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1980 1985 1990 1995 2000
◆オーステイ ン
‑ボストン 十リサ‑チトラ
イアングノレ ーうーシリコン′ヾ ーう仁.・米ヒ封全体レ‑
Ll]所) ALJStiTI Index. J)tJrCau Of Business Research, McCorT.bs SchooJ of Busirtcss, UT at Austinより
90年代後半以降の増加は、 MCC、 SEMATECH、テキサス大学オーステイン校(∫ ・ ∫ ・ピッ
クル・リサーチ・センター、マイクロ・エレクトロニクス・リサーチ・センター) 、 IBM、3Mなど、産学官研究拠点での開発技術を基盤してSpin‑oHするVBが増加するなか、その 支援体制の整備が進み、デル・コンピュータのような成功事例を契機に、 IPOが増加して、
一定の閥値を越え、自立的発展を示し始めたためである。この結果、オーステインは、シ リコンバレーと同様に、ハイテク雇用者のみならず、企業家をも惹き付け、 VB簾業による ハイテク産業集積が進展することになる5。
こうした展開をもたらした最大の原因は、 MCC、 SEMATECH、大学、及び民間大企業などの 研究拠点において,研究成果が現れても、その成果を参加企業が採用し得なかった点にあ
る。むしろ、その採用を排除しようとしたのであり、この傾向は特にMCCで顕著に見られ た。こうした事態への現実的対応が、 Spin‑oH VB支援制度の形成に向かわせ、地域にお ける自立的発展をもたらすことになったのである。
3.技術移転からSpin‑oH VB支援へ
MCCは、 Pre‑competitionのR&Dを行い、その成果を参加企業に技術移転し、この移転
を受けた各企業が製品化する、という構想のもとに組成されたコンソーシアムであった。
構造変化を行い得ない点から生じているとも言える。
5現在では、企業家の成功は地域に依存しているとまで言われている(D. Gibson, E. PinhelrO. P. Saraiva, C.
Yandergrift A S. Jacobs TheAustJ'n TechnopoljsRepor/ 2000, IC2 Institute, The University of Texas, at Austin, 2000)。実際. 90年代に入り、ハイテク産業集積地として有名になったオーステインの人口増加の92別ま域外流入であ
った(Market Street Services Ays/)'R. Texas Economic G Demographl'c Pro/)Ale, The Greater Austin Chamber of
これは、いわゆる「バーベル論」に基づき、 氏 良 D部門と製品化部門が各々区分され、そ の両者を結び付ければ、研究成果が製品化される、という前提に立っていた6。
だが、 MCCで期待された開発研究の成果は、従来技術とは根本的に異なる破壊的技術で あり、その実用化過程は、 R&Dかち製品化へといった,直線的な流れで実現できるほど、
単純なプロセスではなかった。むしろ、 「イノベーションのジレンマ」論によれば、破壊 的技術は、既存企業にとっては製品化のために要する資源を欠く場合が多く,マーケテイ ング面でも「信頼性と機能性」に問題があり、既存企業からは忌避される性格を持ってい た(C・クリステンセン著、玉田俊平太監修、伊豆原弓訳『イノベーションのジレンマ』 、 期泳社、 2000年) 。 MCCでは,ソフト開発に重点がおかれ、その移転はさらに困難であっ
た・.
それ故、 Pre‑competitionの開発研究を行い、その成果を参加企業に引継ぎ、製品化を 図ろうとするMCCの構想は、このような破壊的技術が持つ特有な性格を無視するもので、
実現する根拠は極めて薄弱であった。 MCCが研究成果を発表するに及んで,この限界が明 らかになり、参加各企業は継続意欲を失っていく。同時に、 80年代後半におけるInvestor Capitalismとでも呼べるような株式市場からの強い業績改善圧力によって、参加企業は MCCへの資金拠出を継続することすら困難になりつつあった。この結果、各企業からMCC
に出向していた研究者達も、その研究成果の製品化を出身企業に提案しても、受け入れら れず、大きく研究意欲を削がれることになっただけでなく、 MCCにおける研究の継続すら 困難になりつつあった。しかも、この時期には,彼ら研究者自身がリストラの対象になり かねなかったのである。
こうした事態を打開する活動がSpin‑oH VBの創業である。これは、開発研究を行った 研究者が、その成果である破壊的技術の実用化のため、自らVBを創業する活動を意味する。
破壊的技術の市場可能性については、その研究者自身が最も良く知っている、という前提 に立つものである。これら研究者は、その成果の製品化を求めて開発研究を行ってきたの であって、それが、既存企業の拒否に遭って、製品化に進めないとすれば、その製品化の 可能性が高ければ高いほど、不満も大きくなり、自ら創業しようとする企業家活動の動因
となるのであった。しかも、彼らの雇用の確保にもなる
MCCは、当初、参加企業の意向を尊重して、これら企業との利益相反になりかねない、
Spin‑oH VB創業を規制しようとした。だが、参加企業の製品化意欲の低下とリストラ圧 力から、資金の継続供与の停止や研究者達のモラール低下に直面して、徐々にSpin‑ofrVB 創業支援へと、その活動の重点を移し始めざるをえなかった。だが、研究者は研究成果に ついての知識や経験はあっても、企業経営の経験は乏しい。 VB創業は、研究能力とは別の 経営能力を求める。これらVBには経営面での強力な支援が不可欠となっていた。
6バーベル論は、リニアモデルを基礎にした技術移転であり、一方の側のR&Dから、手方にある製造・販売をつなぐ
とはいえ、 MCC自体リストラを求められており、自らこの支援活動を行う余裕は無く, 外部の支援を取り込まねばならなかった。その拠点として創設されたのがAustin
Technology Incubator(以下ATIという)である。オーステインでは、 ATIを中心にしたVB
支援システムの必要性がInnovation Cluster形成の動因となっていくのであった。
4. Innovation Clusterの形成と展開
4. 1 ATIの設立と支援システムの形成
ISpinl0ff VB創業は、開発研究の成果である破壊的技術から、市場を前提にした製品化 へ移行することを意味していた。この移行によって、活動の重点は、破壊的技術の創出か
ら、成果の製品化とその市場創出へと移る。ここでは、技術と市場をつなぐビジネス・モ デルが重要である。これにもとづく事業機会が最も重視されねばならない。
しかも、 VB創業となれば、その事業基盤確立のため、ヒト、モノ、情報、そしてこれら の調達原資であるカネといった、経営資源の調達が不可欠である。さらには、製品開発、
購買、製造、販売などからなる、企業における価値連鎖の「主活動」だけでなく、企業活 動の管理といった「支援活動」や、実際に事業活動を行う場所も必要になる。とはいえ、
創業期のカネの調達力は限られ、最小の資金で創業し、最短期間で市場創出(‑収益計上) を実現せねばならない。
VBのカネの調達は、事業リスクを企業家とともに負担するEquityによる調達となる。
この調達基盤は、 VBの成長可能性であり、それを提示する必要がある。これには、創業期 において、プロトタイプ製造、その試験・検査、市場探索といった、 「主活動」に関して も、その限られた核心部分に経営資源を集中せざるを得ない。プロトタイプ製造と、これ をもとにした市場探索、その新規性を評価して購入するChartercustomerを獲得し、売上 が立つまでの期間は、 「死の谷」と呼ばれ、 VB創業で、最も困難でかつ脆弱な段階である(図 表6‑5)。企業としては未熟で自立しえないSpin‑oH VBに対して、 「死の谷」乗り切るた
め、事業を行う提供を低廉に提供し、 「支援活動」といった企業活動における補完的業務
を支援するなど、ハード・ソフト両面から、自立的成長の基盤を確立する創業支援システ
ムがインキュベータである。
国表6‑5 VB成長に伴う「死の谷くTho Gap)」