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『宗教研究』第3年第11号(*11号)

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(1)

――目次―― 1,諸種夢経の思想発展論,手島文倉,Humikura TEJIMA,pp.1-32. 2,印度仏教最後の大学,河口慧海,Ekai KAWAGUCHI,pp.33-71. 3,仏教史家としての凝然の態度に関する研究,大屋徳城,Tokuzyō ŌYA,pp.72-90. 4,弘法大師について,神山諦鑁,Taiban KŌYAMA,pp.91-133. Posted in 1920(大正9)年

(2)

静 長 泉 憩 息 の 艇 夢 種 諸

手 島 支 倉

諸種夢経と云ふのは大小乗各種の盟ハの中で夢に関する多くの経文を指したので此等各種の

夢の経文の間に何等か、彼此密接な息想上の腋絡関係は無いであらうかと詮索して見ようと云

ふのが、此の稿の主旨でぁる。勿論此の題下に考ふ可き事は、随分廣汎な範囲に五って居る様

に恩はるゝが今は極その大要を次の四項目に就いて概論する事にしよう。先づ、竺は同じ彿

典と云ふ中にも大乗と小乗と夢の説き方が異って居るので大鰹奈何様な相違が有るかと云ふ︼

勲を述べ度いと息ふ。要望は彿具に見えた夢の概念、定義、本質論と云った様な者を批評

諸種夢経の思想螢展論

_ 1 −

(3)

貌一十多 年三夢 死軒数宋 紹介し、第三には、諸種の備典上に願はれた夢の経文相互間の思想、又は著しい貸例二三を畢 げ、最後に第四に及んで、夢その者を誼′、事を主旨とした、純粋の夢経に就いて、其の思想番 展の迩を辿って見たいと恩ふのである。先つ大隠以上の四段に依って、以下少しく卑見を述べ て見ようと息ふが、固J㌻り十分の考筐研理を遂げたと云ふ自信は無いのであるから、前以て汲 め大方諸兄の御叱正を箕って置く次第である。 〓 同じ悌典中でも、大乗彿典と小乗彿典とには、自ら、夢の見方、説き方の相違の存する事は 言ふ迄も無いが、総じて言へば、小森悌典の方は、夢その者を問題の中心にして批評論談せん とするのでは無く、寧ろ夢に託して、或る重大な事件、慶化を暗示せんとするのが本意らしく 息はるゝに反し、大乗彿典の方では、夢の本質、その貸鰹の有無、蕃惑の差別等の叔本間題に 触れて、小乗経の常識的、否、寧ろ原始的、自然的の税方に封し、此は大に批判的、形而上撃 的の親方に迷って凍た摸である。例之、偶の母摩耶夫人が、一日白象が右脇から腹中に入った と歩みて、悉多太子を托胎した様な経文は、夢を訟かんとするのでは無く、要は彿の托胎と ーーーー 2 −−

(4)

論 展 数 想 息 の 鮭 夢 椀 謎

云ふ寛大事件を暗示せんとするに在るが如くでかる。此に反し、多くの般若経を始め、其の他

の大乗彿典では、一切法如夢との皆愉に説かれた者が屡々であるが、此は夢の本質鷺懐から論

じ凍って、其の貸有れども無きが如く、無けれども有るが如き一切法を観るに都合好い例とし

〇〇 花に過ぎない。﹃金剛般若﹄には、﹃︼切有馬法、如夢幻泡影、如露亦如電、應作如是脱﹄︵月九、−二 十二︶と云ふ有名な偶文が有る。此は普通、﹃六如の侶﹄、又は﹃六喩の伯﹄と柄せられて居るが岡 本選評の他の五本を見ると、眞諦謬が濁り長行にしてある例外はあるが、︵月九、・i三十四︶他は 皆由言か五言かの伽他で、然も五本悉く九喩となつて居る事を忘れrはならぬ。一例せば、元魂 0 菩提流支の繹は、﹃−切有馬法、如星翳燈幻、露地夢電雲、應作如鼻茹巴。︵月九、・童二王ハTなつ て居る。︵隋、笈多評︵月九、−三十八︶。唐、玄弊繹︵月九り・∴四十六︶。義辞望月九、・−四十一︶ 参照︶。此に依って見れば、六如、六喩は六に意蓑があるのでなく、什謬原本の相違でなくして、

恐らくは文字句黙の鰹裁上、九如里ハ如としたのであらうと恩はぎるを得ぬ。姿之、六憾も九

喩も、元は天台智者の﹃金剛粒琉﹄にも註する如く、︵呂七、−三十八︶﹃大品般若﹄の十囁から家

たので、其の十喩とは﹃智諭﹄六には、

C ︵竺、−四十二︶ 解了諸法如幻、如梅−如水中月、如虔雪如響如稔朗婁城.如歩、如影.加療中傷、如他。 ー ご;・・・−・・・・−

(5)

♯一十誇 年三筋 究軒数森

0=0︼ と記してぁるが、要するに、十喩、九愉、六喩は囁次に省鯨して行ったので、而も常に如夢の

lが在る串は看過してはならぬ。論黙岐路に走ったが、如夢の例が、大乗経に往々出さるゝ着 である串を言ひ空い食めに過ぎぬ。然らば、斬る例の如夢とは如何なる意義であるかと云ふに ﹃智静﹄には次の様に詭明されて有る。 如夢蕃、如夢中無賃事.謂之有賀、畳己知無.而還自失、人亦如是、請鈷使鹿中、栗無碕著、禅道登時、カ知無粟、亦 復自笑、以是故首如莞 復次夢者眠力故・無法再見、人亦如是−無明脱力故、種々無両見有、所謂表、我所、男女等。 復欠如夢中、無事事雨音、親閲事両駅、無怖亭而鹿、三界衆生亦如是、無明脆故、不應餌而餌、不鱒冨而甚、不慮怖 雨林。︵往二、−四十三︶ 即ち此に依って見れば、有為世間の常象差別は、夢に現する世界の様な者で、覚醒して見れば 何等軌持すべき我、我所、喜怒京紫も無いと云ふので、盲人から見れば、極めて常識的号説明 に過ぎない好例である。然し、斯る否定的夢の東方に珠る前に、夢を肯定的に、勿鰹哲附けて 見て居た小乗経文の時代有る事を忘れてはならぬ。更に、大衆俳典の或着では、夢の本質を論 じて夢の怒識を批評して居るけれども、夢の怒識壷般ぉ客じ去らんとする按壊諭では無く、唯 事は、夢の観取封象を否定するに止って、歩みると云ふ主観の事著その者を否定するのではな いのであも。此等ほ後に諭する機骨が有るから譲って置くが、然るに小乗彿典の夢は要するに ー 4 −

(6)

論 展 亜 想 息 の 捷 夢 種 話 或る要件の背景の前に舞って居る着で、要件の暗示︵Sl−gge鼓○;︶、又は標語︵SヽmbO−︶として

見らる可き者に過ぎない様である。障って、小乗彿典中の夢者は、必らす修行未熟の外道、孝

聞、四輩の徒子、彿法外護の国王、長者等に限って居る。此は前途に一大危急要昼が逼迫して

居るに狗はらす、彼等未熟の徒は、自己の修智、よく播凍を洞軌前知するに足ト∴はいが食めに

之を汲知せしむ可く夢なる者を以て祢ふに至った着であらう。今その一例を畢ぐれば、隋、関

都堀多詩﹃四童子三昧鮭﹄上巻に依ると、彿の拘戸部端塵詠中に於て、般捏奨に入られんとす

るに臨み、天眼第一の稀有る阿尼婁陀︵A−1iru︵一︵ごーエの如きは、須浦山頂に在って諸天の鰯め

に論法して居ったが、清浄の天眼を以て一切諸天を僻執するに皆宮殿を出で四方に散乱し、衆

春屈と倶に悲泣故要して、哀青天地を震域し須滞山峯も倒崩せんばかト∴に、﹃今大将種、繹迦串

尼辞中勝王︰︰姿都林所在璧柿間、欲入無除寂滅捏柴﹄と叫喚奔馳するを聞き、直に彿の入滅

を知って、四聾の彿徒を召集し、自ら彿併に到♭、諸家人天と共に之を悲んだと云ふ事である

が、未だ天眼通を得ぎる阿難︵㌢昌dエの如きは、二十鎗年も彿に近侍したる程左様に密接

の関係有る彿の捏葉が近づき乍ら、此を汲知するの術がない。其虞で、此の一身に逼った大事

件を彼に汲知せしめた者は、彿捏柴の悲相を楼緻せんとする悲しい夢であつた。彿入城の前夜

− 5 −

(7)

㌍−十筋 年三 筋 究軒数浣

阿難は一恵夢を威じて、大に驚怖憂憎し、馳せ参じて、彿所に向ひ、惨愁合掌して彿を熟成し

て居た併、彿は﹃何故如是熟視於我眼不暫瞬﹄と間ふたので、阿難は悲哀の所以を白し、﹃我於

昨夜、忽終見夢、身毛馬攣甚大怖慢、必是如凍捏渠允相﹄とて、以下件の間はるゝまゝに、

夢の内容を次の如く伽他に依って答へた。

昨夜所見歩、可長身毛竪︰︰忽於世界中、出生康大樹l微妙甚可取、骨有落花果、普授衆生界⋮・高重於有頂l彼樹出 妙畢、具設諸法相⋮・彼樹出光血∵︰・光明折損者、必首相制益、綬掛由妙香︰︰如長大妙樹−安架訪来年、拙折力士地 臥於貸樹問、蘭時千故衆、飯蛸不思議、且此大樹倒−悲兢而基泣、忽不開披犀・亦復不問香−各不能自起、我亦迷悶倒 我昨夢如足、無念可異相、如我所見串、具眼餐我詮。 ︵盈九−六十五、六︶ 斯くて、彿は、阿難始め悲める諸人天の訪問に封へて.﹃汝賛美憂苦、知新鬼無異、今夜取捏柴、

在於饗林下。﹄と像言せられ、阿難は悲泣働芙したが、後漸く阿尼婁陀の説く併に依って悟った

事となつて居る。︵竺法護の別本﹁方等泥直経﹂上、壷九−五十二二︶蓼蝿︶阿難は、車間で 天眼は無いが、而も彿の入滅を少しも知らぬとは不自然である0此を調和する褒めに譲歩を現

じたと云ふのは、如何にも通常な方便と言つて宜い。此の経は決して小乗経ではないけれども

多くの小弟彿典の夢ほ大概斯る株式の説き方であつて■如ち夢其の者を如貸に謁して、或る事

件を汲示せんとする原始的のやら方であるが、大衆に至っては、此が大に批評的の見地に踏み

− 6 −

(8)

諭 展 費 想 息 ¢ 経 夢 種 緒 込んで凍て居るのである事、前述の如くである。但し大乗経と雄も、小乗経の材料を其の麓睨 む入れし部身の夢は、小森と疑りはないと云ふ例外はある。以上は尤づ極大随に於ける、大小 乗彿奥の夢の説き方の坂本的差違を約述したのである。

然らば、所謂備典上の歩なる者は、其の本質、果して如何様な着であると概念されて居たで あらうか。次に、少しく夢の定義一ピ吟味して見よう。古家の数頼家にして、数理上に夢の本質 を除わ論じた者を聞かないが、﹃倶合﹄の七十五法﹃唯鼓﹄の首法中には、勿論夢なる名目は敢 へられて居らぬ。けれども強ひて求むれば、心併有紘︵Citt蔓かprPy己︷訂2訂訂rぶ︶の不足地 ︵A已苫什p夢亡lmikp一三に屈する者の中に、睡眠︵写d旨p︶と云ふのがあるが、恐らく夢は此に でも属するものであらうから、除り性質の善い者とは執られて居らぬらしい。夢の本鰹何ぞや を論じた着で、小乗係数論証の集大成された此較的古い者の中に見らる可きは、彼の迦胱色迦 王︵国書i甘エの世、西暦紀元前後の頃、五百の比丘を集めて篇碁したと停へらるゝ﹃阿見達磨 大足婆婆論﹄の余三十七であらう。此に依ると、夢は本家有るが如くにして、其の賓、賓鰹無 ■I ニ 一 一 −

(9)

戟一十第 年三三 第 究軒数歳

き迷妄であるとの常識的な否定的方面を主張する人々の詮を鴇げた後、左りとて否定的方面の

みを高調するに於ては、奥経の本文を十卦に解辞する事が出家ぬが故に、他面其の積極的肯定

詭をも観めざる可らすとて、次の如く夢の賓有を論じて凍た。

復次、瓜破他宗願正義故、謂戎有執夢非強有、如潜喰者、彼作是設、夢中自見飲食飽満語根充恍、堅己飢滑身力虐殺、

夢中白月静屈簡捷券五緊曹、款娯受架.曳巳皆無.伺鹿愁轍.夢中自見凹兵園続来腎馳走、愚巳安然、由比腱知、歩非 0000000000つ00000 賓有、虜邁彼執、蘇発布彗若夢非貨、使途契鮭、加勢総軍︰∴牧こ、∼五十︶

斯くて、以下汲新富王の十夢の如き奥経所詮の夢を例示して、夢の賢有を粁明して居るが、是

を以て観るに、紀元一世紀の頃、巳に菜に龍樹が﹃智諭﹄に証した様な夢の虚無的軌方を主張

する徒が可捏7ウ多く有ったらしく、而して彼等は夢中の飲食、快斐、驚怖が醒めて後、却って

反動現象としての現質は残る事あるも、夢と現賓と何等無錆係である事を盛に栴へたらしい。

是に於てか小乗彿典斡護の必要に追わ、論者は種々の彿典を引用して、併設の聖教畳を盾に、夢

の賓有、即ち眞意義の有る着たる肯定方面を封祝したのであらうと思はる∼。以て昔時巳に小

糸彿軽の勢力漸次稀薄と打了り、大乗的見解が漸く頭を持上げんとする欺を察知す可きであらう。

以上の拳を論じね後、蒜﹄では更に進んで、汝救、畳天と供に、婆輩の四大諭師と云はる∼妙

音、世友等の畢設を碑げで、夢の本質論に違って居る。

8

(10)

辞 展 致 想 息 ¢ 鮭 夢 種 静 夢名何法、啓、陳睡眠時、心心併法、於所縁樽l彼克巳陽性、罷瓜他説、我巳夢見如是如是亭、是謂夢。︵牧二1五十︶ 此の︼段は、夢の定義とも見る可き着であるが、夢とは何ぞ、日く、人の睡眠する時、心法 O ︵Cittp日︶ と心泣所有の別作用たる四十六杵の梓帥作用とが、所縁の現に於て特じ、眠り覚め丁 って此を随憶し、他人に其々の夢を見花と語ら得る者、之を即ち完全なる夢と云ふのであると の意であらう。心心所は、吾人の意識と威発との如き精帥作用の紙稀であるが、此が客観界に 00000000000000 樽々働くもの即ち夢とするので、請わ夢は睡眠中の意識作用捏7りと定義した静である。此は今 から二千年前の小乗彿数家の畢詭であるが、夢を似て部分的の陸わと見て居る串は現代の心理 畢、生理孝の所詮と何等選ぶ所は無い。以て如何に彿数々義の周到綿密であるかを窺知するに 足らう。但し所縁の境と云つ柁朗で、今現在、妹じて居る境の意が、過去に紋じ克境中に働く のであるか、種々に考へらるゝが故に、夢の本鰹諭に入って之を十分推考するの必要が生する のである。﹃諭﹄には更に日く、 00︹VO 間、夢以何銭自性、答即以夢時、心心所法丙蕗自性、有作是訟、悪銭自性、由玄妙カ、語心研特.取夢境故。布位帥詑、 000 念盛自性、由念勢力一発巳随憶蛮他説故。或有記者.五取註悠自性、夢時諾菰展樽、和歌成夢事故。 視有記者、以一 〇〇 句法烙夢自性∵皆是夢心併換事故。 ︵牧こ、−五十︶ 此に依って見ると、夢の自性、本鰹、果して何ぞやの間に勤して、凡そ五通わの答が畢げられ 0 0 _ 9 −・・・・・・・・・・・■

(11)

敏一十 第 年三夢 先軒数余 000 て居るので、内第一は、心心朗の全精神作用を夢の本鰹と見る説で、前の定義に見佗所である 0 が、次に琴一は、意を以て夢の自性となすので、即ち睡眠前の意識作用が忽ち夢に現する如き 0 を云ふので、次に琴この念、帥記憶一ぞ自性とするとは、過去から現在、現在から未凍へと打続 く記憶作用が有るから、過去の記憶は現在妙に現じ、その夢は亦記憶されて居って、畳めて後 000 他人に状況を語ら得るが如くであると云ふので、次に、第四の五取薙を自性とするとは、以上 の詭が皆精細作用とのみ説くに反して、も少し蔵本的に潮り、物塞、精細、互に粕依わ相資 けて、睡眠中と錐も、柾々の外界刺戟を扱って、夢を現出すると云ふのである。最後、第五の 000 ︼切法を自性とするとは、前説を配に抱括的に詞を改め陀迄で、五取薙と云ふ如き分数を待た す、一切寓象物心悉く此れ夢の本鰹とする説である。然し論者は、更に此が結論を試み第一詮 を取って他を排し、 詳臼、如足諾記、姓各各有故、両最初設、於鱒馬善、以此申詑、緒睡眠時、心心併法、於断線隠、此舶睡時・苦心心所 法.於併秩境、明ア樽蕃、記名珪夢、不記飴故。 ︵牧二、・−五十lJ と云って居る。此は最初から論者の主張する所であるが、他の五取蕗や、l切払を取らすしで 於ほ梓紳作用を高調せんとする風は、正に﹃唯識論﹄の駿蓬を階示して居る如く息はれ、且つ 叉心心所を飽く迄打樹てんとして、意、念を排斥する逸は﹃唯識﹄に造らんとして伺ほ、﹃倶合﹄に − 10 −

(12)

防 種 夢 鮭 の 思 想 蓉 展 鈴 拘泥せる消息を想はしむる着でほなからうか。小森から大乗への息想像展の過渡期は漸く熟し つゝあつ柁事を想像す可きである。 以上は、彿典の夢の定義、自性を論究したのであるが、斯く夢の自性論に種々有って、或は 記憶の夢、威魔の夢、又は意識の夢等と主張するに使って、夢の秤類を卦たんとするにも、赤 白ら扱稀有る可きであるから、次には、少しく夢の種類を論じて、定義を一骨明了に了解し度 いと息ふ。 田 富凍諸種の彿典類中、夢の梓琴ぞ馨げて説明した者には、古くは﹃大毘婆姿﹄が有b、次に は西暦三世紀頃の龍樹の﹃智諭﹄が有り、薪らしくは西暦五世紀の中葉、摩璃陀の大草着筆菅 ︵ぎ已−長官且が司.四分律﹄を靡辞したと云はるゝ、﹃書見律毘婆宴﹄︵Sud罵㌢宇≦bF首・5nP苫 ︶ がある。他にも有らうが、以上の三者は代表とするに足る。尤づ﹃鬼婆姿﹄の三十七巻︵牧二、− 五十〓では、吠陀︵<乱エに哉く七因縁の夢を掲げ、 苓吠臨書.作如是設、七因線故、夢見色専、如彼虜首、由管見相愛、希求亦牙別、箇有及諸病、七挽夢應知。 ーー 11−

(13)

披一十弗 年三 第 究蓼‖改宗 として、見、閲、受、希求、分別、普有、諸病の七原由7ナり来る七種の夢を説くに反し、係数 では、五因縁の夢を説くとて、次の如く記してある。 由五困線見所歩衰.如彼璧6、由挽座板習l分別骨東食、亦非人所引、五放夢廠知。 即ち、疑慮、慣腎弁別、骨吏念、非人所引の五種の夢であるが、但し此の本文の註繹では、 疑慮は分別、慣習念ほ官吏、非人所引は地引1よuニッ、此に告有、話柄の二者を合して五因縁と

右について、第︼は、他の天人、仙紳、聖賢等が榊秘のカに操って夢者を引導教訓するに起因

する夢で、前述の阿難捏柴を知る夢の如きが夫れである。第二の曾吏とは、過去の経巌、記憶

の再現する夢、筋三の常有とは、未凍の音凶、運命、鷹報を思はす現する夢、第四の分別とは、

思考、希求、疑慮等の意識勢力の張皮なる者、轟いて夢に現すると云ふので、最後の話柄に由

る夢とは、四大不調和の肉鰹苦痛から凍る原因を指したのである。此等夢の分類は紀元一世紀

の詮としては、貸に驚く可き程周到線密な着で、唯今日の料率を以て説明し難きは、他引、昔

してある。日く、 0000 鹿詑五級見所参事、︼由地引.謂若訪天諮仙帥鬼完結薬草親勝断念及緒究児析引故警 00つ0 串−或骨出習稗々事業今便夢見︶ 三由常有、謂若常有害不吉事、絵画夢中先見其朴。 0000 耗慮、即優夢見。五由請病、謂若緒大不訴適時、優駿新旭夢見彼勅。︵牧二.−五十こ 0000 二由曾吏、謂、先見開魁知丑 GOOO 四由分別、謂君恩脈、希求、 ー 1三三 _

(14)

論展亜想 息 ¢経夢 積 諾 有などでぁるが、此とて喜入日常に往々鍵螢する事のある着であるから、箕に到れり毒せ♭の 籠明であると云はねばなるまい。更に﹃諭﹄では、夢に就いて興味有る問答が往復して居るが、 ﹃夢は何人にも有る乎、補特伽牒︵Pdg已エにも有る乎﹄との閲に封し、﹃異生も、聖者も、預流 具、乃至羅漢、辟支俳の徒も、夢見る事はあるが、唯濁ら彿世告に至っては、絶えて之れ無い。 俄には睡眠は有れども、語源巳に鳩きたるが故に、睡眠と覚醒とに別なく、一切の栢倒を離れ 00 たれば夢見る可き理無し。﹄と答へて居る。成る程種々の彿典を見ても、﹃我名著薩時、於一夜中 00 作五大夢﹄と云う様な串ほ停へられて居るが、大費世告に夢があるとの経文は、未だ曾て見督 ちない。此に校照すると、一代の里人孔子の如きは、﹃甚奥書衰也久臭。書不復夢見周公﹄。︵論 語述而篇︶と云って欺かれたそうであるが、彼が始終老年までも夢を見て居た串茸は艶めらる ると共に、然も遂に夢見ざるに至ったのは諾漏鳩轟の結果で無く、老衰沓嘉の賜物であるとす れば、雨着の聞知何に人格の色彩を別にして居るかを見る可きである。儒彿の娘本差違は、亦 此の︼瑞にも十分表明されて居ると息ふ。 次に、﹃鬼婆姿﹄に後る∼凡二百年の、﹃大智度論﹄食六に付いて見るに、同じく五種の夢を挙 げて左の如く洗明されたるを見る。 _−r13 _・

(15)

披一十第 年三解 党研敦浣 復次、夢有五経、若身中不訊、苦熱鼠多−則多夢見火、見栄、見赤。苦吟鼠多則多見水自。苦瓜鼠多則多見飛見黒∪ 叉複折閲見事多段幣念故−則夢見。或天輿夢欲令知未衆事故。是五堆夢、皆無粟串両妄見。︵往﹁1四十三︶ 右の五夢中−熱気、冷気、風気の多き褒めの夢とは、﹃婆姿−闇の所謂﹃話柄に由る﹄夢で、倶に生 現的の現象説明であり、又見聞多く、思惟過ぐる食めの夢とは、前の﹃弁別﹄、﹃曾吏﹄の夢の革 で、最後の天輿夢とは前の﹃他引﹄、﹃含有﹄の両者に相恩する着である。此を以て見ると、二百 年後の﹃智諭﹄も、如何に忠賓に盲凍の停詭を停へて居るかヾ想はるゝが、唯一つ最後の一句 ﹃是五種夢、皆無質草而妄見。﹄と云ふ黙は、﹃婆婆﹄り夢を是怒し佗説明と大に趣を異にする朗 である。此は﹃大品般若﹄を註する龍樹の立場として、巳むを得なかったのであらうが、此れ 亦小乗から大乗への過渡を語る一例と見る可きであらう。 次に﹃智諭﹄に後るゝ更に凡そ二百年なる、﹃書見律毘婆婁﹄巷十二に使〃Uに、此には四種の 夢を奉げて、前岡横の詑明を附加して居る。今宴黙を摘抄すると次の如くである。 夢有四種、一着四大不和、こ者先見、三者天人、四者悪夢。⋮由大不和夢者、眠時夢見川里戎飛騰虚空.或見虎狼 000 価子蛾蓬、此是四大不和歩、虎不買 塊鬼面詳解、或丑H見、或白或貴、或男、或女、波京盲、丑名盤見、此歩腹不 究。天人参考.有曹知識天人、有意知菰天人、若善知識天人現善夢。令人相普。意知訊者、令人相意想.現悪夢。 ●●●● 此歩度箕、泡夢者、此人前身或有稲穂、或有罪、若南棟蕃現善夢、罪者現悪夢。如菩薩蠍夢菩薩、初入母胎時、夢見 − 14 −

(16)

論 及致 恕 息 の 鯉 多 種 鎗 白組仰利天下入其右脇、此是想夢也。 若夢醸併、静紆、持戒、或布施種々功徳、此亦想夢。 ︵審八−六十八︶ 右の四夢に就いて見るに、第一の四大不和は前にも見た通わ生理的の夢、第二の先見は、﹃官 吏笥思惟﹄に相嘗するもの、此二者は共に﹃虚不質﹄と稀するので全然否定したのであるが、 第三の天人、第四の想は、﹃眞茸﹄の夢として是認したのである。天人の夢とは薯轟の天人が人 に輿ふるので、﹃他引﹄と冨田有﹄とを︼滞にした様な、即ち﹃天輿﹄の夢に相督する着で、第 四の罪廊鷹報の想夢と倶に、精々紳秘的の着である。之を要するに、﹃蓉見律﹄の解繹は、四夢 中の前牛を虚不賢とし、後年を異質と断じ陀のであるから、全く﹃婆姿﹄と﹃智諭﹄との−肯定 否定を折衷した繹なので、時代推移の結果、かゝる折衷説となつたのは巳むを得ぬ事であらう と息はる∼。今以上三本の各夢を来示して其の関係を見ると凡そ次の如くなるであらう。 類種の夢 ( ′一 ̄■ヽ ′−・ヽ ′ ̄、 ( 五四三ニ ー ) ) ) ) ヽ__′ ( 由 由 由 由 由 卑 語分骨曾他婆 病別有史引婆 ) ( ( ( ( ( 五 四 三ニ ー・ ) ) ) ) ) .′−■・ヽ 恩天風冷熱智 惟輿東泉気圧 夢多多多諭 ) ( ( ′ ̄■ヽ ( 四 三ニ ー ) ) ヽ J ) ( 想天先四蕃 歩人 見大見 ・不 和 −′1‡;−−−

(17)

披一十弗 年三第 尭新政索

偽ほ嘉に︼つ注意す可き事が有るか、其は餌ち夢の善悪論である。﹃書見律旨は、更に進んで

夢の性質に就いて次の如く論じて在る。

同日、夢善耶氏無祀加。谷口.亦有沓、有不着者.亦有無紀。若夢紐俳牲法記法l此是善功徳。若夢殺生像法軒 蛙。此是不善、若夢見赤白育黄色、此是無陀夢也。︵寒八重、六十八︶

此の夢の善藩無記鎗は吾人も此を是認せんではないけれども、同じ善悪と云っても、夢に依っ

て鹿茸の別有る以上、此を二漑に論じ去るのは不都合ではあるまいか。四大不和の虚夢の嘉と

想の眞夢の諒とを同税するのは、理に於で不自然でぁる。虚夢の善意ほ、其の夢が虚であると

同じ意味に於ける、虐の善悪でなくてはならぬ。同様に賓夢に就いても然りであるが、﹃律﹄に

は、次に夢の果報論を試み、

0000

同日、若爾者應受果報。谷田.不受果報.何以故、以心架蔵窮故.不偶感果報↓是政律中詑−唯除夢中。

と記して有るけれども、此も同様で一概に果報を受けすと否定する事は不都合である。想夢に

放て、︼日白象右脇に入る哲夢見た摩耶の夢が、菩薩を托胎し九のは、何ぞ果報無しと言はれ

ようか。要之、善意論も果報諭も、虚夢と貰夢とに就いて別に諭す可き着で、果報否定も専ら

虎夢に就いで言ひ得るのみに過ぎまい。吾人日常の賓際よゎ見るも、慈夢に養はれて苦しき影

響を見る革も屡々有り得るからである。古流の教義上、絶じて陸眠を除む書く見ないと云ふの

_1(i・・・・−

(18)

論 展 染 渡 息 ¢ 趣 夢 種 鎗

依典のみならす夢を記した文句は、各種の高伶俸や宗祖の御停等の中にも津山有わ、御社彿

膵の縁起文等にも、或人の入信の動機として霊夢に威傷さる∼事は決して稀ではないが、此等

の紳藤な俸記を槍ぶる串は曹面の問題でないから且く措く。但一つ支部彿致初件の動機を云へ

ば、滑紡の停ふる﹃四十二章経序﹄なる者に次の様な夢記が有る。

昔漢学明星帝、夜夢見細人、身撞有金色、項有日光l飛森厳前・意中欣飴甚俊之・明8間群臣−地鳥何秒也。宿怨人停

ほ、之を耽貪する単に依って心を昏惑するからで、構って部分的の睡眠たる歩も、︼骨身心を

疲弊さすが故に、随眠煩憺の中に入れらるゝのであらう。

但し吾人の常識と臭って、天人暗示の夢を是認する等は、小乗偶典の特長であらうが、大乗

経が之を忘想として排除し去ったのは、誠に大英断と謂はねばなるまい。以上、悌典上の夢な

る者が、大拉如何様に概念されて居り、且つ其の原因、種類と云ふ者が幾程考へられて居たか

を大隠論究したと恩ふので、次は第三段に入つて、諸種彿典上に見えた夢の経文を瞥見する串

にしよう。

ー ユ7 _

(19)

究軒数余 統一十歩 年三鈴 毅日、臣陶天竺有禅道者、駿日彿、軽鍵龍飛、始終其伸也、於起上倍.即遣使者⋮・十こ人糞大月安国、焉取傍線⋮・ 於長逝法統布・︰・チ今不抱也.︵紘一1三十一︶ 此に依って見ると、唐和傭致の俸播は、︼皇帝の霊夢に動機して居牟箪を想ふ可しである。 時宗の開組、一遍上人の熊野に百日の蓼寵をし冗時、夢に老滑現じて﹃六字名競一遍法﹄の納 頗を授けたと云ふも、亦塵夢の戚得であらう。以て登夢と信仰との関係を、署推知するに難く あるまいと息ふ。 此等は彿血ハ外の詣であるが、勝て、次に少しく各種の彿典に見えし夢の艶文を吟味して見 よう0 彿典上、夢の記事は随分多いが、最も屡々見ゆる者は、傭托胎の瑞夢と、大理柴に際しての 悲夢との二である。今、光づ此等の比較研究をして見ようが、彿托胎の脛文を二三見るに、前 掲の﹃書見律﹄十二では、 如菩陛母歩誓廃、初欲入母胎時、夢見自象、杜仰利天.下入其右脇、此是想多血。︵客人−六十八︶ とあり。叉﹃倶禽諭﹄九では、 菩薩母夢中見自象予兆入巳右脅、此蕾瑞相、非触中有、菩薩久拾健也馳故。︵牧十−十四︶ とあり、又曇景詳の﹃摩河摩耶陛﹄〓名彿昇仰利天鰯母記法︶下巻でも、彿淫楽の凶兆たる五 ・叩18 −−−・

(20)

鈴 鹿 蟄 想 恩 の 絶 妙 理 路 大夢を誹る序、托胎の瑞夢を次の如く述べてある。 牲晋准於自浄王宮.国訳娘中、柑希布夢、見一天子身賛金色、兼白象エ、従語天子作妙妓柴、秋口之鉛.人我宥脅、身 心安楽如有痛惜、郎便懐如悉蓮太子、光舶来族、岱世間別U︵盈十−三十こ︶ 此等を見ると、大盟の筋は似て居って、何れも托胎の夢に白象と云ふ者がある。象は静脈偉 大、外威風有るに拘らす、内温順和訓の嵐有り、然も概に臨んでは無限の大力勢を揖はし得るが 故に、温順を以て菩薩の慈悲を衷はし、威力に依って修行精進の勇猛不混む㍍す㍍に信好S標 兆であらうと思はる∼。然し、前二経が白象右脇に入るとあるに反し、堅二粒は一天子が自象 に乗って母胎に入るとなつて居り、且つコの精に戚じ、重態の夢であつたとある。此は阿れが 0000 遺骨であらうか。﹃典部宗輪諭﹄では大衆部等の思想として、﹃一切菩薩入母胎時、作自象形、一 切菩薩出母胎時、皆従右脇﹄︵減甲−七十ふハ︶と丸∵り、﹃部執異論﹄にも、同じく﹃菩薩欲入船時、倍 00000 作白象相貌、菩薩出胎、背後母右脇而生、﹄︵赦四−八十︶とある。此に依って見ると、僻伍利天 から摩耶夫人に托胎するに際しても、柔和にして而、も勢力有る白象其の着に化して降胎した瑳 である。けれども﹃摩耶粒﹄の金色天子が、白象に桑って日の精に戚じて托胎したとの説も、 打滑し難い。蓋し、炎熱焼くが如き印度の天地でほ、婁睦の夢に日精を観る事は、幻想に嵩む _19 −

(21)

鍵一十弟 年三界 究軒数乗 印度人に極めて有ら勝ちな、自然的の事と息はる∼が故に、或は菩薩自らは︼天子と化し、白 象に乗って母胎に入ったのかも知れん。此を裏書する者は、﹃太子瑞鹿本起粒﹄上巻にある次の 文である。 菩陸初下、化乗白糸、冠日之鮒、国母薬液、而示夢焉、従右脇入、夫人夢蕗、自知身重、王即召問太子.占其朗夢、卦 日.道徳所膵、世蒙其嗣.必懐聖子、嘗薩在胎、済浄無有臭拭⋮・。︵辰十−三十七︶ 此等の経文は、何れも摩耶夫人の︼夢の如く記してあるが、他の匪に依ると、此を四夢とし た者がある。夫は法賢繹﹃衆許摩河帝経﹄巻三である。 爾時摩賀靡耶、作四種夢一歩白象、ロ有六牙。二歩自象後天衆†入於腹中。三夢自身上大高山。四夢衆多京葉大 人供水符節、作是夢巳、帥以上串骨浮飯王、王以此夢問其相伽.相騨告王、今此夫人必生太子、具諸相好.若在王宮作 停翰王、若是出家修諾梵行.成正啓発、戟天人師。︵辰十−入十︶ 右の四夢中、後の二歩は他の彿具に見普ら互い所で、夫人自ら大高山に上るとか、豪嚢の諸人 が凍わ井脆すえrとか、何れも瑞相には連ひあるまいが、此は他に類例ない夢で、考ふ可き串で ある。 00 更に、前年の二歩ほ、白象の事で此は怪むに足らんが、唯一つ注意す可きは、六牙の白象と 云ふ串である。而して此に見るも、菩薩は六牙の白象其の者に作って入胎した楼である。 ー_−・20.._

(22)

辞 展 攻 想 息 ¢ 鮭 夢 挿 話 此と同じ経文は、竺法護謬﹃普曜経﹄巻二で、師ち次の如くなつて居る。 00000000 菩薩便牡児衝天上・垂降威張化作白象・ロ空ハ牙、諸税寂定、駁首斬躍光色貌々、限鼻晃立現樅日光、降紳チ拒絶於右 脅。︵甘四1七十︶ 然し同じ六牙白象でも、菩薩は之に乗って托胎し先のであるとする経文もある。即ち、﹃過去 現在因果経﹄森二が夫れで、 0000C 爾時事匪−取降袷時空、即発六牙白魚.技兜率宮、無盈訪米、作訪伎繋、焼衆名香、散大妙花、随従菩薩、林産喪中、 放大光明、常闇十方.以四月八日明品出時−陣母胎︰︰。︵艮十−四︶ 此等の経文は他にも種々有って、要之、白象其の者と化したか、或は白象に乗ったのか、不 明であるが、問題は抑々六牙とは何を意味するかに存するのである。 知られて居るが、﹃法 古家、文殊が金毛獅子に乗ら、普繋が六牙自象に乗ると云ふ事は、よく 000000 撃﹄の﹃普贋勘凌品﹄にも、﹃是人苦行著立嶺諦此経、我爾時森六牙白象王、輿大菩薩衆倶詣其 所、而自現身、供養守護安慰其心﹄︵什謬盈一−五十三︶と云ひ、叉﹃軌普賢菩薩行法鰹﹄にも、 00000000000000 ﹃以智慧力化乗自象、其象六牙、七支産地、﹄︵盈四−七十︶とか、﹃乗六牙白象王、亦如普賢等 無有典、﹄︵同上︶とか、記されてあるを似て見ても明である。

0000 此の六牙に就いて、成人は﹃六牙表六度﹄を主張する人もあるが、天台智者は﹃摩珂止軌﹄二

− 2l−

(23)

兢一十茹 年三 筋 究祈欽桑

上に於て、

首六牙自象老、見事随無漏大神通、牙有利用如通之掟疾、象帝大力表法身荷負、無堀無界稗之岱自。︵組頭1由十四︶

と説明して居る。六牙を似て六望ハ過と見るも、皆想像でぁらう。之を要するに、以上の話題

文を比較して見るに、備托胎の記事、最も詳密なる者は﹃摩耶経﹄と﹃衆許摩軍曹経﹄とであ

るが、息之最初は箪なぇ白象の夢が、白象に痍った金色天子の夢となゎ、更に壷寝、日精、六

牙自象の夢と進んで、蓬には四種の瑞夢とまで発展したのであらうと恩はる㌧のである。

彿托胎の歩と惧に、傭血ハ上長も多く見ゆる者は、傭人渡柴に偶する悪夢の経文である。此も

前述い如く、漏謳の比丘には無い。唯彿と最も密接の関係有り乍ら、身代ほ漏轟解脱を得ぎる

彿徒外道等lにのみ限られて居るのである。今その内一三の有名な例を出して見よう。

彿捏撃の前夜、阿難が大樹の忽然孔訳するを夢見て、彿の大事を汲如し托事は前にも見たが

之と似た物語は、彿敦後の徒手たる須紋陀羅︵Sul︶︼−乙⋮︶に放いても侍へられて居る。彼は拘

戸耶喝羅の一沙羅林近く住んで罵た宵二十虚古老外道であつたが、髄鞘博学よく五糾迫を拉たけ

_・・・22 −

(24)

諭 展 蓉 恕 思 の 鯉 夢 種 藷 れども、未だ彿縁に触る∼横が無かった食め、竜畢の解脱を得なかつい∵が、一夜悪夢を戚じ 蕃の終らん事を怖れ、天人の詞を信じて、夜平価前に法要を聴く畢を川付て遂に阿羅漢造を得、 ﹃我不鷹備後般漫繋﹄とて備前に結蜘銑坐し、身中火を出して焼身繊度∵たと云ふ事でぁる。 此の怠夢物語を停へ佗者は﹃智度諭﹄撃こであるが、莫大要は左の如きものである。 00000000JOOOOOOOOO0000 須欽陀梵患、年首二十故.得五紳通、阿部放達多池適任、夜夢見︼切人失限、裸形巽中立、‖堕.地破、大海水域、大 00000000 風塵吹頚湖山破散。盈巳恐怖.思靴音何以故爾、我命欲麗、蒼天地毛欲堕.殆洩不離〓丁。以有此悪夢敢l先腹お 認知識天、牝上衆下。語頚躁陀首、汝英恐怖、和一切智人名俳、後夜年常人無僚捏整、是政汝訝、︸小鰭総身。︵往−i二十五︶ かくて彼は彿所に到り、三度備に見えん事を乞うて三度退けられたが、遂に備の承引に輿って 大法を待たと云ふ。此の嘉夢は︼見一夢の如くであるが、鷺は五夢で、鵠二、一切入党限云々 第二、日堕、第三、地紋、第四、大海水場、第五、大風起云々である。然るに、他山須政教化物 語を載せた彿典蔵を見るに、此の悪夢物語が全く見嘗らないのは注意すべき事である。例之、 0ユDO 法前澤﹃大股捏紫脛﹄下でほ﹃常時、鳩戸部城、有一外道、年首二十、名須絞陀羅︰︰其聞加

齢群が、ん酢、脚評、心自思惟、我諸富論説、彿出世極秀批追 試往諮問魔邑

君寵決我疑者、便是賓得一切種智、作此念巳、社到彿所、﹄︵畏十−三十二︶ヶ∴豆つて居わ、彿の 軽費せんとするを聞いて所疑を決せんと、出かけた事となつて居って、㌘∴悪碁山番は毛郎鮨 − 「 23 −−

(25)

戟一十解 年三 界 究軒数鏡 い。又小乗浬柴で樗く、大乗部の南本捏葉巻四十でも、藩夢の事は絶えて無く、而も彿自ら阿 難に命じて、須故陀を招致し教化した事となつて居る。日く、 000000000 彿骨阿掟、是法推林外、有一梵志名須故陀︰︰趣聖典恕、汝可往彼語須政陀首、如来出聴如嘩寧彗於今中夜笛般澄男 若布所作可及時作、英於後日市政悔心︰︰甜時阿難受悌敢巳、牲頚汲陀併︰︰︹盈六−九十五︶ 此に依って見れば、彼の捏欒を知ったりは偶の詞に依るもので、悪夢物語の皆無なるのみなら す、阿難三拒の事さへ載せられてないのである。︵但し、阿難三拒の事は、法指揮の大乗捏柴 ︵虎十王三十二︶には有るから、此一事を以っても、南本の性質の相違が窺はれよう。︶更に、﹃西 域記﹄巷六の拘戸部碑凝固の條下にも、須政陀の停詭と阿難拒紹の物語はあるが、﹃善豊︵蘇奴 陀雁︶者、本梵志師也︰︰開併置滅至優樹間﹄云々と有って、悪夢物語は更に無い。患之、﹃智 諭の停設は何かの親では無からうかとも思はるゝが、其依って起る所以は、蓋し外道梵志の琉 強固簡なる彼を、如何にして仰の教化と結び付けまうかとの苦心の存する黙で、悪夢の威動を 入信の勧横としたのかも知れない。 倍て、次に、彿浬紫に関する夢として最も有名な者は、阿閏世王︵Aj巴獣已ru︶の五歩である。 即ち、﹃浬紫綬後卦﹄下巻に依ると、大要次の如くなつて居る。 000000 爾時、摩迦陀立阿粗糖王、筈父王巳、澤生悔恨、身生態幣臨池世玲月費貼光、身瘡漸愈⋮・郎淀本宮、都不覚知如爽 ■−■ 24 ■■.■■−

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除 塵 蟄 想 思 の 級 夢 種 諾 00 浬雫於浬紫衣−夢見、月落日従地出、屋宿電雨粗紛両肌、復有捷気絶地雨出。見七苺盈現於天上。後夢天上有大火 没、過空放飴、一時堕地。歩巳尋軍心大幣職。即召諸氏、具陳新参、此何群耶。臣答事首、是悌た輿不評之粕、 彿繊度径、三界衆望ハ追弔訊、煩悩梼起。故現大火従天路地。俳人減産、月愛慈光恵蜜普偶、悉皆滅疫即歩月浴。 盈帯地者、悌豊奥後、八萬律儀l切戒法、衆生違反不依俳数.力行邪法堕於地獄。日出地番.彿捏築後・三塗憲法菅衆 口光出現聴聞.故感斯夢。︵盈九−凹十九−五十︶ かくて、王は夜学直に狗戸城に赴き、俳捏柴後四七日を経過せるを知ら、彿を鰻葬供養して 合判を請けん事を求めたと云ふ事である。王は元、悌の慈悲に依って倣悔愈翳した蹄依着であ る。彼は、三界中何物もよく自己の心中煩悶を釣慰するに足る者あるを知らなかった。唯、著 婆︵Jiくpkエの勒慶に依って、仰の大光明に轟せらる∼事を得たのである。悌は王に取って第 二の新生命でかる。而も此の出家事たる、彿捏柴に先立つ幾程もない時である。王たる者、荒 んぞ彿の入滅を知らずして可ならう乎。故に、此を知らする者は、捏紫を意味する凶夢玉楼で ぁったのである。五夢とは、第て月落日従地出。琴一、星宿雲両績紛而阻。筋三、有煙気従 地而出。第四、見七彗盈現於天上。第五、夢見天上大火撃退基焼然一時堕地。と云ふので、此 の内三四の両者は臣下の答の中に映けて居るが、他の重要望二者をのみ解決し他は略したので あらうと息はるゝ。第一の月落ち白地よ♭出るは、印度の熟帯地に於てこそ始めて諒夢と成わ −−−・ 雲清 一

(27)

究研政宗 披一十第 年三筋 得る着で、炎熱の昔衆は日、涼気の夜光は月であるから、悌滅に依って衆庄山苦痛増す事を意 味するのである。琴一は、彿の致法に依って若干の霊的光明を把持して居る多くの徒子が、彿 滅と供に露紛として地に撃資9るの凶兆である。第五の天上大火変、即ち備ゎ大光明が入城す ると典に、衆生一切煩悩の一波に漂浪する意味でぁる。而して、堅二閤の編者は耶澤が無いから 明瞭を駄くが、壇範地よら出るは、損悩の迷芸大地を蔽蓋する意味らし︿、七彗星の天上に現 00 するは、﹃婆準﹄、﹃仁王﹄、﹃薬榔本顕粒﹄等に説く衆生七難の現する意味か、又は比丘、比丘尼 00 等の備徒の七衆が迷ひ出す意味か、又は我慢、増上慢等の七慢が狛椒一軍致す架か、凡そ此等の 類であらうと恩ふ。 一鰹聞王の五夢は、伸々有名な着であるから、他の請書に引用された者も少なくh仏いが、一 っ疑問なのは、造世の﹃法苑疎林﹄巻十︵雨五!八十九︶等に引く﹃五夢粒 なる経である。彼 は、此の経を再度引用して、悉遊太子の夫人に関する考証がしてあるが﹃五夢経.bなる者はど ん壮者か、経線中にも見常ら互い楼だが、或は﹃法苑珠林﹄の成立常時︵両壁ハ六八年︶存した 着で、後世失ったのかも知れないが、内容は何れ開王の五歩か、須政陀∽五歩か、乃至は、次 に諭せんとする摩耶の五歩か、或は﹃過去現存因果軽﹄の第一に記す善悪仙人の五奇特歩の如 ___ 2G −

(28)

静 座 恐 想.監 の 練 歩 種 諺 き着であつたらうと恩はるゝ。善悪の五夢は、瑞兆では有るが、内容極めて関係深いが食め、 参考として出して見ると﹃経﹄には即ち、 耐時事穀仙人.在於山中、村立奇特歩。 二“び臥大海し 二希夢枕禿班。三者夢海中一明敦た、入其身内。 四者夢手 執口。 五著夢手軌月。︰⋮人伝十!二及び三、︶ と云ってあるが、吉凶の如何を問はす、同じく五夢として、而もその内容は、日、月、須珊、 大海等を以て材料としてぁる事は、思想上極めて重要な意義ある事である。 次に注意す可きは、怖母摩耶夫人の彿捏柴に際する五大惑夢であるが、﹃摩詞摩耶経﹄下巻に は、大悦左の如く記されてある。 耐時津耶、抑於天上見玉東珊︰︰見放其夜、得五人悪夢。一歩須湖山崩、四海水場。 二夢有縁躍剃、手執剃刀藁挑 一切衆此之限、時宥恕風吹、諸羅剃皆悉奔馳、錆笹⋮ハヅ川。三野欲色界諸天忽失望冠、由緒撃砕不安本庄、身無光明鎗如 麦盈。四夢如志珠玉在高畦上.愕雨珍雫用捨一切、石川毒撒口中吐火.吹側杖睦、吸如ヤ佃球.猛疾悪風吹泣沈淵。五歩 有五師子。従改兆下、闊唐討靡細孔、入於先帝、身心蛙掃如按刀覿。時靡詞願耶、見此夢巳、帥促情痛両作鬼首、︰︰ 今此五夢甚可怖戊、必見我子程迦如来入般漫勲之悪用也−︵盈十−1ニ十こ︶ 此の五夢を戚じ、摩耶は驚いて諮天に問うた所、此の時、彿棺の残葬を了つて研利天上に家 た阿部律に迫ひ.捏柴山状を知つで悶絶地に解れ、荘厳を脱し、頭髪を披き、悲泣観果して彿 の生涯を回顧物語った串とh与つて居ろ。借て、此り五夢を吟味するに、五師子左脅に入って苦 ._..=7.・_・_

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密トー十弟 年三夢 先軒数余 痛刀剣を被るが如しとの夢は、彼女が曾て悉蓮多を托胎した時白象右脅に入ら、身心安東なり との夢の正反封を虜す着で、此は摩耶瑞特の夢であるけれども、他の四夢に至っては、閣王の 五夢、乃至は須駿陀の五夢と内容殆んど選む所は無いのを任意すべきである。第一の須浦山崩 るも、前に大風吹き倒すとあり、四海水場も、同じく大晦水場とある。第二の雁刺衆生の眼を 挑駁するは、﹃一切人失眠﹄と同じ事。第三の諸天光明を失し墨緊の如しとは、﹃日曜﹄に相蕾し 第四の如意珠能火に吹ひ込まる∼は、﹃地破﹄に癒する着である。斯く見れば、多少り修飾は異 って凍るが、構想ほ全く同じであつて、須故陀の夢の如く、閣王の夢とも全く相鷹する事は言 ふ迄も無い。今は煩を避けて、後に表示する串にする。 以上、彿捏柴を暗示する五夢の経文三縄を吟味したのであるが、此と梢趣を異にしだ彿捏柴 に関する七歩の経文があるから、序に比較封照して見よう。爾は即ち、竺曇如蘭繹の﹃迦尭赴 彿般浬紫綬﹄に戟する所で、今その要黙を抄出すると、此経の主旨は題目の示す迫り、迦薬が 俳の捏柴を開いて走り赴いて供養すと云ふ筋である。仰の諮従子中でも長老高才で、身相異足 し、併設法の倉庫には常に仇と封略して居たと云はる∼大迦兼は、人成代遇って仰と彼と果し て何れが師か徒か見現する者が有ると云ふので、迦尭は自ら解して合衛凶を去る二萬六千里の 岬 28.−

(30)

辞 度 数 想 思 の 熱 夢 梗 話 彼方、伊鯨梨山 ︵悪igiriぺ︶ 中の一山、周回数千里を有する普龍山の一隅に、一千の比丘と共

に、隠遁して了つた。山中には、椰々の七賀、甘果、名寄、社葵が有る上に、翔鳥足掛、瑞象

音麟の類から、目出度い鳳夙に到るまで住んで居て、宛然一個別天地の浄土である。外道の行

者も多く、其の地に凡そ方百二十五里の卒正瑠璃の如き大盤石がぁつた。石上には、五色の花

束垂れ、寄掛線蔭を成し四時の自然美喝くる事が無い。迦菓ほ衆徒子と倶に此の石上を坐場と

し、諷陛行道を鹿として居った。附近には、周旋四十里の大池が有ったが、此れ亦清浄泉水を

以て溢蒲され、中には、紺、紅、紫、黄、色緩々な優皇聾が美を琴フて居る。然るに、一夜不

思議な挙が有って、﹃迦尭弟子七人同夕得夢﹄との事である。其の七人の七夢とは、

英一比丘、夢見某所坐万石中央破.粉骨叔班。複一比丘、夢見四十里長水、皆乾鴇粥悉零落。一比丘夢見.拘躍連坐皆 傾撃一比丘夢見、聞浮利地皆傾陥。一比丘夢見須弼山里一比丘夢見.金輪王莞一比丘夢見、日月出鬼、天下失明︺ ︵辰十1甘十八︶ と云ふのである。夢見陀七比丘は、早朝起き出で∼斯くと迦実に白したが、迦実は、直に﹃彿

牌般準担﹄と判じ、衆徒に赦し、倶東都喝に赴かしめた。途上、︼婆雁門の文陀羅華を持する

に督し、初めて彿般泥直後七日を経過した事を知ら、五鰹投地して噂泣し、ヨニ界失明、牌復何

位惇﹄とて、急ぎ彼の側に到り、未雁王、阿部律、阿難等の迎ぉ受けて彿の金棺前に到った。

ー 29._

(31)

敏一十終 年三界 究研致余 す 夢 は し は 七 訣 時

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(32)

脆 展 費 海 風 ¢ 鍵 夢 種 諾 右の五本に就いて見るに、善意仙人の瑞夢が、濁り吉事とされて居る例外はあるが、他の四 者は、何れも、凶夢とされて、互に密接緊要な思想脈絡が有る挙が判らう。勿論、此り内何れ が最も娘本的の着かは俄に断言出家ないが、恐らくは、﹃迦某赴偽捏柴鰹﹄の如きが古い形で、 此の内似た者を合して五夢とし、聞王や摩耶の五夢となつた着が、更に須改や善悪恕にまで影 響して凍たのではなからうかと想像さる∼。但し内容が似て居るからとて、直に事箕上錮係し た息想であると断言する事は出務まい。彿捏柴の様な大凶拳を歩にする者は、期せずして偶然 相似た夢を見たかも知れない。けれども、吾人の見る所一ぜ以てすれば、人各々異つ死者想、境 遇に在わ、時と断とを殊にして居り乍ら、斯く迄夢の内容粕一致した同一材料に限らる∼と云 ふ串は、想像し難いのであるから、摩耶の如き特別の境遇に在る者ほ、基人特有の五帥子入左 脅の凶夢が有らうけれども、︵之は恐らく、托胎の吉夢より反動を取りしものならむ。︶他の凡て は、督臼、月、須河山、大水鳩等を材料として居るので、どうも或る一人の鶴弥から流れ出化 思想に相痙有るまいと息ふのである。同じ材料でも、意味の解粋し方に依って凶寄付れとも鼻 ︵往”1二十五︶ ︵七︶日月蚊地天下失明 ︵辰十−百十八︶ 一 三il_.__−

(33)

群一十弟 年三界 発駅致森 じ得る着であるから、此の襲蓮は極めて容易であると信する。喜入が後に論究するであらう所 の多くの夢経を比較研究するに於ても、此と同じ見地に立って、思想上の関係を辿らたいと思 ふ着であるから、此の黙は深く諒解して置いで貰ひ度い。黎之、時代の推移と共に、昔の他人 の夢を取ら凍って、此に入れ、増補整序して腔裁を改むる事は随分自然的と考へらるゝので吾 人の想像は甚だしい誤謬でない事を確信するのである。︵未完︶ _一・・・・・・・・・・・・32 −

(34)

串大の 後 長 政 併 庇 印

目次

﹁序 言。悪所賃庇彿欽歴史完妖陥、i畳穿新選跡探芸初の動機、

こ、波羅王朝年代の異説。

デーバム、カヲ厚着の智妖に就いて、−−西成痙に於ける汲擢王朝年代の確定詑−

三、西歳侍波羅王朝歴代年表に就いて。

西歳悸如意安樹皮に依れる推井、1同前政経王朝歴代年表−−漢琴餅将に左辺密教と段 巌寺を誌さゞる併由、−盈玖羅麿斯捉寺新確立の理由、

四、見玖羅摩新羅寺の碁歴史。

段腰寺開山彿陀惹郡¢略停、−達磨放尿王¢新大畢建立.−蓮撃生及底呂巳専−−陛

印度儒教最後り大挙

口 慧

ーーー :㍍ −

(35)

蚊一十鮪 年三 節 究 軒数 蘇 阿波羅三池世エリチャナカに至る、

玉、毘玖羅摩新羅大草の大門護者。

東門護者阿迦羅珊底十︼1南門評者般若迦羅末底.1西門詮老婆舐首婆羅詰雉底、− 北 門諌者部魯巴、−−−1中央第一大社護者羅多郡放陀羅、− 中央第二大粒謹者惹部室利瑚多絃

六、彿敦滅亡の意義と影況。

心相不一致の粥根、印度悌敦滅亡の貞義.

七、毘玖羅摩斯羅寺大畢の遺跡。

同大学の追跡に銅†る異説、1将軍カソニン㌢ハムの考詮、− 博士高根昭次郎¢考詑、 −−カルカッタ梵語大挙校長の考琵、− 近跡確定の端緒、− フランクりソ少佐り功齢、

∧、毘玖羅摩斯羅寺遺跡の探求。

行路と栗地に適合し上る名義、自然磁而の膨像、‡秘密部彿像の破片とクナヲ文字、・−−− 大脳窟と戊大叱ろ侶伽藍の追跡、

九、毘玖羅摩斯羅寺遺跡の確定。

マホメタ一致徒の破彿、印度偶数の末路、 十、結 論。 ヽ − 3i._..._

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寧大¢ 後 渥 数 俳 鹿 FP

︼、序 言

洋評所得印鑑俳致歴史の大陳陥。 と云ふべさーミ.茄押三寂入竺以後、西鶴六首八十九年エリ同一千二首〇二隼即ち 印度に俳欽の跡在隊つに至ろまで約五首飴年間、同拘俳数が云何なろ批鹿で、云何に変造し、滅亡し圭かほ、僅かに師 片的材料の外、全く知れない串でぁる。時に基問に創立し、乾達して、蓬に滅亡し㍗印度俳敢裁後り大草け、英名†ら 誌されて居元トのてぁる。西戎析停に依れば、ラムりム、ギユッパイ、博松虫。如窓賓秘史。ヤーセル俳敦史。樽法翰 史。神俳法史。タラナータハ彿致史。ブートソ彿数史啓にも.多少の詳略ほちるが、Jlb‖其大挙り盛大克都ほ常時の郡燭陀 寺にも勝って居るとを祝いて居る。又印炊から西京に入?㍗秘密係数仔、大紋其大草り系統でちる。故に秘密締典注縄 ガ タラ † シラヤングハラY 及英日悌等にも屡々英名が誌されて居ろ。英名を比玖躍膀斯捉偲伽藍と梵語で云ふので、邦訟に許すれば、脾臓音叉ほ 段臓寺と二通の範がある。大村酉農民ほ其輩乾数狂連盟巷五に赴慮寺と課Lて屠る。拾ほ他に超娩寺と課した人もある 秩てちるが何れが造語でぁるかほ、鱒に塞地探求改列の場合に桝か暮こすろ。兎に角此毘玖躍靡新羅の名に玄肛の大鰐西 域詑ほ勿お、菰野の南海寄辟博にも裁つて居ないのみ克らす、其他の支那停彿省顛にも、其れの歴史ほさて給与、英名 すら何れにも誌されて居セい¢でちる。されば従妹我囲の紡課に依る彿致拳老年ほ、此木墜のとに就てけー夢にも知らな かつたのでちる。勿論竺フナータハの狗逸詳ふ盛んだ人ほ、養分か知つて居る苦でちる。けれども祇脱藩の紀挙が筒で ちるだけに、十分研究すろ材料一空相兄いであらう。兎に角印度備数滅亡免を研究ぜんtニーる老ほ、此大軍の歴史及び其 云何セるもりでちつたか私知らねばならわ。此大串り歴史及び其来賓の研究を離れて、印鹿彿敢滅亡史も解らなければ 叉西威の秘密加数も解らないのである。 ダーデリン 戌玖羅唐新羅寺追跡探求ら最初らお城。 金持明治三十年、印度蕃山¢金剛棄土に故て.甲戯評の研究み始めてから − 36 一一†

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説一十弗 年三鯵 先軒数余 同三十こ年にネパール捕ごしマーラヤ聾峯の北境で、西就侍印度歴史わ研究して、ギクラマシヲ大串の印庇に存在してあ つ圭とふ知つた。それから此漢詩未停の印度悌敦大隼が、何れの地方に在って何んセに変速し㍗かね詳しく如り㍗い篤 わに、此大串に餉し㍗祀歩か見ると直に抜録し㍗。是れに伐て大抵此大串の存在した位置も解かつたから、其背跡わ探 ゴーンよゎ、西はデブヒ市に及び、南は井ンデイヤ山腹よか、北はヒマーラヤ山脈に至るまで 求したいと久しく麒ふて居たが、第二回西読破行が済んで.愈々我国に躍ると云ふ際よで、其れが用木七かつ㍗のであ パーラ る。大正四年七月廿三口から其啓跡取訳.への氏めにカルカッタみ出立した。其貿地の云何を詑く前に、西燕博印度係数 歴史たこ放て、大略大串¢歴史と異質とね説明する¢が哨序でちろと思ふ。そうして此大串の歴史ね記くに雷て、先づ此 大串を創建し圭汲座主親ら年代に就いて述べねば叱らね。

〓、波羅王朝年代の異説.

摩鴻陀国のタッグンダ、ブラ市、現在のガハール市に都して、束はベンゴール洲の束端チック の、大範園を有した渡魔王朝の年代に就いては、英国及印度の歴史家に多くの異説があつて未 だ全く決定して居らない。印度歴史の大家とLて知られて居るエルフインストン氏の印度歴史 に依ると、政経王朝は西暦窮九世紀かち第十一世舵の終わまで存在したことは確かであると説 いで居る。併し其れを何年から何年までゞあると云ふことを決定して居らない。只マンギール 地方から掘出し托古き銅盤の銘にばデーゲバーラ王︵二代︶が南は錫蘭から北は恒河の緑︵西 _ 36・−・・・

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単 大 の 後 最 敦 俳 皮 印 蕨園︶ に至り、束はブラフマプットラ河より西は海に及んで、金印度を有するとあつて、西暦 第九世紀︵?︶に誌され花文†である。併し此銅盤の銘は印度人民が過質的修離撃を應用して、 其王を激賞したものであら・1。でなければ基常時グジラット、メープル、アジミール等の国に統 治者の.あつたことを、訣別出家ぬと説いて居る。又印度歴史の大家ヰンセントそ、、ス氏は其著 舌代印度歴史に於て、パーラ王朝の始祖ブタ.ハーラは西暦八百十五年から八百六十年まで統治 ダルマパーラ し、第二代の王を達磨政経として、八百五十三年から八百九十三年まで治めたとして居る。そ うして其後粒の王に就ては何も註してないから解らないのである。又印度ベンゴール人の歴史 の大家ラゼンダラ、ラール、ミットニフ博士は、ブタパーラ王の即位を西暦八百五十五年と仮定 して、其れより歴代の王をこ十年間宛の治世として、矢張達磨汲荘重を第二代とし、毘玖履歴 新羅寺を建てたのは、此王が即位の前如ち八百七十五年以前でなければならぬと云ふて居る。 デーバムカラ尊者の書状に就いて。 併しながらミットラ博士の設の如くにすると、西暦一 千〇三十八年に印度から西叔王菩提光の招待に應じて、両液に偶数を惇播に行かれたデーパム カラ合着︵後に新派の浪掟となれるカーダム沃の間組となられし高徳︶が、両液への行路ネバ 非マララタナレカーナ ール固から、摩塙陀国王ナヤ、.ハーラに苑てた啓妖がある。清浄貿書と云ふ名で腋謬祖師部赦 __・・・・・・・37 _

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軟一十弗 年三解 党軒数余 経の経部チエヘ.ハ ︵C罵HE−憎A︶に出してある。此重から歴代の事竺一十年苑として計算する

と、玉代に合はして年が足らなくなる。そこで印度古跡研究の大家カンニングハム賂軍ほ、各

王の壷限空一十五年に延ばし、或は三十年宛に延長して、漸やく計算の合ふ様にして、彼ゴウ

メー一フ王の帥位を西暦七百年代の始めに置いた。是れほ西藤俸に稗や近いものであるけれも、

仮定り上に立てた詭であるから歴史の事賓として侍する債値がないのでぁる。狗ほ前記誇大家

の説と雄ども、何れも極乏しいビバール地方から出た石片や、銅版の銘文の片々に依で、想像

を撞くして年代を仮定しだものであるから、足れ又歴史としては取るに足らない。

両虎俸に於ける波雁王朝年代の確定説。 以上述べた諸大家の詭も是れよら勝れたる歴史的

材料がないとすれば、共催尤も巳むを得ない事であるが、西波には.ハーラ草胡の事に関しては

前記め腿定よりも鎗轟確賓な歴史的記鉄がぁる。西藤の聾者等が盛に印度に往復し初めたのは

西暦第七世紀の初めからであつて、未だ.ハーラ王朝の成立しない時で、梧の玄弊三強が入竺し

て郵爛陀寺に修聾した時代と同じ時であつた。其れからパーラ王朝を歴てセーナ草朝に至るま

で、即ち西暦六軍二十九年ツーミ、サンボーダが、印皮のミチラ地方に修聾してから、一千二

百〇二年係数滅亡に至るまで、印放から酉赦へ仇敵を解凍したのである。されば基間に西裁か

ー :王8 −_

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串 大¢ 夜 長 敦 悌 庇 坪 ら印度に行く者と、印度高滑の多くが西戎に行いて儒教を停播し化ので、共同の相互の交通ほ 貿易と共に賃に頻繁であつた。をこで此時代に於ける西戎停印度偶数歴史は、両虎畢者等が印 度に従いて親しく見聞しだ革質と、又西戴に凍た印度高滑等の質愈した記放であるから、常時 の歴史に勤して今日是れ以上に椎茸なるものを見出すことは、甚だ出家難い事貿であらう。

三、西栽倦波羅王朝歴代年表に就いて

バクサムジョンサン 西燕俸如意習樹史に依れる推算。如意質料史に依るとパーラ王朝は、西暦六百七十年に始 まつて、一千百八十二年に終って居る。即ち共用間は五首十二年で世代は十四代である。斯の如 く岡見には年代を故に依て、西暦に合ほして話してないけれども、前にもー寸記しセ印度高滑 デーパムカラは西暦丸首八十年に生れて、其年五十八歳にして西暦一章二十八年に西寂に行か れた。共時がナヤパーラ王の二年に粕督して居るから、其れを基黙として歴代の王の在位年間 を計算して、以上の如く割出したものである。をうして其記事に依て歴代年表を作れば以下の 如くである。 パーラ王朝歴代年表 _ 39._

(41)

読一十弟 年三解 研究致袋

第四代となつて居る。そうして此王在位の期間は、西暦七首七十五年から八百三十九年に渡つ

斯の如く両液停では従来欧洲印度の歴史家に第二代と推定されて居た、

撒 代 第一代 妨二代 第三代 努四代 第五代 飾六代 弟七代 節八代 筋九代 節十代 節十一代 弟十こ代 節十三代 茹十四代 セクシサパーヲ 玉 名 ゴサパーヲ テーデバーヲ ラーサパーヲ ダハ ルマパーラ ブナバーヲ マ七パーラ マ ハーバーラ ブレジャタパーラ ベーヤバーヲ ナヤパーヲ アムラバーヲ ハステバーヲ ヲーマ バーヲ 以上 即位の年︵西暦︶ 六首七十年、 七首十五年、 七首六十三年、 七首七十五年、 入官三十九年、 入官五†七年、 丸首十九年、 九白犬十年、 丸首七十五年、 一千三十六年、 ︼千八十一年、 一千九十四年、 一千官十七年、 一千盲人十一年、 註位の軽︵西暦︶ 七首十五年、 七首六十三年. 七首七十五年、 入官三十九年、 入官五十七年. 丸首十九年、 丸首六十年、 丸首七十五年、 ︶千三十六年、 一千八十叫年、 一千九十四年、 一千官十七年、 一千官八十一年、 一千官八十こ年. 在 位 四十五年 四十八年 十こ年 六十四年 十七年 五十二年 四十一年 十五年 六十︼年 四十五年 十三年 二十三年 六十四年 ︼年 計五首十こ年 ダハルマ、パーラ王は 加 4n _

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串 大 の 夜 長 敦 彿 虔 印

サンガハ’▼ て居る。此王即位後間もなく摩掲陀閣の光速、恒河の右岸にある山間に、一の大滑伽藍を集い

た。足れが比玖羅摩新羅と云ふ彿数大祭であつた。此に前記の政経王朝年代末に就いて、成人

は夢一代のブタパーラの即位を、西暦六百七十年に置いた串を畢晋に合はないとして、攻撃す

る者があるかも知れぬ。基理由ほ丁度其頃入竺して居た義浮三蔵の誌したものに、波雁王朝興

起の串を全く昏いてないからである。併し去辞が誌さなかつ招ことは、皆印度にはなかつ花こ

とであると断言出家ぬ。特に義渾は玄炎の如く敢曾萬般の事を研究しだのでなく、唯だ係数一

般と特に戒律部の事を専門に研究したのであるから、彼が汲維王朝の串を誌さないからとて、

其れを典櫨として其王朝存在の有無に就いて彼是云ふことは出家ぬ︶兎に角現今の彪では此如

意貿樹史の詑を是認せねばならぬことは、此文献を打泡すに足る丈の確賓なる歴史的材料がな

いからである。西藤所俸中タラナークハ悌致歴史は、前記如意鴛稗史の年代より、十年苑早く

なつて、ブタパーラ王の即位を西暦六百六十年に置いて居る。起れは何れが正しいか只今の盛

第三者として其正否を判別する併の文献がないから、判然せぬ。今は如意貿秘史の詭に従ふこ

ととする。

湊轟所停に左道密教と段巌寺を誌さゞる朗由。此に吾人が注意せねばならぬ勘要なる事ほ

− 41_

(43)

誠一十終 年三第 光研数森 パーラ王朝以前には、左道の秘密偶数は民間の行革を除くの外−彿致の主なる寺院中でほ、普 通一般に行ふて居なかったことと、特に左道の秘密彿致は、印度が宗教並に道徳の暗黒時代と 云ふペきパーラ王朝時代に、従凍潜んで居たものが、非常に盛大になつた串とである。其れほ パーラ王朝興起の半世紀以前に、披何事にも観察の行届い柁玄非三寂が、左道の秘密偶数に就 いて少しも話して居ない。若し彼時代に幾分か勢力のあつたものとすれば、玄弊の如きは必ず 何とか話すべきである。又パーラ王創初の時代には義浮三瀬が入竺して居化けれども、是れ又 左道密教に就いては何事も話して居い甘い。義渾は戒律護持に非常に熱心なる方であつたから、 彼煙棍棒ょる正反偶数の左道を見聞したなれば、必ずや其れを悪魔の致として成しく筆誅を加 へたであらう。此等の事のないのを見ても、パーラ王朝以前及創初の時代には、左道客数が甚 だ勢力を待て居らなかったことは明かである。西款停に依ても此時代にほ、左道密教は俗赴曾 の行者等に行はれて居た位であつて、致法として組織されて居なかったのであることが話され て居る。されば玄井義浮の開三減が左道密教に裁て誌さなかったことは、昔時印度に同数が将 侶敢骨を腐敗せしむる如き勢力のなかったからであらう。又西暦九百六十年栗太組即位後は滑 粒発建感等が印度に行き、又西域及印度より天息災、施護、雁護雁等の高何が多く凍たけれど _ 42・・・・・_

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