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研究紀要 第8号 (2)

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(1)

房 総 の 石 製 模 造 品

1.は

じめ に

2.石

製模 造 品 とは何 か

3.石

製模 造 品 の出現

4.房

総地 方 の石製模 造 品

5。

ま とめ

(2)

房 総 の 石 製 模 造 品

1。 は じめ に 近年石製模造品 に関す る報告 は、 しだいにその数 を増 しつつある。 しか しなが ら、 その内容 について検討 を加 えるな らば、模造品 とい う本来の性格か らやや距離 をおいた論議がなされて いる観がある。すなわち、呪術的・ 宝器的な性格 を持つ とされている石製品 は ともか く、広義 の滑石材で製作 された『石製模造品』 に関 しての少々の混乱 は、材質が滑石 または滑石 に類す るとい うただ一つの理 由によっている。た とえば、縄文・ 弥生時代 の貝輪か ら発展 した とされ る古墳時代 の鍬形石・ 石釧 。車輪石 といった石製品は、その材質が凝灰岩質の ものが大勢 を占 めている。(註1)この ことと比較す る意味で滑石材の製品 を一括 して『石製模造品』と呼称 する 場合 も過去 において便宜的にお こなわれた区別の仕方であった。石製模造品の場合 には、刀子・ 鎌・ 斧な どはその出現以前 に当然の ことなが ら鉄製の実用品が存在 し、何 らかの目的の もとに 石材 に置 き換 えられたのである。石製品 と石製模造品の異 なる点 をあげる とすれば、前者 は古 墳被葬者個人が治権 の継承 に関 る宝器 として手 に入れたモニ ュメン トであ り、後者 は実用の利 器の存在が前提 であ り派生的な性格 を持 つ代替品である とい うことになる。また、『石製模造品』 の うち剣形及 び有孔円板 はその原形 となった実用品の存在 も推定 され るものの、臼玉 と共 に装 身具ない しは祭祀用具 として実用 に供 された と思われ るところか ら、石製祭祀遺物 として石製 模造品 とは区別 して観察すべ きことを指摘 してお きたい。すなわち、石製模造品の出土の中心 が古墳 であ り、石製祭祀遺物の場合 には住居址及 び特殊 な遺構 が出上の中心 となっているので ある。(議2)ここで、石製品、石製模造品、石製祭祀遺物 について、どの ような見解が成 されて いるのかを検討 してみたい。(本稿では広義の滑石製品全般 について総称 する場合 には、『石製 模造品』 と表記す ることとした。)

①石製品の副葬の普遍化に伴い、石製模造品の副葬が開始される。石製品の主なるものは碧玉

製品であり、石製模造品の場合には滑石製品が中心 となる。

(註3)

②石製模造品と石製祭祀遺物を区別することなく、

『石製模造品』と石製品のちがいをそれぞれ

の工 房址遺構成立 の技術 的 。時間的 なずれ として把 らえる。(註4) ③石製品は系統的な発展途上に位置する治権継承のモニュメン トであ り、石製模造品は実用利 器から派生 し、副葬することに意義がある。有孔円板・ 剣形・ 臼玉 といった石製祭祀遺物の 場合には、装身具 としての可能性 を残 しなが らも、その出土の状況から副葬 という行為 より

(3)

-321-〔研究ノート〕 も祭祀のための調度品 としての色彩の強 い ものである。 前述の とお り、筆者 は③ の立場 か ら石製模造品 について考察 を展開す ることになるが、模造 とい う行為がお こなわれた目的、すなわ ちどの ような背景の もとで石製模造品が出現 したのか を検討 することか ら始めなけれ ばな らない。次章 では石製模造品に含 むべ き範囲 を明 らかにす るとともに、 どの ような製品が模造の対象 となったのか を検討 してい きたい。

2.石

製 模 造 品 と は何 か 。 最初 に この名称 を使用 したの は大野延太郎氏であった。(註5)大 野氏 は「土中発見の古物中に 実用品な らぎる種類の石製物 あ り。各々嫁 る所 あ りて文 を模せ しが如 し。」とされ、 これ を『石 製模造品』 と呼んだ。 大正期 に入 り高橋健 自氏 によ り集成がなされ、(註6)古墳出土の遺物の うち石材で作 られた も のを石製品 と呼ぶ ことを提示 された。 さらに、石製品の うち石釧・ 車輪石 な ど生前 に使用 され た もの と、石製鏡 。石製刀子 な ど生前の使用が考 えられない ものの区別 を示 された。高橋氏 は 後者の中の、生前所用に代 り型式のみを備 えた仮器 を『石製模造品』であると定義 されたので ある。 水野清一、小林行雄両氏編 の考古学辞典 によれば、石製品 とは「前期・ 中期の古墳の副葬品 の うち、碧玉製の器物 を石製品 と総称 す ることがある。主 として滑石製の石製模造品 と区別す るためである。 この意味で、石製品 と呼ばれ るものには碧玉製腕飾類、合子・ 案 な どの容器類、 筒形石製品、巴形石製品、紡錘車 な どがふ くまれ る。勾玉 。管玉の類 は石製品にいれない習慣 である。」 とし、 さらに『石製模造品』については「古墳時代 の遺物の うち、軟質の石材 を もっ て各種の器物 の形 を模造 し、祭祀の さいな どに用 いた ものをい う。」 との説明がなされている。 注 目すべ きことはこの時点で『石製模造品』 に祭祀遺物 としての性格 を見出 していることであ る。『石製模造品』の性格 を論 じる場合、古墳出上の副葬品 として観察す る立場 と、工房址 にお ける技術面 か ら観察す る立場のあることは前章 において も指摘 した。寺村光晴氏 は後者の立場 か ら古墳時代第一期の玉作遺跡 と第二期の玉作遺跡 では技術面 における系統的な流れのない こ とを論拠 とし、碧玉材 を中心 とする第一期の玉作遺跡 と滑石材 を中心 とす る第二期の玉作遺跡 の成立時の背景のちがいを指摘 された。 しか し、 この見解 は生産遺跡及 び集落遺跡 における生 産技術面 に着 目する斬新 な解釈であったが、石製品 と石製祭祀遺物 ではもともと同時存在の可 能性が極 めて少な く、両者 とそれぞれに深 い関 りを持 つ石製模造品の検討 な しには比較するこ とは困難 と言わねばな らない。 石製祭祀遺物 は住居址 ないしその工房址か ら出土 し、 まれに特殊 な祭祀のための遺跡か らも 出土するが、 これ らの行為が特定の個人 を対象 とした祭祀であった可能性 は極 めて少ない こと、

(4)

一方石製模造品 は古墳の被葬者の死 という結果 に対 して被葬者 と関 りの深 い人々によって副葬 された もの と考 えられ、 この ことは明 らかに特定の個人 を対象 とした慣習である。 これ らの全 く異質 な性格 はその まま目的のちがいを意識 した結果であると言わねばな らない。 石製品が象徴的・ 宝器的な被葬者個人の集積 による遺物であることはすでに先学諸兄の明 ら か とす るところであるが、青銅鏡・ 鉄製武器具・ 鉄製農工具 な ども被葬者個人の集積 による時 期のあった こととあわせて考 えるな らば、石製模造品は、 これ らの被葬者個人の集積 されるべ き製品 を原形 としていることがわかるのである。 したが つて当然の ことなが ら石製模造品は原 形に忠実 に模造 されているのである。比べて石製祭祀遺物 の場合 には、祭祀の形式 に合 うセ ッ トとしてそろえられ ることが重要であ り、 したが って必ず しも原形 に忠実な造 りを要求 される 必要 はない。 また、被葬者個人の集積 による製品は、被葬者の生前 においてすでに彼の もとに集積 されて いた もの と考 えられ るのであるが、石製模造品の場合 には、被葬者の死 に際 して準備 された も の と考 えられ る。被葬者個人の集積 による製品の『満足で きる量』 を満たすために模造品が副 葬 され るようになった と考 えられ る。 しか し、各古墳出土の石製模造品の数量 を観察 した場合、 多少の流出遺物があることを考慮 して も、あまり規則性 の ような ものは認め られない。む しろ、 各古墳 によって まちまちである といった方が適 当 とも考 えられ るのである。 この ような現象 を引 き起 こす石製模造品 とはどの ような実用利器 をモデル として派生 した も のであるかを検討 してみたい。 石製模造品の分類

1.武

器及び武具の石製模造品。 (剣 。甲) (滑石製の剣形品は石製祭祀遺物であ り、本分類 には該 当 しない。 ここでいう剣 とは両刃 の剣 を忠実に模造 した ものを指 している。) 農具 の石製模造 品 (鎌) 工 具 の石製模造 品 (刀子・ 斧・ 鈍 。璽・ 鍬) 服 飾 具 の石 製模 造 品 (鏡・ 履 。櫛) 厨善具 の石製模造 品 (臼・ 杵 。案 ,槽 。増・ 不・ 盤)

(5)

〔研究ノート〕

6.機

織具の石製模造品 (校・ 筏 。1秦・ 腰掛 。紡錘車) (側面 に段 を もつ同心 円状 の石製品及び住居址出土の滑石製の紡錘車 は本分類 には該 当 し ない もの とする。)(註7) なお、前述の ように滑石製の玉類 も本分類 にはな じまない もの として除外 した ことを明 らかに しておかねばな らない。 石製模造品 としてコピー された実用利器 を検討す ると、古墳の被葬者個人 に関 るもの とい う よりも、被葬者の治権 の及ぶ地域 において経済的基盤 を支 える工人 または職人 に関るものであ ることがわかる。 これ らの二人 または職人 を管理・ 掌握す ることは、地域の治権継承者 として は欠 くことので きない条件 であった と考 えられ る。 この ことはす ぐに部の成立 を物語 るもので はない。 しか し、彼 らが古墳の被葬者の死後 も、生前 と変 らぬ忠誠 を誓 うとともに、次期後継 者の保護下 に参入することを示すために石材 をもって副葬す る慣習 を築 き上 げたのではないだ ろうか。 また、石製模造品の材質選択 は、模造の対象 となる実用利器 を忠実 に再現するため、加工 の 容易な片岩質の石材が選択 されたのであろう。 そ して、石製祭祀遺物 における大量の出土状況 を観察す ると、専業的な職種 として成立するに充分 な程の需用 を契機 として構成 された、 これ らの工人集団 こそ部の成立 した姿 として把 えられ るのではないだろうか。 石製模造品の工人・ 職人 と、石製祭祀遺物の製作工人の関係 を示す考古学的資料 となると同 じ石材 を用いていること以外 はさして根拠 と言 える程の ものは見 うけられない。 しか しなが ら、 石製模造品の工人・ 職人の築 き上 げた石材加工の技術が、変化す る社会の求 めに応 じて整理、 再編成 された職種 として石製祭祀遺物の製作 とい う展開 を示す ことはあ りえない ことではない。 古墳 に埋葬 され るべ き小地域の首長層に とって、鍬形石・ 車輪石・ 石釧 といった石製腕飾類 は小地域 における治権 の保障 とも言 うべ き象徴であ り、農工具 を中心 とする産業製品を原形 と する産業遺物 にその中心 を持つ石製模造品は実用利器の普及 と切 り離 して考 えることはで きな いのである。実用利器の うち、鉄製の武器具の独 占は自らの治権 養護のため最 も早 い段階でお こなわれた と考 えられ る。農工具の独 占の場合 には、治権 の獲得 に続 く次の段階、すなわち治 権 の安定 に とって欠 くことので きない行為であろう。象徴的なモニ ュメン トを保持、伝世 する ことは小地域の首長 に とって治権 の獲得であ り、実用利器の導入、すなわち産業技術の導入は 小地域の首長 に とって治権 の安定 を もた らす ものであった と考 えられ る。 この ように石製模造品を位置づけた うえで、次章では石製農工具 を代表例 として、その原形 となった鉄製農工具 との比較の中でその出現 について検討 を加 えることとす る。

(6)

3.石

製 模 造 品 の 出 現 石製模造品の出現 した背景 について小林行雄氏 は、「畿内においては、まず石製模造品が副葬 されはじめた当初 には、それ らは主 として碧玉製品 として出現 したのではないか と思われ、漸 次 それが滑石製品に移行 した観がある。」とされ、石製品 と石製模造品が同 じ系統の ものである ことを示唆 された。(註8) 広義 の碧玉材製の石製品を古墳時代前期 に位置づ け、やは り広義の滑石材製の石製模造品を 古墳時代 中期 に盛行 した とする見解 は大方の異論のない ところである。 しか し、石製模造品の 出現 した背景が明 らかになった とは言いがたい。前章 において考察 した とお り筆者 は、模造 と いう行為が模造の対象 となった実用利器 と切 り離 して考 えることはで きない という立場か ら、 石製品 と石製模造品、鉄製利器 と石製模造品 という相互の関連 の中で石製模造品の出現の背景 を探 ることとしたい。 第18表は石製農工具(石製模造の農工具)、 鉄製農工具、石製腕飾類の伴出状況 を表示 した も のである。 No l∼NQ18 石 製農具及 び鉄製農具 の鎌 の刃部 が直刃 の グルー プ。 No50^VNo58 石 製農具及 び鉄製 農具 の鎌 の刃部 が曲刃の グループ。 NQ100-Nol17 石製農工具 は出土 す るが、鉄製農工具 を伴 出 しない グルー プであ る。 この グルー プの古墳 は 出土遺物 に乏 し く、 あ るい は他 に も遺物 を伴 っていた可能性 も否定 で きない。 この グルー プ はあ くまで も現状 にお ける分類 としてお きた い。 No150-No165 石 製農工具 は出土 しないが、鉄製 農工具 と石製腕 飾類 を伴 出 し、 その うちの多 くの古墳 出土 の鉄製鎌 の刃部 は直 刃で あ る。 この グループに該 当す る古墳 は、比較 的出土 の状況 の明 らか な もの を抽 出 したのであ るが、鉄製農工 具 に比 べ て石製腕 飾類 の副葬数 の乏 しいのが特徴 で あ る。 No200͡ψNo212 石製農工具 は出土 せず、鉄製農工 具 につ いて もこの グループの大部分 の古墳 で は確認 されず、 石製腕飾類 のみ出土状況 が明確 な古墳 の グルー プであ る。 なお、 この グループは石製模 造 品、 鉄製 品 、石製腕飾類相互 の比 較 を 目的 として取 り上 げた グループで あ るため石製腕 飾類 出土 の古墳 を網羅 す る もので はない。 また、No150∼ No165と No200∼ No212の グルー プは石製農工

(7)

-325-〔研究ノート〕 第18表 石製農工具 。鉄製農工具・ 石製腕飾類出土古墳一覧 No 古 墳名 石 製 農 工 具 鉄 製 農 工 具 石 製 腕 飾 類 紡錘車形 石 製 品 備 考 文   献 農 具 工 具 農 具 工 具 計 鍬 形石 車輪石 石 91 l 金蔵山(中) l l 1

O鉄

鎌 金蔵山(南) 4 4 8 3 富 雄 丸 山 0 17 │ 1 〇 鉄 鎌 4 鏡 山 l 4 5 ⑥ 石 鎌 5 石 山(東) 3 〇 石 鎌 6 石 山(中) l 石 (西) 3 13 3 Θ 石 鎌 8 遊 塚 4 〇 石 鎌 9 七 廻 塚 3 3 6 1 l 〇石・鉄鎌 石 神 2号 4 9 〇石・鉄鎌 上 赤 塚 1号 (第 1) 3 9 3 2 5 〇石・鉄鎌 〃(第 2 0 0 2 2 鴇 崎 天 神 台 (1号) 0 3 3 〃(2号) l 5 6 〇 石 鎌 野 毛 大 塚 l ① 石 鎌 剣崎 人神山 2 ⑪ 石 鎌 公 卿 塚 1 〇 石 鎌 鏡 塚 3 〇 石 鎌 中 2 ⑪石 。鉄鎌 カ トンボ山 C石・鉄鎌 多古台古墳 6 4 ⑪石,鉄鎌 鶴 山 2 ① 石 鎌 お そ ね 塚 3 ⑪ 石 鎌 藤岡稲荷山00 3 ⑪ 石 鎌 ″(西) l 1 1 陪 塚 0 8 2 3 5 ⑩ 鉄 鎌 観 農 車 塚 3 4 7 ⑪ 石 鎌 岩崎山 l号 0 3 津 堂 城 山 0 l 1 2 宮 山 l 日 葉 商:媛 0 4 3 3 1 7 佐 味 田宝 塚 () l 1 久津川車塚 0 4 巣 1山 0 ll 一 分 目 0 1 l 二 子 塚 () 5 聖 天 塚 0 6 上細井稲荷山 0 8

(8)

1111赤堀 茶 Fl山 I H2鬼 塚

2t

lzt

8

() 鶴 巻 塚 能 照 寺 裏│ 岡 飯 出 150安土 瓢 箪 山

rsrl+Ft4l

1521松 林 山│ 園 部 垣 内 207西 車 塚 208新 山 東 大 寺 山 551 ① 鉄 鎌 58 ① 鉄 鎌 631 4 1 115 25 1 5 1 141191 1 1 1 1

24 1 11 121 2①

鉄 鎌 9 1 31121 2051手 古 塚 河 原 塚

(9)

〔研究ノート〕 具 を出土 しない ことで一括すべ きであるか もしれない。将来的 には鉄製鎌 を出土する古墳の みで一つのグループを作 る再編成 の作業が必要 となることが予測 され る。 この作業 について は、後 日石製腕飾類 の再検討 とあわせてお こな うこととしたい。 No300^V 表記 した古墳以外 に も石製模造品 を出土する遺跡 は存在するが、出土状況が不明 な部分が多 く割愛 した。河原塚古墳 と高柳銚子塚古墳 は、本稿のテーマが房総地方の石製模造品である のであえて表記 してお くことにした。 なお、第19表中の石製農工具の分類 は鉄製農工具の分類 に準拠するもの とし、漁具 はその性格 か ら農具 と同一の項 目として まとめてある。ただ し、今後の資料の増加 によっては独立 した一 つの項 目 として扱 う可能性 を否定する ものではない。 回帰分析 に よる相 関関係 第19表か ら第25表までは石製農工具、鉄製農工具、石製腕飾類相互の相関関係 を中心 に図表 化 した ものであ り、作表作業 はマイ クロコンピューターによる回帰分析 によって分布の散 らば りを直線化、 または曲線化す ることで傾向の表示 をお こなった。図表中の ドッ トのナンバーは、 第 18表 中 の古墳 の ナ ンバ ー と同一 で あ る。

(i)石

製農工具 と石製腕飾類 (第19表) 第19表によれば、石製腕飾類の副葬数の 停滞傾 向は、一方では石製農工具の副葬数 の多様化の傾向である。No 7、 No lとN056 の副葬数の差が注 目され る。前者 は直刃の 石製及 び鉄製の鎌 を出土する古墳 である。 また、 No101・ No103・ No106・Nol15。 No104

が前者 と近 い様相 を呈 している。・

(‖

)鉄

製農工具 と石製腕飾類 (第20表)

第20表によれば、両者 は負の相関関係 に あ り、石製腕飾類の副葬数の減少 と相反す

第19表 石製農工 具 と石製腕飾類 の相 関関係

るように鉄製農工具の副葬数 を増 している。No162とNo 3。 No152・ No159の差が注 目され る。 これ らの古墳 は、石製腕飾類 を副葬す ることで共通 した性格が観察 され るが、NQ162の鉄製農 工具の副葬数 は、No 3・ No152・No159な どの諸古墳 と比べてはるかに少な く、宝器的な製品を所 有する慣習 についで、実用の利器 を独 占・ 管理す る傾向の強 まった ことを示 している。 しか し なが ら、第20表に示 された ドッ トの位置 は、古墳の副葬品の組合せか らみた傾 向の表示であっ 2 0 ︵石 製 農 工 具 ︶ 200 (石製腕飾 類)

(10)

︵鉄 製 農 工 具 ︶

h醜

│ 164 ・ 162 100 200 300 401 第20表 鉄製農工 具 と石製腕 飾類 の相関関係(石製腕飾類) て、時間的な新 旧を表示 した ものではない ことを明 らかに してお きたい。 価〕 鉄製農工具 と石製農工具 (第21表) 第21表によれば、石製農工具 と鉄製農工具の副葬数 は正の相関関係 にあ り、盛衰の傾向 を共 にする傾 向のあることがわかる。すなわち、鉄製農工具の普及 に伴 い石製農工具の増加が観察 され るのである。 また、No51・ No50 0 No lの

3古

墳 に注 目す ると、石農工具 と鉄製農工具の副 葬数の割合が著 し く異 なった様相が認 め られるのである。 以上の ように副葬数の増減 に注 目してその相関関係 を観察す ると、石製腕飾類 の減少す る傾 向 と相反する形で鉄製農工具の副葬数が増加の傾 向 を示 し、鉄製農工具の普及 は石製農工具の 副葬数の増加の傾向 を も伴 うものであることがわかる。

・ また、第19表において、NQ1 0 No 7・ No56の

3古

墳 を比較す る と、石製腕飾類の副葬数の少な い古墳 では石製農工具の副葬数が増加す る傾 向にあることが観察 され る。 しか も、

N01が

直刃 の鉄製鎌 を、No 7が直刃の石製鎌 をそれぞれ出土 しているのである。 こうした傾 向 を踏 まえた 10¬

(11)

〔研究ノー ト〕 4 0   ︵鉄 製 農 工 具 ︶ 3 0 100 200 300 400 第21表 鉄 製農工 具 と石製農工 具 の相 関関係

(石

製農工具) うえでNo56を検討す るな らば、同 じ古墳 に存在するもう一つの埋葬施設のNo57よ りも早 い段階 で造 られた ことが考 えられ る。房総地方に関係 した古墳 では、No 9 0No10。 Nollが該 当 し、No 9 とNollの傾 向が よ く似 ていることがわかる。 次いで、農具 と工具の相関関係 に も注 目してみたい。 (→ 鉄製工具 と鉄製農具 (第22表) 第22表によれば、回帰 曲線 よりも左側 には150番代 の古墳が、右側 には150番代 に加 えて石製 模造品 を出土する古墳が注 目され るNo l・ No50で は鉄製農具の副葬数が著 しく増加 し、No lは 直刃の鉄製鎌 を、No50は鉄製・ 石製 いづれ も曲刃の鎌 をそれぞれ出土 している。 ちなみに鉄製 工具が確認 されないので第22表中には現われていないが、No51も鉄製農具 を大量 に副葬 してお り、No50同様 曲刃の鎌 と関 りの強いグループの古墳 である。房総地方の古墳 について観察する と、No 9 0 Nollは 回帰曲線 に沿 ってお り、 ご く平均的な状態であるが、No10の農具の割合がや や大 きくなっていることがわかる。 2001

(12)

4   ︵鉄 製 工 具 ︶ 100 第22表 200 300 鉄製工 具 と鉄製 農具 の相 関関係 400 (鉄製 農具) 153 03 :│:♀

::

(v)石

製工 具 と石 製 農具 (第23表) 石 製 農工 具 の副葬 が、鉄製農工 具 の普及 と関 りを持 つ とすれ ば、石製 の農具 と工具 の関係 が 鉄製 の場 合 と同一 の状 況 を示 すか否 か、検証 す る必 要 が あ る。第23表 は石製農工具 にお ける、 第22表 の鉄 製農工具 と同様 の相 関関係 を示 した ものであ る。結果 は鉄製農工具 の場合 と少 々趣 を異 としてい る。 あ くまで も副葬 の数量上 の比 較 で はあ るが、農具 よ りも工具 に模造 の中心 の あ る こ とが わ か る。模造 の対 象 とな った農具 よ りも工具 の種類 の豊富 な こ とも、第23表 にお け る回帰直線 の勾配 を強 くしてい る一 因 と考 え られ る。 しか しなが ら、豊富 な種類 の中で も特 に 刀子 の模造 品の副葬数 が他 の工具 の模造 品 を圧倒 してい る事 実 も見逃 せ ない。 この現 象 につい て は、や は り他 の工具 と比 べ て原形 とな った実用利器 、すなわ ち鉄製刀子 の需用の状況 を反映 して い る もの と考 えたい。 この問題 に関 して、石製模造 刀子 の形態 のバ ラエ テ ィー に注 目 し、 時 間 的 な前後 を与 え る こ とも興 味 あ る課題 で はあるが、巨視 的 に観察 すれ ば、石製模 造刀子 も 石 製工 具 の一 つで あ り、全体 的 な傾 向か ら独立 して論 ず るこ とはで きない。 なお、第23表 中の 房総地 方の古墳 で は、No14が 回帰直線上 にあ り農具、工 具 は同 じ割合 で、No 9・ No10。 Nollが

(13)

〔研究ノー ト〕 4 0   ︵石 製 工 具 ︶ 5   56 6 1 7 100 第23表 200 300 石製工 具 と石製農具 の相 関関係 400 (石製 農具) 回帰直線 の右側、すなわち農具の割合の大 きいことが観察 され る。第22表において、鉄製農工 具の場合 には工具か ら農具へ と副葬の中心が移行 していた。 とすれば、NQ 9・ No10・ヽ11はNo14 に比べて新 しい傾向にあると言 える。No14は No13と 同 じ墳丘 にある埋葬施設であるが、鉄製農 工具 は確認 されていない。 ←0鉄製農具 と石製農具 (第24表) 第24表は鉄製農具 と石製農具の相関関係 を示 した ものである。両者 は負の相関関係 にあ り、 石製農具の副葬数の増加 は鉄製農具の副葬数の減少の傾向 と一致 していることがわかる。房総 地方の古墳 であるヽ9。NQ100 NQHを 観察す ると、いづれ も回帰 曲線 の左側 にあ り、鉄製農具副 葬の割合のほんのす こしだけ大 きい傾向 を示 している。 伍

)鉄

製工具 と石製工具 (第25表) 第25表は鉄製工具 と石製工具の相関関係 を示 した ものである。両者 は正の相関関係 にあ り、

(14)

4 ︵鉄 製 農 具 ︶   3 (イ固) 100 第24表 400 鉄 製農具 と石製農 具 の相 関関係

(石

製農具) 石製工具の副葬が鉄製工具の普及 と一致 していることを示 している。房総地方関係では、

NoH

が回帰直線の左側 にあ り、No 9・ No10は回帰直線 の右側 にある。ほんのわずかな差ではあるが、 後者 は石製工具の割合が大 きくなっていることがわかる。 以上の ような観察 を通 して石製農工具、鉄製農工具、石製腕飾類の大 まかな相互関係が示 さ れた ところで、それぞれの種類別 に各古墳 ごとの シチュエイシ ョンを明 らかに しておかねばな らない。そ こで各古墳 における種類 ごとの出土数 を偏差値 に置 き換 え、グラフによって相対的 に比較 をお こな うこととす る。 偏差 による相関関係 表中のNo及びグラフの横軸の数字 は第18表中の古墳のナ ンバー と同一である。 ←五

)鉄

製農具 と鉄製工具 (第26表) 第26表は鉄製農具 と鉄製工具出土の古墳の偏差値一覧 と偏差値 グラフである。鉄製農具の場 合 には、No l・ No50・ No51・No1580No164の

5古

墳の偏差値が50を越 えている。 この うち、No l。

(15)

-333-〔研究 ノー ト〕 (イ促ヨ) 100 第25表 200 300 鉄 製工具 と石製工具 の相 関関係 400 (石製 工具) NQ158は直刃の鉄製鎌 を出土 している。偏差値が50を越 えない古墳の うち、m52・ No57は曲刃の 鉄製鎌 を出土する。 グループ別 に観察す ると、No150∼No165のグループは偏差値が50を越 える 割合が もっとも大 きく、No50∼ No57のグループは偏差値50を越 える割合が もっ とも小 さ く、No l ∼No12のグループは両者の中間的な割合 を示 している。 以上の ことか ら、鉄製農具では副葬数の少ない ものか ら多い ものへ と変化がみ られ、鉄製工 具では副葬数の多いものか ら少ない ものへ との変化がみ られ る。 この ことは第21表及び第22表 によって得 られた、鉄製農具の増加 と石製農工具の伴出の同時性 という結果 を合わせて考 える な らば、鉄製工具の圧倒的多数の副葬 に次いで鉄製農具の副葬が開始 され、同時 に石製農工具 の副葬 も開始 された ことがわかるのである。なお、鉄製工具 は鉄製農具の副葬の多量化の中で もその副葬 を停止することな く、限定的な数量の もとに引 きつづ き副葬 されつづ けていた もの と考 えられ る。 また、実用利器 を副葬す る場合 には特定の農工具 を象徴的に副葬品 とするのではな く、多種 類にわたる農工具 をいろいろ組 み合わせて副葬 している。(註9)その組 み合わせが古墳の被葬者 回 400 ︵ 鉄 製 工 具 ︶   300 050 _― ‐ `才

イン

(16)

Nla NQ 偏差 値 M M NQ No 数量 偏 差 値 l 3 2 4 1 5 0 3 l 5 7 I 7 0 4 6 (偏) 100 鉄 製 農 具 鉄 製 工 具 一―― 鉄製農具 一一― 鉄製工具

1 2 3 9 10 11 12 505 5257 1505 1"15315455166575869160616264165(古

) 第26表 鉄 製農具 と鉄製工具 の偏 差値 一 覧 の特徴 ともな ってい るので あ る。一 方、実 用利器 を副葬 す るので はな く、鉄製 の模 造 品 に よる 副 葬 の可能性 の あ る こ とを指摘 され た こ とが あ る。(註10)鉄 製 農工 具模 造 晶 の場 合 に も、製 作工 人 また は職人 と古墳 の被葬 者 との絆 を強調 す るための行為 として鉄製 農工具 を献上 した と理解 す るな らば、鉄製 の模 造 品が それ らの意識 を充 たす範 囲 において、 その存在 は充分 に考 え られ る ところで あ る。 鉄製農工 具 の副葬 が古墳 の被葬 者 に とって意 味 を持 つ とすれ ば、農工 具 の独 占 。管理 の もた らす現 実的 な利益 に結 び付 いてい る ことで あ る。農具 (漁 具 も含 めて

)は

収 穫 力 の維持 、 向上 とい う経済力の安定 に欠 くこ とので きない利 器 で あ る。 また、工具 は土木工事 、建 築工事 をは じめ 日用雑事 に至 る広範 囲 な道具 として欠 くことので きない利 器 で あ る。 教it 角‖│'11111 ヽ 数量 偏 差 値 NQ 数量 偏差値 放 ≒t 1‖│プ11111 数量 偏差値 M 数量 111・l『1 1 3 53 5 165 2 4 3 3 45 5 3

(17)

-335-〔研究ノー ト〕

農 工 具 を独 占す る こ とは、 当時 の社 会 にお いて は経 済・ 技 術 の両面 を掌握 し、 その周辺 に位 置 す る人 間 を管理・ 掌握 す る こ とで の治権 の安 定 を意 味 して い るの で あ る。

(鋤 石 製農具 と石製工具 (第27表)

第27表 は石製 農具 と石 製工 具 出土 の古墳 の偏 差値 一 覧 と偏 差 値 グラ フで あ る。 石 製農具 の場 合 、偏 差 値 が50を 越 え る もの は、No l∼ヽ 18の グル ー プで はNo5。No 7・No 8 0No 9 0No10。Noll・ No16・ No17・No18が 該 当 し、No50∼No58の グル ー プで は、No50 0 No51・ No52・ No53。No54・ No55。

M58が

該 当す る。INo l∼No18の グルー プ は直 刃鎌 を含 んでお り、No50∼ No58の グループ は曲刃 鎌 を含 む もの で あ った。以 上 の結 果 か ら、偏 差値 が50を 越 え る古墳 の割合 の少 な い もの か ら割 合 の大 きな ものへ と変 化 してい くこ とが わ か る。 す なわ ち、前 者 はNo l∼ No18の グルー プで あ

り、後 者 はNo50∼ No58の グループで あ る。

石 製 工 具 の場 合 、偏 差 値 が50を 越 え る もの はNo l∼No18の グル ー プ で はNo l・ No 5。 No 6・ No 7・ No 15・ No16が 該 当 し、No50∼No58の グル ー プで はNo50。 No51・ M55。No56が 該 当す る。 偏 差値 が50を 越 える古墳 の割 合 か ら観 察 す るな らば、 ほぼ同程 度 で あ る こ とが わ か る。No 5。 No15。 No55の 各古墳 は、 それ ぞれ伊 賀、武蔵 、河 内、上野 の各地域 において鉄製工具 を石製工 具 に置 き換 える慣 習の中心 として模造 品 を集積 した被葬 者の埋 葬 され た古墳 であ る可能性 を考 え られ るの で あ る。 鉄製 農工 具 にみ られ た農具 と工具 の推移 の傾 向 と、石製農工 具 にみ られ る農具 と工具 の推移 の傾 向 を整理 す る と次 の よ うな こ とがわか る。N0150∼ No165の 諸古墳 にお け る鉄製農具 と鉄製 工 具 の関係 は、No l∼No18の 諸古墳 にお ける石 製農具 と石製工 具 に引 きつがれ てい る。 ところ が 、No l∼No18の 諸古墳 の鉄製農具 と鉄製工具 の関係 はその立場 を逆転 してい る。No50∼No58

にお け る鉄製農具 と鉄製工具 の関係 は、No l∼ No18の 諸古墳 の場 合 よ りも一 層農具 の副葬 が意 識 され てい る。 これ とは反対 に、石 製 農具 と石 製工 具 の関係 にお いて は、No50∼ No58の 諸 古墳 の石製工具 の副葬数 の伸 びが著 し く、 また、No100∼

NoH7の

諸 古墳 にお いて も、偏差値 こそ50 を越 える もの はないが、石製農具 よ りも石製工具 の偏差値 の高 い ことが注 目 され る。 す なわ ち、 石 製 農工 具 の副葬 に際 して は、工 具 の副葬 に意 識 の強 さが うかがわ れ るの で あ る。

(x)鉄

製 農工 具 、石製 農工 具 、石 製腕 飾 類 (第29表) 第 28表 は石 製農工 具 、鉄 製 農工 具 、石 製腕 飾 類 の偏 差値一 覧 と偏差値 グラフであ る。 グラ フ の表 示 には、一覧 で表示 した古墳 の すべ て を掲載 したので はな く、三 者の比 較 。観察が 目的 で あ るた め、No l・ No 3。 No 7・ No 9。 NQ56・ No100。 No103・ No104・ No106を 抽 出 した。 また、 石 製腕飾類 と鉄製 農工具 の偏差値 の推移 を観察 で きるようにNo150∼ヽ 165も あわ せ て表 示 した。

(18)

M 数 甲偏差 値 NQ 数量 偏差値 M 11千1'11lJl No 放│: 偏差値 ヽ Nll 教│ 偏 丼仙 1 1 47.0 4 59 6 2 51.2 5[ 3 55.4 42 8 0 42 8 0 42 8 3 55 4 97_7 0 42.8 42 8 l 47 0 4 1 47 0 0 42 8 6 68 0 0 42.8 109 42.8 H7 0 42 8 3 55 4 1 47.0 2 51.2 l 47.0 42.8 1 47 0 1 47 0 3 55 4 0 42.8 ll 42 8 7 3 55 4 2 51 2 3 55 4 0 42 8 42.8 4 59 6 4 59.6 l 47.0 0 42.8 1 47 0 3 55 4 3 55.4 0 42.8 0 42 8 l 47 0

3 4 5 6 7 8 9

-一

一 石 製 農具 一一一 石 製 工 具

r00 r0r r02 r0t r04 105 r06 r07 r08 r09 il0

lll

ll2 ll3 ll4 ll5 116

rli (tlE)

505152535455565768(古

墳) 第27表 石 製農 具 と石製工 具 の偏差値 一 覧 製 石 辰 目 石 製 工 具 ――一 石製農具 一―一 石製工具 ヽ 数量 偏差ll 偏 差値 NQ NQ 偏 差 値 No ti 11 11 NQ l 54 6 46 5 54 7 58 4 44 4 1 44 0 6 44 6 l 46 1 44 6 92.5 3 44 3 44.5 1 44 0 4 44 4 44 3 45 7 l 44 0 44 6 1 44 0 62 2 44 5 47.6 46 0 44 9 55.9 74 8 49 0 4 44 4 46 6 7 7〔 53 6 53 4 74 0 48 9 44 9 4を 49 4 44 6 58 9 49 2 ll 45 3 2( 46_5 47.8 8 44 9 45.3 44 1

(19)

-337-〔研究ノート〕

No150∼ No165の諸古墳 では、No152 0ヽ158において鉄製農工具の副葬数の著 しく増加 した傾 向を観察で きる。 これはNo lの存在 とあわせて考 えるな らば、ヽ150∼ No165にみ られるように 鉄製農工具の副葬の慣習 は石製腕飾類の副葬の慣習 と並行 してお こなわれ、やがて鉄製農工具 の副葬の慣習 を受 け継 ぐ形で石製農工具が出現 した もの と考 えられ る。 また、No l∼ No 9のう ち、No 1 0 No 3・ ヽ7の

3古

墳 はいづれ も畿内及 びその周辺 にあ り、石製農工具出現 ともっと も深い関 りを持 つ古墳であることを指摘 してお きたい。 したが って、鉄製農工具 を伴出 しない ために表示 されていないヽ

4 0No8・

No101∼NQ106の各古墳 について も石製農工具出現 に関 り を持つ古墳 としてさらに慎重 なる検討がな されなければならない。 なお、NQ 5。 No 6・ No 7の 二重県石 山古墳の場合 に も鉄製農工具 を伴出 した ことが伝 えられているが、資料報告が未だ成 されてお らず詳細 に欠 けるため、本稿 における検討 は石製農工具のみ としていることを断 って おかねばな らない。 本章 において試みた分析及 び観察の結果 を第28表としてまとめてお くことにす る。 段 階 項 目 古 墳 ナ ン バ ー I 石 製 腕 II 類   具 飾   ェ 腕   農 製   製 石   鉄 石 製 腕 飾 類 鉄 製 農 工 具 (工 具

>農

具) 石 製 農 工 具 (工具

>農

具) (直刃鎌 を伴出するグループ) 1 - 18 Ⅳ 鉄 製 農 工 具 (工 具

<農

具) 石 製 農 工 具 (工具

>農

具) (曲刃鎌 を伴 出す るグループ) 50 - 58 V 鉄 製 工 具 第 28表 石 製腕 飾類・鉄製農工具 。石 製農工 具 の段 階的比較 NQ 数 量 Nu 偏差値 Nu 偏差値 Nll ヽ 偏 差値 l I 1 2 l 3 17 l 6 9 6 1 3 19 鉄 製 農 工 具

(20)

No 数量 偏差値 数量 偏差値 NQ 数量 偏差値 数量 偏差値 N11 放it 1 54 4 46 9 & 54.7 5( 7 44 7 1 43 9 44 5 3 17 46 0 11 44 9 93.1 3 44.0 4 5 3 2( l 43 9 44.5 ll 1 5 44 5 I 46 0 44.8 6 55 7 74 2 4 49.2 4 44 3 46.5 7 53.7 48 7 44 8 8 50_0 17 10 ll 58 6 49 0 12 45.3 9 48.0 44 8 45.2

, ︲︹

¨

・ ・ ・ . . 、 . . 一 石 製 農 工 具 石 製 腕 飾 類 ‐……‐鉄製農工具 ―― ‐一 石製腕飾類

石製農工具 7 956100103041065015 52163‖ 16516615′ 1581596016162164(古 ) 第29表 鉄製農工具・石製農工具・石製腕飾類の偏差値一覧 NQ 数量 偏差値 NQ 数量 偏 差値 NQ 数量 偏差値 No 偏差値 偏差値 l 1 45.3 l 44 8 51.0 7 48 2 50.4 1 53.2 2 45 3 1 62 9 82 1 46_5 1 44 8 3 45.9 52 7 1 48.7 3 45 9 ll 50 4 45 9 l 45.3 3 45 9 1 47 0 2 45 3 45.3 4 46 5 2 45 3 74 7 7 51.0 6 47 6 l 44.8 85 5

(21)

-339-〔研究ノート〕

4.房

総 地 方 の 石 製 模 造 品 房総地方が畿内の勢力 との関わ りを深 めていった背景 を裏付 ける遺物 として、石製農工具が 房総地方において どの ような出現 と終焉 を迎 えたのかを検討 してい くことにす る。 房総地方における鉄製農具 。工具 を出土する古墳の分布 を第

H9図

及 び第120図に示 してお く。 ただ し、本稿 は石製模造品がテーマであるか ら

6世

紀前半 を下限 として抽出 した。 鉄製農具の場合、第28表におけるH、 Ⅲ、Ⅳの各段階 を経 るにつれ、その副葬数 を増加 させ てい くことは前章 において検討 された結果である。第

H9図

の うち、七廻塚古墳、上赤塚1号墳 第1・ 第2主体部、多古台古墳出土の農具の副葬数 は極 めて少ないが、石神

2号

墳の場合 には 農具の副葬数がやや多 くなっている。 また、第21表、第22表、第23表における検討の結果 を合 わせて考 えるならば、鉄製農具 と工具の割合がほぼ同 じである七廻塚古墳、石神

2号

墳 は、鉄 製農具が工具 よりも割合の大 きくなっている上赤塚1号墳 よ りも古 い傾向がわかる。 さらに、 石製農具 と工具の割合がほぼ同 じである鴇崎天神台古墳 は、石製農具が工具 よ りも割合の大 き くなっている七廻塚古墳、石神

2号

墳、上赤塚1号墳 よりも古 い傾向がわかる。そ して、七廻 塚古墳 は石釧 を伴出 してお り、 これはⅢの段階の もっ とも一般的な古墳 であることを示 してい る。石神

2号

墳、上赤塚1号墳 は石製腕飾類 を伴出せず、IIIの段階で も比較的新 しいタイプの 古墳 とみ られ る。以上の考察 をまとめると、房総地方の石製農工具の出現がⅢの段階 にあ り、 石製腕飾類 こそ伴出 していない鴇崎天神台古墳か七廻塚古墳 に求 め られ るのである。 また、多 古台古墳 は曲刃の石製鎌 を伴出 してお り、明 らかにⅣの段階の古墳 といえる。 このⅣの段階 は、 石製農工具 に代表 され る石製模造品の終焉 にあたる時期で もある。多古台古墳の埋葬施設出土 の有孔円板、剣形、自玉 といった石製祭祀遺物 は、工房址 を含 む集落遺跡 よ り多量 に検出 され るようになる。第122図は石製腕飾類及 び石製農工具出土の古墳 と、石製祭祀遺物出土の、工房 址遺跡 を含む生産遺跡の分布図である。 石製腕飾類 は上総方面の東京湾沿岸地域 に分布 し、石製農工具 は上総方面の東京湾沿岸 と下 総方面の利根川流域 に分布 している。なお、第122図の自抜 きの口印は出土の状況が墳丘であっ た り、未確定資料である場合 を表 している。第120図に示 された鉄製工具の分布 を観察す ると、 千葉市か ら市原市周辺の都川、村 田川、養老川流域、君津市か ら富津市周返 の小糸川流域、江 戸川流域、利根川流域、栗山川流域、夷隅川流域 に分布 している。 また、利根川流域の一系統 と思われ るが、内陸の成 田市周辺 に も集中 しているのが注 目され る。次いで、第119図に示 され た鉄製農具の分布 を観察す ると、千葉市周辺の都川 と村田川 にはさまれた地域、富津市周辺の 小糸川流域、江戸川流域、内陸の成田市周辺 に分布 している。以上の結果 と第122図を比較する と、鉄製工具 と鉄製農具の分布 はバ ランスよ く一致 している。 また、鉄製農工具出上の古墳 と 石製農工具出土の古墳 もほぼ一致 している。 さらにこれ らの遺跡の間 を埋 めるように石製祭祀

(22)

墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 古 号 古 号 古 古 号 号 古 号

新 石 七 上 多 河 瓢 八 内 中 1 4 5 6 = ︲2 45 57 58 60 第

H9図

鉄 製 農 具 出 土 古 墳 分 布 図

(23)

-341-〔研究ノート〕 遺物の出土遺跡が分布 していることがわかる。ただ し、 この現象は東京湾沿岸 と利根川流域 に 限定 されているようである。 房総地方に鉄製農工具が もた らされた後、 この地方で広域的に普及す るのは東京湾 と太平洋 に注 ぐ河川の流域 であることがわかる。鉄製農工具出土古墳の うち、石製農工具 を伴出 しない 古墳 としては、新皇塚古墳、瓢塚32号墳、八重原

6号

墳、内裏塚古墳がある。 この うち、新皇 塚古墳 は石製腕飾類 を出土 してお り

Hの

段階の古墳 といえる。 内裏塚古墳 を除 くその他の古墳 はむ しろⅣ よりも遅れた段階の もの と考 えられ る。 また、鉄製工具 は出土するものの、鉄製農 具や石製農工具 を伴出 しない古墳 が存在 する。手古塚古墳、馬門古墳、浅間山古墳、能満寺古 墳、持塚

4号

墳、神門

4号

墳、南向原

3号

墳、向原

3号

墳、板附

2号

墳、小川台1号墳、大 日 山1号墳、水神山古墳、北作1号墳、法皇塚古墳、城山1号墳、瓢塚

9号

墳、瓢塚15号墳、瓢 塚17号墳、瓢塚22号墳、瓢塚23号墳、瓢塚32号墳、瓢塚33号墳、天王船塚32号墳、天王船塚36 号墳が これに該当する。この うち、手古塚古墳 は石製腕飾類 を伴出 してお り、能満寺古墳 は斧・ 鈍、北作1号墳 は短冊形鉄斧・ 範 という複数の種類 にわたる鉄製工具 を出土 してお り、やは り

Hの

段階の古墳 と理解 され る。 ちなみに、前述のⅡの段階である新皇塚古墳 は、北側木館 よ り 刀子、のみ、鈍 、鎌、鉄斧 を、南側木棺 より刀子、錐、鈍 、鎌、鉄斧 をそれぞれ多種類 にわた る鉄製工具 を出土 しているのである。 地域的な問題 を取 り上げるな らば、内陸の成田市周辺地域 における鉄製農工具の うち、工具 のみを出土する古墳の多いことが注 目されるのである。前章の鉄製農工具の副葬形態の推移か らすれば、鉄製農工具が石製農工具 に置 き換 えられてい く過程で副葬の中心が工具か ら農具 に 移行す る傾向が観察 された。房総地方の鉄製農工具の普及の状況 を検討す ると、農具の副葬の 慣習がⅣの段階 を最後 に消滅 している。 この ことは石製農工具の場合 に も言 えることであると ともに、石製農工具 を含 む石製模造品の終焉で もある。 また、鉄製工具 はこれ以降特 に刀子 を中心 として、古墳の被葬者の胸部付近 に副葬 され る慣 習のあることは多 くの調査例か らも検証 されている。すなわち、刀子が工具 としての存在では な くな り、死者を悪霊か ら守 る護身刀 としての新 な意識 の もとに副葬品 として残 りつづ けるの である。 実用利器 を独 占 。管理す ることを背景 とした鉄製農工具の副葬 を契機 として出現 した石製農 工具 は、実用利器の普及の広が りとともに、実用利器の副葬意識の変化の中で、その存在意味 を失い終焉 を迎 えることになるのである。石製模造品、特 に石製農工具の製作工人 は、石材で 実用利器 を忠実に模造することで古墳の被葬者 との絆 を強 くす る人々である。石製模造品中に あって も、石製農工具 ほ ど原形 となった鉄製農工具 を忠実に再生 しているものは他 にない。第 121図は、県下 における鉄製農工具 と石製農工具の同一古墳 における形態比較である。

(24)

墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 古 古 舗 古 嶋 古 古 士 H 口 万 嶋 口 万 口 万 口 万 口 万 口 万 口 万 口 万

新 手 鴇 七 上 多 河 水 北 大 城 瓢 瓢 瓢 瓢 瓢 瓢 1 2 4 5 6 = ︲2 34 35 37 38 39 40 4︲ 42 43 44

45瓢

塚 32号 墳 46.瓢 塚 33号 墳 47.瓢 塚 47号 墳 48 天 王船 塚 32号 墳 49 天王 船 塚36号 墳

50向

3号

墳 51 南 向 原 3号墳

52神

4号

53持

4号

54能

満 寺 古 墳 55.浅間 山 1号 墳 56 馬 門 古 墳 57.八重 原 6号墳

58内

裏 塚 古 墳

59法

皇 塚 古 墳

62小

川 台 1号 墳 63.板 附

2号

墳 第 120図 鉄 製 工 具 出 土 古 墳 分 布 図

(25)

-343-〔研究ノー ト〕 1∼

16

石 神

2号

墳 主体 部北 端 出±

22

石神

2号

墳 主体 部 中央 出土鉄 製 刀子 1∼

3

鉄 製鎌

33∼

41

上 赤塚 1号墳 第1主体 部 出土

4

石製鎌

33

鉄製鎌

5-6

鉄 製刀子

34∼

35

石 製鎌

7∼

16

石製 刀子

36∼

37

鉄 製斧

17

石神

2号

墳 主体部 外 出土鉄 製鎌

38∼

41

石 製斧 18∼

32

石神

2号

墳 主体 部 南端 出±

42∼ 44

上 赤塚1号墳 主体 部外 出土 18∼

20

石製鎌

42

石 製鎌

21

鉄製鎌

43∼

44

石製 刀子 23∼

32

石 製 刀子 石神

2号

墳 、上 赤 塚1号墳 ともに農工 具 の形 態 は、材 質 の差 を越 えて共 通 した表現 とな って お り、石製農工具 の製作工 人が鉄製農工 具 に関 りを持 つ人 々の周辺 に位置 していた人々 であ る ことは、 もはや疑 いの ない ところで あ る。第30表 は県下 において、石製腕飾類 、鉄製農工 具 、 石製 農工 具 が相 前後 して普 及 した段 階 の古墳 を整理 した もの で あ る。 年代 的 に は、Ⅲ の段 階 の 直 刃鎌 の導 入 か らⅣ の段 階 の古墳 へ の副葬 とい う慣 習 の終 焉 まで を石 製模 造 品 の時代 とし、 Ⅲ の段 階 の開始 され るのが

5世

紀 前 半 に、Ⅳ の段 階 の終焉 は

6世

紀 前 半 として お きた い。 なお、 I・

Hの

段 階 の年代 につ いて は、本稿 の テーマで はな いので別 の機 会 に譲 りた い。 段 階 一房 総 の 古 墳 I 手 古 塚 古 墳 能満寺古墳 新 皇 塚 古 墳 北 作

1号

墳 七 廻 塚 古 墳 石神2号墳 上 赤 塚 1号墳 鴇崎天神台古墳 Ⅳ 多 古 台 古 墳 二子塚古墳 河 原 塚 古 墳 V 馬 『ヨ 古 墳 浅間山古墳 南 向 原3号墳 八重原6号墳

板附2号墳

小 川 台 1号墳 城 山 1号墳 瓢塚15号墳 瓢 塚 17号 墳 瓢 塚32号墳

瓢塚33号墳

天王船塚32号墳

備     考 表 中のⅣの段階が2つに分かれているの は、河原塚古墳 の石製刀子が 墳丘 出土 であ り、今後同 じ傾 向の古墳 の資料 の増加が見込 まれ るため 段階的区別 をお こなった ことを示 している。 第 30表 石 製 農 工 具 出 現 前 後 の房 総 の古 墳

(26)

-0 - ー

匡コ

E⊇

l l o 5

2岬

3

又 辟 孟

4

17

ψ

9 ‥ 10

― 一 ― 旧 M_ ― 16 ― 21 22

(27)

-345-(研究ノー ト〕 第 122図 石 製農工具 出土古墳・石 製腕 飾類 出土古墳・石製祭祀遺物 出土遺跡分布 図

:}石

製(模造)農工具 出土古墳 ▲ 石製腕飾類 出土古墳 ○ 石製祭祀遺物の生産遺跡 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 墳 台

¨

¨

新 手 東 京 七 上 二 能 鴇 一 多 河 高 大 峰 台 台 荷 日 山 稲 大 ヽ 田 田 ′ 和 和 野 大 大 小

8

西 大須 賀 八 幡 神 社

9

西 大 須 賀 東 明 神 山 20 高 21 高 字 若 庄司850番地 22.八 代 字 花 内

23松

崎 外 小 代

24大

竹 字 仲 池 台

25印

西 町 船 尾 26 船 橋 市 自 井 町 白 井

27夏

見 町 夏 見 台

28田

喜 野 井 町 外 原 29.幕 張 町 上 の 台

30大

森 町 大 森 第 一 31 大 森 町 大 森 第 二 32.袖ヶ浦町岩井富の台

33袖

ヶ 浦 町 野 田 岡

(28)

5。 ま とめ 石製模造品の うち、石製農工具の存在 に注 目し、模造の対象 となった鉄製農工具 との比較の 中での出現の検討 をお こない、房総地方における石製農工具の出現の検討 を試みた。房総地方 には石製農工具 とともに、石製祭祀遺物の生産遺跡の顕著 なことが知 られている。(註11)石製農 工具の出土が古墳の埋葬施設 であるのに対 して、石製祭祀遺物の出土 は生産遺跡である工房址 を含 む集落内である。(註12)石製模造品 と石製祭祀遺物 を区別 しなけれ ばな らない理由の一つで ある。石製祭祀遺物 はいづれ も簡略化 された形態であ り、祭祀遺物一つ一つを忠実に再生す る ことが 目的でないのは明 らかである。すなわちく石製祭祀遺物 は祭祀 としての形式 を具備する ことが要求 されるのであ り、 これは『 祭 事 (奉事)』

=『

政 』とも言 うべ き仕来化のあ らわれ として理解 され る。 したが って、石製祭祀遺物 は一定の規格の もとで大量 に生産 され る条件の 設定 を待 ってお こなわれた慣習であると思われ る。石製祭祀遺物が大量 に生産 される条件の設 定 とは、祭祀遺物 の工人が専業的な職能集団 として組織化 され ることである。石製祭祀遺物の 工房址 を形成 した専業的な工人集団の存在 については、すでに先学 により検討 を加 えられてい る。(註13) つ の仮説 として、これ らの専業的な職能集団 とは、他な らぬ部氏 として伴造の支配 とな り、『政』 を円滑に進めるために管理 。統制 された構成員であった と考 えられ る。 先 にも述べたように、石製祭祀遺物 と同 じ二人 によ り石製農工具 も製作 された とす るには、 あまりにも石製農工具の出土数が限定的であ り、専業的な工人集団の存在 には疑間 を投 げかけ ている。むしろ、石製品(註14)、 鉄製農工具 な どの幅広い製品に対する副葬形態のバラエティー として石材 を使用す る慣習の出現 こそ、石製農工具 を含 む石製模造品出現時の背景 と考 えられ るのである。 石製模造品 は、模造の対象 となった実用利器の持 つ副葬 に際 しての性格 を継承 し、材質のみ が変化 した もの との考 え方にたてば、その副葬 は本来オ リジナルの実用利器の副葬がお こなわ れ るべ き状況 にある古墳か ら出土することになる。 石製農工具の副葬が鉄製農工具の副葬 と同時 に進行するⅢ・IVの段階 (第28。第30両表参照) は、鎌の刃部 に変化の現われ る時期で もある。(註15)Ⅲの段階では鎌の刃部 は直刃であるが、Ⅳ の段階では鎌の刃部 は曲刃 となる。房総地方 と他の地域 を比較すると、Ⅲの段階では岡山・ 金 蔵山古墳、二重・ 石山古墳、岐阜・ 遊塚古墳、群馬・ 剣崎天神山古墳、東京 。野毛大塚古墳 に おいて、石製工具特 に石製刀子の副葬数の著 しく多量化 しているのが注 目され る。同 じ段階で の房総地方は、七廻塚古墳、石神

2号

墳、上赤塚1号墳、鴇崎天神台古墳のいづれ も副葬数が 限定 されている。 Ⅳの段階では畿内の野中古墳、カ トンボ山古墳、群馬・ 藤岡稲荷山古墳 において、石製工具 特 に石製刀子の副葬数の多量化が注 目され るのである。鉄製農工具の副葬 を契機 とする石製農

(29)

-347-〔研究ノート〕 工具の副葬 は、石製工具特 に石製刀子の大量副葬 という形で ピー クを迎 え、やがて石製祭祀遺 物の広域的な出現の中で終焉 を迎 えることになる。 さらに、石製工具の副葬数が ピー クに達 した頃、鎌の刃部が直刃か ら曲刃へ と移行 している ことになる。(註16)こ れは収穫作業時 における技術的革新 を裏付 けるもの と言 える。最近の研究 では曲刃の鎌 において も細分が可能 であるとされ るが、本稿 において大 きな矛盾 は生 じない。 房総地方以外の先進地域 において、鎌の刃部の変化が石製農工具の副葬数の著 しい増加 と並 行 してお こなわれてお り、この ことは農工具の需用が著 しく伸 びつつあったであろう当時の社 会的 。経済的背景 に立脚 した現象 と考 えられ る。 また、 これ らの模造品 を副葬す る慣習は、地 域の有力階層が実用の利器 を独 占することで政治的に も周辺地域 に対 して優越 であろうとした 一種の示威行為のなごりしとして理解 され るのである。 石製農工具の副葬数が多量化す ることな く、石製祭祀遺物 の普及す る段階 を迎 えることになっ た房総地方においては、石製模造品の製作が比較的短時間の うちにお こなわれた もの と考 えら れる。石製模造品の古墳への副葬 という慣習が房総の地 に及 んだ頃、在地の勢力の台頭 に も著 しい ものがあった と思われ る。 それ らの中の特 に有力 な ものは、国造 として畿内の体制 に組み 込 まれてい くことになるのであろう。(註17)房総地方において設置 された国造 には須恵、馬来 田、武社、阿波、上海上、伊甚、菊麻、長狭、印波、下海上、千葉が該 当 し、 とりわけ武社国 造 は臣姓の国造 である。(註18)これ らの国造 に関す る資料 として『先代 旧事本紀』の中の「国造 本紀」に詳 しいが、その編纂が意図的であ り、その資料的価値 についての疑問 も指摘 された こ とがある。 しか し、国造の成立時期 に対す る疑間 を除 けば、偽書であって もそれぞれの国造の もつ性格のちがいか ら観察 され る小地域 の首長層の治権 の浸透状況 を検討す るには十分 な資料 である。つまり、下総地方において部名 を氏名 とす る国造の存在 は、伴造 に率い られた工人集 団の組織化の証 とみる筆者の見解 を裏付 けているのである。 もう一歩踏 み込 んだ考 え方をす る な らば、職名 ともい うべ き部の統率者た る伴造 を兼ねる国造の設置 は、副葬品の製作 に関 る各 種の工人の裾の広が りによって専業化 した工人集団 を組織化 し、小地域 における物的支配か ら 人的支配への枠組 みの拡張 という体制内の秩序づ くりの一環 として理解 され るのである。 この ような専業的な工人集団の統率者たる国造が、いつ成立 したのかについては前述の よう に、「国造本紀」が物部氏 によって平安期 に編集付加 された ものであ り、本資料 をもって時期決 定の根拠 には至 らない。(註 19) む しろ、石製農工具 に代表 される石製模造品の副葬の慣習が途断 え、石製祭祀遺物の普及の 開始 され る

5世

紀後半の頃が、房総地方において伴造 を兼ねる国造の成立期 としてその可能性 を高めて くるのである。 そ して、下海上国造が他 田 日奉部直 (敏達天皇名代部の伴造

)で

あ り、 千葉国造が大私部直 (大后の部の伴造

)で

あ り、印波国造が丈部直 (馳せ使 い部の伴造

)で

(30)

ることは、 これ らの地域 に石製祭祀遺物の生産遺跡が集中 してお り興味深 いものがある。 以上の ように石製農工具 に代表 され る石製模造品 と、それに続 く石製祭祀遺物の時代が、房 総地方に とって実用利器の分与 による中央政権 との連体の関係か ら、伴造 を兼ねる国造 となる ことで臣下 に編入 され るとい う大 きな変革期 であった ことを本稿の考察の結果 として指摘 して お きたい。 また、房総地方に石製腕飾類、鉄製農工具 とそれに伴 う石製農工具 (模造品

)が

もた らされ た際 に、その窓口 となった有力 な豪族 は、当然の ことなが ら地名国名 を氏名 とする君、公、臣 といった姓 を持 つ国造 または同等の勢力 にあるもの とすることも過言ではない。今後の課題 と しては、東国の直姓の国造の多 くが屯倉の設置 と関 りが強い ことか ら、房総地方、 とりわ け下 総地方において

5世

紀後半 を上限 とする屯倉等の存在 を考古学的に確認す る作業が残 されてい る。

5世

紀後半の時期 とは古墳時代 中期・ 和泉期 にあた り、今一度当該時期の、おそら く倉庫 等貯蔵のための建物 を含 む集落址の検討がな されなければな らない。 これは、石製模造品に終 焉 を もた らし、石製祭祀遺物 に多大 な需用 を与 えることとなった社会的背景の究明で もある。 最後 に、本稿 をまとめるにあた り宮内庁書陵部蔵の石製模造品の実査 に際 し、大変お世話 い ただいた書陵部陵墓課長石田茂輔氏、資料の照会・ 御教示 をいただいた三本文雄、渋谷興平両 氏 をはじめ、多忙 な調査のかたわ ら資料の実査 に御協力 いただいた千葉県文化財 センター各事 務所の方々に感謝の意 を表す次第である。 (昭和58年3月 脱稿) 註

(1)加

藤昭「

X線

粉末回析法 による書陵部所蔵の石製品の検討」 書陵部紀要第34号―昭和56 年度陵墓関係調査概要 宮内庁書陵部陵墓課 昭和58年2月 。 加藤氏 はこの中で、碧玉 について「外見上緑色系統の もの と、赤色系統の もの とに区別 され るが、鉱物学的 にはほ とん ど石英 (と きにクリス トバル石

)の

みか ら成 る。ために碧玉 とし て記載 され る物質の中には、少量の長石 。粘土鉱物・ 緑泥石等 を含むチ ャー ト等の存在する こともある。碧玉 とは、微細粒の珪酸鉱物 か らなる。着色 した塊状 の緻密集合体 とい う定義 が一般的であるため、…… (以下略)… …・」 とされた うえで石製品の分析結果 について、従 来碧玉製 とされていた ものの多 くが実 は酸性凝灰岩 であることを明 らかにされた。例 えば、 奈良県北葛城郡広陵町大字大塚 。新山古墳出上の車輪石、伝新山古墳出上の石釧、伝奈良県 北葛城郡広陵町大字三吉・ 巣山古墳出土の鍬形石 を代表例 として取 り上 げられた うえで、酸 性凝灰岩であるとされている。これ以外 に も多 くの石製腕飾類が酸性凝灰岩 であることを「出 土品展示 目録・ 石製品石製模造品」宮内庁書陵部 昭和57年11月24日 において も明 らかに されているので参照 されたい。

(31)

〔研究ノート〕

(2)赤

崎敏男「九州の石製模造品J『森貞次郎博士古稀記念古文化論集』 昭和57年。九州地方 の古墳 には『石製模造品』の うちの石製祭祀遺物 と筆者によって区別 された一連の遺物 を埋 葬施設内にみ うけられ ることを論考 されている。千葉県内において も香取郡多古町所在の多 古台古墳の埋葬施設か ら双孔円板、剣形、自玉が出土 しているが、 これ らの石製祭祀遺物の 出土の中心がなお、住居址及 び特殊 な遺構 にあることに大 きな変更 は見 られない。

(3)小

林行雄 「中期古墳時代文化 とその伝播」『古墳時代の研究』 昭和36年。 “

)寺

村光晴「石製模造品製作の遺跡」『古代玉作形成史の研究』 昭和55年。 石製品の工房址遺跡 を第一期の玉作遺跡 とし、『石製模造品』の工房址遺跡 を第二期の玉作遺 跡 として、内容的、性格的に異 な り、存立の背景 に も差のあることを指摘 されたが、石製品 と石製模造品の同時 に存在する場合の説得性 に欠 けている。 さらに、石製品 と『石製模造品』 に技術的な差の著 しいことを指摘 されているが、 この ことは時間的な問題 ではな く、前者が 凝灰岩質であ り、後者が片岩質の石材 を用 いるといった石材入手のちがいや、 目的意識のち がい として把 えるべ きである。

(D

大野延太郎 「石製模造品に就 て」 東京人類学会雑誌

15-169

明治33年。

(0

高橋健 自「古墳発見石製模造器具の研究」 帝室博物館学報第一冊 大正

8年

(7)伊

東信雄 。伊藤亥三『会津大塚山古墳』 昭和39年。 岩崎卓也「いわゆる碧玉製紡錘車 について」『民族史学の方法』木代修一先生喜寿記念論文 集

3

昭和52年。 穴沢味光・ 西岡秀雄 「田園調布宝来山古墳の研究」 史誌15号 昭和56年。 石倉亮治「千葉市矢作貝塚出上の紡錘車形石製品について」 千葉県文化財 センター研究 連絡誌第

3号

昭和58年2月 。

(8)前

掲、註(3)に同 じ。

(9)寺

沢知子「鉄製農工具副葬の意義」 橿 原考古学研究所論集第四 昭和54年。

00

沼沢豊 「石神

2号

墳の諸問題J『東寺山石神遺跡』千葉県文化財センター 昭和52年。

OD

前提、註(2)参照 石製祭祀遺物の中にも古墳 出土の ものが報告 されている。 l121 寺林光晴「下総国玉作の出現 と展開」『下総国の玉作遺跡』 昭和49年。 0め 寺村光晴「東国の玉作集団」『古代玉作形成史の研究』 昭和55年。 0つ 鍬形石、車輪石、石釧 といった石製腕飾類や紡錘車形石製品、石枕、立花、玉杖、巴形石 石製品な どの古墳の被葬者 と深い関 りのある石製の遺物。

(D

都出比 呂志「農具鉄器化の二つの画期」考古学研究

13-3

考古学研究会 昭和42年。

00

石倉亮治「石製模造の刀子の研究」 史海29号 東京学芸大学史学会 昭和57年。

(32)

0つ 新野直吉「国造成立の経緯」『国造』 昭和49年。 「確かに国造制 よ りも早 い段階の地方豪族の月長属 は、3・

4世

紀 にか けて存在 した。古墳 と いえば前期古墳の時代 にあた るであろうし、地方官職名 でいえば県主の段階 にあたるであろ う。 そして この第二の段階が県主たちな どの中か ら、特 に選 ばれた者 としての国造や、新た に大和国家の支配体制下 に入 った地帯 の首長 としての国造が、制度化 されて位置づけられ る 段階であるとい う歴史展開 も妥当である。 そ して第二 に「直」な どの姓が相 当統一的に国造 に付与 された段階があるであろうとす ることも、十分 に妥当性がある判断である。」 として、 国造の成立が全国的な規模 に達す る時期 を

4世

紀後末期か ら

5世

紀初頭 とし、応神・ 仁徳朝 の傾 に該当するもの とされた。 原島礼二 「六、県の成立 と古墳 の消長 (畿外)」『県の成立 とその性格』 続 日本紀研 究 160∼

163

日召和47年。 この中で原島氏 は、物部氏 を介 して『内廷』 に貢献す る自らの治権 の及ぶ地域が県であ り、 その地域の 『領有主体』 を県主である と定義 され、東 日本 について も

5世

紀後半∼

6世

紀初 めの時期に古墳が縮小す る とし、県の成立時期 であるとされた。 しか し、房総地方 を含 む東 日本の各地の古墳 は

5世

紀後半∼

6世

紀初 にか けて古墳 が縮小す る事実 はな く、その数 にお いて

7世

紀末 に至 るまで も増加の傾向 は変 らない。

00

太田亮「国造の姓」『全訂 日本上代社会組織の研究』 昭和30年。 国造の姓 について、臣姓、直姓、連姓、君姓、公姓 、使主姓、造姓 に分類 をお こなった。 こ の うち多 くの国造が直姓であることを指摘 された。 また、阿部武彦氏 は「国造の姓 と系譜」 史学雑誌

59-11に

おいて、臣姓の国造の多 くが地名国名 に臣姓 をつけて氏名 とし、在地の豪 族 を任命 した ものであると指摘 された。石製模造品 と関 りを持 つ地域 としては、武社国造(牟 邪臣)、 須恵国造 (末使主

)が

これ に該 当 している。君、公姓の国造 は地名国名 に君、公姓 を つけて氏名 とし、在地の豪族 を任命 した ものである とされた。石製模造品 と関 りを持 つ地域 としては、上毛野国造 (上毛野君)力 `これ に該 当 している。 さらに、直姓の国造 には部名 または職名 の国造のあることを指摘 され、南関東地方に関係の あるものでは、元邪志国造(大伴直)、 阿波国造(大伴直)、 印波国造(丈部直)、 千葉国造(大 私部直)、 上海上国造 (檜前舎人直)、 下海上国造 (他田日奉直

)が

これ に該 当 してお り、 こ の うち、印波、千葉、下海上の一部の地域 では石製祭祀遺物 の生産遺跡 の顕著 な ことが知 ら れている。、また、馬来田国造の姓 は不明であるが、前述の太田説 によれば末使主 と同様 の使 主姓 とされてお り、伊甚国造 と菊間国造 については直姓 とされている。 参考のため『先代 旧事本紀』│こ収 め られた「国造本紀」の国造設置時期・ 被任命者 を列挙 し てお く。

(33)

-351-〔研究 ノー ト〕 須恵 国造 志 賀高穴穂朝。茨城 国造祖建許侶 命児大布 日意弥命。定―賜 国造。 馬 来 田国造 志 賀高穴穂朝御世。茨城 国造祖建許 呂命児深河意弥命。定―賜 国造。 上海上 国造 志 賀高穴穂朝。天穂 日命八世 孫 忍立化 多比命 。定 ―賜国造。 伊 甚 国造 志 賀高穴穂朝御世 。安房 国造祖伊許保 止命孫伊 己侶 止直。定―賜 国造。 武 社 国造 志 賀高穴穂朝。和運 臣祖 彦意T6都 命孫彦 忍人命。定―賜 国造。 菊麻 国造 志 賀高穴穂朝御代。 光邪志 国造祖兄 多毛比命 児大鹿 国直。定 ―賜 国造。 阿波 国造 志 賀高穴穂朝御代。天穂 日命八世 孫弥都侶 岐孫大伴直大滝。定 ―賜国造。 印波 国造 軽 嶋豊明朝 御代 。 神 八 井耳 命八世 孫伊都許利 命。定 ―賜 国造。 下 海 上 国造 軽 嶋豊 明朝 御代 。 上海 上 国造 祖 孫 久都伎 直。定―賜 国造。 長 狭 国造 記 載 な し。 千 葉 国造 記 載 な し。 吉 田晶「国造本紀 にお ける国造名 」『 日本古代 国家成立史論 一国造制 を中心 として一』昭和 50年 。(第

2刷

) 吉 田氏 は この中 で、長狭 国造 と千葉 国造 が国造本紀 に記載 され なか った理 由 を検討 されて い る。長狭 国造 の場合 には、存在 は したが、安房神社 を中心 とす る安房国造 の南部 か らの圧 迫 と、長 狭 国造 の領域 に隣接 した地域 が伊甚国造 に よって屯倉 が設置 され献上 され た こ とに よ る北部 か らの圧 迫 の中で没落 した ため とされ てお り、 さ らに「・・…・長狭郡 の郷名 をみ る と、 全 八 郷 の うち壬生 。日置・ 伴部 。丈部 と四郷 が部名 を郷名 としてい るこ とも注 目すべ きで、 丈 部 が六世 紀 頃 に成 立 した令制 の駆保 丁 の前身 と考 えられ る こ と、壬生部 が推 古15年2月庚 辰 条 に設 け られた皇子女 のための略称 と考 え られ る ことな どをみ る とき、在地首長 として勢 力範 囲 をい ち じる し く縮 小 させ られ た と考 え られ る。 この ような在地 の政 治関係 の もとで、

参照

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