• 検索結果がありません。

雑誌名 人文論究

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "雑誌名 人文論究"

Copied!
42
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

ロシア極東カムチャッカ半島のコリヤークとエヴェ ン : 1996年エッソ調査報告

著者 岸上 伸啓

雑誌名 人文論究

巻 64

ページ 47‑87

発行年 1997‑09‑30

URL http://hdl.handle.net/10502/5786

(2)

ロ シ ア 極 東 カ ム チ ャ ッ カ 半 島 の     コ リヤ ー ク と エ ヴ エ ン

:1996年 エ ッ ソ 調 査 報 告

岸 上 伸 啓

(英 文 要 旨)

Ethnological research of the Koryak and Even was conducted by Nobuhiro Kishi gami in Esso and Anavugai on Kamuchatka Peninsula of Russia during a two wee k peiord from 27th of November to 10th of December in 1996, as a part of lar ger project "Research of Song and Dance of Koryak and Aluet in Kamchatka"(Mo nbusho Kokusai Kaken #08041002) directed by Professor M. Oshima of Otaru Uni versity of Commerce. This is a report of the research expedition. In this pa per, I decribe subsistence activities, hunting and fishing rituals, festival s, marriage, inheritance systems, childbirth, names and naming , funeral, be liefs and world views, shamans and shamanism and calenders of the Koryak and Even of this century, and then compare those cultural elements between the peoples.

1.は じめ に 1‑1.本 稿 の 目 的

  私 は、1996年10月31日 か ら12月17日 まで の約1ヵ 月 半 の 期 間 、 ロ シ ア の カ ム チ ャ ッ カ半 島 の コ リヤ ー ク 民族 の 民族 芸 能 お よび 儀 礼 に 関 す る現 地 調 査 に参 加 す る機 会 を え た 。 こ の 調 査 は 、 北 海道 教 育 大 学 の 谷 本 一 之(元)学 長 に よ って 始 め られ、 現 在 で は 小 樽 商 科 大 学 の 大 島稔 教 授 を代 表 者 と して 継 続 さ れ て い る。 調 査 全 体 の 目的 は 、 グ リ ー ン ラ ン ド 、 北 米 極 北 地 域 、 ユ ー ラ シア の 極 東 地 域 の 先 住 民 族 の 歌 や 踊 りな ど民 族 芸 能 を録 音 、 ビデ オ に収 録 す る と とも に 、 そ の 分 布 や 特徴 に 関 して 比 較 を行 な う こ とで あ る。 そ して この 調 査 に付 随 す る も の と して 、 言 語 、 狩 猟 ・漁撈、 各 種 の儀 礼 、 シ ャ ー マ ニ ズ ム 、社 会 組 織 な ど に つ い て も 調 査 が 行 な わ れ た 。

  今 回 の 主 な 調 査 地 は、 カ ム チ ャ ヅカ 半 島 の 根 元 の 西側 の 内 陸 に あ るス ラ ウ トノ ィエ

村 で あ っ た 。 この 村 に は、 トナ カ イ 牧 畜 を主 な 生 業 とす る コ リヤ ー ク や チ ュ ク チ らが

(3)

人 文 論 究  第64号

ロ シア 人 と とも に住 ん で い る。 こ の村 で の コ リヤ ー クの 民 族 芸 能 調査 の 後 、1996年11 月27日 よ り12月10日 まで の 約2週 間、 私 は ロ シ ア 人 通 訳 と とも に カ ム チ ャ ヅ カ半 島 の 中 部 内 陸 にあ る エッ ソ とい う町 を訪 れ 、 そ こ に住 む 先 住 民 コ リヤ ー ク とエ ヴ ェ ン の生 業 、 狩 猟 儀 礼 、 名 前 、 民族 暦 、 信 仰 な ど に つ い て 調 査 をお こ な っ た 。

  本稿 の 目的 は 、 エ ッ ソで の 調 査 の 成 果 を整 理 し、 記 述 的 に提 示 す る こ とで あ る。 こ こ で は 、 調 査 か らえ た 結果 を で き う るか ぎ り忠 実 に 報 告 した い。 こ の た め、 既 存 の 文 献 か らの 引 用 な ど は最 小 限 に と どめ る こ と を ご 了承 願 い た い 。

1‑2.調 査 方 法 と 情 報 提 供 者

  エッ ソ 調 査 で は 、 エ ヴ ェ ン や コ リ ヤ ー ク の 社 会 や 文 化 に つ い て お も に 聞 き 取 り に よ っ て 情 報 を 収 集 し た 。 調 査 に 協 力 し て く れ た イ ン フ ォ ー マ ン ト の 方 々 は 、 村 役 場 の 文 化 担 当 官 の 方 が 、 紹 介 し て く れ た 人 た ち で あ り 、 聞 き 取 り 調 査 は 村 役 場 の 担 当 官 の 部 屋 か イ ン フ ォ ー マ ン ト の 家 の い ず れ か で1回2時 間 程 度 の 時 間 で 行 な っ た 。 エ ッ ソ 滞 在 中 に 下 記 の 方 々 に 聞 き 取 り を 行 な っ た 。 本 文 中 で は 実 名 で は な く 、 文 字 と 番 号 で 話 者 を 示 す こ と に し た い 。Kは コ リ ヤ ー ク の 人 、Eは エ ヴ ェ ン の 人 を さ す 。

エッ ソ 村

(E‑1)Adukanova  Maria  Konstantinovna  女 性   1939年 生 ま れ (E‑2)Tatyana  I  lyinishna  Tilkanova  女 性   1932年 生 ま れ (E‑3)Natalya  Ionovna  Grigoryeva:E‑2の 娘

(E‑4)Nadeshda  Petrvna  Adukanova  女 性   1914年 生 ま れ (E‑5)Adukanova  Lubov  I  lyinishna:E‑5の 妻   1951年 生 ま れ

(E‑6)Adukanova  Kiryak  Petrovich:男 性 、  E‑4の 息 子   1953年 生 ま れ (E‑7)Maya  Petrovna  Lomovtseva‑Adukanov:E‑4の 娘   1948年 生 ま れ (E‑8)Tilkanova  Vera  Petrovna:女 性 、1916年 生 ま れ

(E‑9)Tilkanova  Tatiyana  Egorovna:女 性 、1917年 生 ま れ

(E‑10)Tilkanova  Mariya  Grigoyevna:女 性 、1939年 生 ま れ 、  E‑8の 娘 (E‑11>Elizaweta  Ivanovna  Ichanga:女 性 、1926年 生 ま れ

(E‑12)Panarina  Valentina  Mik'hailovna:エ ヴ ェ ン 語 教 師   30歳 代 (K‑1)Kauchan  Minuevna:K‑2の 娘:女 性 、1940年 代 生 ま れ

(K‑2)Ama  Kichinkavavna:女 性 、1918年 生 ま れ (K‑3)Pelat  Anlyo:女 性 、1924年 生 ま れ ア ナ ヴ ガ イ 村

(K‑4)Yakov  Amontovich  Ukipa:男 性 、1944年 生 ま れ (K‑5)E'talpin  Yadginovna  Ukipa:女 性 、1918年 生 ま れ (K‑6)Ukipa  Anastasia:女 性 、  E‑5の 娘

(K‑7)Evvach  Vikiikovna  Chachim:女 性 、1920年 頃 生 ま れ

(4)

  この 調 査 に は、 つ ぎの よ うな 問題 点 が あ る こ と を明 記 して お きた い 。

  第 一 に、 滞 在 期 間 が 短 い た め に住 み 込 み に よ る参 与 観 察 と い う調査 方 法 を と る こ と が で きな か っ た。 こ の た め 、 今 回 の 調 査 で は 聞 き取 り以 外 に は 、 表 面 的 な 観 察 しか で

きな か った 。

  第 二 に 、 調 査 者 は 、 ロ シ ア 語 と現 地 語(コ リヤ ー ク語 お よ び エ ヴ ェ ン語)を 話 す こ とが で きな い の で 、 英 語 の わ か る ロ シア 人 通 訳 や 、 ロ シ ア語 の わ か る コ リヤ ー ク や エ ヴ ェ ンの 人 を介 して の 聞 き取 り調 査 で あ っ た。 本 来 な らば 、 調 査 者 とイ ンフ ォ ー マ ン トとが 直接 対 話 すべ き とこ ろに 、1人 な い し2人 の仲 介 者(通 訳)が 存 在 す る こ と と な っ た 。途 中 の 通 訳 の過 程 で 、 質 問 が 相 手 に正 確 に伝 わ らな か っ た り、 答 え が 正確 に こ ち らに伝 わ らな か っ た 可 能性 も大 で あ る。 今 回 の通 訳 を つ と め て くれ た2名 は 、 カ ムチ ャ ヅカ 教 育 大 学 で 英 語 を 学 ん で い る学 生 のArtyom  PonomarevとPoliganov  Zhenya で あ っ た 。 両者 と も英 語 は か な りで き るが 、 民 族 学(文 化 人 類 学)の トレー ニ ング は 受 けて い な か っ た 。

  第 三 に、 イ ン フ ォー マ ン トに ジ ェ ンダ ー の 上 で 、 偏 りが み られ た こ とで あ る 。 イ ン フ ォー マ ン トは 男性2名 を除 く とす べ て 女性 で あ っ た 。 エ ッ ソの 町 には 、60歳 以 上 の 先 住 民 の 男 性 が ほ とん ど い な か っ た の で、 聞 き取 りは 女 性 を 中 心 に行 な わ れ た。

  今 回 の 調 査 に は 、 以 上 の 問題 点 が あ る こ とを 明 記 して お きた い 。

2.カ ム チ ャ ッカ 半 島 の 先 住 民 の 歴 史 と現 状 2‑1.カ ム チ ャ ッカ 半 島 の 先 住 民 と民 族 の 問題

  現 在 、 カ ムチ ャ ッカ 半 島 には 、 ロ シ ア人 を は じめ い ろ い ろ な 人 々 が 居 住 して い る 。 そ の 中 で 少 数 先 住 民 族 と して 位 置 付 け られ て い る 人 々 は 、 コ リヤ ー ク、 エ ヴ ェ ン、 イ テ リメ ン、 チ ュ ク チ、 ア リ ュー トらで あ る 。現 在 の 彼 らの 総 人 口は、 カ ム チ ャ ッ カ州 全 体 の 人 口の 中 で は、 あ わ せ て3%に も満 た な い 。 彼 らは 主 に コ リヤ ー ク 自治 管 区、

ブ ィス ト リンス キ ー 地 区、 ア レ ウ ツ キー 地 区 に住 ん で い る。

  こ こ で 帝 制 ロ シ ア に よ る極 東 の 植 民 地 化 が 開始 さ れ て か ら、 現 在 ま で の カ ム チ ャ ッ カ の歴 史 を 国 家 との 関係 か ら概 述 して お き た い 。

  ロ シ ア 帝 国 は 、 ク ロ テ ンな ど毛 皮 の 獲 得 と不 凍 港 の確 保 を求 め て、 シ ベ リア へ と進 出 を開 始 した 。 そ して1632年 に は 、 ヤ クー ツ ク が東 方 進 出 の 基 地 と して 開設 さ れ た 。   コ リヤ ー ク の 人 た ち は、1649年 こ ろか ら ロ シ ア と接 触 しは じめ て い る 。1650年 代 に は 、 コサ ック 兵 が カ ムチ ャ ヅカ 半 島 西 北 部 の ペ ン ジ ナ湾 の コ リヤ ー ク か ら毛 皮 税 を 取 り立 て た 。 さ らに コサッ ク 兵 は コ リヤ ー ク を軍 事 征 服 しな が ら、 同半 島 の 西側 を 南 下 し、1690年 代 に は 現 在 のパ ラ ナ や チ ギ ル まで 進 出 して い る。

  1697年 か ら1699年 に か け て の ア トラー ソ フの カ ム チ ャ ッカ 遠 征 に よ って 、 コ リヤ ー

クの 居 住 区域 を ふ くむ カ ム チ ャ ヅカ 半 島 が ロ シ ア帝 国 の領 土 に加 え られ た。

(5)

人 文 論 究  第64号

  1760年 代 に は、多 くの コ リヤ ー ク が 抵 抗 を や め 、毛 皮 税(ヤ サ ー ク)を 納 め 始 め た。

ロ シ ア帝 国 は先 住 民 の ロ シア 正 教 化 を は か り、1897年 の 統 計 に よ る と、 当時 の コ リヤ ー クの 総 人 口7530人 の うち3387人(45%)が キ リス ト教 徒 に な って い た 。

  19世 紀 の 末 に な る と、 カ ム チ ャ ッカ半 島 や チ ュ ク チ 半 島 の 近 くに は 、 ア メ リカ の 捕 鯨 船 が 出 現 した 。19世 紀 末 か ら20世 紀 の初 頭 に か け て 、 コ リヤ ー ク の 貧 困 、 生 活 環 境 の 悪 化 、 役 人 や 商 人 の搾 取 、 伝 染 病 の頻 発 に よ っ て、 人 口が 激 減 した 。 この 地 域 を旅 行 した 者 に よ る と、 コ リヤ ー ク をは じめ と す る先 住 民 は 消 滅 の 危 機 に 直 面 して い た と い う。 この 事 態 は 、1917年 に起 こ っ た ロ シ ア革 命 に よ る ロシ ア 帝 国 の崩 壊 に よ って 、 変化 が み られ た 。

  1920年 代 以 降 、 シベ リア全 域 が ソ連 に よ って 新 体 制 の も とに 統 合 され る と、 そ れ以 前 と比 べ る と、 コ リヤ ー ク ら先住 民 は相 対 的 な 物 質 的 な 安定 と社 会 的 平 等 を え た。19 24年 に は、 北 方 の 諸 民 族 を助 け るた め の 「北 方 委 員 会 」 が設 立 され た 。 さ らに1930年 に は、 カ ム チ ャ ヅカ 民 族 区 が 創 設 さ れ た 。

  1930年 代 の ス タ ー リンの 体 制 下 、 民族 区 の形 成 が 進 め られ、 北 方 の 経 済 体 制 の 再 編 が 行 な わ れ た 。 そ の 後 、 定 住 化 の奨 励 、 生 産 活 動 の 集 団 化 、 教 育 の 普 及 や 北 方 居 住 者 に対 す る教 育 、 医療 や 収 入 の 特 典 の付 与 な どが 実施 され た 。 こ の 政 策 は 、 表 向 きの う た い文 句 は何 で あ れ 、 先住 民 の ソ連 化 に他 な らな か った 。 多 くの ロシ ア 人 が シベ リア 地 域 に入 植 し1950年 代 末 に は 、 総 人 口 の60%以 上 を 占め る に い た った 。

  行 政 上 、 カ ムチ ャ ッカ 民族 区 は1956年 に ソ連 の ロシ ア 共 和 国 の 直轄 に な った 。1980.

年 代 後 半 の ペ レス トロ イ カ に よ る ソ連 の 崩 壊 に よ っ て カ ム チ ャ ヅカ 半 島 も 大 き く変 っ た 。 これ まで 対 米 の軍 事 的 な 最 前 線 で あ っ た 同半 島 で は、 外 国 人 に は 閉 じ られ た 世 界 で あ った が 、 そ れ も1992年 に は 開 放 され た 。 経 済 の 自由化 や ロ シ ア新 政 府 の経 済 的 支 援 が 弱 い た め に、 先 住 民 を は じめ カ ムチ ャ ヅカ の 住 人 は、 経 済 的 な混 乱 の な か で 暗 中 模 索 の状 態 にあ る と 言 え る 。

2‑2.エ ヴ ェ ン民 族 に つ い て

  エ ヴ ェ ン民族 は 、 ヤ クー ト共和 国 あ た りか ら以 東 にか け て の 広 大 な シベ リア、 極 東 地 域 に分 布 す る ツ ン グー ス 語 を 話 す 民族 で あ る。 エ ヴ ェ ン の 故 地 は 、 満 州 か モ ン ゴル の北 方 とす る説 が 有 力 で あ る 。彼 らの祖 先 の 一 部 は 、 ヤ クー ツ クや オ ホ ー ツ ク の方 に 移 動 して い った ら しい 。

  カ ムチ ャ ヅカ 半 島 には も と も と エ ヴ ェ ンは住 ん で お ら ず、ロ シ ア 人 が 入 って きた 後 、 19世 紀 半 ば こ ろ ま で に や って き た ら しい 。 古 い探 検 家 の 記 録 に 、 カ ム チ ャ ッカ半 島 で エ ヴ ェ ン に 出会 っ た こ とが 残 っ て い な い 。 ドイ ヅ人 の 旅 行 者 カ ー ル ・デ ィ トマ ー の18 48年 の 日誌 に 同半 島 の エ ヴ ェ ン の こ とが初 め て 出 て くるの で あ る。 か れ らは も と も と

(漁撈 も行 な う)狩 猟 採 集 民 で あ った が 、移 動 の 途 上 で トナ カ イ 牧 畜 の 技 術 を習 得 し、

小 さな グル ー プ に分 散 して 、 各 地 に適 応 して き た 。 コ リヤ ー ク や チ ュ ク チ は 、 トナ カ

       

(6)

イ に ソ リを ひ か せ るが 、 エ ヴ ェ ンは 野 生 の トナ カ イ を捕 らえ 、 そ れ に乗 って い た とい う違 い がみ られ た 。

  現 在 、 カ ム チ ャ ッカ 半 島 に は、 約2000名 の エ ヴ ェ ン が い る。 そ の 半 数 が、 エ ッソ や ア ナ ヴ ガ イ が あ る ビ ィス ト リ ンス キ ー 地 区 に住 み 、 残 りの 半 数 は ア ヤ ンカ な ど よ り北 方 の ペ ン ジ ン ス キ ー 地 区 に 住 ん で い る。彼 らは お も に トナ カ イ 牧 畜 の仕 事 に従 事 して い る。

2‑3.コ リヤ ー ク 民族 に つ いて

  コ リヤ ー ク民 族 と は、 カ ム チ ャ ヅカ半 島 の つ け根 あ た りか ら半 島 中南 部 あ た りまで の 地 域 で 生 活 を営 ん で きた 先 住 民 族 で あ る。 コ リヤ ー クは 生 活 領 域 と生 業 の 違 い に よ って 、 内 陸 で 遊 牧 生 活 を お くる トナ カ イ牧 畜 民 で あ る トナ カ イ ・コ リヤ ー ク と海 岸 部 で 海 獣 狩 猟 や漁撈 を 主生 業 とす る海 岸 コ リヤ ー ク の2つ の グ ル ー プ に大 別 す る こ とが で き る。 両 者 の 間 に は定 住 度 や 生 活 様 式 の う え で か な りの 差 異 が み られ た が 、 交 易 関 係 や親 族 関 係 が 存 在 してお り、 トナ カ イ を失 っ た 人 が 海 岸 部 へ 出 て 海 獣 狩 猟 や漁撈 に 従 事 した こ と もあ れ ば 、 トナ カ イ の 数 が 増 え た た め に 海 岸 か ら内 陸 部 へ と移 動 した 人

が い た こ とを 指 摘 して お き た い 。

  コ リヤ ー ク の 人 々 は 、 主 に コ リヤ ー ク 自治 管 区 の な か の 村 や 町 を 中 心 に す み 、 内 陸 部 の ス ラ ウ トノ ィエ 村 な ど で は トナ カ イ 牧 畜 を、 海 岸 部 の レ ス ナ ヤ村 な どで は漁撈 や 狩 猟 を 主 な 仕 事 と して い る 。現 在 、 カ ム チ ャ ッカ半 島 に は7000名 あ ま りの コ リヤ ー ク

が い る 。

3.調 査 地 エ ッ ソ地 区 の 歴 史 と現 状

  こ こ で は、 調 査 地 とな っ た エ ッソ とア ナ ヴ ガ イ につ い て の 現 況 を のべ る と と も に、

2名 の エ ヴ ェ ン人 の 女 性 の ラ イ フ ヒス ト リー を紹 介 す る 。 この ラ イ フ ヒス トリー に よ って 、 い か に 旧体 制 下 で 、 先 住 民 が 抑圧 さ れ 、 文 化 や 言語 を 失 って き た か が 明 らか に な る だ ろ う 。私 が 、 調 査 を実 施 した1996年 末 に は 、 先 住 民 独 自の 文 化 は老 人 た ち の知 識 や 記 憶 と して存 在 した が 、そ の ほ とん どが 現 時 点 で は 、実 践 さ れ て い な い の で あ る 。   ま た、 旧 ソ連 の 民族 籍 制 度 で は、 個 人 が 満16歳 に な る と両親 の い ずれ か の民 族 籍 を

自分 の 民 族 籍 と す る こ とに な る。 統 計 に 出 て く る数 は 、 パ ス ポ ー トに記 載 され て い る

民族 名 の 人 数 で あ り、 特 定 の 民 族 の 文化 や 言語 の 保 持 者 の 数 とは 同 じで は な い。 こ こ

で は 論 じな い が、 ソ 連 時 代 の 政 策 や数 世代 に わ た る異 民 族 間通 婚 の 結 果 、 現 在 の ロ シ

ア にお いて は、 特 定 の 民族 と生 活 様 式 は 必 ず しも 対 応 して い な い こ と を指 摘 して お き

た い 。

(7)

人 文 論 究  第64号

(出 典)北 海 道 新 聞情 報 研 究 所 編   1996『 最 近 カ ム チ ャッ カ の 旅   全 ガ イ ド』

      北 海 道 新 聞 よ り

(8)

3‑1.調 査地 エ ッ ソ と ア ナ ヴガ イ につ い て

  調 査 地 の エ ッ ソ と ア ナ ヴ ガ イ は 、 カ ムチ ャ ッカ半 島 の 中 央 部 の 内 陸部 に あ る町 と村 で あ る 。 そ れ らは 行政 的 には 、 ビ ィス ト リンス キー 地 区 に属 し、 エッ ソ は 同 地 区 の 行 政 の 中 心地 で あ る。 エ ッ ソ は、 ペ トロパ ブ ロ フ ス ク カ ム チ ャ ヅ キー か ら北 西 方 向 に 約 600キ ロ メ ー トル 内 陸 に入 っ た と こ ろ に あ る。 火 山 に 囲 ま れ 、 温 泉 が あ り、 こ れ を 利 用 して 暖 房 が行 な わ れ て い る。 ア ナ ヴガ イ の 村 は エッ ソ か ら約20キ ロ メー トル 離 れ た 所 に あ る 。

  エッ ソ が あ る所 に は 、 も と も と人 は 住 ん で い な か っ た 。1926年 に数 世 帯 の エ ヴェ ン が い たが 、 町 の 建 設 が は じ ま た の は1932年 の こ とで あ っ た 。 エ ッ ソの 産 業 の 中 心 は、

トナ カ イ牧 畜 や 狩 猟 で あ った 。 現 在 で は 、 金 鉱 の 開 発 が 期 待 さ れ て い る。1996年1月 1日 の 時 点 で 、エ ッ ソ の総 人 口 は2116名 で あ る 。そ の う ち 先住 民 人 口は540名 で あ る。

そ の 内 訳 は 、 エ ヴ ェ ン481名(男 性217名 、 女 性264名)、 コ リヤ ー ク34名(男20名 、 女 性14名)、 イ テ ル メ ン17名(男 性8名 、 女性9名)、 チ ュ クチ2名(男 性1名 、 女   i名)、

ア リュ ー ト6名(男 性3名 、 女 性3名)で あ る。 こ の村 の4分 の3弱 は ロシ ア 人 で あ る が 、 残 りは 、 エ ヴ ェ ン とコ リヤ ー ク で あ る 。 また 、 村 の 家 族 統 計 に よ る と、 同村 の20 6家 族 が先 住 民 家族 で あ る と い う。 エ ヴ ェ ンの 家 族 が119家 族 、 エ ヴ ェ ン と それ 以 外 の 家族 が48家 族 、 コ リヤ ー ク の 家族 が9家 族 、 コ リヤ ー ク と ロ シ ア 人 の 家族 が3家 族 、 コ リヤ ー ク とエ ヴ ェ ン の 家族 が2家 族 、 イ テ ル メ ン系 の 家 族 が12家 族 、 ア リュー ト系 の 家 族 が2家 族 、 チ ュ ク チ の 家族 が1家 族(た だ し一 人 家 族)、 チ ュ ク チ とエ ヴ ェ ン の 家族 が1家 族 、 カ ムチ ャ ダ ー ル の 家 族 が9家 族 、 そ の 他1家 族 で あ った 。 先 住 民 の 家族 の構 成 員 数 の 平 均 は4名 で 、両親 と 同居 して い る場 合 は6か ら9名 で あ る とい う。

  ア ナ ヴガ イ の 産 業 は 、 トナ カ イ 牧 畜 で あ る 。1996年1月1日 の時 点 で 、村 の 総 人 口 は621名 で あ り、 そ の う ちの69.7%に あ た る433名 が 先住 民 で あ る 。 そ の 内 訳 は 、 エ ヴ ェ ン332名(男 性156名 、 女 性176名 〉 、 コ リヤ ー ク101名(男 性50名 、 女 性51名)で あ る 。こ の村 で は、60歳 以 上 の 先 住 民 の 男性 が ほ とん ど い な い 。コ リヤ ー ク で は0名 で 、 エ ヴ ェ ンで は2名 に 過 ぎな い 。 ツ ン ドラ上 で の トナ カ イ 牧 畜 の よ うな 重労 働 に 従 事 し て い る こ と、 事 故 死 が 多 い こ とや ア ル コー ル 中毒 な どが原 因 で 男 性 は全 体 的 に短 命 で

あ る よ うだ 。

  エ ッソ で も ア ナ ヴガ イ で も行 政 や コル ホ ー ズ の仕 事 を して い る の は、 ロシ ア 人 が 多 く、 村 の外 で トナ カ イ 牧 畜 を行 な って い るの が先 住 民 で あ るコ リヤ ー クや エ ヴ ェ ンの 人 々 で あ る 。 ソ連 政 府 の 崩 壊 に と もな い 、 コル ホ ー ズ の 民 営 化 、 年 金 や 給 料 が物 価 の 上 昇 率 に 比 して は 伸 び て い な い こ とな どか ら、 先 住 民 の 人 々 は 生 活 に 困 っ て い る。

3‑2.エ ヴ ェ ンの ラ イフ ヒ ス トリ ー

  こ こで は、2名 の 女 性 の ラ イ フ ヒス ト リー を紹 介 す る 。 この ラ イ フ ヒス トリー を提

示 す る理 由 は、 ソ 連政 府 の 体 制 下 で エ ヴ ェ ンの 文 化 や 言語 の 維 持 が い か に難 しか っ た

(9)

人 文 論 究   第64号

か を 示 す た め で あ る 。

(1)1939年 生 ま れ の エ ヴ ェ ン の 女 性 の ラ イ フ ヒ ス ト リー

  両 親 と も エ ヴ ェ ン で あ るAさ ん は 、 ビ ィ ス ト リ ン ス キ ー 地 区 の 西 海 岸 に あ っ た エ ヴ ェ ン の 村 ツ ヴ ァ ヤ ン(Tvayan)で 生 ま れ た 。 そ の 村 の 学 校 に4年 間 か よ っ た 後 に 、 馬 に 乗 せ ら れ て エ ッ ソ の 寄 宿 学 校 に 送 ら れ た 。 当 時 、 彼 女 は11、12歳 く ら い で あ っ た 。 エ ッ ソ の 学 校 に は7年 余 り か よ っ た 。 毎 年 、 春 休 み の 時 に 、 ヅ ヴ ァ ヤ ン の 両 親 の 所 に 帰 っ た 。

  ヅ ヴ ァ ヤ ン に い た 父 は トナ カ イ に よ っ て ケ ガ を し、母 は ジ ャ ガ イ モ を 栽 培 し て い た 。 Aさ ん の 兄 は 、 両 親 をエッソ か ら350キ ロ メ ー トル ば か り離 れ た ロ ー チ ャ ン(Lauchan) に 連 れ て 行 っ た 。 彼 女 は 、 学 校 を 卒 業 し た 後 、 両 親 の い る ロ ー チ ャ ン へ 移 り住 ん だ 。   そ の ロ ー チ ャ ン で 彼 女 は 、1950年 に 村 議 会 の 書 記 に 選 出 さ れ た 。 当 時 の 村 で は 、 建 物 が 建 設 中 で 、 畑 を つ く り、馬 を 利 用 し、木 材 を 取 っ て い た 。 しか し 小 麦 粉 が 少 な く、

パ ン は 不 足 し て い た 。

  1955年 頃 に 、3人 の ロ シ ア 人 が ロ ー チ ャ ン に 送 り込 ま れ て き た 。 集 団 農 場 の 合 併 、 集 約 化 が は じ ま り、1960年3月 に ロ ー チ ャ ン と ツ ヴ ァ ヤ ン が 合 併 す る こ と と な っ た 。 こ れ を 契 機 に ロ ー チ ャ ン の 人 口 は 減 少 し は じ め た 。 そ れ ま で 彼 女 は 、 休 日 な し に 働 き 通 して い た 。 こ の 合 併 の 時 に 、 彼 女 は4年 間 の 休 暇 を も ら っ た 。

  1960年 に ロ ー チ ャ ン で 村 ソ ビ エ トの 長 で あ っ た エ ヴ ェ ン 人 の 男 性 と 結 婚 し た 。一 時 、 ヅ ヴ ァ ヤ ン に 移 り住 ん だ が 、 こ の 頃 に 彼 女 の 夫 は エ ッ ソ に 移 っ た 。

  夫 の 父 親(エ ヴ ェ ン)は 、 ア リ ュ ー トル ス キ ー 地 区 の ハ イ リ ノ(Khailino)に 住 ん で い た の で 、 夫 婦 は1962年 ツ ヴ ァ ヤ ン を 離 れ 、 ハ イ リ ノ に 移 り住 ん だ 。 夫 の 父 は 、 夫 が ハ イ リ ノ を 離 れ る こ と を 嫌 が っ た の で 、 結 局 、 夫 婦 は そ こ で32年 間 を 過 ご す こ と と な っ た 。 彼 女 自 身 は 、 コ リ ヤ ー ク 語 や チ ュ ク チ 語 が わ ら ず 、 苦 労 し た 。

  ハ イ リ ノ で も 人 々 はAさ ん が ロ ー チ ェ ン で 村 ソ ビ エ トの 書 記 を や っ て い た こ と を 知 っ て い た の で 、 そ こ で も 村 ソ ビ エ トの 書 記 に 選 ば れ た 。 彼 女 は1976年 ま で そ の 地 位 に あ っ た 。 彼 女 の 夫 は 、 文 化 部(cultural  byrgade)の 職 員(ソ ビ エ ト共 産 党 の 宣 伝 を す る 仕 事)と し て 情 報 伝 達 や 教 育 の 仕 事 に 携 わ っ た 。

  エ ッ ソ 地 域 は 、Aさ ん に と っ て は 故 郷 で あ っ た か ら、 ハ イ リ ノ に い る 間 、 彼 女 は い つ も 故 郷 を な つ か しみ 、 帰 りた い と 願 っ て い た 。1993年 に 、 夫 婦 でエッソ に 帰 っ て き た 。 彼 女 ら 夫 婦 の 娘2人 は い ま で も ハ イ リ ノ に お り、 毎 週 土 曜 日 に 電 話 を か け て 連 絡 を と りあ っ て い る 。

  Aさ ん 夫 婦 は 、 年 金 に た よ り な が らエッソ の ア パ ー トで 暮 し て い る 。Aさ ん は 日 常 生 活 で は お も に ロ シ ア 語 を 話 し 、 エ ヴ ェ ン 語 を 長 い 間 使 っ て い な い 。 彼 女 ら 夫 婦 は 、 ソ ビ エ ト共 産 党 員 と し て い き て き て お り、 エ ヴ ェ ン の 宗 教 や 社 会 慣 習 を 実 践 し て こ な か っ た 。

(2)1932年 生 ま れ の エ ヴ ェ ン の 女 性 の ラ イ フ ヒ ス ト リ ー

(10)

  Bさ ん は 、1932年 に ロー チ ャ ン の 近 くの ツ ン ドラ で生 ま れ た 。 彼 女 の両 親 は 、 西 海 岸 の近 くが 主 な 活 動 領 域 で 、 トナ カ イ の 大 き な群 を所 有 して い た 。 彼 女 の 父 親 は トナ カ イ の群 の 世 話 を よ く して い た 。親 族 と と も に 山脈 に沿 っ て特 定 の ル ー トを た ど って トナ カ イ牧 畜 を 行 な って い た 。 父 の 方 の 親 族 は漁撈 場 にお り、 母 の 兄 弟 は トナ カ イ牧 畜 を行 な って い た 。 この た め に、 両 親 の グル ー プ は時 々、 住 む所 を 替 えて い た 。

    /戸

  と こ ろ が彼 女 が4、5歳 の 頃 、 ソ連 の 介 入 が は じま り、 近 辺 の す べ て の エ ヴ ェ ンの人 々 は ロー チ ェ ンの村 に集 め られ た 。 ロシ ア 人 が や って きて 、 キ ャ ンプ の 大 人 を テ ン ト に 集 め、 長 い 間、 議 論 して い た の を彼 女 は 覚 えて い る。

  そ れ か ら、 父 の トナ カ イ の群 が 徐 々 に彼 らの まわ りか ら い な くな っ た が 、 そ の時 は 悲 しか っ た 。 そ して彼 女 らは ロー チ ェ ンに 住 む こ と にな っ た が、 い つ も 食 料 不 足 で 飢 え に な や ま され る こ と とな った 。 両 親 は 当 時 、 ロー チ ェ ン と ヅ ヴ ァ ヤ ン との 間 にあ る コ ンモ ー フ と い う場 所(漁撈 場)に 移 り住 ん だ 。 父 は 魚 を と っ た り、 冬 に は テ ン、 キ ヅ ネ 、 カ ワ ウ ソ、 クズ リな どを狩 猟 して い た 。

  1941年 に彼 女 は 学 校 に入 学 す るた め に ツ ヴ ァヤ ンに 送 られ た 。 そ して 両 親 も ツ ヴ ァ ヤ ンに 移 り住 まわ され た。Bさ ん の 両 親 は、 集 団 農 場 で 働 い た 。 母 は ジ ャ ガ イ モ を作 り、 秋 に は 干 し草 を作 る仕 事 を した 。 父 は夏 に は 牛 を牧 畜 し、 冬 には 狩 猟 を 行 な って い た 。 トナ カ イ は す べ て 集 団農 場 の もの と な り、 彼 女 の 父 は トナ カ イ牧 畜 に 携 わ る こ と は な か っ た 。 ツ ヴ ァヤ ンで の 生 活 は 食 べ 物 が な く、 か な り苦 しい も の で あ った 。B さ ん は学 校 が 終 わ る と、 両 親 を手 伝 って ジ ャ ガ イ モ を取 っ た りした 。 当時 、 ソ 連 は 魚 を取 る こ とを禁 じて お り、 エ ヴ ェ ンの 人 々 は 集 団農 場 の仕 事 の み をす る よ う に 強 要 さ れ て い た 。

  1955年 に彼 女 は 、 結 婚 した 。 そ の相 手 とは そ の後 、 別 れ た 。

  1964年 に は、 ツ ヴ ァヤ ンか ら馬 で 行 け ば 数 日か か る東 海 岸 に あ る ビ ィ ス トラ ヤ村(B ystraya)に 強 制 移 動 さ せ られ た 。この 村 は 、木 材 を切 り出 す所 で あ っ た 。こ の 時 には 、 彼 女 に娘 が一 人 い た 。彼 女 の 父 は61歳 で1960年 に、 母 は1950年 に死 で お り、 彼 女 は故 郷 に 帰 りた くて し ょ うが な か った 。

  ビ ィス トラヤ 村 で の彼 女 らの 生 活 は きび し く、 家 屋 の 状 態 も悪 く、 寒 か っ た 。村 に は トラ ク ター は1台 しか な く、 木 を伐 採 した 後 は 、 木 の 根 っ こ か らオ ノ を使 っ て切 り 取 らな けれ ば な らな か っ た 。 そ の 後 、 村 で は ジ ャ ガ イモ や キ ャ ベ ヅ を 栽 培 す る よ う に な っ た 。 ジ ャガ イ モ は 主食 と し、 キ ャベツ は 塩 づ け に して 冬 に食 べ た 。 また 、 村 か ら 5キ ロ メー トル ほ ど離 れ た所 の 川 で 魚 が とれ た の で 、 日曜 日、 休 日 や 雨 で 草 を干 す こ と が で きな い 時 には 魚 を取 りに 行 き、 塩 づ け に した 。 しか し魚 を取 りに い く時 間は あ ま りな か った 。 木 材 を あつ め燃 料 と した 。 こ の 時 期 には 、 トナ カ イ の 肉 を 食 べ る こ と は な か った 。

  1966年 か1967年 頃 にス トラ イ キ が ビ ィ ス トラ ヤ村 で起 こ った 。 農 業 だ け を 行 な う集

団農 場 で は 不 十 分 で 、 農 業 、 狩 猟 や 漁 業 を組 合 わ せ る国 営 農 場 に参 加 す るか 、 新 しい

(11)

人 文 論 究  第64号

組 織 をつ くる こ とを エ ヴ ェ ンの 人 々 が 望 ん で い た か らで あ っ た。

  当 時 、 村 の助 役 に あ た る 女性 が 辞 職 し、Bさ ん が そ の 地 位 につ い た 。彼 女 は 一 生 懸 命 に仕 事 を し、 眠 る こ とが で きな い 夜 もあ っ た 。彼 女 は 、 ペ トロパ ブ ロ フ ス ク カ ムチ

ャ ツキ ー や エ ッソ に あ る 上部 機 関 に 手 紙 を書 き、 村 の惨 状 を訴 え続 け た 。

  ビ ィス トラヤ 村 の 人 々 が魚 や 肉 な しで は 生 きて い け な い とい う理 由 で、 ツ ヴ ァヤ ン 村 に移 り住 み 始 め た頃 に、 上 部 機 関 の 方 で ビ ィス トラヤ村 の 問 題 を認 識 し、 集 団 農 場 を 国営 農 場 へ と組 織 替 え す る こ とを 承 認 した 。そ の 結 果 、給料 や 労 働 条 件 が よ くな り、

人 々 の 生 活 が 改 善 さ れ た。

  Bさ ん は 、 政 府 か らエッソ に移 り住 ん で も よ い とい う許 可 書 を も ら っ た 。彼 女 は そ れ を も ってエッソ に は いか ず、 娘 を つ れ て ペ トロパ ブ ロ フ ス ク 市郊 外 のRazdolny市 に 移 り住 ん だ 。 そ こで 仕 事 を探 した が 、 転 居 先 を書 い た 書類 の 関係 上 、 な か な か 仕 事 を 見 つ け 出 す こ とが で きな か っ た 。 しか し、 あ る集 団農 場 で搾 乳 の 仕 事 を見 つ け た 。 最 初 は 手 で搾 乳 をお こな って い た が、 機 械 を使 うや り方 を女 性 の 同僚 が 教 えて くれ た 。 ア パ ー トに住 み 、 給 料 も よか っ た の で 、 良 い 生 活 を送 る こ とが で きた 。1966年 か ら19 75年 ま で彼 女 は 娘 と都 市 郊 外 で 生 活 を した の で あ っ た。

  1975年 に彼 女 は 娘 や 内 縁 の 夫(2人 目)とエッソ に移 り住 ん だ 。特 別 な 理 由 は な か った が 、 そ こ に姉 が 住 ん で い た し、 ロ シ ア 人 ば か りの生 活 の 中 で、 仲 間 の エ ヴ ェ ンの 人 々 を な つ か し く思 った か らで あ っ た 。 彼 女 はエッソ で 牛 や 子 牛 の番 を す る仕 事 に つ い て い た が、 内縁 の 夫 が 酒 を飲 み 始 め た の で 、 いや に な っ て仕 事 を か え た。 集 団農 場 の 会 計 係 が そ の仕 事 で あ った 。1985年 に 引 退 した が 、 そ の後5年 間 は働 き続 け た 。   ソ連 が 崩 壊 し、 新 制 ロ シア へ と変 っ た 。 自 由 には な っ た が、 物 価 が 高 くな り、 生 活 が 大 変 苦 し くな って し ま った 。彼 女 は 、現 在 、月 額40万 ルー ブ ル の 年 金 を う け て い る。

義 理 の 息 子 は 、 身体 障 害 者 で 月額23万2千 ル ー ブル の 生 活 補 助 金 を も ら っ て い る 。 家 族 み ん な で 収 入 を分 け あ い、 家 の 電 気 代 、 水 道 代 や 家 賃 を支 払 っ て い る 。

  Bさ ん や そ の娘 は ロシ ア 人 の 中で の生 活 が 長 か っ たの で エ ヴ ェ ンの 言 葉 や 生 活 慣 習 を 忘 れ て しま っ て い る。

3‑3.民 族 文 化 お よ び言 語 の 危 機

  エ ッ ソで 、 エ ヴ ェ ンの古 老 の 女性 に聞 き取 り調 査 を行 な っ た第 一 印象 は、 エ ヴ ェ ン

語 、 民 族 暦 な ど エ ヴ ェ ン文 化 が あ ま り残 っ て い な い とい う もの で あ っ た 。彼 女 らは 、

日 常 生 活 で ロ シ ア語 を話 して い る う え に、 エ ヴ ェ ンの 「伝 統 的 な 」 生 活 を送 って いな

い よ うで あ っ た 。 さ らに、 国 立 民 族 学 博 物 館 の 言 語 デ ー タ ベ ー ス 用 に持 ち帰 っ たエ ヴ

ェ ン 語 の テ ー プ を 聞 い た庄 司博 史 氏 に よ る と、 エ ヴ ェ ン語 の 話 しの 語 順 が ロ シ ア語 の

よ うに な って お り、ロ シ ア語 化 して い る と 言 う。この 民 族 文 化 と言 語 の危 機 的 状 況 は 、

老 人 た ち か ら ラ イ フ ヒス トリー を 聞 くう ち に そ の 理 由が 明 らか にな って きた 。

  特 に 、Bさ ん の 両 親 や 彼 女 自身 の 若 い 時 の体 験 を聞 くと、 政 府 に よ っ て生 業 活 動 ま

(12)

で が強 制 的 に変 え られ 、森 林 伐 採 、 ジ ャ ガ イ モ 栽 培 、 干 し草 つ く りや 牛 の 飼 育 な ど、

トナ カ イ 牧 畜 や 狩 猟漁撈 とは ま った く違 っ た 労 働 に従 事 せ ざ る を え な か っ た こ とが 判 明 した 。 さ らに1930年 代 よ り学校 教 育 が 行 な わ れ 、 ロ シ ア語 化 が 進 ん で い た こ とが わ か っ た 。

 エッソ には 、 い ま だ にエ ヴ ェ ン語 しか 理 解 で きな い古 老 も い る 。 一 方 、 小学 校 で は エ ヴ ェ ン語 の ク ラ ス が開 設 さ れ て い る もの の、 子 供 た ちは 日常 生 活 で は ロ シ ア語 を使 用 して い る。 以 下 の 報 告は 、1996年 に お け るエッソ で の 先 住 民 か らの 聞 き取 り調 査 の 結 果 で あ る。 彼 らの 生 活 や 言葉 は 急 激 に 変 っ て きた が 、 古 老 は い ま だ に か つ て の民 族 文 化 や 生 活 につ いて の知 識 を も っ て い る。 消 え去 る前 にそ れ ら を記 録 に 書 き と どめ る こ と は、 我 々 民 族 学 者 の重 要 な仕 事 で あ る と私 は 考 え る。

4.エ ッ ソ とア ナ ヴ ガ イの コ リヤ ー ク の 文 化 と社 会

  こ こで は、 エ ッ ソ と アナ ヴガ イ の コ リヤ ー クの 人 か ら聞 き取 り調 査 で 収 集 した情 報 を項 目 ご とに整 理 して 提 示 す る。

4‑1.コ リヤ ー クの 生 業(ア ザ ラ シ猟 ほ か)

  こ の 地 方 の コ リヤ ー クの 人 々 の 主 な生 業 は 、 トナ カ イ牧 畜 で あ るが 、 ア ザ ラ シ猟 と ク マ 猟 につ い て の情 報 をえ た(K‑4)。

  ア ザ ラ シ の皮 は、 ブー ツの 靴 底 や トナ カ イ 用 の 投 げ縄 を作 るの に必 要 で あ る。 ア ザ ラ シ の 狩 猟 期 は、5月 か6月 の 初 旬 の み で 、 回 転 式離頭銛 で と る。 こ の猟 に は 、 親 子 や祖 父 が 行 って い た 。

  ワ モ ンア ザ ラ シ(コ リヤ ー ク語 でmemmel)は 、 早 朝 、 潮 が海 岸 の 方 に近 づ く と、 海 岸 の近 くで 魚 を とる習 性 が あ る。 そ の 狩 猟 方 法 は 次 の よ うで あ る。 コ リヤ ー ク は 海 岸 に 小 さ な 小 屋 を作 り、 ハ ンタニ は そ こ に隠 れ て ア ザ ラ シ を待 つ 。水 面 にア ザ ラ シ の 頭 が で る と、 飛 出 しそ れ に め が け て銛 を投 げ る 。銛 を投 げ る距 離 は 、7か ら8メ ー トル で あ る 。 も し銛が アザ ラ シ に命 中 す れ ば 、5分 くらい で 死 ぬ 。 そ れ か ら銛 頭 に 結 び つ け られ た紐 を た ぐ りよ せ、 ア ザ ラ シ を捕 獲 した 。

  ア ザ ラ シが 取 れ る と、 ひ れ や尾 を切 り取 り、 海 岸 で 肉 を5時 間 あ ま りか け て 煮 た と い う 。腸 は 裏 返 して 、海 水 で洗 い 、乾 燥 させ た 。ア ザ ラ シ の脂 身 は 、小 さ な 片 に切 り、

海 水 で 煮 た 。 それ を ア ザ ラ シ の 胃 を利 用 して作 った 袋 に入 れ 保 存 した 。 冬 に 干 し魚 に この 脂 身 を つ け て 食 べ た。

  ク マ を 、4、5月 か、9月 か らそ れ が 冬 眠 す る まで の 期 間 に狩 猟 した1。ク マ の 背 中

の 皮 は 固 い が 、 腹 部 の皮 は 薄 くて 柔 らか い 。 この 腹 部 の 皮 を渦 巻 き状 に切 り取 り、 細

長 い紐 が作 られ た 。 昔 は釘 を 一切 使 用 しな か った の で 、 この 紐 は 犬 ゾ リを組 み 立 て る

た め の 紐 と して 利 用 され た 。 ま た、 クマ の 脂 身 は 、 サ ケ の 魚 粉 に混 ぜ て 食 さ れ た 。

(13)

人 文 論 究  第64号

4‑2.コ リヤ ー ク の狩 猟 儀 礼

  トナ カ イ ・コ リヤ ー クの 狩 猟 儀 礼 につ い て 、 聞 き取 り調査 か ら次 の よ うな 情 報 をえ た(K‑4)。 今 回 の 聞 き取 りで 興 味 深 か っ た の は 、 クマ 儀 礼 に つ い てK‑4は 知 らな い と答 え た 一 方 で 、 オ オ カ ミ儀 礼 、 ク ズ リ儀 礼 や オ オ ツ ノ ヒツ ジ儀 礼 につ い て は 実 践 し て い た こ とで あ る。

  オ オ カ ミは 、 「す べ て の 季 節 の 動 物 」 で あ る と考 え られ 、 コ リヤ ー ク 語 で ガ イ ギ ニ ュ チ ャ ン(gaignjuchan)と 言 う。 オ オ カ ミを殺 す と、 毛 皮 を は が し、 死 体 を 土 中 に 埋 め る 。 小 さ な 火 をた き、 そ れ に食 べ 物 や タ バ コ を投 入 れ 、 食 べ さ せ る。 そ して オ オ カ ミに 幽 霊 の 人 々(死 者)の 所 へ 行 くよ う に と祈 る。 ま た 、 「 オ オ カ ミよ 、 トナ カ イ の 邪 魔 を す るな!野 生 の トナ カ イが お 前 た ちの 食 べ 物 で あ る 。 そ れ ら を捕 ま え る た め に 早 い 足 を持 て!」 と祈 る 。

  ク ズ リ(wolverine)儀 礼 が 存 在 す る。 ク ズ リは、 そ の 背 中 に 白い 輪 状 の 模 様 がつ い て い る 。 そ れ は ドラ ム で あ り、 クズ リは時 々 、 そ れ を取 って は 叩 く とい う。 そ う す る と大 雪 な ど 悪 天候 とな る とい う言 伝 え が あ る。 クズ リを殺 す と、 毛皮 を は ぎ取 り、 そ の 死 体 を ヤ ナ ギ の枝 で作 っ た 台 の 上 に、 太 陽 が 昇 る方 に向 け て 置 い た 。 両 耳 に切 れ 目 を い れ て 、 ス トロ ー(藁 の よ うな 植 物)を つ け た 。

  オ オ ツ ノ ヒツ ジ の狩 猟 儀 礼 と して 、 次 の よ うな こ とが 行 な わ れ て い た 。 オ オ ツ ノ ヒ ヅ ジ を取 る と、 頭 頂 部 の頭 骨 を皿 状 に切 り取 り、 逆 さ まに す る。 それ へ 血 、 レバ ー や 他 の 内 蔵 の 小 片 を入 れ、 「 我 々 を怒 らな い で くれ 」 と、 山 に捧 げ て 祈 る。 そ の 皿 は 木

に 引 っ掛 け られ る か、 地 面 の 上 に 置 か れ た 。

4‑3.コ リヤ ー ク の 祭 り(冬 、 春 、 秋 、 トナ カ イ 出 産)

  トナ カ イ ・コ リヤ ー ク は 、 冬 、 春 、 秋 お よ び トナ カ イ の 出 産 の 時 期 に お 祭 りを 行 な っ て い た 。

  冬 の お 祭 りに つ い てK‑1、K‑2とK‑3か ら次 の よ う な 情 報 を え た 。3、40 年 前 の 話 し と推 定 さ れ る 。

  冬 祭 りの こ と を 、 コ リヤ ー ク 語 で ム ガ ネ ー ニ ン ガ ン(mganeningan、 す べ て の キ ャ ン プ 集 団 の 集 い の 意 味)と い う 。 キ ャ ン プ の 長 老(通 常 、 父 親)が 、 トナ カ イ ・キ ャ ン プ の 若 者 に 今 日 、 お 祝 い を 行 な い た い と 告 げ 、 若 者 が 同 意 す る と、 す べ て の トナ カ イ を キ ャ ン プ の 近 く に 連 れ て き た 。 そ の 中 か ら メ ス の トナ カ イ を1頭 選 び 、 殺 し た 。 若 者 が 他 の トナ カ イ ・キ ャ ン プ を 訪 れ 、 老 人 た ち を 招 待 し に 行 っ た 。

  一 方 、 テ ン トの 方 で は 、 祭 りの 準 備 を 行 な っ た 。 ホ ス ト側 の 人 々 は 、 や わ ら か く、

薄 い 良 い 作 っ た ば か り の コ ー ト を 着 、頭 を 飾 っ た 。女 た ち は 、来 客 の た め に 肉 を 煮 た 。

ま た 、 トナ カ イ の 腎 臓 、 肺 、 腸 、 肝 臓 、 す い 臓 や す じ を 細 か く切 り刻 み 、 大 き な 皿 に

も っ た 。 殺 さ れ た トナ カ イ の 頭 部 付 き 毛 皮 が 、 飾 ら れ て テ ン トの 中 に 置 か れ た 。

  ア ナ ヴ ガ イ か ら の 訪 問 者 が 、 トナ カ イ ・ソ リに 乗 っ て 到 着 し始 め る 。 こ の 時 、 招 待

(14)

され た 人 々 は トナ カ イ ・ゾ リの 競 争 に使 う良 い トナ カ イ を 連 れ て き た。 来 客 は 、 妻 子 を連 れ て くる こ と もあ った 。まず 、招 き入 れ られ る まで 、来 客 は テ ン トの 外 で 待 っ た 。 ホ ス ト側 の 人 は 、 タ バ コ 、 お 茶 、 ウ サ ギ の 毛 、 トナ カ イ の 肉 や 脳 み そ を さ らに 入 れ 、 それ を テ ン トの 中や 入 口の 近 くにふ りま く。 次 に い ろ りか ら灰 を と り、 来 客 が 外 で 待 って い る ドア の 方 向 にふ りま い た 。 そ の 後 に、 来 客 が テ ン トの 中 に入 っ て きた 。   ホ ス トの 人 々 は 、 人 形 や 石 の お 守 りに 、 肉、 魚 、 肺 、 肝 臓 や 脳 の 一 部 を食 べ 物 と し

て そ な え、 来 客 と共 に 食 事 が で き る よ う に した。 食 事 を始 め る 前 に 、 火 の 回 りで ドラ ム を使 っ て 歌 い踊 った 。 そ れ か ら座 に つ い て 、 食 事 を は じめ た 。

  食 事 が終 わ る と、 全 員 が 野 外 にで た 。 トナ カ イ レー ス の開 始 で あ った 。2頭 の トナ カ イ に ソ リを ひ か せ 、 約25キ ロ メー トル ほ どの 距 離 で競 争 が行 な わ れ た 。 競 争 の順 位 に応 じて 、 野 生 トナ カ イ 、 ク マ の 皮 、 ア ザ ラ シ の皮 製 紐 や ブ ー ツの 底 部 や トナ カ イ牧 畜 に使 う道 具 な どが 賞 品 とさ れ た 。

  トナ カ イ の 競 争 が 終 わ る と、 伝 統 的 な レス リン グ の試 合 が行 な わ れ た 。 こ の レス リ ン グ は、 コ リヤ ー ク語 で はdineneeluと 呼 ぶ 。 レス リ ン グ用 の 特 別 な 短 い ズ ボ ン と ブ ー ツ を身 に付 け、 上半身は裸 で行な われ た。相 手 を後 ろに倒 した方の勝 ちで あ った。

  この レ ス リン グ 競 技 がお わ る と、 か くれ ん ぼ 、 お に ご っ こ な ど遊 び を 行 な っ た 。 こ の遊 び が 終 わ る と、 テ ン トに帰 り、 再 び 食 事 を と っ た。 そ れ か らみ ん な 家 に帰 って い った 。 こ の冬 の祭 りの 間 に 上 記 以 外 の特 別 な儀 礼 は 行 な わ な か っ た とい う。

  冬 祭 りの翌 日、 頭 部 付 き の トナ カ イ の 毛皮 を干 し、 頭 部 は 煮 て 食 べ た とい う。 こ の 時 に も、 特 別 な儀 礼 は行 な わ な か っ た と い う。

  ア ナ ヴ ガ イ のK‑4か ら トナ カ イ の 秋 祭 り、漁撈 の 春 祭 りと トナ カ イ の 出 産 の 祭 り に つ い て 聞 き取 り調 査 を行 な っ た 。 そ の 結 果 は 、 次 の 通 りで あ る。K‑4は 、 子 供 の 時 に体 験 した話 しを して くれ た が 、 具 体 的 な儀 礼 に つ い て は あ ま り知 らな か った 。   トナ カ イ の 秋 祭 りは、コ リヤ ー ク 語 で ア メ ック(am'mek)と 呼 ば れ る 。ア メ ッ ク と は、

お 互 に 会 い、 と う り過 ぎ る、 の 意 で あ る。 毎 年 、秋 にな り、 初 め て雪 が ふ る と、 い く つ か の キ ャ ン プ ・グ ル ー プ が集 ま り、 秋 祭 りが行 な わ れ た 。 この 祭 りは 、 長 が けれ ば 2週 間続 くこ と も あ っ た。 こ の祭 りは 、 夏 の フ ィー ル ドか ら冬 の フ ィ ー ル ドへ 移 行 す る端 境 期 に行 な わ れ た。

  どの 場所 に集 合 す る かは 決 っ て い な い が 、 キ ャ ン プ間 で お た が い に連 絡 を と りあ っ て 、 そ の 年 の 秋 祭 りの場 所 が決 定 さ れ た 。 ひ とつ の キ ャ ンプ 集 団 は 、 通 常 、 ひ とつ の 大 き な テ ン トに住 んで い た。 そ の テ ン トには 、4な い し5家 族 が 同居 して い た 。 秋 祭 りに は 、5か ら6の キ ャ ン プ集 団 が 秋 祭 りの た め に 集 ま った の で 、70人 あ ま りの 規 模 と な った 。

  人 々 は 、 干 し魚 な ど夏 に集 め、 貯 蔵 した も の を持 って、 秋 祭 りの キ ャ ンプ へ 集 ま っ

て き た 。 ま ず、 全 体 で14頭 あ ま りの トナ カ イ を殺 し、 そ の うち の 半 分 を 売 り、 半 分 を

食 用 と した 。 トナ カ イの 肉 、 内蔵 や 脳 を煮 た。K‑4は 、 殺 した トナ カ イ に 対 して ど

(15)

人 文 論 究  第64号

うの よ う な儀 礼 を施 した か は、 知 らな い と い う。

  この 祭 りの 間 は、K‑4の 両 親 は酒 を飲 み 、大 きな テ ン トで 食 事 を して い た 。また 、 火 の 回 りで 、1人1人 が順 番 に歌 を 歌 って い た。 こ の期 間 中 に、 親 戚 に会 っ た り、 結 婚 式 をあ げ た り、 種 付 け用 の オ ス ・トナ カ イ を交 換 した り した 。 また 、 この 祭 りに カ

ム チ ャ ダ ー ル を招 待 した こ と も あ っ た 。

  春 祭 りは漁撈 場 で 行 な わ れ た。 毎 年 、5月 こ ろ にな る と、 ベ ニ サ ケ が 川 を昇 りは じ め、 緑 が 多 くな り、 野 生 の ガ ー リ ヅク も で は じめ る。 また 、 雪 が とけ は じめ る。 集 落 か ら12、3キロメ ー トル ば か り離 れ た漁撈 場 に 人 々 を招 待 して 、2、3日 間 、 各漁撈 場 で お 祝 い が 行 な わ れ た 。こ の漁撈 場 には 、老 人 や 寡 婦 が行 っ て い た 。そ こで の 主食 は、

トナ カ イ の 肉 で は な く、 魚 や 植 物 で あ っ た 。

  老 人 は、 大 きな シ ロサ ケ を 取 り、 頭 を地 面 の 方 に 向 け て 木 に 吊 り下 げ た 。 これ は 、 夏 に雨 がふ らな い よ うに とい う、 お いの り(ま じな い)で あ った 。

  この 春 祭 りの 目的 は、 よ い 夏 が 来 る よ う に、 病 気 に な らな い よ う に、 そ して も っ と 魚 が とれ る よ う に と祈 る こ と で あ った 。

  ア ナ ヴ ガ イ付 近 で は、3月 こ ろ か ら トナ カ イ が 出産 を は じめ る。 この 時 期 は、 忙 し くあ ま り儀 礼 や お 祝 い に時 間 を さ く こ とは で き な か っ た。 子 供 の トナ カ イ が生 ま れ た 後 に 、 各 キ ャ ン プ ご と に2、3日 の期 間 で 子 供 を 中心 と したお 祝 い が 行 な わ れ た。14 歳 以 下 の 子 供 た ちの か け っ こ競 争 が あ り、1位 の 者 には 子 トナ カ イ が 、2位 の者 に は アザ ラ シ の 皮 製 投 げ 縄 が 、3位 の者 に は ベ ル トな どが 賞 品 と して贈 られ た 。

4‑4.コ リヤ ー クの 社 会(婚 姻 と相 続)

  婚 姻 と相 続 に つ い て 、 エ ッ ソのK‑1、 ア ナ ヴガ イ のK‑5、K‑6、  K‑7か ら 聞 き取 り調 査 を行 な った 。 そ の 結 果 は 、 次 の 通 りで あ る。

  K‑1に よ る と、18歳 く らい に な る と、両 方 の 両 親 が結 婚 を決 め た とい う。彼 女 は 、 結 婚 の や り方 に つ い て 次 の よ うに 語 っ た。

  母 と息 子 は、 トナ カ イ ・ソ リ2台 で 、 花 嫁 候 補 の い る キ ャ ン プへ 行 っ た 。彼 らが 、 そ の キ ャ ン プ に つ く と、 食 事 を し、 そ れ か ら美 し く着 飾 っ た 。 そ の 息 子 と、 花 嫁候 補 の 娘 の 父 は 、 トナ カ イ を見 に行 った 。 一 方 、 そ の 息 子 の母 は 、 骨 製 の 取 っ手 の つ い た ナ イ フ を赤 いハ ン カチ で 包 み 、 花 嫁 候 補 の 娘 の母 の ひ ざ の 上 に 置 い た 。 これ は 結婚 の 申 し込 み を意 味 した。 も し娘 の 母 が ナ イ フの 入 っ た赤 いハ ン カ チ を 取 り上 げ れ ば 申 し 込 み を受 け入 れ た こ と を意 味 し、 ナ イ フ を取 り上 げ な けれ ば拒 否 を 意 味 した 。 も し、

拒 否 さ れ た な らば 、 母 と息 子 は 自分 た ち の テ ン トに も ど り、 荷 物 を ま とめ て 、 帰 っ て い っ た 。

  一 方、 結 婚 申 し込 み が 受 け 入 れ られ た場 合 は 、 次 の よ うで あ っ た 。 花 嫁 が 自分 の キ

ャ ン プ を何 らか の 理 由 で 離 れ た くな い場 合 は 、 花 婿 が 花 嫁 の キ ャ ン プ に 来 る こ と にな

っ た。 そ の 時 に は 、20頭 の トナ カ イ と とも に、 食 器 、 食 物 、 ソ リな どを 持 って 移 り住

(16)

ん だ。将 来 は 、そ の 男性 は 妻 を 自分 の 両親 の 所 へ 連 れ て帰 る か も しれ な か っ た 。一 方、

も し花 嫁 が 自分 の キ ャ ン プ を離 れ 、 花 婿 の キ ャ ン プ に移 り住 む こ と に 同意 した な らば、

花 婿 とそ の 母 は5頭 の トナ カ イ を相 手 の 両 親 に贈 与 した 。 い ず れ にせ よ 、 結 婚 式 は 行 な わ れ な か った 。 結 婚 後 、 一 方 の キ ャ ン プ を訪 れ る時 に は 、 プ レ ゼ ン トを 持 て い くこ

とが あ っ た し、 そ の 逆 もあ っ た 。

  ア ナ ウ ガ イ のK‑7は 、自分 の 結 婚 に つ い て 話 しを聞 か せ て くれ た 。K‑7は 、(亡) 夫 を結 婚 前 か ら知 って い た 。 当時 、 彼 は 嫁 を探 して い た 。1952年 こ ろ の こ と、 彼 はK

‑7の 両 親 の所 へ きて 、彼 女 の 体 に触 れ る こ と もせ ず、2年 間働 い た。2年 後 、 彼 女 の 身 の 回 りの物 、 ソ リ と トナ カ イ を も らい 、2人 は夫 の 両 親 の所 へ移 り、 新 しい 生 活 を 開 始 した 。

  移 動 す る前 に、 夫 は花 嫁 の 両 親 に感 謝 の 意 を示 す た め に、 トナ カ イ を殺 し、 プ レゼ ン ト した 。 それ か ら ドラ ム を 叩 い た り、 踊 った り、 食 事 を した り、 そ の 日は 夜 ま で、

宴会 を した。こ の結 婚 式 の よ うな もの は1日 で 終 わ った 。こ の式 を コ リヤ ー ク語 で は、

mng'imang(ム ンギ ー マ ン グ)と 言 う。

  ア ナ ヴガ イで の 聞 き取 りに よ る と、 トナ カ イ な ど主 な もの は 長 男 が相 続 す る が、 父 の物 は 主 に息 子 が 、 母 の物 は娘 か 息 子 が相 続 して い た と言 う。

4‑5.コ リヤ ー クの 出産 儀 礼

  子 供 が 生 まれ た 時 、 へ そ の 緒 を切 るが 、 そ こ か ら出 た 血 を新 生 児 の額 に指 をつ か っ て つ け、 そ して 「よ う こそ 、 幸 せ な 到 来 」 と話 しか け る慣 習 が あ る(K‑1)。

4‑6.コ リヤ ー クの 葬 式

  K‑1、K‑2とK‑3か らの 聞 き取 りで 、 次 の よ うな こ とが わ か っ た 。   葬 式 の時 に死 者 が 着 る服 の こ と を コ リヤ ー ク語 で は、 ヴ ィア イ チ ャ ン(viaichan)と 言 う。 男性 と女性 で は 服 は 違 う が、 生 前 に それ を 準備 す る 点 で は 共 通 して い る。 服 に は 、 ビー ズ の装 飾 品 が つ い て お り、 そ れ は 月 と太 陽 を象 徴 して い る。 靴 は、 人 が死 ん で か ら靴 の底 を粗 く縫 う。

  死 者 を裸 に し、 死 者 の 服 を着 せ る 。靴 の 底 に穴 を あ け、 少 しだ け 干 し草 を入 れ る。

トナ カ イ を殺 す が、 こ れ は 死 者 が 乗 る た め の もの で あ る 。死 者 に は 、 前 も っ て 準備 し て い た 新 しい ソ リを持 た せ る。 女 性 の場 合 に は 。5x7セ ン チ メ ー トル ば か りの 小 さ な 袋 に 、 針 な ど裁 縫 道 具 な どを 入 れ て 持 た せ る。 それ か ら死 体 を焼 く。 焼 い た後 、 丸 い 石 を そ の上 に置 く。 翌 日 、 人 々 は そ こ を去 らな けれ ば な らな い 。

  さ ら に、K‑4に よ る と、 死 者 を焼 い た と こ ろ には 、 テ ン トの 骨組 み の よ う な三 脚 が 建 て られ る。そ の 上 には 、鈎 状 の も の が 取 り付 け られ て い る。そ の 近 くを通 る人 は、

そ こへ 行 き、 死 者 に食 べ 物 や タ バ コ を供 え な け れ ば な らな い と言 う。

(17)

人 文 論 究  第64号

4‑7.コ リ ヤ ー ク の 名 前 と 命 名

 エッソ と ア ナ ヴ ガ イ の コ リ ヤ ー ク の 人 に 名 前 や 命 名 に つ い て 質 問 を し た 。 い くつ か 矛 盾 す る 回 答 も あ っ た が 、 こ こ で は そ の 両 方 を 記 述 的 に 報 告 す る 。

*名 前

  コ リヤ ー ク は 、 原 則 と し て 名 前 を 一 つ 持 つ が 、 男 女 に は っ き り し た 差 異 が あ る 。 例 え ば 、Tomnegen、'Yappik、   Yiheigin、  Yaujakava、  Ye'laginは 男 性 の 名 前 で あ り、

Yamnga、'Yakalga、'Yenni、  Eunne、'Yenno  i、'Yotvagalは 女 性 の 名 前 で あ る(K‑5, 6)。 通 常 、 人 に 動 物 名 、 自 然 現 象 を 名 前 と して つ け る こ と は な く、 名 前 に は 意 味 が な い(K‑5,6)。 一 方 、 名 前 に は 意 味 の あ る も の も あ る と い う 指 摘 が あ っ た 。 例 え ば 、 男 性 の 名 で あ るHaivavは 頑 丈 な の 意 、  Akkinは 全 て が 悪 い の 意 、  Koyalliは トナ カ イ の 富 者 の 意 、kiyavginenは す べ て が 起 き て い る の 意 、 女 性 の 名 のKauchanは 光 の 精 霊 の 意 、Ichegangは 夜 明 け の 意 な ど が あ る(K‑1)。

  ま た 、 夏 に 生 ま れ た 子 供 と 冬 に 生 ま れ た 子 供 に は 名 前 に 違 い が み ら れ る と い う が 、 そ の 内 容 に つ い て は 詳 細 は 分 ら な か っ た(K‑5,6)。

*命 名 の 時 期

  子 供 が 生 ま れ て か ら3日 後 に 聖 な る 石 を 利 用 し て 名 前 を き め た(K‑1,2,3)。3日 後 に 命 名 が 行 な わ れ る の は 、 出 産 後 、 母 が 弱 っ て お り、 回 復 す る ま で 数 日 か か る か ら で あ る と い う(K‑1)。 一 方 、 ア ナ ヴ ガ イ で の 調 査 で は 、 子 供 の 出 産 直 後 に 子 供 の 名 前 が 付 け ら れ て い た(K‑5,6)。

*命 名 の や り 方

  小 石 の 入 っ た お 守 り は ア ー ニ ヤッ ペ ル(anyapel)と 呼 ば れ 、 人 の 健 康 を 守 る と さ れ て い る 。 こ の 小 石 は 、 親 戚 の 者 に 伝 え ら れ て い く 。 こ の お 守 り石 を 利 用 し て 新 生 児 の 名 前 が そ の 両 親 に よ っ て 決 め ら れ る 。 そ の 決 め 方 は 、 三 脚 に 紐 で 結 ん で お 守 り石 を た ら す 。 そ の お 守 り石 に 向 っ て 順 番 に 人 の 名 前 を 呼 ぶ 。 こ の 小 石 が 動 き 出 し た ら 、 そ の 時 に 呼 ば れ た 名 前 が 子 供 の 名 前 に な っ た(K‑1,2,3,5,6)。

  ア ナ ヴ ガ イ で は 、 上 記 と は 少 々 し が っ た 情 報 を 得 た 。 お 守 り石 が 皮 製 の 人 形 の 中 に 納 め ら れ て い る が 、 そ の 人 形 に は 多 数 の ビ ー ズ や ひ も が つ け ら れ て い る 。 新 し い 子 供 が 生 ま れ る 度 に 、1イ ン チ 程 度 の ビ ー ズ の 数 珠 が こ の 人 形 に 付 け 加 え ら れ る 。 小 さ な ビ ー ズ は 子 供(の 名 前)を 示 し、 大 き な ビ ー ズ は 出 産 の 過 程 を 示 し て い る 。 こ の 人 形 を 使 っ た 命 名 は 、 三 脚 を 利 用 せ ず 、 こ の 人 形 を 手 で 持 っ て 下 げ 、 回 転 さ せ た 。 す る と

1本 の ビ ー ズ 数 珠 が 、 他 の ビ ー ズ 数 珠 の 紐 を 巻 き つ け る 。 巻 き つ け た 紐 に は 、 複 数 の 小 さ な ビ ー ズ(名 前)が つ い て い る が 、 そ の 中 の 名 前 の ひ と つ を 新 生 児 に 与 え た(K

‑5 ,6)。 名 前 を 決 定 す る の は 、 通 常 、 子 供 の 祖 母 に あ た る 人 で あ っ た 。 最 近 で は 若 い 夫 婦 は ロ シ ア 名 を 子 供 に つ け る よ う に な っ た が 、 祖 母 が コ リ ヤ ー ク 名 を 付 け て い る と

い う(K‑5,6)。

  コ リ ヤ ー ク の 人 は 、 命 名 に 夢 を 利 用 す る こ と は な か っ た(K‑5,6)。

(18)

  同じ キ ャ ン プ 集 団 に い る 人 と 同 じ 名 前 を 子 供 に つ け る こ と は で き な い と さ れ て い た (K一 ユ)。 同 名 者 の 間 に は 、 特 別 な 関 係 が 存 在 し、 呼 称 に も 影 響 を 及 ぼ す 。 例 え ば 、 エ ゴ の 息 子 と 同 じ名 前 を も つJの こ と を エ ゴ はKemiingan(息 子)と 呼 び 、   Jは エ ゴ をniif(お じ)と 呼 ぶ こ と が あ っ た(K‑1)。

*名 前 を 付 け 直 す こ と

  K‑6の 姉 妹 の 一 人 が 、 子 供 に バ ー ガ ル(Ba'ga1)と い う 名 前 を つ け た が 、 そ の 子 は ど う し て も 泣 き 止 ま な か っ た 。 彼 女 は お 守 り石 を 使 わ ず に 名 前 を 決 め た の で あ っ た 。 あ る 老 人 が 、間 違 っ た 名 前 を 子 供 に つ け た た め に 、子 供 が 泣 き 止 ま な い の だ と 指 摘 し 、 改 名 を 忠 告 し た 。 そ こ で 彼 女 は そ の 子 供 に オ ク サ ー ナ(Oksana)と い う 名 前 を つ け た と

こ ろ 、泣 き 止 ん だ 。改 名 と 言 っ て も 、間 違 っ た 名 前 が 捨 て ら れ た わ け で は な い(K‑5)。

K‑1に よ る と 、名 前(nanna)は 霊 魂(yonattiginen)と と も に 子 供 の 中 に 入 る と 言 う 。 霊 魂 と 名 前 が 一 致 し な け れ ば 、 子 供 は 泣 き続 け 、 正 し い 名 前 を つ け る こ と が 必 要 で あ

る 。

4‑8 .コ リヤ ー ク の信 仰(お 守 り 、火 、 占 い 、 聖 な る場 所 な ど)

  コ リヤ ー クの 信 仰 に 関連 して 、お 守 り、火 、占 い と聖 な る場 所 に つ い て 報 告 を す る 。

*お 守 り

  各 家族 は 、 家 族 全 体 のお 守 り と して 人 間 の 形 を した 火 起 こ し板 を所 有 して い た 。 昔 は 、 こ の板 人 形 を人 に 見せ て は な らず 、 代 々女 性 が 管 理 して きた 。 トナ カ イ を 失 った 時 な ど こ れ で 火 を起 こ した 。 こ の板 人形 は 、 人 の願 い を か な え て くれ る と信 じ られ て い る。 こ の 板 人 形 は 、 トナ カ イ の守 護 神 で あ り、 コ リヤ ー ク語 で はGhichi'giiと 言 う (K‑1)。

  また 、 各 個 人 はgavaki'menganな い しgavakaninと 呼 ば れ る人 形 の お 守 りを所 有 して い た 。 こ の お 守 りは 病 気 を治 す と信 じ られ て い た 。 病 人 が 寝 て い る下 に 、 お 守 りを 置 い た り して い た 。 月 に1度 ほ ど、 太 陽 が 空 に最 も高 く昇 っ た 時 に、 トナ カ イ の ひ ず め の 箇所 の 骨 の髄 を お 守 りの 人 形 に 食 べ さ せ る。 家 族 員全 員 の お 守 りの 人 形 を い ち ど う に 集 め て トナ カ イ の 髄 を 食 べ さ せ る こ とも あ っ た(K‑1)。

  ツ ン ドラ に は め っ た に 小石 が 落 ちて い な い が 、 ま れ に見 つ か る こ と が あ った 。 そ の よ うな石 は 、 神 が贈 って くれ た 石 で あ る とみ な し、 コ リヤ ー ク は家 に持 ち 帰 り、 お 守 り石 と す る 。 この 小石 は コ リヤ ー ク 語 で 、kigchanと 呼 ば れ 、 お 守 りの 人 形 の 中 や 袋 の 中 に 入 れ て 保 管 さ れ た 。 こ の石 は 雷 雨 と関 連 して い る と考 え られ て い る(K‑1)。

11、 石 の 入 っ た お 守 りは ア ー ニ ヤ ヅペ ル(anyapel)と 呼 ば れ 、 人 の健 康 を守 る と され て い る。 こ の 小 石 は 、 親 戚 の者 に伝 え られ て い く。 この お 守 り石 は新 生 児 の 名 前 を決 め

るの に利 用 され る。

  コ リヤ ー クの 世 界 に は、 キ リス ト教 の 神 に相 当 す る よ うな 神 は 存 在 しな い 。 良 い 精

霊 をmitr'ainと 言 い、 悪 い霊 をk'ivaiinと 言 う。 コ リヤ ー クの 人 々は 、 火 を通 して 良

(19)

人 文 論 究  第64号

い 精 霊 に食 べ 物 を捧 げ る。 火 は 予 言 を した り、 悪 霊 を追 払 った しす る。 火 に ま つ わ る 話 しを、K‑5、6、7か ら聞 き取 っ た の で 紹 介 してお く。

  火 は 燃 え、 話 し を す る。 人 々 は そ の声 を 聞 くこ とが あ る 。夜 、 声 を 聞 け ば 悪 い事 が お こ り、 朝 、 声 を 聞 けば 良 い 事 が あ る と人 々 は信 じて い る(K‑1,K‑5)。  K‑5の 祖 父 は 、 旅 に 出 た が 、 そ の 夜 に火 が 話 しを す るの を聞 い た 。彼 は そ こ に と ど ま る の を や め 、 家 に帰 っ て きた とい う。

  も しだ れ か とけ ん か を した り、 襲 わ れ た りした ら、 燃 え残 りの灰 や 炭 を取 り、 何 も 言 わ ず に テ ン トの外 に 投 げ よ と教 え られ て い る 。 悪 霊 を驚 かせ 、 追 払 う効 果 が あ る 。 同様 に 、も し夜 に 変 な 音 が 聞 え た ら、そ れ は悪 霊 が 近 くに きて い る こ と を 示 して い る、

あ つ い 炭 の つ い た棒 きれ を と り、 音 が した方 向 に 投 げ よ と言 伝 え られ て い る 。   テ ン トを た たむ 時 に は、 テ ン トの 中 の すみ ず み に 植 物 を置 き、 火 をつ け て煙 をた て

る 。 す る と悪 霊 が 逃 げ 出 す とい う。燃 え 残 っ た灰 は 、 道 へ 捨 て る。

  コ リヤ ー クの 人 々 は、聖 な る場 所 を信 仰 す る とい う慣 習 が 存 在 す る。聖 な る場 所 は 、 コ リヤ ー ク 語 でap'papelと 呼 ば れ る。こ の地 方 で はap'papelに は特 別 な 意 味 は な い(ち なみ に こ の 地 方 で は 祖 父の こ とをap'pappoと 呼 ぶ)と さ れ て い る。 聖 な る場 所 で は 、 人 々 は火 を起 こ し、 そ の 中 にお 金 、 ビー ズ 、 針 な どを投 入 れ 、 幸 運 を祈 る。 ア ナ ヴガ イ の付 近 で は、 時 々、 煙 を は いて い る丘(火 山)、 ツ ン ドラ 上 にあ る大 きな 岩 、 村 の 入 口 に あ る 大 きな 岩 、 昔 、 落 石 事 故 で多 数 の 人 が死 ん だ場 所 が 、 人 々 か ら聖 な る場 所 と考 え られ て い る(K‑5,6,7)。

  コ リヤ ー ク の 人 々 は 、 トナ カ イ の肩胛 骨 を利 用 して 占 い を 行 な って い た 。 肩 月 甲骨 の 両 面 を焼 く と、 多 くの ひ び が 入 る。 も しそ れ が 美 しけ れ ば 、 無 事 を 予 見 し、 も し黒 く な った り して い れ ば 悪 い事 が 起 こ る と考 え られ て い る(K‑1)。

  ハ ン ター が、 小 石 を首 の カ ラー と首 の 間 の と こ ろ にお き、 そ れ が 下 に 落 ちズ ボ ン の 中 を通 って 下 に 落 ち る と、 狩 猟 が う ま くい き、 そ う で な け れ ば 不猟 の 前 兆 で あ る と考 え られ て い る(K‑5,6,7)。

  また 、 悪 い夢 を 見 た 場 合 、 メス の トナ カ イ を 神 的 存 在 へ 供 犠 し、 悪 霊 を 追 払 う儀 礼 を行 な う。 トナ カ イ を 殺 す 前 に 「悪 い事 は行 って しま え。 全 て の悪 夢 よ 去 れ 。 我 々 は 神 的 存 在 に食 べ 物 を 与 え る必 要 が あ る」 と唱 え て か ら、 トナ カ イ の心 臓 を ナ イ フで 突 刺 して 殺 した(K‑1)。

4‑9.コ リ ヤ ー ク の シ ャ ー マ ン

  ア ナ ヴ ガ イ のK‑6の 祖 父 とK‑7の 曽 祖 母 は シ ャ ー マ ン で あ っ た 。 シ ャ ー マ ン に は 、 男 性 で も 女 性 で も な る こ と が で き た 。 男 性 の シ ャ ー マ ン はyin'te'enと 呼 ば れ 、 女 性 の シ ャ ー マ ン はannganeと 呼 ば れ た(K‑5,6,7)。 シ ャ ー マ ン は 病 気 を 治 し た り、

天 気 を 良 くす る こ と が で き た 。

 エッソ のK‑1は 、 シ ャ ー マ ン と は 、 特 別 な 帽 子 を か ぶ っ た り、 ドラ ム を た た き 、

参照

関連したドキュメント

The Moral Distress Scale for Psychiatric nurses ( MSD-P ) was used to compare the intensity and frequency of moral distress in psychiatric nurses in Japan and England, where

 TABLE I~Iv, Fig.2,3に今回検討した試料についての

一丁  報一 生餌縦  鯉D 薬欲,  U 学即ト  ㎞8 雑Z(  a-  鵠99

 中国では漢方の流布とは別に,古くから各地域でそれぞれ固有の生薬を開発し利用してきた.なかでも現在の四川

にする。 前掲の資料からも窺えるように、農民は白巾(白い鉢巻)をしめ、

16)a)最内コルク層の径と根の径は各横切面で最大径とそれに直交する径の平均値を示す.また最内コルク層輪の

This study proposes a method of generating the optimized trajectory, which determines change of the displacement of a robot with respect to time, to reduce electrical energy or

[r]