山村経済の解体再編と階級構成
(信州大学)
野口俊邦
一. 課題の設定 日本経済は五0年代中葉以降の 「高度成長」 期を通じて著しい不均等発展をとげ、 構造的矛 盾を激化させたが、 七0年代に入って世界の資 本主義国が体制的危機を深めるにつれ、 いよい よ末期的状態を露呈しつつある。山村の経済 構 造もこの間著しい変貌をとげざるをえなかった。 山村経済を支える農業や林業、 製材、 木工業等 の地場産業は、 大企業追随の地域開発政策、 産 業政策の下でおしなべて解体されたロ すなわち 農民と農業、 林家と林業、 製材業と国産木材、 等々が分断され、 これらの産業の表退、 就業者 の離村が進行した。そしてついに山村の「過疎」 にまでいきつくことになったのである。このよ うな土地、 労働力、 資本の内部的結合の崩壊に 対し、 他方では山村外部の資本がこれらを別々 に包摂・再編していった。諸資本の山村進出と 土地の買占め、 乱開発、 地場資本の系列化、 労 働力の再編成などである 。 七四年以降の構造的不況下においては、 山村 に進出した諸資本は撤退に転じ、 また流出労働 力は大量にはじき返された。山村は日本資本主 義にとって「成長」の原動力であったし、 不況 局面での「調整弁」でもあったわけであるロ し かし山村の農林 業や地場産業が表退させられ、 新たに外部の諸資本によって再編させた「外来」 の山村経済構造が、 資本の撤退や規模縮少に伴 なって、 元の山村経済や新たな自生的な構造に ただちに転化しうるはずがない。今日の山村の 姿はまさにこのような状態におかれていると理 解することができよう。それだけに今日の山村 の総合的かつ体系的な理解はきわめて困難で、 山村問題の所在も複雑かつ多岐にわたっている。 ここでは、 現下の山村問題の構造的把握に一 歩でも近づくために、 山村の農民経済(野口担 当〉、 山村への進出諸資本(橋本〉、 山村の階 級構成(鷲尾)の動向をできるだけ相互に関連 づけながら明らかにしていきたい。 「高度成長」経済開始期における山村の 経済構造 戦後農地革革において林野が未解放のままで 終わったことは、 林野に固まれた山村地域の農 民が当初から不安定かっ劣弱な再生産基盤のも とで出発せざるをえなかったことを意味する。 すなわち、 山地農業の零細性、 低位生産性、 自 給性およびこれらの結果としての山村農民の低 所得と兼業依存の必然性である。さらに林業に おいても、 薪炭生産や育林生産の地主経営等に みられるように旧い関係が完全には払拭されて ( 36) いなかった。 猫額大の耕地で米と雑穀を作り、 山菜、 木の 実、 野鳥、 野獣など豊富な資源を林野に求める ことによって基本的な自給生活部門を確保する とともに、 現金収入部門を薪炭生産や林業賃労 働等に求めていたのが当時の山村農民の一般的三一三=三三三ζ〈三ζ主さささペーさ二モアエて之:�:.弓f
ー
でJ ' 一一こーてトケ’ー?っ一三三三子三=壬:::-.:.c三二一三子子主子?と〈三ccc::,与三l /:cアゴゴ':";/;;;;.::一 c_-;三-;;:戸アc-c:二千主主〈ベ:,:,乙l レシゴミシcc.:.λ.·;;;;.:_"�土二三ユ七三一七乙ユ三二三三三c:;_:_二二_i,王三三三去三三三三三三三三三三二壬主主主主-:そこ三::二三i な姿である。 一九五O年時点での山村農民の専 ・兼別農家割合が専業二二 ・ 五 %、 第一種兼業 四一・ 九%と農業を主とするものハ専業プラス 第一種兼業)が七割以上と非常に高いのもその ためであるロ したがって、 「戦後自作農体制」、 すなわち、 農産物の小商品生産 に よって家族を 養いうるような「中農」範轄の確立が、 山村に も広汎にみられたというのでは決してなく、 自 給農業を中心とした農民経営がともかくも成立 しえていたということである。 「高 度成長」経済が始まる五五 年時点の山村農民の階級構成( 「臨農」 による ) にも示されている。林業における農民層の分解 が進んでいるとみられる「林業賃労働」集落率 が五O%以上の農業地域(「林賃」地域)は全 国の林業関係集落(山村〉のほぼ1一
3で、 林業 の農業からの分離が「農家の大半が食糧の自給 にも足りない程度」にすすんでいる地域(「山 賃」地域)もほぼ1す程度となっている。つま り逆にいえば、 五五年時点でも山村の約2一
3を 占める地域 で林 業における農民層分解は停滞的 で、 農業も「農家の大半が食糧の自給が行なえ る程度」 (「村農・ 山農」類型)の位置を占め ていたのである。 このことは、 一方、 山村における労働市場はまだあまり開 けず、 製材、 木工、 林業労働など多くは山村在 来の家内工業的なものにすぎなかった。また、 山村への進出資本は、 国土総合開発法( 五O年) 、 電源開発促進法ハ五二年 )等によるダム開発に 伴なって、 「台風のように山村へやってきては 去る」一過性のダム開発資本を除いてはほとん どみられなか ったロ このように「高度成長」期以前の山村経済は、 自給的農業を基礎に薪炭生産及び木材を中心と した地場産業に現金収入を求めるという閉鎖的 な経済構造を維持していたとみることができる。 したがって、 ここにおける山村問題の基本は、 農業基盤の零細性をいかに克服するかというこ と、 及び最も重要な現金収入源としての薪炭生 産の原木をいかに確保するかということをめぐ って、 すなわち、 林野をめぐる土地問題1農民 問題としての性格を第一義的にもっていたので ある。そしてここから導き出される変革の展望 は、 農地改革で手がつけられなかった林野的土 地問題を解決することによって、 典型的には農 業と薪炭生産とを結合させた山村版「自作農体 制」を創出することとし て描くことができたで あろう口 「高度成長」期における山村経済の変貌 過 程 一九五五年を起点とする戦後日本経済のコ角 度成長」を基本的に支えたものは若年・ 低賃金 労働力であった。この給源こそ多くが農・ 山村 の零細農家である。 農・ 山村からの労働力の析 出は、 農家経済の解体によってもたらされる口 農家経済の解体はまず第一 に、 山村農民の主 要な現金収入源であった薪炭生産が、 「エネル ギー革命」による需要の縮小、 紙パ産業による 原木奪取によって急激に崩壊することに帰国す る。薪炭生産は五七年をピlクに、 六0年代を 通じてほぼ壊滅的な減少傾向をたどる。薪炭生 産は育林に比べると、 資金 の回転期間がはるか に短かいこと、 家族労作的経営に適しているこ と、 などによって農民的経営として広汎に成立 していたものである。 しかし、 これに代わって 政策的に推進された育林は農民的経営としては 適応しがたい「作目」で、 農民経営の資金循環、 労働循環は根本的な変更をせまられる。結論的 に言うならば、 育林という新たな「作目」に見 合った新たな資金・ 労働循環を可能にする基盤 が、 すなわち農民経営の基本としての山地農業 およびその不足分を補充する地場労働市場が、 拡充されるどころか解体されることによって、 これらの循環は切断さ れ、 農家経済を解体へと C 37) 導くことになるのである。 そこで つぎに山地 農 業 の 展 開過程を みて いこ p フ。 (1) 山地農業の展開と山地農民の再生産構 造の変化 六O年から 七O年にかけての山地農業に関す る主要な動きを作物収穫面積でみれば、 ①稲の 収穫面積の割合が全国的に高まっているが、 と りわけ山村において著しく、 都府県計および平地農村よりも割合が高い、②麦類、雑穀類は全 般的に割合が減少し、ことに山村で著しい、③ 工芸作物の割合は山村のみが高まっている、④ 飼料用作物は山村で最も高い比率とな っている、 ということがわかる。 従来、山村の農業は自給的であり、水田率が 低く雑穀類の割合が高い、とされてきた。つま り商品作物の典型である稲の作付面積率(H水 田率)が低く、自給作物の典型とされる雑穀類 の作付面積率が相対的に高いことが、山村農業 の自給性を示す指標として取り上げられていた。 しかし六0年代において山地農業も大きく変貌 し、商品作物としての稲、工芸作物、飼料用作 物(t蓄産〉の作付面積率が平地村以上の割合 に高まり、自給的性格が強い麦類・雑穀類が大 幅に減少している。山村において急速な商品作 物の進展と商業的農業の展開がこの期にみられ たとすることができよう。 さらにこの動きを裏付けるために、農家の作 物収入の推移をみていこう。一九七二年時点で 経済地帯別の農業収入および農業所得を比較す れば、金額的に は山村が最も低く、農業所得で は平地農村のわずかに五八・六%にすぎない。 しかし六二年か ら七二年にかけての農業所得の 伸び率を比較すれば、山村が最も高く三八%増 となっている。作物別の収入で山村において大 幅に伸びている作物は畜産八一%、とりわけ酪 農一O四%、果樹六七%、工芸作物五六%、稲 三七%などで、酪農、工芸作物、稲は他の経済 地帯よりも伸び率は高くなっている。この要因 としては、もともとこれら作目の収入額が小さ かったので、わずかな増加でも大きな伸び率と なってあらわれる、という点もあろうが、不十 分とはいえ価格補償がなされている稲、山村の 「限界地性」があまり問題にならずむしろ山村 特有の産物も含まれる工芸作物、飼料基盤に相 対的に恵まれた畜産、など山地農業の不利性を 克服しうる商品作物が拡大されている、とみる ことができる 。 山地農業の特徴を生かした商品作物の拡大に よって農業収入の増大はなしえてきているもの の、他方で農業経営費の増大も他の経済地帯に 比べて山村が最も著しいことも同時にみておか なければならない。すなわち、動物(元牛等 一O五%)、飼料八二%、農薬六九%、農機具 五九%等への支出が大幅に増大しているためで あるロ 七二年には農業経営費のうち、飼料およ び農機具の両者で四八・一%と約半数を占めて いるのである口 以上のように、山村においても六0年代を通 じて、稲、工芸作物、畜産等の商品作物が拡大 され、他の経済 地帯にもまして商業的農業の展 開がみられたのである。しかし、商業的農業の 展開とは、作物における商品化であると同時に 生産資材の商品化(1購入〉を伴うものであるロ つまり、自給農業が主として自給資材によって 自給的作目を生産するとすれば、商 業的農業は 購入資材による商品作物の生産を必然化させる口 問題なのは、農 産物商品と資材類商品とか等価 的に「交換」されているかどうかである。農業 組収益(農産物商品)は一0年間に四六%の伸 びであったのに対し、農 業経営費ハ資材、その 他)は五七%も伸びている。そしてなによりも、 農家の家計費は、 この一0年間 (六Ol七O年 ) に三・三倍にも膨脹しているのであるロ 五0年代後半から始まる「高度成長」経済は 六0年代に「開放体制」に入ってますます本格 化する。「国際分業」のもとでの「安い」外国 農林産物の大量輸入、圏内的にはこれに見合っ て零細、低生産性、高コストの農林業を基本法的 体制によって解体・再編(「構造改善」)する、げ その際、機械、飼・肥料等、独占企業の商品市 場を広汎に創出する、などが農林業政策の基本 方向とされてくる。この過程で析出された農・ 山村の労働力がコ両度成長」の原動力になった ことはいうまでもない口 これらの高蓄積政策こ そ、先にみた農工間の不等価交換の拡大、家計 費の膨脹ハインフレ)の根源であり、山地農業 は商業的発展にもかかわらずその地盤沈下、解 体が進行することになるのである。 五0年代後半からの薪炭生産の崩壊が農家経 済解体の第一段階だとすれば、六0年代、こと に後半に進行するこうした山地農業の大巾な後 退、崩壊はその第二段階だとすることができよ
-:.::...::二二二二てニよ二二正二ー」 _L__:: -てー〉二=二一こ.:::: :.二 一��.三二てiご二ζ:」三三三そ己二二一ιコ士字弓::-�- �-マJプ--�..:'""-'c-’--�,,.cてで�: ’; -.:-.--三一 l -ー ム二ケプ 一 七三f 一 三三二三一 千て::τ三子??干?干デ千?三三一l / : _ -;::.:;;-'二三三:--_:-_-_-....::-二三三一 三一了:三一三三三之ベ三三一i うロ そこで次に山地農業の変化によって山村農 民の再生産構造がどのように変わらざるをえな かったかを六O年と七O年との対比によってみ ていこう。 まず第一に、 都府県山村(七O年センサスで いう「山地村」)の農家数は八三万三千戸から 七三万 六千戸へ一 一・ 六%も減少し、 都府県の 減少率一0・ 三%を上回っているロ 第二に農家人口はこの一0年間に二 五・ 九% も減少し、 都府県の二 二・ 二%の減少率をやは り上回っている。 さらに山村の農業就業人口に ついてみれば、 六O年には農業就業者の農家労 働人口(一六才以上〉に占める割合が六 四・ 二 %であったのが、 七O年には五0・ 一%へと減 少し、 しかも基幹的 農業従事者、 ととに男子の それは 五0・ 二%から三三・ 五%に激減してい る。 第三 に、 山村農民の兼業化が激しく進んだこ とである口専業農家率は一 八・ 三%ハ都 府 県 三 四 ・ 一%〉から九・ 四%(一 四・ 六%〉に激 減し、 第二種兼業農家率 は三 七・O角会二 ・ 四 %)から 六0・ 0 %( 五一 ・ O %)に激増して いる口七O年時点ですでに農業を主とする農家 (専業プラス第一種兼業)はすでに半数を割っ て四 割にまで激減したのである口 このように山村農民は六0年代を通じて他の 地帯以上に激しく世帯数、 人口を減らし、 山村 のドラスティ ックな「過疎化」の最大の構成部 分となった。 さらに、 山村に留まりえた農家も 農業就業者、 ことに男子基幹的 従事者を激減さ せ、 第二種 兼業化へ かり た て られ たのであ
ω
山村の「過疎」化と諸資本の進出 山地農業の解体にともなって山村農民の離農 1離村は激しく進み、 他の 地帯 以上 に山村の 「過疎化」が進行した。 「過疎」市町村数は一 九 七 四年四月現在、 一、 O四六 、 市 町 村 総数の 三 二 ・ 五%にも達しているが、そのうち六一・一 %は山村であり、 また八 四・ 九%は「辺地」で もあることからも明らかである。 つまり、 山村 を中心とした僻遠地において「過疎化」が顕著 になっていることがわか る。 「過疎」の地域性をいま少しみてみよう。「過 疎」市町村の 割合が 最も高いの は北 海 道 の 六五・ 六%で、 ついで九州、 四 国 、 中園、 北陸 が五O%前後で続いている。 いずれの地域も近 年まで「開発」が遅れ、 労働市場の展開がさほ ど顕著にはみられなかった地域であるロ 他方、 「過疎」市町村の割合が低いのは東海の二 ・ 七 %を最低に、 関東、 近畿が一 五%台で続いてい る。 いうまでもなく、 いずれも太平洋ベルト地 帯に属する最も「開発」の進んだ地域である。 「過疎」を惹起させているのは、 基本的 には 重化学工業中心の地域「開発」、 「開発」に伴 なう「高地価」と土地「流動化 」、 輸入農林産 物依存による低農林産物価格(ことに生産者に とって〉、 生産および生活関連製品の独占的高 価格、 これらを通じた積極的 労働力「流動化」 など、 体系的・ 総合的な独占資本の高蓄積政策 に他ならないロ こうした国家政策を背景にした 巨大な圧力と農業のある程度の経営基盤とでは 比較すべくもない。専業農家といえども具体的 な「開発」対象地域に巻きこまれるならば、 ひ とたまりもなく一挙に賃労働者に転落してしま うことにもなる口 しかし第二 に、 農業基盤の強弱、 地域経済の 振興度合等 も「過疎化」への抵抗力に深く関連 している。 「開発」の波がある地域をとらえた 時、 最初に影響をうけ離農↓離村に向かわざ るをえないのは、 農業経営基盤が脆弱で、 すで に地域内で人夫・ 日雇いなど不安定な臨時的 賃 労働兼業に従事していた人々である口「開発」 の深さと広がりによって、 この影響はより上層 農までとらえていくことになる。 また、 地域経 済全般がすでに地場産業等の不振の中で衰退し ているような地域では、 農民とはいわず全村的 ( 39) に「過疎化」への道を余儀なくされる。 先にみた山村や僻遠地域の著しい「過疎化」 現象はまさにこ うしたメカニズムによってひき おこされたものである口すなわち、 第一 に、「過 疎」の地域性が示すように、 地域労働市場が未 発達であった北海道、 九州、 四国、 中園、 北陸 等では離農1離村l「過疎」へとつながり、 東 海、 関東、 近畿などわが国最大の労働市場をもった太平洋ベルト地帯では離農1村内ないし通 勤の在村型賃労働兼業への転化にとどまり「過 疎」にはいたらなかった。第二に日本農業の基 幹をなす米作において「限界地」目「耕境」に 位置する山地農業の解体、圏内林業生産の後退 の中で林業、 木材関連地場産業における雇傭力 縮小、など山村経済を支える基幹産業の一層激 しい崩壊によって、山村ある いは「辺地 」 の 「過 疎化」が最もドラスティックに進行することと なったのである。 山村経済解体の極限状態に近い 「過疎」は、 高蓄積をめざす諸資本にとってみれば投資の好 餌に他ならなかった。豊富な土地、労働力、水 などが存在し自治体の協力(企業誘致〉が容易 にえられるからである。 ことに、林野には農地 に比してはるかに廉価で、土地取得上の制約が ほとんどないという絶好の条件が備わっていた。 こうして六0年代後半から「過疎」化が進む 山村をめざして観光資本と化したあらゆる業種 の大手資本、電機、縫製などの下請企業が進出 し、七0年代初頭にピlクに達するのである。 この過程こそ山村経済の外部資本主導による再 編過程に他ならない(詳述は次項)。
ω
階級構成の変化と山村問題 「高度成長」期を通じた山村経済の解体再編 は山村住民諸階 層の質的・量的変化、すなわち 階級構成の変化とそのことに帰国する新たな山 村問題を生みだした。 一九五 五年当時の山村 は「林農・ 山農」類型、 すなわち、薪炭生産に代表される林業における 小生産者の多数存在(「林農」〉、山村全体と しても自給農業を基礎とした農民層の量的優位 ( 「山農」)として構造的に把握されたロそれ が六O年にはすでに薪炭生産農民の賃労働者化 によって「林賃」類型への転化が起こり、山村 全体としては 「山 農」類型にとどまったため、 「林賃・ 山農」類型へと移行したのである。 それでは六O年から七O年にかけての山村の 構造変化はどのようにとらまえることができる であろうか。 まず山村の就業人口の動向をみれ ば次のごとくである。 ①農業就業者は一一八 万八 千人から八 O万九 千人に減少した(減少率一三 ・ 九 %〉。 ②林業就業者は一八 万六 千人から八万三千人 に減少した(同五 五・ 三% )。 ③山村 就業者は二四 五万一千人か ら二O九 万 四千人に減少した(同一四・ 五% 〉。 これらの結果、山村における農業および林業 就業者の割合は、前者 が四八・五%から三八・六 % に、後者が七 ・六 %から四・O%に低下した。 また階級構成についてみれば、農業ではさほど 変化がみられず「中間的部分」ハ雇人のいない 業主、内職者、家族従事者)が九 八l九九%を 占め、林業では両極分解の結果「賃労働者部分」 が 五 三・ 三 %から七 四・七%に激増している。 こうして山村全体としては両極分解の結果、「賃 労働者部分」が三 五・二 %から四三・ 八 % へ増 大しているが、なお「中間的部分」が 五二・ 九 %と過半を占めている。 以上のような六O年から七O年にかけての山 村の就業構造の変化から次のような問題を提起 することができるであろうロ まず第一に、山村の就業人口でみるかぎり、 農林業のウエイトはすでに半数を割っており、 山村問題は林業問題ではもちろんのこと農業問 題でも包括しえない部分が過半にたっしている ことである口農林業の解体による農林就業人口 の絶対的、 相対的減少、他方では進出諸資本に よる山村の産業構造の二次、三次産業への再編 がこの期間に顕著に進んだわけである。別言す心り れば、 農林業中心の「在来型山村経済構造」が、パげ 内部の自発的エネルギーによってではなく、外 部資本の直接進出あるいは内部資本の系列化に よる外部資本主導の 「外来型山村経済構造」に 転換されたことになる。 第二に、こうしたワク組みの範囲で土地産業 としては農業部門の比重がいまだに大きく、 「中 間部分」、すなわち農民問題が重大さを失なっ ていないことである。 この期の農民問題とは、 林野未解放に起因する零細農耕制の固定化とい う旧き土地問題を底流に、進出諸資本による土 地固い込みをめぐる新たな土地問題の追加によ って生じたものである。 農民の再生産構造に即 していえば、米、 工芸作物、畜産等の商品作物7三一二二二二己二三二二--�-----,-L-;ん�;;;_c二二ヶユ l ←/;�ユ二二二二二二二二7ι二三J二ュ,:c.--::--...--:--.-,--________ --:ιγ」 I�- 二て;;;;.,γ;.,.:-.:,.:.つγι一二三二二てとな午〉二三一二三三三一二 己三三三三三ミ三三三三ミ去三こそご予三トこそこ三三三三l の拡大による商業的農業への転換にもかかわら ず、 零細農耕制の固定化、 さらにはその土地の 囲い込み、 農産物と独占的大企業の生活・経営 資材との不等価交換の拡大によって、 農業部門 は就労の場としても所得獲得の場としても一層 不十分なものとなり、 その兼業化を深めざるを えなくなったことに農民問題の中心がある。し たがって、 この段階における農民問題止揚の方 向は、 経営耕地をいかに進出諸資本等から防衛 しさらに拡充するか、 と同 時に生産費をつぐな う農産物価格をいかにしてかち とるか、 が主た るものとならざるをえなかったのである。 第三に、 林業のウエイトは山村といえども著 しく低いものとなったが、 その中では「中間的 部分」が激減し 、 「賃労働者部分」が激増、 す なわち農民1土地問題から労働問題へと局面が 移行している。事実、 林野の拡大、 部分林、 分 収林の設定など土地要求は全般的に後退し、 賃 金、 雇用期間、 社会保障などをめぐる労働諸条 件の改善要求が、 労働運動への発展は微弱だと しても顕在化してきたのである。 七0年代の山村経済の変貌と山村問題 六
0
年代後半から七0
年代前半にかけて、 山 村農林業の解体、 労働力の流出、 諸資本の山村 進出と山村経済の再編は一層のはげしさをもっ て進行していくロ ことに六九年の「新全国総合 開発計画」(「新全総」)の登場によって、 農 四 ・山村地域の解体・再編は「農村地域工業導入 促進法」(七一年)、 「工業再配置促進法」を ともないつつ本格化していく。これに呼応する ものとして、 農業においては「構造農政」から 「総合農政」への転換が進められる。すなわち 六八年の米の「過剰」を契機に一方では減反を 行ない、 他方では農政を産業全体の高蓄積政策 の一貫として位置づけ、 これにそって農業、 農 民、 農山村地域を再編成するために、 土地、 労 働力、 水、 自然などを文字通り「総合的」に把 握しようとするものである。また林業・ 山村政 策としても七一年「一二世紀グリーン。フランへ の構えl
新しい森林政策確立への理一=7l」 (経済同友会)、 同年「新しい山村対策を求め て」(山村振興対策審議会〉等の基本構想が提 示され、 「ストック重視主義」という名の外材 依存・ 国内林業軽視策、 「山村、 都市一体的開 発」という名の資本による山村の従属的解体・ 再編が目論まれた。 しかし、 このような未曾有な農林業・ 山村収 奪は、 危機に瀕した日本資本 主義の 「高度成長」 の終駕を告げる前鐘に他ならなかったロ それは、 すでに七一年の「ドル・ ショック」に端を発し たIMF体制の崩壊と世界的資本主義体制の危 機の深化と不可分にかかわるもので、 七三 年を 最後に不況とインフレ、 円高と企業倒産の救い がたい構造的矛盾をあますところなく露呈する ことになるのである。 したがって山村経済も、 七0
年代に入って今 日までのわずかな期間の間 に、 諸資本による山 村地域の無秩序な開発と放棄、 企業進出、 在来 企業の系列化と撤退、 操短、 切り捨て、 山村労 働力の吸引と人員整理、 など資本の側の「フリ ーハンド」がまかり通 り、 激しい変貌をとげる ことになった。 その間不幸にも一貫してかわら ないのは( 「 日本農業見返し」などの糊塗策は 別として)農林産物の外国依存体制の強化と国 内農林業のそれへの追随ないしは軽視である。 以下山村経済の変貌過程を具体的にみていこう口ω
山村農民の再生産構造と山地農業の現 段 階 まず最初に農家経済の全国的動向を概括して ) Aせ おこ’フ。 七0
年代に入っても、 農民層の全般的な脱農 化I賃労働者化の動きは六0
年代に引き続き進 行している口 七Ol七五年の五年間にわが国の 専業農家は二七・。%減少し、い ま や 全 農 家 の 一二・ 四%になってしまった。 一方、 専業農家 とともに第一種兼業農家の割合も減少 し、 第二 種兼業農家のみが増大し全農家の六三・ 一%に も達している。いまや三戸のうち二戸は農業以 外を主業とする農家になっているとみなされる のである口 農家の第二種兼業化は、 単に量的な増大にと どまらず質的な深まりもみせている。農業経営 規模が小さければ、 当然増大する家計費を補充するためにも、 また農業「余剰」労働力を燃焼 させるためにも、 なんらかの就労の場、 収入獲 得の場は当然必要となる。農業を中心とした営 みがなされている限りにおいては、 他部分への 就労は、 主として農閑期における臨時的なもの であり、 いわゆる出稼ぎ、 日雇、 臨時雇等の形 をとる。六O年頃までの山村農民の就業構造は そうであった。しかし、 第二種兼業化が深まる につれ、 兼業の方が「匿常的」になり、 農業の 方が「臨時的」となるロ 七O年から七五年にか けての兼業化の主たる変化はこうしたもので、 兼業農家の八三・ 七%は雇用兼業であり、 恒常 的勤務が大幅に増大し、 五五・ 四%に達してい る。とくに第二種兼業農家においては六
0
・ 八 %が恒常的勤務を兼業 (正確にはむしろ主業) とするよう になっている。農民の臨時的賃労働 兼業から恒常的賃労働兼業への変化は、 農民の 農業からの離脱・ 分断の一層の進行を示すもの で 、 日本農業の危機の深さを示すものに他なら ない。 この農家の農業からの離脱は、 家族構成員の 中で格差をもって進行しているロ 農業就業人口 は一六歳以上世帯員総数の四 三・ 七%と半数を 大きく割り、 ことに男子については三 四・ 四% にすぎず、 また、 農業に従事したもののなかで、 他の仕事が主である者が四二・ 四%を占め、 こ とに男子ではこれが 五六・ 七%にも達している ごとくである。 以上のように、 日本農業は、 全般的な農民層 の賃労働者化の一層の深化i恒常的賃労働者化、 世帯員聞の就労の異質性の拡大、 ことに男子世 帯員の農業からの離脱の進 行、 農業労働の婦女 子化、 「片手間化」が顕著になってきており、 農業危機はその担い手の喪失の段階にまでいた っているのである。 それでは山村農民の再生産構造及び山地農業 の現状はどのようになっているであろうか。残 念ながら経済地帯別の統計が七O年以降なくな ったため全国的把握を行なうことはできないロ そこで、 ここでは岩手、 静岡、 高知三県の山村 について七五年農業センサスを集計することに よって手掛りをつかむことにするロ まず山村農民の兼業化の深化と兼業形態の特 徴についてみていこう。山村農民の兼業化、 こ とに第二種兼業化は他の地域に比べて一層激し く、 岩手県や静岡県の山村では第二種兼業農家 が七O%を越えている(都府県全体では六三 ・一 %)。しかも、 兼業化は自営兼業の激少と雇用 兼業、 なかんづく恒常的賃労働兼業へと向かい つつある。いずれの山村でも 雇用兼業農家は 七一l九O%も占め、 静岡県山林の第二種兼業 農家についてみれば、 恒常的賃労働兼業農家が 六割を越えているロ しかし他の山村では、 いま だ出稼ぎ、 日雇・ 臨時雇といった不安定な臨時 的賃労働兼業農家が過半にたっしている。これ を農家世帯員の就業状態としてみれば、 他の地 域に比べ 山村では男女間の「分業」が一層進み、 男子は農業以外の仕事、 それも恒常的賃労働に 主として従事し、 女子は主として自農農業に従 事し片方で臨時的賃労働にも従事する、 という 比率が高くなっている。それだけ山地農業の位 置低下がはげしく、 ますます恒常的賃労働兼業 や婦人の臨時的賃労働まで含めた多就労によっ て家計を補充せざるをえなくなっているのであ る 口 そこで山地農業の現状をつぎにみようロ 結論 的にいえば、 今日 の山村においても米、 茶、 こ んにゃく等の工芸作物、 畜産などが基幹作目の 位置を失なっていないということである。農産 販売金額一位の部門別農家をみれば、 岩手県山 村で一位稲、 二位酪農、 三位その他の畜産ハ肉 牛等)、 同じく静岡県山村で工芸農作物、 「そ の他の作物」、 果樹、 高知県山村で稲、 養蚕、 工芸作物となっているごとくであるロ これらの 作目や経営部門 が山村において重要な位置を占 めるのは、 「限界地」に位置する米作も含めて 相対的に価格条件が有利であり、 また米作以外 は山村が適地叉は優等地に当たるためである。 七三年の一日当り家族労働報酬をとれば、 水稲 の四、 O八 四円を越えるものとして、 こんにゃ く、 野菜(はくさいて茶、 等 が あり、 反収 (七五年)においても水稲の九二、 四三六円に 対しこんにゃく、 茶、 たばこ等は二O万円台で 大巾に上回っている。 ( 42)二二二---」τーーτ一二、三二二七二二4ζ三三一 E七三三三壬でささ弓:c:cぞどf弓トで’:.- .c�:-.,.:’c c;_-_-c- _-, _ー三 ー♂♂二ケ ゴ 二て二二千てシfで三つ子?三c--:一七三ー子?乙手下一 l /;,-.:;ト七三,C:.-.-;_c-_二七三-;三:.-:.,::-_-_-.:_ -_____________ :-_1 し-r- - 二二ι:-_;_-;;ゴ·;;"てcc二千二三ヒc士一戸三二F二三亡王手吐よー←」二二二コ二二二三·_:_二二:c しかし、 山村農民の経営努力にもかかわらず、 家計費は著しく膨脹しそれに見合った農産物価 格が実現されていないため に、 山地農業は著し くその位置を低下させてきて いる。 七OJ七五 年度に山村農民の家計費は 二・ 三倍に急増した のに対し、 農産物生産者価格はこの間 に総合で 一・八倍、 米は一・ 九倍、 工芸作物は一・ 八倍、 繭は一・ 五倍、 畜産物は二・ O倍とおしなべて はるかに下回っているのであ る。 七五年度の山 村農家 の平均的家計費二五二万四千円を農産物 販売収入によってどの程度にみたしているかと いえば、 約一割の充足率の農家 (農産物販売金 額三O万円未満〉が六五t七七%をも占め、 大 部分を農産物販売収入で みたしうる 農家( 二
00
万円以上)はいずれの山村においても五%にも 満たなくなってしまったのである。 山地農業の農家 経済 に占める位置はこのよう に低下し、 平均的な農業所得による家計費充足 率は二八・ 三%、 逆に農外所得による充足率は 八九・ 九%と増大している。 しかし、 だからと いって山地農業が農民自体にとって重要でない もの、 必要でないものになっているかといえば 決してそうではない。役場、 農協勤務者等の中 に一部「土地持ち労働者」的なものも形成され ているものと思われるが、 先にみた山村農民の 兼業形態として、 いまなお日雇・臨時雇、 出稼 ぎなどの不安定低賃金兼業が支配的であること を考慮するならば、 山地農業がいまなお多くの 農民の再生産にとって不可欠な部門とし て位置 していることがわかるのである。 一方、 山村農民の林野利用及び林産物生産に ついてみるならば、 近年林業生産は中小林野農 民ではほとんど行なわれなくなってい る。 すで に七O年時点で林産物の販売をまったくなしえ なかったものが一回以上の 林 野 保有者 で す ら 八四%にもたつしているごとくである。 そうし た中で注目すべき動きとしては、 近年きのこ類 の特殊林産物が金額的にも、 林業所得に占める 割合においても中小規模層においてかなり著し い伸展をみせていることである。 ただし、 その 金額たるや一O万円にも満たないようなもので はあるが、 山村における一つの農民的作目とし て位置づけておく必要があろう。ω
進出諸資本による山村経済の再編 六0
年代後半に先進観光地に始まり、 七0
年 代にはいって一挙に全国の山村あるいは山林を まきこんでいった観光資本の進出は、 その中核 は日本の代表的企業・ 商社および銀行、 あるい はそのダミl不動産業者であって、 それは一九 六九年の「新全総」を背景に、 またさらなる強 蓄積追求の列島改造政策に便乗しようとした全 国的規模での土地投機と、 そこにむらがる内外 . 中 小の無数の泡のような不動産屋の跳りょう をともなうものであって、 まさに山村にとって は、 外来の巨大資本の襲来であった。 また六0
年代一部山村にみられ、 七0
年代に はいってこれも全国的現象となった山村をその 対象とする機械部品下請や縫製などの工場進出 は、 元農民や素材業者の転進の姿をとるなど、 形式的には山村内部に資本的系譜をもっとみえ る場合も、 原材料・機械設備・ 技術・ 販路など を完全に外部資本(それ自体大企業の下請けで あることも多い)に掌握され、 その最末端下請 けとして組織されているものであ った。 具体的 な企業活動の姿は個性的な地域性を帯びていて も、 これまた本質的には進出観光資本と等しく、 外来資本活動の一環にほかならないのである。 これら山村への新しい資本進出は、 六0
年代 強蓄積の結果としての過剰資本の現出が、 他方、 海外投資の不安定性の増大(民族解放運動の世 界史的高揚)、 圏内運輸・通信網の飛躍的改善 と大都市の過密など悪条件の累積、 等々の共通 の条件に促迫されて、 山村にまであふれだして きたものである。 さらにまた、 浮動的な投機性 ( 43) をもち、 最末端下請として景気の調節弁にされ、 基盤の弱い山村行財政によりすがるなど、 いず れも景気変動に対してもっとも敏感かつ脆いと いう点を、 共通にしているものであった口 ここ では山村進出資本として、 観光開発資本・下請 工業資本に焦点をあて、 以下述べていこう。 日本国独資の強蓄積行程の最後の階梯となっ た一九七0
年代前半になると、 世界恐慌のなか でIMFの固定為替制度が崩壊するなど経済危 機が深化し、 その国独資的たてなおしをはかる列島改造の構想がうち出さ れ、 いわゆる過剰資 本による 空前の土地投機がおこった。 それは北 海道から沖縄までの全国土をおおい 、 製 造業の 全業種の資本、 いや一次三次産業をふくむ資本 という資本 すべてをまきこみ、 この 間、 全四国 に匹敵する一五 O万加の山林原野 が、 主として 農民の手から資本の手にうつったのである。 こ こで、 現代日本国独資の中核的インテグレlタ !ともいうべき銀行および総合商社資本の全国 的観光開発参入が、 一 九 七 0年代観光開発の一 つの特徴となったのである。 さて、 ここで、 これら大資本等の手による全 国の土地買占めの一応の到達点 を、 国土庁調査 の数字によって確認しておこ う。 土地買占めの ブーム期をふくむ一九六 九t七 四年ハ沖 縄は 七二・ 五 ・一五以降)の 六年間の法人 ・個人の 一団地 (二万dl一O千d以上)の土地取引き は、 全国 で八八・二万国をこえ全国土の約二・六 %が買占められたのである口 これら買占め地の 取得目的はゴルフ場(面積で三三 ・ 九 %)、住宅 用分譲地 (二ニ・ 一%〉、別荘用分譲地(一0 ・八 %)、 レジャーセンター用地 (七・ 二%)とな っており、 また全体の 約三分の一は未利用地と なっている。 いかに投機的性格の強い土地買占 めであったかがわかろう。 これらの 土地投機の好餌にされたのが山林原 野であり、例えば長野県では買占 め地の九 三・五 %は山林原野で、 その過半は市町村有林、 部落 有林であったロ 秋田県でも過去五年間の買占め 地は九 二 %が山林原野となっている。十分な利 用がなされない農民経営の弱い環から切り崩さ れていったとみることができよう。 次に近 年における山村進出工場の特徴につい てみよう。 一九六五年不況 は、 戦後日本資本 主義にとっ て、 最大の信用危機をともなう最初の本格的過 剰生産恐慌であった 口 以後、 日本国独資は新た な蓄積行程の再構築、 産業基盤の拡充政策にの りだし、 「新全総」の旗のも と、 大規模な地域 開発政策によって、 国家的 資金動員と資源の再 配分を企図する。 かくて、 大企業中心工場は、 合理化の追究によって常用労働者数をおさえな がら、 労働集約 的工程を下請・ 近代的家内工業 として 地方H農村部に分散させてい く。 それは 七一 年の「農村地域工業導入促進法」、 七二年 の「工業再配置促進法」によって、 国家的施策 として整備された。 そして工場分散、 近代的家 内工業進出は、 ひろく山村・ 農山村にも及ぶに 至ったのであるロ その山村労働力再編の特徴は、 なによりもま ず①食品・繊維など山村在来の中小・零細工業 が表退する中で、 これらとの僅少の賃金格差を テコに主として主婦労働力が集められたこと、 ②この主婦労働力はその周辺に同じく主婦によ る新たな家内工業労働者 ( 内職労働者)の部厚 い層をひかえた下請工場労働者として編成され たこと、 そして③その賃金は農村日雇賃金より 格段に低い水準にある内職工程の賃金が死重と なって、 わが 国の新たな最低賃金基盤を形成し たことなどである。 こうして山村の主婦労働力 は好況とともに下請や内職へと引き寄せられ、 不況とともに自家農業 などへとはじき返されつ つ、 現代日本 資本主義の景気変動の調節弁とし て編成されてきたのである口
ω
山村問題の現段階 以上のような激しい変貌過程をへた今日 、 山 村経済の構造的特徴、 およびそれに規定される 山村問題はどのようなものとして把握されるで あろうか。 現時点の山村住民の階級構成は明らかにしえ ないが、 七 O年時点ですでに山村の就労者のう ち「賃労働者部分」が四三 ・八 % にもたつし、 また農林業就業者も半数を割っているこ と、 そ の後 農林業の解体と農民層の賃労働者化が進行 したことから推察すれ ば、 山村の類型は「林賃 ・ 山 農」から「林賃・ 山賃」類型への移行とし てとらえることができよう 口 すなわち、 林業に おける賃労働者の多数存在と資本対賃労働関係 の進展はもちろんのこと山村全般においても農 民等「中間的 部分」の減少と賃労働者の増大に よって資本対賃労働関係が主軸となってきてい るだろう、 ということである。 ( 44) 例えば七五年の国勢調査か ら一部の 県につい て山村だけをとりだし集計し てみると、 岩手県-_c__-_てて1 L二二二二二てニニ二ムエーE三三二二一二二七二三τ三------... -,:之J I --二;_;c,-/._-;;;一二十三ん二c_:,c�て二七午--�三"_;c_ミ;J与二 ζ三三三ζ�三三毛主三三三三c:さそ主主ちてと子二三ミ二:-:, t三一二二一二三ト二一三プミ三云三こ三÷二二三正三「:去二三三去三去二三l 山村では、 林業(及び狩猟業)においては賃労 働者(「雇用者」)が七四・ 二%にもたつし、 同じく高知県山村でも七0・ 二%と七割を越え ているロ 一方山村の全就業 者 については、 岩手 県で賃労働者が六一・七%と非常に大きな割合 にたっしているが、 高知県ではいまだ四一・三 %にとどまっているロ また農業及び林業就業者 は岩手県で一七・ O%、 一・七%と極端に少な くなっているが、高知県では三一・ O%、七・ 七 %となっている。 このように、 相当大きな地域性があり山村の 経済構造もしたがってまた山村問題も一律には とらえられないことをみておく必要が ある。 と のことは重要な意味を含ん で い るロつまり、 六0 年代以降の国独資の展開は産業問、 ことに農工 間の不均等発展を顕著にしていったが、 このこ とは「過密」と「過疎」に象徴されるように都 市と農・山村との不均等発展であったと同時に、 山村間の格差、 地域性の拡大も一面ではもたら したからであるロ それは、 「過疎」の状況、 山 村進出諸資本による土地買い占め、 作目の違い 等による商業的農業の発展、 農民の兼業形態、 等にかなり大きな地域性がみられるごとくであ るロ岩手県と高知県の山村の差異もこうしたも のとして理解する ことができる口 しかし他方で は、 山村に共通する経済構造の 今 日 的特徴も当 然 な が ら存在し、 これが山村 問 題の 独 自性をい まなお保持している所以である。 その第一は、 全般的な資本不足と山村住民の 不安定就労をめぐる問題であるロ 山村でもすで に賃労働者が過半にたっしているところもあ り、 また多くの山村がそういう方向に進みつつ ある。 今や山村は労働者と農民の混住社会となってい る。し か し 「 高 度 成 長 」期を通じた地場 資本 の解 体、豊林業の著しい地 盤沈下、山村へ殺到し た諸 ー 資 本の撤退、 誘致企業の倒産など構造不況の長 期化 の中で、賃 労働部門 での就 労 が困難になりま た不安 定性 も増 大 しつつある 。「 高 度成長」期には 賃労働兼業 はむしろ臨時・日雇い兼業 から恒常的 賃労働兼業へと向かっていた。今はまた これ らの 逆行がはじ ま り、Uタlン等にもみられる「 帰墨 現象も珍らしくなくな りつつある。敗戦直後に お ける軍人の「帰農」が平時 における現代版として 起こ り つ つある。 しかもま った く帰るべき農林 業基盤を喪失させ られた状況の下に である。 といって、 資本不足の解決が、 かつての諸資 本の山村進出、 企業誘致等によってなされるも のでは決してない。国独資の高蓄積政策の一環 としての地域開発は、 外部資本主導の山村収奪、 森林破壊、 自然破壊に他ならなかったことは今 日の事態が示すとおりである。い まやこ うした 「上から」の政策と公共投資を中心とした地域 住民、 地場 産業主体の「下から」の地域開発、 振興政策とが真向から対決するにいたっている 。 国独資的政策への民主的規制と山村住民主体の 自主的地域振興計画を通じてはじめて山村住民 の不安定就労問題の解決方向が展望されるであ ろう。 第二に、 農民の兼業化の一層の深化の中で労 働問題のウエイトが非常に大きくなっているこ とである。 今日の山村が労働者と農民の混住社 会になっているとすれば、 山村の農家は労働者 と農民の雑居世帯、 しかも世帯主が労働者で妻 が農民だという世帯が支配的になってきている。 山村の地場賃金は非常に低 く、 労賃収入のみで はほとんど生計を維持することができない。こ のことがどんなに賃労働者化しても兼業的農業 部門を残存させている最大の理由である。「専 業的林業労働者」といわれる部分でも決して例 外ではない。さらに、 山村進出資本による近代 的家内工業の出現は最底辺の「範時的低賃金水 準」(「労賃水準の三 重構造」)を形成してお り、 わが国低賃金政策の死重となっているロ 低 賃金水準の打破とともに労基法以下の社会保障 水準の改善は山村問題の重要な一環をなすもの といえよう。 C 45) 第三に、 兼業 化がこれほど進んだ今日でも農 民問題は重要な位置を失なってはいないロ むし ろ不況の長期化の中で農業の見直しが農民や地 域の中でも始められているぐらいである。工芸 作物、 高原野菜、 畜産、 しいたけ等特殊林産物 など山村の相対的優位性が発揮できる作目や経 営部門もまだ残されている。要は、 零細規模、 低生産性部門の農業をどのように農業政策の中
に位置づけるかにかかっており、 その点で円高 での安易な日本農業の「いけにえ」化や減反政 策は山村農民ともするどく対決するものである。 また戦後一貫して解決されるととのなかった山 村農民の土地問題も、 林野の農民的利用の多面 化、 買占め遊休土地の活用など、 地域の民主的 ・総合的土地利用計画の中で解決されるべきで あろう白 そして今日でも広汎な家族労作的農林 複合経営の創出の道は農民の要求にもかなうも のであり、 農林業発展の担い手を保障する道に もつながるものであろう。 C 46)