博 士 ( 農 学 ) 小 出 陽 平
学 位論文 題名
Comparative genetic studies on hybrid sterility in rice
(イネにおける雑種不稔の比較遺伝学的研究)
学位論文内容の要旨
交雑 育種の 根幹は 、交雑 によっ て遺 伝変異を高めて新しい遺伝子組み合わせを選抜することである。交 雑組み 合わせ によ って性 的親和 性が異 なる だけでなく、特定の遺伝子組み合わせの選抜の難易度が変化す ること が多く 、そ の原因 には性 的不親 和に 関わる遺伝的分化が関連すると想像される。したがって、系統 聞の性 的親和 性を 理解す ること は、作 物の 交雑育種を進める際に不可欠となる。イネにおける性的親和性 の主要 因は、 雑種 不稔現 象であ る。高 度の 雑種不稔を引き起す遺伝子が種問や種内の交雑から見出されて いる。 本研究 の目 的は、 分化程 度の異 なる 系統間 で見出 された2つの雑種不稔遺伝子の遺伝的基盤と分布 パ タ ー ン を 比 較 す る こ と に よ り 、 雑 種 不 稔 現 象 の 進 化 的 起 源 を 明 ら か に す る こ と で あ る 。
第1章では 本研究 の背景 を論じ た。 有性生 殖を行 う生物 集団 は、相 互に利 用可能 な1次ジーンプールに 含 まれ る遺伝 子から 組換え によ って適 応的セ ッ卜を再構築することで、絶えず変動し続ける環境に対処し て いる 。一方 におい て生物 集団 は1次 ジー ンプー ル内の 遺伝的 均一性を保持するために、分岐した集団か ら の遺 伝子流 入を妨 げる内 的な 生殖隔 離機構 を有し ている 。こ のような相反するメカニズムを通じて1次 ジ ーン プール は形成 ・維持 され ている と考え られる が、そ の詳 細は不明である。1次ジーンプールを維持 す る機 構であ る内的 な生殖 隔離 障壁は 、系統 間の性的親和性として見出される。系統問の性的親和性につ い てイ ネにお いても 多くの 研究 が報告 されて きたが、とりわけ雑種不稔現象は系統組み合わせによって異 な る機 構によ って制 御され てお り、そ の解析 は容易ではなかった。しかしながらイネのゲノム情報が整備 さ れた 現在、 従来解 析不能 であ ったゲ ノムの 微細な 差異を 比較 するこ とが可 能にな ったと考えられる。
第2章 では植 物にお ける 内的な 生殖隔 離機構 につ いてこ れまで に報告された事例を概観した。植物の生 殖 隔離機 構は接 合前 隔離と 接合後 隔離に 大別さ れる。接合後隔離は雑種致死・雑種不稔・雑種崩壊からな る 。種分化が起こる時、何故、適応値を減少させる生殖隔離遺伝子が遺伝的に固定されるのかについては、
長 年にわ たり生 物学 上の謎 であっ た。遺 伝的に 固定される時に生じる遺伝的荷重を減じるには複数のモデ ル が提唱 されて いる 。イネ では種 問だけ でなく 種内の品種問交配においても多様な雑種不稔遺伝子が報告 さ れてお り、系 統間 の性的 親和性 を決定 する主 な要因であると考えられる。ジーンプールを共有する系統 問 と異な るジー ンプ ールを もつ系 統間の 雑種不 稔遺伝子を比較することは、生殖隔離現象の成立を考える 上 で興味 がもた れる 。
第3章 ではア ジア栽 培イ ネとア フリカ 栽培イ ネの 種間雑 種不稔 遺伝子Sの 解析を 行った 。アフリカ栽培 ―976―
イネ〇 .glaberrimaの1系統W025由 来のS対立 遺伝子はアジア栽 培イネ〇.sativa由来のみ゜対立遺伝 子と の異型接合体(Sl /Sla)において作用し、Sl°を持つ雌雄両配偶体の致死を誘導する。その結果、ロ遺伝子は 異型接合体の自 殖後代においてsex‑independent Transmission Ratio Distortion (siTRD)を引き起こす。q遺 伝子を 連続戻し交雑によ り日本型イネの遺伝 背景に導入した準 同質遺伝子系統を 用い、アジアイネお よび アフ リ カイ ネ27系 統に おけるS対立遺伝子の 分布を調査したと ころ、£^はアジ アイネに特異的に分 布し ており 、Slはアフリカイ ネでのみ見出された 。このことから種 間雑種不稔遺伝子Slはアジアイネとア フリ カイネの種分化 に関与したSpeciation geneであると考えられ た。町座の精密マッ ピングを行ったところ、
Sl座は 雄性配偶子の致死 を引き起こす主動因 子と雌性配偶子の 致死に関与する修 飾因子から成ること が明 らかと なり、主動因子を40kbの領域に絞り込 んだ。当該領域周 辺の候補遺伝子に ついてアジアイネお よび アフ リ カイ ネの 塩 基配 列を決定し 比較を行った。そ の結果、候補領域内 のORFに おいてアジアイネと アフ リカイ ネの間で遺伝的分 化が著しいことが明 らかとなった。こ のことはSl領域が 両種間で進化的に長 時間 保 持 さ れ て き た 領 域 で あ る こ と を 示 唆 し 、q遺 伝 子 が 種 分 化 に 関 与 し た こ と を 支 持 し て い る 。
第4章 で はア ジア 栽 培・ 野生 イ ネ問 で見 出 され た雑 種 不稔 遺伝 子 &の 解析 を 行っ た。 &はSと同様に szTRDを 引 き起 こす 雑 種不 稔遺 伝 子で あり 、第6染色体セ ントロメア近傍に 存在することが明 らかになっ て いる。アジアイネ25系統における対 立遺伝子の分布調査 を行ったところ、S6と昆^を保持す る両系統と 不 稔を起こさない中 立対立遺伝子& が野生・栽培イネに 広く分布している ことが示唆された 。次にS6遺 伝 子とS6n遺伝子の精密マッピ ング行った。その 結果&および昆 遺伝子は同じ領域に座乗することが明ら か となった。このこ とは昆および&¨ が昆座の複対立遺伝 子としてアジアイ ネ種内で分化して いることを 示 唆 して いる 。 また 、当該領 域における著しい 組換え抑制のため 、約6Mbの 領域がS6゜座候補 領域となり こ れ 以上 の絞 込 みは 困難 で ある と考 え られ た。3っの対立遺伝子 の保持系統間で当該 領域内の5つのマー カ ーについて塩基配 列の解析を行い、 塩基多様度を比較し た。S6 保持系統 は高い多様度を示し、SとS″a はS か ら 生じ たこ と を示 唆し た 。5個 のマ ーカー中、RlllCでは 、&とS6゜保持系統 の塩基多様度がS 保 持 系統 に比 べ て著 しく低く 、RlllCから距離が離れるに っれて塩基多様度 が上昇する傾向を 示した。こ の こ とは 、雑 種 不稔 を引き起 す&やS6 への変 化がRlllC近傍に存在するこ とを意味し、遺伝 学的結果で あ る複対立遺伝子の 分化を支持した。 セントロメア近傍で は組換えが抑制さ れているものの、 &遺伝子座 の 分化年代は古く、 過去の組換えの蓄 積によって候補領域 を絞り込むことが 可能となったと考 えられる。
第5章で はイ ネ 系統 間で見られる多 様な性的親和性の 起源について考察し た。本研究で詳細 な解析が行 われ た2つ の雑 種 不稔 遺伝子と同様の 領域に交雑親和性 を決定する遺伝子が 座乗することが明 らかとなっ てい る。 こ のこ とは 、交雑 不親和性と雑種不稔 性という異なる2つの性的親 和性の分化に共通 の遺伝子複 合体 が関 与 して いる 可 能性 を示 す 。
以 上のように、本研究 では、イネの種間 と種内で雑種不稔 遺伝子の遺伝的基盤 と遺伝的分化パタ ーンを 比較 することができた。 種内の遺伝的パタ ーンは種分化への 過渡期とみなされ、 交雑組み合わせに よって 性的 親和性が変化するこ とを裏付けるもの と考えられる。本 研究から得られた結 果は、最適な遺伝 子セッ ト を 効 率 良 く 選 抜 す る 交 雑 育 種 を 行 う に あ た っ て も 重 要 な 知 見 を 与 え る と 期 待 さ れ る 。
―977
学 位 論 文 審 査 の 要 旨 主 査 教 授 佐 野 芳 雄 副 査 教 授 三 上 哲 夫 副 査 准教 授 金澤 章
学位論文題名
Comparative genetic studies on hybrid sterility in rice ( イ ネ に お け る 雑 種 不 稔 の 比 較 遺 伝 学 的 研 究 )
交雑育種は、遺伝変異を交雑によって拡大し、新しい遺伝子組み合わせを選抜する手法である。利用 系統により選抜の成否が変化することが多く、その原因には性的不親和に関わる遺伝的分化が関連す る。したがって、系統間の性的親和性を理解することは、育種の効率を高める際に不可欠となる。本 研究の目的は、分化程度の異なる系統間で見出された 2 つの雑種不稔遺伝子の遺伝的基盤を比較する ことにより、雑種不稔現象の進化的起源を明らかにすることである。得られた結果は以下のように要 約される。
1 )生殖隔離機構の生物学的意義について概説した。有性生殖を行う生物集団は、1 次ジーンプール に含まれる遺伝子群から組換えによって適応的セットを再構築し、変動する環境に対処してきた。一 方、生物種の遺伝的均一性を保持するため、分岐した集団から遺伝子流入を妨げる生殖隔離機構が働 く。生殖隔離は接合前隔離と接合後隔離に大別され、接合後隔離には雑種致死、雑種不稔、雑種崩壊 が含まれる。種分化が起こる時、何故、適応値を減少させる遺伝子が種内に固定されるのかについて は、長年にわたり生物学上の謎であった。種内に固定される時に生じる遺伝的荷重を減じるには複数 のモデルが提唱されている。イネでは性的親和性について多くの研究が報告されており、ゲノム情報 が 整 備 さ れ た 現 在 、 イ ネ は 性 的 親 和 性 を 解 析 す る 上 で 優 れ た 実 験 材 料 で あ る 。
2 )アフリカ栽培イネ由来の£遺伝子は、異型接合体(S1/ S]a) において、アジァ栽培イネ由来の剄 を持つ雌雄両配偶体のみを致死にする。その結果、 S 遺伝子は異型接合体の自殖後代において性非依 存型Transmission Ratio Distortion (siTRD) を引き起こす。アジァイネおよびアフリカイネ27 系統 における対立遺伝子の分布を調査したところ、£^はアジアイネに特異的に分布しており、S はアフリ カイネでのみ見出された。精密マッピングを行ったところ、S 座は雄性配偶子の致死を引き起こす主 動因子と雌性配偶子の致死に関与する修飾因子から成ることが明らかとなり、主動因子を40kb の領域
‑ 978―
に特定できた。候補遺伝子についてアジアイネおよびアフリカイネの塩基配列を決定し比較を行った 結果、候補領域内の ORF においてアジアイネとアフリカイネの問で遺伝的分化が著しいことが分かっ た。このことはS1 領域が両種問で進化的に長時間種保持されてきた領域であることを示唆し、S 遺伝 子が種分化遺伝子(Speciation gene) であることを示唆した。
3 )アジァ栽培・野生イネ間で見出された雑種不稔遺伝子S6 の解析を行った。&はSf と同様にsiTRD を引き起こす雑種不稔遺伝子であり、第6 染色体セントロメア近傍に存在した。アジァイネ25 系統に おける対立遺伝子の分布調査を行ったところ、S6 と醪を保持する両系統と不稔を起こさない中立対立 遺伝子醪が野生・栽培イネに広く分布していた。次に精密マッピング行ったところ、S 遺伝子と副1 遺伝子を組換えることはできなかった。このことはS6 および醪が&座の複対立遺伝子であることを 示唆した。また、著しい組換え抑制のため、約8 Mb の領域が醪座候補領域となりこれ以上の絞込み は困難であると考えられた。さらに、候補領域内の5 つの分子マーカーの塩基配列を3 つの対立遺伝 子の保持系統間で比較した。S6n 保持系統は高い多様度を示し、S6 と鏐は鉗から生じたことを示唆し た。5 個のマーカー中、RlllC では、&と醪保持系統の塩基多様度が鉗保持系統に比べて著しく低く、
RlllC から距離が離れるにっれて塩基多様度が上昇した。このことは、&と鏐がRlllC 近傍に存在す ることを意味し、複対立遺伝子の分化を支持した。セントロメア近傍では組換えが抑制されているも のの、複対立遺伝子座の分化年代は古く、過去の組換えの蓄積によって候補領域を絞り込むことが可 能となったと考えられた。
4 )イネ系統問で見られる多様な性的親和性の起源にっいて考察した。本研究で解析された2 つの 雑種不稔遺伝子と同じ領域に交雑親和性を決定する遺伝子が座乗することが明らかとなった。このこ とは、交雑不親和性と雑種不稔性という異なる2 っの性的親和性の分化に共通の遺伝子複合体が関与 する可能性を示した。
以上のように、本研究では、雑種不稔遺伝子の遺伝的基盤と遺伝的分化パターンを種間と種内で比 較することができた。種内の遺伝的パターンは種分化への過渡期とみなされ、交雑組み合わせによっ て性的親和性が変化することを裏付ける。本研究から得られた結果は、最適な遺伝子セットを効率良 く選抜する交雑育種法に重要な知見を与えると期待される。よって、審査員一同は、小出陽平が博 士(農学)の学位を受けるのに十分な資格を有するものと認めた。
―979―