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Innovation Cluster形成に関する日米比較研究-ベンチャー企業育成支援策の基盤分析-

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(1)

Innovation Cluster形成に関する日米比較研究-ベ

ンチャー企業育成支援策の基盤分析-著者

西澤 昭夫

(2)

Innovation Cluster形成に関する日米比較研究

ベンチャー企業育成支援策の基盤分析

(課題番号: 13572016)

平成13年度 平成15年度科学研究費補助金(基盤研究㈱(2))研究成果報告書

平成16年3 月

研究代表者

西揮 昭夫(東北大学大学院経済学研究科教授)

(3)

はじめに

1990年代のアメリカ経済は、 ITを中心としたハイテク産業の発展により、長期の好況を

享受することになった。また、この好況が、産学官連携支援システムによるベンチャー企

業の地域的集積を通じた、ハイテク産業創出を基盤とするものである。結果として、アメ

リカにおけるハイテク産業集積地は、従来のボストン及びシリコンバレーから、優れた研

究実績を持つ研究大学が存在する、全米各地に拡大したのである。

このような事実から、産学官連携によるベンチャー企業支援システムの形成策、及びこ

れによるハイテク産業創出策が、新たな経済政策として、重視され始めたのである。その

際、_属も成功したハイテク産業集積地としてのシリコンバレーモデルが注目されている。

だが、そのモデルとしての性格には、弱点がある。というのも、シリコンバレーの形成は、

歴史的に長期にわたっており、偶然性と必然性の区分が困難であるだけでなく、形成要因

を論理的に再構成することが出来ないという難点があるからである。実際、シリコンバレ

ーはその存在自体に意味があり、類似した地域特性をアメリカの他地域がいかに創造でき

るかが重要であり、そのことがシリコンバレーモデルの普遍性を証明することだといわれ

ている(M・ケニー編著、加藤敏春監訳・解説、小林-紀訳『シリコンバレーは死んだか』 、

日本経済評論社、 2002年)。

その意味で、シリコンバレー以外で最も成功したハイテク産業集積地として有名なオー

ステインのケースを分析し、その形成論理を明らかにすることが、シリコンバレーの理解

とその普遍性について、明らかにすることができるのである。特に、オーステインのハイ

テク産業集積形成は、シリコンバレーとは異なり、既存大企業のインダストリー・コンソ

ーシアムの誘致から始まり、最終的にはシリコンバレー型のベンチャー企業集積を形成し

て、ハイテク産業集積を創出した。この点では、 1980年代からのアメリカ経済再生策を地

域で実現したケースとなっている。

このように、オーステインは、 1990年代に生じたアメリカ経済の好況基盤となる、ベン

チャー企業によるハイテク産業創出を典型的に実現したケースと位置付けることができるo

しかも、この変化は1980年代初頭から生じるのであり、変化の過程を跡付け、その形成要

因相互の歴史的かつ論理的関係を明確にすることができ、分析対象としてはシリコンバレ

ーより優れているといえるのではあるまいか。本報告書は、こうした問題意識のもと、平

成13年度から15年度までの3年間にわたって行われた共同研究「InnovationCluster形

成に関する日米比較研究-ベンチャー企業育成支援策の基盤分析-」 (文部科学省科学研究

費補助金・基盤研究(B)(2)、研究代表者・西揮昭夫、課題番号13572016)の成果を取り纏

めたものである。

本報告書では、第1章において、 1980年代におけるアメリカ経済再生策の特徴と、それ

がベンチヤ-企業支援によるハイテク産業創出であった点を明らかにし、オーステインに

おけるハイテク産業創出活動に対する政策的鳥取図を与えている。 2章では1985年から

(4)

2003年にわたるオーステインの発展を、主要行為主体に焦点を当てながら概観している。

第3、 4章では各論に入る。第3章ではオーステインを支える主要産業の一つであるソフト

ウエア産業の生成プロセスを辿り、第4章ではそれぞれベンチャー企業叢生に重要な役割

を果たすサービス産業の集積がオエステインでいかに形成されてきたのかについて歴史を

辿る。また第5章ではオーステインにおけるインキュベーターの成り立ちと役割を、仙台

市のそれと比較しながら論じている。第6章では、オーステインにおけるハイテク産業集

積形成を構想し、実行し、そのモデル化を進めてきた故G・コズメッ辛-、 R・スマイラー、

D・ギブソンにより定式化されたTechnopolis Wheel ModelをInnovation Cluster形成の

観点から再構成し、成立条件を明らかにすることにより、その限界性を示すことを試みた。

最後に、こうした共同研究成果を、実際の地域経済振興に生かすため、地元の仙台市とと

もに策定したハイテク産業創出を中心いすえた『仙台地域における新産業創出体制整備の

方向性:最終報告書』を、わが国において、このようなハイテク産業創出策を策定・実施

するための基盤形成の可能性の参考資料として、添付した。

オーステインにおけるハイテク産業創出については、まだまだ詳細につめるべき論点は

多くあるが、本報告書において,イノベーション、産学官連携、ベンチャー企業育成支援

策、地域での支援システムとしてのInnovation Cluster、クラスター形勢の意義などにつ

いて、基本的な論点は明らかにしえたように思われる。同時に、ベンチャー企業育成が、

その基盤としての技術、カネ、ヒトをめぐる地域における効率的提供ネットワークの形成

と重合を必要としており、決して簡単な政策でない点は明らかしえたのではないかと考え

ている。

2004年3月

西滞昭夫

(5)

1.研究組織

研究代表者:西洋昭夫(東北大学大学院経済学研究科教授)

研究分担者:大滝精一(東北大学大学院経済学研究科教授)

研究分担者:福嶋 路(東北大学大学院経済学研究科助教授)

海外共同研究者: David V. Gibson (テキサス大学付属IC2研究所理事研究員)

2.交付決定額(配分額)

(金額単位:千円)

直接経費 亊I

ィニ

N

合計

平成13年度 テ# 0 テ# 平成14年度 テ 0 テ 平成15年度 釘テ 0 釘テ 総計 テ 0 テ

3.研究発表

(1)学会誌等

西揮昭夫「AUTM: 21世紀に向けた新たな飛躍を目指して(1)(2)」 『文部科学教育通信』第

26号、 27号、 2001年4月、 5月

西揮昭夫「欧州に展開するアメリカ型産学連携」 『ベンチャーフォーラム』 、 2001年5/6

月号

西揮昭夫「多様化とUniversity Star卜ups」 『文部科学教育通信』第52号, 2002年5月

西揮昭夫「産学連携と地域クラスター:グローバル経済のパラドックス」 、 『仙台経済同

友会報』仙台経済同会、第257号、 2002年10月

Akio NISHIZAWA "New Challenges for the Japanese National Universities in the IPR Management and Spin-off Ventures" , IDnOYatL'oDMatteL・S, Techingroup.con, Vol. 1, No.4, 2003, August

大滝精一「企業とNPOのコラボレーションー仙台における活動事例を中心にして-」 、 『マ

ネジメント・トレンド』 、経営研究所、第6巻1号、 2001年1月

大滝精一「特区構想と産学連携一仙台市の事例を中心にして-」 、 『地方自治』 、第12

巻6号、 2003年6月

大滝精一「自治体経営と新しい地域つくり」 、 『東北自治』 、第70号、 2004年

Michi Fukushima, "Groundbreaking years or establishing the technology

transfer system at theUniversityofTexas at Austin"研究年報経済学, rorthcoming。

Michi Fukushima "The development oHhe technology transfer systemat theUniversity

(6)

福嶋 路「大学からの技術移転に関する研究の現状と展開∼パテントを蝶介とした技術移

転を中心に」 Tohoku Management 良 Accounting Research Group, Discussion Paper No.70.

(2)口頭発表

西揮昭夫"The Current Situation & Background o‖Jniversity-Industry Cooperation in

Japan"韓国大学研究処長協議会年次総会セミナー、韓国済洲島チェジュ市、 2001年6月

西揮昭夫「Innovation Clusterとベンチャー企業支援」日本経営学会第75回大会、桃山

学院大学、 2001年9月

西揮昭夫「産学連携の問題点について」経済産業省・産業構造審議会産学連携小委員会へ

の提言

Akio NISHIZAWA "New Challenge for Japanese University-related TLOsn AUTMADnuaJ

MeetL'ng 2002, 2002, February, Sam Diego CA, USA

Akio NISHIZAWA "How Japanese TLO creates new collaboration between University and

ll

lndustry: fromTech-transfer toSpin-oHVentures , JapanAmericaSocietyofGreater

Phi ladelphia, 4'h Annual PhI']adeJphL'a-Japan Health ScL'ence DJ'aIogue, 2003 February, Philadelphia PA, USA

Akio NISHIZAWA New Challenges for the Japanese National Universities in the IPR

Management and Spin-off Ventures"英国特許庁主催 The ChaIIeDge Ol VaJuLIDg

IDteJJectual PI'OPeTty: ExpeI・Ience lL・Om Japan and UK, 2003 September, London, UK Akio NISHIZAWA "Technology Licensing between University and Industry: Japanese

Experience & Challenge… , TPA(Thailand-Japan) & NASTDA Thailand主催TechDOJogy

Ll'cetZSL'ng: CoJIaboI'atJ'oD between IDdustTy, GoyeI・Dment and AcademJ'cs, 2004 February,

Bangkok, Thailand

福嶋路「オーステインにおけるソフトウエア産業の集積」横浜市立大学経済研究所研究会、

2003年3月、横浜市立大学。

福嶋路「オーステインにおける産学官連携の現状とINSとの比較」岩手INS総会、 2003年

5月、岩手大学。

福嶋路「肥沃な地域は技術移転に有効か?2つの州立大学の比較研究」 2003年度組織学会

研究発表大会、 2003年6月、北海道大学。

福嶋路「 「テキサス州オーステインの発展と地域資源の展開」山形大学VBL談話会。 2003

年9月、山形大学。

(3)出版物

西揮昭夫「日本におけるベンチャー企業支援策の成果と限界」 、現代日本経済研会編『日

本経済の現状2001年版』 、学文社、 2001年4月

(7)

(

る産学官連携の可能性-」 、日本経営学会編『21世紀経営学の課題と展望』 、千倉書房、

2002年9月

西揮昭夫「大学発ベンチャーへの期待と展望」 、経済産業省『大学発ベンチャー創業支援

研修会議報告書』 、 (社)発明協会、 2003年3月

Akio NISHIZAWA "From Tech-transfer to University Star卜ups: How Japanese

Universities are Responding to New Policy Change" (Chapter 5), R. Taplin edt.

Explo1-1jngPatetlt RJ'g力ts aDda NewCJJ'mate loI・ Innoyaljon L'n Japan, IPI UK, 2003 March

Akio NISHIZAWA "current situation of Venture Finance for University Spin-off

Companies in Japan… D. Gibson, C. Stolp, P. Conceicao &M. Heitor edt. Systems and

-PoJL'cL'es lot the GJobaJ LeaTnJ'Dg Economy, Praeger, 2003 September

西洋昭夫・大滝義博共編『バイベンチャーの事業戦略』 、オーム社、 2003年10月

西洋昭夫「企業化を生む労働市場: 1990年代に串ける米国労働市場の変貌」研究代表者平

本厚『雇用流動化の下での日本のホワイトカラーのキャリア構造分析についての比較制度

分析』 、科学研究費補助金研究成果報告書、 2004年3月

大滝精一「M&A」 (第4章) 、 「アライアンス」 (第9章) 、加藤茂夫編著『ニューリーダ

ーの組織論』 、泉文堂、 2002年

大滝精一共著『自治体経営革命』 、メタモル出版、 2003年

4.研究成果による工業所有権の出願・取得状況

なし

(8)

目 次

第1章アメリカ経済再生とInnovation Cluster :ベンチャー企業集積による

ハイテク産業創出政策

西浮昭夫

第2章Creating and Sustaining the TeclmopoliS: Austin, Tex?8 1985-2003

David V. Gib80n, JolmSibley Butler and Tara Regan Xhery,

IC2 InStitute, University of Texas at Austin       17

第3章オーステインにおけるソフトウェア産業の生成

福嶋 路

第4章オーステインにおけるサービス産業の集積

福嶋 路

第5章仙台・オーステインにおけるインキュベーター: 2都市の比較

大滝精一・福嶋 路

第6章オーステイン・モデルの形成と限界:Innovation Cluster形成から見た

Technopolis Wheel Nodel成立の条件

西滞昭夫

BE 89 120 140

参考資料:

仙台地域新産業創出に向けた体制整備に係る検討会『仙台地域における新産業創出体制整

備の方向性:最終報告書』平成1 5年3月

(9)

I

第r章 アメリカ軽済の再生とInnoyation Cluster

:ベンチャー企業集積によるハイテク産業創出政策

1.はじめに

1990年代のアメリカは、第二次世界大戦後において、最長を記録する好況を生み出し、

80年代に好況を享受した日本を中心とするアジア経済の不振とは対照的に、 「独り勝ち」

の様相を見せた。それは、羨望と怨嵯を生み、同時多発テロ琴生の遠因になったとさえ言

一・われている。また、逆に、この好況を、偶々発生したITバブルによるものにすぎず、エン

ロン、ワールドコムなどの破綻に象徴されるように、実体の無い徒花として葬り去ろうと

する議論もある。

だが、いずれも皮相な見方である。 1980年代初頭以降におけるアメリカ経済再生の試み

は、結果として、 20世紀後半のアメリカ経済を支えた耐久消費財の量産型産業と産軍複合

体を基盤とする経済構造から、 21世紀型の知識集約型ハイテク産業を基幹産業とする経済

構造へと、アメリカ経済を大きく変化させたと看倣すべきだからである。アメリカ経済に

こうした変化をもたらした原因は、アメリカの産業競争力喪失による、スタグフレーショ

ンの激化であった。

1970年代のアメリカ経済は、当時は資本主義の宿癖とまで言われながら今や死語になっ

てしまった、スタグフレーションに見舞われ、深刻な不況に陥っていた。この結果、 1970

年代末までには、第二次世界大戦後、長く景気刺激策として重用されてきた有効需要政策

から、サプライサイド政策へという、大きな政策転換が不可避となっていたのである(蘇

原伸次郎『アメリカ経済政策史』 、有斐閣、 1996年) 。

この時期、サプライサイド政策が注目されたのは、自動車に代表される耐久消費財産業

が競争力を喪失し、日欧企業による国内外市場の蚕食が進んだだけでなく、軍事技術の応

用としての民需製品の開発においても、日欧企業の後塵を拝することになったためである。

この状況から脱出するため、フロンティア分野として注目され始めた半導体やコンピュー

タなどのIT、及び新たな成長可能性が見え始めたバイオなどのハイテク産業の育成強化と、

既存産業における徹底した合理化による競争力の回復が追求されたのである。

この課題実現のために採られた政策が、一方における、ベンチャー企業(Venture

Business、以下VBという)による、ハイテク産業の基盤としてのイノベーション創出力

(Break-throughの追求)の強化であり、他方では、既存企業における製品化技術力の向

上(Follow-throughの追求)であった。但し、この政策が実効性を持ち始めるのは、 VB

支援のための地域におけるInnovationClusterの形成、既存企業における徹底した選択と

集中による本業回帰、その結果生じた高学歴の専門家達(Best 皮 Brightest)による企業

家志向が明確になる、 1990年代以降のことであった。

(10)

本章は、この点を政策面から跡付け、これを地域がいかに受け止めたのかを明らかにし、

次章以降における、オーステインを対象にした具体的分析のための、政策面での鳥轍図を

与えることを目的にしている。

2. 1980年代初頭の政策転換

1970年代に激化したスタグフレーションは、有効需要刺激策によって回復しないどころ

か、政策的に創出された需要は日欧企業に受け止められ、アメリカ企業の不振は拡大しつ

つ、輸入増加によるドル安から、より深刻な輸入インフレを引考起こしていた。スタグフ

レーションからの脱却には、需要創出ではなく、その原因であるアメリカ産業の競争力回

復が不可欠であった。実際、 1978年頃から、商務省を中心に、産業界、労働界、学界など

からの代表者が集められ、アメリカ産業の対外競争力強化策が検討され始めた。

この検討を通じ、スタグフレーションのなか、唯一成長を遂げていたシリコンバレーが

注目されることになる。シリコンバレーとは、カリフォルニア州サンフランシスコ南部か

らサンノゼに至る地域で、半導体製造及びその前後の工程、関連する製造機器から、その

応用製品であるコンピュータ・ハードやソフト開発に至る、広範な関連業種にわたるVB

の集積を形成していた1。カリフォルニア州は、シリコンバレーという新たなハイテク産業

集積地の形成と拡大により、スタグフレーションが激化した70年代後半にも、雇用を増加

させていたのである(池田誠『ハイテクランドアメリカ』 、通商産業調査会、 1985年) 。

シリコンバレーでは、 VBの創業と集積を通じたハイテク産業の創出が、その成長基盤とな

っていた。そこで、スタグフレーションからの脱却策として、シリコンバレーに象徴され

るハイテク産業の創出が提起され、これを全米に普及させる方策が採られることになる。

この検討成果は、 1979年10月にカーター大統領が議会に送った「米国産業技術政策に

関する大統領教書」 (いわゆるカーター・イノベーション教書)として発表され、国立研

究所や大学における連邦資金による先端的研究成果の産業界への移転、特許制度の強化、

共同研究を可能にするための反トラスト法運用の弾力化、公的調達制度の見直しと規制緩

和、 VBの育成支援のためのエクイティを通じる資金供給制度の整備・拡充などが提案され

たのである(日本機会工業連合会『米国の高度先端技術産業と日米貿易の将来』 、 1981

年) 。

ただ、ハイテク産業育成という政策目標は明確ではあったが、その実施方法では大きな

争点が存在した。カーター政権は、民主党の立場から、この政策の実施に際しても、日本

の産業競争力強化に大きな効果を発揮したとして、当時、アメリカでも注目され始めた、

I 1982年のシリコンバレーでは、半導体製造装置、材料など前工程関連企業が約114社、半導体鮎畠企業が61社、コ ンピュータ・ハード、その周辺機器製造企業が163社、ソフトウエア開発企業が36社、通信機器65社、医療機器、 システム関連が26社、産業機械装置・システム製造が151社、家庭用電子機器製造企業が21社、その他サービス業

(11)

わが国の通産省をモデルにした機関の創設を狙っていた。これに対して、市場を重視する

共和党の視点に立って、これを実施しようとする対立があった。結局は、レーガン政権が

成立し、市場を重視する分権的立場に立って、 VB支援を通じたハイテク産業創出策を推し

進めることになる。

3. Ⅵiの機能と限界

アメリカにおける VB とは、 New Technology Based Firms とか、 Highly Innovative

Technological Venturesと呼ばれ、破壊的技術の製品化を狙う新規創業企業を意味してい

るZ。経営資源の乏しい新規創業企業としてのVBに革新的技術の製品化を担わせるのは、

いかにも矛盾した政策のように見えるが、そうではない。むしろ、スタグフレーションの

なか、既存の大企業こそR&Dを削減し、破壊的技術の製品化を忌避していたからである

Ashley J. Stevens, "The Enactment of Bayh-Dole" , JouTDal oI Technology TTanSleL.,

29, 2004)。

一般的にいって、破壊的技術は、その成果である新製品の「機能性」が明確でなく、ご

く一部の革新的購入者を別にすれば、購入を控えさせる。このため、既存製品からの売上

増加を優先する既存企業では、破壊的技術の製品化は忌避される。特に大企業では、規模

の効果からいっても、この傾向が強くなる(氏. Burgelmam, M. Maidique & S.恥eelwright,

SEI・ategL'c Management Ol Technology and lnnoyatL'oD, Irwin/McGraw-Hill, 1996, pp. 21

31) 。実際、アメリカの調査でも、既存企業は、技術リスクの小さい持続的イノベーシ

ョンを実現する新規事業を優先し、破壊的イノベーションを選択する割合は小さい。確か

に、後者の利益率は大きいが、リスクと規模の限界から、既存企業ではその選択は忌避さ

れがちである(図1-1) 。

結局、破壊的イノベーションの実現には、独立した新しい小組織をもって製品化を試み

た方が、成功確率は高くなる(C・クリステンセン著、玉田俊平太監修、伊豆原弓訳『イノ

ベーションのジレンマ』 、期泳社、 2000年) 。だからこそ、アメリカでは、 「第2次世界

大戦以降、全てのイノベーションの 50%、画期的なイノベーション(all radical

innovation)の95%が新規小企業(newand smaller firms)で生まれた」 (∫ ・テイモンズ、

千本倖生/金井信次訳『ベンチャー創造の理論と戦略』 、ダイヤモンド社、 1997年)と言

われている。このような破壊的技術の製品化の担い手としての「独立した新しい小組織」

こそ、アメリカにおけるVBの原像なのであった(U. S. Small Business Administration, Office of Advocacy, The NewAmeI・)'can RevoJut)'on: The Role and Impact oI Small FjI・mS,

2 yBは.アメリカではSmall Businessでも新規創業企業一般でもなく、 90年代にビジネスモデル特許によるビジネ

スモデル革新型VBが出現するまで、ハイテクノロジ-と規定されるエレクトロニクス、コンピュータ。人工知能、通 信、新素材,バイオなどに関連する破壊的技術の製品化を担い手として、急成長可能性を持った''imrant giants…を

(12)

Washihgton, D.C. 1998) 。 図表1 - 1 Innovationの種類によるによる収益差異 [米国30業種100社対象/1992 97] 拝顔解IL7nOVatL'Onを基盤にし た新鹿専横aIJ出(86件) 細野 LJZJZOYatLoD% 三g盤にした薪 <=三-=ul-i/-- (L4#) 38%         62%    :売上高

出所) Klm A MmIborpe. VAluc InnovAtlOn The SttAteBlC OlH18b Growth

言い換えれば、 VBの本質は、破壊的技術の商品化を実現するための、プロジェクト組織

だといえる。そのため、変化に対し柔軟に対応できる「独立した小さな組織」形態を採り、

高学歴のBest &Brightestを集め、彼等の持つ暗黙知を結集し、所期の開発目的に向けて、

彼らの能力を集中発揮させる点に、その機能がある(汁. Chesbrough, Open Innoyatjon The New lmpeI・atL'Ye loI・ CI・eatL'tlg and PTOIJ'ljDg ITOm Technology, HBS Press, 2003) . VB

成功の条件は、高学歴に裏打ちされた高度な科学技術知識を持つ研究開発人材と、これを

基盤に急成長する企業を経営しえる高度な経営能力を持った経営人材とのチーム形成にあ

?た(E. Bolland & C. Hofer, Future FJ'TmS: HowAmeTL'ca's HL'gh Tec17mOlogy CompanL'es

WoI・k, o‡ford, 1998) 。

VBは、これら高学歴かつ豊富な経験を持つBest 良 Brightestの高度な暗黙知を最大限

に発揮させるため、自発的にコミットさせるインセンティブを持たねばならない。それが

VBの急成長可能性と、その成果としての成功報酬である。そのため、 VBは、既存企業とは

異なり、明確な目的のもと、固有の組織形態と報酬制度を持ち、高度な暗黙知を持つBest

&Brightestを集め、短期間での製品化と、その成果としての急成長が求められる。実際、

アメリカでは、 VBとは、 「5年以内に売上高が5,000万ドルを超え、年間30 50%の割合

で成長し、税引き前利益率が20%あるいはそれ以上になる」新規創業企業であり、それは

毎年の新規創業企業の1%にも満たない特殊な企業であると定義されている(∫. Sohl,

"The early-stage equity market in the USA" veDtuTe Cap)'tal: An J'nteI・nalJloDaJ

joumaJ oF entTePI・eneuI・)'31 11'Dat7cc, Vol.1, No. 2, 1999) 。

1980年代初頭の新たな政策目標は、全米各地にシリコンバレーに代表されるハイテク産

業集積地を形成させ、アメリカ経済の構造を転換しつつ、スタグフレーションからの脱却

を図るところに置かれた。この目標を実現するため、その担い手をVBに求めようとする政

(13)

(

シリコンバレーの形成過程を見れば明らかであって、実際には、軍需のような破壊的技術

に対する市場提供者と、その市場参入を狙って多数のVBが創業(-族業)し、かつ失敗の

なか(-多産・多死)の成功を可能にするような、地域におけるVB成長の「生態系」の基

盤形成が不可欠であった。

4.ベンチャー企業支壌策の形成と展開

80年代初頭のアメリカ経済再生策の狙いは、全米各地において、シリコンバレーに代表

されるハイテク産業集積地を創出し、競争力を失った既存産業からハイテク産業創出へ構

造転換を図ろうというものであった。そのためには、 VBの創業・集積が必要であった。こ

うしてアメリカのベンチャー企業支援策は、連邦によるVB創業支援策と、州・地方による

VB集積支援策との複合的政策から構成されることになったのである(図1 2) 3。

図表1- 2 アメリカにおけるハイテク産業支援策の構成

川所)李&作成

4. 1連邦政府のVB創業支援策

連邦政府のVB創業支援策は、技術リスクと事業リスクという、 VB創業に際して問題と

される二大リスクの軽減による、創業促進策であった(H. Etzkowitz/M. Gulbrandsen/∫. Levitt, 2000PubJL'c ventuTeCapL'tal, Harcourt Professional Publishing, 2000, p. 186)。

技術リスクの軽減に関しては、ハイテク産業の基盤となる技術シーズの継続的創出と民

間移転、及びその技術シーズから実際に製品を作り出す開発研究への支援策である。事業

3軍需転換は、産学連携によるハイテク産業創出に際して、州の機能復活が必要になったことが指摘されており、こ の新たな経済政策の実施に際して,アメリカにおける連邦・州・地方の分権性が有効に機能したといわれている(Ⅰ.

(14)

(

リスクの緩和では、破壊的技術の成果である製品の市場性の確保と、 VBが破綻した場合、

その投入した時間、努力、一部の資金について、失われることがあるにしても、それ以上

の経済的負担は負わずにすむ、株式による資金調達方式の制度化とその拡充であった。

技術リスク対応策

イノベーション教書を受けて、 1980年には、国立研究所から民間への技術移転を促進す

るスティーブンソン・ワイドラー法と、連邦研究費による大学での研究成果の民間技術移

転を規定したバイ・ドール法が制定された。同時に、研究成果の経済的価値を高め、破壊

的技術の経済価値を保護し、製品化へのインセンティブを与える観点から、特許重視

-(-Pro-Patent)へという転換が生じたのである4。

技術の好化(-htchery)支援策

産学連携による一連の技術開発過程では、科学的研究(-Science)と技術的研究(-Technology)との間に横たわる「死の壁」が問題であり、その克服には、基幹技術研究に

対する政策的支援が必要であった。その代表が、 NSF Centersと呼ばれた、産学共同研究

組織形成に対する呼び水的支援策である。また、企業ニーズにもとづきつつ応用研究を進

めるインダストリー・コンソーシアムの支援としては、 ATPによる資金的援助策と、大学

と産業界との共同研究組織の法認が重要であった(図表1-3)。

図表1 - 3 技術リスクと「死の壁」克服のためのHAtchery政策 リスク度 c c'  宇缶業イヒまでの時間

出所)G・Tassey. The EcollDDI rS OrR&L) Polry.quoru⊂】 1997より

産学共同研究センター(the Industry-University Cooperative Research Centers)設

置支援策は、 1973年に、 NSF によって始められたExperimental R良D Incentive

Program(-EDRIP)のなかで最も成功したと評価された、 MITの産学共同研究センター(MIT

Industry Polymer Processing Center)の普及・拡充を図ろうとする政策であった。 EDRIP

4ヵータ-政権末期には・政策実施方法についての論争もあり、分権的な立場に立つバイ・トル法と共に、中央集 権を強化しようとするステⅩ-プンソン・ワイドラー法が同時に成立する混乱も見られた。しかし、結局は、分権的

(15)

(

は、基幹技術の研究促進のため、大学における先端的科学研究の基幹技術への転換可能性

を評価して、その可能性の高い科学的研究成果を基幹技術に転換するための産学連携型研

究組織設置支援策であった。工学研究センター(Engineering Research Centers)は、境界

領域の工学研究の促進と技術者育戒が課題とされ、基幹技術研究に補完技術導入を図り、

実用化技術開発に向けた開発研究のための産学連携型研究組織の形成支援策となっていた

(ハイテク戦略研究会編『米国の技術戦略』 、日経サイエンス社、 1988年) 。

NFS Centersは、当初は連邦の資金的支援を受けるが、産学共同研究が軌道に乗り、産

業界が大学における基幹技術研究の重要性を認識すれば、あとは産業界からの資金によっ

て自立できるという想定から、支援期間は5年と限られていた。逆に、この期間内に自立

性が獲得できないNSF Centersは、共同研究のテーマに問題ありと判断され、支援が打ち

切られるという形で、市場評価を受けることになる。 NSF Centers については、参加した

企業及び大学研究者から高い評価が与えられていた。

その成功のポイントは、大学内での自立した組織形態を採ったこと、及び産業界にニー

ズに応える問題解決型のマルチ・タスク・プロジェクト方式を採ったことにある。その際.

特に市場ニーズに合う技術探索に重点をおいた点が成功要因であった(D. Gray & S.

Waiters, MaDagL'Dg the Industry/Un)'yeI・Sjty CoopeTatJ'Ye Research CenEez・, Battelle

Press, 1998) 。

インダストリー・コンソーシアムの法認

これに対してATP(the Advanced Technology Program)は、 MCCやSEMATECなど先駆的な

インダストリー・コンソーシアムの成果を受けて、 1990年に試験的に始められ、現在では

VBの初期段階の実用化技術研究を支援する産官連携策として、その重要性が評価され始め

た支援策である(C. N. Chang, S.S. Shipp and A.J. Wang …The Advance Technology

program: a public-private partnership for early stage technology development" , VenEuTe Cap]'taI: AD )'L7EemaljonaJ jouL・naJ oI entL・ePt・eneuL・)'al lJ'nance, Vol.4, No.4, Routledge, 2002) 。 ATPは、産業側の提案をもとに,インダストリー・コンソーシアムと

同様の効果を持ち、大学と連携を持った実用化技術研究に対して、公的資金援助行ない、

当該技術の商品化を促進させる政策であった。 ATPは、益々高度化し、その将来性判断が

難しくなる技術評価において、的確な専門家評価(Peer Review)による高い実績が評価され、

ビジネス・エンジェル投資を補完する機能が重視され始めている(∫. E. Sohl "Theprivate

equity market in the USA: lessons from volatility" , VentuI・e CapL'Eal: An J'Dtematl'oDaI jouTnaJ ol entTePTeDeuI,)'al lJ'naDCe, Vol.5, No. 1, Routledge, 2003)

同時に、こうした連邦支援策を正当化するため、日本を国際競争力再生のための「仮想

敵国」と看倣し、日本において大きな成果を上げたとされる「超エル・エス・アイ技術研

究組合」型の産学官連携の必要性を説き、 MCC設立の経過推移などを見ながら、反トラス

ト法で禁止されていたインダストリー・コンソーシアムを、 「商品化前技術開発」

(16)

( "pre- Competitive Technology Research" )という概念を提起し、これに対する反トラス ト法の適用除外を実現させたのである。 1984年成立のNational CooperativeResearchAct

(国家共同研究法)の成立がそれである5。

ただ、アメリカにあっても、こうした一連の連邦支援策の実施は、極めて大きな制度変

更であったため、産学技術移転制度を含め、本格的に機能するのは80年代末からであった。

事業リスク対応策

次に、 VBの事業リスク支援策については、創業期の「死の谷」対策としてのSBIR(=Small

Business Innovation Research)創設と、 VBの成長過程全体を支援するVCの制度化が中心

的政策であった。

vBの特徴は、急成長と突然死が併存している点にある。それは、経営資源が乏しく、実

績もないVBに破壊的技術の製品化を担わせたことから生じた特徴だといえる。 VBは、ま

ず市場可能性ある製品による顧客獲得が重要であり、一定の売上を確保して、安定成長軌

道に乗るまで、経営課題、組織構造などを大きく変化させつつ、急成長し続けねばならな

いという、極めて複雑な成長プロセスを辿ることを余儀なくされる。その途中で、必要な

時期に必要な経営資源が得られなければ、直ちに倒産に到る(W. Sahlman & H・ Stevenson,

The EnlL・ePTeDeuT VeDEuTe, HBS Press, 1992, Chap.21) 。その最大の原因は、経営資源

の調達原資としてのカネの欠乏にあった。

S別Rの創設

破壊的技術の製品化による市場創出には、大きな不確実性とそれに伴うリスクが残って

いる。破壊的技術の製品化が、 「機能性」において、顧客の支持を受け難いという問題で

ある。この間題の解決には、技術主導(-Technology Push)型開発ではなく、市場志向

(=Market Pull)型開発が必要となるが、技術の破壊的性格が強ければ強いほど、市場は既

知ではなく、市場分析からニーズを汲み取り難いという問題に逢着する。結果として、技

術主導の開発を先行させ、事業リスクを高め、倒産に至るというのがVBに共通する欠陥で

あった。

創業期の「死の谷」乗り切りには、 VBが開発した製品が、破壊的技術を製品化したもの

として、その「機能性」において大きな可能性を持つことをアピールしえる"Charter

customer"の確保が重要であった。 "Charter Customer"は、顧客としてだけではなく、

この製品の機能性の技術的意義と可能性を市場に知らしめるシグナリング効果を与えられ

るような、当該分野におけるレピュテーションの持ち主でなければならなかった。このた

めには、破壊的技術開発の支援者である国家が"Charter Customer''となることが、有効

5 National Cooperative Research Actは、 1993年にNational Cooperative Research and Development Actとして、

(17)

(

だといえる。 SBIRは、まさにそのための政策となっていた。

SBIRは、カーター政権下で計画され、 1982年制定の「中小企業技術開発法」により創設

された、 VBによる破壊的技術の製品化支援策であった(野村総合研究所社会・産業研究本

部『新産業創出の起爆剤・日本版√SBIR』 、野村総合研究所、 1998年) 。 SBIRは、連邦各

省庁が当該担当分野における国家的技術課題を示し、その製品化プロポーザルを提出させ、

調査段階(フェーズⅠ) ,開発段階(フェーズⅡ) 、商業化段階(フェーズⅢ)と区分し

た上で、各々の段階に応じた資金、及びその他の支援を行おうとする政策であった(GAO,

FedeI・al Research: ObseI・YatL'oDS OD the SmaJl BusL'DeSS IDDOYatjon Research PTOgI'am, Washington, 1998, pp.9 10)。ここで特に重要なポイントは、フェーズⅢにおいて、当該

実施機関の調達(Procurement)活動への参加など、具体的な市場機会が提供される点にある。

当該実施機関に採択され、納入企業となれば、 「機能性と信頼性」欠落の解消にもなり、

これをマーケテイング・ツールとして活用することで、新たな市場創出の可能性が高めら

れるからであった。

この点では、 SBIRは、シリコンバレー形成における、連邦軍需支出と同様の効果を狙っ

た政策だと言えよう。

VCの制度化とⅦ■の形成

次に事業リスクの軽減に関して言えば,倒産した場合にも、出資者間でリスクを分担し、

経営者の財産的損失を一定範囲内に抑止できる、株式(-Equi ty)による資金調達の拡大策が

採られた。これまで株式による資金調達には無縁な存在であったVBに対して、株式を通じ

た創業資金調達手段を与えようという政策である。

具体的には、年金基金に対して厳しい運用規制を行ってきた従業員退職所得保証法

(Employee Retirement Income Security Act、 ERISA)を緩和して、長期投資の性格を持つ

年金基金からのVC (-Venture Capital、以下VC という)の投資ファンド(Limited

Partnership、以下LPSという)への出資解禁を行った。 VCファンドとしてのLPSの制度化

である。また、ビジネス・エンジェル(-Business Angel、以下BAという)として、 VC

投資を補完することになる、個人投資家による未公開株投資を制度化する私募免責規定を

導入(-1933年証券法レギュレーションDの設定)し、 BAの投資促進のためのビジネス・

エンジェル・ネットワークの設立と運営に対して、法的基礎を与えるなど、私募株式発行

市場(Private Equity Market、以下PEMという)も整備された。この結果、アメリカでは、

VBの成長過程において、その成長段階に固有なリスクとリターンに応じて、投資主体や手

法が変化し、かつ相互に保管・連携する、一連のファイナンスシステムを形作っている。

これは、 VentureFinance (以下VFという)とよばれ、創業からIPOからまで、 VBの幅広

い資金ニーズに応じる投資による資金供給制度が完備されたのである(図表1-4) 6。

(18)

図表ト4 米国におけるVFの構造 tV 肺 リ ス ク 度 掛 3FMo 匁W ゝ 刔ラg"メ S「 hd阜SBRetcJ ビジネス.エンジェル VentureCapital 戦略的蛇蛾など lPO 銀行融汽 ErI兼期】    披土初期 急成長抑】    陳定成長柑] 企 業 成 長 段 階

出所)M. 0 snabrugge a 氏. Rob■lSOn. AlTgeLbyesIDg, Jossey-Jlass, 2000. p・37より.一郎追加した

その上で、 70年代のインフレ昂進のなかで高率となっていたキャピタルゲイン税率を、

49.5-28-20%へと大幅に引き下げた。かつストックオプション行使による所得をキャピ

タルゲインとして区分するなど、株式投資に対するインセンティブの導入と拡充が図られ

た。併せて、資金回収手段としての株式新規公開(-Initial Public Offering、以下IPO という)制度の簡素化と、その受皿となるNASDAQ(-National Associationof Securities Dealers Automated Quotations)市場の制度改革などが一挙に実施され、 IPOを促進して、

早期にキャピタルゲインを取得するための「出口」 (=Exit)整備も行われたのである(拙

稿「金融仲介機関としてのベンチャーキャピタルの成立と展開」 、東北大学経済学会『研

究年報「経済学」 』 、第60巻、第2号、 1998年、及び「エンジェル・ネットワークの形

成と展開」 、同、第61巻、第4号、 2000年) 。

4.2州・地方のVB集積支援策

州・地方のVB集積支援によるハイテク産業創出策は、テクノポリス政策として策定され

た。テクノポリス政策は、 1980年代初頭に世界潮流となった政策である。それは、 「技術

と地域経済の発展とを結び付ける現代的な地域開発政策」と規定されている(良. Smilor, G・

Kozmetsky & D. Gibson, CTeatL'Dg the TechnopoJjs: LL'nkjDg Technology

commeTCJ'aIjzatL'on and EconomL'c Development, BaHinger Publishing, 1988) . YS I)

カでも、 1980年代、シリコンバレーの再現を目指して、州政府が、ハイテク産業集積地と

なる可能性が高い市(-地方)政府と組んで、積極的にその具体化を図ろうとした。

だが、テクノポリスというハイテク産業集積地を州内の何処に創設すればいいのか、そ

の選択基準は何か、中核となる産業をどのように選定すればいいかなどについて、当初は

明確な基準が存在しなかった。しかも、この政策では、特定地点を選び、特定産業の特定

企業群を集積させるため、選択と集中が不可欠となる。それだけ、政治的リスクが大きく

(19)

こう-した性格を持つテクノポリス政策に、解決の方向性を与えたのが、 1983年から始め

られたthe Microelectronics and Computer Technology Corporation (以下MCCという)

の誘致競争であった(P. Eisinger TheRL'se ol theEDEL・ePI・eneuI・)'al Stale, The University

or Wisconsin Pres, 1988)。

NCCの誘致とテクノポリス政策

MCCは、日本の第五世代コンピュータ研究プロジェクトに対抗する目的で、日本の「超

エル・エス・アイ技術研究組合」の成功に学び、製品化以前の製造技術高度化のための研

究(-Pre-Competitive Technology Research)を行うインダストリー・コンソーシアムと

して、 1982年に設立された。 MCCは、対日戦略上重要なコンソーシアムであり、優れた研

究者と研究成果を結集するため、その事業拠点の設置場所を全米から公募した。

公募にあたって、 MCCは、コンピュータ及び半導体研究において優れた研究実績を持つ

大学の存在、州・地方政府の協力、トップクラスの研究者を引付ける優れた生活環境

(Quality of Liie、以下QOLという)、 Best & Brightestの集積、ハイウェーや空港など

の効率的インフラ、妥当な運営費用などといった選定条件を示し、募集活動に入った。 MCC

の設立は、テクノポリス形成を狙っていた各州の政策にも合致していたため、全米27州

57都市からの応募があった。

この中から、カリフォルニア州サン・ディエゴ、テキサス州オーステイン、ジョ ジア州

アトランタ、ノースカロライナ州ローリー・グラムの4地域が絞り込まれ、最終選考の結

果、オーステインが選ばれたのである。オーステインが選定された背景には、テキサス大

学オーステイン校を中心にして、その強化を狙って、テキサス州とオーステイン市、テキ

サス大学オーステイン校、及び産業界が協力し、最も優れた産学官連携を作り上げた実績

があった(D. Gibson & E. Rogers, RGD CoJIaboI,atjoD On TTL'aJ, HBS Press, 1994) 。

MCC誘致は、テクノポリス政策に大きな進展をもたらすことになる。この選定過程を通

じて、優れた成果を持つ研究大学の重要性が認識され、テクノポリス政策を実施する上で

の大きな課題であった、地域選定の基準が明確にされたからである。この結果、各州とも,

州内の基幹的研究大学(Flagship Research University)を、ハイテク産業創出の技術シー

ズ開発の研究拠点とすべく、研究人材の集積を含め、研究能力の強化・拡充を行い、当該

地域をテクノポリス化の拠点とする方向を明確にし始めたのである(H. Etzkowitz & L

Leydesdorrff, UDL'YeTSL'tJ'es and the GJobaJ Knowledge Economy, Pinter, 1997) 。

研究拠点の選択と強化

具体的には、第一に、当該研究大学の研究能力と技術開発体制の強化・充実を図った。

そのために、研究資金の支援のみならず、研究人材の集積、産学共同研究支援、インキュ

ベータなど、 VB支援施設も整備されることになる。連邦や大企業からの研究費が減少して

いる研究大学にとって、新たな研究資金の調達や学生の就職先の確保からも、地域経済の

(20)

振興という、新たな任務を受け入れ これを実施するための組織的な対応を採り始めたの

である。第二に、当該研究大学の所在地である市なども、州や地元産業界との協力の必要

性を認め、優れた研究人材を集めるためのQOL向上策が採られた。第三に、これらの活動

を通じて、当該地域だけでなく了州全体への波及効果が指摘され先ず以って研究大学の

所在地を拠点として先導的に開発することに対する、州内合意も得られ易くなる。これら

州・地方が連係した政策対応を採ることにより、 VB集積支援のための「生態系」が、拠点

となる研究大学周辺を中心とした地域に、形成され始めるのであった。

4.3 Innovation Clusterとハイテク産業集積地の形成

-研究大学を破壊的技術の創出拠点と位置付け、 VBをその製品化の担い手とし、創業支援

策を策定したのは、連邦政府であった。そのためには、 VBの地域的集積によるハイテク産

業創出が必要であり、この新たな連邦政策を受け止め、 VB集積実現のため、インキュベー

タなどの成長促進施設、 BAやVCから構成されるVF、弁護士、公認会計士、コンサルタン

トなどの専門支援サービスの提供、さらには、 Best &Brightestに対する、グラノベッタ

-が規定した「弱い紐帯」 (WeakTies)に相当する、新たな人材仲介ネットワークなどから

構成される、地域的支援システムの形成が不可欠であった7。

このVB集積実現のための地域的支援システムはInnovation Clusterと呼ばれている。

Innovation Clusterが、 Clusterとして一定の地域性を持つのは, VBの企業特性に根差す

ものといえる。 VBは、地域の研究大学や産学連携研究拠点などから、技術シーズを得て、

その製品化に要する開発研究を大学や研究拠点と共同で継続する必要がある。その意味で

は、特に、創業時には、大学や研究拠点との近接性が求められる。また、 VBは、成長資金

をVFによる投資として得るのであって、特にBA投資では、投資情報の入手や選別、投資

後の支援など、企業家と一体になった支援が不可欠であり、その支援には一定の地理的限

界が生じる。さらに、 VBの本質が暗黙知の結集機能にあり、その維持拡大こそが成長要因

であった。このためには、高い能力と経験を持つ人材(Best & Brightest)の確保が不可

欠で、そのための人材仲介ネットワークが必要になっていた。しかも、この人材仲介ネッ

トワークは、当該地域で創出されたハイテク産業の技術分野に深く結び付いた性格をもっ

ており、これを全国レベルで行なうことは極めて困難である。 VB成長には、こうした特殊

な労働市場形成が必要となっており、こうしたVB支援の特徴がInnovation Clusterに地

域性を与えているのであった。

従って、技術政策やVF創出といった均一性が要求される分野では連邦政策の実施が求

められVBの集積基盤としてのInnovation Cluster形成では、州・地方が主導権をとる

7グラノベッタ-が定式化した「弱い紐帯の力(Strengtho川eakTies)」に対して、経済構造変化により出現したBest & Brightestの転職仲介という、従来の労働市場が機能し得ないr空隙」をうめる新たな「第三者(tertius)」機能の 重要性に注目したバートの「構造的空隙(StructuralHoles)」理論の方が、その妥当性は高いように思われる(氏. Burt

(21)

(

という複合的政策の実施が重要であった。こうして、 Innovation Clusterを形成し、機能

させえた地域から、ハイテク産業集積地が生み出されたのである(拙稿「米国におけるベ

ンチャー企業支援策の展開とハイテク産業集積地の形成」 、東北大学経済学会『研究年報

「経済学」 』 、第62巻、第3号、一2000年)。この結果、各々の研究大学における優位な研

究分野が反映され、多様な破壊的技術が開発され、その製品化を担うVBが創業される産業

分野にも多様化が生じることになった。 80年代の半導体、コンピュータなどのエレクトロ

ニクス産業から、 90年代には、 IT、バイオ、新素材など、多様なハイテク産業でのVB創

業・集積が見られるようになる。

5. EntrepremeurialAmericaへの転換とアメリカ経済の再生

現在、アメリカでは、シリコンバレーとボストン周辺以外にも、数多くのハイテク産業

集積地が形成されている(図表1-5) 。これは、 90年代に入り、各地のInnovationCluster

が実効性を持ち始めた成果である。 VBのIPO市場であるNASDAQの取引数量が、ニューヨ

ーク証券取引所を超えるのは1994年のことである(図表1-6) 。 94年以降、 1980年代に

は低迷していたVCの投資収益率が向上し始める。アメリカ経済は、 1979年のカーター・

イノベーション教書からほぼ15年を経て、 「大企業体制」 (Corporate America)から「VB 体制」 (Entrepreneurial America)へと、構造変化を遂げたのである(J. E. Sohl, "The early-stage equity market in the USA" , VentuL・e CapjtaJ: An L'L7teI・natL'onaJ journal

ol eDtI・ePL・etZeut・)'al lJ'naDCe, Taylor & Francis, Vol. I, No. 2, 1999, pp.103 5).

図表1- 5 全米に拡がる新たなハイテク産業集積地

アメリカ経済は、 VBの創業・集積を通じたハイテク産業集積地の拡散によって..産業構

造と雇用構造を変え、産業競争力の回復と経済再生を実現した。但し、ここで注意すべき

点は、 Entrepreneurial Americaへの転換は、 Corporate血ericaの単なる否定ではない。

(22)

図表1-6 NASDAQとNYSE/出来高ベース tOO万株), 1979 1995 I 20000 1 00000 80000

遷…o

i≦≧ 毒40000 20000 0

liE - t 嘘

「-- N^Srn

I - 一 一・ NYhLL-79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 Years

出所日.Sohl``The earb-stage equJty marke一R the USA◆',C.Mason a R.HarrBOn ed. YenLuⅣ CJUIIal:An hlemalbDaLpumBLolenlLYPreneuT血J′JlanCe, γol 1. No. 2. TayL)r& FranCZS, 1999. p.L04より

それは、新たな成長基盤としてのハイテク産業創出機能を担わされたVBの創業・集積のた

めの「生態系」形成に重点をおいた制度の導入と定着であり、同時に、この転換は、Corporate

血ericaを担ってきた既存企業の戦略、組織、人事、研究・開発、製造・販売、物流など、

バリューチェーン全体にわたるビジネスモデルの革新を促し、結果として、アメリカ経済

全体の産業競争力の回復をもたらしたのである。

その象徴が、日米半導体メーカーの競争力の逆転であろう(図表1-7) 。ここでのポイ

ントは、開発(Break-through)と製造・販売(Follow-through)が、 VBと大企業によっ

て、分担・統合された点にある。これが実現するには、 VBが開発において一定の能力を継

続して発揮する制度基盤が必要である。それは大学を中心とした地域的Innovation

Cluster形成によって与えられた。製造・販売を担当する大企業側では、このVBの成果を

スムースに自社内に取り込むため、競合する開発部門の解体と製造・販売部門の強化が不

可欠になる。このための構造改革は、 InvestorsCapitalismといわれる、 80年代以降の株

式市場からのUnbundling圧力とCore-businessの強化を目的としたOpen lnnovation戦略 の導入によって、実現されたのである(H. Chesbrough, op. °it.) 。この結果、企業の大

小は形態区分に過ぎず、これによる優掛ま全く問題とされなくなり、 VBと既存企業の効率

的連携が可能になったのである。

l■l■1117 tLlJtJIL-t暮Trr IJ=おける地JAJH血■lのシェア1■I

IL′Zナ

lP40 1●41 194) lBI[) lPJ4 11●■ 10■● 1L●▼ l●●● 1010 1000 lt●1 I+tZ IL●) l●●■ 14●さl●●● lO●▼ lt++ IP●● iOOO tOO1 2001 aOO:I 出所〉 lj奉ブJ一一トナ-王′}レ-プ デ-タクエストn壬Jこり

(23)

(

は, Corporate Americaを支えていた国家による一元的コントロール・モデル(Etatist

Model)は機能不全を起こすため、地域分権が不可欠であり、かつ産学官が、相互に得意機

能を提供しつつ、重合的効果を発揮し得るようなハイブリッド組織による、重複的ネット

ワーク・モデル(Tri-lateral networks and hybrid organizations Model)の形成が必要だ

とされる。しかも、重複的ネットワーク・モデルを組成するには、この移行を媒介するモ

デルとして、市場主義モデル(Laissez-faireModel)が必要だとされる。それは、制度が「ナ

ッシュ均衡としての自己拘束性」を発揮するがゆえに、新制度の創出には、旧制度の全面

的かつ同時的解体が不可避だからであると主張される。これを可能にするのは市場以外に

はないというのである8。

‥このモデルと、 Break-throughとFollow-throughとの統合モデルによって、アメリカ経

済の構造変化を示してみる(図表1-8)。アメリカ経済は、本章冒頭でも指摘したように、

Follow-throughにおいて、日欧亜企業の後塵を拝しており、 Break-throughにおいても、

軍需部門での破壊的技術開発能力は高かったが、その民需活用において、日欧企業に後れ

を取り始めていた。この結果生じた産業競争力の喪失がスタグフレーションとして現れ、

この脱却策として、 VBを通じたフロンティアとしてのハイテク産業創出が採用された。そ

の際、レーガン政権は、この政策課題を市場メカニズムに依存しつつ実現しようとして、

小さな政府を標摸して,規制緩和などを重視する、市場主義的実施方法を採ることになっ

た。 図表1-8 Break-through と Folloy-through の再統合 政府主斗 1990.:中国 WWⅡ.1980:米国 僞ta tヨ FX 埜2 1990.:栄 Break-thrOuJS" 姪 塔 ゥ?ゥgイ lアジアN lTri-lateralNetwor 鳴 1980.90 lLaissez-fair 梯 ゥ¥Hル Tリ カFVナメ FOllOw-through 市場主表書

山所)ll. EL2rkov llZのTrtIt-helk N odeli■とR. ド brL]a A N KerJneyのB rtfzlk-Lhmugh ]lLISbn曲を統合したモデル、妹E-作成

この市場主義的政策の実施によって、産学連携、 VB支援、既存企業の選択と集中、労働

8 EztkoyitzのTriple Helix Modelにおいては、市場主義への移行の必要性は説かれているが、その必然性について は、十分説明されているとは言い難い(H. Etzkowitz 良 L. Leydesdorff L.The dynamlCS Of innovation: fromNational

Systems and .Mode 2' to a Triple Helix of university-industry-government relationsM Research PoJL-cy, Vol. 29 No.2, 2000)。これに対して、同様の問題意識にたって、 Break-throughとFollov-throughを再統合して,新たな

経済再生の必要性を明らかにしたFlorida&Kenney, op. cit.では、政策的意向は一見合理性があるように思えるが、

部分最適を行うに留まり、結局は弱者への負担の轍寄せになり、社会的不満を高め、改革阻奮要因になる。これを一 挙に行うには、市場による全面的かつ速やかな旧制度の解体が不可欠だとして.市場主義の必要性を明らかにしてい

(24)

I

市場の解体と再編などが可能になり、地域におけるInnovationClusterの形成基盤を準備

することになっていた。同時に、既存企業の再編は、これらVBとの連携を強化し、その成

長とハイテク産業創出に促進的作用を持った。InnovationClusterは、地域における技術、

ヒト、カネ、専門支援サービスな`ど、それぞれが必要としたネットワークを重合し、より

大きな支援効果を持つシステムとして、形成されたのである。

次章以降、この形成が如何に行われたのかを、オーステインを事例として、さらに、詳

しく分析していきたい。

(25)

#2* Creating and Sustaining The Technopolis:

Austin, Texas 198512003

1 Introduction

Im 1985 the economy of Austin, Texas centered around the State Capitol and

associated government agencies which reflected the state's economic dependence on energy

production, ranching, and larmimg. With a population oi about-600,000 the city was also

the home or one of the largest public universities in the US - The University or Texas at

Austin with 50,000 resident students. Austin was known as the "Liberal Oasis… of the

South in that the city and the university welcomed diverse lifestyles that included oil

and energy workers, ranchers and farmers, academics and business professionals, and

lawyers and bureaucrats as well as emerging and established musicians and "slackers.H

By 2000 Austin was known worldwide as an important technology center with clusters of R良D,

venture deals, and large and star卜up firms in semiconductors, computers, and software.

During the 1990s academic, business, and government leaders from the US, Europe, Asia,

and Latin America visited this central Texas city to better understand "The Austin

ModelH for accelerating technology-based growth and wealth creation.

Just how did Austin transform itself一一一in 15 years一一一from having essentially

no technology-based businesses, no tack-record for high-tech star卜ups, no reputation as

an entrepreneurial center, and no venture capital to being celebrated in Fortune (1998)

and Forbes (2000; 2003) among other national and international publications as the best

US city for establishing and growing technology businesses and for wealth creation? How

did Austin go from losing its university graduates and young professionals to career

opportunities im Dallas and Houston and other US cities to attracting some of the best

and brightest university graduates and research and business talent not only from Texas'

major cities but from California, MassachuseHs and other US and global technology

(26)

(

global model for accelerated technology-based growth, being ranked, in 2002, alongside

Sam Francisco, Sam Diego, and Boston as a magnet for Hthe creative class.''l

This paper describes key components and shares lessons learned from the "Austim

Model" as it has evolved since the mid-1980S. We build on the framework of the

"Technopolis Wheel" to focus om the key sectors of the research university; large

corporations; emerging companies; support groups; and federal, state, and local

government, Fi即re 2-1 (see Creating The Technopolis: High-Technology Development in

Austin, Texas, Smilor, 1988).2 we elaborate segments of this framework to better reflect

lessons learned during the past 15 years of accelerated technology-based growth in Austin,

Texas, Table 1.刑Iile new factors and processes have emerged as integral elements to

Austin' s Techmopolis Framework, an unchangimg reality is the comtimued importance of public-private collaboration facilitated by influencers- key visionaries and champions

from the region' s academic, business, and government sectors.

∼ see The Rise of the Creative Class, by Richard Florida, 2002 as Well as Fortune, Noyenber 23, 1988: and Forbes. Nay 29, 2000: May 26, 2003.

2 please refer to …creating the Technopolis: High-Technology Development in Austin, TexasM by R. Smilor, D. Gibson, and G. Kozmetsky, Journal or Business Venturing, Vo1 4, 1988, pp. 49-67. The term …Technopolis… (Greek for

"technology" and "polis city state) Was coined by the Japanese in the nidl1980s and oyer the years it has gained

global use and generally refers to a region of concentrated technology research, development, and innovation leading to the creation of yeaLth and jobs.

(27)

Figure 211 - Techopolis Wheel

2 Methods

Longitudinal economic development data are included to provide insights into the

changing nature of the Austin economy across industry sectors and stages of development

including technology company relocatioms, the establishment and closure of technology

companies, venture capital growth and expenditures, and technology licensing and spin-out

company formations.

To exemplify the broad-based nature of Austin' s entrepreneurial fever company

profiles include The Microelectronics and Computer Technology Corporation (MCC),

(28)

non-∼

technology based fast growth firms such as a nationally prominent advertising firm, a

sports firm, and food-related companies.3 Qualitative descriptions elaborate important

aspects ol the region's entrepreneurial, cultural and quality-oト1日e sectors,

describing how these assets have helped cause and have been impacted by the region's

accelerated technology-based development. Examples of civic- and sociaトentrepreneurship

are presented as important to sustaining the Austin Technopolis.

3 The Research University

Universities are key educational and research assets for regional economic

development in the global knowledge economy (Varga, 1998). Research on technology-based

development has stressed the pivotal role of universities for attracting and educating

talent in the sciences as well as business, law and other professions (Larsen et al.1988,

Smilor, et・ al, 1988; Saxenian, 1994). Research universities are key to attracting state

and federal grants, corporate funds, and other research lumding that can (1) help recruit

and retain world-class researchers and graduate students, and (2) foster industry

recruitment as well as technology licensing and spin-out companies (Brett, Gibson, and

Smilor, 1991)・ Furthermore, the broad range of educational programs oHered by research

universities including the liberal arts, social sciemces, and public policy as well as

sports and cultural activities are key to attracting a diversified and international

student body, to augmenting a region's quality or life, and to fostering cultures of

creativity and innovation.

Figure 2-2 日lustrates the dramatic rise in the number of UT-Austin endowed chairs

beginning in the early 1980's when the university targeted the recruitment of

world-class faculty in engineering, computer science, and business (Gibson and Rogers, 1994).

Public-private cooperation was crucial to this dramatic increase in endowed chairs. For

example, in 1984, to accelerate UT's attaining world-class research excellence in

a High-technology industry lnCludes those based on the contrlbutions or knowledge workers -- a highly educated labor

force heayily concentrated in science and engineering including a culture of entrepreneurship and technological

Innovation, have a high rat10 0f research and development (R良D) to sales, and market their products gLobaLIy (Larsen and Rogers 1988)・ Civic and social entrepreneurs hare proven to be central components of the "Auslin Model.''

Whereas TechnoLogy Entrepreneurs are crucial to launching and growing technology firms, civic and social

entrepreneurs focus on noHor-profit activities thaHink academlC, business, and local government resources and

assets to identify and solye conmunlty-based challenges and to enhance a reglOn's quality of life.

(29)

(

electircla engineering and computer science a Dallas-based donor provided an $8 million

gi一t to be matched by a second $8 million from additional private sources and $16 million

from uT-Austin' s centennial Matching program to establish 32 million dollar chairs.

while fun°ing was crucial to establishing endowed chairs, recruiHop ranked professors

to any university is a challenge and leads to universities bidding against universities

worldwide for select faculty.4 In the 1980s and 1990s Austin's quality oHife assisted

uT-Austin in these bidding competitions and more recently Austin's reputation as a

successful entrepreneurial center has proven to be an added incentive for the recruitment

of key faculty and graduate students interested in the commercial applications of their

research.5

Figure2・2: UT Endowed Chairs by Year,1 960・2002

・60 '70 Leo ■90 ℃D

The majority or UT-Austin' s endowed chairs are in the Colleges of Natural

sciences and Engineering followed by Liberal Arts and Business, Figure 2-3. Endowed

4 This successful fund raising campaign at UTIAustin led to competitive raising of faculty salaries in the sciences

(30)

I

chairs tend to attracHhe best scholars and researchers who in turn tend to win

significant competitive research grants and fellowships that attract and financially

support superior graduate studentsI In the case of UTIAustin the resulting outcome was a

win for the University and for the faculty and their students as weH as for Auslin and

indirectly for Texas and the nation・ The faculty and graduate talent attracted lo Austin

helped brand the region as an important technology center and it provided regional

microelectronics and software businesses access to leading-edge research and know-how

through cooperative research programs・ faculty consultations, and through the hiring of

univ-6rsity graduates.6

Flgure2・3: UT Endowed Chalrs by Academlc Unlt

Ed ucation

Figure 2-4 illustrates research expenditures by academic units at UT-Austin from

1991 to 1999・ While UトAustin's college of Engineering has traditionally received the

greatest amount Of research fun°ing, about $50 million/year, in 1995-1996, research

3 Ted Rapport and colleagues recruilmenl to College of Engineerlng

6Amexample of such cooperative research is lBM's Austln Center for Advanced Studies is a research-based unit

dedicated to promoting and cuLtiyating university relationships and collaborative research betyeen IBM organizations

Figure 211 ‑ Techopolis Wheel 2 Methods Longitudinal economic development data are included to provide insights into the changing nature of the Austin economy across industry sectors and stages of development including technology company relocatioms, the e

参照

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