意味で捉え

て︑いる︒﹁現代性とは一時的なもの︑移ろいやすいもの︑偶発的なもので︑これが芸術の半分をなし︑もう半分は︑       ︵7︶永遠のもの︑不変のものである︒﹂若いドビュッシーの感性に深い影響を及ぼした画家や詩人たち︑とりわけ︑ マ

ネ︑ホイッスラー︑マラルメらが問題になる︒それでは西欧圏の瓦解ということは︑ドビュッシーとどのように関

わってくるのか︒ブーレーズの表現に従えば︑ ﹁安っぽい絵のような郷愁しか満足させない異国趣味は︑まったく

問題にならない︒ 一八八九年の万国博覧会の時︑ドビュッシーは︑ベトナムの演劇や日本の舞踊やガムランのひび       ︵8︶ぎに驚嘆や感銘を受けたが︑ ︵⁝⁝︶新しい音楽とヨーロッパの伝統的な諸要素との決裂を急がぜたのは︑西欧の

伝統とは異なったやり方ではあるが︑同じように力強くコード化された一つの伝統が及ぼしたショックである︒﹂

﹁この東洋との接触は︑異国の音階や輝くばかりの響ぎといった月並みな問題には限定されない︒﹂﹁それは一方で

は︑美学が獲得する﹃現代的な﹄感覚に︑他方では︑たえず蘇生されるヒエラルキーの探究に結びつく︒﹂そのよ

うに︑ドビュッシーの音楽変革を押し進めた要因に︑独学主義・現代性・西欧圏の瓦解を密接にからみ合った状態

で見出すブーレーズは︑ ﹁選択と危機の時にあって︑ドビュッシーは傑出したすぐれた先人なのである﹂とそのド

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研究の余白に

ビュッシー諮珊を結ぶ︒

 ブーレーズが﹁西欧圏の瓦解﹂と表現したものは︑高橋悠治の﹁東洋からの逆風﹂と重なり合うが︑後者の語る

      ヘ  ヘ  ヘドビュッシーと東洋との関係は︑やや意図的にペシミスティックである︒ ﹁ムソルグスキーを通じてビザソチソ聖

歌の伝統まではたどりついたドビュッシーの﹁東方へのあこがれ﹂は︑ヨーロッパをこえる視野をもつことはでき

なかった︒ ︿パゴタ﹀にあらわれるガムランは異国趣味にすぎないし︑インドやエジプトの笛は想像上のものであ

り︑ケークウォークのたぐいは黒人のあやつり人形をものめずらしげにながめる都会のこどもの眼でしかない︒﹂

﹁ボードレールがインドへゆきつくことなく︑航海のとちゅうからにげかえり︑かれの﹁旅﹂は港に静止した帆の

幻想にすぎなかったように︑ドビュッシーの東洋も︑月光のパゴタや金魚の絵でしがなかった︒かれの﹁自然﹂は

ガラス窓ごしにみる風景︑かなたの自由の風なのだ︒民謡の断片をつかうときも︑洗練されたアラベスクの変化の

なかにそっとすべりこませ︑ ︿イベリア﹀やく祭﹀のような民俗的な題材は︑とおくから風にはこばれるどよめき

や︑ほんやりとよみがえるおもいでにすぎない︒L

 高橋悠治は︑ブーレーズのその後の音楽に︑マラルメの影響と共にドビュッシーに見出した瞬間形式の影響を指

摘し︑ドビュッシー以後のヨー戸ッパ現代音楽を振り返り︑次の様に結ぶ︒

  ﹁瞬間形式は︑たしかに素材と全体の一体化をなしとげたが︑それは直接で一次元的な一体化にみえる︒調性

 にもとつくソナタ形式のもつ階層化された構造にかわって︑素材が中間構造をもたずに全体と直結するとき︑時

 間は方向をうしない︑神経的けいれんによってはこばれる迷路にかわる︒サイコロのひとふりによって自分をの

 みこもうとする偶然︵死︶を化石化して︑そこからのがれるという選択は︑各瞬間毎にくりかえされなけれぽな

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らない決意だ︒それは作家自身にはねかえる︒音符をかく作業は耳でひとつひとったしかめなけれぽならず︑お

そく苦痛にみちた労働にかわる︒それは﹃天才﹄の直観以外にはどんな最適解もなく︑最短の道もみつけること

のできないなぞなのだ︒ドビュッシーは︑みずからに課したこの苦役のなかで心をすりへらし︑ガソのために身      ︵9︶をくいあらされ︑ゆっくり死んでいった︒それは二十世紀の音楽の運命を予告する死であった︒﹂

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H

 冒頭から長々と高橋悠治とピエール・ブーレーズの文章を引用した︒この二人の作曲家・演奏家については改め

て考察したいと思うし︑またこれもある特定の状況のもとで書かれたドビュッシー論について︑ここでさらに詳し

く批判・考察する余裕もない︒例えば︑﹁ドビュッシーは︑その後の音楽に影響をあたえつづけた︒﹂とはいえ︑ど

の点で︑どの範囲で︑他の作曲家に比べ⁝⁝と問い返していけばきりがない︒二人の作曲家・演奏家にとって︑こ       ヘ  へうした文章は自己の音楽思考の確認であると共に︑将来の行為のための戦略︑読者に対する言葉による表現行為で

あり︑演奏行為に付随した︑あるいは裏づけられたものでもある︒共に強烈な個性をもった二人の文章の違いは︑

その語調にも伺えるが︑書かれた年代の差︑西欧︵フランス︶人ブ1レーズの︑危機的な状況にあっても︑﹁意志に         ︵10︶よって︑偶然によって﹂西欧芸術音楽の将来を切り開いていこうとする︑そのために知性と感性を駆使してあくま

で積極的に言語による理論づけを行なう姿勢と︑そうした西欧世界から身を遠ざけて別な道を模索中だった日本人

高橋悠治の姿勢の違いでもある︒レコードに聴く後者のピアノ演奏は︑彼のみなおしのプロセス︵それはレコード

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研究の余白に

      ヘ   ヘ   ヘ   へに収められた﹃映像﹄1・皿︑﹃版画﹄︑﹃喜びの島﹄に関する過去の演奏批判をも当然含む︶のその時の答である︒

一われわれの抱くドビュッシーの像は︑自分でとにかくも演奏でぎるなら演奏する︑他者の演奏を実演で︑レコ

ードで聴く︑楽譜その他の資料を見ること等によってその都度断片的に抱かれる虚像だ︒レコードの出現以来︑楽

譜にもまして︑いつも同じように聞えてくるために︑レコードに依存した音楽像が逆にわれわれを拘束する︒コル

トー︑ギーゼキソグ︑フランソワ︑ミケラソジェリ︑ベロフ等々のドビュッシー弾き達︒音楽史は演奏史でもあり︑

レコードはその資料となって︑今や世界の人間がある音楽を語る時に基づく一つの拠りどころとなっている︒それ

はレコードのジャンルを間わないことであるが︑今世紀だけの音楽の在り方だ︒1 音の響きの霧︑その魅力に

浸ることを拒絶し︑聴者をも自分をもそこへ誘い込むことを禁ずる演奏だ︒例えばミケラソジェリの﹁どんなに微

細なリズムの音型でも正確に捉え︑鮮やかに浮び上がらせながら︑そこに多彩な響きを描き出す﹂︵吉田秀和︶ピ

アノ演奏とは︑その類の﹁巨匠﹂であるとか︑打鍵の仕方を越えて︑高橋の演奏に対する姿勢からも当然なことだ

が異なる︒われわれが﹁ドビュッシーの多彩な響き﹂と言えばそれでこと足りた様な気がし︑ミケラソジェリのレ

コードにそれを見出し︑さらに吉田秀和というやはりわれわれが一目も二目も置く批評家の言葉にやはりと安心す

るのを︑それでよいのかと問いかける︒響ぎの多彩さとは? ﹃版画﹄第一曲の︿パゴダ﹀の演奏を︑ミケラソジ

ェリよりずっと前の世代のギーゼキソグの演奏と比べれば︑ミケラソジェリ同様︑しかしまた異なったやり方で︑

高橋の演奏が旋律やリズムの動きにわれわれの注意を向けることがわかるだろう︒ドビュッシーの語った︑そして

ドビュッシーを語るのにしぼしば用いられる﹁アラベスク﹂の語︒バッハについてドビュッシーの語った﹁音響の       ︵n︶自由なたわむれ﹂︑﹁平行し︑交錯する音の曲線﹂はドビュッシーの目ざした音の世界にも通じるが︑そのひとつの

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現実化︒︵高橋悠治の﹃喜びの島﹄は︑とにかく力強いひとつの﹃喜びの島﹄の﹁音楽﹂である︒︶

 ブーレーズの指揮したドビュッシーの管弦楽作品やオペラ﹃ペレアスとメリザソド﹄のレコードについての感想

はここでは述べない︒ただ︑それらは演奏史上やはり﹁劃期的な事件﹂ではあった︒私の世代の人間には︑ブーレ

ーズに導かれてそれらの世界へ入って行った人も︵絶対的な数値に直せば極めて少ないにしても︶いるだろう︒ー

ーここでは数々の演奏の比較は問題ではない︒演奏の価値や意味はまた様々な視点から論じられるだろう︒一

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m

 西欧的・現代︵芸術︶音楽は一つの終焉を迎えたと言われてすでに久しい︒更に西欧の終焉︒現代の日本の音楽

文化に様々な想いを抱き︑自己の職業音楽家としてではない︑しかも幾分音楽とは縁の深い生活を振り返り︑西欧

芸術音楽へ今後どのように眼を向けて︑自分の役割を果たせるだろうかと考え込む︒

 ﹃人間の音楽性﹄という深い洞察に富み︑われわれに様々な点で反省の機会を与えてくれる本を書いたジョン・      ︵12︶ブラッキソグが﹁ともすればエリート主義の雲の中に飛び上がるおそれのある音楽の世界﹂と述べるような状況は

わが国にもある︒しかもその音楽の世界とは︑教育レベルでも︑マス・メディアのレベルでも︑一般文化生活のレ

ベルでも︑明治以降輸入された西欧芸術音楽の碕形な信仰︵当然それは崎形な反発を誘う︶のもたらしたものから

自由になったとは︑まだ言い切れず︑問題の根は深い︒作曲家武満徹は︑ ﹁私たちはゆっくりとした歩調を保つし

かない︒それは芸術というものの役割であろうと思います︒﹂と述べ︑更に続ける︒﹁私たちの進む足どりは未来を

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目指しながらも︑その歩調を早めずに︑ ︿現在﹀という現実的な時空−繰り返し書いてぎたように︑それはたん

 ユニットに単位として考えられるべきものではない時間・空間tに︑深く脚を降ろすことが必要だろうと考えます︒ある       たやすいは︑芸術︵家︶の夢は︑常に実現の延期を余儀なくされるものかも知れません︒夢みることは容易い︒だが︑それ

は安直に果せるものではないでしょう︒人間精神の複雑な深層に夢は宿るように︑私たちが夢みる人類の文化も︑       ヨ ロツバ多くの異なる諸相にその胚子は匿されているのだと思います︒西欧の終焉︑などという性急な判断を下す以前に︑

私たちは︑それぞれの民族文化が永い時をかけて受継いできた夢の胚子を︑もういちどゆっくり観察する必要があ

るように思います︒私にとっては︑日本の伝統文化を知ることと共に︑ヨーロッパを知ることを捨てる訳にはいき

ません︒私は︑この百年来われわれにのしかかり︑血の中に流れこんだ︿西欧﹀から逃げる気にはなれず︑もう暫

くそれに耐えようと思うのです︒そして︑日本と西欧という単純な対比に︑より豊かな振幅を与えるために︑さら

に︑私自身の思考が柔軟な蠕動を続けるために︑地球人類の全ての文化に眼を向けたいのです︒ただ眺めるのでは

なく︑創造的な方法によって︑また︑科学的に︑それらの本質の相違を確めたいと思います︒もちろん︑人間ひと

りの生涯に果せる事柄でないことは判っています︒ただ私は︑自分の作曲という行いを通じて︑次の世代に︑この       ︵13︶︵私の︶夢の胚子を送りたいのです︒﹂

研究の余白に

﹁結局は︑人類にとって︑        ヘ   ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ西洋人の個々の音楽的業績よりももっと重要で意味があるのは︑音楽の作り手として

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︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑︵14︶の人間の諸活動である︒しというブラッキングの言葉は︑﹁人類﹂を﹁われわれ﹂に置き換え︑﹁西洋人﹂を省いて

も重味を持つことは言うまでもない︒また人間の諸活動︑身体と深く結びついた人間の諸行動は音楽行動には限

定されない︒あるいは何らかの﹁音楽的概念﹂を意識する瞬間から︑﹁音楽的なもの﹂はその生命力を減じ始める      ︵15︶のかも知れず︑﹁音楽﹂のみならず文学や芸術の発達は︑ジャン・ジャック・ルソーが指摘したように︑人間の不

平等を助長するものでもあるだろう︒近・現代の︑ある意味ではく啓蒙﹀を自ら拒む芸術i洋の東西︑近・現代

を問わず︑専門化された芸術は︑多かれ少なかれ閉鎖的な性格をもつ一を安易に大学の一般教育に持ち込むこと

の問題性︒ ﹁芸術﹂としての音楽について語るなら︑やはり特定の文化圏で長い聞惹くまれてきた︑その文化圏の

人々によって﹁芸術﹂とみなされている音楽についての歴史学的・社会学的考察以外に方法はないとも思われる

が︑﹁音楽﹂や﹁芸術﹂のやはり本来そうであって欲しい役割一﹁学問﹂の役割も本来そうであるのだが一﹃楽

しさ﹄を共通に体験する場を同時にどのように確保していけるか;⁝・︒

 しかし︑とりあえず︑ある一人のフランス人﹁人間精神﹂の複雑な深層に宿った﹁夢﹂を︑後日遠い所から︑強

靱とは言えぬ肉体と精神をもった人間が﹁研究する﹂という随分滑稽な構図を否足することなく−到底一人で出

来ることではない  ︑しばらくその夢を追った西欧人や他の文化圏の人々︑その人たちの属していた社会にも目

を向けながら観察を続けること︒

 このクロード・ドビュッシー︵一八六二〜一九一八︶というフランスの作曲家についての研究状況について考え

るなら︑手稿についての考察を含む作品全集の出版がようやく今夏から本国で始まる予定であり︑書簡︑その他の

同時代資料の再検討を含め︑これまで全体として不十分であった歴史的な研究︑作品分析︑演奏にも新しい刺激を

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もたらすだろうと予想される︒一方で︑十九・二十世紀西欧文化を総合的に捉えようとする試みが︑音楽・文芸.

美術の領域で︑あるいはより広い範囲で行なわれつつあることは周知の通りであり︑それは文化の国際交流の問題

        ︵6﹈︶にまで及んでいる︒先の高橋悠治やピエール・ブーレーズの文章でも触れられているヨーロッパと東洋の出会いに

       ︵7L︶ついても︑地道な研究が行なわれつつあることを付記して置きたい︒

研究の余白に

︵1︶ ︹O×為Oωさ︒−ZO︺なお問題のドビュッシー論︵﹃あんさんぶる﹄一〇四号より転載︶もほぼ同時期に書かれたものだろう︒

︵2︶ コO嘆O圏三〇Nい餌OO昌二層けδ口α⇔鵠δω⑦昌6①コ8井︒∩題O国5ω︑︑閑Oδ<δα︑四〇〇器要田.堕︵℃弾﹁置ロζω¢①きお①①yB・ωらQ片ωO︵邦訳﹃ブ!レー

  ズ音楽論−徒弟の覚書一﹄船国隆・笠羽映子共訳︑︵晶文社︑一九八二年︶︑三五一四二頁︒

   =o﹁σo詳田ヨ①牌O①σ二ωω罵︒陰冨二×・〇四つω︑.一︼o閃︒ぎ①︑.︵頃①⇒㎝︶・︵≦⁝①Pご巳く︒﹁ω巴℃お㎝㊤︶層O噂.㎝IbρN︵なお︑アイメルト︑ブrレーズ

  の論文に触れた邦語文献としては︑船山隆﹁イメージの音楽﹂︵﹃現代音楽ω一日とポエジー﹄︑︵小沢書店︑一九七三年︶所収︶がある︒

   囚費ア=⑦5Nωθ8評冨口紹﹃<8≦Φσ①ヨ讐Uo9ωωざ9器︑.↓o答一−.︵一く.一5. 〜﹁①﹁一四帥q 7由. 一︶⊆ ζO口一 ω65四口げ①﹁σq響 一〇〇ω︶℃暑.刈甲叙.

︵3︶国≧一5寓pa8宵O①9ω學ω.冷注げω窪鼻ε〒ω辞①=口詞ぎO①三号≦⑦蒔﹄雪ω.︑しσ①奇洋3︒乙①長歌︒3pけぴ5巴①口才ロω界乱ωω魯ω67駄→

  一剛9①口紫︒轟おゆ甑55..噂︵区帥馨♂ゆ旨①霞︒凶8さ一雪一︶や署■鳶や畠①●

   Ω餌&冨浴g吋−ζ謹器=聞︒﹁ヨ仁巳国3g畳①︻⁝∪Φ9ω︒︒︽︒・︑.︸2×.︑噸9諺︑︑≧〇三<h自彊仁ω幹三ωω︒コωo二三︑︑隔×××ヨ﹁窓⇒一

  ︵一㊤置︶℃︵≦回①ωげ巴︒戸団轟口Nω8凶ロ①﹁<①二帥ケQ矯一竃①︶㌧薯﹄Q︒ム圃●

   0冨にα一国言口︒冨−ζβ︒只Φさ..︿㊤ω=9ハげ島尻①二四ぼ①﹀﹁け噂O①9ω望N二き巴置Φお口..b︵ζ∵ロ︒7①p国■区馨N玄︒げζ二㊤録︶鳩召﹂①山◎︒.

   例えば︑ツェソク・マウラーは︑一九五四年頃からの﹁前衛﹂音楽の傾向自体に逆行不能な時間構成を見出し︑それはオスティナートや

  反復といった楽段を構成する形象の否定に他ならず︑ ﹁各瞬間をすでに過ぎ去ったものとは別なものとして形象化する試み﹂であると述べ

  る︒その傾向を﹃遊戯﹄に認めることについては否定セず︑むしろブーレーズの﹁﹃遊戯﹄はもはや建造物を構築するようにつくられてい

  るのではなく︑編まれているのだ﹂という文章を引用している︒但し︑シュトックハウゼンの統計学的分析のこの作晶に対する有効性に関

  しては否定的な態度をとり︑その分析自体の不整合性を指摘している︒一方アイメルトの論文に対しては︑発表当時の作曲界の動向︵開か

  れた形式︑アンフォルメルな音楽︶の反映を見︑セリー的な側面の強調の一方で︑セリーに管理されない形式を考え︑後の作曲界で重要な

  ものとなる諸規準︑﹁不正確さ﹂︑﹁不確定﹂︑﹁植物的な動き﹂︑﹁流動的な形式﹂︑﹁形式性に乏しい作品﹂といった規準を展開させ︑ひたす

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  ら作品の新しさを歴史的に後から生じた概念でとらえようとしたと見なす︒しかし︑アイメルトが必ずしも歴史的なモメントを全く無視し

  ている訳ではないし︑その分析が作曲者の意図から全くかけ離れた規準をもってなされているとも言えない︒いずれにせよ︑アリー・アル

  ブレヅクの指摘するように︑ ﹃遊戯﹄を対象とした数多くの分析は︑いずれも詳細であるとはいえ部分的なものにとどまり︑しかも多くが

  ﹁技法﹂のレベルに偏っているとは言えるだろう︒結果として︑分析の意味︑分析の﹁単位﹂︑音符に基づいた分析と聴覚的な認知︑など

  についての論議を呼び︑ドビュヅシーの音楽を聴き︑研究する書本︑音楽概念の再考を強いられたし︑強いられるのである︒

︵4︶ 注︵2︶参照︒

︵5︶ S・ヤロチニスキの﹃ドビュッシー1印象主義と象徴主義−﹄︵ω8賦ロ一費ooぎ・・臨鳩∪Φびロ︒︐塁一国凶∋℃おω一〇三N日⁝ω旨8げ︒一一Nヨi・

  ︵℃o房匠①二三9≦三︒ヨ︒ζ自︽gρお①ρ仏語訳一九七〇年︑平島正郎訳近刊予定︶は︑印象主義というレッテルを無造作に貼られるこ

  とによってゆがめられてきたドビュッシー像を正す必要性を音楽家・音楽学者が痛感したことの一つの現われとも見なせる︒なおドビュッ

  シー︑その研究状況については︑乎島正郎著﹃ドビュッシ;﹄︵音楽之友社︑一九六六︶︑平凡社﹃音楽大事典﹄︵一九八一︶に同氏の執筆

  された頃目︑笠羽映子﹁ドビュッシー図書室﹂︵雑誌﹃ショパン﹄6月号︑東京音楽社︑一九八四︶などを参照されたい︒

︵6︶ ドビュヅシーが﹁瞬間形式原理﹂を提唱した訳ではしかしない︒しばしばそのために引用される文章︑﹁その上︑私は次第に次のような

  ことを確信しつつあります︒つまり音楽は︑その本質からして︑あるひとつの厳格で伝統的な形式の中で流れることのできるようなもので

  はないのです︒それは︹諸々の︺色彩や律動づけられた時間︹いわゆる拍子という意味もある︺⁝⁝からできています︒﹂︵一九〇七年八月      コネツサソス  ニ十三日付のデュラソに宛てた手紙︶も︑続く文﹁とにかく音楽は手段として同様︽認識︾としてもきめわて新しい芸術です︒﹂と共に︑

  新しい音楽の希求を表明してはいるが︑旧来のすべての形式の無効性を表明しているのではない︒形式の拘束性︑それにとらわれた観念の

  告発なのではないか︒引用した二文にはさまれた﹁ただ︑バッハだけが真理を予感したのです︒﹂とは一体どういうことか︒西欧の一つの

  大きな伝統内の革新という側面︒

︵7︶ ﹃ボードレール全集W﹄﹁現代生活の画家﹂阿部良雄訳︑二九四頁︒なお︑阿部良雄著﹃西欧との対話﹄︵河出書房新社︑一九七二年︶の.

  中でも︑このくだりが話題となり︑同氏は次の様なオクタビナ・パスの見解を説得的なものと見なしておられる︒﹁ボードレ;ルの興味は

  二時的なもの︑うつろいやすいもの︑偶発的なもの﹂にもつばら注がれていたことは︑例の有名な﹁美の二重性﹂の定義の出てくる﹃現

  代生活の画家﹄を一読すれば明らかであり︑﹁永遠なもの︑不変なもの﹂の方は︑定義の中にだけ︑定義に整った体裁を与えるためにのみ

  顔を出しているに過ぎない︒﹂︵五九頁︶さらにこの概念については︑中央公論社﹃新集・世界の文学﹄︿ネルヴァル・ボードレール﹀︵一九

  七〇年︶の同氏による註解︵五六五i六九頁︶参照︒また同氏著﹃群集の中の芸術家ーボードレールと十九世紀フランス絵画﹄︵中央公

  論社︑一九七四年︶も十九世紀フランス芸術を考える上で︑極めて示唆に富んだ本である︒

︵8︶ ドビュッシー自身の感想としては︑Ω窪αoOoσロωω質..竃︒諺凶①ロ﹃90筈①卑p三﹁①u︒伽︒葺ω..堕︵℃碧一ω︑Ω巴一一日節a︑一㊤刈一︶︑℃﹄N卜︒参照︒

  ﹁しかし︑ジャワの音楽は 種の対位法を含み︑それに比べれば︑パレストリーナのそれは児戯に等しい︒そして︑もしヨーロッパ的な偏

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(13)

研究の余白に

  見を捨てて彼らの﹁打楽器﹂に耳を傾けるなら︑われわれのそれが場末のサーカスの野蛮た音にすぎないということを否が応でも認めざる

  を得ない︒

   安南人のところでは︑︵⁝⁝︶︒巧みに満足することを心得ている本能的な芸術欲求があるばかりだ︒悪趣味のいかなる痕跡もない︒L

   なお同書には邦訳﹃音楽のためにーードビュッシー評論集一﹄杉本秀太郎訳︵白水社︑一九七七年︶がある︒先の部分は︑それを参

  考とした試訳︑続く部分は引用させて葺く︒﹁してみると︑文明国を毒したのは専門家ではないのか︒そして大衆に向かって放たれる罵言︑

  ﹁気楽な︵つまり悪い音楽しか好まぬ︶﹂という文句は向けどころが間違っていはしないか︒本当をいうと︑音楽が実在しないときに限っ

  て︑必ず音楽は﹁むつかしい﹂音楽になる︒この場合⁝︑むつかしいしというのは貧しさを隠すための言葉の衝立にすぎない︒音楽に二つは

  ないものだ︒﹂︵二六〇頁︶

︵9︶ 高橋悠治のドビュッシー観については︑さらに﹃ことばをもって音をたちきれ﹄︵晶文社︑一九七四年︶所収の﹁スクリャ︑ービソとの距

  離﹂を参照できる︒

︵10︶コΦ巽︒野三〇斜..℃p﹁<oげ暮い①け℃o﹁げmω帥a一廉昇︻oユ︒ロω曰く①oO巴︒ω二一∪①一帯αq①一︑.鳩︵℃m﹃凶ω㌧α翼ω①巳こお刈α︶邦訳ピエール・

  ブーレーズ︵店村新次訳︶﹃意志と偶然・ドリエージュとの対話﹄︵法政大学出版局︑一九七七年︶

︵11︶ ΩpロユoO①げロω超︑.OPΩ戸.︑い℃℃■①①−①刈︵邦訳五七頁︶

︵12︶ ジョン・ブラッキソグ︵徳丸吉彦訳︶﹃人間の音楽性﹄︵岩波書店︑一九七八年︶︑二頁︒

︵13︶ 武満徹・川田順造﹃音・ことば・人間﹄︵岩波書店︑一九八○年︶︑一七〇一七一頁︒

︵14︶ ジョン・ブラッキング︑前掲童日︑三頁︒

︵15︶ ジャン・ジャヅク・ルソー﹃学問芸術論﹄

︵16︶ 音楽面をも含めた考察としては︑﹁19世紀の文学・芸術﹄平島正郎︑管野昭正︑高階秀爾著︵青土盛︑一九七五年︶がある︒また美術に

  関しては︑ハンス・H・ホーフシュテッター著︵種村季弘訳︶﹃象徴主義と世紀末芸術﹄︵美術出版社︑一九八一年︶︑S・T・マドセγ︵高

  階秀爾・千足伸行訳︶﹃アール・ヌーヴォー﹄︵美術公論社︑ ︸九八三年︶などが参考になる︒フランスの音楽研究についても︑ 一九八○年

  に創刊された︽閃①<¢︒鐸︒∋巴8巴①ασ竃ロω団ρロΦ閃雷昌曾ω①︾︵O①窪く①七巴ρω二騨匠器︶を始め︑十九世紀以降の音楽資料の研究︑出

  版が続いている︒

︵17︶ ﹃ジャポニスムの時代一十九世紀後半の日本とフランスー﹄︵日仏美術学会編︑紀伊国屋書店︑一九八三︶︒音楽に関するものとして

  鶴園柴磯子﹁近代フランス音楽とジャポニスム﹂を含む︒

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参照

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