資本主義精神の成立
その他のタイトル Die Entstehung des Geistes des Kapitalismus
著者 臼井 二尚
雑誌名 関西大学社会学部紀要
巻 9
号 2
ページ 1‑12
発行年 1978‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/00022915
臼 井 尚
IV
前節の末尾に掲げられた諸問題の究明が本小論の課題であるが,この課題は賤民資本主義の精 神が衰頭し代わって選民資本主義の精神が興隆する過程の解明によって解かれるわけである。こ れら両資本主義の精神は概念上明らかに正反対のものであり,資本主義の精神は一つの極から反 対の極へ文字通り 1 8 0 度の廻転を遂げたのである。フランクリンの心術従って選民資本主義の精 神の構成要素として先に列挙した勤勉・節約以下正直・信用にいたる市民の徳なるものは,古代 でも中世でも同様に,汚わしい吝薔の表現として,または全く見下げはてた心術として,排撃さ れたであろう。今日でも資本主義に巻きこまれることの少ない人々からは同様にされるであろう,
と言われるのであるが (Weber, 前 掲 書 38 9 頁 ) , このように蔑視され嫌悪され下等視された ものが,やがて諸徳中で最高の地位を与えられ,神によって選ばれた民の神の嘉し給う貴ぶべき 性能となるにいたるのが,即ち選民資本主義精神の成立の過程である。
そもそもこれら勤勉節約以下の徳性に対する賤視嫌悪と尊重崇尚との対立して相容れざる両種 の評価のうちいずれが人間本来の,換言すれば,自然の儘の人間 ( n a t i i r l i c h e rMensch) の評価 であるかと云えば,それは前者即ち古代・中世に一般的であったものである。市民の徳性のうち 最も重要な地位を占める勤勉節約についてみても,人間は元来労働を嫌い快楽の追求を好むもの なのである。一般に原始人は真の労働にみずから進んで従事することなく,仕事の観を呈する彼 らの営みも,実はいわゆる「遊び仕事」に過ぎず, リズミカルな遊戯の分子が多いのである。即 ち人間は元来真の労働を知らず,労働の嫌悪 ( A r b e i t s s c h e u ) が原始人の本性であった。原始人 といえども衣食の資料を獲得しなければならなかったが, これを獲得する営みも上記の遊び半分 の仕事たるに過ぎず,それも已むを得ざる最小限に止められていた。即ち,持続的であり集約度 が高くて骨が折れ労苦に富むが故に忍耐と努力とを必要とする規則的組織的な本格的労働は,原 始社会には存在しなかったのである。
本格的労働は労働の嫌悪を本性とする原始人の間には自発的には発生しなかったので,これの 発生は強制を侯って初めて実現した。これを発生せしめた強力で制度的な強制は即ち奴隷制度で ある。封鎖性の強かった原始社会はそれの封鎖性の故に内外相通ずるものが少なく,余りにも著 大な内外の差異の故に,外部の人間を内部の者と類を同じくするもの即ち人間として認知するこ
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とができず,人間に似た動物と思うのが通例であった。自分達のみが真の人間であり,自分たち の住んでいる所が世界の中心であるという自種族中心主義 ( e t h n o c e n t r i s m ) を抱き,従ってま た自種族の名称として「人問」なる言葉を用いている種族が頗る多いのは周知の事実であるが,
このような信念を抱いている種族ないし民族の間に闘争が起こり,その結果として勝利を占めた ものは征服者として支配的地位に立ち,敗北したものは被征服民として屈服することとなる。こ うしてここに支配と服従の関係によって結ばれた上層と下層との二階級が生まれるが, この湯合 上層支配階級は自己の嫌悪する労働を下層服従階級に強制するは自然の事である。被征服民たる 下層階級民は,敗戦の故に自己に強制的に課せられた労働に従事せざるを得ない。このようにし て上下の二階級が結成されて生ずる新たな団体を国家と呼び,国家における支配と服従の関係を 維持する制度的規定を法と呼ぶのが通例であるが,この法の最初の主要内容をなすのは即ち強制 労働である。而して,支配階級は被支配階級を人間とは考えず,動物の一種と考えたが故に,労 働の強制は仮借なく加えられ,被征服民から成る下層階級民は家畜同様の扱いを受けることにな った。こうしてここに奴隷制度が成立し,人間が嫌忌する一切の労働はこの奴隷階級に負わされ ることになった。同時に支配階級たる征服民は一切の物質財の生産活動としての肉体労働から免 れて,それ以外の精神的活動に専念するようになった。ここにおいて階級的分業が確立し,それ まではそれと取り組む余裕のなかった精神活動が持続的積極的に営まれるようになり,この方面 に飛躍的進歩が見られることになった。この事の最も明瞭な表現は歴史の出生である。歴史はそ の崩芽をすべて古代の大帝国において現した。この事は,人類が未開の段階から文明の段階に登 ったのは,大帝国においてである事を示すものであるが,これら大帝国はいずれも征服戦争を重 ねた結果として形成されたものであり,度重なる征服戦争は大なる奴隷階級を生むにいたった。
この事は古代の大帝国のいずれにも見られる大土木工事の成果たる巨大建造物によって雄弁に示 されている。
上に略述したところは前世紀の終期から今世紀の初期にかけて,社会学の諸家によって力説さ れた。その注目すべき一人はグンプロヴィッチである。彼は次の如く論ずる。即ち,人類が動物と 同様に自己の生存に必要な物資をみずから獲得せねばならぬ限り,人類は永久に動物状態に止ま らざるを得なかったであろう。この状態から脱するがためには,上の生活資料獲得の労働を他者 に行なわしめ,みずからはこれと異なる高等な人間的生活を営み得るように,社会的分業を確立 することが必要である。然るに,この生活資料獲得の労働を自発的に担当する者の無い限り,強 制と狡計とを以てこの最初の分業を実現するのほかはない (LudwigGumplowicz, Rassenkampf, 1 8 8 3 , 2 3 4 , 3 8 2 頁。 LudwigGumplowicz, A l l g e m e i n e s S t a a t s r e c h t , 1 9 0 7 , 3 1 頁),この分業実現 の強制は征服戦争によって可能となる。この戦争の結果として一つの社会の他の社会に対する支 配が確立し,従ってまた上下の分業が確立する ( G u m p l o w i c z ,Rassenkampf, 1 5 7 頁以下, 2 1 9 頁 ) 。
この分業に媒介されて歴史の端初という躍進的進歩が可能となったのである。最初の戦争が起こ る時歴史の最初の時を報ずる鐘が鳴り,最初の奴隷の汗が文明の最初の芽生えに露を与え,これ
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とともに最初の文化民族にとって迅速な進歩の時が始まる ( G u m p l o w i c z ,Rassenkampf, 3 8 1 ‑ 2 頁)。故に支配のための戦争が歴史の端初を可能にするのである ( G u m p l o w i c z , Rassenkampf, 2 1 9 頁 , LudwigG u m p l o w i c z , G r u n d r i s s d e r S o z i o l o g i e , 1 8 8 5 , 1 2 3 頁)。従ってまたグンプロ
ヴィッチにあっては,この民族闘争即ち戦争が階級の始源となり,法律の発生や国家の成立の根 源となるのである。
上のグンプロヴィッチの論断には若干の過誤がないでもない。例えば,生産技術の未発達な段 階における戦争では,捕虜となった戦敗者は奴隷とはされず,皆殺されるのが通例であった。こ れは,この段階の生産能力を以てしては,一人の者が二人以上の者の食料を生産することができ ず,奴隷の生産物を奪えば奴隷自身は餓死するのほかなく,奴隷の保有は無意義であり不可能で あったからである。従って奴隷制度の成立したのは,奴隷が自己のみならず主人の必需物資をも 併せ生産し得るにいたった段階からである。一般に奴隷制度は奴隷の人権を全く無視しての残忍 極まる非人道的な制度とされるけれども,これに先立つ捕虜虐殺が制度化していた段階に比べれ ぱ,殺識から強制労働に転じた点において,むしろ一段の進歩を示すものとも言われよう。併し ながら,それまで強制労働を知らなかったが故に真実の労働の経験を欠く労働の嫌悪者にとって は,強制労働に従事する事の苦痛は絶大なものであったに相違なく,人間が本来嫌悪する労働を 奴隷に課して絶大な苦痛を嘗めしめる奴隷制度は確かに非人道的な制度であると評されるべきで あろう。けれども,奴隷所有者たちはこの評には服さないであろう。と云うよりも彼らはむしろ この評を意外とし不思議としたであろう。なぜならば,彼らは奴隷を人間とは思わず,人間に似 た動物と思っていたので,動物を人間扱いせず動物扱いするのは彼らにとっては当然の事であり,
それを非人道的として非難される事は彼らの理解に苦しむところであったに違いないのである。
奴隷制度の根抵には,種族間ないし民族間の甚大なる差異の故に,自種族ないし自民族のみを人 間としこれ以外には人間は存しないとする考えが存在したが故に,自己の社会の成員でない者を 自己と同類同列の人間としては扱わぬのを当然としたのである。この考えが消減すれば,他種族 ないし他民族に属する者をも人間として認定することになり,人間として認定しながらこれを家 畜として扱うことは許され難い矛盾なる事が感ぜられる筈であるから,ここにいたって奴隷制度 は廃止される筈である。所属社会外の人間を人間として認定する事は,自種族中心主義の基盤と なった諸種族間ないし諸民族間の差異が減少する事を前提条件とし,この条件が充たされるため には諸種族ないし諸民族間に相互的接触交渉の増大する事が必要である。この必要が充たされ,
自種族中心主義が衰類したのは古代の末期即ちローマ帝国の末期であった。ローマ帝国に包括さ れた古代世界全般にローマ国家の力によって交通路が開設され,これによって帝国内部の人及び 物の地域的移動が容易になり従って頻繁となるにつれて,帝国内の諸民族に共通なラテン文化が 発達し,諸民族間の差異は縮少するにいたった。ここにおいて諸民族間になお存続する低度の差 異にもかかわらず,他民族もまた人間集団なる事が認定されるようになった。斯くして初めてロ ーマ帝国は諸民族が相寄って形成する一つの世界となったのである。この世界は諸民族を包括す
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る高次の統一体であるが, これはこの段階で初めて出来た統一体であるから, これには特別の名 称が与えられねばならない。この必要から生まれた名称が即ち諸民族の統一体としての人類社会
(humanitas)であった。この人類社会に包括される民族の成員は等しく人問である。従って人類 社会に加入している民族の成員を奴隷とする事は正に非人道的であり,従って許さるべからざる 事である。この道理に従って奴隷制度を攻撃し奴隷制度廃止論を主張したのがストア学派である。
この段階においてなお奴隷制度を維持せんとすれば, ローマ帝国の外部即ち人類社会の外部から 人間とは認定され難いほど差異の著しいが故に擬似人間ないし類人動物を捉えて来なければなら ない訳である。併し,当時既にローマ帝国の国力は衰微し,大帝国の国境の外まで強力な遠征軍 を派遣することは困難であった。ここにおいて奴隷制度は崩壊することになったのである。
ウォードの如きも上のグンプロヴィッチの所論と同様な見解を表明している数多くの学者のな かの一人である。ウォードもまた,原始人は労働を忌避するというよりも真の労働を知らなかっ たが,奴隷制度による強制によって初めて労働を学んだと同時に,この制度によって生まれた階 級的分業によって,文化の躍進的進歩が実現した事を力説した。即ち彼は奴隷制度によって征服 民が閑暇を得た事を認めるとともに
(LesterFrank Ward, Pure Sociology, 1903, 267頁),こ の閑暇によって上層民が文化を増進せしめたのみならず,奴隷みずからがこの制度によって労慟 能力を初めて取得し,これによって人類の経済生活における偉大なる進歩が成し遂げられた事を 強調する。ウォードに従えば,狩猟蒐集は未だ真の労働と呼ばれるべきものではなく,純粋な野 蛮人には勤労の力が全然欠如していた事は,彼等の全般にわたる特質である。征服の始まる時期 まで人類は全く持続的な労働の能力を有たず,またその観念も少しもなかった。即ち彼らにあっ ては経済的意味における生産力は零であった。ただ奴隷制度のみが単なる活動を真の労働に変ず ることを完成したのである。この事がとりもなおさず奴隷制度の社会的使命である。幾千年も続 けられたこの経験の厳酷な教場なくしては,近代産業に当るものは何も生じなかったであろう
(Ward, 前掲書, 270頁以下)。このウォードと同様な論議は,イングラム (JohnKells Ingram, A History of Slavery and Serfdom, 1895, 3頁) , ニープール
(HermanJeremias Nieboer, Slavery as an Industrial System,第二版
1910,436頁) , ファールベック
(Pontus Erland Fahlbeck, Die Klassen und die Gesellschaft, 1922,15, 50頁)などの奴隷制度研究家たちに
よっても述べられている。
上に指示したように,人問が原則として嫌忌する労働を無慈悲に強制する奴隷制度は,異民族 間の著大な差異に根ざす以上,その差異の存しない同一民族の成員を奴隷とする事はあり得ない 筈である。然るに奴隷には二種の別があって,異民族の成員を奴隷としているものと自民族の成 員を奴隷としているものとがある。前者は族外奴隷
(extratribalslave)後者は族内奴隷 (intra‑ tribal slave)と呼ばれる。これまでに挙げた奴隷論はすべて族外奴隷制についての論述であった。族内奴隷とはそもそもいかなるものであろうか。簡明に言うならば本来の奴隷は族外奴隷であり,
族内奴隷は準奴隷ないし擬制的・擬似的奴隷である。族内の者が奴隷の身分に落とされるのは,
犯罪・返済不能な借財・重大な過失などの特別な事情によるのであるが,いかなる事情によるに もせよ,その者が人間である事は主人によって認知されており,然る以上はその者を動物同様に 非人道的に扱うことは主人としても忍びないのが当然である。故に族内奴隷は苛酷な扱いをされ ないのが通則である。族内奴隷は主人の生活事情や心の動きも主人との類似性共通性が多いが故 に了解し易いところからも,主人の細かな雑用を足す地位に置かれ易く,従って彼は主人の家に 主人の家族とともに暮らす場合が多い。この主人の家族との共同生活によって.主人の家族と奴 隷との接触交渉が頻繁に重ねられ,これによって上下の類似性・共通性が増すとともに.相互の 了解が広まり深まる。この事は主人の奴隷に対する同情や憐憫をつちかい,奴隷の扱いをやさし く温いものにするようになり易い。主人と生活を共にする奴隷は屋内奴隷 ( f a m i l i au r b a n a ) と 呼ばれるが.族内奴隷は屋内奴隷になり易<. 屋内奴隷の待遇は決して苛酷なものではなく,し ばしば準家族員の如く見倣されまた扱われる事は. 多くの学者の一致して認めるところである ( N i e b o e r , 前掲書, 4 3 1 頁 , WilliamGraham Sumner, F o l k w a y s , 1 9 0 7 , 2 6 8 , 2 8 2 頁 ) 。
族外奴隷は,族内奴隷を屋内奴隷たらしめ主人との類似性・共通性を欠く点よりしても,屋外 奴隷 ( f a m i l i ar u s t i c a ) たらしめられ易く,屋外の主な仕事は農耕であって,屋外奴隷は農耕地 において本格的な労働を強制的に課せられるが.主人は大抵大土地所有者であり,彼は大なる耕 地で働かしめる奴隷の使役を奴隷監督に任せるのが通例であったから,主人と奴隷が接触交渉す る機会は皆無に近かった。従って両者の間に存する著大な差異が減少する可能性は少しも存在せ ず,故にまた両者の間に関心や了解の深まる筈もなかった。為に族外奴隷即ち屋外奴隷なる農耕 奴隷には彼等が嫌悪し忌避する本格的労働が仮借なく強制され,彼らは常に非人道的扱いを蒙ら なければならなかったのである。ここにおいて特に注意されるべきは,著大なる差異の存する場 合には,料酌・諒察の生ずるべき基盤が欠如するが故に,同情憐憫もまた生じ得ない事,また,
接触交渉の欠如する場合には,類似性・共通性の成長すべき蓋然性が存在しないが故に,相互の 関心・顧慮も生じ得ないという事である。而して,族外奴隷即ち農耕奴隷と主人との間には上の 二つの場合がともに存在したのであるから,主人の念頭には,生ける道具と観念している自己所 有の奴隷が負っている強制労働に伴う苦痛や,この苦痛を緩和軽減しまた労働の効率を上げるべ
き生産技術の改良などの問題は,全く浮かばなかったのである。
奴隷制度は古代史の初期から末期まで存続したが,この幾千年もの長期間にわたって生産活動 を強制された奴隷労働になんらの改良進歩のための考慮も払われなかったという驚くべき事実の よって来たったところは,上に考察した通りであるが,この生産労働の技術的停滞は,他の文化 領域の進歩発達に対して,生産労働をして遅れをとり均衡を失ったものたらしめ,かつては社会 の発展文化の進歩を支持促進した奴隷制度をして,これらの発展進歩を妨害する栓桔に転化せし めるにいたった。古代史の最後を飾るローマ帝国を衰亡に導いた要因としては,諸家によって種 々のものが挙げられているが,その中に上の生産技術の改良の閑却無視が見出されるのは当然の 事と言わねばならない。ところで,ここにまた一つ看過すべからざる奇異とも称すべき事実があ
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る。それは古代の長い期間において奴隷の叛乱が頗る少ないという事実である。堪え難い労働の 絶え間ない強制や非人道的な酷遇の連続は,奴隷の反抗叛乱を随時随所に発生せしめたであろう
と思われ易く,また, しばしば大規模な奴隷一揆が勃発して,奴隷制度の維持を困難にしたと,
常識的に説かれる場合が少なくないが,併し,その叛乱の具体例は殆ど挙げられていない。この 事は奴隷の叛乱は案外に少なかったのを示すものと解される。その少ない実際の叛乱は,奴隷に 対する酷遇虐待の理由根拠に分析批判を加え,この制度の不正不当なる事を唱え,支配階級を打 倒して自由平等の社会を実現し,またはみずからが社会の支配権を握らんとしたものではなく,
ただ堪え難い抑圧強制から逃れることを目指したものであった。奴隷の叛乱の最も大規模であり 最も有名なかのスパルククスの叛乱の如きでさえこの例であって,彼らが勝利を占めて優位に立
った時に,彼らが企てたのは,アルプスを越えて非人道的な抑圧強制の境涯から逃れ,自由の身 となるためにみずからの故郷に帰らんとすることであった。
上述の如く,非人道的な奴隷制度の出現は,民族問の差異が著大なるがために,他民族の所属 者を人間として認定し得なかったという事情に根ざすのであるが,支配者側が奴隷の側の人間性 を認定し得ないと同様に,奴隷の側も支配者を人間とは認定し得なかった。而して,奴隷にとっ て支配者は奴隷を征服した圧倒的な力の所有者であるが故に,奴隷がみずからを人間としている 以上,支配者は人間にまさる超人間的な存在者となる訳であるが,超人的であるが故に,その超 人性の内容は人間としての奴隷の分析把捉の力を超える。また過重な強制労働によって疲労困懲 が続き,食事と睡眠以外には何をする慾も力も無いのが奴隷の日常である。従って奴隷は支配者
の抑圧強制をはじめ一切の行為の理由・根拠•原因・目的・意義・価値等々の一切に対して,究明・理解・批判・評価等々の努力を払うことなく,凡てを不可知なものとして,自己に下される 命令に只管服従する態度を執る。即ち奴隷は支配者に対して盲目的に絶対服従を捧げるのである。
これに対して支配者は絶対的な専制的支配の体制を確保し得る訳である。このように,下位者の 盲目的無条件的服従を確保し得る勢力を威光
(prestige)と名づけるならば,支配者は奴隷に対 して威光を有したが故に,奴隷は支配者の抑圧強制に対して盲従し,敢えて反抗叛乱の態度を執 ることをしなかったのである。
奴隷に対して威光を維持し絶対的支配を確保するためには,奴隷制度の基盤をなす著大なる上 下の差異の減少を防がねばならず,これがためには上下の接触交渉の遮断を厳にせねばならね。
故に,奴隷と主人との間の分業は明確に固定され,奴隷が彼らの業務として強制されている肉体 労働以外に関与することは固く禁止され,これ以外の業務は支配者側の独占するところであった のは当然であり,特に奴隷が上層民に紛れ込んで軍事や政治に関係するが如きことがあれば,そ の者は直ちに死刑その他の厳罰に処せられたのは言うまでもない。ローマの末期にはこの軍事政 治からの奴隷の排除が緩んだために,上層民は下層民とは類を異にする不可侵不可抗の絶対的支 配者なりとする観念が薄れ,奴隷の反抗的態度が生まれ,奴隷の暴動
(servileinsurrection)の危険が生ずるにいたった
(Nieboer,前掲書, 401 2頁。
Ingram,前掲書,44 53頁)。若しも暴
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動が発生した場合には,直ちに軍隊を以てこれを鎮圧するとともに,その首謀者を凄惨目を蔽わ しめるような方法で処刑した。これは上下の力の優劣がいかに甚しいか,従って暴動がいかに無 益無謀なものに過ぎないかを,奴隷に強烈に印象づけて,二度とかかる企てをなさしめざらんと する意図よりのことである。また上下の甚大な差異ないし距離を瞬時も忘れることなからしめる ために,衣食住をはじめ一切の行為の様式の上下の別による差異を制定し,甚しきは,奴隷の身 体に毀傷を加え,それを奴隷の印たらしめるが如き場合もあった。上下の接触交渉を防退拒制す るには,上層民をして下層民を嫌悪忌避せしめることが有効であり,これがために,上層民の側 に下層民を賤視ないし不浄視する態度を養うことも大いに行なわれた。
以上はただ幾千年にわたる古代の上下階級問の支配と服従の関係を労働との関連において略述 したのみであり,論ずべくして触れ得なかった問題のなお多々ある事は明らかであるが,それら についての詳論は他の機会に譲らねばならない。
V
ローマの衰亡とともに古代も終末に達して, ヨーロッパ世界は深い暗黒の中に没した。数百年 の後にその暗黒から漸次姿を現したのは封建社会である。ローマ帝国の後継者たる神聖ローマ帝 国は国家としての統治力を有たざる有名無実のものに過ぎなかったので,治安が極度に乱れて群 盗が横行し,また大なる権勢を擁する者の間の戦乱が相次ぎ,更に疫病の流行が頻発した上に,
飢饉もしばしば反復したので,一般人民は不断に生命財産の安全を脅かされつづけた。無力な一 般人民が自己の安全を計らんとすれば,優れた武力を擁している豪族ないし領主にすがるのほか はなく,また人力の及ばざる願望のためには,僧侶にすがって神の恵みを求めるのほかはなかっ た。併しながら,これら両者とも無償で庇護ないし扶助を与える筈はなく,然るべき財物や労役
を提供せねばならぬは当然である。かかる財物が貢租となり,労役は賦役となり,これらを受け る豪族や僧侶は領主となり,これらを提供する人民は隷属民ないし領民となって,双方は上下の 関係において結ばれたのである。
このようにして新たに形成された上下の階級は,外部との征服戦争の結果によるものではなく,
従ってここには上層民による下層民の人間性の否認は無く,故に下層民が奴隷とされることは,
僅少な特殊例外を除いては生じなかった。併しながら,上層の威光の基盤をなす上下の行為様式 の差異並びに接触交渉の遮断はなお載然と明確に存立していた。即ち,上層は政治・軍事・宗教 を専らにし,下層は生産労働の一切を負わされる階級的分業が確立し,労働の嫌悪と快楽の希求 はあまねく存在したが,上の分業の基本線からはずれることは一切許されなかった。また,人知 の進歩しなかった当時のこととて,何かと神助にすがらんとすることが多く,この民の願望に添 うように神意を動かす機能を占有している僧侶も,民の生活の安寧幸福を左右する者として,高 い優位に立ち,財物の寄進を受ける機会が多かったので,斯くて堆積する大なる富力によって,
僧侶にもまた領地と武力を蓄える者が少なからず,従って僧侶の間からもまた政治・ 軍事に関与
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して,封建領主の地位を占める者が続出したのである。
一切の生産労働から免れて,治安の維持と外敵の防禦に専念する領主は,自己の武力を充実し 軍備の拡張に努力するは自然の事であるが,その結果として軍事力が伸張した領主は,いずれも それを以て他の領主を撃破し得ると信ずるにつれて,虎視耽々として隣国を侵すべき機を狙うに いたる。故に当時の年代記は毎年のようにこのような領主の侵入による戦争の記録を載せている のである。従って,各領地とも不断に外敵侵入の危険にさらされ,常住にこれに対する戦備を整 えていなければならなくなる。即ち準戦時態勢が不断に必要になるのであり,斯くて社会が慢性 的戦争状態
(chronicmilitancy)に置かれることになるのである。このような状態において最も重要なのは軍事機能であり,この機能を掌握している武士が最大の勢力を握るのは自然の勢であ る。而して外部との闘争に当たっての最高の要件は内部の総力を挙げて敵と戦う事であるが,こ こで大切なのは挙げた総力を有効適切に敵に向かって発揮する事であり,これ以外のことに力を 費すことのないよう厳にいましめなければならない。このためには社会の全員を位階的体統
(hierarchy)の下に編成し,一階でも下の者は上位者に絶対的に服従し,上位者に対して批判的態度を執りまたは対抗反抗するが如きことを絶無ならしめることが肝要である。斯くの如くにし て封建社会においては,武士が武士の機能をも兼備する僧侶とともに最上層を占め,庶民はこれ に対して絶対的服従を捧げることとなるのである。この理に従って戦時においては,ひとり封建 社会においてのみならずあらゆる社会において,軍事を掌握する者の絶対的支配とその下にある 者の絶対的服従が生成する事は,古今東西に認められるところである。
封建社会の階級の基本的特質の一つは厳重な封鎖性であって,階級の境を越えての上昇や下降 の移動は許されない。換言すれば,階級間の人間の周流
(circulation,Umlauf)は認められない。従って,人は出生とともに親の属する階級に属し,生涯他の階級の所属員となることは出来ない。
故に人はいずれも父祖伝来の階級に終生属し,彼の子孫もまた彼と同一の階級に属するのである。
このような封鎖性を特色とする階級を独澳社会学は身分層
(Stand)と呼びならわしている。従 って,身分層から成る社会は身分社会
(Standegesellschaft)と呼ばれるが,この社会では人が 自己の才能・容色・徳性などの特質によって上昇したり下降したりする可能性は存続しないので あって,氏なくして玉の輿に乗るというが如きも,全く例外的な稀有の事柄であり,それ故に世 の注意を惹き問題となるのである。このように階級所属が出生によって定まるところから,身分 層にはまた出生階級
(Geburtsstand)なる名称の当てられる場合もある。この階級間の移動の 禁止は分離的排除
(dissociativeexclusion)の作用をなし, これによって,いかなる階級にも 他の階級の所属員の入り込むことはないから,なに人もかつて他の階級に属していた者と今は同 階級の者として親しく接触するという機会はなく,従って斯かる接触を通じて他の階級について の知識を増し,また他の階級の行為ないし生活の様式を学びとる機会も生じない。この事は,封 建社会においては階級間の類似性の増加を抑制し,他階級についての分析把捉批判の生起を防止 し,準戦時態勢によって樹立された上層の威光の保持に役立つのは明らかである。更にまた,階
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級間の移動の禁止は階級的所属を異にする者の問の交際を抑制する方向に作用するも自然の事で あって,身分社会では階級を異にする人々が交際を続けて生活を共にする機会も乏しい。斯くの 如くにして,身分社会では上下の接触が幾重にも遮断されているので,上層の威光がこの面から 支持強化されるところが少なくないのである。
階級間の分業の確立している所では,職業の差異が基盤となって,これから思惟感情意慾行動 の様式の差異が発生し成長し易いのは自然の事であるが, この事もまた人が所属階級以外の階級 について分析把捉を行ない批判検討を加えることを妨碍抑塞するので,これによっても上層民の 威光は支援補強されるところがある。この点に着目して上層民は自己の衣食住をはじめ各種の行 為様式を下層民が模倣することを法を以て禁止し, この禁止に反する者を処罰する場合もあるの は周知の通りである。
以上の通り身分社会従って封建社会では,人の知識関心は自己の所属階級内に限定されて,そ れ以外には及び難いと同時に,地域の面においても自己の居住地域内に局限されて,それの外に 迄及び難い。これは当時は交通の便が未発達で,道路が悪くかつ少なかった上に,上述の如く治 安が乱れていたので,自己が戴く領主が支配する地域以外では危険と困難が甚大であって,旅行 の如きは殆ど不可能であったという事情により,更にこの地域以外とは慢性的闘争状態にあった が故に,あらゆる領主が他領の者の自領内に入ることを厳しく取り締まっていた事にもよる。こ れらの事情よりして当時の経済は自給自足を計るを原則とし,必用物資を外部から仰ぐことのな いのを期するのが通例であったので,人が所属領地の境を越えて外の土地と往来する必要は殆ど 無かった。故に人は生まれ育だった土地以外に出ることが殆ど無かったのである。同様にして外 部の他領の者が入って来ることも無かった。故に人は外部にどのような良い物珍しい物があって も,それについて知る由もなく,従って,内部に無い新奇な物が外部から取り入れられて,それ が内部の在来の物にとって代わるという変化の生ずる蓋然性は,階級的及び地域的封鎖性の強か った封建時代の前半においては,殆どなかったのである。また当時の狭く区画され人口も少なか った封建領地の内部において,従来見られなかった珍しい物を新たに発見ないし発明するような 変り種の人間が現れて,内部から変化交代を生ぜしめる蓋然性も極めて乏しかった。故に当時の 封建領地内においては,新たな物の出現による変化変動の生まれる蓋然性は無いに近かった訳で ある。こうした社会ではあらゆる行為の様式が慣習となって人間生活を支配するにいたる事は自 然の事である。
変化交代の生じない社会においては,在来の物が存続するのは当然の事であるが,こうして同 ーの物が長く存続する間に,その物のいずれかの部分に,その社会の人々の生活行動により良く 適合合致するように,微小ながら改良が試みられる事はあり得るが,このような改良が長い年月 の間に重ねられれば,その物の美的または実用的価値が増すことになり,それだけその物が愛好 されるようになる。こうなればその物はますます大切に保持され後世に伝達されて,その物を使 用するという行為の様式が伝統として確立する。ところで,人間は,初めから馴れ親しんできた
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物については,分かりきった自明の物として,それの意義・価値・理由・根拠・目的・原因・結 果等々を,反省・検討・究明・批判することをしないという没合理的ないし即自的 ( a ns i c h ) な 態度で生きているものであるとは,現代実存哲学の説くところであるが,区画封鎖の強い封建社 会においては,大抵の慣習ないし伝統は人の生まれる前から存在し,出生以来馴れ親しんできた ものであるから,なに人もあらゆる慣習伝統に没入して,それらについて反省批判を加えるが如 きことは全くなかった。すべての事は昔から斯くあり,従って遵守するのが当然であり,これに 対して疑義を抱きかれこれ言うが如きは,奇妙奇怪なこととされるのであった。
上のような封建社会における中世人の合理性を没却し欠如した生き方には,非合理的な俗信迷 信の類が多く,巫女魔女への信頼が一般に存在し,占星術や錬金術などが盛行をみた事や,荒唐 無稽な物語や伝統がもてはやされた事によく現れている。特に,神に仕える高い身分の者たる僧 侶への心服は厚く,従って僧侶によって意の儘に動かされ易かった。 1 3 世紀のドミニカン派フラ ンシスカン派の僧侶たちは下層民衆の間に生活し,教師として活動したが,その目的は啓蒙より もむしろ一般民衆を疎雑な神信心と当時の迷信並びに教会に対する服従の中にしっかりつかまえ ておく事であった。この点で彼らは法王の民兵とも言えるものであった
(Fahlbeck,‑前掲書,
196頁)。こうした僧侶たちの教えを素朴無批判的に受け入れ,それに随順するところから, 僧侶が 効験あらたかなりと称するお札を庶民が喜んで購入するということもさかんに行なわれたのであ る。同時にまた即自性によって上層に向かっては盲目的服従の態度を執るのを通則とした下層民 に対して,上層民は恣意的支配を行なうことが出来た。このことが可能であったが故に,この支 配は昔から苛倣誅求に富むものであったが,下層民はその峻厳暴戻な収奪搾取を検討究明し,そ れの不正非道なるゆえんを閾明して,上層に対して非難攻撃を加えるだけの知性の働きがなく,
あらゆる不当苛酷な抑圧強制を昔からのことゆえ已むを得ずとし,すべてを所与の免れ難い運命 として,眼をつむって堪えてゆくという態度に終始するのであった。他方上層民は,このような 下層民の即自的盲従を確保する自己の威光を維持強化する方便の一つとして,上下の優劣の差の 甚大なる事を下層民に強く印象づけるためにも,下層民に対して侮蔑賤視の態度を執る。この事 はまた上層民の側に下層民への嫌悪感・不快感を生ぜしめ,下層民との接触を避け,下層民の行 為様式を忌む態度を助長し,下層民が上層民について知ることと上下の類似性との増大を防ぐに 役立つ事を通じて,上層民の専制的恣意的支配を絶対的ならしめるという意義をもつ。下層民は これによってますます上層民を自分達とは種を異にする近寄り難い存在と感じ,無批判的黙従を 捧げるという態度を固めるのであり,これに応じて上層民はますます下層民を無視して恣意的生 活に耽るのであるが,そこには人間の本性たる労働の嫌悪と快楽の愛好とが憶することなく現れ て,一切の労働を下層の負うべき下賤下等な営みなるが故に上層民の触れるべからざるものとし て遠ざけるとともに,下層民とても人間の本性として願望しつつもそれを楽しみ得る望みの無い 武芸・狩猟・賭け事・遊戯・遊宴等々に耽り,浪費を自己の特権更には美徳として誇り,これら
をなし得ざる下層民を力量・甲斐性のない無能力なる者としてあなどり・いやしめ•おとしめ・
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さげすんで,賤民扱いをするにいたるのであった。
下層庶民の主要部分は農民であったが,彼等も人類社会に属する者としては認定されていたの で,古代の農耕負担民の如く奴隷としては扱われなかったが,大部分の者が農奴という名称を負 わされていた事からも明らかなように,半ば奴隷のような境涯に置かれていた。いまここに農奴 制について述べることは控えるが,上下両層は上述の通りともに人間ではあっても,万事に優劣 の顕著な差異が存する別種のものとして感じ合っていたので,上層民は下層民の喜悲憂歓をなん ら顧慮することなく,必要に応じて重い貢税労役を課するのであったが,耕作地に繋縛されて他 を見聞する暇もなく, 日夜労苦に喘いでいて省思の余力もない農民は,即自的態度から脱するこ となく,苛税酷役に黙々として堪えているのであった。
後には市民の中心となって資本主義発展の先頭に立つにいたった商人も,封建時代の初期にお いては,特に著しい賤侮・酷遇の対象とされた。元来封建社会では経済は自給自足を立て前とし たのは,先に触れた通りであって,必要物資を外界に仰がねばならぬような場合には,それを生 産し得る者を内部に招致して,自給を計るのが例であった。故に封建時代の前期においては,
「物資は生産者から直接購買者へ」を原則とする事を市湯法が規定していたほどであり,こうし た場合には商人は殆ど必要もなく,無用無役に近いものであった。従って商人の数は頗る僅かで あり,平素は農業に従事している者が,特殊な場合に臨時に商人と成るような有様であった。こ の事は,当時町らしいものが出来初めても,住民には農家が多く,町の街道には鶏や豚が動きま わっていたという一事によっても知られよう。 「物は異郷に入って貴し」という理により,商品 の売り値が買い値より高くて,商人の狙う儲けが大きくなるのは,仕入れの場所と売却の湯所と の距離の長い場合であるが,上述の通り封建前期には遠距離の往来を困難ならしめる諸々の事情 があったので,遠距離商業によって富を積むようなことは,早期の商人には望むべくもなかった のみならず,近距離の往復すら悪路のために,足は崖芥にまみれ,衣服は擦切れて,見る人に汚 穣卑賤の印象を与えるのが常であった。
それのみならず,言うまでもなく商人は,みずからなにものをも生産することなく,需要のあ る特定の物品の欠如している所に,その品の余剰のある所からそれを安く仕入れて来て,高値で 提供し,その間に得られる儲けないし利鞘を以て生計を立てている者である。この生産活動を営 まぬという点から,とかく商人は労することなくして不当の利を収める者の如くにみられ易く,
ために憎悪冷遇の対象とされる傾きもあった。日本において,天下の富豪と認められた大商人の 輩出をみた江戸時代の末期においてさえ,商人は林子平などによって天下の穀つぶしと悪罵を浴 びせられているほどであるから, ヨーロッバの封建前期の商人が容赦なく下賤劣等な者として抑 圧酷遇された事は怪しむに足りないであろう。この間の消息はトーニーによって種々語られてい る。即ち,中世の政策は商人の行動をあの煩雑な規則でがんじがらめに縛りあげ,商人に対する 嵐のような憤激が繰り返して起こり,また,消費者'と生産者との間に介在する仲介業者を都市は 遠慮会釈もなく抑圧するという有様であった(トーニー,前掲書,
72頁)。中世の初期において‑ 1 1 ‑
は,商人は,詐欺と不当利得とによって生活しているから,救い難いものだと考えている者もあ った(上同書 47 頁)。こうして,腐肉を争う狼のようにみられていた商人はいくら抑圧し搾取 してもかまわないということになるのも怪しむに足りないであろう。商人がなんらかの社会的職 分を有っているかのように解釈することはなかなか容易ではなかった当時の人々は,商人を以て 単に無際限な富の欲望 ( a p p e t i t u sd i v i t i a r u m i n f i n i t u s ) を本質とするものとし, (上同書,
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