第3章 オーステインにおけるソフトウエア産業クラスターの生成と発展
2.2. テキサス大学からのスピンオフ企業
このような人材の蓄積の中から、テキサス大学からいくつかのスピンオフ企業がうまれ
た。その例としてMRI Inc.、 Execucomを紹介する。
(丑MRI, Inc.
1970年代にコンピュータ・サイエンス学部はいくつかの企業を生み出した。そのうちの
一つがMicrotecResearch, Inc (MRI)である。 MRIの技術はテキサス大学で生み出された。
コンピュータ・サイエンス学部が大学内のコンビュテ‑ション・センターの中で一つのプ ロジェクトに取り組んだのがそのはじまりだった。コンピュータ・サイエンス学部の創設 に奔走したAlfred Daleがそのプロジェクトを指導し、多くの教官、学生がそのプロジェ クトに参画した。プロジェクトが終わりを迎えたとき、コンサルティング・カンパニー、
MRIが設立された。 MRIはその後、 1978年にインテルに買収された。
②Execucom.
Execucomはテキサス大学の教官であったJerry Wagnerと彼の指導のもとにあった大学
院生によって設立された。 Wagnerはビジネススクールのオペレーション・リサーチの教授
であった。彼の目的はコンピュータ・プログラマーでなくても、コンピュータ上で分析的
な仕事を簡単に行えるツールを作り提供することであった。彼はビジネス向けに一般的な
経済統計モデルを生み出す能力をもったツールを開発し、これを29の製造企業に販売した。
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3・磁石としてのMicroelectronics A Computer Technology Corporation (MCC)5
オーステインにコンピュータ・エンジニアをひきつけた大きな出来事として、
Microelectronics 良 Computer Technology Corporation (MCC)の誘致を欠かすことはでき ない。 1984年、大規模な国家プロジェクトMicroelectronics 良 Computer Technology Corporation (MCC)がオーステインに誘致された6。 MCCのプロジェクトの中には、ソフト
ウエア関連のプロジェクトも数多く含まれ、それはソフトウエア研究者やエンジニアをひ きつける強力な磁石の役割をはたした。
3. 1.はccのポリシーの変遷
MCCが設立されたとき、最初のリーダー(the first Chairman of the Board)であった アドミラル・ロバート・インマン(Admiral Robert lnnman)はMCCへの参画企業からだけで
なく、全米の研究大学、連邦研究所、そして非参画企業の研究所から、優秀な人材を集め ることを強く主張した。その結果, MCCの研究者の6 5%が非参加企業から、およそ20%
が大学や政府の研究から、そして残りは参加企業から派遣された。 MCCの雇用者数は1983 年以降急激に増え、 1987年には473名となりピークを迎えた。その後、緩やかな減少を見 せている。
MCCの雇用者の転職率は、このコンソーシアムのリーダーが代わるたびに変化した。イ ンマン(1983年から1986年まで)のリーダーシップのもとでは、長期的でかつ基礎的な 研究に力点がおかれ、研究者にとってMCCは快適な職場であった。そのため転職率もわず か3 %にすぎなかった。この間、何人かの研究者はオーステインに定住することを決意し、
家を購入したものも多かった。
しかし2代目、グラント・A.ドープ(Grant A. Dove) (1987‑1990)がMCCのトップに座
ると・ MCCのポリシーは変わった。よりビジネス志向の活動、つまり技術移転や資金獲得 に焦点が当てられた。このようなドープ氏のリーダーシップのもとでは、研究者の数は変 わらなかったが、転職率は一気に上昇し、 30%に達した。
三番目のダイレクタ‑、クレイグ・フィールズ(CraigFields) (1990‑1994)は、 MCC
の方針を再度変更し、 「R&Dの配分、プロジェクト・ベースの研究活動の初期の買い込み、
特別な計画に基づいた技術移転、メンバー企業の価値の多様性、企業家的行動、そしてス ピンオフ」、つまり研究成果を積極的に市場に出していくという政策を打ち出した。 7 彼 は研究者のスピンオフを奨励し、 MCCのほとんどのスピンオフ企業は彼の任期中に生み出
5この節についてGibson et al.(1994)を参考とした。
6MCCについての詳細は、第1, 2章を参照のこと。
7 Gibson et al.(1994)
された。この間の転職率は1 7%に減少した。
MCCからのスピンオフは複合的な結果をもたらした。MCCを退職したエンジニアが設立し
たAustin American Technology Corporation (1986)や‡eTel Corporation (1984)といっ
たケースはこれまであったものの、 1991年以前にはMCCからのスピンオフ企業は生み出さ れなかった。なぜならMCCは共同研究機関であり、インマンの時代にはスピンアウトは主 要な目的ではないと位置付けられていたからである。加えて、もし研究者がスピンオフを したくても、利益相反など多くの問題が山積していた。しかもMCCのマネジメントチーム はこのような問題に対して一貫したポリシーをもっていなかった。 そのため最初のスピ ンオフ企業である、エボリューション・テクノロジー・インターナショナル(Evolutionary
Tee‑血ologies International : ETI)がスピンアウトを試みたとき、彼らは数多くの障害を乗り越えなくてはならなかった。
3. 2. MCCからのスピンオフの事例
〜Evolutionary Technologies International (ETI)
ETIは二人の女性、キャサリン・ハマー(KatherineHammer)とロビン・カール(Robin